「運命共同体」という賭けに破れた人たち2012/02/02 11:56

「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です。 地域開発は、まさにこの偉大な自然の中で、これを活用し、人間の生命と生活が保護されるという状態で進められることが大切です。
 しかし、今まで現実に進められてきた開発行政は、一般住民の生活基盤の整備が放置されたままに、大企業の立地条件がすべてバラ色に装飾された図式のもとで、至るところ、企業の誘致合戦が展開されてきました。
 人間が生きていくことに望ましい環境を作り、それを保持することが、今日最大の必須条件ですが、現実にはこれが尊重されず、企業本位の開発進行がなされてきたために、人間の命が軽視され、公害が発生しました」

↑これは1971年に初めて県会議員に当選した岩本忠夫氏が、最初の県議会の質問に立ち、原発問題について切りだした冒頭の言葉だ。彼は「双葉地方原発反対同盟」の委員長でもあった。


「(東京電力と)長いつきあいをしてきたと言うことで、原子力発電所それ自体についても、その中で自分も生きてきたと思っているのです。ですから、単に原子力発電所との共生をしてきた、共生していくということだけではなくて、運命共同体という姿になっていると実は思っています。
 いかなるときにも、原子力には期待もし、そこに『大きな賭け』をしている。『間違ってはならない賭け』をこれからも続けていきたい
 私はどのようなことがあっても、原子力発電の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています」

↑これは双葉町の前町長・岩本忠夫氏が、2003年、社団法人原子燃料政策研究会の会報『プルトニウム』42号でのインタビューに答えたときの言葉。
 ……同じ人物である。
 原発推進に転向した岩本氏は、5期20年にわたって双葉町の町長であり続けた。
 当時の福島県知事佐藤栄佐久氏は、2001年頃から徐々に原発推進政策に疑問を抱き、見直しを打ち出していた。
 そんな中、2002年8月には、東京電力が原発の保守点検などに関するデータを改竄していたことが発覚。
 きっかけは2000年7月に、福島第一原発の設計をしたアメリカのゼネラル・エレクトリック社系列の技術者が、通産省(現経済産業省)に告発文を実名で送ったこと。しかし、国はこれを2年間も見て見ぬ振りをして、真相解明の努力をしなかった。他にも、原発内部で働く人たちからの内部告発を、保安院は告発者の名前までつけて東電にそのまま伝えた上で、自分たちは独自調査さえしなかった。
 佐藤栄佐久県知事(当時)の国と東電への不信感はピークに達し、福島第一原発のプルサーマル計画は白紙撤回に追い込み、2003年4月には、東京電力の原発すべてが停止するという事態になった。
 上に紹介した岩本町長へのインタビューが行われたのは、まさにこの直後、2003年夏のことだ。
 こうした事態になっても、岩本町長は町長として原発誘致に町の命運をかけることに疑いを抱いていないと言いきっている。実際、双葉町は福島第一原発に7号機、8号機を増設してくれと要望し続けていた。
 それを指して、佐藤栄佐久前県知事は「原発は麻薬のようなもの。一度手を出したら抜けられず、もっともっとと欲しがる中毒患者になる」と言っている。

 元反原発運動のリーダーが、「地元の民意なら」と、考えを変えて、「運命共同体」として間違ってはならない賭けをした。
 その結果、町長と町民は「賭け」に負けたのだ。原発は、地元双葉町だけでなく、日本の「山と水と森」を徹底的に汚染した。
 かつて岩本氏が「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です」と訴えた、その自然を。

 このような「運命共同体」を元に戻してはいけない。解体させてやり直すしかない。
 つまり、「元通りの福島」に戻してはいけないのだ。
 しかし、「双葉郡」でそれを口にすることは、今まで以上のタブーになっている。「原発運命共同体」は、補償金獲得や除染ビジネス利権を通じて結びつきを強めている。原発に代わる麻薬を探している。そのことから目をそらして復興だの除染だのと報じるメディアは、国民に、問題の根源が何かを見誤らせている。
 
 岩本氏は、3.11直後に南相馬市の避難所に避難。その後は認知症が進み、3月末に福島市のアパートに移ってからは、「ここはどこだ」「家に帰っぺ」とうわごとのように繰り返すようになっていたという。
 原発が高濃度の放射性物質をまき散らした4か月後の2011年7月15日早朝、死去。


「川内村のミミズ」記事で騒いでいる人たちへ2012/02/06 16:57

線量が高いところでは土壌も汚染されたというだけの話

農水省所轄の独立行政法人である森林総合研究所の長谷川元洋主任研究員(土壌動物学)が、昨年8月下旬~9月下旬に川内村の国有林で採取した数十匹のミミズから1キロあたり約2万ベクレルの放射性セシウムが検出されたと報告したというニュースが大きく報じられている。
このニュースを受けて、「そんなとんでもない汚染の村で帰村宣言とは何事か」「村長は住民の命を何だと思っているのか」といったコメントがネット上に溢れている。
この問題についていくつか確認しておきたい。

調べたのは3か所だけ

 この調査の元サンプルになったミミズは、昨年8月~9月に農水省が、川内村、大玉村、只見町の3か所で杉などの木を伐採して採取したときの副産物らしい。
 この調査は、杉などを伐採して木の部位別(葉、枝、樹皮、辺材、心材)および林内の落ち葉などの堆積物、土壌の放射性セシウム濃度を調べることが目的とされている⇒中間報告書はこちら
 調査地点は3か所だけで、この3か所の中では川内村が第一原発に一番近い(一部は20km圏内の警戒区域)。
 そのときの空間放射線量は、川内村の調査地点で3.11μSv/h、大玉村が0.33μSv/h、只見町が0.12μSv/hだったという。
 ちなみにニュースでは調査したのは昨年8月下旬から9月下旬となっていたが、この報告書には8月8日~12日の5日間と書かれている。後からミミズなどを追加で採取したのかもしれないが、空間線量を計測したのはおそらくこの8月8日~12日だろう。

空間線量が高いところほど土壌汚染もひどいというだけのデータ

 さて、昨年8月時点で空間線量が3μSv/hを超える場所といったら、川内村の20km圏外では極めて限られていた。思い当たるのは、大津辺山の一部あたりか。川内村といわき市との境界あたりにはホットスポットがあり、荻や志田名という地名はNHKの番組でも報じられたので有名になった。そこにある民家は川内村よりもいわき市のほうが多い。ちなみに、川内村でそのホットスポットにあった1軒は「特定避難勧奨地点」に指定された。
 具体的には下川内三ツ石 勝追という場所で、7月の時点で空間線量が3.2μSv/hを超えていたという。該当の家はすでに新潟県に避難していた。
 こうしたホットスポットは存在していたので、おそらくそのそばの国有林か、あるいは20km圏警戒区域内の国有林だろう。
 ちなみに我が家は家の両側が国有林だが、昨年8月の時点で林の中の空間線量は1μSv/h以下、家の外で0.5μSv/h程度だった。
 

 で、森林総合研究所のミミズ調査の件だが、これは「空間線量が高い場所は土壌もそれだけ汚染されている」というデータにすぎない。サンプルは3か所だけ。空間線量が0.12μSv/hや0.33μSv/hの土地より、その10倍、30倍の線量がある土地はもっと汚染されていますよ、ということが証明されただけで、あたりまえすぎる話。
 要するに、空間線量が3μSv/h程度ある森林の土壌に棲むミミズは2万ベクレル/kgくらいのセシウムを含んでいる可能性がありますよ、ということになる。
 ミミズ1kgというのはあんまり想像したくない図だが、仮に体重が10gのミミズであれば、1匹あたり20ベクレル程度のセシウムを含んでいますよ、ということだ。

川内村の広さと位置関係を把握していますか?

 たった3か所のサンプル採取地の1つがたまたま川内村のホットスポットだったことで、ニュースを読んだ人たちの多くは「川内村ってとんでもなく汚染された村なのだな」と思いこむ。
 これはまったく違う。
 川内村の面積は千代田区の17倍ある。
 福島第一原発を東電の品川火力発電所の位置だと仮定すると、警戒区域の20km境界線は横浜市の緑区役所あたり。村の中心部はそこから数km離れているだけだが、空間線量は柏市のホットスポットなどより低い。
 モリアオガエル繁殖地として国の特別天然記念物指定を受けている平伏沼(へぶすぬま)は第一原発から29kmほど離れているが、上の品川火力発電所からの位置に喩えるなら、横浜市を通り越して大和市市役所あたりに該当する。ここは今でも1μSv/h前後あり、第一原発に近い村の中心部よりずっと線量が高い。
 もし、森林総合研究所が調査した地点が下川内のホットスポットに近い森の中だとすれば、品川火力発電所からの位置だと、横浜市緑区の鴨居あたりだろうか。
 首都圏の人に思い描いてほしいのは、もしも品川火力発電所の位置に福島第一原発があったとすれば、横浜市緑区の住民も大和市の住民もみんな川内村の住民に該当するということ。で、緑区でも緑区役所周辺の人は0.2~0.3μSv/hだから、かなり安全な場所だけれど、鴨居に住んでいる人は3μSv/h以上の線量ホットスポットになってしまい、避難しなければならないということだ。
 今回の「川内村のミミズからセシウムが2万ベクレル/kg」というニュースに反応して「川内村は汚染されている。そこに暮らすなんてとんでもない」と主張する人たちに知ってほしいのは、その主張は、「横浜市緑区鴨居の杉林のミミズから高濃度のセシウムが検出された⇒こんなところに住んでいるのはとんでもない⇒東京都内はもちろん、神奈川県も全部避難しろ」……というようなスケールの話だということだ。

 こんな風に、ホットスポットの存在やまだら状に汚染された状況は複雑で、千代田区の17倍の土地に家が千戸もない川内村を地理的にひとくくりにして「危険な村」と把握してもらっても困るのだ。
 川内村の中心部(役場の周辺。小学校や中学校もこのへんに集まっている)では、昨年8月時点での空間線量はせいぜい0.2μSv/h~0.3μSv/h程度だった。川内小学校のグラウンドやウッドデッキの上で、僕は実際に線量を計ってもみたが、そのとき川内小学校が間借りしていた郡山市の小学校よりずっと線量は低かった。川内小学校の子供たちは、母校よりずっと汚染がひどい小学校に通わされていたことも知っておいてほしい。


↑東電品川火力発電所の位置に福島第一原発があったとすると、川内村の位置はこんな感じ

この調査発表の真意は?

森林総合研究所が去年発表した中間報告書では、杉の葉と落ち葉に高い濃度のセシウムが付着していると報告している。


これもまあ、あたりまえのことで、杉のような常緑樹では上から降ってきた放射性物質は、あの細かなブラシ状の葉に多く絡め取られるだろうし、それをすり抜けた分は地表に落ちるのだから、そこにすでに落ちていた落ち葉に付くのも当然すぎる結果だ。
ただ、勘違いしてはいけないのは、この調査時点での「落ち葉」というのは、前年に落ちた葉であって、4月以降に芽吹いた新緑ではないということだ。
だから、事故後の冬に落ちた落ち葉にはほとんど放射性物質は付着していないはずで、むしろその「新しい落ち葉」は、すでに地表に積もっていた放射性物質の上に被さって、放射線を遮蔽し、放射性物質の再拡散(粒子として飛び散る)を防ぐ働きをしているはずだ。
であれば、無理にこの「新しい落ち葉」をかき集めるのは、放射性物質の再拡散を促すだけではないかということも考えられる。
それでも、この報告を鵜呑みにした人たちは「森を除染しなければ除染は完了しない。いつまでも森から放射性物質が流れ出して、里の人々の健康や農地を脅かす」と言いたいのだろう。

はっきり言おう。
汚染された土地から出て行ける人、出たいと思う人は出たほうがいい。そうした人たちへ移転費用を出すのはあたりまえである。
しかし、それでは原発利権を築いてきた連中が「儲からない」のだ。
除染という名目であれば、巨額の税金を投入できる。その新たな「公共事業」で利権が生じて、原発で儲けた企業や、原発を推進してきた官僚たちも安泰である。事実、政府から除染を請け負っているのは「もんじゅ」を運営している原子力機構(独立行政法人日本原子力研究開発機構)だ。
原子力機構が除染ビジネスを仕切って、原発建設をしてきたゼネコンなどに新たな事業を丸投げし(当然、「中抜き」はして)、ゼネコンなどの原発関連企業が原発立地の建設会社、土建会社などに下請けさせ、そこからさらに、原発に「人夫出し」をしていた地元の有力者たちがおこぼれにあずかる。
原発を推進してきたときとまったく同じ構図が、すでにできあがって、動いている。もう誰にも止められない勢いだ。

森林の除染などという、できるはずのないこと、意味のないことに莫大な税金を注ぎ込むような愚かなことは許されない。そんな金があるなら、汚染された土地から移住したいと思う人たちへの援助や、汚染が低かった土地での産業や文化の再構築といった、人間と自然を守る方向に使うべきだ。
川内村の低汚染地域について言えば、帰村宣言というよりは、外から新たに志を持った熟年世代、農業者を呼び込むくらいの政策を打ち出してほしかった。
しかし、すでに除染、除染で動き始めてしまった村に、僕自身、安心して住んではいられないし(内部被曝のリスクは除染作業が盛んになるにつれ上がるだろう)、ましてや村の外から人を呼び入れて村の再建を……ということもできない。今の状況では無責任すぎるからだ。
すでに阿武隈の友人たちのほとんどは、新天地を求めて北海道、岡山、佐渡、長野、山形……と、散り散りになっていった。
今の僕は、遠くへ行ってしまった友人たちとはネットワークが途切れないようにし、移転先を探している友人たちには知りうる限りの物件情報を提供し、村に残って頑張っている友人たちには、今回のようなバカげた誤解情報が拡散しないよう、日本中の人に事実を知ってもらう努力をしている。

帰村宣言は人殺しだ、などというお門違いなことを叫ぶ人たちに言いたい。問題はそんなに単純ではない。本当の悪はそんなところにはない。
原発推進と同じ手口で騙され続けてはいけない。

「1人10万円/月」だけではない高額補償を捨ててまで帰る者などいない2012/02/19 12:18

この内容では帰る者が出てくるはずがない

「30km圏利権」という罠

■家に帰れば補償打ち切り、仕事を再開すれば補償減額

先日、某新聞社記者から電話があって、「川内村がいち早く帰村宣言をしたが、今の気持ちと村の現状を聞かせてほしい」という。
逆にその記者に、「本当のことを書けるのですか?」と訊いた。

テレビでは「除染が完全に済んでいないのに帰れない」といったことを言う「避難者」が映し出される。それを見て視聴者は「汚染された村に帰れだなんて、村長は人殺しか」などというトンチンカンなコメントをネットに書き散らす。

全然違う。

放射能汚染はもはや関係ない。最初から、村の中心部の汚染は避難先の郡山市などより低いということをここでも何度も書いている。
帰れないのは、帰ると補償金がもらえなくなるから
非常にシンプル、かつ切実な理由からだ。

東電の「賠償金ご請求の解説」というパンフレットが僕の手元にも届いている。
そこにはこう書いてある。

避難生活等による精神的損害
1人あたり10万円/月 または 12万円/月
開始日:平成23年3月11日
終了日:賠償終期の前に帰宅された場合は、初めて帰宅された日

つまり、家に帰ればその日をもって1人あたり月10万円の賠償金が打ち切られるというのだ。
この「精神的損害賠償金」はすでに今年2月末分までは確定しているので、今も「避難している」と主張する人たちには全員120万円/年以上が支払われる。(仮払い金も含めてすでに過去の分は支払われている)
ちなみに12万円/月は、体育館などの集団避難所にいた期間について支払われる金額。仮設住宅や借り上げ住宅制度(貸し家、マンション、アパート、個人所有の別荘などを避難先として登録すると、月9万円までの家賃を出してくれる制度)が始まってもなかなか避難所を出て行こうとしなかった人たちの理由のひとつになっている。仮設や借り上げに移ると、食費光熱費がかかる上に、補償金が減らされるから移りたくない、ということだ。
この「精神的損害補償」だけで、例えば5人家族なら年600万円の支給になる。

「1人10万円/月」だけではない高額補償

これは賠償項目の1つに過ぎない。
「就労不能損害」補償では、「事故がなければ得られた収入 - (事故後)実際に得た収入」の差額を支払うということになっている。つまり、仕事を再開しなければ事故前の収入が全額補償されるが、仕事を再開して少しでも収入を得るとその分は差し引くということだ。
例えば、月収40万円あった人は、原発事故のせいで仕事を失ったとして仕事につかなければ事故前の40万円という月収がまるまる補償されるが、頑張ってバイトを見つけ、月15万円稼ぐようになれば、その15万円は差し引かれる。仕事をしてもしなくても収入が変わらないと言われ、仕事をする人がどれだけいるだろうか。
ちなみに、これとは別に失業手当は出ているから、正規雇用者は二重に補償されている。
また、ほとんどの家は兼業農家だから、農業補償などの補償も加わっている。
「今年度も全面作付け禁止にしてほしい」と村のほうから願い出るのも、不労収入を減らしたくないという村民の「総意」を受けたものだ。



働いて稼いだ分だけ補償額から引くという信じがたい内容↑(クリックで拡大)

ついでに、「過去の実績給与等の証明ができない場合の賠償額」の決め方も実に奇妙だ。
3.11時点で月140時間以上勤務していて、「就労する期間が決まっていない(期間の定めがない)雇用形態」の人は15万円/月。就労する期間が決まっていた雇用形態の人は9万円/月だという。不定期就労のほうが補償額が多い。これでは、いわゆる臨時雇いやパートであっても「私は月140時間以上勤務していたが雇用期間は決まっていなかった」と申請して15万円/月を得ることになるだろう。
月140時間以下の労働時間であっても、最低補償が3万円/月もらえる。
田んぼの除染が始まると、歩くのがやっとの老人が草刈り機を手にして田んぼの脇に1日座っている光景を見たが、あれは日当をもらうための頭数増やしにかり出されたものだ。同じように、どんな内容であっても「不定期に勤労していた」と申告すれば、3万円/月が支払われるのだから、就学児以外の家族はじいさんばあさんも総動員させて「就労不能損害補償」を申請していることだろう。
精神的損害補償1人10万円/月、就労不能損害補償は3.11前の収入分の全額、失業保険は別途支給で期間も延長、たまにアルバイトしていた、あるいは近所のお手伝いで謝礼をもらっていた程度の就労実績でも申請の仕方によっては毎月定額の「就労不能損害補償」。草ぼうぼうにしている農地があればあるほど農業補償上乗せ……これだけでも、ざっと計算してみれば、総収入が1000万円/年を超える世帯が続出しているであろうことが分かる。

以前の給与証明ができない場合、不定期就労者のほうがなぜか補償額が大きいという不思議↑(クリックで拡大)

家に戻ればその時点で1人10万円/月がなくなる。仕事を再開して収入を得れば、その分賠償金が減らされる。
そんな腐った補償規定で村をシャブづけ状態にしておいて、復興だの再生だのがありえないことは明白ではないか。
補償金がもらえる間は極力何もしないでもらい続ける。それがいよいよ打ち切られたら、今度は「除染ビジネス」で金をもらう。放射性物質を含んだゴミ処分場建設でも金がいっぱい落ちそうだ。なるべく国有地ではなく、村有地や私有地を指定してもらえ……。

村の行政としても、村民が仕事をせず、村に戻らないことがいちばん高収入という今の状況を少しでも長く維持することが「村民の意志」「総意」であると認識して、そのように動いている。村長の苦悩はいかばかりか。

……取材を求めてきた記者さんにこんな話をしたところ、「う~ん、やはりそれは書けませんね。私たちが考えている内容とは違うので……」と言われた。
かくして、日本中、今日もまた「一日も早く故郷へ帰りたい」「除染を急げ、住民の願いは届くのか」みたいな的外れな記事を読み、間違った福島情報を積み重ねていく。


私は当初、東電とは闘ってきちんと賠償金をもらうつもりでいた。しかし、今はこの土俵の上に乗ることが嫌だ。
私は「緊急時避難準備区域」が解除される前から村に戻って普通に生活を再開していたが、それによって「精神的損害補償」は打ち切られたことになる。
その後、村人たちの様子がどんどんおかしくなっていくことに耐えられず、昨年末、自費で移転先を探し、今は安い中古住宅を見つけてそこに移ってきている。
川内村の自宅を失った上に、なけなしの預金をはたいての引っ越し。大変な財産損失だが、しばらくは東電への「賠償金請求」という土俵には乗らないつもりだ。今のままではシャブづけの仲間入りになってしまうからだ。
アヘン巣窟のようになってしまった村を見ているのは辛い。
放射能が怖くて帰れないのではない。人々がまともに生きる気持ちを失い、補償金の維持という一点で強く結ばれている「運命共同体」に参加したら、意味のある人生を送ることができなくなる。阿武隈で暮らす意味がない。
阿武隈の自然が壊される前に、コミュニティが──人間の心が壊されてしまった。
あそこでもう暮らすことはできないと覚悟を決めるしかない。
この悲しみと悔しさは、3.11直後のショックよりはるかに大きい。

■2015年2月3日追記■
このブログ記事を読んだ出版社やテレビメディアなどから、「補償格差」や「賠償金成金」が生まれる歪みなどについて書いてくれ、話してくれという依頼が複数来ますが、すべてお断りしています。
この問題はとても複雑かつデリケートで、どんなに言葉を尽くしても実情や問題点を伝えるのが難しいと考えています。
特にテレビは、最初から視聴者の好奇心を刺激し、「とんでもない話だ!」という反応を引き起こそうという意図の元に編集されるのが目に見えていますので、基本的に取材や出演依頼には応じません。

福島の人たちの口もどんどん重くなってきました。これを書いた時とは現場の「空気」もずいぶん変わってきました。
怒ってもどうにもならないという諦めや、下手に口にすることで問題を悪化させてしまう、ますます人間関係が分断されてしまうことへの恐れから、どうしても「沈黙は金」になっていきます。
私がこの記事を書いたのは2012年2月で、「村に戻れば補償打ち切り」「仕事を再開すればその分、補償を減らす」というとんでもないルールに怒り心頭でした。そのときの気持ちを消すことはできないし、思い起こすことが大切だと思いますので、敢えて書いた内容には手を入れないでおきます。

その後、「村に戻れば一人10万円/月は打ち切る」という馬鹿げた規定は見直され、村に戻る戻らないにかかわらず避難命令が出ていた期間の「精神的損害補償」は支払われることになりました。
また、川内村はいち早く帰村宣言をしたために、川内村の旧緊急時避難準備区域の住民に対して支払われてきた1人当たり月額10万円の精神的損害賠償は2012年8月に打ち切られています。

何度も言ってきたように、いちばんの問題はこういうことを引き起こし、どんどん悪化させていく「システム」にあります。そこに言及しないまま、福島で今起きていることだけを刺激的に報道することは、誰の得にもなりません。知ったかぶりしてネット上で騒ぐ人たちにおいしい餌を撒くだけでしょう。
補償金格差に限らず、「フクシマ」の諸問題は単に興味本位で消費されるだけになってしまうことがいちばんまずいのです。
今後も、マスメディア(特にテレビ)からの似たようなリクエストはすべてお断りするつもりですので、ご了承ください。

原発運命共同体が壊す福島の和2012/02/19 14:37

原発運命共同体が壊す福島の和

俺たちは賭けに勝った……?

2つ前のトピックで「『運命共同体』という賭けに破れた人たち 」 という文章を載せた。
原発を誘致した人たちは、原発誘致という賭けに負けたという意味のタイトルだったが、最近、彼らは本当に「賭け」に負けたのかどうか、疑問に思うようになっている。
立地4町の富裕層は一時的には財産を失ったし、収入基盤もなくなったかもしれない。しかし、川内村の人たちのように、事故前より実質収入が増えて、予想外の都市生活を家賃ただで始めているケースを見ていると、この人たちは買った記憶もないくじを当てたのかもしれないと思えてくる。

多くの村民は仮設や借り上げ住宅を手続きして「避難中」という証明を担保した上でちょこちょこ自宅に戻っている。どっちが別荘なのか分からないが、家賃ただの都市生活をしながら、仕事をしないことで収入補償を得られる根拠としての30km圏の自宅を維持するという、新種の二地域居住をしている。
「今日はどっちに泊まるんだ?」
「今日は郡山に戻る。明日また来て草取りの続きすっから」
……村にいると、こんな会話が毎日交わされているのに出くわす。統計上は「避難中」で家に戻っていないことになっているし、それによって東電からの「避難生活等による精神的損害」補償(1人あたり月額10万円)もしっかり受け取っている人たちの会話だ。
庭の草むしりや家の周囲での畑作業は以前と同じようにしているが、田んぼは放置したまま。下手にいじると農業補償が減らされかねないという恐れからだ。
おかげで村中の田んぼは草ボウボウになった。夏にはメマツヨイグサが、秋にはセイタカアワダチソウが人の背丈ほども生えた。
この草が刈られたのは冬が迫ってからだった。村から日当が出た。自分の田んぼの草刈りをするのに日当が出たというので、ずいぶん話題になった。
作業中、マスクをしている人はほとんどいない。みんな「放射能なんて大したことねえっぺ」と高をくくっている。
村は、田んぼは荒れ果てたので今期も作付けは無理であるから全面補償をしてほしいと願い出ている。
おそらくそうなるのだろう。2年続けて農業補償。それだけなら米を普通に作って売っていたときより安いかもしれないが、ほとんどの家は兼業農家で、給与収入分は全額就労不能損害補償されているし、失業保険をもらえる人はそれももらっているから二重に補償され、仕事をしないほうがしていたときより収入増になった。
金のことだけを考えれば、彼らは賭けに負けたとは言えない。「想定外」の金を得て、戸惑いながらも都会生活の中で虚しく使っているように見える。

福島県人同士が憎しみ合う構図

今、福島市、郡山市、いわき市などの都市部では、市民が原発立地や周辺自治体(「30km圏利権」が生じたエリア)から来ている人たちへの憎悪が激化している。県外の人たちもようやくそのことに気づき始めたようだ。
都市部の市民は、放射能汚染された自宅を捨ててどこかに行きたくても補償されない。仕方なく、ものすごいストレスを抱えたまま、今日も黙々と、普通に生活している。
タクシーの運転手は客が増えた。「避難」してきている人たちが毎晩飲み屋で遊ぶから。飲み屋に呼ばれて客を乗せ、行き先を訊くと「○○の仮設住宅へ」とか、借り上げしているアパートの場所を告げられる。

3.11前、毎日うちに宅急便を届けてくれていた村の人は、郡山の借り上げ住宅に一家で避難したまま戻って来ない。代わりに、富岡やいわきで、津波で家を流された人が毎日山を越えて届けてくれていた。
事故後ひと月で再開した川内郵便局の局員には、津波で家を流されたいわき市の人もいた。
彼らは自分たちの仕事の公益性を十分に承知していて、仕事をすることが当然と思い、誇りも持っていた。
彼らのおかげで物流を確保できた村の人たちはどうしていたか……。
仕事に復帰すれば就労不能損害補償がなくなるからと、避難したまま遠巻きに村の様子を見ているだけだった。
働けば働いた分だけ補償が減らされるのだから、厳しい仕事に戻ろうなどと思うはずがない。なんとか理由をつけて「失業中」を維持しようとするだろう。そのことを非難できる人がいるだろうか。後は「恥」とか「尊厳」の問題になってくる。

郡山やいわきのパチンコ屋、飲み屋は連日繁盛している。
パチンコ屋の駐車場には、日が経つにつれ、ピカピカの新車が目立つようになった。補償金や義援金で潤った人たちが車を買い換えたからだ。

前双葉町長・岩本忠夫氏(昨年、避難先の福島市で死去)が、双葉地方原発反対同盟委員長を務めていた1972年に造られた「原発落首」(「落首」=世相を風刺した狂歌の類)を再掲したい。


 このごろ双葉に流行るもの、飲み屋、下宿屋、弁当屋。
 のぞき、暴行、傷害事件。汚染、被曝、ニセ発表。
 飲み屋で札びら切る男、魚の出どころ聞く女。
 起きたる事故は数あれど、安全、安全、鳴くおうむ。
 なりふりかまわずバラまくものは、粗品、広報、放射能。
 運ぶあてなき廃棄物、山積みされたる恐ろしや。
 住民締め出す公聴会、非民主、非自主、非公開。
 主の消えたる田や畑、減りたる出稼ぎ、増えたる被曝。
 避難計画作れども、行く意志のなき非避難訓練。
 不安を増したる住民に、心配するなとは恐ろしや。



原発運命共同体は賭けに負けたのだろうか? 勝ったのだろうか?
麻薬中毒は立ち直ることが難しい。
人間、みな弱い。金を目の前にぶら下げられて拒否できる人は少ない。
しかも、家と土地を見えない汚物で汚され、仕事も失っている身となれば、「こんな金はいらん。俺は仕事をする!」と宣言する意志力を持てる人は極めて少ないだろう。

「ありがとうございました。またどうぞ」
今夜も福島のどこかで、飲み屋のマスターやタクシーの運転手が、原発30km圏からの「避難者」たちにこう挨拶している。
心の中では、その客への憎しみをまたひとつ増大させて。

福島で今起きている本当のことを、日本中の人に知ってほしい。
この国は、こういう手口で我々を手懐けてきたのだということを。
そして、その手口に使われた金は、我々が仕事をして、なけなしの稼ぎから納めた税金であり、せっせと節電に協力しながらも支払わなければならない電気料金から出ているのだということを。
放射能より怖いもの……それは「フクシマ」のような惨劇を経験しながらも何の反省もなく、こうした「手口」を今もってこの国は使い続けていること。そして、国民がそれを許し続けているということだ。