「フクシマ」は福島の問題ではない(1) ― 2013/02/11 21:20
この動画↑は、フランスのCEREA(Centre d'Enseignement et de Recherche en Environnement Atmospherique)という研究機関がWEB上に公表している、福島第一から漏れたセシウム137の拡散シミュレーションだ。
CEREAは直訳すれば、大気環境の研究教育機関ということになるだろうか。フランス国立統計学校(国立土木学校)とフランス電力が共同出資している機関ということだ。
電力会社(フランスだから、もちろん原発メイン)が支援している機関だから、原発を否定するような活動はしていないはずで、放射性物質拡散を大袈裟にPRするような意図はないと思われる。
出所は⇒ここ
このページで発信しているメッセージがあるとすれば、「福島第一から漏れた放射性物質によって環太平洋エリア全体が汚染されたが、その汚染度合は、例えばアメリカ西海岸は西日本よりひどい」という内容だろう。
上の動画のようにほとんどの放射性物質が太平洋側に流れていった結果、セシウムによる土壌汚染は↓このようになったという。
↑クリックで拡大
関東・東北が真っ赤なのが悲しいが、西日本はほとんど汚染されていないことが分かる。
さて、ここで僕が言いたいことは2つ。
1)「フクシマ」は福島の問題ではない。地球規模の問題。首都圏がひどい汚染から免れたのは放射性物質が漏れたときの風向きや天候の「たまたま」の結果にすぎない
2)「たまたま」助かった日本は、この大失態から何を学んだのか? 何一つ学んでいないではないか。
廃炉技術の開発は、これから必須のものであると同時に、大きなビジネスになる。日本が今いちばん力を入れなければならないのはそこだ。
大気汚染防止のための排気フィルタリング技術において、日本は世界のトップレベルにある。中国に必要なのはこの技術と、環境を汚染しないためには金を使わなければいけないという思想・哲学だ。
ところが、原子力の分野では、日本は世界で最も野蛮なことを続け(もんじゅなど狂気の沙汰だ)、これだけ世界に放射性物質をばらまいておきながら、今後も「原発を輸出する」と言ってのける厚顔無知ぶり。輸出すべきは廃炉技術であって、間違っても原子炉ではない。
人間性がおかしいだけでなく、技術立国として生き残るというビジネス戦略、政治戦略面でも、まったく逆方向を向いている。
フクシマは福島の問題ではない(2) ― 2013/02/12 21:07
「フクシマ」は福島の問題ではない。
地球規模の問題、人類がこれからどう生き延びていくかというような大きな問題なのだが、この事態を引き起こした要因を考えていくと、昔からよく言われる「親方日の丸体質」の問題に触れないわけにはいかない。
宮脇昭氏が「震災がれきを活用して東北に『森の防波堤』を」と提唱している。
(日本経済新聞WEB版 2012/2/1)
しかし、この提案が、国にはまったく無視されている。
その裏事情をリポートしているのが、「中央省庁の壁は、防潮堤よりも厚かった──相沢光哉・宮城県議会議員も憤る「森の防潮堤」が実現しないワケ」(2012年12月05日 磯山 友幸 経済ニュースの裏側 現代ビジネス)。
かいつまんで説明すると……、
■宮脇氏の提言:
■相沢光哉・宮城県議会議員の憤懣:
片寄った主張ととるかたもいるかもしれないので、「緑の防潮堤懐疑論」も紹介しておく。
宮脇氏の唱える「緑の防潮堤」に疑問を投げかける人たちの主張をまとめると……、
……といった意見が見られる。
しかし、こうした懸念が現実になったとしても、莫大な金を投じて巨大なコンクリートの防潮堤を張りめぐらすなどという計画よりはるかにマシではないか。
仮に宮脇提言に多少の弱点があったとしても、それがコンクリートの大防潮堤建設推進を正当化する理由にはまったくならない。
相沢氏も言う。
……まったく同感だ。
巨大堤防は凶器にもなりえる。
東日本大震災のとき、逃げ遅れて大津波にのみこまれた人たちの中には「堤防のために逃げ遅れて命を落とした」人たちもいた。
10メートルの大堤防の向こう側は見えない。津波が10メートルの堤防を乗り越えてくるまで、迫る津波が見えなかったのだ。
実際に大槌町ですんでのところで助かった人はこう言っている。
「堤防の内側にいると、海は見えないじゃない。住宅が多い町の方でもそう。だから、震災があった時に、近くにいた人は津波が来ることが分からなかったんじゃないかな。堤防の上を漁船が越えるのを見て気付いた人もいるって聞いたしね。堤防が透明だったら、どれだけの人が助かったんだろうって思う」
(「津波のことは、不思議と思いもしなかった」大槌みらい新聞 配信=2013/01/31記事=田淵 浩平)
地元の人たちは、実際に3.11の大津波で堤防の無力を体験したこともあり、堤防建設に対しては概して懐疑的だ。
しかし、「本音は反対だが復興が人質にとられているから口を閉ざしている」という。(特集ワイド:東日本大震災 巨大防潮堤、被災地に続々計画 本音は「反対」だが…復興が「人質」に 口閉ざす住民 毎日新聞 2013年02月06日 東京夕刊)
「復興が人質にとられている」とはどういう意味か?
「防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえない」
「海辺を利用してきた沿岸部住民で本音で賛成している人はいないだろう」(毎日新聞特集記事より)
つまり、地元の人たちは巨大防潮堤の建設には賛成できないが、それを呑まなければ、破壊されたインフラや産業基盤の復興への予算も削られるので、呑まざるを得ない、というのだ。
こんなバカな金の使い方が許されるだろうか。
最終的な目的は、津波から人命を守ることであって、津波を食い止めることではない。津波が来たときに命を落とさないようにすればいいのだ。
例えば、沿岸の民家、建物には、津波に呑み込まれても溺れないための「漂流カプセル」を備えればよい。
完全防水、その中に横たわればたとえ波にさらわれても呼吸が確保でき、数日間は命を守れる飲料水と栄養物を備えたカプセル。
車には、圧縮空気で瞬時に膨らむ簡易型漂流カプセルを積んでおく。消火栓のように、地域のあちこちにこうした救命用漂流カプセルを常備しておく。
これなら巨大防潮堤よりはるかに少ない予算でできる。防潮堤建設の予算を考えれば、沿岸住民、自治体に国が無償供給してもたっぷりお釣りがくる。
そういう緊急時漂流用カプセルのアイデアや技術開発によるビジネスも生まれるし、海外輸出もできる。
失われた命は戻らないが、流された建造物や資産は時間と共に取り戻せる。であれば、「津波を防ぐのではなく、いちばん大切なものを津波から守る」ことができればいい。
巨大防潮堤を建設すれば、それだけで大きなものを失う。景観や自然環境、暮らしやすさ、自然との共生という文化……そうしたものを失うに値するだけの価値があるのか?
漂流カプセルなら、何も失うものはない。
こんなことくらい、ちょっと考えれば誰でも分かるだろう。
簡単なことをやらないで、バカなことを推し進める背景は、結局「利権」なのだ。
相沢議員もインタビュー記事の中で語っている。
森の除染など、誰もできると思っていない。また、本当に除染が必要な場所よりも、緊急性の薄い場所に莫大な金が注ぎ込まれ、費用対効果が極めて低い。中にはやらないほうがよほどいいような「除染」もある。そういうものが一緒くたに国からの金で推し進められている。
これも巨大防潮堤と同じで、「受け入れたほうが金が流れ込む」という地元の思惑と連動している。
合理性のない金の使い方は許さない、という国民の意識が低いから、「親方日の丸」意識が長い間続き、デタラメな税金の使い方であっても異を唱えなくなってしまった。
どうせデタラメな金なら、少しでも自分たちの生活が潤う方向に使わせよう、という「ぶら下がり根性」が染みつく。
それを仕切る地元の顔役が地方議員をやり、利権誘導がうまい人間、あるいは利権誘導によって動かされやすい人間が首長になる。
そういう構図で生まれた「地方経済」は自立性がないから、上からの金が途絶えれば簡単に崩壊する。それが怖くて、ますますぶら下がり体質が強化され、そこに身を寄せる地域住民には暗黙のタブー意識、結束、自由な発言や行動を封じて小さくまとまろうとする村意識が芽生え、強化される。
「フクシマ」を生んだ要因にはこうした構図がある。
原発立地では、このぶら下がり体質がものすごく強い。「フクシマ」以後、目が醒めて自立への道を歩み始めるかと思えば、逆に、ますますこの体質が強まってしまった。
「東北復興」の中でも、「福島の問題」は特にやっかいだ。
都会の人たちにお願いしたい。
「フクシマ」は、自分たちから遠い田舎で起きた地域的な問題ではない。
ましてや、原発の問題は「エネルギー問題」ではない。
東北が大変だから、困っているからお金を出してあげなければ……とか、原発をなくすには代替エネルギーを考えなくては……などという問題ではまったくないのだ。
今、福島をはじめ、東北には莫大な金(もとをただせば税金)が流れ込んでいて、その金の使われ方は合理性を欠いている。そこに問題の根源がある。
「脱原発」を叫ぶ人たちが増えるのは結構なのだが、本当に原発をなくそうと思ったら、中央の権力構造を合理的な方向に改革することから始めなければどうしようもない。なぜなら、原発立地の人たちがいつまでも「ぶら下がり」を続けようとしている限り、「地元の民意」によって原発継続は正当化し続けられるからだ。
税金の使い方に今まで通りのデタラメを許していたら、たとえ原発が全廃されたとしても、同じような失敗が形を変えて次から次へと出てくるだけだ。
★冒頭の写真は川内村の我が家への進入路に置かれた汚染土入りブルーバッグの山(2012/12/03)
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地球規模の問題、人類がこれからどう生き延びていくかというような大きな問題なのだが、この事態を引き起こした要因を考えていくと、昔からよく言われる「親方日の丸体質」の問題に触れないわけにはいかない。
宮脇昭氏が「震災がれきを活用して東北に『森の防波堤』を」と提唱している。
(日本経済新聞WEB版 2012/2/1)
しかし、この提案が、国にはまったく無視されている。
その裏事情をリポートしているのが、「中央省庁の壁は、防潮堤よりも厚かった──相沢光哉・宮城県議会議員も憤る「森の防潮堤」が実現しないワケ」(2012年12月05日 磯山 友幸 経済ニュースの裏側 現代ビジネス)。
かいつまんで説明すると……、
■宮脇氏の提言:
- 震災で生じたがれきのほとんどは、家屋などに使われていた廃木材やコンクリート。これらはもともと「自然素材」であり、土に還る。捨てたり焼いたりしないで有効に活用すべき。
- 海岸部に穴を掘り、がれきと土を混ぜ、かまぼこ状の土塁を築く。そこに、その土地の本来の樹種である潜在自然植生の木を選んで苗を植えていけば、10~20年で防災・環境保全林が海岸に沿って生まれる。
- 東北地方の潜在自然植生であるタブノキやカシ、シイ類などは根が真っすぐに深く地下に入る直根性・深根性の木なので、容易には倒れず波砕効果を持つ。背後の市街地の被害を和らげ、引き波に対してはフェンスとなり、海に流される人命を救う。
■相沢光哉・宮城県議会議員の憤懣:
- 宮脇氏の提言を知り、議会で自民党から共産党までの全議員が全会一致でこの「緑の防波堤」案を採用しようと決めた。
- ところがこれに国がストップをかけた。
- 廃棄物処理法で、木質類は埋めてはいけないと決められているから「そもそもガレキを埋めるという行為自体がダメ」だと言う。
- 国はあくまでもコンクリートと鉄で作る巨大堤防の建設を進めようとしている。
- 防潮堤のほとんどは国土交通省の所管。民主党政権で「コンクリートから人」へということで仕事が干上がっていたのが、震災で膨大な予算が付き、目の色が変わった。海岸堤防は国交省のやりたいように進められている。
- 東日本大震災の大津波では、高さ10メートル以上の大堤防が引き波によってことごとく倒された。
- それにも懲りず、平野部では高さ7.2メートル、気仙沼などのリアス式海岸の場所では11.4メートルのコンクリート製の堤防を、引き波でも倒されないようにがっちり作り直すと言うが、高さ7.2メートルの堤防をそのレベルで作れば底辺の厚みは40メートルにもなる。そんなものを太平洋沿岸にズラッと築けば、陸側からは海が見えなくなるし、海側からも陸が見えなくなる。
- そんな異常なものの建設が、現実に国の直轄事業で始まっている。
片寄った主張ととるかたもいるかもしれないので、「緑の防潮堤懐疑論」も紹介しておく。
宮脇氏の唱える「緑の防潮堤」に疑問を投げかける人たちの主張をまとめると……、
- 有機物は埋めればいずれ腐る。その際にガスが発生したり、土地が陥没する。
- 土木工学的に強度の裏付けがあるのか?
- 木質瓦礫を含む堰堤を津波が越えれば水が浸透して浮力が生じる。第2波3波に耐えられるのか?
- 余震で液状化しないか。
- 広葉樹は深くまっすぐに根を張ると言うが、塩分の多い土壌でもそうなるのか?
……といった意見が見られる。
しかし、こうした懸念が現実になったとしても、莫大な金を投じて巨大なコンクリートの防潮堤を張りめぐらすなどという計画よりはるかにマシではないか。
仮に宮脇提言に多少の弱点があったとしても、それがコンクリートの大防潮堤建設推進を正当化する理由にはまったくならない。
相沢氏も言う。
- 森を作るわけで、上に家を立てたり道路を造るわけではない。
- これから、太平洋沿岸、九州の方まで大堤防の建設が進んでいく。100年に1度の津波だとしても、99年はその高い塀の中で暮らさなければならない。
- それだけ犠牲を払っても、100年に1度の津波を抑えられる保証はない。東海、南海地震の津波は30メートルという予測なのだから。
- そもそも自然の脅威に対して人工物で対応するということ自体、無理がある。
- コンクリートは経年変化する。森は放っておいても更新する。自然には自然で対応するのが本当の知恵。
- 海はときに災害をもたらすが、普段は「豊穣の海」であり、人間の暮らしに恵みを与えてくれる存在。海を拒むのではなく、海と折り合いを付けて生活していく工夫をするのが当然のこと。
……まったく同感だ。
巨大堤防は凶器にもなりえる。
東日本大震災のとき、逃げ遅れて大津波にのみこまれた人たちの中には「堤防のために逃げ遅れて命を落とした」人たちもいた。
10メートルの大堤防の向こう側は見えない。津波が10メートルの堤防を乗り越えてくるまで、迫る津波が見えなかったのだ。
実際に大槌町ですんでのところで助かった人はこう言っている。
「堤防の内側にいると、海は見えないじゃない。住宅が多い町の方でもそう。だから、震災があった時に、近くにいた人は津波が来ることが分からなかったんじゃないかな。堤防の上を漁船が越えるのを見て気付いた人もいるって聞いたしね。堤防が透明だったら、どれだけの人が助かったんだろうって思う」
(「津波のことは、不思議と思いもしなかった」大槌みらい新聞 配信=2013/01/31記事=田淵 浩平)
地元の人たちは、実際に3.11の大津波で堤防の無力を体験したこともあり、堤防建設に対しては概して懐疑的だ。
しかし、「本音は反対だが復興が人質にとられているから口を閉ざしている」という。(特集ワイド:東日本大震災 巨大防潮堤、被災地に続々計画 本音は「反対」だが…復興が「人質」に 口閉ざす住民 毎日新聞 2013年02月06日 東京夕刊)
「復興が人質にとられている」とはどういう意味か?
「防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえない」
「海辺を利用してきた沿岸部住民で本音で賛成している人はいないだろう」(毎日新聞特集記事より)
つまり、地元の人たちは巨大防潮堤の建設には賛成できないが、それを呑まなければ、破壊されたインフラや産業基盤の復興への予算も削られるので、呑まざるを得ない、というのだ。
こんなバカな金の使い方が許されるだろうか。
最終的な目的は、津波から人命を守ることであって、津波を食い止めることではない。津波が来たときに命を落とさないようにすればいいのだ。
例えば、沿岸の民家、建物には、津波に呑み込まれても溺れないための「漂流カプセル」を備えればよい。
完全防水、その中に横たわればたとえ波にさらわれても呼吸が確保でき、数日間は命を守れる飲料水と栄養物を備えたカプセル。
車には、圧縮空気で瞬時に膨らむ簡易型漂流カプセルを積んでおく。消火栓のように、地域のあちこちにこうした救命用漂流カプセルを常備しておく。
これなら巨大防潮堤よりはるかに少ない予算でできる。防潮堤建設の予算を考えれば、沿岸住民、自治体に国が無償供給してもたっぷりお釣りがくる。
そういう緊急時漂流用カプセルのアイデアや技術開発によるビジネスも生まれるし、海外輸出もできる。
失われた命は戻らないが、流された建造物や資産は時間と共に取り戻せる。であれば、「津波を防ぐのではなく、いちばん大切なものを津波から守る」ことができればいい。
巨大防潮堤を建設すれば、それだけで大きなものを失う。景観や自然環境、暮らしやすさ、自然との共生という文化……そうしたものを失うに値するだけの価値があるのか?
漂流カプセルなら、何も失うものはない。
こんなことくらい、ちょっと考えれば誰でも分かるだろう。
簡単なことをやらないで、バカなことを推し進める背景は、結局「利権」なのだ。
相沢議員もインタビュー記事の中で語っている。
- 要するに、樹木を育てて防潮堤にするという仕組み、それがまったくダメだとお役所(国交省)は頭から決めてかかる。
- 国交省がダメなら、林野庁が頑張ってくれたらいいのだが、役所の規模が国交省とは横綱と幕下みたいなもので話にならない。
- しかも、「森の防潮堤」は広葉樹を使うというのがポイントだが、林野庁は「海岸線はマツ。山はスギ」という風に針葉樹を植える方針で長年やってきたから広葉樹はやりたがらない。広葉樹は植えれば手をかけなくていいから、林業業者が儲からないから。
- コンクリートの堤防であれば県は一銭も負担する必要がない。だから「ぜひ国にやってもらいましょう」となってしまう。
- 一方、海岸部に住んでいた人はみな津波でやられ、危険区域だからもうそこには住めない。だから、もう海岸はどうでもいいと考えてしまう。
森の除染など、誰もできると思っていない。また、本当に除染が必要な場所よりも、緊急性の薄い場所に莫大な金が注ぎ込まれ、費用対効果が極めて低い。中にはやらないほうがよほどいいような「除染」もある。そういうものが一緒くたに国からの金で推し進められている。
これも巨大防潮堤と同じで、「受け入れたほうが金が流れ込む」という地元の思惑と連動している。
合理性のない金の使い方は許さない、という国民の意識が低いから、「親方日の丸」意識が長い間続き、デタラメな税金の使い方であっても異を唱えなくなってしまった。
どうせデタラメな金なら、少しでも自分たちの生活が潤う方向に使わせよう、という「ぶら下がり根性」が染みつく。
それを仕切る地元の顔役が地方議員をやり、利権誘導がうまい人間、あるいは利権誘導によって動かされやすい人間が首長になる。
そういう構図で生まれた「地方経済」は自立性がないから、上からの金が途絶えれば簡単に崩壊する。それが怖くて、ますますぶら下がり体質が強化され、そこに身を寄せる地域住民には暗黙のタブー意識、結束、自由な発言や行動を封じて小さくまとまろうとする村意識が芽生え、強化される。
「フクシマ」を生んだ要因にはこうした構図がある。
原発立地では、このぶら下がり体質がものすごく強い。「フクシマ」以後、目が醒めて自立への道を歩み始めるかと思えば、逆に、ますますこの体質が強まってしまった。
「東北復興」の中でも、「福島の問題」は特にやっかいだ。
都会の人たちにお願いしたい。
「フクシマ」は、自分たちから遠い田舎で起きた地域的な問題ではない。
ましてや、原発の問題は「エネルギー問題」ではない。
東北が大変だから、困っているからお金を出してあげなければ……とか、原発をなくすには代替エネルギーを考えなくては……などという問題ではまったくないのだ。
今、福島をはじめ、東北には莫大な金(もとをただせば税金)が流れ込んでいて、その金の使われ方は合理性を欠いている。そこに問題の根源がある。
「脱原発」を叫ぶ人たちが増えるのは結構なのだが、本当に原発をなくそうと思ったら、中央の権力構造を合理的な方向に改革することから始めなければどうしようもない。なぜなら、原発立地の人たちがいつまでも「ぶら下がり」を続けようとしている限り、「地元の民意」によって原発継続は正当化し続けられるからだ。
税金の使い方に今まで通りのデタラメを許していたら、たとえ原発が全廃されたとしても、同じような失敗が形を変えて次から次へと出てくるだけだ。
★冒頭の写真は川内村の我が家への進入路に置かれた汚染土入りブルーバッグの山(2012/12/03)
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放射性物質を含むゴミ焼却施設があちこちに建設されようとしている ― 2013/02/19 14:12
鮫川村の焼却施設問題
上の写真は2011年8月3日のもの。福島県の塙町というところ。遊歩道の看板が見えるが、ここは地元の人たちが協力して保全に努めている場所。このずっと奥、山の中には廃校跡地があるが、そこも若い人たちが中心となって、つぶすのではなく、地域文化を伝える拠点として生かそうという運動が始まっていた。
この塙町やいわき市に隣接する鮫川村の青生野という地区に、国(環境省)が「放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験施設」なるものを建設した。
迷惑施設というものは、自治体境界線ぎりぎりに建てるのが常道だ。反対運動を起きにくくさせるためだ。今回の場合も、影響を受けるかもしれない人たちの多くは鮫川村よりも、隣接する塙町やいわき市の住民だ。
広がる里山風景。水が本当にきれいな場所
塙町の農家。住んでいた老夫婦は「毎晩俺たちの話相手になって面倒みてくれるなら、この家も土地も俺たちが死んだ後にあんたらにただでやるよ」とおっしゃっていた
その農家の裏手に広がる畑と雑木林
このへんが「放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験施設」のちょうど下流側、風下側にあたる。
さて、この「放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験施設」とはなんなのか?
なぜ環境省がこういうものをあちこちに造ろうとしているのか?
分かっていることを少しまとめてみる。
もともと、原子力発電所をはじめとする原子力関連施設以外の場所から放射性物質を相当レベル含んだ廃棄物が出る可能性というものを日本国政府も官僚も考えていなかった。
原子力安全委員会は2009年に放射性廃棄物の放射能のクリアランスレベルを1Bq/g(1000Bq/kg)と決定した。これ以下なら一般の廃棄物として処理していいだろうという数値だ。
しかし、「フクシマ」により事情が一変した。
広域にわたって一般のゴミに相当な放射性物質が付着してしまい、そんなことを言っていたらゴミ処理ができなくなった。
そこで、この数値を8,000Bq/kgに引き上げた。8000Bq/kg以下なら従来通り処分してもかまわない。しかし、8000Bq/kgを超えるものは国が責任を持って処理する、という指針を打ち立てた。管轄は環境省。
それでも8000Bq/kg超のゴミが溜まりに溜まってしまい、各自治体のゴミ処理施設はお手上げ状態になった。
8000Bq以上のゴミは「国が責任を持って処理する」と言ってしまった手前、各市町村で焼却、最終処分処理をすることは認められないことになる。環境省主導で国が行わなければならないが、その施設も施設建設用地もない。
どこかに焼却施設を作らなければ⇒大規模なものは目立つからすぐに反対運動が起きる⇒過疎地に金をつけて押しつけるしかない⇒最初は「実証試験施設」という名目で小規模なものを造ろう⇒それを出発点として、後はなし崩し的に施設を広域に広げていこう……こういうことを考えたようだ。
そのスタート地点として目をつけたのが鮫川村だった、というわけだ。
福島県南部はひどい放射能汚染から奇跡的に免れ、汚染レベルは千葉県、茨城県、群馬県、栃木県のホットスポット密集エリアよりはるかに低い。そのエリアのひとつ、鮫川水系四時川の源流部(いわき市の水道水源の上流域)にあたる福島県鮫川村青生野地区が「放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験施設」の建設地として目をつけられ、建設されてしまった。
実施主体である環境省の当初の説明では、8000Bq/kg超の農林業系副産物(稲わら、牛ふん堆肥、牧草、きのこ原木、果樹剪定枝など)を焼却対象物として、小型焼却炉を設置して焼却による減容化の実証試験を行う、ということになっていた。
2013年1月中に実証実験を始め、2014年9月まで、計600トンの焼却を予定。
焼却灰の管理は焼却炉の設置場所または隣接地に「管理型最終処分場での処分」を想定し、保管する方針。
(以上、施設の概要についてはいわき市議会議員 佐藤かずよし氏のブログなどの内容をまとめた)
これに対して、東電の元社員で、福島原発での勤務歴も長い吉川彰浩氏は、いわき市でようやく開かれた説明会に参加し、問題点を指摘した上で、フェイスブックにてこのように言っている。
//本施設は、標高700mの放牧地の分水嶺の西側に建設中で、東側は四時川の源流域です。小型焼却炉ということで環境影響調査もなく、近隣自治体及び住民への説明もなく、工事は着工されましたが、「福島県生活環境保全条例13条1項」では「工事着工の60日前」に「ばい煙指定施設設置届出書」の提出が必要でした。環境省が福島県に届出書を提出したのは10月30日で、11月15日に着工したため、12日4日、福島県が環境省に工事の一時中断を要請しました。//
//環境省も、いわき市の住民にはなぜ1時間当たり199k未満のゴミ処理能力かの説明を行いませんでした。
1時間あたり200k未満の処理能力の焼却炉は廃棄物処理法、環境アセスメント等が除外され誰の許可もいらず建設できるんです。
つまり住民説明を法的にしなくてよいようにするために行ったのは明白なんです//
//普通放射能廃棄物を燃やす場合、放射能測定器の設置と常時監視が義務付けられているんですけど、特措法のせいで8000Bq未満は一般焼却物扱いなのをいいことに関係ないという始末。それどころか原子力発電所の焼却炉に必ずあるこの設備を、発電所のゴミは高レベルだからついているんでしょとまで環境省がいう始末。//
//震災瓦礫の問題は解決しなければなりません。
焼却炉そのものに私は反対しているのではないのです。
原発事故により放射能を含むことは周知の事実なのですから、それに見合った焼却炉を適切な場所に造ればいいだけなんです。
なんでノウハウのある原子力発電所の焼却炉レベルのものを作らないのでしょう。
同じ福島なら福島第二原子力発電所構内に大規模焼却炉を作ってあげれば済む問題です。
もともと焼却灰の管理についてもノウハウがあるのですから。
それをわざわざ放射能廃棄物を燃やすのに不適切な一般焼却炉を一般の方が住む場所に造る必要性が私には理解できません。
それゆえに反対しています。//
……吉川氏は実際に福島第二原発で放射性廃棄物の焼却炉を管理していた経験を持つ、言わばこの問題に関してはプロ中のプロ。
そういう人が説明会に参加して、住民に解説を始めたのだから、環境省も村もさぞ困ったことだろう。
吉川氏がまとめた鮫川村焼却施設の問題点が⇒ここにあるので、ぜひご覧いただきたい(吉川氏ご本人からの依頼でWEBに公開)。
指摘されている問題点を整理すると、環境省の目論見というか作戦が透けて見えてくる。
1)8000Bq/kg以上のゴミでも、他のゴミと混ぜてしまえば8000Bq/kg以下にできる。そのような「前処理」をして燃やせば、いろいろな規制から逃れられる。
2)焼却施設はチープなものでよい。200kg/時以上の焼却能力を持つ大型焼却炉の場合、様々な規制や義務が生じるので、ぎりぎり200kg未満にしたほうがやりやすい。
3)「実証実験施設」という名目で建設するが、実際には出てきた焼却灰はその土地に永久保存として、最終処分場に移行させる。そういうものをあちこちに分散して造っていけば、面倒な放射性ゴミの処分ができる。
迷惑施設を歓迎する住民はいない。だから、迷惑施設の建設は、補助金やらなんとか交付金やらをつけて貧乏な自治体に持っていく。
なるべく反対運動が起こらないよう、その自治体の境界線ぎりぎり、端っこの、人口密度の低い土地を狙う。自治体境界線を挟んで隣の自治体側にいくら住民が多く住んでいても、建設する場所は隣りの自治体なので、情報が伝わるのが遅れるし、反対運動もやりづらくなるからだ。場所としては、国有地や荒れ果てた放牧地などが狙い目だ。
しかし、そういう場所というのは概して自然がまだあまり破壊されずに残っている土地であり、水源地や保安林を有していたりする。
ここは水源地だから保水能力を保つために森を残し、水が汚染されないようになるべく人工物を造らずにおきましょう、と決めた場所。
こういう「人々の生活を見えないところで守っている自然」を乱開発や汚染から守っていくことこそが環境省の仕事ではないのか?
3.11直後、環境省は「放射能はうちの管轄ではない。文科省か経産省に訊いてくれ」と言って知らん顔していた。
あれから2年経とうとしている今、環境省の役割は国交省や経産省の先兵隊のように見える。
国交省や経産省が続けてきた「貧乏な土地に金をばらまいて迷惑施設を作る」「不必要な公共事業をやらせて地方自治体を補助金漬け体質にさせる」というやり口の先兵になり、国家権力と税金から出る潤沢な資金を持った最強の地上げ屋みたいになっている。
怒りを通り越して、ひたすら悲しい。
吉川氏の言葉をもう一度掲載する。
//震災瓦礫の問題は解決しなければなりません。
焼却炉そのものに私は反対しているのではないのです。
原発事故により放射能を含むことは周知の事実なのですから、それに見合った焼却炉を適切な場所に造ればいいだけなんです。
なんでノウハウのある原子力発電所の焼却炉レベルのものを作らないのでしょう。
同じ福島なら、福島第二原子力発電所構内に大規模焼却炉を作ってあげれば済む問題です。
もともと焼却灰の管理についてもノウハウがあるのですから。
それをわざわざ放射能廃棄物を燃やすのに不適切な一般焼却炉を一般の方が住む場所に造る必要性が私には理解できません。
それゆえに反対しています。//
……現場で長年経験を積んできたプロの言葉だ。環境省はこの問いに真摯な態度で答えてほしい。
巨大防潮堤建設が日本の文化・産業を破壊する ― 2013/02/19 14:23
田老地区の死者・行方不明者229人/津波被災人口3000人/地区人口4436人
⇒被災者の7.6%が死亡・行方不明
鍬ヶ崎地区の死者・行方不明者65人/津波被災人口3200人/地区人口5400人
⇒被災者の2%が死亡・行方不明
上のデータを最近知った。
田老(たろう)地区というのは、岩手県下閉伊郡に置かれていた田老町(2005年に宮古市に合併)のあった場所。
3.11で甚大な津波被害があったことで有名になった。
田老町は稀に見る巨大防潮堤を築いてきた町としても有名だ。
1958年(昭和33年)3月に最初の防潮堤(高さ10m超)が完成。その後も増設を続ける。
1960年(昭和35年)5月、チリ地震による大津波が襲来したが、防潮堤が人的被害ゼロにとどめた。
1979年(昭和54年)、長さ2433m・高さ10m(海面から)の大防潮堤が完成。
Wikiの田老町の項目を読むと、興味深い記述がたくさんある。以下、Wikiの内容をまとめてみる。
1611年(慶長16年=江戸時代初期)に起きた慶長三陸地震津波で村がほぼ全滅。
1896年(明治29年)の明治三陸津波では、全村345戸のすべてが流され、人口2248人中83%に当たる1867人が死亡。
この津波後、村では震災義援金で危険地帯にある全集落を移動することにしたが、義援金を村民に分配しないで工事に充てることの是非や工事の実効性に村民から異論が続出し移転計画は中断。元の津波被災地帯に再び集落が作られた。
1933年(昭和8年)の昭和三陸津波では、全559戸中500戸が流失。死亡・行方不明者数は人口2773人中911人(32% =三陸沿岸の村々の中で死者数、死亡率ともに最悪)。
学者、内務省(当時)、岩手県当局は集落の高所移転を村に進言。移転のための低利の宅地造成資金貸付などの措置もとられたが、当時の村長・関口松太郎以下、村当局は、高所移転だけでなく、防潮堤建造を中心にした復興計画を主張。大蔵省から出た被災地高所移転の宅地造成貸付資金を借入して防潮堤工事に充てた。
第一期工事は1934年(昭和9年)に開始。高台移転案を主張した国や県も折れ、防潮堤建造費用負担に同意。全面的に国と県が工費を負担する公共事業として進められたが、日中戦争の拡大に伴い資金や資材が枯渇。1940年(昭和15年)に工事は中断。
戦後、再び町をあげて関係官庁への陳情を繰り返した結果、1954年(昭和29年)に14年ぶりに工事が再開された。
起工から24年を経て、1958年(昭和33年)に工事完了。全長1350m、基底部の最大幅25m、地上高7.7m、海面高さ10m という大防潮堤が完成した。
その後も増築が行われ、1966年(昭和41年)に最終的に完成。総延長2433mのX字型の巨大な防潮堤が城壁のように市街を取り囲んだ。総工事費は1980年当時の貨幣価値に換算して約50億円。
1960年(昭和35年)に襲来したチリ地震津波では、三陸海岸の他の地域で犠牲者が出たにもかかわらず田老地区の被害は軽微にとどまった。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災に伴い発生した津波では、海側の防潮堤は約500メートルにわたって一瞬で倒壊。「津波の高さは、堤防の高さの倍あった」との目撃証言もある。市街は全滅状態となり、地区の人口4434人のうち200人を超える死者・行方不明者を出した。「立派な防潮堤があるという安心感から、かえって多くの人が逃げ遅れた」という証言もある。震災から半年後の調査では、住民の8割以上が市街の高地移転に賛同しているという。
防潮堤建設においては、現在とは逆で、国や県を説得する形で村(町)がごり押ししたという点に注目したい。
防潮堤のない町のほうが死者は少なかった
一方の鍬ヶ崎(くわがさき)地区は、同じ宮古市内にあるが、防潮堤はなかった。防潮堤を造ると、地区の基幹産業である漁業への影響が大きすぎるという判断からだった。
その代わり、津波が来たときの避難訓練を繰り返し、「すぐに逃げる」という教えを徹底していた。
鍬ヶ崎地区内の角力浜町内会(40世帯、約110人)では、住民の4割が65歳以上の高齢者だが、岩手大の堺茂樹教授(海岸工学)らの協力を得て、「津波が来たらいかに速やかに安全な場所に避難するか」を念頭に避難対策を進め、高台に通じる避難路を整備したり、目につきやすい場所に誘導標識を設置したりしていたという。
(産経新聞 2011年4月14日 「防潮堤なくても死者1人 宮古市・鍬ケ崎地区」)
地元宮古市からの情報発信を続けている 宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ には 「防潮堤」は効果がなかったこと。これからも期待できないこと と題して、次のように主張している(原文のままではなく、こちらで短くまとめた)
- 今回の津波では防潮堤は何の役にも立っていなかったように思える。
- 防潮堤が津波から市民を守るという神話がはびこっているために避難をしなかったり、急がなかったり、躊躇ったり、避難後にまた家に戻ったりしたのではないか。
- 「世界一の防潮堤」という触れ込みが、長い時間をかけて住民の海の自然に対する五感を退化させてきたのではないか。海の景観と空気感の感受性、波浪の気配の察知力、そして集落の過去の記憶力・伝承力などは弱くなってきていたのではないか。
- 助かった人たちは、世界一の防潮堤のおかげで助かったのではない。津波に対する口伝など、この地域の長年の文化・風土のおかげで助かったのだ。
僕は海辺に暮らしたことがないので、このへんの感覚はよく分からないが、「防潮堤がむしろ死者を増やしたのではないか」と思っている人はこの人だけではない。あちこちの新聞記事やWEB上の証言などにしょっちゅう出てくる。
しかし、行政はそれを絶対に認めない。反省するどころか、莫大な震災復興予算を使って、今まで以上に防潮堤建設を進めている。
2013年2月3日、南三陸町で「歌津湾の水産業の未来を考える懇談会」というのが開かれた。
出席したのはNPO法人環境生態工学研究所(仙台市若林区)理事の佐々木久雄氏、南三陸町の牡蠣養殖漁師、潜水調査員、学校教員、気仙沼市で防潮堤阻止に向けた活動を行なう若者、NHK仙台放送局、河北新報記者、県外ボランティアなど約20名。
その懇談会での発言集をコピーライターのRitsuko Nobeさんがフェイスブックにて紹介していた。
非常に濃い内容で、うならされた。
例えば、環境生態工学研究所の佐々木氏は、人工衛星からの航空写真をもとに、3.11前と後の伊里前湾の養殖施設などの変遷を知ろうとしている。
それによれば、震災前の2009年当時、海底は砂地でアマモが生えていたが、震災後は瓦礫が残り、カジメ(アラメ)、コンブなどに変わっているという。藻場は失われたわけではなく質が変わった。そのことをこれからの沿岸漁業にどう生かせばいいのかを考えていかなければ、という。
地元の漁師たちはそれを受け、「防潮堤問題は藻場を含め、生物に多様な影響を与えることが予想される。例えば、アカモク(ギバ)という藻をひとつとっても、この藻が生える海域は抗菌作用が高く、酸素の供給も豊かで、ノロウィルスが発生しにくいなど、漁業には密接な関係がある」
「昭和35年のチリ津波後、行政主導型で護岸工事が急速に進み、潮の流れがかわり、様々な弊害が起こった。例えば水深10メートルのあたりは生活排水の澱みにより、天然のノリが壊滅した。
護岸は逆に波を消化してくれる岩場を消し、台風や高潮の日は、波はいつまでも消えない。船溜まりとなる湾を行ったり来たりを繰り返し、危険な状態だった」
などと証言する。
佐々木氏:「陸と海は同様に繋がっている。栄養分が豊かな森の水が海に注ぐ仕組みを整えるのは、非常に重要なことだ。かつて平成の森の下にあった食堂では、地場の海藻や海産物を使った『アカモクラーメン』や『ホヤラーメン』といった商品を提供し、里山・里海の豊かな恩恵を享受してきた。漁師の声だけではなく、『里山』『里海』という概念、環境の恵みを地域住民が再確認し、能動的に物事を考えていくことが好ましい」
……といったように、単に反対する、というのではなく、常に前を向いた、未来設計図を提示し続ける姿勢を持っている。
ところが、
「商工会や地域の若手の意見を織り交ぜ、宮城大学教授の協力を経て、行政主導の案とは異なる港の図面を作成した。2013年2月にはスーパー防潮堤に反対する陳情書を提出し、町に採択もされたが、県は3月には詳細設計を出して決定する、と急ぐ一方だ」(地元漁師)という。
「自然環境や歴史、夢、思い出までもが壊され、ただコンクリートの壁だけが残ってしまうのか」という声を、県、国……と、上に行けば行くほど無視し、巨大予算をつけた机上の公共事業案を押しつけ、進めようとする。
こうした現場からの報告は、被災3県のあちこちから上がってくる。
新聞・テレビが報道しない現地の空気感を、ネットは毎日伝えてくる。
こういうことは今始まったわけではなく、戦前からずっと続いていたことなのだろう。
離れた場所のことは分からなかった、あるいは無意識のうちに深入りしないようにしていただけのこと。
また、東北の人たちは慎み深く、我慢強いので、大声で主張する前に、まずは周囲の他の人たちの気持ちや立場を思いやる。その結果、取材に入っている記者たちにも本音がなかなか伝わらないのではないか。
すでに何度も主張してきたことだが、
津波を止めるのではなく、津波で人が死なないようにする効果的・合理的方策に金を使うべきだ
スーパー防潮堤を築く金のごくごく一部でも、合理的な人命救済方策はいくらでもとれる。
巨大津波が来たとき、建物が流されるのは仕方がないと割り切った上で、人間を逃がす(警報システムの改善、誘導路の整備など)、逃げ遅れて巻き込まれても命を落とさない(救命漂流カプセルの常備など)方法を考え、そこに金を注ぎ込めばよい。
その上で、どこに住み、どこでどう生業を再建していくかは地元の人たちの意志に任せるしかない。そのための支援を徹底する。
なぜこのように考えることができないのか?
防潮堤問題は、使われる金の額の大きさも問題だが、なによりも、その莫大な金(我々の収めた税金)を使って被災地の人たちの未来をつぶし、日本の国土を壊しているのではないかと思うと、まったくやりきれない。
いわき市では検診が行われていない?! ― 2013/02/21 20:59
内部被曝被害は想像以上かもしれない
2012年6月21日、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律(原発事故子ども・被災者支援法)」というものが成立した。この法律はいわば基本方針を定めたものであって、具体的な施策は、政府が計画をたて・政令などを発しないと動き出さない。
しかし、実際にはこの法律の精神が全然生かされていない、現場で機能していない、間違った方向に金と時間が使われているのではないか、ということで、被災地の住民、弁護士、医師、市民グループなどが、粘り強く中央に働きかけている。
2012年9月5日には、衆議院第一議員会館にて「原発事故子ども・被災者支援法ネットワーク」が、政府、国会議員に向けてこの原発事故子ども・被災者支援法を具体的かつ効果的な施策として反映させてほしいという公開フォーラムが開催された。
しかし、法律制定から8か月経った今でも、被曝した恐れのある人たちへの効果的なフォローはほとんどできていない。
上の動画は、2013年2月20日、参議院議員会館で、昨年9月のとき同様に、原発事故子ども・被災者支援法の効率的、積極的な運用による施策を求めた集会の様子。
左側の長いテーブルに並んでいるのは官僚など。
非常に長い動画だが、この中の1時間58分あたりからのやりとりを抜き出した音声のみのデータがYouTubeなどにアップされていて、それがフェイスブックなどSNSで広まっている。(上の音声データがそれ)
ざっくりとその部分の要旨を書くと、こんな感じだ↓(非常に聴き取りづらい、かつ、そのまま文字起こしが不可能なほど言い回しが不明瞭なので、こちらで意味を変更しない範囲で書き換えている)
井戸謙一弁護士:
- みなさん(官僚たち)の危機感がないことに驚いている。
- 今回の甲状腺癌の診断では、確定という診断が3人、疑いありが7人だが、この「疑いあり」は細胞診でクロと出ているのだから、ほとんど確定と診断されていると考えていい。
- この10人は平成23年度の検査3万8000人のうち、B判定(要再検査)187人からの10人。
- 24年度はすでにB判定が548人となっているが、この548人の二次検査の結果が公表されていない。
- 実際にはこの548人にはさらに200人くらいプラスされるだろうと福島医大の医師が言っている。
- そうなると748人。その18分の1だと40人くらい。これに10人を足せば50人。すでに50人くらい甲状腺癌になっている可能性があるのではないか。
- さらには、ヨウ素がいちばん多く流れたいわき市方面は検査すら行われていない。25年度にやるといっている。
- チェルノのときは、翌年から数人単位で甲状腺癌が見つかり、数年経って桁が変わって増えている。
- 日本では2年目ですでに10人出ている。ということは、一気に増えると予想される数年後にはどうなるのか。
- すでにこういう現実が目の前にあるのだから、早急に抜本的な対策が必要ではないか。
環境省:
- 甲状腺癌の成長速度はゆっくりしているので、「スクリーニングバイアス」で1回目は多く発見される(以前から甲状腺癌になっていた人で自覚症状がなかった人も検査で見つかる)。しかし、継続的に検査を行っていくという態勢を作っている。
会場から:
- 環境省ではなく、厚労省の認識はどうなのか? ⇒厚労省の担当者は返事せず。(いなかった?)
山田真医師:
- 甲状腺癌の発病はゆっくりだということが前提になってしまっていることがおかしい。
- チェルノでもすぐに見つかった例はある。
- 普通に医学的に考えれば、経験的にそうであったとしても、特異な条件の下では違う傾向が出るのではないか、と考えるのはあたりまえ。
- それなのに「放射能と癌の発症は因果関係がない」という方向に持っていくためにいろんな言い方をしていることがもどかしい。
- 意味のないような検査をなぜ行っているのか。何か意図があるとしか思えない。
- もっときちんとした計画的な検査をしないと経費も時間も無駄。きちんと精確な検査が行われるように態勢を見直してほしい。
この井戸弁護士の話を、さらに解説しておく。マスメディアではあまり大きく報道されていなかったからだ。
- 原発周辺13市町村の3万8114人の子供(被ばく時年齢0-18歳)について、2011年度分の甲状腺エコー検査が昨年3月末までに実施された。
- その結果、B判定(要再検査)となり、二次検査の対象になったものが186名いた。
- このうち実際に二次検査をしたものが162名、(再検査11名、二次検査終了151名)その中で、細胞診まで実施したものが76名。
- 162名のうち66名は良性と診断されたが、10名が悪性もしくは悪性の疑いと判定された。
- 10名の内訳は男子が3名、女子が7名で、平均年齢は15歳。
- この10人がどの地域でどのような形で被曝したかについては公表されていないが、この10人のうち何人かを個人的に知っている人の話では、特に地域的な偏りはなく、線量の高いところで、原発事故以降、避難をせずに生活をしていた家族の子どもであったとのこと。
- 10名の内3人はすでに腫瘍の摘出手術を完了し、組織標本の病理学的診断により悪性腫瘍(甲状腺癌)であることが最終的に確定。
- 残りの7人は細胞診検査の結果、約8割の確率で甲状腺がんの可能性があるという診断。
- 2012年度の小児甲状腺エコー検査は進行中。今まで二次検査の対象になったものは549名と発表されているが、結果はまだ公表されていない。
さらに、現場からの話では、目下、郡山市と三春町でも検査を進めているが、さらに200人程度の二次検査対象が出そうだという。
井戸弁護士の話は、こうした現実をもとにしている。
井戸氏の「すでに50人くらいはいるんじゃないか?」という推論は十二分に合理的な思考の結果だと思う。
しかし、この部分(数字)「だけ」がネット上で執拗に繰り返され、どんどん一人歩きしていくと、例によって議論がミスリードされていく可能性があるのでは、と懸念もしている。
癌になるのはもちろん恐ろしいことだが、もっと恐ろしいのは、癌になるかもしれないという恐れを抱きながら暮らさなければならないストレスや生活の崩壊だ。
ヨウ素131による初期被曝に関しては、ヨウ素が大量に流れていったことが分かっているいわき市方面で2011年3月15日前後に屋外に長時間いた人たちが特に心配だ。
しかし、ヨウ素131の半減期は8日だから、今ではまったく痕跡が残っていない。あのときヨウ素が付着したエアロゾルを鼻や口から吸い込み、内部被曝をした人たちを今からホールボディカウンターで測定してもなんにも出ない。被曝したかどうか、まったく分からない。
だから、例えばいわき市の住民を今からWBCで現在の「内部被曝検査」などしても意味がない。いわきの市街地の空間線量は今は十分に低いので(もちろん北西側には深刻なホットスポットが点在することは周知の通りだが)、今からいわきの町を出て逃げろなどというのも見当違い。
しかし、すでにヨウ素でかなり初期被曝をしてしまった人たちが相当数いるのではないか? ということは想像できるわけで、今、いわき市でやるべきなのはWBC検査などではなく甲状腺癌の精密検査などだ。そしてそれはこれからも長期間にわたってやっていかなければならない。
井戸弁護士の話では、そのいわき市では検査が行われていないというのだから、一体どういうことになっていくのか……。
山田医師の言う「条件が違えば違う結果が出るのではないかと考えるのは当然のこと」という主張もあったりまえのことだ。
チェルノブイリでは数年後からしか発病例がないなどと言うが、そもそも住民が放射性物質漏洩で大量被曝した例というのがチェルノブイリくらいしかないのであって、データは圧倒的に不足している。日本人の放射線に対する耐性がロシアやベラルーシの人たちと同じかどうかも分からない。分からないことだらけ、これから調べていかなければならないテーマを前にして「今までの知見からしてそういうことは考えられない」などと言い切る態度が科学的、医学的に許されないことは自明ではないか。
いたずらに不安を煽ることは避けなければならないが、何が起きたのか、そのとき現地の行政機関や国はどう動いていたのかをしっかり振り返り、今後に生かすことは絶対に必要なことだ。故意に情報を隠したり、明らかにミスリードした者たちの責任も問われなければならない。
それでも過去のことは基本的に取り返しがつかない。
今いちばん大切なことは「今やれることをきちんとやらなければ時間も経費も無駄になる。ちゃんとやれ」ということにつきる。それが全然できてないから、業を煮やした人たちが議員会館にまでやってきてこうした集会を開かなければならないのだ。
あらゆる部分でぐだぐだになったまま。人を救うために使われなければいけない税金が、理不尽な被害を受けた人たちをさらに不幸に追い込むように使われる。それは絶対に許せない。
ひどいことを起こしてしまったのだと認めて、今からどうやって対処するかを必死で考え、実行する。それが政治・行政の仕事だろうに。いつまで犯罪者たちの擁護をやっているのか。
全編動画は⇒こちら http://www.ustream.tv/recorded/29419987
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