「本当に怖ろしいこと」とは2013/12/14 12:15

リンクして画像表示ができないようなので、元ブログより縮小して転載。写真は毎日新聞社から東京新聞が貸し出しを受けたものらしい。それを元ブログ主がデジカメで撮影?
12月11日の東京新聞朝刊に、78歳の女性が投稿した文章がネット上でじわじわと共有されている
「戦争孤児の数 隠した国」

戦後、東京の上野地下道は戦争孤児であふれ、大勢の子どもたちが餓死・凍死しました。
1946年8月23日の第90回帝国議会で、布利秋議員が「子どもが刻々と死んでおる。戦争孤児の対策は、どうなっておるのか」と質問、国は「戦争孤児は、3,000人。慈善事業が保護している」と答弁しています。それを国民は信じていました。
ところが、路上生活の孤児の多さに驚いた米国占領軍に命じられた当時の厚生省が1948年、全国一斉孤児調査をした結果、123,500人...も戦争孤児がいたことが判明しました。厚生省は、この事実を隠蔽、50年後に見つかりました。
戦争中、都市に住む小学生以下の児童は、親元を離れ地方へ学童疎開しました。その疎開中に都市空襲で家が焼かれ、親・家族が殺され、帰る場所のなくなった孤児が非常に多く生じました。
国策として学童疎開を推進してきた当時の文部省官僚は、校長等公務員に箝口令を敷き、孤児資料を焼却、隠蔽。疎開中の孤児はいなかった、とされてしまったことも、60年後に判明しました。
隠蔽され、見捨てられた孤児たちは、路上で餓死、凍死した以外も、人身売買されたり、路上生活者になったり、過酷な人生を送りました。
12万人以上いた戦争孤児をたったの3千人と平気で国会で答弁するなど、昔から都合の悪いことは隠す国・官僚。
その上さらに「特定秘密保護法」が施行されれば、ますますウソがまかり通り、真実が闇に葬られ、うっかり話をすれば逮捕される、恐怖、暗闇の世の中になるでしょう。

(金田 茉莉さん(78歳) 投稿 東京新聞2013年12月11日朝刊)

このかた、現在78歳ということは終戦の時は10歳前後。
終戦の時に20歳だった人は現在88歳。戦争を体験した人たちの生の声はどんどん聞けなくなる。こういう証言こそネットで共有して、一人でも多くの人たちが知り、次の世代に伝えるべきだろうと思うので全文引用した。

もうひとつ、これはフェイスブックで読んだパン屋さんの投稿だが、今の日本を考える上で深く考えさせられた。
概要を記すと、
戦前、山梨の寒村から小学校の卒業式も待たずに上京した少年がパン屋で丁稚見習いを始めた。
修業を積み、10年ほど経ってパン職人となった青年は、病弱な母親に「最高のパン」を食べさせたいと思い、わずかな給金を貯めて、闇市で貴重品となっていたバター、牛乳、卵、小麦粉を手に入れ、米から起こした酵母を毎晩布団の中に入れて育て、食パンを焼いた。
それを母に食べさせるため、正月の帰省列車に乗ったところ、車内に広がるおいしい匂いに気づいた特高がやってきて、パンを取り上げて廃棄、青年は「物資統制令違反」で捕らえられ、厳しい取り締まりを受けた。

……それが私の父親です、と書いているパン屋のご主人は、今も月に一度、父が祖母のために作ったものの食べさせられなかった幻の食パンを再現しようと、同じように最高の材料を手作りで最高の食パンを焼いている……という話。

今僕たちが普通においしいものを食べて「うまかったなう」などとネット上で呟ける時代が、もう危うくなってきているかもしれない。

さらにもうひとつ、これは書こうかどうかずいぶん悩んだのだけれど、やっぱり書く。
今の日本、人々の心がどんどん戦前のそれに近づいているんじゃないかということを投稿しているかたもいた。
クリックで拡大
↑(朝日新聞「声」 12月12日)

なるほどそうかもしれないと、ぎくりとした。
さらに、若い人たちに関しては、戦前に戻っているというよりは、戦争を知らないこと、戦争を知らない「程度」が、大人の想像をはるかに超えているのではないかと思うようになった。

先日、次世代のお笑いチャンピオンを決める一大イベント「ワラチャン!」の決勝というのが放映された。
出場資格は「20歳以下」。決勝に残った8組のうち、最終選考に残った3組はみんな順当で、大したものだと感心。特に小学生姉妹の漫才はレベルが高くてびっくりした。
ただ、それ以上に印象に残ったのが、最終選考に残れず敗退した少年ふたりによる漫才コンビの「かわいそうな象」というネタだ。
太平洋戦争の最中、上野動物園で飼育していた象を殺せという命令を飼育員が受け、餌に毒を混ぜたが見破られて、それからは絶食状態。餓死寸前で芸をして見せたがそれでも餌をもらえず、最後は餓死する……という有名な話をネタにしている。
ネット検索したら、この二人はこのネタをいちばん得意なネタとしていて、あちこちのコンクールやライブ会場で披露している。つまり二人にとってはこれが「定番ネタ」になっているようだ。
言うまでもないが、このネタはいわゆるブラックユーモアにもなっていない。漫才の技術がどうのという以前に、ネタが基本的に笑えない。
当然、決勝に残るまでには何度もディレクター、演出家、コント作家ら、「現場のプロ」の前でこのネタを披露している。 この子たちが戦争の恐さ、醜さ、理不尽さを肌で感じることができていないということも驚いたのだが、周囲の大人たちの誰も何もアドバイスしなかったらしい、ということも驚いた。
一方では原発ネタや政治ネタの風刺の効いたお笑いは、今の日本のテレビ、少なくとも地上波キー局の番組では一切流れない。
例えばこんなのが代表的なものだ↓



欧米ではあたりまえのようにこうしたお笑いネタはメジャー局でも流れている。しかし、日本ではすでにシャットアウトされているのだ。
視聴者は気づいていないのかもしれないが、これはすでに異常な事態だ。
それなのに「かわいそうな象」は「お笑い」のネタとして受け入れられている。
これはよく話題になる「ほんの数十年前、日本がアメリカと戦争をしたことを知らない若者が結構いる」という事実以上に怖い。
今の日本は、僕が知っていた、知っていると思っていた日本という国とは違う国のようだ。
自分はそこに暮らしている。これからもここに住み続けなければならない。
そう実感したとき、心底恐ろしいと思った。

前にも書いたが、僕の祖父はアメリカ留学から帰国して福島で英語教師をしていたが、アメリカに残っていた友人からアメリカの新聞や雑誌などを送ってもらっていたことで、特高から目をつけられ、家を監視されていたという。
戦後は、闇市で買い物することを潔しとせず、栄養失調で死んだ。
特高や「隣組」による監視社会の怖ろしさを僕を含めて戦後世代は話でしか知らないが、徐々にそういう世の中になってきている。
すでにこういうこと(「秘密法で自公批判ツイート市議に「反省」決議 越谷市議会」 東京新聞)が続々と起きている。

あの戦争の過ちを次の世代に伝えるという重要な「社会教育」に、この国は完全に失敗しているのだと思う。
「フクシマ」は第二次大戦敗戦と同じような意味を持つ出来事だったが、たった1年、2年で教訓もなにも吹っ飛び、むしろ「どうせ何をやってもダメなんだから」という国民全体の無責任と虚無感の増大につながっている。

政治家や官僚、大企業経営者の精神腐敗ぶりは嫌というほど目に入るが、実はもっともっと恐ろしいのは、社会の底辺、いや、社会全体が「反省のない社会」「判断できない社会」「流されるままの社会」に劣化していることなのではないか。

ちなみに前述の番組には決勝大会に残った若者たちに受賞歴のある先輩プロ芸人たちが「サポーター」としてついてアドバイスするという演出もあったが、ほとんどのサポーターは誉めるばかりでなんのアドバイスもしない。
この漫才チームのサポーターになったパンクブーブーは「この子たちは九州一いい子たちです」と言っていた。きっと「いい子」なのだろう。漫才の技術も、この歳(この大会の出場資格は20歳以下)にしては優れているほうだと思う。

同じように、安倍政権を支持すると答える大人たちもみな「いい人」たちだろう。みんな仕事に誇りを持ち、コツコツと自分の暮らしを築いている。

だからこそ怖い。
だからこそやっかいなのだ。

これはもうどうしようもない「構造的」な問題なのだろうか?


……とフェイスブックに書いたら、現役の教師であるFB友達のひとりから実に深いコメントをもらったのだが、それはまた違うテーマになるので次で……。

8.15と3.11はつながっている2013/12/14 16:13

前回書いた漫才ネタとしての「かわいそうな象」の話の続き。

フェイスブックにこのことを書いたら、現役の教師のかたから非常に深く、興味深いコメントをいただいた。
彼はこの漫才をリンクをたどって見たそうだ(リンク先は準決勝の時のもので、決勝では若干違っていたが、基本的には同じネタ)。
その上で、こんな風に書いている。

//彼らはおそらく小学校の時に『かわいそうなぞう』を読んで心を痛めた体験を持っています。そういう体験が客席と共有されているはずだという前提のもとに、ブラックユーモアにもならない漫才を、そうであることを半ば自覚しながら、会場にはいない誰かに投げつけているように私には見えました。彼らは『ごんぎつね』も読んでいるようでしたし、たぶん『ちいちゃんのかげおくり』や『一つの花』なども読んでいます。そして、学校教育の場で、そのような物語に情緒を揺さぶられ、動員される体験を何度か持ったに違いありません。そしてもしかしたらそういう出来事こそが、「この子たちが戦争の恐さ、醜さ、理不尽さを肌で感じること」を困難にしてしまったのかもしれないと感じました。そうだとしたら、そういう構造こそが恐ろしいのだと思います。//

……これを読んで、あ! と思った。
モヤモヤしていたものの一端が見えたような気がした。

で、この最後の

 //学校教育の場で、そのような物語に情緒を揺さぶられ、動員される体験を何度か持ったに違いありません。そしてもしかしたらそういう出来事こそが、「この子たちが戦争の恐さ、醜さ、理不尽さを肌で感じること」を困難にしてしまったのかもしれないと感じました// 

 ……という部分を、自分がきちんと理解できているかどうか自信がないまま、何度もこのコメントを一字一句読み返してみた。
「動員」という言葉をどう解釈するのかで少し迷っていたのだが、多分読み間違えていないと思う。

これとは一見逆のように思えるかもしれないが、最近こんな体験もした。
昨日まで僕が知らない童謡やらアニメの主題歌のようなものを大声で歌っていた近所の子が、小学校にあがってすぐ、『君が代』を大声でニコニコしながら歌い始めた。
近所にとどろく『君が代』。一瞬ドキッとする。
もちろん子供たちはなにも考えていない。単に「小学校に入って最初に習った新しい歌」を覚えたので大声で歌っていたにすぎない。

そのことを思い出して、さらにはこの「共通体験に動員される子供たち」というコメントを読んで、こんなことを想像した。
もしかすると、『かわいそうな象』を教室で読まされた体験が子供の成長と共に微妙に変化していき、後にそれをお笑いネタにして「会場にはいない誰かに投げつける」ようになるのと同じような「構造」で、小学校に上がって最初に覚えさせられた歌が『君が代』である子供たちの中には、成長して教師となり、式典の国歌斉唱で口を真一文字に結ぶ人が出てくるのかもしれない、と。

もちろん、これは考えすぎかもしれない。
子供が作る漫才ネタにはサザエさんものやキン肉マンものなど、アニメや漫画のネタが多い。元を見ていない大人には何が面白いのか分からないが、若い世代の間では大うけしているように見える。
それと同じような感覚で、単に「かわいそうな象」や「ごんぎつね」を自分たち世代の共通体験の材料として利用したかっただけなのかもしれない。
それならそれで、もっと寂しいのだけれど。

……とにかく、教育の難しさというものを改めて知らされた思いだ。
結局、教科書では深いことは教えられないのだろう。それを扱う教師の人間性、深みが問われるのだろうが、子供のときはそこまで分からない。気がつかない。子供によっては、自分でもなんだか正体が分からない苛立ち、もやもや、ストレスだけを抱え込んでしまう。それをどう表現していいのかも分からない。

学校を卒業し、社会に出て、その教師と同じくらいの年になって初めて「待てよ。あの先生があのとき言っていたあの言葉の本当の意味は……」と気がつくことがある。
でも、ほとんどの教師は成長した教え子がそんな風に自分のことを思い出していることを知らないまま、今日も教壇に立ち、正体の分からない苛立ちを抱えた次の世代の子供たちに「教科書の○ページを開いて」……と授業をする。
……教師って本当に大変な仕事だなあと、改めて思う。

これについてはさらに別の女性(アメリカ在住)から少し違う視点から鋭いコメントをもらった。
僕の、

//あの戦争の過ちを次の世代に伝えるという重要な「社会教育」に、この国は完全に失敗しているのだと思う。
「フクシマ」は第二次大戦敗戦と同じような意味を持つ出来事だったが、たった1年、2年で教訓もなにも吹っ飛び、むしろ「どうせ何をやってもダメなんだから」という国民全体の無責任と虚無感の増大につながっている。
政治家や官僚、大企業経営者の精神腐敗ぶりは嫌というほど目に入るが、実はもっともっと恐ろしいのは、社会の底辺、いや、社会全体が「反省のない社会」「判断できない社会」「流されるままの社会」に劣化していることなのではないか。 //

 ……という部分を受けて、こんな風に書いている。

//8.15と3.11は一直線につながっています。(略)
私は原発が爆発してから、しばらく「日本はなぜ戦争に負けたのか」を考える本を読んでいました。
日米開戦から敗戦までの官僚と政治家の行動、普通の人が狂気に巻き込まれていく様子、大人の犠牲になる子ども、あまりにフクシマにそっくりで戦慄しました。

戦争に負けてから、負けた理由の検証やその犠牲者の救済をせず、戦時中の国家総動員体制を維持したまま経済戦争に突入し、つかの間の対米勝利を得て、国際資本に市場を開放し蹂躙され、人心が荒廃していった、その過程は私が自分で経験し、見てきた歴史ですが、戦前・戦中・占領下の歴史は本で読むしかなかった。

核実験時代の終わりに生まれ、高度経済成長時代に育った私の世代は、そもそも体が壮健ではないし、大都市では受験競争、理不尽な校則、校内暴力、いじめ、登校拒否、自殺、過食症・拒食症など、生徒児童は追い詰められていました。 今は、大都市だけでなく田舎でも学校は安全な場所じゃないし、私の世代が教師になっているから2世代目、生徒だけでなく教師も追い詰められ、学校は崩壊しています。

企業も崩壊しています。(略)農村漁村も崩壊しています。多くの家庭も崩壊し、そもそも家庭の数が減っています。 (略)
今の地球は野生動物が自然のままに生きることを許さない。自然から切り離された原始人は生きられない。原始人に後戻りできないから、人は文明を発達させ、工夫し社会を発展させてきた。「物事の因果関係」を考えたり、大きな数字や長い時間の単位で物事を理解しようとするのは、未開人には「難しいこと」です。文明の力を使って、その難しさを乗り越え、原始人は「人間」になる。

高等教育を受けた人間が、思考と実践に耐えられず、思考停止と問題の先送りをするようになってしまった。
人がもう「人間」であることを放棄している。文明が崩壊し始めているんです。//


この「高等教育を受けた人間が、思考と実践に耐えられず、思考停止と問題の先送りをするようになってしまった」という指摘は、まったくその通りだと思う。
しかも、思考停止して問題を先送りし、とりあえず今を繕うことに長けた人間が集団の中で出世して命令系統の上に立つから、その下で動く人たちがまた「思考と実践に耐えられず」、連鎖反応的に思考停止と問題の先送りをするようになる。
……絶望的な負の連鎖……。
深く考えない、合理性を求めない、その状態に慣れれば慣れるほど生きやすくなる社会。
今、僕たちは間違いなくそのまっただ中にいる。

……このまま終わるとあまりにも暗いので、以前に書いた文章の一部を抜き出して終わらせたい。


 本書は、これから「3・11後の世界」を長く生きていく若い人たちに、今の私が知っていることを包み隠さず伝え、一緒に考えてほしいという、いささか無謀な願いを込めて書きました。
 問題があまりにも深く、複雑なため、一度読んだくらいでは理解できないと思います。もやもやが残ったり、これはおかしいんじゃないかと反発を感じたりした部分もたくさんあるかもしれません。
 そうした疑問を感じることが大切なのです。少しでも納得できない、分からないと感じたことは、テーマ別にとことん自分でも調べ、考え抜いてください。
 答えはひとつではないでしょうし、私が想像もつかなかった答えをみなさんが見つけるかもしれません。
 最後に二つ、繰り返しになるかもしれませんが、重要なことを書いて終わります。
 ひとつは、人生において、すっきりとこちらが正解だという決断ができる場面は少ないということです。
 例えば、あなたが大きなメディア(新聞社やテレビ局)の社員だとします。
 あなたは社会の不正を告発し、正義を伝えたいという理想を持ってその会社に就職しました。しかし、上司はあなたと考えが合わないだけでなく、事実を隠蔽しようとします。それがさらに上の人たちからの指示であり、意志でもあることが分かってきます。
 絶望したあなたには、「こんな会社は辞めてやる」と辞表を叩きつけることもできますし、その場はぐっと堪えてぎりぎりの妥協をしつつ、将来のチャンスを待つという選択もできます。こんなとき、どちらを選ぶのが正解かは、簡単に言えません。
 そこに所属して働けば働くほど世の中を悪い方向に向かわせると確信できれば、辞めて不正を告発する努力をすることが正しいかもしれません。でも、巨大メディアを辞めてひとりで伝えられる力は極めて弱いので、我慢してその職場に残り、他の同じ志を持った仲間と一緒にじわじわ闘っていくほうがずっと効果的かもしれません。
 そういうとき、問題から安易に逃げずに、命がけで考え、行動してほしいのです。
 そうした強い意志が集まれば、世の中は少しずつ変わっていくはずです。

 もうひとつは、「目的」と「手段」を混同するな、ということです。
 ほとんどの人にとって、人生の最終目的は幸福になること、幸福に一生を終えることだと思います。
 人間は一人では生きていけない社会的動物ですから、自分とつながっている他の人たちもまた、自分と同じように幸福であってほしいと思うのが普通でしょう。
 これが人生の究極の「目的」だとすれば、他のことはそれを実現するための「手段」にすぎません。
 お金を得ることや安全な暮らしを営むことも、実は「幸福になる」という目的のための手段なのです。手段が目的より優先されると、必ずどこかに歪みや矛盾が生じます。
 これからの人生において、判断に迷ったときはこのことを思い出してください。
 自分は手段のために目的を犠牲にしてはいないだろうか、と。

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