甲状腺検査二巡目2015/02/17 11:57

それでも「関係ない」のか?

2月13日発表のニュースより。
子ども1人がん確定 福島県2巡目甲状腺検査
 福島県は12日、東京電力福島第1原発事故発生時、18歳以下の子どもを対象とした2巡目の甲状腺検査の結果、1人ががんの確定診断を受けたと発表した。2巡目の検査は2014年4月から実施し、がんの確定診断は今回が初めて。がんの疑いは昨年12月の前回公表時から3人増え、計7人となった。
 福島市で同日あった県民健康調査検討委員会で県が報告した。検討委の星北斗座長は「これまでの評価を変える必要はない」と述べ、原発事故との因果関係は考えにくいとする見解を維持した。
 調査を担当した福島県立医大によると、2巡目の検査で「がんまたはがんの疑い」とされたのは事故当時6~17歳の男女8人。11年10月に始まった1巡目の検査では、8人全員が「問題ない」と診断されていた。
 1巡目は子どもの甲状腺の状態を把握する「先行検査」、2巡目以降は原発事故の影響を調べる「本格検査」との位置付け。両者を比較することで、がん発生リスクの傾向を把握できるという。
 1巡目は約30万人が受検し、86人はがんの診断が確定、23人は「がんの疑い」とされた。2巡目は事故後に生まれた子どもを含む約38万5000人が対象。約10万6000人が受け、約7万5000人の結果が判明した。
(河北新報)

平田村で医療活動をしている藤田操医師はフェイスブックでこう書いている。
 甲状腺検査2巡目にして、新たに8人の子供が‘‘がんとその疑い’’と発表された。これまでも100人を超す子供たちがそう診断されている。チェルノブイリでは、5000人以上の甲状腺がんの発症があり、手術が行われた。
 しかし国や県、一部の医療機関のやっていることは、‘‘安全安心キャンペーン’’ばかりで、何の対策も講じていない。環境省の「専門家?会議」に至っては、「スクリーニングで不安を煽るため、検査自体やらない方がいい(任意でいい)」とまで言い出す委員もいる。
 小児甲状腺がんは、100万人に数人の発症で、限りなく0に近い。となると福島で手術をした99%の子供たちは、今その必要がなかったのではないか? と当然の疑問が湧いてくる。しかし実際の手術例は、「7割以上が1㎝以上でリンパ節転移、中には遠隔転移もある。小さいがんでも反回神経に近い(声を失う)あるいは気管に接している」宮内昭医師(隈病院)。つまり今、どうしても手術をしないといけない子供たちなのだ。
 それでも危機感を持たないのは、現場に目を向けているとはとうてい考えられない。そんな専門家、医療従事者とはいったい何者だ。

これは福島だけの問題ではない。「フクシマ」以降、誰もが不安を抱えながら暮らしている。
甲状腺癌に限らず、ホットパーティクルを吸い込むことによる肺癌のリスク。心筋梗塞や脳卒中などなど、一般には放射線とは無関係のように思われている死因にも、「フクシマ」は何らかの関係があるのではないか……と、今後、ずっと疑心暗鬼になるのは避けられない。

こうなってしまった以上、やれることは被害をこれ以上拡大させないこと、考えられるありとあらゆる手段を講じてリスクを減らしていくことだが、ふざけたことに国はその逆のことを強行している。

塩谷町の国有地に8000ベクレル/kg以上のゴミを集めて保管しつつ焼却する、などという狂気の計画をごり押ししている。先頭に立っているのが「環境省」なのだから、もうなにをかいわんや。発狂国家か。


↑これはOur Planet TVがまとめた12分ほどの動画。ぜひ見てほしい。
問題のあるものをわざわざ途方もないエネルギー使って「上へ」運んで埋める……という、常軌を逸した「公共事業」。
水は低きに流れる。煙は風に乗って遠くまで飛散する。誰でも知っていること。
環境省の官僚たちも本当は知っている。放射能汚染されたゴミを最も安全に処分するには、まず飛散しないように保管して自然に減衰するのを待つことだと。
それをよりによって関東の大水源、水の聖地とも言える高原山の山麓に運んで埋めるとは、神をも恐れぬとはこのことだろう。

塩谷町に処分場を作るという話は、処分場(焼却施設含む)を作ることそのものが目的になっている。
そこに生じる利権。ゼネコンや焼却炉メーカーの金儲け。
環境省がゴミ処理ビジネス、処分場ビジネスの親玉になって利権を思うように操っていることは、業界の人間なら誰もが知っている。
ダイオキシン騒ぎを演出し、全国に新型焼却炉を設置する事業を仕切って国交省や経産省のような大型利権の味をしめた後は、腐敗の一途をたどる環境省。
工事が始まれば、まず狭い林道の拡幅工事が始まり、何年かして道ができれば大型ダンプや重機やコンクリートミキサー車が引っ切りなしに通行する。そうなったら塩谷町の人たちの暮らしはもうおしまいだ。
処分場が完成し稼働する前に、沢筋や湿地などは跡形もなく消滅し、関東一円に水を供給している聖地は死に体となっているだろう。
環境省にはまともな人間が一人もいなくなってしまったのか。たとえ政府が何を命じようが「それはなりませぬ」と身体を張って止めるのが環境省の役割ではないのか。

この動画を見ていて、20年前に書いた小説カムナの調合 -The Ultimate Compound- を思い出した。まさにあの小説のテーマが現代に蘇ったな……と。
あれを書いたときはまだ中越地震も原発爆発も起きていなかった。
『マリアの父親』の最後の舞台を北海道幌延から福島県に移して書き直したのが『新・マリアの父親』だが、『カムナの調合』も、最後の舞台を栃木に移して書き直してもいいかな……と思っているところ。塩谷で戦っている人たちに捧げたい。
 
Kindle版 と 絶版になった書籍

『国と東電の罪を問う』を読んで2015/02/17 12:13

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『国と東電の罪を問う 私にとっての福島原発訴訟』(かもがわブックレット199)という冊子を購入して読んだ。
イベントの発言記録ということで、正直あまり期待していなかったのだが、想像していたよりも充実した内容だった。
蓮池透さんは2012年元日の『朝まで生テレビ』で一緒だったが、そのときは僕も彼もほとんど発言できなかった。今回はたっぷり話していて、その内容も元東電社員ならではのもの。
元NHKの堀潤さんも目一杯発言している。
井上淳一さんの、石川町で学徒動員された子供たちがウラン採掘作業をしていた話も、概要は知っていたのだが、「鉄を供出していたためにツルハシも持たされず、多くの人は素手で掘っていた。靴もなくてわらじだった。しかも何を掘らされているのかは軍事機密として知らされていなかった」という内容までは知らなかった。
NHK連続テレビ小説だと2500万人くらいが見ていることになるが、そこでは戦争シーンでの描写に限界がある。各家に天皇のご真影が飾られていて、みんなが「天皇陛下万歳」と叫ぶシーンはやれない。関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが流れて虐殺されたことも描けない。そういうのをやろうと思うと、インディーズ映画でやるくらいしか方法がないからせいぜい1万人に見てもらうのがやっとだ……というような話も、まったくその通りだな、と。
2500万人に届く反戦メッセージか、1万人にしか届かない「闘い」か。もちろん、単純な2項対立ではないと思いますが、そこのところのせめぎ合いを、無自覚な表現の自由の放棄にならないように気をつけながら、いま何ができるかということを、ぼくは真剣に考えていますし、「戦争前夜」に生きる作り手すべてに考えてほしいと思っています。(井上淳一氏)
 
このブックレットはA5判で600円+税。この体裁くらいだと、自費出版でもなんとか作れるので、僕自身、これからやっていける方法のひとつとして考えている。
それこそ「戦争前夜」に生きる作り手の一人として。

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この大きさページ数で1000円以下の価格で売れるなら、
なんとかオフセットで500部、1000部でいけるかも……

「フクシマ」を刺激的なネタとして消費しないでくれ


「フクシマ」といえば、今日もまた、某テレビ局から「働かない方がトク!というゆがんだ構図」という賠償金問題について取材させてほしいという依頼があった。
この手の依頼はすべて断り続けている。いちいち断るのが面倒なので、どうも原因となっているらしい2012年のブログ記事の最後に次のような断りを追加した。
■2015年2月3日追記■
このブログ記事を読んだ出版社やテレビメディアなどから、「補償格差」や「賠償金成金」が生まれる歪みなどについて書いてくれ、話してくれという依頼が複数来ますが、すべてお断りしています。
この問題はとても複雑かつデリケートで、どんなに言葉を尽くしても実情や問題点を伝えるのが難しいと考えています。
特にテレビは、最初から視聴者の好奇心を刺激し、「とんでもない話だ!」という反応を引き起こそうという意図の元に編集されるのが目に見えていますので、基本的に取材や出演依頼には応じません。

福島の人たちの口もどんどん重くなってきました。これを書いた時とは現場の「空気」もずいぶん変わってきました。
怒ってもどうにもならないという諦めや、下手に口にすることで問題を悪化させてしまう、ますます人間関係が分断されてしまうことへの恐れから、どうしても「沈黙は金」になっていきます。
私がこの記事を書いたのは2012年2月で、「村に戻れば補償打ち切り」「仕事を再開すればその分、補償を減らす」というとんでもないルールに怒り心頭でした。そのときの気持ちを消すことはできないし、思い起こすことが大切だと思いますので、敢えて書いた内容には手を入れないでおきます。

その後、「村に戻れば一人10万円/月は打ち切る」という馬鹿げた規定は見直され、村に戻る戻らないにかかわらず避難命令が出ていた期間の「精神的損害補償」は支払われることになりました。
また、川内村はいち早く帰村宣言をしたために、川内村の旧緊急時避難準備区域の住民に対して支払われてきた1人当たり月額10万円の精神的損害賠償は2012年8月に打ち切られています。

何度も言ってきたように、いちばんの問題はこういうことを引き起こし、どんどん悪化させていく「システム」にあります。そこに言及しないまま、福島で今起きていることだけを刺激的に報道することは、誰の得にもなりません。知ったかぶりしてネット上で騒ぐ人たちにおいしい餌を撒くだけでしょう。
補償金格差に限らず、「フクシマ」の諸問題は単に興味本位で消費されるだけになってしまうことがいちばんまずいのです
今後も、マスメディア(特にテレビ)からの似たようなリクエストはすべてお断りするつもりですので、ご了承ください。