新国立競技場の予算を1万円札で並べると…2015/07/14 19:59

ここに1万円札を並べてもまだ足りない

2520億円って1万円札並べるとどのくらい?



新国立競技場の建設予算がとりあえず2520億円ということになったらしい。
新国立競技場構想の事業主体となる日本スポーツ振興センター(JSC)は7月7日、有識者会議(委員長・佐藤禎一元文部事務次官)を開き、総工費(実施設計段階の目標工事費)が2520億円に膨らむことを了承……。
(Nikkei BP)

これは「目標額」であり、実際に今の案を通そうとすると3000億円突破は間違いないらしいし、その後の維持費も50年間で1000億円はかかるという。

で、ここでは「有識者会議」なるものが認めたという2520億円のみを考えてみる。
最近では日本国の借金が1000兆円超えなどというニュースもあって、「億円」という単位に鈍感になってしまっている日本国民だが、どうすればこの金額をイメージできるだろうか。

例えば、2520億円分の1万円札を並べてみるとどのくらいの長さになるのか?

1万円札の長さは16cm。0.16m。0.00016km。2520億を1万で割ると2520万。これに0.00016kmをかけると4032だから、約4000kmということになる。

2520億円分の1万円札を並べると約4000kmの長さになる

では、4000kmというのはどのくらいの長さなのか?

北海道最北端の駅は稚内駅。九州のいちばん端の駅は枕崎駅。これを結ぶルートはいろいろあるが、最短時間で走るルートは2700km~2800kmくらい。走り続けて約36時間と出た。(Googleマップで調べた↑)
鉄道ルートだと約3100km、約27時間(新幹線使いまくりで)になるらしい(JORDANの乗換案内で調べた↓)


つまり、道路でも鉄道でも、そこにびっしり1万円札を並べていっても、稚内から枕崎まででは足りない。そういう金額が2520億円なのだね。

もう少しイメージを膨らませてみよう。

道路に1万円札をびっしり並べるのは人手がいるから、日本中の人を動員して、このルートの道路沿いに1mおきに並んでもらうとする。
2800kmのルートだとして、2800kmは280万mだから、280万人動員することになる。
この280万人がポケットから財布を出して1万円札を道の上に置いたとしても280億円にしかならない。
10枚、つまり10万円ずつ財布から出して自分の前に並べると(横に並べると1.6mになって隣の人の領域に食い込むから、縦に並べる必要がある)、1mに1万円札が10枚ずつ並んだものが稚内から枕崎まで続くことになる。これで2800億円。その金額で、ようやく神宮にあの自転車のヘルメットみたいな建物が1つ建つ、ということになる。
新国立競技場という建物1つを建てるのに、1万円札を日本列島端から端まで並べてもまったく足りない金額を注ぎ込むというのだ。
いや、実際には技術的にも建てられるのかどうか怪しいらしい。アーチ型の屋根レールをつけるには杭を斜めに打ち込まなければならないから地下鉄大江戸線にぶつかるとか、そんな話が飛び交っている。
……これって、落語ですか?
とても正気とは思えない。
(イメージしやすいように、1mに1万円札を10枚並べた図を写真に撮ろうかと思ったが、今、我が家には1万円札が10枚もないので断念した)

都倉俊一が「コンサートをやるためには絶対に屋根が必要だ」とか言ったそうだが、競技場で音楽鑑賞するという発想がそもそも貧しい。まともに音楽鑑賞などできるはずがない。
東京ドームができる前の後楽園球場にサイモン&ガーファンクルのコンサートを聴きに行ったことがあった。遠くのステージでドラマーがシンバルを叩くのがかすかに見えたかと思うと、1秒くらい遅れてシンバルの音が汚く届く。エコー音が球場内を駆け巡り、音楽を楽しむどころではなかった。こんなところに大枚はたいて来てしまった自分を呪った。
あれ以来、大きな場所でやるコンサートには行かないことにしている。

イベントの意義やクオリティは別にしても、屋根をつけようがつけまいが、レンタル料が馬鹿高い箱を借りてやれるだけの巨大イベントがこれから先どれだけあると思っているのだろうか。

原発爆発で支払った賠償金が現在までで5兆円超

で、「そんな金があるなら3.11の被災者救済に使え」「東北復興はまだ全然進んでいない」といった声もよく聞く。

僕にとっての3.11は原発爆発なので、久々にそっち関連に目を向けてみる。

原発爆発させて世界中に大量の放射性物質をばらまいた東京電力は黒字決算で、社員にボーナスも出ている。
去年(2014年)3月の時点で、原発が爆発したことによる損害額総額は、11兆1600億円余りというニュースをNHKでやっていた
内訳は、▽除染費用が2兆5000億円、▽除染で出た廃棄物を貯蔵する中間貯蔵施設の整備費用が1兆1000億円、▽東京電力が行う廃炉と汚染水対策の費用が2兆円、さらに、▽賠償についても、去年12月に新たな指針がまとまり、それに基づく東京電力の見通しでは5兆円を超える
……のだそうだ。

このうちの賠償金はすでに支払われている金額が分かっているので、それを見てみたい。

今年7月10日時点で、東電がこれまでに被災者に支払った賠償金総額は5兆円を超えている。
クリックで拡大

これは予測とかではなく、すでに支払われた金額であり、東電自身が発表しているものだ。

では、5兆円分の1万円札を並べると……。

2520億円分の1万円札を並べると約4000kmだったから、この20倍で約8万km。
8万kmというのはどのくらいかというと、地球1周が約4万キロなので、地球2周分の長さということになる。
1万円札を赤道に沿って並べて2周させただけの金額を、東電は現時点で支払ったのだ。
もちろんこれでおしまいではない。これからもずっと続く。

間違えないでほしいのは、これは「すでに支払われた賠償金」の額であって、1F構内の後始末作業やら除染だのなんだので今後気が遠くなるほどの時間、使い続けなければならない金額は一切含んでいない。

再稼働? 核燃サイクル? どの口が言うのですか?
というか、こういう状況で新国立競技場の屋根がどうのこうのとか言っていること自体、頭おかしいでしょ。

国の借金1000兆円は月まで20往復以上の長さに

最後に、日本国の借金1000兆円……。
⇒ここに「日本の借金時計」というのがある。「借入金」や「短期国債」などを含まず、単純に「普通国債の発行残高」だけをとってもすでに1000兆円を超えていて、刻々と増え続けている。
ざっくりと1000兆円だとすると、すでに支払われた原発賠償金5兆円の200倍。1万円札を並べると8万kmの200倍だから1600万キロ。地球を400周。
月までの距離が平均で38万4400キロなので、その約42倍。月まで20往復してもまだ余る。

人間、あまりにも途方もない数字になると、イメージができなくなって思考停止するのだね。

安倍晋三の並外れた能力とは2015/07/16 15:06

2015年7月15日 衆院平和安全法制特別委員会で長妻昭民主党代表代行の質疑に答える安部晋三首相
少し見方を変えてみよう。
日本の御家芸と言われてきたことがいろいろある。精密機械製造とか正確で緻密なサービスとか繊細で奥の深い料理文化とか。
その中に「腹芸」とか「アイデア盗用」というのもある。「ずるい」やり方でそこそこの着地点を見つけて、破綻を避けつつ、じわじわと経済力を蓄え、みんながそこそこ幸せになる。これが「日本式」幸福国家運営論。

諸外国からは「日本はずるい」という評価がある。創造的なアイデア出せないくせに、それを盗んで技術力と高い品質のサービスで世界一の評価を得る。中東やアフガンで戦争が起きたときも「うちは平和憲法があるので戦争に加われません」って言ってやりすごす。「それはずるいだろ」って圧力に抗しきれなくなると「じゃあ、お金出しますから、燃料代の足しにでもしてください」って言って逃げる。

自民党長期政権を築いてきた政治家たちには、この「日本式のずるさ」をうまく発揮して、国を破綻させないことこそが政治なのだと理解して、国内外からの批判をかわしながらうだうだとやっていく伝統のようなものがあった。
それをきちんと勉強せず、「みんなが戦争しているときに後ろで金だけ出すなんてかっこわるすぎる」というガキ大将レベルの知力と理解力のまま、血筋と凡庸さ(庶民受けの要素)で首相になってしまった男が、全部壊してしまった。

未だにこの図式が見えないまま、ガキ大将の論理を「国を守るには武力も必要だし、強い同盟国と共闘するのは正しい」「あたりまえのことを言っているだけなのになんで反対する必要があるのか」などと言っている人たちがたくさんいる。
それは大人の政治力ではない。ガキ大将の頭。でも、これは日本だけでなく、どこの国、どんな民族でもそう。そこに宗教なんかが絡むとさらにやっかい。大衆というのはそういうもの。歴史が物語っている。

安倍晋三のたちの悪さは、政治的な判断力、合理的理解力がないのに、「大衆はそんなもの」ということだけは、政治家一家の中で「世界の根本原理」の一つとして叩き込まれ、育ってきていること。
それが「今の日本の国民が、主導者がいい加減なことを言えば、烏合の衆のようにそちらに従っていく(というのなら)、それは国民に対して失礼じゃありませんか」(煽られたらついていくような国民だと思っているのなら、国民に失礼じゃないですか)というあの言葉(2015/07/15 衆院委員会での長妻昭・民主党代表代行との質疑応答
)に如実に表れている。そう思っているのは自分なのだが、嘘をつきとおせる、騙せるという自信はみじんも揺らがない。その図々しさこそが政治家の資質だと信じている。

「戦後の歩みというのはそんなものだったのですか? 日本は戦後70年、民主主義を徹底し、自由を尊び、報道の自由がある。報道機関もしっかりと勇気を持って報道している。国民のみなさんも、さまざまな情報を手に入れながら判断をしているんです。私は国民の皆様の判断、英知を信頼しているんです」(2015/07/15 衆院委員会での長妻昭・民主党代表代行との質疑応答の最後の発言)
まさに全部、自分がしていること、考えていることと逆のことを言っている。
立憲政治という根本を無視し、憲法でさえ自分の好みに合わせて「運用」できると思っている現首相は、真顔で嘘をつく、心の底から国民を馬鹿にしきるという自己暗示・自己陶酔能力にかけては、超人的なのかもしれない。

日本式の腹芸政治、コピー文化を僕は好きではない。しかし、そうした手法をも使って戦後の焼け跡から立ちあがってきたのも事実。この歴史から冷静に学ばなければならない。
コピー文化であっても、それをオリジナル以上の品質にまで高める技術と生真面目さ。ずるい、面従腹背だと言われながらも、したたかに動いて戦争に巻き込まれず、結果、戦場となった国の人たちからは「日本は我々に爆弾を落とさなかった。困っているときには井戸を掘ってくれたし、道路も作ってくれた、ずっと仲よくしていたい国」という評価も得てきた。
戦後、さまざまな現場で多くの人たちが努力して築き上げてきたこの貴重な財産を、一人のガキ大将が全部壊すのをただ見ていていいはずがない。

日本をシンガポールのような国にしたがっている人たち2015/07/25 01:32

安倍政権がめざすのはシンガポールのような国?

フェイスブック経由でこんなのを見つけた↑
igiveadayoff.orgというサイトのトップページにある動画。

画面の左側に子供の母親、右側にその子供のお守りをしているメイド。
「シンガポールの家庭で働く外国人家政婦は22万5000人」

……へえ、そうなんだ。
シンガポールの世帯数は114万6,200世帯(2011年)だというから、約2割──5世帯に1世帯は外国人の使用人を雇っている計算になる。実際には複数の使用人を雇っている家があるだろうが、それでも富裕層が多いのだなということは分かる。

さらに英語のキャプションを見ると……、この22万5000人のメイドの多くは24時間勤務(住み込み?)で休日もほとんどないらしい。
で、この動画では、「子供は将来何になりたいと思っているか?」「好きな教科は?」「学校での親友は誰?」などという質問を母親とメイドにぶつける。その結果、74%のメイドは母親よりも正しい答えを知っていたという。

このキャンペーン動画の最後のメッセージは、
Shouldn't we spend more time with our children?
(私たちは自分の子供ともっと多くの時間を過ごすべきでは?)
「家政婦たちにもっと休みを与えましょう」
……というもの。

これを見てドキッとした。と同時に、いろんなことが頭の中で渦巻いた。

まず、最後のメッセージの主語はwe(私たち)だ。この動画を作った団体は外国人労働者を使う側、つまり富裕層ということになる。
サイトのドメイン名は「igiveadayoff.org」  I give a day off. は、直訳すれば「私は休日を与える」だ。ここでも自分が主人の側だと明言している。
このサイトの親サイトは twc2 (transient workers count too) というところで、直訳すれば「非正規雇用者もちゃんと数に入れましょう(「人」としてみなしましょう)」となる。低賃金で休みなしに働く外国人労働者たちの人権を守りましょう、と呼びかける団体らしい。

団体の発起いきさつの説明を読むと、おおよそこんなことが書いてある。
シンガポールには海外からの移民労働者が約100万人いるが、これはシンガポール全人口のおよそ2割に該当する。
低賃金で働く外国人労働者の多くは、インド、中国、バングラデシュ、インドネシア、フィリピンから来ているが、過酷で極端な低賃金という労働条件、エージェントによる不当搾取や給与未払い、医療や衣食住などの基本的な生活環境の欠如に苦しんでいる。
当TWC2は彼ら低賃金移民労働者の過酷で理不尽な雇用状況を改善するために生まれた。

低賃金で24時間働く人たちは、自分たちの権利をネット上で主張するだけの余裕もないから、雇う側が彼らの権利を守ってあげなくては……ということなのだろうが、自然と「I give..」というフレーズになるあたり、ああ、まさにこれこそが「格差社会」なのだな、と感じた。

自分がこういう違和感を感じる人間として育ったことはものすごく幸せなことだ。
この日本という国では、まがりなりにも人はみな平等であり、基本的な人権は守られなければならないと教わり、実際にそういう社会で大人になることができた。
憲法という最高法規がそのことを保証してくれている。だから、いろいろ理不尽なことを経験しても、最終的にはとんでもない目に合うことはないだろう……多くの日本人はそう感じて育ってきたと思う。
しかし、シンガポールという国では、すでに違う規律というか、秩序、空気がしっかり確立されている。
かつては欧米先進国や南アフリカでも、この「格差はあってあたりまえ」「生まれつき、利用する側の人間と利用される側の人間に分かれている。それが社会であり、その秩序を守るのが富裕層に生まれた人間の務め」といった価値観(正義感、倫理観といってもいいかもしれない)があった。
日本も戦前はそうだった。童謡『あかとんぼ』の世界。
幼くして子守りなどの雑用をする使用人として裕福な家に女の子が売られていく。その女の子(ねえや)の背中に負ぶわれて見た夕焼けを背景に飛ぶ赤トンボの光景を歌った歌。
「15歳でねえやは嫁に行き」……その子守りのねえやも、15になるとさらに「(農家の)嫁」という労働力として別の家に行く……そういう完璧な格差社会だった日本。
それが徐々に変わっていって「人はみな平等である」という考え方こそがまともなのだという社会になってきた。
ところが、それは長く続かなかった。ここにきてまた、ゲーム感覚の金融社会の出現と爆発的な経済成長、そしてお山の大将的な精神構造を持つ独裁者の出現が、社会秩序を昔のような格差社会に戻している。
暴力を使わなくても、情報や教育で人を支配できるようになったから、昔のように露骨な支配構図が見えにくいが、その分、タチが悪い。

その「先進的」モデル地区がシンガポールなのだろう。

シンガポールという国を、多くの日本人は普段あまり意識していない。しかし、この国のことをもっと知るべきだ。
基本情報としては、
  • 面積:東京23区と同程度
  • 人口:約547万人(うちシンガポール人・永住者は387万人)(2013年9月)
  • 人種・民族:中華系74%、マレー系13%、インド系9%、その他3%
  • 国語:マレー語。公用語として英語、中国語、マレー語、タミール語
  • 略史:1824年:英国の植民地に。1942年~1945年には日本軍が占領。1959年:英国より自治権を獲得、シンガポール自治州に。1963年:マレーシア成立に伴い、その一州として参加。1965年:マレーシアより分離、シンガポール共和国として独立
  • 政治:一院制。建国以来、与党人民行動党(PAP)が圧倒的多数を維持(議員数87のうち81議席)

実は、上の動画を見たとき、僕はすぐに、以前に読んだ内田樹氏の「日本のシンガポール化について」という文章を思い出した。
以下、いくつか抜き出してみる。

日本メディアのシンガポール関連記事はその経済的な成功や、英語教育のすばらしさや、激烈な成果主義・実力主義や、都市の清潔さについて報告するけれど、シンガポールがどういう政治体制の国であるかについては情報の開示を惜しむ傾向にある。
だから、平均的日本人はほとんどシンガポールの「実情」を知らない。
シンガポールの「唯一最高の国家目標」は「経済発展」である。
平たく言えば「金儲け」である。
これが国是なのである。

政治過程や文化活動などはすべて「経済発展」の手段とみなされている。
だから、この国には政府批判というものが存在しない。
国会はあるが、ほぼ全議席を与党の人民行動党が占有している。1968年から81年までは全議席占有、81年にはじめて野党が1議席を得た。2011年の総選挙で人民行動党81に対し野党が6議席を取った。この数字は人民行動党にとっては「歴史的敗北」とみなされ、リー・クアンユーはこの責任を取って院政から退いた。

大学入学希望者は政府から「危険思想の持ち主でない」という証明書の交付を受けなければならないので、学生運動も事実上存在しない。「国内治安法」があって逮捕令状なしに逮捕し、ほぼ無期限に拘留することができるので、政府批判勢力は組織的に排除される。えげつないことに野党候補者を当選させた選挙区に対しては徴税面や公共投資で「罰」が加えられる。新聞テレビラジオなどメディアはほぼすべてが政府系持ち株会社の支配下にある。
(略) たしかにこんな国であれば、経済活動はきわめて効率的であるだろう。外交についても内政についても、社会福祉や医療や教育についても、政府の方針に反対する勢力がほとんど存在しないのだから。

日本の権力者や富裕層たちは、「日本がシンガポールのような国になれば面倒がなくていいなあ、もっと効率よく儲けられるし、安泰な人生を送れるだろうなあ」と思っているのではないか……というのが内田氏の読みだ。
これを内田流の穿った見方だと片づける人は多いだろうが、僕にとってはドキッとする指摘だった。

「メイドにもっと休日をあげましょう」というキャンペーン動画を見てぞっとしたのは、まさに今、日本という国が、金持ちと権力者によって着々とそうした国へと作りかえられようとしているからだ。

富裕層がますます金儲けをしやすくなるために、あらゆることが動いている。
欧米先進国のように武器輸出で儲けたい、というのもそのひとつ。
箍が外れてしまっている。その流れを止められない。
安保特別委員会。浜田委員長は委員長席で「一旦休憩を」と訴える我々に「もう止められないんだ。止められないんだ」と何度も呟いてた
(寺田学議員のツイッター)
↑この夏、いちばん怖いつぶやきではないか?

日本がシンガポールのようになるのと、その前に天変地異やデタラメな政策で破滅的なことが起きるのとどちらが先か……。

ちなみに、Wikiでの「シンガポール」解説ページでは、冒頭にこういう一文がある。
同国は高度に都市化され、原初の現存植生はほとんどない
今の日本には、まだ森も豊富な地下水も残っている。でも、潜在自然植生はほとんど残っていない。明治以降に一気に消えたのだ。
放射性物質をばらまいても平気な顔をして経済成長率がどうのとか言い続けている人間たちに、いつまでこの国の政治を任せておくのか。

iPhoneで撮る写真がデジカメよりきれいな理由2015/07/25 22:02

アップルの良識・ソニーの大罪

先日、久々に「ガバサク流」のサイトを更新した。

まずは、「ガバサク流まとめ講座 デジカメ新時代のカメラ選び」というのを新たに5ページ追加。
数年前、「仕事とパソコン」という雑誌に書いたものを改稿。次々に新機種が出てきても、こうこうこういう考え方でカメラを選べばよい、という内容にした。

他にも、「おすすめのコンパクトデジカメ」のページを更新。
XZ-10を推薦するページなども更新した。

で、ここではさらに裏話的なことを書いてみたい。

カメラと撮像素子(CMOSイメージセンサー)の世界で日本はトップを守れるのか

デジカメは日本のメーカーがまだ世界トップを走っている希有なジャンルになってしまった。
コンピュータもモバイル端末も負け。テレビも負け。液晶パネルも負け。電子機器業界で、カメラも負けてしまったらもう後がなくなるが、個々のメーカーを見るとどんどん規模縮小しているし、魅力的で画期的な新製品が出ない。

『デジカメに1000万画素はいらない』(講談社現代新書)でも書いたし、「ガバサク講座」でも何度か書いてきたことだが、撮像素子の画素数は多ければいいというものではない。それなのに高画素化競争をまだ続けようとするソニーの姿勢は困ったものだ。
デジカメが登場した頃の撮像素子はCCDが主流だったが、今ではすっかりCMOSになった。このCMOSは、ソニーが世界のシェアトップで、韓国のSamsung Electronics社と米国OmniVision Technologies社が2位3位の座を激しく争い、この3社だけで世界の市場占有率のおよそ3分の2を占めている。(4位はキヤノン)
日本ではソニーの他にはシャープ、キヤノン、東芝、パナソニックなどがCMOSを製造しているが、ソニーのシェアに比べれば「泡沫メーカー」と呼ばれても仕方ないほど弱い。
シャープはCCD時代にはデジカメ各社にOEM供給していたが、CMOS時代になってからはソニーに完全に負けてしまった。
キヤノンは自社製のCMOSを製造している数少ないカメラメーカーだが、かつてはコンパクト機のセンサーやレンズはOEMが多かった。
パナソニックはフォーサーズ用のCMOSを作っている。フォーサーズの提唱者であるオリンパスのCMOSもパナソニック製が多い。
富士フイルムは自社開発でEXR-CMOSという意欲的なCMOSを作っているが、実際の製造は東芝。
その東芝は韓国のサムスンと技術提携しているので、今後はソニー vs サムスン・東芝という構図がより明確になっていくかもしれない。

東芝とサムスンの提携はカメラ以外にもいろいろやっていて、意外なところでは東芝の洗浄便座はサムスンが製造している。これが相当優秀で、本家のTOTOをコストパフォーマンスで脅かす(というかC/Pでは圧倒する)存在になっている。
実は今の日光の家には洗浄便座がついていなかったので、引っ越しと同時にアマゾンで購入したが、それが東芝製だった。価格はわずか1万2000円ちょっとだったと思う。脱臭機能までついていて、4年近く経過した今もトラブルは一回もない。サムスンはすごいなあと、そんなところでも感心してしまう。

iPhone6の内蔵カメラのCMOSは、1/2.3型クラスのCMOSでは最小の画素数(=最大の画素ピッチ)

話をカメラと撮像素子(CMOS)に戻そう。

ソニーは現在、CMOS製造では世界トップの技術を持っている。これは業界の誰もが認めることだ。

iPhoneの内蔵カメラできれいな写真が撮れるのはすでに多くの人たちが体験していて、そのせいでコンパクトデジカメがますます売れなくなっているということがあるが、iPhone5/6の内蔵カメラに使われているCMOSもソニー製だ。
ただし、画素数は800万画素に抑えられている

『デジカメに1000万画素はいらない』をアップルは実践しているわけだ。

iPhone6のCMOSは6.1mm×4.8mm(29.3mm2)で、これはコンパクトデジカメによく使われている1/2.3型CMOSの6.2×4.7mm(29.14mm2)とほぼ同じ面積だ。
ソニー製の1/2.3型CMOSは、ソニーだけでなく多くのメーカーのコンパクト機に供給されているが、総画素数2000万画素以下のものはもはやない。
iPhone6のライバル機といわれているソニーのスマホXperia Z3の内蔵カメラもこの1/2.3型で2070万画素。CMOSの面積はiPhone6とほぼ同じなので、Xperia Z3のほうが1画素あたりの面積はiPhone6の約38%しかないということになる。
それを日本のメディアは、IT専門誌でさえ「スマホ最強のカメラスペック」などともてはやしている。馬鹿じゃなかろうか。

Xperiaの内蔵カメラは以前から「食べ物がまずそうに写る」と言われていたが、小さなCMOSに高画素を詰め込めば色階調が浅くなるのであたりまえだ。
「こんなの食べたよ~」とブログにちょろっとUPする写真が1000万画素だの2000万画素だの必要なわけがない。


iPhoneの内蔵カメラセンサーは、かつては米国オムニビジョン社のものだったが、iPhone5からメインカメラ(背面のカメラ)をソニー製CMOSにして、iPhone6では前面(サブ)カメラのCMOSもソニー製に切り替えた。コストはソニー製のほうが高いはずだが、技術的にソニーのほうが勝っていると判断したからだろう。(アップルとソニーの間で価格を巡る壮絶な駆け引きがあったことは容易に想像できる)
しかし、ソニー製CMOSを採用する際、アップルは高画素CMOSしか作っていなかったソニーに、敢えて「800万画素で作れ」と注文した。そのほうがきれいな画像になることが分かりきっているからだ。
現在、デジカメ用の1/2.3型CMOSで1000万画素より少ない画素数のものは製造されていないので、このクラスのCMOSではiPhone用のCMOSこそが画素ピッチ(1画素あたりの面積)が最も大きいということになる。きれいに撮れるのは当然だろう。
アップル社にはこうした「良識」がある。ソニーにはない。

iPhoneが800万画素に抑えた(大きな画素ピッチの)ソニー製(技術力業界トップ)のCMOSを採用した時点で、写真の実質的きれいさや使いやすさでは勝負がついていた。
iPhoneに供給した800万画素CMOSはiPhone以外には供給しないという契約をソニーがアップルと結んでいる(結ばされた)のかどうかは知らないが、ソニーは自社製のスマホ Xperia ではこの優秀な新型CMOSを使わず、苦し紛れに?デジカメと同じ1/2.3型CMOSを採用した。
結果は……iPhoneユーザーが知っているとおりだ。
⇒このWEBページなどに、両機種での撮り比べ写真があるのでごらんあれ。
明るい屋外ではなんとかごまかせても、屋内での写真(特に食べ物)や花などの撮影ではXperiaの惨敗だ。
画素ピッチが2.5倍も違うのだから当然だろう。

コンパクトカメラに魅力的な製品がなくなってしまったのは、CMOSで圧倒的な技術力とシェアを持つソニーが高画素路線をやめなかったことも一因だ。 今からでも、ソニーの技術で600万画素くらいのCMOSを作れば、カメラ業界はガラッと様変わりするかもしれない。それが業界のリーダーとして正しい姿勢だと思う。
しかし、ソニーは相変わらず画素数を増やし続けて「どうだ、すごいだろ」と見栄を切る路線をやめない。
今のままだと、ウォークマンで失敗したのと同じ轍を踏むかもしれない。


なぜ日本のメーカーは世界のトップを走り続けられないのか……。
思うに「競争」だけを意識し、製品に対する哲学や良心がないからだ。
売れるためにどうするかは考える(ユーザーをいかに騙すか、その気にさせるかには腐心する)が、本当にいい製品(自分が好きな商品、責任を持てる製品)を作ろうとしない。

他社が真似できないほどのすぐれた技術を持っているのに、メーカーとしての哲学や良心がない。そんな環境からは斬新なアイデア、画期的な新製品も出ない。
「技術大国日本」と呼ばれた国をこんな姿にしてしまったのは誰だ。