90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(4)2019/02/16 17:03

寒さで表示できなくなったテレビ

2019/01/09

入院の日


親父の大腿骨頸部骨折、明日手術のため、今日は午前中に宇都宮の病院まで運び入れなければならない。
朝起きて階下に行き、テレビをつけると、冬の恒例画面。室温が5度以下くらいになるとしばらく画面がこうなっている↑。部屋が暖まってくると自然に直るので、少しの間の我慢。

処置室の外で施設長と一緒に待たされる

いろいろ緊張する作業があり、なんとか病院へ。処置室には次々に救急車で老人が運び込まれてきていて、改めて超高齢社会であることを実感する。
この病院は入院病棟以外は古い建物。処置室前の待合室は4人座るといっぱいの長椅子が一つあるだけで、しかも内倒し窓が壊れていて、紐を引いても固定されず、バタンと倒れて開いてしまう。0度前後の外気がピューピュー入り込んできて寒い。紐を縛り付けてなんとか対処したが、それでも寒い。
入院手続き書では、本人と保証人が別々のハンコじゃないとダメだと言われ、拇印を押させられた。入院費を踏み倒すケースがかなりあるらしい。

次から次へと急患が運び込まれていて、整形外科の担当医もなかなか身体が空かない。
ようやく診察室に呼び込まれて説明を受ける。
大腿骨頸部骨折の手術についてはしっかり予習してきたのでスムーズに終わったが、CTを撮ったら、心臓周囲の血管の一部が石灰化していて、肺の下部には水が溜まっているという。その映像も見せてもらったが、これには驚いた。
ずっと前から時折息苦しそうにしていたのはそういうこともあったのか……。とにかく親父は苦しいとか痛いとか言わないのだよなあ。

全身麻酔がかけられるかどうか、麻酔科の医師とも相談しなければならないが、微妙かもしれないとのこと。
その後、デイルームで待機していると、麻酔科の医師がやってきていくつか質問をしながら、「多分(麻酔は)できると思います」と言って戻っていった。
整形外科の担当医(男性)も麻酔科の医師(女性)もすごく若い。二人とも20代……だと思う。これだけの激務だと、若くないとやれないなあ、とつくづく思った。
また、悩んでいても事が進まないから、サクサクと作業を進めていく決断力が必須だ。それも兼ね備えている二人を見ていて、ああ、今の日本はこういう人たちに支えられているんだなあと感じた。

入院や手術のために必要な寝間着やバスタオルやオムツをレンタル契約したり購入したり……いろいろあって、病院を出たのは3時過ぎ。朝からバナナ一本しか食べていないし、朝から緊張の連続だったので疲労困憊。
本来なら夜勤明けでこの時間はもう寝ている施設長も昼ご飯抜きでずっとつき合ってくれている。施設長のほうが何倍も辛いはずだが、笑顔を絶やさないでいてくれる。本当に感謝しかない。

施設長の車に乗せてもらって施設に戻り、施設に置いていった自分の車に乗り換え、薬局に寄って薬をもらい、スーパーで二人分の弁当(今から食う分と夜の分、計4個+α)を買い、ヘトヘトで帰宅。
ようやく本日一食目にありつき、少し寝ようと思ったら、ルーティーンワーク(生計を維持するためのお仕事)がたまっていて処理。
暗くなってからタイヤが届けられた。明日は手術でまた宇都宮まで行かねばならないので、なんとか今日中にパンクの応急処置で1本だけ夏タイヤになっているのを交換したいと思い、まっ暗な中をタイヤピットへ。
タイヤを交換して家に戻ると、病院から電話が入り、明日の手術は午後を予定していたが、急遽朝イチに変更になりました、と告げられる。8時半までに病院に入ってくれという。
うわ~、辛いなあ。朝の渋滞にも巻き込まれそうだし……。
しかし、そうなると今タイヤを交換しておいてよかった。

北海道から送られてきた美味しいチーズに、やはりいただき物のワインで元気をつけて、明日に備えた。

2019/01/10

手術当日


あちゃ~! これじゃあ出られない
気合いを入れて早起きして、さあ、出かけようと玄関を出たら……う!!↑
これじゃあ運転できないじゃないか。解氷剤あったっけ……。
あった! よかった。

これを溶かすのがまず大変


でも、氷を溶かしても溶かしてもすぐに凍りつき、走り出してもすぐに前が見えなくなる。
おまけに、宇都宮は東方向なので、真正面から朝日が強烈に差し込んできて、前方視界が最悪。信号も強烈な逆光で見えない。
冬の間、宇都宮に出勤していく人たちはみんなこんな危険な道を運転しているのか……。大変だなあ。

セブンイレブンでバナナと紅茶を買って、無理矢理バナナ一本、胃に押し込む。


やっぱり縛り付けられてた。仕方ないけどね

親父は昨日からパニック状態で、ここがどこか、どういう状況なのか理解できず、必死に頭を働かせようとしているが、やっぱり理解できずに、混乱している。それでも食欲はあるようで「ランチはまだか」と何度も訴えていた。
「これからすぐに手術だから、今日は飯抜きなんだよ」
「そうか……分かった。……それで、まだなのか?」
「何が?」
「飯!」
……こんな感じでループする。

予定通り、9時に手術室へ。
「このままじゃあ寝たきりになっちゃうから、車椅子に座れるようにしてもらうんだよ。寝てれば終わるんだから楽なもんだよ」
などと、いろいろ声をかける。年末のやさしいズのネタを思い出す。
「手術が怖い? あんなの寝てるだけじゃん。……え? 麻酔しない派?」
あのネタ、好きだわ。でも、今の親父には通じないかな。


手術室に入るのを見届け、それからはずっと病棟のデイルームで待機。誰もいなくて、カウチがあったので横になった。
本を読みながら延々と待ち続ける。
昼前に手術が終わったと呼ばれる。
手術自体は2時間の予定が1時間半で終わったのだが、始めるまでに時間がかかったとのこと。全身麻酔をしていいものかどうかで、かなり悩んでいたらしい。
結局、全身麻酔ではなく、下半身のみの麻酔でやったという。
やさしいズのネタみたいに「寝てれば終わってる」というわけにはいかなかったわけで、意識のあるまま、骨にドリルがガ~っと入っていくのを聞いていたわけだ。それは怖かっただろうなあ。


改めて、手術前の写真と手術の図解。↑こうなっていたのが……

↓
↓
↓
↑手術後のレントゲン写真。すごいねえ。これだけガッチリと深く金属を埋め込むのね。


もともと血液中酸素濃度がかなり低めで、骨折した部分での出血のために貧血もあるので、昨日も今日も輸血をしているという。最短で明後日の退院は可能だと思うが、明日、明後日の朝に採血して、その結果を見て決めるとのこと。
ここまでくると、病院に長く入れておくことのストレスのほうが怖いので、なるべく早く退院させたいと、再々度申し入れた。
担当の医師もそこは理解してくれている。

満身創痍。それでも生きる意志がものすごく強く、食欲はある。動こうとする。その姿を見ていると、なんとかしなくちゃ、でも、何ができるのか……どこまで頑張るのだろう……と、こちらの神経がどんどんまいってしまう。

とにかく、ここまで来たら、早く施設に戻してあげたい。施設長以下スタッフも、覚悟を持って待っていてくれている。
すでに昇降式ベッドやフルリクライニングができる高級な?車椅子も業者が届けてくれて、セッティング済み。
本当によくやってくれる。
普通はそこまでやってくれないから、病院を転々としながらの終末期になってしまうのだ。
「最後まで穏やかなケアは得意です」という不思議なキャッチコピーが目に留まって訪れた小さな施設だったが、あのコピーは嘘ではなかった。ここまでつき合ってくれるスタッフには、本当に感謝しかない。

長期戦になるのか、予想もできないような展開、幕切れになるのか……先が見えない苦しさが続くが、踏ん張るしかない。


⇒続く



90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(5)2019/02/16 17:11

2019/01/11

退院前日の搬送予行練習

病院から、12日午前10時に退院という知らせがあった。血液中の酸素濃度が足りないとのことで(これは骨折以前からだったが)、輸血や酸素吸入もしている。
入院前にはなかった臀部の褥瘡と左脚(手術しないほうの脚)臑の皮膚の損傷(包帯が擦れて弱っていた皮膚がこびりついて剥がれたらしい)という2つの外傷が加わっていて、それに対する治療の指示なども受ける。


手術後、手術していないほうの脚に巻いた包帯を取ったら、皮膚が大きく剥がれていて浸出液が出ていた



手術直後から車椅子は可能で、腰を曲げても大丈夫ということだったので、乗用車で迎えに行くつもりで、病院側ともやりとりし、了承されていたのだが、ここにきてまた「介護タクシーの手配を」といわれた。どうも、院内での情報共有がうまくいっていないらしい。
介護タクシーは、近所の病院に運ぶときにも手配を試みたが、日光市内では、当日に「今からお願い……」などという依頼はほぼ無理だということが分かっている。それを説明し、その後も何度かやりとりしたが、結局、また、施設のリフト付きハイエースをまた借りることになった。
車椅子をリフトに固定して昇降させるのはやったことがないので、前日に副施設長の指導を受ける。

車椅子用リフトの使い方を教えてもらっているところ。副施設長の娘さんが「乗る~」とやってきてダミーモデルに↑。

まあ、こういう経験はしておいたほうがいいかもね。

で、親父は退院後はベッドと車椅子の生活になるので、昇降式電動ベッドを実費レンタル。その業者が一緒に持ってきた中古の車椅子は大きすぎて、施設のスタッフから却下されたため、フルリクライニングできる別の車椅子の中古出物も探しているところ。24時間、事実上施設にいるので、ベッドも車椅子も介護保険適用にはしてもらえないのだという。その他に、新たに寝具類やら防水シーツの追加やら水のみとかの器具類やらの調達が必要といわれ、リフトの使い方を予習した後はすぐにまた家に戻り、家にあるもので調達できるものと買わなければならない物のリスト仕分け。
雛人形搬入で忙しい時期に、金も時間も気力もどんどん奪われていく。

施設に家から持ち込めるものをまた運ぶと、義母が「よしみつさん、車に乗せて上まで連れていって」とか、意味不明のことを言い出す。
「上ってどこ?」と訊くと「薬局」と答える。どうも夢の中の地図(夢の中でよく見る、非現実の世界)が起きている間にも錯綜していて、妄想と現実の境目がなくなってしまっているようだ。認知症そのものの状態は義母のほうが親父より進んできているかもしれない。骨粗鬆症も抱えているので、義母もいつ骨折するか予断を許さない。
施設長は「お義母さんのほうがずっと心配。骨折するときは一気に骨盤骨折するタイプだから、悩む間もなく病院行きになる」と心配している。
頼むからそうならないでね。親父の大腿骨頸部骨折とアスペルガー症候群+認知症への対応だけで、僕らも施設スタッフも手一杯なのだから。
「車に乗せてって」という義母に「無理だよ」というと、今度は「じゃあ、ちょっとそこまで行ってくる」と、ヨタヨタと玄関を出て行ってしまった。
それを後ろからついていって、適当なところで連れ戻すスタッフ。
「動きたいというのを無理に抑制するとさらにパニックになるから、適度に発散させて……」と。ほんとに大変。申し訳ない。

興味深いのは、親父も義母も「帰る」というその先は、ぼける前に住んでいた自分の家ではなく、子どものころに住んでいた家なのだ。そんな家はとっくの昔にないし、もしかすると実在したことのない架空の家(夢の中の地図世界にだけ存在している家)を思い描いているのかもしれない。
近い過去のことから先に忘れていく。10分前のことはすっかり忘れていて、昨日のことは断片的に覚えていたとしても「一年前くらい」のことになる。
時間も空間も認識がおかしくなっている。寝ていても起きていても、夢の中の世界を彷徨っている感じなのだろう。

2019/01/12

退院


なんとかハイエースの後ろに車椅子ごと乗せた。「帰るよ~」「はいはい~」……ふうう

助手さんと一緒に朝9時半前に施設に行き、車椅子を積んだ福祉車両のハイエースを運転して宇都宮へ。
ほとんどマイクロバス並みの大きさの車を運転するのはこれが人生で二度目だが、一度目がつい先日なので、今回はかなり落ち着いて運転できる。

この病院は土・日・祝祭日と年末年始(12/29~1/3)はお休みなので、駐車場もガラガラ。入り口ロビーに並んだ窓口もすべてカーテンが閉まっている。
売店に入院衣料セットレンタル解約の届けを出し、車椅子を押して病棟へ。
親父はすでに服を着替えさせてもらってベッドに寝ていた。
看護師さんから入院中にできた褥瘡の治療や、主治医、地元整形外科医、訪問看護センター、施設あての引き継ぎ連絡書やら薬やらを受け取り、説明を受ける。
持ち込んだ大型車椅子になんとか親父を抱え上げて座らせ、そのまま病院玄関口へ移動。
さて、ここでどうすればいいの? 窓口はすべて閉まっているし、入院費の精算はどうすればいいの?
持ち込んだ車椅子に乗せた親父を玄関で待たせて、玄関ロビーの中をあちこちウロウロきょろきょろ。ロビーを出て、外のドアとの間の横にあった「夜間非常受付」という、唯一開いている小さな窓口を見つけて中を覗き込むと人がいた。
「退院なんですけど」と告げると、名前を訊かれ、請求書を渡された。
そこに印字されたバーコードをロビー内に設置された自動支払機に読み取らせて、カードで支払い。
窓口に戻って「精算しました」と告げると、そのままあっさり外へ。
診療費・入院費を踏み倒してしまう家族がいっぱいいるらしいが、こういうシステムだと、それも簡単だろうなと思った。
年金もほとんどないような高齢者世帯では、万単位の突然の出費は命取りだろうし、引き取りに来る家族も高齢者で、多少ボケていたりすればなおさらのことだろう。

ハイエースのリフトを使って親父を車椅子ごと乗せていたら、ケータイが鳴った。さっき別れた看護師からで「病室にコップが1つ忘れられていたのですが」という。入院する場合に用意するものとして売店で買ったものだが、プラスチックのコップ一つを取りに長い長い(本当に長い)渡り廊下を戻る気がしないので、そのまま処分してください、と告げた。

3泊4日の手術入院で100万円超は高いか安いか


今回の診療費・入院費の精算書。手術を含む診療費の合計は104万4620円。

ちなみに、3泊4日の手術入院での診療費は合計104万4620円。
他に食事療養費3990円(保険外)と入院に必要な寝間着・オムツセットみたいなやつとバスタオル一枚、歯ブラシ歯磨きセット、コップ、保湿剤やらなにやらの購入……で、合計約7万円の負担だった。
後期高齢者医療保険で1割負担、しかも負担限度額(年収156万円~約370万円の70歳以上は月額上限が57,600円)があるから7万円で済んでいるが、実際には100万円以上軽くかかっているわけで、これでは保険制度が持ちこたえられないだろうなあ、と改めて思った。
この病院のWEBサイトを見ると、整形外科の手術実績は年間約1000件。土日祝日年末年始は休みだから、1日4件くらい手術があることになる。午前に2件、午後に2件というペースで手術をするチームを組んでいて、それ以外に外来を受け付けて診療しているわけだ。
今回の大腿骨頸部骨折というのは、高齢者ではよくある骨折。火曜日に搬送したときも、処置室には救急車で次から次へと高齢者が運び込まれていた。
つまり、今回の親父の大腿骨骨折レベルの患者も毎日のように手術を受けているわけで、手術・入院をこなしていく病院側も大変だ。

90歳の認知症老人に大腿骨骨頭置換手術を施し、手術の翌々日には退院させることや、その数日間の費用が軽く100万円を超えることに驚く人も多いだろうが、どちらもやむをえないことだ。
手術代100万円超を「高い」と感じるのは、国民皆保険のこの国で生活している我々の感覚が、若干麻痺しているからだろう。
冷静に考えれば、これだけの医療を施すのに100万円超かかるのはあたりまえ。
数年前、雹が降って車の屋根やボンネットに凹みができたとき、保険会社の判定は「全損」で、修理代見積もりは軽く100万円を超えていたことを思い出す。
走行が12万kmを超えている車を100万円以上かけて直すなんて考えられないので、結局、全損相当の保険金をもらって37万5000円で売られていたもっと新しい中古車に買い換えたのだった。
車の屋根とボンネットの凹みを直すだけで100万円超なのだから、人間の大腿骨を取りだして金属の人工関節を埋め込む手術が100万円超なのは、むしろ安いんじゃないかとも感じる。これだけの処置をするのに延べどれだけの技術者、専門職が動員され、技術を駆使し、最先端の医療機器や装具を使ったことか。手術に使う道具類も、高価だが使い回しのできないものはきっちり使い捨てるわけだし。
……と考えれば、そりゃあ100万円はかかるだろうなあ、と納得するしかない。

人工股関節の「パーツ」としてのお値段 2018年4月現在。( )内は特殊なタイプの最高額(「人工関節の広場」より転載


「人工骨頭置換手術 費用」で調べてみたら、「部品代」が標準で合計61万1700円。手術代は37万6900円(ナビゲーションを使うとプラス2万円)と決まっているので、単純に部品代と技術料を足しただけでも98万8600円。
入院・手術にかかる費用は、人工股関節の例では、初回・片側の手術で入院期間が2~3週間の場合は約200~250万円
「人工関節の広場」
今回はそれに手術前検査やら輸血やらなにやらが加わっての104万4620円だから、高いどころか最低価格であることが分かる。

それでも100万円超という金額は庶民感覚からすれば「高い」。車の修理であれば「そんなにかかるなら修理はやめて車を買い換える」と即決できるけど、人間の修理はそういうわけにはいかない。
手術が成功しても数年しか生きられないことが分かっている超高齢患者に対しても、保険を使ってきっちり手術をしてくれる。
こうした手厚い手当てを10万円以下の直接負担で受けられる今の高齢者たちは、歴史上初の、極めて稀なる、超厚遇福祉受益者世代といえる。

問題は、この国民皆保険という制度が、今、脅かされているということ。お金がなければ医療を受けられない国になろうとしていること。
そのうち、水道事業みたいに、医療保険や介護保険も自由化して外資系企業に委ねるなんてことになって、金持ち以外はまともな医療を受けられない国になるのだろう。

……なんてことを考えながら運転すると事故を起こしかねないので、極力機械的に動いて、淡々と作業をこなし、親父を施設にまで戻した。

親父は受け答えはなんとかできるが、言っていることは滅茶苦茶。
手術を受けたのは自分ではなく「よしみつ」で、自分も手術を受けたが、その手術をしたのは医者ではなく「よしみつ」で……というようなことを繰り返し言っている。俺は今まで骨折したことはないし、外科医でもないよ~。
病院と施設の場所認識もできていない。移動したことも忘れている。
しかし、食欲はあり、動くことに対しても貪欲。たえず「○○してくれ」「○○がほしい」と、何かを訴えている。これから先が思いやられる。

⇒続く



90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(6)2019/02/16 17:28

2019/01/24

車椅子

今日は訪問診療の日。
施設に行くと、すでに院長が来ていた。親父のために業者さんが見つけてくれた新しい車椅子を初めて見た。
なんかいろいろ乗っかっているので分かりづらいが、とてもきれいで程度がいい。売られた後、すぐに出戻ってきた「新古車」みたいなものらしいが、年式が古い商品のため、かなり安くなっていた。



親父の手術跡。痛々しいが、主治医の院長は「きれいだ」と感心していた。これならやはり手術はしてよかった、と。


親父は身体としては元気で、元気になりすぎて夜中に暴れるのでスタッフは困っているという。やれやれだ。
車椅子はまだしも、褥瘡や入院中にできた原因不明?の傷の手当てに使うジェリー付きの絆創膏みたいなものが高くて、1箱1万円以上する。なんかもう、毎月の赤字がうなぎ登りで、恐怖。

2019/02/06


オムツのお勉強


手術は成功したものの、親父の認知症がどんどん悪化して、夜に問題行動を起こし続けている。そのことで疲れが溜まり、一月後半は鬱状態にならないように気持ちをコントロールするのが大変だった。
戦わず、寝られるときは寝る。

あっという間に月が変わり、今日はオムツデイ。オムツの買い出しに行かなければならない。先月のオムツ買い出しは親父の手術と重なり、ヘトヘトだったのだった。あれからもうひと月経ったのか……。
今日は少しゆっくりしようと、ドラッグストアに向かう前に外でランチを食べていたら、店を出てすぐ、あ! オムツ券を忘れた!! と気づいた。
やれやれ。しょうがない。一旦家に戻ってオムツ券を財布に入れて、施設に立ち寄って、どんなオムツを何枚買えばいいのかを確認。
施設では買う物をメモにしてあったが、何度見てもよく分からない。
結局、ドラッグストアの売り場で3回も施設スタッフに電話をかけて
「背もれ横もれを防ぐテープ式はMでいいの? 30枚入りだといくつ? 夜用の10回まで大丈夫ってやつはまだストックあるの?」みたいなやりとりを繰り返したのだった。やれやれ。
↑これだけの種類・数のものが一か月で消費されるという怖ろしい現実! スタッフも「あんなに積み上げてあったのに、なんでもうないの?」と、月末には唖然とするとか。親父と義母の二人分で毎月軽く2万円超え。自分もこれをする日が来るのかなあ……と思うと、疲れるわ……。やれやれ。

オムツいろいろ
↑なんとか買って施設に届けると、シバニャンがこれを準備して待ち構えていた。「全部1つずつサンプルとして揃えておきましたのでプレゼントいたします」だって。
「どれがどういうものか分かってもらうために……」と。
中身を見ても、買うときはパッケージを見て区別するから分からないよ、と言ったのだが、彼女は「私たちはこれだけのものを苦労して使い分けているんです」ということを教えたかったのだと、すぐに理解できた。ごめんね。勉強不足で。真ん中辺に写っている小さなメモはシバニャンが僕らに教えるために書いてくれたイラスト入りの説明書き。
ほんと、文字通りの汚れ仕事は全部任せてしまっていて後ろめたい。家で介護していたら、否応なくこれと毎日格闘しなければならないんだよね。
ちなみに左端のシンプルに長いやつは、訪問看護師さんが褥瘡などの治療をするときにジョワ~っと漏らしたり、びちびちウンチがオムツからはみ出してシーツについたりすることが多いので、予防のために下に敷くのだとか。「高いから、なるべく使わないように言っておきます」なんていうけど、いへいへ、とんでもない。どうぞふんだんに使ってください。
それにしても、こういうものがなかった昔(つい数十年前)はどうしていたのか。……どうもしていなかったんだわね。こうなる前に死ぬ人が多かったし、こうなったら放っておかれて、やはり長くは生きられず、死んでしまったわけだろう。


その訪問看護師さんが僕ら家族に様子を伝えるためのメモ↑↓ ありがとうございます<(_ _)>



手術する直前、大腿骨骨折がまだ分からなかったときの介護ノート。痛みを訴えず、夜中に騒いでいたのだから、骨折だと分からなかったのも無理はない。どっちみち年末年始で病院は休みだったし……。



↑1月27日の介護ノート。手術跡に貼ってあったテープを夜中に勝手に剥がしてしまった。


1月29日の介護ノート。

身体は修理できても脳はできない

親父の夜の譫妄と問題行動はエスカレートするばかり。
大腿骨骨折して、しばらくは動けずにおとなしくなるかと思いきや、逆で、ベッドから這い出して床の上に寝ていたり(おかげで作らなくていい褥瘡ができる)、すっぽんぽんになって大声で歌を歌ったり、壁をドンドン叩いて喚いたり、果てはベッドから手を伸ばして丸椅子を投げつけたり……。
あまりにひどいので、義母用に処方されていた精神安定剤を飲ませたりしたそうだが、まったく効果なしとのこと。
ひどいときは3日くらいずっと起きていて、寝ない。おかげで頬がこけてきた。
それでいて食事だけは完食するという。
手術後の傷の治りも完璧で、何かの拍子に立ちあがったりするらしいので、そのまままた倒れて骨折されるのが怖い。
この状態だと、たいていの施設では縛り付けられて終わりだろうが、それはしたくないので、みんな困り果てている。

助手さん曰く「お義父さんって、狼男みたいね」
狼男なら月夜の晩だけだから、よほど始末がいい。これが毎晩では……ねえ……。スタッフがまいってしまう。

昼間の様子だけしか知らない僕らは、なかなか想像ができないのだが、これが認知症老人(しかも中途半端に身体が動く)のいちばん怖ろしいところなのだ。他にもこうした事例はいっぱいあるようで、「うちもそうだった」「まさにそれ!」といった声が最近よく寄せられる。
興味深いのは、親父だけでなく、認知症老人が言う「帰る」は、自分の家ではなく、自分が生まれ育った昔の家のことが多いようだ。義母の「家に帰る」も、よく訊くと、何十年も住んでいた自分の家ではなく、子供のときに住んでいた家(もうない)のことなのだ。
夢の中でだけ認識している地図というのがあって、夢を見ているときはその場所を知っているのだが、目が醒めてみるとそんな世界は存在しない。
認知症老人は、夢と現実が錯綜しているような世界に生きているのだろう。だから昼と夜の区別もどんどん曖昧になり、時系列の認識が滅茶苦茶で、最後は家族も認識できなくなる。

テレビをつければ、僕よりずっと年下の岸本加世子(まだ50代)が、「案外気にならないね」なんて、大人用オムツのCMをやっている
オムツをしなければいけない日、というだけなら、身体のことだからまだいい。脳が、ただボケて弱ってくるだけでなく、完全に「壊れる」日が来るかもしれないというのがいちばん怖い。
肉体は動いていても、もはや自分が自分でなくなっている……ゾンビ映画の恐怖に通じるものがある。

2019/02/07

親父の介護会議


オムツデイの翌日は、訪問医と看護師、訪問看護師、ケアマネジャー、施設長、それに介護用品レンタル会社の担当者までが集まって、手術後の親父の介護をどうやっていくかという会議を開いた。
本人のいる場で……というポリシーで、親父のベッドの周りを大人7人がぐるりと囲む形で集まった。院長の「まずはみなさん自己紹介から」との言葉で、スタート。大人7人に囲まれた親父はキョトンとしている。さながら涅槃図のようで、よほど立ちあがって俯瞰から写真を撮りたいと思ったが、ぐっと我慢。
一人の認知症老人のために、エキスパートが何人も集まって真剣に知恵を出し合う。涅槃図の中心にいる親父はなんて恵まれているのだろう。
議題の1つは、夜中にベッドからズリズリと這いだして床の上に転がってしまったり、大声で歌を歌い始めたり壁をどんどん叩き始める親父をどうするか、だった。
訪問看護師さん「事務所でもみんなから意見が出たんですが、最初から床の上に寝かせたほうがいいんじゃないか、と」
施設長「それはもちろん考えたんですけど、それだと夜間、女性スタッフ一人だけのとき、対応ができなくなるんですよ。腰痛持ちのスタッフもいるから、動かせない」
介護用品レンタル会社の人「いっそ、ベッドの柵を4つにして囲ってしまえば……」
施設長「それは怖すぎる。このかたの場合、絶対にそれを乗り越えようとしますから、落下する地点を上げるだけ。今度骨折されたらどうしようもない」
院長「落ちたときのショックを和らげるように下にクッション性のあるカーペットを敷くとか」 ……なんていう議論が続くのである。
で、たどり着いた結論は、ベッドの柵を3か所にして、1か所だけ開けておけばそこから這い出すだろうから、その下にマットレスを敷いておけばどうか、という奇策。介護用品レンタル会社の人が提案。
「一種の誘い出しトラップみたいなものですけど」
あたし「敢えて反対側の柵のほうから乗り越えようとしないですかね?」
施設長「それはない。絶対にない。本能的に、開いているところから出ようとするはず」
……で、この案が採用された。
今使っている電動の昇降式介護ベッドレンタル料の他に、柵1本追加のオプション費用。マットレスは無料で貸し出せるようなのを探しますとのこと。

夜中にすっぽんぽんになって歌を歌ったり動き回ったりするのは、とりあえずつなぎ式のパジャマを着せる(自分では脱げない)ことで半分対応しているのだが、なんと、ついにそのジッパーをつなぎの裏側に手を入れて内側から引き下ろすという技を習得してしまったそうで、夜中に様子を見に行くとほとんど脱ぎかけていたとか。
褥瘡防止にと入れているクッションもすべてどかして放り投げてしまう。
大声を出したり壁を叩いたりするのは、精神安定剤も効かないというので、僕のほうから「メマリーとかは試してみる価値はないですかね」と院長に提案してみた。
「期待はできないけど、一度やってみますか」ということに。

ベッドの周りでみんながそんな風に会議しているのを、親父は静かに見守っている。この場面だけ見たら、誰も夜の変貌ぶりは想像がつかない。
90歳なのに身体の回復力は素晴らしく、すでに手術跡はきれいに治っていて、脚も動かせる。皮肉なことに、もともと固くて関節がちゃんと曲がらなかった左足よりも人工骨頭を入れた右脚のほうが動きがよくなっている。元気になりすぎて、また骨折しそうだということで、みんな知恵を出し合っているわけだ。
普通ならベッドに縛り付けられておしまいだろう。そうしないで、いかにこの環境の中で気持ちよく過ごしてもらうことができるかを、立場の違う専門家が何人も集まって知恵を絞っている。なんて贅沢なんだろう。王様の待遇だ。ここまでしてもらっている老人が、世界中にどれだけいるだろうか。対応してくれる人たちには、ほんとにいくら感謝してもしきれない。

アルツハイマー型認知症は、発症が分かってから10年くらいで、身体の機能もダメになり、寝たきりになり、そのまま死に至るというのが通説のようだが、親父はその10年をすでに超えている。
どれだけボケてしまっても、幸せを感じられる瞬間がある限り長生きさせてあげたいと思うのだが、このまま夜の「狼男化」が続くと、施設のスタッフがまいってしまうだろう。それがいちばん心配だし、心苦しい。
もちろん僕らもまいっている。精神的にも経済的にも。

2日後、遅れていた介護度判定が出た。親父の要介護度は3から5に上がった。