明治神宮の杜から考える菅総理の「教養」問題2020/10/13 14:40

明治神宮内陣に置かれていた獅子・狛犬(「明治神宮御写真帖」より)
フェイスブックの「狛犬さがし隊」での書き込みがきっかけで「明治神宮の内陣にある狛犬」について調べてみた。
その内容は⇒こちらの日記に詳しく書いたが、ごく短くまとめると、
  • 大正9(1920)年に創建されたとき、内陣には彫刻家・米原雲海に依頼して彫らせた木彫狛犬が置かれた。
  • その狛犬は国の重文指定されている大宝(だいほう)神社(滋賀県)の木彫狛犬のコピーであり、同様のものは日光東照宮陽明門にもある。これは全国の護国神社などでよく見られる「岡崎古代型」狛犬の手本にもなった人気のある狛犬である。
  • その写真は明治神宮創建時に発行された「明治神宮御写真帖」(帝国軍人教育会編纂)に掲載されていて、写真キャプションには「内陣御装飾の獅子狛犬」とある。
  • 同書付属の解説には「神社用の装飾は、国民崇敬の中心率とならねばならぬから、故実に準拠することは、我が国体の上から見ても争われぬ事項に属する。」とある。
  • つまり、大宝神社の木彫狛犬は「国民崇敬の中心率となるべき故実」であると認定されていたらしい。
  • 明治神宮は昭和20(1945)年4月のアメリカ軍による空襲で1300発以上の焼夷弾を落とされてほとんどの建造物が焼け落ちている。おそらく当初の「内陣の狛犬」もそのとき消失しているはずで、現在も内陣に狛犬が置かれているとすれば、戦後の昭和30年代以降に作られたものであろう。
……といったことだ。

閑話休題。

で、これを調べている際、1300発以上の焼夷弾を受けて建造物がほぼすべて消失したにも関わらず、神宮の杜は燃えずに残り、今も立派な「ほぼ天然林」の様相を呈している理由について、改めて考えさせられた。

「杉林にしろ」と命じた大隈重信首相

Googleで「明治神宮 空襲 大隈重信」などで検索するといくつもの記事、資料が出てくる。
まずは明治神宮のサイトにこういう記述がある。
造営にあたり、本多静六、本郷高徳、上原敬二ら林学の専門家たちは、何を植えたら「永遠の杜」になるかを考え、将来的に椎・樫・楠などの照葉樹を主な構成木となるように植えることを決定したのです。
理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていったのでした。そこで百年先を見越して明治神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。
ところが内閣総理大臣であった大隈重信首相は「神宮の森を薮にするのか、薮はよろしくない、杉林にするべきだ」として伊勢の神宮や日光東照宮の杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいました。
林苑関係者は断固として大隈重信の意見に反対し、谷間の水気が多いところでこそ杉は育つが、この代々木の地では不向き、杉が都会に適さないことを林学の見地から説明してようやく納得させたそうです。
明治神宮WEBサイト「杜・みどころ」より)


ナショナルジオグラフィックの特集記事「鎮守の杜に響く永遠の祈り 日本人が作った自然の森──明治神宮」にも、こんな記述がある。

1915(大正4)年4月、日比谷公園の設計などで知られる林学博士の本多静六、やはり日比谷公園の設計に携わった造園家の本郷高徳、日本の造園学の祖とされる上原敬二といったそうそうたる顔ぶれを集め、実行機関である「明治神宮造営局」が発足。森の造成計画が本格的に始まった。
(略)
古代の神社には社殿のような建物はなく、動物や植物を神霊としたり、森そのものを神社と考えていた。
 「神社の森は永遠に続くものでなければならない。それには自然林に近い状態をつくり上げることだ」――これが基本計画の骨子となった。
 計画の中心を担った本多、本郷、上原の3人が主木として選んだのは、カシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹だった。もともとこの地方に存在していたのが常緑広葉樹であり、各種の広葉樹木の混合林を再現することができれば、人手を加えなくても天然更新する「永遠の森」をつくることができると考えたからだ。
 ところが、この構想に当時の内閣総理大臣・大隈重信が異を唱えた。
(略)
「明治神宮の森も、伊勢神宮や日光東照宮のような荘厳な杉林にすべきである。明治天皇を祀る社を雑木の(やぶ)にするつもりか――」

これに対して本多博士らは、「東京の杉と日光の杉について樹幹解析を行い、日光に比べていかに東京の杉の生育が悪いかを科学的に説明することで、ようやく大隈首相を納得させた」という。

このときに大隈首相の主張に従って杉を植えていたら、東京大空襲にも耐えられなかったし、今、あれだけ立派な森にはなっていなかった。

大隈重信といえば、かつて朝日新聞AICでの連載拙コラム『デジタルストレス王』や、拙著『日本のルールは間違いだらけ』(講談社現代新書)にも書いたが、日本の鉄道の多くが世界標準の1435mmよりずっと狭い1067mmという「狭軌(きょうき)」規格のままここまできてしまったことにも少なからず責任がある。
明治政府で鉄道導入を進めていたのは大隈重信らだったが、知識も経験もないため、技術も資材も全部イギリスに頼っていた。
イギリスで標準軌が定められたのは1846年(弘化3年=江戸時代!)だから、明治になって鉄道を導入する日本でも当然この標準軌を導入すればよかったのだが、「元来が貧乏な国であるから軌幅は狭い方が宜からう」と、当時、イギリスの植民地で多く採用されていた1067mmという規格が採用されてしまった。
デジタルストレス王 2005年5月「福知山線事故は明治政府の責任?より)

もし、本多静六らが必死で大隈重信を説得して杉林計画を断念させなかったら、今のような明治神宮の杜はなかったのだ。

さて、現在の日本に、政府のトップの意向に敢然と異を唱え、正しい施策に導こうと奮闘する学者や官僚がどれだけいるだろうか
知らないうちにアベノマスクだのGOTOキャンペーンだのといったとんでもない愚策が首相官邸や一部の利権政治家の意向だけで決まってしまい、官僚も、それがどれだけ馬鹿げた、マイナス要因だらけの施策であるか分かりながら、ひたすら追従する。それどころか、政権中枢に都合の悪い証拠や文書を隠蔽・改竄することもいとわない。
今の政治や行政の劣悪ぶりは、昭和どころか、明治、大正時代以下なのではないか。
その状況をしっかり伝えないどころか、一緒になってオバカ広報に堕してしまっているメディアの責任はさらに重い。

日本学術会議の会員任命に際して6人を外した菅義偉総理大臣に対して、静岡県の川勝平太知事が「菅義偉首相の教養レベルが図らずも露見した」「本当に残念。文部科学相はこういうことに一家言を持ってないと大臣の資格はない」「(菅氏は)学問をされた人ではなく、単位を取るために大学を出られたんではないかと思う」などと述べたことに批判が集まったなどというニュースを読んだが、川勝知事が言うように、これらの発言を「訂正する必要はない」。
100年後の世界に思いをはせない知性は、本当の教養とはいえない。


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