ウィズコロナ時代が教える固定観念の脆さ2021/01/14 15:38

序章:幸福は「相対的な価値」

コロナと共に生きていかなければならなくなった2020年以降、いやが上にも生活スタイルや従来の価値観を見直さざるをえなくなりました。
政治や社会体制に絶望したり怒ったりしているだけではどうにもなりません。ひどい社会でも、自力で生き抜く術を構築していくしかないのです。

ただでさえ苦しい生活だったのに、コロナで仕事の継続も難しくなり、これ以上何を「自力」で頑張れるというのだ、と反発するかたも多いでしょう。しかし、誰も助けてくれませんし、一時的な援助では根本的な解決にはなりません。
まずは、「考え方を変える」こと、今まで自分の中で「常識」「絶対」だと思っていた尺度を根底から見直すことから始めませんか。
具体的な技術や方法はそれからです。

固定観念に殺される時代

 2020年代を生きている私たちの大多数は、幸いにして戊辰戦争も太平洋戦争も関東大震災も経験せずに済みました。
 私は65歳を過ぎた「高齢者」ですが、戦後の高度成長時代やバブル経済を知っています。しかし、そうした時代は人類の長い歴史の中では、極めて特殊な、ほんの一瞬のことです。
 その特殊な、一瞬の時代に植えつけられた「常識」は、もはや通用しなくなっているのですが、多くの人が、未だに気づいていません。

 戦後の日本は概ね平和でしたが、経験した大きな災厄の一つに、2011年3月の東日本大震災と福島第一原発(1F(いちえふ))の爆発~放射性物質の大量ばらまきがあります。
 1Fが壊れて大量の放射性物質をまき散らした2011年3月12日、私と妻は福島県の川内村というところで暮らしていました。
 私たちはテレビで原発が爆発するシーンを見てすぐに逃げましたが、1か月後には自宅周辺の汚染状況を把握できたので、敢えて全村避難している村に戻って生活を再開しました。
 そのとき、壊れた原発内で放射線測定をする仕事を続けている20代の青年と話をする機会がありました。
 勤めている会社の社員半数は原発爆発後に辞めていったそうです。その半数の社員のように会社を辞めることをせず、放射能汚染された原発敷地内で仕事を続けているのはなぜかと訊いてみました。何か使命感のようなものからなのか、と。
 彼の答えは実にあっさりしていました。「嫌だけれど、他に仕事がないから辞められないだけだ」というのです。
「今のいちばんの望みは、被曝線量が限度になると他の原発でも働けなくなるので、そうなる前に他の原発に異動できることだ」とも言っていました。
 何よりも驚いたのは、「この村に生まれた以上、原発関連で働くしかない。そうした運命は変えようがない。仕方がない」という言葉でした。
 まだ20代の若さでありながら、転職する気力もなければ、ましてや起業して自立するなどというのは「無理に決まっている」というのです。
 つまり彼は、原発が爆発するという異常事態が起きてもなお、自分が勤めている会社と自分との関係、自分が生まれた土地と自分の人生との関係を相対化できず、絶対的なものだと感じているわけです。
 おそらく、子供の頃は彼にも将来の夢があったでしょう。それがなぜそうなってしまったのか。
 これを読んでいる多くのかたがたは、その青年の考えは異常だと感じるでしょう。仕事を変えるとか、生まれた土地を離れて新天地を探すなんてことは人生においていくらでもありえることじゃないか。何をバカなことを言っているんだ……と。
 私もそう思うので、彼の言葉にショックを受けたのです。
 しかし、彼のような感じ方、考え方をしている人は、案外多いのです。因習の強い田舎にだけではなく、都会にもたくさんいると思います。
二者択一ではない
 大人になるにつれ「仕方がない」「これが運命だ」と諦めて、自分からは何もしなくなってしまう。人をそうさせてしまう風土や社会の空気、仕組み(システム)を「絶対化」させてしまう傾向というのは、都会より田舎に顕著だとは思います。田舎に生まれ育つと、自分が置かれた境遇を絶対視しやすくなるのでしょう。
 しかし、情報や基準値を絶対化させてしまう過ちは、メディアに振り回されやすい都市生活者のほうが陥りやすいかもしれません。
 原発が爆発したときのことを思い出してみてください。
「放射能汚染された福島にはもう住めない。それなのに子供と一緒に住んでいる親は無責任だ」とか、「危険なのに安全だと言って無理矢理住民を帰そうとしている政府は人殺しだ」といった批判の発信源は、主に都会で暮らしている人たちでした。
 そうした批判の一部は正しくても、一方的に発せられるそうした論に対して、汚染された土地、特に福島県内で暮らしている多くの人たちは、迷惑この上ないと感じていました。
 放射性物質がばらまかれたのですから、それ以前よりも危険が増したことは間違いありません。しかし、人が生きていく上で、危険や困難は他にたくさんあります。
 うっすら汚染された場所で生活を続けていく危険より、家族がバラバラになったり、収入が途絶えたり、生き甲斐をなくしたりすることによる危険、あるいは不幸になる度合や加速度のほうがはるかに大きいと判断することは間違いではありません。
 あのときに起きた「年間20ミリシーベルト論争」も、数値を絶対化してしまうことから生じた対立といえます。
 20ミリシーベルト論争を忘れてしまったかたのために、少しだけ解説しておきます。
 日本には「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」というものがあり、そこで「人が放射線の不必要な被ばくを防ぐため、放射線量が一定以上ある場所を明確に区域し人の不必要な立ち入りを防止するために設けられる区域」として「放射線管理区域」というものを定めています。
 その条件の一つに「外部放射線量が3か月あたりで1.3mSv(ミリシーベルト)」というのがあります。3か月で1.3mSvということは年間で5.2mSvであり、1時間あたりにすれば0.6μSv(マイクロシーベルト)になります。
 ところが、福島第一原発が壊れて大量の放射性物質を環境中にばらまいてしまった後は、暫定基準としつつも、年間20mSvまでは健康被害はないと考える、ということにしてしまいました。
 これに対して、「とんでもない話だ」という人たちと「ヒステリックに騒ぐのは愚かだ。冷静になれ」という人たちが真っ向から対立し、議論も噛み合いませんでした。
 20mSvという数値のことでいえば、安全か危険かということ以前に、都合が悪くなったので一気に基準を引き上げるという姿勢がまずダメです。
 なぜこんなことになってしまったのか、責任は誰にあるのか、そうなってしまった以上、これからどうするべきなのかという話が全部棚上げ、無視されたままで「20mSvで大丈夫です」と、そこだけはさっさと決めてしまう。そうした不誠実さがまずは追及されるべきですが、実際にはそうなりませんでした。
 また、「大丈夫」派は「チェルノブイリに比べれば放出された放射性物質はずっと少ない」という言い方をしますが、これは一見、チェルノブイリ事故との相対化をしているようでいて、実際にはチェルノブイリ事故の数値を絶対化して、「あれに比べれば……」という論法に持ち込んでいます。
 チェルノブイリも「フクシマ」も、放出された放射性物質の絶対量や汚染された土地の面積規模が問題の本質ではありません。
 そういう事態に至らせた人間側の問題、社会やシステムの欠陥を見ていかなければ何の解決にもなりません。

 ……と、解説が長くなりましたが、振り返ってみて、あのときの状況は、2020年からのコロナ対策論争にそっくりだと思いませんか?
 「一刻も早く緊急事態宣言を出すべきだ。従わない者には厳罰を与えろ」という人がいるかと思えば、「コロナなんてただの風邪だ。日本ではコロナで死ぬより生活困窮で自殺する人のほうがずっと多い」という人もいます。
 感染対策か経済優先かという二者択一論のような論法も、原発爆発後の「放射能は安全か危険か」「汚染された地域の避難解除をするにも、経済的インフラを戻すのが先か、人が戻るのが先か」といった論争の二極論に似ています。
  • 放射能汚染が低くなった場所は避難指示を解除して復興を目指せ。
  • しかし、働き手世代は仕事のなくなった場所には戻れない。
  • 子供を抱えている親は放射能が不安で子供と一緒には戻りたくない。
  • 年寄り世代は住み慣れた家に戻りたいけれど、子供世帯は戻ろうとしないから独居老人世帯にならざるをえない。
  • しかも、田畑は荒れてしまって、今まで生活のリズムを作っていた農作業もできない。

 こういう負のスパイラルを抱えた地域に暮らしていた、あるいは今も暮らしている人たちにとって、放射線量が高い低い、安全か危険かといった二極論的議論はあまり意味がないのです。

 これと同じようなことが、2020年からのコロナ禍社会で繰り返されています。
 感染防止優先か経済優先かという二者択一論は、実際に影響を受ける職種や現場の人たちにとっては「なんにも分かってない!」という怒りを買うだけのことです。
 そして、政治が無力である、無力どころか、火事場泥棒的な犯罪に近い利権探しだけはしっかりやる、という点でも、同じことの繰り返しです。

 ただ、今回一つだけ違うのは、相手が時間と共に薄れていく放射能ではなく、下手をするとどんどん増えていくウイルスだということです。
 人と人の絆がどうのというお題目は通用しません。人と接触してはいけないというのですから、今まで「よきこと」とされていたもの、幸福感を生み出す源が、根こそぎ否定されることになりました。
 それによって、くだらない会議や宴会、接待が減り、通勤ラッシュが緩和されるのはいいことですが、人と直接触れあうことで得られる情愛や学びが失われる社会になりました。
 これを個人の努力で変えることはできません。
 そういう厳しい前提の上で、「幸せビンボー」の具体的な方法を探っていかなければなりません。
 つまり、今までの常識を改めて見直しながら、これからの常識を探りつつ、できる範囲内で幸福度を「相対的に」上げていく具体的な方法や人生哲学を見つけていくしかないのです。



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今の生活は本当に変えられないのか?2021/01/14 15:48

序章:幸福は「相対的な価値」(2)

世の中で「絶対」と呼ばれているもの、考えられているものも、見方を変えればすべて相対的です。
もっとも、私たちは日常生活の中でそんなことを意識してはいません。考えないほうが楽だからです。いちいち何かと比較しながら物事を決めていたら、時間がかかって仕方ありません。
昼飯を何にするかで悩むのが面倒だから「月曜日はカレー」と決めてしまう程度のことなら、人生が大きく壊れることはないですし、そのルールを決めるのが自分自身であれば、いつでも変更は効きます。
しかし、行動の基準を絶対的なものだと認めてしまうと、人生が簡単に壊されることもあります。
仕事がなくなる、学校が変わってしまう、友人関係が壊れる……そうしたことに縛られて、人生全体を台なしにしてしまうこともあります。
今のあなたの生活基盤……本当に変えられないものですか?

自分の人生を縛っているものとは?

 私はよく、「あんたは器用でいろいろな才覚があるからどこにいても生きていけるんだろうが、そんな生き方は一般の人には真似できないよ」と言われます。
 しかし、私は人一倍不器用な人間です。自慢じゃありませんが、この不器用さゆえに、人生ずっとビンボーです。
(「貧乏」と書くと、貧しく乏しい人生のようで悲しくなるので、「ビンボー」と表記しています)
 私の年収は日本人の平均年収(400万円台?)のせいぜい半分くらいです。それでも、極貧だと思ったことはありませんし、ひもじい思いをしたこともありません。(子供時代はかなりひもじい思いもしましたが)
 もちろん、どんなに工夫をしても、努力しても、最低限の金がなければ不幸や不運は乗り切れないかもしれません。
 自分の人生を振り返ってみると、川崎市に木造長屋を買ったときも、越後に家を買ったときも、それを中越地震で失って福島県川内村の山中に土地と家を買ったときも、千万単位のお金は持っていませんでしたが、百万単位のお金は持っていました。
 もっとお金を持っていれば、選択肢は一気に広がっていたでしょうが、ないものはどうしようもないので、そのときどきに使える金額の範囲内で選択をしていくしかありませんでした。その決断に必要なのは、特殊な才覚、能力ではなく、少しの勇気と発想の転換です。
 給与生活者は特定の土地(職場に通える範囲)に縛られて生きていくしかないと思い込みますが、通勤生活が一生続くわけではありません。退職後の生活を今までと同じ土地で暮らさなければいけない必然性は何もないはずです。
 また、人生の幸福度数を考えたとき、勤めを辞めて別の土地に移り、今持っている金の範囲で違う生活を始めるという選択は年齢に関係なく可能でしょう。

 子育て世代の人たちからは「子供の学校のことを考えると転校させるのは可愛そう」などという声をよく聞きますが、子供の幸せではなく、そう思い込んでいる自分の生活を変更するのが怖いだけではないでしょうか。
 子供は養育されている間は親についていくものです。怒られるのを承知でいえば、子供は人間なのだからどんな環境でも順応して生きていけますが、一緒に暮らしている犬や猫を連れて行けないとか、親の痴呆症がどんどん進んでいくのでひとりにしておけないといった問題のほうがよほど解決が難しいように思います。

 阿武隈に住んでいた7年間で友人になったマサイさんは、若いときに仲間と一緒に電気も水道も、道さえもない山奥に「獏原人村」というヒッピーコミューンを作って勝手に住み始め、地主にばれてからはその土地を買い取って、今も自給自足生活を続けています。かつて獏原人村の人たちはそこで子供を作り、育てました。子供たちも、就学年齢になると、ちゃんと村の小学校、中学校に通い、その後立派に独立していきました。
 私にはそんな友人たちが何人もいます。
 私自身はそこまではできませんし、そうした生き方を推奨しているわけでもありませんが、今の日本では、よほどの不幸・不運を多重債務のように背負い込まない限り、どうにでも生きていけるはずだとは思っています。
コロナ時代の稼ぎ方
 ウィズコロナ時代になって、さかんに「リモートワーク」ということがいわれるようになりました。
 会社のオフィスにわざわざ行かなくても、自宅でできる仕事は自宅でしよう、ということですが、これをもう一歩進めて考えれば「そもそも会社に雇われている必要があるのか」という考え方に行き着くかもしれません。
 仕事の内容にもよりますが、今まで会社で積み重ねてきた経験と技術をもとに独立できないか、考えてみてはどうでしょう。
 今まで会社内で「効率が悪いな」「俺ならこうするのに」「こんなことでいいのか」といった疑問や不満を抱いていたことを、独立して実際にやってみるいいチャンスかもしれません。
 これからは大量生産・大量消費の時代ではありません。少子高齢化社会で、スキマ産業やきめ細かなサービス業、ネットを駆使したビジネスが生き残るはずです。
 独立する最大のメリットは「無理をしなくていい」「大きく儲けなくていい」ことです。自分が満足できて、生活が続けられればいいのです。仕事をすることに幸せを感じられる人生こそ、最も「効率のいい」幸福です。
リタイアしてから考えるのでは遅い
 今の時代、企業に所属する給与所得者(正規雇用者)になることさえも大変になりましたが、定年まで給料をもらって暮らしてきた人は、それまでの仕事の流儀や金銭感覚からなかなか抜け出せず、プライドも高いので、価値観の切り替えに失敗することが多いようです。
 家計のやりくりは妻に任せ、会社では経費を使って大きな仕事をしているというような人ほど、名刺の肩書きも給与も目の前の仕事もなくなる退職後、気持ちの切り替えができません。

 Aさんは大手出版社で定年まで雑誌の編集者をしていました。職場では毎晩最後まで残って仕事をし、その真面目さは上司からも評価されていたようです。
 そんなAさんも、若いときには絵描きを志していたそうで、それを知っている家族は、定年後は忙しすぎたサラリーマン時代の時間を取り戻すように、趣味三昧の生活を送るのだろうと思っていました。
 ところが、編集業が身体の奥まで染み込んでしまったのか、Aさんは退職後も知人が起業した編集プロダクションに誘われるまま仕事を続けました。しかも、その知人の「会社を立ち上げたばかりで余裕がないから、交通費しか払えない」という無給の条件をのんで事務所に通い続けたのです。
 当然家族は「そんなバカなことはやめてください」と言いましたが、Aさんは頑として聞かず、退職後も毎日終電で帰宅するような生活が続きました。
 10年後、その編集プロダクションはつぶれました。
 Aさんにとって、人生でいちばん楽しく過ごせたかもしれない60代の10年間はそうして消えてしまいました。
 私は出版に関しては素人ではないのでよく分かっていますが、Aさんが編集者をしていた時期は、印刷・出版業界が、活版~写植印字~DTPと変化していった時代です。退職した頃にはDTPに完全移行する直前で、コンピュータが操作できないと編集作業はできない時代になっていました。写植時代の経験はDTP時代にはあまり役に立たないどころか、場合によっては邪魔になることもあります。
 DTP時代をあまり経験していない熟年世代編集者が集まって立ち上げた編集プロダクションが、バブル崩壊後の厳しい出版業界で生き残れるはずもなかったのです。
 ですから、Aさんはきっぱり編集という仕事を忘れて、本来自分が何をしたかったのか、これから何をすれば幸せな時間が過ごせるのかを真剣に考え、生き方を選択すべきでした。
 Aさんは会社勤めを真面目に続けるうちに、いつしか自分の幸福感や価値観が、会社で与えられた仕事をこなし、出世していくことにリンクしてしまったのでしょう。
 同僚より仕事ができると上から有能だと評価される、そうした皮相的な相対性の中でのみ、幸福感、満足感を得ていたのだと思います。
 そうした仕事の経験に根ざすプライドも、相対する価値観が変われば見直すしかありません。
 Aさんが大切にするべきだったのは、編集という仕事の技術ではなく、今まで経験してきたことや知識を生かして新しい価値観を見出し、それを残りの人生の中で新しい形に再構築することだったと思います。
 年金をしっかりもらえる世代という幸運を生かせず、60からの楽しい人生を棒に振ってしまったのは残念でなりません。
「生涯現役」の覚悟
 私自身は今までの人生で、企業に勤めたことがないので、「固定給」や「賞与」をもらったことがありません。
 私が20代の頃は今とは違って「企業に就職するのがあたりまえ」という価値観が支配的な社会でしたから、一生、企業には所属しないという生き方を選ぶことは、多少の勇気が必要でした。
 一生、企業や組織に所属しない、通勤もしたくないという生活を実現するために、年金生活も最初から諦めました。
 企業や組織に勤めたことがない人間は国民年金のみですが、受給額は、保険料の納付月数で決まるため、20歳から60歳までの40年間きっちり保険料を納めた場合の上限が年額約78万円(月額約6万5000円)です。40年間しっかり納めている人ばかりではないため、国民年金の平均受給月額は、約5万6,000円だそうです(2019年)。
 最低受給資格期間の10年間(平成29年度より)であれば月額約1万6000円です。これは現在の年金の月額保険料(1万6540円)とほぼ同じなので、受給資格を得てから10年以上もらい続けてようやく「元本割れ」がなくなる計算です。
 これは40年間完全に支払い続けた場合も同じことで、要するに受給資格を得て(現在は65歳から)後に10年は生き続けないと元が取れないのが国民年金です。
 これからの時代、大規模災害や世界規模の戦争、テロ、資源枯渇と環境汚染……と、命を脅かす要因は山のようにあります。いつまでも平均寿命が80代のまま続くとは限りません。
 しかも、払った金は確実に消えますが、将来、年金がもらえるかどうかは分かりません。年金システムが破綻するのはほぼ確実なわけで、もらえるとしても今のような金額ではない可能性が高いでしょう。
 ギリギリの経済状態で人生のいちばん大切な時期を生きている若い人たちが、自分が生きているかどうか分からない65歳から(70歳からに引き上げることも検討されています)の人生で、もらえるかどうか分からない月額数万円のために月々1万6000円以上の保険料を払いたくなくなるのは当然のことでしょう。月に1万6000円あれば、今、家賃4万9000円のアパートに住んでいる人は6万5000円の部屋に住み替えられる計算です。どれだけ住み心地がよくなることか……。
 一方で、高度成長時代を生き抜いた熟年世代では、厚生年金の分が膨らみ、かなりの受給額になっていて、年金だけで余裕のある生活をしている人がたくさんいます。
 私の回りを見ても、高度成長時代に公務員や一流企業で高給を得ていた人は、月額20万~30万の年金をもらっているケースが珍しくありません。現代日本は「年金格差社会」なのです。

 私は「仕事ができなくなったときが死ぬとき」という覚悟で、自由業、自営業という生き方を選びましたから、年金に関しては最初からないものとして人生設計していました。
 年金ゼロということは、収入を得られなくなった後は、蓄えだけで生き延びるしかありません。常に、預金が毎年どれだけ目減りしていくかを見ながら生きています。
 それでも、今のところビンボー生活が不幸だと感じることはありません。
サイレントマジョリティの呪縛
 コロナ禍が訪れた2020年よりずっと前から、日本では世の中の空気が戦前に似てきたと言われていました。
 2019年に亡くなった私の父は昭和3(1928)年生まれで、陸軍士官学校で終戦を迎えましたが、何度もそう言っていました。
 政治は一党独裁に近い状態で、明らかな不正がまかり通り、それを阻止し、罰する役割の人たちがまともに仕事をしません。
 こうした傾向を支えている人たちはどういう人たちでしょうか。
 ネトウヨと呼ばれる排外主義的な人たちの言動がよく話題になりますが、いわゆるヘイトスピーチを繰り返すようなグループがそんなに多くいるとは思えません。
 しかし、実際には何度選挙を重ねても、政治の暴走を止める方向に動きません。
 2016年の参院選挙後、ある人がフェイスブックで呟いた一言がとても印象に残っています。
「戦前は強烈な『プロパガンダ』があったが、今はそこまでいかない『空気』程度だもんなあ。それでもこれか……」

 古い言葉ですが「サイレント・マジョリティ」(声をあげない多数派)こそが、社会の空気を作りだしていることは間違いないでしょう。
 サイレント・マジョリティの行動様式を決めているのは「ウィルフル・ブラインドネス」「ウィルフル・イグノランス」(やっかいな問題を見ないこと、考えないこと、ないものとすること)です。

 さらに踏み込んでいえば、小さな子供を持つ親のほうが、子供を持たない大人よりも未来のことをきちんと想像できていないのではないかと感じることがあります。
 環境破壊、経済格差、国のエネルギー政策の危険性と非合理、閉鎖的な村社会に埋没することによる八方ふさがりの人生……。そうした大きな負の要因・原因を直視せず、とりあえず親である自分が明日のご飯代、教育費もろもろの生活費を稼ぐこと、地域社会の中で「浮かない」こと、村八分にされないこと、といった日常の「空気感」を優先してしまう。「家族のために」と思って口を閉ざし、空気を読み続ける人たちが、昔からサイレント・マジョリティを形成しているのだと思います。
 親は「子供のため、家族のためにそうしている」と信じて行動する、あるいは行動しないわけですが、その結果、無意識のうちに深刻な問題の根源をうやむやにさせ、子供世代が将来その問題に対処することをさらに困難にさせてはいないでしょうか。
 目先の安心感を選ぶことが、子供の未来よりも、自分が今苦しまないほうを選ぶということになりかねません。もっとはっきり言えば、子供の将来より自分の余生のほうが大切だという深層心理が働くからではないでしょうか。
 こうした「日常家族保守主義」とでも呼べそうなものが、いつの世にも多数派を形成しているのだと思います。

 一方で、サイレント・マジョリティの対語であるノイジー・マイノリティのほうは、頭(理論)だけで問題が解決できると思いこみ、人間社会の細部を観察できていない傾向があります。
 自分の理想社会にとって不都合な真実を見極めず、理念だけで「これが正しい」と主張しがちです。
 マイノリティ(少数派)である上に、「突っ込まれどころ」を抱えてしまうと、サイレント・マジョリティからは、「ああ、あの手の連中ね」「関わらないほうがいい」「無視するに限る」と思われてしまい、いつまで経っても両者の間に有益な会話や議論、すり合わせが生まれません。
 その構造を熟知している頭のいい人たちは、サイレント・マジョリティを操るための道具としてノイジー・マイノリティを利用します。結果、悪代官的な人たちがますます権力構造を維持しやすくなります。
 川内村の「獏原人村」に今も残っているマサイさんはこう言っていました。
「理想ってさ、これが理想だと決めちゃうと、非理想があるってことになるじゃない。非理想は悪だ、って言っちゃってるわけじゃない。それってとても傲慢なことだよね」

社会は変えられないが、自分の生活は変えられる

 このように、目の前にあるものが「絶対」ではなく「相対価値」であることを忘れてしまうと、社会全体が間違ったルールで絶対化されるおそれがあります。
 では、そうならないように、社会を変えることはできるのでしょうか?
 社会、あるいは時代の空気というものが一人一人の「マイルール」の集合体であるとすれば、一人一人が意識すれば社会や時代の空気を変えることができるのでしょうか?
 一人では無理でも、意識を高めた人たちが集まっていけば、結果として社会は変わるのでしょうか?
 できると思っている人たちがいるからこそ、さまざまな啓蒙運動や言論活動が起きます。ましてや今は民主主義の社会なのだから、選挙で政治を変え、世の中を変えることができるはずだと多くの人たちは主張します。
 もちろんその考え方は正しいでしょうし、社会生活をしていく基本精神でしょう。
 しかし、正直なところ、私は社会や時代の空気を個々の人の意識変革によって変えることはほとんど不可能だと思っています。
 サイレント・マジョリティの力が大きすぎることもありますが、なにより人間の歴史が証明しています。人間社会は、とことん困り果て、痛めつけられないと、いい方向には変化しません。
 啓蒙や教育は絶対に必要ですし、その効果も、もちろんあります。私自身、人生の中で、いくら虚しくなってもそうした努力を続けているつもりです。外に対してだけでなく、何よりも自分に対して。
 私は選挙権を得てから45年以上にわたり、一度も棄権したことはありません。仕事を干されるのを承知で、政権批判や社会の様々なタブーに踏み込んだ発言もしてきました。
 しかし、個人がどれだけ頑張っても、社会や歴史を根底から変えるまでの力にはなりえないだろうとも思っています。
 なぜなら、最終的に個々の人間をつき動かしているのは、理論や合理性ではなく、生存本能やもろもろの欲望だからです。
 前述のサイレント・マジョリティの行動様式(「行動しない」ことも含めて)も、生存本能や「面倒そうなことには関わりたくない」という欲望によるものです。
 本能や欲望の力は強大で、しかも能力のいかんや人柄のよしあしに関係なく誰もが持っています。
 頭のいい人たちも、長生きしたい、強くなりたい、支配したい、快楽を得たい、楽をしたいといった欲求で動いているので、この世界では強大な支配者が非倫理的で不合理なシステムを作り上げているという現実があります。
 これを倫理や正義や合理性でひっくり返すことは無理でしょう。
 政治家が政治資金を私的に使っていたことが発覚しても、政治資金規正法では金をどう使うかは規制していないので「道義的には問題があっても法には触れていない」などということが起きます。規制される側であるべき政治家が自分の都合のいいように法律を作っているのですから、どうしようもありません。
 それを正すには法律を改正するしかないのですが、世論は政治家個人を攻撃して少しだけ憂さ晴らしをするだけ。メディアも政治家個人の人となりを暴き立て、庶民の感情を煽るだけで、問題の本質には踏み込まない。
 そういうことの繰り返しで、少しも進歩がありません。
 結果、多少人が入れ替わったとしても、社会は変わりません。少し改善されると、しばらくして揺り戻しのように元に戻ってしまう。現在はこの揺り戻しによってどんどん劣化しているように見えます。

 ですから、ここでは「社会を変える」とか「正義を訴える」ということよりも、劣化していく、悪化していく社会環境の中で、どのように正気を保ち、幸福感を維持できるかという、ささやかな方法を考えていきます。
 社会を変えることはできなくても、自分の生活を変えることは自力でできるからです。


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「自己中心思想」から始める2021/01/14 15:52

序章:幸福は「相対的な価値」(3)

 世の中に絶対的なものなどほとんどありません。
 しかし、ひとつだけ間違いなくあるとすれば、それは「自己」です。
「我思うゆえに我あり」の「我」。
 残りの人生を生き抜く上で、個人と社会のどちらかを基準点に選ぶとすれば、「個人」です。
 世の中がどれだけ理不尽でも、天変地異が襲ってきて思いもよらぬような不幸・不運に見舞われても、その中で生きている私やあなたという個人は、変えようがない、消しようがない「基準点」です。
 自分が可愛い。自分が大切だ。自分が好きだ。そういう「自己主義」を絶対的なものとして一旦認めてしまえば、ものの見方が定まってくるのではないでしょうか。

相対化の基準点を自分の幸福に置く

 自分の幸福を基準にして物事を考える──というと、利己的なやつだ、自分だけよければいいのか、日本人の美徳を忘れている……などなど、非難が殺到しそうです。
 しかし、きれいごとではなく、「まずは自分がここにいる」「その自分をいかに幸福に生かし、死なせるか」が価値基準である──というところからすべての事象を「相対化」していかないと、この混迷の時代、どんどん本質を見失い、自分も周囲も不幸になっていきます。

 「いや、私は自分よりも子供や妻のほうが大切だ」という人もいるでしょう。
 もちろんそれはそれで結構です。でも「子供や妻のほうが大切だと思う自分」がいるからこそ、子供や妻が自分の存在より大切だ、ということができます。
 自分がいなければ、子供や妻「のほうが大切だ」という相対化は不可能です。
 また、自分より家族のほうが大切だと思いこんでいる人が、往々にして自分の主義や嗜好を家族に押しつけて悲劇を招く例も少なくありません。自己をしっかり確立できなければ、他人を正しく愛すことはできません
自己主義と利己主義
 話を進めやすくするため、自分の幸福を見極め、そこに基準を置くことを「自己主義」とでも呼ぶことにしてみましょう。
 この「自己主義」は、自分に利することになればどんなことをしてもいいという利己主義とは違います。
 ちなみに日本語の利己主義は「社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。また、他人の迷惑を考えずわがまま勝手に振る舞うやり方」(大辞林)というような意味で使われますが、これに対応するとされている英語の「エゴイズム」には、「我思うゆえに我あり」的な意味合い(哲学でいう唯我論、独我論)も含まれているようです。 
 自分さえよければ他はどうなってもいいというわがままではなく、「まず自分のことを基準に考える」という意味合いでの「自己主義」は、ある意味「絶対的」な基準点になるかもしれません。
基準点を間違えた幸福感は正しい自己主義につながらない
 といっても、自己主義と利己主義の区別は難しいかもしれません。
 覚えているでしょうか。政治資金を家族旅行や家族との会食、自分の趣味に使っていた都知事が糾弾され、辞職に追い込まれるという事件がありました。彼の論理では「自分や家族の幸福を行動の基準点に置くことが正しいなら、私がやったことは何も間違っていない。しかも法律に触れるようなことはしていないのだから、何の問題もない」となるのでしょう。
 しかし、政治というのは人々の幸福最大値をさぐる仕事です。政治家が仕事に対して抱く幸福感は、他人を幸福にする方法を探り出し、合理的、効率的に実行していくことにあるはずです。
 もとより人は社会的動物なのですから、自分だけが幸せになるということはありえません。自分にとって心地よい世界が必要であり、その世界には自分以外の人間が共生しているわけですから、自分が行う仕事によって他人が幸せになることも、自分にとっての重要な幸福要因となるはずです。
 政治家が人々を幸せにすることに職業上の幸福感を感じることなく、自分や家族の利益のために公金を使い、他人に不利益をもたらす、他人の不幸を増すことを平気で実行する──言い換えれば、単に自分と家族の上等な生活や、趣味、快楽の追求に幸福の基準点を置いてしまうというのは、正義不正義以前に、一種の病気、精神障害なのだと考えられます。
 生き物が苦しむのを見て悦楽に浸る人がいますが、それは一般にはサイコパス、精神障害の一種と見なされます。
 他人の迷惑や痛みを考えることなく、いきなり女性のお尻を触ったり、預かった他人のお金でギャンブルをしたりする人もまた、病気であるとみなされます。
 となれば、政治家個人の資質を糾弾するよりも、病人たちに政治を任せていいのか、という問題であり、そういう事態を招かないようにするにはどのような改革を進めるべきかという議論こそが重要になるはずです。
 自己の幸福を基準点にすることは「絶対的に正しい」のですが、幸福感の幅が狭かったり、幸福感を得るための基準点が間違っていれば、この大前提は成立しません。
幸福とは「相対的な価値」である
 幸福の「基準点」について、もう少し考えてみましょう。
 例えば、自分ではとても満足のいくことを成し遂げたとします。できないと思っていたことができたとか、今まで気づかなかったことに気づいて精神的な満足感を得られたとか、なんでもいいです。自分の中では百点満点、あるいはそれ以上の結果が得られたとします。
 ところが、その結果に対して、世間はとても冷淡であり、評価してくれない、気づいてもくれないということはよくあります。そんなとき、多くの人は、満足感・幸福感から一転して、不満・不幸を感じてしまいます。
 これは個人の価値観が自分の中で完結しておらず、世間(人間社会)との「相対性」において左右されていることを意味します。
「自己満足」という言葉はたいてい悪い意味で使われますが、これも要するに、個人が感じている幸福感は世間一般の評価に照らしてみれば「相対的に」レベルが低いものだ、と言っているわけです。
 しかし、自分の価値観が低レベルなのではなく、世間一般、今の世の中、時代風潮のほうが低レベルなのだと感じる人たちもたくさんいるでしょう。
 自分個人の人間性や能力は努力で高められても、時代風潮を変えたり世の中の文化レベルを向上させることはできません。自分の幸福が世の中との相対性で決められてしまうとなると、絶望が深まるばかりで、身動きが取れなくなります。
 世間(社会)との相対性を断ちきれば、自分だけの精神世界、自分だけの絶対的価値観で結果を評価するだけでいいので、幸福でいられるかもしれませんが、ほとんどの人間は、世間と完全に隔絶した仙人のような生き方はできません。
 また、自分がたまたま生まれた時代、自分が置かれた社会、家族・家庭の違いによって、同じ才能や肉体であっても、まったく違う人生を送ることになります。こうした「環境との相対性」はある意味不可避で、運悪く戦争や大災害に巻き込まれたりする人生を送らねばならない人もいます。そうした「時代や時間軸との相対性」にはまったく抗えないのでしょうか。

 相対の反対は「絶対」ですが、人生、生き甲斐、価値観といったものが相対的だとしても、死は絶対的なものだと誰もが思っています。
 しかし、死が絶対的だというのは、自分の人生という時間に限定したときのことであって、自分が生きている時間の前後、気の遠くなるほどの時間軸を考えた場合、自分が生きた時間は、それを挟んでいる、より長い時間に相対して評価されるものかもしれません。
 つまり、長生きしたとか、充実した人生だった、という評価もまた相対的なものです。
 このように、自分が今いる環境、時間の中で、他と関連させることで初めて生きる意味や価値が生ずる──そういう縛りの中でしか生きられない生物──それが人間です。
 であれば、死ぬ前にこの「相対性」の壁についてより深く理解し、今の自分の生き方を考え直してみることで、苦しみが和らぎ、残りの人生を楽に、そして魅力を感じながら生きられるかもしれません。

「おいおい、なんだか大袈裟な話になってきて、つき合いきれんなあ……」と、ここまで読んでくださったあなたは感じていることでしょう。
 はい。長い「序章」はこのへんにしましょう。
 ここからは、具体的な方法論、戦略、小技といった、実践的な話をしていくつもりです。
 おつきあい願えれば幸いです。



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生活スタイルの変化2021/01/14 16:05

地方移住のススメ(1)

コロナと共に生きていかなければならなくなった2020年以降、いやが上にも生活スタイルや従来の価値観を見直さざるをえなくなりました。
政治や社会体制に絶望したり怒ったりしているだけではどうにもなりません。ひどい社会でも、自力で生き抜く術を構築していくしかないのです。
まずは生活の場である居住地や生活スタイルを考え直してみませんか。
都会暮らしのかたがたに提案したいのは、ズバリ「地方への移住」です。
そんなのは無理だ、と考えるかたが多いでしょうが、今までの生活スタイルが難しくなっていることや、これから起こりうる様々なリスクのことを冷徹に計算してみましょう。考えが大きく変わるかもしれません。

都会暮らしを愛する老人の「住み替え」

 地方への移住というと、都会暮らしに慣れた人は、深く考える前にまず拒絶感を抱きます。
 しかし、「地方」というのは、必ずしも不便な田舎のことではありません。
 今の日本には、東京と変わらないような「都会」が各地にあります。
 まずは、都会派お洒落爺を自称するBさんの移住例をご紹介します。
都会生活をやめたくない
 Bさんは65歳のときに妻に先立たれ、その後、ひとりで気ままに暮らしたいと、それまで住んでいた都下の持ち家を売り、都内に家賃12万円のマンションを借りてひとり暮らしを始めました。
 Bさんはお洒落で新しいもの好き。毎日のように街に出ては買い物を楽しむという浪費生活をしていました。
 ひとり暮らしになってからは浪費を諫める者もいなくなり、5年後、気がつくと約3000万円あった預金が残り500万円になっていました。
 大手企業に勤めていたBさんの年金は手取りで月額約20万円あり、年金生活者の中でもかなり恵まれているといえます。
 しかし、その20万円のうち12万円が毎月の家賃に消えていきます。
 さらに水道光熱費、通信費、交際費(Bさんの場合これがかなりありました)などを引くとあっという間に年金分は出ていくため、残り500万円の預金がさらに月10万円ペースで減っていきます。
 このままではすぐに家賃も払えなくなりますし、動けなくなったときの蓄えもないのでは危険すぎます。
 娘がひとりいますが、イギリス人と結婚して3人の子供と一緒にロンドン郊外に住んでいます。最後に会ったのは5年前ですが、今はもう、コロナ禍で日本に来ることもできなくなりました。
 そんなBさんへのアドバイスは「地方都市へ引っ越す」です。
 Bさんは私のように田舎暮らしが好きではありませんから、街から離れて暮らすのは苦痛ですし、一気に老け込んで、命を縮めてしまうかもしれません。
 最大の問題は月12万円の住居費です。これを半分にできれば、月額20万円もの年金をもらい続けているBさんなら、年金だけで楽しく暮らせるはずです。
 例えば栃木県の県庁所在地である宇都宮市には、宇都宮駅から徒歩10分以内のマンションでもワンルーム(20㎡以上)3万円台の家賃から物件があります。
 徒歩圏にコンビニやスーパー、郵便局などがあり、バスに乗れば郊外の美術館や博物館などに遊びに行くのも簡単。
 Bさんは趣味人で、友人作りもうまいので、都内の生活でも、俳句や写真のサークルに入って楽しんでいました。地方へ移住となるとそうしたサークル仲間との交流も途絶えてしまうと恐れていましたが、コロナ禍で、(特に高齢者は)人との接触を減らさなくてはならなくなり、事情が変わってきました。
 サークル仲間との交流も、SNSやリモートミーティング的なものが増えたのです。それならどこに住んでいても関係ありません。
 また、宇都宮程度の地方都市には東京と同じものが全部揃っていて、しかもコンパクトで人が多すぎない分、老人には街歩きがしやすいはずです。
 店を覗いているうちに欲しいものがあるとつい買ってしまう悪い病気は、おそらく死ぬまで治らないでしょうが、いよいよ預金が底をつけば、年金の範囲内で楽しむしかないので、少しずつ適応していくかもしれません。
 これは、都会が持つ魅力と住居費の相対価値を考えた末のサバイバル案です。
認知症老人のひとり暮らし
 Cさんは70代半ばの女性で、5年前に夫と死別して、都下郊外の持ち家に一人で暮らしています。夫と共に公務員で共稼ぎをしていたため、年金額は企業サラリーマンだったBさんよりも多い月額約25万円です。
 息子と娘がひとりずついますが、息子は地方赴任で、ほとんど会うことがありません。娘は実家(Cさんの居宅)から電車とバスを乗り継いで2時間半ほどの場所(Cさんの家から見れば田舎と言えるような、農村に近い環境)に一家4人で暮らしています。
 Cさんは身体は動き、普通に生活ができていますが、最近認知症が進んで、「絶対に引っかからない」と言っていた詐欺に引っかかって大金を騙し取られました。しかも、男二人組が警察官を名乗って直接家まで来て銀行カードを取るという大胆な手口。
 この事態を受けて、子供たちは緊急会議を開き、これ以上Cさんを一軒家でひとり暮らしさせておくのは危険すぎるのでどこかに移したい、ということになりましたが、Cさんは住み慣れた家を離れたくないと主張します。
 Cさんだけでなく、多くの軽度認知症老人は、身体は動いて日常生活はひとりでできるため、介護老人ホームのような施設に入れられることを極度に恐れ、拒否します。
 かといって、Cさんのケースでは、すでに詐欺師グループに家まで知られているわけで、このままひとり暮らしを続けるのは危険でしょう。
 私がCさんに与えたアドバイスは、娘さん一家のそばに老人専用マンションを借りて引っ越す、です。
 ネットで探すと、娘さん一家の家から数キロ圏に、大手住宅メーカーのグループ企業が運営している高齢者向けマンションがありました。
 これは老人ホームとは違い、基本的には普通の住居用マンションですが、老人向けに24時間体勢でヘルパーが待機し、部屋には人感センサーがあって、一定時間以上人の動きがないと通報が入り、管理人やヘルパーが様子を見に行くなどのシステムが完備されています。
 趣味サークルの紹介や食事のケア(食堂でも宅配でも注文によって)などもあります。ペットもネコや室内犬なら同居可能です。
 当然、そうしたサービスの分、一般のマンション家賃よりはかなり高額ですし、入居時の審査もあります。介護老人ホームと違って、基本的には完全介護が必要な人は入れません。
 ただ、一旦入居すれば、身体が弱っていく段階によって介護保険で外部から訪問介護や訪問看護、訪問診療を依頼することも可能ですし、いよいよ動けなくなった場合はグループ企業が経営する介護付き老人ホームへの斡旋もしてくれます。
 入居時の費用が最低でも数十万円かかりますが、それはCさんの貯蓄範囲内で支払い可能ですし、月々の費用も年金の範囲内で支払い可能です。家賃はかかりますが、食費などはむしろひとり暮らしで宅配サービスなどを使っていたときより安く済むかもしれません。なにより、安全性は一気に上がりますし、娘さんとの物理的距離が縮むので、ひとり暮らしをしているときよりも会える時間は増えます。
 あとはCさんが「思い出のつまった家」への執着と環境の変化への恐怖心をどう克服するかにかかっています。
 このケースでは、Cさんがまだ身体が動くうちだから選択可能な解決策であり、あまり悩んでいると不可能になります。
年金も預金もない老後の場合
 さて、BさんやCさんは、かなりの年金を受給できている人たちで、少しもビンボーではありません。
 どこが「幸せビンボー術」なんだ、と怒られそうです。
 というわけで、ここまではマクラだと思ってください。ここからいよいよ、私のように、年金などもらえないビンボーさんのケースを考えていきます。

 国民年金のみで、年金だけでは暮らせない人、あるいは年金がゼロの人の多くは、自営業や独立した職人さんなどです。フリーランスのライター、イラストレーター、カメラマンといった人たちも厚生年金とは縁がありません。私はまさにそうですし、私の周囲にはそういう人たちがたくさんいます。
 自営業やフリーランサーで生きてきた人たちは、歳を取ってから初めて人に雇われる生活を始めるのは無理ですし、精神的に耐えられないでしょう。
 となると、稼げなくなった後は預金を切り崩して生き延びるしかありません。
 その場合、いちばん大変なのは住居費ですから、稼げるうちに借家ではなく自分の持ち家を持っておくことが必須でしょう。
 それが無理なら、極端に安い借家、親が残してくれた家、住み込み賄い付きの仕事先などなど、とにかく住居費を使わずに暮らす方法を探すしかありません。
 それでも、光熱費や食費、交通費(田舎暮らしの場合は自動車の維持費とガソリン代が大きい)、通信費などはどうしてもかかります。出費をひと月10万円に収めたとしても、年間120万円。10年で1200万円。月額20万円かかる生活なら10年で2400万円が消える計算です。
 これを全部、稼げなくなるまでに貯めた預金を切り崩しながら生きていくとなれば相当大変です。そもそも何年生きられるか、いつまで身体と脳がまともに動くかは分かりませんから、どれだけ蓄えがあればいいかも計算しきれません。
 そこで、預金の切り崩し分を少しでも減らすために、完全な無収入状態ではなく、小銭程度でも稼ぎ続ける努力をすることになります。預金がない場合は、なんとか生活費分だけでも収入がないと現状維持できませんから、仕事をしないわけにはいきません。
 ここで大切なのは「雇ってもらう」という発想を完全に捨てることです。老人を雇ってくれるところはないですし、あっても労働に対する対価が低すぎるものばかりでしょう。ただでさえ体力や頭の働きが落ちているのに、低賃金労働に時間を取られて疲れるなどという老後生活は悲惨です。

 では、どうすればいいのか?
 私のように社会に出てからずっとフリーランスで生きてきた人たちは、世の中の「隙間」を見つけて金を稼ぐノウハウを賃金労働者よりも持っていると思います。
 また、現代のようなネット社会、デジタル時代では、そうした「金に換えられるアイデア」が隠れている隙間は昔よりもずっと増えました。
 ネットオークションで安く仕入れて高く売るというサイドビジネスだけで、月に10万円以上の利益を得ている人はけっこういますし、円高だった時期には、高級カメラやレンズなどを海外で安く買って日本国内で高く(それでも日本での店頭価格より安く)転売するという商法も通用しました。
 高級オーディオのジャンク商品を安く仕入れて修理し、新品時の価格より高く売るといった商売も成立します。
 大工、左官、配管工などの職人さんは、体力が落ちてきて現役を退いた後も今までやってきた仕事しかできないと思い込むかもしれませんが、手先の器用さや長年培った経験を生かして、体力を使わず、マイペースでできる新しい仕事があるかもしれません。
 チープな大量生産品がはびこる現代ですから、職人技が生きる質感の高い小物類を高い価格で少量売るという作戦がいいでしょう。いわゆる一点豪華主義や、他人が持っていないものを所有する喜びに訴えるわけです。
 例えばiphoneの充電器と外部スピーカーを組み込んだ木製や金属製のかっこいいクレドール(充電時などにポンと置いておくドック)などを作れば、iphone本体より高い値段をつけても買ってくれる人はいるはずです。
 さらには、受注があって初めて商品を作ったり調達したりするオンデマンド方式であれば、在庫を抱えるリスクもないので、資金ゼロから始められます。
 私は出版流通に乗せられない過去の絶版本やマニアックな内容の本を「オンデマンド出版」という方法で売っています。1冊単位で注文があってから印刷・製本するので、赤字になりません。本は数日で注文者に届きます。価格もなんとか常識的な範囲で設定できます。

 売るのは必ずしも「物」である必要はありません。サービスや形のない商品を売る商売はいくらでもあります。
 前述のオンデマンド本はモバイル端末などで読む電子書籍としても販売していますが、これも在庫を持つ必要がないので、一度登録してしまえば放っておいても売れただけお金が振り込まれてきます。
 どれも少額の商売であって、それだけで食べていくことはできませんが、継続が容易で、負担がかからないのが利点です。

 特別な技術がないという人でも、身体が動いて、車の運転などもできるうちは、独居高齢者を相手にした便利屋的な商売などが可能ではないでしょうか。これは都市部よりもむしろ田舎のほうが需要があります。
 ネット通販で買い物をする代行なども考えられます。依頼者への配送は通販業者がしてくれますから、自分で動く必要もありません。
 私は川内村に住んでいたとき、近所の独居老人のためにBSアンテナをAmazonで取り寄せ、設置してあげたことがあります。アンテナの購入代金、設置の作業代も含めて1万円を請求したところ「そんなんでいいのか?」と感謝されました。商売でやるとすればもう少し上乗せするところですが、例えばこの一連の作業の報酬として1万円の利益をのせて2万円を請求したとしても、依頼者から「高すぎる」とは言われないでしょう。このくらいの仕事が毎日1つあれば、20日で20万円の利益が出るわけです。

 他にも、「スキマ的商売」はいくらでも発掘できると思います。要はやる気と知恵です。
「死ぬまで現役」生活のために地方の一軒家に住む
 大きく稼げないことがはっきりしている以上、生き延びるためには生活費を減らすしかありません。
 その「生活費」の中に住居費が含まれている場合は、かなり悲惨なことになります。家賃を払った後に残る金額がごくわずかであれば、衣食住の衣・食の部分を大幅に削らなければならず、最低限の生活も危うくなります。
 預金がない、年金もない、しかし家がなくて毎月家賃を払っているという人は、都市部から出て、不動産価格の低い場所に移住するしかないです。
 Bさんのケースで説明しましたが、都内と地方都市では家賃が倍くらい違います。
 さらにいえば、地方「都市」である必要があるのかどうか、ということも考えてみましょう。
 フリーランスで通勤が必要ないなら、公共交通機関が充実した都市部に住む必要性は低いはずです。
 私は栃木県の日光市に住んでいますが、同じ栃木県でも宇都宮市の都市部に住むつもりはまったくありません。それはもう、東京や神奈川に住むのと同じだからです。また、そうしようとしてもそんな金がありません。
 同様に、首都圏からどんなに離れていても、仙台、郡山、札幌といった都市に住むのは、首都圏に住むのと環境はあまり変わりません。それなりに地価や家賃相場は高いですし、生活費も高くつきます。

 さらにいえば、私が勧める地方移住は、賃貸生活ではなく一軒家を持つということです。
 地方であっても、都市部で家を持とうと思ったら百万円の単位ではなく千万円の単位になりますが、そこから少し離れた郊外には、立派な土地付き一軒家が数百万円のゾーンでたくさん存在します。
 500万円の物件であれば、10年住んだとして年間50万円。月に4万円ちょっとです。15年住めば、年間33万3000円。月額2万7800円。
 地方でも、月額2万円台の賃貸住宅は見つけるのが困難ですし、あったとしてもボロボロ物件でしょう。しかし、500万円の土地付き一戸建ての中には、驚くほど立派な建物、広い土地の物件があります。
新築かと見まごうようなこんな家が、日光市では600万円台で売られていた(2011年10月)

 私が今暮らしている家も1000万円はせず、数百万単位で購入したものです。この家があるおかげで、いわゆる「住居費」というものはかかりません。
広い庭のあるこの家は500万円ちょうど。日光市。土地:241㎡、建物:80㎡。(2013年3月)

 余裕のある土地に自分の家を持つことで、どれだけ心にゆとりが生まれるかは説明するまでもないでしょう。
 自己所有であっても、集合住宅では修繕費積み立て金だの駐車場代だのがかかり、自治会の決まり事や管理会社のルールに縛られて、何かあったときも自分だけの決断で対処することができません。大災害がいつ襲ってくるか分からない現代では、これは大きな不安材料です。マンションの基礎部分に欠陥工事が判明して建物が歪み始め、建て替えが検討されたが、住民間で意見が合わずに何年も紛糾してストレスが溜まる……などということもありえます。そんなことで残りの人生を過ごすのは悲しすぎます。
 地方の広々とした土地に建つ一戸建てであれば、ある程度のトラブルや災害なら、迅速、柔軟に対応できます。壁に穴を開けようが、屋根を葺き替えようが、玄関前を整地しようが自由なのです。
 すでに述べたような様々なフリーランスの仕事の拠点としても、都市部の住宅よりずっと対応力があります。
 現役を引退した職人さんが、自分の体力に合わせて無理のない便利屋的商売を始める場合なども、都市部から適度に離れた田舎のほうがずっと楽です。例えば、私が住む日光市は、軽自動車の車庫証明が不要な地域です。土地はいくらでも空いてますから、隣の空き地の所有者に頼み込んでちょっとした資材を置かせてもらうとか、空き地をただで借りて自家農園を始めるといったことも、ごく普通に行われています。宇都宮の都市部ではそうはいきません。その宇都宮の中心部に行くにしても、車で30分程度ですから、都市部の生活者からの依頼に応えることも簡単です。

 こうした生活拠点を、早い時期に安価に手に入れておくことが、最大の老後対策ではないかと思います。

 ……というわけで、ここから先は、地方に安価で住みやすい家を手に入れるための具体的なアドバイスへと進みます。


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北関東のダサい地域こそ移住の狙い目2021/01/14 16:10

地方移住のススメ(2)

地方へ移住すれば住居費が軽減できて、ゆとりのある生活ができる?
そうであったとしても、具体的にどのへんの「地方」がいいのか──それが問題ですね。
好き嫌いや様々な事情があって一概にはいえないでしょうから、ここではザックリと基本的な「考え方」をまとめてみます。

どうしても年に数回は行かなければならない場所からの距離

 私が最初に購入した田舎暮らし物件は、新潟県の中越地方、川口町(当時は北魚沼郡。現在は長岡市に併合)にある280万円の古民家でした。
 今から30年ほど前、36歳のときで、当時はまだブロードバンドもなく、東京から完全に離れて生活するのは無理だったので、別荘として購入しました。
 夏の間はほとんどそこにいたのですが、このときに分かったのは、他に生活拠点がある「二地域居住」や、仕事などでどうしても頻繁に移動しなければならない場合の移動距離の上限はせいぜい200kmだということです。
 越後の家は、民家が20軒ほどしかない山奥の限界集落の外れにありましたが、関越自動車道越後川口ICから車で10分ほどの場所で、車で移動する分には便利な場所でした。
 土地は500坪弱くらいだったでしょうか。裏手は土手状の斜面で、その下に川が流れているという地形でしたが、売り主さんは「このへんは地盤がしっかりしていて、新潟地震のときも、新潟市内は滅茶苦茶になったが、このへんでは被害はゼロだった」と言っていました。
 それが、2004年の中越地震で完全に潰れました。なんと、震度7の震源の真上でしたから、ひとたまりもありません。人生、何が起きるか分からないものです。

 この家を購入した最大の決め手は価格でした。280万円ならローンを組むなどしなくても支払えましたから、田舎暮らしの「お試し」としては、失敗してもそれほど後悔しないだろう、せいぜい楽しんでやろう、というような気持ちでした。まだ30代でしたから、気力も体力もあったのですね。
 それでも「移動距離は200kmが限度」というのは実感しました。それ以上になると、頻繁に行き来するのは難しくなり、購入しても放置する羽目になります。
 いざというときのために、自動車(自家用車)以外の交通手段が無理なく使えるかどうかも大切です。
280万円で購入した越後の家(2000年4月撮影)

豪雪地帯や寒い地方はお勧めしない

 越後の家は、約12年かけて、自分で壁を杉板張りにしたり、浴槽を交換したり、和室を洋室に改造したりといったリフォームを繰り返し、ようやくこれ以上はやることがない、となったときに2004年の中越地震でつぶれてしまいました。
自分の手で家の中の壁をほぼすべて杉板張りに替えたりもした。(1998年5月撮影)
 購入自体は280万円でしたが、屋根を全部葺き替えたりもしたので、12年の間になんだかんだで1000万円近く投入したと思います。
 新潟県内の不動産価格、特に山間部の物件は相当安いのですが、これは豪雪地帯だからです。冬は一晩で1m積もるなどということも普通で、屋根に積もった雪をそのままにしておくと家が潰れます。
 越後の家を維持している12年間は、冬は行けないので、冬季の雪下ろし依頼だけで毎年10万円かかっていました。(ちなみにこの地方の人たちは「雪下ろし」ではなく「雪掘り」と言います。家全体が雪の下に埋まるので、屋根の雪も「下ろす」というよりは「掘り下げる」わけです)
 地震でつぶれるまでは、終の棲家に、と思っていましたが、今にして思えば、老後にあの環境で暮らすのは到底無理でした。
 今ははっきり言えます。豪雪地帯はやめましょう。寒すぎる地域もやめましょう。歳を取ると共に、自然を満喫するとか悠々自適どころではなくなります。下手すると落雪事故や寒さによる心臓発作で死にます。
 夏場に現地を見て「なんて美しい自然環境だ」と感激し、衝動買いするようなことのないようにしてください。
ゴールデンウィークでもこれ
中越地震後の写真。4月になってもまだこれだけ雪が残り、潰れた家はこの雪の下。左に少し見えているのは、中越地震の直前にようやく建てた耐雪仕様のかまぼこ形車庫の屋根部分。皮肉なことに、この車庫だけは完全無傷で残った。(2005年4月5日)

 雪はそれほどでなくても、冬に極度に気温が下がる地域も、歳をとるにつれ辛くなります。
 夏場だけ利用する別荘代わりならいいのでは、と思う人もいるかもしれませんが、寒冷地で冬場に人がいない状態で締めきっていると、凍結により、水回りなどが傷みます。次に行ったときに破れた水道管から水が噴き出して室内が水浸しになっていたり、井戸の汲み上げポンプが壊れて水が出なくなっていたりという事態が続くと、その家を維持するのが嫌になり、結局は放棄してしまうということになりかねません。

 では、暖かい地方がいいのかというと、そう簡単な話ではなく、南は台風被害が多いという問題があります。
「地域ブランド」に惑わされるな
 大まかな地域選びをする上で確実にいえることは、地域の「ブランド」「人気度」にはなんの意味もないということです。
 ブランド総合研究所が毎年行っている「地域ブランド調査」による「都道府県魅力度ランキング」などは愚の骨頂で、アホなメディアが面白がって取り上げていますが、あれはそもそも「住みやすさ」のランキングではありません。
第15回「地域ブランド調査2020」(ブランド総合研究所)より
 ブランド総合研究所によれば、この調査は「全国約3万人の消費者からの回答を集める調査」であり、「各都道府県と市区町村の魅力度やイメージ、観光・居住・産品購入の意欲など」を調査した結果だそうです。
 本来は地域や地名が持つ「ブランド力」の調査であり、住みやすさとは直接の関係はありません。それにしても、2020年度最下位となった栃木県は確かにブランド発信力が弱いかもしれませんが、それでも47都道府県の中で最下位というのは理解不能です。
 上位の北海道、京都、沖縄というのは、旅行に行くなら考えてみたいくらいの地域であって、決して「そこで暮らしたい」と思える地域とはいえないでしょう。
 例えば東京に住んでいる人が移住先として考えた場合、北海道⇒「寒い、遠い、見渡す限り何もない、冬は雪で真っ白」、京都⇒「人が本音を言わずに面倒くさそう。因習がものすごそう。観光客でごった返しそう。ただの湯豆腐が何千円とか食べ物屋でぼったくられそう」、沖縄⇒「台風被害必至、米軍基地で騒音がひどい、生活のリズムが違いすぎて戸惑いそう」……というマイナスイメージのほうが先行しそうな気がします。

 いわゆる地域名ブランドというのも、住むのには何の関係もありません。
 例えば、高級別荘地として有名だった軽井沢は今でも「ブランド力」が強いかもしれませんが、あそこに通年住むとしたら、寒さや交通の不便さという面で、日本中にある「ただの田舎町」と何ら変わりがありません。
 その軽井沢を有する長野県も、信州ブランドとしていいイメージを抱かれがち(上記の「都道府県魅力度ランキング」でも長野県は全国8位)ですが、長野と比べて茨城(同・42位)や群馬(同・40位)や栃木(同・47位)は住みにくいのかといえば、まったくそんなことはないわけです。
 ちなみに「北軽井沢」は群馬県ですね。群馬県吾妻郡長野原町の大字(おおあざ)で、人口は約1500人。私が6年ちょっと住んでいた福島県の川内村(人口約3000人)の半分くらいの山村です。
「不人気」地域こそが狙い目だ
 私は2011年に1F(いちえふ=東京電力福島第一原発)が爆発して大量の放射性物質を世界中にばらまいた後、移住先を捜して関東周辺のかなり広いエリアで物件探しをしましたが、長野県、福島県、山梨県、埼玉県などの不動産価格が理不尽に高いのではないかと思ったものです。
 最終的に、今の日光市に総費用1000万円以下で(私たちにとっては想定外に立派な)家を見つけて移り住むことができたわけですが、その価格では福島県(県南エリア)、長野県、山梨県(大月周辺)や秩父エリアの山村など、東京からの交通の便が極端に悪い場所にさえ、住みたいと思える物件を見つけることはできませんでした。
 なぜ日光市の不動産価格はこんなに安いのか? 今でも不思議でなりません。
 我が家は日光宇都宮道路のICから車で約10分。鉄道はJR日光線(駅まで2.8km)と東武日光線(駅まで3.2km)の2箇所が使えて、東京に出るのも苦労しません。住んでみて、その交通の便のよさに驚いたほどです。
 これも「ブランド力」のマジックなのでしょう。どんなに不便で住みにくい場所でも、長野や福島というだけで妙な人気があるのです(原発爆発前まで、福島は移住先としてはかなり人気のある県でした)。

 言い換えれば「ブランド力の弱い地域こそ狙い目である」ということです。

 私は今でも「お住まいはどちらですか」と訊かれたら、「栃木県です」とは答えず、「日光です」と答えます。日光は世界的なブランドだと思っているからです。横浜市民が「神奈川です」ではなく「横浜です」と答えるのと同じ感覚ですね。
 私が住んでいる場所は日光市でも南端に近いところで、かつては「今市市」でした。「イマイチ」という音からしてブランド力は弱そう(笑)ですが、面白いことに、地元の人たちにとっては「今市」は「街」であり、「日光」は「田舎」なのです。今市市が日光市になったときも、抵抗する人たちが結構いたと聞きます。
 車のナンバーは「宇都宮」ナンバーですが、私は当初、これに相当抵抗がありました。「日光」ならカッコいいのに……と思うわけです。ところが、地元の人たちにそれを言うと「とんでもない! 宇都宮だからいいんだ。日光ナンバーなんかになったら、田舎者だと思われてしまう」と言います。

 私が住んでいる地区は、宇都宮市と鹿沼市に隣接していますが、宇都宮市に入った途端、風景は変わらないのに地価がグンと上がります。ほんとに理解不能なほどの違いなのです。つまり、栃木県人にとっては「日光」よりも「宇都宮」のほうがブランド力が高いので、「宇都宮市」というだけで地価が上がるのです。

 栃木県人になった私が栃木県が最下位にランクされているのでムキになっていると思われると心外なのですが、正直なところ、北関東でダサいと思われている地域は移住先として最大の狙い目ではないかと思っています。


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