映画『大河への道』から見えてきた様々な人物像 ― 2023/04/27 14:31
WOWOWで『大河への道』という映画を見た。
立川志の輔の落語が原作ということで興味を持って録画しておいたのだが、見終わった感想は「志の輔はすごいな、やっぱ」である。
大河ドラマへの皮肉もちょこちょこ混ぜながらも、最後は日頃世話になっているNHKへのフォローも忘れない。
文枝と志の輔はビジネスと芸道の両方を極めた天才だな。
周囲の人たちもしっかりサポートしてくれるような人間性も持ち合わせているんだろう。
羨ましい気もするけど、所詮自分には無理な人生だとも思う。
で、この映画の企画を立てたのが主演の中井貴一だと知って、中井への評価も上がってしまった。
中井は志の輔の落語を観て、ぜひ映画化したいと、まずは志の輔に直談判したそうだ。
志の輔は断る理由もないだろうけれど、そこから本当に映画にするまでの道のりは大変だったはずだ。
志の輔も中井も、NHKには相当好かれて重用されている。特に中井は大河ドラマに複数回起用されて、「武田信玄」では主役も務めた。
そんな二人が、あちこちにNHK大河ドラマへの皮肉ともとれる描写や台詞を散りばめた映画を生みだしたところが面白い。
例えば、県知事の意向で脚本を書かせたいと指名された老脚本家(橋爪功)は、かつての人気ドラマ『お手紙先生』の最終回を自分が考えていたような終わらせ方ではなく、お偉いさんに言われてハッピーエンドの予定調和の結末にしたことに嫌気がさして筆を折ったという設定。現在のエンタメ業界、特にテレビへの批判になっているが、露骨ではなく、老脚本家が極端な偏屈爺だという色づけをしてオブラートに包んでいる。
こういう細かい技があちこちに見られる……すごいことだよ、これ。
……とまあ、映画になる前の部分も相当面白い。
4人の妻と多数の子供。妻が死ぬとすぐに次の妻を迎えてバンバン子供を作る。絶倫というか、むしろ女性に対しては情が薄く、ある意味「淡泊」な印象も受ける。
身内にも他人にも厳しく、人情に流されない合理主義・能力主義の人。一方では19歳年下の師匠を生涯尊敬し、師匠の死後は毎日墓の方角を向いて拝礼していたという。なんとも不思議な人だ。
では、この橋爪功演じる老脚本家が実際に『高橋景保物語』を書いたらどうなるのだろうか?
……と、今度は高橋景保を調べたら、さらに意外なことが分かった。
映画の感動的なエンディングシーンで、高橋景保の労をねぎらう将軍(草刈正雄)は第11代の徳川家斉。
しかし、景保を、獄死した後もわざわざ死体を塩漬けにしてまで斬首させた文化7(1810)年のときも、将軍は同じ徳川家斉である。
「大河への道」で、老脚本家は過去の自分のヒット作が予定調和の終わり方をしたことに後悔の念を表明している。
本当は「お手紙先生」が教え子への手紙を出すのを忘れ、そのせいで教え子が自殺してしまうというとんでもなく暗い終わりかたにしたかったのだそうだ。
ほんのちょっとした思いやりの欠如が取り返しのつかない悲劇を生むことがあるということを言いたかった、とのことだが、その台詞を思い出した。
地図の完成に感動し、景保をねぎらった将軍・家斉は、そのわずか6年後、景保に「思いやり」を持つことはなかったのだろうか。 シーボルトは景保に最新の世界地図を渡しており、景保はその返礼として、自分が監督して完成させた日本地図の写しを渡している。今なら学術界の麗しい友情物語である。しかし、ご禁制の地図を外国人に渡したことで極刑に処せられた。
ちなみにこの時期の家斉は、寛政の改革を進めた老中らを一掃して「大御所時代」を迎え、「宿老たちがいなくなったのをいいことに奢侈な生活を送るようになり、さらに異国船打払令を発するなどたび重なる外国船対策として海防費支出が増大したため、幕府財政の破綻・幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行した。(Wikiより)」という。
「特定されるだけで16人の妻妾を持ち、53人の子女(男子26人・女子27人)を儲けたが、成年まで存命したのは約半分の28人(Wikiより)」だそうで、伊能忠敬も顔負けの絶倫ぶりだったようだ。
ちなみに、シーボルトはオランダ人だと思われているが、ドイツで生まれたドイツ人。祖父、父ともヴュルツブルク大学の医師であり、シーボルト家は医学界の名門だった。
シーボルト事件は、シーボルトが高橋景保に最新の世界地図を送り、そのお返しとして最新の日本地図を受け取ったことが発覚したことで起きる。
その際、シーボルトは、捕まった日本の友人たちを救おうと自らが人質になることも提案した。その結果、何人かの仲間は死罪を免れたという。
シーボルトは文政12(1829)年に国外追放と再渡航禁止処分を受け、翌年、オランダに帰国する。
その際、日本で収集した文学的資料や様々な動物・植物の標本を持ち帰っている。
その中には、日本固有種のカエルであるシュレーゲルアオガエルの標本もあり、それが帰国後に友人となったシュレーゲルの手に渡って同定されたことから、今でも「シュレーゲルアオガエル」が和名になっている。
シュレーゲルはシーボルト同様、ドイツ人だが、オランダのライデン自然史博物館に就職し、脊椎動物部門の管理者となっていた。
当時、シーボルトが持ち帰った標本は、ドイツ人の博物学者ハインリッヒ・ボイエ(Heinrich Boie (1794 - 1827)らも協力し、分類・同定が行なわれた。
特にボイエは、昆虫・鳥類・爬虫類の研究で有名で、アカハライモリ、アオダイショウ、ヤマカガシ、ニホンマムシなど、多くの日本人にとってなじみ深い両生・爬虫類を1820年代に新種として記載した。
その点で、シュレーゲルよりも日本で知られていいとも思うのだが、「ボイエ○○」という和名の生物がいないからか、ほとんどの日本人は知らない。
シュレーゲルの名前が残る動物には、
ハナウミシダ(ウミシダの一種)Comanthina schlegelii (Carpenter, 1881)
サカタザメ(エイ目・サカタザメ科の海水魚)Rhinobatos schlegelii Müller & Henle, 1841
ヨウジウオ(トゲウオ目・ヨウジウオ科の海水魚)Syngnathus schlegeli Kaup, 1856
スミツキアカタチ(スズキ目・アカタチ科の海水魚)Cepola schlegelii (Bleeker, 1854)
クロダイ(スズキ目・タイ科の沿岸魚) Acanthopagrus schlegelii (Bleeker, 1854)
シュレーゲルアオガエル(アオガエル科のカエルの一種)Rhacophorus schlegelii (Günther, 1858)
ロイヤルペンギン(ペンギンの一種)Eudyptes schlegeli Fincsch, 1876(鳥綱コウノトリ目ペンギン科)
などがあるそうだ(Wikiによる)。
シーボルトがいなければ、シュレーゲルアオガエルはサトアオガエルのような和名になっていたのだろうか。
ボイエやシュレーゲルが同定した動植物は数多いのに、シュレーゲルアオガエルだけにシュレーゲルの名前が「和名」として残っているのも不思議ではある。どういう経緯だったのだろう。
今、朝ドラでは植物学者牧野富太郎をモデルにした「らんまん」が放送されているが、その路線で、シーボルトや高橋景保を主人公にした大河ドラマなどを作ってみたらいかがかな。
もう、人殺し武将たちの大袈裟な台詞回しの演目は飽き飽きだよ。
「神の鑿」石工三代記の祖・小松利平の生涯を小説化。江戸末期~明治にかけての激動期を、石工や百姓たち「庶民」はどう生き抜いたのか? 守屋貞治、渋谷藤兵衛、藤森吉弥ら、実在の高遠石工や、修那羅大天武こと望月留次郎、白河藩最後の藩主で江戸老中だった阿部正外らも登場。いわゆる「司馬史観」「明治礼賛」に対する「庶民の目から見た反論」としての試みも。
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立川志の輔の落語が原作ということで興味を持って録画しておいたのだが、見終わった感想は「志の輔はすごいな、やっぱ」である。
大河ドラマへの皮肉もちょこちょこ混ぜながらも、最後は日頃世話になっているNHKへのフォローも忘れない。
文枝と志の輔はビジネスと芸道の両方を極めた天才だな。
周囲の人たちもしっかりサポートしてくれるような人間性も持ち合わせているんだろう。
羨ましい気もするけど、所詮自分には無理な人生だとも思う。
で、この映画の企画を立てたのが主演の中井貴一だと知って、中井への評価も上がってしまった。
中井は志の輔の落語を観て、ぜひ映画化したいと、まずは志の輔に直談判したそうだ。
志の輔は断る理由もないだろうけれど、そこから本当に映画にするまでの道のりは大変だったはずだ。
志の輔も中井も、NHKには相当好かれて重用されている。特に中井は大河ドラマに複数回起用されて、「武田信玄」では主役も務めた。
そんな二人が、あちこちにNHK大河ドラマへの皮肉ともとれる描写や台詞を散りばめた映画を生みだしたところが面白い。
例えば、県知事の意向で脚本を書かせたいと指名された老脚本家(橋爪功)は、かつての人気ドラマ『お手紙先生』の最終回を自分が考えていたような終わらせ方ではなく、お偉いさんに言われてハッピーエンドの予定調和の結末にしたことに嫌気がさして筆を折ったという設定。現在のエンタメ業界、特にテレビへの批判になっているが、露骨ではなく、老脚本家が極端な偏屈爺だという色づけをしてオブラートに包んでいる。
こういう細かい技があちこちに見られる……すごいことだよ、これ。
伊能忠敬の生涯
で、ついでに伊能忠敬のことをWikiなどで調べてみたところ、本1冊分くらいの内容がズラ~~~っと出てきてビックらこいた。で、(当然のことながら)知らないことがいっぱいあった。伊能忠敬
- 延享2年1月11日(1745年2月11日)に上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家に生まれる。2男1女の末っ子。父親は酒造家の次男で、小関家には婿入り。
- 6歳のとき母が亡くなり、家は叔父が継ぐことになったため、婿養子だった父・貞恒は兄と姉を連れて実家の小堤村の神保家に戻るが、三治郎は祖父母の下に残った。(why?)
- 10歳のとき、三治郎は父の下に引き取られたが、神保家は父の兄が継いでいたため、居候のような存在だった父はやがて分家として独立。再婚もする。(父親は生家~婿入り~出戻り~分家~再婚と、二転三転の人生)
- 三治郎は継母と反りが合わず、「佐忠太」と名乗り十代で家を出て流浪の身となる。
- 17歳のとき、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)にある酒造家の伊能三郎右衛門家に婿入り。相手の妻・ミチは4歳上の21歳で、夫と死別したための再婚。14歳で結婚した前夫との間に3歳になる息子が一人。三治郎は一旦、この婚姻を斡旋した親戚である平山家の養子になり、平山家から伊能家に婿入りする形をとらされた。(17歳で4歳年上の子連れ女性の商家に婿入り。父親の人生に似て、めんどくさそう)
- 結婚に際して、朱子学者の林鳳谷から「忠敬」の名をもらうが、気に入らなかったのか、当初は「源六」と名乗った。後に三郎右衛門と改め、「伊能三郎右衛門忠敬」とした。(いろいろ確執がありそう)
- 伊能家に婿入りした翌年の1763年、長女誕生。同年、妻・ミチの連れ子は死亡。3年後の明和3(1766)年に長男・景敬誕生。
- その後、名主~村方後見(名主の監視役)と、村の名士として諸問題を解決するなど活躍。天明の飢饉のときには関西方面から買い集めてあった米を貧しい者たちに放出するなどした。一方で家人や使用人には徹底した倹約を指示するドケチの一面も。
- 天明3(1783年)暮れに妻・ミチが死去。その後間もなく、忠敬は2人目の妻(内縁)を迎え、2男、1女をもうけるが、内縁の妻は寛政2(1790年)に26歳で死去。最初の妻・ミチとの間に生まれた次女も、天明8年に19歳で死去。寛政2年、忠敬は仙台藩医である桑原隆朝の娘・ノブを新たな妻として迎え入れる。(天明の大飢饉の間に妻2人、子供1人を亡くし、一方で2番目の妻との間に3人の子を作り、その妻の死後すぐに3番目の妻を迎えている。絶倫?)
- この頃から暦学に興味を持っていた忠敬は、寛政2年、地頭所に隠居を願い出たが認められず、寛政6年(1794年)、ようやく隠居が認められた。家は最初の妻・ミチとの間に生まれた長男・忠敬が継いだ。
- 念願の隠居が認められ、江戸で暦学の勉強をするための準備に取り掛かった最中の寛政7(1795)年、妻・ノブが難産が原因で死去(通算何人目の子を作ろうとしていた?)
- 寛政7年(1795年)、50歳で江戸へ行き、深川黒江町に家を構えた。暦学を学ぶため、19歳年下の高橋至時に無理矢理弟子入り。寝食を忘れるほど天体観測や測量の勉強に打ち込む。(いわゆる「第二の人生」)
- その頃、伊能家の江戸支店を任せていた長女・イネの夫に離縁を言い渡すが、イネがそれに従わず夫についていったため、イネを勘当した。後に息子の一人・秀蔵も勘当。
- 一方で、自分はエイ(栄)といいう女性(後に女流漢詩人の大崎栄であることが判明)を妻に迎える。2番目の内縁の妻(子供3人生ませた)を入れて、4番目の妻になる。忠敬はエイのことを大変な才女だと褒めちぎり、天体観測などの作業の手伝いもさせていたらしい。
- 師匠の高橋至時が、当時の北方でのロシアとの緊張関係を背景に、幕府に蝦夷測量を願い出て、寛政12年にようやく許可された。忠敬はその作業に抜擢された忠敬共々、蝦夷地測量の名目で、かねてから興味を持っていた子午線の長さを推定するという計画を実行するチャンスが訪れる。それがきっかけで日本全国の海岸線を地図に描く作業が始まる。
- 文化元年(1804年)正月5日、師匠の高橋至時が死去。幕府は至時の跡継ぎとして、息子の高橋景保を天文方に登用。(この人が「大河への道」の主人公)
- 文化7年(1810年)、勘当した娘・イネが夫の死後剃髪し、親族一同に詫びを入れて実家に戻る。以後、伊能家を支え、測量遠征中の忠敬とも多数の手紙のやりとりをしている。
- 測量遠征は文化13(1816)年の第10次まで行われたが、最後のほうは忠敬は高齢のため、実際の作業のほとんどは弟子たちが行っていた。近畿・中国地方への第5次測量遠征では、素行が悪かったとして隊員2名を破門、3名を謹慎処分にしている。(厳しい人なのだ)
- 文政元年(1818年)、地図の完成目前で忠敬は74歳で死去。地図はまだ完成していなかったため、忠敬の死は隠され、高橋景保を中心に地図の作成作業は進められた。(映画ではここから話が始まる)
- 文政4年(1821年)、『大日本沿海輿地全図』と名づけられた地図がようやく完成。7月10日、景保と、忠敬の孫・忠誨らが登城し、地図を広げて上程(映画はここが感動のエンディングとなっている)。9月4日、忠敬の死が発表される。
……とまあ、映画になる前の部分も相当面白い。
4人の妻と多数の子供。妻が死ぬとすぐに次の妻を迎えてバンバン子供を作る。絶倫というか、むしろ女性に対しては情が薄く、ある意味「淡泊」な印象も受ける。
身内にも他人にも厳しく、人情に流されない合理主義・能力主義の人。一方では19歳年下の師匠を生涯尊敬し、師匠の死後は毎日墓の方角を向いて拝礼していたという。なんとも不思議な人だ。
高橋景保と徳川家斉
映画では老脚本家(橋爪功)が、「……というわけで、俺が書くのは『高橋景保物語』だ」と言い張り、『伊能忠敬物語』を大河ドラマにすることはできなかった、というオチになっている。では、この橋爪功演じる老脚本家が実際に『高橋景保物語』を書いたらどうなるのだろうか?
……と、今度は高橋景保を調べたら、さらに意外なことが分かった。
高橋景保
- 天明5(1785)年、天文学者である高橋至時の長男として大坂に生まれる。渋川景佑は弟。
- 文化元年(1804年)、死去した父の跡を継いで江戸幕府天文方となり、天体観測・測量、天文関連書籍の翻訳などに従事。
- 文化7年(1810年)、「新訂万国全図」を制作(銅版画制作は亜欧堂田善)。一方で伊能忠敬の全国測量事業を監督し、全面的に援助。忠敬の没後、彼の実測をもとに『大日本沿海輿地全図』を完成させた。
- 同年、ロシア使節ニコライ・レザノフが来日時に持参した満洲文による国書を1808年に翻訳するよう命じられ、1810年に「魯西亜国呈書満文訓訳強解」を作成。その後、満洲語の研究を進め、複数の著書を残す。
- 文化8年(1811年)、蛮書和解御用の主管となり、「厚生新編」を訳出。
- 文化11年(1814年)、書物奉行兼天文方筆頭に就任。
- 文政11年(1828年)、シーボルト事件に関与して10月10日(11月16日)に伝馬町牢屋敷に投獄され、翌文政12年2月16日(1829年3月20日)に獄死。享年45。獄死後、遺体は塩漬けにされて保存され、翌文政13年3月26日(1830年4月18日)に、改めて引き出されて罪状申し渡しの上斬首刑に処せられた。このため、公式記録では死因は斬罪という形になっている。
映画の感動的なエンディングシーンで、高橋景保の労をねぎらう将軍(草刈正雄)は第11代の徳川家斉。
しかし、景保を、獄死した後もわざわざ死体を塩漬けにしてまで斬首させた文化7(1810)年のときも、将軍は同じ徳川家斉である。
「大河への道」で、老脚本家は過去の自分のヒット作が予定調和の終わり方をしたことに後悔の念を表明している。
本当は「お手紙先生」が教え子への手紙を出すのを忘れ、そのせいで教え子が自殺してしまうというとんでもなく暗い終わりかたにしたかったのだそうだ。
ほんのちょっとした思いやりの欠如が取り返しのつかない悲劇を生むことがあるということを言いたかった、とのことだが、その台詞を思い出した。
地図の完成に感動し、景保をねぎらった将軍・家斉は、そのわずか6年後、景保に「思いやり」を持つことはなかったのだろうか。 シーボルトは景保に最新の世界地図を渡しており、景保はその返礼として、自分が監督して完成させた日本地図の写しを渡している。今なら学術界の麗しい友情物語である。しかし、ご禁制の地図を外国人に渡したことで極刑に処せられた。
ちなみにこの時期の家斉は、寛政の改革を進めた老中らを一掃して「大御所時代」を迎え、「宿老たちがいなくなったのをいいことに奢侈な生活を送るようになり、さらに異国船打払令を発するなどたび重なる外国船対策として海防費支出が増大したため、幕府財政の破綻・幕政の腐敗・綱紀の乱れなどが横行した。(Wikiより)」という。
「特定されるだけで16人の妻妾を持ち、53人の子女(男子26人・女子27人)を儲けたが、成年まで存命したのは約半分の28人(Wikiより)」だそうで、伊能忠敬も顔負けの絶倫ぶりだったようだ。
シーボルトとシュレーゲル
シーボルト事件は謎が多く、シーボルトがオランダのスパイだったという説もあるが、出島に植物園を作って約1400種の植物を栽培したり、長崎の町に鳴滝塾を作り西洋医学(蘭学)を教えたり、日本人の妻を迎えて娘も生まれているなど、親日家、純粋な研究者、教育者という人物像が強く浮かび上がる。ちなみに、シーボルトはオランダ人だと思われているが、ドイツで生まれたドイツ人。祖父、父ともヴュルツブルク大学の医師であり、シーボルト家は医学界の名門だった。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
(Wikiより)
シーボルト事件は、シーボルトが高橋景保に最新の世界地図を送り、そのお返しとして最新の日本地図を受け取ったことが発覚したことで起きる。
その際、シーボルトは、捕まった日本の友人たちを救おうと自らが人質になることも提案した。その結果、何人かの仲間は死罪を免れたという。
シーボルトは文政12(1829)年に国外追放と再渡航禁止処分を受け、翌年、オランダに帰国する。
その際、日本で収集した文学的資料や様々な動物・植物の標本を持ち帰っている。
その中には、日本固有種のカエルであるシュレーゲルアオガエルの標本もあり、それが帰国後に友人となったシュレーゲルの手に渡って同定されたことから、今でも「シュレーゲルアオガエル」が和名になっている。
シュレーゲルはシーボルト同様、ドイツ人だが、オランダのライデン自然史博物館に就職し、脊椎動物部門の管理者となっていた。
タゴガエルに抱きつかれているシュレーゲルアオガエル。2010年3月、川内村の自宅(当時)敷地内で
ヘルマン・シュレーゲル
特にボイエは、昆虫・鳥類・爬虫類の研究で有名で、アカハライモリ、アオダイショウ、ヤマカガシ、ニホンマムシなど、多くの日本人にとってなじみ深い両生・爬虫類を1820年代に新種として記載した。
その点で、シュレーゲルよりも日本で知られていいとも思うのだが、「ボイエ○○」という和名の生物がいないからか、ほとんどの日本人は知らない。
ハインリッヒ・ボイエ
シュレーゲルの名前が残る動物には、
ハナウミシダ(ウミシダの一種)Comanthina schlegelii (Carpenter, 1881)
サカタザメ(エイ目・サカタザメ科の海水魚)Rhinobatos schlegelii Müller & Henle, 1841
ヨウジウオ(トゲウオ目・ヨウジウオ科の海水魚)Syngnathus schlegeli Kaup, 1856
スミツキアカタチ(スズキ目・アカタチ科の海水魚)Cepola schlegelii (Bleeker, 1854)
クロダイ(スズキ目・タイ科の沿岸魚) Acanthopagrus schlegelii (Bleeker, 1854)
シュレーゲルアオガエル(アオガエル科のカエルの一種)Rhacophorus schlegelii (Günther, 1858)
ロイヤルペンギン(ペンギンの一種)Eudyptes schlegeli Fincsch, 1876(鳥綱コウノトリ目ペンギン科)
などがあるそうだ(Wikiによる)。
シーボルトがいなければ、シュレーゲルアオガエルはサトアオガエルのような和名になっていたのだろうか。
ボイエやシュレーゲルが同定した動植物は数多いのに、シュレーゲルアオガエルだけにシュレーゲルの名前が「和名」として残っているのも不思議ではある。どういう経緯だったのだろう。
もう、人殺し武将たちの大袈裟な台詞回しの演目は飽き飽きだよ。
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