『阿武隈裏日記』を改題しました。
たくきの日記はこちらからお入りください

『阿武隈梁山泊外伝』デジタル版を出版2016/09/27 01:32

阿武隈梁山泊外伝 


季刊「東北学」で連載が終了した『阿武隈梁山泊外伝』の補完版をデジタル出版しました。
Pubooはこちら

Kindleでももうすぐ出版されます。

『奇跡の星』ビデオクリップが完成2016/09/12 12:24



Toko Shiiki監督(『Threshold:Whispers of Fukushima』)が、『奇跡の星』のビデオクリップを製作してくれました。
まだ寒い獏原人村でのロケ、真夏の東京でのロケ……を経て、こんな感じに仕上がりました。
YouTubeで大画面で見る場合は⇒こちら



「フクシマ」と福島2016/03/20 22:04

2011年5月10日。立ち入り禁止地区への制限付き「一時帰宅」に同行する記者団

「フクシマ」をカタカナでしか知らない人たちへのメッセージ

映画『Threshold: Whispers of Fukushima』の上映会がアメリカ・ミネソタ州の大学で開催されるにあたり、映画の中にも登場する僕に、何かメッセージを書いてほしいという依頼があった。
少し前に日本語で書いたものを渡した。英訳されて使われるはずだが、そのときの元原稿をここにも残しておこうと思う。


 2011年3月に福島県にある4基の原子力発電プラントが壊れて大量の放射性物質をばらまくという事件から5年が経ちました。
 「フクシマ」はヒロシマ、ナガサキと並んで、世界的に有名な地名になりました。今、みなさんは「フクシマ」という地名に対してどんなイメージを持っているでしょうか。
 悲劇の原発事故が起きた場所、放射性物質で汚染され、人が住めなくなった土地……おそらくそうした類のものだと思います。
 それは基本的には間違っていませんが、現実のごくごく一部にすぎません。
 せっかくの機会ですから、もう少しだけ想像を広げてみてください。そのためのヒントをいくつかあげてみます。


1)福島は広い
 チェルノブイリのときもそうでしたが、壊れた原子炉から流れ出した放射性物質によって汚染された地域というのは、現場からの距離よりも、そのときの天候(風向き、雨や雪が降ったかどうか)によって決定づけられました。チェルノブイリのときに、遠く離れた北欧やドイツ南部などがかなり汚染されたように、「フクシマ」でも、汚染された場所は広範囲に点在しています。
 福島県は日本の本州で2番目に広い県です。福島県内でも会津と呼ばれる西側のエリアはほとんど汚染されませんでしたし、一方では福島県以外のエリアでも深刻な汚染を受けた場所がいろいろあります。それらの地域の人たちは「福島県外」であるということで、十分な補償を受けることもできないという理不尽な状況も生まれました。
 福島県内、とくに都市部では、多額の賠償金をもらった一部の避難者と、十分な賠償を受けていない県民との間で深刻な軋轢が生まれています。
 汚染状況や賠償の格差などはとても複雑な問題であり、簡単に「フクシマ」という一言でくくれないということをまず理解してください。
 

2)とにかくこれからも生きていかなければならない
 福島にはもう住めない、それなのに子供と一緒に住んでいる親は無責任だとか、危険なのに安全だと言って無理矢理住民を帰そうとしているといった批判が渦巻いています。これも、一部は正しいのですが、福島県内で今も暮らしている多くの人たちは、迷惑この上ないと感じています。
 放射性物質がばらまかれたのですから、それ以前よりも危険が増したことは間違いありません。しかし、人が生きていく上で、危険や困難はたくさんあります。うっすら汚染された場所で生活を続けていく危険より、家族がバラバラになったり、収入が途絶えたり、生き甲斐をなくしたりすることによる危険、あるいは不幸になる度合や加速度のほうがはるかに大きいと判断することは間違いではありません。人はそれぞれの状況において、複雑な要素を比較した上で、取り得る最良の選択をしていくしかないのです。事情も条件もさまざまですから、一概に「それは間違っている」「正気じゃない」などと非難することはできません。
 そう非難する人たちの中には、あのとき風向き次第では東京が壊滅していたかもしれないということを想像できず、無意識のうちに、自分たちは安全地帯にいるインテリ層だと勘違いをしている人も少なくありません。
 自分たちがそうなっていたときにどんな選択肢が残されているか、まずはそこから考えてみるべきでしょう。

 私は原発が爆発するシーンを見てすぐに逃げましたが、1か月後には自宅周辺の汚染状況を把握できたので、敢えて全村避難している村に戻って生活を再開しました。その後、やはり村を出て移住したのは、放射能汚染が理由ではなく、村の人々の心や生活環境がそれまでとは変わって(変えられて)しまい、私がこれ以上村に残っていても、地域のためにも自分のためにも、もう意味のあることができないだろうと判断したからです。その決断をするに至った背景はあまりにも複雑で、とても簡単には説明できません。
 

3)「フクシマ」は人間社会の構造的、精神的問題
 壊れた原発内で放射線測定をする仕事を続けている20代の青年と話をする機会がありました。彼は使命感でその仕事をしているわけではなく、嫌だけれど他に仕事がないから辞められないだけだと言っていました。
 いちばんの望みは、被曝線量が限度になると他の原発でも働けなくなるので、そうなる前に他の原発に異動できることだそうです。
 いちばんショックだったのは「この村に生まれた以上、原発で働くしかない。そうした運命は変えようがない。仕方がない」という言葉でした。
 まだ20代の若さでありながら、転職する気力もなければ、ましてや起業して自立するなどというのは「無理に決まっている」というのです。
 おそらく、子供の頃は彼にも将来の夢があったでしょう。それがなぜそうなってしまったのか。大人になるにつれ「仕方がない」「これが運命だ」と諦めて、自分からは何もしなくなってしまう。人をそうさせてしまう風土や社会の空気、仕組み(システム)こそが、「フクシマ」が抱える最大の問題です。

 「フクシマ」後初めての福島県知事選挙では、県民の半数以上が投票に行きませんでした。圧倒的多数で当選した県知事は、原発を誘致・推進してきた前知事の政策を継承すると言った元官僚で、与党ばかりか野党もみんな相乗りして支持していました。
 地方が過疎化して、老人ばかりになる。残った人や自治体が苦し紛れに豊かな自然環境を金に換えてしまうために、森が消え、水や空気が汚染される。不合理なことに税金が使われ、その金に人びとが群がり、さらに問題が悪化する。……そうしたことは日本中、世界中で起きていることです。福島でも同じです。原発が壊れる前からありました。その背景にある問題は「フクシマ」を引き起こした問題と同じです。
 そのことを深く考えないまま、核問題やエネルギー問題、経済問題を論じようとしても、正しい答えは得られないと思います。

 「フクシマ」は決して「特別な問題」「特別な場所」ではありません。「不幸な事故」という認識も間違いです。政治や経済といった社会システムの欠陥、人の心の弱点が生み出したひとつの結果です。
 この地球に生まれ、死んでいく私たちすべてが内にも外にも抱えている共通問題なのだ、ということを、私は「フクシマ」の現場にいたひとりとして、はっきりと証言いたします。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

7つの「幸運」が重なったからこそ日本は救われた! 電子書籍『数字と確率で実感する「フクシマ」』のオンデマンド改訂版。
A5判・40ページ オンデマンド 中綴じ版 580円(税別) 平綴じ版 690円(税別)
(内容は同じで製本のみの違いです) 
 ご案内ページは⇒こちら
製本の仕方を選んでご注文↓(内容は同じです。中綴じ版はホチキス留め製本です)
製本形態

新・マリアの父親

たくき よしみつ・著 第4回「小説すばる新人賞」受賞作『マリアの父親』の改訂版。
新・マリアの父親
A5判・124ページ オンデマンド 980円(税別) 
ご案内ページは⇒こちら



「いるだけ支援」のアニメを見て考えた2016/02/17 22:54

アニメ「いるだけなんだけど」より

「道を造りましたから通ってください」ではなく……


福島県が、『みらいへの手紙~この道の途中から~』というアニメーション動画を作って公開した。

一応全部見てみた。
8つ目の「いるだけなんだけど」がいちばん印象に残った。
(↑脚本・浅尾芳宣、演出・CGアニメ・佐藤貴雄)

このアニメーション制作にしても税金で作っているわけだが、いろんなプロジェクトが「支援」ていうことにしておかないと認められないようなところがある。
ちょっと調べてみると、この「いるだけ支援」というのは福島大学災害支援ボランティアセンターが企画したものらしい。

アニメでは、本当に「いるだけ」みたいな感じで、なんかいいなあ、と思ったのだが、実際にはどうなっているのか分からない。
まずは自分の名前を覚えてもらえるように大きく書かれた名前カードを首にかけて挨拶まわりを実施。後は普段通りに生活を送っていきます。
ここから大学に通い、アルバイトにも出かけていきます。
時間が空けば、庭先で日向ぼっこしながらおじいちゃんおばあちゃんと世間話にはなをさかせ、草が抜けないと聞けば代わりに草むしりに精を出す。頼まれたら快く引き受けます。
その姿は孫に近いものに見えました。
Spotlight の記事より)

……なんていうリポートを読むと、なんだ、「いるだけ」じゃないじゃないの。相当大変なんじゃないの? と思ったりもする。

アニメから感じたことは、必要なのは「支援」じゃなくて「開放」だということ。
とりあえず「開放」して、後は放っておくだけでもいいんじゃないか、と。

仮設住宅に空き家がいっぱいあるから、とりあえず学生に「ここに入ってきてもいいよ」と「開放」する。
お金のない学生が、アパートより家賃が安いならいいかな……というノリでやって来る。
ノルマはなんにもない。
無理にイベントやったり、笑顔を作って話しかけたりする必要はない。普通に生活をするだけでいい。
積極的には何もしなくても、コミュニティに変化が生まれる(かもしれない)。
アニメの中で描かれているのはそんな情景だった。
そういうやつならいいんじゃないかなあ、と思ったのだが、実際にはお上からの許可を得るために、いろいろな名目やらなにやらを上奏しなければいけないのだろう。(結構大変だったと思う)

しかし、この「いるだけ」というフレーズは、とかく勘違いや余計なお節介ばかりになる公的「支援」策に一石を投じる可能性を秘めている気がする。

要するに、目的は村だの町だのじゃなくて、個人なのだ。
いろんな状況、立場、考え方の個人が、相対的に見て、より幸せになっていくようなシステム再構築。
映画『Threshold:Whispers of Fukushima』の中でマサイさんが言っていた言葉。

「ここに道を造りましたから通ってください、じゃなくて、一人二人とそこを通って行く人がいて、気づいたら自然に道ができていた──そういうのが好き」

……これ、すごく大切なことなんだよね。


奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

7つの「幸運」が重なったからこそ日本は救われた! 電子書籍『数字と確率で実感する「フクシマ」』のオンデマンド改訂版。
A5判・40ページ オンデマンド 中綴じ版 580円(税別) 平綴じ版 690円(税別)
(内容は同じで製本のみの違いです) 
 ご案内ページは⇒こちら
製本の仕方を選んでご注文↓(内容は同じです。中綴じ版はホチキス留め製本です)
製本形態

新・マリアの父親

たくき よしみつ・著 第4回「小説すばる新人賞」受賞作『マリアの父親』の改訂版。
新・マリアの父親
A5判・124ページ オンデマンド 980円(税別) 
ご案内ページは⇒こちら



阿武隈野良猫日記2015/09/16 16:24

しんちゃん一家 子ネコは最後は1匹だけになってしまった
ふと思い立って、川内村で暮らした7年間、特に原発爆発が起きて全村避難になっていた村に戻ってからの時期を、野良ネコたちとの関わりを時間軸にしてまとめてみた。

題して「阿武隈野良猫日記」全13回。
初回は⇒こちらから

総勢20匹近い野良猫が登場する。猫の姿を見ながら、あのときに起きたことを振り返ると、見えにくかったものも見えてくる気がする。





3年前ののぼるくんと福島の今2015/09/06 22:02

今年のモリアオガエルの子

3年半前ののぼるくんと福島の今

フェイスブックでたまたま2012年3月4日にアップした動画に新たなコメントがあって、これを3年半ぶりに見ることになった。
これをUPしたことは覚えていない。
蛍光灯をつけるのぼる

のぼるはこうしてときどき台所の電気をつけてしまう。つけたら消せ。

Posted by たくき よしみつ on 2012年3月4日
2012年3月というと、前の年の11月11日に今の家に引っ越してきて、猛烈に寒い冬を過ごし、ようやく落ち着き始めて、春を待っていたところ。
川内村の警戒区域境界線に捨てられていたのぼみ~はまだ0歳。
のぼるくんは今よりずっと白いね。
このときの自分のコメントをそのまま再掲。
http://abukuma.us/takuki/11/129.htm ←拾ったときの日記を読み返してみた。よくぞここまで育ったなあという感慨と同時に、やっぱり川内村の家がよかったなあと、いろんな想いがこみ上げてきて困った。
まさかこいつらと一緒に、川内村の外で暮らすとは、あのときはまったく想像していなかったなあ。


そう。まだまだ原発爆発とその後の怒濤のような「想定外」ラッシュ、生活の変化に翻弄されていた時期だった。

で、今、川内村や福島はどうなっているのか?

ルポライターの奥村岳志氏が書いている「福島 フクシマ FUKUSHIMA」というブログに、「汚染の現状と防護を巡って ―木村真三氏、河田昌東氏が小高で講演」という記事があった。
2015年8月2日、南相馬市小高区内で行われた「木村真三×河田昌東 放射線コラボ講演」と題する講演会の模様を紹介している。
木村氏は1967年生まれ。NHK ETV特集 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」で有名になった。専門は放射線衛生学で、現職はウクライナ・ジトーミル国立農業生態学大学名誉教授。
河田氏は1940年生まれ。元名古屋大学理学部分子生物学研究施設助手で専門は遺伝情報解読と環境科学。現職はNPO 法人チェルノブイリ救援・中部理事。
転載・リンク自由とのことなので、いくつか抜き出してみる。

河田:山に近い部分はどうしてもいろんな問題が起こります。
 チェルノブイリの例でいうと、事故直後、木の葉の汚染が15万7900ベクレル。それが次第に腐葉土になって土の下に沈んでいきます。そうすると土の上の方は汚染が弱くなっていきます。しかし、腐葉土になって沈んでいくと、今度はそれが根から吸収されるようになります。そこで、木の年輪を分析すると、事故後6~7年ぐらいから急に汚染が高くなっています。これは根からの吸収が始まったということです。
 根から吸収すると、また葉っぱも汚染します。それがまた落ちてまた土に還る。また吸収される。こういう循環が始まるわけです。あとは半減期で減っていくしかない。

河田:川内村では、まだ地表から3~5センチぐらいのところにセシウムの大半が残っています。カリウムは水に溶けやすいので溶けて下に沈んでいきますが、セシウムは水に溶けにくいので残ります
 そうするとどうなるかというと、例えば山菜など地表に根を張るものは汚染がうんと高くなります。カリウムがあれば代りに吸収されてセシウムの吸収を抑制するんですが、カリウムは溶けて流れてしまうのでセシウムが吸収されてしまう。山菜の汚染が高いのはこういうことが理由です。

河田:野菜の測定をずっとやっているわけですが、その目的のひとつは汚染しやすい野菜としにくい野菜を区別することです。
 実際にやってみて分かったのは、根菜類は、土の中にある部分の方が高いだろうと思うんですけど、実際は逆で地上部の方が汚染は高いんです。例えば、サトイモのイモは低いけど、上のイモガラは非常に高くなります。
 年毎に汚染は下がっています。野菜に関してはそういう傾向があります。
 ところが山菜、例えばコシアブラなどはてんぷらにするとおいしいですが、汚染は極めて高いです。これは、最近の研究で根の構造に原因があるらしい。
 それから、2013年と14年と同じ山菜を比べてみると、ゼンマイは14年の方が高くなっている。ワラビもそうです。
 こういう風に、山菜の場合は野菜と違って(汚染の度合が)増えてくるものもあるわけです。


木村:いわき市の志田名(しだみょう)地区の例についてです。川内村との境です。小高と同じレベルかそれ以上の汚染があった地域です。
 ところが、国はこの地域の汚染を知っていながら、当初、住民には知らせませんでした。放射能が通過した直後、自衛隊が志田名に入って線量を測っていますが、住民に知らせず見捨てています


ちなみに志田名、荻の汚染がひどいことは ETV特集 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」で初めて報道されたが、ここは川内村の我が家(タヌパック阿武隈)から関守の獏工房や獏原人村に行くルートの途中にあるため、僕は自分の線量計でとてつもない線量を示す場所があることをその前から知っていた。
多分、志田名・荻地区の汚染がすさまじいことに最も早く気づいたのは獏原人村のマサイさんだ。
マサイさんや関守はチェルノブイリの直後から「R-DAN」という線量計を持っていて、常時稼働させていた。
マサイさんは原発爆発直後に避難したが、原人村に置いてきた鶏に餌をやるために決死の覚悟で戻った際、車に積んでいるR-DANが志田名、荻を通るときにものすごい数値を示したことをミクシィで報告している。

木村:住民のみなさんとこういう会話がありました。
「隣りの川内はうちよりずっと低いのになんでテレビは貰う、冷蔵庫は貰うなんだ」。
 これに対して僕は、「じゃあ、ゼニカネで解決していいのかい?」と。
 そうすると住民のみなさんは「そうでねえ、おれらは元に戻したいんだ」と。
 僕は「正直、この地域は人は住めません」という話をしました。でも、彼らは、「自分たちの地域を捨てられない。自分たちで再生したい」と。「じゃあ、非常に難しいけど、やってみましょう」と。
 で、「田圃一枚一枚が自分の命だ。だから全部の田圃を測りたい」ということで、10メーター区画で測定しました。全部で713カ所。家の周りも、住宅も、庭も、仏間も、2階も測りました。713箇所を彼ら自身で測定しました。それを元に2011年9月に汚染地図ができました。高いところは毎時3マイクロシーベルトを超えていました。

木村:除染を行ったところの放射線線量率は84%の減少でした。でも、この84%にはや自然減衰の分や物理的半減期による減衰分が含まれています。だから、正味の除染の効果は25%(84-59=25)ということです。
 これを「25%しか」というのか「25%も」というのか、僕には正直分かりませんが、45ヘクタールの除染でフレコンバックが4万体です。丸2年で何億円もかけた効果が25%。何もしなくても59%は下がるのに。これが除染の実態です。
 しかも除染すれば終わりではないんですね。「先祖様がずっと作ってきた大事な養分の部分を全部除染で取っちまって、山砂を入れている。これが元の土に戻るのには何年かかるんだい?」と。
 これが現実です。
 住民がこうポツリと言いました。
「俺ら、この地域を元に戻したいってここまでやったけど、結局、若い人は帰って来ないんだ。除染して本当にしてよかったのかは正直わかんない」

 志田名地区でも精神的賠償が話になりました。僕は、ゼニカネで問題を解決しない方がいいと言いました。金でまた部落が分断されます。  1人当たりいくらという計算になりますから、5人家族なら5人分、2人家族なら2人分です。それで格差が出てきます。精神的賠償の話が持ち上がったら、まだもらってもいないのに、「あの家は何人家族だから。うちは2人だから」っていう話になって、もうまとまらなくなっている。これに非常に胸を痛めています。


参加者:私の家は薪風呂なんですが、セシウムは飛散するのでしょうか?

木村:はい飛散します。
 二本松で2番目に内部被ばくが強かった方が約4500ベクレル。自給自足をされています。いろいろ調べたんですが、食品などの汚染はほとんどなかった。汚染原因がよくわからないのでいろいろ話を聞いてみました。すると薪ストーブなんですね。そこで、ハイボリュームエアーサンプラーという掃除機の大きいようなもので調べてみることにしました。1時間ぐらい吸引してだいたい1日分の呼吸量の20立米。結果は400ベクレルを超えるぐらいのセシウムが出ました。
 で、すぐに新しい薪ストーブに替えたら劇的に下がりましたが、やっぱり薪ストーブは危険だということは変わりありません。薪風呂の方は家の中全体に拡散しないので薪ストーブほどではありませんが。


 薪ストーブについては以前から僕も気がかりだった。
 薪のままであれば、あるいは薪にする前の樹木の状態のままであればセシウムはそこに付着したままあまり動かないが、燃やしてしまえば煤煙となってまた空気中に拡散していくのではないか。それを吸い込むということがいちばんまずいのではないか……と。

参加者:地区のゴミの片づけで、例えば枝打ちをしたらどっかで焼却しなればならない。たき火にするのか、風呂に入れるのかという問題があります。オール・オア・ナッシング的な話ではなくて実際に生活して行く上で、こういう木は線量が少ないから燃やしても大丈夫とかとういうところを、教えていただきたいです。

河田:木の汚染には幾通りかの経路がありますが、事故が3月の半ばに起こったので、落葉樹と針葉樹の差が出ているわけです。
 事故当時、落葉樹には葉っぱがありませんでした。だから落葉樹に関して樹皮、表面についた汚染です。それが染み込んでいきます。
 ところが、松とか杉とかは葉っぱがあります。かんきつ類もあります。これらは葉っぱが汚染したわけです。葉っぱから中に入っていきます。葉面吸収と言います。しかも針葉樹の葉っぱは面積にするとすごく大きくなります。だから大量に吸収するということが起こったわけです。
 だから相対的に言えば落葉樹の方が汚染は少ないと言っていいと思います。

このブログで紹介されている、2氏と参加者(住民)との最後のやりとり部分は、特に心に残った。
「帰還ということに対しても、正直なところは反対です。帰還しないでいいのであれば帰還しないでほしいというのが私の願い」という木村氏に対して、住民はの一人は、
「そういう話を聞いても正直ストレスを感じる。測れとか線量が危険だとかという話なら、行政とか県とかに働きかけるべきだ。放射線関係の専門家の方々に望むのは、そういう話ではなくて、現実問題ここで生活しようとする人たちが最低限安全に住むためには、例えば、川で、畑で、田圃でこういうところに注意すればいいといった前向きな指導をお願いしたい。いつまでも危険だ危険だという話ばかり聞いていてもしょうがない」
と詰め寄る。
それを受けて河田氏が、
「わかりました。ずっと南相馬でいろんな測定をしてきて、これは危険だ、これは安全だ、これはこうすればいいといったことをパンフレットにまとめて配る予定だ」と答えて質疑応答が終わっている。

本当に、いいとか悪いとかではなく、これが今の福島の姿だ。
しかしこれは「福島の一部」であって、「福島」という言葉ですべてを語るべきではない。
「フクシマ」以降の福島は複層的に分断され、混迷を極めている。
この講演まとめブログの中でも随所にその状況を示す言葉が出てくる。

「隣りの川内はうちよりずっと低いのになんでテレビは貰う、冷蔵庫は貰うなんだ」

はその一例だが、これの意味、内容をきちんと理解できる人は少ないと思う。
その川内村は、
小高よりも線量の低い川内村は、いま7割の方が帰村したということになっていますが、実際は週4日以上住んでいる人を帰村者としており、完全に住んでいる人は3割、600人足らずです。(木村)

で、除染バブルで除染員用の飯場が「ビジネスホテル」という名目で建設され、メガソーラーやらLED電球と栄養液で栽培する野菜工場やらで「経済復興」をめざすやらで、僕が住んでいたときの村とは様相がすっかり変わってしまっている。
汚染の実態と関係なく、当初、原発からの距離で避難する/しないを線引きされたことによる混乱・被害は、今も尾を引いている。
二本松の場合、線量が高く避難指示を出さないといけないのに、出されなかった地域です。もう今さら避難すると言っても遅いわけです。だからいま対処できることをきちんとやりましょうということです。
しかし、小高の場合、避難ができているわけです。わざわざ帰る必要があるかということはいろんな状況を考えてみるべきだと思います。(木村)

基本的に「帰還には正直なところ反対。帰還しないでいいのであれば帰還しないでほしいというのが私の願い」と言っている木村氏も、長く汚染地の調査を続け、そこに住み続けるしかない人たちの姿を見ているために、
二本松や志田名のように住まざるをえない地域で、あれもダメ、これもダメというのは本当に忍びないです。ではどうするか。こうすれば線量は下がるし、食べられるということを提案していくことだと思います。現に住んでいるのに「ここには住めません」「ここでは我慢しましょう」だけではやはり持たないでしょう。 ただ、小高の場合はこれから住むわけです。そういうところではどうするか。まずは自分が調べて、測ってみる。これが一番大切なことではないかと思います。

と述べている。

農薬漬け田んぼで生きるカエルのごとく

最近僕は、自分は農薬漬けの田んぼで暮らすカエルのようなものだと思うようになった。
放射性物質による汚染のことだけではない、新国立競技場問題、佐野研二郎パクリ事件、巨大防潮堤建設、この期に及んでまだやめない核燃サイクル計画……今の日本は精神を病んでいるとしか思えない。
この病んだ精神が蔓延している社会で生きていかなければならない。
農薬漬けの田んぼでも、タフで注意深いカエルはまだ生き延びるチャンスはある。しかし、オタマジャクシ(次の世代の若者)が健康に生き延びて大人になれる可能性はどんどん低くなる。

一人親世帯の貧困率(平均所得の半分に満たない家庭)は55%

次の世代が生きていくのは大変というのは、こんな現実にも現れている。
子どもの貧困率は、平均的な所得の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の子どもの割合で示すが、2012年に16.3%で過去最悪になった。子どもの6人に1人が貧困と言われるゆえんだ。ひとり親世帯の貧困率は同年54.6%で半数を超える。
東京新聞 2015/8/27 困窮家庭「子どものご飯どうしたら」 給食ない夏休みにSOS

その農薬の話

農薬漬けの田んぼと言えば、安倍政権下では安保法制や核問題の狂気だけでなく、こんな恐ろしいことも行われている。
以前ミツバチが大量に巣から失踪する現象(蜂群崩壊症候群)が、同時多発的におきて原因が暫く不明であったが、少し前にネオニコチノイド系の農薬が蜂の神経系に作用してミツバチを殺すことが分かった。EUはこれを受けて2013年の暮れから、ネオニコチノイド系の農薬の使用禁止に踏み切った。
然るに日本では、今年の5月に厚労省がネオニコチノイド系の農薬の食品残留基準を大幅に緩和した。たとえば、クロチアニジンというネオニコチノイド系の農薬のホウレンソウの残留基準は13倍に引き上げられた
(池田清彦氏のメルマガ「池田清彦のやせ我慢日記」より

これを報じる大手メディアはどれだけあっただろうか。

このコラムでは、フィプロニルという成分を含む農薬(代表的製品名は「プリンス」)についても書かれている。フィプロニル系の農薬によって田んぼでヤゴが育たず、トンボが激減した話。
このフィプロニルは犬猫のノミダニ駆除薬にも使われていて(代表的製品名は「フロントライン」)、それを検索していくと、フィラリア予防薬を使うべきか使うべきではないかという議論も読むことになったり……ずいぶん勉強になった。
薬の功罪、メリットデメリットのバランスというのはとても難しい話で、放射能の話と似ている。
肉体への直接の害だけでなく、ストレスの問題を考えないといけない。
ストレスの問題は、ものの考え方、生き方、問題への対処法などに大きく関係してくるわけで、思い悩むことの多い僕のような人間は、いかに精神を安らかに保つかという技術を磨いていくことが、残りの人生ではいちばん大切なのかな、と思う。




『国と東電の罪を問う』を読んで2015/02/17 12:13

クリックで拡大
『国と東電の罪を問う 私にとっての福島原発訴訟』(かもがわブックレット199)という冊子を購入して読んだ。
イベントの発言記録ということで、正直あまり期待していなかったのだが、想像していたよりも充実した内容だった。
蓮池透さんは2012年元日の『朝まで生テレビ』で一緒だったが、そのときは僕も彼もほとんど発言できなかった。今回はたっぷり話していて、その内容も元東電社員ならではのもの。
元NHKの堀潤さんも目一杯発言している。
井上淳一さんの、石川町で学徒動員された子供たちがウラン採掘作業をしていた話も、概要は知っていたのだが、「鉄を供出していたためにツルハシも持たされず、多くの人は素手で掘っていた。靴もなくてわらじだった。しかも何を掘らされているのかは軍事機密として知らされていなかった」という内容までは知らなかった。
NHK連続テレビ小説だと2500万人くらいが見ていることになるが、そこでは戦争シーンでの描写に限界がある。各家に天皇のご真影が飾られていて、みんなが「天皇陛下万歳」と叫ぶシーンはやれない。関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが流れて虐殺されたことも描けない。そういうのをやろうと思うと、インディーズ映画でやるくらいしか方法がないからせいぜい1万人に見てもらうのがやっとだ……というような話も、まったくその通りだな、と。
2500万人に届く反戦メッセージか、1万人にしか届かない「闘い」か。もちろん、単純な2項対立ではないと思いますが、そこのところのせめぎ合いを、無自覚な表現の自由の放棄にならないように気をつけながら、いま何ができるかということを、ぼくは真剣に考えていますし、「戦争前夜」に生きる作り手すべてに考えてほしいと思っています。(井上淳一氏)
 
このブックレットはA5判で600円+税。この体裁くらいだと、自費出版でもなんとか作れるので、僕自身、これからやっていける方法のひとつとして考えている。
それこそ「戦争前夜」に生きる作り手の一人として。

クリックで拡大
この大きさページ数で1000円以下の価格で売れるなら、
なんとかオフセットで500部、1000部でいけるかも……

「フクシマ」を刺激的なネタとして消費しないでくれ


「フクシマ」といえば、今日もまた、某テレビ局から「働かない方がトク!というゆがんだ構図」という賠償金問題について取材させてほしいという依頼があった。
この手の依頼はすべて断り続けている。いちいち断るのが面倒なので、どうも原因となっているらしい2012年のブログ記事の最後に次のような断りを追加した。
■2015年2月3日追記■
このブログ記事を読んだ出版社やテレビメディアなどから、「補償格差」や「賠償金成金」が生まれる歪みなどについて書いてくれ、話してくれという依頼が複数来ますが、すべてお断りしています。
この問題はとても複雑かつデリケートで、どんなに言葉を尽くしても実情や問題点を伝えるのが難しいと考えています。
特にテレビは、最初から視聴者の好奇心を刺激し、「とんでもない話だ!」という反応を引き起こそうという意図の元に編集されるのが目に見えていますので、基本的に取材や出演依頼には応じません。

福島の人たちの口もどんどん重くなってきました。これを書いた時とは現場の「空気」もずいぶん変わってきました。
怒ってもどうにもならないという諦めや、下手に口にすることで問題を悪化させてしまう、ますます人間関係が分断されてしまうことへの恐れから、どうしても「沈黙は金」になっていきます。
私がこの記事を書いたのは2012年2月で、「村に戻れば補償打ち切り」「仕事を再開すればその分、補償を減らす」というとんでもないルールに怒り心頭でした。そのときの気持ちを消すことはできないし、思い起こすことが大切だと思いますので、敢えて書いた内容には手を入れないでおきます。

その後、「村に戻れば一人10万円/月は打ち切る」という馬鹿げた規定は見直され、村に戻る戻らないにかかわらず避難命令が出ていた期間の「精神的損害補償」は支払われることになりました。
また、川内村はいち早く帰村宣言をしたために、川内村の旧緊急時避難準備区域の住民に対して支払われてきた1人当たり月額10万円の精神的損害賠償は2012年8月に打ち切られています。

何度も言ってきたように、いちばんの問題はこういうことを引き起こし、どんどん悪化させていく「システム」にあります。そこに言及しないまま、福島で今起きていることだけを刺激的に報道することは、誰の得にもなりません。知ったかぶりしてネット上で騒ぐ人たちにおいしい餌を撒くだけでしょう。
補償金格差に限らず、「フクシマ」の諸問題は単に興味本位で消費されるだけになってしまうことがいちばんまずいのです
今後も、マスメディア(特にテレビ)からの似たようなリクエストはすべてお断りするつもりですので、ご了承ください。

さらば阿武隈2015/01/24 21:25

タヌパック阿武隈

さらば タヌパック阿武隈

川内村の家と土地を……というより「タヌパック阿武隈」を手放すことになった。
理由は「維持できなくなった」から。
3.11後、いろんなものを失い、収入も激減。維持していく余裕がなくなった。
同じ理由で百合ヶ丘の仕事場も手放したわけだが、もう余生が長くないと思うと、身辺整理という意味合いも強い。

12月、1月はそのための後片づけや手続きのために、日光と川内村を何往復もした。暖かい時期だったらよかったのだが、寒いし、雪が降り、道が凍結すれば命がけだし、大変だった。

この土地と建物には、簡単には言い尽くせない思いがある。
2007年10月23日の中越地震で越後の家を一瞬にして失い、気持ちまでぺしゃんこになったまま年を越すのは嫌だと、新天地を探した結果、ここ川内村にすばらしい土地を見つけ、引っ越した。
ずっとここに暮らして、生きること、生き抜くこと、人との関係、自然との関係を考えながら歳を取り、一生を終えるつもりだった。
それが、たかだか(と敢えて言う)原発が爆発したというだけで、いろんなことがぐちゃぐちゃになり、バラバラになり、消えていく。
「あれ」が起きてからもうすぐ4年。
今はもう、怒りとか絶望とかを超えて、なんだか淡々とした、それでいて割り切れないという、不思議な気持ちだ。


↑この部屋のこの机と椅子で『裸のフクシマ』を書いたり『SONGBOOK1』をマスタリングしたりしたんだなあ……。

2015年1月22日。
午前中に本宮市の銀行に行って最終決済と所有権移転手続き。
その後、買い主のSさん、不動産屋さんらと川内村に向かい、最終引き渡し。

低気圧が来て1日中荒れた天気になるということは1週間前から予報されていたので、ずっと心配だった。
東北道が雪でスピードが出せないと本宮まで相当かかるかもしれないので、予定より30分早く家を出た。
幸い、出たときは道にうっすらと雪も積もっていたが、高速に乗ってからはほとんど問題なく走れて、約束の11時よりずっと早く到着した。

東北道は順調だったが、途中、郡山IC付近でピーピーと音がしてぎょっとした。
線量計の警告音だった。日光~矢吹~小野~川内村というルートで今まで何往復もしてきたが、線量計の警告音がしたことは一度もない。
そういえば、郡山市内の不動産屋さんに最初の契約に出向いたときも、市内で一度線量計が鳴ってびっくりした。
郡山はやはり線量が高いという事実を改めて思い知らされる。
それでも町の中では普通にみんな生活していて、今はもう、放射能汚染を話題にすることが完全にタブーになっている感がある。
福島の人たちはみんなそうした事情を分かって、飲み込み、沈黙しながら生活している。その雰囲気や精神状態は分かりすぎるほど分かっているので、僕も今では積極的に公言することはない。
話題にしても、ここで暮らしている人たちには「余計なお世話」「言ったところでどうなるものでもない」ことだし、外から見ている人たちにはさらなる刺激材料になり、一部では情報が加工されて暴走していくだけだからだ。
「フクシマ」の問題は、「福島が……」という話ではない。
放射線量がどうの、という単純な話でもない。
ここにも何度も書いてきたように、「フクシマ」はシステムの問題であり、社会のあり方、人の心のあり方、生き方の問題なのだ。
しかし、現実として郡山市や福島市といった福島県を代表する都市部が今も相当に汚染されていることはしっかり認識しておく必要がある。
認識してほしいが、外から見ている人たちには、非難の矛先を決して間違えてほしくない。「なぜ逃げ出さないのか?」ではなく、まずは自分たちが選んだ政治家や、今も電気料金を払い続けている電力会社が何をしてきたのか、今何をしているのか、していないのかを考えれば、福島に暮らす人たちを責めるようなとんちんかんな論法にはならないはずだ。

で、朝飯は本宮IC手前の安積PAにて。連日、寒さの中で作業したりして身体を酷使していたせいか胃が痛いので、うどんにした。
胃が痛いのはストレスのせいもあるかもしれない。

銀行で契約手続きを無事に終え、それから買い主さん、不動産屋さん、僕と妻が車3台で別々に川内村に移動。
僕らは12時50分頃に到着。
遅れてきたSさんに室内を確認してもらい、水回りなど、いろいろな注意点を伝達。
不動産屋さんと買い主のSさんは先に帰り、僕と妻は運び出しきれなかった荷物をクロネコに渡すために残った。

僕が一人でクロネコを待つ間、妻は奥のきよこさんの様子を見に。
夕方、一人暮らしのきよこさん(80代半ば)の様子を見に通うのが日課だった妻にとって、これがおそらく最後の訪問になる。

ようやくクロネコが来て、最後まで残った12個の段ボールを運び出したので、僕もきよこさんの顔を見に奥に向かった。



原発が爆発したときも、助手さんはきよこさんの様子を見に行っていた。テレビで爆発シーンを見た僕は、恐怖で心臓がバクバクして、息苦しくなりながらこの坂を登って呼びに行った。きよこさんちの玄関を開け、「逃げるぞ!」と言った僕を、みんなは一瞬きょとんとした顔で見ていたっけ。

きよこさんはいつもと同じ場所(玄関を開けるとすぐに目の前)で炬燵に入っていた。
あんたらのようないい人たちが去って行くのは嫌だ、と言う。
「大丈夫。次にくる人はとてもいい人ですから。不在のままの僕らよりずっといいですよ」
と言ったが、笑顔はない。

みぞれ混じりの雨が強くなってきた。暗くなると帰り道が危ない。
「じゃあ、行くね。お元気でね」
別れを告げて雑木林と沢の間の道を下って戻る。


いよいよ見納めのタヌパック阿武隈。しょうかんさんが設計し、よりみち棟梁や愛ちゃんたちと一緒に建てた。
もう、ここを「うち」と呼べなくなってしまった。

7年間。

川内村で暮らした時間。
全村避難になってほぼ空っぽになった村に戻ってきたのは2011年4月の終わり。
あのときは、これだけのことがあったのだから、今度こそこの村を自立した村として建て直すのだ、という意気込みを持っていた。友人たちもみんな同じ気持ちだったと思う。
しかし、そうはならなかった。

関守・じゅんこさん夫妻は北海道へ、しょうかん・愛ちゃん一家は岡山へ、みれっとのよーすけさん・けーこさん夫妻は長野へ、小塚さん夫妻、出戸さん夫妻は佐渡へ、佐藤こーちょーは三島へ、ブッチ・りくさん夫妻は山形へ、そして僕らは日光へ……友人たちはみんな散り散りになってしまった。
毎日一緒に散歩したお隣のジョンもいない。ジョンは「被災犬」として間違って捕獲されてしまったが、今は所沢で幸せに暮らしているはずだ。


雪道を滑りながら車を出す。下のけんちゃんの家に寄って最後の挨拶。
「せっかく親しくなったのに、いなくなるのは嫌だねえ。また来たときは寄らっしぃ」
きよこさんと同じことをけんちゃんの母親・ふさこさんも言った。
「お元気で」
ふさこさんに、きよこさんに言ったのと同じ言葉をかける。
精一杯の笑顔で言ったけれど、多分、もう会えない。
お互い分かっている。
「これ、お菓子です」
と、妻が菓子折を渡す。これが最後の菓子折。

言い尽くせない思いが頭の中を巡る。

阿武隈……50代になって「これだ」という思いがあった。
阿武隈に呼ばれたのだと思った。阿武隈で余生を過ごし、死ぬのだと決めた。その「阿武隈」というキーワードが、どんどんフェイドアウトしていく。
悔しいというよりは、脱力……だろうか。あまりにいろんなことがあって、今はうまく言葉が紡げない。

きよこさんもふさこさんもけんちゃんもしょーたろーさんも、ここにいる人たちはみんな、それぞれに生きている。精一杯。
なにが正しいとか、間違っているとか、もう、そんなことはどうでもいいという気持ちになる。
だって、みんな、それぞれに精一杯生きているんだもの。
力尽きて死んでしまった人たちもいっぱいいる。「BSを見たい」というので僕がBSアンテナをつけてあげたまさときさんはじめ、近所の老人たち。死屍累々。
「あれ」がなければ、多分今も生きていただろう。昨日と同じ今日を生きて、笑っていただろう。
みんな生きがいを失い、たちまち身体を壊して、あっという間に死んでしまった。
ばあさんたちよりじいさんたちのほうが変化についていけず、弱かった。
でも、そういうことも含めて、人生であり、運命であり、この「世界」の現実なのだ。

「あれ」は、人間だけでなく、阿武隈に棲むあらゆる生き物をも巻き添えにした。
今年もマツモ池、雨池、土手池、弁天池の上の枝に、モリアオガエルは卵を産むのだろうか。
僕はもう確かめられない。

Sさん。あとはお願いしますね。
池の水、絶やさないようにしてくださいね。
5年かかったのよね。「モリアオガエル同棲計画」
結局、モリアオガエルと一緒には暮らせなかった。

Sさんの家は浜通りの「帰還困難区域」にある。
今も家の周りは7μSv/hくらいあるという。
0.7 じゃなくて、7。
もう、無理だよね。生きているうちに帰るのは。
それでもSさんは、自警団みたいなのに入って、今も100km近い距離を走り、自分が生まれ育った町に通う。誰もいなくなった町の保安のために。

「(帰れないと思っても)やっぱり故郷は捨てられませんか?」
と、恐る恐る訊いてみた。
柔和なSさんの顔がたちまちくもり、少し押し殺すような声でこう答えた。
「だって、爪に火を点すような思いをしながら、ようやくあそこまでこぎつけたんだから……。それが全部……」
Sさんは個人商店主だ。お店兼自宅の様子をGoogleのストリートビューで見た。シャッターが下りたままの建物はまだ新しいように見える。でも周囲に人影はまったくない。
ゴーストタウンになってしまった故郷、そして生きているうちには戻れそうもない我が家。

Sさんは「福島県もりの案内人」「日本自然保護協会自然観察指導員」などの肩書きを持っている。風貌は熊オヤジというかマタギというか……いかついが、人なつこい笑顔が素敵な人だ。
僕が作った「阿武隈カエル図鑑」を家の中に残しておいた。
カエルたちのことがいちばん心配だったので「できることなら池はつぶさないでください」とお願いしたら、「楽しませてもらいます」と笑顔で答えてくださった。
この地にはきっと、雑木林とカエルの神様が住んでいるんだろう。その神様に僕らが呼ばれた。そして、今度はSさんが呼ばれたんだと思う。

Sさん、ここを買ってくださってありがとうございます。
カエルたちをよろしくお願いします。

ミシガン大学での公開イベントにて2014/02/22 16:08

"A letter from Japan" - Yoshimitsu Takuki @ University of Michigan North Quad Space 2435 日本語字幕入 from Toko Shiiki on Vimeo.


2014年2月20日(アメリカ時間)、ミシガン大学にて行われたSocial Justiceの公開イベントに、手紙という形でメッセージを寄せました。
このイベントは、4月に本格的制作に入るドキュメンタリー映画『Threshold: Whispers of Fukushima』の報告(予告)などと一緒に、テーマとして「なぜマスメディアは情報を操作するのか。どうして大切なことを伝えないのか」がディスカッションされるとのことで、それに合わせてのメッセージでした。
全編日本語字幕入りです。
読み上げてくださったのは作曲家・音楽家のErik Santos教授。ミシガン大学で音楽を教えています。
彼をゲストプレイヤーに迎えてのセッションコンサートを4月26日(土)に日光市で行います。
詳細は⇒こちらをご覧ください

福島の本当の姿、福島からの本当の声を Threshold: Whispers of Fukushima2013/11/01 16:59

Threshold : Whispers of Fukushima PR動画より
アメリカ在住の映像作家・Toko Shiiki Santosさんのプロジェクト『スレッショルド:福島からのつぶやき』(福島の今を世界に知ってもらうためのドキュメンタリー映画制作プロジェクト。現地における本当の事情や、福島の人々、特に子供たちの声や活動報告を中心にまとめる予定)を手伝うことになりました。
彼女は2011年に一度南相馬市の原町第一中学校を訪れていて、そのときのつながりも生かしつつ、今回はさらに、川内村から一家で岡山に避難した後、福島の子供たちの保養プロジェクトや避難者相互連絡会、各種講演などに奔走してきた大塚愛さん(「子供未来・愛ネットワーク」代表(獏原人村の「大工の愛ちゃん」)、福島第一原発の現場の窮状について訴え、講演、情報発信を続けている元東電社員の吉川彰浩さん山木屋太鼓(川俣町)の面々、そして僕(たくき よしみつ)も取材対象としてピックアップされました。

来年の4月から5月にかけてメインの取材をする予定ですが、急遽、今月の終わり頃にTokoさんが単身来日し、いわきの吉川さん(元東電社員)、南相馬市立原町第一中学校ブラスバンド部、そして川俣町の山木屋太鼓の映像取材を先行してやることになりました。僕もお手伝いします。

当初は個人で活動できる範囲内でやるつもりでしたが、アメリカの友人たちの強い勧めもあり、IndiGoGoを使ったクラウドファンディング(ネットを通じて不特定多数の人たちから少額の資金調達や協力を呼びかける手法)も行います。本日(11月1日)開始で12月22日終了。目標額は10000ドル。
PR用ショートムービーの日本語字幕バージョンも用意しました。
⇒こちら

A short movie about documentary of people in Fukushima "Threshold: Whispers of Fukushima" 日本語字幕入 from Toko Shiiki on Vimeo.



Tokoさんからのメッセージ↑



大手企業からは「Fukushimaはもういいよ」と断られたそうで、あとはできる範囲での個人からのサポートのみでやっていくとのこと。

●プロジェクトのサイトは⇒こちら

●クラウドファンディングのページは⇒こちら

よろしくお願いいたします。

タヌパック書店
たくき よしみつのオリジナル出版物販売 「タヌパック書店」は⇒こちらから




↑ご協力お願いいたします

『So Far Away たくき よしみつSONGBOOK1』

原発が爆発する前の2010年、阿武隈山中のスタジオにこもって制作した自選ベスト曲アルバム
「メロディの価値」を信じての選曲。20代のときの幻のデビュー曲から阿武隈時代に書いた曲まで、全13曲
iPhone、iPadのかたはiTunesストアから、アマゾンmoraでも試聴可能


iTunesで!    アマゾンで!    moraで!

『デジタル・ワビサビのすすめ 「大人の文化」を取り戻せ』
デジタル・ワビサビのすすめ   大人の文化を取り戻せ   (講談社現代新書 760円+税)
人間関係、音楽、写真、アート……デジタルで失った文化を、デジタルを使いつくし、楽しみつくすことで、取り戻す!  スティーブ・ジョブズの魂、ジャック・ドーシーの哲学  ──共通するのは、日本発の「ワビサビ」の精神だった。 リタイア世代の「地域デビュー」にも大いなるヒントに
アマゾンで購入は⇒こちら

詳細案内は⇒こちら

数字と確率で実感する「フクシマ」

 今「この程度」で済んでいるのは、宝くじに当たるより難しい確率の幸運だったのではないか? 分かりやすい「7つの『もしも……』」を簡潔にまとめた電子ブックレット
数字と確率で実感する「フクシマ」
Kindle版 アマゾンコムで注文今すぐ読めます
 

新・マリアの父親 Kindle版

新・マリアの父親(Kindle版)

(2013/01 Kindle版)…… 20年前にすでに「フクシマ」を予言していたと注目が集まっている「小説すばる新人賞」受賞作が電子ブックで改訂版復活。原本は古書価格がアマゾンでも2万円を超えて売られていることもある「幻の書」。
新・マリアの父親(横書きバージョン)
アマゾンコムで注文今すぐ読めます
 
『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

(2012/04/20発売 岩波ジュニア新書)…… 3.11後1年を経て、経験したこと、新たに分かったこと、そして至った結論
今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う

立ち読み版は⇒こちら
裸のフクシマ

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(たくき よしみつ・著)

(2011/10/15発売 講談社 単行本)…… ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。
今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う

立ち読み版は⇒こちら