『阿武隈裏日記』を改題しました。
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原発が壊れるのは靴下が片方なくなるのと同じ2016/05/03 13:41

同じ!
フェイスブックで「大笑いした」というネタが⇒これ。「いったいなぜ?靴下の片方だけが行方不明になってしまう謎が科学者によって解き明かされる」
 洗濯をするたびに靴下の片方が行方不明になってしまう。おかげでタンスの中は片方しかない靴下だらけで、新しく買いなおす出費もバカにならない。だが、この人類を苦しめるミステリーがついに解き明かされた。
 ミステリーの解明を行ったのは心理学者サイモン・ムーア博士と統計学者ジェフ・エリス博士……。


ほお~、そうですか。
心理学者と統計学者が本気で研究したわけですね。

 この調査から、イギリスでは1人当たり月平均1.3足の靴下が消失していることが判明。1年なら15足、一生なら1,264足にもなる。 靴下消失による損害は1人当たりの生涯でおよそ40万円(2,528ポンド)、年間3,158億円(20億ポンド)にも達する。


……というわけで、真面目な調査・研究なのだということは分かった。
で、ニヤニヤしながら読んでいたのはこのへんまで。
次の部分を読んで、急に笑っていられなくなった。

なお、靴下消失に関わる4つの心理的要因は以下の通りだ。

1. 責任の分散
 洗濯する者が自分以外の人間に責任を押し付けることから、誰も失くし物について責任を負わない。結局、靴下は見つからなくなってしまう。

2. 視覚的認識(ヒューリスティック)
 ヒューリスティックとは、暗黙のうちに用いる簡易な解法や法則のことをいう。さっと判断できる反面、必ずしも正しいわけではなく、判断結果にバイアスがあることも多い。このバイアスのせいで、例えば靴下やテレビのリモコンなどがいつもの場所にないと、失くしてしまったと思い込んでしまう。
 
3. 確証バイアス
 人は真実であってほしいと思ったことを真実であると思い込む傾向にある。今回の事例でいうなら、人は両方揃っていない靴下が目に入らなければ、それはないと信じ込みがちということだ。

4. 過失、過怠
 様々な事故や謎の背景にはヒューマンエラーがある。例えば、誰かが床に靴下が落ちているのを見たとしても、それを拾って洗濯物カゴや洗濯機の中に入れなかったりすることがある。この場合は過怠だ。あるいは色の濃い洗濯物の中に白い靴下を入れてしまったり、片方だけ適当な場所に置いてしまったりすることがある。これが過失である。


……これって…………。

もうお分かりだと思うが、少しだけ書き直してみた。

1. 責任の分散
 政府、電力会社、規制委員会それぞれが自分以外の人間に責任を押し付けることから、誰も事故や欠陥について責任を負わない。結局、重大事故は必ず起きてしまう。

2. 視覚的認識(ヒューリスティック)
 ヒューリスティックとは、暗黙のうちに用いる簡易な解法や法則のことをいう。さっと判断できる反面、必ずしも正しいわけではなく、判断結果にバイアスがあることも多い。このバイアスのせいで、例えばパッと見ていつも通りの風景だと、これで大丈夫と思い込んでしまう。
 
3. 確証バイアス
 人は真実であってほしいと思ったことを真実であると思い込む傾向にある。事故は絶対に起きないと言い続けていれば、いつか本当に起きないと信じ込むようになる。

4. 過失、過怠
 様々な事故や謎の背景にはヒューマンエラーがある。例えば、作業現場で誰かが床に小さなボルトが一本落ちているのを見たとしても、それを拾って正体を確かめようとしないことがある。この場合は過怠だ。あるいは微妙に寸法の違うボルトをちょっと緩いかもと感じつつ間違った場所に使ってしまったりすることがある。これが過失である。



靴下が片方だけなくなるのも、原発から放射性物質が漏れ出すのも、人間のやることであるから必ず起きる。原発が絶対に安全だと主張する人は、靴下はなくならない、靴下紛失事故は必ず防げる、と言っているのと同じことだ。

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新電力業者の選び方&再エネ賦課金制度の悪夢2016/03/24 11:22

いい機会だから、「電気ご使用量のお知らせ」をよく見てみよう
いよいよ4月から電力自由化で、10電力会社以外の業者からも電気を買うことができる。
3月末までに契約すると割引きやキャッシュバックがある業者も多いので、そろそろ決め時なのだが、なんだかスッキリしない。
テレビCMをしている業者も、雰囲気でワイワイやっているだけ。中にはWEBサイトを見ても、肝心の料金設定表が3月半ばになってもまだのせていなかったりするひどいところもあった。
実は、この料金比較がとても複雑で、多くの人はしっかり計算できずに、なんとなく選んでしまうのではないかと思う。

新電力業者の料金比較例(40A契約の場合)

業者基本料金(円)~120kWh~300kWh301kWh~300kWh500kWh600kWh
東電1123.219.4325.9129.9381181410417097
エネオス1123.220.7623.2625.7578011295015526
ミツウロコ129620.2422.826.3178281309015721
東燃たっぷり1123.219.5226.024.6281451306915531
東燃まとめて4001123.2(400kWhまで定額8874円。400kWh~ 28.82円)99971287915761
エネワン108019.5226.0026.4281021338616028

単位は円。~120kWhなどは1kwhあたりの料金。300kwhなどは合計額。再エネ賦課金や燃料費調整額はどの業者も同額なので除外している

上の表は東京電力管内で40A契約をしている場合の比較例。
これを見るとまず分かることは、電気使用量が(極端に)少ない家庭(単身赴任でほとんど夜寝に戻るだけで月に100kWhくらいしか使わないようなケース)では、従来の東電との契約を続けたほうが安いということだ。
つまり、新電力業者に乗り換えたほうがいいのは、ある程度(普通に?)電気を使っている場合に限る。
それも、月に300kWhくらい使う場合、500kWhくらいの場合、800kWhとか1000kWhとかガンガン使っている場合で違ってくる。
東電の一般的な契約(従量電灯B)では、120kWhまで、300kWhまで、それ以上、の3段階で1kWhあたりの料金が違う。普通に考えればいっぱい使ったほうが割り引かれるような気がするが、電気料金は逆に使えば使うほど単価が高くなるという料金制度になっている。
東電の従量電灯Bの場合、120kWhまでの料金は19.43円/kWhだが、300kWhを超えると29.93円と、ぐ~んと割高になる。
必要最低限の電気しか使っていない家庭には安く設定するということなのだろう。税金と同じ発想で、それはそれでいい。

で、新電力業者もそれに倣って3段階に分けていることが多いのだが、中にはさらに600kWh以上という区分を作って4段階にしたり、400kWhや500kWhまでは定額で、それを超えた分に加算するという契約を設定しているところもある(東燃ゼネラルの「まとめて400」「まとめて500」)。

それだけでもややこしいのだが、夏場と冬場では使用量が大きく違うという家庭もあるだろうし、平均値を出して計算してもなかなか「ここがいちばんいい」というのを見つけるのが難しい。
上の例でいえば、毎月400kWh前後で月によってばらつきがないという家庭なら、東燃の「まとめて400」がいちばん安い。
その契約で500kWh使ってしまった月があったとしても、やはりいちばん安い。しかし、300kwhしか使わなかったり、600kWh使ってしまった月があると、今度はエネオスでんきのほうが安い。
料金シミュレーションができるサイトがあるが、あるひと月の金額や1年の平均値だけでシミュレーションしても、確実にいちばん安くなる業者が分かるわけではない。毎月のバラツキがあるかないか、最低の月と最高の月の差がどれくらいあるかなども考慮に入れたほうがいい。

そんなことよりこれに腹を立てよう! 再エネ賦課金


いつのまにかこんなに膨れあがっている再エネ賦課金

新電力業者に切り替えて料金を下げられるのは、一般的な家庭ならせいぜい月に数百円がいいところだろう。その数百円も、年にすれば1万円を超えることだってあるから、庶民は真剣に業者選びをするわけだが、そんなことよりもっと注目してほしいのは、知らないうちに再エネ賦課金がとんでもない金額に膨れあがって我々の電気料金にのせられていることだ(上図)。
上のケースは相当安い(ほとんど電気を使っていない)請求書だと思うが、総額3584円のうち6%に相当する221円が加算されているのだ。
633kWh使ったら1000円を超える。
633kwhを超えると再エネ賦課金は1000円を超える!
↑40A契約で633kwhを超えるようなケースでは、再エネ賦課金も1000円を超えてしまう

これは太陽光、風力、地熱、水力、バイオマスの発電で作った電気を高い固定価格で買い取るためのものだ。国が定めている。
これらの発電方法は自由競争にしたら火力発電などに負けてしまうため、国がてこ入れして高く買い取ることを保証しますよ、その分は電気料金に上乗せしていいですよ、という法律だ。
「再生可能エネルギー」というが、どんな発電方式も石油がなければ不可能になる。
例えば、太陽光発電に使うパネルはシリコンが一般的な材料だが、薄く散らばるケイ素を集めて精製し、最終的に発電パネルを作るまでに大変なエネルギーを使っている。原材料を集めるのもそれを精製するのも、石油がなかったらできない。
エネルギー事業はエネルギーと資源を使ってエネルギーを作りだす事業だ。100のエネルギーを作りだすために120のエネルギーを使うようなことになったら馬鹿げているし採算が合わないからやらないわけだが、そこに高額の税金を投入して優遇措置をとれば、本来成立しない事業が逆に儲かってしまうこともある。
そういう狂った事態にならないよう、政府は汚染や危険性、環境への負荷や悪影響をしっかり監視した上で(これが非常に重要)基本的に自由競争にさせればよい。極端な優遇措置がなく、全部事業者負担で発電しなければならないとすれば、事業者は最も合理的で安全、安定した発電方法を選ぶ
しかし、そこに税金を投入したり、電気料金にどんどん余計なコストを上乗せしてよいという法律を作るから、原発のようなものがまかり通り、巨大な利権構造を作り上げてしまう。一度作られた利権構造は、それを失うまいとする勢力が必死で維持しようとするから、どんどんひどい方向に進み、元に戻れなくなる。核燃サイクルなどはその最たるものだ。

「高い電気」というのは、他の発電方法よりも余計にエネルギーを使うから、効率が悪くて無駄が多いから、高価な資源(レアメタルなど)を使うから高くなる。自由競争にしたら負けてしまうからと、無理矢理高く買い取って優遇すれば、エネルギーを無駄に使うことになる。
おかげで狭い日本のあちこちに巨大風車やメガソーラーができて、山は切り拓かれ、農地は減り、土壌が弱る。巨大風車の低周波で身体を壊して苦しむ人が増え、日光が届かない土地が増えて生物層も弱体化し、数十年後には処理困難な粗大ゴミがあふれることになる。
「原発に反対だから、高くてもクリーンな発電方法をしている業者から電気を買う」などと言っている能天気な人たちがいっぱいいるが、それは原発を無理矢理押し進めてきた間違った国策と同じことを応援しているのだと気づくべきだ。
ちなみに再エネ賦課金は現在1kwあたり1.58円である。これは段階制ではなく一律なので、電気を節約している家庭にほど比率は高くのしかかっている。

再エネ賦課金制度、特に風力と太陽光の優遇はとんでもない利権であり、国土・自然環境の破壊を意味する。原発でさんざん利権をむさぼってきた企業や、それを支えてきた官僚・政治家たちが、新たな利権の巣として再エネに群がっている図を見抜いてほしい。
再エネ賦課金制度や総括原価方式を廃止すれば、原発はなくなり、電力業者は真剣に日本にいちばん向いている合理的な発電方法を追求する
再エネと呼ばれている発電方法で日本に向いているのは地熱と小水力(流水型)だろうが、それも基本的には自由競争のもとでやっていくべきだ。
実際問題、流水型小水力などは買い取り価格が低く抑えられているので、なんの優遇にもなっていない。
技術開発や研究に援助することは必要だが、現段階で高くついている電気を優遇して高く買い取るのは、原発政策と同じで大きな間違いだ。

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「フクシマ」と福島2016/03/20 22:04

2011年5月10日。立ち入り禁止地区への制限付き「一時帰宅」に同行する記者団

「フクシマ」をカタカナでしか知らない人たちへのメッセージ

映画『Threshold: Whispers of Fukushima』の上映会がアメリカ・ミネソタ州の大学で開催されるにあたり、映画の中にも登場する僕に、何かメッセージを書いてほしいという依頼があった。
少し前に日本語で書いたものを渡した。英訳されて使われるはずだが、そのときの元原稿をここにも残しておこうと思う。


 2011年3月に福島県にある4基の原子力発電プラントが壊れて大量の放射性物質をばらまくという事件から5年が経ちました。
 「フクシマ」はヒロシマ、ナガサキと並んで、世界的に有名な地名になりました。今、みなさんは「フクシマ」という地名に対してどんなイメージを持っているでしょうか。
 悲劇の原発事故が起きた場所、放射性物質で汚染され、人が住めなくなった土地……おそらくそうした類のものだと思います。
 それは基本的には間違っていませんが、現実のごくごく一部にすぎません。
 せっかくの機会ですから、もう少しだけ想像を広げてみてください。そのためのヒントをいくつかあげてみます。


1)福島は広い
 チェルノブイリのときもそうでしたが、壊れた原子炉から流れ出した放射性物質によって汚染された地域というのは、現場からの距離よりも、そのときの天候(風向き、雨や雪が降ったかどうか)によって決定づけられました。チェルノブイリのときに、遠く離れた北欧やドイツ南部などがかなり汚染されたように、「フクシマ」でも、汚染された場所は広範囲に点在しています。
 福島県は日本の本州で2番目に広い県です。福島県内でも会津と呼ばれる西側のエリアはほとんど汚染されませんでしたし、一方では福島県以外のエリアでも深刻な汚染を受けた場所がいろいろあります。それらの地域の人たちは「福島県外」であるということで、十分な補償を受けることもできないという理不尽な状況も生まれました。
 福島県内、とくに都市部では、多額の賠償金をもらった一部の避難者と、十分な賠償を受けていない県民との間で深刻な軋轢が生まれています。
 汚染状況や賠償の格差などはとても複雑な問題であり、簡単に「フクシマ」という一言でくくれないということをまず理解してください。
 

2)とにかくこれからも生きていかなければならない
 福島にはもう住めない、それなのに子供と一緒に住んでいる親は無責任だとか、危険なのに安全だと言って無理矢理住民を帰そうとしているといった批判が渦巻いています。これも、一部は正しいのですが、福島県内で今も暮らしている多くの人たちは、迷惑この上ないと感じています。
 放射性物質がばらまかれたのですから、それ以前よりも危険が増したことは間違いありません。しかし、人が生きていく上で、危険や困難はたくさんあります。うっすら汚染された場所で生活を続けていく危険より、家族がバラバラになったり、収入が途絶えたり、生き甲斐をなくしたりすることによる危険、あるいは不幸になる度合や加速度のほうがはるかに大きいと判断することは間違いではありません。人はそれぞれの状況において、複雑な要素を比較した上で、取り得る最良の選択をしていくしかないのです。事情も条件もさまざまですから、一概に「それは間違っている」「正気じゃない」などと非難することはできません。
 そう非難する人たちの中には、あのとき風向き次第では東京が壊滅していたかもしれないということを想像できず、無意識のうちに、自分たちは安全地帯にいるインテリ層だと勘違いをしている人も少なくありません。
 自分たちがそうなっていたときにどんな選択肢が残されているか、まずはそこから考えてみるべきでしょう。

 私は原発が爆発するシーンを見てすぐに逃げましたが、1か月後には自宅周辺の汚染状況を把握できたので、敢えて全村避難している村に戻って生活を再開しました。その後、やはり村を出て移住したのは、放射能汚染が理由ではなく、村の人々の心や生活環境がそれまでとは変わって(変えられて)しまい、私がこれ以上村に残っていても、地域のためにも自分のためにも、もう意味のあることができないだろうと判断したからです。その決断をするに至った背景はあまりにも複雑で、とても簡単には説明できません。
 

3)「フクシマ」は人間社会の構造的、精神的問題
 壊れた原発内で放射線測定をする仕事を続けている20代の青年と話をする機会がありました。彼は使命感でその仕事をしているわけではなく、嫌だけれど他に仕事がないから辞められないだけだと言っていました。
 いちばんの望みは、被曝線量が限度になると他の原発でも働けなくなるので、そうなる前に他の原発に異動できることだそうです。
 いちばんショックだったのは「この村に生まれた以上、原発で働くしかない。そうした運命は変えようがない。仕方がない」という言葉でした。
 まだ20代の若さでありながら、転職する気力もなければ、ましてや起業して自立するなどというのは「無理に決まっている」というのです。
 おそらく、子供の頃は彼にも将来の夢があったでしょう。それがなぜそうなってしまったのか。大人になるにつれ「仕方がない」「これが運命だ」と諦めて、自分からは何もしなくなってしまう。人をそうさせてしまう風土や社会の空気、仕組み(システム)こそが、「フクシマ」が抱える最大の問題です。

 「フクシマ」後初めての福島県知事選挙では、県民の半数以上が投票に行きませんでした。圧倒的多数で当選した県知事は、原発を誘致・推進してきた前知事の政策を継承すると言った元官僚で、与党ばかりか野党もみんな相乗りして支持していました。
 地方が過疎化して、老人ばかりになる。残った人や自治体が苦し紛れに豊かな自然環境を金に換えてしまうために、森が消え、水や空気が汚染される。不合理なことに税金が使われ、その金に人びとが群がり、さらに問題が悪化する。……そうしたことは日本中、世界中で起きていることです。福島でも同じです。原発が壊れる前からありました。その背景にある問題は「フクシマ」を引き起こした問題と同じです。
 そのことを深く考えないまま、核問題やエネルギー問題、経済問題を論じようとしても、正しい答えは得られないと思います。

 「フクシマ」は決して「特別な問題」「特別な場所」ではありません。「不幸な事故」という認識も間違いです。政治や経済といった社会システムの欠陥、人の心の弱点が生み出したひとつの結果です。
 この地球に生まれ、死んでいく私たちすべてが内にも外にも抱えている共通問題なのだ、ということを、私は「フクシマ」の現場にいたひとりとして、はっきりと証言いたします。

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「フクシマ」を3.11に埋没させないために2016/03/11 19:37

中継をやめさせようとする関電職員と素直に応じる代表取材局のNHK

最大の危険要因は「人間」

関西電力広報担当職員 「いったんこれで今日終わりにします。今日ね、もう、並列(送電開始)なし。は~い。(横の誰かに向かって)タービンうまく並列できへんかった? (記者に向き直って)ちゃんとまた説明しますんで」
代表取材の記者(NHK?) 「はい。分かりました~ぁ」
広報担当 「いったんちょっと終わって、帰りましょうか」
取材記者 「はい」

2016年2月29日。
関西電力は、高浜原子力発電所4号機が送電を開始する瞬間をテレビでPRするために、中央制御室にテレビ代表取材のカメラを入れていた。
そのカメラの前で、職員が送電開始のスイッチを入れた途端にけたたましく警報音が鳴り響き、原子炉が緊急自動停止した。
↑上のやりとりは、同日夜の「報道ステーション」(テレビ朝日)で流れた映像の一部をそっくりそのまま文字起こししたものだ。
元北海道新聞社編集委員の上出義樹氏が関電に電話で確認したところ、代表取材で入っていたテレビ局はNHKだという。ということは、この間延びしたような返事をしているのはNHKの記者なのだろう。

このときの様子は近くの会場に集まっていた報道関係者たちに中継されていたが、そこにいた中日新聞の記者は以下のような記事を書いている
 「投入」。29日午後2時1分26秒、高浜原発4号機近くの関西電力原子力研修センター(福井県高浜町)で、報道関係者向けに中央制御室を映した中継映像から声が聞こえた。発送電を行うため、スイッチをひねって電気を流した合図。その直後から「ファー」という音が断続的に鳴り続けた。
 センターで報道陣に作業内容の説明をしていた関電社員は当初、「異常がなくても鳴る警報もあります」と説明。画面の向こうの作業員らも慌てている様子はなかった。
 しかし警報音は鳴りやまない。異変を感じたのは数分後。映像を前に、関電社員二人が耳打ちしながら指をさし始めた。その先には、上部の警報盤に赤く点滅するボタンがあった。
 「トリップ(緊急停止)したようです」「制御棒が落ちて、原子炉が停止しました」と社員は動揺した様子で話した。トラブルの発生に、センター内の空気が一気に張り詰めた。間もなく関電は中継映像を遮断。詳しい説明を求める報道陣に対し、社員は「確認する」と、慌ただしくその場を離れた。
 (2016年3月1日 中日新聞 米田怜央


関西電力社員が「異常がなくても鳴る」と咄嗟にでまかせ説明をしたという部分で、すぐに思い浮かべたのは、2011年3月12日、福島第一原発1号機が爆発したときに、日本テレビのスタジオにいた東京工業大学原子炉工学研究所・有冨正憲教授とアナウンサーとのやりとりだ。
そのときの録画映像を見ながら、一字一句正確に文字起こししてみた↓
有冨教授 「緊急を要したんだろうと思いますが、爆破弁というものを使って、あたかも先ほどの絵じゃありませんが、全体にこう、なんといいますか、あの~、ちょっと、出るような形で……蒸気が、充満するような形で、出てきました」
アナウンサー 「あれは蒸気ですか?」
有冨 「蒸気だと思います。ちょうど爆破されたような形で、あの~、蒸気が……蒸気だと思いますが、出てきましたねえ」
アナ 「これ、あの、我々が見ると本当に心配するんですが、その爆破弁というものを使って蒸気を『出した』……という……」
有冨 「はい」
アナ 「意図的なものだと考えて……」
有冨 「はい。意図的なものだと思います」

このブラックコメディのようなシーンを覚えているだろうか?
よく分かってもいないことに対して平然と無茶苦茶な説明をする「専門家」たち。
そして、それを検証できず、ツッコミもせずにそのまま流してしまう、あるいは隠してしまうマスメディア。
同じことを5年経った今もやっている。何の反省もなく、当時よりも倫理観や責任感がゆるゆるに欠如した状態で。
「原発爆発の日」である3.12が5年目を迎えたのを機に、私たちはこれをしっかり思い起こし、反省しなければいけない。

巨大地震だの津波がまたやってくる可能性がどうのとかいっている前に、最大の危険要因は人間の愚かさだということを認識するべきだ。
チェルノブイリは天災が引き金ではなく、作業員のアホなミスやそれを起こさせた緩すぎる運営体制が原因だった。
今の日本を見ていると、チェルノブイリを起こした作業員たちより現場やトップが優れているだなんて、到底信じられない。
巨大地震や津波が襲ってこなくても、テロ攻撃されなくても、原発を動かしている、動かせている、それを許している、待ち望んでいる人たちがアホなのだから、「アホ」が原因の過酷事故は必ずまた起きる。
いや、アホが原因の事故というよりは、現代社会における原子力そのものが、アホと狂気のハイブリッドシステムというべきだ。

フェイスブックでこんなことを書いている人がいた。
普通のマンションでも40年で建て替えするのに、こんな50年前の時代遅れシステムを世界一安全という感覚自体が狂っている。政府や電力会社だけでなく、再稼働容認した自治体、住民は、万一の事故時には、被害補償放棄のみならず、他地区住民への賠償責任を負う、と法制化すべきだろう。

そう、まさにこの認識こそが重要なのだ。

「フクシマ」はいわば「裏切られた」「騙された」経験だから、原発立地の住民にも賠償するのは当然だと思うが、「フクシマ」を経験した今はもう違う。
「絶対安全」は嘘だった、ひどい運営状態だったことが分かっている。
今なお、「送電開始!」──警報音ファオンファオン……というお粗末を続けているこの国で、それでも原発政策を進めてほしいという人たちは、将来は自らが賠償責任を負う覚悟でそういいなさいね。

……と、これを書いている今は2016年3月11日。
テレビは「あれから5年」的な番組で一日中埋まるのかと思ったら、全然そうでもなくて、相変わらずご当地グルメだの野球賭博だのといった話題に時間を割いていたりする。まさに「5年間の劣化」だ。

せめて、「フクシマ」を地震や津波の被害と一緒くたに語るのはもうやめよう。
1F(いちえふ)が壊れたのは津波のせい「だけ」ではない。地震の揺れでパイプがあちこち寸断され、水が漏れたし、なによりも必要最低限の対策すら怠っていたための電源喪失だった。地震や津波は天災だが、「フクシマ」は完全な人災。 3.11というくくりで地震・津波被災と「フクシマ」問題を一緒くたに扱うことで、「フクシマ」問題の本質がどんどんごまかされてしまう。
よって、「フクシマ」がなぜ起きたのかを反省する日は3.12「原発爆発デー」とでもして、別問題として思いを新たにしたらどうだろう。

で、狂気の政策を続ける政治を容認している国民ひとりひとりも、程度の差こそあれ、このシステムを作り上げてしまった共犯者なのだという自覚を持つ。
まあ、実際には、我々はすでに「フクシマ」の後始末で、少なくとも十数兆円の「賠償」をしている。税金と電気料金という形で。
この「賠償」はこれからもずっと続けなければならない。
そのこともしっかり認識する日が、3.12。
……3.11とは違った恐怖と悲しみに包まれる……。

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「いるだけ支援」のアニメを見て考えた2016/02/17 22:54

アニメ「いるだけなんだけど」より

「道を造りましたから通ってください」ではなく……


福島県が、『みらいへの手紙~この道の途中から~』というアニメーション動画を作って公開した。

一応全部見てみた。
8つ目の「いるだけなんだけど」がいちばん印象に残った。
(↑脚本・浅尾芳宣、演出・CGアニメ・佐藤貴雄)

このアニメーション制作にしても税金で作っているわけだが、いろんなプロジェクトが「支援」ていうことにしておかないと認められないようなところがある。
ちょっと調べてみると、この「いるだけ支援」というのは福島大学災害支援ボランティアセンターが企画したものらしい。

アニメでは、本当に「いるだけ」みたいな感じで、なんかいいなあ、と思ったのだが、実際にはどうなっているのか分からない。
まずは自分の名前を覚えてもらえるように大きく書かれた名前カードを首にかけて挨拶まわりを実施。後は普段通りに生活を送っていきます。
ここから大学に通い、アルバイトにも出かけていきます。
時間が空けば、庭先で日向ぼっこしながらおじいちゃんおばあちゃんと世間話にはなをさかせ、草が抜けないと聞けば代わりに草むしりに精を出す。頼まれたら快く引き受けます。
その姿は孫に近いものに見えました。
Spotlight の記事より)

……なんていうリポートを読むと、なんだ、「いるだけ」じゃないじゃないの。相当大変なんじゃないの? と思ったりもする。

アニメから感じたことは、必要なのは「支援」じゃなくて「開放」だということ。
とりあえず「開放」して、後は放っておくだけでもいいんじゃないか、と。

仮設住宅に空き家がいっぱいあるから、とりあえず学生に「ここに入ってきてもいいよ」と「開放」する。
お金のない学生が、アパートより家賃が安いならいいかな……というノリでやって来る。
ノルマはなんにもない。
無理にイベントやったり、笑顔を作って話しかけたりする必要はない。普通に生活をするだけでいい。
積極的には何もしなくても、コミュニティに変化が生まれる(かもしれない)。
アニメの中で描かれているのはそんな情景だった。
そういうやつならいいんじゃないかなあ、と思ったのだが、実際にはお上からの許可を得るために、いろいろな名目やらなにやらを上奏しなければいけないのだろう。(結構大変だったと思う)

しかし、この「いるだけ」というフレーズは、とかく勘違いや余計なお節介ばかりになる公的「支援」策に一石を投じる可能性を秘めている気がする。

要するに、目的は村だの町だのじゃなくて、個人なのだ。
いろんな状況、立場、考え方の個人が、相対的に見て、より幸せになっていくようなシステム再構築。
映画『Threshold:Whispers of Fukushima』の中でマサイさんが言っていた言葉。

「ここに道を造りましたから通ってください、じゃなくて、一人二人とそこを通って行く人がいて、気づいたら自然に道ができていた──そういうのが好き」

……これ、すごく大切なことなんだよね。


奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

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たくき よしみつ・著 第4回「小説すばる新人賞」受賞作『マリアの父親』の改訂版。
新・マリアの父親
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福島第一原発は東北有数の「電力消費地」2016/02/17 21:29

「凍土壁には関心ない」と言い放った田中委員長


1Fの「凍土壁」というの、まだやっていたんだなあ。
いくらなんでももうやめているんじゃないかと思っていたのだが、どれだけ税金や電気料金を無駄に使うのか……。
これに関してはどうも「税金を食い物にしたい」というよりも、今の日本、頭悪すぎる人が上にいることの悪夢、なんだろう。
 原子力規制委員会の田中俊一委員長は13日、東京電力福島第1原発を視察した。汚染水の増加抑制策として1~4号機建屋周囲の土壌を凍らせ、地下水の流入を減らす凍土遮水壁も視察したが、「少しばかり水が入るのを減らしたからといって、汚染水問題は解決しない。あまり関心はない」と述べた。
 田中委員長は「処理した水は海に捨てるという持続性のある形をつくらないと、廃炉は進まない」と指摘。汚染水の放射性物質を減らした上で海に放出するよう改めて求めた。
時事ドットコム


言葉を穏やかにしているが「関心ない」というのは「バカじゃないの?」と言っているに等しい。
まともな頭の人ならみんなそう思う。
一体これにどれだけの金を使っているのか。
凍らせるのは電力で凍らせるわけだが、今、1Fの現場では一体どれだけの電力を使っているのか。
東電はそれを公表すべきだ。
「私たちは本来電気を作る施設である発電所の不始末を片づけるために、毎日○○の電力を使用しています。これは一般家庭の使用する電力○○戸分に相当します。その分の電気料金はみなさまからいただいている電気料金に上乗せさせていただいております」
……とね。

こういうことがあと何十年続くのか分からない。多分、何十年では済まないだろう。100年後も、1Fを完全に後始末できているとは到底思えない。
これから先、たとえ過酷事故が起きなかったとしても、原発を動かせば放射性廃物が出続けることに変わりはない。
そして、その処分方法を人類は未だに知らない。


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こうした形でも放射性物質は再拡散されている2015/09/29 16:18

日光街道沿い、住宅地にも隣接しているバーク堆肥工場

放射能汚染堆肥問題とは?

農林水産省のWEBサイトに「肥料・土壌改良資材・培土の暫定許容値設定に関するQ&A」というページがある。

東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴って、放射性物質が原子炉から大気中に放出されたため、家畜排せつ物、稲わら、落ち葉、樹皮等が放射性セシウムに汚染され、これらを原料として生産された堆肥が高濃度の放射性セシウムを含有する可能性があります。

普通肥料の中にも堆肥原料を混入したものがあり、肥料としてではなく土壌改良資材として農地土壌に施用されるものもあります。それらの中にも高濃度の放射性セシウムを含有する可能性のあるものがあります

もし、高濃度の放射性セシウムを含む堆肥等を農地土壌に施用すると、土壌中の放射性セシウム濃度が増加し、そこで生産される農作物の放射性セシウム濃度が食品衛生法の基準値を超える可能性が増えます。

また、個々の農家ごとに放射性セシウム濃度が大きく異なる堆肥等を施用すれば、同一地域内に放射性セシウム濃度の大きく異なるほ場が存在することになり、地域を単位として実施している野菜等の出荷制限や作付け制限の前提が崩れかねません。

そこで、農地土壌の汚染の拡大を防ぎ、食品衛生法上問題のない農産物を生産するため、肥料・土壌改良資材・培土に基準をつくりました。

……という説明がある。

2011年7月、秋田県内のホームセンター コメリで販売されていた栃木県産の腐葉土から11000ベクレル/kgという高濃度の放射性セシウムが検出されるという事態が起きた。きっかけは一般消費者が、持っていた線量計を製品に近づけたところかなりの線量を示したので「これはおかしい」と県に通報したことだった。
報じたメディアは少なかったが、こうしたことは日本全国で起きていたと思われる。

福島やその周辺では除染バブル現象が起きていて、本来なら伐らないはずの森林が伐採され、大量の植物・木質原料が堆肥用に回されている。
そこで国は、「国内で生産・流通・施用される全ての肥料・土壌改良資材・培土」について、放射性セシウム400ベクレル/kg以下という暫定基準値を作り、それを超えるものは出荷してはいけないということを決めた。
上の農水省のWEBサイトでもその経緯などを説明しているわけだが、引っかかるのは、腐葉土や堆肥などの製品に含まれる放射性物質の濃度をチェックして「農地が 汚染されないようにしましょう」と言っているだけという点だ。
「農地が汚染されると、そこで生産される農作物の放射性セシウム濃度が食品衛生法の基準値を超えるかもしれない」と。
400ベクレル/kgという暫定基準値は、その程度のセシウム含有量であれば、「たとえ同濃度の肥料等を40年程度施用し続けても、過去の農地土壌中の放射性セシウム濃度の範囲内である100ベクレル/kg(事故前の最大値140ベクレル/kgを切り下げた値)を超えることがないから」だと説明しているわけだ。
これがまさに「お役所仕事」だなあと思う。

放射性物質は「吸い込む」ことがいちばん危険だという認識


本当に怖いのはそんなことではない。

農産物へのセシウムの移行については、僕個人は、今はあまり心配していない。
食物に微量の放射性物質が含まれていても、多くはそのまま体外に出ていくし、それによる内部被曝があったとしても微々たるもので、気にしてもしょうがない。余計な不安を抱いてストレスを増やすほうがはるかに健康に悪いと思っている。
普通に店で売られているものは、普通に食べている。多少はセシウムが含まれているかもしれないが、気にしないように決めた。
もちろんこの考え方(気にしないようにする)を押しつけるつもりはないし、食の安全を守るため徹底的に食べ物をチェックすること自体は今後もずっと続けなければならない。一個人として、自分の健康を守るためにはこれ以上ストレスを増やしたくない、ということにすぎない。

一方、何度も書いてきたことだが、微量であっても、ホットパーティクルを鼻や口から吸い込んで、それが肺に付着するなどした場合の内部被曝は、長期間、ピンポイントで被曝する可能性があり、線量の数値では計れない怖さがある。しかもそれは食品のように検査することができない。それが原因で肺癌やら心筋梗塞やらを起こしたとしても、因果関係の証明などまったく不可能だし、ほとんどの人はそんなこと想像もしないまま死んでいくことになるだろう。

上の写真は街の中、住宅街や農地に隣接した土地に堆く野積みされたバーク堆肥の山だが、屋根があるわけでも壁があるわけでもなく、風が吹けば堆肥は粉塵となって空中を浮遊する。

業者は原料も製品も250ベクレル/kg以下であることをチェックしていると言っているが、袋詰めされた製品のベクレル値が暫定基準値以下であっても、大量の堆肥が生活環境のど真ん中にこうした状態で積まれており、野天の場所に毎日ダンプトラックで運び込まれ、パワーショベルやベルトコンベアでかき回されているという「この状態」が恐ろしい。

仮にこの山積みされた堆肥が平均100ベクレル/kgのセシウム含有量だとしよう。規制基準は400ベクレル/kgだから、100ベクレルなら法的にはなんら規制を受けることなく「まったく安全な製品です」と言える。実際、そうだろう。
しかし、このバーク堆肥の山はどれだけの量があるのだろうか? 100ベクレル/kgだとして、1トンなら全部で10万ベクレルだ。10トンなら100万ベクレルという総量になる。それだけのものが一か所に山積みされ、なんの覆いも囲いもないところで、毎日パワーショベルやベルトコンベアでもうもうと粉塵を巻き上げながら作業されている。

我が家の周辺にはこうした業者の作業場が複数あるので、外から見られる範囲で見て回ったが、どこも同じで、屋根すらつけていない。完全に野地に山積み状態で作業している。
それほど利益率の高い事業ではなさそうだから、ドーム球場のような巨大な屋根付きの施設で作業をしろというのは現実には不可能だろう。それが分かっているから、国も行政もこうした問題は表面化させたくない。しかし、せめて周囲に人家や公共施設がまったくないような場所でやるべきではないのか。

堆肥工場による環境破壊は、悪臭、排水による河川の汚染、操業の騒音、出入りする大型トラックによる交通事故の危険性などが代表的なもので、実際、そうした被害にあっている住民からは苦情が絶えない。行政が立ち入り検査に入り、指導したりもしている。
しかし、目に見えない、臭わない、五感で感じられない放射性物質の空中浮遊(再拡散)という危険性については、調査も困難だし、住民も想像できないので気づかない。

先日の大雨で、大量の放射性ゴミのフレコンバッグなどが流出したことはニュースにもなった。そうなることは分かりきっていたのに、何を今さらと思う。
で、それもとんでもない話だが、雨で流れ出して川を下り、最後は海にまで運ばれていく放射性物質より、空中に漂うホットパーティクルを増やす行為のほうが恐ろしいのではないかと感じる。破れたフレコンバッグのように分かりやすくないから、見逃されがちだが……。

最近、我が家の線量計はときどき警告音を発する。一瞬だが、線量が上がって警告閾値を超えるのだ。すぐにまた下がるので、浮遊している放射性物質をたまたま捕捉して一時的に線量が上がったのだろうと解釈しているのだが、なぜそうなるのか、ずっと不思議だった。
2011年、2012年あたりより平均値は下がっているのに、瞬間的に上がる現象は今のほうが多いのだ。
福島からはるばる飛んでくるのだろうか? ありえなくはないが、イメージしにくい。そうであればなぜ今のほうが多いのか……と疑問に思っていたが、今では別の要因を疑っている。
堆肥工場の周辺を線量計を持って歩き回った結果、明らかに他の場所とは違う数値、挙動を示すことを確認したからだ(まさか、と思って、複数回、日を変えてやってみたが、同じ結果だった)。

もちろんこれは一つの論考に過ぎず、なんら証明ができない。地域においても極めてデリケートな問題なので、今までは書くことを封印し、自分の心の中に留めていた。

正直なところ、僕らはもうこうした問題にはほとほと疲れ果てている。触らずに忘れていたい。
生活環境は広く汚染されてしまったし、今もさまざまな形で破壊され続けている。
60代になった今、自分だけのことであれば、ローカルな問題に関与することで疲れるほうが、内部被曝の危険性よりずっと嫌なのだ。
かなりひどいことでもぐっと呑み込んでやり過ごそうとする。そうしていかないととても神経が持たない。

しかし、小さな子供や孫がいる人たちなどにとっては、見て見ぬ振りをしていい問題ではないはずだ。子供を守れるのは親だけなのだから。

また、これは本来ローカルな問題ではまったくなく、国がしっかり取り組むべき問題なので、やはり、一つの問題提起として書いておく。

堆肥製品に含まれるベクレル値ではなく、原材料の流通経路や製造過程の環境が問題なのだ、と。

すでに8月18日の日記にも書いたが、2012年8月の毎日新聞記事をもう一度引用しておく。

原発事故:福島の製材樹皮4万トン滞留 特措法の想定外

 東京電力福島第1原発事故による放射性物質の影響で、製材時に生じる樹皮(バーク)が行き場を失い、福島県内の木材業者の敷地に計約4万トン山積みされて保管されていることが、県と県木材協同組合連合会(県木連、約220社)の調査でわかった。放射性物質を国が除去することなどを定めた放射性物質汚染対処特別措置法は、このような事態を想定しておらず、滞留バークは毎月数千トンずつ増え続けている。県木連は「業界の対応だけでは限界がある」として、東電に対策を求めている。

 バークはスギやヒノキなどの表皮を3~5ミリはいだもの。家畜飼料や肥料などに使われるが、放射性セシウムの濃度が1キロ当たり400ベクレルを超えると出荷が禁じられ、滞留バークの多くがこの基準を上回っている。東電は汚染されたバークについて、保管場所設置費を損害賠償対象にしたが、処分や引き取りには応じていない。

 県木連によると、バークはセシウム濃度の基準値を下回っても買い手がつかず、滞留量は増加の一途。焼却後の灰が同8000ベクレル以下の場合、国は一般廃棄物処分場での埋め立てを認めているが、焼却施設側が受け入れを拒否するケースが相次いでいる。

 県木連の宗形芳明専務理事は「バークの体積を圧縮したり、敷地に余裕のある事業者が引き取るなどしてきたが限界だ」と話す。県木連は東電に▽石炭火力発電所での混焼▽仮置き場を東電所有地に設置▽木質バイオマス専用焼却施設の建設──などを要請している。東電広報部は「火力発電所での混焼は社内で検討中だ」としている。

 バークの滞留は近隣県にも広がり、栃木県によると、3月末現在で計約3000トンが行き場がない状態だ。群馬県も「相当量が滞留している」という。

 廃棄物の排出者責任に詳しい植田和弘・京都大大学院教授(環境経済学)は「将来の原子力事故も視野に入れ、国と東電は責任を持って法整備を含めた解決策を図るべきだ」と指摘している。【栗田慎一】

(毎日新聞 2012年08月03日)

原発爆発から4年半が経ち、溜まりに溜まった汚染バークのベクレル値も下がってきて、目下、どんどん堆肥へと姿を変えていることだろう。
堆肥というと園芸や農業用のものを想像する人が多いが、実際には土壌改良資材として道路工事などの公共事業用に多く出荷されている。先日の大雨であちこちの護岸や山腹が崩れたが、その補修工事にも大量に使われる。かくしてバーク堆肥は全国に運ばれていく。
国も、問題を伏せたまま、広く薄く、全国に拡散させてしまいたいに違いない。
なにしろ、水源地に放射能ゴミを持ち込むことを環境省がごり押しするような国なのだから。





阿武隈野良猫日記2015/09/16 16:24

しんちゃん一家 子ネコは最後は1匹だけになってしまった
ふと思い立って、川内村で暮らした7年間、特に原発爆発が起きて全村避難になっていた村に戻ってからの時期を、野良ネコたちとの関わりを時間軸にしてまとめてみた。

題して「阿武隈野良猫日記」全13回。
初回は⇒こちらから

総勢20匹近い野良猫が登場する。猫の姿を見ながら、あのときに起きたことを振り返ると、見えにくかったものも見えてくる気がする。





3年前ののぼるくんと福島の今2015/09/06 22:02

今年のモリアオガエルの子

3年半前ののぼるくんと福島の今

フェイスブックでたまたま2012年3月4日にアップした動画に新たなコメントがあって、これを3年半ぶりに見ることになった。
これをUPしたことは覚えていない。
蛍光灯をつけるのぼる

のぼるはこうしてときどき台所の電気をつけてしまう。つけたら消せ。

Posted by たくき よしみつ on 2012年3月4日
2012年3月というと、前の年の11月11日に今の家に引っ越してきて、猛烈に寒い冬を過ごし、ようやく落ち着き始めて、春を待っていたところ。
川内村の警戒区域境界線に捨てられていたのぼみ~はまだ0歳。
のぼるくんは今よりずっと白いね。
このときの自分のコメントをそのまま再掲。
http://abukuma.us/takuki/11/129.htm ←拾ったときの日記を読み返してみた。よくぞここまで育ったなあという感慨と同時に、やっぱり川内村の家がよかったなあと、いろんな想いがこみ上げてきて困った。
まさかこいつらと一緒に、川内村の外で暮らすとは、あのときはまったく想像していなかったなあ。


そう。まだまだ原発爆発とその後の怒濤のような「想定外」ラッシュ、生活の変化に翻弄されていた時期だった。

で、今、川内村や福島はどうなっているのか?

ルポライターの奥村岳志氏が書いている「福島 フクシマ FUKUSHIMA」というブログに、「汚染の現状と防護を巡って ―木村真三氏、河田昌東氏が小高で講演」という記事があった。
2015年8月2日、南相馬市小高区内で行われた「木村真三×河田昌東 放射線コラボ講演」と題する講演会の模様を紹介している。
木村氏は1967年生まれ。NHK ETV特集 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」で有名になった。専門は放射線衛生学で、現職はウクライナ・ジトーミル国立農業生態学大学名誉教授。
河田氏は1940年生まれ。元名古屋大学理学部分子生物学研究施設助手で専門は遺伝情報解読と環境科学。現職はNPO 法人チェルノブイリ救援・中部理事。
転載・リンク自由とのことなので、いくつか抜き出してみる。

河田:山に近い部分はどうしてもいろんな問題が起こります。
 チェルノブイリの例でいうと、事故直後、木の葉の汚染が15万7900ベクレル。それが次第に腐葉土になって土の下に沈んでいきます。そうすると土の上の方は汚染が弱くなっていきます。しかし、腐葉土になって沈んでいくと、今度はそれが根から吸収されるようになります。そこで、木の年輪を分析すると、事故後6~7年ぐらいから急に汚染が高くなっています。これは根からの吸収が始まったということです。
 根から吸収すると、また葉っぱも汚染します。それがまた落ちてまた土に還る。また吸収される。こういう循環が始まるわけです。あとは半減期で減っていくしかない。

河田:川内村では、まだ地表から3~5センチぐらいのところにセシウムの大半が残っています。カリウムは水に溶けやすいので溶けて下に沈んでいきますが、セシウムは水に溶けにくいので残ります
 そうするとどうなるかというと、例えば山菜など地表に根を張るものは汚染がうんと高くなります。カリウムがあれば代りに吸収されてセシウムの吸収を抑制するんですが、カリウムは溶けて流れてしまうのでセシウムが吸収されてしまう。山菜の汚染が高いのはこういうことが理由です。

河田:野菜の測定をずっとやっているわけですが、その目的のひとつは汚染しやすい野菜としにくい野菜を区別することです。
 実際にやってみて分かったのは、根菜類は、土の中にある部分の方が高いだろうと思うんですけど、実際は逆で地上部の方が汚染は高いんです。例えば、サトイモのイモは低いけど、上のイモガラは非常に高くなります。
 年毎に汚染は下がっています。野菜に関してはそういう傾向があります。
 ところが山菜、例えばコシアブラなどはてんぷらにするとおいしいですが、汚染は極めて高いです。これは、最近の研究で根の構造に原因があるらしい。
 それから、2013年と14年と同じ山菜を比べてみると、ゼンマイは14年の方が高くなっている。ワラビもそうです。
 こういう風に、山菜の場合は野菜と違って(汚染の度合が)増えてくるものもあるわけです。


木村:いわき市の志田名(しだみょう)地区の例についてです。川内村との境です。小高と同じレベルかそれ以上の汚染があった地域です。
 ところが、国はこの地域の汚染を知っていながら、当初、住民には知らせませんでした。放射能が通過した直後、自衛隊が志田名に入って線量を測っていますが、住民に知らせず見捨てています


ちなみに志田名、荻の汚染がひどいことは ETV特集 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」で初めて報道されたが、ここは川内村の我が家(タヌパック阿武隈)から関守の獏工房や獏原人村に行くルートの途中にあるため、僕は自分の線量計でとてつもない線量を示す場所があることをその前から知っていた。
多分、志田名・荻地区の汚染がすさまじいことに最も早く気づいたのは獏原人村のマサイさんだ。
マサイさんや関守はチェルノブイリの直後から「R-DAN」という線量計を持っていて、常時稼働させていた。
マサイさんは原発爆発直後に避難したが、原人村に置いてきた鶏に餌をやるために決死の覚悟で戻った際、車に積んでいるR-DANが志田名、荻を通るときにものすごい数値を示したことをミクシィで報告している。

木村:住民のみなさんとこういう会話がありました。
「隣りの川内はうちよりずっと低いのになんでテレビは貰う、冷蔵庫は貰うなんだ」。
 これに対して僕は、「じゃあ、ゼニカネで解決していいのかい?」と。
 そうすると住民のみなさんは「そうでねえ、おれらは元に戻したいんだ」と。
 僕は「正直、この地域は人は住めません」という話をしました。でも、彼らは、「自分たちの地域を捨てられない。自分たちで再生したい」と。「じゃあ、非常に難しいけど、やってみましょう」と。
 で、「田圃一枚一枚が自分の命だ。だから全部の田圃を測りたい」ということで、10メーター区画で測定しました。全部で713カ所。家の周りも、住宅も、庭も、仏間も、2階も測りました。713箇所を彼ら自身で測定しました。それを元に2011年9月に汚染地図ができました。高いところは毎時3マイクロシーベルトを超えていました。

木村:除染を行ったところの放射線線量率は84%の減少でした。でも、この84%にはや自然減衰の分や物理的半減期による減衰分が含まれています。だから、正味の除染の効果は25%(84-59=25)ということです。
 これを「25%しか」というのか「25%も」というのか、僕には正直分かりませんが、45ヘクタールの除染でフレコンバックが4万体です。丸2年で何億円もかけた効果が25%。何もしなくても59%は下がるのに。これが除染の実態です。
 しかも除染すれば終わりではないんですね。「先祖様がずっと作ってきた大事な養分の部分を全部除染で取っちまって、山砂を入れている。これが元の土に戻るのには何年かかるんだい?」と。
 これが現実です。
 住民がこうポツリと言いました。
「俺ら、この地域を元に戻したいってここまでやったけど、結局、若い人は帰って来ないんだ。除染して本当にしてよかったのかは正直わかんない」

 志田名地区でも精神的賠償が話になりました。僕は、ゼニカネで問題を解決しない方がいいと言いました。金でまた部落が分断されます。  1人当たりいくらという計算になりますから、5人家族なら5人分、2人家族なら2人分です。それで格差が出てきます。精神的賠償の話が持ち上がったら、まだもらってもいないのに、「あの家は何人家族だから。うちは2人だから」っていう話になって、もうまとまらなくなっている。これに非常に胸を痛めています。


参加者:私の家は薪風呂なんですが、セシウムは飛散するのでしょうか?

木村:はい飛散します。
 二本松で2番目に内部被ばくが強かった方が約4500ベクレル。自給自足をされています。いろいろ調べたんですが、食品などの汚染はほとんどなかった。汚染原因がよくわからないのでいろいろ話を聞いてみました。すると薪ストーブなんですね。そこで、ハイボリュームエアーサンプラーという掃除機の大きいようなもので調べてみることにしました。1時間ぐらい吸引してだいたい1日分の呼吸量の20立米。結果は400ベクレルを超えるぐらいのセシウムが出ました。
 で、すぐに新しい薪ストーブに替えたら劇的に下がりましたが、やっぱり薪ストーブは危険だということは変わりありません。薪風呂の方は家の中全体に拡散しないので薪ストーブほどではありませんが。


 薪ストーブについては以前から僕も気がかりだった。
 薪のままであれば、あるいは薪にする前の樹木の状態のままであればセシウムはそこに付着したままあまり動かないが、燃やしてしまえば煤煙となってまた空気中に拡散していくのではないか。それを吸い込むということがいちばんまずいのではないか……と。

参加者:地区のゴミの片づけで、例えば枝打ちをしたらどっかで焼却しなればならない。たき火にするのか、風呂に入れるのかという問題があります。オール・オア・ナッシング的な話ではなくて実際に生活して行く上で、こういう木は線量が少ないから燃やしても大丈夫とかとういうところを、教えていただきたいです。

河田:木の汚染には幾通りかの経路がありますが、事故が3月の半ばに起こったので、落葉樹と針葉樹の差が出ているわけです。
 事故当時、落葉樹には葉っぱがありませんでした。だから落葉樹に関して樹皮、表面についた汚染です。それが染み込んでいきます。
 ところが、松とか杉とかは葉っぱがあります。かんきつ類もあります。これらは葉っぱが汚染したわけです。葉っぱから中に入っていきます。葉面吸収と言います。しかも針葉樹の葉っぱは面積にするとすごく大きくなります。だから大量に吸収するということが起こったわけです。
 だから相対的に言えば落葉樹の方が汚染は少ないと言っていいと思います。

このブログで紹介されている、2氏と参加者(住民)との最後のやりとり部分は、特に心に残った。
「帰還ということに対しても、正直なところは反対です。帰還しないでいいのであれば帰還しないでほしいというのが私の願い」という木村氏に対して、住民はの一人は、
「そういう話を聞いても正直ストレスを感じる。測れとか線量が危険だとかという話なら、行政とか県とかに働きかけるべきだ。放射線関係の専門家の方々に望むのは、そういう話ではなくて、現実問題ここで生活しようとする人たちが最低限安全に住むためには、例えば、川で、畑で、田圃でこういうところに注意すればいいといった前向きな指導をお願いしたい。いつまでも危険だ危険だという話ばかり聞いていてもしょうがない」
と詰め寄る。
それを受けて河田氏が、
「わかりました。ずっと南相馬でいろんな測定をしてきて、これは危険だ、これは安全だ、これはこうすればいいといったことをパンフレットにまとめて配る予定だ」と答えて質疑応答が終わっている。

本当に、いいとか悪いとかではなく、これが今の福島の姿だ。
しかしこれは「福島の一部」であって、「福島」という言葉ですべてを語るべきではない。
「フクシマ」以降の福島は複層的に分断され、混迷を極めている。
この講演まとめブログの中でも随所にその状況を示す言葉が出てくる。

「隣りの川内はうちよりずっと低いのになんでテレビは貰う、冷蔵庫は貰うなんだ」

はその一例だが、これの意味、内容をきちんと理解できる人は少ないと思う。
その川内村は、
小高よりも線量の低い川内村は、いま7割の方が帰村したということになっていますが、実際は週4日以上住んでいる人を帰村者としており、完全に住んでいる人は3割、600人足らずです。(木村)

で、除染バブルで除染員用の飯場が「ビジネスホテル」という名目で建設され、メガソーラーやらLED電球と栄養液で栽培する野菜工場やらで「経済復興」をめざすやらで、僕が住んでいたときの村とは様相がすっかり変わってしまっている。
汚染の実態と関係なく、当初、原発からの距離で避難する/しないを線引きされたことによる混乱・被害は、今も尾を引いている。
二本松の場合、線量が高く避難指示を出さないといけないのに、出されなかった地域です。もう今さら避難すると言っても遅いわけです。だからいま対処できることをきちんとやりましょうということです。
しかし、小高の場合、避難ができているわけです。わざわざ帰る必要があるかということはいろんな状況を考えてみるべきだと思います。(木村)

基本的に「帰還には正直なところ反対。帰還しないでいいのであれば帰還しないでほしいというのが私の願い」と言っている木村氏も、長く汚染地の調査を続け、そこに住み続けるしかない人たちの姿を見ているために、
二本松や志田名のように住まざるをえない地域で、あれもダメ、これもダメというのは本当に忍びないです。ではどうするか。こうすれば線量は下がるし、食べられるということを提案していくことだと思います。現に住んでいるのに「ここには住めません」「ここでは我慢しましょう」だけではやはり持たないでしょう。 ただ、小高の場合はこれから住むわけです。そういうところではどうするか。まずは自分が調べて、測ってみる。これが一番大切なことではないかと思います。

と述べている。

農薬漬け田んぼで生きるカエルのごとく

最近僕は、自分は農薬漬けの田んぼで暮らすカエルのようなものだと思うようになった。
放射性物質による汚染のことだけではない、新国立競技場問題、佐野研二郎パクリ事件、巨大防潮堤建設、この期に及んでまだやめない核燃サイクル計画……今の日本は精神を病んでいるとしか思えない。
この病んだ精神が蔓延している社会で生きていかなければならない。
農薬漬けの田んぼでも、タフで注意深いカエルはまだ生き延びるチャンスはある。しかし、オタマジャクシ(次の世代の若者)が健康に生き延びて大人になれる可能性はどんどん低くなる。

一人親世帯の貧困率(平均所得の半分に満たない家庭)は55%

次の世代が生きていくのは大変というのは、こんな現実にも現れている。
子どもの貧困率は、平均的な所得の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の子どもの割合で示すが、2012年に16.3%で過去最悪になった。子どもの6人に1人が貧困と言われるゆえんだ。ひとり親世帯の貧困率は同年54.6%で半数を超える。
東京新聞 2015/8/27 困窮家庭「子どものご飯どうしたら」 給食ない夏休みにSOS

その農薬の話

農薬漬けの田んぼと言えば、安倍政権下では安保法制や核問題の狂気だけでなく、こんな恐ろしいことも行われている。
以前ミツバチが大量に巣から失踪する現象(蜂群崩壊症候群)が、同時多発的におきて原因が暫く不明であったが、少し前にネオニコチノイド系の農薬が蜂の神経系に作用してミツバチを殺すことが分かった。EUはこれを受けて2013年の暮れから、ネオニコチノイド系の農薬の使用禁止に踏み切った。
然るに日本では、今年の5月に厚労省がネオニコチノイド系の農薬の食品残留基準を大幅に緩和した。たとえば、クロチアニジンというネオニコチノイド系の農薬のホウレンソウの残留基準は13倍に引き上げられた
(池田清彦氏のメルマガ「池田清彦のやせ我慢日記」より

これを報じる大手メディアはどれだけあっただろうか。

このコラムでは、フィプロニルという成分を含む農薬(代表的製品名は「プリンス」)についても書かれている。フィプロニル系の農薬によって田んぼでヤゴが育たず、トンボが激減した話。
このフィプロニルは犬猫のノミダニ駆除薬にも使われていて(代表的製品名は「フロントライン」)、それを検索していくと、フィラリア予防薬を使うべきか使うべきではないかという議論も読むことになったり……ずいぶん勉強になった。
薬の功罪、メリットデメリットのバランスというのはとても難しい話で、放射能の話と似ている。
肉体への直接の害だけでなく、ストレスの問題を考えないといけない。
ストレスの問題は、ものの考え方、生き方、問題への対処法などに大きく関係してくるわけで、思い悩むことの多い僕のような人間は、いかに精神を安らかに保つかという技術を磨いていくことが、残りの人生ではいちばん大切なのかな、と思う。




さらば阿武隈2015/01/24 21:25

タヌパック阿武隈

さらば タヌパック阿武隈

川内村の家と土地を……というより「タヌパック阿武隈」を手放すことになった。
理由は「維持できなくなった」から。
3.11後、いろんなものを失い、収入も激減。維持していく余裕がなくなった。
同じ理由で百合ヶ丘の仕事場も手放したわけだが、もう余生が長くないと思うと、身辺整理という意味合いも強い。

12月、1月はそのための後片づけや手続きのために、日光と川内村を何往復もした。暖かい時期だったらよかったのだが、寒いし、雪が降り、道が凍結すれば命がけだし、大変だった。

この土地と建物には、簡単には言い尽くせない思いがある。
2007年10月23日の中越地震で越後の家を一瞬にして失い、気持ちまでぺしゃんこになったまま年を越すのは嫌だと、新天地を探した結果、ここ川内村にすばらしい土地を見つけ、引っ越した。
ずっとここに暮らして、生きること、生き抜くこと、人との関係、自然との関係を考えながら歳を取り、一生を終えるつもりだった。
それが、たかだか(と敢えて言う)原発が爆発したというだけで、いろんなことがぐちゃぐちゃになり、バラバラになり、消えていく。
「あれ」が起きてからもうすぐ4年。
今はもう、怒りとか絶望とかを超えて、なんだか淡々とした、それでいて割り切れないという、不思議な気持ちだ。


↑この部屋のこの机と椅子で『裸のフクシマ』を書いたり『SONGBOOK1』をマスタリングしたりしたんだなあ……。

2015年1月22日。
午前中に本宮市の銀行に行って最終決済と所有権移転手続き。
その後、買い主のSさん、不動産屋さんらと川内村に向かい、最終引き渡し。

低気圧が来て1日中荒れた天気になるということは1週間前から予報されていたので、ずっと心配だった。
東北道が雪でスピードが出せないと本宮まで相当かかるかもしれないので、予定より30分早く家を出た。
幸い、出たときは道にうっすらと雪も積もっていたが、高速に乗ってからはほとんど問題なく走れて、約束の11時よりずっと早く到着した。

東北道は順調だったが、途中、郡山IC付近でピーピーと音がしてぎょっとした。
線量計の警告音だった。日光~矢吹~小野~川内村というルートで今まで何往復もしてきたが、線量計の警告音がしたことは一度もない。
そういえば、郡山市内の不動産屋さんに最初の契約に出向いたときも、市内で一度線量計が鳴ってびっくりした。
郡山はやはり線量が高いという事実を改めて思い知らされる。
それでも町の中では普通にみんな生活していて、今はもう、放射能汚染を話題にすることが完全にタブーになっている感がある。
福島の人たちはみんなそうした事情を分かって、飲み込み、沈黙しながら生活している。その雰囲気や精神状態は分かりすぎるほど分かっているので、僕も今では積極的に公言することはない。
話題にしても、ここで暮らしている人たちには「余計なお世話」「言ったところでどうなるものでもない」ことだし、外から見ている人たちにはさらなる刺激材料になり、一部では情報が加工されて暴走していくだけだからだ。
「フクシマ」の問題は、「福島が……」という話ではない。
放射線量がどうの、という単純な話でもない。
ここにも何度も書いてきたように、「フクシマ」はシステムの問題であり、社会のあり方、人の心のあり方、生き方の問題なのだ。
しかし、現実として郡山市や福島市といった福島県を代表する都市部が今も相当に汚染されていることはしっかり認識しておく必要がある。
認識してほしいが、外から見ている人たちには、非難の矛先を決して間違えてほしくない。「なぜ逃げ出さないのか?」ではなく、まずは自分たちが選んだ政治家や、今も電気料金を払い続けている電力会社が何をしてきたのか、今何をしているのか、していないのかを考えれば、福島に暮らす人たちを責めるようなとんちんかんな論法にはならないはずだ。

で、朝飯は本宮IC手前の安積PAにて。連日、寒さの中で作業したりして身体を酷使していたせいか胃が痛いので、うどんにした。
胃が痛いのはストレスのせいもあるかもしれない。

銀行で契約手続きを無事に終え、それから買い主さん、不動産屋さん、僕と妻が車3台で別々に川内村に移動。
僕らは12時50分頃に到着。
遅れてきたSさんに室内を確認してもらい、水回りなど、いろいろな注意点を伝達。
不動産屋さんと買い主のSさんは先に帰り、僕と妻は運び出しきれなかった荷物をクロネコに渡すために残った。

僕が一人でクロネコを待つ間、妻は奥のきよこさんの様子を見に。
夕方、一人暮らしのきよこさん(80代半ば)の様子を見に通うのが日課だった妻にとって、これがおそらく最後の訪問になる。

ようやくクロネコが来て、最後まで残った12個の段ボールを運び出したので、僕もきよこさんの顔を見に奥に向かった。



原発が爆発したときも、助手さんはきよこさんの様子を見に行っていた。テレビで爆発シーンを見た僕は、恐怖で心臓がバクバクして、息苦しくなりながらこの坂を登って呼びに行った。きよこさんちの玄関を開け、「逃げるぞ!」と言った僕を、みんなは一瞬きょとんとした顔で見ていたっけ。

きよこさんはいつもと同じ場所(玄関を開けるとすぐに目の前)で炬燵に入っていた。
あんたらのようないい人たちが去って行くのは嫌だ、と言う。
「大丈夫。次にくる人はとてもいい人ですから。不在のままの僕らよりずっといいですよ」
と言ったが、笑顔はない。

みぞれ混じりの雨が強くなってきた。暗くなると帰り道が危ない。
「じゃあ、行くね。お元気でね」
別れを告げて雑木林と沢の間の道を下って戻る。


いよいよ見納めのタヌパック阿武隈。しょうかんさんが設計し、よりみち棟梁や愛ちゃんたちと一緒に建てた。
もう、ここを「うち」と呼べなくなってしまった。

7年間。

川内村で暮らした時間。
全村避難になってほぼ空っぽになった村に戻ってきたのは2011年4月の終わり。
あのときは、これだけのことがあったのだから、今度こそこの村を自立した村として建て直すのだ、という意気込みを持っていた。友人たちもみんな同じ気持ちだったと思う。
しかし、そうはならなかった。

関守・じゅんこさん夫妻は北海道へ、しょうかん・愛ちゃん一家は岡山へ、みれっとのよーすけさん・けーこさん夫妻は長野へ、小塚さん夫妻、出戸さん夫妻は佐渡へ、佐藤こーちょーは三島へ、ブッチ・りくさん夫妻は山形へ、そして僕らは日光へ……友人たちはみんな散り散りになってしまった。
毎日一緒に散歩したお隣のジョンもいない。ジョンは「被災犬」として間違って捕獲されてしまったが、今は所沢で幸せに暮らしているはずだ。


雪道を滑りながら車を出す。下のけんちゃんの家に寄って最後の挨拶。
「せっかく親しくなったのに、いなくなるのは嫌だねえ。また来たときは寄らっしぃ」
きよこさんと同じことをけんちゃんの母親・ふさこさんも言った。
「お元気で」
ふさこさんに、きよこさんに言ったのと同じ言葉をかける。
精一杯の笑顔で言ったけれど、多分、もう会えない。
お互い分かっている。
「これ、お菓子です」
と、妻が菓子折を渡す。これが最後の菓子折。

言い尽くせない思いが頭の中を巡る。

阿武隈……50代になって「これだ」という思いがあった。
阿武隈に呼ばれたのだと思った。阿武隈で余生を過ごし、死ぬのだと決めた。その「阿武隈」というキーワードが、どんどんフェイドアウトしていく。
悔しいというよりは、脱力……だろうか。あまりにいろんなことがあって、今はうまく言葉が紡げない。

きよこさんもふさこさんもけんちゃんもしょーたろーさんも、ここにいる人たちはみんな、それぞれに生きている。精一杯。
なにが正しいとか、間違っているとか、もう、そんなことはどうでもいいという気持ちになる。
だって、みんな、それぞれに精一杯生きているんだもの。
力尽きて死んでしまった人たちもいっぱいいる。「BSを見たい」というので僕がBSアンテナをつけてあげたまさときさんはじめ、近所の老人たち。死屍累々。
「あれ」がなければ、多分今も生きていただろう。昨日と同じ今日を生きて、笑っていただろう。
みんな生きがいを失い、たちまち身体を壊して、あっという間に死んでしまった。
ばあさんたちよりじいさんたちのほうが変化についていけず、弱かった。
でも、そういうことも含めて、人生であり、運命であり、この「世界」の現実なのだ。

「あれ」は、人間だけでなく、阿武隈に棲むあらゆる生き物をも巻き添えにした。
今年もマツモ池、雨池、土手池、弁天池の上の枝に、モリアオガエルは卵を産むのだろうか。
僕はもう確かめられない。

Sさん。あとはお願いしますね。
池の水、絶やさないようにしてくださいね。
5年かかったのよね。「モリアオガエル同棲計画」
結局、モリアオガエルと一緒には暮らせなかった。

Sさんの家は浜通りの「帰還困難区域」にある。
今も家の周りは7μSv/hくらいあるという。
0.7 じゃなくて、7。
もう、無理だよね。生きているうちに帰るのは。
それでもSさんは、自警団みたいなのに入って、今も100km近い距離を走り、自分が生まれ育った町に通う。誰もいなくなった町の保安のために。

「(帰れないと思っても)やっぱり故郷は捨てられませんか?」
と、恐る恐る訊いてみた。
柔和なSさんの顔がたちまちくもり、少し押し殺すような声でこう答えた。
「だって、爪に火を点すような思いをしながら、ようやくあそこまでこぎつけたんだから……。それが全部……」
Sさんは個人商店主だ。お店兼自宅の様子をGoogleのストリートビューで見た。シャッターが下りたままの建物はまだ新しいように見える。でも周囲に人影はまったくない。
ゴーストタウンになってしまった故郷、そして生きているうちには戻れそうもない我が家。

Sさんは「福島県もりの案内人」「日本自然保護協会自然観察指導員」などの肩書きを持っている。風貌は熊オヤジというかマタギというか……いかついが、人なつこい笑顔が素敵な人だ。
僕が作った「阿武隈カエル図鑑」を家の中に残しておいた。
カエルたちのことがいちばん心配だったので「できることなら池はつぶさないでください」とお願いしたら、「楽しませてもらいます」と笑顔で答えてくださった。
この地にはきっと、雑木林とカエルの神様が住んでいるんだろう。その神様に僕らが呼ばれた。そして、今度はSさんが呼ばれたんだと思う。

Sさん、ここを買ってくださってありがとうございます。
カエルたちをよろしくお願いします。


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