オーストラリアでCOVID-19死者が少ない理由は?2021/03/02 22:17

先日の全豪テニスで、海外からやってきた選手やスタッフへの防疫体制の徹底ぶりに驚いた。
飛行機はすべてチャーター機を用意し、空港到着後の検査で一人でも陽性反応者が出ると、その者と同じ飛行機に乗っていた全員を2週間ホテルに完全隔離する。それも、一切部屋から出さないという徹底ぶり。
それ以外の選手も、コートでの練習2時間を含む1日5時間までの外出のみが許され、実質24時間監視されていた。
期間中は毎日検査を行い総数は約3万件に達した。
こうした2週間の隔離終了後に、一部の選手が隔離期間を過ごしたホテルの従業員にコロナ陽性者が出た。そのため、わずかでも接触可能性がある者は陰性が完全証明されるまで外出禁止となり、予定されていた前哨戦は全試合中止になってしまった。
それだけ徹底した管理をしても、市民からは大会開催反対の声が強く上がっていたという。
ようやく2月8日に大会が始まったが、その後、開催市であるメルボルンにある入国者の隔離用ホテルの滞在者やスタッフなどから、イギリス型変異ウイルスが確認されるや否や、州全体で12日夜から5日間、外出制限を導入した。12日夜は、メイン会場のロッド・レーバー・アリーナでは男子3回戦、フリッツ(米)対ジョコビッチ(セルビア)が行われていたが、午後11時30分になると試合を一時中断して会場を無観客にした。この処置に、フリッツ選手は「馬鹿げている!」と怒りまくっていた。

こうしたニュースを見て、オーストラリアってそこまでやるのかと驚いたわけだが、オーストラリアのコロナ感染状況については以前から不思議に思っていた。
人種構成はイギリスやアメリカなどとそれほど変わらないのに、なぜ死者が少ないのだろう、ということだ。

worldometers.infoの最新データ(2021/03/02時点)を見ると、オーストラリアの状況はこうだ。

■オーストラリア
人口:約2570万人
検査総数:約1441万人
死者総数:909人
感染者数累計:28,986人
100万人あたり死者数:35
100万人あたり検査数:562,609
100万人あたり感染者数:1,128人

これを日本と比べてみる。
■日本
人口:約1億2622万人(豪の4.91倍)
検査総数:約825万人(豪の0.57倍)
死者総数:7,887人(豪の8.68倍)
感染者数累計:432,773人(豪の14.9倍)
100万人あたり死者数:62人(豪の1.77倍
100万人あたり検査数:65,916(豪の0.12倍
100万人あたり感染者数:3,435人(豪の3倍

人口100万人あたりの死者数は35人は、日本の62人よりも少ないのだ。
ちなみにイギリスは同・1805人、アメリカは1587人で、オーストラリアの35人と比べて2桁も違う

COVID-19で重症化する割合は、DNA的な要素など「ファクターX」が関係しているのではないかということはだいぶ前から言われている。
では、オーストラリアの人たちは「ファクターX的」に米英の人たちよりコロナで重症化しにくいのか?
それを見るために、「死者数/感染者数」を出してみると、

死者数/感染者数
オーストラリア:0.03136
イギリス:0.02940
日本:0.01822
アメリカ:0.01799

……となり、どの国も桁が違うというほどは違わない。むしろオーストラリアでは「感染して死ぬ人」の割合はイギリス、日本、アメリカより多いのだ。

人口密度が違うとはいえ、徹底した防疫体制、検査数の多さが、感染者数を抑え込み、結果として死者数も抑え込んでいると考えるしかないだろう。

日本はオーストラリアと比べてどうなのか? あるいはお隣の韓国と比べるとどうなのか?
比較してみた。
オーストラリア
100万人あたり死者数:35
感染者数累計/検査数:0.0020
死者数/検査総数:6.3
死者数/感染者数:0.031

日本
100万人あたり死者数:62
感染者数累計/検査数:0.0524
死者数/検査総数:9.6
死者数/感染者数:0.018

韓国
100万人あたり死者数:31
感染者数累計/検査数:0.0135
死者数/検査総数:2.4
死者数/感染者数:0.018

やはり、オーストラリア人は「感染したら重症化して死ぬ確率がアジア人より高い」が、徹底した検査と防疫体制で感染そのものを抑え込んでいるので死者数が少ない、ということが見えてくる。
また、日本と韓国では同じ東アジア系なので、コロナによる「死にやすさ」は変わらない(「死者数/感染者数」がほぼ同じ)が、検査体制や感染対策の違いで人口あたりの死者数に倍の開きが出ている、と考えられる。

それにしても、である。
全豪テニスのあの徹底的な防疫体制、隔離方針と同じレベルのものを日本がオリンピックでできるとは到底思えない。
できないのが分かりきっているので、「2週間隔離は求めない代わりにスマホアプリで管理」などと素っ頓狂なことを言い出す始末。
世界は今の日本をどう見ているだろうか。



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ベルギーからワクチン第一便というニュースへの雑感2021/02/12 21:06

ワクチン第一便がベルギーから届いたと、テレビで生中継までする騒ぎになっている。
ベルギーのピュールスという小さな村に米国ファイザー社の工場があり、そこが欧州でのワクチン製造の拠点となっているそうだ。

ベルギーは人口1162万人の小さな国だが、コロナ死者は2万1000人を超えていて、人口に対する死者数は英国、米国、イタリアなどより多い。実質、世界一コロナ被害を受けている国。そこの小さな村で作られたワクチンが、人口あたり死者数がベルギーの1/30以下の日本に送られてくるんだなあと思うと、複雑な思いがある。(人口100万人あたりのコロナ死者数が1855人、日本は同・53人)。

その日本の100万人あたり53人の死者という割合は、同じアジアで見ると、韓国の29人、香港の25人、中国の3人、タイの1人、台湾の0.4人などに比べてはるかに多い。

ちなみに、今、全豪テニスが行われているオーストラリアは、感染者総数28,887人に対して死者909人(3.2%)。日本は感染者数41万人に対して死者6,678人(1.6%)。人種的な要素としてオーストラリアのほうが死亡率が高いと思える中で、感染者数を抑えているのは、防疫体制がしっかりしているからだろう。
オーストラリアの人口100万人あたりの検査数は526,641人、日本は58,994で、一桁違う。
(以上のデータはすべてworldometers.infoより)
こういうデータを見ても、日本がしっかり対策をしていれば、死者数を今の半分くらいにできていた可能性は高いと思う。



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今冬のインフル死者数、コロナ死者数の意味を考える2021/01/22 15:08

国立感染症研究所発表のデータより

今冬は、驚異的にインフルエンザ感染者が少ないという(国立感染症研究所発表のデータより)。
厚労省によれば、1月4日~10日における全国の定点医療機関からのインフルエンザ発生報告数は73人。去年の同時期は90,811人だったので、1000分の1以下ということになる。
これはほぼ間違いなく、今年はCOVID-19のせいで人々の交流が減り、手洗いやマスク着用を徹底しているからだろう。
SARS-CoV-2の感染力(人の体内に入り込む「能力」)は従来型インフルエンザウイルスよりはるかに強い、ということだ。
つまり、いつもの年のようにノホホンと過ごしていたら、コロナ患者の数はとんでもない数になっていた可能性がある。

今冬のインフル死者数、コロナ死者数の意味を考える

さらに考えてみよう。
この1月4日~1月10日の1週間は、SARS-CoV-2のPCR検査陽性者数が爆発的に増えた時期だった。全国累計で42,882人にのぼる(厚労省サイトのデータより計算)。
この間、陽性者で死亡した人の数は389人にのぼる。
この数字は例年のインフルエンザ発生数と死亡数に比較してどうなのだろうか。

厚生労働省が毎年発表している人口動態統計によると、2018年のインフルエンザによる死亡者数は3,325人だが、これはインフルエンザが直接的に死の原因となった人の数だ。
WHOは「インフルエンザにかかったことによって自分が罹患している慢性疾患が悪化して死亡する」ことも含めた死を「超過死亡概念」として提唱しているが、この超過死亡概念も含めると、日本におけるインフルエンザによる死亡者数は、毎年およそ1万人前後ではないかと厚労省は推計している。

1月20日時点で、COVID-19による日本国内での死者数累計(昨年の新型コロナ症例が初めて見使った時点からの累計)は4742人である。
これは、新型コロナウイルス感染によって、それまで抱えていた持病などが悪化したり、老衰の度合が進んで亡くなった人も含まれている(WHOが提唱している「超過死亡者数的な統計」)と考えられる。
とすると、今年はコロナ対策のおかげでインフルエンザによる死者は激減しているはずだから、従来型季節性インフルと新型コロナによる死者数を合わせても、去年よりも「ウイルス感染が直接、間接の原因」の死者数が少ない可能性もありそうな気がする。

誤解してほしくないのだが、私は「COVID-19は怖くない」などと言っているわけではない。逆だ。
これだけウイルス対策をしても、インフルは劇的に減らせてもSARS-CoV-2はしっかり人にうつっていく。
ということは、この冬、人々が今までのような生活スタイルであったら、感染者数も重症化~死者数も、1000倍とは言わないまでも、軽く100倍以上にはなっていたのではないか。
低く見積もっても累計死者数は5万人、多ければ5万~10万人くらいになっていてもおかしくない。つまり、何の対策もしない冬を迎えていたら、従来のインフルエンザによる死者数約1万人より一桁多い数のコロナ死者がそこに加算されていたかもしれない

新型コロナがやっかいなのは、無症状者がウイルスを拡散させるという、従来型インフルエンザウイルスにはない特徴を持っていることだ。
従来のインフルは、感染すると高熱が出て寝込んでしまうため、感染者が市中や職場に出てウイルスをばらまくことは少ない。周囲の人も、あ、この人はインフルにかかっている。うつされないように注意しよう、と意識できる。新型はそれが難しい。
さらには、無症状で済んでしまう人がいっぱいいる一方で、それまで元気だった人がサイトカインストームで急激に病状が悪化して、何も手を施せないまま死んでしまうという事例が一定数出ることも恐ろしい。これは心理的にかなりの恐怖としてまとわりつく。
年齢層によって重症化率が大きく違うというのも、世代間の分断を加速させる要因になるのでいやらしい。

社会構造や生活習慣の変化は避けられない

以上のことは、何も専門的な知識や高度な統計技術を持たなくても容易に理解できる。
この「分かっていること」を踏まえて今後のことを予想してみると、
  • COVID-19は簡単には収束・終息しない(それを見越して計画を立てることが必須)
  • ワクチンに関してはあまりにも未知の部分が多いので、今後の展開が予測できない(過剰な期待や希望的展望は危険)
  • 無症状感染者がウイルスを広げているが、無症状の人を片っ端から検査するのは非現実的だし、合理性も欠く
  • かといって感染防止対策をしなければあっという間に蔓延し、重症者や死者も増える(気は緩められない)
  • すでに医療現場の負荷は限界に達しており、コロナ以外の救急患者や要手術患者への医療が十分にできなくなっている(医療制度の見直しや医療現場の改革が必須。そのためには巨視的視野、合理的思考力、剛胆な実行力を持つリーダーが必要))
  • コロナが直接の死因にならずとも、経済破綻やストレスによる自殺などのコロナ関連死が急増する(正しい情報の共有が重要)
  • 人と人の接触が減ることで、娯楽を含めた文化全体のあり方が変わる(消えていくものを守ろうというだけでなく、新しい価値観や幸福感を捜す発想の転換が必要)
  • 世代間の断絶が進み、年長者が若者に経験を伝授していくことが難しくなる(教育や人との触れ合いの形を考えつつ、世代間ギャップを埋める努力を)
  • 都市の文化が荒廃し、人々の生活は郊外や地方に徐々に移っていく(都市型文化偏重をやめて、既存の住宅や設備の活用を)
  • 経済格差、教育格差が進む(オンライン講座などを活用した教育と人材育成)
  • 少子化はさらに進み、平均寿命も徐々にマイナス方向に転じる(経済規模全体はマイナス成長でも、個人の幸福は膨らむ社会作り)
……ざっと思いつくことだけでもこれだけある。
こういう社会変化はもはや避けられない
それを理解した上で、ではどうやって生き延びていくか、犠牲を減らして、幸福感を維持できるのかという具体的な方法を探り、新しい価値観を構築していかないといけない。
緊急事態宣言を出す出さないだの、飲食店の時短営業要請だのといったことだけ声高に議論していても、今後の道筋は見えてこない。このウイルスが人間社会に与えた影響の大きさや内容をもっと巨視的にとらえて、社会をどう作り直していくか、を考えないといけない。
しかし、今のところ、政治にそうした力がないのは明白だし、メディアにも道を示す力は期待できない。
自力で考え、工夫しながら、自分の周りの小さな地域社会を大切に、優しく、柔軟に育てていくことから始めるしかないのかな、と思う。


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北関東のダサい地域こそ移住の狙い目2021/01/14 16:10

地方移住のススメ(2)

地方へ移住すれば住居費が軽減できて、ゆとりのある生活ができる?
そうであったとしても、具体的にどのへんの「地方」がいいのか──それが問題ですね。
好き嫌いや様々な事情があって一概にはいえないでしょうから、ここではザックリと基本的な「考え方」をまとめてみます。

どうしても年に数回は行かなければならない場所からの距離

 私が最初に購入した田舎暮らし物件は、新潟県の中越地方、川口町(当時は北魚沼郡。現在は長岡市に併合)にある280万円の古民家でした。
 今から30年ほど前、36歳のときで、当時はまだブロードバンドもなく、東京から完全に離れて生活するのは無理だったので、別荘として購入しました。
 夏の間はほとんどそこにいたのですが、このときに分かったのは、他に生活拠点がある「二地域居住」や、仕事などでどうしても頻繁に移動しなければならない場合の移動距離の上限はせいぜい200kmだということです。
 越後の家は、民家が20軒ほどしかない山奥の限界集落の外れにありましたが、関越自動車道越後川口ICから車で10分ほどの場所で、車で移動する分には便利な場所でした。
 土地は500坪弱くらいだったでしょうか。裏手は土手状の斜面で、その下に川が流れているという地形でしたが、売り主さんは「このへんは地盤がしっかりしていて、新潟地震のときも、新潟市内は滅茶苦茶になったが、このへんでは被害はゼロだった」と言っていました。
 それが、2004年の中越地震で完全に潰れました。なんと、震度7の震源の真上でしたから、ひとたまりもありません。人生、何が起きるか分からないものです。

 この家を購入した最大の決め手は価格でした。280万円ならローンを組むなどしなくても支払えましたから、田舎暮らしの「お試し」としては、失敗してもそれほど後悔しないだろう、せいぜい楽しんでやろう、というような気持ちでした。まだ30代でしたから、気力も体力もあったのですね。
 それでも「移動距離は200kmが限度」というのは実感しました。それ以上になると、頻繁に行き来するのは難しくなり、購入しても放置する羽目になります。
 いざというときのために、自動車(自家用車)以外の交通手段が無理なく使えるかどうかも大切です。
280万円で購入した越後の家(2000年4月撮影)

豪雪地帯や寒い地方はお勧めしない

 越後の家は、約12年かけて、自分で壁を杉板張りにしたり、浴槽を交換したり、和室を洋室に改造したりといったリフォームを繰り返し、ようやくこれ以上はやることがない、となったときに2004年の中越地震でつぶれてしまいました。
自分の手で家の中の壁をほぼすべて杉板張りに替えたりもした。(1998年5月撮影)
 購入自体は280万円でしたが、屋根を全部葺き替えたりもしたので、12年の間になんだかんだで1000万円近く投入したと思います。
 新潟県内の不動産価格、特に山間部の物件は相当安いのですが、これは豪雪地帯だからです。冬は一晩で1m積もるなどということも普通で、屋根に積もった雪をそのままにしておくと家が潰れます。
 越後の家を維持している12年間は、冬は行けないので、冬季の雪下ろし依頼だけで毎年10万円かかっていました。(ちなみにこの地方の人たちは「雪下ろし」ではなく「雪掘り」と言います。家全体が雪の下に埋まるので、屋根の雪も「下ろす」というよりは「掘り下げる」わけです)
 地震でつぶれるまでは、終の棲家に、と思っていましたが、今にして思えば、老後にあの環境で暮らすのは到底無理でした。
 今ははっきり言えます。豪雪地帯はやめましょう。寒すぎる地域もやめましょう。歳を取ると共に、自然を満喫するとか悠々自適どころではなくなります。下手すると落雪事故や寒さによる心臓発作で死にます。
 夏場に現地を見て「なんて美しい自然環境だ」と感激し、衝動買いするようなことのないようにしてください。
ゴールデンウィークでもこれ
中越地震後の写真。4月になってもまだこれだけ雪が残り、潰れた家はこの雪の下。左に少し見えているのは、中越地震の直前にようやく建てた耐雪仕様のかまぼこ形車庫の屋根部分。皮肉なことに、この車庫だけは完全無傷で残った。(2005年4月5日)

 雪はそれほどでなくても、冬に極度に気温が下がる地域も、歳をとるにつれ辛くなります。
 夏場だけ利用する別荘代わりならいいのでは、と思う人もいるかもしれませんが、寒冷地で冬場に人がいない状態で締めきっていると、凍結により、水回りなどが傷みます。次に行ったときに破れた水道管から水が噴き出して室内が水浸しになっていたり、井戸の汲み上げポンプが壊れて水が出なくなっていたりという事態が続くと、その家を維持するのが嫌になり、結局は放棄してしまうということになりかねません。

 では、暖かい地方がいいのかというと、そう簡単な話ではなく、南は台風被害が多いという問題があります。
「地域ブランド」に惑わされるな
 大まかな地域選びをする上で確実にいえることは、地域の「ブランド」「人気度」にはなんの意味もないということです。
 ブランド総合研究所が毎年行っている「地域ブランド調査」による「都道府県魅力度ランキング」などは愚の骨頂で、アホなメディアが面白がって取り上げていますが、あれはそもそも「住みやすさ」のランキングではありません。
第15回「地域ブランド調査2020」(ブランド総合研究所)より
 ブランド総合研究所によれば、この調査は「全国約3万人の消費者からの回答を集める調査」であり、「各都道府県と市区町村の魅力度やイメージ、観光・居住・産品購入の意欲など」を調査した結果だそうです。
 本来は地域や地名が持つ「ブランド力」の調査であり、住みやすさとは直接の関係はありません。それにしても、2020年度最下位となった栃木県は確かにブランド発信力が弱いかもしれませんが、それでも47都道府県の中で最下位というのは理解不能です。
 上位の北海道、京都、沖縄というのは、旅行に行くなら考えてみたいくらいの地域であって、決して「そこで暮らしたい」と思える地域とはいえないでしょう。
 例えば東京に住んでいる人が移住先として考えた場合、北海道⇒「寒い、遠い、見渡す限り何もない、冬は雪で真っ白」、京都⇒「人が本音を言わずに面倒くさそう。因習がものすごそう。観光客でごった返しそう。ただの湯豆腐が何千円とか食べ物屋でぼったくられそう」、沖縄⇒「台風被害必至、米軍基地で騒音がひどい、生活のリズムが違いすぎて戸惑いそう」……というマイナスイメージのほうが先行しそうな気がします。

 いわゆる地域名ブランドというのも、住むのには何の関係もありません。
 例えば、高級別荘地として有名だった軽井沢は今でも「ブランド力」が強いかもしれませんが、あそこに通年住むとしたら、寒さや交通の不便さという面で、日本中にある「ただの田舎町」と何ら変わりがありません。
 その軽井沢を有する長野県も、信州ブランドとしていいイメージを抱かれがち(上記の「都道府県魅力度ランキング」でも長野県は全国8位)ですが、長野と比べて茨城(同・42位)や群馬(同・40位)や栃木(同・47位)は住みにくいのかといえば、まったくそんなことはないわけです。
 ちなみに「北軽井沢」は群馬県ですね。群馬県吾妻郡長野原町の大字(おおあざ)で、人口は約1500人。私が6年ちょっと住んでいた福島県の川内村(人口約3000人)の半分くらいの山村です。
「不人気」地域こそが狙い目だ
 私は2011年に1F(いちえふ=東京電力福島第一原発)が爆発して大量の放射性物質を世界中にばらまいた後、移住先を捜して関東周辺のかなり広いエリアで物件探しをしましたが、長野県、福島県、山梨県、埼玉県などの不動産価格が理不尽に高いのではないかと思ったものです。
 最終的に、今の日光市に総費用1000万円以下で(私たちにとっては想定外に立派な)家を見つけて移り住むことができたわけですが、その価格では福島県(県南エリア)、長野県、山梨県(大月周辺)や秩父エリアの山村など、東京からの交通の便が極端に悪い場所にさえ、住みたいと思える物件を見つけることはできませんでした。
 なぜ日光市の不動産価格はこんなに安いのか? 今でも不思議でなりません。
 我が家は日光宇都宮道路のICから車で約10分。鉄道はJR日光線(駅まで2.8km)と東武日光線(駅まで3.2km)の2箇所が使えて、東京に出るのも苦労しません。住んでみて、その交通の便のよさに驚いたほどです。
 これも「ブランド力」のマジックなのでしょう。どんなに不便で住みにくい場所でも、長野や福島というだけで妙な人気があるのです(原発爆発前まで、福島は移住先としてはかなり人気のある県でした)。

 言い換えれば「ブランド力の弱い地域こそ狙い目である」ということです。

 私は今でも「お住まいはどちらですか」と訊かれたら、「栃木県です」とは答えず、「日光です」と答えます。日光は世界的なブランドだと思っているからです。横浜市民が「神奈川です」ではなく「横浜です」と答えるのと同じ感覚ですね。
 私が住んでいる場所は日光市でも南端に近いところで、かつては「今市市」でした。「イマイチ」という音からしてブランド力は弱そう(笑)ですが、面白いことに、地元の人たちにとっては「今市」は「街」であり、「日光」は「田舎」なのです。今市市が日光市になったときも、抵抗する人たちが結構いたと聞きます。
 車のナンバーは「宇都宮」ナンバーですが、私は当初、これに相当抵抗がありました。「日光」ならカッコいいのに……と思うわけです。ところが、地元の人たちにそれを言うと「とんでもない! 宇都宮だからいいんだ。日光ナンバーなんかになったら、田舎者だと思われてしまう」と言います。

 私が住んでいる地区は、宇都宮市と鹿沼市に隣接していますが、宇都宮市に入った途端、風景は変わらないのに地価がグンと上がります。ほんとに理解不能なほどの違いなのです。つまり、栃木県人にとっては「日光」よりも「宇都宮」のほうがブランド力が高いので、「宇都宮市」というだけで地価が上がるのです。

 栃木県人になった私が栃木県が最下位にランクされているのでムキになっていると思われると心外なのですが、正直なところ、北関東でダサいと思われている地域は移住先として最大の狙い目ではないかと思っています。


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生活スタイルの変化2021/01/14 16:05

地方移住のススメ(1)

コロナと共に生きていかなければならなくなった2020年以降、いやが上にも生活スタイルや従来の価値観を見直さざるをえなくなりました。
政治や社会体制に絶望したり怒ったりしているだけではどうにもなりません。ひどい社会でも、自力で生き抜く術を構築していくしかないのです。
まずは生活の場である居住地や生活スタイルを考え直してみませんか。
都会暮らしのかたがたに提案したいのは、ズバリ「地方への移住」です。
そんなのは無理だ、と考えるかたが多いでしょうが、今までの生活スタイルが難しくなっていることや、これから起こりうる様々なリスクのことを冷徹に計算してみましょう。考えが大きく変わるかもしれません。

都会暮らしを愛する老人の「住み替え」

 地方への移住というと、都会暮らしに慣れた人は、深く考える前にまず拒絶感を抱きます。
 しかし、「地方」というのは、必ずしも不便な田舎のことではありません。
 今の日本には、東京と変わらないような「都会」が各地にあります。
 まずは、都会派お洒落爺を自称するBさんの移住例をご紹介します。
都会生活をやめたくない
 Bさんは65歳のときに妻に先立たれ、その後、ひとりで気ままに暮らしたいと、それまで住んでいた都下の持ち家を売り、都内に家賃12万円のマンションを借りてひとり暮らしを始めました。
 Bさんはお洒落で新しいもの好き。毎日のように街に出ては買い物を楽しむという浪費生活をしていました。
 ひとり暮らしになってからは浪費を諫める者もいなくなり、5年後、気がつくと約3000万円あった預金が残り500万円になっていました。
 大手企業に勤めていたBさんの年金は手取りで月額約20万円あり、年金生活者の中でもかなり恵まれているといえます。
 しかし、その20万円のうち12万円が毎月の家賃に消えていきます。
 さらに水道光熱費、通信費、交際費(Bさんの場合これがかなりありました)などを引くとあっという間に年金分は出ていくため、残り500万円の預金がさらに月10万円ペースで減っていきます。
 このままではすぐに家賃も払えなくなりますし、動けなくなったときの蓄えもないのでは危険すぎます。
 娘がひとりいますが、イギリス人と結婚して3人の子供と一緒にロンドン郊外に住んでいます。最後に会ったのは5年前ですが、今はもう、コロナ禍で日本に来ることもできなくなりました。
 そんなBさんへのアドバイスは「地方都市へ引っ越す」です。
 Bさんは私のように田舎暮らしが好きではありませんから、街から離れて暮らすのは苦痛ですし、一気に老け込んで、命を縮めてしまうかもしれません。
 最大の問題は月12万円の住居費です。これを半分にできれば、月額20万円もの年金をもらい続けているBさんなら、年金だけで楽しく暮らせるはずです。
 例えば栃木県の県庁所在地である宇都宮市には、宇都宮駅から徒歩10分以内のマンションでもワンルーム(20㎡以上)3万円台の家賃から物件があります。
 徒歩圏にコンビニやスーパー、郵便局などがあり、バスに乗れば郊外の美術館や博物館などに遊びに行くのも簡単。
 Bさんは趣味人で、友人作りもうまいので、都内の生活でも、俳句や写真のサークルに入って楽しんでいました。地方へ移住となるとそうしたサークル仲間との交流も途絶えてしまうと恐れていましたが、コロナ禍で、(特に高齢者は)人との接触を減らさなくてはならなくなり、事情が変わってきました。
 サークル仲間との交流も、SNSやリモートミーティング的なものが増えたのです。それならどこに住んでいても関係ありません。
 また、宇都宮程度の地方都市には東京と同じものが全部揃っていて、しかもコンパクトで人が多すぎない分、老人には街歩きがしやすいはずです。
 店を覗いているうちに欲しいものがあるとつい買ってしまう悪い病気は、おそらく死ぬまで治らないでしょうが、いよいよ預金が底をつけば、年金の範囲内で楽しむしかないので、少しずつ適応していくかもしれません。
 これは、都会が持つ魅力と住居費の相対価値を考えた末のサバイバル案です。
認知症老人のひとり暮らし
 Cさんは70代半ばの女性で、5年前に夫と死別して、都下郊外の持ち家に一人で暮らしています。夫と共に公務員で共稼ぎをしていたため、年金額は企業サラリーマンだったBさんよりも多い月額約25万円です。
 息子と娘がひとりずついますが、息子は地方赴任で、ほとんど会うことがありません。娘は実家(Cさんの居宅)から電車とバスを乗り継いで2時間半ほどの場所(Cさんの家から見れば田舎と言えるような、農村に近い環境)に一家4人で暮らしています。
 Cさんは身体は動き、普通に生活ができていますが、最近認知症が進んで、「絶対に引っかからない」と言っていた詐欺に引っかかって大金を騙し取られました。しかも、男二人組が警察官を名乗って直接家まで来て銀行カードを取るという大胆な手口。
 この事態を受けて、子供たちは緊急会議を開き、これ以上Cさんを一軒家でひとり暮らしさせておくのは危険すぎるのでどこかに移したい、ということになりましたが、Cさんは住み慣れた家を離れたくないと主張します。
 Cさんだけでなく、多くの軽度認知症老人は、身体は動いて日常生活はひとりでできるため、介護老人ホームのような施設に入れられることを極度に恐れ、拒否します。
 かといって、Cさんのケースでは、すでに詐欺師グループに家まで知られているわけで、このままひとり暮らしを続けるのは危険でしょう。
 私がCさんに与えたアドバイスは、娘さん一家のそばに老人専用マンションを借りて引っ越す、です。
 ネットで探すと、娘さん一家の家から数キロ圏に、大手住宅メーカーのグループ企業が運営している高齢者向けマンションがありました。
 これは老人ホームとは違い、基本的には普通の住居用マンションですが、老人向けに24時間体勢でヘルパーが待機し、部屋には人感センサーがあって、一定時間以上人の動きがないと通報が入り、管理人やヘルパーが様子を見に行くなどのシステムが完備されています。
 趣味サークルの紹介や食事のケア(食堂でも宅配でも注文によって)などもあります。ペットもネコや室内犬なら同居可能です。
 当然、そうしたサービスの分、一般のマンション家賃よりはかなり高額ですし、入居時の審査もあります。介護老人ホームと違って、基本的には完全介護が必要な人は入れません。
 ただ、一旦入居すれば、身体が弱っていく段階によって介護保険で外部から訪問介護や訪問看護、訪問診療を依頼することも可能ですし、いよいよ動けなくなった場合はグループ企業が経営する介護付き老人ホームへの斡旋もしてくれます。
 入居時の費用が最低でも数十万円かかりますが、それはCさんの貯蓄範囲内で支払い可能ですし、月々の費用も年金の範囲内で支払い可能です。家賃はかかりますが、食費などはむしろひとり暮らしで宅配サービスなどを使っていたときより安く済むかもしれません。なにより、安全性は一気に上がりますし、娘さんとの物理的距離が縮むので、ひとり暮らしをしているときよりも会える時間は増えます。
 あとはCさんが「思い出のつまった家」への執着と環境の変化への恐怖心をどう克服するかにかかっています。
 このケースでは、Cさんがまだ身体が動くうちだから選択可能な解決策であり、あまり悩んでいると不可能になります。
年金も預金もない老後の場合
 さて、BさんやCさんは、かなりの年金を受給できている人たちで、少しもビンボーではありません。
 どこが「幸せビンボー術」なんだ、と怒られそうです。
 というわけで、ここまではマクラだと思ってください。ここからいよいよ、私のように、年金などもらえないビンボーさんのケースを考えていきます。

 国民年金のみで、年金だけでは暮らせない人、あるいは年金がゼロの人の多くは、自営業や独立した職人さんなどです。フリーランスのライター、イラストレーター、カメラマンといった人たちも厚生年金とは縁がありません。私はまさにそうですし、私の周囲にはそういう人たちがたくさんいます。
 自営業やフリーランサーで生きてきた人たちは、歳を取ってから初めて人に雇われる生活を始めるのは無理ですし、精神的に耐えられないでしょう。
 となると、稼げなくなった後は預金を切り崩して生き延びるしかありません。
 その場合、いちばん大変なのは住居費ですから、稼げるうちに借家ではなく自分の持ち家を持っておくことが必須でしょう。
 それが無理なら、極端に安い借家、親が残してくれた家、住み込み賄い付きの仕事先などなど、とにかく住居費を使わずに暮らす方法を探すしかありません。
 それでも、光熱費や食費、交通費(田舎暮らしの場合は自動車の維持費とガソリン代が大きい)、通信費などはどうしてもかかります。出費をひと月10万円に収めたとしても、年間120万円。10年で1200万円。月額20万円かかる生活なら10年で2400万円が消える計算です。
 これを全部、稼げなくなるまでに貯めた預金を切り崩しながら生きていくとなれば相当大変です。そもそも何年生きられるか、いつまで身体と脳がまともに動くかは分かりませんから、どれだけ蓄えがあればいいかも計算しきれません。
 そこで、預金の切り崩し分を少しでも減らすために、完全な無収入状態ではなく、小銭程度でも稼ぎ続ける努力をすることになります。預金がない場合は、なんとか生活費分だけでも収入がないと現状維持できませんから、仕事をしないわけにはいきません。
 ここで大切なのは「雇ってもらう」という発想を完全に捨てることです。老人を雇ってくれるところはないですし、あっても労働に対する対価が低すぎるものばかりでしょう。ただでさえ体力や頭の働きが落ちているのに、低賃金労働に時間を取られて疲れるなどという老後生活は悲惨です。

 では、どうすればいいのか?
 私のように社会に出てからずっとフリーランスで生きてきた人たちは、世の中の「隙間」を見つけて金を稼ぐノウハウを賃金労働者よりも持っていると思います。
 また、現代のようなネット社会、デジタル時代では、そうした「金に換えられるアイデア」が隠れている隙間は昔よりもずっと増えました。
 ネットオークションで安く仕入れて高く売るというサイドビジネスだけで、月に10万円以上の利益を得ている人はけっこういますし、円高だった時期には、高級カメラやレンズなどを海外で安く買って日本国内で高く(それでも日本での店頭価格より安く)転売するという商法も通用しました。
 高級オーディオのジャンク商品を安く仕入れて修理し、新品時の価格より高く売るといった商売も成立します。
 大工、左官、配管工などの職人さんは、体力が落ちてきて現役を退いた後も今までやってきた仕事しかできないと思い込むかもしれませんが、手先の器用さや長年培った経験を生かして、体力を使わず、マイペースでできる新しい仕事があるかもしれません。
 チープな大量生産品がはびこる現代ですから、職人技が生きる質感の高い小物類を高い価格で少量売るという作戦がいいでしょう。いわゆる一点豪華主義や、他人が持っていないものを所有する喜びに訴えるわけです。
 例えばiphoneの充電器と外部スピーカーを組み込んだ木製や金属製のかっこいいクレドール(充電時などにポンと置いておくドック)などを作れば、iphone本体より高い値段をつけても買ってくれる人はいるはずです。
 さらには、受注があって初めて商品を作ったり調達したりするオンデマンド方式であれば、在庫を抱えるリスクもないので、資金ゼロから始められます。
 私は出版流通に乗せられない過去の絶版本やマニアックな内容の本を「オンデマンド出版」という方法で売っています。1冊単位で注文があってから印刷・製本するので、赤字になりません。本は数日で注文者に届きます。価格もなんとか常識的な範囲で設定できます。

 売るのは必ずしも「物」である必要はありません。サービスや形のない商品を売る商売はいくらでもあります。
 前述のオンデマンド本はモバイル端末などで読む電子書籍としても販売していますが、これも在庫を持つ必要がないので、一度登録してしまえば放っておいても売れただけお金が振り込まれてきます。
 どれも少額の商売であって、それだけで食べていくことはできませんが、継続が容易で、負担がかからないのが利点です。

 特別な技術がないという人でも、身体が動いて、車の運転などもできるうちは、独居高齢者を相手にした便利屋的な商売などが可能ではないでしょうか。これは都市部よりもむしろ田舎のほうが需要があります。
 ネット通販で買い物をする代行なども考えられます。依頼者への配送は通販業者がしてくれますから、自分で動く必要もありません。
 私は川内村に住んでいたとき、近所の独居老人のためにBSアンテナをAmazonで取り寄せ、設置してあげたことがあります。アンテナの購入代金、設置の作業代も含めて1万円を請求したところ「そんなんでいいのか?」と感謝されました。商売でやるとすればもう少し上乗せするところですが、例えばこの一連の作業の報酬として1万円の利益をのせて2万円を請求したとしても、依頼者から「高すぎる」とは言われないでしょう。このくらいの仕事が毎日1つあれば、20日で20万円の利益が出るわけです。

 他にも、「スキマ的商売」はいくらでも発掘できると思います。要はやる気と知恵です。
「死ぬまで現役」生活のために地方の一軒家に住む
 大きく稼げないことがはっきりしている以上、生き延びるためには生活費を減らすしかありません。
 その「生活費」の中に住居費が含まれている場合は、かなり悲惨なことになります。家賃を払った後に残る金額がごくわずかであれば、衣食住の衣・食の部分を大幅に削らなければならず、最低限の生活も危うくなります。
 預金がない、年金もない、しかし家がなくて毎月家賃を払っているという人は、都市部から出て、不動産価格の低い場所に移住するしかないです。
 Bさんのケースで説明しましたが、都内と地方都市では家賃が倍くらい違います。
 さらにいえば、地方「都市」である必要があるのかどうか、ということも考えてみましょう。
 フリーランスで通勤が必要ないなら、公共交通機関が充実した都市部に住む必要性は低いはずです。
 私は栃木県の日光市に住んでいますが、同じ栃木県でも宇都宮市の都市部に住むつもりはまったくありません。それはもう、東京や神奈川に住むのと同じだからです。また、そうしようとしてもそんな金がありません。
 同様に、首都圏からどんなに離れていても、仙台、郡山、札幌といった都市に住むのは、首都圏に住むのと環境はあまり変わりません。それなりに地価や家賃相場は高いですし、生活費も高くつきます。

 さらにいえば、私が勧める地方移住は、賃貸生活ではなく一軒家を持つということです。
 地方であっても、都市部で家を持とうと思ったら百万円の単位ではなく千万円の単位になりますが、そこから少し離れた郊外には、立派な土地付き一軒家が数百万円のゾーンでたくさん存在します。
 500万円の物件であれば、10年住んだとして年間50万円。月に4万円ちょっとです。15年住めば、年間33万3000円。月額2万7800円。
 地方でも、月額2万円台の賃貸住宅は見つけるのが困難ですし、あったとしてもボロボロ物件でしょう。しかし、500万円の土地付き一戸建ての中には、驚くほど立派な建物、広い土地の物件があります。
新築かと見まごうようなこんな家が、日光市では600万円台で売られていた(2011年10月)

 私が今暮らしている家も1000万円はせず、数百万単位で購入したものです。この家があるおかげで、いわゆる「住居費」というものはかかりません。
広い庭のあるこの家は500万円ちょうど。日光市。土地:241㎡、建物:80㎡。(2013年3月)

 余裕のある土地に自分の家を持つことで、どれだけ心にゆとりが生まれるかは説明するまでもないでしょう。
 自己所有であっても、集合住宅では修繕費積み立て金だの駐車場代だのがかかり、自治会の決まり事や管理会社のルールに縛られて、何かあったときも自分だけの決断で対処することができません。大災害がいつ襲ってくるか分からない現代では、これは大きな不安材料です。マンションの基礎部分に欠陥工事が判明して建物が歪み始め、建て替えが検討されたが、住民間で意見が合わずに何年も紛糾してストレスが溜まる……などということもありえます。そんなことで残りの人生を過ごすのは悲しすぎます。
 地方の広々とした土地に建つ一戸建てであれば、ある程度のトラブルや災害なら、迅速、柔軟に対応できます。壁に穴を開けようが、屋根を葺き替えようが、玄関前を整地しようが自由なのです。
 すでに述べたような様々なフリーランスの仕事の拠点としても、都市部の住宅よりずっと対応力があります。
 現役を引退した職人さんが、自分の体力に合わせて無理のない便利屋的商売を始める場合なども、都市部から適度に離れた田舎のほうがずっと楽です。例えば、私が住む日光市は、軽自動車の車庫証明が不要な地域です。土地はいくらでも空いてますから、隣の空き地の所有者に頼み込んでちょっとした資材を置かせてもらうとか、空き地をただで借りて自家農園を始めるといったことも、ごく普通に行われています。宇都宮の都市部ではそうはいきません。その宇都宮の中心部に行くにしても、車で30分程度ですから、都市部の生活者からの依頼に応えることも簡単です。

 こうした生活拠点を、早い時期に安価に手に入れておくことが、最大の老後対策ではないかと思います。

 ……というわけで、ここから先は、地方に安価で住みやすい家を手に入れるための具体的なアドバイスへと進みます。


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