「そんなコト考えたことなかったクイズ」のダメなトコ ― 2018/09/01 12:14
「平成生まれ3000万人!そんなコト考えた事なかったクイズ」(朝日放送)というのが8月28日のゴールデンタイムに3時間枠を使って放送され、物議を醸した。
ネットでさんざん取り上げられているので、今さら書くのもアホらしいと思いつつ、「いや、突っ込むのはそこじゃない」というところばかりが批判されている気がするので、モヤモヤを吐き出してみる。
結論を先に言えば、この番組がひどいものになった原因は、
言い換えれば、無気力・無教養・傲慢の合わせ技だ。
以下、具体的に見ていきたい。
この番組の意図と見どころについて、番組紹介サイトにはこう書かれている。
で、どんなクイズ(質問)が出されたかというと、
……というもの。
で、ネットで叩いていた人たちの代表的ないい分をまとめると、
というのが代表的だった。
1 は至極ごもっとも。「こういう子どもに育てた昭和世代の親こそ恥ずかしい」という声もあった。それもごもっとも。
2 は……どうでもいい。この問題を見たら普通、出題者の意図が分からないはずはないし、「鳥」と答えている子はムキになって「スズメとかニワトリとかツバメとかいっぱいいて、その全般みたいな……」と答えていた。別の子は「焼き鳥屋さんとか行ったらスズメとか出てくるじゃないですか」と言っていた。さらに別の子は「一種類なんですか?」とムキになって反論していた。
ネットにいっぱい出てくる「問題が悪い」の声は、まさにこの子と同じで、ニワトリと答えさせたいならちゃんと「鶏肉」と書くなり、「スーパーやコンビニで売っている唐揚げに使われている肉は」と、限定した問いかたにしない番組制作者のほうがバカだ、というもの。それも分かるけれど、まあ、大した問題じゃない。問題の作り方が雑だな~、で終わり。
3 については微妙なところ。見直してみても、台本があって、わざとウケ狙いの答えを書かせていたと思えるシーンは少なかった。反論していた子たちの表情や声のトーンで分かる。
ここで改めて、各問題と番組内で「正しいとされた答え」を見てみる。
これを見て、明らかにおかしいのは「雲から降る雨は、そもそもどこの水?」という問題。「どこの水」という問いかたがおかしいし、答えが「海」なのもおかしい。
言うまでもなく、上空に上がっていく水蒸気の元は海の水だけではない。海は広大だから、その割合は大きいとしても、陸から立ち上るものもある。
そもそもこの問題は「水循環」「物質分解」という、地上のあらゆる生命活動を支えているシステムを理解するために重要な問題であり、「雨は海の水が蒸発してまた戻ってくる」と単純に思い込まれたら困る。
地上で行われる生命活動、生産活動、自然現象などで増えたエントロピーが、生態系や大気の循環、水循環によって最終的には熱に変わり、その熱が水蒸気にのって上空に運ばれ、冷やされて水蒸気(水)だけが雨や雪になって戻ってくる際に、エントロピーが熱として宇宙に捨てられている、という仕組みを理解できていないから、間違ったエコロジー信仰、自然エネルギー信仰、リサイクル神話が生まれる。
世代に関係なく、現代人が最も知らなければならない「雨が降る」仕組みこそが「地球で生きていくことを可能にしているシステム」なのだということをないがしろにして、単純に「雨の元は海の水」などという解説にしてもらっては困る。
5の「ウンチの行方」にしても、下水道がなかった時代のトイレはどうだったのか、下水道がない地域で水洗トイレを実現するにはどうすればいいのか、下水処理場で使われるエネルギーはどこから得ているのか、といった重要な話が全然出てこない。
トイレのウンチはみんな下水道に流れていく、その後は処理場でうまく処理してくれているはず……という思考こそが、「そもそもの原理、仕組み、道筋を知ろうとしないダメ頭」ではないのか。
それ自体はいいのだが、内容がひどかった。
例えば、
「車はガソリンで動いているが、電車は何で動いている?」という問題の答えは「電気」でまあいいだろう。「石炭」と答えた人が多数いたが、これなどは確かにヤラセくさかった。だから、問題によってはヤラセがあったのでは? わざと間違えてウケを狙うタレントがいたのでは? という疑惑は残る。
でも、電気の解説のところで、直流・交流という言葉を敢えて避けていたり、日本の東と西で周波数が違うとか、そういう身近なことは説明しようとしていなかった。「電気はプラスからマイナスに流れます」だけでは、かえって理解が難しい。
また、電車は電気で動くが、その電気はどうやって得られるのかというエネルギー政策の話こそ、現代人が今いちばん知らなければいけないことだが、そういうことはまったく触れない。石炭を燃やす火力発電で得られている電気であれば、「電車は石炭で動く」ともいえるのだから。
なんのために「追加解説」の時間を取っているのか。
「夜に輝く月。どうして光ってる?」という問題では、月が自分で光っているという答えを期待しての出題だということはすぐに分かる。実際、そう答えた子が何人かいた。
しかし、「あたたかいから」「家の光が集まって光ってる」「白いから」といったすごい答えは、番組制作サイドも想定外の「収穫」だったのではないか。
これにも「構成作家がウケけそうな答えを考えて渡してる」「『恒星』って漢字をちゃんと書ける子が、月を恒星だと思っているわけがない」といったヤラセ説をたくさん見た。
そうだろうか? 「家の光が集まって光ってる」は「地球上の照明が月に反射して光っている」といいたいらしいのだが、文になっていないくらいひどい答えで、構成作家が考えた答えとは思えない。「白いから」「あたたかいから」も、発想の次元が違うというか、いわゆる「ウケ狙い」の答えとは違う種類(想定外のトンデモ)のものだと感じる。
ただし、國學院大學の男性タレント(らしい)の「月にいる微生物が光っている」はウケ狙いだろう。さすがに見抜かれたのか、しっかりスルーされていた。収録時にはいじってみたものの、受け答えや演技が下手すぎて白けたから編集でカットされたのかもしれない。
で、それはそうとして、説明で「月は1か月に1度地球の周りを回る」はいくらなんでも雑すぎる。
ここでも太陽暦と太陰暦の話は出てこなかったし、月の自転周期が約27.3日といった解説はしない。それだと視聴者には難しすぎると思っているのか。
このあまりにも雑すぎる番組構成にこそ、いちばんガックリさせられた。
おそらく……、
結果、テレビ番組を作る現場の無知・無責任・傲慢の三重構造を見せつけられ、今の日本の劣化を証明したような怖ろしい番組になっていた。
繰り返すが、「そんなこと考えたことない」という視点はよかったのだ。ちゃんと考えるくせをつけようよ、と促す番組になっていれば、評価はガラリと変わっただろう。でも、「そんなこと考えたことない」人は世代に関係なくいる。制作スタッフにも結構いた。
ネットでは「平成生まれをひとくくりにして馬鹿にしたいトリ頭の昭和世代こそ、時代に合わせられない可哀想なやつら」みたいな炎上の仕方だったが、世代の断絶感を無用に煽るだけ、あるいは、昭和世代が築いた不正義・不条理の社会に生きていかなければならないストレスを抱えている若い世代の神経を逆なでしただけの結果になっていてやりきれない。
ネットでさんざん取り上げられているので、今さら書くのもアホらしいと思いつつ、「いや、突っ込むのはそこじゃない」というところばかりが批判されている気がするので、モヤモヤを吐き出してみる。
結論を先に言えば、この番組がひどいものになった原因は、
- 「そんなコト考えたことなかった」という着眼点はいいのに、無理矢理「平成生まれは~」ともっていった制作姿勢がダメだった
- 制作側にも「そんなこと考えたことないし、考えてもしょうがない。私は言われた仕事をこなすだけ」というスタッフが多かった
- 企画した上のほう(昭和生まれのPやD)が「それは視聴者には難しすぎるからカット」を連発したので、問題の練り込みは雑に、解説部分は間違いだらけでグダグダになった
言い換えれば、無気力・無教養・傲慢の合わせ技だ。
以下、具体的に見ていきたい。
この番組の意図と見どころについて、番組紹介サイトにはこう書かれている。
昭和生まれにとっての当たり前は平成生まれに通用するのか?
それを検証するため、昭和生まれの芸能人たちが「平成生まれでもさすがに知っているだろう」ということをクイズで出題していくバラエティ!
で、どんなクイズ(質問)が出されたかというと、
- (1)牛肉は牛の肉。豚肉は豚の肉。ではトリ肉は何の肉?
- (2)ご飯に梅干しが乗った弁当を一般的に何と呼ぶ?
- (3)車はガソリンで動いているが、電車は何で動いている?
- (4)家庭で使うガスは元々地球上のどこにあるもの?
- (5)トイレのウンチはどこを通り、どこへたどり着く?
- (6)雲から降る雨は、そもそもどこの水?
- (7)夜に輝く月。どうして光ってる?
- (8)1年に366日ある年を何という?
……というもの。
で、ネットで叩いていた人たちの代表的ないい分をまとめると、
- 常識のない人は年齢に関係なくいる。「平成生まれは常識がない」という括りが先にある番組制作意図が許せない
- 鶏肉と漢字で書けばいいものをわざと「トリ肉」と表記して「鳥の肉」という答えを誤答だとするのはおかしい
- あんな常識問題を間違えるはずがない。台本があるヤラセだ
というのが代表的だった。
1 は至極ごもっとも。「こういう子どもに育てた昭和世代の親こそ恥ずかしい」という声もあった。それもごもっとも。
2 は……どうでもいい。この問題を見たら普通、出題者の意図が分からないはずはないし、「鳥」と答えている子はムキになって「スズメとかニワトリとかツバメとかいっぱいいて、その全般みたいな……」と答えていた。別の子は「焼き鳥屋さんとか行ったらスズメとか出てくるじゃないですか」と言っていた。さらに別の子は「一種類なんですか?」とムキになって反論していた。
ネットにいっぱい出てくる「問題が悪い」の声は、まさにこの子と同じで、ニワトリと答えさせたいならちゃんと「鶏肉」と書くなり、「スーパーやコンビニで売っている唐揚げに使われている肉は」と、限定した問いかたにしない番組制作者のほうがバカだ、というもの。それも分かるけれど、まあ、大した問題じゃない。問題の作り方が雑だな~、で終わり。
多分、この人は番組制作側の思惑通りの答えを出したのだと思う
番組制作側のスタッフに教養がない
僕がこの番組を見ていて心底ガックリきたのは、解答席に座っていた若い世代(現役大学生や大学合格歴のある人たち)の解答内容がひどかったことよりも、番組を制作している側の教養のなさと、仕事の雑さだ。ここで改めて、各問題と番組内で「正しいとされた答え」を見てみる。
- (1)牛肉は牛の肉。豚肉は豚の肉。ではトリ肉は何の肉? ──A:ニワトリ
- (2)ご飯に梅干しが乗った弁当を一般的に何と呼ぶ? ──A:日の丸弁当
- (3)車はガソリンで動いているが、電車は何で動いている? ──A:電気
- (4)家庭で使う都市ガスは元々地球上のどこにあるもの? ──A:地中
- (5)トイレのウンチはどこを通り、どこへたどり着く? ──A:下水道を通り下水処理場へ
- (6)雲から降る雨は、そもそもどこの水? ──A:海
- (7)夜に輝く月。どうして光ってる? ──A:太陽の光を反射している
- (8)1年に366日ある年を何という? ──A:閏(うるう)年
これを見て、明らかにおかしいのは「雲から降る雨は、そもそもどこの水?」という問題。「どこの水」という問いかたがおかしいし、答えが「海」なのもおかしい。
言うまでもなく、上空に上がっていく水蒸気の元は海の水だけではない。海は広大だから、その割合は大きいとしても、陸から立ち上るものもある。
そもそもこの問題は「水循環」「物質分解」という、地上のあらゆる生命活動を支えているシステムを理解するために重要な問題であり、「雨は海の水が蒸発してまた戻ってくる」と単純に思い込まれたら困る。
地上で行われる生命活動、生産活動、自然現象などで増えたエントロピーが、生態系や大気の循環、水循環によって最終的には熱に変わり、その熱が水蒸気にのって上空に運ばれ、冷やされて水蒸気(水)だけが雨や雪になって戻ってくる際に、エントロピーが熱として宇宙に捨てられている、という仕組みを理解できていないから、間違ったエコロジー信仰、自然エネルギー信仰、リサイクル神話が生まれる。
世代に関係なく、現代人が最も知らなければならない「雨が降る」仕組みこそが「地球で生きていくことを可能にしているシステム」なのだということをないがしろにして、単純に「雨の元は海の水」などという解説にしてもらっては困る。
↑これは正しい
5の「ウンチの行方」にしても、下水道がなかった時代のトイレはどうだったのか、下水道がない地域で水洗トイレを実現するにはどうすればいいのか、下水処理場で使われるエネルギーはどこから得ているのか、といった重要な話が全然出てこない。
トイレのウンチはみんな下水道に流れていく、その後は処理場でうまく処理してくれているはず……という思考こそが、「そもそもの原理、仕組み、道筋を知ろうとしないダメ頭」ではないのか。
せっかくの派生問題解説の内容がひどかった
3時間枠の番組で「クイズ」の問題数が8つだけだったのは、そこから派生する様々な問題、疑問を解説するコーナーに時間を取っていたからだ。それ自体はいいのだが、内容がひどかった。
例えば、
「車はガソリンで動いているが、電車は何で動いている?」という問題の答えは「電気」でまあいいだろう。「石炭」と答えた人が多数いたが、これなどは確かにヤラセくさかった。だから、問題によってはヤラセがあったのでは? わざと間違えてウケを狙うタレントがいたのでは? という疑惑は残る。
でも、電気の解説のところで、直流・交流という言葉を敢えて避けていたり、日本の東と西で周波数が違うとか、そういう身近なことは説明しようとしていなかった。「電気はプラスからマイナスに流れます」だけでは、かえって理解が難しい。
また、電車は電気で動くが、その電気はどうやって得られるのかというエネルギー政策の話こそ、現代人が今いちばん知らなければいけないことだが、そういうことはまったく触れない。石炭を燃やす火力発電で得られている電気であれば、「電車は石炭で動く」ともいえるのだから。
なんのために「追加解説」の時間を取っているのか。
「夜に輝く月。どうして光ってる?」という問題では、月が自分で光っているという答えを期待しての出題だということはすぐに分かる。実際、そう答えた子が何人かいた。
ああ、我が母校……
しかし、「あたたかいから」「家の光が集まって光ってる」「白いから」といったすごい答えは、番組制作サイドも想定外の「収穫」だったのではないか。
これにも「構成作家がウケけそうな答えを考えて渡してる」「『恒星』って漢字をちゃんと書ける子が、月を恒星だと思っているわけがない」といったヤラセ説をたくさん見た。
そうだろうか? 「家の光が集まって光ってる」は「地球上の照明が月に反射して光っている」といいたいらしいのだが、文になっていないくらいひどい答えで、構成作家が考えた答えとは思えない。「白いから」「あたたかいから」も、発想の次元が違うというか、いわゆる「ウケ狙い」の答えとは違う種類(想定外のトンデモ)のものだと感じる。
ただし、國學院大學の男性タレント(らしい)の「月にいる微生物が光っている」はウケ狙いだろう。さすがに見抜かれたのか、しっかりスルーされていた。収録時にはいじってみたものの、受け答えや演技が下手すぎて白けたから編集でカットされたのかもしれない。
で、それはそうとして、説明で「月は1か月に1度地球の周りを回る」はいくらなんでも雑すぎる。
いくらなんでもこれはまずいでしょ
ここでも太陽暦と太陰暦の話は出てこなかったし、月の自転周期が約27.3日といった解説はしない。それだと視聴者には難しすぎると思っているのか。
このあまりにも雑すぎる番組構成にこそ、いちばんガックリさせられた。
おそらく……、
- 今の若い世代は常識がない、と、昭和世代のプロデューサーあたりが考えてこの番組を企画した。平成も終わってしまうことだし、こんなのはどうだ、というノリで思いついたのかもしれない。かつての「クイズ!年の差なんて」(フジテレビで1988年~1994年に放送)のアイデア元である「おっちゃんVSギャル」(朝日放送で1986年~2000年まで放送)あたりの焼き直し企画として浮上したのだろう
- 制作にあたっては、「平成」=常識がない 「昭和」=理屈っぽい といったパターンに組み込める絵作りをすればいいくらいに考えていたが……
- それだけだと一方的だから、保険として「昭和世代でも考えたことがなかったそこから先の……」的な部分を付け加えておこうか、と編成会議で決まる
- しかし、ごくあたりまえの解説でさえ、上のほうから「それは視聴者には難しすぎるから」とストップがかかり、解説部分はポイントがぼけてしまい、かえって分かりづらくなる
- そもそも番組を作ったのは外注の制作会社で、スタッフはむしろ平成生まれの若い世代が多かった
- 若いスタッフは、エキストラの仕出しやモデル事務所、タレント養成所などに声を掛けて大学生、大学卒の平成生まれをかき集めるといった「作業」や「手配」はできるが、番組の内容については上から与えられた仕事をこなすだけで、自分の頭で裏どりとか、校閲ができない。そこまでやってはいけないとさえ思っている
- かき集められた解答者の中には、ただ目立ちたいだけでわざとボケ解答を書くようなタレント志望のお調子者もいた
- 番組を企画した昭和世代のテレビ局正社員は無責任で、きちんと最後まで番組の出来を見ていない
結果、テレビ番組を作る現場の無知・無責任・傲慢の三重構造を見せつけられ、今の日本の劣化を証明したような怖ろしい番組になっていた。
繰り返すが、「そんなこと考えたことない」という視点はよかったのだ。ちゃんと考えるくせをつけようよ、と促す番組になっていれば、評価はガラリと変わっただろう。でも、「そんなこと考えたことない」人は世代に関係なくいる。制作スタッフにも結構いた。
ネットでは「平成生まれをひとくくりにして馬鹿にしたいトリ頭の昭和世代こそ、時代に合わせられない可哀想なやつら」みたいな炎上の仕方だったが、世代の断絶感を無用に煽るだけ、あるいは、昭和世代が築いた不正義・不条理の社会に生きていかなければならないストレスを抱えている若い世代の神経を逆なでしただけの結果になっていてやりきれない。
2000年の上智大学でのテスト
ここまで書いて、昔作った「現代の常識チェックテスト」というのを思い出した。
最初は百合丘時代、近所の母親たちに依頼されて、小学校でエコロジー教室的な講演をしたときに用意したものだが、同じものを、数年後、上智大学(外国語学部英語学科)の非常勤講師を引き受けたとき、最初の授業で教室の学生たちに配ってやらせた。
こんな内容だった。
■現代の「常識」チェックテスト
※まず、現時点での自分の知識、感覚だけで答え、( )に書き込みなさい。次に、少しでも自信がなかった項目については、インターネットや本などの資料で調べ、その結果分かった答えをその右に別の色で書き込みなさい。
◆次の命題に、「その通り=○」「それは違う=×」「分からない=△」で答えなさい。
1)洗剤は植物性原料のものが安心である。( )
2)原子力発電は蒸気でタービンを回し発電する。( )
3)紙おむつは高級パルプでできている。( )
4)牛乳パックは再生紙原料としては不向きである。( )
5)石油はやがて枯渇するから、その前に太陽光発電や風力発電など、非化石燃料で得た電気エネルギーを使う文明に切り替える必要がある。( )
6)地球が温暖化すると南極の氷が増える。( )
7)豆腐に「消泡剤」を入れると長持ちする( )
8)「洗濯用」石鹸と「洗顔用」石鹸では製造方法が違う。( )
9)味噌汁1杯を台所の流しに捨てると風呂桶7杯分の水で薄めなければ海が汚れる。( )
10)一般に、合成洗剤を使っている家の生活排水と石鹸を使っている家の生活排水では、合成洗剤を使っている家の生活排水のほうがBOD値は低い。( )
◆次のものを知っていますか? 「ある程度説明できる=○」「単語として見たこと(聞いたこと)がある=△」「今初めて目にする=×」
1)グリセリン脂肪酸エステル ( )
2)ポリオキシエチレンラウリルエーテル硫酸塩 ( )
3)ソルビトール(ソルビット)( )
4)亜硫酸塩 ( )
5)亜硝酸塩 ( )
6)脂肪酸カリウム ( )
7)エデト酸塩( )
8)MOX燃料 ( )
9)モンサント( )
10)エントロピー ( )
これは2000年よりも前、つまり「前世紀」に作った問題だ。当時は、こういうテーマに興味を持つ主婦層もいたのだが、今はどうだろう。
まあ、こういう内容だと、地上波テレビでは使えないってことは分かる。……いろんな意味でね。
電力会社やケミカル会社はテレビにとって安定したスポンサーだし、「専門的すぎて一般視聴者には分からない」とはねつけられるからね。
「石油文明はなぜ終わるか」を読む ― 2018/08/11 11:37
先日知った「もったいない学会」のサイトにあったコラムや論文をいくつか拾い読みしていて、田村八洲夫という人が書いているものに特に興味を引かれ、感心もしたので、著書「石油文明はなぜ終わるか 低エネルギー社会への構造転換」をAmazonで注文した。
「状態=きれい」という古書を買ったのだが、届いた本はほとんどのページに鉛筆で書き込みがあって、付箋紙まで貼ってあった。どこが「きれい」なんだよとムッとしたが、まあ、これも「もったいない精神」のリユースだから我慢我慢と言いきかせながら読んでいる。
前半部分はエントロピーとエネルギーの基本的な話が中心なので読み飛ばす。類書がうちにはごまんとある。
興味深かったのは主に後半部分だ。
著者の田村八洲夫氏は、京都大学理学部地球物理学科~同大学大学院博士課程修了後、1973年に石油資源開発㈱入社~同社取締役、九州地熱㈱取締役社長、日本大陸棚調査㈱専務取締役、現在は川崎地質㈱技術本部顧問……という経歴で、地質学や資源物理学のプロ中のプロ。
それだけに、地下資源が今後どうなっていくかの予測や、現在いろいろいわれている新エネルギーに将来性はあるのかという話には説得力がある。
しかし、この本の後半部分を読んで、自分も含めて、結局は「石油はいつかはなくなるけれど、自分が死んだ後の話だから、知ったこっちゃない」と思っている人がほとんどなんだろうなあと、改めて思い知らされた。
第6章「石油の代替エネルギー探し」の冒頭に、国際エネルギー機関(IEA)が2012年に発表した石油生産予測と、その予測がいかに甘いかを指摘したアントニオ・チェリエル(理論物理学)が提唱する「オイルクラッシュ」予測モデルを比較して、こうまとめている。
85ページにその2つのモデルをグラフにしたもの(下図)が出ている↓
↑しかしこの図をよく見ると、左側の生産量ゲージの目盛りが一致していない。そこで同じ比率の目盛りにして、見やすいようにサクッと色もつけてみたのが↓これ
注目すべきは、IEAも2015年以降、既存油田生産量(従来型石油生産量)が急激に減ることは認めていることだ。その上で、IEAは「新しい油田が見つかり、採掘技術も上がるし、オイルシェールなどもあるから大丈夫」といっている。
しかし、そんな予測は馬鹿げていて、全然「大丈夫じゃない」と、長年、地下資源採掘現場を見てきたプロが警告しているのだ。
本書にはエントロピーとEPRという言葉が何度も出てくる。エントロピーについてはすでにしつこいくらい書いてきたが、この言葉を聞いたり見たりするだけでアレルギー反応を起こす人がいるくらいで、なかなか理解してもらえない。
EPRも多くの人にとって耳慣れない、というか理解しようとさえ思えない言葉ではないだろうか。
そもそも違う意味での同じ言葉がこんなにあるのだ。
というわけで、まずはここでいうEPR(energy profit ratio または energy payback ratio)エネルギー収支比とは何かについて、簡単に確認しておこう。
エネルギーはどんなに巨大であっても、それを人間が生活に利用できなければ意味がない。
昨今さかんにいわれている未来像のひとつに「水素エネルギー社会」というのがあるが、水素は石油のように最初から固まって存在しているわけではなく、水を電気分解して得る。水を「電気」分解する際には当然電気エネルギーを使う。その電力をどこから得るのかが問題で、石油や石炭などの地下資源を燃やして得られる電力を使ったら意味がない。その電力をそのまま使ったほうがいいに決まっている。
要するに、「人間が利用できる形のエネルギー」を得るために投入するエネルギーというものが必ずある。得られるエネルギーより投入するエネルギーのほうが大きすぎれば意味がない。
その投入するエネルギーと得られるエネルギーの比率(「生産エネルギー ÷ 投資エネルギー」)がEPR(エネルギー収支比)だ。
当然、この比率が高いほど使いやすく有益なエネルギーということになる。
現代石油文明を支える一次エネルギーのEPRは10が限界で、それ以下になると文明を維持することはできない(使いものにならない)といわれている。
石油1を投入して作った掘削井で石油100を得られる油田なら、EPRは100÷1でほぼ100になる。一方、石油100に相当するオイルシェールを得るために石油を50使い、得られたオイルシェールを石油並みに精製するのにさらに50の石油を使ったとしたら、最後に得られたエネルギーが石油100に相当するとしても、それを得る段階ですでに石油100を使い果たしているわけで、EPRはほぼ1となり、石油文明を支えることはできない。
IEAが非従来型石油に期待しすぎているという批判は当然だろう。EPAを無視しているからだ。オイルシェールやオイルサンドに潜在的なエネルギーが秘められているとしても、それを利用するまでの過程で良質のエネルギーを大量に使ってしまったのでは、なんのために採掘しているのか分からない。
本書67ページに、インター・ディーラー・ブローカー Tulett Prebon Groupの報告書「Perfect Storm」(2013)のデータに地熱発電などのデータも加えた各一次エネルギーのEPR一覧が出ている↓
最近発見された石油のEPRが8と著しく低いのは、ほとんどが水深2000m以上の大水深海域での発見なので、採掘・精製までの投入エネルギーが高いからだ。
EPRはコストに直結する。太陽光発電のコストが高いのはEPRが低いからで、補助金・助成金をつけなければ他のエネルギーと競争できない。
もう一つ重要なのはエントロピーで、これは「乱雑さの度合」とか「汚れ」などと説明される。
太陽電池の原材料として一般的なシリコン(ケイ素)は、世界中に大量に散らばっているが、一か所にかたまって存在しているわけではないので、集めて精製して……という工程で大量のエネルギーを使う。これを「エントロピーが高い」状態という。
一方、掘削しただけで自噴してくるような油田は、エネルギーをかけずとも高いエネルギーを得られる物質が存在しているわけで、これを「エントロピーが低い」状態という。
物質やエネルギーは、利用すれば必ずエントロピーが増える(熱力学第二法則=エントロピー増大の法則)。石油を燃やして電力を得たりエンジンを動かしたりすれば、後には排ガスや熱などが残るが、それらは利用価値が下がる(エントロピーが増える)。
活動の結果出た廃物を再利用(リサイクル)するというのは、高エントロピーのものを低エントロピーにするわけで、その過程でさらに新たなエネルギーや資源が必要となる。
最終的には増えたエントロピーは地球の生物循環、水循環、大気の循環などに乗せて宇宙空間に熱として捨てるしかない。それを可能にする環境を失うと、地球上はエントロピーだらけとなり、あらゆる生命活動、生産活動は不可能になる(エントロピー環境論)。
だから、エネルギー資源のEPRを考える場合、投入エネルギーには、利用後に出た廃物を処理するためのエネルギーや環境を破壊しないための措置に必要なエネルギーも考慮しなければいけない。
上の一覧で原子力のEPRが5と評価されているが、放射性廃物の処分が不可能であり、その管理に半永久的に良質のエネルギーを投入し続けなければならないことを考慮に入れれば、5も怪しいし、そもそもエネルギーとして考えてはいけない。
さらには、シェールオイル/ガスの生産は、従来型油田のようなプラトー(同規模の生産量が持続する期間)がなく、米国最大のシェールフィールドの例で、1年目で69%、2年目で39%、3年目で26%にまで減衰しているという。そのため、通常は15年といわれるシェールオイル/ガスの設備償却期間を待たずに生産できなくなることもある、と。
そういうものに対して今後も生産量が増え続けるという予測はあまりに楽観的すぎる、というわけだ。
ちなみに上図で地熱はEPRが低く出ているが、一度設備投資すると、上図の左側に並ぶ地下資源のように枯渇の心配がほぼなく、永続的にエネルギーが得られる(プラトーが極めて長い)という長所がある。地産地消エネルギーとして有望だと考えられる所以だ。
とにかく、僕も含めて、漠然と「自分が生きているうちは大丈夫だろう」と思っている人たちは、石油がもう減産時期に入ったことだけは間違いないと認識しておかないといけない。若い世代、そしてこれから生まれてくる世代の人間は、確実に「石油が足りなくなる時代」を生きることになる。それを踏まえた上で、いい加減な楽観論を語る覚悟があるのか、ということだ。
ここからは、田村氏の言葉をいくつか抜き出してみる。
これらはすべてまともな神経の識者たちから言い尽くされたことなのだが、どれだけ言葉を尽くして説明しても、なんとなく今の社会が永続的に続く、少なくとも自分が生きている間や自分の子どもの世代くらいまでは大丈夫だと思いこんでいる人がなんと多いことか。
田村氏は1943年生まれで今年75歳。僕は1955年生まれで今63歳。残りの人生の間に、石油が足りなくなり、石油を奪い合う阿鼻叫喚の世界を見ないで死ねるかもしれない。
でも、今、20代、30代の人たちはそうはいかないだろう。ましてや10代は相当厳しい世の中を生きなければならない。
その若い世代が、デタラメな政治を容認し、それどころか応援している人も少なくないことがやりきれない。
日本が何か特別な国であるかのように思い込むことは危険な要素を妊んでいるが、自分が生まれたこの日本列島という風土を愛する気持ちは自然なことだろう。
「愛国」を訴えるなら、「進化した森林エネルギーを利用するのに、雨量が多く森林面積も多い日本の風土は向いている」ということの意味をもっと真剣に考えるべきだ。
「状態=きれい」という古書を買ったのだが、届いた本はほとんどのページに鉛筆で書き込みがあって、付箋紙まで貼ってあった。どこが「きれい」なんだよとムッとしたが、まあ、これも「もったいない精神」のリユースだから我慢我慢と言いきかせながら読んでいる。
前半部分はエントロピーとエネルギーの基本的な話が中心なので読み飛ばす。類書がうちにはごまんとある。
興味深かったのは主に後半部分だ。
著者の田村八洲夫氏は、京都大学理学部地球物理学科~同大学大学院博士課程修了後、1973年に石油資源開発㈱入社~同社取締役、九州地熱㈱取締役社長、日本大陸棚調査㈱専務取締役、現在は川崎地質㈱技術本部顧問……という経歴で、地質学や資源物理学のプロ中のプロ。
それだけに、地下資源が今後どうなっていくかの予測や、現在いろいろいわれている新エネルギーに将来性はあるのかという話には説得力がある。
石油生産量ピークは2005年に終わっていて、現在はすでに減衰期
僕は当初「石油文明はなぜ終わるか」というタイトルに若干の違和感を抱いていた。石油は有限な資源なんだから、いつかは枯渇するのはあたりまえのことで、「なぜ」もなにもないだろうと思ったからだ。しかし、この本の後半部分を読んで、自分も含めて、結局は「石油はいつかはなくなるけれど、自分が死んだ後の話だから、知ったこっちゃない」と思っている人がほとんどなんだろうなあと、改めて思い知らされた。
第6章「石油の代替エネルギー探し」の冒頭に、国際エネルギー機関(IEA)が2012年に発表した石油生産予測と、その予測がいかに甘いかを指摘したアントニオ・チェリエル(理論物理学)が提唱する「オイルクラッシュ」予測モデルを比較して、こうまとめている。
- どちらの予測も、石油生産のピークは2005年に終わっていると認めている
- IEAモデルでは、2005年の石油ピーク後に、開発油田、新発見油田からの生産量が年々増え続けることになっているが、そんなことは石油鉱業現場に携わったプロとしては到底考えられない。現実に、1980年代には世界の石油発見量と消費量の関係は逆転している
- チェリエルのオイルクラッシュモデルでは、生産予測のプラトー(停滞期、生産量が変わらずに続く状態)は2015年くらいまでで、その後は衰退する一方
- IEAモデルでは、従来型石油生産が減って石油消費は増える状態を、非在来型石油(シェールオイル、オイルサンドなど)やNGL(天然ガスから分離されるガソリン)で補うことになっているが、これらはエネルギー収支比(EPR)が低く、トータルで利用できる熱量が少ないので、従来型石油の減少分を補えない
85ページにその2つのモデルをグラフにしたもの(下図)が出ている↓
IEAによる石油生産予測とオイルクラッシュ生産予測モデルの比較 (『石油文明はなぜ終わるか』85ページより)
↑しかしこの図をよく見ると、左側の生産量ゲージの目盛りが一致していない。そこで同じ比率の目盛りにして、見やすいようにサクッと色もつけてみたのが↓これ
上図を生産量ゲージを同じ目盛りにして比較
注目すべきは、IEAも2015年以降、既存油田生産量(従来型石油生産量)が急激に減ることは認めていることだ。その上で、IEAは「新しい油田が見つかり、採掘技術も上がるし、オイルシェールなどもあるから大丈夫」といっている。
しかし、そんな予測は馬鹿げていて、全然「大丈夫じゃない」と、長年、地下資源採掘現場を見てきたプロが警告しているのだ。
エントロピーとEPR(エネルギー収支比)
エントロピーの低い在来型石油/ガスは、少ないエネルギーで生産できます。抗井掘削すれば自噴する勢いです。
一方、エントロピーの高いシェールオイル/ガスを生産するには、タコ足状に水平抗井掘削し、水圧粉砕で導通路を作り、薬物投入して石油/ガスの流動をよくして、すなわち大量のエネルギーを使って地下水汚染を起こして、環境の修復にエネルギーを追加使用しなければなりません。そのため、EPRが非常に悪くなります。
(同書88ページより)
本書にはエントロピーとEPRという言葉が何度も出てくる。エントロピーについてはすでにしつこいくらい書いてきたが、この言葉を聞いたり見たりするだけでアレルギー反応を起こす人がいるくらいで、なかなか理解してもらえない。
EPRも多くの人にとって耳慣れない、というか理解しようとさえ思えない言葉ではないだろうか。
そもそも違う意味での同じ言葉がこんなにあるのだ。
Wikiの「曖昧さ回避」ページに出てくる「EPR」
というわけで、まずはここでいうEPR(energy profit ratio または energy payback ratio)エネルギー収支比とは何かについて、簡単に確認しておこう。
エネルギーはどんなに巨大であっても、それを人間が生活に利用できなければ意味がない。
昨今さかんにいわれている未来像のひとつに「水素エネルギー社会」というのがあるが、水素は石油のように最初から固まって存在しているわけではなく、水を電気分解して得る。水を「電気」分解する際には当然電気エネルギーを使う。その電力をどこから得るのかが問題で、石油や石炭などの地下資源を燃やして得られる電力を使ったら意味がない。その電力をそのまま使ったほうがいいに決まっている。
要するに、「人間が利用できる形のエネルギー」を得るために投入するエネルギーというものが必ずある。得られるエネルギーより投入するエネルギーのほうが大きすぎれば意味がない。
その投入するエネルギーと得られるエネルギーの比率(「生産エネルギー ÷ 投資エネルギー」)がEPR(エネルギー収支比)だ。
当然、この比率が高いほど使いやすく有益なエネルギーということになる。
現代石油文明を支える一次エネルギーのEPRは10が限界で、それ以下になると文明を維持することはできない(使いものにならない)といわれている。
石油1を投入して作った掘削井で石油100を得られる油田なら、EPRは100÷1でほぼ100になる。一方、石油100に相当するオイルシェールを得るために石油を50使い、得られたオイルシェールを石油並みに精製するのにさらに50の石油を使ったとしたら、最後に得られたエネルギーが石油100に相当するとしても、それを得る段階ですでに石油100を使い果たしているわけで、EPRはほぼ1となり、石油文明を支えることはできない。
IEAが非従来型石油に期待しすぎているという批判は当然だろう。EPAを無視しているからだ。オイルシェールやオイルサンドに潜在的なエネルギーが秘められているとしても、それを利用するまでの過程で良質のエネルギーを大量に使ってしまったのでは、なんのために採掘しているのか分からない。
本書67ページに、インター・ディーラー・ブローカー Tulett Prebon Groupの報告書「Perfect Storm」(2013)のデータに地熱発電などのデータも加えた各一次エネルギーのEPR一覧が出ている↓
現代石油文明を維持するのに必要なエネルギーの質「EPR10以上」を---の境界線で示した
最近発見された石油のEPRが8と著しく低いのは、ほとんどが水深2000m以上の大水深海域での発見なので、採掘・精製までの投入エネルギーが高いからだ。
EPRはコストに直結する。太陽光発電のコストが高いのはEPRが低いからで、補助金・助成金をつけなければ他のエネルギーと競争できない。
もう一つ重要なのはエントロピーで、これは「乱雑さの度合」とか「汚れ」などと説明される。
太陽電池の原材料として一般的なシリコン(ケイ素)は、世界中に大量に散らばっているが、一か所にかたまって存在しているわけではないので、集めて精製して……という工程で大量のエネルギーを使う。これを「エントロピーが高い」状態という。
一方、掘削しただけで自噴してくるような油田は、エネルギーをかけずとも高いエネルギーを得られる物質が存在しているわけで、これを「エントロピーが低い」状態という。
物質やエネルギーは、利用すれば必ずエントロピーが増える(熱力学第二法則=エントロピー増大の法則)。石油を燃やして電力を得たりエンジンを動かしたりすれば、後には排ガスや熱などが残るが、それらは利用価値が下がる(エントロピーが増える)。
活動の結果出た廃物を再利用(リサイクル)するというのは、高エントロピーのものを低エントロピーにするわけで、その過程でさらに新たなエネルギーや資源が必要となる。
最終的には増えたエントロピーは地球の生物循環、水循環、大気の循環などに乗せて宇宙空間に熱として捨てるしかない。それを可能にする環境を失うと、地球上はエントロピーだらけとなり、あらゆる生命活動、生産活動は不可能になる(エントロピー環境論)。
だから、エネルギー資源のEPRを考える場合、投入エネルギーには、利用後に出た廃物を処理するためのエネルギーや環境を破壊しないための措置に必要なエネルギーも考慮しなければいけない。
上の一覧で原子力のEPRが5と評価されているが、放射性廃物の処分が不可能であり、その管理に半永久的に良質のエネルギーを投入し続けなければならないことを考慮に入れれば、5も怪しいし、そもそもエネルギーとして考えてはいけない。
さらには、シェールオイル/ガスの生産は、従来型油田のようなプラトー(同規模の生産量が持続する期間)がなく、米国最大のシェールフィールドの例で、1年目で69%、2年目で39%、3年目で26%にまで減衰しているという。そのため、通常は15年といわれるシェールオイル/ガスの設備償却期間を待たずに生産できなくなることもある、と。
そういうものに対して今後も生産量が増え続けるという予測はあまりに楽観的すぎる、というわけだ。
ちなみに上図で地熱はEPRが低く出ているが、一度設備投資すると、上図の左側に並ぶ地下資源のように枯渇の心配がほぼなく、永続的にエネルギーが得られる(プラトーが極めて長い)という長所がある。地産地消エネルギーとして有望だと考えられる所以だ。
とにかく、僕も含めて、漠然と「自分が生きているうちは大丈夫だろう」と思っている人たちは、石油がもう減産時期に入ったことだけは間違いないと認識しておかないといけない。若い世代、そしてこれから生まれてくる世代の人間は、確実に「石油が足りなくなる時代」を生きることになる。それを踏まえた上で、いい加減な楽観論を語る覚悟があるのか、ということだ。
石油文明の後の文明とは
では、石油がなくなっていくこれからの時代の文明はどんな形になるのか? 田村氏は様々なデータを踏まえながら、ザックリと以下のように論考していく。
- 人類社会は、約1万年前に農業革命で森林エネルギーを使うことを覚え、約300年前の産業革命で化石燃料地下資源を利用することを覚えた。
- 化石燃料の利用により食糧の増産が可能となり、人口が急増した。
- 石油ピークを過ぎて、これからは化石燃料が減産していく時代になる。石油の次に天然ガスが、次いで2025年頃には石炭もピークに達する。
- 石油ピーク後の各エネルギーのEPRは加速度的に低下し、使えるエネルギー(正味のエネルギー)が減少する。
- 2055年には、石油と天然ガスの残存熱量が現在の森林が持つ熱量とほぼ同じくらいまで減る。石炭はまだ残っているが、石油が使えなくなると輸送コストなども上がるので、石炭のEPRが今のように高い水準を保てない。
- 結果、18世紀半ばに起きた産業革命に始まる石油文明は、およそ300年で終焉を迎える。
- 石油が使えなくなった時代の人口は、現在のおよそ3分の1くらいに減る。
- その後は森林エネルギーの利用に戻らざるを得ないが、石油文明時代に培った技術遺産があるので、自然エネルギーを利用した「科学的に進化した森林エネルギー」利用になっているはず。
- そうした「進化した森林エネルギー」を利用するのに、雨量が多く森林面積も多い日本の風土は向いている。
持続可能な社会とは
こうした現実を受け入れ、石油がなくなった後も人類がそれなりに平穏で安全な社会を構築し、そこそこ幸福な暮らしが営めるためにはどうすればいいのか。ここからは、田村氏の言葉をいくつか抜き出してみる。
- 持続可能な社会とは、モノの循環型社会だけでなく、地球の生態系の多様性が健全で、将来の世代にも引き継がれていく社会。
- 工業的な大規模農業は、安い石油に依存しすぎている点、生態系に悪影響を与えている点、水を大量に利用する点で、今後は持続できない。
- 放射性廃棄物の処理を将来世代に押しつけたり、工業的な大規模太陽光発電を各地に建設することも、持続可能社会の理念とは相容れない。
- 持続可能な社会では、自然から一方的に収奪したエネルギー、資源に依存するのではなく、自然が循環してくれるエネルギーが基盤エネルギーとなる。
- 利欲のために自然を支配する論理ではなく、自然から学び、自然と共生する論理・心の持ち方に戻ることが決定的に重要。
- 原発は、今廃炉を始めても、終了するときには化石燃料は減耗していてほとんど使えない。今止めなくていつ止めるのか。
これらはすべてまともな神経の識者たちから言い尽くされたことなのだが、どれだけ言葉を尽くして説明しても、なんとなく今の社会が永続的に続く、少なくとも自分が生きている間や自分の子どもの世代くらいまでは大丈夫だと思いこんでいる人がなんと多いことか。
田村氏は1943年生まれで今年75歳。僕は1955年生まれで今63歳。残りの人生の間に、石油が足りなくなり、石油を奪い合う阿鼻叫喚の世界を見ないで死ねるかもしれない。
でも、今、20代、30代の人たちはそうはいかないだろう。ましてや10代は相当厳しい世の中を生きなければならない。
その若い世代が、デタラメな政治を容認し、それどころか応援している人も少なくないことがやりきれない。
日本が何か特別な国であるかのように思い込むことは危険な要素を妊んでいるが、自分が生まれたこの日本列島という風土を愛する気持ちは自然なことだろう。
「愛国」を訴えるなら、「進化した森林エネルギーを利用するのに、雨量が多く森林面積も多い日本の風土は向いている」ということの意味をもっと真剣に考えるべきだ。
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