「東電強制起訴無罪判決」の歴史的意味2019/09/25 11:48

「東電強制起訴無罪判決」で、次の一節を思い浮かべた。
本来、国家とは国民の生命と財産を守るのが使命である。ところが国の指導者たちは生命と財産を次々とつぎ込んで、博打のような戦争を起こした。その結果、多くの無辜の命が失われた。しかし、そうした戦争の責任はいまに至っても曖昧なまま放置されている。
(保阪正康・著 『田中角栄と安倍晋三 昭和史で分かる「劣化ニッポン」の正体」序章より)

↑この「戦争」という部分を「原子力ムラ利権構造ビジネス」と置き換えてみれば、今回の構図と同じだと分かる。


首相が国会で「議会については、私は立法府の長であります」とのたまい、官庁は平気で公文書を破棄・偽造する。司法は常識を超えた判決を下す。
三権分立が機能しなくなった国家は、悲惨な崩壊寸前だと知ろう。
「東電強制起訴無罪判決」は、歴史的にはそういう意味を持っている。

もしも日本が先に原爆を完成させていたら2019/09/08 21:23

石川町でウラン鉱採掘に動員された石川中学(現・学法石川)の生徒たち(Wikiより)
福島県の石川町は、石工・小林和平が生まれ育ち、数々の名作を生み出した土地である。
その石川町が、日本における原爆開発研究ともつながりを持っていると知ったのは20年ほど前のことで、狛犬つながりからだった。

アメリカが原爆開発(マンハッタン計画)に本格着手したのは1942年10月だが、それに遅れること数か月、日本でも陸軍の要請により理化学研究所仁科芳雄博士をリーダーとする「ニ号研究」、海軍の要請で京都帝国大学の荒勝文策教授をリーダーとする「F号研究」と呼ばれる原爆開発研究がほぼ同時にスタートした。
その原料となるウラン235を入手する場所として選ばれたのが石川町で、1945年4月から終戦までの5か月間、旧制私立石川中学校(現在の学法石川)の生徒が勤労動員として採掘作業にあたった。炎天下、わら草履に素手で作業させるなど、ひどい状況だった。しかし、採掘できた鉱石はごくわずかで、ウラン含有率も少なく、使いものにならなかった。

軍部の思惑とは裏腹に、研究者たちは日本で原爆が製造できるとは思ってはいなかったらしい。しかし、仁科や荒勝らには、若い研究者たちが戦場に送りこまれるのを防ぐと同時に、軍からの潤沢な予算を得ることで、原子核の基礎研究を進めたいという思いがあったと、「日本の原爆 その開発と挫折の道程」の著者・保阪正康氏は分析している。
ニ号研究のほうは、昭和20(1945)年5月下旬に、仁科自身が陸軍に「ウラン鉱石すら入手できないようなこの状況ではもう無理である」と告げて、研究者たちも次々に疎開し、そのまま立ち消えてしまった。
海軍では海軍技術研究所科学研究部長の黒田麗(あきら)少将を部長に、(略)F号研究を受け持った。昭和20(1945)年7月21日、琵琶湖のホテルで話し合いの場が持たれている。(略)
黒田は「できれば原子爆弾を作ってほしい」との発言を行った。(略)
「理論的にはまったく可能だが、現状の日本の国力などから考えても無理だといってかまわないと思う」と、荒勝グループの研究者たちは声を揃えた。正式に中止の決定をしましょう、というのが荒勝らの一致した提案だったのである。
「日本の原爆 その開発と挫折の道程」 保阪正康・著 新潮社2012年刊 P170より)

そして、その2週間後には、広島に原爆が投下された。
アメリカのハリー・トルーマン大統領が、広島に投下されたのは原子爆弾であると発表したのは、ワシントン時間で8月6日午前11時(日本時間7日午前1時)であった。(略)長文のこの声明は、アメリカがこの原子爆弾の開発製造のために、いかに国力の総てをつぎ込んできたかを詳細に述べた。(略)
連合国各国がこの“偉業”を賞えていると、アメリカのラジオ放送は伝えた。(略)トルーマン大統領の声明が各国から賞えられるなかで、人類にとって原子爆弾の投下は汚点である、との意見はローマ法王庁ほか、わずかの機関からしか発表されなかった。(略)
当時の日本国民はラジオでアメリカの短波放送を聞いたりすればすぐに逮捕されてしまう時代だから、こういう連合国や国際社会の動きなどはまったく知るよしもなかった。
むしろ内閣情報局での会議、つまりこのニュースをいかに国民に伝えるかの会議では、陸海軍からの出向組は、「トルーマン声明は策略かもしれないではないか」とか、「原子爆弾だと伝えると、国民に衝撃を与え、戦争指導上問題がある」といった強硬意見が出された。
同「日本の原爆」より)


「もしも日本がアメリカより先に原爆を完成させていたら?」という「IF」は、ときどき語られる。
戦時下の昭和19(1944)年には、朝日新聞が「ウラニウム爆弾」について記事で紹介し、「新青年」という読み物雑誌には『桑港(サンフランシスコ)けし飛ぶ』と題した小説も掲載された。ウラン235を入手した日本では原子力の実用化に成功し、原子力飛行機で軽々と太平洋を横断し、敵国アメリカのサンフランシスコ上空8000メートルから原爆を投下する、という内容の小説だという。
こうした記事や小説がきっかけで、「マッチ箱1つの大きさで大都市が吹っ飛ぶ爆弾」が発明され、日本は戦争に勝つという噂が日本国中に広まった。
しかし、当時の状況からして、日本がアメリカより先に原爆を完成させていた可能性はない。
「ニ号研究」では、
容器の中に濃縮したウランを入れ、さらにその中に水を入れることで臨界させるというもので、いわば暴走した軽水炉のようなものであった。(略)
しかし、同様の経緯である1999年9月の東海村JCO臨界事故により、殺傷力のある放射線が放出されることは明らかとなっている。 (Wikiより)

……つまり、完成させられないまでも、そのまま研究が進み、原材料が調達できていたら、実験段階で日本国内で悲惨な事故が起きていた可能性が高い。そして、当然、それは隠されただろう。
なにしろ、1944年(昭和19年)12月7日に起きた東南海地震(M7.9。死者・行方不明者1223名)も報道規制され、隠されたくらいだから。

「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」と並べてはいけない

こうした歴史に学ばず、2011年3月の原発爆発では、福島県は国に先がけて深刻な放射能漏れを知ったにもかかわらず、それを隠した

歴史は繰り返すというが、こんな歴史を繰り返していいはずがない。

保阪正康氏は著書『日本の原爆』の最後で、非常に重要な指摘・主張をいくつもしている。
原子力や核開発に対しての考え方の違いを超えて、多くの人たちが見落としがちな視点・視座だと思うので、いくつかをほぼそのままの内容で紹介しておきたい。

  • 原子爆弾の製造⇒戦争の終結⇒東西冷戦下の核開発⇒核の均衡による平和⇒核技術の「平和利用」 ……この構図の中には政治と軍事が科学者たちを下僕化したという現実と、政治が「平和利用」の名のもとに科学者を巧みに利用した現実が凝縮している。
  • 原子力の二つの顔(原子爆弾と原子力発電)は、単純に「悪魔と天使」とに二分できるものではない
  • ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを並べて論じてはならない。ヒロシマ・ナガサキは基本的にはアメリカが爆弾を投下したという問題だが、フクシマは我々の国のシステムや技術、原発に対する考え方の歪みが起こしたものであり、「我々の国の責任問題」である。
  • 原爆製造計画では、軍事指導者が「聖戦完遂」の名のもとに軍事研究を要求し続けた。原子力発電は、軍事指導者に代わって、政治家や官僚が「平和利用」と「生活の向上」の名のもとに「電力というエネルギーの供給を」と訴え続けた。どちらの大義もその時代が要求する価値観でしかなく、歴史的普遍性に欠けている
  • 日本での原爆製造計画が未遂に終わったために、我々は人類史の上で加害者にはならなかった。しかし、原発事故では、我々のこの時代そのものが、次世代への加害者になる可能性を抱えてしまった。我々が放射線をあびたとしても、それはそうしたシステムを許容した我々自身の責任である。しかし、次世代の人たちに放射能障害の危険性を残していいわけはない。


原発爆発後の日本を見ていると、責任者が責任をとらないどころか、開き直って嘘の上塗りをし、それを国政が後押しする。システムの反省や改善どころか、さらなる欠陥や非合理、不正義を押し進める……。
  • 放射性廃物を永久処理する方法は未だに発見されていないし、地震の巣である日本では、放射性廃物を安全に保管できる施設は作れない。それがはっきり分かっている今も、後始末(廃炉と放射性廃物管理)ではなく、再稼働や、原発の輸出(!)などを押し進める。
  • 原発爆発でばらまいた放射性物質を含んだ土や瓦礫くずを健全な水源地にまで運んで埋めてしまおうなどという馬鹿げた計画を「環境省」がごり押しする。
  • 原発ビジネスとまったく同じ「国が税金を投入して業者を儲けさせる」システムで、「再生可能エネルギー」という新たな名のもとに、大規模環境破壊と国民への不要な経済負担を「国策」として進める。

原爆を投下された直後の日本よりも、今の日本のほうが、人々の理性・判断力・倫理観が劣化しているように思えてならない。


「不条理社会」に生きる2018/11/07 09:47

X90のメーター 22年前の車だが、まだ6万キロ台 なぜこれに重税をかける

「明らかな悪法」が作られ、まかり通る

増税でのいじめに耐えきれず、22年前に作られ、うちに来てから15年経つスズキ X90という珍車?をついに手放すことになった次第については表の日記に詳しく書いた。

車を大切に長く使うと増税という非合理、不条理に憤っているだけでは免疫細胞が死んでしまう一方なので、ここで「なぜこんな非合理が許されるのか」を人間の心や社会構造という面から改めて考えてみた。

この悪法が成立した裏には、自動車メーカーの利益を守るために、まだまだ乗れる自動車を早く手放させて新車を買わせようという意図があることは明白だ。
ある業界や企業の利益誘導のために、公共の利益を害することを押し進める。そのためには大きな嘘をつく。嘘を信じ込ませるために、メディア、教育、情報社会などに働きかけ、あらゆる手段を駆使する。……こうしたことを平気でできる人間をAタイプとしておく。
Aタイプにも、金儲け依存症、権力志向、世の中を動かす自分の能力に酔いしれる自己陶酔型などいろいろありそうだが、とにかくこのタイプはバカではないし、行動力もある。ザックリ言えば「エリート」と呼ばれる人たちに属する。

次に、「エリート」と呼ばれるグループには属しているが、自分では方向性を見つけようとせず、上からの指示に従い、自分の生活レベルや地位を守ることに専念するタイプの人たちがいる。これをBタイプとしておこう。
Bタイプは当然Aタイプよりも数は多いし、現場での戦力という意味で、Aタイプにとって不可欠な道具だ。実行部隊の隊長だから、頭脳や実行力はAタイプより優れていることも多いだろう。
AタイプにしろBタイプにしろ、自分たちがやっていることが公共の利益や地球環境の保全・持続という面では明らかに悪行であることは十分理解している。それでも悪行を続けるのは、結局のところ、自分、あるいはせいぜい自分の家族という極めて狭い範囲の生活レベルやステータスを、人生において最も大切なこと、最上位の価値だと信じているからだ。
自分が死んだ後のことなども考えない。自分が死んだ3分後に地球が破滅して全生物が滅んでも、自分はもはやそこにはいないし、感知できないのだから関係ないと思うような極端なサイコパスも混じっているかもしれない。

次に、AタイプやBタイプに言いくるめられ、嘘を本気にしてしまう人たちがいる。これをCタイプとしておこう。
社会を構成している人の多くはCタイプである。
例えば、「ハイブリッド車や電気自動車などの『エコカー』に乗り換えることが環境負荷を下げることになる」と本気で信じている人はたくさんいる。官僚にはあまりいないかもしれないが、政治家には結構いる。だから車を長く乗り続ける人には増税という不条理・非合理な法律が野放しにされている。
同様に「次に到来するのはクリーンな水素社会だ」とか「原発は必要悪であり、資源のない日本には欠かせない技術である」などと主張するCタイプの人たちがいるが、AタイプやBタイプと違って本気でそう思い込んでいるのがやっかいだ。
Cタイプの知性はとてもゾーンが広い。学歴や人格も関係ない。「人間的にはとてもいい人」は、このCタイプにいちばん多い。
政治家にはCタイプがとても多い。
しかも「困ったCタイプ」ばかりだ。いわゆる「いい人」は政治のようなドロドロした世界ではのし上がれないから。
偏狭な信念を持っていて、現実を正確に分析できない人。頭がよくないのに家柄や成り行きで権力を得てしまったために、取り巻きの説明を鵜呑みにして、それが自分の知力だと勘違いしている人。単純に頭が悪くて、政界の中の保身、立ち回りだけで精一杯な人。そんな人たちがいっぱいいる。

こう見ていくと、世の中の不条理、非合理は、

  • 自分が死んだ後のことはどうでもいいというAタイプが考案し、社会がそう動くように仕掛ける。
  • 本当は違うんだけど、上から言われたから仕方がないという生き方のBタイプが粛々と押し進める。
  • 深く考えようとしない、あるいはだまされたまま変な信念を持っているようなCタイプが、悪行を許容したり実行に加担したりする。
……という構造で生まれ、定着してしまうということが分かる。
「それはおかしい」「あまりにも非合理だ」と異を唱え、正論を述べる人たちの力は及ばない、ということなのだろう。

現代人が知らなければいけない「条理」「合理」とは

僕はよく「不条理」とか「合理性」といった言葉を使うが、ここで「条理」「合理」とは何かを改めて考えてみる。

条理:物事がそうなければならない当然の道理・筋道
合理:物事の理屈に合っていること

世の中には様々な条理、合理があるが、現代社会を生きる人間にとって、生命や幸福な生活を守るための基本的な条理、合理は次のようなことだと思う。
  1. 地球上で生物が活動できるのは、水の循環をはじめとする物質循環が存在し、増大したエントロピーを熱に変えて宇宙に捨てる仕組みがあるからである
  2. 物質循環を支えているのは水、植物層、動物層の健全さと多様性である
  3. 地球環境は有限であり、地下資源は使えば枯渇する
  4. 現代文明は石油を筆頭とする「地下資源文明」であり、化石燃料や金属資源(特に稀少金属資源)は極力無駄に使わないようにすることが文明の寿命を延ばすことに直結する
  5. 人間の幸福感は、物やエネルギーの大量消費によって保障されているわけではなく、工業生産やエネルギー消費を減らしても精神的な豊かさを増やす方法はいくらでもある
  6. 今の社会を少しでも長く平和な状態に保つには、人工的なエネルギーや生産に過度に依存せず、精神的幸福感を維持・増大させる生活スタイルに変えていくことが必須である

現代社会の「不条理」「非合理」は、これらの命題に明らかに反していることであるのに、嘘や情報コントロール、権力者からの圧力によって押し進められることで生じている。
さらにやっかいなのは、上に示したような基本的な「条理」「合理」が社会の中で共有されていないことだ。

上の(3)はほとんどの人が理解はしている。でも、(1)と(2)を理解していない人が多い。学校でもちゃんと教えていない。
(4)は分かったつもりでいて、実は分かっていない人が多い。特にエネルギー収支については考えていない、あるいは間違った理解をしている人が実に多い。
(5)(6)は表向き賛同するものの、自分が生きている間はなんとかなるだろうと思って、真剣には向き合おうとしない。

この傾向はすべてのタイプの人にあてはまるが、CタイプよりはBタイプ、BタイプよりはAタイプの人のほうが、これらすべての条理・合理を本当は理解している。理解している上で無視し、自分の利益を最優先させることが自分にとっての条理・合理だと信じている。

社会が「数」の力で動くとすれば、Cタイプが圧倒的に多い以上、Aタイプの支配を崩せない。
崩せるとしたら、Aタイプを許さない超人的な人物が登場したり、Bタイプの中で大きな意識革命が起きてAタイプに反旗を翻したり、Cタイプの中で条理・合理を理解する人たちが増えていき、社会の軌道修正を求めていくことだろう。しかし、そんなシーンは、少なくとも僕が生きているうちには見ることはできない。不条理・非合理はますます増えていくに違いない。
そんな社会の中で、自暴自棄にならず、どう生き抜いていけばいいのかを考え、試行している人たちもいる。ついでだから、Dタイプとでもしておきますか。
DタイプはA~Cタイプに比べれば社会を変えていく大きな力にはなりにくい。無害だけれど、個人主義というか、幸福感至上主義のエゴイストみたいなところがある。
やはり、社会を動かしているのはA~Cタイプの人たちだ。
……と、ここまで考えてくると、「人間社会」というものが少しだけ見えてくるし、その中で生きていくしかない自分というものにも、静かに向き合える気がする。

テレビドラマより分かりやすい善悪劇

東京電力の旧経営陣3人(勝俣恒久、竹黒一郎、武藤栄)が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判は、2018年10月末現在、第33回公判まで進んでいる。
その内容が、NHK NEWS WEBの特別ページにまとめられている。
他に、元朝日新聞記者の添田孝史氏が書いているLevel 7 News「公判傍聴記」(添田孝史)というシリーズがよくまとまっていて読みやすい。まるで法廷ドラマを見ているようだ。
これを『下町ロケット』みたいなノリでテレビドラマ化してくれないものだろうか。
こういうの↓をそのまま脚本にするだけでいいから。


高尾氏ら現場の技術者は、2007年11月からずっと対策の検討を進めていた。「対策を前提に進んでいるんだと認識していた」と高尾氏は証言した。それが2008年7月31日、わずか50分程度の会合の最後の数分で、武藤副社長から突然、高尾氏が予想もしていなかった津波対策の先送りが指示される。高尾氏は「それまでの状況から、予想していなかった結論に力が抜けた。(会合の)残りの数分の部分は覚えていない」と証言した。今回の公判のクライマックスだった。
添田孝史 第5回公判傍聴記

この時期の東電「裏工作」で最も悪質なのは、先行する他社の津波想定を、自分たちの水準まで引き下げようとしていたことだろう。
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高尾氏は、武藤氏の指示のもと研究者への説得工作も行っていた。2008年10月ごろ、秋田大学の研究者に面談した際の記録には「長期評価の見解を今すぐ取り入れないなら、その根拠が必要でないかとのコメントがあった」「非常に緊迫したムードだったが、(東電の方針を)繰り返し述べた」と書かれていた。大組織のサラリーマンの悲哀を感じさせる記録だった。
同・第6回公判傍聴記


高尾氏の証言を聞いていると、2007年以降の福島第一原発は、ブレーキの効かない古い自動車のようだった。
ブレーキ性能(津波対策)が十分でないことは東電にはわかっていた。2009年が車検(バックチェック締め切り)で、その時までにブレーキを最新の性能に適合させないと運転停止にするよ、と原子力安全委員会からは警告されていた。ところがブレーキ改良(津波対策工事)は大がかりになると見込まれ、車検の日に間に合いそうにない。そこで「あとでちゃんとしますから」と専門家たちを言いくるめて車検時期を勝手に先延ばしした。「急ブレーキが必要になる機会(津波)は数百年に一度だから、切迫性はない」と甘くみた。

一方、お隣の東北電力や日本原電は車検の準備を2008年には終えていた。それを公表されると、東電だけ遅れているのがばれる。東電は「同一歩調を取れ」と他社に圧力をかけて車検を一斉に遅らせた。

そして2011年3月11日。東電だけは予測通りブレーキ性能が足りず、大事故を起こした。
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東北電力は、土木学会が2002年にまとめたマニュアル(津波評価技術、土木学会手法、青本とも呼ばれる)では想定していない貞観地震をバックチェック最終報告には取り入れていた。長谷川昭・東北大教授の「過去に起きた最大規模の地震を考慮することが重要であり、867年貞観地震の津波も考慮すべきである」という意見をもとにしていた。貞観地震を想定すべきかどうか、土木学会で審議してもらう必要がある、などとは考えていなかった。

日本原電も、土木学会手法(2002)より大きな茨城県の想定(2007)を取り入れていた。その採用にあたって、やはり土木学会の審議が必要とは考えていなかった。「土木学会に時間をかけて審議してもらう」と言ったのは、東電だけなのだ。
同・第7回公判傍聴記


15.7mより低い想定値にすることは出来ないか、それによって対策費を削ることができる可能性がないか検討するために、土木学会を使って数年間を費やす方向が決められ、大学の研究者への根回しが武藤氏から指示された。

最終バックチェックに、地震本部の予測を取り込まないと審査にあたる委員が納得してくれないだろう。武藤はその可能性を排除するため、有力な学者に根回しを指示した。「保安院の職員の意見はどうなる」という検察官の問いに、「専門家の委員さえ了解すれば職員は言わない」と山下氏は答えていた。

2009年6月に開かれた保安院の審議会で、専門家から東電の津波対応が不十分という指摘がされたことについて、土木調査グループの酒井氏は「津波、地震の関係者(専門家)にはネゴしていたが、岡村さん(岡村行信・産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長、地質の専門家)からコメントが出たという状況」と関係者にメールを送っていたことも、公判で明らかになった。水面下で進めていた専門家へのネゴ(交渉)に漏れがあり、公開の審議会で問題になったと白状していたのだ。
同・第24回 公判傍聴記


……テレビドラマにでもしない限り、ほとんどの人は永遠にこういう問題には目を向けない。
でも、もしテレビでドラマ化したりすれば、それを見た人たちは「あ~あ、どうせそういうことでしょ」という気持ちを強めるだけで、ますます社会が劣化、弱体化、無気力化していくのかもしれない。

国が相手なら、とにかく金は入る


で、その福島では、今まさにこんなことになっている。
経済産業省の実証研究として福島県沖に設置された国内最大規模の洋上風力発電施設が、最大出力7000キロワットでの運転をほとんど実施できていないことが(2018年6月)21日、明らかになった。
(略)
実証研究は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もない11年度に始まった。丸紅を中心に、三菱重工業や東大などで構成するグループが受託した。国は18年度までに計585億円の予算を計上し、2000キロワット、5000キロワットの2基を含む計3基を福島県沖20キロの太平洋上に設置した。
2018/06/21 時事ドットコム

政府が東京電力福島第一原発事故からの復興の象徴にしようと福島県沖に設置した浮体式洋上風力発電施設3基のうち、世界最大級の直径167メートルの風車を持つ1基を、採算が見込めないため撤去する方向であることが26日、分かった。商用化を目指し実証研究を続けていたが、機器の不具合で設備利用率が低い状態が続いていた。
(略)
実証研究は福島県楢葉町沖約20キロに設置した風車3基と変電所で12年から実施しており、これまでに計約585億円が投じられている。問題となっているのは出力7000キロワットの一基で、建設費は約152億円。15年12月に運転を開始したが、風車の回転力を発電機に伝える変速機などで問題が続発。17年7月からの1年間の設備利用率は3.7%に低迷しており、新規洋上風力の事業化の目安とされる30%に大きく届かなかった。

 今年8月には経産省が委託した専門家による総括委員会が「初期不具合や解決に至らなかった技術的課題があり、商用運転の実現は困難」「早急に発電を停止し、撤去の準備を進めるべき」と指摘。風車の解体場所として、関連企業の工場に近い淡路島沖か、製造した三菱重工業の長崎造船所の二案を軸に検討に入っている。撤去には建設費の一割程度かかるとみられるという。
2018年10月27日 東京新聞

実際の発電実績データは⇒こちら

この金の使い道、到底「合理的に」考えたとは思えない。
洋上風力の問題点は数々ある。これが実利を追求するプロジェクトであれば数百億かけてやる企業などない。
失敗したと簡単にいっているが、これで請け負った企業が損をしたわけではない。しっかり金は入って「儲かった」のだ。

実用性がないことを承知の上で、巨額の税金を注ぎ込んでもらうために提案した⇒Aタイプ
馬鹿げているよなあ~、大金を海に捨てるようなもんだよなあ~と思いつつも、現場で指揮を執った実務部隊⇒Bタイプ
「それはいい! 福島復興のシンボルになるし、環境にも優しい」と乗せられた政治家や行政⇒Cタイプ

……そういうことだ。

ホッケー⇒今市高校⇒バドミントン⇒大堀⇒桃田⇒富岡高校2018/09/17 11:31

2018年現在の立ち入り規制区域図

ホッケーはラクロスよりマイナー?

退職後、毎日、うちの前の畑でせっせと野菜作りをしているSさんの孫のゆいちゃんは、最近よくピンポ~ンとやってきて「み~ちゃんは?」とねだる。ゆいちゃんのお相手をするのが、み~の新しいお務めになっている。
み~ちゃんのお務め
昼寝をしていたのにゆいちゃんのお相手に起こされて若干機嫌が悪いみ~

そのゆいちゃんの両親はホッケーの選手だったそうで、Sさんはその関係からか、よく車で日本全国にホッケーの試合を応援しに行く。高速道路を使わず、車中泊しながらなので、一度出かけると数日戻って来ない。
栃木県は自転車のロードレースとアイスホッケーが盛んだということは、ここ日光に引っ越して来てから知ったのだが、フィールドホッケーも盛んだそうで、今年は地元の今市高校が全国大会で優勝したという。
先日のアジア大会でも日本は男女アベック優勝で、もっと話題になってもいいのに……とSさん。
リオデジャネイロまで4大会連続五輪出場を果たしている女子に対し、男子は1968年メキシコ五輪を最後に出場がなく、影が薄かった。昨年6月に復帰したオランダ出身のアイクマン監督の下、海外遠征を重ねて強化。東京五輪にはすでに開催国枠での出場の権利があるが、弾みがつく初のアジア王者となり、主将の山下は「前半に4点を入れられ、負けてしまうと思った。それでも、最後まで走りきることだけを一生懸命やった」と興奮気味に語った。
ホッケー男子が初の王者 3点差追いつく驚異の粘り 成長の証し 「ホッケーにとって大きな勝利」 産経新聞 2018/09/02

祝!ホッケー日本代表
3年次生の松本和将君がホッケーの日本代表としてサムライジャパンに選出されました。 高校生では唯一の代表入りとなります。
今市高校WEBサイトより)


フィールドホッケーという競技は世界的にはそこそこ競技人口も多いスポーツらしいし、日本でも、もっと競技人口が増えていけばいいのにねえ。
というわけで、フィールドホッケー部のある高校というのはどのくらいあるのか調べてみた。
首都圏のみのデータだが、どんな部があるかというリストが⇒ここにあった。
で、これはあるだろうなと思えるテニス部の有無を調べると、829校。8割を超えている。逆に、テニス部のない高校があることに驚く。
サッカー部は812校でテニス部のある学校とほぼ同じレベルだが、男子校と共学校だけなら95%なので、テニスより人気が高いといえそう。

じゃあ、少ない部はどんなものかな。
ゴルフなんて贅沢な大人のスポーツかなと思ったら、90校もある。
最近パワハラや暴力が問題になったアメフト、ボクシング、体操、重量挙げはどうかな?

アメフト部   54校
ボクシング部   28校
体操部   133校
重量挙げ部   15校

……体操部がかなり多いのは意外だった。学校外にクラブも多いだろうから、子どもの競技人口はかなりなものだろう。
あと、「重量挙げ部」ってあるんだねえ。高校に……。

その他、これは少ないだろ、と思えるのをチェックしていったのだが、かなり意外な結果になった。

釣り部   27校
自動車部   26校
射撃部   26校
ラクロス部   26校
水球部   20校
馬術部   16校

……馬がいなければ成立しなさそうな馬術部のある高校が関東だけで16校もある。北海道とかならまだ分かるけど……。
射撃部が26校というのも驚いた。高校生が銃を持てるのか?と疑問に思って少し調べてみたら、最初はビームライフルというのを使うらしい。その後、場合によっては「年少射撃資格者」という資格を取って、教員が所持しているエアライフルを借りて本格的にライフル射撃を練習することもあるのだとか。
自動車部というのもビックリ。工業高校なんかで自動車の修理を学んでいるとかかと思ったら、慶應義塾高校には本格的なモータースポーツの自動車部があった
他は、本田宗一郎杯Hondaエコマイレッジチャレンジという1リットルでどれだけの距離走れるか、というレースに参加するための部活動、というのも多いらしい。

ラクロス……どんな競技だっけ? セパタクローとかカバディとか、そういうレベルのマイナースポーツを一瞬思い浮かべたのだが、世界的にはかなり競技人口があるらしい。

で、こういうのより少ないのが、

ホッケー部   15校

え? 重量挙げ部と同じ? 馬術部や射撃部より少ないの? ラクロス部より全然少ないの?
これはビックリだ。

ということは、オリンピック代表になるのも競争率低い。サッカー部の1.8%。部員数にしたら1%を切っているんじゃないだろうか。つまり、単純に考えても、サッカーで日本代表になるより100倍可能性が高い。
それでも、アジア大会で男女ともに優勝するんだから、すごいじゃないか。
考えてみると、サッカーやラグビーに比べたら、身体のぶつかり合いは少ないだろうし、背が低くてもマイナス要因にはならない。日本人向きの競技なのだろう。もっと競技人口増やせばいいのに。

今市高校と富岡高校を結ぶバドミントン

ちなみに、今市高校のスポーツ系部活動部員数を見ると、バドミントン部もかなり多い。

今市高校のスポーツ系部活動部員数 (JS日本の学校 より)

かつてはインターハイ団体優勝などしていたそうで、そのときの選手の一人が女子バドミントンで活躍する大堀彩選手の父親・大堀均氏。
大堀氏は今市高校卒業後、日本体育大学~トナミ運輸と進んでバドミントン選手として活躍。全日本ジュニア単優勝、全日本総合複2位などの成績を残している。
三協アルミでバドミントンダブルス選手として活躍していた麻紀さんと結婚した。
2006年に福島県の富岡高校に赴任してバドミントン部監督就任。桃田賢斗や娘の優・彩姉妹をバドミントン選手として育てたが、2011年、福島第一原発の爆発で富岡高校は校舎を失い、生徒はバラバラに。
それでも翌2012年にはインターハイ女子団体優勝、世界ジュニア選手権では桃田賢斗を日本勢初の優勝に導いた。
ちなみに、大堀彩の姉・優もバドミントン選手で、夫の斎藤太一もバドミントン選手。斎藤太一選手も富岡中学~富岡高校で、大堀均氏の指導を受けている。
栃木県のバドミントン関係者の多くは、大堀ファミリーが「栃木県」と関係がないように報じられることに複雑な思いを抱いているらしい。

そんな話を知って、富岡高校や富岡町は今どうなっているのか、ちょっと調べてみた。
川内村にはスーパーもDIY店もないから、村民の多くは富岡が生活拠点だった。富岡に職場を持っている人たちも多かった。
僕らも富岡にはよく買い物に行ったので想い出はたくさんある。
Googleマップで見ると、富岡高校は⇒こんな感じになっている。
富岡高校だけでなく、原発爆発で立ち入りが規制された区域にあった双葉郡の各高校の生徒は、福島県内各地8校に分散させられ、(サテライト校、などと口当たりのいい言葉を使っているが)もともとの校舎には通えない「名前だけの高校」になった。
桃田選手や大堀彩選手の活躍で、メディアではサラッと「2013年 富岡高校卒業」「2015年 富岡高校卒業」などと書いているが、富岡高校は「物理的」には2011年3月以降は存在していないのだ。

2018年現在の規制範囲(Clickで拡大)


上の図を見れば分かるように、富岡町は避難指示解除されたエリアが多いが、普通の町に戻るのは、僕らが生きている間は無理だろう。
富岡高校は、今は「物理的」にだけでなく、「名義上」も、もうない。「休校」となっているが、事実上は消滅したといえる。2015年には広野町に福島県立ふたば未来学園高等学校が開校したので、今後も「富岡高校」として復活することはないだろう。廃校ではなく「休校」としているのは、富岡町民らの心情を配慮してのことと思う。
そもそも、原発爆発の前から双葉郡の高校は過疎問題に直面していた。富岡高校は普通科を廃し、Jビレッジなどとの連携を図って、スポーツに特化した学校をめざしていた。川内村には富岡高校川内分校があったが、それも原発爆発の前に廃校になっている。
今後はふたば未来学園高等学校の関連などで、いろんなところからの金がどこにどう流れて、育成費やら設備投資やらに使われ……みたいなことが内輪の話題として進行していくのだろうと想像する。

僕らは川内村から日光に移り住んで、いちばん近い高校が富岡高校から今市高校になった。この2つの高校を結ぶキーワードがバドミントンだったというのが面白い。
それにしても、スポーツの世界で上に行くのは大変なことなんだと改めて思う。裏には、メディアが取り上げないいろんなドラマが隠れている。
芸能界もそうだし、人生、社会的な成功や名声を得る裏のドラマに耐えられない「弱い」人たちのほうが幸せな人たちなのかもしれない。
……なんてことをふと思ったのだった。


「デブリを取り出して廃炉」という幻想2018/03/12 12:11

2018/03/10『報道ステーション』(テレビ朝日)より

言えない立場の増田尚宏氏と言える立場の田中俊一氏



↑2018年3月10日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日)の特集コーナーより(以下同)

今日、3月12日は1F1号機が水素爆発を起こした「原発爆発記念日」である。
その映像をテレビで見てすぐに、僕たちは川内村の家から逃げ出し、川崎市の仕事場に避難した。あの日からちょうど7年が経った。
今ではメディアも特集などを組むことは少なくなり、今年は森友文書書き換え問題などに食われている(あれもまた国家の根幹を揺るがすとんでもない事件だが)。

一昨日の『報道ステーション』で、1Fの廃炉がいかに困難かという問題を特集していた。
久しぶりに見る増田尚宏氏の苦渋に満ちた顔。この人がこの日記に登場するのは何回目だろうか。まずは2015年の⇒この日記を読んでいただきたい。
2015年3月、NHKの海外向け放送にてインタビューに答える増田尚宏氏
2015年、このインタビューで増田氏はこう語っている。
溶融燃料についてはわからない。形状や強度は不明。
30メータ上方から遠隔操作で取り除く必要があるが、そういった種類の技術は持っておらず、存在しない

(政府は廃炉作業を2020年に始める意向だとしているが)それはとてつもないチャレンジと言える。正直に言って、私はそれが可能だとは言えない。でも不可能だとも言いたくない。

どのくらいの被ばく線量なら許容されるのか? 周辺住民ににはどんな情報が必要なのか? どうすればよいか教えてくれる教科書はない。
私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない

国内で放送されないと知っていたからか、かなり正直に胸の内を吐露している。
それが、3年経った現在では、こう答えている。


使用済み燃料を取り除くことは責任を持ってやらなくてはならないやればできるものだと思っている

この言葉の間にはいくつかの言い訳や説明が挟まれていたが、要するに「できる」「やらなければならない」と言いきっている。
3年前には「溶融燃料(デブリ)についてはわからない。形状や強度は不明」と言っていたが、今ではデブリの状態が想像以上にひどい状況だということが分かってきている。
優秀な専門家である彼には、デブリの取り出しなどとうていできないと分かっている。しかし、組織人として「取り出さなければならない」「やればできると信じている」などと答えなければならない立場に置かれていることの苦しさが、最後には悲鳴にも聞こえるような大きな声での叫びとなって絞り出されたように見えた。

増田氏は東電にとって、いや、日本の原子力業界にとってかけがえのない人材だ。彼のスーパーマン的な活躍がなければ、1F同様、2Fも爆発していただろう。7年前、彼が2Fの所長だったことは本当に幸運だった。
が、その彼も、この数年で顔つきがだいぶ変わったように感じる。どれだけ辛い人生を歩んでいることか、察するに余りある。

デブリは取りだしてはいけない

一方で、その直後に登場した田中俊一・原子力規制委員会前(初代)委員長は、相変わらずのシニカルな表情でこう言ってのけた。









廃炉現場の最高責任者に任命され、今も現場を指揮している増田氏と、規制委員長を辞めた田中氏の立場の違いがはっきり見て取れる。
人間としては増田氏のほうを信頼したいが、この点に関しては、田中氏の言うことが正しい。
「そういうことを言うこと自体が国民に変な希望を与える」という発言のときは、「幻想」と言いかけたのを、少し考えてから「変な希望」と言い換えていた。

圧力容器を突き破って底まで全量溶け落ちたデブリを遠隔操作で取り出すなどという技術は存在しない
そもそも、取り出せたとしても、置き場所がないのだ。きちんと形のある使用済み核燃料でさえ保管場所がないのに、不定形になったデブリをどこでどうやって保管するというのか。これ以上、デブリの取り出しにこだわるのは、莫大な金をかけてリスクを拡大するだけの愚行だ。
つまり、デブリは取り出せないし、今は取り出そうとしてはいけない
では、どうすれば今よりひどい状態にならないで長期間、ある程度の安全を得られるかを、合理的に考えなければいけない。そんなことは、誰が考えたって自明の理だ。

できないことを「そのうちできるだろう」「なんとかなるんじゃないか」といって無理矢理金を投入して始めてしまい、取り返しのつかないことに追い込まれるのは原子力発電事業そのものの構図だ。出てくる核廃物の処理や保管技術がないままに原子力発電所を作り、今なお、この根本的な解決方法は存在しない。日本国内だけでも、行き場のない使用済み核燃料が発電所内にごっそり置かれたままだ。
技術が存在しないどころか、エントロピー増大則に従うしかない物理世界(我々が生きているこの地球上)では、核廃物の根本的な処分方法は今後も見つからないだろう。
できないことをしてはいけない──このあたりまえのことを無視するとどんな結果になるか、すでに手痛く体験したことなのに、なぜこの期に及んでまで、謙虚になれない、合理的に判断できないのだろう。

3年前の増田氏の言葉と今の増田氏の言葉を比較すると、絶望的な状況はますますはっきりしてきたのに、逆に正直に答えることはできなくなったという悲しい現実が見える。
増田氏の「組織人」としての苦悩は痛いほど分かるが、とにもかくにも、彼の上で命令を下す人たちがきちんとした判断を下さず逃げてばかりいる限り、増田氏の高い能力も、今後変な方向に向かいかねない。
それこそ、3年前の彼が漏らした「私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない」という言葉の重みが、ますます深刻なものになっているのだ。
その闇の深さ、問題の大きさを、現場の人たちだけに押しつけず、我々一般人も、少しは共有すべきではないか。
次の選挙のときには、このことをぜひ思い出してほしい。
どうしようもない破局が訪れる前に、どうせ自分は死んでしまうだろう、という「食い逃げ」の人生でいいのか、と自問自答してみようではないか。


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森鴎外と原発2018/02/15 14:44

最近読んだ3冊

関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』を読了した。
本書とほぼ同時に、森田健司氏の『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』(洋泉社)と原田伊織氏の『三流の維新 一流の江戸 「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』(ダイヤモンド社)も読んだのだが、この3冊の中でも関氏の『赤松小三郎と~』は力作で読み応えがあった。
その中で、つい先日書いた「森鴎外と脚気」にまつわる記述もあったので、以下、前々回の日記の続編?として紹介してみたい。
本書の中で深く同意したのは以下の部分だ。
 日露戦争後、陸軍における脚気惨害の真相を追及する声が国会であがり、陸軍省も脚気の原因を究明するため「臨時脚気病調査会」を組織せざるを得なくなる。しかし、あろうことか、第三者の立場で脚気被害の原因を究明しなければならないはずの委員会の委員長に就任したのは、問題を引き起こした当事者である森鴎外(当時、陸軍省医務局長)であった。(略)問題を起こした当事者であるところの森鴎外は、真相究明委員会の委員長になって問題をもみ消した。
 これは「利益相反」であり、今日も引き続く構造である。福島第一原発事故後に諸外国から直ちに問題視されたのは、原子力の安全性をチェックするべき原子力安全保安院が、原子力を推進する主体である経済産業省の中にあったという事実であった。推進機構の下部組織に規制機関が存在するのでは、安全審査がなおざりにされるのは当然であった。
 明治維新以来の日本の政治システムにおいては、巨大な人災が発生しても、真相の究明はなされないまま、誰も責任を取らず、同じことが繰り返されていく。(略)このシステムは、やがて無責任態勢をさらに肥大化させて、太平洋戦争にまで突き進み、滅亡に至った。
 (略)その巨大無責任態勢によって、福島第一原発事故に行き着いたと言えるだろう。

『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』 関良基 作品社)


イチエフ爆発の後、2012年(平成24年)9月、野田佳彦内閣の下で、従来の「原子力安全・保安院」に代わるものとして「原子力規制委員会」が環境省の外局として誕生した。
初代委員長に就任した田中俊一氏は、日本原子力研究所副理事長、独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問、社団法人日本原子力学会会長(第28代)、内閣府原子力委員会委員長代理、財団法人高度情報科学技術研究機構会長、内閣官房参与……という経歴を持ち、国の原子力推進政策の中枢を渡り歩いてきた人物だ。
発足時の同委員会の職員は455名で、うち351名が経産省出身者。原子力安全・保安院から横滑りした者も多かった。

2年後、政権は第二次安倍晋三内閣になっていた2014年9月、島崎邦彦・委員長代理と大島賢三委員が退任となり、代わりに田中知(さとる)氏と石渡明氏が委員に任命され、田中知氏は委員長代理に就任した。
田中知氏は、2004年度から2011年度までの8年間に、原子力事業者や関連の団体から760万円超の寄付や報酬を受け取っていたことが就任前から報じられていた
原子力規制委員会発足時、野田政権は「直近3年間に同一の原子力事業者等から、個人として一定額以上の報酬等を受領していた者」は委員に就任できないというガイドラインを定めていて、田中知氏はまさにこれに該当したが、当時の石原伸晃環境相は衆議院環境委員会で、民主党政権時代のガイドラインについては「考慮していない」と答弁。菅義偉官房長官も記者会見で「田中氏は原産協理事としての報酬を受けていなかったので、委員就任の欠格要件には該当しない」と強弁した。

森鴎外「臨時脚気病調査会」委員長就任と同じ構図だ。
その結果がどうなっているかは説明不要だろう。

鴎外の不勉強と開き直り、つまらぬプライドのおかげで陸軍内で数万人の脚気死者が出た時代、この国はその悪しきシステムや慣習を是正できないどころか、ますます増長させ、太平洋戦争へと突入していった。
原発爆発後の日本は、同じ歴史を繰り返そうとしているのではないか。


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「避難賠償」から「移転補償」への転換を2017/03/14 21:08

2014年の避難指示区分けと2017年の区分け

「居住制限」からいきなり「解除」

今年は3.11関連番組がぐっと少なかった気がする。また、中身も薄くなっているように思う。
僕にとっては3.11よりも3.12のほうが重要な日だ。
地震や津波による直接被害はなかったのに、原発が爆発して家を捨てることになった日なのだから。
あのときの日記を読み直しながら、今こうして日光での生活があるのも、すべてはあの日から始まったことなのだなあと思い返す。

2011年の日記を読み返すと、気持ちや状況の変化が正確に分かる。
僕らは原発爆発をテレビで見てすぐに逃げたのに他の村民は残っていた。そして、みんな避難して空っぽになった村に僕らは戻っていき、11月まで生活した。
その間は、人よりも野良猫や残された犬たちとつき合っていた。
結構放射線量が高い村に、なぜわざわざ戻っていったのか……今思えば、ずいぶん無謀だったかもしれないが、同時期、福島市内や郡山市内ではもっと汚染がひどい中、人々はみんな普通に生活していたのだ。
内部被曝の程度も、川内村に戻った僕らよりも郡山市内で暮らしていた人たちのほうがひどかったのではなかろうか。

……さて、政府は今月末に、飯舘村の大部分や富岡町、浪江町の一部「居住制限区域」の指定を外す。
これについて考えてみる。


2017年3月末に白い部分は全部制限なしになる(福島民報記事より)


↑この図を見るとよく分かるが、「居住制限区域」から一足飛びに「制限なし」になる区域がある。
居住制限⇒解除準備⇒解除 ではなく、いきなり居住制限⇒解除 だ。
居住制限を一気に解除する理由は、避難による賠償金を支払わないようにするためだろう。
浪江町の解除区域を見ればよく分かる。解除になる区域は面積ではわずかだが、人口だと83%にものぼる。
(残る「帰還困難区域」の人口は3137人だが、解除区域の人口は1万5327人もいる)
この83%の人たちに支払ってきた一人毎月10万円の「避難による精神的苦痛への賠償金」がなくなれば、国にとっては大きな負担減となる。

飯舘村も同じ。全村民6122人のうち、居住制限区域に住んでいた5097人を一気に片づけてしまおうということだ。避難指示解除準備区域の762人を合わせれば5859人。全村民の96%を補償対象外にできる。

今回の解除区域に住んでいた人たちは合計約3万2000人。10万円×3万2000人は320億円。毎月320億円。年間3840億円。これが消えてくれるだけで、国としてはとても助かるし、同時に「復興が進んでいる」とPRできるのだから一石二鳥だ。

飯舘村では、菅野村長の指揮下、
認定こども園と小中学校を飯舘中敷地内に集約した新学校は30年4月に開校する。村は特色ある授業を導入し、通学者確保を目指す。 (福島民報 2017/03/02
のだそうだ。
数百万個の除染廃棄物のフレコンバッグが積み上げられた村で、どういう「特色ある授業」を導入するというのだろう。子供をフレコンバッグだらけのふるさとに戻せてよかったよかったという親がいるはずもない。

戻っても以前と同じ生活はできない

制限解除はまだいい。自分の家があって、そこに戻る戻らないは個人の決断・意志を尊重すべきだろうから。しかし、「解除」したから戻りなさい、とは絶対にいえないはずだ。
戻らないと決めた人たちの今後をどうサポートしていけるのか、というのがいちばん大きな問題。
どんなに想い出のあるふるさとであっても、先祖代々からの土地であっても、汚されただけでなく、人も含めた環境が変わっている。原発爆発前までそこで暮らしてきたようには暮らせない。
高齢者はまだいい。放射能への恐怖も薄いだろうし、家からあまり遠くまで出歩かなければ、嫌な景色を目にすることもそれほどないかもしれないから。
自分でやれるだけの畑を少し復活させて、以前のような四季折々の風景を見ながら死んでいけるかもしれない。
しかし、働き盛りの世代はそうはいかない。子供がいれば、内部被曝の影響を考えないわけにはいかない。
子供がいなかったとしても、現実には戻って生活を再開することは難しい。同じ土地に戻って同じ家で暮らし始めても、以前とは全然違う生活が待っているからだ。
デリケートな問題なのでどの報道でも触れないが、難しいのは「賠償金なしの生活に戻るための心の切り替え」なのだ。
避難指示が出ていた期間、ずっと出ていた賠償金は大変な金額になっていて、それを拠り所にしてきた生活から以前のように自力で生計を立てる生活に戻っていかなければいけない。
5人家族であれば、精神的賠償金だけで毎月50万円、年間600万円が入ってくる。その状態がずっと続いていけば、生活感覚や人生観、生き様も狂ってくる。どこかでキッパリと決別して「普通の生活」を始めたいと思う人も多いだろう。
そのためにも汚染された土地には戻れない。戻れば仕事がないし、今まで生き甲斐にしてきたのと同じ仕事もできないからだ。
そのことをしっかり理解している人たちは、賠償金を貯めて、新生活への準備を進めてきたと思う。しかし、漫然と使ってしまい、その生活に慣れてしまった人たちもいるだろう。

国は、もっと早い段階で、土地を汚し、そこでの生活を不可能にさせたことへの賠償方法をどうすべきかを真剣に考えるべきだったと思う。除染に使った莫大な金を別の方法で被害者の生活再建サポートに回すべきだったのではないか。

「自主避難」家族への住宅補助も打ち切り

いちばんやりきれない思いをしているのは、賠償金ももらえず、ただただ被害だけを被り、家族離散や生活破綻に直面した人たちだ。
福島県内の避難指示区域以外から県外へ移った「自主避難者」への住宅支援も今月いっぱいで打ち切られる。
それを巡って裁判もあちこちで起こされているが、このことについて、弁護士の井戸謙一氏が重要な指摘をしている。
どの裁判でも大きな争点になっているのが「長期低線量被ばくによる健康被害の有無」である。福島第一原発事故では,被ばくによる確定的影響は生じなかったとされている。しかし,確率的影響については,深刻な対立がある。もし,国や東京電力が主張するように,年100ミリシーベルト以下の被ばくでは確率的影響が生じないのであれば,区域外避難者(避難指示を受けずに自分の判断で避難をした人たち)は,無意味な行動をしたのであって,そのことを理由に,国や東京電力に損害賠償を請求することはできないことになってしまう。
(略)
区域外避難者の損害賠償請求訴訟における争点は,福島原発事故と区域外避難をしたことの間に相当因果関係があるか否かである。長期低線量被ばくのリスクについて確定的な見解は存在しない。他方で,子どもたちの健康を守る営みには迅速な判断が迫られ,科学的見解が確立することを待つ時間はない。そして,子育てはやり直しがきかない。後に判断の誤りに気付いても,取り返しがつかないのである。
そうすると,裁判所が判断するべきことは,「長期低線量被ばくによる健康リスクの有無」ではなく,「長期低線量被ばくによる健康被害の有無や程度について確定的な見解が存在しない状況下において,子どもの健康への悪影響を恐れて区域外避難を選択したことの合理性」であるはずである。
岩波書店「科学」2014年3月号巻頭エッセイ「避難者訴訟の争点」より)

これはその通りだろう。
分からない、はっきりしないなら、少しでも子供の一生にリスクをかけないほうを選ぶのは親として当然のことだ。

「避難賠償」から「移転補償」への転換を

「避難」という言葉は、今は仮の状態であり、「いずれは戻る」という意味合いである。
もはやその発想では生活は取り戻せない人たちが大勢いる。戻らないと決めている人たちには、「避難しているからその分を賠償」ではなく、新たな生活を始めるための「移転補償」という形でサポートすべきだ。そうしないと、いつまで経っても異常な生活が終わらない。
移転補償は避難指示区域の人たちだけでなく、区域外で実際に被害を受けた人たちにも行わなければおかしい。いわき市の北部などは、相当な汚染があったにもかかわらず、市が早々に「避難指示区域から外してくれ」といったために見捨てられた地域になってしまった。
栃木、千葉、茨城、群馬、宮城などにもホットスポット的な汚染地域はあるが、「福島」ではないために、これまた無視されている。

最近「復興」という言葉に嫌悪感を覚えるようになってきた。
被害を受けた地域や人たちに金を回して「元のように」しましょうという意味になっているが、そういう発想がまずダメだ。
復興の名のもとに、被災地に不合理なものを建てたりして東京の企業が儲けているケースが多すぎる。
なぜこんなことになったのか、システムの欠陥や心の歪みの問題をまずは反省し、それを改善する努力をすることから始めなければいつまで経っても事態はいい方向に向かわない。反省どころか開き直って、原発を輸出するだの再稼働だのと言っている政治。それを許す国民の無関心・無責任。
賠償金は我々の税金や電気料金に組み込まれている。つまり、俺たちも金払っているんだからいいじゃん。それ以上何ができるのか……という姿勢で「自分とは関係のない土地の問題」にしてしまう。
そういう形で「元のように」したら、前よりももっとひどい社会になってしまうではないか。
あれだけのことを起こしておいて、なんの反省も改善もなく、以前よりひどい状況を作りだしながらの「復興」なんてありえない。


タヌパックスタジオで生まれた音楽の1つ『アンガジェ』(↑Clickで再生)



『阿武隈梁山泊外伝』デジタル版を出版2016/09/27 01:32

阿武隈梁山泊外伝 


季刊「東北学」で連載が終了した『阿武隈梁山泊外伝』の補完版をデジタル出版しました。
Pubooはこちら

Kindleでももうすぐ出版されます。

「フクシマ」と福島2016/03/20 22:04

2011年5月10日。立ち入り禁止地区への制限付き「一時帰宅」に同行する記者団

「フクシマ」をカタカナでしか知らない人たちへのメッセージ

映画『Threshold: Whispers of Fukushima』の上映会がアメリカ・ミネソタ州の大学で開催されるにあたり、映画の中にも登場する僕に、何かメッセージを書いてほしいという依頼があった。
少し前に日本語で書いたものを渡した。英訳されて使われるはずだが、そのときの元原稿をここにも残しておこうと思う。


 2011年3月に福島県にある4基の原子力発電プラントが壊れて大量の放射性物質をばらまくという事件から5年が経ちました。
 「フクシマ」はヒロシマ、ナガサキと並んで、世界的に有名な地名になりました。今、みなさんは「フクシマ」という地名に対してどんなイメージを持っているでしょうか。
 悲劇の原発事故が起きた場所、放射性物質で汚染され、人が住めなくなった土地……おそらくそうした類のものだと思います。
 それは基本的には間違っていませんが、現実のごくごく一部にすぎません。
 せっかくの機会ですから、もう少しだけ想像を広げてみてください。そのためのヒントをいくつかあげてみます。


1)福島は広い
 チェルノブイリのときもそうでしたが、壊れた原子炉から流れ出した放射性物質によって汚染された地域というのは、現場からの距離よりも、そのときの天候(風向き、雨や雪が降ったかどうか)によって決定づけられました。チェルノブイリのときに、遠く離れた北欧やドイツ南部などがかなり汚染されたように、「フクシマ」でも、汚染された場所は広範囲に点在しています。
 福島県は日本の本州で2番目に広い県です。福島県内でも会津と呼ばれる西側のエリアはほとんど汚染されませんでしたし、一方では福島県以外のエリアでも深刻な汚染を受けた場所がいろいろあります。それらの地域の人たちは「福島県外」であるということで、十分な補償を受けることもできないという理不尽な状況も生まれました。
 福島県内、とくに都市部では、多額の賠償金をもらった一部の避難者と、十分な賠償を受けていない県民との間で深刻な軋轢が生まれています。
 汚染状況や賠償の格差などはとても複雑な問題であり、簡単に「フクシマ」という一言でくくれないということをまず理解してください。
 

2)とにかくこれからも生きていかなければならない
 福島にはもう住めない、それなのに子供と一緒に住んでいる親は無責任だとか、危険なのに安全だと言って無理矢理住民を帰そうとしているといった批判が渦巻いています。これも、一部は正しいのですが、福島県内で今も暮らしている多くの人たちは、迷惑この上ないと感じています。
 放射性物質がばらまかれたのですから、それ以前よりも危険が増したことは間違いありません。しかし、人が生きていく上で、危険や困難はたくさんあります。うっすら汚染された場所で生活を続けていく危険より、家族がバラバラになったり、収入が途絶えたり、生き甲斐をなくしたりすることによる危険、あるいは不幸になる度合や加速度のほうがはるかに大きいと判断することは間違いではありません。人はそれぞれの状況において、複雑な要素を比較した上で、取り得る最良の選択をしていくしかないのです。事情も条件もさまざまですから、一概に「それは間違っている」「正気じゃない」などと非難することはできません。
 そう非難する人たちの中には、あのとき風向き次第では東京が壊滅していたかもしれないということを想像できず、無意識のうちに、自分たちは安全地帯にいるインテリ層だと勘違いをしている人も少なくありません。
 自分たちがそうなっていたときにどんな選択肢が残されているか、まずはそこから考えてみるべきでしょう。

 私は原発が爆発するシーンを見てすぐに逃げましたが、1か月後には自宅周辺の汚染状況を把握できたので、敢えて全村避難している村に戻って生活を再開しました。その後、やはり村を出て移住したのは、放射能汚染が理由ではなく、村の人々の心や生活環境がそれまでとは変わって(変えられて)しまい、私がこれ以上村に残っていても、地域のためにも自分のためにも、もう意味のあることができないだろうと判断したからです。その決断をするに至った背景はあまりにも複雑で、とても簡単には説明できません。
 

3)「フクシマ」は人間社会の構造的、精神的問題
 壊れた原発内で放射線測定をする仕事を続けている20代の青年と話をする機会がありました。彼は使命感でその仕事をしているわけではなく、嫌だけれど他に仕事がないから辞められないだけだと言っていました。
 いちばんの望みは、被曝線量が限度になると他の原発でも働けなくなるので、そうなる前に他の原発に異動できることだそうです。
 いちばんショックだったのは「この村に生まれた以上、原発で働くしかない。そうした運命は変えようがない。仕方がない」という言葉でした。
 まだ20代の若さでありながら、転職する気力もなければ、ましてや起業して自立するなどというのは「無理に決まっている」というのです。
 おそらく、子供の頃は彼にも将来の夢があったでしょう。それがなぜそうなってしまったのか。大人になるにつれ「仕方がない」「これが運命だ」と諦めて、自分からは何もしなくなってしまう。人をそうさせてしまう風土や社会の空気、仕組み(システム)こそが、「フクシマ」が抱える最大の問題です。

 「フクシマ」後初めての福島県知事選挙では、県民の半数以上が投票に行きませんでした。圧倒的多数で当選した県知事は、原発を誘致・推進してきた前知事の政策を継承すると言った元官僚で、与党ばかりか野党もみんな相乗りして支持していました。
 地方が過疎化して、老人ばかりになる。残った人や自治体が苦し紛れに豊かな自然環境を金に換えてしまうために、森が消え、水や空気が汚染される。不合理なことに税金が使われ、その金に人びとが群がり、さらに問題が悪化する。……そうしたことは日本中、世界中で起きていることです。福島でも同じです。原発が壊れる前からありました。その背景にある問題は「フクシマ」を引き起こした問題と同じです。
 そのことを深く考えないまま、核問題やエネルギー問題、経済問題を論じようとしても、正しい答えは得られないと思います。

 「フクシマ」は決して「特別な問題」「特別な場所」ではありません。「不幸な事故」という認識も間違いです。政治や経済といった社会システムの欠陥、人の心の弱点が生み出したひとつの結果です。
 この地球に生まれ、死んでいく私たちすべてが内にも外にも抱えている共通問題なのだ、ということを、私は「フクシマ」の現場にいたひとりとして、はっきりと証言いたします。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

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製本形態

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「フクシマ」を3.11に埋没させないために2016/03/11 19:37

中継をやめさせようとする関電職員と素直に応じる代表取材局のNHK

最大の危険要因は「人間」

関西電力広報担当職員 「いったんこれで今日終わりにします。今日ね、もう、並列(送電開始)なし。は~い。(横の誰かに向かって)タービンうまく並列できへんかった? (記者に向き直って)ちゃんとまた説明しますんで」
代表取材の記者(NHK?) 「はい。分かりました~ぁ」
広報担当 「いったんちょっと終わって、帰りましょうか」
取材記者 「はい」

2016年2月29日。
関西電力は、高浜原子力発電所4号機が送電を開始する瞬間をテレビでPRするために、中央制御室にテレビ代表取材のカメラを入れていた。
そのカメラの前で、職員が送電開始のスイッチを入れた途端にけたたましく警報音が鳴り響き、原子炉が緊急自動停止した。
↑上のやりとりは、同日夜の「報道ステーション」(テレビ朝日)で流れた映像の一部をそっくりそのまま文字起こししたものだ。
元北海道新聞社編集委員の上出義樹氏が関電に電話で確認したところ、代表取材で入っていたテレビ局はNHKだという。ということは、この間延びしたような返事をしているのはNHKの記者なのだろう。

このときの様子は近くの会場に集まっていた報道関係者たちに中継されていたが、そこにいた中日新聞の記者は以下のような記事を書いている
 「投入」。29日午後2時1分26秒、高浜原発4号機近くの関西電力原子力研修センター(福井県高浜町)で、報道関係者向けに中央制御室を映した中継映像から声が聞こえた。発送電を行うため、スイッチをひねって電気を流した合図。その直後から「ファー」という音が断続的に鳴り続けた。
 センターで報道陣に作業内容の説明をしていた関電社員は当初、「異常がなくても鳴る警報もあります」と説明。画面の向こうの作業員らも慌てている様子はなかった。
 しかし警報音は鳴りやまない。異変を感じたのは数分後。映像を前に、関電社員二人が耳打ちしながら指をさし始めた。その先には、上部の警報盤に赤く点滅するボタンがあった。
 「トリップ(緊急停止)したようです」「制御棒が落ちて、原子炉が停止しました」と社員は動揺した様子で話した。トラブルの発生に、センター内の空気が一気に張り詰めた。間もなく関電は中継映像を遮断。詳しい説明を求める報道陣に対し、社員は「確認する」と、慌ただしくその場を離れた。
 (2016年3月1日 中日新聞 米田怜央


関西電力社員が「異常がなくても鳴る」と咄嗟にでまかせ説明をしたという部分で、すぐに思い浮かべたのは、2011年3月12日、福島第一原発1号機が爆発したときに、日本テレビのスタジオにいた東京工業大学原子炉工学研究所・有冨正憲教授とアナウンサーとのやりとりだ。
そのときの録画映像を見ながら、一字一句正確に文字起こししてみた↓
有冨教授 「緊急を要したんだろうと思いますが、爆破弁というものを使って、あたかも先ほどの絵じゃありませんが、全体にこう、なんといいますか、あの~、ちょっと、出るような形で……蒸気が、充満するような形で、出てきました」
アナウンサー 「あれは蒸気ですか?」
有冨 「蒸気だと思います。ちょうど爆破されたような形で、あの~、蒸気が……蒸気だと思いますが、出てきましたねえ」
アナ 「これ、あの、我々が見ると本当に心配するんですが、その爆破弁というものを使って蒸気を『出した』……という……」
有冨 「はい」
アナ 「意図的なものだと考えて……」
有冨 「はい。意図的なものだと思います」

このブラックコメディのようなシーンを覚えているだろうか?
よく分かってもいないことに対して平然と無茶苦茶な説明をする「専門家」たち。
そして、それを検証できず、ツッコミもせずにそのまま流してしまう、あるいは隠してしまうマスメディア。
同じことを5年経った今もやっている。何の反省もなく、当時よりも倫理観や責任感がゆるゆるに欠如した状態で。
「原発爆発の日」である3.12が5年目を迎えたのを機に、私たちはこれをしっかり思い起こし、反省しなければいけない。

巨大地震だの津波がまたやってくる可能性がどうのとかいっている前に、最大の危険要因は人間の愚かさだということを認識するべきだ。
チェルノブイリは天災が引き金ではなく、作業員のアホなミスやそれを起こさせた緩すぎる運営体制が原因だった。
今の日本を見ていると、チェルノブイリを起こした作業員たちより現場やトップが優れているだなんて、到底信じられない。
巨大地震や津波が襲ってこなくても、テロ攻撃されなくても、原発を動かしている、動かせている、それを許している、待ち望んでいる人たちがアホなのだから、「アホ」が原因の過酷事故は必ずまた起きる。
いや、アホが原因の事故というよりは、現代社会における原子力そのものが、アホと狂気のハイブリッドシステムというべきだ。

フェイスブックでこんなことを書いている人がいた。
普通のマンションでも40年で建て替えするのに、こんな50年前の時代遅れシステムを世界一安全という感覚自体が狂っている。政府や電力会社だけでなく、再稼働容認した自治体、住民は、万一の事故時には、被害補償放棄のみならず、他地区住民への賠償責任を負う、と法制化すべきだろう。

そう、まさにこの認識こそが重要なのだ。

「フクシマ」はいわば「裏切られた」「騙された」経験だから、原発立地の住民にも賠償するのは当然だと思うが、「フクシマ」を経験した今はもう違う。
「絶対安全」は嘘だった、ひどい運営状態だったことが分かっている。
今なお、「送電開始!」──警報音ファオンファオン……というお粗末を続けているこの国で、それでも原発政策を進めてほしいという人たちは、将来は自らが賠償責任を負う覚悟でそういいなさいね。

……と、これを書いている今は2016年3月11日。
テレビは「あれから5年」的な番組で一日中埋まるのかと思ったら、全然そうでもなくて、相変わらずご当地グルメだの野球賭博だのといった話題に時間を割いていたりする。まさに「5年間の劣化」だ。

せめて、「フクシマ」を地震や津波の被害と一緒くたに語るのはもうやめよう。
1F(いちえふ)が壊れたのは津波のせい「だけ」ではない。地震の揺れでパイプがあちこち寸断され、水が漏れたし、なによりも必要最低限の対策すら怠っていたための電源喪失だった。地震や津波は天災だが、「フクシマ」は完全な人災。 3.11というくくりで地震・津波被災と「フクシマ」問題を一緒くたに扱うことで、「フクシマ」問題の本質がどんどんごまかされてしまう。
よって、「フクシマ」がなぜ起きたのかを反省する日は3.12「原発爆発デー」とでもして、別問題として思いを新たにしたらどうだろう。

で、狂気の政策を続ける政治を容認している国民ひとりひとりも、程度の差こそあれ、このシステムを作り上げてしまった共犯者なのだという自覚を持つ。
まあ、実際には、我々はすでに「フクシマ」の後始末で、少なくとも十数兆円の「賠償」をしている。税金と電気料金という形で。
この「賠償」はこれからもずっと続けなければならない。
そのこともしっかり認識する日が、3.12。
……3.11とは違った恐怖と悲しみに包まれる……。

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