『阿武隈裏日記』を改題しました。
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『阿武隈梁山泊外伝』デジタル版を出版2016/09/27 01:32

阿武隈梁山泊外伝 


季刊「東北学」で連載が終了した『阿武隈梁山泊外伝』の補完版をデジタル出版しました。
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Kindleでももうすぐ出版されます。

「フクシマ」と福島2016/03/20 22:04

2011年5月10日。立ち入り禁止地区への制限付き「一時帰宅」に同行する記者団

「フクシマ」をカタカナでしか知らない人たちへのメッセージ

映画『Threshold: Whispers of Fukushima』の上映会がアメリカ・ミネソタ州の大学で開催されるにあたり、映画の中にも登場する僕に、何かメッセージを書いてほしいという依頼があった。
少し前に日本語で書いたものを渡した。英訳されて使われるはずだが、そのときの元原稿をここにも残しておこうと思う。


 2011年3月に福島県にある4基の原子力発電プラントが壊れて大量の放射性物質をばらまくという事件から5年が経ちました。
 「フクシマ」はヒロシマ、ナガサキと並んで、世界的に有名な地名になりました。今、みなさんは「フクシマ」という地名に対してどんなイメージを持っているでしょうか。
 悲劇の原発事故が起きた場所、放射性物質で汚染され、人が住めなくなった土地……おそらくそうした類のものだと思います。
 それは基本的には間違っていませんが、現実のごくごく一部にすぎません。
 せっかくの機会ですから、もう少しだけ想像を広げてみてください。そのためのヒントをいくつかあげてみます。


1)福島は広い
 チェルノブイリのときもそうでしたが、壊れた原子炉から流れ出した放射性物質によって汚染された地域というのは、現場からの距離よりも、そのときの天候(風向き、雨や雪が降ったかどうか)によって決定づけられました。チェルノブイリのときに、遠く離れた北欧やドイツ南部などがかなり汚染されたように、「フクシマ」でも、汚染された場所は広範囲に点在しています。
 福島県は日本の本州で2番目に広い県です。福島県内でも会津と呼ばれる西側のエリアはほとんど汚染されませんでしたし、一方では福島県以外のエリアでも深刻な汚染を受けた場所がいろいろあります。それらの地域の人たちは「福島県外」であるということで、十分な補償を受けることもできないという理不尽な状況も生まれました。
 福島県内、とくに都市部では、多額の賠償金をもらった一部の避難者と、十分な賠償を受けていない県民との間で深刻な軋轢が生まれています。
 汚染状況や賠償の格差などはとても複雑な問題であり、簡単に「フクシマ」という一言でくくれないということをまず理解してください。
 

2)とにかくこれからも生きていかなければならない
 福島にはもう住めない、それなのに子供と一緒に住んでいる親は無責任だとか、危険なのに安全だと言って無理矢理住民を帰そうとしているといった批判が渦巻いています。これも、一部は正しいのですが、福島県内で今も暮らしている多くの人たちは、迷惑この上ないと感じています。
 放射性物質がばらまかれたのですから、それ以前よりも危険が増したことは間違いありません。しかし、人が生きていく上で、危険や困難はたくさんあります。うっすら汚染された場所で生活を続けていく危険より、家族がバラバラになったり、収入が途絶えたり、生き甲斐をなくしたりすることによる危険、あるいは不幸になる度合や加速度のほうがはるかに大きいと判断することは間違いではありません。人はそれぞれの状況において、複雑な要素を比較した上で、取り得る最良の選択をしていくしかないのです。事情も条件もさまざまですから、一概に「それは間違っている」「正気じゃない」などと非難することはできません。
 そう非難する人たちの中には、あのとき風向き次第では東京が壊滅していたかもしれないということを想像できず、無意識のうちに、自分たちは安全地帯にいるインテリ層だと勘違いをしている人も少なくありません。
 自分たちがそうなっていたときにどんな選択肢が残されているか、まずはそこから考えてみるべきでしょう。

 私は原発が爆発するシーンを見てすぐに逃げましたが、1か月後には自宅周辺の汚染状況を把握できたので、敢えて全村避難している村に戻って生活を再開しました。その後、やはり村を出て移住したのは、放射能汚染が理由ではなく、村の人々の心や生活環境がそれまでとは変わって(変えられて)しまい、私がこれ以上村に残っていても、地域のためにも自分のためにも、もう意味のあることができないだろうと判断したからです。その決断をするに至った背景はあまりにも複雑で、とても簡単には説明できません。
 

3)「フクシマ」は人間社会の構造的、精神的問題
 壊れた原発内で放射線測定をする仕事を続けている20代の青年と話をする機会がありました。彼は使命感でその仕事をしているわけではなく、嫌だけれど他に仕事がないから辞められないだけだと言っていました。
 いちばんの望みは、被曝線量が限度になると他の原発でも働けなくなるので、そうなる前に他の原発に異動できることだそうです。
 いちばんショックだったのは「この村に生まれた以上、原発で働くしかない。そうした運命は変えようがない。仕方がない」という言葉でした。
 まだ20代の若さでありながら、転職する気力もなければ、ましてや起業して自立するなどというのは「無理に決まっている」というのです。
 おそらく、子供の頃は彼にも将来の夢があったでしょう。それがなぜそうなってしまったのか。大人になるにつれ「仕方がない」「これが運命だ」と諦めて、自分からは何もしなくなってしまう。人をそうさせてしまう風土や社会の空気、仕組み(システム)こそが、「フクシマ」が抱える最大の問題です。

 「フクシマ」後初めての福島県知事選挙では、県民の半数以上が投票に行きませんでした。圧倒的多数で当選した県知事は、原発を誘致・推進してきた前知事の政策を継承すると言った元官僚で、与党ばかりか野党もみんな相乗りして支持していました。
 地方が過疎化して、老人ばかりになる。残った人や自治体が苦し紛れに豊かな自然環境を金に換えてしまうために、森が消え、水や空気が汚染される。不合理なことに税金が使われ、その金に人びとが群がり、さらに問題が悪化する。……そうしたことは日本中、世界中で起きていることです。福島でも同じです。原発が壊れる前からありました。その背景にある問題は「フクシマ」を引き起こした問題と同じです。
 そのことを深く考えないまま、核問題やエネルギー問題、経済問題を論じようとしても、正しい答えは得られないと思います。

 「フクシマ」は決して「特別な問題」「特別な場所」ではありません。「不幸な事故」という認識も間違いです。政治や経済といった社会システムの欠陥、人の心の弱点が生み出したひとつの結果です。
 この地球に生まれ、死んでいく私たちすべてが内にも外にも抱えている共通問題なのだ、ということを、私は「フクシマ」の現場にいたひとりとして、はっきりと証言いたします。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

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「フクシマ」を3.11に埋没させないために2016/03/11 19:37

中継をやめさせようとする関電職員と素直に応じる代表取材局のNHK

最大の危険要因は「人間」

関西電力広報担当職員 「いったんこれで今日終わりにします。今日ね、もう、並列(送電開始)なし。は~い。(横の誰かに向かって)タービンうまく並列できへんかった? (記者に向き直って)ちゃんとまた説明しますんで」
代表取材の記者(NHK?) 「はい。分かりました~ぁ」
広報担当 「いったんちょっと終わって、帰りましょうか」
取材記者 「はい」

2016年2月29日。
関西電力は、高浜原子力発電所4号機が送電を開始する瞬間をテレビでPRするために、中央制御室にテレビ代表取材のカメラを入れていた。
そのカメラの前で、職員が送電開始のスイッチを入れた途端にけたたましく警報音が鳴り響き、原子炉が緊急自動停止した。
↑上のやりとりは、同日夜の「報道ステーション」(テレビ朝日)で流れた映像の一部をそっくりそのまま文字起こししたものだ。
元北海道新聞社編集委員の上出義樹氏が関電に電話で確認したところ、代表取材で入っていたテレビ局はNHKだという。ということは、この間延びしたような返事をしているのはNHKの記者なのだろう。

このときの様子は近くの会場に集まっていた報道関係者たちに中継されていたが、そこにいた中日新聞の記者は以下のような記事を書いている
 「投入」。29日午後2時1分26秒、高浜原発4号機近くの関西電力原子力研修センター(福井県高浜町)で、報道関係者向けに中央制御室を映した中継映像から声が聞こえた。発送電を行うため、スイッチをひねって電気を流した合図。その直後から「ファー」という音が断続的に鳴り続けた。
 センターで報道陣に作業内容の説明をしていた関電社員は当初、「異常がなくても鳴る警報もあります」と説明。画面の向こうの作業員らも慌てている様子はなかった。
 しかし警報音は鳴りやまない。異変を感じたのは数分後。映像を前に、関電社員二人が耳打ちしながら指をさし始めた。その先には、上部の警報盤に赤く点滅するボタンがあった。
 「トリップ(緊急停止)したようです」「制御棒が落ちて、原子炉が停止しました」と社員は動揺した様子で話した。トラブルの発生に、センター内の空気が一気に張り詰めた。間もなく関電は中継映像を遮断。詳しい説明を求める報道陣に対し、社員は「確認する」と、慌ただしくその場を離れた。
 (2016年3月1日 中日新聞 米田怜央


関西電力社員が「異常がなくても鳴る」と咄嗟にでまかせ説明をしたという部分で、すぐに思い浮かべたのは、2011年3月12日、福島第一原発1号機が爆発したときに、日本テレビのスタジオにいた東京工業大学原子炉工学研究所・有冨正憲教授とアナウンサーとのやりとりだ。
そのときの録画映像を見ながら、一字一句正確に文字起こししてみた↓
有冨教授 「緊急を要したんだろうと思いますが、爆破弁というものを使って、あたかも先ほどの絵じゃありませんが、全体にこう、なんといいますか、あの~、ちょっと、出るような形で……蒸気が、充満するような形で、出てきました」
アナウンサー 「あれは蒸気ですか?」
有冨 「蒸気だと思います。ちょうど爆破されたような形で、あの~、蒸気が……蒸気だと思いますが、出てきましたねえ」
アナ 「これ、あの、我々が見ると本当に心配するんですが、その爆破弁というものを使って蒸気を『出した』……という……」
有冨 「はい」
アナ 「意図的なものだと考えて……」
有冨 「はい。意図的なものだと思います」

このブラックコメディのようなシーンを覚えているだろうか?
よく分かってもいないことに対して平然と無茶苦茶な説明をする「専門家」たち。
そして、それを検証できず、ツッコミもせずにそのまま流してしまう、あるいは隠してしまうマスメディア。
同じことを5年経った今もやっている。何の反省もなく、当時よりも倫理観や責任感がゆるゆるに欠如した状態で。
「原発爆発の日」である3.12が5年目を迎えたのを機に、私たちはこれをしっかり思い起こし、反省しなければいけない。

巨大地震だの津波がまたやってくる可能性がどうのとかいっている前に、最大の危険要因は人間の愚かさだということを認識するべきだ。
チェルノブイリは天災が引き金ではなく、作業員のアホなミスやそれを起こさせた緩すぎる運営体制が原因だった。
今の日本を見ていると、チェルノブイリを起こした作業員たちより現場やトップが優れているだなんて、到底信じられない。
巨大地震や津波が襲ってこなくても、テロ攻撃されなくても、原発を動かしている、動かせている、それを許している、待ち望んでいる人たちがアホなのだから、「アホ」が原因の過酷事故は必ずまた起きる。
いや、アホが原因の事故というよりは、現代社会における原子力そのものが、アホと狂気のハイブリッドシステムというべきだ。

フェイスブックでこんなことを書いている人がいた。
普通のマンションでも40年で建て替えするのに、こんな50年前の時代遅れシステムを世界一安全という感覚自体が狂っている。政府や電力会社だけでなく、再稼働容認した自治体、住民は、万一の事故時には、被害補償放棄のみならず、他地区住民への賠償責任を負う、と法制化すべきだろう。

そう、まさにこの認識こそが重要なのだ。

「フクシマ」はいわば「裏切られた」「騙された」経験だから、原発立地の住民にも賠償するのは当然だと思うが、「フクシマ」を経験した今はもう違う。
「絶対安全」は嘘だった、ひどい運営状態だったことが分かっている。
今なお、「送電開始!」──警報音ファオンファオン……というお粗末を続けているこの国で、それでも原発政策を進めてほしいという人たちは、将来は自らが賠償責任を負う覚悟でそういいなさいね。

……と、これを書いている今は2016年3月11日。
テレビは「あれから5年」的な番組で一日中埋まるのかと思ったら、全然そうでもなくて、相変わらずご当地グルメだの野球賭博だのといった話題に時間を割いていたりする。まさに「5年間の劣化」だ。

せめて、「フクシマ」を地震や津波の被害と一緒くたに語るのはもうやめよう。
1F(いちえふ)が壊れたのは津波のせい「だけ」ではない。地震の揺れでパイプがあちこち寸断され、水が漏れたし、なによりも必要最低限の対策すら怠っていたための電源喪失だった。地震や津波は天災だが、「フクシマ」は完全な人災。 3.11というくくりで地震・津波被災と「フクシマ」問題を一緒くたに扱うことで、「フクシマ」問題の本質がどんどんごまかされてしまう。
よって、「フクシマ」がなぜ起きたのかを反省する日は3.12「原発爆発デー」とでもして、別問題として思いを新たにしたらどうだろう。

で、狂気の政策を続ける政治を容認している国民ひとりひとりも、程度の差こそあれ、このシステムを作り上げてしまった共犯者なのだという自覚を持つ。
まあ、実際には、我々はすでに「フクシマ」の後始末で、少なくとも十数兆円の「賠償」をしている。税金と電気料金という形で。
この「賠償」はこれからもずっと続けなければならない。
そのこともしっかり認識する日が、3.12。
……3.11とは違った恐怖と悲しみに包まれる……。

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「いるだけ支援」のアニメを見て考えた2016/02/17 22:54

アニメ「いるだけなんだけど」より

「道を造りましたから通ってください」ではなく……


福島県が、『みらいへの手紙~この道の途中から~』というアニメーション動画を作って公開した。

一応全部見てみた。
8つ目の「いるだけなんだけど」がいちばん印象に残った。
(↑脚本・浅尾芳宣、演出・CGアニメ・佐藤貴雄)

このアニメーション制作にしても税金で作っているわけだが、いろんなプロジェクトが「支援」ていうことにしておかないと認められないようなところがある。
ちょっと調べてみると、この「いるだけ支援」というのは福島大学災害支援ボランティアセンターが企画したものらしい。

アニメでは、本当に「いるだけ」みたいな感じで、なんかいいなあ、と思ったのだが、実際にはどうなっているのか分からない。
まずは自分の名前を覚えてもらえるように大きく書かれた名前カードを首にかけて挨拶まわりを実施。後は普段通りに生活を送っていきます。
ここから大学に通い、アルバイトにも出かけていきます。
時間が空けば、庭先で日向ぼっこしながらおじいちゃんおばあちゃんと世間話にはなをさかせ、草が抜けないと聞けば代わりに草むしりに精を出す。頼まれたら快く引き受けます。
その姿は孫に近いものに見えました。
Spotlight の記事より)

……なんていうリポートを読むと、なんだ、「いるだけ」じゃないじゃないの。相当大変なんじゃないの? と思ったりもする。

アニメから感じたことは、必要なのは「支援」じゃなくて「開放」だということ。
とりあえず「開放」して、後は放っておくだけでもいいんじゃないか、と。

仮設住宅に空き家がいっぱいあるから、とりあえず学生に「ここに入ってきてもいいよ」と「開放」する。
お金のない学生が、アパートより家賃が安いならいいかな……というノリでやって来る。
ノルマはなんにもない。
無理にイベントやったり、笑顔を作って話しかけたりする必要はない。普通に生活をするだけでいい。
積極的には何もしなくても、コミュニティに変化が生まれる(かもしれない)。
アニメの中で描かれているのはそんな情景だった。
そういうやつならいいんじゃないかなあ、と思ったのだが、実際にはお上からの許可を得るために、いろいろな名目やらなにやらを上奏しなければいけないのだろう。(結構大変だったと思う)

しかし、この「いるだけ」というフレーズは、とかく勘違いや余計なお節介ばかりになる公的「支援」策に一石を投じる可能性を秘めている気がする。

要するに、目的は村だの町だのじゃなくて、個人なのだ。
いろんな状況、立場、考え方の個人が、相対的に見て、より幸せになっていくようなシステム再構築。
映画『Threshold:Whispers of Fukushima』の中でマサイさんが言っていた言葉。

「ここに道を造りましたから通ってください、じゃなくて、一人二人とそこを通って行く人がいて、気づいたら自然に道ができていた──そういうのが好き」

……これ、すごく大切なことなんだよね。


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こうした形でも放射性物質は再拡散されている2015/09/29 16:18

日光街道沿い、住宅地にも隣接しているバーク堆肥工場

放射能汚染堆肥問題とは?

農林水産省のWEBサイトに「肥料・土壌改良資材・培土の暫定許容値設定に関するQ&A」というページがある。

東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴って、放射性物質が原子炉から大気中に放出されたため、家畜排せつ物、稲わら、落ち葉、樹皮等が放射性セシウムに汚染され、これらを原料として生産された堆肥が高濃度の放射性セシウムを含有する可能性があります。

普通肥料の中にも堆肥原料を混入したものがあり、肥料としてではなく土壌改良資材として農地土壌に施用されるものもあります。それらの中にも高濃度の放射性セシウムを含有する可能性のあるものがあります

もし、高濃度の放射性セシウムを含む堆肥等を農地土壌に施用すると、土壌中の放射性セシウム濃度が増加し、そこで生産される農作物の放射性セシウム濃度が食品衛生法の基準値を超える可能性が増えます。

また、個々の農家ごとに放射性セシウム濃度が大きく異なる堆肥等を施用すれば、同一地域内に放射性セシウム濃度の大きく異なるほ場が存在することになり、地域を単位として実施している野菜等の出荷制限や作付け制限の前提が崩れかねません。

そこで、農地土壌の汚染の拡大を防ぎ、食品衛生法上問題のない農産物を生産するため、肥料・土壌改良資材・培土に基準をつくりました。

……という説明がある。

2011年7月、秋田県内のホームセンター コメリで販売されていた栃木県産の腐葉土から11000ベクレル/kgという高濃度の放射性セシウムが検出されるという事態が起きた。きっかけは一般消費者が、持っていた線量計を製品に近づけたところかなりの線量を示したので「これはおかしい」と県に通報したことだった。
報じたメディアは少なかったが、こうしたことは日本全国で起きていたと思われる。

福島やその周辺では除染バブル現象が起きていて、本来なら伐らないはずの森林が伐採され、大量の植物・木質原料が堆肥用に回されている。
そこで国は、「国内で生産・流通・施用される全ての肥料・土壌改良資材・培土」について、放射性セシウム400ベクレル/kg以下という暫定基準値を作り、それを超えるものは出荷してはいけないということを決めた。
上の農水省のWEBサイトでもその経緯などを説明しているわけだが、引っかかるのは、腐葉土や堆肥などの製品に含まれる放射性物質の濃度をチェックして「農地が 汚染されないようにしましょう」と言っているだけという点だ。
「農地が汚染されると、そこで生産される農作物の放射性セシウム濃度が食品衛生法の基準値を超えるかもしれない」と。
400ベクレル/kgという暫定基準値は、その程度のセシウム含有量であれば、「たとえ同濃度の肥料等を40年程度施用し続けても、過去の農地土壌中の放射性セシウム濃度の範囲内である100ベクレル/kg(事故前の最大値140ベクレル/kgを切り下げた値)を超えることがないから」だと説明しているわけだ。
これがまさに「お役所仕事」だなあと思う。

放射性物質は「吸い込む」ことがいちばん危険だという認識


本当に怖いのはそんなことではない。

農産物へのセシウムの移行については、僕個人は、今はあまり心配していない。
食物に微量の放射性物質が含まれていても、多くはそのまま体外に出ていくし、それによる内部被曝があったとしても微々たるもので、気にしてもしょうがない。余計な不安を抱いてストレスを増やすほうがはるかに健康に悪いと思っている。
普通に店で売られているものは、普通に食べている。多少はセシウムが含まれているかもしれないが、気にしないように決めた。
もちろんこの考え方(気にしないようにする)を押しつけるつもりはないし、食の安全を守るため徹底的に食べ物をチェックすること自体は今後もずっと続けなければならない。一個人として、自分の健康を守るためにはこれ以上ストレスを増やしたくない、ということにすぎない。

一方、何度も書いてきたことだが、微量であっても、ホットパーティクルを鼻や口から吸い込んで、それが肺に付着するなどした場合の内部被曝は、長期間、ピンポイントで被曝する可能性があり、線量の数値では計れない怖さがある。しかもそれは食品のように検査することができない。それが原因で肺癌やら心筋梗塞やらを起こしたとしても、因果関係の証明などまったく不可能だし、ほとんどの人はそんなこと想像もしないまま死んでいくことになるだろう。

上の写真は街の中、住宅街や農地に隣接した土地に堆く野積みされたバーク堆肥の山だが、屋根があるわけでも壁があるわけでもなく、風が吹けば堆肥は粉塵となって空中を浮遊する。

業者は原料も製品も250ベクレル/kg以下であることをチェックしていると言っているが、袋詰めされた製品のベクレル値が暫定基準値以下であっても、大量の堆肥が生活環境のど真ん中にこうした状態で積まれており、野天の場所に毎日ダンプトラックで運び込まれ、パワーショベルやベルトコンベアでかき回されているという「この状態」が恐ろしい。

仮にこの山積みされた堆肥が平均100ベクレル/kgのセシウム含有量だとしよう。規制基準は400ベクレル/kgだから、100ベクレルなら法的にはなんら規制を受けることなく「まったく安全な製品です」と言える。実際、そうだろう。
しかし、このバーク堆肥の山はどれだけの量があるのだろうか? 100ベクレル/kgだとして、1トンなら全部で10万ベクレルだ。10トンなら100万ベクレルという総量になる。それだけのものが一か所に山積みされ、なんの覆いも囲いもないところで、毎日パワーショベルやベルトコンベアでもうもうと粉塵を巻き上げながら作業されている。

我が家の周辺にはこうした業者の作業場が複数あるので、外から見られる範囲で見て回ったが、どこも同じで、屋根すらつけていない。完全に野地に山積み状態で作業している。
それほど利益率の高い事業ではなさそうだから、ドーム球場のような巨大な屋根付きの施設で作業をしろというのは現実には不可能だろう。それが分かっているから、国も行政もこうした問題は表面化させたくない。しかし、せめて周囲に人家や公共施設がまったくないような場所でやるべきではないのか。

堆肥工場による環境破壊は、悪臭、排水による河川の汚染、操業の騒音、出入りする大型トラックによる交通事故の危険性などが代表的なもので、実際、そうした被害にあっている住民からは苦情が絶えない。行政が立ち入り検査に入り、指導したりもしている。
しかし、目に見えない、臭わない、五感で感じられない放射性物質の空中浮遊(再拡散)という危険性については、調査も困難だし、住民も想像できないので気づかない。

先日の大雨で、大量の放射性ゴミのフレコンバッグなどが流出したことはニュースにもなった。そうなることは分かりきっていたのに、何を今さらと思う。
で、それもとんでもない話だが、雨で流れ出して川を下り、最後は海にまで運ばれていく放射性物質より、空中に漂うホットパーティクルを増やす行為のほうが恐ろしいのではないかと感じる。破れたフレコンバッグのように分かりやすくないから、見逃されがちだが……。

最近、我が家の線量計はときどき警告音を発する。一瞬だが、線量が上がって警告閾値を超えるのだ。すぐにまた下がるので、浮遊している放射性物質をたまたま捕捉して一時的に線量が上がったのだろうと解釈しているのだが、なぜそうなるのか、ずっと不思議だった。
2011年、2012年あたりより平均値は下がっているのに、瞬間的に上がる現象は今のほうが多いのだ。
福島からはるばる飛んでくるのだろうか? ありえなくはないが、イメージしにくい。そうであればなぜ今のほうが多いのか……と疑問に思っていたが、今では別の要因を疑っている。
堆肥工場の周辺を線量計を持って歩き回った結果、明らかに他の場所とは違う数値、挙動を示すことを確認したからだ(まさか、と思って、複数回、日を変えてやってみたが、同じ結果だった)。

もちろんこれは一つの論考に過ぎず、なんら証明ができない。地域においても極めてデリケートな問題なので、今までは書くことを封印し、自分の心の中に留めていた。

正直なところ、僕らはもうこうした問題にはほとほと疲れ果てている。触らずに忘れていたい。
生活環境は広く汚染されてしまったし、今もさまざまな形で破壊され続けている。
60代になった今、自分だけのことであれば、ローカルな問題に関与することで疲れるほうが、内部被曝の危険性よりずっと嫌なのだ。
かなりひどいことでもぐっと呑み込んでやり過ごそうとする。そうしていかないととても神経が持たない。

しかし、小さな子供や孫がいる人たちなどにとっては、見て見ぬ振りをしていい問題ではないはずだ。子供を守れるのは親だけなのだから。

また、これは本来ローカルな問題ではまったくなく、国がしっかり取り組むべき問題なので、やはり、一つの問題提起として書いておく。

堆肥製品に含まれるベクレル値ではなく、原材料の流通経路や製造過程の環境が問題なのだ、と。

すでに8月18日の日記にも書いたが、2012年8月の毎日新聞記事をもう一度引用しておく。

原発事故:福島の製材樹皮4万トン滞留 特措法の想定外

 東京電力福島第1原発事故による放射性物質の影響で、製材時に生じる樹皮(バーク)が行き場を失い、福島県内の木材業者の敷地に計約4万トン山積みされて保管されていることが、県と県木材協同組合連合会(県木連、約220社)の調査でわかった。放射性物質を国が除去することなどを定めた放射性物質汚染対処特別措置法は、このような事態を想定しておらず、滞留バークは毎月数千トンずつ増え続けている。県木連は「業界の対応だけでは限界がある」として、東電に対策を求めている。

 バークはスギやヒノキなどの表皮を3~5ミリはいだもの。家畜飼料や肥料などに使われるが、放射性セシウムの濃度が1キロ当たり400ベクレルを超えると出荷が禁じられ、滞留バークの多くがこの基準を上回っている。東電は汚染されたバークについて、保管場所設置費を損害賠償対象にしたが、処分や引き取りには応じていない。

 県木連によると、バークはセシウム濃度の基準値を下回っても買い手がつかず、滞留量は増加の一途。焼却後の灰が同8000ベクレル以下の場合、国は一般廃棄物処分場での埋め立てを認めているが、焼却施設側が受け入れを拒否するケースが相次いでいる。

 県木連の宗形芳明専務理事は「バークの体積を圧縮したり、敷地に余裕のある事業者が引き取るなどしてきたが限界だ」と話す。県木連は東電に▽石炭火力発電所での混焼▽仮置き場を東電所有地に設置▽木質バイオマス専用焼却施設の建設──などを要請している。東電広報部は「火力発電所での混焼は社内で検討中だ」としている。

 バークの滞留は近隣県にも広がり、栃木県によると、3月末現在で計約3000トンが行き場がない状態だ。群馬県も「相当量が滞留している」という。

 廃棄物の排出者責任に詳しい植田和弘・京都大大学院教授(環境経済学)は「将来の原子力事故も視野に入れ、国と東電は責任を持って法整備を含めた解決策を図るべきだ」と指摘している。【栗田慎一】

(毎日新聞 2012年08月03日)

原発爆発から4年半が経ち、溜まりに溜まった汚染バークのベクレル値も下がってきて、目下、どんどん堆肥へと姿を変えていることだろう。
堆肥というと園芸や農業用のものを想像する人が多いが、実際には土壌改良資材として道路工事などの公共事業用に多く出荷されている。先日の大雨であちこちの護岸や山腹が崩れたが、その補修工事にも大量に使われる。かくしてバーク堆肥は全国に運ばれていく。
国も、問題を伏せたまま、広く薄く、全国に拡散させてしまいたいに違いない。
なにしろ、水源地に放射能ゴミを持ち込むことを環境省がごり押しするような国なのだから。





阿武隈野良猫日記2015/09/16 16:24

しんちゃん一家 子ネコは最後は1匹だけになってしまった
ふと思い立って、川内村で暮らした7年間、特に原発爆発が起きて全村避難になっていた村に戻ってからの時期を、野良ネコたちとの関わりを時間軸にしてまとめてみた。

題して「阿武隈野良猫日記」全13回。
初回は⇒こちらから

総勢20匹近い野良猫が登場する。猫の姿を見ながら、あのときに起きたことを振り返ると、見えにくかったものも見えてくる気がする。





『国と東電の罪を問う』を読んで2015/02/17 12:13

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『国と東電の罪を問う 私にとっての福島原発訴訟』(かもがわブックレット199)という冊子を購入して読んだ。
イベントの発言記録ということで、正直あまり期待していなかったのだが、想像していたよりも充実した内容だった。
蓮池透さんは2012年元日の『朝まで生テレビ』で一緒だったが、そのときは僕も彼もほとんど発言できなかった。今回はたっぷり話していて、その内容も元東電社員ならではのもの。
元NHKの堀潤さんも目一杯発言している。
井上淳一さんの、石川町で学徒動員された子供たちがウラン採掘作業をしていた話も、概要は知っていたのだが、「鉄を供出していたためにツルハシも持たされず、多くの人は素手で掘っていた。靴もなくてわらじだった。しかも何を掘らされているのかは軍事機密として知らされていなかった」という内容までは知らなかった。
NHK連続テレビ小説だと2500万人くらいが見ていることになるが、そこでは戦争シーンでの描写に限界がある。各家に天皇のご真影が飾られていて、みんなが「天皇陛下万歳」と叫ぶシーンはやれない。関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが流れて虐殺されたことも描けない。そういうのをやろうと思うと、インディーズ映画でやるくらいしか方法がないからせいぜい1万人に見てもらうのがやっとだ……というような話も、まったくその通りだな、と。
2500万人に届く反戦メッセージか、1万人にしか届かない「闘い」か。もちろん、単純な2項対立ではないと思いますが、そこのところのせめぎ合いを、無自覚な表現の自由の放棄にならないように気をつけながら、いま何ができるかということを、ぼくは真剣に考えていますし、「戦争前夜」に生きる作り手すべてに考えてほしいと思っています。(井上淳一氏)
 
このブックレットはA5判で600円+税。この体裁くらいだと、自費出版でもなんとか作れるので、僕自身、これからやっていける方法のひとつとして考えている。
それこそ「戦争前夜」に生きる作り手の一人として。

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この大きさページ数で1000円以下の価格で売れるなら、
なんとかオフセットで500部、1000部でいけるかも……

「フクシマ」を刺激的なネタとして消費しないでくれ


「フクシマ」といえば、今日もまた、某テレビ局から「働かない方がトク!というゆがんだ構図」という賠償金問題について取材させてほしいという依頼があった。
この手の依頼はすべて断り続けている。いちいち断るのが面倒なので、どうも原因となっているらしい2012年のブログ記事の最後に次のような断りを追加した。
■2015年2月3日追記■
このブログ記事を読んだ出版社やテレビメディアなどから、「補償格差」や「賠償金成金」が生まれる歪みなどについて書いてくれ、話してくれという依頼が複数来ますが、すべてお断りしています。
この問題はとても複雑かつデリケートで、どんなに言葉を尽くしても実情や問題点を伝えるのが難しいと考えています。
特にテレビは、最初から視聴者の好奇心を刺激し、「とんでもない話だ!」という反応を引き起こそうという意図の元に編集されるのが目に見えていますので、基本的に取材や出演依頼には応じません。

福島の人たちの口もどんどん重くなってきました。これを書いた時とは現場の「空気」もずいぶん変わってきました。
怒ってもどうにもならないという諦めや、下手に口にすることで問題を悪化させてしまう、ますます人間関係が分断されてしまうことへの恐れから、どうしても「沈黙は金」になっていきます。
私がこの記事を書いたのは2012年2月で、「村に戻れば補償打ち切り」「仕事を再開すればその分、補償を減らす」というとんでもないルールに怒り心頭でした。そのときの気持ちを消すことはできないし、思い起こすことが大切だと思いますので、敢えて書いた内容には手を入れないでおきます。

その後、「村に戻れば一人10万円/月は打ち切る」という馬鹿げた規定は見直され、村に戻る戻らないにかかわらず避難命令が出ていた期間の「精神的損害補償」は支払われることになりました。
また、川内村はいち早く帰村宣言をしたために、川内村の旧緊急時避難準備区域の住民に対して支払われてきた1人当たり月額10万円の精神的損害賠償は2012年8月に打ち切られています。

何度も言ってきたように、いちばんの問題はこういうことを引き起こし、どんどん悪化させていく「システム」にあります。そこに言及しないまま、福島で今起きていることだけを刺激的に報道することは、誰の得にもなりません。知ったかぶりしてネット上で騒ぐ人たちにおいしい餌を撒くだけでしょう。
補償金格差に限らず、「フクシマ」の諸問題は単に興味本位で消費されるだけになってしまうことがいちばんまずいのです
今後も、マスメディア(特にテレビ)からの似たようなリクエストはすべてお断りするつもりですので、ご了承ください。

さらば阿武隈2015/01/24 21:25

タヌパック阿武隈

さらば タヌパック阿武隈

川内村の家と土地を……というより「タヌパック阿武隈」を手放すことになった。
理由は「維持できなくなった」から。
3.11後、いろんなものを失い、収入も激減。維持していく余裕がなくなった。
同じ理由で百合ヶ丘の仕事場も手放したわけだが、もう余生が長くないと思うと、身辺整理という意味合いも強い。

12月、1月はそのための後片づけや手続きのために、日光と川内村を何往復もした。暖かい時期だったらよかったのだが、寒いし、雪が降り、道が凍結すれば命がけだし、大変だった。

この土地と建物には、簡単には言い尽くせない思いがある。
2007年10月23日の中越地震で越後の家を一瞬にして失い、気持ちまでぺしゃんこになったまま年を越すのは嫌だと、新天地を探した結果、ここ川内村にすばらしい土地を見つけ、引っ越した。
ずっとここに暮らして、生きること、生き抜くこと、人との関係、自然との関係を考えながら歳を取り、一生を終えるつもりだった。
それが、たかだか(と敢えて言う)原発が爆発したというだけで、いろんなことがぐちゃぐちゃになり、バラバラになり、消えていく。
「あれ」が起きてからもうすぐ4年。
今はもう、怒りとか絶望とかを超えて、なんだか淡々とした、それでいて割り切れないという、不思議な気持ちだ。


↑この部屋のこの机と椅子で『裸のフクシマ』を書いたり『SONGBOOK1』をマスタリングしたりしたんだなあ……。

2015年1月22日。
午前中に本宮市の銀行に行って最終決済と所有権移転手続き。
その後、買い主のSさん、不動産屋さんらと川内村に向かい、最終引き渡し。

低気圧が来て1日中荒れた天気になるということは1週間前から予報されていたので、ずっと心配だった。
東北道が雪でスピードが出せないと本宮まで相当かかるかもしれないので、予定より30分早く家を出た。
幸い、出たときは道にうっすらと雪も積もっていたが、高速に乗ってからはほとんど問題なく走れて、約束の11時よりずっと早く到着した。

東北道は順調だったが、途中、郡山IC付近でピーピーと音がしてぎょっとした。
線量計の警告音だった。日光~矢吹~小野~川内村というルートで今まで何往復もしてきたが、線量計の警告音がしたことは一度もない。
そういえば、郡山市内の不動産屋さんに最初の契約に出向いたときも、市内で一度線量計が鳴ってびっくりした。
郡山はやはり線量が高いという事実を改めて思い知らされる。
それでも町の中では普通にみんな生活していて、今はもう、放射能汚染を話題にすることが完全にタブーになっている感がある。
福島の人たちはみんなそうした事情を分かって、飲み込み、沈黙しながら生活している。その雰囲気や精神状態は分かりすぎるほど分かっているので、僕も今では積極的に公言することはない。
話題にしても、ここで暮らしている人たちには「余計なお世話」「言ったところでどうなるものでもない」ことだし、外から見ている人たちにはさらなる刺激材料になり、一部では情報が加工されて暴走していくだけだからだ。
「フクシマ」の問題は、「福島が……」という話ではない。
放射線量がどうの、という単純な話でもない。
ここにも何度も書いてきたように、「フクシマ」はシステムの問題であり、社会のあり方、人の心のあり方、生き方の問題なのだ。
しかし、現実として郡山市や福島市といった福島県を代表する都市部が今も相当に汚染されていることはしっかり認識しておく必要がある。
認識してほしいが、外から見ている人たちには、非難の矛先を決して間違えてほしくない。「なぜ逃げ出さないのか?」ではなく、まずは自分たちが選んだ政治家や、今も電気料金を払い続けている電力会社が何をしてきたのか、今何をしているのか、していないのかを考えれば、福島に暮らす人たちを責めるようなとんちんかんな論法にはならないはずだ。

で、朝飯は本宮IC手前の安積PAにて。連日、寒さの中で作業したりして身体を酷使していたせいか胃が痛いので、うどんにした。
胃が痛いのはストレスのせいもあるかもしれない。

銀行で契約手続きを無事に終え、それから買い主さん、不動産屋さん、僕と妻が車3台で別々に川内村に移動。
僕らは12時50分頃に到着。
遅れてきたSさんに室内を確認してもらい、水回りなど、いろいろな注意点を伝達。
不動産屋さんと買い主のSさんは先に帰り、僕と妻は運び出しきれなかった荷物をクロネコに渡すために残った。

僕が一人でクロネコを待つ間、妻は奥のきよこさんの様子を見に。
夕方、一人暮らしのきよこさん(80代半ば)の様子を見に通うのが日課だった妻にとって、これがおそらく最後の訪問になる。

ようやくクロネコが来て、最後まで残った12個の段ボールを運び出したので、僕もきよこさんの顔を見に奥に向かった。



原発が爆発したときも、助手さんはきよこさんの様子を見に行っていた。テレビで爆発シーンを見た僕は、恐怖で心臓がバクバクして、息苦しくなりながらこの坂を登って呼びに行った。きよこさんちの玄関を開け、「逃げるぞ!」と言った僕を、みんなは一瞬きょとんとした顔で見ていたっけ。

きよこさんはいつもと同じ場所(玄関を開けるとすぐに目の前)で炬燵に入っていた。
あんたらのようないい人たちが去って行くのは嫌だ、と言う。
「大丈夫。次にくる人はとてもいい人ですから。不在のままの僕らよりずっといいですよ」
と言ったが、笑顔はない。

みぞれ混じりの雨が強くなってきた。暗くなると帰り道が危ない。
「じゃあ、行くね。お元気でね」
別れを告げて雑木林と沢の間の道を下って戻る。


いよいよ見納めのタヌパック阿武隈。しょうかんさんが設計し、よりみち棟梁や愛ちゃんたちと一緒に建てた。
もう、ここを「うち」と呼べなくなってしまった。

7年間。

川内村で暮らした時間。
全村避難になってほぼ空っぽになった村に戻ってきたのは2011年4月の終わり。
あのときは、これだけのことがあったのだから、今度こそこの村を自立した村として建て直すのだ、という意気込みを持っていた。友人たちもみんな同じ気持ちだったと思う。
しかし、そうはならなかった。

関守・じゅんこさん夫妻は北海道へ、しょうかん・愛ちゃん一家は岡山へ、みれっとのよーすけさん・けーこさん夫妻は長野へ、小塚さん夫妻、出戸さん夫妻は佐渡へ、佐藤こーちょーは三島へ、ブッチ・りくさん夫妻は山形へ、そして僕らは日光へ……友人たちはみんな散り散りになってしまった。
毎日一緒に散歩したお隣のジョンもいない。ジョンは「被災犬」として間違って捕獲されてしまったが、今は所沢で幸せに暮らしているはずだ。


雪道を滑りながら車を出す。下のけんちゃんの家に寄って最後の挨拶。
「せっかく親しくなったのに、いなくなるのは嫌だねえ。また来たときは寄らっしぃ」
きよこさんと同じことをけんちゃんの母親・ふさこさんも言った。
「お元気で」
ふさこさんに、きよこさんに言ったのと同じ言葉をかける。
精一杯の笑顔で言ったけれど、多分、もう会えない。
お互い分かっている。
「これ、お菓子です」
と、妻が菓子折を渡す。これが最後の菓子折。

言い尽くせない思いが頭の中を巡る。

阿武隈……50代になって「これだ」という思いがあった。
阿武隈に呼ばれたのだと思った。阿武隈で余生を過ごし、死ぬのだと決めた。その「阿武隈」というキーワードが、どんどんフェイドアウトしていく。
悔しいというよりは、脱力……だろうか。あまりにいろんなことがあって、今はうまく言葉が紡げない。

きよこさんもふさこさんもけんちゃんもしょーたろーさんも、ここにいる人たちはみんな、それぞれに生きている。精一杯。
なにが正しいとか、間違っているとか、もう、そんなことはどうでもいいという気持ちになる。
だって、みんな、それぞれに精一杯生きているんだもの。
力尽きて死んでしまった人たちもいっぱいいる。「BSを見たい」というので僕がBSアンテナをつけてあげたまさときさんはじめ、近所の老人たち。死屍累々。
「あれ」がなければ、多分今も生きていただろう。昨日と同じ今日を生きて、笑っていただろう。
みんな生きがいを失い、たちまち身体を壊して、あっという間に死んでしまった。
ばあさんたちよりじいさんたちのほうが変化についていけず、弱かった。
でも、そういうことも含めて、人生であり、運命であり、この「世界」の現実なのだ。

「あれ」は、人間だけでなく、阿武隈に棲むあらゆる生き物をも巻き添えにした。
今年もマツモ池、雨池、土手池、弁天池の上の枝に、モリアオガエルは卵を産むのだろうか。
僕はもう確かめられない。

Sさん。あとはお願いしますね。
池の水、絶やさないようにしてくださいね。
5年かかったのよね。「モリアオガエル同棲計画」
結局、モリアオガエルと一緒には暮らせなかった。

Sさんの家は浜通りの「帰還困難区域」にある。
今も家の周りは7μSv/hくらいあるという。
0.7 じゃなくて、7。
もう、無理だよね。生きているうちに帰るのは。
それでもSさんは、自警団みたいなのに入って、今も100km近い距離を走り、自分が生まれ育った町に通う。誰もいなくなった町の保安のために。

「(帰れないと思っても)やっぱり故郷は捨てられませんか?」
と、恐る恐る訊いてみた。
柔和なSさんの顔がたちまちくもり、少し押し殺すような声でこう答えた。
「だって、爪に火を点すような思いをしながら、ようやくあそこまでこぎつけたんだから……。それが全部……」
Sさんは個人商店主だ。お店兼自宅の様子をGoogleのストリートビューで見た。シャッターが下りたままの建物はまだ新しいように見える。でも周囲に人影はまったくない。
ゴーストタウンになってしまった故郷、そして生きているうちには戻れそうもない我が家。

Sさんは「福島県もりの案内人」「日本自然保護協会自然観察指導員」などの肩書きを持っている。風貌は熊オヤジというかマタギというか……いかついが、人なつこい笑顔が素敵な人だ。
僕が作った「阿武隈カエル図鑑」を家の中に残しておいた。
カエルたちのことがいちばん心配だったので「できることなら池はつぶさないでください」とお願いしたら、「楽しませてもらいます」と笑顔で答えてくださった。
この地にはきっと、雑木林とカエルの神様が住んでいるんだろう。その神様に僕らが呼ばれた。そして、今度はSさんが呼ばれたんだと思う。

Sさん、ここを買ってくださってありがとうございます。
カエルたちをよろしくお願いします。

増補版『科学技術は大失敗だった』を読む2014/06/22 10:55

真ん中の薄紫色の冊子がそう。右の本も必読(うんざりする内容だけれど、知っていなければいけない)
家に戻ると郵便が届いていた。たんぽぽ舎の冊子『増補版─福島原発事故3年 科学技術は大失敗だった』というB5判32ページの冊子が入っていた。感謝。
これは知らなかったので、さっそく読む。

前にいただいた『福島原発多重人災 東電の責任を問う』(日本評論社刊)を読んだときは、正直、ちょっと見当違いの分析が混じっている印象があったのだが、今回の冊子では、とてもていねいに説明されていて、内容はよく分かった。
嘘があまり入り込んでいないと思われるデータとして、
  • 原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構(JNES)がIAEA(国際原子力機関)に提出した報告書(2011年4月4日)
  • 東電本社の対策本部と1F現場(免震重要棟に置かれ、吉田所長が指揮を執っていた)を結んだテレビ会議の記録(公開されている動画や『福島原発事故東電テレビ会議49時間の記録』宮崎知己 他、編著など)
の2つを重視。これらの「事実が書かれているであろう資料」をもとに、あのとき何が起きていたのかを検証する、というもの。
あくまでも槌田敦さんの「私論」「試論」「推論」だが、推論の方法や理由づけがしっかり説明されているので、読み応えがある。
内容はかなり衝撃的。
ものすごく簡潔に要点を並べると、
  1. 1号機は非常用復水器(IC)が自動起動したのに、平常時のマニュアルに従ってわざわざ手動で何度もICを止めてしまったことでメルトダウンを早めた
  2. 2号機からの放射性物質拡散は、「漏れた」のではなく、人為的に行ったドライベントのせい
  3. 3号機は水素爆発ではなく、燃料プールで起きた臨界による水蒸気爆発
  4. 4号機の原子炉は空ではなく、実は定期検査最後の「調整運転」を前倒しして税金逃れのフル稼働をしようとしていたため、燃料が架装されていて、それが一部の制御棒抜け落ちにより臨界。蓋の開いた原子炉から高熱高圧力の水が噴き上げて建屋を破壊した
……といった内容。
もう少し詳しくまとめると、

■1号機
  • 地震直後に非常用復水器(ICと呼ばれ、原子炉から出た蒸気を冷やして水に戻し、原子炉に戻す装置で、電源がなくても動く)が自動起動したのに、運転員が平常時のマニュアルしか知らなかった(東電が非常時用のマニュアルを用意していなかった)ため、手動で何度も止めた。そのため、自動起動~手動で止める~自動起動……が繰り返された。
  • 復水器を止めるのであれば、それに代わる水が他の手段で供給されなければならないが、それが全部失われている非常時に、わざわざ人間の手でICを止めたことが、メルトダウンを早めた。
  • その復水器も、上部に水素が溜まって動かなくなった。復水器は電源を使わず、水の重さ(重力)だけで水を原子炉に戻す装置なので、原子炉より高い場所に「逆U字型」に配管してあるが、非常時にはこの逆U字の最上部に水素が溜まってしまう欠陥は2001年の浜岡原発での水素爆発事故ですでに分かっていた。それなのに水素を抜く装置をつけるなどの対策をしてこなかった。
  • 11日22時頃に、ようやく水位計が動いたときにはすでに空焚きで原子炉の底が抜けていた最悪の状態。
  • この状態では、消防車による注水などではどうにもならない。なんとしてでも電源を回復して、低圧炉心スプレー系を使うべきだったが、東電は電源(バッテリーや電源車)の供給よりなぜか消火ポンプや消防車に頼ろうとした。
  • 消火ポンプでの注水は12日未明から、消防車は早朝5時46分から開始されたが、4時間で21トン(約5トン/時)しか注水できていないので文字通り焼け石に水だった。低圧炉心スプレー系が使えれば550トン/時の能力があった。
  • 12日午前10時17分、圧力抑制室(SC)のベント(弁小開)。14時30分に同じくベント(弁大開)。このときの風向きが北向きだったため宮城県を襲う。15時36分、建屋5階で水素爆発。
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複数系統用意されているECCSと、その中の非常用復水器系
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http://tokyo80.com/energy/P4.htmlより引用)

原子炉の冷却系 Clickで拡大
保安院が原子炉の冷却系の説明に使っている図
http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/shingikai/800/28/003/3-1.pdf)より
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(感想)
そもそも、地震と同時に(津波が来る前に)いくつかのパイプは破断していて水が噴出していた(作業員たちの証言により明らか)わけで、ICや低圧炉心スプレー系がどこまで機能したかは疑問だが、とにかくなぜもっと迅速に電源を供給できなかったのか、まったく理解に苦しむ。


■2号機
  • 2号機には電源がなくても動く非常用復水器がなかった。残留熱除去系に付属する非常用復水器機能がもともとついていたが、浜岡原発での水素爆発事故の後、「水素が溜まってしまうから取ってしまえ」と、2~6号機では逆U字型配管である復水器機能部分を取り外してしまった。
  • 2号機では1号機のような初期のパイプ破断がなかったと思われるので、もともとあった復水器機能をちゃんと改善して残しておけばメルトダウンは防げたはず。
  • 2号機では隔離時冷却系は動いていたが、12日早朝4時20分に、水源をそれまでの復水貯蔵タンクから圧力抑制室に切り替えたために、圧力抑制室の水が高温になった時点で機能しなくなった。
※解説
 隔離時冷却系:復水貯蔵タンク or 圧力抑制プールから冷却水を原子炉に供給し、燃料の冷却を行う系統。原子炉蒸気を用いるタービン駆動のポンプで注水を行うため、全交流電源喪失時においても冷却水の注入が可能。ただし、炉心の蒸気を冷却して水にする復水器機能とは違って、炉心の外の水を使うため、炉心の熱を根本的に除去することはできない。(エアコンと冷風扇の違いのようなものか)
隔離時冷却系の系統図 Clickで拡大
隔離時冷却系の系統図
(http://www.hitachi-hgne.co.jp/ より 着色部分は分かりやすくするためにこちらで加工)
  • 3月13~14日にかけて、圧力抑制室の水が沸騰寸前になり、吸い上げられなくなる。結果、原子炉の冷却が不能になった。取れる対策は、隔離時冷却系の水源を復水貯蔵タンクに戻してそこに消防ポンプで水(淡水)を追加していくことだったはずだが、それをやらなかった。
  • 14日11時01分。3号機が爆発。そのあおりで、圧力抑制室(SC)のベント弁が故障。ウェットベントの道を閉ざされる。
  • 14日16時16分の段階で、東電本社も現地本部も2号機の圧力抑制室の水温が138度Cであることを確認していて、これ以上ポンプで吸い上げれば減圧されて沸騰してしまい、吸引できなくなることは明らかだったのに、そうした基本的な認識ができずに放置して事態を一気に悪化させた。
  • 14日16時34分 消防車から給水させるために逃し弁を開放。結果、原子炉圧力が54気圧から一気に5.5気圧に下がり、原子炉の水が沸騰して水位が下がる。これを続けたために18時頃には炉心が完全露出。水が漏れていなかった2号機をも空焚き状態にしてメルトダウンに導いた。
  • その後、原子炉内では空焚きの燃料が溶けて原子炉の底に残っている水に落下し、原子炉内で小規模な水蒸気爆発が連続して起こる。結果、原子炉圧力が乱高下した。
  • 夜20時頃には1号機同様、ついには原子炉が底抜けとなる。
  • この状態になってしまっては、交流電源で低圧注水系(1700トン/時)、炉心スプレー系(1000トン/時)、格納容器冷却系(1900トン/時)を使わなければならないが、地震発生後3日も経っているのに、交流電源がまだ使えない状態だった。注水能力が桁違いに低い消防車のポンプなどではどうにもならないことは明白なのに。
  • 15日0時02分。放射能を除去できない(もろに外に出す)ドライベント弁(格納容器の排出弁)を小開。
  • 15日早朝6時頃、圧力抑制室近くで爆発音という報告があるが、ベントの音か4号機の爆発の音を聞き違えた可能性あり。
  • 東電は圧力抑制室が破損したと主張するが、データでは2気圧が維持されているので、圧力抑制室破損は虚偽報告の可能性大。
  • 15日朝8時頃から格納容器ベント弁を開いてドライベント開始。高さ120メートルある排気筒から高濃度の放射性水蒸気を大気中に大量放出。これを予告も報告もせず、多くの住民が知らされないまま被曝
  • ベントして圧力を下げたため、2号機では格納容器底に燃料ペレット群が散逸せずにまとまって落ちた。そのため格納容器もすっぽりと底抜けして、そこから大量の汚染水が今もなお地下に流れている。
※解説
 東電は、このドライベント(今回の放射能汚染で最大規模の被害をもたらした)を人為的な操作によるものであることを隠すために「2号機の圧力調整室付近で爆発音」「圧力調整室が破損して放射性物質が漏れた」という報告をしているが、もしそうだとすれば建屋が壊れていなかった2号機建屋内には水素が充満するはずだし、なによりも発電所敷地内は高濃度の汚染で死の世界になるはず。
 そうなっていないということは、汚染物質が120メートル上空(排気筒経由)で外に出たことの証拠。
 1、2号機共用の排気筒への配管が高濃度汚染していることも、排気筒経由の人為的ドライベントが行われた証拠。
 東電は、風向き(すでに陸側に風が吹き始めていた)を無視してドライベントをして、しかもそれを公表しなかったために住民に大量被曝をさせたことが重大犯罪であることを認識しているからこそ、圧力調整室の破損という嘘の情報を流して免責を印象づけようとしたと考えられる。(以上、槌田敦説)

(感想)
残留熱除去系に付属する非常用復水器機能のパイプを取ってしまったことに関しては、別の意見を書いている人もいる
そのへんは一般人には判断しづらいところだが、2号機でいちばんの問題は、「放射能が抜けてしまった」ではなく、「人為的に弁を開いて放出した」というところ。それを曖昧にしている東電。

■3号機
  • 3号機では津波第二波でも一部の非常用ディーゼル発電機は生きていた。
  • だから高圧注水系を使えばよかったのに、温度、圧力、水位などのデータが得られず「原子炉の状態が分からなかったために」判断できず、使わなかった。
  • 14日の爆発は水素爆発ではなく、燃料プールで臨界が起きて核破裂~その熱による水蒸気爆発。
  • オレンジ色の閃光は3000度C以上の温度の爆発だったことを示すが、水素爆発ではそこまで温度は上がらない。
  • 14日、正門付近や免震棟で中性子線が測定されていたこともその証拠(テレビ会議の記録などにそれに触れる発言が複数残っている)
  • それを隠すために、東電は中性子線データを、当初は「0.001μSv/h以下」としていたのに、突然、一桁高い「0.01μSv/h以下」に変更して「変わっていない」と主張。0.01μSv/h以下の中性子線の変化をすべて隠蔽した。
  • 14日11時1分に免震棟での測定で0.2μSv/hと発電所保安班が発言している(テレビ会議に記録)が、東電は変化量を2分刻みにして、11時0分と11時2分の値しか発表していない。
※解説
 槌田敦氏がかつて所属していた理化学研究所は、第二次大戦末期に初歩的な原爆開発を行っていた。
 それは、10%濃縮ウランを水で減速して臨界させ、その熱で水蒸気爆発を起こさせるというもの。
 減速材が水では大型化し、重すぎて飛行機で運べないため(爆弾としての)実用性は低い。しかし、まさにそれと同じ原理で3号機使用済み燃料プールは「初歩的原爆」と化した、と言える。(以上、槌田敦 説)


■4号機
  • 4号機の爆発は数日にわたって何度も続き、4号機建屋は少しずつ崩壊していった。これが1号機と同じ水素爆発であるはずがない。
  • 4号機燃料プールはほぼ健全に保たれていて、水も入っていたから、3号機のように燃料プールで臨界~水素爆発が起きたわけではないことは明らか。
  • 4号機ではシュラウド交換作業が行われていたはずだが、その作業ピットで爆発が起きるはずもない。
  • 残る可能性としては、原子炉本体(圧力容器=炉心)で何かが起きたと考えるしかない。
  • ここは空っぽの(水だけが通常時は入っていない最上部まで入っていた)はず。東電も空になっている4号機原子炉の写真を公開しているが、なぜか隣の燃料プールのように瓦礫だらけになっておらず、きれいすぎる。
  • 同時期に撮影されたという隣の燃料プールは、大小さまざまの瓦礫が落ちて、海水注入により水底には泥がたまり、汚れている。蓋の開いた空っぽの原子炉であったなら、燃料プール同様に瓦礫だらけ、泥だらけでなければおかしい。
  • 発表された原子炉の写真にはシュラウドも写っていないから、新旧2つのシュラウドは隣の作業ピットに並んで置かれているはずだが、その写真は発表されていない。そもそも本当にシュラウド交換をしていたのか? そのつもりもなかったのではないのか?
  • 東電はテレビ会議の中での、15日、4号機建屋5階で起きた爆発のことに触れたと思われるやりとりの中身を公開拒否している。
  • 以上のことを踏まえれば、残る可能性は、東電が発表していた4号機点検工程表とは違うことをしていた……つまり、3月11日時点で原子炉にはすでに次の稼働のための燃料が架装されていたと思われる。
  • その燃料が、地震で制御棒の何本かが下に抜け落ちてしまい、部分的に臨界を始めてしまった。その結果、小規模な水蒸気爆発が連続的に起きて、吹き上がった熱水が蓋が開いたままの原子炉上部から激しく吹き出し、その熱と圧力で4号機建屋の壁や天井を次々に破壊していった。

驚愕すべき推論だが、確かに、あれが水素爆発だとする東電の説明よりははるかに理にかなっていると思う。
この推理を後押しする補完データ、情報は他にもある。
  • 3月28日、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校で、大気中から硫黄35を高濃度で測定
       ……硫黄35は塩素35に中性子が衝突して生じる。これが検出されたということは1Fのどこかで臨界事故があったことを示唆している。
  • 4月12日、4号機の使用済み燃料プールの水からヨウ素131が大量に検出される
       ……このヨウ素131はどこから来たのか? 3号機の爆発で飛んできたなら3号機は水素爆発ではなく核爆発(核破裂による水蒸気爆発)、4号機の中で作られたとすれば4号機で臨界が起きていた証拠。どちらも都合が悪いため、東電は説明しない。
さらに意味深なのは、東電が4号機燃料プールに存在する燃料集合体の本数をコロコロと変えて発表したこと。
  • 3月16日    783体と発表
  • 4月12日    1331体に変更(548体増えている)
  • 5月10日    1535体と再変更(さらに204体増えている)
548体というのは、原子炉に架装する総本数と一致する。つまり、3月16日には本当のことを発表したが、原子炉にすでに架装していた548体は燃料プールにまだあります、と訂正したことになる。
204体というのは未使用燃料の数。

通常、原発の定期点検では、最後の工程として徐々に出力を上げていく「調整運転」を約1か月続けた後に検査を受けて、それに合格してから通常営業運転に切り替えるという決まりなのだが、実は、3.11の時点で、大飯原発、泊原発の2つが、定期検査を受ける前の「調整運転」をフル出力でやっていて、その「調整運転」のままズルズルと発電を続けてその電力で商売をしていた。その間に発電した電気は「営業」ではないから、税金も払わなくていいらしい。
保安院は「最終検査以外の過程は踏んでおり、検査忌避とも言えない。最終検査は電力会社の申請で行うもの。検査を受けるよう指導する予定はない」(原子力発電検査課)と言う。

 自治体側の態度もあいまいだ。北海道の高橋はるみ知事は先月22日の記者会見で、定検で停止中の泊1号機について「1号機も(調整運転中の)3号機も定検中というのは変わらない」と発言。調整運転の停止は求めないが営業運転にも移行させない考えを示した。

 福井県も「(大飯1号機は)定検中だが、すでに動いてしまっている」(原子力安全対策課)と、国と関電にげたを預ける。
(朝日新聞 2011年7月6日「原発、検査中なのにフル稼働 泊・大飯、手続き先送り」)
おそらくこうした悪習は電力業界と保安院の間では常態化していて、東電もこの調子で、計画より前倒ししてフル稼働させるためにちゃっかり燃料を積み込んでいたのではないか。それがバレると大飯や泊原発の不正もバレてしまうためにひた隠しにしたのではないか……というのが槌田敦氏の推理だ。
一つ嘘をついてしまったために、次から次へと嘘をつき続けなければならなくなる。国や関係省庁、保安院や今の規制委員会も、こうしたとことんデタラメな原子力業界の内情をこれ以上表に出したくないために口をつぐむ……。

 読んでいてほとほと嫌になると同時に、恐怖を覚えた。
 大手メディアの情報では真相が分からないどころか、どんどん嘘を信じ込まされるということは、日々感じているが、ネットの情報でも、なかなか本当のところまでは踏み込めない。
 僕が知る限り、この説を以前から支持していたのは⇒ここくらいしかない。


もうひとつ、重要なことなので書いておきたいが、福島第二原発でも同様の事態が起きたが、一部の電源が生き残っていたなど、1Fよりはまだマシな状況だったために、所員たちの踏ん張りで大惨事に至らずにすんだ。
では、2Fではどういうことが起きて、どのように対処したのか……それを明らかにすることで、1Fの反省や、今後起こりうる原発事故への対策がはっきりしてくるはずなのに、まったくと言っていいほど2Fのことは報じられない。それではダメだ。
おそらく、2Fでは1Fのような失敗をせずに、正しい対処をしていたからなんとか収拾できたのだ。それを明らかにすると1Fでのダメダメぶりがはっきりしてしまうために情報を出さないのだろうか。


この冊子を通読して分かることは、あのときの東電の対応がいかにお粗末で、間違いだらけだったか、ということだ。
熱くなって爆発するのを避けるには海水(塩水)でもなんでも水を入れなければいけない。水が入らないのは内部が高圧になっているからで、なんとしてでも圧力を下げなければならない。圧力を下げるためにベントもやむをえない。爆発するよりはマシだ……。
……このようなイメージは、今も多くの人たちの頭を支配している。イメージとしては分かりやすいからだ。
で、現場の対応を見る限り、現場を守るプロたちも似たようなイメージに支配され、パニックの中で右往左往していたことがうかがえる。
しかし、やらなければいけない対応はそうではなかった
原子炉が空焚きになってしまったら、消防車のポンプで注水するなどということはもはや無力。なにがなんでも本来のECCS(図のように複数の系統が用意されている)を機能させることが必須であり、必要なのは外部電源だった。
ドライベントは絶対にしてはいけなかった。チェルノブイリのような水蒸気爆発よりはベントのほうがはるかにマシと思いがちだが、水を通さないで汚染水蒸気をそのまま外に出してしまうドライベントによる被害がどれだけすさまじいものかは、今回のことでよく分かったはずだ。
そういう基本的な認識がないまま、注水注水、ベントベントとパニクっていた現場や官邸。こうした人たちに原子力発電を運営させる資格がないことは明らかだ。
原子力発電は、仕組み自体は極めて単純で、熱を発生させて水を蒸発させ、その蒸気の力で発電機を回す、ということにすぎない。
その熱が莫大であり、暴走させると手がつけられないこと、しかも内部は運転開始と同時にどんどん放射性物質で汚染されていくというところが問題なわけで、事故が起きたときの対応も、物理学の基本にのっとって行われなければならない。
ところが、運転員が習熟しているのは物理学ではなく運転マニュアルなのだ。
マニュアルが不備なら非常時には対応できない。マニュアルがない場合の対応は、装置全体を物理学的に理解していることが必須だが、どうもそのへんが、運転員も所長も、ましてや経営者や本社の偉いさんたち、政治家、官僚たちも含めて、全然できていなかったのではないかと思わざるをえない。

まともな物理学者であれば、たかだか電気を作るためにこんな欠陥システムを組んではいけないと理解するから、原子力を使うことに反対する。
それが学者としての正直な人生だろうが、正直な人生を歩もうとする限り、国策に反する危険人物とされ、ブラックリスト入りし、研究や出世の道を閉ざされ、そのせっかくの頭脳、能力が、社会的に生かされない。
出世欲が強く、自分が生きている間だけ金と地位が守れればいいと思うような人たち(政治家、経営者、官僚、学者……)がそれぞれの分野でトップに座り、、一般人が想像もつかないような倫理観崩壊を続け、そこから自分を免罪するために一種の思考停止に陥り、結果として建て直しができないほどひどい(悪意に満ち、ずるがしこい、しかも杜撰な)システムが、国家権力に守られながら構築される。一度できあがってしまうと、庶民の力で解体することは極めて困難だ。なぜなら、庶民もまた、その社会システムや悪習にしっかり組み込まれ、身動きできなくなっているから。

「フクシマ」はそれを我々一般人にも分かるように如実に示した。大変な犠牲と損失を払って。
それなのに、「フクシマ」以後のこの国は、過ちを修正するどころか、今まで以上に倫理観や合理性を崩壊させ、滅亡の道を突っ走っている。
日本はまともな国だ、そうであるはずだ……というのは、戦後世代、修羅場を経験せず、極端な経済成長(というよりは経済の異常膨張)の中で大人になった我々の幻想にすぎない。
おそらく、日本だけでなく、世界中がそうだ。人間社会というものは、太古の昔からこの程度にひどかったのだ。権力、金力を得た者が、そのうまみを保持し続けようとすると、こういうことになる。
社会が成熟することなく、ひどいまま、人間は石油文明と虚構の巨大数経済力というお祭り騒ぎ的エネルギーを得てしまった。それを捨てることが怖い。なんとかなるんじゃないかと思いたい。少なくとも自分が生きている間はなんとかなるのではないかと思い込もうとする。
だから、とことん墜ちるところまで墜ちないと、世界を破壊し尽くし、ごまかしがきかなくなるところまで行き着かないと、必要な変化は起きないのだろう。

今の若い人たち、これから生まれてくる人たちは大変だなあと思うが、それは今の日本における話であって、つい数十年前は日本でも、戦場で飢え死にしたり、意に反して人殺しを強要されたりといった不幸な一生を過ごすことは普通にあった。能力を封じ込められて一生を棒に振らされるなんてことは、あたりまえのことだった。才能を発揮して、充実した人生を送れる人は奇跡のような幸運の持ち主だった。
そう思えば、これ以上悲観的にならずにすむのだろうか?
救いようのない処方箋ではあるが……。
いや、なにがなんでもあんなひどい時代に戻してはいけない、と、真剣に社会と向き合うことが一人一人に求められている。もう一刻の猶予もないのだ。
いつになったらそれに気づくのだろうか。

「美味しんぼ騒動」における本当の恐さ2014/05/19 13:05

巷では「美味しんぼ騒動」というのが起きているようだ。
ネットに全ページを転載している人がいたので読んでみたが、まず、内容としては「つまらない」。
普通のことを普通に描いているだけ。新しい情報やら深く考えさせる題材がないので、感想としては「ああ、この程度か……」というもの。
この漫画、若い頃(20代)に読んでいた時期があるが、まだ続いていたということのほうが驚きだった。登場人物は30年前と同じで歳を取っていないし、サザエさんみたいだ。(これは誉めている)

で、その程度の内容のものに省庁やら自治体の長やらがいちいち「遺憾表明」とかやっていることがものすごく馬鹿馬鹿しい。
ついには休載とか、書店が店頭から引き上げとか、編集部が出版前のゲラを環境省に送っていたとか、漫画の内容云々より、こんなことに大騒ぎした挙げ句、ひとつの方向、要するに「お上はこういう方向を望んでいるのだろう」という方向を「民」が先読みして自縛の紐を用意すること、それを一部の人たちが煽り立てること、そういう国になってしまっていることがとてつもなく恐ろしい。

フェイスブックで、こんな書き込みを見つけた。

うちの近くの大型ショッピングモールの中にある、かなり大規模な紀伊國屋書店に問い合わせました。以下は穏やかなやり取りです。

私「今ビッグコミック・スピリッツは店頭で販売されていますか?」
店「今回の分は売り切れました」
私「売り切れたということは、店頭には並んでいたのですか?」
店「いえ、本社からの指示で店頭には並べませんでした」
私「それは何故なのですか?」
店「それはー…本社からのことなので私が答えられることでは…」
私「ではもう入ってこないのですか?」
店「そうですねぇ…この次のはまた内容次第で販売されるかと…」
私「内容次第とはどういうことですか?それは社内的なものですか?それとももっと上の業界単位のことですか?」
店「社内的なことです」
私「ではそれは全国の紀伊國屋さんで行っているわけですね?」
店「そうです」

巷での噂は本当の様でした。


マスメディアだけでなく、出版社も書店も、自ら進んで自縛の紐を用意する。この風潮がどれだけ恐ろしいことか、関心を寄せない人が多すぎることにも戦慄する。

「美味しんぼ騒動」を「鼻血問題」として矮小化する人たちが多いが、問題はそっちじゃない。自分の考えや、お上に都合の悪い情報を自ら引っ込めてしまう社会風潮のほうがはるかに恐ろしいことなのだ。

ちなみに「鼻血問題」に関して言えば、そんなことは「あってもあたりまえ」であって、科学的に立証できるとかできないとかを今頃になって議論するようなことでさえない。
敢えて言えば、汚染された地帯で暮らす人、あのとき汚染された地域にいた人、汚染された場所に行き来している人たちであれば、「まあ、そういうことはあるわな」という感覚だろう。
僕もそのひとりだ。

鼻血までいかなくても、鼻孔に鼻くそがすぐに詰まったり、それに血が混じったり、痰が止まらなかったり、喉が常にいがらっぽくなったり、痛んだり……といったことは「フクシマ」以降、さんざん経験してきたし、今もしている。
でも、それが鼻や喉の粘膜に付着した放射性物質(のついたチリ、微粒子)のせいなのか、単に歳を取ってきて身体がボロくなったからなのか、疲れのせいなのか、ウイルス感染の類なのか、放射能とは別の公害物質のせいなのか……は、分かるはずがない。自分で「そうかもしれないなあ~」と思うことがあっても、「そうなんだ!」と断言することなどできるはずがない。

みんなそういうもやもやを抱えながら生きている。
このもやもやは明らかに生きていく上で心身をまいらせるマイナス要因なのだが、かといって、今暮らしている土地や家を捨ててどこか遠くへ移住するとかという話と比較して、どちらが自分の余生、あるいは家族の幸福な人生にとってマシな選択か……という事情は、個人によって変わってくる。
その土地で築いてきた人や自然とのつながり、生き甲斐のある活動、仕事、親や子供との関係……さまざまな要素を統合的に考えて、もやもやを抱えたままでもこの土地に残ったほうが、移住するよりも「マシ」だと考えるか、どんなに困難を伴ってもこの土地を離れたほうがいいと考えるか……。

で、こういう事態にしてしまったこの国の施策、電力会社の無責任さ、それを今も放置し、なんら改善の努力もしないどころか、開き直って、核燃サイクル計画の継続だの原発再稼働だの輸出だのとたわけたことを言っている政府を支持している国民が半数を超えるという現実。そこがいちばんの問題なのだ。

それでも「真実は……」と叫ぶ人がいっぱいいるので、敢えて、敢えて、敢えて引用すれば、
鼻血論争について     2014年5月14日
         北海道がんセンター 名誉院長  西尾正道
巷では、今更になって鼻血論争が始まっている。事故後は鼻血を出す子どもが多かったので、現実には勝てないので御用学者は沈黙していたが、急性期の影響がおさまって鼻血を出す人が少なくなったことから、鼻腔を診察したこともない放射線の専門家と称する御用学者達は政府や行政も巻き込んで、放射線の影響を全否定する発言をしている。
しかし、こうしたまだ解明されていない症状については、根源的に物事を考えられない頭脳の持ち主達には、ICRPの基準では理解できないのです。ICRPの論理からいえば、シーベルト単位の被ばくでなければ血液毒性としての血小板減少が生じないので鼻血は出ないという訳です。
しかしこの場合は、鼻血どころではなく、紫斑も出るし、消化管出血も脳出血なども起こります。しかし現実に血小板減少が無くても、事故直後は鼻血を出したことがない多くの子どもが鼻血を経験しました。伊達市の保原小学校の『保健だより』には、『1学期間に保健室で気になったことが2つあります。 1つ目は鼻血を出す子が多かったこと。・・・』と通知されています。またDAYS JAPANの広河隆一氏は、チェルノブイリでの2万5千人以上のアンケート調査で、避難民の5人に1人が鼻血を訴えたと報告しています。こうした厳然たる事実があるのです。
(以下略)

……とまあ、そういう話だろう。

それにしても、いまだに外部からの低線量被曝と内部被曝の違いが分かっていないまま議論している人が多いことには辟易する。
さらには、内部被曝でも、食べ物として取り込んだ場合(比較的排出しやすい)より、放射性物質が付着したチリ、埃などの微粒子を吸い込んで、それが肺などに付着したとき(ピンポイントで放射線を受け続ける)のほうが怖い、ということを、3.11直後からずっと言い続けているのだが、そのこともいまだに理解してもらえない。
「除染が怖い」というのはその理由からだ。
せっかく付着してくれている放射性物質を無理矢理剥がして、再び空気中や水中にまき散らしている作業。
1F構内で作業している作業員が「線量管理しているここの仕事より、いい加減にやられている除染作業のほうがずっと怖い」と言うのもある程度頷ける。
僕が川内村を離れたのも、除染作業が始まる直前だった。
県道をひっきりなしにダンプカーが通り、もうもうと砂塵をあげるようになり、この調子で本格的に「除染」が始まったらたまらないな、と恐怖を感じた、というのもひとつの理由だった。

例えば、舗装道路の表面を削って「除染」するなどというのは、付着している放射性物質を細かい粉塵にくっつけたまま再び飛散させることで、恐ろしい作業だと言える。やるのであれば、剥がすのではなく、上からさらにアスファルトを被せてコーティングしてしまったほうがいいのではないか。
また、生活道路で舗装されていない道は、いつまでも放射性物質が土埃、砂埃についたまま舞い上がる環境なので、舗装してくれないと困る。
我が家の前の道を含め、今住んでいる住宅地の中の道路はすべて私道のため、未舗装(正確には造成時の舗装工事が甘かったのですぐに剥がれて土が剥き出しになった)なのだが、そこをもうもうと土埃を巻き上げながら車が通り、小さな子供たちがそれを吸い込んでいる(背の低い子供は大人より土埃を吸い込みやすいのは言うまでもない)。私道であるために土地の所有者全員の了解がとれないと舗装ができないとかなんとか。そうしている間にも、子供たちは放射性物質を含んだ土埃を吸い込み続けている。

鼻血の原因が何か、とか、風評被害だのなんだのと騒ぐよりも、合理的な判断で、費用対効果の大きな対策を安全に、効率的にしていくこと。そういう「今より少しでもマシな方向」に動くことが行政や国の使命だろうに。
現環境相などは、なんにも分かっていない。発言が馬鹿丸出しだ。

最後に、これは以前にも紹介した気がするのだが、もう一度思い起こすために……。
■水俣と福島に共通する10の手口■
  1. 誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
  2. 被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
  3. 被害者同士を対立させる
  4. データを取らない/証拠を残さない
  5. ひたすら時間稼ぎをする
  6. 被害を過小評価するような調査をする
  7. 被害者を疲弊させ、あきらめさせる
  8. 認定制度を作り、被害者数を絞り込む
  9. 海外に情報を発信しない
  10. 御用学者を呼び、国際会議を開く
水俣病と異なる点―今はインターネットがある

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