

こちらからお入りください
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『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(2012/04/20発売 岩波ジュニア新書本)…… 3.11後1年を経て、経験したこと、新たに分かったこと、そして至った結論■今すぐご注文できます 立ち読み版は⇒こちら |
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『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(たくき よしみつ・著)(2011/10/15発売 講談社 単行本)…… ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。■今すぐご注文できます 立ち読み版は⇒こちら |
線量の高い場所に「避難」している意味 ― 2012/04/19 11:52
ようやく線量の低い場所に戻ってきた役場と学校
文科省WEBサイトに「全国及び福島県の空間線量測定結果」というページができた。今までは地名と数値がずらずら並んでいるPDFなどで出していたが、原発が爆発して1年以上経ってから、ようやくこのように多少は視覚的に分かりやすいものが出てきた。
今までPDFの資料をダウンロードしてまで読もうと思わなかった人たちも、これで少しは見る気が起きて、現状を分かってもらえるようになるかもしれない。
川内村の村長が「帰村宣言」をしたことに対して「子供たちを汚染された村に戻そうなんて、とんでもない話だ」と憤っている人が未だにたくさんいるようなのだが、事実は逆なのだ。
川内村の村民の多くは、郡山ビッグパレットそばの仮設住宅、あるいは郡山市内のマンションやアパート、戸建て住宅を「借り上げ」て仮設と同じにみなしてもらう制度(入居者数により最高月額9万円まで家賃補助)を使って郡山市内に「避難」しているのだが、空間線量のことだけをいうなら、川内村から郡山市に「避難」する意味はまったくないことがよく分かる。
ビッグパレットからいちばん近い計測ポイントを抜き出してみると、
日出山公園
0.518μSv/h
虹保育園
0.520μSv/h
……といった数値が出てくる。
一方、川内村の中心部を見ると、
川内村立川内小学校
0.110μSv/h
川内村立川内中学校
0.129μSv/h
かわうち保育園
0.168μSv/h
川内村役場
0.146μSv/h
……となっている(2012年4月19日時点)。この0.1xμSv/hというのは、首都圏とあまり変わらない。柏市あたりよりはよほど低い。
その他、ざっと見たところでも、郡山市内のほうが川内村中心部より、どう考えても線量は高い。
郡山市に「避難」している子供たちが川内村に戻って川内小学校や川内中学校、かわうち保育園に通うことは、被曝線量を下げることになる。
川内村中心部の線量(0.1xμSv/h)でも十分に高いから危険だと主張する人がたくさんいる。となると、郡山市、福島市、二本松市、本宮市、伊達市といった福島県の都市部は、問題外で住めないということになる。
中心都市部に居住できないなら、福島県は廃県にするしかない。
そういう議論を仕掛けていることになる。
壇上に上がって「帰村宣言などとんでもない!」と声高に叫ぶ人が、川内村の名称すら正しく言えない(かわうちちょう、とか、かわまたむら、とか言っている)というシーンも見たことがある。
考え方がいろいろあることは分かるが、少なくとも単純な事実誤認は避けてほしいものだ。
30km圏の住民が、線量の高い都市部に「避難」していていつまでも戻って来ないのは、被曝が怖いからではないのだ。

↑郡山市内の学校は除染でかなり線量が下がった。こういう場所からピンポイントで除染していくことは必須。

↑クリックで拡大

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東電品川火力が福島第一だったら ― 2012/03/20 13:56
もしも東電品川火力発電所が福島第一原発だったら
23区内はすべて立ち入り禁止、横浜、さいたま、千葉も生活不能
前にも出したが、「もしも東電品川火力発電所が福島第一原発だったら」という地図の分かりやすいやつがようやくできたので公開したい。(上の図 クリックで拡大)
4月20日に出版する『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』(岩波ジュニア新書)の冒頭で使うために岩波の編集部に作っていただいたものを元に着色した。
3.11後1年以上経った今でも、事故原発20km圏内は立ち入り禁止の「警戒区域」で、入ると罰せられる。
30km圏では学校や病院が再開できていないから、事実上生活ができない。
また、30km圏までの住民には、「避難中の精神的損害補償」として1人あたり10万円/月の賠償金が支払われているが、これを首都圏でやったら完全に日本は破産する。
ざっと2000万人が該当するとして、1年で、これだけで24兆円なのだから。
★3月24日の富士見市の講演会用に項目まとめを作ったので、それも併せて公開。
まだ空きはたくさんあるそうです。申し込みは
tel:049-261-5371 (ふじみ野交流センター)までお願いします。
■ あの日何が起きたのか + 最近分かったこと
●もしも1Fが東電品川火力の位置だったら……富士見市は最も汚染された津島の位置
●絶対に停電してはいけない場所でのお粗末すぎる備え
●津波が来る前に壊滅状態……2Fは今でも相当ひどい
●見捨てられた人たち・見捨てた人たち……県は国より先に知っていた
●徹底して隠された汚染の事実……ヨウ素131は南に流れていた
●最も危険な場所に避難誘導された……津島で何が起きていたか
●川内村全村避難劇の裏側……東電と富岡町長は最後まで避難を渋った
●線量計で汚染状況をいち早く検証……最初に情報が流れたのはmixi
■ 放射能とつき合うしかなくなった
●放射能汚染の基礎知識……ベータ線、アルファ線源はほとんど検査していないという実情
●外部被曝と内部被曝……怖いのは内部被曝
●テレビが放射能被害を拡大させた……警戒すべきときに安全といい、安全になってから煽る
●放射能とどこまで「共存」できるのか……福島の農家、さまざまなスタンス
■ 壊されたコミュニティ
●わざわざ線量の高い学校に通わされた子供たち
●30km圏の我が家に帰ったときの気持ちとその後の展開
●テレビで伝えられる映像とのギャップ
●義援金はどこにどう渡ったのか……津波被害地域にもっと配るべき
●家に戻ると補償金がもらえない……「帰れない」の本当の理由
●同じ福島県民同士がいがみ合う……飲み屋、パチンコ屋、タクシーは儲かるけれど
●汚染していないコメを捨てさせる……農家から誇りや生き甲斐を奪うことの怖ろしさ
■ 放射能より怖いもの
●「除染」によって危険が広がることもある……除染は単純な正義ではない
●森の除染は「儲かる」……優先順位もやり方もおかしい
●除染作業は内部被曝が心配……わざわざ再拡散~粉塵を吸い込んで内部被曝
●「国策」に潜む大きな危険……税金投入がなければそもそも原発はなかった
●命にとって本当の「危険」とは……生き甲斐、楽しさのない人生こそ危険
■ これからの時代の「自治力」「地域力」
●中越地震が教えてくれたこと……土地に根ざして生きることの大切さ
●永遠に成長し続けることはできない……石油が涸渇すれば「自然エネルギー」も使えない
●価値観の多様な世界に生きたい……マイナス成長時代を楽しむ
●「田舎で起業」「熟年王国建設」の勧め……発想を変えて生き抜く工夫。本当に住みたい土地、住みやすい町とは?
いわき市民のヨウ素内部被曝が隠されていたわけ ― 2012/03/14 17:49
いわき市はヨウ素131で汚染された
隠された「福島最大の都市」の初期被曝
『裸のフクシマ』(講談社)に詳しく書いたが、私は3月26日に避難先の川崎市から川内村の自宅に「自主一時帰宅」した。避難が長期化しそうなのと、いつ立ち入りができなくなるか分からないので、重要な荷物などを回収してくることが目的だった。守谷SA:0.33μSv/h。(川崎市の仕事場の倍以上だが、まだまだどうということはない)
日立北IC付近、通過している車の中で1.08μSv/h(このへんはトンネルが続くのだが、トンネルに入ると一気に下がり、0.1~0.5μSv/hくらいに一気に下がる)
関本PA:1.6μSv/h
いわき湯ノ岳PA通過:2μSv/h(時速80kmくらいで走行中の車の中でこれだけ上がった。その後、いわきジャンクションから磐越道に入るところまでは高かったが、磐越道を西に折り返すように進むにつれ、線量はどんどん下がっていった)
差塩PA:0.5μSv/h
小野ICで降りると線量は一気に下がり、町の中では0.3μSv/hくらい(驚くほど低くて拍子抜けした)
……とこんな状況だった。
その後、何度も常磐道を通ったが、他の地域の線量に比べると、いわき市はぐんぐん下がって、数か月後には首都圏とあまり変わらない程度になっていた。
3月下旬のときに高かったのはなんだったのだろうと、ずっと気になっていたのだが、1年経って放送されたNHKのETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図5 埋もれた初期被ばくを追え』を見てその謎が解けた。
セシウムとヨウ素では、汚染地帯が正反対だったというのだ。
↑青いのがセシウム、赤いのがヨウ素131
これは文科省データだけで証明できている。ただ、文科省データは別々に計測地点と数値だけを出しているから、このようにきれいに可視化されず、気がつく人は少なかった。
番組では、独立行政法人海洋研究開発機構の2人の研究者などがまとめたヨウ素131の拡散状況が公開されていた。
いわき市を通過して茨城、栃木、群馬方向に流れていったという。
セシウムとヨウ素の拡散状況がこれだけ違ったのは、放出時期とそのときの風向きによるものだろう。あのとき、風は大半が東に、つまり海側に流れていったので、放射性物質もほとんどが太平洋に流れていってくれたが、ちょっと風向きが変わっていただけで首都圏が飯舘村並みに汚染されていた可能性もあるのだ。
で、問題はいわき市などに降ったヨウ素131による内部被曝だ。
ヨウ素131は半減期が8日だから、もはや痕跡は残っていない。今からホールボディカウンターを使ったところで出ない。
空中を流れていったのだから、風下にいた人たちは微粒子ごと体内に吸い込んでいる。
その初期被曝でどれだけ健康に問題が出るのかは分からない。ヨウ素の放射能がすでに消えてしまっているのだから、今からできることはない。
1年前にDNAが壊されたとすれば、その後の自然修復に期待するしかない。
いわき市は今はもうほとんど汚染されていないと言ってもいいので、今から避難してもあまり意味はないだろう。くよくよせず前向きに行動し、栄養のあるものを食べて、よく眠り、傷ついたDNAを修復することがいちばんかと思う。
いわき市民に避難地区と同レベルの「精神的損害補償」を支払うと4000億円/年
いわき市は福島県最大の都市だから、ここでシビアなヨウ素131被曝があったと認めてしまうと、賠償問題などが今とは桁違いに膨れあがる。避難していた精神的障害への賠償という名目で避難区域の人たちには10万円/月が支払われているが、同様にいわき市の人たちに、「状況を知らされないまま初期被曝をさせられ、その恐怖を今後ずっと抱え続けることへの精神的障害」への賠償を行ったらどれくらいの金額になるのだろうか。
いわき市の人口は約34万人。避難地域並みに1人10万円/月の「精神的損害補償」を支払ったら、ひと月で340億円。1年で4000億円を超える。
当然、セシウム汚染がひどかった福島市や郡山市など、中通りの人たちの精神的苦痛も無視できないから、その人たちにも全員10万円/月を支払えば、軽く兆を超える賠償金が必要になる。
福島県全体なら約200万人だから、月に2000億円、年2兆4000億円……。
だから国も東電もひたすら都市部の汚染には目を向けないようにさせているのだろう。
都市部の汚染は数値的に明らかなのに、国民やマスコミの目を都市部よりも原発周辺の過疎地に向けることで、賠償問題が大きくなることを防ごうとしている。
せめて今からできることは、これから出てくるかもしれない子供の甲状腺癌の兆候を見逃さないようにしっかり見守る態勢を作ること。兆候が出たらすぐにできうる限りのケアを施せるように準備すること。せめてそのくらいはしっかりやってもらわないと。

青がセシウム汚染、赤がヨウ素131汚染。はっきり分かれている

(独)海洋研究開発機構の研究者がまとめたヨウ素131の流れ

ヨウ素131の拡散シミュレーション(1)

その2 まず南方向に流れ出した

その3 いわき市を直撃してさらに南へ

風が東寄りに代わり、茨城・栃木へ

宇都宮あたりもヨウ素131はかなり飛んできた

日光や南会津もかなりやられた。そして群馬に……
※いずれもNHK 『ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図5 埋もれた初期被ばくを追え』 より
■講演会 「災害とコミュニティ ~震災後、原発30km圏内で起きたこと」
●日時 2012年3月24日 午後1.30~3.30●場所 富士見市立ふじみ野交流センター(最寄り駅 ふじみ野)
●講師 たくき よしみつ
●参加費 無料
●定員50人・要申込 tel:049-261-5371 (ふじみ野交流センター)
原発運命共同体が壊す福島の和 ― 2012/02/19 14:37
原発運命共同体が壊す福島の和
俺たちは賭けに勝った……?
2つ前のトピックで「『運命共同体』という賭けに破れた人たち 」 という文章を載せた。原発を誘致した人たちは、原発誘致という賭けに負けたという意味のタイトルだったが、最近、彼らは本当に「賭け」に負けたのかどうか、疑問に思うようになっている。
立地4町の富裕層は一時的には財産を失ったし、収入基盤もなくなったかもしれない。しかし、川内村の人たちのように、事故前より実質収入が増えて、予想外の都市生活を家賃ただで始めているケースを見ていると、この人たちは買った記憶もないくじを当てたのかもしれないと思えてくる。
多くの村民は仮設や借り上げ住宅を手続きして「避難中」という証明を担保した上でちょこちょこ自宅に戻っている。どっちが別荘なのか分からないが、家賃ただの都市生活をしながら、仕事をしないことで収入補償を得られる根拠としての30km圏の自宅を維持するという、新種の二地域居住をしている。
「今日はどっちに泊まるんだ?」
「今日は郡山に戻る。明日また来て草取りの続きすっから」
……村にいると、こんな会話が毎日交わされているのに出くわす。統計上は「避難中」で家に戻っていないことになっているし、それによって東電からの「避難生活等による精神的損害」補償(1人あたり月額10万円)もしっかり受け取っている人たちの会話だ。
庭の草むしりや家の周囲での畑作業は以前と同じようにしているが、田んぼは放置したまま。下手にいじると農業補償が減らされかねないという恐れからだ。
おかげで村中の田んぼは草ボウボウになった。夏にはメマツヨイグサが、秋にはセイタカアワダチソウが人の背丈ほども生えた。
この草が刈られたのは冬が迫ってからだった。村から日当が出た。自分の田んぼの草刈りをするのに日当が出たというので、ずいぶん話題になった。
作業中、マスクをしている人はほとんどいない。みんな「放射能なんて大したことねえっぺ」と高をくくっている。
村は、田んぼは荒れ果てたので今期も作付けは無理であるから全面補償をしてほしいと願い出ている。
おそらくそうなるのだろう。2年続けて農業補償。それだけなら米を普通に作って売っていたときより安いかもしれないが、ほとんどの家は兼業農家で、給与収入分は全額就労不能損害補償されているし、失業保険をもらえる人はそれももらっているから二重に補償され、仕事をしないほうがしていたときより収入増になった。
金のことだけを考えれば、彼らは賭けに負けたとは言えない。「想定外」の金を得て、戸惑いながらも都会生活の中で虚しく使っているように見える。
福島県人同士が憎しみ合う構図
今、福島市、郡山市、いわき市などの都市部では、市民が原発立地や周辺自治体(「30km圏利権」が生じたエリア)から来ている人たちへの憎悪が激化している。県外の人たちもようやくそのことに気づき始めたようだ。都市部の市民は、放射能汚染された自宅を捨ててどこかに行きたくても補償されない。仕方なく、ものすごいストレスを抱えたまま、今日も黙々と、普通に生活している。
タクシーの運転手は客が増えた。「避難」してきている人たちが毎晩飲み屋で遊ぶから。飲み屋に呼ばれて客を乗せ、行き先を訊くと「○○の仮設住宅へ」とか、借り上げしているアパートの場所を告げられる。
3.11前、毎日うちに宅急便を届けてくれていた村の人は、郡山の借り上げ住宅に一家で避難したまま戻って来ない。代わりに、富岡やいわきで、津波で家を流された人が毎日山を越えて届けてくれていた。
事故後ひと月で再開した川内郵便局の局員には、津波で家を流されたいわき市の人もいた。
彼らは自分たちの仕事の公益性を十分に承知していて、仕事をすることが当然と思い、誇りも持っていた。
彼らのおかげで物流を確保できた村の人たちはどうしていたか……。
仕事に復帰すれば就労不能損害補償がなくなるからと、避難したまま遠巻きに村の様子を見ているだけだった。
働けば働いた分だけ補償が減らされるのだから、厳しい仕事に戻ろうなどと思うはずがない。なんとか理由をつけて「失業中」を維持しようとするだろう。そのことを非難できる人がいるだろうか。後は「恥」とか「尊厳」の問題になってくる。
郡山やいわきのパチンコ屋、飲み屋は連日繁盛している。
パチンコ屋の駐車場には、日が経つにつれ、ピカピカの新車が目立つようになった。補償金や義援金で潤った人たちが車を買い換えたからだ。
前双葉町長・岩本忠夫氏(昨年、避難先の福島市で死去)が、双葉地方原発反対同盟委員長を務めていた1972年に造られた「原発落首」(「落首」=世相を風刺した狂歌の類)を再掲したい。
このごろ双葉に流行るもの、飲み屋、下宿屋、弁当屋。
のぞき、暴行、傷害事件。汚染、被曝、ニセ発表。
飲み屋で札びら切る男、魚の出どころ聞く女。
起きたる事故は数あれど、安全、安全、鳴くおうむ。
なりふりかまわずバラまくものは、粗品、広報、放射能。
運ぶあてなき廃棄物、山積みされたる恐ろしや。
住民締め出す公聴会、非民主、非自主、非公開。
主の消えたる田や畑、減りたる出稼ぎ、増えたる被曝。
避難計画作れども、行く意志のなき非避難訓練。
不安を増したる住民に、心配するなとは恐ろしや。
原発運命共同体は賭けに負けたのだろうか? 勝ったのだろうか?
麻薬中毒は立ち直ることが難しい。
人間、みな弱い。金を目の前にぶら下げられて拒否できる人は少ない。
しかも、家と土地を見えない汚物で汚され、仕事も失っている身となれば、「こんな金はいらん。俺は仕事をする!」と宣言する意志力を持てる人は極めて少ないだろう。
「ありがとうございました。またどうぞ」
今夜も福島のどこかで、飲み屋のマスターやタクシーの運転手が、原発30km圏からの「避難者」たちにこう挨拶している。
心の中では、その客への憎しみをまたひとつ増大させて。
福島で今起きている本当のことを、日本中の人に知ってほしい。
この国は、こういう手口で我々を手懐けてきたのだということを。
そして、その手口に使われた金は、我々が仕事をして、なけなしの稼ぎから納めた税金であり、せっせと節電に協力しながらも支払わなければならない電気料金から出ているのだということを。
放射能より怖いもの……それは「フクシマ」のような惨劇を経験しながらも何の反省もなく、こうした「手口」を今もってこの国は使い続けていること。そして、国民がそれを許し続けているということだ。
「1人10万円/月」だけではない高額補償を捨ててまで帰る者などいない ― 2012/02/19 12:18
「30km圏利権」という罠
■家に帰れば補償打ち切り、仕事を再開すれば補償減額
先日、某新聞社記者から電話があって、「川内村がいち早く帰村宣言をしたが、今の気持ちと村の現状を聞かせてほしい」という。逆にその記者に、「本当のことを書けるのですか?」と訊いた。
テレビでは「除染が完全に済んでいないのに帰れない」といったことを言う「避難者」が映し出される。それを見て視聴者は「汚染された村に帰れだなんて、村長は人殺しか」などというトンチンカンなコメントをネットに書き散らす。
全然違う。
放射能汚染はもはや関係ない。最初から、村の中心部の汚染は避難先の郡山市などより低いということをここでも何度も書いている。
帰れないのは、帰ると補償金がもらえなくなるから。
非常にシンプル、かつ切実な理由からだ。
東電の「賠償金ご請求の解説」というパンフレットが僕の手元にも届いている。
そこにはこう書いてある。
避難生活等による精神的損害
1人あたり10万円/月 または 12万円/月
開始日:平成23年3月11日
終了日:賠償終期の前に帰宅された場合は、初めて帰宅された日
つまり、家に帰ればその日をもって1人あたり月10万円の賠償金が打ち切られるというのだ。
この「精神的損害賠償金」はすでに今年2月末分までは確定しているので、今も「避難している」と主張する人たちには全員120万円/年以上が支払われる。(仮払い金も含めてすでに過去の分は支払われている)
ちなみに12万円/月は、体育館などの集団避難所にいた期間について支払われる金額。仮設住宅や借り上げ住宅制度(貸し家、マンション、アパート、個人所有の別荘などを避難先として登録すると、月9万円までの家賃を出してくれる制度)が始まってもなかなか避難所を出て行こうとしなかった人たちの理由のひとつになっている。仮設や借り上げに移ると、食費光熱費がかかる上に、補償金が減らされるから移りたくない、ということだ。
この「精神的損害補償」だけで、例えば5人家族なら年600万円の支給になる。
「1人10万円/月」だけではない高額補償
これは賠償項目の1つに過ぎない。「就労不能損害」補償では、「事故がなければ得られた収入 - (事故後)実際に得た収入」の差額を支払うということになっている。つまり、仕事を再開しなければ事故前の収入が全額補償されるが、仕事を再開して少しでも収入を得るとその分は差し引くということだ。
例えば、月収40万円あった人は、原発事故のせいで仕事を失ったとして仕事につかなければ事故前の40万円という月収がまるまる補償されるが、頑張ってバイトを見つけ、月15万円稼ぐようになれば、その15万円は差し引かれる。仕事をしてもしなくても収入が変わらないと言われ、仕事をする人がどれだけいるだろうか。
ちなみに、これとは別に失業手当は出ているから、正規雇用者は二重に補償されている。
また、ほとんどの家は兼業農家だから、農業補償などの補償も加わっている。
「今年度も全面作付け禁止にしてほしい」と村のほうから願い出るのも、不労収入を減らしたくないという村民の「総意」を受けたものだ。
働いて稼いだ分だけ補償額から引くという信じがたい内容↑(クリックで拡大)
ついでに、「過去の実績給与等の証明ができない場合の賠償額」の決め方も実に奇妙だ。
3.11時点で月140時間以上勤務していて、「就労する期間が決まっていない(期間の定めがない)雇用形態」の人は15万円/月。就労する期間が決まっていた雇用形態の人は9万円/月だという。不定期就労のほうが補償額が多い。これでは、いわゆる臨時雇いやパートであっても「私は月140時間以上勤務していたが雇用期間は決まっていなかった」と申請して15万円/月を得ることになるだろう。
月140時間以下の労働時間であっても、最低補償が3万円/月もらえる。
田んぼの除染が始まると、歩くのがやっとの老人が草刈り機を手にして田んぼの脇に1日座っている光景を見たが、あれは日当をもらうための頭数増やしにかり出されたものだ。同じように、どんな内容であっても「不定期に勤労していた」と申告すれば、3万円/月が支払われるのだから、就学児以外の家族はじいさんばあさんも総動員させて「就労不能損害補償」を申請していることだろう。
精神的損害補償1人10万円/月、就労不能損害補償は3.11前の収入分の全額、失業保険は別途支給で期間も延長、たまにアルバイトしていた、あるいは近所のお手伝いで謝礼をもらっていた程度の就労実績でも申請の仕方によっては毎月定額の「就労不能損害補償」。草ぼうぼうにしている農地があればあるほど農業補償上乗せ……これだけでも、ざっと計算してみれば、総収入が1000万円/年を超える世帯が続出しているであろうことが分かる。

以前の給与証明ができない場合、不定期就労者のほうがなぜか補償額が大きいという不思議↑(クリックで拡大)
家に戻ればその時点で1人10万円/月がなくなる。仕事を再開して収入を得れば、その分賠償金が減らされる。
そんな腐った補償規定で村をシャブづけ状態にしておいて、復興だの再生だのがありえないことは明白ではないか。
補償金がもらえる間は極力何もしないでもらい続ける。それがいよいよ打ち切られたら、今度は「除染ビジネス」で金をもらう。放射性物質を含んだゴミ処分場建設でも金がいっぱい落ちそうだ。なるべく国有地ではなく、村有地や私有地を指定してもらえ……。
村の行政としても、村民が仕事をせず、村に戻らないことがいちばん高収入という今の状況を少しでも長く維持することが「村民の意志」「総意」であると認識して、そのように動いている。村長の苦悩はいかばかりか。
……取材を求めてきた記者さんにこんな話をしたところ、「う~ん、やはりそれは書けませんね。私たちが考えている内容とは違うので……」と言われた。
かくして、日本中、今日もまた「一日も早く故郷へ帰りたい」「除染を急げ、住民の願いは届くのか」みたいな的外れな記事を読み、間違った福島情報を積み重ねていく。
私は当初、東電とは闘ってきちんと賠償金をもらうつもりでいた。しかし、今はこの土俵の上に乗ることが嫌だ。
私は「緊急時避難準備区域」が解除される前から村に戻って普通に生活を再開していたが、それによって「精神的損害補償」は打ち切られたことになる。
その後、村人たちの様子がどんどんおかしくなっていくことに耐えられず、昨年末、自費で移転先を探し、今は安い中古住宅を見つけてそこに移ってきている。
川内村の自宅を失った上に、なけなしの預金をはたいての引っ越し。大変な財産損失だが、しばらくは東電への「賠償金請求」という土俵には乗らないつもりだ。今のままではシャブづけの仲間入りになってしまうからだ。
アヘン巣窟のようになってしまった村を見ているのは辛い。
放射能が怖くて帰れないのではない。人々がまともに生きる気持ちを失い、補償金の維持という一点で強く結ばれている「運命共同体」に参加したら、意味のある人生を送ることができなくなる。阿武隈で暮らす意味がない。
阿武隈の自然が壊される前に、コミュニティが──人間の心が壊されてしまった。
あそこでもう暮らすことはできないと覚悟を決めるしかない。
この悲しみと悔しさは、3.11直後のショックよりはるかに大きい。
「川内村のミミズ」記事で騒いでいる人たちへ ― 2012/02/06 16:57
線量が高いところでは土壌も汚染されたというだけの話
農水省所轄の独立行政法人である森林総合研究所の長谷川元洋主任研究員(土壌動物学)が、昨年8月下旬~9月下旬に川内村の国有林で採取した数十匹のミミズから1キロあたり約2万ベクレルの放射性セシウムが検出されたと報告したというニュースが大きく報じられている。このニュースを受けて、「そんなとんでもない汚染の村で帰村宣言とは何事か」「村長は住民の命を何だと思っているのか」といったコメントがネット上に溢れている。
この問題についていくつか確認しておきたい。
調べたのは3か所だけ
この調査の元サンプルになったミミズは、昨年8月~9月に農水省が、川内村、大玉村、只見町の3か所で杉などの木を伐採して採取したときの副産物らしい。この調査は、杉などを伐採して木の部位別(葉、枝、樹皮、辺材、心材)および林内の落ち葉などの堆積物、土壌の放射性セシウム濃度を調べることが目的とされている⇒中間報告書はこちら。
調査地点は3か所だけで、この3か所の中では川内村が第一原発に一番近い(一部は20km圏内の警戒区域)。
そのときの空間放射線量は、川内村の調査地点で3.11μSv/h、大玉村が0.33μSv/h、只見町が0.12μSv/hだったという。
ちなみにニュースでは調査したのは昨年8月下旬から9月下旬となっていたが、この報告書には8月8日~12日の5日間と書かれている。後からミミズなどを追加で採取したのかもしれないが、空間線量を計測したのはおそらくこの8月8日~12日だろう。
空間線量が高いところほど土壌汚染もひどいというだけのデータ
さて、昨年8月時点で空間線量が3μSv/hを超える場所といったら、川内村の20km圏外では極めて限られていた。思い当たるのは、大津辺山の一部あたりか。川内村といわき市との境界あたりにはホットスポットがあり、荻や志田名という地名はNHKの番組でも報じられたので有名になった。そこにある民家は川内村よりもいわき市のほうが多い。ちなみに、川内村でそのホットスポットにあった1軒は「特定避難勧奨地点」に指定された。具体的には下川内三ツ石 勝追という場所で、7月の時点で空間線量が3.2μSv/hを超えていたという。該当の家はすでに新潟県に避難していた。
こうしたホットスポットは存在していたので、おそらくそのそばの国有林か、あるいは20km圏警戒区域内の国有林だろう。
ちなみに我が家は家の両側が国有林だが、昨年8月の時点で林の中の空間線量は1μSv/h以下、家の外で0.5μSv/h程度だった。
で、森林総合研究所のミミズ調査の件だが、これは「空間線量が高い場所は土壌もそれだけ汚染されている」というデータにすぎない。サンプルは3か所だけ。空間線量が0.12μSv/hや0.33μSv/hの土地より、その10倍、30倍の線量がある土地はもっと汚染されていますよ、ということが証明されただけで、あたりまえすぎる話。
要するに、空間線量が3μSv/h程度ある森林の土壌に棲むミミズは2万ベクレル/kgくらいのセシウムを含んでいる可能性がありますよ、ということになる。
ミミズ1kgというのはあんまり想像したくない図だが、仮に体重が10gのミミズであれば、1匹あたり20ベクレル程度のセシウムを含んでいますよ、ということだ。
川内村の広さと位置関係を把握していますか?
たった3か所のサンプル採取地の1つがたまたま川内村のホットスポットだったことで、ニュースを読んだ人たちの多くは「川内村ってとんでもなく汚染された村なのだな」と思いこむ。これはまったく違う。
川内村の面積は千代田区の17倍ある。
福島第一原発を東電の品川火力発電所の位置だと仮定すると、警戒区域の20km境界線は横浜市の緑区役所あたり。村の中心部はそこから数km離れているだけだが、空間線量は柏市のホットスポットなどより低い。
モリアオガエル繁殖地として国の特別天然記念物指定を受けている平伏沼(へぶすぬま)は第一原発から29kmほど離れているが、上の品川火力発電所からの位置に喩えるなら、横浜市を通り越して大和市市役所あたりに該当する。ここは今でも1μSv/h前後あり、第一原発に近い村の中心部よりずっと線量が高い。
もし、森林総合研究所が調査した地点が下川内のホットスポットに近い森の中だとすれば、品川火力発電所からの位置だと、横浜市緑区の鴨居あたりだろうか。
首都圏の人に思い描いてほしいのは、もしも品川火力発電所の位置に福島第一原発があったとすれば、横浜市緑区の住民も大和市の住民もみんな川内村の住民に該当するということ。で、緑区でも緑区役所周辺の人は0.2~0.3μSv/hだから、かなり安全な場所だけれど、鴨居に住んでいる人は3μSv/h以上の線量ホットスポットになってしまい、避難しなければならないということだ。
今回の「川内村のミミズからセシウムが2万ベクレル/kg」というニュースに反応して「川内村は汚染されている。そこに暮らすなんてとんでもない」と主張する人たちに知ってほしいのは、その主張は、「横浜市緑区鴨居の杉林のミミズから高濃度のセシウムが検出された⇒こんなところに住んでいるのはとんでもない⇒東京都内はもちろん、神奈川県も全部避難しろ」……というようなスケールの話だということだ。
こんな風に、ホットスポットの存在やまだら状に汚染された状況は複雑で、千代田区の17倍の土地に家が千戸もない川内村を地理的にひとくくりにして「危険な村」と把握してもらっても困るのだ。
川内村の中心部(役場の周辺。小学校や中学校もこのへんに集まっている)では、昨年8月時点での空間線量はせいぜい0.2μSv/h~0.3μSv/h程度だった。川内小学校のグラウンドやウッドデッキの上で、僕は実際に線量を計ってもみたが、そのとき川内小学校が間借りしていた郡山市の小学校よりずっと線量は低かった。川内小学校の子供たちは、母校よりずっと汚染がひどい小学校に通わされていたことも知っておいてほしい。

↑東電品川火力発電所の位置に福島第一原発があったとすると、川内村の位置はこんな感じ
この調査発表の真意は?
森林総合研究所が去年発表した中間報告書では、杉の葉と落ち葉に高い濃度のセシウムが付着していると報告している。
これもまあ、あたりまえのことで、杉のような常緑樹では上から降ってきた放射性物質は、あの細かなブラシ状の葉に多く絡め取られるだろうし、それをすり抜けた分は地表に落ちるのだから、そこにすでに落ちていた落ち葉に付くのも当然すぎる結果だ。
ただ、勘違いしてはいけないのは、この調査時点での「落ち葉」というのは、前年に落ちた葉であって、4月以降に芽吹いた新緑ではないということだ。
だから、事故後の冬に落ちた落ち葉にはほとんど放射性物質は付着していないはずで、むしろその「新しい落ち葉」は、すでに地表に積もっていた放射性物質の上に被さって、放射線を遮蔽し、放射性物質の再拡散(粒子として飛び散る)を防ぐ働きをしているはずだ。
であれば、無理にこの「新しい落ち葉」をかき集めるのは、放射性物質の再拡散を促すだけではないかということも考えられる。
それでも、この報告を鵜呑みにした人たちは「森を除染しなければ除染は完了しない。いつまでも森から放射性物質が流れ出して、里の人々の健康や農地を脅かす」と言いたいのだろう。
はっきり言おう。
汚染された土地から出て行ける人、出たいと思う人は出たほうがいい。そうした人たちへ移転費用を出すのはあたりまえである。
しかし、それでは原発利権を築いてきた連中が「儲からない」のだ。
除染という名目であれば、巨額の税金を投入できる。その新たな「公共事業」で利権が生じて、原発で儲けた企業や、原発を推進してきた官僚たちも安泰である。事実、政府から除染を請け負っているのは「もんじゅ」を運営している原子力機構(独立行政法人日本原子力研究開発機構)だ。
原子力機構が除染ビジネスを仕切って、原発建設をしてきたゼネコンなどに新たな事業を丸投げし(当然、「中抜き」はして)、ゼネコンなどの原発関連企業が原発立地の建設会社、土建会社などに下請けさせ、そこからさらに、原発に「人夫出し」をしていた地元の有力者たちがおこぼれにあずかる。
原発を推進してきたときとまったく同じ構図が、すでにできあがって、動いている。もう誰にも止められない勢いだ。
森林の除染などという、できるはずのないこと、意味のないことに莫大な税金を注ぎ込むような愚かなことは許されない。そんな金があるなら、汚染された土地から移住したいと思う人たちへの援助や、汚染が低かった土地での産業や文化の再構築といった、人間と自然を守る方向に使うべきだ。
川内村の低汚染地域について言えば、帰村宣言というよりは、外から新たに志を持った熟年世代、農業者を呼び込むくらいの政策を打ち出してほしかった。
しかし、すでに除染、除染で動き始めてしまった村に、僕自身、安心して住んではいられないし(内部被曝のリスクは除染作業が盛んになるにつれ上がるだろう)、ましてや村の外から人を呼び入れて村の再建を……ということもできない。今の状況では無責任すぎるからだ。
すでに阿武隈の友人たちのほとんどは、新天地を求めて北海道、岡山、佐渡、長野、山形……と、散り散りになっていった。
今の僕は、遠くへ行ってしまった友人たちとはネットワークが途切れないようにし、移転先を探している友人たちには知りうる限りの物件情報を提供し、村に残って頑張っている友人たちには、今回のようなバカげた誤解情報が拡散しないよう、日本中の人に事実を知ってもらう努力をしている。
帰村宣言は人殺しだ、などというお門違いなことを叫ぶ人たちに言いたい。問題はそんなに単純ではない。本当の悪はそんなところにはない。
原発推進と同じ手口で騙され続けてはいけない。
「運命共同体」という賭けに破れた人たち ― 2012/02/02 11:56
「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です。 地域開発は、まさにこの偉大な自然の中で、これを活用し、人間の生命と生活が保護されるという状態で進められることが大切です。
しかし、今まで現実に進められてきた開発行政は、一般住民の生活基盤の整備が放置されたままに、大企業の立地条件がすべてバラ色に装飾された図式のもとで、至るところ、企業の誘致合戦が展開されてきました。
人間が生きていくことに望ましい環境を作り、それを保持することが、今日最大の必須条件ですが、現実にはこれが尊重されず、企業本位の開発進行がなされてきたために、人間の命が軽視され、公害が発生しました」
↑これは1971年に初めて県会議員に当選した岩本忠夫氏が、最初の県議会の質問に立ち、原発問題について切りだした冒頭の言葉だ。彼は「双葉地方原発反対同盟」の委員長でもあった。
「(東京電力と)長いつきあいをしてきたと言うことで、原子力発電所それ自体についても、その中で自分も生きてきたと思っているのです。ですから、単に原子力発電所との共生をしてきた、共生していくということだけではなくて、運命共同体という姿になっていると実は思っています。
いかなるときにも、原子力には期待もし、そこに『大きな賭け』をしている。『間違ってはならない賭け』をこれからも続けていきたい。
私はどのようなことがあっても、原子力発電の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています」
↑これは双葉町の前町長・岩本忠夫氏が、2003年、社団法人原子燃料政策研究会の会報『プルトニウム』42号でのインタビューに答えたときの言葉。
……同じ人物である。
原発推進に転向した岩本氏は、5期20年にわたって双葉町の町長であり続けた。
当時の福島県知事佐藤栄佐久氏は、2001年頃から徐々に原発推進政策に疑問を抱き、見直しを打ち出していた。
そんな中、2002年8月には、東京電力が原発の保守点検などに関するデータを改竄していたことが発覚。
きっかけは2000年7月に、福島第一原発の設計をしたアメリカのゼネラル・エレクトリック社系列の技術者が、通産省(現経済産業省)に告発文を実名で送ったこと。しかし、国はこれを2年間も見て見ぬ振りをして、真相解明の努力をしなかった。他にも、原発内部で働く人たちからの内部告発を、保安院は告発者の名前までつけて東電にそのまま伝えた上で、自分たちは独自調査さえしなかった。
佐藤栄佐久県知事(当時)の国と東電への不信感はピークに達し、福島第一原発のプルサーマル計画は白紙撤回に追い込み、2003年4月には、東京電力の原発すべてが停止するという事態になった。
上に紹介した岩本町長へのインタビューが行われたのは、まさにこの直後、2003年夏のことだ。
こうした事態になっても、岩本町長は町長として原発誘致に町の命運をかけることに疑いを抱いていないと言いきっている。実際、双葉町は福島第一原発に7号機、8号機を増設してくれと要望し続けていた。
それを指して、佐藤栄佐久前県知事は「原発は麻薬のようなもの。一度手を出したら抜けられず、もっともっとと欲しがる中毒患者になる」と言っている。
元反原発運動のリーダーが、「地元の民意なら」と、考えを変えて、「運命共同体」として間違ってはならない賭けをした。
その結果、町長と町民は「賭け」に負けたのだ。原発は、地元双葉町だけでなく、日本の「山と水と森」を徹底的に汚染した。
かつて岩本氏が「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です」と訴えた、その自然を。
このような「運命共同体」を元に戻してはいけない。解体させてやり直すしかない。
つまり、「元通りの福島」に戻してはいけないのだ。
しかし、「双葉郡」でそれを口にすることは、今まで以上のタブーになっている。「原発運命共同体」は、補償金獲得や除染ビジネス利権を通じて結びつきを強めている。原発に代わる麻薬を探している。そのことから目をそらして復興だの除染だのと報じるメディアは、国民に、問題の根源が何かを見誤らせている。
岩本氏は、3.11直後に南相馬市の避難所に避難。その後は認知症が進み、3月末に福島市のアパートに移ってからは、「ここはどこだ」「家に帰っぺ」とうわごとのように繰り返すようになっていたという。
原発が高濃度の放射性物質をまき散らした4か月後の2011年7月15日早朝、死去。
しかし、今まで現実に進められてきた開発行政は、一般住民の生活基盤の整備が放置されたままに、大企業の立地条件がすべてバラ色に装飾された図式のもとで、至るところ、企業の誘致合戦が展開されてきました。
人間が生きていくことに望ましい環境を作り、それを保持することが、今日最大の必須条件ですが、現実にはこれが尊重されず、企業本位の開発進行がなされてきたために、人間の命が軽視され、公害が発生しました」
↑これは1971年に初めて県会議員に当選した岩本忠夫氏が、最初の県議会の質問に立ち、原発問題について切りだした冒頭の言葉だ。彼は「双葉地方原発反対同盟」の委員長でもあった。
「(東京電力と)長いつきあいをしてきたと言うことで、原子力発電所それ自体についても、その中で自分も生きてきたと思っているのです。ですから、単に原子力発電所との共生をしてきた、共生していくということだけではなくて、運命共同体という姿になっていると実は思っています。
いかなるときにも、原子力には期待もし、そこに『大きな賭け』をしている。『間違ってはならない賭け』をこれからも続けていきたい。
私はどのようなことがあっても、原子力発電の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています」
↑これは双葉町の前町長・岩本忠夫氏が、2003年、社団法人原子燃料政策研究会の会報『プルトニウム』42号でのインタビューに答えたときの言葉。
……同じ人物である。
原発推進に転向した岩本氏は、5期20年にわたって双葉町の町長であり続けた。
当時の福島県知事佐藤栄佐久氏は、2001年頃から徐々に原発推進政策に疑問を抱き、見直しを打ち出していた。
そんな中、2002年8月には、東京電力が原発の保守点検などに関するデータを改竄していたことが発覚。
きっかけは2000年7月に、福島第一原発の設計をしたアメリカのゼネラル・エレクトリック社系列の技術者が、通産省(現経済産業省)に告発文を実名で送ったこと。しかし、国はこれを2年間も見て見ぬ振りをして、真相解明の努力をしなかった。他にも、原発内部で働く人たちからの内部告発を、保安院は告発者の名前までつけて東電にそのまま伝えた上で、自分たちは独自調査さえしなかった。
佐藤栄佐久県知事(当時)の国と東電への不信感はピークに達し、福島第一原発のプルサーマル計画は白紙撤回に追い込み、2003年4月には、東京電力の原発すべてが停止するという事態になった。
上に紹介した岩本町長へのインタビューが行われたのは、まさにこの直後、2003年夏のことだ。
こうした事態になっても、岩本町長は町長として原発誘致に町の命運をかけることに疑いを抱いていないと言いきっている。実際、双葉町は福島第一原発に7号機、8号機を増設してくれと要望し続けていた。
それを指して、佐藤栄佐久前県知事は「原発は麻薬のようなもの。一度手を出したら抜けられず、もっともっとと欲しがる中毒患者になる」と言っている。
元反原発運動のリーダーが、「地元の民意なら」と、考えを変えて、「運命共同体」として間違ってはならない賭けをした。
その結果、町長と町民は「賭け」に負けたのだ。原発は、地元双葉町だけでなく、日本の「山と水と森」を徹底的に汚染した。
かつて岩本氏が「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です」と訴えた、その自然を。
このような「運命共同体」を元に戻してはいけない。解体させてやり直すしかない。
つまり、「元通りの福島」に戻してはいけないのだ。
しかし、「双葉郡」でそれを口にすることは、今まで以上のタブーになっている。「原発運命共同体」は、補償金獲得や除染ビジネス利権を通じて結びつきを強めている。原発に代わる麻薬を探している。そのことから目をそらして復興だの除染だのと報じるメディアは、国民に、問題の根源が何かを見誤らせている。
岩本氏は、3.11直後に南相馬市の避難所に避難。その後は認知症が進み、3月末に福島市のアパートに移ってからは、「ここはどこだ」「家に帰っぺ」とうわごとのように繰り返すようになっていたという。
原発が高濃度の放射性物質をまき散らした4か月後の2011年7月15日早朝、死去。
代替エネルギーなどというものはない ― 2012/01/04 22:29
■元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに…… (3)
(←承前)
「代替エネルギー」なんてものはない
討論の最後には、今後のエネルギー政策をどうするのかというテーマが予定されていた。
これはものすごくストレスを感じるテーマで、この番組では到底まともには議論できないだろうと思っていた。
討論案にはこう書かれている。
それぞれに対する僕なりの見解を書いてみる。
「民主党政権のホンネ」なんてものはない。
なぜなら政党構成員があまりにも未熟で、エネルギー問題に対応できる力がないからだ。
これは自民党も同じなのだが、自民党には民主党よりも利権屋が圧倒的に多く、エネルギーコストとか環境負荷なんかどうでもいいから、儲かるような仕組みを作っていこう、という輩が主導権を握っていた。
民主党はトップにそれだけの悪知恵さえない。だから簡単に騙され、CO2大幅削減とか、「再生可能エネルギー」高額全量買い取りだとか、亡国の政策を正義の御旗のもとに振りかざし、その後、事実が少しずつ分かってきても引っ込みがつかなくなり、ぐずぐずになる。
政治家がどのくらい程度が低いかという例として、『裸のフクシマ』では、昨年5月末に結成された(正確にはずいぶん昔に話が持ち上がったままになっていたグループが「再結成」したということらしい)「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」のメンバーというのをここに記しておく。
たちあがれ日本:
平沼赳夫(会長)、中山恭子
自民党:
谷垣禎一、安倍晋三、山本有二、森喜朗(以上顧問)、山本拓(事務局長)、塩崎恭久、高市早苗
民主党:
鳩山由紀夫、渡部恒三、羽田孜、石井一(以上顧問)
国民新党:
亀井静香(顧問)
よ~く名前を覚えておこう。この人たちは未だに、原発は地下に作れば安全だなどというとぼけたことを真面目に主張しているのである。驚くべき話ではないか。
「今回の福島第一原発の1?4号機の事故ですが、仮に地下に立地していたのなら、地震には絶対強いです。そして、津波も取水口を封鎖してしまえばいいので、問題ありません。仮に地下でメルトスルーが起きても、中に(放射性物質を)閉じ込めることができるので、外には漏れません。それで、ロボットを使って作業をすると。そうすれば、今の福島のように宇宙服を着た作業員が、危険な作業をするということを避けることができます」(山本拓・自民党衆院議員 福井選出)
こういう人たちが日本の政治を動かしているのだ。
ちなみにこの会が昨年7月7日に開いた第二回の勉強会では、会場を震撼させるようなシーンがあったという。
// 会場の空気が凍りついたのは、「原子炉等が想定外の破損事故を起こしても、原子力施設周辺住民に放射線による被害を及ぼさない地下式原子力発電所について」と題して講演した京都大学名誉教授の大西有三氏(地盤工学)が質問を受けた時のことだ。参加議員に国際社会で「核燃料サイクルはどう変わっているか」と問われた際、「核燃料サイクルと言いますと?」と聞き返したのだ。質問議員が慌てて「プルトニウムを取り出してもう一度使うシステム」だと逆に答えると、「私はちょっとあの……我々がやっているのは一番最後に再処理して残った、これ以上は使えない処理です」という珍問答となった。(「核燃料サイクルを知らない専門家 地下原発議連、2回目の勉強会」 週刊金曜日7月15日号 まさのあつこ氏の記事より)//
お笑い作家でもこんな間抜けなやりとりは考えつかない。
……これが政治家の実態だ。
彼らにエネルギー問題を考える能力などあるはずがない。
次に言いたいのは、再生(可能)エネルギーなどというものは存在しないということだ。
エネルギーの総和は一定だし(質量保存の法則~熱力学第1法則)、エネルギーを利用すれば必ず廃物・排熱が出て、それは増える一方で減らせない(エントロピー増大の法則~熱力学第2法則)のだから。
まだ「自然エネルギー」という名称のほうがマシだが、世の中には自然ではないエネルギーというものはない。地球が得ているエネルギーはすべて太陽光由来のものだからだ。
化石燃料は太陽光エネルギーが形を変えて缶詰のように地下に貯蓄されたものだ。エントロピーが低く、とても利用しやすい。今、人類はその貯金を惜しげもなく使い続けている。そこが問題なのだ。
これに対して、原子力は異質で、自然由来のエネルギーとは言いきれないし、自然環境の中に渡して、地球の循環機構により処理することもできない。だからこそ「使えない」「使ってはいけない」と判断しなければいけないのに、処理できないまま、俺たちが生きている間はなんとかなるだろうと無責任に使い始めたことで悲劇が起きた。
で、そういう定義の問題は置いておくとして、風力や太陽光発電で化石燃料(を燃焼することによるエネルギー利用)を代替できるかと言えば、できるはずがない。化石燃料がゼロになれば風車も太陽電池も作れないのだから。
風力発電や太陽光発電が作りだすものは電力だけであって、地下資源のような原材料に相当するものは何も生み出さない。
発電の話に限って言っても、発電コストが高いというのはそれだけ石油などの資源を使うから高いのであって、実に単純な話なのだ。
このへんの話は、『裸のフクシマ』の最後のほうに書いたので、これ以上は繰り返さないでおこう。
もしかしてその議論になるかな、と思い、最低限用意しておいた資料を示しておく。
ひとつは、Googleで「風力発電 解列」というキーワードで検索すると上位に出てくる「風力発電機解列枠の検討について」という経産省が出している資料。
「解列」という言葉は耳慣れないかもしれないが、要するに「外す」「つながない」ということだ。
風力発電からの電力はあまりにも乱高下が激しく、送電系統を乱すため、送電系にその乱れを呑み込む余力がない(つまり、電力消費が少なく、少ない電力量しか流れていない)ときには、停電を避けるために風力発電からの電気を外す(止める)ということだ。これを「解列」という。
ここにはこう解説されている。
風力発電は,自然条件により出力が変動することから,電力系統への連系量が増大した場合,当該地域内の電力需給バランスが損なわれる可能性があります。
従って,風力発電機の連系に伴う周波数変動を抑えつつ,風力発電の導入拡大をしていく方策の一つとして,出力変動に対応する調整力が不足する時間帯に風力発電機の解列を条件に,新たな風力発電機の系統連系を募集するものです。
国は風力発電を増やせと言っているが、あんな不安定なものをつないだら停電の恐れが出てくる。
しかし、それでも増やせと言うのだから、送電系が対応できそうもない時間帯には最初から風力発電の電気を除外してしまう(外してしまう)ということにすればいい。大量の電気を消費しているときは、風力以外の発電からの電気がたくさん来ているので、そこにちょっとくらい風力からの変動の大きな電気が混じっても、誤差の範囲で対応できる。そういうことにすれば、風力発電はもう少し増やせますよ、と言っているのだ。
これがどれだけバカげた話か、普通の思考力の持ち主なら分かるだろう。
もともと大した発電量が期待できない風力発電だが、夜間などの電力消費が少ない時間帯に風力発電をつなぐと変動によって送電系が対応できず、停電してしまうから、恐ろしくて使えないと言っているのだ。
ちなみに、この「停電」は、電気が足りないから停電するのではなく、需要量変化に供給量を調整しきれずに送電系の機能が止まってしまうことで起きる。
ちなみに、2006年に欧州全域で発生した大停電では、風力発電が(1)非意図的に一斉解列し周波数低下を招き、(2)さらにその後自動再連係したことで出力調整に困難をきたした、と報告されている(電力系統研究会2007)。
『裸のフクシマ』にも示したが、横浜市が運営している1980kwのウィンドタービン「ハマウィング」の一日における発電変動量をグラフに表したものが最初に示した図である。
突出している時間帯でも定格出力の半分にも達しておらず、しかもその時間帯は真夜中だ。
風力発電推進派の人たちが書く文章には、「設備容量」という言葉が頻出する。
これは、どれだけの電力を発電する能力があるかという意味だが、風力発電の場合、最適な風が吹いた時間だけその発電能力を得られる。それより少しでも強ければ、危険だから止めてしまうし、少しでも風が弱くなれば、極端に発電量は落ちていく。結果として、「設備容量」の数字など意味がない。実際にどれだけ発電し、それによってどれだけの化石燃料が節約できたのかというデータを示さない限り、風力発電や太陽光発電が省資源に寄与したことにはならないが、そういうデータはおろか、もっと基本的な、実質発電量のデータさえ風力発電事業者は出してこない。
中国の風力発電に至っては、
世界風力エネルギー協会(GWEC)が2011年4月に発表した世界の風力発電集計によると、中国では昨年1年間で1890万kWの風力発電所が新設され、2010年末時点で合計設備容量は4470万kWに達した。
一方、国家電網公司が4月に公表した「風力発電白書」(「国家電網公司促進風電発展白皮書」)によると、2010年末時点で送電網に接続された風力発電所の合計設備容量は2956万kW。つまり、単純に計算すれば、1514万kWが送電網に接続されていないことになる。
建てただけで、1/3以上の風力発電施設は送電網に接続さえされていない、つまり建っているだけ、という信じがたいことになっている。
これは中国だけの事情ではなく、実は日本でも似たようなものだ。さすがにつないではあるが、解列は頻繁に起きて発電した電気を流していないし、故障や風況不良でまともに発電していないウィンドタービンがたくさんある。コストが合わない(直すとますます赤字になる)ために、事実上修理を断念されているものもある。
設備容量の数字がいかに虚しく、意味がないか、このことからもはっきり分かるだろう。
送発電分離については、是か非か、僕はまだ分からない。
分離しなければ電力会社の地域独占が絶対に解消できないのであればするしかないのではないかと思う。
しかし、送電網配備や電力分配というのは、究極の技術と合理性、コストパフォーマンスの追求が必要な事業だ。競争原理を導入することでそれが進むのならいいが、かえって無駄が出る、不安定要素を増やすのではないかという懸念もある。
本来なら、こういう事業こそ水道事業のように公営にして、国民がしっかり無駄遣いを監視しながら運営することが望ましい。ところが、役人は知恵を働かせてずるをする。無駄を行って私腹を肥やすテクニックばかり追求しているので、結果的に無駄だらけになる。そんなことなら民営化したほうがいい、となり、民営化すると、今度は正常な競争ではなく、国が補助金や許認可権を巡ってどんどん利権構造を作ってしまい、さらにひどいことになっていく……。
原子力ムラはまさにその最たるものだった。
だから、まずは送発電分離よりも前に、10電力会社の独占をどう解消するか、電力事業独占による利権構造をどう解体し、効率的な電力事業運営を組み直せるかという問題をクリアすべきだろう。その方法論の中で、送発電分離も論じられていくはずだ。
現時点では、どっちが完全に正しい、と言うだけの根拠を僕は持ち合わせていない。
省エネの可能性……これはもう、とてつもなくある。
ただし、省エネ製品に買い換えることがいいことだという単純な話にはならない。まだ使えるものをつぶして(ゴミにして)、省エネ新製品を導入したことで、トータルのエネルギー消費は増えることはいくらでもある。
そのへん、どこまで正直に、理想を掲げて産業が進んでいくのか、という問題だろう。
安易に補助金を注ぎ込むことで、この計算が分かりにくくなり、結果的にエネルギー浪費につながることはいくらでもありえる。
こうして書いていくと、結局最後は、各現場の人間がどこまで正直になれるか、タブーをなくして実力を発揮できる職場を保てるか、ということにつきるような気がする。
大量生産、大量消費による金のやりとりという尺度で幸福度や国の序列が決まるという考え方を一掃しない限り、絶対に問題は解決しない。
(←承前)
「代替エネルギー」なんてものはない
討論の最後には、今後のエネルギー政策をどうするのかというテーマが予定されていた。
これはものすごくストレスを感じるテーマで、この番組では到底まともには議論できないだろうと思っていた。
- 民主党政権のホンネとは?
- 再生エネルギーで代替可能か?
- 送発電分離のメリット、デメリット
- 省エネの可能性とは?
討論案にはこう書かれている。
それぞれに対する僕なりの見解を書いてみる。
「民主党政権のホンネ」なんてものはない。
なぜなら政党構成員があまりにも未熟で、エネルギー問題に対応できる力がないからだ。
これは自民党も同じなのだが、自民党には民主党よりも利権屋が圧倒的に多く、エネルギーコストとか環境負荷なんかどうでもいいから、儲かるような仕組みを作っていこう、という輩が主導権を握っていた。
民主党はトップにそれだけの悪知恵さえない。だから簡単に騙され、CO2大幅削減とか、「再生可能エネルギー」高額全量買い取りだとか、亡国の政策を正義の御旗のもとに振りかざし、その後、事実が少しずつ分かってきても引っ込みがつかなくなり、ぐずぐずになる。
政治家がどのくらい程度が低いかという例として、『裸のフクシマ』では、昨年5月末に結成された(正確にはずいぶん昔に話が持ち上がったままになっていたグループが「再結成」したということらしい)「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」のメンバーというのをここに記しておく。
たちあがれ日本:
平沼赳夫(会長)、中山恭子
自民党:
谷垣禎一、安倍晋三、山本有二、森喜朗(以上顧問)、山本拓(事務局長)、塩崎恭久、高市早苗
民主党:
鳩山由紀夫、渡部恒三、羽田孜、石井一(以上顧問)
国民新党:
亀井静香(顧問)
よ~く名前を覚えておこう。この人たちは未だに、原発は地下に作れば安全だなどというとぼけたことを真面目に主張しているのである。驚くべき話ではないか。
「今回の福島第一原発の1?4号機の事故ですが、仮に地下に立地していたのなら、地震には絶対強いです。そして、津波も取水口を封鎖してしまえばいいので、問題ありません。仮に地下でメルトスルーが起きても、中に(放射性物質を)閉じ込めることができるので、外には漏れません。それで、ロボットを使って作業をすると。そうすれば、今の福島のように宇宙服を着た作業員が、危険な作業をするということを避けることができます」(山本拓・自民党衆院議員 福井選出)
こういう人たちが日本の政治を動かしているのだ。
ちなみにこの会が昨年7月7日に開いた第二回の勉強会では、会場を震撼させるようなシーンがあったという。
// 会場の空気が凍りついたのは、「原子炉等が想定外の破損事故を起こしても、原子力施設周辺住民に放射線による被害を及ぼさない地下式原子力発電所について」と題して講演した京都大学名誉教授の大西有三氏(地盤工学)が質問を受けた時のことだ。参加議員に国際社会で「核燃料サイクルはどう変わっているか」と問われた際、「核燃料サイクルと言いますと?」と聞き返したのだ。質問議員が慌てて「プルトニウムを取り出してもう一度使うシステム」だと逆に答えると、「私はちょっとあの……我々がやっているのは一番最後に再処理して残った、これ以上は使えない処理です」という珍問答となった。(「核燃料サイクルを知らない専門家 地下原発議連、2回目の勉強会」 週刊金曜日7月15日号 まさのあつこ氏の記事より)//
お笑い作家でもこんな間抜けなやりとりは考えつかない。
……これが政治家の実態だ。
彼らにエネルギー問題を考える能力などあるはずがない。
次に言いたいのは、再生(可能)エネルギーなどというものは存在しないということだ。
エネルギーの総和は一定だし(質量保存の法則~熱力学第1法則)、エネルギーを利用すれば必ず廃物・排熱が出て、それは増える一方で減らせない(エントロピー増大の法則~熱力学第2法則)のだから。
まだ「自然エネルギー」という名称のほうがマシだが、世の中には自然ではないエネルギーというものはない。地球が得ているエネルギーはすべて太陽光由来のものだからだ。
化石燃料は太陽光エネルギーが形を変えて缶詰のように地下に貯蓄されたものだ。エントロピーが低く、とても利用しやすい。今、人類はその貯金を惜しげもなく使い続けている。そこが問題なのだ。
これに対して、原子力は異質で、自然由来のエネルギーとは言いきれないし、自然環境の中に渡して、地球の循環機構により処理することもできない。だからこそ「使えない」「使ってはいけない」と判断しなければいけないのに、処理できないまま、俺たちが生きている間はなんとかなるだろうと無責任に使い始めたことで悲劇が起きた。
で、そういう定義の問題は置いておくとして、風力や太陽光発電で化石燃料(を燃焼することによるエネルギー利用)を代替できるかと言えば、できるはずがない。化石燃料がゼロになれば風車も太陽電池も作れないのだから。
風力発電や太陽光発電が作りだすものは電力だけであって、地下資源のような原材料に相当するものは何も生み出さない。
発電の話に限って言っても、発電コストが高いというのはそれだけ石油などの資源を使うから高いのであって、実に単純な話なのだ。
このへんの話は、『裸のフクシマ』の最後のほうに書いたので、これ以上は繰り返さないでおこう。
もしかしてその議論になるかな、と思い、最低限用意しておいた資料を示しておく。
ひとつは、Googleで「風力発電 解列」というキーワードで検索すると上位に出てくる「風力発電機解列枠の検討について」という経産省が出している資料。
「解列」という言葉は耳慣れないかもしれないが、要するに「外す」「つながない」ということだ。
風力発電からの電力はあまりにも乱高下が激しく、送電系統を乱すため、送電系にその乱れを呑み込む余力がない(つまり、電力消費が少なく、少ない電力量しか流れていない)ときには、停電を避けるために風力発電からの電気を外す(止める)ということだ。これを「解列」という。
ここにはこう解説されている。
風力発電は,自然条件により出力が変動することから,電力系統への連系量が増大した場合,当該地域内の電力需給バランスが損なわれる可能性があります。
従って,風力発電機の連系に伴う周波数変動を抑えつつ,風力発電の導入拡大をしていく方策の一つとして,出力変動に対応する調整力が不足する時間帯に風力発電機の解列を条件に,新たな風力発電機の系統連系を募集するものです。
国は風力発電を増やせと言っているが、あんな不安定なものをつないだら停電の恐れが出てくる。
しかし、それでも増やせと言うのだから、送電系が対応できそうもない時間帯には最初から風力発電の電気を除外してしまう(外してしまう)ということにすればいい。大量の電気を消費しているときは、風力以外の発電からの電気がたくさん来ているので、そこにちょっとくらい風力からの変動の大きな電気が混じっても、誤差の範囲で対応できる。そういうことにすれば、風力発電はもう少し増やせますよ、と言っているのだ。
これがどれだけバカげた話か、普通の思考力の持ち主なら分かるだろう。
もともと大した発電量が期待できない風力発電だが、夜間などの電力消費が少ない時間帯に風力発電をつなぐと変動によって送電系が対応できず、停電してしまうから、恐ろしくて使えないと言っているのだ。
ちなみに、この「停電」は、電気が足りないから停電するのではなく、需要量変化に供給量を調整しきれずに送電系の機能が止まってしまうことで起きる。
ちなみに、2006年に欧州全域で発生した大停電では、風力発電が(1)非意図的に一斉解列し周波数低下を招き、(2)さらにその後自動再連係したことで出力調整に困難をきたした、と報告されている(電力系統研究会2007)。
『裸のフクシマ』にも示したが、横浜市が運営している1980kwのウィンドタービン「ハマウィング」の一日における発電変動量をグラフに表したものが最初に示した図である。
突出している時間帯でも定格出力の半分にも達しておらず、しかもその時間帯は真夜中だ。
風力発電推進派の人たちが書く文章には、「設備容量」という言葉が頻出する。
これは、どれだけの電力を発電する能力があるかという意味だが、風力発電の場合、最適な風が吹いた時間だけその発電能力を得られる。それより少しでも強ければ、危険だから止めてしまうし、少しでも風が弱くなれば、極端に発電量は落ちていく。結果として、「設備容量」の数字など意味がない。実際にどれだけ発電し、それによってどれだけの化石燃料が節約できたのかというデータを示さない限り、風力発電や太陽光発電が省資源に寄与したことにはならないが、そういうデータはおろか、もっと基本的な、実質発電量のデータさえ風力発電事業者は出してこない。
中国の風力発電に至っては、
世界風力エネルギー協会(GWEC)が2011年4月に発表した世界の風力発電集計によると、中国では昨年1年間で1890万kWの風力発電所が新設され、2010年末時点で合計設備容量は4470万kWに達した。
一方、国家電網公司が4月に公表した「風力発電白書」(「国家電網公司促進風電発展白皮書」)によると、2010年末時点で送電網に接続された風力発電所の合計設備容量は2956万kW。つまり、単純に計算すれば、1514万kWが送電網に接続されていないことになる。
建てただけで、1/3以上の風力発電施設は送電網に接続さえされていない、つまり建っているだけ、という信じがたいことになっている。
これは中国だけの事情ではなく、実は日本でも似たようなものだ。さすがにつないではあるが、解列は頻繁に起きて発電した電気を流していないし、故障や風況不良でまともに発電していないウィンドタービンがたくさんある。コストが合わない(直すとますます赤字になる)ために、事実上修理を断念されているものもある。
設備容量の数字がいかに虚しく、意味がないか、このことからもはっきり分かるだろう。
送発電分離については、是か非か、僕はまだ分からない。
分離しなければ電力会社の地域独占が絶対に解消できないのであればするしかないのではないかと思う。
しかし、送電網配備や電力分配というのは、究極の技術と合理性、コストパフォーマンスの追求が必要な事業だ。競争原理を導入することでそれが進むのならいいが、かえって無駄が出る、不安定要素を増やすのではないかという懸念もある。
本来なら、こういう事業こそ水道事業のように公営にして、国民がしっかり無駄遣いを監視しながら運営することが望ましい。ところが、役人は知恵を働かせてずるをする。無駄を行って私腹を肥やすテクニックばかり追求しているので、結果的に無駄だらけになる。そんなことなら民営化したほうがいい、となり、民営化すると、今度は正常な競争ではなく、国が補助金や許認可権を巡ってどんどん利権構造を作ってしまい、さらにひどいことになっていく……。
原子力ムラはまさにその最たるものだった。
だから、まずは送発電分離よりも前に、10電力会社の独占をどう解消するか、電力事業独占による利権構造をどう解体し、効率的な電力事業運営を組み直せるかという問題をクリアすべきだろう。その方法論の中で、送発電分離も論じられていくはずだ。
現時点では、どっちが完全に正しい、と言うだけの根拠を僕は持ち合わせていない。
省エネの可能性……これはもう、とてつもなくある。
ただし、省エネ製品に買い換えることがいいことだという単純な話にはならない。まだ使えるものをつぶして(ゴミにして)、省エネ新製品を導入したことで、トータルのエネルギー消費は増えることはいくらでもある。
そのへん、どこまで正直に、理想を掲げて産業が進んでいくのか、という問題だろう。
安易に補助金を注ぎ込むことで、この計算が分かりにくくなり、結果的にエネルギー浪費につながることはいくらでもありえる。
こうして書いていくと、結局最後は、各現場の人間がどこまで正直になれるか、タブーをなくして実力を発揮できる職場を保てるか、ということにつきるような気がする。
大量生産、大量消費による金のやりとりという尺度で幸福度や国の序列が決まるという考え方を一掃しない限り、絶対に問題は解決しない。
元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに…… ― 2012/01/04 22:23
元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに……
大晦日深夜(元日未明)の『朝まで生テレビ』に出演してほしいという依頼があったのは12月15日頃だっただろうか。
真冬の「狛犬見学会」(12月11日、白河市東野出島地域活性化プロジェクト主催)も無事に終わり、これで少し落ち着いて年末年始の準備にとりかかれるかなと思っていたときだった。
あの番組はもう何年も見たことがない。話がこれから、というときに司会進行役が邪魔をしたり遮ったりトンチンカンな質問を浴びせたりして、議論がきちんと進まないシーンが多く、見る気がしなくなっていた。
ましてや年が明け、静かに厳かに新年を迎えたい時間帯に見ようとは思わない。
しかし、『裸のフクシマ』のあとがきにも書いたが、僕の人生、というかものの考え方、価値観を一大転換させるきっかけとなったのがこの番組だった。
20年以上前、この番組で原発の是非を論じた回が2回あった。そこで、「では、反対している人は代替案を持っているのか?」という進行役からの問いに対して、反対派の論客として出ていた槌田敦氏(物理学者、当時は理化学研究所)や室田武氏(経済学者、当時は一橋大学教授)は苦汁に満ちた表情で「そういう問題じゃない」というような歯切れの悪い答えをした。それを見て、これはなんなんだろうと、心に引っかかるものがあった。
代替案がないまま反対しているという単純な話ではなさそうだな、と感じて、とりあえず彼らの著書を買い求めて読んでみた。
『資源物理学入門』(槌田敦、NHKブックス、1982年)と『エネルギーとエントロピーの経済学』(室田武、東洋経済新報社、1979年)。
そうか、そういうことだったのか!
目から鱗が落ちるとはこういうことを言うのかと思うほどの衝撃を受けた。
エネルギー問題というのは、ここから出発しなければ論じられないのだ。それを踏まえて語ろうとしている人たちに、進行役も推進派も「原発は是か非か」「原発がなければ困るのだから、代案のない反対は無責任だ」という戦法で押しまくっていただけ。その馬鹿馬鹿しさにつき合わされた虚しさがあの苦汁に満ちた表情だったのだなと、よく分かった。
あれから四半世紀の時間が流れた。
原発がどうしようもないことは分かっていたが、あまりにも巨額の税金が注ぎ込まれ、巨大な利権構造ががっちり構築され、多くの人は考えることも面倒になっていった。
いつか破綻することは分かっているが、決定的な破綻が目に見えるようになって人々が後悔するのは、自分が死んだ後ではないか。僕自身、そう思うようになっていた。
まさか、原発の運営現場までもがあそこまで慢心し、堕落しきっていたとは……。
そして、今度は僕があの番組に呼ばれた。
今の僕は当時の槌田敦氏や室田武氏と同じ年代になっている。
遠路はるばる会いに来てくださったプロデューサーは、僕と同学年だった。
これが皮肉な運命というなら、受け入れるしかない。
そう思って出演依頼を受けたのだが、四半世紀前の番組よりはるかにひどい内容になってしまい、今は虚しさだけを感じている。
反省をこめて、ここに「最低でもこれだけは言っておきたかった」ことをまとめておきたい。
(⇒次へ)
白河や会津が怒るのは当然 バカの極致「文科省原子力損害賠償紛争審査会」 ― 2011/12/14 11:20
8万円/40万円の追加賠償金の根拠は何か?
福島第一原発爆発・汚染「事件」をめぐって国や県がやっていることはとことん滅茶苦茶で、『裸のフクシマ』に書いた通りだが、今もまだまだでたらめが続いている。最近では、12月6日に文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(能見善久会長)が求めた「警戒区域、計画的避難区域などを除く福島県の23市町村を対象に全住民に1人あたり8万円、妊婦と18歳以下の子どもに1人あたり40万円」という賠償金問題。
この賠償金は「自主避難への賠償」ということらしい。30km圏内や「緊急時避難準備区域」、「計画的避難区域」などは命令を下して避難させたのだから、それに対する補償をするが、それ以外の地域では逃げようが留まろうが知ったことではない、というのが今までの国や東電の賠償姿勢だった。
これではいけないので、自主的に避難した人たちにも賠償しましょう、ということらしい。
しかしこの賠償金は、決められた23市町村では、逃げた逃げないに関わらず全住民に一律で支払われる。であれば、支払われる根拠は、避難しなければならないほどの放射能汚染への恐怖心、不安、ストレス、現実の健康被害、そして、経済的打撃(農産物など一次産業への被害はもちろん、放射能汚染によって様々な職場、職業で従来通りの経済活動継続が不可能になったこと)などに対しての損害賠償と考えるのが適切だろう。
であれば、今回の23市町村の選定はまったく実情に合っていない。
該当する23市町村とは、
福島市、二本松市、本宮市、桑折町、国見町、大玉村、郡山市、須賀川市、鏡石町、天栄村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町、相馬市、新地町の19市町村と、いわき市、田村市、伊達市、川俣町の4市町(すでに補償金が支払い開始されている緊急時避難準備区域など以外)の合計23市町村だ。
福島県の土地勘がないかたがたにはピンとこないだろうから、文科省が発表している土壌汚染マップに重ね合わせて表示してみる。以下のピンク色の線の内側が該当地域だ。

一目瞭然で分かるが、白河市などは、かなり汚染されているにも関わらず外されていて、汚染の度合いが低い石川町や玉川村、平田村、浅川町、古殿町、小野町などは入っている。
汚染の度合とはまったく合致していないのだ。
白河市がいちばん分かりやすいが、白河市で「自主避難」した市民は、12月1日の時点で126世帯286人。数が少ないから外したとでも言うのだろうか。白河市の鈴木市長は「市内でも放射線量が高い地域がある。子どもの健康被害を心配する親も多いのに、自主避難者が少ないから賠償金が出ないというのはおかしい」と主張している。当然だ。
会津は概ね汚染の度合が低かったが、南会津町の南部などは結構やられていて、石川町、玉川村、平田村、小野町あたりよりひどい。
そもそも、「福島」というレッテルを貼られて農産物などが売れなかったり、浜側からの被災者を受け入れて苦労していることは会津も同じなのだ。
猪苗代町も外されたが、原発立地でさんざん電源交付金などの恩恵を受けてきた人たちを豪華リゾート施設に受け入れ、住民がボランティアで炊き出しをした挙げ句に、一部の「避難者」から「毎日同じものを食わせるな」「飯がまずい」などと文句を言われた猪苗代町の人たちは、今、どう思っているだろうか。
今まで我慢してきた怒りが爆発しているはずだ。
お上や、現場を知らない学者たちがこういうバカな施策を次々に出してくるたびに、福島はずたずたにされる。
子供が3人いる5人家族を例にとれば、賠償金は136万円(40万円×3+8万円×2=136万円)になる。136万円がもらえるもらえないの差は大きい。
もとより、被害の度合は人によって大きく違い、補償の不公平は避けられないのだから、補償するなら福島県内全域というようなくくりでやるしかないのは分かりきったことなのに、この無神経さ、間抜けぶりはなんなのだろう。
無論、放射能汚染被害を被っているのは福島県の住民だけではない。
栃木県、宮城県、群馬県、茨城県などでは、石川町や平田村などよりずっと汚染がひどい地域がある↓。
宮城県丸森町の保科郷雄町長も、「空間放射線量が丸森より低い福島県内の自治体が該当しているのに、福島でないというだけで、我慢しなければならないのは納得できない」と声を上げている(河北新報記事)
あったりまえの話だ。
もう、話題にするのも嫌になる。









