コロナが教える「つぶされない生き方」2020/06/17 11:41

墓地にある石仏が、かつては墓そのものだったらしいと気づいたのは最近のことだ。その時代の人たちの死生観や生活ぶりはどうだったのか。今とは相当違うものだったのだろうとは思うが、具体的なイメージはなかなかわかない。

医学界でも言われ始めた「アジアの幸運」

COVID-19の感染率や重症化に関しては、やはりいくつかの要因があって、アジア諸国では死者が少ない。そのことは医学界でもようやく認知され始めてきたようだ。
この生死を分ける「要因」は何か、という研究が進めば、今のような、すぐ都市封鎖だのソーシャルディスタンスだのマスクだのっていう対策ではない、もっと根本的な「考え方」が形成されていくのだろうか。早くそうならないと、世界はどんどんまずい方向に進んでいきそうで、そのことのほうがウイルスそのものよりもはるかに怖い。

コロナという教師

ともあれ、ここにきて、コロナは、我々に多くのことを教えてくれている「教師」なのではないかという気がしてきている。
今まで見過ごされてきたことに目が向けられるようになって、そこから改めて学ぶことが増えた。
例えば、金は必要以上に持ってはいけないのだなあ、と思う。
負け惜しみではない。「前田ハウス」だの、「安倍首相のお友達」山口敬之氏、有名企業から偽名で月80万円だの、「兜町の風雲児」の最期だのという記事を読むにつけ、心からそう思える。
特に、人が稼いだ金(税金)を使える立場にいるというのは、本来なら大変な責任を背負い、ストレスを抱えるはずなのに、なあなあで(たが)が外れまくっている。開き直ればなんでも通ると思っている(実際そうなってしまっている)。
そうなったら、もうおしまい。壊れた乗り物を運転する薬漬けの廃人と同じなのだろうな……と。

人は必ず死ぬ。この世は夢の世界と同じで、一瞬で消えるバーチャルなもの。そのかりそめの時間の中でさえ、想像力を働かせず、煩悩まみれの生き方に閉じ込められるつまらなさ。永田町の人たちはともかく、霞が関の人たちは、「脳」の可能性という点では、平均よりずっと可能性を持っていた人たちだろうに。
ギャンブル依存症になっている芸人が、それを自虐的に「芸」に取り込もうとするような探究心さえも持てない人たち。可哀想だな、と思うけれど、そういう人たちが、他人の生死を握るような立場にいる、というのが困るし、恐ろしい。

「歴史を学ぶ」のではなく「歴史に学ぶ」

そんなこんなのコロナ疲れもあって、社会の理不尽さを嘆いたり憤ったりする体力もなくなってきた。

先人たちは、様々な失敗体験に基づいて、たとえば「三権分立は大事ですよ」とか「ルールにそって物事を決めましょう」ということを大切にしてきました。こうした知恵が憲法や法律に書き込まれています。
今を生きている人だけで物事を決めてしまうと、大変な悲劇を受けます。
(略)
たとえ「多数派が支持していること」でも「やってはいけないこと」があると考えるのが立憲主義であり、政治的リーダーの本質的な務めではないでしょうか。
安倍首相は「戦後民主主義のあだ花」か?  政治学者中島岳志が分析する「本質を忘れたリーダー」とは HUFFPOST 2020/06/10

「死者の声」に耳傾ける、という言い方をしなくても、要するに「歴史に学ぶ」ことが大切だという話だ。
ただ、その「歴史」は学校で教えてくれるわけじゃない。あれはすでに「編集済み」の読み物だからだ。

出発点は、疑問を持つこと。想像力を働かせること。そして、なるべく自分好みの期待値や裏読みを排除して、実際はどうだったのかと判断していく姿勢だろう。

社会全体がどう動いたのか、そうなっていった要因にはどんなものがあったのかは、ていねいに調べていけば見えてくる。
645年に起きたとされる「乙巳(いっし)の変」(私たちの世代はその年号は「大化の改新」と丸暗記したが、今はこう教えているらしい)が実際にはどんな背景をもち、どのようなものだったのかは、今となっては分からないし、それほど重要だとも思えない。
しかし、幕末から明治にかけての動き、日中戦争から太平洋戦争に至るまでの世相……そういうものはかなりはっきり見えてくるし、今の社会にも大きな影響や因果関係を持っている。これは為政者だけでなく、すべての人が知っておかなければならない事実だ。
しかし、学校の歴史の授業ではそこを教えてくれない。何年に何が起きたか、そのときの人物の名前は、事件の名称は……そんなことを暗記するだけで終わる受験勉強。
歴史を学ぶというよりも「歴史学ぶ」ことが大切なのだ。
しかし、受験生時代にはそんな余裕はまったくなかった。時間的余裕も、精神的な成熟度も足りなかった。
また、「この子は歴史に何を学んだのか」をはかる入学試験などというものはなかったし、今もない。

少し前、勝ち組・負け組という言葉が流行ったけれど、そんな単純なものではないなあ、というのが、人生終盤にきて分かってきた。
大切なのは社会の理不尽に「つぶされない」生き方だと。

私の周囲には「つぶされない生き方」を続ける達人がたくさんいる。その「技術」や「哲学」はそれぞれだけれど、その「それぞれである」という「個性」が守られることが大切なことだ。
個性がつぶされる社会では、最低限の幸福も守れない。
「つぶされない技術」を磨くためにも、つぶされないギリギリの社会を守るためにも、「歴史学ぶ」ことは大切だ。
 
「コロナ休校」がきっかけで始めた中学生向け英語塾。ようやく2冊にまとまった。
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「縄文村」と「森水学園」2019/12/28 11:53

18年目に入った縄文村

先日、フェイスブックで⇒この記事のことが話題になっていて、久しぶりに「縄文」という言葉を思い出した。
その後、12月20日に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の2021年世界遺産登録のための推薦書をユネスコに提出することが閣議了解されたそうだ。これが通れば、来年あたりまた「縄文ブーム」が訪れるのかもしれない。
かつてこの話題が一時盛りあがったきっかけは、青森県の大平山元遺跡から約16500年前と見られる土器が見つかったことだった。
「縄文土器は世界最古の土器であり、世界4大文明などよりずっと古い時代から日本に先進的な文明が存在していた証拠だ」といった論調が飛び交った。(正確には、大平山元遺跡から見つかった土器は無紋(模様がない)であり、「縄文」土器ではないのだが。)
こういうときに、どうも「世界最古」を争うような方向に話が流れやすい。その後、中国でもっと古い時代の土器が見つかったらしいというニュースが流れたときも「中国のことだから歴史捏造に違いない」とか「証拠が希薄だ」といった主張が飛び交った。
どこが「世界最古」かはともかく、1万数千年前という気の遠くなるような時代に東アジアのあちこちで土器というものを使った生活がされていたことは間違いない。
この時代、人々は土器で湯を沸かし、ドングリなどの木の実を茹でたり、魚を煮て油を取ったりしていたという。
つまり、縄文時代と言われる太古における土器を使った文明のポイントは、
  • 狩猟だけでなく、煮炊き料理によって植物食の範囲を広げることができた結果の食生活の安定
  • 食生活の安定による移住生活から定住生活への移行
ということだ。
しかし、これを可能にしたのは土器の発明だけでなく、その背景には「急速な地球温暖化」があったことを忘れてはいけない。
氷河時代が終わり、日本列島の植生がそれまでの亜寒帯的な針葉樹林中心から落葉樹もまじる森林へと変化した。この大きな変化があってこそ、ドングリなどの植物食に人々が注目した。そのために煮炊きする道具としての土器も発明された……という順番なのだろう。

現代社会では「地球温暖化を防がないと人類は滅亡する」などと騒いでいるが、古代人が土器でドングリを煮炊きしていた時代は今よりずっと温かかったはずだ。大規模な縄文遺跡が青森などの北の地域にあることを考えれば、それは容易に理解できる。ただ、冷房もビル群もないから、ヒートアイランド現象などは起こらない。都会暮らしの人たちが苦しむような「暑さ」とは無縁だっただろう。

温暖化も寒冷化も、人間の手でコントロールできるようなものではない。
対処療法として、寒冷化すれば暖房して凍死しないようにする、温暖化して辛ければ冷房して部屋を冷やすわけだが、どちらも化石燃料や稀少な地下資源を消費する。
太陽光発電や風力発電なら化石燃料を使わずに済むなどというのは大ウソで、太陽光パネルを製造するためのエネルギー、風力発電の不安定さを補うための出力可変の発電(貯水水力や火力)への負担が増える。山に大型風車を並べれば保水力が失われて災害が増える。ましてや原発は事故を起こさなくても廃物を今の科学では処理できないし、ウラン燃料やプルトニウムを得るまでの過程で大量のエネルギーと汚染、健康被害が起きる。
そうした計算を無視して突っ走る現代石油文明は縄文時代の文明より「文化度」が低いのではないか。

「縄文」に憧れを抱く人たちは共通して「無理をせずに地球の自然環境に適合して幸福を見つけられる生き方」を理想と考える。これはまったく正しい。ただ、解決法に対する理解度が違う。ファナティックに「CO2が~!」と叫ぶ人たちは、金儲けのためには何でもする人たちに容易に利用される。

現代石油文明は「持続可能」ではない。地下資源が枯渇した後にもそれに代わる高度な機械文明が成立しうると考えるのは妄想である。
今を生きる我々ができることは、持続時間を少しでも伸ばして子孫にかける迷惑や負の遺産を減らすことだ。そのためには、第一に省エネルギーだろう。
それも、見せかけの省エネではなく、本当の省エネ。
省エネを謳った活動によって、裏ではさらに資源浪費が進んだり、環境破壊が起きたりすることがあまりにも多い。
製造13年超の自動車にかける自動車増税などはその典型で、到底許せるものではない。

……と、この手の話を書き始めるとついつい長くなるのだが、jomon.orgというドメインを取得したのは2002年9月のことだった。そのときに作ったWEBサイトを長い間放置してあったのだが、思い出して読んでみると、結構いいことが書いてある。
記紀(古事記・日本書紀)は、征服者であり、権力を握った側から編纂された史書ですから、当然、権力者側を正当化する内容で書かれています。被征服者の側から書かれた文書があったとしても、それらは権力者の手によってほとんど消されてしまったでしょう。
いわゆる古史古伝の類は、偽書であるとして、歴史教育の場からは抹殺されています。しかし、後に都合よく書かれたから偽書だというのであれば、古事記や日本書紀も「偽書」となります。
歴史教科書に書かれた古代も、結局は想像による部分がほとんどです。
現代に生きる私たちは、日本列島がかつてどんな土地で、どんな人々がどのように暮らしていたのか、正確には知るよしもありません。
ただ、ひとつだけ言えるのは、現日本人が太古からひとつの独立した民族であったなどということはありえないということです。
現在、アジア諸国を形成している多くの民族の血が複雑に混じり合っているのが現日本人、ということではないでしょうか。
この認識は、とても大切なことだと思います。ある民族に対する偏見や、根拠のない優勢意識が、今まで多くの戦争やテロ事件、虐殺事件を起こしてきました。少なくとも「血」を云々することが馬鹿げていると認識できれば、こうした過ちを繰り返す愚をある程度抑止できるかもしれません。
また、日本人の優秀さを論じるとき、その勤勉さや、ルールや集団の統制を重視する気質などがあげられますが、これらはおそらく、縄文的な気質というよりは、後から入ってきた弥生的(渡来人系)気質によるところが大きいという気がします。
しかし、近代化という名の下に、現代日本人は、この土地の貴重な自然を破壊してきました。経済という宗教を盲信するあまりに、生き甲斐を失ってしまいました。さらには、権力者が自分の都合のいいようにルールをねじ曲げたり、わざと繁雑にして逃げ道を作るという負の面も生まれました。
このように閉塞した状況の現代においては、今まで軽んじられてきた縄文人的なおおらかさ、自然を愛し、自然に宿る見えない力を畏怖するという気質を、もう一度見つめ直すことが必要ではないでしょうか。
縄文的おおらかさ・平和主義と、弥生的な勤勉さ・律儀さのバランスをうまくとりながら、争いを避けて生きていくことこそ、今の日本に必要な戦略ではないかと思うのです。
「縄文村」村長・下村勝司のあいさつ より)

jomon.orgというドメインは放出してもいいかなと思っていたのだが、もう少し持っていようと思う。

森水学園第三分校


その縄文村と同じような発想で作ったのが森水学園第三分校だった。これはまだ3年経っていない。
例の「森友学園」事件のときに「森友……森が友達って、名前はいいんだけどなあ……教育勅語って、何やってんだこの夫婦は」と思ったのがきっかけだっただろうか。
中学高校の同級生・工藤誠一氏は母校・聖光学院の校長になり、僕らが在校していたときには考えられないような有名校へと改革したが、私が学校を作るならどんな学校が理想だろうか……という発想のもと、阿武隈時代に学んだことなども取り入れてバーチャル学園を作り始めた。
これはmorimizuというドメインこそ取らなかったが、これからも気力がわいたときに、少しずつページを増やしていきたい。

国語担当の鵯田つぐみ先生が作詞、音楽担当の林田光(はやしだ・ひかる)先生が作曲した校歌は特にお気に入りである。
森水学園の校歌!

森水学園第一校歌「ヒフミヨイの歌」 (鵯田つぐみ・作詞、林田光・作曲)

ヒフミヨイ 時間(とき)も物質(かたち)も
回りてめぐる この世界に
生まれ出で 出会いを重ね
形なき闇を 見つめる術(すべ)知る

ムナヤコト 夜が訪れ
また日は昇る この世界よ
罪も汚れも 結べぬ答えも
すべて吐き出し 空にもろ消せ

ああ、森と水が 我らが母校
命を学ぶ 森水学園


即位の礼2019/10/27 11:37

木目込みの雛人形(鐸木能子・作)
2019年10月22日。朝から雨が降る中、即位の礼。あのテレ東も含めてすべての地上波テレビ局が中継した。
テレ東の中継を見ていたら、解説役で呼ばれたゲストが「雛人形のモデルは天皇・皇后ですから」ということをポロッと口にした。
それを聞いた妻が「室町雛や有職(ゆうそく)雛は違う」と主張するので、調べてみた。
そもそも雛人形、ひな祭りとは、
  • 平安時代(あるいはそれ以前、土偶などの時代から?)、疫病や穢れを祓うために人形(ひとかた)、形氏(かたしろ)といった、人の代わりに悪いものを引き受ける身代わりとなるものを主に紙で作り、川などに流して災厄を遠ざけるという「禊祓(みそぎはらえ)」の風習があった。それが貴族の間の行事「上巳の節句(じょうしのせっく)」として定着する。
  • 天児(あまがつ)這子(ほうこ)などはそのためのもので、紙から次第に布製のものになり、これが雛人形の起源といえる。一方、子供たちの間では、そうした小さな人の形をしたものでママゴトのようなことをする「ひいな遊び」が流行る。これも「ひな人形」「ひな祭り」へと結びついていく。
  • 室町時代には立ち雛のようなものが登場する。最初は紙などで作られたため平べったく、自立できないようなものだったが、次第に豪華になり、木目込(きめこみ)人形の立雛へと進化していった。
  • 江戸時代になると、人形は川などに流すのではなくそのまま「飾り雛」として飾られるようになり、庶民の間でも平安時代の宮廷を模した雛壇の雛人形となって大流行する。これが今の雛人形、ひな祭りへと続いていく。

……といったことらしい。諸説あるが、大体こういうことなのだろう。

今のような雛人形が庶民の間で流行するのは江戸時代になってからだ。
次第に衣装が派手になっていく傾向に対して、「いやいや、本来の貴族の装束はそんなに下品なものではないぞよ」と、正式なルールに則った装束の雛人形が特注で作られるようになり、主に公家社会や大名家などの上層階級に好まれたという。衣装・装束のルールを担当していた公家の高倉家、山科家が1700年代中頃に作ったといわれている。これが「有職雛」。有職雛の「有職」というのは、宮中の衣装や調度品などの決まり事を、各部門の有識者たちが集まってまとめた「有職故実」のこと。下々が勝手に作った雛人形とは格が違う、これが正式だ、というわけだ。
即位の礼をすべてのテレビ局が生中継し、日本中で見守る──庶民の宮中文化への憧れは、江戸時代も今も変わらないのだなあと、改めて認識させられた。
木目込みで作られた十二単の座り雛(鐸木能子・作)

平成と令和で即位の礼は変わったか

閑話休題。
今回の即位の礼は、平成のときとほぼ同じ形を踏襲したという。
平成のときは、時の総理大臣海部俊樹氏が、宮内庁から「束帯姿で」と要求されたのを拒否して燕尾服で参列し、万歳三唱のときも、「ご即位を祝して」と述べてからのものになった。これは、国民主権をうたう憲法の下での儀式であることを踏まえて、ということだそうだ。
国民の代表として選挙で選ばれた自分が、皇室の宗教色の強い儀式に合わせて束帯姿で出席し、一段低い庭に下りて「天皇陛下万歳」を叫ぶことはおかしい、という、最低限のわきまえを表明するものだったのだろう。
平成の即位の礼では、儀式の場所そのものを京都御所から皇居に移した。
そうした数々の「改革」が、今回はさらに一歩進むのかと思いきや、やはりそうはならなかった。
万歳三唱や21発の礼砲は前回通り行われた。

そもそも現在の即位の礼の儀式内容は明治新政府がアレンジしたものが元になっている。それまでは中国の儀式や意匠を真似て唐風だったものを、岩倉具視が神祇官副知事亀井茲監(これみ)らに「唐の模倣ではない庶政一新の時にふさわしい皇位継承の典儀を策定せよ」と命じたものだという。
当然、それまでは「天皇陛下万歳」や礼砲もなかった。
「日本の伝統的な~」という言葉が検証もなく安易に使われるが、こういう場合は「明治政府が決めた~」「明治になってからこうなった~」と、はっきり言うべきだ。

今回の式典では、新天皇の「お言葉」に注目が集まった。平成のときの文面と比較して、「世界の平和」という言葉が2回、「国際社会の友好と平和」という言葉も加わって、日本国内だけでなく、広く「世界」の平和と共存を願っているのだという思いを強調したと評されている。
一方で、平成のときの「日本国憲法を遵守し」が今回は「憲法にのっとり」にかわったことに懸念を示す学者もいる。
「『のっとり』だと、どんな憲法でも『従えばいい』という感じを与えます。集団的自衛権の行使容認のように、たとえ政権側が憲法解釈をねじ曲げても、その憲法に従わざるを得ないという印象です」
「『憲法遵守』が後退したのは、改憲を目指す政権側の意向がにじんだ結果とみるのが妥当でしょう。憲法4条の『天皇は国政に関する機能を有しない』との規定をいいことに、政治に口を出せない天皇のお言葉を利用して護憲ムードを抑え込む。そんな政治利用も辞さない政権に、この先も天皇が押し切られないか心配です」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法) 「即位の礼」天皇のお言葉を徹底検証 憲法言及は「遵守」から「のっとり」へ 日刊ゲンダイDigital 2019年10月25日

庶民が儀式の衣装や雰囲気に感激している裏には、官邸と皇室の見えない対決があるのかもしれない。

憲法の中の天皇

こうした皇室関連、天皇制関連の話題は、問題の本質に深く入り込むことはタブーで、識者の多くも本音や正論を口に出すことができないでいる。
天皇制そのものに対しては多くの国民が賛成の意を示しているというが、そこで人生を過ごす皇族方、特に天皇・皇后という役割を負う人たちの「基本的人権」について発言する人はほとんどいない。
現行の日本国憲法にはこうある。
第一章 天皇
第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

これはいくらなんでも基本的人権を無視していないだろうか。
職業選択の自由がない。少しでも「政治的」と思われる発言は一切できないだけでなく、選挙権も被選挙権もない。
離婚はできるのだろうか? プライベートな旅行なんていうのも、事実上不可能だ。それどころか、「この作家のこの作品が好きです」「俳優の○○さん、男前ですよねえ」なんてことさえ軽々しくは言えない。そんな人生。そんな一生を、自分の意志とは関係なく規定されてしまうのだ。

ちなみに「天皇の国事に関する行為(国事行為)」とは、具体的には、
  • 内閣総理大臣の任命(日本国憲法第6条第1項)
  • 最高裁判所長官の任命(第6条第2項)
  • 憲法改正、法律、政令及び条約の公布(日本国憲法第7条第1号)
  • 国会の召集(第7条第2号)
  • 衆議院解散(第7条第3号)
  • 国会議員総選挙の施行公示(第7条第4号)
  • 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状の認証(第7条第5号)
……などなど(まだまだある)で、実に多い。
これらのすべてで天皇は「形式上の行為」を行わなければならない。そのお姿は時折テレビなどでも放映しているが、それを見る一般庶民の感覚としては「大変だなあ。形式だけなんだから、わざわざ天皇がお出ましになることもないのに」といったものではないだろうか。
しかもこれらに関して天皇ご自身は「行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」のだ。
ご自身の意志や考えとは無関係に、ただただ形の上での「行為のみを行う」と決められているわけで、これほど個人の人格を無視した法はない。

今回の即位の礼にしても、極めて宗教的事柄が含まれるのだから、国事として行い、多額の税金を使うことに天皇家の人々は反対だったという。しかし、現行憲法に「のっとれ」ば、「行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(国事だとされた段階で、ご自分の事でありながら意見を言えない)「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」(最終的に内閣の言うことには反対できない)のだ。
しかも、こうした話は口にすることだけでも怖ろしいタブーなので、誰も助けてはくれない。そうした一種極限状況ともいえる制限の中で、どれだけ一人の人間として「自分の意志」「考え」に誠実に従い、行動できるか……想像を絶する困難と孤独を伴うことは間違いない。
そうしたことに思いを及ばすことなく、「天皇陛下万歳!」にしても「天皇制反対!」にしても、あまりに天皇家の人々の資質に甘えていないだろうか。多くの矛盾や弊害を抱えた問題を天皇と天皇ご一家に押しつけているのではないか。
今回、平成天皇が生前退位という道を開いたことも、どれだけ大変なことだったか。本来なら「主権」を有する国民の側から提案していかなければならないものだったのではないか。
平成天皇・皇后ご夫妻が生きてきた人生の誠実さ、強さ、そして誰にも言えぬ孤独を想像したとき、自由お気楽に生きてこられた一庶民としては、目眩がし、言葉を失ってしまうのである。

憲法改正論議はとかく9条問題に片寄りがちだが、それより先に、まずは天皇や皇族の基本的人権問題を解決すべきではないかと思う。
その議論から逃げて、タブーに守られたきれいごとに祭り上げているうちは、政治家も庶民も、現憲法に手をつける資格がないのではないか。

天皇が戦争に利用された歴史は否定しようがない。その結果、多くの人が理不尽な死を強いられた。現憲法はその結果生まれた。人は愚かだから、同じ過ちを繰り返す。そうさせないために、権力者が暴走するのをどうしたら抑えられるかという意図が随所に入れられた。
今また、天皇を道具として利用しようとする不埒な輩が力を伸ばしている。その勢力に、ギリギリまで制限された条件の中で、静かに、誠意を持って立ち向かっているのが現在の天皇家の人たちだという気がしてならない。

天皇家を愛するというのなら、庶民もまた天皇家と一緒に悩み、考え抜き、「国際社会の友好と平和」を本気で希求する気概を示す覚悟が必要ではないか。


「東電強制起訴無罪判決」の歴史的意味2019/09/25 11:48

「東電強制起訴無罪判決」で、次の一節を思い浮かべた。
本来、国家とは国民の生命と財産を守るのが使命である。ところが国の指導者たちは生命と財産を次々とつぎ込んで、博打のような戦争を起こした。その結果、多くの無辜の命が失われた。しかし、そうした戦争の責任はいまに至っても曖昧なまま放置されている。
(保阪正康・著 『田中角栄と安倍晋三 昭和史で分かる「劣化ニッポン」の正体」序章より)

↑この「戦争」という部分を「原子力ムラ利権構造ビジネス」と置き換えてみれば、今回の構図と同じだと分かる。


首相が国会で「議会については、私は立法府の長であります」とのたまい、官庁は平気で公文書を破棄・偽造する。司法は常識を超えた判決を下す。
三権分立が機能しなくなった国家は、悲惨な崩壊寸前だと知ろう。
「東電強制起訴無罪判決」は、歴史的にはそういう意味を持っている。

完爾と賢治2019/09/22 11:43

宮沢賢治(左)と石原完爾(右) Wikiより
このところ、日本の近代史に関する本を読みまくっている。妻が「なぜ急に?」と訊くので、こう答えた。
「小林和平や岡部市三郎がどんな時代を生きていたのか、時代の空気感や人々の心情、世相を知りたいから。これも「狛犬史」研究の一環かな」
でも、和平や市三郎の時代の『続・小説神の鑿』を書くかどうかは未だに悩んでいる。
歴史上実在の人物だけに、時代が近くなるほど書くのが難しい。彼らがあの時代、日本の対外政策や戦争についてどう思っていたかは、まったく分からないからだ。
終戦後、誰もが脱力し、悪夢から覚めたような気持ちになったであろうことは想像がつく。和平が戦後に彫った赤羽八幡神社の狛犬には「平和記念」と彫られているし、多くの戦没者慰霊碑の前に立つ和平の表情は、戦前の強気で頑固そうな表情とは一変している。

昭和25(1950)年旧7月、和平69歳。東禅寺戦没者慰霊碑群の前で


和平と同年代の岡部市三郎は明治37(1904)年2月~明治38(1905)年9月の日露戦争に従軍しており、上の戦没者慰霊碑が完成した昭和25年の前、昭和22(1947)年9月1日に満65歳で亡くなっている。
小林和平の師匠である小松寅吉が亡くなるのは大正04(1915)年2月22日で、行年72歳(満70歳)。そのとき和平は33歳だが、その10年前の明治38(1905)年9月5日には日露戦争に勝利したのに賠償金なしとは何事かと、国民が不満を爆発させて日比谷焼き討ち事件を起こしている。
自由民権運動を牽引し、石川町から政界に進出した河野広中は、その焼き討ちの現場で民衆をアジテートしていたという。
和平の最高傑作といえる古殿八幡神社の狛犬は昭和7(1932)年10月建立(和平51歳のとき)で、台座には「満州事変皇軍戦捷記念」と彫られている。和平の銘も「石川郡沢田 彫刻師 小林和平」と、初めて「彫刻師」という肩書きを使っている。
寅吉は、明治の神仏分離令と廃仏毀釈で仕事がなくなり、人生でいちばんエネルギーのあった時期を奪われた。
後に続く和平や市三郎は、その後の日本の領土拡大ムードに浮かれる世相の中で狛犬や馬の像を彫っていた。
そういう激動の時代の空気感を、戦後生まれの自分がしっかり書けるとは思えないのだ。

しかし、あの時代の正確な日本史を学校ではしっかり教えないし、司馬遼太郎の小説などのおかげで、ずいぶんと歪曲された歴史観を今の日本人は抱いていると思うので、小説の形で描けないかという挑戦は価値があるはずだ。しかも軍人や政治家が主人公ではなく、アート志向の石工の視線で描く……あまりにも難しいテーマだけれどねえ。

この難題に挑めるかどうかは分からない。その前に、利平編を大幅に改定して、もっと娯楽要素を増やすべきではないかと思っている。

完爾と賢治

そういえば、石原完爾の写真を見ていて、どこかで見覚えのある顔のような……と思った。宮沢賢治に似ているような……?
……とフェイスブックに書いたら、「どちらも法華思想で共通してますね」「宮沢賢治の童話って、ちょっと怖いなと感じること、ありますね。たしかに法華思想という怖さがあるのかもしれません」といったコメントがついた。

石原完爾は明治22(1889)年1月18日、山形県庄内町に生まれて、昭和24(1949)年8月15日に亡くなっている。
宮沢賢治は明治29(1896)年8月27日、岩手県花巻市に生まれて、昭和8(1933)年9月21日に亡くなっている。
二人とも東北で生まれ、ほぼ同時代を生きた。宇宙的な規模で世界を俯瞰するという視野を持ち、自分なりの理想の世界を追い求めたという共通点もあるように思う。
ただ、空想力の向かう方向や才能を発揮する具体的な方法が違った。かたや飛び抜けた頭脳を持った軍人、かたや田舎暮らしの教員。生きる場所も、戦場と農村で違った。
また、賢治は日中戦争の拡大・激化や太平洋戦争は知らないまま30代で死んでいる。満州国建国宣言や5.15事件あたりまでは知っているが、これも東北の田舎で事件のことを聞いただけだっただろう。戦後まで生き続けたら、どんなものを書いていたのだろうか。
人がどんな人生を生き、後にどう評価されるかは、ほんとうにちょっとした運やタイミングの違いで大きく変わってくるのだろうと、改めて思った。

馬鹿がトップに立つ怖ろしさ

よく言われる「IF」の一つだが、石原完爾と東条英機が入れ替わっていたら、日本史どころか、世界史がガラリと変わっていたかもしれない。どう変わっていたのか……想像するのは怖いのだが……。

読みあさっている本の中には、保阪正康さんのものが何冊かあるが、こんなインタビューを見つけた。
僕は東條(英機)が憎いとかなんとかじゃなくて、こういう人が首相になって、陸軍大臣になって、しかも兼務ですよ。最後のほうは参謀総長、内務大臣など。なんでこの男がこんなに権力を握ったのかという、そのからくりの全体がきちんと整理されていかないと、戦争の反省なんてありえないと思うんです。(略)
(東條は)人間観がものすごく狭いんですね。おまけに、(略)文学書や哲学書なんて読んだことがない。ものを相対化する力がないわけです。戦争へ行ったら、勝つまでやるというプログラムしかない。こういう人が指導者になっちゃいけないんだということを、我々は共通の認識で持たなきゃいけないと思います。
東條英機の妻、石原莞爾の秘書に会ってきた。『昭和の怪物 七つの謎』の凄み) 講談社BOOK倶楽部)

まったくその通りで、石原完爾のような頭のいい人が、怖い思想、世界観で軍隊を率いたら怖ろしいけれど、少なくとも、馬鹿が軍隊のトップ(国政のトップ)にいるよりはいい。まともな思考力があれば、最悪の事態を避ける努力をするはずだからだ。
さらには、本当に頭がいい人間は自分の過ちを認め、軌道修正ができるが、馬鹿は最後まで馬鹿なままだ。反省も学習もしない馬鹿に自分たちの命を預けるなんて、そんな怖ろしいことがあるだろうか。

石原完爾と東條英機が入れ替わっていたらというのは「想像」の話だが、「ものを相対化する力がない」馬鹿が国のトップにいたら、という恐怖は、令和時代の「現実」である。そのことを、多くの人たちがなめてかかっていることが、さらに怖ろしい。


もしも日本が先に原爆を完成させていたら2019/09/08 21:23

石川町でウラン鉱採掘に動員された石川中学(現・学法石川)の生徒たち(Wikiより)
福島県の石川町は、石工・小林和平が生まれ育ち、数々の名作を生み出した土地である。
その石川町が、日本における原爆開発研究ともつながりを持っていると知ったのは20年ほど前のことで、狛犬つながりからだった。

アメリカが原爆開発(マンハッタン計画)に本格着手したのは1942年10月だが、それに遅れること数か月、日本でも陸軍の要請により理化学研究所仁科芳雄博士をリーダーとする「ニ号研究」、海軍の要請で京都帝国大学の荒勝文策教授をリーダーとする「F号研究」と呼ばれる原爆開発研究がほぼ同時にスタートした。
その原料となるウラン235を入手する場所として選ばれたのが石川町で、1945年4月から終戦までの5か月間、旧制私立石川中学校(現在の学法石川)の生徒が勤労動員として採掘作業にあたった。炎天下、わら草履に素手で作業させるなど、ひどい状況だった。しかし、採掘できた鉱石はごくわずかで、ウラン含有率も少なく、使いものにならなかった。

軍部の思惑とは裏腹に、研究者たちは日本で原爆が製造できるとは思ってはいなかったらしい。しかし、仁科や荒勝らには、若い研究者たちが戦場に送りこまれるのを防ぐと同時に、軍からの潤沢な予算を得ることで、原子核の基礎研究を進めたいという思いがあったと、「日本の原爆 その開発と挫折の道程」の著者・保阪正康氏は分析している。
ニ号研究のほうは、昭和20(1945)年5月下旬に、仁科自身が陸軍に「ウラン鉱石すら入手できないようなこの状況ではもう無理である」と告げて、研究者たちも次々に疎開し、そのまま立ち消えてしまった。
海軍では海軍技術研究所科学研究部長の黒田麗(あきら)少将を部長に、(略)F号研究を受け持った。昭和20(1945)年7月21日、琵琶湖のホテルで話し合いの場が持たれている。(略)
黒田は「できれば原子爆弾を作ってほしい」との発言を行った。(略)
「理論的にはまったく可能だが、現状の日本の国力などから考えても無理だといってかまわないと思う」と、荒勝グループの研究者たちは声を揃えた。正式に中止の決定をしましょう、というのが荒勝らの一致した提案だったのである。
「日本の原爆 その開発と挫折の道程」 保阪正康・著 新潮社2012年刊 P170より)

そして、その2週間後には、広島に原爆が投下された。
アメリカのハリー・トルーマン大統領が、広島に投下されたのは原子爆弾であると発表したのは、ワシントン時間で8月6日午前11時(日本時間7日午前1時)であった。(略)長文のこの声明は、アメリカがこの原子爆弾の開発製造のために、いかに国力の総てをつぎ込んできたかを詳細に述べた。(略)
連合国各国がこの“偉業”を賞えていると、アメリカのラジオ放送は伝えた。(略)トルーマン大統領の声明が各国から賞えられるなかで、人類にとって原子爆弾の投下は汚点である、との意見はローマ法王庁ほか、わずかの機関からしか発表されなかった。(略)
当時の日本国民はラジオでアメリカの短波放送を聞いたりすればすぐに逮捕されてしまう時代だから、こういう連合国や国際社会の動きなどはまったく知るよしもなかった。
むしろ内閣情報局での会議、つまりこのニュースをいかに国民に伝えるかの会議では、陸海軍からの出向組は、「トルーマン声明は策略かもしれないではないか」とか、「原子爆弾だと伝えると、国民に衝撃を与え、戦争指導上問題がある」といった強硬意見が出された。
同「日本の原爆」より)


「もしも日本がアメリカより先に原爆を完成させていたら?」という「IF」は、ときどき語られる。
戦時下の昭和19(1944)年には、朝日新聞が「ウラニウム爆弾」について記事で紹介し、「新青年」という読み物雑誌には『桑港(サンフランシスコ)けし飛ぶ』と題した小説も掲載された。ウラン235を入手した日本では原子力の実用化に成功し、原子力飛行機で軽々と太平洋を横断し、敵国アメリカのサンフランシスコ上空8000メートルから原爆を投下する、という内容の小説だという。
こうした記事や小説がきっかけで、「マッチ箱1つの大きさで大都市が吹っ飛ぶ爆弾」が発明され、日本は戦争に勝つという噂が日本国中に広まった。
しかし、当時の状況からして、日本がアメリカより先に原爆を完成させていた可能性はない。
「ニ号研究」では、
容器の中に濃縮したウランを入れ、さらにその中に水を入れることで臨界させるというもので、いわば暴走した軽水炉のようなものであった。(略)
しかし、同様の経緯である1999年9月の東海村JCO臨界事故により、殺傷力のある放射線が放出されることは明らかとなっている。 (Wikiより)

……つまり、完成させられないまでも、そのまま研究が進み、原材料が調達できていたら、実験段階で日本国内で悲惨な事故が起きていた可能性が高い。そして、当然、それは隠されただろう。
なにしろ、1944年(昭和19年)12月7日に起きた東南海地震(M7.9。死者・行方不明者1223名)も報道規制され、隠されたくらいだから。

「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」と並べてはいけない

こうした歴史に学ばず、2011年3月の原発爆発では、福島県は国に先がけて深刻な放射能漏れを知ったにもかかわらず、それを隠した

歴史は繰り返すというが、こんな歴史を繰り返していいはずがない。

保阪正康氏は著書『日本の原爆』の最後で、非常に重要な指摘・主張をいくつもしている。
原子力や核開発に対しての考え方の違いを超えて、多くの人たちが見落としがちな視点・視座だと思うので、いくつかをほぼそのままの内容で紹介しておきたい。

  • 原子爆弾の製造⇒戦争の終結⇒東西冷戦下の核開発⇒核の均衡による平和⇒核技術の「平和利用」 ……この構図の中には政治と軍事が科学者たちを下僕化したという現実と、政治が「平和利用」の名のもとに科学者を巧みに利用した現実が凝縮している。
  • 原子力の二つの顔(原子爆弾と原子力発電)は、単純に「悪魔と天使」とに二分できるものではない
  • ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを並べて論じてはならない。ヒロシマ・ナガサキは基本的にはアメリカが爆弾を投下したという問題だが、フクシマは我々の国のシステムや技術、原発に対する考え方の歪みが起こしたものであり、「我々の国の責任問題」である。
  • 原爆製造計画では、軍事指導者が「聖戦完遂」の名のもとに軍事研究を要求し続けた。原子力発電は、軍事指導者に代わって、政治家や官僚が「平和利用」と「生活の向上」の名のもとに「電力というエネルギーの供給を」と訴え続けた。どちらの大義もその時代が要求する価値観でしかなく、歴史的普遍性に欠けている
  • 日本での原爆製造計画が未遂に終わったために、我々は人類史の上で加害者にはならなかった。しかし、原発事故では、我々のこの時代そのものが、次世代への加害者になる可能性を抱えてしまった。我々が放射線をあびたとしても、それはそうしたシステムを許容した我々自身の責任である。しかし、次世代の人たちに放射能障害の危険性を残していいわけはない。


原発爆発後の日本を見ていると、責任者が責任をとらないどころか、開き直って嘘の上塗りをし、それを国政が後押しする。システムの反省や改善どころか、さらなる欠陥や非合理、不正義を押し進める……。
  • 放射性廃物を永久処理する方法は未だに発見されていないし、地震の巣である日本では、放射性廃物を安全に保管できる施設は作れない。それがはっきり分かっている今も、後始末(廃炉と放射性廃物管理)ではなく、再稼働や、原発の輸出(!)などを押し進める。
  • 原発爆発でばらまいた放射性物質を含んだ土や瓦礫くずを健全な水源地にまで運んで埋めてしまおうなどという馬鹿げた計画を「環境省」がごり押しする。
  • 原発ビジネスとまったく同じ「国が税金を投入して業者を儲けさせる」システムで、「再生可能エネルギー」という新たな名のもとに、大規模環境破壊と国民への不要な経済負担を「国策」として進める。

原爆を投下された直後の日本よりも、今の日本のほうが、人々の理性・判断力・倫理観が劣化しているように思えてならない。


嫌韓報道を続けるメディアの害毒2019/09/04 22:09

形は違っても、中身は同じ「アジ」ア……
酒の席で、初対面の男性からいきなり「私は日本は特別な国だと思っているんですよ」と切り出されて面食らったことがある。
その「特別」とはどういう意味なのだろうか? 神国日本とか、そっち系? それとも、世界でも類をみないほど水と森に恵まれ、四季が存在するというような意味? その意味によって対応はまるで変わってくるが、どうも前者のようだった。

日本の軍部が暴走して真珠湾攻撃をする直前の昭和15(1940)年、日本国中に「皇紀2600年」キャンペーンが張られ、一種浮かれた世相があった。
狛犬巡りをしていると、あちこちの神社で「皇紀2600年もの」の狛犬、燈籠、記念碑などに出くわす。
今放送中のNHK大河ドラマ『いだてん』でも、「皇紀2600年」に合わせてオリンピック招致に躍起になったことが描かれている。東京では万国博覧会の開催も予定されていたが、日中戦争の泥沼化によってすべて中止・延期された。

↓ ↓ ↓

皇紀2600年のポスター。11月14日までと15日以降ではガラッと趣旨が変わっている(Wikiより)


この「皇紀」というのは、初代天皇であるとされる神武天皇が即位した年(西暦だと紀元前660年にあたる)を元年とする「神武天皇即位紀元」と呼ばれるもので、明治政府が明治5(1872)年に制定した。
神武天皇の即位がBC660年だというのは、日本書紀の記述をもとにしたものだが、言うまでもなくこれは、歴史学的にも考古学的にも否定されている。

日本の古代史には謎が多いが、大和朝廷を築いたのは朝鮮半島から渡って来た渡来系の人々であり、それ以前に日本列島に暮らしていた人々は見た目も使用言語も生活習慣もバラバラな多民族だったことは概ね分かっている。
多民族がなんとなくうまく暮らしていた平和な土地に、鉄の武器や稲作農耕技術などを持った大陸系の人々が来て、原住民を武力制圧していった……というのが、ほぼ正しい日本の古代史だろう。ただ、明治以降、そうした「大陸民族による日本征服」という古代史は曖昧にされ、一方では征服者が書いた歴史書である日本書紀の記述は、いくら非現実的であろうとも、政府によって「常識」であるかのように固定されていった。
『日本書紀』『古事記』を「歴史資料」として鵜呑みにすることを批判した津田左右吉(早稲田大学教授 1873-1961)は、まさに皇紀2600年の昭和15年に、『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及思想』の4冊を発売禁止の処分にされ、早稲田大学教授も辞職させられ、版元社長の岩波茂雄とともに出版法違反で起訴された(津田事件)。

無知なのか? 同族嫌悪なのか?

「日本は特別な国」とか「神国日本」という一種の信仰は、古代史と近代史をきちんと学んでこなかった人たちの妄想なのか、それとも、それが分かっているからこその同じアジア人への同族嫌悪(そしてその裏返しである欧米白人社会へのコンプレックス)なのか……。
多分、その両方なのだろうと思う。
そう認識した上で、現在の日本のメディア(特にテレビのワイドショーなど)による嫌韓煽りともいえるような報道ぶりを見ると、まさに「大政翼賛会」を彷彿とさせる。

 8月15日の日本の敗戦の日を前後して、韓国のシュプレヒコールは、「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わりました。
 私の周りの韓国人の友だちもそれに安堵しているようです。(略)
 それにしても、「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わったこと。事の本質が変わった大切な事なのに、日本の報道はそこを特に取り上げない。本質には触らない、タブー視、忖度……日本に住む人々を欺くことになるのに印象操作は続きます。
韓国に「上から目線」のワイドショー、酷くない? 日本の「嫌韓」に対し、韓国は「嫌日」になっていません! 藏重優姫

RONZAに掲載されたこのコラムは、冷静さを訴えるものだが、本来、メディアはこうした事実こそをしっかり伝えていくべきだろう。

Googleで画像検索すると、↓こうした画像がどさっと出てくる。

当初はハングルで「NO 아베」と書いていたが、日本のメディアがこのプラカードを「反日デモ」などと報道するのを知って、「NO 安倍」と漢字表記するようになってきた。それでもメディアは「反安部政権」デモではなく「反日デモ」だと伝えるか、無視する。

このデモ行動の背景や意味を、冷静に分析し、伝えようとしている記事もある。
集会の正式名称は「安倍糾弾 第2次キャンドル文化祭」。主催は「安倍糾弾市民行動」という596の市民団体やNGO(非政府組織)による連合体だ。
(略)
いわば韓国市民団体の「オールスター」とも言える組織がデモを主催している訳だが、この布陣は、2016年10月末から2017年3月にかけて当時の朴槿恵(パク・クネ)大統領を弾劾に追い込んだ「キャンドルデモ」と同様だ。力の入った運動主体といえる。
中でも、この日特に存在感を発揮していたのが「自主派」と区分される政党・市民団体の旗だ。「民衆党」や「祖国統一汎民族連合(汎民連)」、「民主主義自主統一大学生代表者協議会(民大協)」など、民族主義を強く打ち出すNL(民族解放)系列の組織が勢揃いしていた。
韓国「安倍糾弾デモ」のメカニズム 徐台教 コリアン・ポリティクス編集長

さらに、 北朝鮮政府との無条件での対話路線を続ける文在寅政権と対立する韓国の第一野党である自由韓国党(保守派)は、一方では、
植民地時代に大日本帝国に積極的に協力することで権勢をふるい、1945年の解放後や48年の大韓民国建国後にもそれを維持し、さらに「日韓癒着」を重ねてきたいわゆる「親日派」と、日本の「再武装」を掲げる安倍政権の「戦前回帰イメージ」が重なり、強い不満となって表れているのだ。
つまり、「安倍政権=韓国保守派=南北宥和の敵」という論理だ。これは今回の「安倍糾弾デモ」をセッティングした、いわば主催者側の主張といえる。安倍政権を糾弾しつつ、韓国の保守派も攻撃するという二重の目的を持った集会ということだ。(同記事より)

……と、徐氏は分析する。

最初に引用した藏重さんの記事でもそのへんのことは報告されている。
 今年の終戦の日前後は、ソウルでいろんなイベントや集会に参加しましたが、日本をひとまとめにして「ダメ!」という演説の無かったことに救われました。
 ただ、与党と野党の攻防合戦、国民感情を政治家に有利なように誘導するような発言は見え見えでした。
 少し感じ取ったのは、政治家が自分の良いように過去の事実を引き出し演説することには、韓国の人ももう慣れているようで、政治家の発言は政治家の発言。歴史問題解決はしないといけないという点では人々の考えは一致しているが、その方法論では世論は割れている。
日韓境界人のつぶやき より)


このへんの複雑さは、日本で暮らしている日本人には容易には理解できない。しかし、少なくとも、今、韓国で起きている「反安部」デモや日本製品不買運動、日本への旅行取りやめなどの動きの背景が、単純な国粋主義的な感情からだけではないことは知っていないといけない。

徐氏の記事の中で紹介されている、(組織とは関係なく「NO 安倍デモ」に参加したという)二人の韓国人男性の声は、特に傾聴に値する。
「日本社会全体に反感を抱いているのではない。(自分の)海外生活の経験から見ても、世界で最も親しくなれるのは日本人。しかし、正直言って、安倍政権がなぜ続くのか分からない。この点では日本の市民に不満がある。安倍政権が早く退陣し健全な政権に変わってほしい」(49歳・男性)

「日本の安倍首相一族の政治的系譜に悪い印象を持っている」(52歳・男性)


日本では「安倍首相一族の政治的系譜」と言われても、ピンとこない人が多いのではないだろうか。
日本では幕末から昭和にかけての近代史を、事実に沿って正しく教えていないからだ。
まったく必要なかった戊辰戦争、「長州閥陸軍」のあまりに愚かで人命を軽視した暴走……などと書くと、今度は日本国内で西と東(薩長と奥羽越同盟)の無駄な対立を引き起こしそうだが、言いたいのは、あくまでも国、地域、人種といった線引きで対立軸を作るな、という極めて単純なことだ。
時の権力者の顔色をうかがい、不正義を「これが仕事」と認識して淡々と遂行していく「優秀な人たち」。不正義を行っても、その不正義が権力者の意向に沿ったものであれば、罪に問われないどころか、安泰な老後生活が保障される。そうした「官僚主義的無責任体制」と、それを許してしまう国民性こそが、この国の人々を大きな不幸に陥れてきた、という歴史を学びましょう、と言いたいのだ。

韓国では「お友達」を優遇した前大統領は弾劾訴追、逮捕された。少なくとも、国会や司法が独立して機能した。
一方、同じときにこの国ではどうだったのか……。

歴史に学べ! 答えはそこにある。
とにかく、この一言に尽きる。


「反社会的勢力」「反社」という言葉の怖ろしさ2019/07/25 21:06

吉本興業問題の報道や議論を見ていて非常に気になったのは、誰も彼もが(番組司会者、学者、弁護士、タレント……すべて)「反社会的勢力」「ハンシャ(反社)」という言葉をあたりまえのように使っていることだ。これは極めて危険なことではないのか。
「反社会的」とはなんなのか? さらには「集団」「組織」といわずに「勢力」といっているのはなぜなのか?
気がつくと、時の権力者に異を唱える者や集団を「反社条例」なるもので引っ捕らえて投獄できるような時代になりはしないのか?

「反社会」とはどういう意味なのか?

この言葉は、従来、暴力団、ヤクザと呼ばれてきた組織が巧妙に企業体の体をなしてきたために、「暴力団」といえないような組織が犯罪を犯している現状を鑑みて作られた言葉らしい。
しかし、ヤクザや暴力団の定義が変わってきたというのなら、単純に「犯罪集団」「犯罪組織」でいいではないか。
「半グレ」という言葉にも違和感を感じる。表向きがまともそうな企業業態であっても、裏で違法行為をしているなら、それは「半分」でも「グレー」でもなく、犯罪集団そのものではないか。
今回、吉本の芸人が犯罪集団の宴会に(相手が犯罪集団とは知らずに)呼ばれて、ギャラを受け取っていたということに端を発した騒動にしても、その宴会をしていたのは紛れもなく「犯罪集団」である。隠れ蓑にしていた企業体の名前で主催していたとしても、化けの皮が剥がれた時点で「犯罪集団」といえばいいだけのことである。
日本は法治国家であるはずだ。何よりもまっ先に、法を犯しているのかいないのか、が問われるべきである。

anti-social forces ?

そもそも「反社会」とはどういう意味なのか?
「社会に反する」ということであれば、「社会」とはなんなのか?

「反社会的勢力」を英訳すると Anti-Social Forces なんだそうだ。
しかしこの言葉の用例を検索すると、出てくるのは金融庁の文書などがほとんどで、一般的な英文の中で使われている用例がほぼ見つけられなかった。
では、「犯罪集団」を英語ではなんというのかと調べると、crime syndicate、 criminal syndicate という言葉が出てくる。
これなら分かる。英語でははっきりと「crime(犯罪)」という言葉を使っている。
なぜこう呼ばないのか? 「犯罪集団」「犯罪組織」なら漢字4文字で済むのに、「反社会的勢力」は6文字も使った上で、意味がよく分からない。

anti-social は「socialではない」という意味だが、そもそもsocialはどういう意味の言葉なのか。
Man is a social animal.(人間は社会的動物である。)……という使い方がいちばん分かりやすい。
social problems such as poverty and crimes(犯罪や貧困のような社会的問題)
a social movement called the anti-nuclear movement (反核運動という社会運動)
 といった使い方を見ても分かるように、social自体がよいとか悪いということではない。
「群をなす」「社交的」というニュアンスも強い言葉だ。
He has recently got anti‐social.(彼は最近つきあいが悪くなった。)

そういう言葉(social や「社会」)を使って犯罪者集団のことを指し示さなければならないのはなぜなのか?

「反日」という言葉にも似ている

「反社」という言葉は「反日」という言葉にも通じる曖昧さがある。
「反日」とはなにか?
Wikipedia にはこうある。
反日とは、日本の一部または総体に対して反対・反発感情・価値観を持って行われている教育・デモ・活動・外交、それを行っている人物・組織・国家に対して使われる言葉。

↑こんな定義をされてしまったら、「日本の一部」が何を指すのかによって、どんなものも「反日」になってしまう。実際、そうなってしまっているわけだが。
「反社」という言葉があたりまえのように使われるようになると、これと同じことになる。
「反日」の「日」が日本の現政権(日本の一部)である、ととらえると、その「日」は日本という「国」であり、日本の「社会」である、というようなことになりかねない。
この怖ろしさをしっかり自覚しなければいけないだろう。特に弁護士や法律家、ジャーナリズムに身を置く人たちには、この言葉が安易に広まることに対する警戒心をしっかり持ってほしい。

最後にこんな例文を見つけたので掲載しておきたい。
Never losing its antisocial nature, many rakugo acts were suppressed and forbidden during war.
(落語は反社会性が抜けず、戦時中に多くの演目が禁演落語として弾圧された)
Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス


参院選2019まとめ 山本太郎のゲリラ戦法など2019/07/22 14:10

重度障害者の候補者二人が当選!
記憶が薄れないうちに、今回の参院選で「忘れてはいけないこと」をいくつかまとめておきたい。

投票所に足を運ぶ気力がない

投票率が48.8%で、50%を割ったのは24年ぶり。過去2番目の低さだというが、過去最低の44.52%は1995年の参院選で、このときはまだ期日前投票制度がなかった時代だから、実質、今回が過去最低といえる。ちなみに今回の期日前投票数は過去最高である。
要するに、国民の多くが、もはや投票所に足を運ぶだけの気力すらないほどに疲弊し、空虚感、無力感に支配された生活をしているということだ。

策士・山本太郎 ゲリラ戦を仕掛けて勝利

れいわ新選組を立ち上げた山本太郎は、比例区でおよそ98万票を獲得して、比例区の個人獲得票では断トツの1位になった。ちなみに2位、3位は自民党、公明党の候補者でどちらも59万票あまり。
しかし山本自身は重度障害を持つ候補者二人を「特定枠」に置いたために、れいわが獲得した2議席分の得票(224万票あまり)では届かず、断トツ1位得票者でありながら落選した。
このことをマスメディアは「山本太郎落選」と伝えるが、車椅子や介護者がいないと発言も移動もできない議員を二人も国会に送り込んだことは、歴史的な出来事である。
議場では投票の際に議員が階段を上らなければならないし、車椅子で着席できる仕組みもない。議場には議員本人しか入れないという現行ルールを改正しない限り、当選しても議員は議場にすら入れない。この「国会の場がそもそもバリアフリーになっていない」ことを、山本は国民に改めて知らしめた。
これは、巨大な敵に立ち向かうためのゲリラ戦としては見事な勝利である。

意図的に山本太郎を黙殺するマスメディア

選挙前に、山本の行動をしっかり報じているマスメディアはほとんどなかった。特にテレビは完全無視に近かった。
本来なら、重度障害者を立候補させるということが分かった時点で報道価値があるはずである。候補予定者本人に取材してしかるべきだろうに。
これは何に対しての「忖度」なのか?
前に言いましたが、選挙終わってから候補や政党や支援団体のことを特番で見せられてもどうしろと言うんですか?
遅いだろう! 全く役に立たない。メディアが公職選挙法の改正を大優先にしないなら、開票特番やめて全部アニメでいいです。オチはありませんm(__)m
デーブ・スペクターのツイッターより
まったくその通りである。

立憲民主党の「社民党化」「硬直化」を懸念する

れいわ新選組の健闘に対して、立憲民主党の魅力が一気に薄れたことが強く印象づけられた選挙でもあった。
自治労役員、野田内閣時の首相補佐官、郵政労組役員、NTT労組出身の情報労連組織内候補、私鉄総連局長。
↑これは立憲民主党比例区上位当選者5候補のプロフィールである。この5人までが10万票を超えた。この結果を見れば明らかなように、立民は候補者選びの段階で国民に魅力を発信できていない「個人の力」を引き出し、活躍させる土壌ができていないのだ。
テレビCMも下手すぎる。依頼している広告代理店が意図的に「ダサく」作って立民離れを仕掛けているのではないかと思うほどひどい。
要するに立民は「自己分析」ができていないのだ。
実働部隊として戦力になる候補者がいないわけではない。
原発問題で超人的な情報収集、データ解析能力を発揮してきたおしどりマコや、元NHK記者で、普天間基地問題の現場にも突撃取材を敢行する「元気な老人」小俣一平らは、議会に送り込めれば何人分もの起爆力を持っていたと思う。
しかし、おしどりマコは3万票に届かず、立民の比例区候補者(当選は8人)のうち12位、小俣は1万票すらとれずに同18位。
今回、NHKから国民を守る党が1議席を獲得したことが話題になっているが、立民は「今のNHKのあり方に憤りを感じている人は、ぜひ小俣一平氏に一票を投じてください。NHKの内実をいちばんよく知っているのは彼です」といったPRをすればよかった。
そういう戦略、小回り戦法ができないと巨大与党と渡り合えるはずがない。
「ならぬものはならぬ」「正々堂々と正面から挑む」とか言って、鎧甲冑に槍を持って新政府軍に突っ込んでいって討ち死にした会津藩みたいなことになる。それでは過去の社会党と同じ運命をたどることになりはしないか。
枝野代表は真面目さ、清廉さが売りだが、それだけでは「無党派層」を惹きつける求心力が足りない。合理性を持った策士や力技で動けるパフォーマーが必須だ。
山本太郎はその二役を一人でこなしたといえる。
マコ&一平は、次は衆院選でれいわから立候補してほしい。今の立民にいる限りは、活躍の場が与えられないまま歳だけ取ってしまうだろう。
ちなみにテレ東の選挙特番で、池上彰が山本太郎に「なぜ旧体制を守ろうとした新選組の名前を使うのか」みたいなことを言っていたが、戊辰戦争のことをよく分かっていないのではないか。
新選組(あのときは「新撰組」)は、東北戊辰戦争で会津藩の総大将となった西郷頼母(たのも)に「ゲリラ戦でなければ勝てない」と主張した。頼母はそれを拒否して「我々は正面から正々堂々と戦う」などと言って、最新兵器を持ちながらゲリラ戦を仕掛けてくる新政府軍に甲冑姿で突っ込んでいき、玉砕した。それではダメなわけで、「新選組」という名前はあながち間違ってはいないと思う。

若者を無理に投票所に引っぱり出さなくてもよい

18、19歳有権者の投票先は自民が41%でトップ。立憲が13.9%で2位。れいわは4番手の7.4%。 年代別では自民は20代、公明は10代で最も高く、立憲は40代まで、共産は50代までの得票率が全世代の平均値を下回り、ともに70代以上の得票率が最高だった。(時事通信より)
このままでは若い人たちに安心した社会を引き継がせられないと訴える野党が若い世代からは支持されておらず、ある程度歴史を見てきた高齢者たちが現政権に危機感を抱いて野党に投票しているというのは実に皮肉だ。
選挙のたびに、若い世代に「投票しましょう」と呼びかけるポスターやら広告を目にするが、もういいんじゃないか。
そんな呼びかけよりも、メディアが現実をきちんと伝える努力をすることが先だ。

「世界陸上」における日本選手の歴史2019/05/31 13:47

陸上競技の世界最高峰大会は、オリンピックよりも世界陸上選手権かもしれない。
名誉やニュース性ではオリンピックのほうが上かもしれないが、参加選手数や優勝者の記録レベルでは世陸のほうが上だ。特に、最近では真夏に開催されるオリンピックより、世陸のほうが競技コンディションがよいので、真の「世界最高レベル」が見られる可能性が高い。

というわけで、世陸における日本選手のメダル獲得歴史を振り返ってみた。

1987年 ローマ

   メダルなし

1991年 東京

  • 谷口浩美  金 男子マラソン (2時間14分57秒)
  • 山下佐知子  銀 女子マラソン (2時間29分57秒

1993年 シュツットガルド

  • 浅利純子  金 女子マラソン (2時間30分03秒)
  • 安部友恵  銅 女子マラソン (2時間31分01秒)

1995年 イエテボリ

   メダルなし

1997年 アテネ

  • 鈴木博美  金 女子マラソン (2時間29分48秒)
  • 千葉真子  銅 女子10000m (31分41秒93)

1999年 セビリア

  • 市橋有里  銀 女子マラソン (2時間26分33秒)
  • 佐藤信之  銅 男子マラソン (2時間14分07秒)

2001年 エドモントン

  • 室伏広治  銀 男子ハンマー投げ (82m92)
  • 土佐礼子  銀 女子マラソン (2時間26分06秒)
  • 為末大  銅 男子400mハードル (47秒89)

2003年 パリ

  • 野口みずき  銀 女子マラソン (2時間24分14秒)
  • 末續慎吾  銅 男子200m (20秒38)
  • 室伏広治  銅 男子ハンマー投げ (80m12)
  • 千葉真子  銅 女子マラソン (2時間25分09秒)

2005年 ヘルシンキ

  • 為末大  銅 男子400mハードル (48秒10)
  • 尾方剛  銅 男子マラソン (2時間11分16秒)

2007年 大阪

  • 土佐礼子  銅 女子マラソン (2時間30分55秒)

2009年 ベルリン

  • 尾崎好美  銀 女子マラソン (2時間25分25秒)
  • 村上幸史  銅 男子やり投げ (82m97)

2011年 テグ

  • 室伏広治  金 男子ハンマー投げ (81m24)

2013年 モスクワ

  • 福士加代子  銅 女子マラソン (2時間27分45秒)

2015年 北京

  • 谷井孝行  銅 男子50km競歩 (3時間42分55秒)

2017年 ロンドン

  • 荒井広宙  銀 男子50km競歩 (3時間41分17秒)
  • 小林快  銅 男子50km競歩 (3時間41分19秒)
  • 多田修平、飯塚翔太、桐生祥秀、藤光謙司  銅 男子4×100mリレー (38秒04)

日本選手は初期の頃、マラソンで優勝者を3人出している(谷口、浅利、鈴木)。
特筆すべきは個人のトラック競技でメダルをとっている千葉真子(銅 女子10000m、1995年 アテネ)、為末大(銅 400mハードル、2001年 エドモントンと2005年 ヘルシンキ の2回!)、末續慎吾(銅 男子200m、2003年 パリ)だろうか。
あと、メダルには届かなかったが、8位入賞までを見ると、
  • 1991年 東京 7位 高野進 男子400m 45秒39
  • 1997年 アテネ 8位 弘山晴美 女子5000m 15分21秒19
  • 1999年 セビリア 4位 弘山晴美 女子10000m 31分26秒84
  • 2005年 ヘルシンキ 6位 原裕美子 女子マラソン 2時間24分20秒
                 8位 弘山晴美 女子マラソン 2時間25分46秒
  • 2017年 ロンドン 7位 サニブラウン・A・ハキーム 男子200m 20秒63

……といったあたりが印象的だ。
ヘルシンキの女子マラソンで6位の原裕美子はその後、競技の成績ではなく、あんなことで有名になってしまったし、弘山晴美はトラックでもマラソンでも結果を出している(3大会で3度入賞!)のに、オリンピック代表選考レースでは悲劇を味わった。
逆に、高橋尚子は優勝確実と言われた1999年の世陸セビリア大会は、代表に選出されていたが脚の怪我で欠場。世陸での成績は1つも残していないが、翌2000年のシドニーオリンピックの金メダルで歴史にも人々の記憶にも名を残すことになった。
競技レベルではどちらも世界最高レベルなのに、世陸とオリンピックの「格差」がいかに大きいかを改めて感じさせられる。

スポーツも、世界最高レベルで競い合えるのはほんの一握りの人たちの、人生におけるごく短い時間。その時期を過ぎた後の人生をどんな風に生き抜くか。一度、「世界レベル」を味わい、死闘を繰り広げた人たちにとっての「その後」はどんなものなのだろう。
見ているだけの我々は、ただ単に競技というドラマに興奮する時間を与えられるだけだが……。

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