『阿武隈裏日記』を改題しました。
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続・前川喜平という人物2017/06/01 01:51

ビデオニュースドットコムでインタビューに応じる前川喜平氏

「常識」とか「一般人」ってなんなの?


「共謀罪」が強行採決された。これからはこんなTシャツ↑を着て歩かなくちゃ、と呟いている人がいた。
ビールと弁当を持っていたら「花見」、地図と双眼鏡を持っていたら「犯行現場の下見」――。「共謀罪」の成立に必要な「準備行為」の判断基準について、金田勝年法相は28日の衆院法務委員会でこんな例示で説明した。
朝日新聞 2017/04/28


僕は年がら年中カメラを持って誰もいない神社の境内やら他人様の田圃の周辺をウロウロしているわけで、「一般人」と書いたTシャツを着ていてもすぐに通報されて捕まりそうだ。

これはもはや冗談ではなくなっている。
先日の日記でも書いたが、「貧困層の女性が出入りする出会い系バーというものに実際行ってみた」と説明する前川喜平前文科省政務次官の話に、「この人の思考経路はやはり異常だし、普通の思考回路の人だと思って議論することはナンセンスだ」と断じる人もいる。
この滅茶苦茶な決めつけは論外としても、テレビのワイドショーなどに出てくるキャスターやコメンテイターにも「あの言い訳は残念だった」「お小遣いを渡したというのを聞いて引いてしまった」「もっと常識を持ってほしかった」などと論評する人たちがかなりいる。
しかし、そういうことを言う人の神経や思考回路のほうがよほど問題がある。
前川氏の説明を整理すれば、
  • 貧困から抜け出せない女性が、売春を覚悟した金銭目的で女性客無料のバーに行って金を持っている男性から声をかけられるのを待つ……という世界があることをテレビのドキュメンタリー番組で知った
  • どういうところなのか、どんな人たちがどんな風にしているのか、実際に行ってみた
  • そこで何度か女性と話したり食事をしたりした。その際、お小遣いも渡した

……ということだ。
つまり、「そういう店」に来る女性は金銭目的であることがはっきりしているわけで、「そういう店」で女性から話を聞いて時間をとらせたら、謝礼を出さないほうが非常識だし、まともな大人といえないでしょ。
これが仮に新聞社やテレビ局が取材で「そういう店」に潜入して、店内で見つけた女性を連れ出して話を聞いた後、なんの謝礼も出さなかったら、なんちゅう非常識な大人だ、と僕は思う。

前川氏が退任後にボランティアをしていたNPO法人キッズドアの渡辺由美子理事長のブログを読んでも、前川氏の行動パターンは、文科省の外での行動については徹底して一私人として、自費で、身分を伏せてやっていたことが分かる。
5月30日放送の「直撃LIVEグッディ!」(フジテレビ)では、前川氏が出入りしていたバーに取材して、店員の証言などもとっていたが、「偽名を使っていた」「領収書はとっていなかった」「たいていは一人で悠然と食事をしたり飲んだりしていただけで、女性と話をしている時間は少なかった」「女性と一緒に店を出たのは1、2回」などと報じていた。それがまるで犯罪であり、会見での説明と大きく食い違うかのような伝え方だったが、どれもおかしなことではない。
最初は店の様子を見るために一人で店内を観察していたわけだし、話を聞かせてくれる女性がいれば店内で長々とするわけがない。ましてや領収書を求めないのはあたりまえではないか。(もっとも、政務活動費でSMバー……というすごい大臣もいたが……)
むしろ「たいていは一人で悠然と食事をしたり飲んだりしていただけで、女性と話をしている時間は少なかった」という店員の証言から、ああ、やはり前川氏は本当に本当のことを言っていただけなのではないかという思いが強くなった。

「それは楽しいですよ、女性と話をするのは」

前川氏は大手メディアだけでなく、個人ジャーナリストのインタビューなどにも応じている。

↑神保哲生氏のビデオニュースドットコムでも長時間インタビューに応じているが、その中で神保氏も前川氏が「貧困調査のために行った」という説明を「あの言い訳だけは残念だった」というようなことを言って「本当にそれだけですか?」と食い下がっている。
それに対して前川氏は「そりゃあ、女性と話すのは楽しいですよ。それが何割かと言われても……」と笑って答えている。なんて正直で自然体なんだと感心してしまった。
「そういう店に行って女性を連れ出したら絶対にホテルに連れ込んでやっているに決まっている」と思い込む人たちがネット上でワイワイ騒いでいるが、本当に、前川氏の言葉じゃないけれど「気の毒だ」と思う。

↑まさにその通り。
自分の思考回路、価値観、世界観以外の、もっと広くて深い世界が外側に広がっていることを死ぬまで知ることがない、知ろうとしない人たち。

僕が驚いたのは、教養も品性もない人たちではなく、メジャーメディアに登場する「識者」とか「知識人」と呼ばれるような人たちまでもが、社会の底辺、あるいは底辺とまではいかなくても「庶民感覚」「普通の生活感」について「常識」がないことだ。
自分たちもメディアから取材を受けたらその場の食事代やコーヒー代は出してもらってあたりまえだと思っているはずだし、場合によっては「お車代」ももらっているだろう。内容に比べて高額な「講演料」なんかもね。
ところが、相手が貧困にあえいでいる底辺の女性だと、「そんな場所でそんな子たちに金を渡すなんて非常識」「引いてしまった」となる。これって、無意識のうちに底辺の女性たちを差別していることにならないか。

国を動かしている政治家たちは、自分で電車や飛行機の切符を手配したり、ホテルを予約したり、スーパーに行って晩ご飯の食材を買ったり、どこのガソリンスタンドに行けば安いか調べたり、切れた電球を交換したり……そういう「普通の生活」を知らないまま、経験しないまま今の職に就いていないか。そんな「常識のない人びと」が国民を幸せにできるのか。
前川氏もそういう階層にいる一人だが、彼はそれでも自分の頭で考え、自分の意志で行動し、「現場」を見ようとした……それを犯罪者や変質者のように報道する官邸やメディア。
「引いてしまいました」というキャスターの笑顔を見て、僕はまさに「引いてしまった」のだった。

現職中にやるべきだった

菅官房長官は、「なぜ現職中に言わないのか」と言ったが、それに対して「こんな冷酷な言葉はない。首切り役人が刀を持っている前で『さあ、言いたいことがあるなら言ってみろ』と言っているのと同じ」と評した人がいた。本当にそうだ。
しかし、前川氏は上記の神保氏のインタビューでこう語っている。
「私に続け!」と言うつもりであれば、やっぱり現職中にやるべきだった。そこは私の忸怩たる思いの部分ですね。
現職中は「これは無理だ。抵抗できない」と(なってしまった)。せめて文部科学省の範囲内でもちゃんとやること(はやろうと思った)。これは特区制度全体の中での話ですから。
文部科学省は特区制度に関する限りは相談にあずかるというか協議にあずかる側。「それはおかしいじゃないですか。おかしいじゃないですか」と、担当の高等教育局専門教育課はず~っと言い続けてきた。しかし、結局押し切られちゃったわけですから、そこまではもうしょうがないんじゃないかな、と。
私が現職のときに、そこでもっと声をあげていれば(よかった)。今のように、こんな文書があるじゃないかと、内閣府はこんな無理を言っているじゃないですか、と、もっとオープンに言えば、もっとはっきりしていただろうし、私に続くという人も続々と出てきたかもしれない。
今の私は、何言っても平気じゃないか、と。「何言っても平気な人が何言っても、我々現職は、同じことはできませんよ」と言われてしまったら、私も、それはそうだよね、と言わざるをえない。

そう悔恨の念を吐露した上で、さらにこう続けている。
ただ、それでもね、後輩たちに言いたいのはね、役人には面従腹背というものがあるんだ、ということ。
とにかく、身も心も捧げるな、と。
身も心も「貸す」ことはあっても、取り返すときには取り返せ、と。
……こういう生き方は役人にはどうしても必要だと思うんですね。
とにかく、完全に権力のロボットになるようなことはしないで、自分の座標軸を持って、これはおかしいと思うことは思いながら仕事をする。その中で粘り強く、強靱に、機を見て、方向転換できるときには方向転換するとかですね、そういう術(すべ)ってのが必要だろうなと思うんです。
上の動画の42分あたりからの書きおこし)

これを聞いて、拙著『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』のあとがきに書いた一節を思い出した。
 最後に二つ、繰り返しになるかもしれませんが、重要なことを書いて終わります。
 ひとつは、人生において、すっきりとこちらが正解だという決断ができる場面は意外と少ないということです。
 例えば、あなたが大きなメディア(新聞社やテレビ局)の社員だとします。あなたは社会の不正を告発し、正義を伝えたいという理想を持ってその会社に就職しました。しかし、上司はあなたと考えが合わないだけでなく、事実を隠蔽しようとします。それがさらに上の人たちからの指示であり、意志でもあることが分かってきます。
 絶望したあなたには、「こんな会社は辞めてやる」と辞表を叩きつけることもできますし、その場はぐっと堪えてぎりぎりの妥協をしつつ、次のチャンスを待つという選択もできます。こんなとき、どちらを選ぶのが正解かは、簡単に言えません。
 そこに所属して働けば働くほど世の中を悪い方向に向かわせると確信できれば、辞めて不正を告発する努力をすることが正しいかもしれません。でも、巨大メディアを辞めてひとりで伝えられる力は極めて弱いので、なんとかメディアに残って、他の同じ志を持った仲間と一緒にじわじわ闘っていくほうがずっと効果的かもしれません。
 そういうとき、安易に逃げずに、命がけで考え、行動してほしいのです。そうした強い意志が集まれば、世の中は少しずつ変わっていくかもしれません。

(『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』 岩波ジュニア新書 2012 あとがきより) 



官僚を辞めて、自分自身の言葉を発し続けている人たちは何人かいるし、メディアの世界でも、NHKを退社して、今はBSスカパー!の番組や自身が立ち上げたニュースサイト「8bitNews」などで活動している堀潤氏などにもあてはまることかもしれない。

私は公僕であって「国民の代表者」ではない

前川氏はさらにこうも言っている。
一旦大学が作られれば、毎年億の単位の私学助成を出して行くことになります。国民からあずかっている税金をその大学に注ぎ込むことになるわけですね。ずっと。その大学が存在する限り。
やはり、国民からあずかっている税金を正当に使うという意味でも、安易な大学の設置認可はできない。

公僕として、国民からあずかっている税金をいい加減に使うことはできないという信念を表明した上で、こう続けた。
私は事務方のトップではあるけれど、文部科学省のトップではないわけです。私は公務員として全体の奉仕者という自覚はあるけれども、「国民の代表者」ではない。
内閣総理大臣をはじめ、内閣を構成する大臣は、自ら国民の代表として選ばれた国会議員でもあり、その議院内閣制の下で、国会から選出された内閣総理大臣の下で任命された大臣ですから、国民の代表者ですよ。
国民の代表者として仕事をしているかたがたの決定には従わざるをえない。


……これは国民に向けた皮肉とも、精一杯のお願いともとれる言葉だ。
自分は公僕(全体への奉仕者)ではあるが、国民によって選ばれた「国民の代表」ではない。しかし、大臣たちは国会議員であり、国民が投票で選んだ代表である。公僕は「国民の代表」の決定に従わざるをえない……。
つまり、前川氏を理不尽な命令に従わざるをえないように追い込んでいるのは我々国民なのだ。間違った代表を選出している愚かな国民なのだ。
彼のような超優秀な人材を殺しているのは、この期に及んでも安倍政権を支持し続けている国民なのだ。
こうした絶対的な孤立を噛みしめながら、前川氏は行動している。
口先だけではなく、身体を張って行動している。


   

森水学園第三分校を開設

森水学園第三分校

タヌパックスタジオで生まれた音楽の1つ『アンガジェ』(↑Clickで再生)



前川喜平という人物2017/05/28 22:06

前川氏を誹謗する菅官房長官(テレビ番組の画面より)
森友学園問題に続く「本命」加計学園スキャンダルも、メディアや野党のていたらくでこのままうやむやにされるのかと思っていた矢先、渦中にいた文科省の元事務方トップの人物が勇気ある告発証言をした。
最初に見たのは夕方の地上波ニュースで、すでに編集済みだったため、全編を見られないかと探していたら、CSのニュースバード(TBS系)でノーカット録画放送をやっているところだった。食い入るように見た。

概要はすでにあちこちに報じられているので、ここでは地上波や新聞ではなかなか報じない部分をまとめてみる。

文書が本物かどうか、とか、探せとかないとか←意味がない

この会見後も、野党は「問題となっている文書が本物かどうか、文科省内に保存されているはずだから確認しろ」というようなことを言い続け、官邸や文部科学大臣は「存在は確認できなかった」「再調査の必要はない」などとやりあっている。
……バッカじゃなかろか。
「私が目にした文書は、文科省の専門教育課が作ったものでありまして、専門教育課の職員が内閣府の藤原(豊)審議官のもとを訪れて、藤原さんがおっしゃったことを書き留めた。そういう性格の文書です。
私は部下だった職員が書いてあることを聞いてきたのだと。100%信じられると思っておりますので、藤原さんがそういうことをご発言になったということは私は確かなことであろうと思っております」(25日の記者会見より

当時の事務方トップが「この文書は私が説明を受けたときのレク文書に間違いない。作成した人物(部下)もまだ省内にいる」と言っているのだから、文書が本物であることはもはや議論の余地はない。
前川氏が事務次官として、この「総理のご意向」「官邸の最高レベルの……」という文書をもとに説明を受けたことは分かったのだから、それでも官邸や内閣府は関係ないというのであれば、「このレク文書を作成した文科省職員は上司を納得させるためにありもしないこと(内閣府、官邸側からの圧力示唆)を書いた」ということになる。官邸サイドは「我々はなんの指示も示唆もしていない。文科省の職員が勝手に忖度してそのようなレク文書を作成して上司に説明した」と証明する必要がある。
これを本気でやれば、板挟みの職員は確実に消されてしまうだろうが……。

なぜ京産大は排除されたのか?

そもそも「国家戦略特区」とは、
経済社会の構造改革を重点的に推進することにより、産業の国際競争力を強化するとともに、国際的な経済活動の拠点の形成を促進する観点から、国が定めた国家戦略特別区域において、規制改革等の施策を総合的かつ集中的に推進します。(首相官邸WEBサイト)

というもので、国がまず決めて、そこに事業者や自治体が応募するという形のものだ。
「普通はできないことを特別にそこだけは認めますよ」というのだから、競争相手を排除した独占的な事業が展開できる可能性がある他、
課税の特例
認定区域計画に定められている特定事業(内閣府令で定めるもの等に限る。)を実施する法人(国家戦略特別区域担当大臣が指定するものに限る。)の所得については、租税特別措置法で定めるところにより、課税の特例の適用があるものとすること。
国家戦略特別区域法の一部を改正する法律要綱 より)
など、様々な特典も与えられる。

この「特区」、いろいろある中で「教育」という分野には「公立学校運営の民間への開放(公設民営学校の設置)」(2015年特区法成立)というのがあっただけだったところ、「獣医学部の新設」が加わった(2017年1月告示 適用は今治市)。
この「獣医学部の新設」が加わった経緯もかなり不透明だが、そこに京都産業大学が名乗りを上げたのに、それを排除するためととられてもおかしくないような条件を加えた(2016年11月)。

文科省は、獣医学部新設で「既存の大学・学部では対応が困難な獣医師養成の構想が具体化」など内容に条件を課す修正を求めた。修正理由には「(加計学園が計画する)今治市の構想が適切であることを示す」とも指摘した。だが、実際の決定文では要求は却下され、逆に原案の「獣医師系養成大学等の存在しない地域」との地域的条件に「広域的に」「限り」の二つの文言が挿入された。(東京新聞 2017/05/23朝刊「加計学園に有利に加筆 獣医学部設置決定案に」

この「広域的に」「限り」が加えられた結果、京産大は隣の大阪府にすでに獣医学部を持つ大学があるため「該当せず」になってしまった。
その結果、
(6)名称:獣医師の養成に係る大学設置事業
内容:獣医学部の新設に係る認可の基準の特例
(国家戦略特別区域法第 26 条に規定する政令等規制事業)
学校法人加計学園が、獣医学部の設置の認可を受けた上で、愛媛県今治市において、獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するための獣医学部を新設する。【平成 30 年4月開設】
首相官邸WEBサイトにある「広島県・今治市 国家戦略特別区域 区域計画(案)」平成29年1月20日 より)


……となり、この時点で「平成30年4月開設」と、開校の年月まで明記されている。同時に手をあげていた京産大の関係者でさえ「そんな早く開校できるはずがない。加計学園さんはその条件でよく手をあげたものだ」と驚いていたという。

この状況で「加計学園ありき」ではなかったという説明には到底無理がある。

(そもそも京産大にしろ加計学園にしろ、なぜそこまで「動物実験に特化した獣医学部」を開設したかったのか。製薬業界との関係はないのか……という疑問を抱いてしまうのだが、その問題は別だてで考えたい)

いちばんの問題は「国家が恣意的に個人を抹殺できる」という現状況

テレビメディアなどでは「最初から加計学園ありきで行政が歪められたということがあったのかなかったのか」が問題の本質だという論で報道しているが、ここにきてさらに恐ろしい、重大な問題が浮き彫りになっている。
それは、国家権力が自分たちに都合の悪い個人を、嘘や偽情報、自分たちの意のままになるマスメディアを使って貶め、社会的に抹殺するという恐怖だ。

読売新聞が「辞任の前川・前文科次官、出会い系バーに出入り」と題した記事を掲載したのは2017年5月22日のことだった。
文部科学省による再就職あっせん問題で引責辞任した同省の前川喜平・前次官(62)が在職中、売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バーに、頻繁に出入りしていたことが関係者への取材でわかった。
教育行政のトップとして不適切な行動に対し、批判が上がりそうだ。
関係者によると、同店では男性客が数千円の料金を払って入店。気に入った女性がいれば、店員を通じて声をかけ、同席する。
女性らは、「割り切り」と称して、売春や援助交際を男性客に持ちかけることが多い。報酬が折り合えば店を出て、ホテルやレンタルルームに向かうこともある。(以下略)

この記事が掲載されたのは週刊誌や新聞、テレビの取材などに前川氏が応じる姿勢を見せた時期であり、なぜこのタイミングで退職して一私人となっている人間のスキャンダル記事を全国紙が大きく報じるのか、メディアや政界を少しでも知る人たちは仰天した。

鮫島浩? @SamejimaH 5月22日
このニュースからは以下の可能性が読み取れる。
①前文科次官には公安の尾行がついていた
②国家権力はこの情報を読売にリークした
③それは加計学園問題で情報を流出させた文科省への報復と脅しである。
共謀罪成立後に到来するのはこのような監視社会だ。
(ジャーナリスト・鮫島浩氏のツイート


一読して驚嘆した。
とてもではないが、全国紙が配信する記事とは思えなかったからだ。
(略)
「批判が上がりそうだ」
というこの書き方は、新聞が時々やらかす煽動表現のひとつで、「批判を浴びそうだ」「議論を招きそうだ」「紛糾しそうだ」という、一見「観測」に見える書き方で、その実批判を呼びかけている、なかなかに卑怯なレトリックだ。
書き手は、「批判を浴びそうだ」という言い方を通じて、新聞社の文責において批判するのではなく、記者の執筆責任において断罪するのでもなく、あくまでも記事の背後に漠然と想定されている「世間」の声を代表する形で対象を攻撃している。しかも、外形上は、「世間」の空気を描写しているように見せかけつつ、実際には「世間」の反発を促す結果を狙っている。
真意は
「な、こいつヤバいだろ? みんなでどんどん批判して炎上させようぜ」
といったあたりになる。
実に凶悪な修辞法だ。
「出会い系バーに出入りした人の“末路”」小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明 日経ビジネスオンライン 2017/05/26


……まあ、普通の感覚ならこうとらえる。この国はすでに恐怖政治体制の国になってしまったのか。権力者が世界一の発行部数を誇る新聞社を使って個人をつぶすような国になったのか……と。

一方、こうした卑怯な個人人格攻撃に追い打ちをかける輩もわんさと出てくる。
代表的なものを一つあげれば、同日付の「アゴラ」には、元通産省大臣官房情報管理課長で、現在は徳島文理大学大学院教授という肩書きを持つ人物がこんな文章を載せている。

この人の思考経路はやはり異常だし、普通の思考回路の人だと思って議論することはナンセンスだ。そんな理屈、家族の中でも通用しないだろう。また、「昨年秋、(出会い系バーへの 出入りに関し)、杉田和博官房副長官からご指摘を受けた」と述べている。怪しげなバーに政府高官が出入りしているという情報があれば調べるのは、政府中枢として当たり前の活動だろうし、それは、かなり噂になっていたのではないか。
(略)
しかも連れ出してお金を渡している。別に問題ないという人もいるが、これが他省庁の次官ならまだしも文部科学事務次官だとまったく別の問題だ。いわば全国の学校の先生のトップに立っている人なわけだ。警察庁長官が酔っ払い運転したみたいなもの。そして、そういう常識のない人がいっている話が普通の元官僚のいっていることと同等の信用性はない。
「前川文書と出会い系バーの「真相」を推理する」 八幡和郎 2017/05/26)


まさに官邸の思惑通りの援護射撃だ。

「思考経路が異常」「普通の思考回路の人だと思って議論するのはナンセンス」「そんな理屈、家族の中でも通用しない」と言いきっているが、この「そんな理屈」の内容を前川氏の発言から正確に拾うとこうなる。

「出会い系バーというものがありまして、読売新聞で報じられたが、そういったバーに私が行ったことは事実です。
経緯を申し上げれば、テレビの報道番組で、ドキュメント番組で、いつどの局だったかは覚えていないが、女性の貧困について扱った番組の中で、こういったバーでデートの相手を見つけたり、場合によっては援助交際の相手を見つけたりしてお金をもらうという女性がいるんだという、そういう女性の姿を紹介する番組だった。
普通の役人なら実際に見に行こうとは思わないかもしれないが、その実態を、実際に会って話を聞いてみたいと思って、そういう関心からそういうお店を探し当て、行ってみた。
その場で話をし、食事したり、食事に伴ってお小遣いをあげたりしながら話を聞いたことはある。
その話を聞きながら、子供の貧困と女性の貧困はつながっているなと感じていたし、そこで話を聞いた女性の中には子供2人を抱えながら、水商売で暮らしている、生活保護はもらっていないけれど、生活は苦しい。就学援助でなんとか子供が学校に行っているとか、高校を中退してそれ以来ちゃんとした仕事に就けていないとか。あるいは通信制高校にいっているけどその実態が非常にいい加減なことも分かった。
いろいろなことが実地の中から学べた。その中から、多くの人たちが親の離婚を経験しているなとか、中学・高校で中退や不登校を経験しているという共通点を見いだした。
ある意味、実地の視察調査という意味合いがあったわけですけれど、そこから私自身が文部科学行政、教育行政をやる上での課題を見いだせた。ああいうところに出入りしたことは役に立った。意義があったと思っている」
25日の会見より


この発言に対して「思考回路が異常」「家族の中でも通用しない」というわけだが、そう決めつける根拠は何も示されていない。
ましてや、「警察庁長官が酔っ払い運転したみたいなもの」であるはずもない。
組織暴力団員でもない「一般人」が犯罪も何も冒していない時点で密かに身辺を調査され、プライバシーを侵害され、結果、なんの犯罪も出てこないのに新聞にほのめかしに満ちた記事が出て「批判が上がりそうだ」などと印象誘導される
これこそまさに今いちばんの懸念となっている「共謀罪」への恐怖そのものであり、すでにそういう国になってしまっているという実例ではないか。
ちなみに記者会見で前川氏は、「これは権力の脅しだと思うか」と問われて、「私はそんな国だとは思いたくない」ときっぱり答えている姿は、多くの人が見たとおりだ。

まずは正確な情報を──「ガールズバー」でも「風俗店」でもない

多いときは週に1度のペースで店に通い、女性たちの身の上話に耳を傾けた。女性たちの多くが、両親の離婚や学校の中退を経験していることを知った。
「この状態を何とかしなければという思いは、仕事の姿勢にも影響した。高校無償化や大学の給付型奨学金などに積極的に取り組んだ。私は貧困問題が日本の一番の問題だと思っている」(「Aera」(前川喜平はウソつきか? インタビューで答えた“総理と加計の関係”)


正直に言えば、僕自身最初は「貧困の実態調査」のために通ったというのはやや無理があるのではないかと思っていた。しかし、調べていけばいくほど、そう思い込んでしまう自分の品性・品行のほうに問題があるのかもしれないと思い始めた。

まず正確を期すために前川氏が通っていた店とはどんな店なのか、情報を探ってみた。
複数の情報はすべて歌舞伎町にあるバーを示している。その店は女性客は無料で入店できるが、男性客は60分3500円(1ドリンク付き)、120分4800円(2ドリンク付き)というバーで、営業時間は20.30~5.00。
様々なブログやツイッターの書き込みなどには「ガールズバー」とか「風俗店通い」などという記述も見られるが、どちらも間違いだ。ガールズバーというのは「バーテンダーが女性中心のショットバー」であり、まったく別業態。また、店に性的なサービスを提供する女性を控えさせている風俗店ともまったく違う。
夜しか開いていないので、公務員が勤務時間中に入店することはありえない。
また、女性が入店無料(ドリンクチケット付き)ということで、売春目的で入店する女性も多いのは事実だが、当然のことながら、男女問わず、客のすべてが売買春目的で来るわけではない。
実際、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(扶桑社、2012年)の著者である荻上チキ氏は、自身のラジオ番組内で、「本を書くために自分も100回くらいそういう店に通ったし謝礼も渡した」と説明している


ついでにこの本を読んだ感想を書いているブログに分かりやすい、かつ印象的なまとめがあったので引用したい。
3.11以降の取材で福島に住み昼間は工場勤務、夜はワリキリの女性の言葉が切なかった。放射線量は気にならないとし「はい、病気になったらどうせ死ぬのだし。それよりお金のほうが心配」 これって彼女に限らず、いま3.11以降を生きるこの国の多くの人たちの心情に共通しているように思えてならない。
荻上チキの取材力、問題認識力に敬意を表したい。荻上チキはまとめた「n個の社会問題の数だけn個の処方箋、n個の排除の数だけn個の包摂を。買春男に彼女たちを抱かせることをやめたいなら、社会で彼女を抱きしめてやれ。そうすれば事態は幾分マシになる。彼女たちの売春、それは僕たちの問題でもあるのだ」
「ポポロの広場」より



前川喜平氏の人物像

前川氏が「女性は入場無料のバー」に通っていたこと自体はなんの違法行為でもないし、加計学園問題に対する「証言」とはまったく関係がない。そのことをまずはっきりさせておかなければならない。
しかし、すでに官房長官や世界一の発行部数を持つ大新聞が彼を「いかがわしい人物」「ポストに恋々としがみつく人物」だとほのめかしている異常事態が起きている今、そのほのめかしにどれだけのリアリティがあるのかを検証するために、いくつかの情報をまとめてみる。

地位に恋々としてしがみついているのは誰か?

まず、菅官房長官が語った「責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた」という誹謗については、前川氏自身が25日の記者会見でかなり詳細に述べた経緯とまったく違っている。
私の退職、辞職の経緯は、誰に恨みを持つようなものでもなく、私は文科省のいわゆる天下り問題、再就職規制違反の問題について責任ある立場におりましたから、これは再就職等監視委員会からも違法行為を指摘されましたし、私自身も自分自身が行った違法行為、それから違法行為を行った職員に対する監督責任、そういったものが問われたわけでありまして。私が引責辞職したのは、自らの意思です。

1月5日だったと覚えてますけれども、私の方から松野文科大臣に監視委員会の調査の状況、文科省としての対応の状況などをご報告した際に、かなり多くの処分が不可避です、こういった事態にいたったことについては私が責任を取らざるを得ないと思いますと。従って、責任ある形で、辞職させていただきたいと申し入れた記憶がございます。私の方が、大臣に。

事務次官の辞職というのは勝手にはできない。辞職を承認する辞令をいただかなければならないので。辞職を承認していただきたいと私の方から大臣に申し上げた。大臣は慰留してくださいました。
しかし、私はこれは辞めるしかないということで、官邸とご相談したいとうことで、官邸にも大臣のお許しを得て、ご相談にまいりました。

ご相談の相手は、杉田(和博)官房副長官です。杉田副長官にも、これから起こるであろう文科省の職員に対する処分がどのようなものになるかの概略を説明しながら、私自身の引責辞職についても、お許しをいただきたいと申し上げたところ、『いいだろう』というお話を承りまして、それを持ち帰り、大臣に官邸からもご了解をいただきましたということで、事実上、私の辞職がそこで決まったということです。
5月25日の記者会見にて


菅官房長官の「恋々と地位にしがみつく」という誹謗中傷に少しでも分があるというのなら、前川氏のこの発言内容はことごとく嘘だということになるわけで、それを証明してほしいものだ。でなければ、菅官房長官の発言は、極めて悪質な嘘、でっち上げによる名誉毀損という犯罪になるだろう。

辞任後は夜間中学などでボランティア活動

国家権力がなりふり構わず個人攻撃を続ける一方で、前川氏の人物像を知る情報がいくつも浮上してきた。
前川さんは辞任後、二つの夜間中学校の先生、子どもの貧困・中退対策として土曜日に学習支援を行う団体の先生として、三つのボランティア活動をしている。

と報じたのは「Aera」(前川喜平はウソつきか? インタビューで答えた“総理と加計の関係”)だ。
これを裏付ける証言も出てきた。ボランティアしていたという「キッズドア」の理事長・渡辺由美子氏は自身のブログの中でこう語っている。

実は、前川氏は、文部科学省をお辞めになった後、私が運営するNPO法人キッズドアで、低所得の子どもたちのためにボランティアをしてくださっていた。素性を明かさずに、一般の学生や社会人と同じようにHPからボランティア説明会に申し込み、その後ボランティア活動にも参加してくださっていた。

担当スタッフに聞くと、説明会や研修でも非常に熱心な態度で、ボランティア活動でも生徒たちに一生懸命に教えてくださっているそうだ。
「登録しているボランティアの中で唯一、2017年度全ての学習会に参加すると○をつけてくださっていて、本当に頼りになるいい人です。」
と、担当スタッフは今回の騒動を大変心配している。年間20回の活動に必ず参加すると意思表明し、実際に現場に足を運ぶことは、生半可な思いではできない。
今回の騒動で「ご迷惑をおかけするから、しばらく伺えなくなります」とわざわざご連絡くださるような誠実な方であることは間違いがない。

なんで、前川氏が記者会見をされたのか?
今、改めて1時間あまりの会見を全て見ながら、そして私が集められる様々な情報を重ねて考えてみた。
これは、私の推察であり、希望なのかもしれないが、彼は、日本という国の教育を司る省庁のトップを経験した者として、正しい大人のあるべき姿を見せてくれたのではないだろうか?

大人は嘘をつく。
自分を守るためには、嘘をついてもいい。正直者はバカを見る。
子どもの頃から、こんなことを見せられて、「正義」や「勇気」のタネを持った日本の子どもたちは本当に、本当にがっかりしている。何を信じればいいのか、本当にわからない。
小さなうちから、本音と建前を使い分け、空気を読むことに神経を尖らせなければならない社会を作っているのは、私たち大人だ。
「あったものをなかったものにできない。」
前川氏が、自分には何の得もなく逆に大きなリスクがあり、さらに自分の家族やお世話になった大臣や副大臣、文部科学省の後輩たちに迷惑をかけると分かった上で、それでもこの記者会見をしたのは、
「正義はある」
ということを、子どもたちに見せたかったのではないだろうか?

「あったものをなかったものにはできない。」
そうなんだ、嘘をつかなくていいんだ、正しいものは正しいと、間違っているものは間違っていると、多くの人を敵に回しても、自分の意見をはっきりと言っていいんだ。

子どもたちとって、これほど心強いことはない。
「あったものをなかったものにできない。」からもらった勇気 キッズドア 渡辺由美子 オフィシャルブログ より)


さらに時代を遡ってみると、前川氏は今から12年前の2005年、小泉政権下で「三位一体改革」という名のもとに行われようとした義務教育費削減政策に真っ向から立ち向かい、個人的にブログまで立ち上げて反論を堂々と展開していた。
このブログは今もまだWEB上に残っていて読めるので一部を紹介してみる。
義務教育費はなぜ狙われたのか?
義務教育費国庫負担金を、三位一体改革の補助金削減の対象にするのは間違っている。
(略)
公共事業のように政・官・業のもたれ合い体質の強い分野よりも、義務教育や児童福祉のような分野の方が政治の世界からの抵抗をかわしやすい。特に義務教育や児童福祉の直接の受益者である子どもたちは選挙権を持っていないから、どんな目にあっても、彼ら自身には政治を変える力がない。地方6団体が平成17年7月20日に発表した補助金・負担金の廃止リストの中には児童養護施設の負担金も含まれている。身寄りのない子どもたちには彼らに代わって権利を主張する親もいない。政治的に完全に無力な存在だと言ってよい。そういう政治的弱者が狙われているのだ。
義務教育費国庫負担金には、徒党を組んで削減反対を唱え、「票」や「金」で政治を動かせるような圧力団体がいないのが現実の姿だ。
また、民間部門に比べると公立部門は政治力が弱い。だから私立所よりも公立保育所の方が、私立学校よりも公立学校が狙われるのだ。
前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その1)義務教育費はなぜ狙われたのか? より)


このブログ、赤裸々で大変読み応えがある。例えばこんな部分。
 義務教育費国庫負担金の堅持を求める文教関係議員を、「既得権益」だとか「利権」だとかいうもののために動いているかのように新聞が書くのは、私に言わせれば、無礼千万な話である。

(略)

義務教育費国庫負担金は「票」や「金」には結びつかない。純粋に義務教育が大切だと信じる人だけがこれを本気で守ろうとしているのだ。

中でもその真剣さにおいて際だっているのは保利耕輔氏である。

保利氏は、文部大臣だけでなく自治大臣も経験された方だ。総務省(旧自治省)は当初さかんに保利氏を味方につけようと工作した。我々が氏のもとにうかがうたびに「総務省はこう言っている。文部科学省はどう反論するのだ」と説明を求められた。生半可な説明では決して納得されなかった。氏は、両省の言い分をとことん聞き取り、熟慮に熟慮を重ねた末、義務教育費国庫負担制度は堅持する必要があるという結論に達せられたのだ。義務教育においては「教育の機会均等」は至上命題だ。然るに義務教育費国庫負担金を税源移譲に回せば、都道府県ごとの税収には大きな格差がでる。文部科学省の試算では、国庫負担金に比べて税収が上回るのが七都府県、それ以外の四〇道県では財源不足になる。地方交付税が不足を補填するから大丈夫だと総務省は言うが、地方交付税は削減の一途を辿っているではないか。そのような状態では、義務教育費の財源を交付税で保障することはできないはずだ。そうなれば、義務教育の機会均等は保障できなくなる。…保利氏はそのように結論を出されたのだと思う。

(略)

平成17年6月9日号の週刊新潮に奇っ怪な記事が載った。タイトルは「次は『文科省役人』のクビを狙う『小泉』」。この記事は郵政民営化法案に反対の動きをした総務省幹部の更迭人事を紹介した上で、「文科省関係者」の言葉として「次の生け贄」は文部科学省の結城事務次官と銭谷初等中等教育局長だと書いている。

(略)

「郵政民営化に目を奪われていますが、国と地方の税財政関係を見直す、いわゆる三位一体改革も小泉政策の大きな柱です。その中には、義務教育費の国庫負担制度改革も含まれている。独自財源を増やすことを狙って小泉改革に賛成する地方と、自らの権益を失うことに繋がるため制度維持を狙う文教族・文科省が対立しています。小泉は、結城と銭谷を反対派の象徴と見ているんです」(官邸関係者)
 そしてこの記事は、こう締め括られている。
「この“反対派”の二人に小泉首相はこう言い放った。『もうこれ以上、反対しないでくれ。分かってるね』二人は震え上がったという。」

この記事は完全な捏造である。誰よりもまず小泉総理に対する中傷である。官邸に呼ばれた事実もないのに「震え上がった」などと嘘を書かれた次官と局長も堪ったものではない。週刊新潮がこんなデタラメを記事にする雑誌だとは知らなかった。
一体誰がこんな記事を週刊新潮に書かせたのだろう。義務教育費国庫負担金の廃止・削減を狙う「誰か」であることは間違いない。極めて卑劣な行為である。

(略)

この記事が出てから間もない6月5日の日曜日、中教審義務教育特別部会は異例の日曜セッションを青山の公立学校共済施設で開いた。その会議終了後、会場から地下鉄の駅へ向かっていた私は、総務省自治財政局の務台調整課長が、見城美枝子委員に路上で話しかけているところに出くわした。

務台課長は、見城委員が義務教育費国庫負担金の廃止に賛成するよう説得を試みていた。私はその話に加わり、務台課長の主張に反論した。しばらく議論をしたあとで、務台氏が私に向けて最後に投げつけた言葉がこれだ。「前川さん、そんなこと言ってると、クビ飛ぶよ」
 クビと引き換えに義務教育が守れるなら本望である。週刊新潮は、文科省が「権益」のために制度を持しようとしていると書いたが、義務教育費に「権益」などというものは無い。仮にそんなものがあったとして、「権益」にしがみつく人間が「クビ」を賭けるようなまねをするだろうか。
前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その15)義務教育費に利権はない より)


ずいぶん端折ったが、それでも相当長くなってしまった。全文は元のブログで。

ちなみに最後に出てくる務台調整課長というのは、福島を訪れた際に長靴がなくて、おぶわれて水溜りを渡ったことで一躍名をはせた務台俊介・元内閣府大臣政務官のことだ。

さらには、前川氏はこのブログ内で、近未来小説「義務教育崩壊!」なるものの構想まで書いている。
 「義務教育崩壊!」。私が書きたいと思っている近未来小説だ。第一章の書き出しは、200X年3月下旬の参議院本会議。義務教育費国庫負担法廃止法案が可決成立する場面である。
「起立多数。よって本件は可決されました」議長の声が響く。文部科学大臣がひな壇から議場の外へ出てくる。大臣を待っていた文部科学事務次官以下の幹部にまじって、義務教育費国庫負担制度の所管課長である後山悲平財務課長が佇立している。疲れ切った表情で赤絨毯の上を歩き始めた大臣に、後山は一つの書類を差し出す。表には黒々と「辞表」と書いてある。……
前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その3)近未来小説「義務教育崩壊!」より)


後山というのは前川の対意文字を連ねた洒落だろうが、辞表覚悟でこのブログを書いているという決意のようなものが滲んでいる。

事務次官就任後にも、こんな記事があった。

埼玉の夜間中学運動31周年を記念した集会が29日、JR川口駅東口にある複合施設「キュポ・ラ」で開かれ、文部科学省の事務方トップとして集会に初参加した前川喜平事務次官が「(夜間中学は)教育の場で重要な役割を果たしてきた」と評価し、文科省として公立夜間中学設置を推進する考えを示した。
1979年に文部省(現文科省)に入り、初等中等教育局長などを経て今年6月に次官になった前川次官は「教育は人権保障の中核。国籍に関わらず、全ての国民は等しく教育を受ける権利がある」と語り、卒業証書を受け取るだけの「形式卒業」や義務教育未修了者、不法滞在の外国籍の親を持つ子どもたちなど、教育を受ける権利を制限されてきた人たちに学びの場を提供してきた「夜間中学」を高く評価した。
文科省として公立夜間中学設置を推進するに当たっては、「多様な学習機会を確保する観点」から、不登校の生徒についても本人の希望を尊重して受け入れていく方針を明示。半世紀近く夜間中学運動に関わってきた元教師からは「大変大きな前進」と歓迎する声が聞かれた。
(以上、「夜間中学 埼玉の運動31周年集会 「重要な役割」 初参加、文科省事務次官が評価」 2016/10/31 毎日新聞埼玉地方版 より)

この記事には、
「個人的見解」としながら「夜間中学設置について、組織としての文科省はこれまで見て見ぬふりをしてきた。(夜間中学設置に賛同する)自分は(省内では)異端。居心地が悪かった」と吐露した。

……という興味深い箇所もあった。

前川さんの今回の反撃が、単に、前川さんが次官飛ばされて、でも、俺は食うに困んないで金はあるから一発爆弾落としてやるか、というんじゃなくて、前川さんに同情的な霞が関の官僚ってけっこう多いんですよ。人事をいじられて、政策も今まで自分たちが霞が関で積み上げてきたものを曲げられて、今の安倍政権はやっていると思っている人、多いですからね」(TBSラジオ・武田一顯記者 5月27日のMBSテレビ「ちちんぷいぷい」での解説より)


権力集中型の政権と対立し、「前川さん、そんなこと言ってると、クビ飛ぶよ」と脅されながらも、上に立たなければ行政を動かせない、と、仕事は有能にこなして、ついにトップに立った人。
どこをどう読んでも「恋々と地位にしがみつく」ような人物像は浮かんでこない。

ここまで調べてきて、僕は当初「貧困実態調査」のために出会い系バー通いはさすがに苦しいのでは……と疑っていた自分の狭量さを恥じた。
もちろん事実は知るよしもない。しかし、こんな人物であれば、「貧困実態の調査」のためにお忍びで出会い系バーに潜入して話を聞いていたという説明は、その通りだったのではないかと、最後は思うようになった。

ネット上では「出会い系バー通いの変態がボランティアで子供に近づいたとしたらもっと危ない」などというバカ丸出しのコメントが乱れ飛んだりしているが、ネットにバカがあふれるのはまあしょうがない。恐ろしいのは、巨大メディアが悪質な権力誘導型デマ発生装置にまで堕している現実だ。

文科省の元官僚として前川氏の先輩にあたる寺脇 研氏(現・京都造形芸術大学 教授)は、フェイスブックでこう報告している

某全国紙から、27日朝刊のために前川さんの記者会見についてコメントを求められ、以下のように述べた(文章は記者がまとめてくれたもの)。
その数時間後、その記者から暗い声で電話が…
「このコメントは載せるな、と上からの命令があり掲載見送りになりました」
なのでここに出します。
いやはや、この国の既成メディアの状態はひどい。
今回の一件でそのことも明らかになりつつあります。

前川前文科次官の会見は堂々たるもので、信念の人だと改めて感じた。覚悟を決めて証言したのだろう。
(以下略)


ずいぶん長くなってしまった。
しかし、大新聞があれだけいい加減な誹謗記事を出してくるのだ。それに対して検証する努力を怠れば、印象操作の餌食になってしまう。
散歩の途中ですれ違った中学生がこんなことを口にした。
「あの人って大金持ちの家に生まれてお金には全然困ってないんだって」
……おいおいおい。それはさらにどうでもいいことなんだよ。
あの人が踏ん張らなければ、今頃地方の小中学校はかなり厳しい状況に追い込まれていたかもしれないんだよ。あ~、それを僕も今の今まで知らなかったんだけどね……。

ナチス体制下のドイツで開かれたベルリンオリンピック。水泳女子200m平泳ぎの中継でNHKのアナウンサーは「前畑がんばれ!」と20回以上絶叫した。80年以上たった今、一強独裁政権に怯えるメディアの代わりに、僕らは「#前川がんばれ!」と言い続けよう。

   

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日光杉並木街道が「ソーラー街道」に2017/05/22 22:06

このノウサギが跳びはねていた野原はもうない

2017年4月 初めてじっくり見ることができたノウサギ
前回の「ナガミヒナゲシ騒動考」で、
「人間が作ったソーラーパネルが里山エリアの山の斜面や草原を根こそぎ消滅させ、草花だけでなく動物も地域絶滅させていることのほうが外来種がどうのこうのよりはるかに大問題なのだが、それはまた次のトピックで……」と書いて終わったが、ここに続きを書く。

いちばん怖いのは人間だが、さらにやっかいなのは……


先月の13日、日光に引っ越してきて6年目にして初めてノウサギを見た。越後時代にも阿武隈時代にもノウサギというのはほとんど見た記憶がない。一瞬、横切るのを見たとか、その程度ならあったようにも思うが、まじまじと観察できるほど近くで見た記憶はない。
それが、日光で、しかもすぐそばを車が通っているような原っぱで悠々と飛び回っているのを長い時間見ていられたのだから感激した。
その原っぱにはこのところいつ行ってもキジの夫婦がいて、そのときもキジを撮っていた。そうしたら目の前を何か違うものが横切っていったのだ。

もう一度見たいと思って、その後も何度か出かけたが、キジの夫婦は毎回いたが、ノウサギは現れなかった。

で、翌月の5月20日、主に別の目的で出かけたついでに横を通ったのだが、なんと、原っぱ全体が完全に消滅していた。


4月13日にノウサギを見たとき。矢印のところにノウサギ

5月20日、すっかり草むらが消え、重機が作業中



間違いなくメガソーラー建設だろう。すでに周辺の草むらがことごとくつぶされてソーラーパネルだらけになっているので、ここも狙われているのではないかと危惧していた矢先だ。
ここは草むらだけでなく、そこそこの水たまりを含む湿地もあった。そこにはオタマジャクシ(おそらく時期的に見てアカガエル)が泳ぎ、ヤゴなどもたくさんいた。通年、水が完全には抜けず、湿地を保っている場所というのはこのへんにはもうほとんど残っていない。ツチガエルなどがオタマジャクシのまま越冬するためにも必要だし、鳥や野生生物にとっても貴重な水場になっていたはずだ。
それがつぶされてしまったのは本当に痛い。

オタマジャクシやヤゴがいた水たまりも埋められていた



日光に引っ越してきた直後、町内の集まりで「自然環境を……」と口にした途端、「人間は自然を壊して生きているんだからしょうがない」と反論する人がいた。めんどくさいやつが引っ越して来やがった……と警戒の目を向けられたようだ。
俺たちは環境を壊して金を稼ぎ、よりマシな生活を営んできた。これからもそれは続くんだから、きれいごとを言うな……というわけだ。

しかし、こうした犠牲に見合うだけのメリットが人間にあるのか? 太陽光発電バブルはすでにはじけている。中小の業者はあちこちで倒産しているし、大手は最初から「建て逃げ」作戦だから、あと10年もすればあちこちで事業者不在ソーラーパネルが増えるだろう。
20年もすれば、ゴミとなって放置されたソーラー設備の撤去で、各自治体は苦労するに違いない。

すでに我々は高額な「再エネ賦課金」を電気料金に上乗せさせられている。金がかかる発電方式というのは、それだけエネルギーを使っているということだ。太陽光発電パネルを製造する過程で、すでに膨大な電気や資源を使っているからこそ高くつくのだ。それを回収できるだけの発電ができない、見込めないからこそ電気料金や税金を投入して無理をしている。

原資が税金や公共料金だから、そこに生じる利権にたかれば確実に儲かる。人の金で非合理な商売をして儲ける……この構図は原発を推進してきた国策と同じだ。問題が起きても誰も責任をとらないし、負の遺産を押しつけられ、つけを払わされるのは若い世代。これのどこが「クリーン」なのか。
発電にかかっただけ電気料金に上乗せしていいですよという「総括原価方式」をやめれば、必然的に、最も合理的で省エネの発電方法をとらざるをえなくなるから、原発も大型ウィンドタービンも無茶なソーラー発電もなくなり、日本の環境破壊は緩まる。
でも、総括原価方式をやめれば、利権も薄まるから絶対になくならないだろう。

日光杉並木は国の特別天然記念物に指定されているわけだが、その両側はすでにソーラーパネルだらけになっており、杉並木を通っていても杉の間から異質な光景が見える。

ナガミヒナゲシが危険生物だの駆除しろだのなんだのと言っている場合ではない。植物も動物も巻き込んだ大規模環境破壊が猛スピードで進んでいるのだ。すでに大変なダメージを受けているが、今からでもなんとか歯止めをかけないと、気がついたときには取り返しのつかないことになる。いや、すでになっている。

ノウサギとの再会を願って、「兎が原」とでも名づけようかと思っていた草原はもうない。
「兎が原」の横は通学路だが、これから先、子供たちはノウサギやキジではなく、ソーラーパネルに埋め尽くされた土地を横目に見ながら通学することになる。その子たちは「再生可能エネルギー」は増やすべき重要なもので絶対的な「善」だと刷り込まれているから、これは「自然にとっていいもの」だと信じて成長するかもしれない。……やるせない……。

道路(通学路)側から見た光景。もうすぐここに黒いパネルが敷き詰められるはずだ


このままでは日光杉並木は「ソーラー街道」になる

このへんを散歩するたびに、オセロゲームのコマようにソーラーパネルが増えていく。「え? ついこないだ通ったときにはなかったのに……」と呆気にとられるのだが、だんだん麻痺してくるのが怖い
日光杉並木は、日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けているのだが、そのすぐ脇をソーラーパネルで埋めていくことになんの制約もかからないのか? 
今日も重機が稼働中。ここはもうすぐパネルで覆われるだろう



消滅した「ウサギが原」のすぐ横。住宅や農地に隣接してすでに設置されたパネル



例幣使街道。杉の間から見えているのは牧場なのだが……



なにやらパネルを載せるフレームがすでに組み上がっているようだ。ここも牛からソーラーに転換か……



杉並木を挟んで反対側の草地。ここなどもすでに「予約済み」なのかもしれない



その先、日光山内に近づくにつれ、杉並木の間から見えるパネル群は増える



これだけ増えると植生や生態系も影響を受けないわけにはいかない。ただでさえ毎年倒れる杉が増えているのに、大丈夫なのか……



手前が例幣使街道の杉並木。そこに隣接して作られたメガソーラー。道を渡って見ると……↓



こういう規模のものがあっという間に作られている



国も県も市も、何を考えているのか?



ここを通って日光山内や奥日光をめざすハイカーやライダーたちは多いが、こうした風景に迎えられてどんな気分になるだろうか



ソーラーパネルを敷き詰められた側と街道を挟んで反対側。見えているのが杉並木(この向こう側が例幣使街道)。こちら側にもこうした草原があちこちあるが、この調子だとどんどんパネルが敷き詰められ、日光杉並木街道はソーラーパネルに挟まれた「ソーラー街道」になってしまいそうだ



ここも狙われそうだなあ。すでに「予約済み」なのかもしれない……




悩みながらもこんな動画を作ってみた(↑Clickで再生)
↑これを作りながら「プロテストソング」という言葉を思い出した。ずいぶん前に消えた言葉のような気がする。まさか人生の終わりにさしかかってこういうものを作るとは思わなかった

プロテストというよりも、ただただ悲しい、虚しい。

この地でノウサギに再会することは、もう一生ないかもしれない。

   

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↑BGMに使った『Uguisu 2017』の全曲はこちらでどうぞ(↑Clickで再生)



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詐欺的320億円施設「海水揚水発電所」お払い箱事件をなぜ追及しない2016/07/31 14:37

2つめの「唖然」はこの記事 「国頭村の揚水発電所廃止 電源開発、世界初の海水利用施設 沖電への売電交渉不調」
世界初の海水を利用した揚水発電所として、電源開発(本社・東京、Jパワー)が沖縄県国頭村安波で運転してきた「沖縄やんばる海水揚水発電所」が、19日付で発電所として廃止されたことが25日分かった。同発電所は国が建設費320億円を投じて1999年に完成。離島など海洋地域に適した再生可能エネルギーシステムとして実用化を目指してきたが、沖縄電力との売電交渉が不調に終わるなど商業ベースに乗せることが見通せず、電源開発は施設の継続を断念した。

 発電所を管理する電源開発石川石炭火力発電所(うるま市)は「試験レベルの役割を終え、営業運転として活用できないかを沖縄電力とも話してきたがまとまらなかった」と説明。2014年に国から払い下げを受けた敷地や施設の跡利用については未定とした。(琉球新報 2016年7月26日)


琉球新報の記事で、全国的にはほとんど報じられていないのではないかと思うが、こんなふざけたものが建設されていたこと自体が驚きだ。

Wikiを見ると、
「火力発電所の夜間余剰電力を使用して揚水が行われていた」とある。
この火力発電所とは同じ電源開発の石川石炭火力発電所(うるま市)のことらしい。
で、信じがたいのは「火力発電所の夜間余剰電力」という言葉がサラッと使われていることだ。
火力発電や貯水型水力発電というのはそもそも出力調整可能な発電方式であって、電力消費が減る夜間は出力を落とすなり止めるなりすればいいだけのこと。本来「余剰電力」など出るはずがない。
揚水発電所というのは、出力調整や頻繁な運転のON/OFFができない原子力発電所の付帯設備として考案されたものだ。
原発は一度動かしたら24時間定格出力で動かしっぱなし。下手にON/OFFを繰り返すのは危険。夜間に発電しすぎてしまう(余剰電力)場合は捨てる(発電機をつながない=「解列」という)のはもったいないので、その電力で真水を高い場所に汲み上げて貯めておき、電力消費が増えた時間帯にその水を落として水力発電にする、というもの。
沖縄やんばる海水揚水発電所はそれを石炭火力でやろうとしていたわけだ。
つまりこれは極端に効率の悪い火力発電であって、「再生可能エネルギーシステム」でもなんでもない。
火力発電の電力を使うならそのまま送電すればいいだけのこと。わざわざその電気を使って水力発電に変換することでどれだけ燃料を無駄に使うことになるかは小学生でも理解できる。
また、原発付設の揚水発電所が真水を使うのは、海水を使えば塩分で施設が腐食したりすることが分かっているからだ。
それなのに、わざわざ火力発電の電気を使って海水を使った揚水発電施設を作るなど、頭がおかしいとしかいいようがない。
「世界初」って、あたりまえだろうが。こんなものを作る国が他にどこにあるか。

要するにこれは国からの予算を使いたいためのバカ施設。発電が目的ではなく、予算を使いたいがための詐欺であり、ネズミ講と同じで犯罪である。
犯罪者が処罰されることもなく、ただ「ダメになったからやめます」で終わらせていいはずがない。
こういう国家ぐるみの犯罪を追及できないどころか、報じることもしないメディアの劣化ぶりもひどい。
それともメディアは、「もんじゅや核燃サイクル施設計画に比べればおままごとのようなもので、どうということもない」とでも思っているのか?
いや、おそらくそこまでも理解していないのだろう。その無知ぶりが本当に怖ろしい。


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「フクシマ」を3.11に埋没させないために2016/03/11 19:37

中継をやめさせようとする関電職員と素直に応じる代表取材局のNHK

最大の危険要因は「人間」

関西電力広報担当職員 「いったんこれで今日終わりにします。今日ね、もう、並列(送電開始)なし。は~い。(横の誰かに向かって)タービンうまく並列できへんかった? (記者に向き直って)ちゃんとまた説明しますんで」
代表取材の記者(NHK?) 「はい。分かりました~ぁ」
広報担当 「いったんちょっと終わって、帰りましょうか」
取材記者 「はい」

2016年2月29日。
関西電力は、高浜原子力発電所4号機が送電を開始する瞬間をテレビでPRするために、中央制御室にテレビ代表取材のカメラを入れていた。
そのカメラの前で、職員が送電開始のスイッチを入れた途端にけたたましく警報音が鳴り響き、原子炉が緊急自動停止した。
↑上のやりとりは、同日夜の「報道ステーション」(テレビ朝日)で流れた映像の一部をそっくりそのまま文字起こししたものだ。
元北海道新聞社編集委員の上出義樹氏が関電に電話で確認したところ、代表取材で入っていたテレビ局はNHKだという。ということは、この間延びしたような返事をしているのはNHKの記者なのだろう。

このときの様子は近くの会場に集まっていた報道関係者たちに中継されていたが、そこにいた中日新聞の記者は以下のような記事を書いている
 「投入」。29日午後2時1分26秒、高浜原発4号機近くの関西電力原子力研修センター(福井県高浜町)で、報道関係者向けに中央制御室を映した中継映像から声が聞こえた。発送電を行うため、スイッチをひねって電気を流した合図。その直後から「ファー」という音が断続的に鳴り続けた。
 センターで報道陣に作業内容の説明をしていた関電社員は当初、「異常がなくても鳴る警報もあります」と説明。画面の向こうの作業員らも慌てている様子はなかった。
 しかし警報音は鳴りやまない。異変を感じたのは数分後。映像を前に、関電社員二人が耳打ちしながら指をさし始めた。その先には、上部の警報盤に赤く点滅するボタンがあった。
 「トリップ(緊急停止)したようです」「制御棒が落ちて、原子炉が停止しました」と社員は動揺した様子で話した。トラブルの発生に、センター内の空気が一気に張り詰めた。間もなく関電は中継映像を遮断。詳しい説明を求める報道陣に対し、社員は「確認する」と、慌ただしくその場を離れた。
 (2016年3月1日 中日新聞 米田怜央


関西電力社員が「異常がなくても鳴る」と咄嗟にでまかせ説明をしたという部分で、すぐに思い浮かべたのは、2011年3月12日、福島第一原発1号機が爆発したときに、日本テレビのスタジオにいた東京工業大学原子炉工学研究所・有冨正憲教授とアナウンサーとのやりとりだ。
そのときの録画映像を見ながら、一字一句正確に文字起こししてみた↓
有冨教授 「緊急を要したんだろうと思いますが、爆破弁というものを使って、あたかも先ほどの絵じゃありませんが、全体にこう、なんといいますか、あの~、ちょっと、出るような形で……蒸気が、充満するような形で、出てきました」
アナウンサー 「あれは蒸気ですか?」
有冨 「蒸気だと思います。ちょうど爆破されたような形で、あの~、蒸気が……蒸気だと思いますが、出てきましたねえ」
アナ 「これ、あの、我々が見ると本当に心配するんですが、その爆破弁というものを使って蒸気を『出した』……という……」
有冨 「はい」
アナ 「意図的なものだと考えて……」
有冨 「はい。意図的なものだと思います」

このブラックコメディのようなシーンを覚えているだろうか?
よく分かってもいないことに対して平然と無茶苦茶な説明をする「専門家」たち。
そして、それを検証できず、ツッコミもせずにそのまま流してしまう、あるいは隠してしまうマスメディア。
同じことを5年経った今もやっている。何の反省もなく、当時よりも倫理観や責任感がゆるゆるに欠如した状態で。
「原発爆発の日」である3.12が5年目を迎えたのを機に、私たちはこれをしっかり思い起こし、反省しなければいけない。

巨大地震だの津波がまたやってくる可能性がどうのとかいっている前に、最大の危険要因は人間の愚かさだということを認識するべきだ。
チェルノブイリは天災が引き金ではなく、作業員のアホなミスやそれを起こさせた緩すぎる運営体制が原因だった。
今の日本を見ていると、チェルノブイリを起こした作業員たちより現場やトップが優れているだなんて、到底信じられない。
巨大地震や津波が襲ってこなくても、テロ攻撃されなくても、原発を動かしている、動かせている、それを許している、待ち望んでいる人たちがアホなのだから、「アホ」が原因の過酷事故は必ずまた起きる。
いや、アホが原因の事故というよりは、現代社会における原子力そのものが、アホと狂気のハイブリッドシステムというべきだ。

フェイスブックでこんなことを書いている人がいた。
普通のマンションでも40年で建て替えするのに、こんな50年前の時代遅れシステムを世界一安全という感覚自体が狂っている。政府や電力会社だけでなく、再稼働容認した自治体、住民は、万一の事故時には、被害補償放棄のみならず、他地区住民への賠償責任を負う、と法制化すべきだろう。

そう、まさにこの認識こそが重要なのだ。

「フクシマ」はいわば「裏切られた」「騙された」経験だから、原発立地の住民にも賠償するのは当然だと思うが、「フクシマ」を経験した今はもう違う。
「絶対安全」は嘘だった、ひどい運営状態だったことが分かっている。
今なお、「送電開始!」──警報音ファオンファオン……というお粗末を続けているこの国で、それでも原発政策を進めてほしいという人たちは、将来は自らが賠償責任を負う覚悟でそういいなさいね。

……と、これを書いている今は2016年3月11日。
テレビは「あれから5年」的な番組で一日中埋まるのかと思ったら、全然そうでもなくて、相変わらずご当地グルメだの野球賭博だのといった話題に時間を割いていたりする。まさに「5年間の劣化」だ。

せめて、「フクシマ」を地震や津波の被害と一緒くたに語るのはもうやめよう。
1F(いちえふ)が壊れたのは津波のせい「だけ」ではない。地震の揺れでパイプがあちこち寸断され、水が漏れたし、なによりも必要最低限の対策すら怠っていたための電源喪失だった。地震や津波は天災だが、「フクシマ」は完全な人災。 3.11というくくりで地震・津波被災と「フクシマ」問題を一緒くたに扱うことで、「フクシマ」問題の本質がどんどんごまかされてしまう。
よって、「フクシマ」がなぜ起きたのかを反省する日は3.12「原発爆発デー」とでもして、別問題として思いを新たにしたらどうだろう。

で、狂気の政策を続ける政治を容認している国民ひとりひとりも、程度の差こそあれ、このシステムを作り上げてしまった共犯者なのだという自覚を持つ。
まあ、実際には、我々はすでに「フクシマ」の後始末で、少なくとも十数兆円の「賠償」をしている。税金と電気料金という形で。
この「賠償」はこれからもずっと続けなければならない。
そのこともしっかり認識する日が、3.12。
……3.11とは違った恐怖と悲しみに包まれる……。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

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池上彰緊急スペシャル 2/12版のすごさ2016/02/16 20:59

東条英機の演説をヒトラーの演説と並べて放送した

メディアも戦争で利益を上げているのではないか? という池上彰氏の指摘







2016年2月12日(金) 19:57~22:52 に放送された『池上彰緊急スペシャル なぜ世界から戦争がなくならないのか』はなかなかすごかった。
フジテレビ地上波の金曜ゴールデンタイムに3時間の特番。その内容がここまでストレートだとは、正直びっくりした。
これはテレ東でも難しいだろうし、今のNHKならBSやEテレでも無理じゃないかと思うような気合いの入り方だった。
前回(2015年6月5日放送)の『知ってるいるようでよく知らない韓国のナゾ!』(第12回)において、韓国人へのインタビューの訳が間違っていたミス*があって批判されたことから、今回は池上氏が相当気合いを入れてスタッフを指導したのだろうか。
*「(日本は)嫌いですよ。だって韓国を苦しめたじゃないですか」と字幕を出した部分で、実際には「文化が多様で、外国人も大勢訪れている」というような発言だった、などのミス
イスラム国の野望、というような切り口だけなら他番組でもやっているが(内容がどこまで事実に迫れるかは別として)、ドイツでの「二度とファシズムや間違ったナショナリズムを台頭させない」という強い決意と、学校教育におけるその実践ぶり、ロシアのカラシニコフ銃の製造工場やアメリカの田舎町でジーンズメーカーが戦闘用ズボンを製造し始めて売り上げを伸ばし、地域でも軍需産業が不可欠になっていく仕組み、湾岸戦争前にアメリカで行われた大手広告代理店が仕組んだ嘘の被害者リポートなどなど、よくここまでやれたなあという取材ぶり、そして番組の構成力の巧みさは、(正常だった頃の)NHKでも舌を巻くような出来だった。
ヒトラーの演説と東条英機の演説を並べて放送したのもびっくりした。
しかも、ナレーションは、
「日本は、アメリカからの石油輸出禁止などを打開し、自存自衛、つまり、日本の存続をかけ、日本を守るために戦う、と、東条は訴えます」
……と、太平洋戦争を始めた日本も「自衛のための戦争だ」と国民にPRしたことを強調した。
東条英機の演説をヒトラーの演説と並べて紹介した
なによりも、これがフジテレビの地上波、金曜夜のゴールデンタイムに3時間番組として放送されたことに驚いた。
ここまでやり通すのに、現場ではいろいろな圧力との戦いがあったはずだ。それを押し切って、あるいはうまく懐柔して放送までこぎ着けた人たちの「志」と勇気に敬意を表したい。
NHKのBSあたりでやるのとはわけが違う。芸能人のひな壇を作り、絵面としてはバラエティ番組を装い、NHKのドキュメンタリー番組や歴史教養番組であればまず絶対に見ないであろう多くの視聴者をも取り込んで放送された、ということがとりわけ重要なことなのだ。
イスラム国の話から始めて(検閲したい人たちを少し安心させておいて)、最後に「戦争ビジネスで金儲けをしている組織にはメディアも含まれているのではないか?」というところまで持っていく手腕も素晴らしかった。

番組最後に池上氏が「まとめ」として発言した短いメッセージの内容をほぼそのまま文字起こししてみた。↓
「報道機関が政治に左右されてはいけない。
昔も今も、勝手な思想を他人に押しつけようとする勢力がいる。それによって戦争が起きる。あるいはそれに対して、二度と戦争を起こすまいとする努力も続けられている。
しかし、戦争で利益を得る組織がある、ということも事実。
そこにはメディアも含まれているのではないか

メディアによって実体が歪められたり隠されたりすると、私たちは戦争について正しく認識することができない。あるいは正しく反省することが難しくなる。
この戦争はどちらに非があるのかということを、客観的に評価できなくなることは大変危険。
戦時中の日本の新聞のように、受け手の気分がよくなるようにという報道ばかりしていると、私たちは現実を見失ってしまう怖れがある。
だからこそメディアは、戦争報道のあり方について自らを戒め、権力に利用されずに、きちんと事実を伝える役割を果たさなければいけない

これだけスッキリ言い切ってもらえて、拍手を送りたい。

さて、あとは我々視聴者が、こうした番組がつぶされないように、権力を監視し、頑張っている人たちを応援することだ。


★YouTubeなどに(違法)UPされているものは次々に消されているが、これを書いている2月16日夜の時点でも、まだデイリーモーションに上がっている動画だけは消えていないようだ。



タヌパック書店

水害報道もうひとつの重大な問題──テレビが必要な映像を流さなかったこと2015/09/15 22:40

■もうひとつの重大な問題──テレビが必要な映像を流さなかったこと

なぜ逃げない人があんなに多かったのか?

今回の洪水浸水被害報道で、忘れてはいけない問題がある。
それは「浸水域の拡大はゆっくり進行した」ということ。
すでにまとめたように、若宮戸地区ソーラーパネル設置場所で最初の越水が起きたのは10日の早朝6時頃。
上三坂地区で堤防が決壊したのは午後12時50分頃。
司令塔となるべき常総市役所までが浸水したのは10日午後10時過ぎから。
つまり、最初の越水(早朝6時)から、市役所浸水(夜10時過ぎ)までは17時間かかっている。
堤防決壊の午後1時頃からでも9時間。
その間、鬼怒川から流れ込んだ水は毎時1kmくらいのゆっくりしたスピードで広がっていった。3.11の東北沿岸での津波被害のときとは比べものにならないゆっくりした速度なわけで、まだ浸水していない地区の住民が避難する時間は十分にあった。

それなのに、堤防決壊から何時間も経って、あるいは翌日になってから浸水によって孤立した家に閉じ込められた人が続出した。
避難指示がしっかり伝わっていなかったことはもちろん問題だが、住民の多くはテレビで浸水被害の映像を見ても「小貝川の氾濫のときもここまでは来なかったから大丈夫」と、安心していたのがいちばんの原因だ。

逃げ遅れて浸水家屋に孤立した人たちの一部(少なくない)は家でテレビを見ていたわけで、もし各局が堤防決壊現場付近でのスリリングな救出劇の映像に終始することなく、上空からの映像を逐一流して「今ここまで来ています」「まだまだ浸水域が広がっています」と伝えていれば、さすがに気がついて避難を始めるなり、重要なものを二階に持ち上げるなりといった対応をしていたはずだ。

早川由起夫氏らの重大な指摘 「なぜテレビは浸水か所前線を映さないのか?」

このことを指摘していたのは、原発爆発のときの放射能汚染マップ作成で有名になった早川由起夫教授(群馬大学、専門は地質学)。
ツイッターでこう指摘している。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2015-09-12 17:10:46
津波の前進速度の1/10以下だ。ゆっくりすぎて報道ヘリからの撮影対象としては魅力が足りなかった。空中から見ても、前進してるのがわからなかったのだろう。どの報道ヘリもそこにカメラを向けることなく、破堤箇所からあふれ出す水と自衛隊ヘリによる吊り上げ救出に集中した。

早川由紀夫 @HayakawaYukio 2015-09-12 17:13:40
NHKは災害対策基本法が定める指定公共機関なのだから、吊り上げ救出場面の報道は民放に任せて、洪水の先端がいまどこにあるかをヘリから捜して遅延なく国民に知らせる責務があったのではないか。

早川由紀夫 @HayakawaYukio 2015-09-12 17:15:14
吊り上げ救出場面を報道しても、だれも助からない。だれの財産も救われない。洪水の先端を報道すれば、多額の財産が水没から守られた(はずだ)。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2015-09-13 06:54:42
10日14時から15時、どのテレビ局の報道ヘリも次の二つの観点にカメラを向けなかった。
・若宮戸から越流してアピタ石下店が浸水している、
・堤防が決壊した三坂から流入して前進を続ける洪水の先端がいまどこにあるか、

吊り上げ救出場面を全局そろって生中継している場合ではなかった。

早川由紀夫 @HayakawaYukio 2015-09-13 06:57:41
ヘリに乗ったすべての局のカメラマンと記者が、素人だったわけだ。たとえば、NHKのスタジオで解説した二人はこの種の災害のプロだった。的確な解説をしていた。彼らがヘリにカメラを向けるべき先を積極的にアドバイスしたらよかった。

早川由紀夫 @HayakawaYukio 2015-09-13 07:10:10
自衛隊ヘリによる吊り上げ救出場面を延々と生中継したあのときのテレビ局(在京キー局全局)は災害報道をしたのではなく、視聴率稼ぎの娯楽放送に熱中していた。恥ずべきことだ。

早川由紀夫 @HayakawaYukio 2015-09-13 07:19:46
10日15時、洪水フロントは決壊地点から4キロにあって時速1キロで南下していた。5時間後には9キロ地点の常総市役所に届く計算だった(午前に発表された破堤シミュレーション通り)。さて、5時間で何ができたか。何人がそこから脱出できたか。研究されねばならない。

NHKは多少は引きの映像も入れていたようだが、やはり救出劇映像は民放に任せて、しっかり「警報役」を果たすべきだった。

昨今のNHKの劣化ぶりは極めて深刻だ。
「安倍テレビ」と揶揄される政府御用メディアぶりはもちろんだが、こうした災害報道や各種ドキュメンタリー、科学番組でも、以前のような「さすがNHK」と思わせる作りができていない。
今回の災害はなぜ起きたか、これからの課題は……というテーマであったはずの『NHKスペシャル』でも、危機管理、防災研究の第一人者・片田敏孝教授(群馬大学)が重要な話をしている最中に、話を寸断する形で無意味な(まったく中身のない)「現場からの中継」を挟んでいた。
夜になって何も映っていない役場前とか、そんなところに記者が立って「こちらは……」とやってもなんの意味もない。なんのための『Nスペ』なのか。
こういう媚びかたというか、民放並みの「こういう絵作りをしておけ」的な軽さにうんざりさせられる。





「小4なりすまし事件」雑感2014/11/30 12:13

なりすましや絵作りの手法と技術について

「10歳の中村」を名乗るネットユーザーが作った「どうして解散するんですか?」というサイトが「小学4年生が作ったとは思えない」と疑惑の目で見られ、すぐに「偽装」がばれて、書いた本人(20歳の大学生)が陳謝するという騒動があった。
書いたのはNPO法人「僕らの一歩が日本を変える」の代表・青木大和氏(20歳)。
彼は、「僕の軽率な言動により、関係のない多くの方に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪し、「僕らの一歩が日本を変える」の代表を辞任した。
これに対しては、多くの人たちが様々な反応をしている。
中でも、
「文章は世の中を動かせない」 (小田嶋 隆)
と、
「青木大和の焦りなどについて」 (宇佐美典也)
は、対照的で興味深い。
愛があるかないか、あるいは文章に表れるストレス指数のサンプルとでもいうか……。

ちなみに、僕は青木大和という名前に見覚えがあった。最初にこの事件を知ったとき、「あれ? もしかしてあの彼?」と気づいた。
今年出した『デジタル・ワビサビのすすめ 「大人の文化」を取り戻せ』(講談社現代新書)の中に、彼と「スーパーIT高校生」(当時)Tehuくんの対談(東洋経済ONLINE)(2014年1月2日)の一部を引用したのだった。
元記事は⇒ここ(前編)⇒ここ(後編)に今でもあるので読める。
一部を紹介すると……、
青木:(略)オレはデモなんかしても社会は変わらないと思っています。

Tehu:ホント、意味のあるデモって何?

青木:オレもそれがわからないから、デモが起きると絶対見に行くんだけど、参加者の年齢層がめちゃくちゃ高いんだ。見た感じ、定年すぎた人たちっぽくて、そのあたりって世代的に叫びたい世代じゃん。みんな時間を持てあましていて、鬱憤を晴らしに来てるんじゃないのかなって思う(笑)。

Tehu:政治家からそう見なされてもおかしくないよね。だからこそ、石破さんが「テロ行為だ」と言ったわけで。

青木:若い人にもぜんぜん響いてない。友達と「デモのニュース見た」という話はするけど、実際に行こうってヤツはやっぱりいなくて、結局、そこ止まり。少数の中で回していて、果たして意味があるのかな。そこを自分は変えていきたいんです。
でも、若い人はデモには行かないけど、ツイッターで思いを書く人はたくさんいるよね。

Tehu:いるいる。

青木:ということは、若者は政治に関心がまったくないわけじゃなくて、関心はあるんだけど、その発散場所がたぶんわからないんです。とくに、オレたち10代なんてまだ選挙権がないから、「選挙権を行使しろ」と言われてもできないし、「政治家になれば」って言われても、被選挙権もないわけで。それなら、そういう環境を自分たちがつくっていくしかない。

Tehu:(略)そもそも20歳未満は選挙権もないから、議員さんにとっては無視したって何の影響もない。それについてはどう思う?

青木:めちゃくちゃ憤りがある。結局、選挙に勝つためには、選挙権を持っている人に会ったほうがいいわけです。でも、政治ってその場その場ではなくて、10年後、20年後、30年後の社会を描いていくために、コツコツ積み上げないといけないものでしょ。若い人の意見をないがしろにするのは、先を見ていないってことだよね。

Tehu:だね。

青木:ただ、そういう現実を嘆いているだけでは仕方がないから、政治家が若者の話を聞いてくれるような環境を自分たちでつくらないといけない。自分たちも若者の意見をきちんと言わないといけない。それがいますごく求められていると思います。

Tehu:ボクは何か発言すると、大人から「若造のくだらない意見だ」とdisられることもあるんだけど、一方で、活発な若者の多くが団塊の世代を敵視しているのも違和感がある。「老害廃絶」って。

青木:オレらが求めていることはそうじゃないんだよね。よく「世代間対立」といわれるんだけど、別にオレらはオレらで思いがあるし、お年寄りはお年寄りで思いがあるわけだから、お互いに意見を出し合って妥協点を探ればいいと思う。
また、メディアも世代間対立を煽りたがるんだ。オレが「高校生100人×国会議員」の討論会を開いたときも、記事のタイトルで“若者が老人にモノ申してる”感を出そうとする。あれはやめてほしい。
いろいろな大人と接してきて感じるのは、60代以上のおじいちゃん、おばあちゃん世代って、意外とオレたちに優しいんですよ。孫世代だから。逆にオレらの親世代や30代ぐらいの人たちのほうが厳しい目を持っている。

Tehu:ボクらを「ゆとり世代」というのも、そこらへんな気がする。50歳ぐらいまでかな。
とはいえ、お年寄りと仲良くしても、ボクらとは意見がぜんぜん違うんだから、お年寄りに政治を任せてしまってはいけないわけです。

青木:いやあ、そうです。

……こんな感じの対談。読んでいてとても面白かった。
こんな高校生たちがいるのだと知って、かなりびっくりしたものだ。

ちなみに、『デジタル・ワビサビのすすめ』に引用したのは次の箇所だ。
Tehu:いま政治的に不安定なこともマズいですよね。総理は「若者がんばれ」って言うけどさ。

青木:政治がうまくいかなかったら、みんなバイバイじゃないですか。「おまえら、がんばれ」ってオレら背中叩かれるだけ。え? もう手札ないじゃん、みたいな。

Tehu:もちろん、ボクらもがんばるけどね。

青木:むちゃくちゃがんばりますよ、オレらは。

Tehu:だけど、あなたたちもがんばりなさいよって。50代、60代の逃げ切り世代にも、ちょっと責任を負わせたいわけです。

Tehu:でも、いまの10代は自分の意見を堂々と言う人が多いけど、大人とコネクションを作らないよね。ボクらは作ってるけど、ほかの10代は大人と手をつなぎにいくヤツがあんまりいない。

青木:横のつながりばっかり意識して、縦のつながりを持とうとしないよね。横のつながりのまま、ステップアップしていこうとしている。オレは横と縦がマッチングして、初めて先が見えてくると思っているんですよ。横だけでつながっていても前に進まないけど、大人と組んで縦にもつながると、三角形になって一気に進む。

──10代が横だけでつながるのは、目的よりも仲間意識が最優先ということ?

青木:そうです。だから、学生の間で発展途上国支援が異様に流行るんです。それって、横のつながりだけでできるから。縦につながらずに横でグループになって、発展途上国に行って「手伝います」って言えばできちゃう。しかも、それって上から目線なんです。「オレらがやってやる」って。
 そういう活動を就活でアピールしたりするのが、もうナンセンスで……。本質的に社会を変える意識がないんですよ。学生団体も横だけのつながりでサークル化しちゃってる。
(略)何かしたいという意識はあるんだけど、小さいコミュニティの中でちょっと有名になればそれでいい。ツイッターのフォロワーが1000人ぐらいだと、「あの人、マジすげえ」みたいな。オレは10年後、20年後の社会をオレらが担っていくんだから、社会をどうしたいかという話をしたいのに、みんなそういうことは考えていない。本当に社会を変えたいと思っている人がなかなかいない分、Tehu君と話が合うんです。

Tehu:やっぱり大人と手をつながないとダメですよ。

本にも書いたが、二人がこんなふうに自分たちの世代へのダメ出しもしていたことがとても新鮮だった。
横に(同世代の仲よしサークル的に)つながっているだけではダメで、世代を超えた縦のネットワーク作りが必須だ、というのだ。

これを読んでいて「予備知識」があったために、今回の事件は「ああ、あの子がやらかしたか~」という印象で、僕自身は、彼をぼろくそに言うなどという気持ちはまったく抱かなかった。
だって、まだ20歳になったばかりなのだ。自分が20歳のときはどうだったかを思い出せば、とても偉そうなことは言えない。

一方で、僕と同い年の安部晋三首相が、自身のフェイスブックで「批判されにくい子供になりすます最も卑劣な行為」と取り上げたことで、「一国の首相が20歳の一個人に対してわざわざコメントするようなことか」「大人げない」「首相のほうがよほど子供っぽい」などなど、これまた批判が噴出した。
複数のメディアでもこのことが取り上げられた後は、この書き込みを削除してしまったが、その後も、安部晋三アカウントのフェイスブックでは、
意見の内容や意見を述べる人の立場に嘘や偽りがあってはなりません。このことは、大人でも子供でも、どのような世界のどのような場面にあっても変わらぬ普遍の原則です。いっとき人を欺き出し抜くようなことはできても、結局『詭道は正道にかなわぬ』ものです。
それでも、好奇心や見栄に負けて過ちを犯してしまったら、行動を改めればよい。
小学4年生と偽った大学生も「そのアイディアやエネルギーを強くて明るい将来に向けてほしい」と心から願います。
などと書いている。

あ~、やってらんないなあ~。

……なんか、引用しているだけでアホらしくなってきたので、このへんでやめよう。
それでも一言だけ言うなら……:

この「安部晋三」というアカウントのフェイスブックを、安部晋三自身がキーボード叩いて書いていると思っている人って、どれくらいいるのかなあ……。

「なりすまし」っていっても、いろんなレベルのがあるよね。
僕は若い頃タレントや脚本家のゴーストライターとしての仕事をいくつかやったが、その中の一人は今、政治家になっている。
イザヤ・ベンダサン という「ユダヤ人」が書いた『日本人とユダヤ人』という本が300万部という驚異的なベストセラーになったこともある。
このイザヤ・ベンダサンという「筆名」を「さあ、ウンコをしよう、という意味だ」と看破したのは故・遠藤周作氏だったかな。
あの当時、親父が山本七平氏に講演依頼をしにいくというので、3畳くらいのスペースに古書を積み上げた「山本書店」についていったこともある。「絵作り」ってこういうことなのかと、感心したものだ。

若い青木大和くんはなりすましの手法や絵作りの技術が未熟だった。でも、少なくとも彼は、小学4年生として書いた「どうして解散するんですか?」という文章も、それが引き起こした騒動に対するお詫び文も、自でキーボードを叩いて書いている(と、僕は信じている)。

もう一度言うよ。
「安部晋三」というアカウントのフェイスブックを、安部晋三自身がキーボード叩いて書いていると思っている人って、どれくらいいるのかなあ……。

『花子とアン』をきっかけにして知る「時代」の真相・深層2014/09/27 12:26

あの時代が今にそのまま重なる

NHKの連続テレビ小説『花子とアン』。なんだかんだで毎日見ているのだが、戦争に突入するあたりからのグダグダになっていく程度がひどかった。
ネット上でも多くの人が違和感を表明しているが、例えば、あの時代、庶民が簡単に家から電話をかけて用事を伝えるなんてことがあったはずがない。

同じ連続テレビ小説でいえば、

『おしん』 おしん 明治34年(1901)生まれ
『ごちそうさん』 め以子 明治38年(1905)生まれ
『カーネーション』 糸子 大正2年(1913)年生まれ

よりさらに昔、明治26年(1893)に村岡花子は生まれている。
……という指摘を読んで、改めて「そうだよなあ~」と思った。
昭和30年(1955年)生まれの僕でさえ、子供時代は家に電話など引けなかった。ものすごい贅沢品だったから。
若い脚本家とは、そのへんからしてもう時代感覚がそうとうずれてしまっているのだなあ。

登場人物たちのメイクなどにしても、放送第1回では、3時間かけた特殊メイクによって、あごの下にはたるみ、手の甲に皺まで入れたリアルな52歳に変身した主演の吉高由里子をして「さすがNHKさんとも思いました」と言わせた気合いの入り方だったが、その52歳の花子が出てくる同じ空襲で逃げ惑うシーン(9月13日放送の第144回)では、顔はファンデーションを塗ってつやつやピカピカ。ネット上でも、ずいぶん突っ込みが入った
戦争の描き方も淡泊で、大阪制作の『ごちそうさん』などがそれなりに頑張って伝えようとしていたのに比べると、完全に「逃げた」印象だけが残った。

それにもまして気持ちが悪いのは、実在の人物をモデルにして、しかも主人公は実際の筆名(村岡花子)で登場しているのに、登場人物たちの描き方が、史実とかけ離れていることだ。
そのへんの指摘は、北海道大学大学院法学研究科准教授 中島岳志氏のツイッターが話題になった。簡潔かつとてもまとまっているので、一部、紹介してみたい。

●村岡花子は、時代の流れに逆らえず大政翼賛会に参加し、子供を戦場に駆り立てるような言動をしたのではなく、児童文学作家として「主体的に関与」し、自分の信念に従っていた
1938年1月1日の『婦女新聞』誌上に掲載された座談会「事変下に於ける子供の導き方」で、村岡花子は「戦争は国家の意思」であり、「個人的心理的な観方」を滅却せよと訴えています。同時代のナチスに対しても好意的。
『婦女新聞』1941年9月21日号に寄せた文章では、「大日本婦人会」の活動に対して強く「協同一致」を求め、「自我を滅した御奉公であるやう」求めています。
「児童読物の浄化」(『婦女新聞』1938年1月20日号)では、「今度政府が幼少年の読物の浄化運動に乗り出したことは大変結構なことだと思います」と思想的検閲による発禁処分を肯定し、「今までどうして放つておいたのだと叱りたいところです」と述べています。
『婦女新聞』1938年1月1日号には「時変下に於ける子供の導き方」という座談会が掲載され花子も参加していますが、議論の中心テーマは「児童の本能的な発動力の善導」です。そこで花子は「戦争は国家の意志ですからね」と言い、国民が一つになることを訴えています。
花子は「今度の事変は思想戦といはれるやうに、赤い思想に対しても考へられることです」とも言い、全体主義的団結を説いています。また子供については「戦傷に対しては、感謝するようにすべきですね」と言い、「感謝の気持ちで恐怖を抑へ」よと述べています。
花子は戦争で負傷した兵士について「有難いと思へと、何時も子供等に話して居りますわ」とも言っています。

●白蓮の姑・槌子(龍介の母、滔天の妻)の描き方はあまりにも嫁姑問題の一般受け狙いで、史実と違う
槌子は白蓮を宮崎家に温かく迎え、黒龍会による攻撃から守った人物です。宮崎家では家事と育児は槌子が一手に引き受け、白蓮は病に臥す龍介に代って小説を書き、家計を支えました。
姑の槌子は中国革命に献身した夫・滔天を支え、時に危険を顧みず革命家を匿った女性です。家事・育児も白蓮に代ってほとんど引き受けた人……

●宮崎龍介の描き方があまりにもいい加減で、視聴者は話が見えない
宮崎龍介が逮捕されたのは、日中戦争勃発時に近衛文麿の密使として中国に渡ろうとした際、それを阻止したい陸軍の介入によるものでした。場所は神戸港。家族の目前で逮捕されたわけではありません。また、陸軍の意図には反していましたが、内閣総理大臣の意図に従って動いた結果でした。
宮崎龍介が1940年に書いた『世界新秩序の創造と我が新体制』(大有社)という本がありますが、ここではヒトラーのもと「ドイツ民族の芸術的に見事に出来上つた民族国家の姿」を絶賛しています。政治は「国家民族を理想的に造り上げる芸術である」というのが龍介の持論でした。
日中戦争期の龍介の中心的議論は「国家のために国民がある」という国家有機体論であり、ヨーロッパ・アメリカ・アジアという3つのブロックに世界が分割されるという「天下三分論」です。龍介は日本を盟主とするアジアブロックが、他の二つを抑えることを構想しました。
龍介は言います。「若し日本民族が八紘一宇を為さんとするならば、三つのブロックの中で最も速くそのブロックを完成し、而も之を最も強力に最も高度に作り上げなければならないのであります」
「花子とアン」では龍介一家と花子一家が思想的に対立し、絶縁状態になるように描かれていますが、龍介と花子の立場は、極めて近接していました。


さらに興味深いのは、中島岳志氏は、村岡花子が全体主義的思想に傾倒していくきっかけは、息子の死を経験し、キリスト教の信仰をより強めたことと結びついている、と洞察していること。
こういう考察は、単なる史実を超えて、人間の本質というか、性(さが)というか、弱さというか……そういう哲学的な探求の入り口ともなるので、小説家的には、こうしたレベルの話のほうに反応してしまう。

村岡花子のエッセイに「どうして」(『若き母に語る』池田書店、1960年)という名文があります。息子を亡くした時のことを書いたものですが、「血を吐く思い」の中でキリスト教の信仰を確かにした様子が描かれています。「自分の祈りがきかれなかったところに、神の意志のはたらきがある」。
しかし、この時「服従の平安」を得たことが、のちに軍国主義を追随し、時代の空気に飲み込まれていくことにつながるのだと、私は考えています。息子の死は、彼女の後半生に大きな影響を与えることになりました。

……他にも、今年の7月に登場した新メディア「リテラ」にあった、あの時代の女性たち、母親でもあった文化人たちがなぜ国家全体主義に傾倒したのか……そこには婦人参政権運動との連動があったからだ、という文章も読んだ。
ここでも、花子がしぶしぶ、あるいは受け身的に国家全体主義に流されていったのではなく、積極的に発言していることが紹介されている。
これも抜粋してみる。

 さらに、『女たちの戦争責任』(岡野幸江、長谷川啓、渡辺澄子、北田幸恵・共編/東京堂出版)には、花子が、
「私は戦争の文化性を偉大なものとして見る。平時には忘れがちになつてゐる最高の道徳が戦争に依つて想起され、日常の行動の中に実現される」
「母は国を作りつつある。大東亜戦争も突きつめて考へれば母の戦である。家庭こそは私どもの職場、この職場をとほしての翼賛こそ光栄ある使命である」
 などと随筆集に書き綴っていたことが明かされている。加えて、内閣情報局と大政翼賛会の指導のもとに結成された文学者組織である日本文学報国会のイベント・大東亜文学者大会で、花子は「子供たちの裡にこそ大東亜精神を築き上げるべき」と述べているのだ。
しかし、戦争に積極的だったのは、もちろん花子だけではない。ドラマのなかでも売れっこ作家の宇田川満代(山田真歩)が従軍記者となって気炎を揚げるようすが描かれているが、実際、少女たちに絶大な支持を得ていた人気作家・吉屋信子や、『放浪記』で有名な林芙美子も従軍記者として戦地に赴いている。その上、日露戦争時には「君、死にたまふことなかれ」と歌った与謝野晶子や、日本のフェミニストの先駆者である平塚らいてう、市川房枝といった人物たちでさえ、先の戦争に協力的だったのだ。
(リテラ 田岡 尼)

こうした複雑な時代背景を知るきっかけを与えてくれたことが、『花子とアン』の功績と言えるのかもしれない。

まあ、今の日本では、テレビドラマにリアリティや人間性への洞察を求めるのは無理だから、事典の目次みたいなものだと思えばいいのだろう。テーマの入り口を見つけたら、あとは自分で探索していかないとね。そうしないと、懸命に生き抜いた人たちに対しても失礼なことになるだろうから。

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新・マリアの父親 Kindle版

新・マリアの父親(Kindle版)

(2013/01 Kindle版)…… 20年前にすでに「フクシマ」を予言していたと注目が集まっている「小説すばる新人賞」受賞作が電子ブックで改訂版復活。原本は古書価格がアマゾンでも2万円を超えて売られていることもある「幻の書」。
新・マリアの父親(横書きバージョン)
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『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

(2012/04/20発売 岩波ジュニア新書)…… 3.11後1年を経て、経験したこと、新たに分かったこと、そして至った結論
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裸のフクシマ

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(たくき よしみつ・著)

(2011/10/15発売 講談社 単行本)…… ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。
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