長尾和宏医師のテレビ出演シーンを見て2021/09/18 15:31

読売テレビ番組より
長尾和宏医師が読売テレビの『そこまで言って委員会NP』に出演した部分をTVerで見た
YTV My Do でも公開されている。9月20日夕方まで無料配信中。⇒こちら

この番組には私も一度ゲストとして呼ばれたことがあるので、あのスタジオの雰囲気はちょっと懐かしい。

もっと聴きたいのにあまりにもあっけなく終わってしまい、残念な気持ちが残るけれど、地上波番組で発信するってのはこういうことなのよね。突っ込んだことを言ってもカットされるし。
でも、今回は長尾氏を好意的に応援したい門田隆将、厚労省や政府を代弁して長尾つぶしにかかる丸田佳奈、裏をある程度知っていながら言葉を濁して逃げる舛添要一(この人は40年前の『朝生』の原発論争のときからズルく生きるという態度は変わらない)……という構図がはっきり分かる編集で、ある意味、ちゃんと見る力のある視聴者には言外の事情も匂わせられたから、いいんじゃないかな。

このテレビ出演について、長尾氏はブログやメルマガで何度か振り返っているけれど、今日配信されてきたメルマガの最後はこう結んでいた。
早期診断、即治療すれば重症化を防げるのがコロナ。もう正体は割れています。
(有料メルマガからだが、1行だけだから、引用を許してほしい)

本は予約時点で完売、現在増刷中とのこと。ギリギリで予約が間に合い、私のところには昨日届いた。


思っていたより分厚くてビックリ(四六判で400ページ)。この人、一体いつ寝ているんだろう。私も文章を書くスピードは速いほうだと思うけど、それを超えている気がする。

2020年1月31日から2021年8月4日までのWEB日記がまとめられている。

驚くのは、ごく初期からCOVID-19に対して極めて冷徹な観察と適確な意見を述べていたこと。
2020年2月19日の日記では、
感染ルート探しも、接触者捜しも、感染者の入院先探しも、今後は、感染症のピークを小さくすることにどれだけ貢献するのか未知だ。それよりも今、優先することは「重症化」しそうな人の早期発見であろう。つまり「コロナ肺炎」を見逃さないことに尽きる。コロナ肺炎のスクリーニング(選別)に協力する医療機関に手を挙げさせて、国内約10万件ある医療機関を明確に二分して公表してほしい。(同書・20ページ)

……とある。
この部分をWEB上の日記の同日分と比較してみた。WEB上の日記原文?では、こうある。
感染ルート探しも、接触者探しも、感染者の入院先探しも、
今後は、感染症のピークを小さくすることには、利さない。
今、重要なことは「重傷者」(ママ)の早期発見である。
つまり「肺炎」を見逃さない、ことに尽きる。
そのスクリーニングに協力する医療機関を手挙げさせて
国内約10万件ある医療機関を明確に2分し公表するべき。

書籍化するにあたって細部を調整していることが分かる。しかし、主張部分は変えていない。2020年2月19日の時点で、彼はとにかく「重症化しそうな人の早期発見と、その人たちへの医療機関による早期治療が最も重要だ」という主張を続けていたのだ。
現場の医師の目がどれだけ正しかったかがはっきり分かる。

この本の「死なせへん」というタイトルとは裏腹に、長尾氏は「人は必ず死ぬ」ということを大前提として、様々な我欲や願望、煩悩、妄想を排除して思考していることがよく分かる。
彼のもとでコロナが直接の原因で死んだ患者は一人もいないのに対して、癌、老衰、誤嚥性肺炎などで死ぬ人を毎日のように見ている。夜中に携帯に連絡が入って、在宅看取りに出向くことも日常的にある。
そうした医療者としての生活を実践し、それが医師の生き方だという職業観を持っている人が綴ってきた日記。
コロナがどうのこうのという話を超えて、生き方、死に方を深く考えさせられる。
コロナは必要なものと不必要なものをあぶり出した。必要なものは、お酒、エンタメ、娯楽。人は「楽しむ」ために生きている、ともいえる。必要な「楽しみ」を奪うのは、日本もそろそろ終わりにしたい。(同書371ページ 2021年7月11日の記述より)


エビデンスが~、自粛が~、ランセットやネイチャーには~、と言って「評論」している「専門家」たちより、毎日ニコ動で貴重な情報を発信し、合間に本音を吐露し、最後はカラオケで歌謡曲を歌っているこの人の生き様を、私は圧倒的に支持したい。


           




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パラスポーツの奥深い世界2021/08/29 10:58

パラリンピック東京大会が始まっている。
開会式を見たが、あまりにもひどくて論評する気も失せるほどだった。
とにかく無意味に長い。グダグダ、ダラダラ、中身薄っぺら。ショーをやるなら、もっとカチッとしたものを淡々とやってほしい。
うわべだけの「多様性」とか「偏見や差別のない社会」とか、そういうのを詰め込もうとしているのだが、付け焼き刃、上滑りで、「ショー」としての質を高められないまま、時間切れでご披露しました、という感じ。
内容や演出のあちこちに「これを出しておけばOKだろ」的な安直さが透けて見えて、気持ちが悪かった。
そもそも「障碍」をここまで強調する演出が必要なのか? いろんな人が集まって、普通にやることでこそ「多様性」があたりまえ、という世界が近づくだろうに。
「片翼の飛行機少女」というのも、あまりにも前時代的、ステレオタイプな発想で、ネットで炎上するんじゃないかと思ったら、メディアには「一本筋が通っていて、コンセプトが明確だった」だのなんだのと持ち上げる記事があふれて、駄目押しでやりきれなくなってしまった。

「思いやり」のなさにも腹が立った。
頭にタケコプターつけた人たちはボランティアだと思うが、あの長時間、ずっと手を振り、身体をくねらせ続けて、なんたる苦行か、誰か倒れてしまうんじゃないかと心配になり、見ているだけで疲れてしまった。
ただ並んで、一様に手を振って踊れ、というのは、演出する側がな~んにも考えてない、ってことと同じ。おもてなしでもなんでもない。
踊ってる人たちも、言われたことをやらされているだけでは気持ちが込めにくいだろう。本当に気の毒だった。
こういうことを平気でやらせる無神経さは、スタッフ用弁当を大量廃棄した事件にも通じる。
さらには、この人たちはボランティアとバイトが混じっているのかなあ……などということまで考えてしまう。これまで組織委が重ねてきたあまりにも多くの不始末・不誠実・無責任事件のせいで、素直に見られなくなってしまっているのだ。組織委の上層部や、彼らを引っかき回した政治家や企業は本当に罪深い。

参加者たちに「歓迎」の意を表すにしても、もっとやり方はいくらでもあるだろう。
例えば、入場してくる国・地域ごとに、その国・地域を応援したいと申し出た人とか、つながりのある人が1人あるいは数人で代表して、手作りの応援グッズを持って駆け寄り、一緒に行進するとか。
心の込め方はいくらでも工夫して見せることはできる。

中継放送したNHKのやる気のなさもひどかった。
長い時間かけて選手入場してくる際に、ほとんどの国に対して、どんな競技に参加しているのかとか、何も説明しない。 ギリシャなんか「ギリシャです」で終わり。
心がこもっていないのよ。ここに来るまで大変な努力をしてきた選手たちへの尊敬の念がない。

改めて考えさせられた「クラス分け」の難しさ

この「心のこもっていない入場行進中継」で、ひとつ「え?」と思ったことがあった。
「○○選手の1500mの記録はリオ五輪の優勝記録より速いんです」という一言解説が耳に入ったときだ。
トラック競技で、パラリンピックの記録がオリンピックの記録より速い? それはすごいではないか、と。
で、調べてみた。
9月11日に行われたリオデジャネイロ・パラリンピック、陸上男子1500メートルT13(視覚障碍のクラス)では、アルジェリアの双子ランナーであるアブデラティフ・バカ(Abdellatif Baka)がパラリンピック新記録で優勝した。しかし、このレースでは優勝タイムよりも話題になっているものがある。双子の弟で、4位入賞を果たしたフォーダ・バカ(Fouad Baka)までの4人が、リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得したマシュー・セントロウィッツ(Matthew Centrowitz、米国)を上回るタイムを記録したのだ。
パラ陸上男子1500mで珍しい現象、4位までがリオ五輪優勝タイム上回る AFP BBニュース 2016/09/14)
↑どうやら、これのことらしい。

このときの映像がYouTubeにUPされていたので見てみた。↓

↑Click to play!

パラリンピックの陸上競技の上位4人が、同じ年の五輪の優勝者より速かったということで話題になったが、これは五輪のレースが極端な駆け引きレースで序盤が超スローペースになったための結果だから、障碍者選手が健常者選手より速いという話ではない。
それはそれとして、この動画を見て不思議に思ったのは、「ちゃんと見えてるよね」ということだ。
みんな普通に走っているし、ゴール後、バカ兄が国旗を渡されて受け取るシーンなども、なんの違和感もない。ちゃんと見えているようだ。
で、さらに調べると、このレースは「視覚障碍T13」というクラス。
T13の視覚障碍とは、
視力0.04以上0.1まで、または視野直径10度以上40度未満
だそうだ。
視力0.1というのは私の裸眼視力とほぼ同じだ。だから、私が眼鏡を外したときの状態はこのT13に該当するということだろうか。
であれば、あの違和感のない走り方やゴール後の普通の行動も頷ける。視界はぼやけてはいるが、十分に周囲の状況は確認できるからだ。
視力0.04~0.1よりも、視野が狭いほうがハンディとしてはきつそうだ。
優勝したバカ選手がどの程度の視覚障碍なのかはよく分からないが、「見える」ことには変わらない。
であれば、1500m 3分48秒29という記録は驚くようなものではない。
男子1500mの世界記録は3分26秒00(ヒシャム・エルゲルージ)で、これより22秒遅い。
女子の1500mの世界記録は3分50秒07(ゲンゼベ・ディババ)で、これといい勝負。
先日の東京五輪での女子1500mの優勝記録は3分53秒11(キピエゴン)で、8位入賞という快挙だった田中希実が準決勝で出した日本新記録が3分59秒19。
この記録がどのくらいすごいのかというのを体感するためにユーチューバーのたむじょーが37℃の猛暑の中を田中と同じラップを刻んで走ってみせた動画も見てみた。

たむじょーの1500m自己ベストは3分50秒00だそうだ。この動画では途中までピッタリ同じで走ってみせて、最後は田中の記録を上回る3分57秒でゴールした。男子選手としてのメンツを保ったたむじょーだが、バカ兄の3分48秒29というのは、このレベルの記録に近いということだ。

う~~~ん。どうなんだろう。
視力0.1の選手と一般の選手を「区別」する必要ってあるのだろうか?
例えば、眼鏡をかけると視力1.0だが、外すと0.1になる選手が眼鏡を外して走れば、T13クラスのレース相当になるのだろうか? その場合、眼鏡をかけて走ったときよりも記録が遅くなるのだろうか?
考えれば考えるほど、う~~ん、となってしまう。
何か他に特別な理由があるのなら、ぜひ知りたい。
そのへんが詳しく説明されることがないのも、なんだかタブーになっているような感じもあって、モヤモヤする。

義足の威力?で8m62??

陸上競技の場合、車椅子やスポーツ用義足などの装具によって一般の選手よりもいい記録を出すという現象がある。
車椅子マラソンの世界記録は1時間20分14秒で、キプチョゲ選手のマラソン世界記録(2時間1分39秒)より40分も速い。
走り幅跳びでは、ドイツのマルクス・レーム選手(片脚が義足)が持つ世界記録は8m62で、2021年6月1日パラ陸上ヨーロッパ選手権で出した。
これはその2か月後に行われた東京五輪の走り幅跳び優勝記録8m41をしのいでいる。
レームは健常者と同じようにオリンピックや世界陸上に出場させろと訴えているが、認められていない。
かつて、両脚義足のオスカー・ピストリウス(南アフリカ)がロンドン五輪に出場した例がある。
ピストリウスの自己ベスト記録は、
100m  10秒91(2007年)
200m  21秒30(2012年)
400m  45秒07(2011年)
だ。
ロンドン五輪前の北京五輪のときは、400mで出場を目指していたが、国際陸上競技連盟(IAAF)が義足が有利に働くとして認めず、その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS)はIAAFの判断を覆して認めた。ただ、このときは参加標準記録を破れずに出場できなかった。

ピストリウスはその後、殺人容疑で逮捕されたり、ドーピングやDV疑惑が持ち上がったり、とにかく話題を提供するのにいとまがなかった。

で、走り幅跳びのレームだが、今回の東京五輪では出場が認められなかったわけだが、出ていれば優勝していた可能性は高く、これまた議論を呼び起こしただろう。
国際陸連は厚底シューズの規定も厳格に決めて、用具による不公平をなくそうとしている。バネそのもののような義足をつけた選手の記録を一般の記録と同列には見られないというのは仕方のないことだ。

このレベルになると、そもそも「スポーツ選手の頂点」とはなんだろうという疑問にぶち当たる。
柔道やレスリング、重量挙げなどは体重別のクラス分けがあるが、陸上にはない。脚の長さ別のクラス分けなんてあれば、ずいぶん印象が変わるのだろうが、そうなると興味が薄れてしまう面もあるだろう。

そういえば、走り高跳びを「身長差」で競ったら……というのも、誰もが思うけれど、あまり真剣に議論されないなあ。
それをヒントにして小説を書いたこともあったっけ。

両手両脚に欠損がありながら100m自由型1分21秒58

かと思うと、水泳競技ではまたずいぶんと印象が変わる。 今回のパラリンピック東京大会水泳で、自由型100m S4(運動機能障碍)クラスで2008年北京大会以来13年ぶりに優勝した鈴木孝幸選手は、生まれつき四肢が欠損している。
右腕は肘から先がなく、左手はあるが指は3本(うち1本は短い)、右足は根本付近からなく、左足は膝上からない。パッと見、左手一本だけで泳いでいるように見える。
最後まで競り合った2位のイタリアの選手は、映像で見る限り、両脚は動いていないが、長い両手でしっかり水をかいているので、この2人が同じハンディでいいのかな、とも思ってしまう。
水泳でのクラス分けは、Sは自由型、背泳ぎ、バタフライ。SBは平泳ぎ、SMは個人メドレーで、運動機能障碍は1~10まであり、数字が小さいほど障碍が重い。
4は「体幹と両下肢の動きに重度の障碍があり、両手にも障碍があるかまたは手足の欠損がある」というクラスだそうだ。
両肩で大部分の力を出して推進力に変える、ということなのだが、これで100mを1分21秒58で泳ぎ切るのだから驚くしかない。

障碍者「専用」の競技?

水泳競技は装具なども使わないから、純粋にハンディを負った人が健常者と同じ種目に挑戦する、という性格のものだ。
一方で、ボッチャやシッティングバレーボールのように、障碍者のために考案された競技もある。

ボッチャ

こうした競技の場合、健常者が同じことをやって障碍者に負けることはいくらでもありえるだろう。実際にそうした「交流戦」的なものは普通に行われているのだろうか?

また、アーチェリーは、一般のアーチェリー競技のほうに「シッティング(座って矢を射る)」という種目を追加すれば、健常者と車椅子選手が一緒に競い合うことができるはずだ。
そういう方向にも進んでいけたらいいのに、と思う。

……とまあ、こんな風に、パラスポーツというのも、少し考えただけでも、いろいろ複雑で、奥深い問題を含んでいるのだなあ……ということが分かったことが、今回の収穫だろうか。

骨折で夢を諦めたハイジャンパーが出てくる『瞑想教室』も含まれている短編集。
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「小原田圭吾『いじめ』問題」から私が学んだこと2021/07/27 11:11

「印象操作」が世界を作る怖さ

小林賢太郎の五輪開会式演出の話を書き終わろうとしていたとき、「こんな記事が出て来ました。」というメッセージが届いた。
リンクURLをクリックすると、百万年書房の北尾修一氏が書いた「いじめ紀行を再読して考えたこと 01-イントロダクション」という記事が出てきた。

「いじめ紀行 小山田圭吾の回」(雑誌『Quick Japan』vol.3:太田出版発行)について、私から一言。
という書き出しで始まるこの記事は、「2021年07月31日 夕方公開終了」とあるので、あと数日でネット上からは削除するつもりらしい。
なので、「後で読もう」ではなく、今すぐ読むなり、ページまるごと保存するなりして、ぜひ最後まで読んでほしい。
極めて重要なことが書いてあるからだ。

その2その3と、全部で3回にわたっているが、まるで謎解き小説を読むようなどんでん返し──それもかなり複雑で微妙で眠れなくなるほど考えさせられる内容になっている。

さらには、問題の発端となった雑誌『Quick Japan』vol.3の「村上清の"いじめ紀行" ゲスト 小山田圭吾の回」全文が、7月22日に公開されている。
当時の原稿そのものが削除も改変もなく公開されていて、解説は一切ない。
これもかなりの長さがあり、ブログページを使っての公開ということもあり、1から17まで分けて掲載している

私は今回の「五輪開会式音楽担当者がいじめ問題で辞任」という事件が派手に報道されるまで、小山田圭吾という人をまったく知らなかった。名前も聞いたことがなければ顔も知らない。もちろん、どんな音楽をやっているのかも知らない。
コーネリアスという芸名を使っていたらしいが、私にとってコーネリアスは、映画『猿の惑星』に出てくるチンパンジーしか思い浮かばない。
そのせいもあって、様々な記事の断片を読んでも、あまり興味が湧かなかった。
他人、特に弱者を苦しめて喜ぶ性癖を持つ人間はいる。この人も、その手のサイコパスなのだろうと思って無視していた。
しかし、違和感のようなものは感じていた。そんな記事が本当に世に出ていたのだろうか、この人はそれを本当に「自慢げに」話していたのだろうか……と。

で、教えてもらったリンクをクリックして、私はこの2つを、どちらも2回以上読んでみた。
そして、マスメディアをはじめとする多くの「小山田圭吾評」に対して、まったく違う印象を持つに到った。

なので、まずは、ぜひ面倒くさがらずに、この2つの「資料」に最後まで目を通してほしいと思う。特に、影響力の強いマスメディアの関係者や、この問題をすでに論じた人たちに。

この問題はかなり複雑で、簡単にこうだ、と断定的なことはいえない。まずは「一次資料」にあたって、自分の生い立ちや今に照らし合わせて、感じたこと、考えたことをゆっくり反芻する時間が必要だと思うのだ。
(ここまでは、7月24日に執筆)

元記事や関係者の証言から真相を探る

2日近く経過して、私自身、いろいろ考えたり、過去のことをチェックしたりしたので、忘れないうちに書き留めておきたい。(なにしろ惚けが急速に進んでいて、数日前のことさえ忘れている。恐怖だ)
まずは、小山田圭吾氏がツイッター上にのせた「謝罪文」全文を読んでみる。
ここに全文引用することはしないが、ネット上で検索すれば簡単に読めるはずだ。

特に注目したいのは、
 記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。
という部分だ。
  • 発売前の原稿確認ができなかった
  • 事実と異なる内容も多く記載されている
この2点は、謝罪文の中で彼が唯一「言い訳」的なことを述べている部分だが、どちらも本当だろう。
すでに多くの人たちが指摘していることだが、
  • 小山田はリップサービス的に「いじめ」の内容を「盛って」話したのではないか
  • そうすることで自分の記憶の中に巣くう居心地悪さを緩和しようとしたのではないか
  • 編集者・ライターは、それに乗じて、さらに過激な記事に仕立てたのではないか
……ということが想像できる。
もちろん、想像でしかないが、その可能性は高いだろう。特に「ロッキング・オン・ジャパン」のインタビュー記事はそうだと思う。
インタビューの当該箇所は、ページの見出しが「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして……ごめんなさい」となっているが、この見出しの付け方からして編集部の作為を感じないわけにはいかない↓。
小山田氏が謝罪文の中で書いている「事実と異なる内容も多く記載されて」というのがまさにこのあたりだろう。
だからこそ、当時の記事執筆編集者・編集長である山崎洋一郎氏は、今回の事件(事象?)を引き起こしたことに責任を感じ、謝罪している
その時のインタビュアーは私であり編集長も担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。

……とあるが、この「そこでのインタビュアーとしての姿勢」という言葉に注目したい。
人気のあるミュージシャンから刺激的な言葉を引き出せば記事が注目され、売れるだろうという計算があったはずだ。インタビューの中でも刺激的な言質を引き出そうとする質問者の姿勢が見える。

また、すでに何人かが指摘しているように、「ウンコ食わせて」は完全に「盛った」話であり、事実とは異なる可能性が高い。
全裸にしてオナニーさせて云々は、クイックジャパンの記事を読めば、小山田氏本人ではなく、修学旅行のときに「限度知らないタイプ」の先輩がやったことで、居合わせた小山田少年は「おお、怖え~」と思いながら見ていたということが分かる。

以下、引用部分はすべてクイックジャパンの当該記事からのものだ。
この記事の文章はあまりにも不完全で真意が読み取れない部分が多い。テープに録音された会話を加工せずにそのまま文字起こししているからだろう。つまり、取材(というか、実際には、ライターが小山田氏に企画を説明にいったときに交わした雑談)時の会話そのものだと思われる。
なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。
だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。
そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。
おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。
『ここはヤバイよな』っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて
『オマエ、誰が好きなんだ』とか言って。『別に…』なんか言ってると、パーン! とかひっぱたいたりとかして。
『おお、怖え~』とか思ったりして(笑)。
(『Quick Japan』95年3号 「村上清のいじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」の原文より)

ロッキングオンのインタビューのときでも、おそらくこんなノリで話していたのだろう。
小山田氏本人も「あの頃はほんとヤバかったなあ」という思いがあって、大人になってから、敢えて口にしているのだと思う。
それをロッキングオン編集部が主語(実行者)を曖昧にしたまま、あのような形で記事にしたために、小山田少年本人が首謀者のように伝わってしまったのだと思われる。
この罪は大きい。

不思議な点がいろいろ

……と、ここまで読んで、「おまえは今まで名前も知らなかった人間をなぜそこまで庇うのか」といきりたつ人もいるかもしれない。
別に小山田氏本人を庇っているのではない。純粋に「変だな」「不思議だな」「実際はどうなんだろう」という疑問が次から次へとわいてきて、真相に近づこうとしていくうちに、さらに新たな疑問やら問題にぶちあたってしまうのだ。

まず思ったのは、小山田氏の記憶はどこまで正確なのかということだ。
クイックジャパンの記事を読むと、小山田少年といちばん関わりがあった「沢田(仮名)」くんは、小学校2年生のときに転向してきて、高校卒業まで一緒だったという。
「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから。」
……つまり、小山田少年が沢田少年を「肉体的にいじめていた」のは小学生のときだったということになる。
数日前のことさえ忘れてしまう今の私は、小学生のときの記憶はわずかだし、そのわずかな記憶のエピソードも、大人になってから語ったとき、どこまで正確かは自信がない。
小山田氏の記憶も、細部ではかなり実際とはズレていたかもしれない。
自責の念から、実際よりも偽悪的に変化していたという可能性もあるだろう。

次に疑問に思ったのは、当時、なぜこの記事が社会問題として取り上げられなかったのか、ということだ。
問題とされているロッキングオンは1994年1月号、クイックジャパンは1995年3号。この間、1年以上も時間があいている。
ライター志望の村上清氏は、ロッキングオンの記事を読んで「いじめ紀行」という「いじめた側といじめられた側の対談集」という連載企画を立て、その第1回目に小山田氏を登場させようとしたわけだが、ロッキングオンのあのひどい記事が1年以上社会的に問題となっていなかったからこそ、芸能スキャンダルにすらならず、そんな能天気な企画を持ち込もうというライターも現れたわけだ。
1994年の日本では、ロッキングオンの「全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして……ごめんなさい」というとんでもないインタビュー記事を許容していたということに他ならない。
そこまで時代の空気がおかしなものだったのか、と、改めて驚いてしまう。
もしかすると、あの頃のロッキングオンやクイックジャパンの読者は、いちいち説明をしなくても小山田氏の発言の裏にある「うまくいえないもの」を読み取っていたのだろうか?

いや、よく考えてみると、27年前の雑誌記事の中身やコントの中の1台詞を取り上げて、全国民が見ている前で公開処刑をする今の社会のほうがはるかにおかしく、怖ろしい空気に満たされているのではないか。怒りや攻撃の矛先がおかしい
小山田問題にしても小林賢太郎にしても、こんな騒ぎになったのは東京五輪が強行されるという流れの中でのことで、東京五輪強行問題への抗議がいびつな形で暴走したともいえる。
原発爆発後、「福島のような危険な場所に子供を残しておく親は頭がおかしい」などと騒ぎ立てた人たちの暴走に似たものを感じてしまう。

「沢田」少年と小山田少年の関係性

そもそも、小山田少年は、
  1. いつ
  2. 誰を
  3. どのような形で
「いじめて」いたのだろうか?
元記事をていねいに読み解いてみたい。

クイックジャパンでは、小山田少年は沢田少年とはクラスが別だったが、沢田少年の「デビュー」があまりにも衝撃的だったので、クラスを超えて有名人になっていたと語っている。

「沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に
それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。
だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)『サワダです』とか言ってさ、『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか。
で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。
なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか? で、いきなり初日にウンコするんだけどさ、便所に行く途中にズボンが落ちてるんですよ、何か一個(笑)。
そんでそれを辿って行くと、その先にパンツが落ちてるんですよ。
で、最終的に辿って行くと、トイレのドアが開けっ放しで、下半身素っ裸の沢田がウンコしてたんだ(笑)」

……これは確かに衝撃的だ。違うクラスでも、あっという間に有名人になるのは間違いない。
で、「衝撃デビューの沢田くん」の紹介はさらに続く。

「……で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。
別に最初はいじめじゃないんだけども、とりあえず興味あるから、まあ色々トライして、話してみたりするんだけども、やっぱ会話とか通じなかったりとかするんですよ。
おまけにこいつは、体がでかいんですよ。それで癇癪持ちっていうか、凶暴性があって……牛乳瓶とか持ち出してさ、追っかけてきたりとかするんですよ。
で、みんな『怖いな』って。
ノロいから逃げるのは楽勝なんだけど、怒らせるとかなりのパワーを持ってるし、しかもほら、ちょっとおかしいから容赦ないから、牛乳瓶とかで殴られたりとかめちゃめちゃ痛いじゃないですか、で、普通の奴とか牛乳瓶でまさか殴れないけど、こいつとか平気でやるのね。
それでまた、それやられると、みんなボコボコにやられるんだけど」

ここまでは別に、よくある「トンデモな思い出」の類であり、お笑い芸人などがよくネタにしているレベルのことだ。

小山田少年が小学校から通っていた和光学園という学校は、制服なし、自由を尊重し、障害を持った子供も普通の学級に入れて「共生」を生で学ばせるという方針の学校だそうだ。
自分とまったく違う人、想像を超えてる人が目の前にいることで「すげ~な。なんだおまえ」とか「バカじゃね~の」とか、子供が言い合うのはあたりまえのことだ。
それをからかうというレベルを超えて、肉体的にいじめたりするのはまったく別の話だが、子供はその区別がつかないことがある。
だから、共生や自由を基本にして、障害を持った子も一緒の環境で……という教育を目指すなら、大人がものすごく細かく目配りして、自分がどう接するか、教えるか、子供に接している自分はどうなのか……と、一緒になって考えないと、なかなか難しいことになる。下手すると事故死や自殺者が出たり、一生心に傷を負ったまま立ち直れない子も出てくる。

そんなことを考えさせられたのが、次のくだり。

小山田少年と沢田くんは別のクラスだったので、沢田くんの奇行ぶり、「ヤバさ」は知っていたが、二人が直接接することはなかったようだ。
それが、5年生になって「太鼓クラブ」というクラブで一緒になったことで接点ができる。

「……するとなぜか沢田が太鼓クラブにいたんですよ(笑)。
本格的な付き合いはそれからなんですけど、太鼓クラブって、もう人数が五人ぐらいしかいないんですよ、学年で。
野球部とかサッカー部とかがやっぱ人気で、そういうのは先生がついて指導とかするんだけど、太鼓クラブって五人しかいないから、先生とか手が回らないからさ、『五人で勝手にやってくれ』っていう感じになっちゃって
それで音楽室の横にある狭い教室に追いやられて、そこで二時間、五人で過ごさなきゃならなかった
五人でいても、太鼓なんか叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど。
そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験の対象になっちゃうんですよね」

大人(教師)が見ていない密室に小学生が5人。その中に、言葉も上手く喋れない障害を持つ子が1人混じっている。
こうして、いつ事故が起きてもおかしくない、危ない状況ができあがってしまったわけだ。

「段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。
そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、『ヤバいね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……? 何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、『おかあさ〜ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。
本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」

小山田氏が「肉体的にいじめてたのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど」と語っていたのは、まさにこれのことだろう。
「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」……という語り口からして、その場にいた他の数人も含めて「加害者側」になった少年たちに、それほど悪意のある(あるいは病的で陰湿な)いじめ意識はなかったのだと想像できる。
この手のことは、年齢が低いほど残酷なことになりやすい。
しかし、大人になって思い返せば、あれは明らかにまずかったな、残酷なことをしていたなと理解できる。だから小山田氏も謝罪文の中で、「学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ」ていたから、ロッキングオンなどの記事に対して「誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。」と述べている。

この「小学校のときのエピソード」は、「いじめ問題」というよりも、「教育現場における大人の監督不行き届き問題」として考えるべきだ。
一つ間違えば取り返しのつかない事故が起きているエピソードであり、笑って済まされる問題ではない。
しかし、その責任を「太鼓クラブ」の子供たちだけに押しつけるのは間違いだ。

もう一つ、中学の修学旅行で起きた、別の生徒への暴行事件は、実行者は小山田少年の1学年上の先輩(留年して下りてきた)であって、小山田少年はその現場にいて「おお、怖え~」と、引きながら見ていた、ということだ。
これも、修学旅行に引率した教師は何をやっていたんだ、ということになる。
エスカレートしたのが「ヤバい先輩」であれば、小山田少年が身体を張って止めに入らなかったことを一方的に責めることはできないだろう。

残念すぎるライターの力量不足と心得違い

小山田少年と「衝撃デビューの沢田くん」は、なんだかんだで高校卒業までクラスメイトとして交流している。中学からは席が隣り同士だったこともあったそうだが、二人とも他に友達が少なかったから、とも述べられている。

高校まで行くと、「どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも、僕は沢田のファンになっちゃってたから」という言葉に対して、随所で、なるほどなと思わせるエピソードも出てくる。
そしてクイックジャパンの記事、最後の部分。
「卒業式の日に、一応沢田にはサヨナラの挨拶はしたんですけどね、個人的に(笑)。
そんな別に沢田にサヨナラの挨拶をする奴なんていないんだけどさ。僕は一応付き合いが長かったから
『おまえ、どうすんの?』とか言ったらなんか
『ボランティアをやりたい』とか言ってて(笑)。
『おまえ、ボランティアされる側だろ』とか言って(笑)。
でも『なりたい』とか言って。『へー』とかって言ってたんだけど。
高校生の時に、いい話なんですけど。
でも、やってないんですねえ」

これは、沢田くんの家(高級住宅街の立派な邸宅だったそう)に突撃取材しに行ったライター志望の青年・村上清氏から、「沢田くん」が高校卒業後に病気が悪化して、今ではほとんど家族とも話をせず、引きこもってしまっていると聞いた小山田氏の反応だ。
「でも、やってないんですねえ」は、「ボランティアにはなれなかったんだ……」という、ため息のような言葉なのだが、村上氏の文章表現がまずすぎて、おそらく読者には全然伝わっていない。
そもそも、原稿のあちこちに散りばめられている「(笑)」の記述が邪魔で、誤解や曲解を生んでしまっている。これは誰の笑いなのかも分からない。おそらく、録音に入っていた音声をそっくりそのまま文字起こしした際に、笑い声が漏れている部分全部にこれを入れているのだろう。村上氏が一人で笑っているのかもしれない。だから、この「(笑)」はすべて削除した上で読んでみる必要がある。

とにかく、いくら商業出版物への執筆デビュー作だとはいえ、ライター志望の人間としては下手すぎるし、結果としてあまりにも罪作りだ。

このときの村上氏が稚拙で能天気な執筆・編集をしたことは、随所に見て取れる。

最後に、小山田さんが対談するなら一番会いたいと言っていた、沢田さんのことを伝えた。
沢田さんは、学校当時よりさらに人としゃべらなくなっている。

重いわ。ショック

―――だから、小山田さんと対談してもらって、当時の会話がもし戻ったら、すっごい美しい対談っていうか……。

「いや~(笑)。でも俺ちょっと怖いな、そういうの聞くと。でも…そんなんなっちゃったんだ……」

なんだこの能天気な記述は。
ここ、いちばん重要なところだろうが! と、私が編集長なら、この原稿は丸ごと突っ返しているし、当然、採用もしない。

「結局、その深いとこまでは聞けなかった」の意味

このクイックジャパンの記事を何度も読み返してみて、私がいちばん重要だと思ったのは、最後に出てくる小山田氏のこんな言葉だ。
「沢田とはちゃんと話したいな、もう一回。でも結局一緒のような気もするんだけどね。
『結局のところどうよ?』ってとこまでは聞いてないから。聞いても答えは出ないだろうし。『実はさ……』なんて言われても困っちゃうしさ(笑)。
でも、いっつも僕はその答えを期待してたの。『実はさあ……』って言ってくれるのを期待してたんですよね、沢田に関してはね、特に」

これだけでは何を言っているんだか分からない、謎めいた言葉だ。
多分、小山田氏自身、よく分からないまま、考えをまとめられないまま話していたのだろう。
しかし、この言葉が出てくるまでのやりとりを何度も読み返してみると、なんとなく言いたいことが見えてくる。
―――沢田さんに何か言うとしたら……

「でも、しゃべるほうじゃなかったんですよ。聞いた事には答えるけど」

―――他の生徒より聞いてた方なんですよね? 小山田さんは。

「ファンだったから。ファンっていうか、アレなんだけど。どっちかっていうとね、やっぱ気になるっていうかさ。
なんかやっぱ、小学校中学校の頃は『コイツはおかしい』っていう認識しかなくて。で、だから色々試したりしてたけどね。
高校くらいになると『なんでコイツはこうなんだ?』って考える方に変わっちゃったからさ。
だから、ストレートな聞き方とかそんなしなかったけどさ、『オマエ、バカの世界って、どんな感じなの?』みたいなことが気になったから。なんかそういうことを色々と知りたかった感じで。
で、いろいろ聞いたんだけど、なんかちゃんとした答えが返ってこないんですよね」

―――どんな答えを?

「『病気なんだ』とかね」

―――言ってたんだ。

「ウン。……とか、あといろんな噂があって。『なんでアイツがバカか?』っていう事に関して。子供の時に、なんか日の当たらない部屋にずっといた、とか。あとなんか『お母さんの薬がなんか』とか。 そんなんじゃないと思うけど(笑)」

―――今会ったとすれば?

「だから結局、その深いとこまでは聞けなかったし。聞けなかったっていうのは、なんか悪くて聞けなかったっていうよりも、僕がそこまで聞くまでの興味がなかったのかもしれないし。そこまでの好奇心がなかったのかも。かなりの好奇心は持ってたんだけど。今とかだったら絶対そこまで突っ込むと思うんだけど。その頃の感じだと、学校での生活の一要素っていう感じだったから。
でも他のクラスの全然しゃべんないような奴なんかよりも、個人的に興味があったっていうか」


↑私は、この部分を最初に読んだときは、何を言っているんだろうという感じで、引っかかりながらも、深く考えないまま読み進めていた。
しかしこの後の、
『結局のところどうよ?』ってとこまでは聞いてないから。聞いても答えは出ないだろうし。『実はさ……』なんて言われても困っちゃうしさ(笑)。
でも、いっつも僕はその答えを期待してたの。『実はさあ……』って言ってくれるのを期待してたんですよね、沢田に関してはね、特に」
……という部分と合わせて、何度も読み返してみて、ようやく少し見えてきた気がした。

多分、ライターの村上氏も、小山田氏がここで言いたかったことをなんとなく分かっていた。それまでのやりとりや、その場の雰囲気、言葉や声のニュアンスから、小山田氏の不完全な言葉選びを頭の中で修整しながら理解できていたと思う。
しかし、それを読者に伝える力がないので、テープ起こしをそのまま原稿にしてしまった。結果、余計な「(笑)」が誤解・曲解を生んだり、小山田氏の言いたいことがまったく伝わってこない原稿になってしまっている。

小説「ウン吉とあ太郎」

例えば私が、この会話を通して得た情報をネタにして小説を書いたとする。
障害を持った「ウン吉」という子供と、彼と小中高10年以上一緒に過ごした少年「あ太郎」が主人公。
ウン吉は、小学校2年のときに転校してきて、いきなり「ウンコ事件」を起こしたことで学校中で有名になり「ウン吉」というあだ名がついた。
あ太郎は、頭がよく、才能豊かな少年だが、若干、発達障害気味のところもあり、話し始めるときに必ず「あ~、それは……」などと、「あ~」から話し始める癖があったので「あ太郎」とあだ名がついた。
あ太郎少年は「ウン吉」のとんでもなさに引き寄せられ、最初は「美術クラブ」で一緒になったウン吉を、他の部員と一緒になって段ボールに入れてからかうようなことを先導してやっていたが、ウン吉のほうは、自分をかまってくれるあ太郎を友達だと思っていて、毎年、律儀に年賀状を送っていた。
高校を卒業するとき、あ太郎はウン吉に別れの挨拶をしに行く。
「おまえ、これからどうするの?」と訊くと、ウン吉は「将来はボランティアになりたい」と答える。「逆だろ、おまえ」と笑うあ太郎……そんな間柄だった。

あ太郎少年は、高校卒業後、バンクシーのような「街中アート」で有名になり、時代の寵児として注目される。
あ太郎が20代半ばになったとき、ふとしたことで、ウン吉が自分が知っていた当時より病気が悪化して、家族ともほとんど口をきかずに家に閉じこもったままになってしまったことを知る。
ショックを受けたあ太郎青年は、その情報を持ってきた雑誌編集者に、ウン吉との思い出話をポツリポツリと語る。

その最後の部分での独白的台詞として、私なら、こんな風に書くかもしれない。

 あ~、俺はウン吉のこと、小学生くらいのときは「とんでもないやつがやってきた」「こいつヤバい」っていう興味しかなくて、あまりにヤバいから、「すげ~な、こいつ」っていうことで、ファンになったわけよ。
 それで、ファンに「サインしてください」って近づくような感じで、いろいろちょっかい出したりしてさ。相当まずいこともしちゃったんだな。
 でも、中学、高校とつき合っていき、俺の中で、ウン吉との関係性について、少しずつ認識が変わっていったんだ。
 あ~、つまり、なんていうか……俺とウン吉は、結局は『違う世界』に生きているんだよね。一種のパラレルワールドみたいな。
 俺が生きているのが、多くの人間が思っている現実世界だとすれば、ウン吉が生きているのは「バカの世界」とでもいうか……。
 俺以外の生徒は、その頃にはもう誰もウン吉のことなんか気にしなくなっていた。でも、俺はずっとあいつと一緒で、ファン……というか、気になっていたからさ。この「俺とウン吉の違い」って、どこからくるんだろう。何が根本的な原因なんだろう、みたいなことを、ずっと考えてたような気がするんだ。
 それを知りたくて、ウン吉にはいろいろ訊いたような気がする。でも、はっきりした答えは返ってこなかったな。
 あるとき「僕は……病気なんだ」って、ポツンと言ったこともあったかな。でも、そんな答えはあたりまえすぎたし、俺が知りたかったこととは違うんだよね。ちょっと違う……あ~、いや、全然違う、って思った。
 周りでは、いろんなこと勝手に言うやつもいたよ。「ウン吉は子供のとき、日の当たらない部屋にずっといて、あんな病気になったんだ」とか、「ウン吉のお母さんが妊娠中に飲んでいた薬に副作用があって……」とか、そんな感じのこと。
 ああ~、そんなのもみんな、適当な想像で、違うと思うけどね。
 結局、答えが見つからないまま卒業になって、それ以来、ウン吉とは会ってないわけよ。
 今、ウン吉と会えたなら、もっと納得できる答えを聞き出そうとするかもしれない……いや、逆かな。俺も少しは大人としての振るまいが身についているから、そこまで深堀りしてはいけないって制御するか、あの頃みたいに純粋な探究心みたいなものがなくなってて、簡単に無視するかもしれない。

 卒業式のとき、俺、ウン吉とは一応、最後の挨拶みたいなの交わしたのよ。
 で、「おまえ、これからどうすんの?」って訊いたら、「将来はボランティアをしたい」とか言うわけ。笑っちゃったよね。「おまえ、どっちかっていうと、ボランティアされる側だろ」とか言ってさ、そんな感じで別れたんだよな。

 ああ……でも、そうなんだ……ウン吉、あれからもっとひどくなって、そんな感じになっちゃってるのか……重いね……。


インタビュー記事なら、ここまで「改作」はできない。でも、小説なら、せめてこんな風にまとめるはずだ。

小山田圭吾という人間は、ものすごく言葉選びが下手なのだろう。ある意味、発達障害的なところを感じる。
だから、彼が話したことを、しっかり読者に伝えようと思うなら、このくらいまで「翻訳」してやらないと伝わらない。
難しい仕事になるが、そこまでして記事を作る価値はある。
ここで浮かび上がるテーマは、「多様性」とか「共生」という言葉で昨今しきりに語られること、そのものなのだ。
多様性を認めて、同じ社会で共に生きるということが、実はとても複雑で、難しいものなのだということを読者に考えさせる記事になりえる。

「結局、その深いとこまでは聞けなかった」と語った小山田氏の「その深いところ」こそが、多様性と共生というテーマを扱う上で、いちばん重要で、かつ、理解が困難な部分なのだ。
それを浮き彫りにできたような記事になっていたら……。
ライターとしての村上氏の力量不足や能天気な勘違いぶりが残念でならない。

そして、この記事を恣意的に「再編集」して、小山田氏個人をとんでもないサイコパスのように仕立てたブログ主の存在もまた、我々は忘れてはいけない。
沢田少年と小山田少年の不思議で微妙な「友情」の証として記事の最後のページにど~んと単独で掲載されている年賀状までも「障害者を嘲り笑う異常者」を仕立て上げる道具として利用するブログ主──このブログ主にそうさせたものはなんだったのか?
このブログ主は、もしかすると自分ではみじんも疑いのない正義感、使命感からこんなことをしたのかもしれない。しかし、その結果、沢田少年らが受けたいじめ行為以上の残酷な「検証も裁判もない集団リンチ」を引き起こした。
大新聞社やテレビメディアまでもが、簡単にその集団リンチの仕掛けにのせられてしまった。
こうした病巣が深く広く巣くってしまっているネット社会。その「邪気」にマスメディアや国家権力までもが動かされるという恐怖。
幕末から明治にかけて起きた、庄屋打ち壊しや廃仏毀釈にも似た集団ヒステリーが急速に広まっていることを感じる。

小山田事件、小林事件が我々に教えてくれるものは、驚くほど根深く、怖ろしい問題だ。
これらを生きた教科書として、東京五輪後に社会の空気やシステムの欠陥を修整していくことはできるのか?
「ああ、なんだかんだいろいろあったけど終わったね、東京五輪」と済ませてしまうようでは、いよいよこの国は危険領域を超えて、奈落の底に突き進むだろう。

……と、ここで私が長々と書いたところで、まったく無力である。
だから、せめてこんな夢想をしてみる。

小林賢太郎:脚本・演出、小山田圭吾:音楽 で、短編映画『ウン吉とあ太郎』みたいな作品を作って世に出せないだろうか、と。
映像はアートに徹して限りなく美しく。台詞や演技も思いっきりスマートに(小林賢太郎ならできるはず)。
決して、暗さがカッコいいみたいな日本映画特有の隘路にはまらず、かといって、嫌らしいスノッブさを感じさせず……。

そんな「作品」を、私は見てみたい。



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熱海の土石流は「犯罪事件」である2021/07/12 20:20

NHK「クローズアップ現代」より
NHK 「クローズアップ現代・カメラが捉えた脅威 緊急報告・熱海土石流」より(映像は今回の現場ではなく、過去に起きた京都の事例からのもの)
デタラメな太陽光発電所、風力発電所の建設がどれだけこの国を壊しているか、日本のメディアは、実態を絶対に伝えようとしない。
「再生可能エネルギー」という言葉が聖なる言葉になってしまっていて、不都合なニュースを最小限に伝えるときも「地球温暖化対策のために再生可能エネルギーの普及は不可欠ですが……」みたいな枕詞をつける。
不可欠でもなんでもないし、今のようなことを続けていたら、資源小国の日本は取り返しのつかないことになる。いつまでこんなバカなことをやり続けるつもりなのか。

熱海市で起きた「土石流」事件では、数十人の死者・行方不明者が出た。
原因は明らかで、
  • 沢の上流の谷に残土や産廃を投棄して埋めてしまったこと
  • 山の尾根筋を削って太陽光発電パネルを敷き詰めたこと
の2つだ。
しかし、メディアは「盛り土」という言葉を繰り返すばかりで、問題の本質を意識的に避けている感がある。
「原因はまだ特定できませんが……」というフレーズを繰り返す。

テレビには連日、「専門家」と呼ばれる人たちが入れ替わり立ち替わり登場するのだが、言うことが全部違う。
崩れた場所に見えている黒い土を指して「これが火山灰起因の本来の固い地層」という人がいるかと思えば、「火山灰土がこんなに黒いはずはないので、何か脂分を含んだ残土や産廃起因ではないか」という人もいる。どちらも「地質学者」なのだそうだ。

すぐ隣のソーラー発電施設は、当初、わざとテレビの画面に映らないようにしていたフシがある。
ようやく原因の一つである可能性に触れた学者が現れたが、案の定、その後、この説をフォローする報道はマスメディアからはほとんど出てこなかった。
別の学者はそのソーラー発電所脇に亀裂のような凹みがあるのを指して、「隣の盛り土が崩れたので引っ張られるようにして亀裂が生じている」と解説していた。
……いや、これはおそらく崩落の前からあったものだろう。今回のことでえぐれが広がっているとしても、だ。
田舎に暮らしている人ならみんな知っている。山に道を造れば、大雨が降ったときに流れる水で土がえぐれ、溝が掘られるのだ。そこを水が流れていって、どんどんえぐっていく。
だから、川内村に住んでいたときは、自分で私道の脇に雨水の通路を掘っておかなければならなかった。何もしないと道の真ん中を雨水が流れて溝が掘られてしまうため、車が通れなくなるのだ。
それを、ずっと前からその道の奥に棲んでいる人に言われて、道の横にシャベルで側溝を掘り、それが埋まらないように、ときどき掘り起こしていた。
こういう水の逃げ道がないと、道や斜面が大規模に崩落する。
都会の「専門家」って、そういう基本的な生活感もないままに理論だけで勝手に推理するような人が多いのだなぁと、改めて思った。
南伊豆の風車被害を見に行ったときも、現地の住民に教えてもらった。風車を建てるために山に道を造ったため、そこが雨水の道になってしまって土砂が上から流れてきて被害が生じた、と。
それで、慌てて「沈砂池」を道路の横に造ったけれど、たちまちそこも埋まってあふれてしまった、と。

山にウィンドファームやメガソーラーを作るな!

これは全国の風力発電・太陽光発電建設現場で起きている典型的な公害なのだが、メディアはほとんど報道しない。
私が2011年まで住んでいた川内村に隣接する滝根小白井ウィンドファームでも、建設中から降雨後の泥水流出がひどく、下流の夏井川では岩魚や山女が産卵できなくなり、夏井川漁協が事業者に補償を求めた。

↑風力発電施設工事のとき、大量の泥水が海や住宅地に流れ込んだため、対策として作られた「沈砂池」。しかし、大雨の後はこれもたちまちあふれてしまい、さらにもう一つ作る羽目に。写真は2010年1月、南伊豆にて


土木学会特別上級技術者の塩坂邦夫氏は、今回の熱海土砂詐害事件について、周辺の宅地開発・メガソーラー建設で、山の尾根が伐採され、土も削られたことで保水力が失われ、雨水の流れ道も変わってしまったことも一因、と指摘した。
それに対して、難波喬司・静岡県副知事(元・国土交通省大臣官房技術総括審議官)は、「そんなに広い地域の水が集まっていれば大洪水になっているはずだ」として塩坂氏の見解を否定した、という(盛り土崩落、宅地開発影響か 2021/07/09 時事通信社)

↑TBS『ゴゴスマ』で、自らのチームがドローンで撮影した映像を元に、今回の崩落原因を推理する塩坂氏。
ソーラーパネル設置のために削られた尾根は崩落現場より上にあり、ソーラーの建設道路が雨樋のように雨水を流すことになった可能性が指摘された。


崩落現場のすぐ隣りの尾根を削って建設された太陽光発電所。


塩坂氏はその後、7月9日には静岡県庁で記者会見し、「周辺の宅地開発で尾根が削られて水の流れが変わり、従来の範囲よりも広い地域から大量の雨水が盛り土一帯に流れ込んだ」と結論づけた。

現地調査に基づき「人災だ」と見解を公表した地質学者の塩坂邦雄さん(76)は9日、県庁での記者会見で、造成で尾根が削られたことによって雨水の流れ込む範囲(集水域)が変化、盛り土側に雨水が流入した結果、土石流を誘発したと分析した。
(略)
 塩坂氏は、盛り土付近の造成で尾根が削られたことにより、逢初川の集水域よりさらに北部にある、鳴沢川の集水域約20万平方メートルに降った雨も、盛り土側に流れ込んだと分析している。造成地側から盛り土側に水が流れた跡も確認したという。
(略)
河川の流域の一部分を別の河川が奪う地理的現象で、造成によって水の流れが変化し、逢初川よりも北部の鳴沢川に流れ込むはずの雨水が、谷を埋めた盛り土に流入。雨水が逢初川側に流れ込んだと主張した。
2021/07/09 熱海土石流 造成が誘発した人為的な「河川争奪」地質学者が指摘 毎日新聞

熱海の土砂災害を引き起こした背景は「モリカケサクラ」と同じ構図

山の頂上や尾根を伐採すると保水力や地下水脈が変わってしまい、土砂災害の原因となる、というのは、広く知られたことである。
それなのになぜ、国や熱海市は尾根筋の伐採・掘削や谷への残土・産廃の投棄を放置してきたのか。

マスコミが触れようとしないので、ネットで検索するしかない。
すると、すぐに答えが出てきた木下黄太氏のブログ記事三品純氏の記事にしっかり書かれていた。

まず、谷に残土や産廃を投棄して埋めた張本人は小田原市では悪名高い不動産業者。
その社長は自民党系の同和団体である「自由同和会神奈川県本部」会長。
ネット上には、2014年、自民党本部で行われた自由同和会中央本部第29回全国大会で議長を務めるこの社長の写真もあって、背景には安倍晋三首相(当時)が「日本を、取り戻す」というスローガンと共に大写しされたポスターが何枚も並んで写っている。

あの辺りの山を無理矢理切り崩して、まず先に道を作っていったんです。
道を作る時に、図面が先にあるわけではなくて、こういう感じがいいんじゃないかみたいな感じで現場で緩く決めていって、それで道ができていくような流れです。その後で測量部の人がやってきて、測量して図面を書くという流れでした。計画がきちんとあるわけではなくて、むしろやったことを、後付で図面を作ってるという話です。まあ適当なんですよ、本当に。
とにかく道路を作れば、その先でまた森を崩して平地を作るみたいな状態です。
だからものすごく土砂が出るんですよ。
そうした現地での開発で出た土砂が捨てられた土砂の大半であったと思います。
木下黄太のブログ 2021/07/09 元社員への取材内容から抜粋)

↑こうしたことは、日本全国の山でごく普通に行われている。私も川内村時代には、そうした現場をたくさん見てきた。
とにかく、山を伐採し、削って平らにすれば、雨水は行き場を失い、土砂と一緒に流れていく。あたりまえのことなのだ。

テレビや新聞が意識的に避けているとしか思えない、これらの記事を読んでいくにつけ、気持ちが悪くなり、ただでさえ体調不良の昨今、見ないでおきたいという思いも強くなる。
しかし、どうもこのままうやむやにされてしまう可能性も出てきたので、議事録や登記簿などからはっきり分かっていること、信用できそうな記事から、ものすごくざっくりとこれまでの経緯をまとめると、↓こうなる。
  • 2006年9月  小田原市の不動産会社S社が伊豆山赤井谷一体を買取りで取得
  • 2007年頃~ 同社は麓側から徐々に工事道路を建設し、尾根筋を伐採、造成し始める
  •       並行して、谷に造成工事で出た土やビル解体などで出た産廃を投棄して埋め始める
  • 2007年7月  台風4号による降雨で、同社が所有し、宅地開発をしていた伊豆山七尾にある熱海市の水道施設調圧槽が同社所有の山林地からの土砂、流木により一部埋没。市は同社に対して土砂、流木の排除対応処理を文書で依頼するも、同社は応じず放置。市議会で問題になる。市議会の建設公営委員会での質疑応答にて、市の担当者は「(相手が)同和系列の会社でございまして、ちょっと普通の民間会社と違いますので……」という答弁。
  • 2009年6月  市議会で再度、同社の危険な開発行為問題について質疑応答あり。この時期、同社は宅地開発を諦めていた様子。熱海市内のホテル解体工事で出た産廃なども谷に埋めていたことを、同社の元社員が証言
  • 2009年11月 同社社長が小田原駅前に所有していたビルの一室を、違法風俗店と知りながら本来の家賃を上乗せして貸していたとして、組織犯罪処罰法違反(犯罪収益等収受)容疑で神奈川県警に逮捕される。
  • 2011年2月22日 熱海市が同社所有の赤井谷の土地を差し押さえ。
  • 2011年2月25日 不動産、建設関連を複数所有するZ社の社長が買取り。面積は周辺一帯で合計約40万坪。
  • 2013年8月~10月 Z社傘下の複数の会社がZ社が買い取った伊豆山周辺の土地での太陽光発電所建設を申請し認可される。


このZ社の社長は、1989年、1985~87年までの3年間の所得20億4,000万円を8億3,000万円余と過少申告。所得税5億1,200万円を脱税したとして逮捕されている。さらには2004年にも、2003年12月期までの5年半で約4億円の所得隠しを指摘されていたことで摘発され、追徴課税されている。他にも関連会社がアスベストの不法投棄事件とか、もういろいろと……。

ほんとに気分が悪くなってきたので、もうやめたい。
どれもネット上を検索すれば簡単に読めるデータや記事なので、知りたい人はどうぞ探してみてほしい。
現代日本が抱えるさまざまな問題が、これでもかというほど、分かりやすく浮かび上がってくる。



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アジアにおけるワクチン接種率2021/05/17 15:54

モンゴルのCOVID-19死者数の急増(worldometers.infoより)
昨日(2021/05/16)、COVID-19の感染率、死亡率や、ワクチン接種とその効果と不安材料に関する報道について、いろいろ危惧する点がある、ということを書いた。
何度も追記して長くなってしまったし、公開後に新たに知ったデータなどもあるので、ここで、問題点別にまとめなおしてみたい。
(2021/05/19~ さらに改稿)

「大阪はインドより死者数が多い」は本当だが……

まず、アジア圏(特に東アジア)の諸国では欧米諸国より1桁も2桁も死者数が少ないこと(ファクターX)を無視した報道が多い。
例えば、最近「大阪のCOVID-19死者数はインドより多い」という発言が話題になっている。確認すると、大阪府のCOVID-19による累計死者数は1958人(5/17時点)で、人口100万人あたりにすると約223人。インドは191人。確かに「インドより多い」とは言える。
ちなみに、5月8日時点ではそれぞれ192人対174人だったから、どちらもここ9日間で一気に増えている。このまま増え続けると、コロナだけでなく、他の病気や怪我でも適切な対応をしてもらえず命を落とす確率が増えるという怖ろしい事態が待っている。
この「インドより多い」という表現は、インドはCOVID-19死者数が飛び抜けて多い国だというイメージのもとで語られているフシがあるが、実際にはインドの人口あたり死者数は世界100位前後で、累積死者数では「飛び抜けて死者が多い国」とは言えない。
しかし、現在のインドの死者数増加スピードは凄まじく、
インドは、新規感染の平均報告数で世界でも最多となっている。世界で報告される1日の新規感染者の約2人に1人の割合を占める。 (ロイター COVID-19 TRACKER
だそうだ。
また、インドは感染者数はやや減少傾向になっているようだが、ネパール、日本は増えたままなかなか減らない。


日本政府最大の失策は水際対策の失敗と状況把握の遅れ

人口300万人以上の国の、人口100万人あたりのCOVID-19死者数順位は、

ハンガリー(3027人)、チェコ、ボスニア、ブルガリア、北マケドニア、スロバキア、ベルギー、スロベニア、イタリア、ブラジル、ペルー、イギリス、ポーランド、クロアチア、アメリカ、スペイン、メキシコ、ポルトガル、フランス、ルーマニア、コロンビア(1583人)……の順(worldometers.info 2021/05/17時点での集計より)。

多くの日本人はイメージできていないと思うのだが、東欧諸国がものすごく多い
インドの197人は欧米諸国より1桁低い。日本は91人でインドの半分くらいということになっているが、インドは人種的にはアーリア系が多く、日本を含めた東アジア諸国(モンゴロイド系が多い)とは「ファクターX」的な要因がかなり違うであろうことも頭に入れておかなければならない。
ちなみに、韓国は37人、オーストラリアは35人、タイは8人、ニュージーランドは5人、台湾は0.5人、ベトナムは0.4人……で、アジア、オセアニア圏の国では日本の死者数は非常に多い
「日本は欧米諸国に比べて非常に少ない」ではなく「アジア諸国の中ではインド、インドネシア、フィリピン、ネパールの次に多く、韓国の倍以上、香港の3倍以上、台湾の180倍以上の割合で死者が出ている」と伝えるのが正しい。
東アジア諸国で死者が少ないのは人種的(HLA=ヒト白血球抗原型など遺伝子関連の)要因が「ファクターX」になっているのだろうということは、今では世界中の研究者が考えている。しかし、オーストラリアやニュージーランドは人種的には欧米諸国に近いので、イギリスやアメリカ並みに死者が出ていてもおかしくなさそうだが、日本よりずっと少ない。
これは両国とも島国であるという特質を生かして、水際対策を徹底し、感染拡大防止策もしっかりやってきたことが成功しているのだろう。
同じ島国の日本はそれがユルユルだった結果、もはや手遅れ状態になってしい、他国よりも遅れた今になって危機が増大していることも、メディアはしっかり伝えなければならない。

ワクチンですべて解決となるかはまだ分からない

メディアは「日本のワクチン接種率1.1%でOECD中最下位」といった報道をしたがる。
OECDは「経済協力開発機構」のことで、現在37か国が加盟している。しかし、その37か国中、アジアの国は日本と韓国だけである。
では、COVID-19の死者が欧米より極端に少ないアジア諸国のワクチン接種率は現在どのくらいなのだろうか。
日本経済新聞社が「チャートで見るコロナワクチン 世界の接種状況は」というデータをまとめてくれている。それによると、アジア諸国では、

国:100人あたりの接種回数(多い順)
  1. モンゴル:72.8回
  2. ブータン:63.1回
  3. シンガポール:55.0回
  4. 中国:25.3回
  5. 香港:24.4回
  6. インド:12.9回
  7. 韓国:8.6回
  8. ネパール:8.6回
  9. インドネシア:8.3回
  10. マレーシア:5.9回
  11. 日本:4.8回
  12. ミャンマー:3.3回
  13. タイ:2.9回
  14. フィリピン:2.4回
  15. ベトナム:0.9回
  16. 台湾:0.8回
……となって、日本はやはり下から数えたほうが早い。
しかし、よく見ると感染防止対策を絶賛され、実際に死者数も100万人あたり0.5人しかいない台湾が最下位なのだ。
日本が100人あたり4.8回なのに対して台湾は0.8回。5分の1以下である。
それなのに100万人あたりの死者数は日本が91人に対して台湾は0.5人。日本は台湾の182倍である。
台湾やモンゴルは今までほぼ完全に感染を押さえ込めていたが、ここにきて、おそらく変異株の影響があるかと思うが、急に感染者、死者が出てきたため、急遽ワクチン接種政策を進めている。

↓国:100万人あたりの死者数(累積)、100人あたりの接種回数、100万人あたりの検査数
  1. インド:197人、12.9回、226,213人
  2. インドネシア:174人、8.3回、56,252人
  3. フィリピン:173人、2.4回、113,832人
  4. ネパール:169人、8.6回、93,640
  5. 日本:91人、4.8回、103,731人
  6. モンゴル:62人、72.8回、850,497人
  7. ミャンマー:59人、3.3回47,540人
  8. マレーシア:58人、5.9回、320,936人
  9. 韓国:37人、8.6回、182,298人
  10. オーストラリア:35人、11.1回、681,057人
  11. 香港:28人、24.4回、1,965,735人
  12. タイ:8人、2.9回、116,148人
  13. ニュージーランド:5人、7.9回、416,339人
  14. シンガポール:5人、55.0回、1,772,663人
  15. 中国:3人、25.3回、111,163人
  16. ブータン:1人、63.1回、957,402人
  17. 台湾:0.5人、0.8回23,948
  18. ベトナム:0.4人、0.9回31,514
(↑青字は日本よりワクチン接種率が低い。緑字は日本より検査数が少ない。)
これを見る限り、ワクチン接種率と死者数は比例していないように見えるが、ワクチン接種開始前に医療崩壊などで一気に死者が出たケースが多いだろうから、累積の死者数との比較ではなく、今後の動向を注視しなければならない。

モンゴルの今後の動向が気になる

特に気になったのは、昨年まで死者数ゼロだったモンゴルが、ここにきて突然、感染者数も死者数も増え始めたことだ。

モンゴルの新型コロナ感染者数↑と死者数↓の推移グラフ。(worldometersinfoより


モンゴルが今までCOVID-19での死者ゼロだったのは、草原地帯などが多く、人口密度も低い国内にウイルスが入ってきていなかったからだろう。それが一気に感染が広がったことの背景には、何らかの変異株が入ってきて、今までの均衡を破ったのではないかと疑う。同じモンゴロイド系人種の国でのことだけに、今後どうなっていくのかが非常に気になる。
モンゴルは感染者が出てきた今年2月から急遽ワクチン接種に乗り出し、急ピッチで接種人口を増やした。上記データによれば、目下人口100人あたりの接種回数は72.8回で、アジア圏諸国の中でも断トツトップである。そのため、感染者数は減ってきているが、今後、もし感染者数や死者数が下がりきらずにあるレベルでダラダラ続くとしたら、日本にとっても大きな不安材料になる。

医療体制の改革と水際対策の徹底が急務

これらのデータから読み取れることは、ファクターXがほぼ同じ国であれば、死者が増えるかどうかは、感染拡大を抑えられるか、医療崩壊を防げるかにかかっているということだ。
つまり、COVID-19で重症者・死者を出さないための最大の施策は水際対策の徹底と感染防止の努力、そして医療崩壊を防ぐことだろう。
マスクをするとか密を避けるといった努力は国民一人一人の意識で対処できるが、水際対策や医療体制のほうは国民サイドではどうにもならない。
水際対策、感染防止策がこれだけルーズな国で10万人規模の入国者が大都市に集まる東京五輪を開催するのは、世界に対して無責任だと非難されても仕方がない。
最近、スポーツ競技会開催における感染防止策として「バブル」方式という言葉をよく聞くようになった。
競技会開催中、選手を「泡(バブル)」の中に包み込むように外部との接触を完全遮断するというものだ。
チームごとにホテルのフロアを貸し切り、食事も練習も別時間、別空間にして混じらせない。ホテルの各フロアには警備員を配置して選手や関係者が無断で出入りしないように見張る。
しかし、オリンピックのような大規模な大会でこれが可能だろうか? 仮にできたとしても、それはもはや「平和の祭典」「国や人種の垣根を越えた国際交流の場」とはほど遠い、囚人の護送のような風景になってしまう。
そんな大会にわざわざリスクを冒してまで出たくないと、出場を拒む選手も続出するだろう。そうなれば「世界最高レベルのスポーツ大会」でもなくなる。
こうした視点での議論もあまりなされていない。
オリンピックを中止しろ、いやそれはヒステリーだ、といった二項対立を煽るのではなく、きちんと「開催できる可能性と条件」「この状況下で強行する意義」について、データに基づいた論理的議論をしてほしいものだ。

認知症高齢者、基礎疾患のある高齢者へのワクチン接種を再考せよ

最後に、前回も書いたことだが、特養などの介護施設に入っている認知症の超高齢者に「機械的に」ワクチンを打つのは人道に反すると私は思っている。
前回も掲載したが、厚労省が公開している「新型コロナワクチン接種後に死亡として報告された事例の一覧(令和3年2月17日から令和3年5月7日までの報告分)」の中に見られる、認知症や心不全、脳梗塞歴を持つ高齢者の死亡例をもう一度見てほしい。
  • 102歳 女 2021年4月12日接種 4月16日死亡 基礎疾患:誤嚥性肺炎、慢性心不全(大動脈弁狭窄症兼閉鎖不全症、三尖弁閉鎖不全症)、マインベース・テオロング・アムロジピン・テルミサルタン(を内服) 死因:誤嚥性肺炎、気管支喘息、心不全
  • 90歳 女 2021年4月20日接種 4月22日死亡 基礎疾患:心臓病、高血圧、大動脈解離(H24)、心房細動(R3)、脳梗塞、骨粗しょう症、バイアスピリン、リセドロン等内服 死因:急性心不全、心筋梗塞等
  • 101歳 女 2021年4月23日接種 4月26日死亡 基礎疾患:高齢、高度アルツハイマー型認知症 死因:心肺停止
  • 90歳台 女 2021年4月19日接種 4月20日死亡 基礎疾患:不明 死因:老衰
  • 92歳 女 2021年4月26日接種 4月28日死亡 基礎疾患なし 死因:老衰
  • 91歳 女 2021年4月27日接種 4月27日死亡 基礎疾患:アルツハイマー型認知症、慢性心不全・陳旧性心筋梗塞(3年以上前)、胆のうドレナージ術後(2021年1月) 死因:心肺停止
稀ではあるが、新型コロナワクチンの副反応の中でもいちばん危険だと疑われているのは、抗体反応と関係して血栓ができ、心不全や脳卒中などを起こして急死するというものだ。それなのに、ただでさえ抵抗力のない超高齢者にワクチンを機械的に打つのは、どう考えても間違っていると思わざるをえない。
例えば、終末期にある認知症高齢者が大腿骨骨折した場合、手術を受けさせるべきか、誤嚥性肺炎を悪化させて口から食事が取れなくなったとき、経管栄養を施すべきか。そうした難しい問題に完全な正解はない。本人がすでに判断力を失い、寝たきりに近い状態の場合、医師や家族が代わりに決断しなければならない。本人がいかに苦しまず、穏やかな終末期を過ごせるかを考え抜いた末に決めなければならない。
そうした苦労を無視するかのように、「国が早くワクチンを打てと言っているから打つ」という姿勢はどうなのか。介護や医療現場の思考停止につながりかねないのではないか。

また、日本でワクチンの副反応と疑われる死亡例や重篤化例が目立つのは、欧米人と同じ量を打っていることも一因になっているのではないかという指摘をする医師もいる。副反応の重さや報告例は1回の接種の量に比例するというデータもあるそうで、平均体重が欧米人よりも軽い東アジアの人たちには欧米での量と同じでは過剰なのではないかというものだ。確かに、超高齢で体力もなく、体重も軽い人がほとんどの高齢者施設入所者などに大柄な欧米人と同じ量をそのまま打ってしまっている現状は問題がありそうだ。
終末期にある高齢者たちが、ていねいな介護のもとで穏やかな終末期を過ごす権利を奪われるようなことにならぬよう、慎重な対応が求められる。
ともかく、医療従事者を含めて、ワクチン接種は自由意志に基づくという大原則の厳守、ワクチン差別をさせない広報と共に、早急に考えてほしい課題である。



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