そして私も石になった(12)戦争と虐殺2022/02/14 19:42

戦争と「虐殺」の違い


「戦争より効率的な方法?」
 俺は問い返した。

<少し考えれば分かることだけれど、それを教える前に、ひとつ確認してほしいことがある>

「なんだ?」

<戦争と虐殺はGの計画を遂行していくための手段として使われてきたという話をしたわけだけど、戦争と虐殺の違いはなんだと思う?>

「戦争と虐殺? 戦争は大量殺戮だけど、虐殺は数の問題ではないということか?」

<いや、違う。戦争は大量殺戮でもある場合が多いけれど、殺す数が問題なのではない>

「じゃあ、戦争は広義の虐殺に含まれるということか?」

<いや、それも少し違う。
 戦争も虐殺も、殺す側と殺される側がいる。
 戦争は殺し合いだけれど、虐殺というのは無抵抗の相手を一方的に殺すことだ。
 ただ、日本語の「虐殺」という言葉には、殺す手段が残酷だという意味が含まれている。私が今から説明したいのは「手段にかかわらず、無抵抗の人間を殺戮する」ことについてだ。そういう行為をうまく表現できる言葉が日本語には見あたらない。言葉が存在しないということが、すでにある種計算されたことなんだが、それを意識する人はあまりいないね。
 例えば、太平洋戦争での日本軍の死者は、戦闘によって殺された数よりも、司令部が、兵站(へいたん)補給の目途がたたないのに無茶な行軍をさせたり島に置き去りにしたりして、兵士を大量に餓死、病死させた数のほうがはるかに多かった。これは「無抵抗の人間を殺戮する」行為だが、死の行軍や玉砕を「虐殺」と呼ぶ人は少ない。
 特攻隊のように、死を強制した命令も同様に「無抵抗の人間を殺戮する」行為だ。
 死の行軍や玉砕や特攻で死んだ者たちは、生き延びる方法があっても命令に従うことで死んだ、つまり殺されたわけだね>

「それはその通りだ」

<こうした「殺し方」も、他に適当な言葉が見つからないので、ここでは便宜上「虐殺」と呼ぶことにしたい。
 戦争は相手を屈服させ、相手の所有物や労働力を支配下におくこと、あるいはそういう侵略行為から自分たちが今営んでいる社会を守ることが目的になる。しかし、虐殺では単に人が死ぬという結果だけが残る。
 だから、まとまった数の人間を殺すことが目的の場合、戦争よりは虐殺のほうが効率がいい>

「殺すことそのものが目的だというのか? それなら、やはり玉砕や特攻は違うんじゃないか?」

<そうかな? 玉砕や特攻の直接の命令を下した者たちにとっては違うだろう。でも、馬鹿な司令官も単なる「手段」であって、そういう状況を生み出すことを望んだ意識が他にあるとしたら?>

「ああ……それがGだというわけか……」

<そういうことだね。人間をコントロールすることができると証明したい。まとまった数の人間を消去したい。そういうことが目的なら、ものの見方が全然変わってくるだろう?
 分かりやすくいえば、そういう意図を持ったGにとっての「虐殺」という手段について、私は今話しているんだよ。

 さて、虐殺が成立するにはいくつか条件がある。4つほどあげてみよう。

1)相手を油断させる
 殺されるはずがない、死ぬはずがないと思わせること。
 第二次大戦後にも世界中で戦争が起きたけれど、ヨーロッパでは1992年に起きたボスニア内戦は大規模なものだった。
 当時、ボスニア・ヘルツェゴビナの人口は約430万人。この内戦で20万人が死んで、200万人が難民になった。
 このとき、大規模な虐殺も起きたんだが、虐殺された都市の市長は、既に街がユーゴスラビア連邦軍の戦車で囲まれているのに「この街で攻撃が始まるとは考えられない」と言っていた。多くの市民もそれを信じた。
 これは災害時には「正常化バイアス」なんて呼ばれたりもする。津波が来るぞ、と警告されても、まさかここまでは来ないだろうと思い込もうとする。
 身体に悪いものを与えられても、権威ある者や組織が「これは安全が証明されている」といえば、他に「いや、危険かもしれない」と警告する者がいても、その意見は無視してしまう。

2)抵抗する手段を持たせない
 殺される側が、何かがおかしいんじゃないか、自分たちはもしかして殺されるんじゃないかと気づいたとしても、抵抗できないようにしておく。
 相手が武器を持っていたら、まずは武器を取り上げたり無力化させてから殺す。
 やはりボスニア内戦を例にとれば、ユーゴスラビア連邦軍がイスラム系住民を包囲した時、まず武器をすべて手放すように説得して成功した。
 「武器」は必ずしも兵器という意味ではない。言論や情報発信というのも強力な武器だ。
 抵抗しようとする者が、それは違う、おかしい、瞞されるな、と意見や情報を発信しようとしても、メディアを有効に使えなければ無力だ。有力なメディアに、反対意見を排除するように命じることができれば、簡単に情報統制ができる。これは武器を奪うことと同じだね。

3)恐怖や誘惑を植えつける
 これは関東大震災での虐殺ですでに説明したとおりだ。あらかじめ「朝鮮人は何をするか分からない恐ろしい連中だ」と思い込ませ、恐怖を植えつけることで扇動しやすくしておく。
 さらに、殺される側に、殺す側を味方、あるいは自分たちを守ってくれる保護者だと思い込ませれば、簡単に大量殺戮ができる。
 ボスニア内戦では、ユーゴスラビア連邦軍はイスラム系住民を「安全区域に送り届ける」と誘惑してトラックやバスに乗せ、そのまま虐殺した。
 身体に悪いものを、栄養剤だとか健康食品だといって与えていけば、すぐには死ななくても、時間が経てば病人が増えて死ぬ者も増える。

4)大義名分と同調圧力
 これも、関東大震災での虐殺の例で説明済みだね。朝鮮人狩りをした自警団の人々は、自分たちは「お国が非常時の時に、危険を排除するために奮闘した」と胸を張っていた。そう言って虐殺に走る連中をおかしいと分かっていても、異を唱えると自分の身が危ないと感じて、多くの人は、その場の空気に従った。
 ナチスのユダヤ人大量虐殺にしても、明治から太平洋戦争敗戦までの日本にしても同じだ。大衆は、国の指導者がおかしいと薄々気づいても、同調圧力に逆らえなかった。「お国のため」「自分や家族の安全を守るため」という言い訳を大義名分にして、自分たちの行動を正当化し続けた。

 ……とまあ、4つほど条件をまとめてみた。まずはこうした仕組み、構図をしっかり頭に入れておかないと、ここから先の話はなかなか通じないかもしれない。
 いいかな?>

 Nは完全に教師のような口調になっていた。いや、口調といっても、実際の音声ではなく、俺の頭の中にそんな風に響いていた、ということなのだが。
 俺は黙って頷いた。
 ……これも変な表現だな。首を実際に縦に振ったわけではない。脳内で無言の同意を示した、というようなことだ。

           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス




Facebook   Twitter   LINE

そして私も石になった(11)戦争の持つ意味2022/02/14 19:41

戦争が持つ意味


「ひとつ提案がある」

 しばらく続いた沈黙の後、俺はNに言った。

<はいはい。なんでしょうか?>

「あんたがずっと『彼ら』と言っている連中のことを『神』と呼ぶのはどうにも気分が悪い。俺たちが一般に『神』という言葉で言い表そうとしているものとはあまりにもイメージが違いすぎる。だから、ここからは単に『』と呼ぶことにしないか?」

<God のGかな?>

「なんでもいい。ゴブリンのGでもゴキブリのGでも。あまりイメージを持たせたくないための単なるGだ」

<いいね。ではそうしよう。
 では、Gと人間の関係についての話を再開してもいいかな?>

「ああ。続けてくれ」
 脳の内側にべっとりと疲労の膜がこびりつくような嫌な感覚を覚えながらも、俺はそう答えた。
 Nは話を続けた。

<さてと、ここまで説明すれば、人類史が戦争を繰り返した歴史だった理由も分かるだろう?>

「分からないな。自分たちが生存するための文明社会を築くのがGの最終目的なら、破壊を繰り返す戦争は無駄なように思うけれどね」
 俺はあまり深く考えることもなくそう答えた。

<無駄……そうかな? 戦争がまったくない世界だったら、人間は今も原始時代とあまり変わらない暮らしをしていたと思わないかい?
 農耕や狩猟などで適度な衣食住を得て穏やかに暮らす人間社会。他の動物と同じように、環境に適合できなければ死んでいき、適当な数が生き延びる。
 もちろん、緩やかな進歩はあっただろうね。頭のいい者が農耕の技術を考えついて他の者たちに教え、それが広まって……といった変化は。
 でも、農耕の技術を手に入れると、必要以上に土地本来の力を収奪してしまい、再生産ができなくなる。古代文明の発祥地はみな砂漠になっているだろう? 土地から収奪しすぎて、土地が痩せ、塩化したからだよ。
 神は……おっと失礼。Gは、そうした失敗も、当初は辛抱強く見守っていた。痺れを切らして介入することもあったけれどね。
 それでも人間は何度でも同じ失敗を重ねる。そこでGは、人間同士戦争をさせることで技術革新の速度を上げることにした。
 戦争を繰り返すたびに、技術革新が進んでいった。産業革命後の第一次大戦、第二次大戦での科学技術の進歩と工業生産力の増大は今さら言うまでもないだろう?>

「それはそうだな」

<それと、戦争は技術革新だけでなく、経済力の増大や一部の人間への富と権力の集中、人口調整という働きもする。
 これも説明は不要だね?>

「富と権力を一部の人間に集中させると、Gにとってどういういいことがあるんだ?」

<簡単さ。技術革新や社会の変革が効率的かつ急速に行えるという利点だね。
 頭のいい人間が現れ、テレビというものを実現する原理を考え出したとしても、それを実際に作るには金がかかる。大量に作って社会に普及させるには、さらに金と労働力が必要だ。富と権力が集中していなければ、そうした過程が効率的に進まない。
 誰もがテレビを所有し、楽しめる社会が到来しても、ほとんどの人間はテレビを作る技術を知らないし、たとえ知っても、それを製造する工場を作る金を持っていない。だけど、誰かが作った工場で働くことはできて、そこで得た賃金でテレビを買い、テレビのある生活に浸る。
 テレビのある社会では、テレビがなかった社会よりもはるかに効率的かつ強力に人間を動かせる。人間を容易に動かせるようになれば、Gが望む計画を効率よく進められる。
 人間の社会を急激に変化させる方法はいろいろあるが、戦争や虐殺という手段も使われてきた。
 戦争や虐殺を起こさせるにはどうすればいいか。これは関東大震災のときの虐殺事件を例にとってすでに説明した通り「準備」と「スイッチの点火」だ。
 自分たちとは違うグループの人間に対する恐怖、不満、不安、鬱憤、差別意識、あるいは権力への服従や同調圧力を蓄積させる。これが「準備」だね。
 準備が整ったところでスイッチを入れる。準備にもスイッチ点火にも、教育とメディアが重要な役割を果たす。
 多くの人間は、戦争を特別なものだと考えがちだ。戦争は悪だ、非人間的だ、人道に反している、人類に愛を説く神に対する大罪だ……と。
 しかし、Gにとっては計画を遂行するための手段のひとつにすぎないし、そもそも戦争ほど「人間的」なものはない>

「だけど、戦争によって進みすぎた科学技術の弊害もあるんじゃないのか? 第二次大戦ではついに核兵器が使われたけれど、あれは一歩間違えば地球ごと破滅させられるようなものだ。そんなものを人間に持たせるなんて、Gにとっても危険なんじゃないのか?」

<ああ、それは第二次大戦後、世界中で声高に叫ばれてきたことだね。核兵器によってこの世が終わってしまうんじゃないかと。実際、Gは過去に同じ失敗をしているからね>

「同じ失敗?」

<そう。「洪水」の寓話に込められた失敗の中には、アダム型生物やネフィリムを使って技術革新を急がせすぎた結果、核爆発でそれまでに作った文明社会の卵が吹っ飛んだという痛い失敗も含まれている。
 古代の核爆発は、地球規模のものではなく、文明を築くための実験都市をひとつ失うという程度の規模だったからまだやり直しができた。
 しかし、今は人間が世界中にまんべんなく文明社会を作っているから、それを全部巻き込むような規模で核兵器を使った第三次世界大戦が起きてしまったら取り返しがつかない。それではGも困る。
 だから、第二次大戦の最後にヒロシマ・ナガサキを押し込んだ。こういう規模の破壊が起きるんだぞと人間に教えるためにね>

「ひどい話だな」

<その後、核兵器によって世界は滅んでしまうかもしれないという一大キャンペーンを広めたのもGの計算のうちだ。
 核開発というのは、Gにとっては兵器を作らせることが目的ではない。でも、原子物理学の知識や技術を進めることは必要なことだった>

「核をエネルギー源として使うためにか?」

<原子力発電のことを言っているのか? あんなものはただの蒸気機関の一種だよ。お湯を沸かしてその蒸気で発電機を回しているだけのものだ。科学技術としてはものすごく原始的だ。
 そんなくだらないことではない。人間に原子の世界を見せること、原子や電子といった極小の世界を教えることで、人間が物質を操作する力を飛躍的に向上させることが目的だった。
 核開発は、高度な電子工学、生命科学といったものにつなげるためには通らなければならない「橋」だったんだ。
 だから、その橋を渡った後には、あまり価値はない。
 核だけでなく、戦争を技術革新の手段にするという方法は、ある段階から徐々に不要になる。もっとずっといい方法があるからだ>

「戦争よりもずっといい方法?」

<そう。戦争よりずっと効率的な方法だ>
           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス




Facebook   Twitter   LINE

そして私も石になった(10)神の計算と誤算2022/02/14 19:39

神の計算と誤算


 しばらく沈黙があった後、俺は気を取り直してNにこう訊ねた。
「さっきあんたは、神の計画は今のところ概ね(ヽヽ)うまくいっている、と言ったね。概ね、ということは、完全にはうまくいっていないということか? このまま神の計画が最後までうまくいかない可能性もまだ残っているのか?」

<お、そうきたか。
 そうだね。もちろん神は完全じゃない。実際、初期の頃のアダム計画では失敗して、その後、「洪水」というやり直しを試みている。
 聖書に書かれている「洪水」とノアの方舟のくだりは寓話化されている。実際には、アダム型人間やネフィリムを中心にした人間社会が複数存在していたんだけれど、どれも技術的な発展を急ぎすぎて自滅してしまったんだ。
 いわゆるオーパーツと呼ばれる遺物は、そうした「失敗文明」の遺物だ。
 そうした失敗例と、それを清算するために完全にその社会を消してしまったといういくつかの歴史をまとめて「洪水」の話として残したんだよ。
 当初、神は人間をアダム型生物の下で働く労働力としてつくったんだが、いくつかの失敗例に学んだ後、今度は人間を主役にして、時間をかけて技術インフラを作り直すことにした。人間の能力は低いけれど、その分、コントロールしやすい。時間をかけて育てれば、かなりのレベルまでいけると読んだんだね。
 そんな風に、神が行った方針の変更や細かな軌道修正はいろいろある。神も学習しながらやり方を工夫しているんだよ>

「具体的にはどんな風に?」

<いちばん大きな方針変更は、今言ったように、人間をコントロールする役割を、人間に担わせたことだね。
 人間の上にアダムのような上位生物種を置くのではなく、人間の中から人間社会をコントロールする人材を育てる。そのほうが計画がうまく進むということを悟ったんだ。
 アダムやネフィリムのような、人間から見て明らかに自分たちの能力を超えた生物種を監督役として据えると、人間は頑張らなくなる。努力しても自分たちはこの世界では二番目の地位にしかなれないからね。
 しかし、人間たちが世代を重ね、数も増えていくと、人間の中に突出した能力を持つ者も出てくる。そうした人材をうまく利用して、人間社会の中にさらに支配者と被支配層を作ったほうが、社会は変化しやすくなる
 もう忘れたかもしれないけれど、きみが生まれた年に日本で起きた関東大震災のことを思い出してくれ。あのときに民衆の間で起きた集団虐殺事件がどのような構図で起こったのかという話を。
 ああいう集団行動は、人間の上にはっきりと目に見える上位生物種がいて、その生物種が管理している社会では起こりにくい。支配されている者たちが尻込みしてしまうんだ。
 人間が犬の群れに向かって、さあ、殺し合いをしろと命令しても犬の群れは動かない。普段の行動パターンにない行動を集団で起こすことは怖いし、その動機も持ち得ないからね。
 でも、犬の群れの中にリーダー犬がいて、その犬が号令をかければ群れは一斉に動き出す>

「そんなものかね」

<そんなものだよ。実際、人間社会はそうなっているじゃないか。
 というわけで、ここまで神は概ねうまくやってきた。
 でも、人間は100パーセント神が計算した通りの生物ではなかった。
 人間には、アダム型生物やネフィリムとは違って繁殖力を残すために、もともとの地球型生物の要素を多く残した。その結果、人間という生物種の中に、神にとっては予想しなかった、計算外な要素も含まれたんだ>

「人間の中の計算外の要素? どんなものだ?」

<例えば芸術。
 神もかつては美術や音楽といったアートを楽しむ精神性を持っていたと思うんだが、科学技術や生命科学を極度に発展させていくに従って忘れていったんだろうね。科学技術の発展にはあまり必要のないものだったからだ。
 しかし、人間は地球型生物をベースにしていて、本来の要素を濃く残していたから、神が持っていた知能などの要素を植えつけたことにより、他の地球型生物や神自身が失っていた「芸術を楽しむ」という要素が生まれた。
 例えば、絵を描くという能力は科学技術を発展させるためには不可欠な能力だ。精密な設計図を描いたり、生物の解剖図を描いたりする器用さがなければ高度な科学技術を獲得することはできない。神はもちろんそれが分かっていたから、人間が器用な指先を持つことは最重要の要件としていた。
 しかし、人間はごく初期の段階から、そうした「絵を描く技術」「物を正確に造形する技術」とは別の要素を楽しむ心を持つようになった。古代の壁画とか彫刻を見れば分かるだろう? 正確無比に描こうと思えばできるのに、わざとデフォルメしたり、現実とはかけ離れた彩色を施したりした。そうすることを楽しみ、そこに一種のかっこよさ、快感を感じるようになった。これがまさに「アート」の根源だね。
 神は人間たちがアートを楽しむのを見て驚いた。自分たちがとっくの昔に忘れてしまったものを見せつけられたからだ>

「神には芸術は分からない?」

<分からないというよりは、楽しめないというべきかな。
 もちろん、アートを分析したり、理論立てたりすることはできるんだよ。例えば、音楽なら、音の周波数で耳に心地よい和音をつくる法則とか、造形なら、バランスのよい長さや面積の比率とか。
 ダビンチが描く絵画や様々な装置の設計図なんかはそうした合理性や完成度という面では極めて神の価値観に近いものだよね。
 ところが、人間はごく初期の時代から、アブストラクトな美的感覚を持つ者が現れ、アートの世界を楽しんでいた。
 音楽も、完全な和音よりも緊張感を持った和音をカッコいいと感じるような者が出てきて、ジャズみたいなものが生まれた。
 こうしたことは、神には計算外だったんだよ>

「計算外なら、排除しようとはしなかったのか?」

<それは単純すぎる。神はもっとしたたかだよ。
 無理に排除して人間の精神にストレスを溜めるより、利用したほうがいい。
 彼らは人間が楽しんでいる様々な芸術や娯楽を徹底的に分析し、それを人間をコントロールする道具に使うようにした。
 芸術そのものは科学技術の発展に必要のないものかもしれないけれど、芸術を利用して人間の創造力や目的遂行への集中力を高めることができる。
 それだけじゃない。麻薬のように使えば、神にとって都合の悪い真理を悟られずに、神が人間を向かわせたい方向にだけ進んでいく自動操縦の道具のように操れる。
 そういう目的に芸術や娯楽を使うのであれば、芸術を生み出す人間はごく少数でいい。残りは芸術や娯楽に耽溺し、消費するようにする。
 産業革命以降、印刷、録音、再生、放送といった技術が発展するにつれ、神のこの作戦は面白いように成功していった」

「ふうう……」
 俺は思わず大きなため息をつき、天を、いや、部屋の天井を見上げてしまった。

           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス




Facebook   Twitter   LINE

そして私も石になった(9)聖書の「契約」とは?2022/02/14 19:37

聖書の「契約」とは?


「あんたはさっき、聖書の中身はかなりグチャグチャだけど、概ね二つのことが共通して語られていると言ったね。ひとつは『神は自分の姿に似せて人間を作った』ということで、その意味は大体分かった。もうひとつというのは何だい?」

 俺はNに訊いた。
 俺が話に乗ってきているので、Nは機嫌よさそうにすぐ答えた。

<もうひとつはいわゆる「神と人間との契約」だね>

「どんな契約なんだ?」

<端的に言えば「この世界は必ず終末を迎える」ということさ。
 今ある「世界」は一旦滅びる。それは神が決めたことで動かしようがないことだから、人間はそれを受け入れなければならない。そして、その終末をしっかり……神の計画通り迎えるために人間は努力しなければいけない、という内容。これが神と人間の間に交わされた「契約」なんだ。その神の計画を手伝う人間ほど神への忠誠心があるわけで、神に愛される>

「世界が終わってしまったら、神も困るんじゃないのか?」

<いや、困らない。
 終わらせる「世界」というのは、人間から見た世界、人間が主役の世界のことだ。地球が爆発して消えてしまうとか、そういうことじゃない。
 もっと分かりやすくいえば、「人間が支配する世界」は終わる、という意味だ。
 人間は神のために動く労働力であり道具なのだから、世界の最終的な支配者にはなれない。神が望んだ仕事をし終えたら、人間の社会は終わり。でも、それまでは、人間に効率よく働いてもらうために、人間がこの世界を支配していると思い込ませる必要がある。
 あるいは、人間は神の(しもべ)であって、神のために行動することが最高の善であると信じ込ませる。
 前者は唯物論や物質主義、後者は宗教というもので言い換えられるかな。彼ら(ヽヽ)はその両方をうまく使って、人間をコントロールしてきたんだ>

「神が人間にさせたかった仕事というのは?」

<それは今まで説明してきたことを踏まえれば、簡単に想像がつくだろう? 一言でいえば、物質文明を発展させることさ。
 神がこの星に持ち込めた道具や資材は極めて限られていた。神がかつて築いたような文明社会を築くためには、金属やエネルギー資源の発掘と、それを使った工業製品の生産が必要だ。
 資源は地球の地下にたっぷりある。しかし、それを取りだして、高度な工業製品を作るだけの肉体を神は持っていない。人数もまったく足りない。
 代わりに働かせようと思って作ったアダムなどの初期型改造生物種は、繁殖ができないという欠陥品だった。
 そこで、一旦リセットし、時間がかかってもいいから、人間という種を成長させて、神が棲む場所にふさわしい高度な物質文明を築かせることにした。
 人間に地下資源の存在やその活用法を知らせるのには長い時間がかかった。でも、一旦スイッチが入れば、そこからは一気に加速していく。
 古代文明から産業革命までは数千年かかっているけれど、産業革命から現在まではあっという間だっただろう?
 彼らの計画は今のところ概ねうまくいっているんだ。
 で、そろそろ計画の最終段階にきている。役割が終わったら、人間には退いてもらう。神が使いやすい道具としての数と品質を残せば、あとはいらない。不良在庫として処分される>

「穫れすぎた野菜が廃棄されるようにか? 俺たちは野菜と同じか。恐ろしい話だな」

<いい喩えだね。そう、人間も他の生物に対してはまったく同じことをしている。神が無慈悲で残虐だとか思うのは人間の勝手な思い違いだね。神は自分たちの生存をかけて真剣に行動しているのだから。
 娯楽のために他の生物を殺す人間のほうがよほど残虐でとんでもない生き物だよ>

「神はやむにやまれず大量殺戮もするというのか?」

<人間だって逆の立場なら同じことをなんの躊躇もなくするだろう。その証拠に、宇宙戦争とか怪獣ものの映画とかでは、人間の生存を脅かす他の生物種を殺すことは当然であるだけでなく、正義であり、美しい愛の行為であるとさえ描かれる。
 神や人間の世界では、正義とか悪といった概念は相対的なものだ。どちらが主役か、という視点の違いによって逆転する。
 そもそも「やむにやまれず」とか、そういう表現がすでに人間的というか、情緒的だよね。そうした感情は、結局のところ、自分たち人間がこの世界で最も「生きる価値」を持った存在だという思いこみから生まれている。
 神はもっとずっと合理主義だ。そうすることが合理的、効率的だからする。それだけのことなんだ>

 俺はそれ以上反論する気にはなれなかった。
 どんどんNの言い分、世界観に巻き込まれていく。
 いいようのない虚無感、無力感に包まれていくのを感じていた。

           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス




Facebook   Twitter   LINE

そして私も石になった(8)アダムは失敗作だった2022/02/14 19:34

アダムは「失敗作」だった


「アダムやセツが個人の名前ではなくて『神』が実験的につくりだした生物種の名前で、その何代目かがジェットへりみたいな乗り物を操るくらいの知能や技術を持つに到った……そういう話だよな。それなら、人間なんて必要ないんじゃないのか、と」

 俺はNの言葉をほとんどそのまま繰り返した。自分がしっかり理解するために必要だったからだ。

<そういうことだね。
 「神」がこの星以外のどこかからやってきて、この星で生存したいというだけなら、人間なんて必要ない。
 神が草食なら、草木が生えているだけでいい。肉食なら、牛や豚のような家畜がいればいい。しかも、アダムのような「使える」生物もつくることができた。それで十分なはずだよね。それ以上、中途半端に知恵をつけた人間のような生物をつくったら、生態系のコントロールが面倒なことになりかねない。
 それなのに、彼らはアダムよりも能力的にずっと劣っている人間という生物種もつくった。なぜだと思う?>

「多くの労働力が必要だったんじゃないか? アダムやセツだけでは足りなくて、その下で働く単純な労働力が」

<おお、素晴らしいね。そういうことだよ。足りなかったというより、アダムは失敗作だったんだ。
 アダムには生殖能力が備わらず、自分たちだけで繁殖できなかった>

「聖書に書いてあるように『産めよ増やせよ』と神が言っても、それに応えられなかったと?」

<そうなんだ。これはもう、致命的だろう?
 聖書は実に混沌とした内容で、読み解くのがやっかいだけれど、よく読めば、二つのことが共通して語られていることに気づくはずだ。
 ひとつは『神は自分の姿に似せて人間を作った』ということ。
 これには、すでにきみも気づいていると思うけど、今で言うクローン技術や遺伝子工学といったものが使われている。
 同じ遺伝子情報を持つ肉体を再生産できるなら、生殖行為によって子孫を増やす必要がなくなる。優秀な遺伝子だけを選んで残していくこともできる。
 「神」自身が自分たちの寿命を延ばすためにもそうした生命工学を駆使してきた。
 その結果、彼らはクローンで肉体を再生産しすぎて、性差というものをほとんど失ってしまった。
 性を決定するXとYの性染色体のうち、Y染色体は、X染色体に比べると欠損が多く、情報量が減ってきているというのは知っているかな?>

「ああ、なんか聞いたことはある」

<女性はXXで、同じ染色体が二つなので、一つに欠損ができてももう一方が補える。でも、Y染色体は常に一つしかないので、欠損が起きたときに補ったり修正したりできないまま次の世代に引き継がれやすい。その結果、長い時間を経ていくと、情報量がどんどん減ってしまうんだよね。
 ましてやクローンで肉体の再生産を繰り返していくと、コピーのエラーが積み重なって、全体的には劣化する。
 コンピュータのデータファイルはデジタル信号だから完全なコピーが作れるけれど、何回もコピーしていくうちにエラーが増えていって、気がつくとデータがあちこち壊れてしまっているというのと同じ理屈さ。
 自然な生殖行為による生物種の維持も、Y染色体のコピーエラーが重なっていくことによって男の生殖能力は全体的に少しずつ落ちていく。最後は子孫を残せなくなって、種が絶滅する。
 個々の生物に寿命があるように、生物種全体にも寿命がある。その宿命からは、なかなか逃れられないのさ。

「神もそういう運命をたどったというわけか?」

<そういうことだ。「神」の肉体はひ弱なんだよ。絶対的な生存数も少ない。
 彼らは自分たちの種としての寿命を延ばすために新天地を求めてこの星にやってきた。でも、この地球上に自分たちがかつて築いたような物質文明社会をゼロから再構築するには、屈強な肉体とまともな繁殖力を持つ生物が必要だった。
 アダムはもともとこの地球にいた生物を改造して自分たちの肉体に近づけた試作品だったんだけど、うまくはいかなかった。生殖能力が弱くて、普通には増えてくれない。だからアダムのクローンを作った。それがセツだね。
 創世記第五章に「アダムは130歳になったとき、自分の形に似せた男の子を産み、セツと名づけた。アダムはセツを生んだ後、800年生きて、他に男子と女子を産んだ」という記述があるのを思い出してくれ。そんなに長く生きて、産んだ子供はたったの3人かい、って思わなかった?>

「そうだよなあ。930年で3人じゃあ、子孫がなかなか増えていかない」

<実は、その「産んだ」というのは古代人の理解に合わせた表現でね。アダムが「自分の形に似せた男の子を産んだ」というのは、神がアダムのクローンを作ったということなんだ。
 アダムには神の遺伝子が入っているので、神ほどではないけれど長命なんだが、生殖能力はなかった。豹とライオンを交配させてできたレオポンが繁殖できないというのと同じだね。
 そこで、アダムのクローンを作った後、神はアダムの肉体を使ったクローンをさらに改造して、男女の性差をつけようとした。
 そういう実験を初期の頃は繰り返していたんだね。それを伝えているのが創世記第五章なんだよ。
 何百歳まで生きたとか、何年目で子供を産んだというのは、つくり出したその生物種の寿命や、子孫を残せるか、残せそうもないと分かって、やむなくクローンを作ったが、その時期はいつかといったことが重要だから書いている。
 ついでにいえば、創世記第六章は有名なノアの方舟の話が中心なんだけれど、洪水の話になる前に「ネフィリム」という興味深い生物の話がチラッと出てくる。
さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
そこで神は言った。
「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから」
こうして、人の一生は120年となった
当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちと交わって産ませたものであり、大昔の名高い英雄たちであった。

 ……面白いよね。アダムから始まった改造生物種がその後どうなっていったかがうかがい知れる記述だ。
 「神の子」と複数形で書いているから、初期型の改造生物種に何度も手が加えられ、実験が繰り返されるうちにある程度の数になっていたことが分かる。それらが人間の女性と性交し、子供を産ませたということだね。そうして生まれたのがネフィリム。「天から落ちてきた者たち」という意味だ。
 実は、アダムからつくった最初の子であるセツはクローンなんだが、その後、800年生きて生まれた男子と女子というのは人間の女性に産ませたネフィリムだ。ネフィリムだから性別がはっきりしているので、男子と女子なんだ。
 でも、ネフィリム同士では繁殖できなかった。ネフィリムは人間に比べれば体力や知力に優れていたから、英雄視される者もいたけれど、その能力にものを言わせて面倒を起こす者も出てくる。
 神としては、自分たちの道具にしかすぎない生物種が中途半端に力を持って面倒を起こすことは許せなかった。「人は肉にすぎない」とか、寿命を大幅に短くしたといった記述は、神の苛立ちを表しているね。
 こんな風に、神の実験は紆余曲折を経て、どんどん混沌としてくる。そこでついに神は短気を起こして、一度ガラガラポンをするわけだ。え~い、やめやめ。やり直し! とね。それが洪水とノアの方舟の話に込められている>

「なんかもう、トンデモな話だなあ。にわかには信じられない」

<うん、今は信じられなくていいよ。それでも、完全否定ではなく、半信半疑くらいなら嬉しいけれどね>

「じゃあ、そういうことにする。半信半疑。面白い話ではあるし。続けてくれ」

<ここまでの話をまとめてみようか。
 神は自分の姿、つまり自分の肉体に近い生命体をつくりたかった。まったくゼロからつくり出すことはできないので、地球上にすでに存在していた生物種を利用してつくった。アダムやセツという名前は、その実験結果に生まれた生物第1号、第2号といった意味しかない。
 でも、そうしてつくった最初の改造生物は、自分たちだけでは子孫を増やせないという点で「失敗作」だった。
 ここまではいいかな?>

「ああ」

<そこで神としては、もっとこの地球環境に合った自然な生命力、繁殖力、適応力を持った生物種をつくって、自分たちが望む文明の基盤作りに利用する必要があった。
 これこそが、彼らがこの星で人間をつくらなければならなかった(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)理由なんだよ>

「悲しい話だな。俺たち人間は、神にとっての労働力なのか?」

<単なる労働力以上のものだね。
 彼らが地球にやってきたとき、所持していた道具や資材は極めて限られていた。だから、この星に彼らが望む社会基盤を作るには、地球の資源を使って「物」を製造する必要があった。
 しかし、彼らはそれを実際に行うだけの屈強な肉体を持っていない。数も足りない。
 その役割を担わせるつもりだったアダムは自分たちだけでは繁殖できず、失敗作だった。
 そこで、人間という本来の地球の生物種に限りなく近い生物を作り、時間をかけて数を増やし、知恵をつけさせ、文明を築かせるという計画を立て、実行し始めた。
 繁殖力を失わせないことと引き替えに、知能は劣る。でも、時間をかければ、自分たちが望むだけの技術を持ち、文明社会を築けるはずだ、と。
 人類史というのは、こうして始まった。そして現在は、その最終段階にさしかかっている>


           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス




Facebook   Twitter   LINE