20km圏を危険区域指定した政府の犯罪2011/04/22 15:52

放射能汚染状況はこんなにばらついている

20km圏内一律を「警戒区域」指定した国家犯罪

上の図は、昨日(4月21日)に発表された最新版の放射線量測定マップです。
この図を見ても分かるように、3月15~16日の放射性物質大量漏出(主に2号機から。3号機、4号機からのも加わった)で、汚染されてしまった地域はほぼ固定しています。放射性ヨウ素(半減期8日)はすでにほとんど消えているはずなので、今放射線を出しているのはセシウムが主体でしょう。ストロンチウムもあるかもしれませんが、だとすれば相当恐ろしいことです。
図中、1マイクロシーベルト以上のポイントはピンク、2マイクロシーベルト以上のポイントはオレンジ色で示しました。
逆に、20km圏内でも1マイクロシーベルト未満のポイントは緑色で示してあります。
これを見れば一目瞭然ですが、放射能汚染の度合は距離と連動していません。これはとっくに分かっていることです。
いちばんひどい漏出のときにたまたま吹いていた風、そして降り出した雨によって決まってしまったのです。結果、飯舘村や浪江町津島周辺がひどい汚染を受けましたが、これはたまたまそのときの気象条件による結果であり、条件次第では首都圏が同じレベルで汚染されていた可能性もあるのです。

もちろん、今も放射性物質は出続けていますし、今後も3月15~16日のような、あるいはもっとひどい濃度の放射性物質の大量空中放出が起きないとは言いきれません。そのための警戒区域指定だと政府は言うのでしょうが、そうした危険性は、距離では決まりませんし、爆死の危険とは違いますから、万が一起きてから行動しても遅くはありません(政府が情報を隠さない限り)。
そもそも、避難しろと言うのであれば、飯舘村や津島の人々をもっともっと早く移動させていなければなりません。今頃何を言っているのでしょうか。

ちなみに、私の住む川内村には、役場前(第一原発から22kmくらい)と、複合医療施設「ゆふね」(同19kmくらい)の二か所に定点計測器があり、毎日、放射線量を記録しています。ここ数日の結果は、

■ 測定地:川内村役場
(測定日時/測定値)
4/13 17:00/0.30マイクロシーベルト/h
4/10  9:30/0.34マイクロシーベルト/h
4/08 13:00/0.38マイクロシーベルト/h
4/06 12:30/0.39マイクロシーベルト/h
4/04  6:00/0.45マイクロシーベルト/h
4/03  9:30/0.46マイクロシーベルト/h
4/02 12:30/0.47マイクロシーベルト/h
4/01 11:00/0.51マイクロシーベルト/h

■測定地:ゆふね
(測定日時/測定値)
4/13 17:00/0・97マイクロシーベルト/h
4/10 13:15/1.03マイクロシーベルト/h
4/08 12:50/1.09マイクロシーベルト/h
4/06 12:20/1.15マイクロシーベルト/h
4/05 14:00/1.17マイクロシーベルト/h
4/04 11:00/1.25マイクロシーベルト/h
4/03  9:00/1.25マイクロシーベルト/h
4/02 11:30/1.30マイクロシーベルト/h
4/01 14:00/1.34マイクロシーベルト/h


……となっています。

4月14日以降のデータがまだ掲載されていませんが、文科省のモニタリングカーによる計測では、役場のそばで4月21日10時58分に0.6マイクロシーベルト/hでした。
今週の風(主に海側から吹きました)と雨で少し増えていますが、それでも1マイクロシーベルトには達していません。

一方、文科省のモニタリングカー調査最新版(21日夜発表)によれば、

福島市杉妻町(約60km北西) 1.8マイクロシーベルト/h
伊達市霊山町石田彦平(約45km北西) 2.9マイクロシーベルト/h
郡山市大槻町長右エ門林(約55km西 1.2マイクロシーベルト/h
郡山市豊田町(約60km西) 1.7マイクロシーベルト/h

……などなど、30km圏外の都市部のほうが川内村より高い数値を記録しています。
放射能汚染の危険性という観点からは、20km圏内一律立ち入り禁止措置にする理由はまったくありません。
肝心の20km圏内エリアでの放射線量測定値を、政府はずっと発表しませんでした。発表したのは、20km圏内を危険区域にしてからです。こんなバカな話がありますか。
そのデータ(⇒ここ)によれば、案の定、ものすごくばらつきがあります。
原発から6~9km圏内という非常に近いエリアでも、

80 浪江町大字酒井【北西約7km】 2011/4/18 12:45  20.0μSv/h
81 浪江町大字高瀬【北北西約8km】 2011/4/18 12:51  0.55μSv/h
82 浪江町大字藤橋【北約8km】 2011/4/18 13:31  0.86μSv/h
83 浪江町大字幾世橋【北北西約9km】 2011/4/18 13:48  0.60μSv/h
84 浪江町大字高瀬【北北西約6km】 2011/4/18 13:56  0.93μSv/h

……などとなっていて、6kmの近さでも1マイクロシーベルト以下、つまり福島市や郡山市以下のところがあります。この事実を知られると、20km圏内危険区域指定の正当性がないことがはっきりするために隠していたとしか思えません。

そもそも20kmで線引きするといいますが、どこから20kmと言っているのかが不明です。第一原発の敷地は広いのです。端から端まで数キロあります。敷地境界線から20kmを指定するなら、その区域は正確な円形になりません。ここが原発の中心点ですという杭が打ってあるわけでもないでしょう。かなりいい加減なのです。
実際には、幹線道路の適当なポイントに警官を配備して立ち入り禁止にしています。ちょうどこのへんに交差点があるから、ここの内側ってことにしよう……というノリなのですね。しかも、抜け道も通れないようにと、すでにバリケードを築いています。

私の住む川内村の場合、下川内交差点(国道399号が県道36号小野富岡線にぶつかる場所)がチェックポイントで、ここから富岡側を20km圏内と決めたようです。
川内村は、この20km圏危険区域指定により、村が分断されてしまいました。
主な施設では、「いわなの郷」という村内最大の複合施設(宿泊施設、食堂、会議室、多目的ホールなどがある大きな施設)と複合医療施設「ゆふね」が20km境界線ぎりぎりに引っかかって立ち入り禁止にされました。
家に戻ってきた村民にとって、この2つが使えないことは大きな痛手です。特に「ゆふね」は最新医療施設であり、大量の医薬品や医療検査機器があります。血液検査などもその場でできるくらいの新しい施設です。ここが使えないとなると、医師がボランティアを名乗り出ても働く場所が封鎖されていて活動ができません。
ゆふねの放射線量は福島市や郡山市となんら変わらず、危険性はまったくありません。逆に、村唯一の医療施設を封鎖されることによる危険は計り知れません。村に戻っている家の多くは、老人がいるために避難所生活が続けられないということで戻っているのです。独居老人も多く、彼らにとっては「ゆふね」を奪われることは命綱を切られるのと同じです。

また、村を再興するためには外から様々な人材を呼び込み、イベントを開催したりすることが重要になってきますが、いわなの郷が使えないとそれも難しくなります。ここには大きなイワナの生け簀がありますが、その管理もできなくなります。
20km境界という意味のない線引きをすることで村の機能を寸断し、復興を困難にさせることに、なぜ村長が同意したのか、理解に苦しみます。
双葉郡町村連合のリーダーとして「抜け駆け」できないという思いからか、県や国から交換条件で密約を持ちかけられたか、あるいはその両方でしょう。しかしこの判断は、村に後々ダメージを与える大きな傷を作ってしまいました。
このままなし崩しに「原発汚染地域被害者同盟」に加わり、自力復興の意欲を押さえ込み、ひたすら補償金を待ち続けるみじめな自治体になりはてることは目に見えています。今まで以上に原発依存体質が強化され、原発抜きでは何もできない村になりかねません。
村の機能ごと避難所に移転し、村長はじめ、スタッフがみな相当疲れていることはよく分かります。政治的判断が難しくなっていることも分かります。しかし、今が正念場です。ここで判断を間違えると、それこそこれから100年、間違いを修正できなくなるかもしれないのです。

国や県には、もはやこの事態を正しく収拾・解決する能力がないのです。
いわば平時は終わり、戦時になったのですね。
放射性物質という爆撃からいかに身を守りながら生活していくか、結局のところ、自分で決め、行動していくしかありません。

今回のことでいろいろ勉強させられましたが、いちばん驚いたのは「~なんて放射線量は全然大したことがない。米ソ中が核実験していた時代にはもっとずっと高い数値でプルトニウムもセシウムも、ストロンチウムでさえ世界中にばらまかれていたのだから」という「専門家」の弁でした。
……本当なのか、調べてみました。

気象研究所地球化学研究部というところが、1950年代後期から40年以上にわたって大気圏での人工放射性核種の濃度変動の観測をしていて、データが公開されています⇒ここ

このグラフは衝撃的ですね。
縦軸の数値が等比ではないことに注意してください。左には10の階乗が記されています。
10の2乗レベルの2000年前後と10の5乗レベルの1960年代では1000倍違います。等比で描けば、極端な上下になるためにこういう階乗目盛りのグラフにしているわけです。

1000倍違うということは、マイクロシーベルトがミリシーベルトに変わるのと同じレベルで変動したのです。
あの時代(1960年代)、毎日土の上を走り回って遊んでいた我々は、すでにとんでもない内部被曝をしていることでしょう。

「Fukushima」以降、原発周辺に住む人間が一般人の年間被曝量基準値1ミリシーベルト以下で暮らすことは無理になりました。これはいい悪いではなく、現実です。
であれば、あとは実際に自分の生き方をどう決めるかという問題になってきます。
今回の放射能ばらまき事件(事故ではなく、犯罪事件)の犯罪者であるお上や御用学者たちに、我々の生き方まで邪魔してほしくありません。
人の家に勝手に下痢ウンコをばらまいておいて、自分たちは臭いからとそこに近づこうともせず、「おまえんちはウンコまみれだから、もう使えないぜ。近づいたら罰金だぜ」と言っているわけです。なんとタチの悪い犯罪者どもでしょう。説教泥棒よりはるかにタチが悪い。

ウンコをばらまかれても、我々は死にません。ウンコが臭いから土地を捨てるなんてこともしません。
いや……ウンコは土が分解してくれますが、あいつらがばらまいたのは分解不能な毒物。
これがただのウンコだったらどれだけよかったことか……。

来週、村に戻ってきた人間が集まり、これからどう生きていくかについて話し合います。
私の中での結論はもう出ています。
「今まで通り、楽しみながらここで暮らす」
です。
一緒に遊びたいと思うかたは、川内村にどうぞ引っ越してきてください。
土地はいっぱいあります。自分で食べるくらいのコメを作るのもよし、毎日木工に明け暮れるのもよし、ムササビ用の巣をかけて観察するのもよし……楽しいですよ。ほんとうに。
私はカエルやオタマとの遊び方をお教えします。

山からは風車の低周波、海からは原発の放射能。誰がそんなとんでもない村に行くかと言われそうですが、今のところは大丈夫。地震のおかげで風車は止まりましたし、原発もこのまま収束していけばなんとかなるでしょう。あの地震でさえびくともしなかった固い岩盤に守られた村です。地下水汚染さえ起きなければ、東京よりずっと安全ですよ。
1950年代末から現在までの大気中の放射性物質量の推移
1950年代末から現在までの大気中の放射性物質量の推移
核実験による汚染状態はあのチェルノブイリ以上だった

(2011/04/22夜 追記)
先ほど、「ゆふねといわなの郷を区域外にするために、オフサイトセンターに交渉して検問所を移動させた」という情報が入りました。まあ、その程度のいい加減さでやっているのですから、他のところでもどんどん現状に合わせてほしいものです。(それにしても、オフサイトセンターが検問所の場所決定に関係していたとは知りませんでした……)
(2011/05/29 追記)
メールで、
//いま産経新聞あたりがしきりに主張している「1960年代の方が、現在よりも放射性降下物は多かった」。 これは、典型的な(極めて悪質な)数字のトリックです。//
……というご指摘をいただきました。
私は産経新聞の記事は読んでいません。上記の内容を書いた4月22日の時点では、大きなメディアには記事として出ていなかったのではないかと思います。
1960年代、この世界がかなりの放射能汚染をしていたことは間違いないでしょう。しかし、このときと福島原発事故後の汚染度合が似たようなものだ、……とはなりません。
気象研究所によれば「米ソの大規模実験の影響を受けて1963年の6月に最大の降下量となり(90Sr 約170Bq/m2、137Cs 約550 Bq/m2)、その後徐々に低下した」とあります。過去の「月間」最大値がセシウム137で約550ベクレル/m2であれば、文科省が発表した「3月22日に東京に降下したセシウム137は5300ベクレル/m2」は、1日の降下量が、過去の「月間」降下量最高値のざっと10倍ということになり、「今(福島の事故後)と同じレベル」とは到底なりません。
また、5月6日に発表されている「文部科学省及び米国エネルギー省航空機による航空機モニタリングの測定結果」によると、原発から北西に延びるホットポイントにおける4月6日~29日までの24日間のセシウム137蓄積量は、300万~1470万ベクレル/m2という桁違いの数値です。これを60年代の核実験時代と比較しても意味がないことは明白です。

20km圏内危険区域指定で殺される人たち2011/04/22 17:21

南相馬市原町区堤谷根田【北約17km】 2011/4/18 13:00  0.44μSv/h
南相馬市原町区米々沢【北約19km】 2011/4/18 13:00  0.57μSv/h
南相馬市原町区雫塔場下【北約21km】 2011/4/18 13:00  0.4μSv/h

まったく問題のない放射線量である南相馬市原町区で今起きていること

「福島第1原発:突然「出ろ」と言われても 20キロ圏封鎖 -(毎日新聞)

↑この毎日新聞の記事、非常によい記事でした。
そのうち読めなくなると思いますので、要点を抜粋しておきます。

●飼い犬の世話をするため避難せず、家族6人で残っていた飲食店店員の女性(37)
 ……電気、水道、ガスも使える。数百メートルしか離れていないコンビニ店は対象外で、客も多い。
「突然、今日出ろと言われても、今は家族みんなが仕事に出ていて、夜にならないと何も決められない。父は『俺らはもう年だから放射能は怖くねえ。若いお前らだけで離れろ』などと言ってるし、日が変わるまでに避難先を決めて、荷物を運ぶなんてできるのだろうか」

●50代の女性
 ……夫は第1原発の下請け企業に勤務。長男の会社は南相馬市内。2人の通勤の利便を考え、最近家族全員で自宅に戻ったところだった。
 「ニュースを聞いて、とりあえず避難に必要な物だけはまとめたが、どこに行ったらよいのか。夫と息子が帰ってきたら相談するが、あまりにも唐突すぎる」

●高台にある円明院の住職(57)
 ……「原発事故の当初、円明院は屋内退避にとどまる30キロ圏内だったが、その後、集落単位で線引きがなされると、今度は20キロ圏に組み込まれた。避難は安全のためのはずだが、境目はどこにあるのか」

斎藤友子さん(47/農家)
 ……高齢の両親に代わって衣類、貴重品を取りに戻ったところ空き巣に入られていた。
「親は戻りたがってるが、体調も悪いし、ここで暮らせるかどうか。私たちの思い出も置いていくしかないだろう」

 これを国家の犯罪と言わずしてなんと言うのでしょう。せめて何にもしなければ、理不尽に苦しむ人、命の危険にさらされる人が増えずに済むのに。
 どこまで愚かなのか!

20km圏内の放射線量データが隠されていた理由2011/04/23 14:39

20km圏内放射能汚染状況はなぜ公表されなかったか?

文科省のモニタリングカーによる原発周辺地域放射能測定値は、今まで20km圏内についてはデータが出ていませんでした。
これが突然発表されたのは、4月21日のことです。
内容は、
A.3月30日から4月2日にかけて計測された50箇所分
B.4月18日から19日にかけて計測された120箇所分
の2つで、Aについては調査後、20日も公表せず隠し持っていたことになります。
それを問い質したガジェット通信の記事によれば、文科省は「最初の調査は、測定ポイントが少なく、情報を面として捉えるには不十分だった。そのため、測定ポイントを増やした次の調査を待って一緒に公開した」と答えたとのことですが、3月15日の第1回調査ではたった3地点のデータでしたがすぐに公表しています。その後も、20km圏外のデータは随時即時公開しているのですから、まったく理由になっていません。
20km圏内を一律危険区域指定して立ち入りをさせないようにしたい福島県や国の意向を汲んだものと疑われても仕方がないでしょう。
あるいは、文科省のモニタリングカーチームは頑張って事実を外に出したいと思っていても、「上」から圧力がかかり、20km圏内は測定をさせなかったとも考えられます(むしろその可能性が高そうです)。

ちなみに、一部マスメディアに発表された20km圏内の「汚染状況」も極めて恣意的です。
数値の高いところだけを記入してあるのです。

発表された20km圏内の測定値マップ


文科省の発表データを見れば、20km圏内でも数値が低いところが多数あります。その一部を書き加えてみたのが以下の図です。

↑放射線量が低い場所も書き加えた図


110μSv/hの大熊町夫沢(西南西約3km)が強調的に記されていますが、同じ大熊町でも、野上(西約14km)は1.43μSv/hしかなく、非常にばらつきがあります。
南相馬市や浪江町の海岸線一帯が概して線量が低いことも分かります。自衛隊が大袈裟に防護服を身につけて遺体捜索している映像が流れていますが、1μSv/h以下は首都圏とそう変わりませんから、そんな必要はないのです。福島市や伊達市のほうがずっと数値は高いのですから、1μSv/h以下の場所で重装備しなければならないとすれば、福島市民はみんなあの格好をしなければいけなくなります。
汚染がひどかった飯舘村、葛尾村、浪江町津島周辺が30kmにさえ入っていないことは当初から分かっていました。分かっていたからこそ、文科省のモニタリングカーも測定の初回、まっ先に北西方向に走っていったのです。そして実際に高い線量を確認したのに、政府も県も、いちばん危険だった最初の1か月、これらの地区を放置しておき、今頃になって「計画的避難区域」などというとぼけたことを言っています。
緊急性や住民の健康被害を考えるなら、20km圏内を危険区域にして立ち入り禁止にすることよりも、飯舘村周辺の住民を一刻も早く避難させなければならなかったことは言うまでもありません。

本当に危険な地域にいた人たちに情報を伝えず放置し、ある程度安全が分かった今になって住民の一時帰宅さえ排除して苦痛を増やす。でたらめぶりもここまでくると戦慄を覚えます。

20ミリシーベルト論争の虚しさ2011/04/30 12:38

SPEEDIによる1歳児の放射性ヨウ素による甲状腺内部被曝積算値

■今頃基準値論争をしても遅い

4月26日午後、ようやく首都圏での用事が済んだので、川内村の自宅(第一原発から約25km。緊急時避難準備区域)に戻ってきました。
村は一見なんの変わりもなく、ご近所を散歩しながら顔なじみの老人たちと挨拶を交わしています。
子供たちの姿がなく、放された犬が寄ってきたりするのが変わった点でしょうか。
そのへんのことは本来の「阿武隈日記」に綴っていますので、興味のある方は覗いてみてください。
⇒こちら

ここ「裏日記」では、広く知ってほしいこと、メディアでなかなか報じられない問題点などに絞ってときどき書いていくつもりです。
さて、今日は「年間20ミリシーベルト論争」について書きます。

福島市、郡山市などの都市部の幼稚園、保育所、小中学校などで、相当高い放射線量が計測されています。
そんな場所に子供たちが集まっていいのか、と誰もが心配します。
文科省が4月19日に発表した「福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」という文書を読むと、

1)国際放射線防護委員会(ICRP)は、「事故継続等の緊急時の状況における基準」として20~100mSv/年、「事故収束後の基準」として1~20mSv/年という放射線量を提示している。
2)ICRPは、2007年勧告を踏まえ、本年3月21日に、改めて「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における「参考レベル」として、1~20mSv/年の範囲で考えることも可能」とする内容の声明を出している。
3)このようなことから、児童生徒等が学校等に通える地域においては、非常事態収束後の参考レベルの1-20mSv/年を学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安とする。

という論旨のことを言っています。

で、この年間被曝線量を文科省はどう算出するかという計算式も示されていて、

児童生徒が、1日のうち、木造建築物の中で16時間、屋外で8時間生活すると想定し、屋内では屋外の線量の半分程度被曝するだろうから、屋外の線量が3.8μSv/時間であれば屋内では1.52μSv/時間と考え、3.8μSv/h×8時間×365日 + 1.52μSv/h×16時間×365日 = 11096μSv+8877μSv=19973μSv=19.9mSv(ミリシーベルト)だから、年間20ミリシーベルトを超えない目安は3.8μSv/hである、というわけです。

ここで注意しなければいけないのは、

1)屋内の被曝量が屋外の半分であるという仮定のもとの計算である
2)内部被曝についてはまったく加算されていない

ということです。
相当無理矢理な計算ですが、この20ミリシーベルト/年という数値でさえ、小佐古敏荘東大大学院教授は「とんでもなく高い数値で、容認したら私の学者生命は終わり」と述べて内閣官房参与を辞任したことはすでに報道されているとおりです。
そもそも、一般人の年間被曝量限度は1ミリシーベルトということになっています。
原発作業員でさえ年間50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルトを超えないと決められているのですから、子供の被曝量が年間20ミリシーベルトでもよいという今回の見解が批判を受けるのは当然です。

しかし、実際に今、福島原発周辺ではどうなっているのかといえば、子供も大人もとっくにその規模の線量を被曝しているのです。
ようやくデータを公開するようになった「SPEEDI」のデータを、WEB上で見ることができます
上の図(クリックすると拡大)は、3月12日から4月24日までに1歳児が受けたと推定される内部被曝(甲状腺、ヨウ素に限定)の総計推定を示したマップですが、いちばん外側の「最も低い」エリアが100ミリシーベルトです。いわき市の海側、南相馬市の半分、飯舘村のほぼ全域、葛尾村、川俣町の大半が含まれています。
その内側は500ミリシーベルト、その内側は1シーベルト(=1000ミリシーベルト=100万マイクロシーベルト)ですが、このエリアにも双葉町や浪江町が含まれています。
ひと月ちょっとで(実際には3月15日からの数日が決定的)、すでに20ミリシーベルトなどという数値はとっくに超えているわけですが、注意してほしいのは、この値は甲状腺に溜まったヨウ素による内部被曝のみをシミュレートしたものであり、セシウムやストロンチウムは含まれていませんし、外部被曝の数値も加わっていません。実際には、外からの被曝やセシウムからの被曝も相当量加わりますから、この数値よりずっと高い被曝を受けてしまったということなのです。
また、スポット的に飯舘村や浪江町、葛尾村の一部が突出して高い汚染を受けたことははっきり分かっていますから、そうした場所での数値はこの数値より一桁違うでしょう。
最初の段階で飯舘村、浪江町、葛尾村、南相馬市、川俣町に避難命令を出していれば、どれだけの人が被曝から逃れられただろうと思うと、返す返す残念でなりません。北西方面の人たちが被曝することを分かっていながら、国や県はなんの警告も発しなかったのです。これは未必の故意による殺人に等しい犯罪行為です。

こうした現実を前にして、今になっての年間20ミリシーベルト論争が非常に空しく聞こえるのは私だけではないでしょう。

これを書いている現在、福島のテレビでは、地上波放送の画面にL字型の情報枠を設けて、県内の放射線量を刻々と知らせています。

例えば、郡山市合同庁舎前の昨日(4月29日)の計測値は、

4月29日17:00 1.63
4月29日16:00 1.56
4月29日15:00 1.57
4月29日14:00 1.48
4月29日13:00 1.52
4月29日12:00 1.53
4月29日11:00 1.50
4月29日10:00 1.58
4月29日 9:00 1.54
4月29日 8:00 1.55
4月29日 7:00 1.54
4月29日 6:00 1.52
4月29日 5:00 1.63
4月29日 4:00 1.54
4月29日 3:00 1.55
4月29日 2:00 1.56
4月29日 1:00 1.56
4月29日 0:00 1.58

……となっています。
3月13日 13:00 には 0.06μSv/hでした。
急変したのは3月15日で、

3月15日 14:30 4.14
3月15日 13:00 0.06

↑……と、いきなり上がっています。
それからはずっと2~3μSv/h台を記録し続け、4月9日くらいからようやく2をぎりぎり切るくらいになり、現在に至っています。
郡山市合同庁舎前にずっと立っていれば、3月15日から現在(4月30日)までの47日間、ざっと2μSv/h被曝し続けていると考えられますが、この期間だけですでに 2×24×47=2256μSv/h 2ミリシーベルト以上になります。
これは外部被曝だけですから、実際には鼻や口から吸い込んだ放射性物質による内部被曝がこれに加わっています。それを加味して、1年間4μSv/h被曝し続けたとしたら、4×24×365=35040マイクロシーベルト=35ミリシーベルトですので、軽く20ミリシーベルト/年を超えます。
1.5μSv/hという数値は空中での計測値で、現在の放射線は、地表や建物、植物などに付着したセシウムから出ているものがほとんどですので、地面や水たまりなどではずっと高い数値を示します(このことは、すでに私は川内村の中であらゆるところをガイガーカウンターで測って実証済みです)

郡山市という都会でもこうなのです。
桁違いに汚染された浪江の津島や飯舘周辺に今も残っている人たちは、今から逃げたとしても、すでに確実に年間許容量を超えています。風評被害やパニックを呼ぶようないい加減なことを書くな、と怒られそうですが、これはどうしようもない現実であり、直視しなければならないことなのです。

政府にできることは、とにかく正直になること。
すべて正直に告白し、報告した上で、「数値上ではこんなに大変なことになっていますが、私たちはこの現実を受け入れた上で、具体的にどうしていくのがいちばんいいことなのかを考えていかなければなりません」と声明すべきです。
知恵を出して、やれることをやっていくしかないではありませんか。
規制値を変更するなどというごまかしをしている場合ではないのです。
規制値、基準値、安全値は超えてしまっています。ですから、ここから先は、杓子定規なことを言っているだけではどうにもなりません。具体的にどうしていけばいちばんいいのか。つまり、多くの人が今より幸せな状態になり、今より不幸にならないかを考えていきましょう、ということでしかないのです。
私は、汚染が低かった川内村に戻って、今まで通り生活することが幸せであると判断して戻ってきました。この一月半、自分でできる限りの情報収集をして、勉強し、考えた末の結論です。もちろん、事態が急変すればまたどこかに逃げなければならないかもしれませんが、今はこうすることがいちばんストレスのない生活を送れると考え、村に戻ってきた仲間たちと、新生川内村、本来の魅力的な阿武隈を取り戻すことをめざして生きています。

原子力を国策にして、莫大な税金を投入し、嘘の上に嘘を塗り重ねてきた結果が今目の前で起きている原発震災です。
これ以上嘘を重ねることだけはやめてください。