報道されない「被災者格差」問題2011/09/01 18:18

ここにきて、避難所にボランティアで入っていた人たちからいろいろな話が伝わってくる。
双葉町の避難所となったリステル猪苗代(豪華リゾートホテル)では、「被災者」が、猪苗代町の地元の人たち中心のボランティアが炊き出しで出した食事に対して、
「こんなまずい飯が食えるか」
と文句を言って、不要な軋轢を生んだという。
同じ双葉町住民の避難所となった旧騎西高校にボランティアで入っていた人たちは、避難してきた人たちが、
「自分たちは、一生、国と東電が面倒みてくれる」
「原発敷地内の草取りは時給2,000円だった。今さら時給800円でなんて働けるか」
といった会話をしているのを聞いてショックを受けたという。

無論、こんな人たちは例外で、ほとんどの人たちが苦労していることは分かっている。しかし、こうした発言は人伝えでどんどん広がっていく。
彼らは自分たちの言葉がどれだけ周囲の人たちに衝撃を与えているか理解していない。その意識のズレに気づいていないことが、まさに「原発依存体質」の証明なのだ。

ビッグパレットは福島県内最大の集団避難所になっていたが、8月31日で閉所になった。
テレビのインタビューに「寂しくなるねえ」と答えていた人たちは、それが視聴者にとってどれだけ違和感のある言葉なのかに気づいていない。
避難所周辺のパチンコ店は連日大盛況。駐車場にはぴかぴかの新車が何台も見うけられた。義援金や東電からの仮払金で新車に買い換えたという人が少なくなかったという。
避難所内ではものが溢れていて、食器や寝具、衣類なども大量に配られた。それらを何度も受け取って、自分の車に積んで村の家に運び込んでいる人も多かった。
村に残っている人たちは、ものを満載した車で時折戻ってくる隣人に、「避難所は天国だよ。なんにもしなくても毎日飯が食えるんだから。今からでもおいでよ」と言われたと、情けなさそうに語っていた。

川内村では、「緊急時避難準備区域」解除になった後も村が出した「自主避難指示」をそのまま有効だとして続けるのだそうだ。
「帰っても安全だという担保が取れないうちは戻れない」と言うが、村の子供たちは川内小学校より放射線量の高い郡山市の小学校に間借りしている。
川内村の中心部の放射線量が高くて危険だというなら、福島県内に住める場所はほとんど残っていない。少なくとも中通りにはない。

ところで、「義援金」は国や県を通じて各自治体に渡っているが、そこから先、被災者にどう分配するかは自治体が決めている。

●双葉町の場合

【一次配分】:原発避難指示世帯に対して一律40万円(国:35万円、県:5万円)
【二次配分】:3月11日時点で双葉町に住民登録があった人、および住民登録はないが町内に生活の実態があった人に対して世帯員一人あたり25万円(国:21万2000円、県:3万8000円)

●川内村の場合
【村に直接届いた義援金の分配】
3月11日現在、川内村住民基本台帳に登録していた人一人あたり5万円

【国・県からの義援金 一次配分】
3月11日現在、東京電力福島第一原子力発電所から30kmの圏内に居住していた世帯(全域該当だが、別荘や空家などは対象外)に対して一世帯40万円(国義援金・35万円、県義援金・5万円)

【国・県からの義援金 二次配分】
川内村住民基本台帳および外国人登録名簿に登録されていた人、1人あたり28万円。
川内村住民基本台帳登録のない場合で、3月11日現在居住していて第1次配分金の該当になった世帯は1世帯として28万円。

これに加えて、東電からの仮払い補償金が、一次で100万円(一世帯あたり)、二次で一人最高30万円支払われる。
 
……つまり、家が壊れていなくても、家族が全員生きていても、例えば5人家族なら
双葉町で415万円(義援金一次:40万円、二次:25万円×5人で125万円。合計165万円。東電から一次:100万円、二次30万円×5人で250万円。全部で415万円)
川内村で455万円(義援金一次:40万円、二次:28万円×5人で140万円、村から5万円×5人で25万円、合計205万円。東電から一次:100万円、二次30万円×5人で合計250万円。全部で455万円)

が渡っている。
双葉町では1人あたり83万円、川内村では1人あたり91万円という計算になる。

これに対して、自殺者が出た相馬市玉野地区(30km圏外で東電からの仮払金なし)ではどうなのか。

●相馬市の場合

【一次配分】
国義援金
 死亡義援金: 死亡者、行方不明者ともに、一人あたり35万円
 見舞金: 全壊・全焼=35万円/世帯、半壊・半焼=18万円/世帯

県義援金
 見舞金として一世帯あたり一律5万円

日本財団からの弔慰金・見舞金
 死亡者、行方不明者ともに一人あたり5万円

【二次配分】
 死亡・行方不明・全壊: 国56万円、県10万円(行方不明者は必要な調査完了後に振込み)
 半壊: 33万円(国28万円、県5万円)

 ……ということで、相馬市では死者や家屋の全半壊がない世帯へ渡ったのは、県義援金の見舞金一世帯あたり5万円しかない。5人家族なら一人あたり1万円だ。
相馬市玉野地区は飯舘村や福島市の霊山に隣接しており、線量は川内村中心部などよりずっと高い。
この汚染のひどかった飯舘村で酪農をしていて、住所は相馬市にあった人が自殺したことはニュースになったが、彼は妻と子供がフィリピンに逃れ、一人、自宅に戻ってきた後は、原乳出荷停止になり、毎日、搾った牛乳を捨てていた。この世帯には東電の仮払金も支払われていないから、5万円だけなのだ。

豪華リゾートホテルに避難して「飯がまずい」と文句を言っていた家族には数百万円が渡る一方で、避難先もなく、汚染された土地に残って毎日牛乳を捨てていた酪農家一家のように、30km圏外で無指定地域に住んでいた家族は、どれだけ汚染がひどくても、仕事や生活基盤を奪われて金が出ていく一方だとしても、現時点では5万円しか受け取れていない。これから農業や漁業などの被害に対する補償交渉を進めていくとしても、その前にみんな疲弊しきってつぶされてしまう。

さらに言えば、東電の二次仮払金は、家に戻ってきた時期が遅かった人には30万円支払うが、早く戻ってきた人には10万円しか支払わないとされている。

4月10日までに家に戻った人は10万円
5月10日までに家に戻った人は20万円
6月10日までに家に戻った人、まだ帰れない人には30万円

早く帰ってきた人というのは、老齢の親を抱えていたり、家畜の世話をしなければいけなかったり、消防などの公益業務に従事していた人たちが中心で、この人たちは誰もいなくなった村で自力で(自腹を切って)頑張ってきた人たちだ。
そういう人たちには少なく、避難所で毎日衣食住を世話してもらっていた人たちには多く払うというのだ。
逆ではないか。
実質、家に戻ってきていた人たちでも、仮設住宅やリゾート型避難所に申し込んで、ときどきそこに戻って無料の食事にあずかっていたり、市内のアパートを借りて「みなし仮設」(福島県の場合、月額最高8万円まで支給)に認定してもらい、別荘や事務所代わりに利用している人がたくさんいる。こうした人たちもみな「まだ家に戻っていません」ということで申請している。
そもそも、この期間、家に戻っても戻らなくても、みな本来の仕事や生活以外のことで追われて大変な日々を過ごしている。

現在、村で唯一開いている店と言ってもよいコンビニの経営者一家は、仕入れのトラックが入ってこなかった時期、郡山市内の市場で仕入れたわずかな商品を店に並べて、村に残っている人たちのために頑張った。
若旦那は、避難先の埼玉県から川内村まで今も通っている。
もちろん、動けば動くほど大赤字だが、村の中心で店を開いているという責任感からの行動だ。
他にも、自分は家に戻って仕事を続けていても、子供たちを県外の線量の低い場所に避難させるために毎日遠方まででかけて受け入れ先探しや手続きに追われたり、移転先を探し回ったり、仕事探しに明け暮れたり……。
みなそれぞれに大変な目にあっている。
こんな時期に「いつ家に戻れたか」と訊いていること自体がバカげている。誰一人、まともな状態では戻れていないのだから。

現場を知らない役人や企業人たちが机の上でもっともらしく線引きしたり基準を決めたりしている図には辟易する。
いちいち腹を立てていてもきりがないので、自力で動ける範囲内で自分の生活を、人生を守っていくしかない。
それが今のフクシマの姿だ。

   

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_ ポストさんてんいちいち日記 - 2011/09/02 10:24:19

警戒区域、計画的避難区域の空間放射線量マップです。関連情報を含めてアーカイブします。

1.読売新聞9月1日の立ち入り制限区域、最高線量は避難基準の36倍

【全文引用】

 政府の原子力被災...