「美味しんぼ騒動」における本当の恐さ2014/05/19 13:05

巷では「美味しんぼ騒動」というのが起きているようだ。
ネットに全ページを転載している人がいたので読んでみたが、まず、内容としては「つまらない」。
普通のことを普通に描いているだけ。新しい情報やら深く考えさせる題材がないので、感想としては「ああ、この程度か……」というもの。
この漫画、若い頃(20代)に読んでいた時期があるが、まだ続いていたということのほうが驚きだった。登場人物は30年前と同じで歳を取っていないし、サザエさんみたいだ。(これは誉めている)

で、その程度の内容のものに省庁やら自治体の長やらがいちいち「遺憾表明」とかやっていることがものすごく馬鹿馬鹿しい。
ついには休載とか、書店が店頭から引き上げとか、編集部が出版前のゲラを環境省に送っていたとか、漫画の内容云々より、こんなことに大騒ぎした挙げ句、ひとつの方向、要するに「お上はこういう方向を望んでいるのだろう」という方向を「民」が先読みして自縛の紐を用意すること、それを一部の人たちが煽り立てること、そういう国になってしまっていることがとてつもなく恐ろしい。

フェイスブックで、こんな書き込みを見つけた。

うちの近くの大型ショッピングモールの中にある、かなり大規模な紀伊國屋書店に問い合わせました。以下は穏やかなやり取りです。

私「今ビッグコミック・スピリッツは店頭で販売されていますか?」
店「今回の分は売り切れました」
私「売り切れたということは、店頭には並んでいたのですか?」
店「いえ、本社からの指示で店頭には並べませんでした」
私「それは何故なのですか?」
店「それはー…本社からのことなので私が答えられることでは…」
私「ではもう入ってこないのですか?」
店「そうですねぇ…この次のはまた内容次第で販売されるかと…」
私「内容次第とはどういうことですか?それは社内的なものですか?それとももっと上の業界単位のことですか?」
店「社内的なことです」
私「ではそれは全国の紀伊國屋さんで行っているわけですね?」
店「そうです」

巷での噂は本当の様でした。


マスメディアだけでなく、出版社も書店も、自ら進んで自縛の紐を用意する。この風潮がどれだけ恐ろしいことか、関心を寄せない人が多すぎることにも戦慄する。

「美味しんぼ騒動」を「鼻血問題」として矮小化する人たちが多いが、問題はそっちじゃない。自分の考えや、お上に都合の悪い情報を自ら引っ込めてしまう社会風潮のほうがはるかに恐ろしいことなのだ。

ちなみに「鼻血問題」に関して言えば、そんなことは「あってもあたりまえ」であって、科学的に立証できるとかできないとかを今頃になって議論するようなことでさえない。
敢えて言えば、汚染された地帯で暮らす人、あのとき汚染された地域にいた人、汚染された場所に行き来している人たちであれば、「まあ、そういうことはあるわな」という感覚だろう。
僕もそのひとりだ。

鼻血までいかなくても、鼻孔に鼻くそがすぐに詰まったり、それに血が混じったり、痰が止まらなかったり、喉が常にいがらっぽくなったり、痛んだり……といったことは「フクシマ」以降、さんざん経験してきたし、今もしている。
でも、それが鼻や喉の粘膜に付着した放射性物質(のついたチリ、微粒子)のせいなのか、単に歳を取ってきて身体がボロくなったからなのか、疲れのせいなのか、ウイルス感染の類なのか、放射能とは別の公害物質のせいなのか……は、分かるはずがない。自分で「そうかもしれないなあ~」と思うことがあっても、「そうなんだ!」と断言することなどできるはずがない。

みんなそういうもやもやを抱えながら生きている。
このもやもやは明らかに生きていく上で心身をまいらせるマイナス要因なのだが、かといって、今暮らしている土地や家を捨ててどこか遠くへ移住するとかという話と比較して、どちらが自分の余生、あるいは家族の幸福な人生にとってマシな選択か……という事情は、個人によって変わってくる。
その土地で築いてきた人や自然とのつながり、生き甲斐のある活動、仕事、親や子供との関係……さまざまな要素を統合的に考えて、もやもやを抱えたままでもこの土地に残ったほうが、移住するよりも「マシ」だと考えるか、どんなに困難を伴ってもこの土地を離れたほうがいいと考えるか……。

で、こういう事態にしてしまったこの国の施策、電力会社の無責任さ、それを今も放置し、なんら改善の努力もしないどころか、開き直って、核燃サイクル計画の継続だの原発再稼働だの輸出だのとたわけたことを言っている政府を支持している国民が半数を超えるという現実。そこがいちばんの問題なのだ。

それでも「真実は……」と叫ぶ人がいっぱいいるので、敢えて、敢えて、敢えて引用すれば、
鼻血論争について     2014年5月14日
         北海道がんセンター 名誉院長  西尾正道
巷では、今更になって鼻血論争が始まっている。事故後は鼻血を出す子どもが多かったので、現実には勝てないので御用学者は沈黙していたが、急性期の影響がおさまって鼻血を出す人が少なくなったことから、鼻腔を診察したこともない放射線の専門家と称する御用学者達は政府や行政も巻き込んで、放射線の影響を全否定する発言をしている。
しかし、こうしたまだ解明されていない症状については、根源的に物事を考えられない頭脳の持ち主達には、ICRPの基準では理解できないのです。ICRPの論理からいえば、シーベルト単位の被ばくでなければ血液毒性としての血小板減少が生じないので鼻血は出ないという訳です。
しかしこの場合は、鼻血どころではなく、紫斑も出るし、消化管出血も脳出血なども起こります。しかし現実に血小板減少が無くても、事故直後は鼻血を出したことがない多くの子どもが鼻血を経験しました。伊達市の保原小学校の『保健だより』には、『1学期間に保健室で気になったことが2つあります。 1つ目は鼻血を出す子が多かったこと。・・・』と通知されています。またDAYS JAPANの広河隆一氏は、チェルノブイリでの2万5千人以上のアンケート調査で、避難民の5人に1人が鼻血を訴えたと報告しています。こうした厳然たる事実があるのです。
(以下略)

……とまあ、そういう話だろう。

それにしても、いまだに外部からの低線量被曝と内部被曝の違いが分かっていないまま議論している人が多いことには辟易する。
さらには、内部被曝でも、食べ物として取り込んだ場合(比較的排出しやすい)より、放射性物質が付着したチリ、埃などの微粒子を吸い込んで、それが肺などに付着したとき(ピンポイントで放射線を受け続ける)のほうが怖い、ということを、3.11直後からずっと言い続けているのだが、そのこともいまだに理解してもらえない。
「除染が怖い」というのはその理由からだ。
せっかく付着してくれている放射性物質を無理矢理剥がして、再び空気中や水中にまき散らしている作業。
1F構内で作業している作業員が「線量管理しているここの仕事より、いい加減にやられている除染作業のほうがずっと怖い」と言うのもある程度頷ける。
僕が川内村を離れたのも、除染作業が始まる直前だった。
県道をひっきりなしにダンプカーが通り、もうもうと砂塵をあげるようになり、この調子で本格的に「除染」が始まったらたまらないな、と恐怖を感じた、というのもひとつの理由だった。

例えば、舗装道路の表面を削って「除染」するなどというのは、付着している放射性物質を細かい粉塵にくっつけたまま再び飛散させることで、恐ろしい作業だと言える。やるのであれば、剥がすのではなく、上からさらにアスファルトを被せてコーティングしてしまったほうがいいのではないか。
また、生活道路で舗装されていない道は、いつまでも放射性物質が土埃、砂埃についたまま舞い上がる環境なので、舗装してくれないと困る。
我が家の前の道を含め、今住んでいる住宅地の中の道路はすべて私道のため、未舗装(正確には造成時の舗装工事が甘かったのですぐに剥がれて土が剥き出しになった)なのだが、そこをもうもうと土埃を巻き上げながら車が通り、小さな子供たちがそれを吸い込んでいる(背の低い子供は大人より土埃を吸い込みやすいのは言うまでもない)。私道であるために土地の所有者全員の了解がとれないと舗装ができないとかなんとか。そうしている間にも、子供たちは放射性物質を含んだ土埃を吸い込み続けている。

鼻血の原因が何か、とか、風評被害だのなんだのと騒ぐよりも、合理的な判断で、費用対効果の大きな対策を安全に、効率的にしていくこと。そういう「今より少しでもマシな方向」に動くことが行政や国の使命だろうに。
現環境相などは、なんにも分かっていない。発言が馬鹿丸出しだ。

最後に、これは以前にも紹介した気がするのだが、もう一度思い起こすために……。
■水俣と福島に共通する10の手口■
  1. 誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
  2. 被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
  3. 被害者同士を対立させる
  4. データを取らない/証拠を残さない
  5. ひたすら時間稼ぎをする
  6. 被害を過小評価するような調査をする
  7. 被害者を疲弊させ、あきらめさせる
  8. 認定制度を作り、被害者数を絞り込む
  9. 海外に情報を発信しない
  10. 御用学者を呼び、国際会議を開く
水俣病と異なる点―今はインターネットがある