安倍晋三の並外れた能力とは2015/07/16 15:06

2015年7月15日 衆院平和安全法制特別委員会で長妻昭民主党代表代行の質疑に答える安部晋三首相
少し見方を変えてみよう。
日本の御家芸と言われてきたことがいろいろある。精密機械製造とか正確で緻密なサービスとか繊細で奥の深い料理文化とか。
その中に「腹芸」とか「アイデア盗用」というのもある。「ずるい」やり方でそこそこの着地点を見つけて、破綻を避けつつ、じわじわと経済力を蓄え、みんながそこそこ幸せになる。これが「日本式」幸福国家運営論。

諸外国からは「日本はずるい」という評価がある。創造的なアイデア出せないくせに、それを盗んで技術力と高い品質のサービスで世界一の評価を得る。中東やアフガンで戦争が起きたときも「うちは平和憲法があるので戦争に加われません」って言ってやりすごす。「それはずるいだろ」って圧力に抗しきれなくなると「じゃあ、お金出しますから、燃料代の足しにでもしてください」って言って逃げる。

自民党長期政権を築いてきた政治家たちには、この「日本式のずるさ」をうまく発揮して、国を破綻させないことこそが政治なのだと理解して、国内外からの批判をかわしながらうだうだとやっていく伝統のようなものがあった。
それをきちんと勉強せず、「みんなが戦争しているときに後ろで金だけ出すなんてかっこわるすぎる」というガキ大将レベルの知力と理解力のまま、血筋と凡庸さ(庶民受けの要素)で首相になってしまった男が、全部壊してしまった。

未だにこの図式が見えないまま、ガキ大将の論理を「国を守るには武力も必要だし、強い同盟国と共闘するのは正しい」「あたりまえのことを言っているだけなのになんで反対する必要があるのか」などと言っている人たちがたくさんいる。
それは大人の政治力ではない。ガキ大将の頭。でも、これは日本だけでなく、どこの国、どんな民族でもそう。そこに宗教なんかが絡むとさらにやっかい。大衆というのはそういうもの。歴史が物語っている。

安倍晋三のたちの悪さは、政治的な判断力、合理的理解力がないのに、「大衆はそんなもの」ということだけは、政治家一家の中で「世界の根本原理」の一つとして叩き込まれ、育ってきていること。
それが「今の日本の国民が、主導者がいい加減なことを言えば、烏合の衆のようにそちらに従っていく(というのなら)、それは国民に対して失礼じゃありませんか」(煽られたらついていくような国民だと思っているのなら、国民に失礼じゃないですか)というあの言葉(2015/07/15 衆院委員会での長妻昭・民主党代表代行との質疑応答
)に如実に表れている。そう思っているのは自分なのだが、嘘をつきとおせる、騙せるという自信はみじんも揺らがない。その図々しさこそが政治家の資質だと信じている。

「戦後の歩みというのはそんなものだったのですか? 日本は戦後70年、民主主義を徹底し、自由を尊び、報道の自由がある。報道機関もしっかりと勇気を持って報道している。国民のみなさんも、さまざまな情報を手に入れながら判断をしているんです。私は国民の皆様の判断、英知を信頼しているんです」(2015/07/15 衆院委員会での長妻昭・民主党代表代行との質疑応答の最後の発言)
まさに全部、自分がしていること、考えていることと逆のことを言っている。
立憲政治という根本を無視し、憲法でさえ自分の好みに合わせて「運用」できると思っている現首相は、真顔で嘘をつく、心の底から国民を馬鹿にしきるという自己暗示・自己陶酔能力にかけては、超人的なのかもしれない。

日本式の腹芸政治、コピー文化を僕は好きではない。しかし、そうした手法をも使って戦後の焼け跡から立ちあがってきたのも事実。この歴史から冷静に学ばなければならない。
コピー文化であっても、それをオリジナル以上の品質にまで高める技術と生真面目さ。ずるい、面従腹背だと言われながらも、したたかに動いて戦争に巻き込まれず、結果、戦場となった国の人たちからは「日本は我々に爆弾を落とさなかった。困っているときには井戸を掘ってくれたし、道路も作ってくれた、ずっと仲よくしていたい国」という評価も得てきた。
戦後、さまざまな現場で多くの人たちが努力して築き上げてきたこの貴重な財産を、一人のガキ大将が全部壊すのをただ見ていていいはずがない。

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