日本をシンガポールのような国にしたがっている人たち2015/07/25 01:32

安倍政権がめざすのはシンガポールのような国?

フェイスブック経由でこんなのを見つけた↑
igiveadayoff.orgというサイトのトップページにある動画。

画面の左側に子供の母親、右側にその子供のお守りをしているメイド。
「シンガポールの家庭で働く外国人家政婦は22万5000人」

……へえ、そうなんだ。
シンガポールの世帯数は114万6,200世帯(2011年)だというから、約2割──5世帯に1世帯は外国人の使用人を雇っている計算になる。実際には複数の使用人を雇っている家があるだろうが、それでも富裕層が多いのだなということは分かる。

さらに英語のキャプションを見ると……、この22万5000人のメイドの多くは24時間勤務(住み込み?)で休日もほとんどないらしい。
で、この動画では、「子供は将来何になりたいと思っているか?」「好きな教科は?」「学校での親友は誰?」などという質問を母親とメイドにぶつける。その結果、74%のメイドは母親よりも正しい答えを知っていたという。

このキャンペーン動画の最後のメッセージは、
Shouldn't we spend more time with our children?
(私たちは自分の子供ともっと多くの時間を過ごすべきでは?)
「家政婦たちにもっと休みを与えましょう」
……というもの。

これを見てドキッとした。と同時に、いろんなことが頭の中で渦巻いた。

まず、最後のメッセージの主語はwe(私たち)だ。この動画を作った団体は外国人労働者を使う側、つまり富裕層ということになる。
サイトのドメイン名は「igiveadayoff.org」  I give a day off. は、直訳すれば「私は休日を与える」だ。ここでも自分が主人の側だと明言している。
このサイトの親サイトは twc2 (transient workers count too) というところで、直訳すれば「非正規雇用者もちゃんと数に入れましょう(「人」としてみなしましょう)」となる。低賃金で休みなしに働く外国人労働者たちの人権を守りましょう、と呼びかける団体らしい。

団体の発起いきさつの説明を読むと、おおよそこんなことが書いてある。
シンガポールには海外からの移民労働者が約100万人いるが、これはシンガポール全人口のおよそ2割に該当する。
低賃金で働く外国人労働者の多くは、インド、中国、バングラデシュ、インドネシア、フィリピンから来ているが、過酷で極端な低賃金という労働条件、エージェントによる不当搾取や給与未払い、医療や衣食住などの基本的な生活環境の欠如に苦しんでいる。
当TWC2は彼ら低賃金移民労働者の過酷で理不尽な雇用状況を改善するために生まれた。

低賃金で24時間働く人たちは、自分たちの権利をネット上で主張するだけの余裕もないから、雇う側が彼らの権利を守ってあげなくては……ということなのだろうが、自然と「I give..」というフレーズになるあたり、ああ、まさにこれこそが「格差社会」なのだな、と感じた。

自分がこういう違和感を感じる人間として育ったことはものすごく幸せなことだ。
この日本という国では、まがりなりにも人はみな平等であり、基本的な人権は守られなければならないと教わり、実際にそういう社会で大人になることができた。
憲法という最高法規がそのことを保証してくれている。だから、いろいろ理不尽なことを経験しても、最終的にはとんでもない目に合うことはないだろう……多くの日本人はそう感じて育ってきたと思う。
しかし、シンガポールという国では、すでに違う規律というか、秩序、空気がしっかり確立されている。
かつては欧米先進国や南アフリカでも、この「格差はあってあたりまえ」「生まれつき、利用する側の人間と利用される側の人間に分かれている。それが社会であり、その秩序を守るのが富裕層に生まれた人間の務め」といった価値観(正義感、倫理観といってもいいかもしれない)があった。
日本も戦前はそうだった。童謡『あかとんぼ』の世界。
幼くして子守りなどの雑用をする使用人として裕福な家に女の子が売られていく。その女の子(ねえや)の背中に負ぶわれて見た夕焼けを背景に飛ぶ赤トンボの光景を歌った歌。
「15歳でねえやは嫁に行き」……その子守りのねえやも、15になるとさらに「(農家の)嫁」という労働力として別の家に行く……そういう完璧な格差社会だった日本。
それが徐々に変わっていって「人はみな平等である」という考え方こそがまともなのだという社会になってきた。
ところが、それは長く続かなかった。ここにきてまた、ゲーム感覚の金融社会の出現と爆発的な経済成長、そしてお山の大将的な精神構造を持つ独裁者の出現が、社会秩序を昔のような格差社会に戻している。
暴力を使わなくても、情報や教育で人を支配できるようになったから、昔のように露骨な支配構図が見えにくいが、その分、タチが悪い。

その「先進的」モデル地区がシンガポールなのだろう。

シンガポールという国を、多くの日本人は普段あまり意識していない。しかし、この国のことをもっと知るべきだ。
基本情報としては、
  • 面積:東京23区と同程度
  • 人口:約547万人(うちシンガポール人・永住者は387万人)(2013年9月)
  • 人種・民族:中華系74%、マレー系13%、インド系9%、その他3%
  • 国語:マレー語。公用語として英語、中国語、マレー語、タミール語
  • 略史:1824年:英国の植民地に。1942年~1945年には日本軍が占領。1959年:英国より自治権を獲得、シンガポール自治州に。1963年:マレーシア成立に伴い、その一州として参加。1965年:マレーシアより分離、シンガポール共和国として独立
  • 政治:一院制。建国以来、与党人民行動党(PAP)が圧倒的多数を維持(議員数87のうち81議席)

実は、上の動画を見たとき、僕はすぐに、以前に読んだ内田樹氏の「日本のシンガポール化について」という文章を思い出した。
以下、いくつか抜き出してみる。

日本メディアのシンガポール関連記事はその経済的な成功や、英語教育のすばらしさや、激烈な成果主義・実力主義や、都市の清潔さについて報告するけれど、シンガポールがどういう政治体制の国であるかについては情報の開示を惜しむ傾向にある。
だから、平均的日本人はほとんどシンガポールの「実情」を知らない。
シンガポールの「唯一最高の国家目標」は「経済発展」である。
平たく言えば「金儲け」である。
これが国是なのである。

政治過程や文化活動などはすべて「経済発展」の手段とみなされている。
だから、この国には政府批判というものが存在しない。
国会はあるが、ほぼ全議席を与党の人民行動党が占有している。1968年から81年までは全議席占有、81年にはじめて野党が1議席を得た。2011年の総選挙で人民行動党81に対し野党が6議席を取った。この数字は人民行動党にとっては「歴史的敗北」とみなされ、リー・クアンユーはこの責任を取って院政から退いた。

大学入学希望者は政府から「危険思想の持ち主でない」という証明書の交付を受けなければならないので、学生運動も事実上存在しない。「国内治安法」があって逮捕令状なしに逮捕し、ほぼ無期限に拘留することができるので、政府批判勢力は組織的に排除される。えげつないことに野党候補者を当選させた選挙区に対しては徴税面や公共投資で「罰」が加えられる。新聞テレビラジオなどメディアはほぼすべてが政府系持ち株会社の支配下にある。
(略) たしかにこんな国であれば、経済活動はきわめて効率的であるだろう。外交についても内政についても、社会福祉や医療や教育についても、政府の方針に反対する勢力がほとんど存在しないのだから。

日本の権力者や富裕層たちは、「日本がシンガポールのような国になれば面倒がなくていいなあ、もっと効率よく儲けられるし、安泰な人生を送れるだろうなあ」と思っているのではないか……というのが内田氏の読みだ。
これを内田流の穿った見方だと片づける人は多いだろうが、僕にとってはドキッとする指摘だった。

「メイドにもっと休日をあげましょう」というキャンペーン動画を見てぞっとしたのは、まさに今、日本という国が、金持ちと権力者によって着々とそうした国へと作りかえられようとしているからだ。

富裕層がますます金儲けをしやすくなるために、あらゆることが動いている。
欧米先進国のように武器輸出で儲けたい、というのもそのひとつ。
箍が外れてしまっている。その流れを止められない。
安保特別委員会。浜田委員長は委員長席で「一旦休憩を」と訴える我々に「もう止められないんだ。止められないんだ」と何度も呟いてた
(寺田学議員のツイッター)
↑この夏、いちばん怖いつぶやきではないか?

日本がシンガポールのようになるのと、その前に天変地異やデタラメな政策で破滅的なことが起きるのとどちらが先か……。

ちなみに、Wikiでの「シンガポール」解説ページでは、冒頭にこういう一文がある。
同国は高度に都市化され、原初の現存植生はほとんどない
今の日本には、まだ森も豊富な地下水も残っている。でも、潜在自然植生はほとんど残っていない。明治以降に一気に消えたのだ。
放射性物質をばらまいても平気な顔をして経済成長率がどうのとか言い続けている人間たちに、いつまでこの国の政治を任せておくのか。

iPhoneで撮る写真がデジカメよりきれいな理由2015/07/25 22:02

アップルの良識・ソニーの大罪

先日、久々に「ガバサク流」のサイトを更新した。

まずは、「ガバサク流まとめ講座 デジカメ新時代のカメラ選び」というのを新たに5ページ追加。
数年前、「仕事とパソコン」という雑誌に書いたものを改稿。次々に新機種が出てきても、こうこうこういう考え方でカメラを選べばよい、という内容にした。

他にも、「おすすめのコンパクトデジカメ」のページを更新。
XZ-10を推薦するページなども更新した。

で、ここではさらに裏話的なことを書いてみたい。

カメラと撮像素子(CMOSイメージセンサー)の世界で日本はトップを守れるのか

デジカメは日本のメーカーがまだ世界トップを走っている希有なジャンルになってしまった。
コンピュータもモバイル端末も負け。テレビも負け。液晶パネルも負け。電子機器業界で、カメラも負けてしまったらもう後がなくなるが、個々のメーカーを見るとどんどん規模縮小しているし、魅力的で画期的な新製品が出ない。

『デジカメに1000万画素はいらない』(講談社現代新書)でも書いたし、「ガバサク講座」でも何度か書いてきたことだが、撮像素子の画素数は多ければいいというものではない。それなのに高画素化競争をまだ続けようとするソニーの姿勢は困ったものだ。
デジカメが登場した頃の撮像素子はCCDが主流だったが、今ではすっかりCMOSになった。このCMOSは、ソニーが世界のシェアトップで、韓国のSamsung Electronics社と米国OmniVision Technologies社が2位3位の座を激しく争い、この3社だけで世界の市場占有率のおよそ3分の2を占めている。(4位はキヤノン)
日本ではソニーの他にはシャープ、キヤノン、東芝、パナソニックなどがCMOSを製造しているが、ソニーのシェアに比べれば「泡沫メーカー」と呼ばれても仕方ないほど弱い。
シャープはCCD時代にはデジカメ各社にOEM供給していたが、CMOS時代になってからはソニーに完全に負けてしまった。
キヤノンは自社製のCMOSを製造している数少ないカメラメーカーだが、かつてはコンパクト機のセンサーやレンズはOEMが多かった。
パナソニックはフォーサーズ用のCMOSを作っている。フォーサーズの提唱者であるオリンパスのCMOSもパナソニック製が多い。
富士フイルムは自社開発でEXR-CMOSという意欲的なCMOSを作っているが、実際の製造は東芝。
その東芝は韓国のサムスンと技術提携しているので、今後はソニー vs サムスン・東芝という構図がより明確になっていくかもしれない。

東芝とサムスンの提携はカメラ以外にもいろいろやっていて、意外なところでは東芝の洗浄便座はサムスンが製造している。これが相当優秀で、本家のTOTOをコストパフォーマンスで脅かす(というかC/Pでは圧倒する)存在になっている。
実は今の日光の家には洗浄便座がついていなかったので、引っ越しと同時にアマゾンで購入したが、それが東芝製だった。価格はわずか1万2000円ちょっとだったと思う。脱臭機能までついていて、4年近く経過した今もトラブルは一回もない。サムスンはすごいなあと、そんなところでも感心してしまう。

iPhone6の内蔵カメラのCMOSは、1/2.3型クラスのCMOSでは最小の画素数(=最大の画素ピッチ)

話をカメラと撮像素子(CMOS)に戻そう。

ソニーは現在、CMOS製造では世界トップの技術を持っている。これは業界の誰もが認めることだ。

iPhoneの内蔵カメラできれいな写真が撮れるのはすでに多くの人たちが体験していて、そのせいでコンパクトデジカメがますます売れなくなっているということがあるが、iPhone5/6の内蔵カメラに使われているCMOSもソニー製だ。
ただし、画素数は800万画素に抑えられている

『デジカメに1000万画素はいらない』をアップルは実践しているわけだ。

iPhone6のCMOSは6.1mm×4.8mm(29.3mm2)で、これはコンパクトデジカメによく使われている1/2.3型CMOSの6.2×4.7mm(29.14mm2)とほぼ同じ面積だ。
ソニー製の1/2.3型CMOSは、ソニーだけでなく多くのメーカーのコンパクト機に供給されているが、総画素数2000万画素以下のものはもはやない。
iPhone6のライバル機といわれているソニーのスマホXperia Z3の内蔵カメラもこの1/2.3型で2070万画素。CMOSの面積はiPhone6とほぼ同じなので、Xperia Z3のほうが1画素あたりの面積はiPhone6の約38%しかないということになる。
それを日本のメディアは、IT専門誌でさえ「スマホ最強のカメラスペック」などともてはやしている。馬鹿じゃなかろうか。

Xperiaの内蔵カメラは以前から「食べ物がまずそうに写る」と言われていたが、小さなCMOSに高画素を詰め込めば色階調が浅くなるのであたりまえだ。
「こんなの食べたよ~」とブログにちょろっとUPする写真が1000万画素だの2000万画素だの必要なわけがない。


iPhoneの内蔵カメラセンサーは、かつては米国オムニビジョン社のものだったが、iPhone5からメインカメラ(背面のカメラ)をソニー製CMOSにして、iPhone6では前面(サブ)カメラのCMOSもソニー製に切り替えた。コストはソニー製のほうが高いはずだが、技術的にソニーのほうが勝っていると判断したからだろう。(アップルとソニーの間で価格を巡る壮絶な駆け引きがあったことは容易に想像できる)
しかし、ソニー製CMOSを採用する際、アップルは高画素CMOSしか作っていなかったソニーに、敢えて「800万画素で作れ」と注文した。そのほうがきれいな画像になることが分かりきっているからだ。
現在、デジカメ用の1/2.3型CMOSで1000万画素より少ない画素数のものは製造されていないので、このクラスのCMOSではiPhone用のCMOSこそが画素ピッチ(1画素あたりの面積)が最も大きいということになる。きれいに撮れるのは当然だろう。
アップル社にはこうした「良識」がある。ソニーにはない。

iPhoneが800万画素に抑えた(大きな画素ピッチの)ソニー製(技術力業界トップ)のCMOSを採用した時点で、写真の実質的きれいさや使いやすさでは勝負がついていた。
iPhoneに供給した800万画素CMOSはiPhone以外には供給しないという契約をソニーがアップルと結んでいる(結ばされた)のかどうかは知らないが、ソニーは自社製のスマホ Xperia ではこの優秀な新型CMOSを使わず、苦し紛れに?デジカメと同じ1/2.3型CMOSを採用した。
結果は……iPhoneユーザーが知っているとおりだ。
⇒このWEBページなどに、両機種での撮り比べ写真があるのでごらんあれ。
明るい屋外ではなんとかごまかせても、屋内での写真(特に食べ物)や花などの撮影ではXperiaの惨敗だ。
画素ピッチが2.5倍も違うのだから当然だろう。

コンパクトカメラに魅力的な製品がなくなってしまったのは、CMOSで圧倒的な技術力とシェアを持つソニーが高画素路線をやめなかったことも一因だ。 今からでも、ソニーの技術で600万画素くらいのCMOSを作れば、カメラ業界はガラッと様変わりするかもしれない。それが業界のリーダーとして正しい姿勢だと思う。
しかし、ソニーは相変わらず画素数を増やし続けて「どうだ、すごいだろ」と見栄を切る路線をやめない。
今のままだと、ウォークマンで失敗したのと同じ轍を踏むかもしれない。


なぜ日本のメーカーは世界のトップを走り続けられないのか……。
思うに「競争」だけを意識し、製品に対する哲学や良心がないからだ。
売れるためにどうするかは考える(ユーザーをいかに騙すか、その気にさせるかには腐心する)が、本当にいい製品(自分が好きな商品、責任を持てる製品)を作ろうとしない。

他社が真似できないほどのすぐれた技術を持っているのに、メーカーとしての哲学や良心がない。そんな環境からは斬新なアイデア、画期的な新製品も出ない。
「技術大国日本」と呼ばれた国をこんな姿にしてしまったのは誰だ。