日本企業の劣化2016/04/07 22:34

ダイヤモンドオンラインの「日本企業は劣化したのではなく、もともといい加減だった」(山崎元のマルチスコープ)という記事がちょっと話題を集めている。
「立派だ」とされていた日本企業のあちこちで、急激な「劣化」が起こっているように思えてならない。
という話から始まり、
  1. 日本企業はもともとひどかったのだが、それが近年、見つかりやすくなっただけではないか
  2. 仕事に対する「やる気」自体があちこちの現場で低下していて、かつてなら「常識だろう」と思うレベルで実行されなくなってしまう事例が頻発しているのではないか

……という2つの仮説を展開している。

1つ目については、
「日本企業」が特に悪かったり、劣化したりしたわけではないのではないか。そもそも、「企業」というものは、世界的にいい加減なものなのだと考えることが妥当なのではないか。

と言っている。
まったく同感だ。
大企業だからしっかりしている、なんていうのは錯覚・幻想であって、規模の大小に関係なく、企業なんてものはしょせんいい加減なものなのだ。
ガバナンスが進んでいたはずのアメリカの企業にあっても、共に意図的な巨大粉飾事件と言うべき、エンロン事件もあればワールドコムの問題があった。また、ネットバブルの時代も、サブプライム問題から金融危機に至る時期も、多くの大手金融機関でガバナンスがまともに機能していたとは言い難い。金融業界の「プレーヤー」にとって、顧客もカモだったし、自分が勤める会社の株主(資本家!)もカモだった。合法的だが半分詐欺のようなビジネスが、彼らの高額報酬の裏に存在した。

その後、日本にもコーポレート・ガバナンスのアメリカ的強化を良しとする「風」が吹いた(企業統治で商売したい人々や、社外取締役の天下り先を作りたい官僚などが自分に都合良く感化されたのが実態だろうが)。委員会設置会社などという大袈裟な仕組みを持つ企業が登場したが、ガバナンス優等生とされた、東芝やソニーがどうなったかは、読者がご存じの通りだ。


2つ目については、こう指摘している。
仕事の意義を押し付けつつ、仕事の成果によって金銭的な報酬の差を少々つけると焚きつける、日本企業の多くが導入している「成果主義」は、「所詮仕事はカネのためなので、カネ相応に働けばいい」という気分につながって、現場に関わる社員たちのインセンティブを、かえって劣化させているのではないだろうか。

「お金をたっぷり支払う」ことを現場単位まで導入する資力は日本企業にはなさそうだ。さりとて、報酬が仕事のインセンティブとして大きな意味を持たないような世界で、「仕事」に対するプロフェッショナリズムに基づく緊張感を鍛え直すのも、難しそうだ。

次善の策としては、せめて経営トップ層が、報酬水準も含めて現場の社員ともっと近づくことだが、彼らは、当面、「ROE(自己資本利益率)」や「ガバナンス(企業統治)改革」を旗印に、お友達の社外取締役を味方につけて、自分たちの報酬水準を上げつつ企業を経営することに忙しい。


……う~ん、困ったね。

現場の実態はこうなのに、日本人の多くは未だに「技術大国日本」神話や「寄らば大樹の陰」という生き方原理を信じている。
じゃあ、どうすればいいのか……。
この記事(コラム)では有効な具体策までは提示していない。
少しでもマシな解決策を提示している記事を他の人のものに見つけたのだが、それはまた次にて……。

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