サーシャ・バジンはただの「筋肉自慢」ガイじゃない2018/09/15 23:01

大坂なおみ(以下、なおみん)ファミリーの中でいちばん興味深い人物は父親のフランソワ氏だが、昨年末コーチに就任したばかりのサーシャ・バジン(Aleksandar 'Sascha' Bajin)コーチもかなり興味深い人物だ。
簡単にプロフィールをまとめておくと、
  • 1984年10月4日 ドイツのMunichで生まれる。ドイツは出生地主義なのでドイツ国籍となる
  • 本名はAleksandar Bajin で、Saschaはニックネーム。自分で「Big Sascha」と名乗っている
  • 188cm、79kg。好きな色は白。上半身裸の写真をあちこちで露出している(なんと、ツイッターアカウントのプロフィール写真まで裸)ので、ゲイかと思いきや、モデルのFederica Rivoltaはじめ、数々の女性と浮き名を流している
  • 2007年にセリーナ・ウィリアムズのヒッティングパートナーとして雇われ、2015年3月まで8年間続けた
  • その後、ヴィクトリア・アザレンカ、スティーブンス、ウォズニアッキ、とチームを渡り歩き、ヒッティングパートナーを務める
  • 2017年、ウォズニアッキとの契約更新を前に、単なるヒッティングパートナー以上の役割を望んで決裂。契約終了の直後になおみんの代理人からコーチ就任の打診があった
  • 12月になおみんのチームと合流し、なおみんと実際に打ち合って相性を探った際、足首をひどく痛めたが、なおみんのコーチにどうしてもなりたかったので、怪我を隠し通して打ち続けた
  • 結果、無事なおみんのコーチに就任。翌年にはツアー初優勝、全米オープン優勝という大躍進を遂げた

「思いがけない事故だったけど、僕はそのまま続けたんだよ。もちろん、彼女のコーチになりたかったからさ。歯を食いしばって耐えたんだ。

'One of those freak accidents, I tried to keep going, of course, because I really wanted to work with her, so I bit down on my lip.
Sascha Bajin reveals 'freak accident' while training with Naomi Osaka Tennis World)

バジン コーチ(以下、サーシャ)がいかに「ただのヒッティングパートナー」ではなく「コーチ」としてのキャリアを積みたかったが分かるエピソードだ。

ヒッティングパートナーは「裏板」みたいなもの

サーシャのコーチとしての成功について、USオープンの公式WEBサイトにこんな書き出しのコラムが掲載されている。まだなおみんが優勝を決める前の2018年9月6日付けのものだ。
単刀直入にいえば、ヒッティングパートナーというのは必ずしも必要不可欠な要員とはみなされてない。「筋肉頭」みたいに思われてる。戦略はコーチに任せておけばいい。おまえは裏板みたいなもので、共鳴板じゃない、と。
To be blunt, hitting partners aren’t necessarily known as the headiest bunch. More often than not it’s a case of brawn over brains. Leave the Xs and Os to the coach. You’re here to be a backboard, not a sounding board.
Naomi Osaka's coach Sascha Bajin juggles coach, peacemaker roles By Richard Osborn  US Open.org 2018/09/06)

サーシャは「元プロテニスプレーヤー」という経歴を持っているが、選手としてプレイしていたのは2005年から2007年までで、最高ランキングは1149位。3桁順位にすら入れなかった。
そんなサーシャに、当時すでにグランドスラム4連続優勝などでトップ選手になっていたものの怪我でランキングを落としていたセリーナ・ウィリアムズのチームから、ヒッティングパートナーとして働かないかと誘いがあり、サーシャはそれに応じた。
それから8年間、セリーナのヒッティングパートナーを務めたのだが、その間、セリーナはキャリアゴールデンスラム達成(2012年)、ダブルキャリアグランドスラム達成(2013年)、2度目のグランドスラム4連勝達成(2015年)と、超人的な活躍をした。
それで、
ニューヨークタイムズはこのセルビア系ドイツ人(サーシャのこと)を「セリーナ・ウィリアムズの秘密兵器」と評したが、チームの側近外からは、上半身裸の写真をやたら見せつけるサーシャを、優秀な戦略家というよりもただの筋肉自慢のボディガードと見る向きもあった。
The New York Times went so far as to dub the Serbian-born German “Serena Williams’ Secret Weapon.” But there were some outside the inner-circle who viewed the sculpted Sascha as more beefcake bodyguard than skilled strategist.
(同上のコラムより)


そんなサーシャが、なおみんのコーチに就任して1年も経たないうちになおみんを全米オープン覇者に育て上げたのだから、ある意味、なおみん以上のサクセスストーリーだ。

サーシャの国籍はドイツだが……

サーシャはドイツ生まれだからドイツ人としてドイツ国籍を持っている。おそらくアメリカでの市民権も獲得しているだろう。アメリカ国内での立場はなおみんと似ている。
ちなみにドイツは日本同様に国籍にはシビアな国だが、近年、多重国籍については条件を満たせば認めるという方向に法律改正した。
ドイツの国籍事情を知るためにあちこちネットを見ていたら、こんなブログ↓を見つけた。

New Phase「私がドイツ国籍を取得する理由」「ドイツ国籍取得の手続き」「ドイツ国籍になって、変わったこと」

淡々と書かれているのだが、なんだか感動さえ覚えてしまった。
自分には一生関係のないことだけれど、国籍ってなんだろう、○○人というアイデンティティってなんだろうということを、またまた考えさせられてしまったのだった。

サーシャは生まれ故郷のドイツを離れてアメリカで自分のキャリアを向上させるために努力してきた。一部のテニス関係者からは「セリーナにくっついている筋肉野郎」みたいに見られていた。でも、彼の本領はムキムキボディではなかった。
彼のツイッターを見ると、なおみんを心から大切に思っていることがよく分かる。本当にいい出会いだったねえ。

冒頭で紹介したコラムの最後には、サーシャがなおみんをどう見ているかがよく分かるコメントが紹介されている。
大坂はテニス界でも有数のへんてこキャラクター選手としてファンを魅了する。脚光をあびるのにまだ慣れていない少女らしさ、新鮮さを持っている。
(略)
バジンは言う。「僕は彼女のこの純粋無垢さ、慎ましさといった、弱肉強食のプロテニス界においては得がたい魅力を守り抜くためならなんでもするよ。僕たちはもっとオープンに、正直になれる。ときには本当の自分、弱ささえも見せあおう。そうしていくことで、僕らを取り巻く世界ももっとよくなっていく。見せかけの、いんちきな気持ちはいらない。彼女はまさに、その意味で真のスターだと思うから」
Osaka has endeared herself to fans as one of tennis’ quirkiest characters; a young-in-age/young-at-heart breath of fresh air who’s still growing accustomed to life in the spotlight. Cue up her trophy speech in Indian Wells if you need evidence of her lack of PR polish. Bajin says he’ll do all he can to preserve that sense of innocence, that shyness, something of a rarity in the sometimes dog-eat-dog world of professional tennis.

“I believe the more open we are and the more honest we are and show vulnerability sometimes and who we truly are, the better this world is just going to be,” he said. “And all the fake emotions, I'm not a fan of it. I believe that she's a star for that.”


なおみんの家族やチームは、ほんとに魅力的な人たち(ある意味変わり者)ばかりで、存在そのものがエンターテインメントだ。願わくば、この魅力がこれからも続きますように。

ホッケー⇒今市高校⇒バドミントン⇒大堀⇒桃田⇒富岡高校2018/09/17 11:31

2018年現在の立ち入り規制区域図

ホッケーはラクロスよりマイナー?

退職後、毎日、うちの前の畑でせっせと野菜作りをしているSさんの孫のゆいちゃんは、最近よくピンポ~ンとやってきて「み~ちゃんは?」とねだる。ゆいちゃんのお相手をするのが、み~の新しいお務めになっている。
み~ちゃんのお務め
昼寝をしていたのにゆいちゃんのお相手に起こされて若干機嫌が悪いみ~

そのゆいちゃんの両親はホッケーの選手だったそうで、Sさんはその関係からか、よく車で日本全国にホッケーの試合を応援しに行く。高速道路を使わず、車中泊しながらなので、一度出かけると数日戻って来ない。
栃木県は自転車のロードレースとアイスホッケーが盛んだということは、ここ日光に引っ越して来てから知ったのだが、フィールドホッケーも盛んだそうで、今年は地元の今市高校が全国大会で優勝したという。
先日のアジア大会でも日本は男女アベック優勝で、もっと話題になってもいいのに……とSさん。
リオデジャネイロまで4大会連続五輪出場を果たしている女子に対し、男子は1968年メキシコ五輪を最後に出場がなく、影が薄かった。昨年6月に復帰したオランダ出身のアイクマン監督の下、海外遠征を重ねて強化。東京五輪にはすでに開催国枠での出場の権利があるが、弾みがつく初のアジア王者となり、主将の山下は「前半に4点を入れられ、負けてしまうと思った。それでも、最後まで走りきることだけを一生懸命やった」と興奮気味に語った。
ホッケー男子が初の王者 3点差追いつく驚異の粘り 成長の証し 「ホッケーにとって大きな勝利」 産経新聞 2018/09/02

祝!ホッケー日本代表
3年次生の松本和将君がホッケーの日本代表としてサムライジャパンに選出されました。 高校生では唯一の代表入りとなります。
今市高校WEBサイトより)


フィールドホッケーという競技は世界的にはそこそこ競技人口も多いスポーツらしいし、日本でも、もっと競技人口が増えていけばいいのにねえ。
というわけで、フィールドホッケー部のある高校というのはどのくらいあるのか調べてみた。
首都圏のみのデータだが、どんな部があるかというリストが⇒ここにあった。
で、これはあるだろうなと思えるテニス部の有無を調べると、829校。8割を超えている。逆に、テニス部のない高校があることに驚く。
サッカー部は812校でテニス部のある学校とほぼ同じレベルだが、男子校と共学校だけなら95%なので、テニスより人気が高いといえそう。

じゃあ、少ない部はどんなものかな。
ゴルフなんて贅沢な大人のスポーツかなと思ったら、90校もある。
最近パワハラや暴力が問題になったアメフト、ボクシング、体操、重量挙げはどうかな?

アメフト部   54校
ボクシング部   28校
体操部   133校
重量挙げ部   15校

……体操部がかなり多いのは意外だった。学校外にクラブも多いだろうから、子どもの競技人口はかなりなものだろう。
あと、「重量挙げ部」ってあるんだねえ。高校に……。

その他、これは少ないだろ、と思えるのをチェックしていったのだが、かなり意外な結果になった。

釣り部   27校
自動車部   26校
射撃部   26校
ラクロス部   26校
水球部   20校
馬術部   16校

……馬がいなければ成立しなさそうな馬術部のある高校が関東だけで16校もある。北海道とかならまだ分かるけど……。
射撃部が26校というのも驚いた。高校生が銃を持てるのか?と疑問に思って少し調べてみたら、最初はビームライフルというのを使うらしい。その後、場合によっては「年少射撃資格者」という資格を取って、教員が所持しているエアライフルを借りて本格的にライフル射撃を練習することもあるのだとか。
自動車部というのもビックリ。工業高校なんかで自動車の修理を学んでいるとかかと思ったら、慶應義塾高校には本格的なモータースポーツの自動車部があった
他は、本田宗一郎杯Hondaエコマイレッジチャレンジという1リットルでどれだけの距離走れるか、というレースに参加するための部活動、というのも多いらしい。

ラクロス……どんな競技だっけ? セパタクローとかカバディとか、そういうレベルのマイナースポーツを一瞬思い浮かべたのだが、世界的にはかなり競技人口があるらしい。

で、こういうのより少ないのが、

ホッケー部   15校

え? 重量挙げ部と同じ? 馬術部や射撃部より少ないの? ラクロス部より全然少ないの?
これはビックリだ。

ということは、オリンピック代表になるのも競争率低い。サッカー部の1.8%。部員数にしたら1%を切っているんじゃないだろうか。つまり、単純に考えても、サッカーで日本代表になるより100倍可能性が高い。
それでも、アジア大会で男女ともに優勝するんだから、すごいじゃないか。
考えてみると、サッカーやラグビーに比べたら、身体のぶつかり合いは少ないだろうし、背が低くてもマイナス要因にはならない。日本人向きの競技なのだろう。もっと競技人口増やせばいいのに。

今市高校と富岡高校を結ぶバドミントン

ちなみに、今市高校のスポーツ系部活動部員数を見ると、バドミントン部もかなり多い。

今市高校のスポーツ系部活動部員数 (JS日本の学校 より)

かつてはインターハイ団体優勝などしていたそうで、そのときの選手の一人が女子バドミントンで活躍する大堀彩選手の父親・大堀均氏。
大堀氏は今市高校卒業後、日本体育大学~トナミ運輸と進んでバドミントン選手として活躍。全日本ジュニア単優勝、全日本総合複2位などの成績を残している。
三協アルミでバドミントンダブルス選手として活躍していた麻紀さんと結婚した。
2006年に福島県の富岡高校に赴任してバドミントン部監督就任。桃田賢斗や娘の優・彩姉妹をバドミントン選手として育てたが、2011年、福島第一原発の爆発で富岡高校は校舎を失い、生徒はバラバラに。
それでも翌2012年にはインターハイ女子団体優勝、世界ジュニア選手権では桃田賢斗を日本勢初の優勝に導いた。
ちなみに、大堀彩の姉・優もバドミントン選手で、夫の斎藤太一もバドミントン選手。斎藤太一選手も富岡中学~富岡高校で、大堀均氏の指導を受けている。
栃木県のバドミントン関係者の多くは、大堀ファミリーが「栃木県」と関係がないように報じられることに複雑な思いを抱いているらしい。

そんな話を知って、富岡高校や富岡町は今どうなっているのか、ちょっと調べてみた。
川内村にはスーパーもDIY店もないから、村民の多くは富岡が生活拠点だった。富岡に職場を持っている人たちも多かった。
僕らも富岡にはよく買い物に行ったので想い出はたくさんある。
Googleマップで見ると、富岡高校は⇒こんな感じになっている。
富岡高校だけでなく、原発爆発で立ち入りが規制された区域にあった双葉郡の各高校の生徒は、福島県内各地8校に分散させられ、(サテライト校、などと口当たりのいい言葉を使っているが)もともとの校舎には通えない「名前だけの高校」になった。
桃田選手や大堀彩選手の活躍で、メディアではサラッと「2013年 富岡高校卒業」「2015年 富岡高校卒業」などと書いているが、富岡高校は「物理的」には2011年3月以降は存在していないのだ。

2018年現在の規制範囲(Clickで拡大)


上の図を見れば分かるように、富岡町は避難指示解除されたエリアが多いが、普通の町に戻るのは、僕らが生きている間は無理だろう。
富岡高校は、今は「物理的」にだけでなく、「名義上」も、もうない。「休校」となっているが、事実上は消滅したといえる。2015年には広野町に福島県立ふたば未来学園高等学校が開校したので、今後も「富岡高校」として復活することはないだろう。廃校ではなく「休校」としているのは、富岡町民らの心情を配慮してのことと思う。
そもそも、原発爆発の前から双葉郡の高校は過疎問題に直面していた。富岡高校は普通科を廃し、Jビレッジなどとの連携を図って、スポーツに特化した学校をめざしていた。川内村には富岡高校川内分校があったが、それも原発爆発の前に廃校になっている。
今後はふたば未来学園高等学校の関連などで、いろんなところからの金がどこにどう流れて、育成費やら設備投資やらに使われ……みたいなことが内輪の話題として進行していくのだろうと想像する。

僕らは川内村から日光に移り住んで、いちばん近い高校が富岡高校から今市高校になった。この2つの高校を結ぶキーワードがバドミントンだったというのが面白い。
それにしても、スポーツの世界で上に行くのは大変なことなんだと改めて思う。裏には、メディアが取り上げないいろんなドラマが隠れている。
芸能界もそうだし、人生、社会的な成功や名声を得る裏のドラマに耐えられない「弱い」人たちのほうが幸せな人たちなのかもしれない。
……なんてことをふと思ったのだった。


「敬老」されない老人たち2018/09/17 22:02

今日は「敬老の日」で世の中的には休日。日本の法律によれば「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」趣旨の日だそうだ。

昨日、ホームに立ち寄って、羊羹2本を置いてきた。
親父と義母は元気だが、今もお互いが親戚関係であることに気づいていない。昨日などは二人並んで玄関に僕らを見送りに出てきたが、それでもお互いの関係を認識できていない。そのほうが問題が増えないので、そのままにしている。
親父はせん妄や多動が問題になっているので、先日からアリセプトの服用をやめてみているのだが、変化は見られないという。アリセプトが原因ではないか、まだ抜けきっていないか……いずれにせよ、アリセプトをやめても変化がないのであれば、服用する意味がないので、このままやめるか、他の薬(メマリーなど?)に替えてみるか、ということになるだろう。
メマリーは攻撃性をなだめるために精神安定剤的に処方されることもあるようだが、いずれにせよ、次回、主治医と相談することになる。
あとは、いよいよ秒読み段階みたいになったときに、どうするか。今のホームで看取りたいが、ホームで看取れる程度(範囲)で静かに穏やかに状態が移行するかどうかは分からない。今の主治医は訪問診療はしていないので(訪問診療医を見つけるのは至難の業)、その前に義母をお願いした訪問診療医に頼み込んでバトンタッチできるか、あるいは今の主治医に頼んで訪問看護師に指示書を書いてもらって対応しきれるか……。
まだまだ難題、不安が山積している。

義母は以前から被害妄想的な錯覚、思いこみ──自分の失敗を他人に原因があると思い込む症状(自分で片づけたものが見つけられず、「盗られた」「隠された」「取り上げられた」と訴える、など)が見られ、それは今も続いている。
二人ともスタッフには大なり小なり迷惑をかけているが、まだ暴れたりしないだけいい。
ここ数年、親の認知症や介護問題に直面してからは、もっとやっかいですさまじい話をたくさん耳にする。

事例1:
子ども(多くは息子)が親の状態を認めようとせず、病院に連れていかない、介護サービスを受けさせないという事例。
自分は会社に行ってしまい、親の介護は妻などにやらせている例が多く、被害は自分以外の身内や周辺の人たちが大きく被ることになる。息子の妻が「お義母さんの面倒はもう素人には無理。介護サービスを使いましょう」と言っても「まだ早い」などと言って取り合わない。自分では母親のオムツを替えることもしたことがないのに、だ。
夫が頑固で「お国の世話にはならん」と言い張り、自分では介護しきれない妻を抱え込むケースも多い。自分もそこそこ惚けているので、ちゃんと世話をしているつもりでもできてないから、妻は汚物まみれで悪臭を放ち、どんどん衰弱していく……。子供がいない場合、配偶者が介護サービスを受けようと決断しない限り状況は改善できない。国民年金しかもらっていない貧困老人夫婦所帯では、介護や医療は金がかかると思い込んで、頑なに公的サービスに背を向けているケースも多い。周囲がいくら説明しても理解しようとしない。こういう事例は本当に多い。

事例2:
身体は元気だが、歳を取ってどんどん性格が悪くなる人というのも結構いて、家族だけでなく、近所にも迷惑をかける。
家の前の荒れ果てた針葉樹林のおかげで陽があたらなくなったので、土地の持ち主(高齢の男性)に「伐ってもいいか」と相談すると、どうぞどうぞと言われたので伐ったところ、その妻が血相を変えて怒鳴り込んできて、数十万円の賠償金を要求された。面倒なので……と、その人は言われるまま数十万円を支払った。手入れしてなくて、何本かは枯れて倒れたりしているような林なので、当然、伐った木に経済的な価値などない。「どうぞどうぞ」と答えた戸主は妻には頭が上がらず逃げてしまう。息子も母親には逆らえず、見て見ぬ振り。こんな姑に耐えきれなくなった息子の妻は家を出て、老父母と息子だけになった一家はますます近所からは距離を置かれる。

事例3:
認知症になり、せん妄がひどく、暴力をふるうようになった女性。同居しているのは高齢の夫と息子夫婦。デイホームに預けても、スタッフを殴ったり噛みついたりするので、手に負えず、何か所も断られる。しかし、家族ではとうてい面倒はみられず、下半身が汚物のために爛れて見るも無残な状態に。見るに見かねた別のデイホームのスタッフが「もう、いいですよ」と言う家族を説得し、頑張って引き受け、噛みつかれたりしながらも一生懸命に下のケアをし、風呂に入れて手当するが、家に戻って数日後にはまた爛れた下半身、全身あざだらけの状態でやってくる。挙げ句の果てに、別居している独身の娘が「あそこのデイホームで痣を作った」と役所に訴え出た。ホームでも暴れるので小さな傷くらいできたかもしれないが、スタッフもこの利用者のせいで打撲やらかみ傷などの怪我が絶えない。
ケアマネも息子夫婦もそのことはちゃんと分かっている。ケアマネは「もう在宅介護では無理なので、どこか24時間入所の施設を探すしかない」というが、夫と娘が頑なに拒否する。特に娘が問題で、どうも、自分の生活費などを母親の年金などに依存しているから、母親が24時間入所施設に入ってしまうのを恐れているのではないかと周囲の人たちは見ている。

……ここ数年、こんな話ばかり見聞きしてきた。
どれも珍しい話ではない。これからはこういうタイプの「老害」事例がどんどん増えていき、それに人的にも経済的にも対処しきれなくなって、社会が疲弊していく。
それを思うと、単純に「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」なんてきれいごとだけではなく、真剣に超高齢社会の問題について考える日にしてもいいんじゃないかと思う。

俺だって老人なのに……

そもそも、こんなことを書いている自分自身が63歳の老人。同窓生の多くは孫がいて、おじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれている年齢なのだ。
仲のよかった同窓生が何人もすでに亡くなっている。毎朝、起きるときの身体の辛さが日増しにひどくなってきて、ほんと、親父より自分が先に死んじゃう可能性も十二分にあるなと感じる。信長も歌っていたではないか「人生50年~~~♪」と。
しかし、僕らは敬老の日に誰からもねぎらってもらえない。還暦を超えても、子供のときと同じように、親に何かしなくちゃいけないかな、と気を遣う。
親のためにする「何か」というと、どうしても、病院に付き添ったり、オムツや薬を買いに行ったりということが頭に浮かぶ。
ホームに足を運ぶ回数が増えてきたが、それによって親父はむしろ不安をつのらせ、せん妄が増えている。自分のことで施設長と何か相談しているらしい。何かされるんじゃないか。病院や他の大きな施設に入れられてしまうんじゃないか、という不安が膨らむらしい。
会いに行けば単純に喜んで……ということではないので、敬老の日だから何か特別なことを、というのは、かえってよろしくない結果になる。そういうことまで計算して動かなければならない。

そんなこんなで家に戻ると、自分の体力・気力・創造力が落ちていることで思い悩む。
経験だけは積んでいるわけだから、今までの10倍、100倍の時間をかけてもいいと、ガバッと大きく構えようとは思っているのだが、最終的にできあがるものが、今までのクオリティよりぐんと落ちるのではキツい。生涯でいちばんの傑作が生み出せなくてもいいから、せめて若いときと同じレベルくらいの作品を生み出し続けたい。
でも、その判断もどんどんおかしくなるのだろう。自分に甘くなる? それとも、僻みっぽくなって、そこそこいい出来の作品も認められなくなる?
どちらも嫌だねえ。

そうそう、よくても悪くてもひと月に一曲作るぞプロジェクト(いつそんな名前になった?)だが、6月の曲『June Storm』に続く7月の曲『Mars and the moon』ができた↓ June Storm を作っているときから、アップテンポの打ち込みはキツいから、次はゆったりしたのをシンプルに打ち込みなしで……と思っていた。生ギターとEWIだけで……サクッと作ったと言いたいところだけれど、メロディが決まるまで、何週間もかかってしまったよ。
これはスマホのちっちゃなスピーカーやイヤホンではなく、ある程度低音がしっかりゆったり出るスピーカーで聴いてほしい作品
EWIはEWI USB付属のGarritan音源の中から、スーザホーンとチューバを6:4くらいでブレンドしてみた。
Logicをアップデートするために、やむなくOSをアップデートした話はすでにしたが、その結果、EWI USBの音源ソフトを立ち上げると警告が出るようになってしまった。Appleのサイトを見ると、今は警告だけだが、いずれは32ビットソフトは完全に使えなくなるようにするという。
GarritanのEWI USB音源を64ビット仕様にすることは考えていないだろう。ということは、Mac OSが完全に32ビットソフトを拒否するようになったら、この音が出せなくなるってことじゃないの。冗談じゃないよなあ。
Logicをアップデートしても、今のところなんにもメリットが増えたと思えないので、これ以上のOSアップデートはやめよう。

……なんてあれこれ悩んだり、試行錯誤できているうちはまだボケてないかな。うん、そう思いましょ。

森水学園第三分校の校歌2018/09/24 11:30

森水学園第三分校 校歌

↑Clickして、まずは聴いてみましょう




★大きい画面で見たいかたは⇒こちらへどうぞ

森水学園初代学園長の森水生士センセは、カタカムナのウタヒでいちばん有名な「ヒフミヨイの歌」を学園の校歌にしようとしていたようですが、完成を見ずに不慮の死を遂げました。
学園長の死後、音楽担当の林田光センセが作曲、林田センセが作った歌詞に鵯田つぐみセンセが補作してできあがったのが第一校歌です。
生徒たちからは「校歌ということを意識しすぎて普通になっちゃったんじゃない?」など、評判は今ひとつのようですが、これはこれで学園の精神を歌い込もうと努力して作られた立派な校歌だと思います。

元になった「ヒフミヨイの歌」を見ておきましょう。
ヒフミヨイ   (一二三四五)
マワリテメクル   (回りて巡る)
ムナヤコト   (六七八九十)
アウノスへシレ   (合うの術知れ)
カタチサキ   (形先)
ソラニモロケセ   (空にもろ消せ)
ユヱヌオヲ   (結えぬ尾を)
ハエツヰネホン   (生え 終 根本)
カタカムナ   (形ある世界と形のない世界)


この「ヒフミヨイの歌」の精神を歌詞に込めたのが、我が森水学園第三分校の校歌です。

森水学園第一校歌「ヒフミヨイの歌」

(林田光 作詞・作曲、鵯田つぐみ 補作詞)


ヒフミヨイ 時間(とき)も物質(かたち)も
回りてめぐる この世界に
生まれ出で 出会いを重ね
形なき闇を 見つめる術知る

ムナヤコト 夜が訪れ
また日は昇る この世界よ
罪も汚れも 結べぬ答えも
すべて吐き出し 空にもろ消せ

ああ、森と水が 我らが母校
命を学ぶ 森水学園

練習用に譜面とメロディだけの動画も作りました
★画面右下のスピーカーマークをクリックして音を出してください


ちなみに、全国に散らばる森水学園関係者や生徒の多くは、⇒この曲↓を校歌にもらってくればいいのではないか、と言っています。
第二校歌としてご紹介しておきます。


2011年上智大学講堂にて KAMUNA 最後の上智ライブ