『そこまで言って委員会』出演の結果……2019/05/03 20:17

やはり地上波テレビの宣伝効果はすごかった

先日、「関西ローカル」の『そこまで言って委員会』という番組にゲストで呼ばれて大阪まで行った。
関西ローカルといっても、日本全国で放送されないのは関東広域と福井、福島、青森、岩手、山形だけ。日曜の午後1時台の番組なのに視聴率は常時10%以上を記録しているらしい。
栃木は関東広域に属しているので放送されていない。ただ、放送日翌日から1週間、ネットブラウザで普通に見られるし、TVerでもやっている。
どんな編集になったのか確かめるために、Amazon Fire TVにTVerアプリを入れて居間のテレビで見られるようにした。……あら、簡単だ。
放送を録画して見るという普段のスタイルと違い、CMスキップができないが、これってむしろ放送局側にとっても、スポンサー重視になって好都合なのでは? 地上波番組が放送日後1週間、いつでも好きな時間に見られるというのはいいね。しかも、放送エリアではない番組も見られる。
こうなると、テレビの視聴方法というのもどんどん次第に変わっていくんじゃないだろうか。

↑TVerアプリは無料でインストールできる  ↓普通にテレビで見られるようになった。

それにしても驚いたのは、地上波テレビの宣伝効果の大きさだ。
番組ではVTRも使って『医者には絶対書けない幸せな死に方』(講談社プラスα新書)の紹介をしてくれたのだが、発売後1年以上経っている本だし、関東広域では放送されないし、多少なりとも売り上げに結びついてくれればいいな、という程度の気持ちだった。
ところが、放送直後、Amazonの書籍売り上げで8万位くらいだったこの本が、夜には本全体の21位(!)にまでジャンプアップしていた。

放送直後の15時時点では79299位だったのが、19時には21位に。その後順位を下げたが、それは在庫切れ表示になってしまったからのようだ。↑


ノンフィクション部門ではなんとTOP10入り↑


まさに嬉しい悲鳴というやつだが、残念なことにこの「在庫切れ。入荷未定」表示は変わらないままついに10連休に突入してしまった。
出版社内在庫はあるということだったのだが、取り次ぎが間に合わないまま10連休に……なんとももったいないことだ。
楽天など、他のネット書店でも同じ。やれやれ。
5月3日現在、Amazonではようやく入荷予定日時が表示され、注文可能になったようだ。
注文を躊躇っていたかた、再度ポチお願いします。

オリンピック陸上競技にまつわる名レースTOP52019/05/31 11:09

昭和30(1955)年生まれの私は、来年まで生きていれば「東京オリンピック」をリアルタイムで2回見る世代になる。
そこで、オリンピックにまつわる、忘れられないシーンのTOP5はなんだろうと思い浮かべてみた。
こうなった↓

5位:1992年のバルセロナ五輪男子マラソン

谷口浩美の「こけちゃいました」……靴を踏まれて飛んだ靴を探して履き直していたロスタイムと、その後の追い上げタイムを計算すると、踏まれていなければ間違いなく谷口の優勝だった。そうなっていれば、谷口はオリンピック陸上フィールド以外の種目で日本人初の金メダルという名誉を得て、歴史に名を残していた。
「オリンピック陸上フィールド以外の種目で日本人初の金メダル」は、8年後に高橋尚子が成し遂げたが、あのシーンを見たときも「谷口があのとき靴を踏まれなかったらなあ……」と思ったものだ。

4位:2000年1月の大阪国際女子マラソン

この大会は9月開催のシドニー五輪女子マラソン代表選考レースの1つだった。弘山晴美は、陸連から1万メートルでの出場を促されていたが「マラソンで出場」と拒否し、出場。しかし、ゴール直前リディア・シモンに抜かれ、2位に。2時間22分56秒は世界歴代9位(当時)・日本歴代3位(当時)の好記録でゴールしながら代表になれなかった。(前年のセビリア世界陸上で2時間27分02秒で市橋有里が2位入賞してすでに内定していたため。市橋の2時間27分02秒は生涯自己ベスト)

3位:1995年の東京国際女子マラソン

アトランタオリンピック代表選考レース。残り5キロという地点でトップ集団を走っていた浅利純子(ダイハツ)が、前を走る吉田直美(リクルート)の靴のかかとを踏んで、浅利、吉田、そして後ろにいた後藤郁代(旭化成)がもつれて転倒。1人、転倒を免れた原万里子(万引きで有名になってしまった選手とは別の「原」)がここぞとばかりに独走態勢に入ったが、ゴール直前で追い上げてきた浅利に逆転された。吉田は靴が脱げ、履き直さなければならず、3人の中でいちばん痛手を負ったが追走してトップと10秒差の4位に。靴を履き直すタイムロスは10秒以上あったので、踵を踏まれなければ吉田が優勝していただろう。
浅利が「転倒に負けず逆転勝利。オリンピック代表に」という物語を美しく飾るため、転倒時のスロービデオは、その後、二度と流されることはなかった。

2位:1964年東京五輪男子マラソン

ぶっちぎりで優勝したアベベ・ビキラ(エチオピア)に大きく遅れて競技場に2位で入ってきたのは円谷幸吉(陸上自衛隊)。しかし、ゴール直前でイギリスのベイジル・ヒートリー(当時の世界最高記録=2時間13分56秒保持者)に抜かれて3位に。その後、体調不良や鬱状態になり、自殺。
ほとんどの日本人にとって、円谷の最後の姿は東京オリンピックで銅メダルを取ったときの映像になってしまった。
ちなみに、1936年ベルリンオリンピックで田島直人(三段跳・金、走幅跳・銅)、孫基禎(マラソン・金)、南昇竜(マラソン・銅)、原田正夫(三段跳・銀)、西田修平(棒高跳・銀)、大江季雄(棒高跳・銅)の後は、1964年東京オリンピックまでの間の陸上全種目で日本人選手が取ったメダルはゼロ。1964年東京オリンピックでも、陸上のメダルは円谷のマラソン銅メダルだけである。(※孫基禎と南昇竜は日本占領下の朝鮮の選手)

1位:1987年12月、ソウル五輪代表選考会の福岡国際マラソン

12月の福岡国際で一発選考と言われていたのに、怪我で出場を断念した瀬古利彦(ヱスビー)に対して陸連は「3月のびわ湖で好成績なら選ぶ」と、急遽方針を変更。怒りの中山竹通(ダイエー)は「自分なら這ってでも出ますけどね」と発言。レース当日は5mの強風とみぞれで異常な寒さ。その中を中山はいきなり飛び出して、ずっと14分台で飛ばし、中間点では1:01:55。35キロ地点まで当時の世界記録を49秒上回るハイペースを続け、最後に失速するも2位以下に2分以上の大差をつける2時間8分18秒で圧勝。ゴール後は「とにかく寒くて身体が動かなくなった」と。
中山の異常なペースに惑わされ、有力視されていた谷口浩美(旭化成)は2:12:14の6位。宋猛(旭化成)は途中リタイヤで「お茶が温かかった」の名言。あのときの中山ほどかっこよかったランナーはいないなあ。
このレースはスタートからゴールまで完全録画して、その後何年も持っていたのだが、ビデオデッキの時代ではなくなり、引っ越しも何度もしたために、ビデオテープは全部処分してしまった。残念。

……と書いてきたら、あれ? 全部マラソンだ。しかも、オリンピック本番レースは2つしかなくて、あとは選考会レースか。
優勝した選手よりも強烈な印象を残した「敗者」たち。……あたしって、やっぱり表舞台に立てない性格なのだろうか。

五輪陸上競技日本選手メダリスト

で、オリンピックの陸上競技でメダルをとった日本選手のリストというのを見たら、思っていたよりずっと少ないのだね。
戦後は、マラソン以外でメダルをとるのは考えられない状況で、だからこそQちゃんが出てきたときは驚いたんだなあ。

1928(昭和3)年 アムステルダム大会
織田幹雄:三段跳 金
人見絹枝:800m 銀

1932(昭和7)年 ロサンゼルス大会
南部忠平:三段跳 金・走幅跳 銅
西田修平:棒高跳 銀
大島鎌吉:三段跳 銅

1936(昭和11)年 ベルリン大会
田島直人:三段跳 金・走幅跳 銅
孫基禎:マラソン 金
原田正夫:三段跳 銀
西田修平:棒高跳 銀
大江季雄:棒高跳 銅
南昇竜:マラソン 銅
※マラソンの孫基禎、南昇竜は日本占領下の朝鮮の選手
──ここまでが戦前。戦後は……

◆1948年 ロンドン、1952年 ヘルシンキ、1956年 メルボルン、1960年ローマの4大会連続でメダルなし

1964(昭和39)年 東京大会
円谷幸吉:マラソン 銅

1968(昭和43)年 メキシコ大会
君原健二:マラソン 銀

◆1972年 ミュンヘン、1976年 モントリオール、1980年モスクワ(不参加)、1984年 ロサンゼルス、1988年ソウル大会の5大会連続でメダルなし

1992(平成4)年 バルセロナ大会
有森裕子:マラソン 銀
森下広一:マラソン 銀

1996(平成8)年 アトランタ大会
有森裕子:マラソン 銅

2000(平成12)年 シドニー大会
高橋尚子:マラソン 金

2004(平成16)年 アテネ大会
室伏広治:ハンマー投 金
野口みずき:マラソン 金

2008(平成20)年 北京大会
塚原直貴末續慎吾高平慎士朝原宣治:4×100mリレー 銀

2012年(平成24)年 ロンドン大会
室伏広治:ハンマー投 銅

2016(平成28)年 リオデジャネイロ大会
山縣亮太飯塚翔太桐生祥秀ケンブリッジ飛鳥:4×100mリレー 銀
荒井広宙:50キロ競歩 銅

4x100mリレーでメダルをとるというのがどれだけすごいことか分かるなあ。

「世界陸上」における日本選手の歴史2019/05/31 13:47

陸上競技の世界最高峰大会は、オリンピックよりも世界陸上選手権かもしれない。
名誉やニュース性ではオリンピックのほうが上かもしれないが、参加選手数や優勝者の記録レベルでは世陸のほうが上だ。特に、最近では真夏に開催されるオリンピックより、世陸のほうが競技コンディションがよいので、真の「世界最高レベル」が見られる可能性が高い。

というわけで、世陸における日本選手のメダル獲得歴史を振り返ってみた。

1987年 ローマ

   メダルなし

1991年 東京

  • 谷口浩美  金 男子マラソン (2時間14分57秒)
  • 山下佐知子  銀 女子マラソン (2時間29分57秒

1993年 シュツットガルド

  • 浅利純子  金 女子マラソン (2時間30分03秒)
  • 安部友恵  銅 女子マラソン (2時間31分01秒)

1995年 イエテボリ

   メダルなし

1997年 アテネ

  • 鈴木博美  金 女子マラソン (2時間29分48秒)
  • 千葉真子  銅 女子10000m (31分41秒93)

1999年 セビリア

  • 市橋有里  銀 女子マラソン (2時間26分33秒)
  • 佐藤信之  銅 男子マラソン (2時間14分07秒)

2001年 エドモントン

  • 室伏広治  銀 男子ハンマー投げ (82m92)
  • 土佐礼子  銀 女子マラソン (2時間26分06秒)
  • 為末大  銅 男子400mハードル (47秒89)

2003年 パリ

  • 野口みずき  銀 女子マラソン (2時間24分14秒)
  • 末續慎吾  銅 男子200m (20秒38)
  • 室伏広治  銅 男子ハンマー投げ (80m12)
  • 千葉真子  銅 女子マラソン (2時間25分09秒)

2005年 ヘルシンキ

  • 為末大  銅 男子400mハードル (48秒10)
  • 尾方剛  銅 男子マラソン (2時間11分16秒)

2007年 大阪

  • 土佐礼子  銅 女子マラソン (2時間30分55秒)

2009年 ベルリン

  • 尾崎好美  銀 女子マラソン (2時間25分25秒)
  • 村上幸史  銅 男子やり投げ (82m97)

2011年 テグ

  • 室伏広治  金 男子ハンマー投げ (81m24)

2013年 モスクワ

  • 福士加代子  銅 女子マラソン (2時間27分45秒)

2015年 北京

  • 谷井孝行  銅 男子50km競歩 (3時間42分55秒)

2017年 ロンドン

  • 荒井広宙  銀 男子50km競歩 (3時間41分17秒)
  • 小林快  銅 男子50km競歩 (3時間41分19秒)
  • 多田修平、飯塚翔太、桐生祥秀、藤光謙司  銅 男子4×100mリレー (38秒04)

日本選手は初期の頃、マラソンで優勝者を3人出している(谷口、浅利、鈴木)。
特筆すべきは個人のトラック競技でメダルをとっている千葉真子(銅 女子10000m、1995年 アテネ)、為末大(銅 400mハードル、2001年 エドモントンと2005年 ヘルシンキ の2回!)、末續慎吾(銅 男子200m、2003年 パリ)だろうか。
あと、メダルには届かなかったが、8位入賞までを見ると、
  • 1991年 東京 7位 高野進 男子400m 45秒39
  • 1997年 アテネ 8位 弘山晴美 女子5000m 15分21秒19
  • 1999年 セビリア 4位 弘山晴美 女子10000m 31分26秒84
  • 2005年 ヘルシンキ 6位 原裕美子 女子マラソン 2時間24分20秒
                 8位 弘山晴美 女子マラソン 2時間25分46秒
  • 2017年 ロンドン 7位 サニブラウン・A・ハキーム 男子200m 20秒63

……といったあたりが印象的だ。
ヘルシンキの女子マラソンで6位の原裕美子はその後、競技の成績ではなく、あんなことで有名になってしまったし、弘山晴美はトラックでもマラソンでも結果を出している(3大会で3度入賞!)のに、オリンピック代表選考レースでは悲劇を味わった。
逆に、高橋尚子は優勝確実と言われた1999年の世陸セビリア大会は、代表に選出されていたが脚の怪我で欠場。世陸での成績は1つも残していないが、翌2000年のシドニーオリンピックの金メダルで歴史にも人々の記憶にも名を残すことになった。
競技レベルではどちらも世界最高レベルなのに、世陸とオリンピックの「格差」がいかに大きいかを改めて感じさせられる。

スポーツも、世界最高レベルで競い合えるのはほんの一握りの人たちの、人生におけるごく短い時間。その時期を過ぎた後の人生をどんな風に生き抜くか。一度、「世界レベル」を味わい、死闘を繰り広げた人たちにとっての「その後」はどんなものなのだろう。
見ているだけの我々は、ただ単に競技というドラマに興奮する時間を与えられるだけだが……。