昭和30(1955)年生まれの私は、来年まで生きていれば「東京オリンピック」をリアルタイムで2回見る世代になる。
そこで、
オリンピックにまつわる、忘れられないシーンのTOP5はなんだろうと思い浮かべてみた。
こうなった↓
5位:1992年のバルセロナ五輪男子マラソン
谷口浩美の「こけちゃいました」……靴を踏まれて飛んだ靴を探して履き直していたロスタイムと、その後の追い上げタイムを計算すると、踏まれていなければ間違いなく谷口の優勝だった。そうなっていれば、谷口はオリンピック陸上フィールド以外の種目で日本人初の金メダルという名誉を得て、歴史に名を残していた。
「オリンピック陸上フィールド以外の種目で日本人初の金メダル」は、8年後に
高橋尚子が成し遂げたが、あのシーンを見たときも「谷口があのとき靴を踏まれなかったらなあ……」と思ったものだ。
4位:2000年1月の大阪国際女子マラソン
この大会は9月開催のシドニー五輪女子マラソン代表選考レースの1つだった。
弘山晴美は、陸連から1万メートルでの出場を促されていたが「マラソンで出場」と拒否し、出場。しかし、ゴール直前
リディア・シモンに抜かれ、2位に。2時間22分56秒は世界歴代9位(当時)・日本歴代3位(当時)の好記録でゴールしながら代表になれなかった。(前年のセビリア世界陸上で2時間27分02秒で
市橋有里が2位入賞してすでに内定していたため。市橋の2時間27分02秒は生涯自己ベスト)
3位:1995年の東京国際女子マラソン
アトランタオリンピック代表選考レース。残り5キロという地点でトップ集団を走っていた
浅利純子(ダイハツ)が、前を走る
吉田直美(リクルート)の靴のかかとを踏んで、浅利、吉田、そして後ろにいた
後藤郁代(旭化成)がもつれて転倒。1人、転倒を免れた
原万里子(万引きで有名になってしまった選手とは別の「原」)がここぞとばかりに独走態勢に入ったが、ゴール直前で追い上げてきた浅利に逆転された。吉田は靴が脱げ、履き直さなければならず、3人の中でいちばん痛手を負ったが追走してトップと10秒差の4位に。靴を履き直すタイムロスは10秒以上あったので、踵を踏まれなければ吉田が優勝していただろう。
浅利が「転倒に負けず逆転勝利。オリンピック代表に」という物語を美しく飾るため、転倒時のスロービデオは、その後、二度と流されることはなかった。
2位:1964年東京五輪男子マラソン
ぶっちぎりで優勝した
アベベ・ビキラ(エチオピア)に大きく遅れて競技場に2位で入ってきたのは
円谷幸吉(陸上自衛隊)。しかし、ゴール直前でイギリスの
ベイジル・ヒートリー(当時の世界最高記録=2時間13分56秒保持者)に抜かれて3位に。その後、体調不良や鬱状態になり、自殺。
ほとんどの日本人にとって、円谷の最後の姿は東京オリンピックで銅メダルを取ったときの映像になってしまった。
ちなみに、1936年ベルリンオリンピックで
田島直人(三段跳・金、走幅跳・銅)、
孫基禎(マラソン・金)、
南昇竜(マラソン・銅)、
原田正夫(三段跳・銀)、
西田修平(棒高跳・銀)、
大江季雄(棒高跳・銅)の後は、1964年東京オリンピックまでの間の陸上全種目で日本人選手が取ったメダルはゼロ。1964年東京オリンピックでも、陸上のメダルは円谷のマラソン銅メダルだけである。(※孫基禎と南昇竜は日本占領下の朝鮮の選手)
1位:1987年12月、ソウル五輪代表選考会の福岡国際マラソン
12月の福岡国際で一発選考と言われていたのに、怪我で出場を断念した
瀬古利彦(ヱスビー)に対して陸連は「3月のびわ湖で好成績なら選ぶ」と、急遽方針を変更。怒りの
中山竹通(ダイエー)は「自分なら這ってでも出ますけどね」と発言。レース当日は5mの強風とみぞれで異常な寒さ。その中を中山はいきなり飛び出して、ずっと14分台で飛ばし、中間点では1:01:55。35キロ地点まで当時の世界記録を49秒上回るハイペースを続け、最後に失速するも2位以下に2分以上の大差をつける2時間8分18秒で圧勝。ゴール後は「とにかく寒くて身体が動かなくなった」と。
中山の異常なペースに惑わされ、有力視されていた
谷口浩美(旭化成)は2:12:14の6位。
宋猛(旭化成)は途中リタイヤで「お茶が温かかった」の名言。あのときの中山ほどかっこよかったランナーはいないなあ。
このレースはスタートからゴールまで完全録画して、その後何年も持っていたのだが、ビデオデッキの時代ではなくなり、引っ越しも何度もしたために、ビデオテープは全部処分してしまった。残念。
……と書いてきたら、あれ? 全部マラソンだ。しかも、オリンピック本番レースは2つしかなくて、あとは選考会レースか。
優勝した選手よりも強烈な印象を残した「敗者」たち。……あたしって、やっぱり表舞台に立てない性格なのだろうか。
五輪陸上競技日本選手メダリスト
で、
オリンピックの陸上競技でメダルをとった日本選手のリストというのを見たら、思っていたよりずっと少ないのだね。
戦後は、マラソン以外でメダルをとるのは考えられない状況で、だからこそQちゃんが出てきたときは驚いたんだなあ。
1928(昭和3)年 アムステルダム大会
織田幹雄:三段跳 金
人見絹枝:800m 銀
1932(昭和7)年 ロサンゼルス大会
南部忠平:三段跳 金・走幅跳 銅
西田修平:棒高跳 銀
大島鎌吉:三段跳 銅
1936(昭和11)年 ベルリン大会
田島直人:三段跳 金・走幅跳 銅
孫基禎:マラソン 金
原田正夫:三段跳 銀
西田修平:棒高跳 銀
大江季雄:棒高跳 銅
南昇竜:マラソン 銅
※マラソンの孫基禎、南昇竜は日本占領下の朝鮮の選手
──ここまでが戦前。戦後は……
◆1948年 ロンドン、1952年 ヘルシンキ、1956年 メルボルン、1960年ローマの
4大会連続でメダルなし
1964(昭和39)年 東京大会
円谷幸吉:マラソン 銅
1968(昭和43)年 メキシコ大会
君原健二:マラソン 銀
◆1972年 ミュンヘン、1976年 モントリオール、1980年モスクワ(不参加)、1984年 ロサンゼルス、1988年ソウル大会の
5大会連続でメダルなし
1992(平成4)年 バルセロナ大会
有森裕子:マラソン 銀
森下広一:マラソン 銀
1996(平成8)年 アトランタ大会
有森裕子:マラソン 銅
2000(平成12)年 シドニー大会
高橋尚子:マラソン 金
2004(平成16)年 アテネ大会
室伏広治:ハンマー投 金
野口みずき:マラソン 金
2008(平成20)年 北京大会
塚原直貴、
末續慎吾、
高平慎士、
朝原宣治:4×100mリレー 銀
2012年(平成24)年 ロンドン大会
室伏広治:ハンマー投 銅
2016(平成28)年 リオデジャネイロ大会
山縣亮太、
飯塚翔太、
桐生祥秀、
ケンブリッジ飛鳥:4×100mリレー 銀
荒井広宙:50キロ競歩 銅
4x100mリレーでメダルをとるというのがどれだけすごいことか分かるなあ。