森鴎外と原発2018/02/15 14:44

最近読んだ3冊

関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』を読了した。
本書とほぼ同時に、森田健司氏の『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』(洋泉社)と原田伊織氏の『三流の維新 一流の江戸 「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』(ダイヤモンド社)も読んだのだが、この3冊の中でも関氏の『赤松小三郎と~』は力作で読み応えがあった。
その中で、つい先日書いた「森鴎外と脚気」にまつわる記述もあったので、以下、前々回の日記の続編?として紹介してみたい。
本書の中で深く同意したのは以下の部分だ。
 日露戦争後、陸軍における脚気惨害の真相を追及する声が国会であがり、陸軍省も脚気の原因を究明するため「臨時脚気病調査会」を組織せざるを得なくなる。しかし、あろうことか、第三者の立場で脚気被害の原因を究明しなければならないはずの委員会の委員長に就任したのは、問題を引き起こした当事者である森鴎外(当時、陸軍省医務局長)であった。(略)問題を起こした当事者であるところの森鴎外は、真相究明委員会の委員長になって問題をもみ消した。
 これは「利益相反」であり、今日も引き続く構造である。福島第一原発事故後に諸外国から直ちに問題視されたのは、原子力の安全性をチェックするべき原子力安全保安院が、原子力を推進する主体である経済産業省の中にあったという事実であった。推進機構の下部組織に規制機関が存在するのでは、安全審査がなおざりにされるのは当然であった。
 明治維新以来の日本の政治システムにおいては、巨大な人災が発生しても、真相の究明はなされないまま、誰も責任を取らず、同じことが繰り返されていく。(略)このシステムは、やがて無責任態勢をさらに肥大化させて、太平洋戦争にまで突き進み、滅亡に至った。
 (略)その巨大無責任態勢によって、福島第一原発事故に行き着いたと言えるだろう。

『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』 関良基 作品社)


イチエフ爆発の後、2012年(平成24年)9月、野田佳彦内閣の下で、従来の「原子力安全・保安院」に代わるものとして「原子力規制委員会」が環境省の外局として誕生した。
初代委員長に就任した田中俊一氏は、日本原子力研究所副理事長、独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問、社団法人日本原子力学会会長(第28代)、内閣府原子力委員会委員長代理、財団法人高度情報科学技術研究機構会長、内閣官房参与……という経歴を持ち、国の原子力推進政策の中枢を渡り歩いてきた人物だ。
発足時の同委員会の職員は455名で、うち351名が経産省出身者。原子力安全・保安院から横滑りした者も多かった。

2年後、政権は第二次安倍晋三内閣になっていた2014年9月、島崎邦彦・委員長代理と大島賢三委員が退任となり、代わりに田中知(さとる)氏と石渡明氏が委員に任命され、田中知氏は委員長代理に就任した。
田中知氏は、2004年度から2011年度までの8年間に、原子力事業者や関連の団体から760万円超の寄付や報酬を受け取っていたことが就任前から報じられていた
原子力規制委員会発足時、野田政権は「直近3年間に同一の原子力事業者等から、個人として一定額以上の報酬等を受領していた者」は委員に就任できないというガイドラインを定めていて、田中知氏はまさにこれに該当したが、当時の石原伸晃環境相は衆議院環境委員会で、民主党政権時代のガイドラインについては「考慮していない」と答弁。菅義偉官房長官も記者会見で「田中氏は原産協理事としての報酬を受けていなかったので、委員就任の欠格要件には該当しない」と強弁した。

森鴎外「臨時脚気病調査会」委員長就任と同じ構図だ。
その結果がどうなっているかは説明不要だろう。

鴎外の不勉強と開き直り、つまらぬプライドのおかげで陸軍内で数万人の脚気死者が出た時代、この国はその悪しきシステムや慣習を是正できないどころか、ますます増長させ、太平洋戦争へと突入していった。
原発爆発後の日本は、同じ歴史を繰り返そうとしているのではないか。


医者には絶対書けない幸せな死に方
「医者には絶対書けない幸せな死に方」(講談社プラスα新書)
2018年1月18日発売  内容紹介は⇒こちら

以下のいずれからでもご購入できます(Click)
Amazonで買う   hontoで買う    7ネットで買う  honyaclubで買う  bookfanで買う  LOHACOで買う  Yahoo!  楽天ブックスで買う
                  

日光杉並木街道が「ソーラー街道」に2017/05/22 22:06

このノウサギが跳びはねていた野原はもうない

2017年4月 初めてじっくり見ることができたノウサギ
前回の「ナガミヒナゲシ騒動考」で、
「人間が作ったソーラーパネルが里山エリアの山の斜面や草原を根こそぎ消滅させ、草花だけでなく動物も地域絶滅させていることのほうが外来種がどうのこうのよりはるかに大問題なのだが、それはまた次のトピックで……」と書いて終わったが、ここに続きを書く。

いちばん怖いのは人間だが、さらにやっかいなのは……


先月の13日、日光に引っ越してきて6年目にして初めてノウサギを見た。越後時代にも阿武隈時代にもノウサギというのはほとんど見た記憶がない。一瞬、横切るのを見たとか、その程度ならあったようにも思うが、まじまじと観察できるほど近くで見た記憶はない。
それが、日光で、しかもすぐそばを車が通っているような原っぱで悠々と飛び回っているのを長い時間見ていられたのだから感激した。
その原っぱにはこのところいつ行ってもキジの夫婦がいて、そのときもキジを撮っていた。そうしたら目の前を何か違うものが横切っていったのだ。

もう一度見たいと思って、その後も何度か出かけたが、キジの夫婦は毎回いたが、ノウサギは現れなかった。

で、翌月の5月20日、主に別の目的で出かけたついでに横を通ったのだが、なんと、原っぱ全体が完全に消滅していた。


4月13日にノウサギを見たとき。矢印のところにノウサギ

5月20日、すっかり草むらが消え、重機が作業中



間違いなくメガソーラー建設だろう。すでに周辺の草むらがことごとくつぶされてソーラーパネルだらけになっているので、ここも狙われているのではないかと危惧していた矢先だ。
ここは草むらだけでなく、そこそこの水たまりを含む湿地もあった。そこにはオタマジャクシ(おそらく時期的に見てアカガエル)が泳ぎ、ヤゴなどもたくさんいた。通年、水が完全には抜けず、湿地を保っている場所というのはこのへんにはもうほとんど残っていない。ツチガエルなどがオタマジャクシのまま越冬するためにも必要だし、鳥や野生生物にとっても貴重な水場になっていたはずだ。
それがつぶされてしまったのは本当に痛い。

オタマジャクシやヤゴがいた水たまりも埋められていた



日光に引っ越してきた直後、町内の集まりで「自然環境を……」と口にした途端、「人間は自然を壊して生きているんだからしょうがない」と反論する人がいた。めんどくさいやつが引っ越して来やがった……と警戒の目を向けられたようだ。
俺たちは環境を壊して金を稼ぎ、よりマシな生活を営んできた。これからもそれは続くんだから、きれいごとを言うな……というわけだ。

しかし、こうした犠牲に見合うだけのメリットが人間にあるのか? 太陽光発電バブルはすでにはじけている。中小の業者はあちこちで倒産しているし、大手は最初から「建て逃げ」作戦だから、あと10年もすればあちこちで事業者不在ソーラーパネルが増えるだろう。
20年もすれば、ゴミとなって放置されたソーラー設備の撤去で、各自治体は苦労するに違いない。

すでに我々は高額な「再エネ賦課金」を電気料金に上乗せさせられている。金がかかる発電方式というのは、それだけエネルギーを使っているということだ。太陽光発電パネルを製造する過程で、すでに膨大な電気や資源を使っているからこそ高くつくのだ。それを回収できるだけの発電ができない、見込めないからこそ電気料金や税金を投入して無理をしている。

原資が税金や公共料金だから、そこに生じる利権にたかれば確実に儲かる。人の金で非合理な商売をして儲ける……この構図は原発を推進してきた国策と同じだ。問題が起きても誰も責任をとらないし、負の遺産を押しつけられ、つけを払わされるのは若い世代。これのどこが「クリーン」なのか。
発電にかかっただけ電気料金に上乗せしていいですよという「総括原価方式」をやめれば、必然的に、最も合理的で省エネの発電方法をとらざるをえなくなるから、原発も大型ウィンドタービンも無茶なソーラー発電もなくなり、日本の環境破壊は緩まる。
でも、総括原価方式をやめれば、利権も薄まるから絶対になくならないだろう。

日光杉並木は国の特別天然記念物に指定されているわけだが、その両側はすでにソーラーパネルだらけになっており、杉並木を通っていても杉の間から異質な光景が見える。

ナガミヒナゲシが危険生物だの駆除しろだのなんだのと言っている場合ではない。植物も動物も巻き込んだ大規模環境破壊が猛スピードで進んでいるのだ。すでに大変なダメージを受けているが、今からでもなんとか歯止めをかけないと、気がついたときには取り返しのつかないことになる。いや、すでになっている。

ノウサギとの再会を願って、「兎が原」とでも名づけようかと思っていた草原はもうない。
「兎が原」の横は通学路だが、これから先、子供たちはノウサギやキジではなく、ソーラーパネルに埋め尽くされた土地を横目に見ながら通学することになる。その子たちは「再生可能エネルギー」は増やすべき重要なもので絶対的な「善」だと刷り込まれているから、これは「自然にとっていいもの」だと信じて成長するかもしれない。……やるせない……。

道路(通学路)側から見た光景。もうすぐここに黒いパネルが敷き詰められるはずだ


このままでは日光杉並木は「ソーラー街道」になる

このへんを散歩するたびに、オセロゲームのコマようにソーラーパネルが増えていく。「え? ついこないだ通ったときにはなかったのに……」と呆気にとられるのだが、だんだん麻痺してくるのが怖い
日光杉並木は、日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けているのだが、そのすぐ脇をソーラーパネルで埋めていくことになんの制約もかからないのか? 
今日も重機が稼働中。ここはもうすぐパネルで覆われるだろう



消滅した「ウサギが原」のすぐ横。住宅や農地に隣接してすでに設置されたパネル



例幣使街道。杉の間から見えているのは牧場なのだが……



なにやらパネルを載せるフレームがすでに組み上がっているようだ。ここも牛からソーラーに転換か……



杉並木を挟んで反対側の草地。ここなどもすでに「予約済み」なのかもしれない



その先、日光山内に近づくにつれ、杉並木の間から見えるパネル群は増える



これだけ増えると植生や生態系も影響を受けないわけにはいかない。ただでさえ毎年倒れる杉が増えているのに、大丈夫なのか……



手前が例幣使街道の杉並木。そこに隣接して作られたメガソーラー。道を渡って見ると……↓



こういう規模のものがあっという間に作られている



国も県も市も、何を考えているのか?



ここを通って日光山内や奥日光をめざすハイカーやライダーたちは多いが、こうした風景に迎えられてどんな気分になるだろうか



ソーラーパネルを敷き詰められた側と街道を挟んで反対側。見えているのが杉並木(この向こう側が例幣使街道)。こちら側にもこうした草原があちこちあるが、この調子だとどんどんパネルが敷き詰められ、日光杉並木街道はソーラーパネルに挟まれた「ソーラー街道」になってしまいそうだ



ここも狙われそうだなあ。すでに「予約済み」なのかもしれない……




悩みながらもこんな動画を作ってみた(↑Clickで再生)
↑これを作りながら「プロテストソング」という言葉を思い出した。ずいぶん前に消えた言葉のような気がする。まさか人生の終わりにさしかかってこういうものを作るとは思わなかった

プロテストというよりも、ただただ悲しい、虚しい。

この地でノウサギに再会することは、もう一生ないかもしれない。

   

森水学園第三分校を開設

森水学園第三分校

↑BGMに使った『Uguisu 2017』の全曲はこちらでどうぞ(↑Clickで再生)



タヌパックスタジオで生まれた音楽の1つ『アンガジェ』(↑Clickで再生)



「避難賠償」から「移転補償」への転換を2017/03/14 21:08

2014年の避難指示区分けと2017年の区分け

「居住制限」からいきなり「解除」

今年は3.11関連番組がぐっと少なかった気がする。また、中身も薄くなっているように思う。
僕にとっては3.11よりも3.12のほうが重要な日だ。
地震や津波による直接被害はなかったのに、原発が爆発して家を捨てることになった日なのだから。
あのときの日記を読み直しながら、今こうして日光での生活があるのも、すべてはあの日から始まったことなのだなあと思い返す。

2011年の日記を読み返すと、気持ちや状況の変化が正確に分かる。
僕らは原発爆発をテレビで見てすぐに逃げたのに他の村民は残っていた。そして、みんな避難して空っぽになった村に僕らは戻っていき、11月まで生活した。
その間は、人よりも野良猫や残された犬たちとつき合っていた。
結構放射線量が高い村に、なぜわざわざ戻っていったのか……今思えば、ずいぶん無謀だったかもしれないが、同時期、福島市内や郡山市内ではもっと汚染がひどい中、人々はみんな普通に生活していたのだ。
内部被曝の程度も、川内村に戻った僕らよりも郡山市内で暮らしていた人たちのほうがひどかったのではなかろうか。

……さて、政府は今月末に、飯舘村の大部分や富岡町、浪江町の一部「居住制限区域」の指定を外す。
これについて考えてみる。


2017年3月末に白い部分は全部制限なしになる(福島民報記事より)


↑この図を見るとよく分かるが、「居住制限区域」から一足飛びに「制限なし」になる区域がある。
居住制限⇒解除準備⇒解除 ではなく、いきなり居住制限⇒解除 だ。
居住制限を一気に解除する理由は、避難による賠償金を支払わないようにするためだろう。
浪江町の解除区域を見ればよく分かる。解除になる区域は面積ではわずかだが、人口だと83%にものぼる。
(残る「帰還困難区域」の人口は3137人だが、解除区域の人口は1万5327人もいる)
この83%の人たちに支払ってきた一人毎月10万円の「避難による精神的苦痛への賠償金」がなくなれば、国にとっては大きな負担減となる。

飯舘村も同じ。全村民6122人のうち、居住制限区域に住んでいた5097人を一気に片づけてしまおうということだ。避難指示解除準備区域の762人を合わせれば5859人。全村民の96%を補償対象外にできる。

今回の解除区域に住んでいた人たちは合計約3万2000人。10万円×3万2000人は320億円。毎月320億円。年間3840億円。これが消えてくれるだけで、国としてはとても助かるし、同時に「復興が進んでいる」とPRできるのだから一石二鳥だ。

飯舘村では、菅野村長の指揮下、
認定こども園と小中学校を飯舘中敷地内に集約した新学校は30年4月に開校する。村は特色ある授業を導入し、通学者確保を目指す。 (福島民報 2017/03/02
のだそうだ。
数百万個の除染廃棄物のフレコンバッグが積み上げられた村で、どういう「特色ある授業」を導入するというのだろう。子供をフレコンバッグだらけのふるさとに戻せてよかったよかったという親がいるはずもない。

戻っても以前と同じ生活はできない

制限解除はまだいい。自分の家があって、そこに戻る戻らないは個人の決断・意志を尊重すべきだろうから。しかし、「解除」したから戻りなさい、とは絶対にいえないはずだ。
戻らないと決めた人たちの今後をどうサポートしていけるのか、というのがいちばん大きな問題。
どんなに想い出のあるふるさとであっても、先祖代々からの土地であっても、汚されただけでなく、人も含めた環境が変わっている。原発爆発前までそこで暮らしてきたようには暮らせない。
高齢者はまだいい。放射能への恐怖も薄いだろうし、家からあまり遠くまで出歩かなければ、嫌な景色を目にすることもそれほどないかもしれないから。
自分でやれるだけの畑を少し復活させて、以前のような四季折々の風景を見ながら死んでいけるかもしれない。
しかし、働き盛りの世代はそうはいかない。子供がいれば、内部被曝の影響を考えないわけにはいかない。
子供がいなかったとしても、現実には戻って生活を再開することは難しい。同じ土地に戻って同じ家で暮らし始めても、以前とは全然違う生活が待っているからだ。
デリケートな問題なのでどの報道でも触れないが、難しいのは「賠償金なしの生活に戻るための心の切り替え」なのだ。
避難指示が出ていた期間、ずっと出ていた賠償金は大変な金額になっていて、それを拠り所にしてきた生活から以前のように自力で生計を立てる生活に戻っていかなければいけない。
5人家族であれば、精神的賠償金だけで毎月50万円、年間600万円が入ってくる。その状態がずっと続いていけば、生活感覚や人生観、生き様も狂ってくる。どこかでキッパリと決別して「普通の生活」を始めたいと思う人も多いだろう。
そのためにも汚染された土地には戻れない。戻れば仕事がないし、今まで生き甲斐にしてきたのと同じ仕事もできないからだ。
そのことをしっかり理解している人たちは、賠償金を貯めて、新生活への準備を進めてきたと思う。しかし、漫然と使ってしまい、その生活に慣れてしまった人たちもいるだろう。

国は、もっと早い段階で、土地を汚し、そこでの生活を不可能にさせたことへの賠償方法をどうすべきかを真剣に考えるべきだったと思う。除染に使った莫大な金を別の方法で被害者の生活再建サポートに回すべきだったのではないか。

「自主避難」家族への住宅補助も打ち切り

いちばんやりきれない思いをしているのは、賠償金ももらえず、ただただ被害だけを被り、家族離散や生活破綻に直面した人たちだ。
福島県内の避難指示区域以外から県外へ移った「自主避難者」への住宅支援も今月いっぱいで打ち切られる。
それを巡って裁判もあちこちで起こされているが、このことについて、弁護士の井戸謙一氏が重要な指摘をしている。
どの裁判でも大きな争点になっているのが「長期低線量被ばくによる健康被害の有無」である。福島第一原発事故では,被ばくによる確定的影響は生じなかったとされている。しかし,確率的影響については,深刻な対立がある。もし,国や東京電力が主張するように,年100ミリシーベルト以下の被ばくでは確率的影響が生じないのであれば,区域外避難者(避難指示を受けずに自分の判断で避難をした人たち)は,無意味な行動をしたのであって,そのことを理由に,国や東京電力に損害賠償を請求することはできないことになってしまう。
(略)
区域外避難者の損害賠償請求訴訟における争点は,福島原発事故と区域外避難をしたことの間に相当因果関係があるか否かである。長期低線量被ばくのリスクについて確定的な見解は存在しない。他方で,子どもたちの健康を守る営みには迅速な判断が迫られ,科学的見解が確立することを待つ時間はない。そして,子育てはやり直しがきかない。後に判断の誤りに気付いても,取り返しがつかないのである。
そうすると,裁判所が判断するべきことは,「長期低線量被ばくによる健康リスクの有無」ではなく,「長期低線量被ばくによる健康被害の有無や程度について確定的な見解が存在しない状況下において,子どもの健康への悪影響を恐れて区域外避難を選択したことの合理性」であるはずである。
岩波書店「科学」2014年3月号巻頭エッセイ「避難者訴訟の争点」より)

これはその通りだろう。
分からない、はっきりしないなら、少しでも子供の一生にリスクをかけないほうを選ぶのは親として当然のことだ。

「避難賠償」から「移転補償」への転換を

「避難」という言葉は、今は仮の状態であり、「いずれは戻る」という意味合いである。
もはやその発想では生活は取り戻せない人たちが大勢いる。戻らないと決めている人たちには、「避難しているからその分を賠償」ではなく、新たな生活を始めるための「移転補償」という形でサポートすべきだ。そうしないと、いつまで経っても異常な生活が終わらない。
移転補償は避難指示区域の人たちだけでなく、区域外で実際に被害を受けた人たちにも行わなければおかしい。いわき市の北部などは、相当な汚染があったにもかかわらず、市が早々に「避難指示区域から外してくれ」といったために見捨てられた地域になってしまった。
栃木、千葉、茨城、群馬、宮城などにもホットスポット的な汚染地域はあるが、「福島」ではないために、これまた無視されている。

最近「復興」という言葉に嫌悪感を覚えるようになってきた。
被害を受けた地域や人たちに金を回して「元のように」しましょうという意味になっているが、そういう発想がまずダメだ。
復興の名のもとに、被災地に不合理なものを建てたりして東京の企業が儲けているケースが多すぎる。
なぜこんなことになったのか、システムの欠陥や心の歪みの問題をまずは反省し、それを改善する努力をすることから始めなければいつまで経っても事態はいい方向に向かわない。反省どころか開き直って、原発を輸出するだの再稼働だのと言っている政治。それを許す国民の無関心・無責任。
賠償金は我々の税金や電気料金に組み込まれている。つまり、俺たちも金払っているんだからいいじゃん。それ以上何ができるのか……という姿勢で「自分とは関係のない土地の問題」にしてしまう。
そういう形で「元のように」したら、前よりももっとひどい社会になってしまうではないか。
あれだけのことを起こしておいて、なんの反省も改善もなく、以前よりひどい状況を作りだしながらの「復興」なんてありえない。


タヌパックスタジオで生まれた音楽の1つ『アンガジェ』(↑Clickで再生)



原発が壊れるのは靴下が片方なくなるのと同じ2016/05/03 13:41

同じ!
フェイスブックで「大笑いした」というネタが⇒これ。「いったいなぜ?靴下の片方だけが行方不明になってしまう謎が科学者によって解き明かされる」
 洗濯をするたびに靴下の片方が行方不明になってしまう。おかげでタンスの中は片方しかない靴下だらけで、新しく買いなおす出費もバカにならない。だが、この人類を苦しめるミステリーがついに解き明かされた。
 ミステリーの解明を行ったのは心理学者サイモン・ムーア博士と統計学者ジェフ・エリス博士……。


ほお~、そうですか。
心理学者と統計学者が本気で研究したわけですね。

 この調査から、イギリスでは1人当たり月平均1.3足の靴下が消失していることが判明。1年なら15足、一生なら1,264足にもなる。 靴下消失による損害は1人当たりの生涯でおよそ40万円(2,528ポンド)、年間3,158億円(20億ポンド)にも達する。


……というわけで、真面目な調査・研究なのだということは分かった。
で、ニヤニヤしながら読んでいたのはこのへんまで。
次の部分を読んで、急に笑っていられなくなった。

なお、靴下消失に関わる4つの心理的要因は以下の通りだ。

1. 責任の分散
 洗濯する者が自分以外の人間に責任を押し付けることから、誰も失くし物について責任を負わない。結局、靴下は見つからなくなってしまう。

2. 視覚的認識(ヒューリスティック)
 ヒューリスティックとは、暗黙のうちに用いる簡易な解法や法則のことをいう。さっと判断できる反面、必ずしも正しいわけではなく、判断結果にバイアスがあることも多い。このバイアスのせいで、例えば靴下やテレビのリモコンなどがいつもの場所にないと、失くしてしまったと思い込んでしまう。
 
3. 確証バイアス
 人は真実であってほしいと思ったことを真実であると思い込む傾向にある。今回の事例でいうなら、人は両方揃っていない靴下が目に入らなければ、それはないと信じ込みがちということだ。

4. 過失、過怠
 様々な事故や謎の背景にはヒューマンエラーがある。例えば、誰かが床に靴下が落ちているのを見たとしても、それを拾って洗濯物カゴや洗濯機の中に入れなかったりすることがある。この場合は過怠だ。あるいは色の濃い洗濯物の中に白い靴下を入れてしまったり、片方だけ適当な場所に置いてしまったりすることがある。これが過失である。


……これって…………。

もうお分かりだと思うが、少しだけ書き直してみた。

1. 責任の分散
 政府、電力会社、規制委員会それぞれが自分以外の人間に責任を押し付けることから、誰も事故や欠陥について責任を負わない。結局、重大事故は必ず起きてしまう。

2. 視覚的認識(ヒューリスティック)
 ヒューリスティックとは、暗黙のうちに用いる簡易な解法や法則のことをいう。さっと判断できる反面、必ずしも正しいわけではなく、判断結果にバイアスがあることも多い。このバイアスのせいで、例えばパッと見ていつも通りの風景だと、これで大丈夫と思い込んでしまう。
 
3. 確証バイアス
 人は真実であってほしいと思ったことを真実であると思い込む傾向にある。事故は絶対に起きないと言い続けていれば、いつか本当に起きないと信じ込むようになる。

4. 過失、過怠
 様々な事故や謎の背景にはヒューマンエラーがある。例えば、作業現場で誰かが床に小さなボルトが一本落ちているのを見たとしても、それを拾って正体を確かめようとしないことがある。この場合は過怠だ。あるいは微妙に寸法の違うボルトをちょっと緩いかもと感じつつ間違った場所に使ってしまったりすることがある。これが過失である。



靴下が片方だけなくなるのも、原発から放射性物質が漏れ出すのも、人間のやることであるから必ず起きる。原発が絶対に安全だと主張する人は、靴下はなくならない、靴下紛失事故は必ず防げる、と言っているのと同じことだ。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

7つの「幸運」が重なったからこそ日本は救われた! 電子書籍『数字と確率で実感する「フクシマ」』のオンデマンド改訂版。
A5判・40ページ オンデマンド 中綴じ版 580円(税別) 平綴じ版 690円(税別)
(内容は同じで製本のみの違いです) 
 ご案内ページは⇒こちら
製本の仕方を選んでご注文↓(内容は同じです。中綴じ版はホチキス留め製本です)
製本形態

新・マリアの父親

たくき よしみつ・著 第4回「小説すばる新人賞」受賞作『マリアの父親』の改訂版。
新・マリアの父親
A5判・124ページ オンデマンド 980円(税別) 
ご案内ページは⇒こちら



新電力業者の選び方&再エネ賦課金制度の悪夢2016/03/24 11:22

いい機会だから、「電気ご使用量のお知らせ」をよく見てみよう
いよいよ4月から電力自由化で、10電力会社以外の業者からも電気を買うことができる。
3月末までに契約すると割引きやキャッシュバックがある業者も多いので、そろそろ決め時なのだが、なんだかスッキリしない。
テレビCMをしている業者も、雰囲気でワイワイやっているだけ。中にはWEBサイトを見ても、肝心の料金設定表が3月半ばになってもまだのせていなかったりするひどいところもあった。
実は、この料金比較がとても複雑で、多くの人はしっかり計算できずに、なんとなく選んでしまうのではないかと思う。

新電力業者の料金比較例(40A契約の場合)

業者基本料金(円)~120kWh~300kWh301kWh~300kWh500kWh600kWh
東電1123.219.4325.9129.9381181410417097
エネオス1123.220.7623.2625.7578011295015526
ミツウロコ129620.2422.826.3178281309015721
東燃たっぷり1123.219.5226.024.6281451306915531
東燃まとめて4001123.2(400kWhまで定額8874円。400kWh~ 28.82円)99971287915761
エネワン108019.5226.0026.4281021338616028

単位は円。~120kWhなどは1kwhあたりの料金。300kwhなどは合計額。再エネ賦課金や燃料費調整額はどの業者も同額なので除外している

上の表は東京電力管内で40A契約をしている場合の比較例。
これを見るとまず分かることは、電気使用量が(極端に)少ない家庭(単身赴任でほとんど夜寝に戻るだけで月に100kWhくらいしか使わないようなケース)では、従来の東電との契約を続けたほうが安いということだ。
つまり、新電力業者に乗り換えたほうがいいのは、ある程度(普通に?)電気を使っている場合に限る。
それも、月に300kWhくらい使う場合、500kWhくらいの場合、800kWhとか1000kWhとかガンガン使っている場合で違ってくる。
東電の一般的な契約(従量電灯B)では、120kWhまで、300kWhまで、それ以上、の3段階で1kWhあたりの料金が違う。普通に考えればいっぱい使ったほうが割り引かれるような気がするが、電気料金は逆に使えば使うほど単価が高くなるという料金制度になっている。
東電の従量電灯Bの場合、120kWhまでの料金は19.43円/kWhだが、300kWhを超えると29.93円と、ぐ~んと割高になる。
必要最低限の電気しか使っていない家庭には安く設定するということなのだろう。税金と同じ発想で、それはそれでいい。

で、新電力業者もそれに倣って3段階に分けていることが多いのだが、中にはさらに600kWh以上という区分を作って4段階にしたり、400kWhや500kWhまでは定額で、それを超えた分に加算するという契約を設定しているところもある(東燃ゼネラルの「まとめて400」「まとめて500」)。

それだけでもややこしいのだが、夏場と冬場では使用量が大きく違うという家庭もあるだろうし、平均値を出して計算してもなかなか「ここがいちばんいい」というのを見つけるのが難しい。
上の例でいえば、毎月400kWh前後で月によってばらつきがないという家庭なら、東燃の「まとめて400」がいちばん安い。
その契約で500kWh使ってしまった月があったとしても、やはりいちばん安い。しかし、300kwhしか使わなかったり、600kWh使ってしまった月があると、今度はエネオスでんきのほうが安い。
料金シミュレーションができるサイトがあるが、あるひと月の金額や1年の平均値だけでシミュレーションしても、確実にいちばん安くなる業者が分かるわけではない。毎月のバラツキがあるかないか、最低の月と最高の月の差がどれくらいあるかなども考慮に入れたほうがいい。

そんなことよりこれに腹を立てよう! 再エネ賦課金


いつのまにかこんなに膨れあがっている再エネ賦課金

新電力業者に切り替えて料金を下げられるのは、一般的な家庭ならせいぜい月に数百円がいいところだろう。その数百円も、年にすれば1万円を超えることだってあるから、庶民は真剣に業者選びをするわけだが、そんなことよりもっと注目してほしいのは、知らないうちに再エネ賦課金がとんでもない金額に膨れあがって我々の電気料金にのせられていることだ(上図)。
上のケースは相当安い(ほとんど電気を使っていない)請求書だと思うが、総額3584円のうち6%に相当する221円が加算されているのだ。
633kWh使ったら1000円を超える。
633kwhを超えると再エネ賦課金は1000円を超える!
↑40A契約で633kwhを超えるようなケースでは、再エネ賦課金も1000円を超えてしまう

これは太陽光、風力、地熱、水力、バイオマスの発電で作った電気を高い固定価格で買い取るためのものだ。国が定めている。
これらの発電方法は自由競争にしたら火力発電などに負けてしまうため、国がてこ入れして高く買い取ることを保証しますよ、その分は電気料金に上乗せしていいですよ、という法律だ。
「再生可能エネルギー」というが、どんな発電方式も石油がなければ不可能になる。
例えば、太陽光発電に使うパネルはシリコンが一般的な材料だが、薄く散らばるケイ素を集めて精製し、最終的に発電パネルを作るまでに大変なエネルギーを使っている。原材料を集めるのもそれを精製するのも、石油がなかったらできない。
エネルギー事業はエネルギーと資源を使ってエネルギーを作りだす事業だ。100のエネルギーを作りだすために120のエネルギーを使うようなことになったら馬鹿げているし採算が合わないからやらないわけだが、そこに高額の税金を投入して優遇措置をとれば、本来成立しない事業が逆に儲かってしまうこともある。
そういう狂った事態にならないよう、政府は汚染や危険性、環境への負荷や悪影響をしっかり監視した上で(これが非常に重要)基本的に自由競争にさせればよい。極端な優遇措置がなく、全部事業者負担で発電しなければならないとすれば、事業者は最も合理的で安全、安定した発電方法を選ぶ
しかし、そこに税金を投入したり、電気料金にどんどん余計なコストを上乗せしてよいという法律を作るから、原発のようなものがまかり通り、巨大な利権構造を作り上げてしまう。一度作られた利権構造は、それを失うまいとする勢力が必死で維持しようとするから、どんどんひどい方向に進み、元に戻れなくなる。核燃サイクルなどはその最たるものだ。

「高い電気」というのは、他の発電方法よりも余計にエネルギーを使うから、効率が悪くて無駄が多いから、高価な資源(レアメタルなど)を使うから高くなる。自由競争にしたら負けてしまうからと、無理矢理高く買い取って優遇すれば、エネルギーを無駄に使うことになる。
おかげで狭い日本のあちこちに巨大風車やメガソーラーができて、山は切り拓かれ、農地は減り、土壌が弱る。巨大風車の低周波で身体を壊して苦しむ人が増え、日光が届かない土地が増えて生物層も弱体化し、数十年後には処理困難な粗大ゴミがあふれることになる。
「原発に反対だから、高くてもクリーンな発電方法をしている業者から電気を買う」などと言っている能天気な人たちがいっぱいいるが、それは原発を無理矢理押し進めてきた間違った国策と同じことを応援しているのだと気づくべきだ。
ちなみに再エネ賦課金は現在1kwあたり1.58円である。これは段階制ではなく一律なので、電気を節約している家庭にほど比率は高くのしかかっている。

再エネ賦課金制度、特に風力と太陽光の優遇はとんでもない利権であり、国土・自然環境の破壊を意味する。原発でさんざん利権をむさぼってきた企業や、それを支えてきた官僚・政治家たちが、新たな利権の巣として再エネに群がっている図を見抜いてほしい。
再エネ賦課金制度や総括原価方式を廃止すれば、原発はなくなり、電力業者は真剣に日本にいちばん向いている合理的な発電方法を追求する
再エネと呼ばれている発電方法で日本に向いているのは地熱と小水力(流水型)だろうが、それも基本的には自由競争のもとでやっていくべきだ。
実際問題、流水型小水力などは買い取り価格が低く抑えられているので、なんの優遇にもなっていない。
技術開発や研究に援助することは必要だが、現段階で高くついている電気を優遇して高く買い取るのは、原発政策と同じで大きな間違いだ。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

7つの「幸運」が重なったからこそ日本は救われた! 電子書籍『数字と確率で実感する「フクシマ」』のオンデマンド改訂版。
A5判・40ページ オンデマンド 中綴じ版 580円(税別) 平綴じ版 690円(税別)
(内容は同じで製本のみの違いです) 
 ご案内ページは⇒こちら
製本の仕方を選んでご注文↓(内容は同じです。中綴じ版はホチキス留め製本です)
製本形態

新・マリアの父親

たくき よしみつ・著 第4回「小説すばる新人賞」受賞作『マリアの父親』の改訂版。
新・マリアの父親
A5判・124ページ オンデマンド 980円(税別) 
ご案内ページは⇒こちら