バート・バカラックと添田啞蝉坊2021/04/01 11:38

92歳になったバカラック
NHKの「ららら♪クラシック」でバカラックの特集をしていた。
バカラックのメロディを聴くと、それだけで涙が出る。こんなメロディを自分は作れるだろうかと悩んだ若い頃を思い出すからだろうか。
平気でオクターブ飛ぶようなメロディ。それなのに不自然さはなく、快感が生まれる。コードを鳴らしながらメロディを書くという作曲法では決して生まれそうもないメロディ。それでいて、コードはメチャメチャ凝っている。

バカラックの音楽にしびれているというわけではない。ディオンヌ・ワーウィックの歌い方は好きじゃないし、アレンジもなんだか紅白歌合戦用の大袈裟な味みたいでしっくりこない。
歌詞もひどい。ハル・デビッドとなぜ組んでいたのか理解できないくらい能天気な歌詞。
でも、バカラックが書いたメロディにはとことんしびれる。

バカラックのような、あるいはバカラックを超えるようなメロディを書きたい。そう思い続けてきたが、60代後半になった今、自分のメロディ創成能力が著しく落ちてしまったことは認めざるをえない。
若いときのように、何かの拍子でパッと出てきたメロディがいいメロディだった……ということがなくなってしまった。
だから、今はすごく時間をかけて作曲している。一つ一つの音を何度も何度も確認しながら、譜面に書いてみて、数日してそれを聴き返して、こんなんじゃつまらない、この音はこっちのほうがいい、この音符は減らして伸ばしたほうがいい……とか、そういう作業を延々繰り返しながら仕上げている。
それでも、緻密に作ったからいいメロディになるわけではなく、むしろ、勢いのない、ありがちなメロディだなあ……と思いながら、最後は、捨てるよりは形にしておこう、と思い直して、録音する……。

バカラックは92歳になったそうだ。
1928年5月12日生まれだから、27歳年上。生きていれば親と同じ歳だ。もうすぐ彼は93歳になり、私は66歳になる。
現在のバカラックへのインタビュー映像を見たが、さすがに生気がない。それでもしっかりと言葉を選びながら、今でも作曲していると言いきる。
すごく時間をかけて一曲を仕上げるという話が印象的だった。それは歳を取った今だからそうなのか、若いときの傑作群もそうして生まれたのか、そこが知りたい。
『サンホゼへの道』のようなメロディが瞬間的に生まれたのではなく、何日も格闘した結果生まれたのだとしたら、私の今までの認識が違っていたことになる。ああいうメロディは、時間をかけてリファインしてできるものではないと思っていた。

時間をかけてあんなメロディにたどり着くことがありえるだろうか? ありえるのなら、私が知らない世界がまだある、ということなのかもしれない。

添田唖蝉坊

歳を取って脳が劣化してきたというだけでなく、今の社会があまりにもひどいので、正気を保つだけで精一杯になっている、というのも大きな問題だ。
ふざけた話で埋め尽くされる毎日。そこに何かを発信することがとても虚しい。
しかし、黙っていられない性分に生まれついているため、なんだかんだと(今もこうして)文章を書いてしまう。
バカラックのメロディの素晴らしさに涙するのは、ああいう価値を共有できる世の中にまた戻るのだろうか、という思いからかもしれない。
残された時間が限られている以上、くだらないものを相手にせず、ひたすら自分にとって価値の高いと感じられるものに挑戦しながら死にたいと思う一方、今の世の中で何かを発信する方法をあれやこれやと考えてしまう。この中途半端さで、人生を棒に振っているんだと分かっているのに。

私は、生まれたときの名前は「添田能光」だった。
4歳の頃、両親が離婚し、実母は旧姓の「細野」に戻したため、母親に引き取られた私は「細野能光」になった。
幼稚園で、ある日、園児たちの前で「そえだくんは今日からほそのくんになりました」と言われたのを、今でも覚えている。
その後、母親は再婚し、私は再婚相手の養子になったため「鐸木能光」になった。

母親は父方の細野家が群馬県の伊勢崎町(現・伊勢崎市)で2番目に裕福な蝋燭問屋だったことや、母方の祖母が「白河城最後のお姫様」(幕府老中・阿部正外の娘)だったこと、再婚相手である夫の祖父が鐸木三郎兵衛であることなどを幼い私に何度か教え込もうとしたが、私の父方である添田家のことはまったく口にしなかった。
私の実父の写真などもすべて処分されていて、私は実父が死んで一周忌の席に呼ばれるまで、実父の顔を知らないまま大人になった。

自分の父方のルーツに興味を抱いたのは30代後半くらいだろうか。父方の叔母(実父の妹)がわざわざ戸籍謄本を取って送ってくれた。

実父の実家は多分、今は建築業で、実父の母方には医療関係の遠い親戚がいるようだ。
もちろん交流はない。

閑話休題。
で、その「添田」という姓は福島県南地域ではかなり多い姓なのだが、添田姓で有名になった人物を捜すと「添田唖蝉坊」という演歌師(明治5=1872-昭和19=1944年)が出てくる。
相当面白い人物だったようだが、遠い祖先ということはないだろう。
でも、唖蝉坊が現代に生きていたらどんな「演歌」を歌っただろうという想像を、だいぶ前(20年くらい前?)からしていた。
やってみようかと何度か思ったが、その度に「いやいや、それは俺の役割ではないし、合ってない」と思い、やめた。
しかし、「どうせもう長くないのだから」という心の中の囁きに、一度だけ耳を傾けてみた。
唖然とするほどくだらない世の中に、ひねくれまくった形で主張する「某」人物。添田唖然某。


タヌパックバーチャルバンドのメンバーにも声をかけて、こんなのをやってみた↓

腐ったガスは抜かないとね。国中に充満して、みんなおかしくなってしまう。元から絶たないとダメ! 消えろ~!

ベースのテンキチは素直だから、何にでも真面目につき合ってくれる。いいやつだ。
ニャンニーニョは太鼓を叩ければどんな曲でもご機嫌。つき合いやすいやつだ。

唖然某はその後も、ときどき酔っ払って小さな毒を吐くが、ただのため息として消えていく。
オモテナシ節

何を見せられているんだ? 何を見せられているんだ?
人が消えた町の中に 立派な駅前だけ作り
作り笑顔で著名人とやら ゆっくりたらたら走ってる
何を見せられているんだ? 何を見せられているんだ?
どこかで見たような気がしたら ああ、あの「桜を見る会」か
作り笑いの著名人とやら 誰かを囲んで はい、ポーズ
何を見せられているんだ? 何を見せられているんだ?
世界の国からコンニチハ それもかなわず開き直って
わけの分からんショータイム これが日本の「お・も・て・な……」
いわせね~よ! とツッコむやつは カメラの前には出られません
アベノマスクして自粛忖度 裏ばっかりで表なし
お化けみたいな オモテナシ節
悪夢が続くオモテナシ節

イヤイヤ節

ソーシャルディスタンスとりましょう なんですかその横文字は
「社会的距離」ってなんですか? 「打ち解けた距離」ってなんですか?
間隔とらなきゃイヤイヤ~ こっち見て喋っちゃイヤイヤ~
ああ、そういうことですか それがソーシャルディスタンス?
毎日起きるとこの世界が 狂った社会のまんまです
こんな世界で合っているのか? いつまで続く悪い夢
間隔とらなきゃイヤイヤ~ それ以上近づいちゃイヤイヤ~
マスクの向こうに隠された あなたの顔も忘れそう
侃々諤々議論はしても 何も生まれぬ無力感
唖然呆然仰天愕然 人間なんてラララララ
そろそろ気づいていい頃だ こんな社会はおかしいと
時を戻そう そろそろ気づこう 基本が狂っていたのだと
コロナコロナと騒ぐより 社会の土台を見直して
コツコツ変えていかなくちゃ ウイルスにさえ笑われる
こんな社会はイヤイヤ~ こんな人生イヤイヤ~
霧の中で 目を凝らすのだ このまま死ぬのはイヤイヤ~

明治大正の頃と違って、今はこうした「演歌」を作る唖蝉坊や川上音二郞(文久4=1864-明治44=1911年)のような人物は現れない。
つまらないねえ。



Twitter   LINE

大塚康生さんとの想い出2021/03/22 12:06

一色(いしき)の鐘鋳神社にて 2005年8月2日
大塚康生さんが亡くなってしまった。
世間一般には、
日本におけるアニメの創成期から第一線で活躍し、宮崎駿や高畑勲と組んで『太陽の王子 ホルスの大冒険』『ルパン三世』『パンダコパンダ』『未来少年コナン』『じゃりン子チエ』などを手がける。(Wikiより)
……という人物として知られている。
当時の日本のアニメ業界を舞台にした朝ドラ『なつぞら』では、麒麟・川島明が演じた下山克己のモデルとなっているのが大塚さんだ。
昭和6(1931)年生まれだから、私の両親(昭和3年生まれ)と同世代。つまり、私とは親子ほど歳が離れている。
原画を担当した『白蛇伝』(東映動画)の公開は1958年。私はまだ3歳。
当時のアニメーション映画は、小学校の「幻灯」の時間でいくつか見た記憶がある。『安寿と厨子王丸』(1961年)はよく覚えているが、この作品でも大塚さんは原画を担当していた。
当時のアニメ映画の質は、色づかいといい、コマ割りの細かさやストーリーの豊かさなど、様々な点で、今よりもずっと高かったのではないかと思う。
ビジネスとしてだけでなく、世界レベルの作品を作るのだ、という気概にあふれていたからだろう。

伝説のアニメーター・大塚康生……でも、私の中では、アニメ作品とはリンクしておらず、「無邪気な狛犬好きの爺さん」である。
私の人生の中で出会った大塚康生さんという「人」の素晴らしさを少し書き残しておきたい。

出会い

初めて大塚さんと話をしたのは、2000年前後くらいだっただろうか。日本参道狛犬研究会(こまけん)の例会でのことだった。
例会のときも、例会後の懇親呑み会の席上でも、わざわざ近づいてきてさかんに話しかけてくる老人がいて、この人は一体誰なんだろう? と戸惑った。まるで旧知の仲であるかのように、あたりまえに話を振ってくるのだ。
終始ニコニコして、多動性の子供のように振る舞う。
初対面の人だし、もちろん名前も知らない。普通に受け答えしていたものの、ずっと面食らったままだった。
結局、そのときは最後までその老人の正体を知らないままだったと思う。

次に会ったのもやはり「こまけん」の例会で、そのとき、他の会員の誰かから「たくきさんって、大塚康生さんとは長いおつきあいなんですか」とかなんとか言われて、初めてお名前を耳にしたと思う。
「全然知らない人だ」と答えると、訊いてきた会員は驚いて「アニメの世界では超有名な人ですよ」と教えてくれた。
それでもまだ、自分はアニメマニアじゃないし、知らなくて当然だし……などと思っていた気がする。

どういういきさつだったのかは忘れたが、知らないうちにメールをやりとりするようになって、大塚さんから、ある日大量の画像が添付で送られてきた。欧州を旅行したときに撮影したガーゴイル(gargoyle=雨樋の役割をする化け物彫刻)の写真だという。


↑大塚さんから送られてきた大量の「ガーゴイル」写真。800枚近くある。

↑いただいたガーゴイル写真の中に入っていた。おいくつくらいのときだろうか

そのときも、変わった人だなあと思ったのだが、ガーゴイル論に発展するでもなく、そのままになっていた。

即答で寅吉・和平ツアーに駆けつける

忘れられないのは、2005年8月の「寅吉・和平ツアー」だ。
この夏、岐阜から友人の大須赤門夫妻が川内村の拙宅に遊びに来た。寅吉・和平の作品めぐりをしたいというので案内することになっていたのだが、ふと大塚さんのことを思い出してメールしてみた。よかったら一緒にどうですか、と。
即答で「行きます!」と返事が来た。
当日、磐越東線の神俣駅まで来てもらったのだが、列車が無人ホームに着くなり、笑顔でピョンと両脚を揃えてホームに飛び降りたのには驚いた。
本当に無邪気な少年のような人だ。
ご高齢なので、狛犬めぐりの間、体力が持つかしらとちょっと心配したのだが、終始上機嫌で喋りまくり、斜面にのぼって狛犬の裏側にまわって撫で回したりしている。そのうちに興奮しすぎて倒れてしまうのではないかとハラハラするほどだった。

↑↓古殿八幡神社の狛犬を見る大塚さん。




羽黒神社にて。この和平の狛犬(昭和8=1933年)は、その後、3.11東日本大震災で倒壊してしまった。




石都都古和気神社御仮屋にて。
↑石都都古和気神社の親子獅子、3頭の子獅子に想いをはせる自画像、とのこと。



一色の鐘鋳神社にて。



鹿島神社にて。寅吉の最高傑作を見る大塚さん。

神宮寺墓地にて、寅吉が彫った夫婦鶴の墓を見る大塚さん。



国津神社にて。梅沢敬明のデコラティブ狛犬を見る大塚さん。



借宿の羽黒神社参道口。寅吉の石柵の前で。

石柵の中の逆立ち獅子↓を撮る大塚さん↑。



川田神社にて。



沢井八幡神社の波乗り兎↑の「耳」を渡される大塚さん↓ 渡しているのはこの日、途中から案内役で加わってくださった石川町元助役の吉田利昭さん



沢井八幡神社では、和平が初めて銘を入れた石の社とキツネ像↓も



川辺八幡神社にて。和平最後の作品を見る大塚さん↓↑。
斜面に乗り出して狛犬の裏側にまで回り込む↑


↑気をつけてくださいよ~。


日本を代表するアーティストに最後の作品をしっかり見てもらえて、和平も喜んでいることでしょう。



↑いい旅だったなあ……と回想する大塚さん(自画像)

この狛犬ツアーでは、私のプジョー307で移動したのだが、移動中、車好き(特にジープ)、メカ好きという情報を得ていたので「ジープがお好きなんですって?」と話を振ったりした。
もう歳で、ああいう車は運転できないから、今はフォードのフォーカスという乗用車に乗っている、とのことだった。
クルマの話はそれ以上は膨らまず、車内ではずっと狛犬の話だった。

その夜は、赤門夫妻らと一緒に川内村の旅館「小松屋」に泊まっていただいた。
翌朝、旅館に迎えに行くと、赤門が色紙を持参していて、サインをねだっていた。大塚さんはサラサラとルパン三世の絵を描いて渡していた。
その後、妻がX-90で駅まで送って行き、一泊二日の狛犬ツアーが終了。いや、大塚さんは、待ち合わせに遅れたらいけないと思って、前日には郡山のホテルを取って「前乗り」したそうなので、二泊三日の旅になったのだった。
翌日、丁重なお礼メールが届いた。寅吉・和平の狛犬の素晴らしさを語ったそのメールの最後には、「たくきさんはきっと受け取らないと思ったので、失礼ながら、お車のドアポケットに些少ですがガソリン代を置かせていただきました」とあった。
X-90の車内を確認したところ、紙に包まれた1万円札があった。

「永遠の少年」という言い方があるが、大塚さんはまさにそういう人だったと思う。
好きなこと、興味のあることに夢中になり、真剣に人生を楽しむ。
私には「少年のような」という部分はむりだけれど、「真剣に人生を楽しむ」姿勢は見習いたい。そうした生き方の師匠である。

ああ、大塚さん。あなたがいなくなってしまうなんて、寂しすぎます。



Twitter   LINE

江戸時代の元号を語呂合わせで覚える2021/03/21 15:42

文化13(1816)年のキツネ
狛犬を見ていると、江戸の元号の順番や、西暦だとどのあたり?というのが分からず、モヤモヤすることが多い。
我々の感覚だと慶長も慶應も十把一絡げに「江戸時代」という感じになりがちだが、江戸時代は長い。慶長と慶應では250年くらい違う。
天変地異や時の為政者の政策で、10年違えば世相や食糧事情がガラッと変わっていることもあるはずだ。
江戸時代の元号をしっかり覚えておきたいものだなあ。でも、生まれつき記憶力が弱いのに、今は老化で脳みそがボロボロだから、無理だよなあ。

なんとか今からでも元号の切り替わりの西暦を語呂合わせで覚えられないものか……。
「鳴くよウグイス平安京」みたいな暗記法で。

……ということで、挑戦してみる。
まずは1600年代。関ヶ原の戦いの1600年は「一路雄々しく関ヶ原」って、小学校のとき覚えたなぁ。
その後、家康という「おっさん」(1603)が江戸に徳川政権を樹立した……と。ここからが江戸時代だね。
  • 慶長元(1596)年 「けいちょうふはく(軽佻浮薄)な殿様、いご、くろう(以後、苦労)する」
  • 元和元(1615)年 「きげんなおして、ひろいこころ(広い心)で」
    げんなりするぜ。16ひこう(非行)」(小さいときは可愛かったのに、やっぱりグレたか)
  • 寛永元(1624)年 「かんえいじ(寛永寺)なら いちろにし(一路西)へ」
  • 正保元(1644)年 「しょうほう(商法)を学べ、ヒロシよ
  • 慶安元(1648)年 「慶安の変で由井正雪、いちむしゃ(一武者)として死す」
    けいあんずるな(刑案ずるな)、ヒロシやらかしたけど」
  • 貞応元(1652)年 「じょうおう(女王)さまと言え、ヒロコには」(ドSなの)
  • 明暦元(1655)年 「頭脳めいれき(明晰)、ヒロコご立派 」(SMの女王は頭もいい)
    めいれかないヒロコご立派」(Sだもの。命令はする側だぜ)
  • 万治元(1658)年 「まんじ休す(万事休す)。ヒロコやらかした。」(そんなヒロコ女王も失敗はする)
  • 寛文元(1661)年 「かんぶん読むならヒロムいちばん」(勉強家の弘くん)
  • 延宝元(1673)年 「えんぽう(遠方)よりいちろ(一路)なみ(波)越え船きたる」
  • 天和元(1681)年 「じゅうろくはい(16杯)も蕎麦くってんな
    テンイン・エイト……カウントダウンイベントでひろばいっぱい」
  • 貞享元(1684)年 「じょうきょう(状況)次第で ひろうはし(拾う箸)」(汚いとか言ってらんない)
  • 元禄元(1688)年 「げんろくおきらく 色ババア」(遊郭のお局様?)

……1600年代だけで13個もあるのかよ。改元しすぎだろ。
小学生のときなら覚えられたかもしれないけど、今からだと無理だなあ、きっと。
ヒロシやヒロコは、やらかしたりご立派だったり……一体どういうやつなんだ? という難しさもある。
あと、天和が相当ヤバいな。

めげずに1700年代、いってみよ~!!(いかりや長介)

  • 宝永元(1704)年 「ほうえいご(英語)得意なのね、
  • 正徳元(1711)年 「しょうとく太子はいないひと?」(架空の人物説も)
  • 享保元(1716)年 「きょうほの選手、いないね、だね」(苦しい競技だからねえ)
  • 元文元(1736)年 「げんぶん一致だ、さぶろう(三郎)」
  • 寛保元(1741)年 「かんぽの勧誘、ひとなしいちばん」(ひどかったねえ、あの保険のやり口は)
  • 延享元(1744)年 「えんきょう(月の家 圓鏡)人気でなしよ
  • 寛延元(1748)年 「かんちゃんえんちゃん、なしや
  • 宝暦元(1751)年 「イナゴいっぴき」(どういうカレンダーやねん)
  • 明和元(1764)年 「めいわく千万、ひなんむし(避難無視)」(Jアラート? あれは迷惑だったわ)
  • 安永元(1772)年 「アンエイカップ、じゅうしちなつ(夏)」
  • 天明元(1781)年 「テンめいわく(迷惑)、ひなんばい」(火の不始末で森林火災。避難ばい~博多弁のテン?)
  • 寛政元(1789)年 「かんせいど(完成度)高いなっぱくれ」(最上級の菜っ葉しかいらん)

円鏡って、あたしらの世代だと、後の橘家圓蔵だけど、若い人は知らんだろうな。で、「かんちゃん、えんちゃん」は関西の人気漫才コンビってことでいいかな?
アイドルのアンちゃんは貧乳で夏は水着に苦労する? いや、17歳で巨乳は不自然だから、むしろそれでいい(ペコパ)

1700年代も12個もある。もう一息だ。1800年代に突入!

  • 享和元(1801)年 「きょうはいい天気、はれいちばん
  • 文化元(1804)年 「ぶんか勲章逃して、いや~、おしい!」
  • 文政元(1818)年 「みぶんせいどなんて、いやいや~」
  • 天保元(1830)年 「天保の飢饉ではさん(破産)。貯金ゼロだわ」
  • 弘化元(1844)年 「こうかい(後悔)したくない。いやよ、し(死)ぬのは」
  • 嘉永元(1848)年 「かえい(カレー?)作らせたら、いっぱしやね」(ココイチでバイトしてたからね)
  • 安政元(1854)年 「あんせいにして、こしを治す」
  • 万延元(1860)年 「いちまんえんで、ハムを買う」
  • 文久元(1861)年 「なにぶんきゅう(なにぶん、急)で、ハローワークへった」(いきなりリストラされた?)
  • 元治元(1864)年 「げんじてんでは、無視してよろしい」
  • 慶応元(1865)年 「慶應卒のむこ(婿)がきた」

……いやぁ、最後は息切れですね~。
幕末は安政が「安静にして腰を治す」で1854年と覚えたら、そこからはめまぐるしく変わるから、「あんまんぶん、げんけい」(餡饅を賄賂に差し出したら、その分、減刑された)と覚えておけばいいかな。この順番でわずか10年ちょっとの間に元号が5つも並んでいる。
そんなこんなで、1800年代も11個あるのか。

というわけで、なんとか語呂合わせ暗記を考えたわけだが、改めて全部を見てみると、「寛」がつく元号が5つもあるのがややこしい。
寛永元(1624)年、寛文元(1661)年、寛保元(1741)年、寛延元(1748)年、寛政元(1789)年。
寛永と寛政では160年以上離れている。でも、「寛」がつけば1700年代以前だと分かるので、台座に「寛」の文字があればテンションが上がるかな。

それにしても、である。
関ヶ原の戦い(1600年)で家康が勝利してから戊辰戦争(1868年)で徳川政権がつぶされるまで、実に268年ある。
戊辰戦争から現在(2021年)までは153年。
寛永と寛政を読み間違えると、それより長い時間を間違えることになる。

太平洋戦争で日本が敗戦(1945年)からはまだたったの76年。
我々が「戦後」と呼んでいる時代は江戸時代の3分の1以下しかないわけだ。
江戸時代って、気が遠くなるほど長かったのだなあ、と、改めて思う。
これも一助になるかな?



Twitter   LINE

オーストラリアでCOVID-19死者が少ない理由は?2021/03/02 22:17

先日の全豪テニスで、海外からやってきた選手やスタッフへの防疫体制の徹底ぶりに驚いた。
飛行機はすべてチャーター機を用意し、空港到着後の検査で一人でも陽性反応者が出ると、その者と同じ飛行機に乗っていた全員を2週間ホテルに完全隔離する。それも、一切部屋から出さないという徹底ぶり。
それ以外の選手も、コートでの練習2時間を含む1日5時間までの外出のみが許され、実質24時間監視されていた。
期間中は毎日検査を行い総数は約3万件に達した。
こうした2週間の隔離終了後に、一部の選手が隔離期間を過ごしたホテルの従業員にコロナ陽性者が出た。そのため、わずかでも接触可能性がある者は陰性が完全証明されるまで外出禁止となり、予定されていた前哨戦は全試合中止になってしまった。
それだけ徹底した管理をしても、市民からは大会開催反対の声が強く上がっていたという。
ようやく2月8日に大会が始まったが、その後、開催市であるメルボルンにある入国者の隔離用ホテルの滞在者やスタッフなどから、イギリス型変異ウイルスが確認されるや否や、州全体で12日夜から5日間、外出制限を導入した。12日夜は、メイン会場のロッド・レーバー・アリーナでは男子3回戦、フリッツ(米)対ジョコビッチ(セルビア)が行われていたが、午後11時30分になると試合を一時中断して会場を無観客にした。この処置に、フリッツ選手は「馬鹿げている!」と怒りまくっていた。

こうしたニュースを見て、オーストラリアってそこまでやるのかと驚いたわけだが、オーストラリアのコロナ感染状況については以前から不思議に思っていた。
人種構成はイギリスやアメリカなどとそれほど変わらないのに、なぜ死者が少ないのだろう、ということだ。

worldometers.infoの最新データ(2021/03/02時点)を見ると、オーストラリアの状況はこうだ。

■オーストラリア
人口:約2570万人
検査総数:約1441万人
死者総数:909人
感染者数累計:28,986人
100万人あたり死者数:35
100万人あたり検査数:562,609
100万人あたり感染者数:1,128人

これを日本と比べてみる。
■日本
人口:約1億2622万人(豪の4.91倍)
検査総数:約825万人(豪の0.57倍)
死者総数:7,887人(豪の8.68倍)
感染者数累計:432,773人(豪の14.9倍)
100万人あたり死者数:62人(豪の1.77倍
100万人あたり検査数:65,916(豪の0.12倍
100万人あたり感染者数:3,435人(豪の3倍

人口100万人あたりの死者数は35人は、日本の62人よりも少ないのだ。
ちなみにイギリスは同・1805人、アメリカは1587人で、オーストラリアの35人と比べて2桁も違う

COVID-19で重症化する割合は、DNA的な要素など「ファクターX」が関係しているのではないかということはだいぶ前から言われている。
では、オーストラリアの人たちは「ファクターX的」に米英の人たちよりコロナで重症化しにくいのか?
それを見るために、「死者数/感染者数」を出してみると、

死者数/感染者数
オーストラリア:0.03136
イギリス:0.02940
日本:0.01822
アメリカ:0.01799

……となり、どの国も桁が違うというほどは違わない。むしろオーストラリアでは「感染して死ぬ人」の割合はイギリス、日本、アメリカより多いのだ。

人口密度が違うとはいえ、徹底した防疫体制、検査数の多さが、感染者数を抑え込み、結果として死者数も抑え込んでいると考えるしかないだろう。

日本はオーストラリアと比べてどうなのか? あるいはお隣の韓国と比べるとどうなのか?
比較してみた。
オーストラリア
100万人あたり死者数:35
感染者数累計/検査数:0.0020
死者数/検査総数:6.3
死者数/感染者数:0.031

日本
100万人あたり死者数:62
感染者数累計/検査数:0.0524
死者数/検査総数:9.6
死者数/感染者数:0.018

韓国
100万人あたり死者数:31
感染者数累計/検査数:0.0135
死者数/検査総数:2.4
死者数/感染者数:0.018

やはり、オーストラリア人は「感染したら重症化して死ぬ確率がアジア人より高い」が、徹底した検査と防疫体制で感染そのものを抑え込んでいるので死者数が少ない、ということが見えてくる。
また、日本と韓国では同じ東アジア系なので、コロナによる「死にやすさ」は変わらない(「死者数/感染者数」がほぼ同じ)が、検査体制や感染対策の違いで人口あたりの死者数に倍の開きが出ている、と考えられる。

それにしても、である。
全豪テニスのあの徹底的な防疫体制、隔離方針と同じレベルのものを日本がオリンピックでできるとは到底思えない。
できないのが分かりきっているので、「2週間隔離は求めない代わりにスマホアプリで管理」などと素っ頓狂なことを言い出す始末。
世界は今の日本をどう見ているだろうか。



Twitter   LINE

菅正剛氏スキャンダルで浮かび上がった「電波利権」とは何か2021/02/27 22:20

テレビが言えない地デジの正体(2009年刊)
 菅首相の長男・菅正剛氏が総務省幹部らを接待していたというスキャンダルで、メディアは連日騒いでいる。
 しかし、そもそもなぜそういうことが起きるのかという「電波利権」の構造について解説してはくれない。テレビ局や新聞社にとって、いちばん公にしたくないことだからだ。
 電波利権とはどういうものなのか?
 2009年に上梓した『テレビがいえない地デジの正体』という本(ベスト新書)を読み返してみた。
 元原稿がファイルとして残っていないのだが、下書き段階のものがあった。出版されたときの文章はかなり変わっているし、データ(数字)も十数年前のものになっているので、ポイントをおさらいしながらまとめてみる。

田中角栄と電波利権の始まり

 地上波(UHFやVHF電波)放送は、電波が一定範囲しか届かない、あるいは、隣接する放送局は混信を避けるために十分に間隔をあけた帯域の電波を使うと決められている「不便さ」が、むしろ特別な権益を生み出す。特定地域の視聴者を簡単に「囲い込む」手段になるからだ。
 これにより、地方局は地元企業のテレビ広告を一手に独占できるだけでなく、ローカルニュース送信によって、情報を意のままにコントロールすることもできる。
 テレビ創生期、各地の有力者たちは、こぞってテレビ局を開設したがった。一度、放送免許を得てしまえば、半永久的に、莫大な権益を持つことになるからだ。
 地方テレビ局の誕生には、田中角栄が大きく関係している。
 田中は1957年、39歳の若さで岸内閣の郵政大臣に就任した。
 このとき、日本のテレビ局は、NHKが11局。民放は日本テレビ、ラジオ東京(TBS)、北海道放送、中部日本放送、大阪テレビの5局しかなかった。他にフジテレビとNET(現テレビ朝日)に予備免許が下りていたが、放送はまだ始まっていなかった。
 こんな状況で郵政大臣に就任した田中は、各県ごとに利権を一本化し、一気に34の地方局に放送免許を出した
 一旦開局すれば、テレビというメディアは巨大な利権を生む。かくして、政界と放送局は当初から密接な関係を保ってきた。錦の御旗のように使われる「報道の自由」というスローガンだが、テレビ放送においては、スタート時点からすでに危ういものだったのだ。なにせ、お上から免許が下りないと放送事業は始められないのだから。
 今では考えられないが、地方局のニュースでは、地元出身の政治家が「お国入り」するたびに映像付きで紹介した。これほど強力な選挙運動はない。
 一時期、田中は選挙区のある新潟放送で、「国政報告」の形を取った30分のテレビ番組を2つも持っていた。これに類したことは、田中だけでなく、全国で普通に行われていた。

4大ネットワークはこうしてできた

 現在の4大ネットワーク(JNN、NNN、FNN、ANN)の編成にも政治が大きく関与している。
 1972年、首相になった田中角栄は、全国のテレビ局を大胆に再編成することに乗り出した。これは、無視できない巨大メディアに成長したテレビを傘下におさめたいという大手新聞社の戦略に応えるものだった。
 1973年12月、朝日、読売、毎日の3大新聞社が首脳会談を行い、テレビ局ネットワークと新聞資本を再編成・統一することで合意した。これにより、東京放送(TBS)の新聞資本は毎日新聞社のみに。それまで東京放送(TBS)の準キー局だった大阪の朝日放送は朝日新聞社系列下に。その代わり、毎日放送(MBS)がTBS系列(JNN)に。毎日放送とネットワーク提携していたNET(日本教育テレビ。現テレビ朝日)は朝日放送のネット(ANN)に……といった大幅な再編成が成立した。
 現テレビ朝日の前身であるNETは、設立した1957年時点では、日本経済新聞社、東映、旺文社などが中心株主で、免許交付の条件は「教育番組を50%以上、教養番組を30%以上放送する」というものだったが、1973年には「総合局」の免許が交付され、朝日新聞社が大幅に株式を買い増しして、事実上「朝日系列」に組み入れることに成功した。
 新聞社とテレビ局が完全に系列化することは、ニュース配信時などには情報をすばやく共有でき、取材も連携が取れるといったメリットもあるが、複数の視点による報道、報道が政治権力から独立するという観点からはデメリット、危険性もはらんでいる。
 テレビの不正を新聞社が暴く、あるいはその逆のことができにくい
 放送免許という首根っこを押さえられている放送局が追及しづらい政府のスキャンダルを、新聞社が先陣を切って報道するということもしづらくなる。
 地デジ化を巡る報道などはその端的な例だった。テレビ局の利権に直接関わる問題だけに、新聞も大きく扱わないし、扱ったとしても、問題の核心には迫らず、表面的な報道に終始する。
 新聞社とテレビ局の完全系列化は、報道の基本精神を脅かす危険なものだったと言えるだろう。

携帯電話料金がテレビ局を支えている

 放送局や携帯電話会社にとって、特定の電波帯域を使える権利は大変な資産であり、莫大な利権が発生する。
 では、一旦電波帯を割り当てられた放送局にとって、電波は「ただ」なのだろうか?
 日本では、1993年5月までは実質「ただ」だった。
 1993年5月からは、「電波利用料」というものが導入され、すべての「無線局」は、電波を利用するための利用料金を支払わなければならなくなった。
 この「無線局」というのは、放送局も入れば、携帯電話の利用者(携帯電話端末)も該当する。携帯電話の電波利用料は1台あたり年間140円(当初は540円。その後420円になり、2008年10月より250円、現在は140円)。携帯電話会社が利用料金に組み入れて徴収し、まとめて支払っている。
(2017年度に携帯電話事業者が支払った電波利用料の総額はNTTドコモが167億円、KDDIが114億円、ソフトバンクが150億円だった)。
   一方、テレビ局が使っている電波帯域は非常に広いが、2005年度以前には、年額わずか2万3800円だった。これに対して、携帯電話は当初一律1台540円で、個人で使う携帯電話機1台とテレビ局の電波使用料が44倍しか違わない。つまり、テレビ局の電波使用料が携帯電話機利用者44人分でしかないという、とんでもない料金制度になっていた。
 2005年度からは、使用する電波の帯域幅や地域の人口密度、出力などを考慮した算出法になったが、それでも全国のテレビ・ラジオ局が支払っている電波利用料は携帯電話事業者が支払っている電波利用料に比べれば極端に安い。
 2015年の電波使用料内訳を見ると、携帯電話キャリアのNTTドコモ 201億円、KDDI 131億円、ソフトバンク 165億円に対して、公共放送のNHKが約21億円、日本テレビ系列は約5億円、TBS系・フジテレビ系、テレビ朝日系、テレビ東京系は約4億円で、テレビ局が支払った電波利用料は利益に対して1%未満という微々たるものだった(Wikiより)。

電波利用料がどう使われているのかも不透明

 電波利用料は、「総合無線局監理システムや電波監視システムの整備・運用、周波数逼迫対策のための技術試験事務、携帯電話の過疎地での基地局維持・設置」などに使われることになっているが、2001年度からは地デジ化のために巨額が使われた。テレビ局のことを、なぜ携帯電話利用者が負担しなければいけないのかという疑問の声があったが、結局は押し切られた。
 ついでに言えば、電波利用料の一部は、総務省の出先機関で、美術館のチケット代や野球のボール代など、職員のレクリエーション費にも使われていた。2008年5月、民主党の調査で分かったものだが、民主党の指摘を受けて調査した総務省の発表によれば、計11ある地方総合通信局のうち6つの通信局で、チケット代、ボール代、ボーリングのプレー代などが支出されていたという。民主党の調査では、他にもラジコン購入費や職員のレクリエーションに使った貸し切りバス費用などもあるという。
 これに対して、増田寛也総務相(当時)は、「法律上書いてある」ことで、法的には問題がないとの考えを強調した。

英国BBCを蹴ってグリーンチャンネルを入れた総務省

 BSの電波帯再編における利権争奪戦にまつわる話をさらにまとめると、2009年、BSのアナログハイビジョン放送(NHKが2チャンネル、WOWOWが1チャンネル持っていた)を廃止して、空いた帯域にデジタル放送を入れるという再編時、フルハイビジョンなら6チャンネル分、標準画質なら24チャンネル分が空くことになった。それに加えて新規にBS19という「空き地」へ、18企業・団体から合計22チャンネル分の応募があったが、総務省は英国BBCや米国ディズニー社を落として、スターチャンネル、アニマックス、グリーンチャンネル、Jスポーツなどを「合格」とした
 グリーンチャンネルは「財団法人競馬・農林水産情報衛星通信機構」というところが運営しているが、これは農水省、総務省共同管轄委託放送事業者。日本中央競馬会の関連法人でもある。
 グリーンチャンネルはすでにスカパー!で放送をしていたが、このBS格上げによって、一気に価値の高い「BS委託放送事業者」になった。
 その一方で、英国BBCが「家族層向けのドキュメンタリーやドラマなど娯楽番組の有料チャンネル放送をしたい」という申請は蹴ったのだ。
 これによってどれだけの日本国民が良質の番組を見る機会を失ったことか! ああ、BBC!! 『モンティパイソン』や『グレートブリテン』見たかったよ!! BBC制作のドキュメンタリーが東京五輪問題をどう扱ったのか見たかったよ!!

 今回話題になった菅正剛氏関連のスキャンダルでは、東北新社傘下の「囲碁将棋チャンネル」のBS入りに疑惑の目が向けられたが、こうした不透明な決定は今に始まったことではないのだ。

地上波はローカル放送にして全国ネット番組はBSやネット経由で流せ

 放送事業者選定の不公正感もひどいが、電波帯域の無駄使いも目に余る。
 現在、BSでは広帯域を使う4K放送が始まっているが、内容をしっかり見てほしい。通販番組やら大昔のドラマの再放送(当然画質は粗い)を平気で流している。
 そもそも4K放送など必要なのか? NHKの朝ドラなどはハイビジョン画質と4K放送を同時に流しているので、BSの4Kチャンネル対応チューナーを内蔵したテレビがあるなら見比べてみてほしい。画質の差など分からないし、目を凝らして多少の差が分かったとしても、それがなんだ、という話だ。大切なのは番組内容の質だろうが。
 今回、菅正剛氏が関わる接待スキャンダルで注目された「囲碁将棋チャンネル」は、かつての標準画質のままの番組を流しているので、最後に余ったスロットに割り当てられたのはある意味当然なのだが、それだってもっと違う活用法がある。
  BSのハイビジョン画質1チャンネル分の帯域は、昔の標準画質なら3チャンネル分送信できるのだから、4対3画面時代の再放送をしているのはもったいない。かつての標準画質番組を再放送する専用の狭い帯域のチャンネルとして設けてくれたほうが「囲碁将棋チャンネル」よりは多くの視聴者が喜ぶだろう。囲碁将棋番組はネットでのオンデマンド配信に向いている内容であり、BSでリアルタイム放送する意味はない。

 長くなってきたのでそろそろまとめたい。

 この拙著で私が主張したかったのは、
  • テレビ放送をデジタル放送に移行するのはいいとして、なぜ「地上波」でやる必要があるのか。BSやケーブルテレビ、インターネット回線を使えば全国どこでも同じ数のテレビ局が見られるのに、わざわざ「地上波」にして地域格差をつけるのは利権保守以外の目的は考えられない。
  • 電波は公共財なのだから、裏で変な取り引きをせず、入札や電波利用料をすべて公開して、視聴者の利益を守れ
 ……ということだ。
 10年以上経っても、何にも変わっていない。

 7万円の接待で何を食ったかなんてどうでもいい。総務省とメディアのズブズブ関係によって、我々はもっと大きな損失を被っているのだ。

オマケ:顛末記

 この本は、校了して、印刷所で印刷が始まる直前の部数決定会議で、出版社の社長が突然「なんでこんなくだらない本を出すことになったんだ?」と激怒し、いまさら出版停止にはできないならと、部数を極端に減らした。2000だったか3000だったか忘れたが、とにかく当時の新書の刷り部数としてはありえないような数。書店にまともに並ぶのも難しい数で、まるで「売れては困る」というような異様な決定だった。
 さらには、担当編集者は出版直後に編集部を外されて異動になり、その後、退職してしまった。
 私のせいで熱心な若手編集者の人生まで狂わせてしまい、その後は本を出版することがすごく怖くなったものだ。
 担当編集者は、「何か圧力があったとは思いません。単純にこんなものは売れない、という言われかたでした」と説明していた。
 そうかもしれない。内容を知った政府筋から社長に圧力がかかった、などということはないだろう。単純に「なんでこんな売れそうもない本を出すんだ」ということだったのだと思う。

 10年以上経っても、人々が「与えられたもの」だけを受け入れ、消費していくという社会風潮は変わっていないわけで、電波利権の闇をどうにかしよう、などという本よりも、ゲームの攻略本や有名人のゴシップとか、金儲けの本とか、健康法の本とか、韓国・中国憎しみたいな本が売れる。
 ただでさえ本が売れなくなった時代に、物書きはどう生き延びるか……。そういうことも、今はもう深刻に悩んではいない。
 「一人に向かって」。一人が見えなければ「自分に向かって」、やれることをやる、という心境かなあ。



Twitter   LINE

タヌパック書店
小説、狛犬本、ドキュメンタリー……「タヌパックブックス」は⇒こちらから


「タヌパックブックス」はAmazonで購入でも買えます
森水学園第三分校 コロナで巣ごもりの今こそ、大人も子供も「森水学園」で楽しもう

『介護施設は「人」で選べ』

親を安心して預けられる施設とは? ご案内ページは⇒こちら

   

『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

(2012/04/20発売 岩波ジュニア新書)…… 3.11後1年を経て、経験したこと、新たに分かったこと、そして至った結論
今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う

立ち読み版は⇒こちら
裸のフクシマ 『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(たくき よしみつ・著) (2011/10/15発売 講談社 単行本)…… ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。
今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う

立ち読み版は⇒こちら

Kindle Unlimited なら無料で読めます↓