移住先の災害時危険度を考える2021/01/14 16:18

地方移住のススメ(4)

都市部から地方へ移住する理由の一つとして、災害に遭う確率を減らしたいから、というものがあります。
大都市に住んでいるだけで、大地震などが起きたときに命を落としたり財産を一瞬のうちに失う確率は上がります。
しかし、どれだけの人がその危険度を冷静に計算できているでしょうか?
ここでは、真の災害危険度を、大きなものから小さなものまで含めて、冷徹に考えていきます。

都市部の災害危険度が高いのは明白

 最初に指摘したいのは、都市部で暮らすことの危険性が年々上昇しているという点です。
 国は、今後30年の間に、関東から九州の広い範囲で強い揺れと高い津波が発生するとされる南海トラフ地震と、首都中枢機能への影響が懸念される首都直下地震が70%の確率で発生すると予測しています(内閣府「防災情報のページ」)。
 この数字を冷静に見つめ直してみてください。東京、名古屋、大阪などの大都市圏で大規模地震が発生した場合、「仕事が」とか「学校が」とか言っていられません。人口密集地帯でライフラインが破綻すれば、間違いなく地獄絵になるでしょう。
 これからの時代、いちばんの安全要素は「空間の広さ」です。人口密度が低いこと。住居の周囲や建物の生活空間にゆとりがあること。電気や水道が止まってもなんとかしばらくは生き延びられる環境こそが最大の「保険」です。
 それは都市部では望めません。どんなにお金を持っていても、コンビニで食べ物や水を買うこともできません。豪華なタワーマンションの部屋も、一瞬にして空中牢獄のような場所になりえます。
 命を落とすことがなかったとしても、職場も、学校も、商業施設も、長期間にわたり使えません。
 そうした危険の度合いが、空間にゆとりがある地方の生活では、ぐっと低くなります。
 もちろん、目下問題になっている新型コロナウイルスなどの感染症へのリスクも、人口密度の低い地域ほど感染の確率が下がることは言うまでもありません。

自然災害に遭う確率と生き延びる確率

 中越地震で家を失った経験からは、多くのことを学びました。
 まず、地震災害については予測が不可能だ、ということです。
 前述のように、国は南海トラフと首都直下型地震が今後30年の間に70%(!)の確率で発生すると警告しているわけですが、ここ数十年に起きた大きな地震を思い起こしてみると、ほぼ「想定外」の場所で起きています。
 中越地震は2004年10月23日に起きました。最大M(マグニチュード)6.8、最大震度7という規模の地震が連続して起きたのですが、これは日本で計測震度計が震度 7を観測した初めての地震でした。
 私の家があった川口町の地震計は2,516ガルを記録しましたが、これは当時、世界最高の数値(世界新記録)です。そういう激烈な揺れが襲ったのですから、震源地ドンピシャにあった我が家が潰れるのも当然です。
↑地震で滅茶苦茶になった我が家。2004年11月5日撮影)
中越地震で家を失った記録は⇒こちら
 この地震による死者は68人でした。
 68人?
 こう言うと怒られるかもしれませんが、地震の規模に比べて奇跡のように少ないと思いませんか?
 ここで、平成に起きた大きな地震を振り返ってみましょう。
阪神・淡路大震災
   平成7(1995)年1月17日。震源:淡路島北部。震度7(当時は計測震度計の適用外。後の現地検証で震度7とされた)、M7.3
   死者・行方不明者:6,437人

鳥取県西部地震
   平成12(2000)年10月6日。震源:鳥取県西部。震度6強、M7.3
   死者:0人

新潟県中越地震
   平成16(2004)年10月23日。震源:新潟県中越地方(川口町など数か所)。震度7、M6.8
   死者:68人

新潟県中越沖地震
   平成19(2007)年7月16日。震源:新潟県中越地方沖。震度6強、M6.8
   死者:15人(直接死11人、災害関連死4人)

岩手・宮城内陸地震
   平成20(2008)年6月14日。震源:岩手県内陸南部(仙台市の北約90km)。震度6強、M7.2
   死者・行方不明者:23人(内、宮城県内が18人。岩手・秋田軒が各2人、福島県が1人)

東日本大震災
   平成23(2011)年3月11日。震源:三陸沖。震度7、M9.0
   死者・行方不明者:18,428人(内、宮城県内が10,760人。死因の9割は津波による溺死)

熊本地震
   平成28(2016)年4月14日。震源:熊本地方。震度7、M6.5
   死者:273人(内、関連死が218人)

 ……これを見て分かることは、大地震における危険度=震度ではない、ということです。
 阪神・淡路大震災における死者数が多いのは、いうまでもなく神戸という大都市が被災したからです。都市部が大地震に襲われれば、火災に巻き込まれる可能性が高まりますし、建物が密集しているので逃げ場もありません。
 過疎地であれば、大地震に襲われても、命を落とす確率は都市部に比べればはるかに低いのです。
 首都直下型地震が発生したときの東京の被害は想像したくありません。南海トラフ地震でも、大阪や名古屋などの大都市での被害が大きいことは容易に想像できます。
土砂災害・水害
 東日本大震災での死者の多くは、津波に呑まれての水死です。
 津波に呑まれるという危険性は、言うまでもなく海岸に近い場所にあるわけですが、東日本大震災クラスの大規模地震で津波が発生した場合は、海岸からかなり遠くても、海抜が低い場所では水没してしまう可能性があります。
 水に飲まれて死ぬ危険性は、津波だけでなく、台風や大雨による河川氾濫でも引き起こされます。
 近年は「100年に1度の」異常気象災害という言い方が毎年のようにされています。
 大雨では、川の氾濫だけでなく、土砂崩れによって生き埋めになるという危険もあります。
 これらの危険度は地域というよりは「地勢」に関係します。端的に言えば、海岸や川、崖や斜面に近い場所は潜在的に危険なのです。
 津波や高潮の被害は海岸からの距離はもちろん、海抜で危険度がはっきり分かります。海抜50m以上ある土地で津波被害を受けることはまずありません。
 しかし、川の氾濫は海抜とは関係がありません。普段は穏やかに見える河川があふれる事態は、その土地に長く住んでいる人でもなかなか想像できません。
 また、都市部では、川がすぐそばになくても、下水があふれて浸水する被害もあります。
 2019年10月の台風19号で、川崎・武蔵小杉の47階建てタワーマンションが浸水し、全棟停電になった事例は記憶に新しいところです。643世帯、1500人以上の住民が、長期間、電気も水道もエレベーターも長期間使えず、陸の孤島状態に置かれました。
 私が住む日光市では、2015年9月の集中豪雨被害で、我が家の周囲でも川があふれて家が水没したり道路や橋が流されて通行不能になる被害が出ました。
 このときの雨は確かに凄まじかったのですが、我が家は丘の上にあるので無事でした。下を流れる川が氾濫して道路のアスファルトが剥がされ、田圃の中にまで運ばれた凄まじい光景を見たのは何日も後になってからです。
 今の家を選ぶとき、川との位置関係などまったく考慮に入れていなかったのですが、非常に重要なことなのだと痛感させられました。
我が家の近所の川も豪雨で決壊し、川沿いの道はその後1年近く不通状態だった↑
↓氾濫した水が道路のアスファルト舗装を深くえぐり取り、道の反対側の田圃の中にまで運んだ凄まじい光景(2015年9月)

 異常気象という言葉があまりにも陳腐になってしまった近年、この程度の災害はいつどこで起きてもおかしくありません。
 移住先の物件を選ぶときには、最低限、海岸、川、斜面からは離れている物件を選びましょう。また、いざというときの避難路が十分広く、周囲に建物が密集していない立地を優先させてください。


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ウィズコロナ時代が教える固定観念の脆さ2021/01/14 15:38

序章:幸福は「相対的な価値」

コロナと共に生きていかなければならなくなった2020年以降、いやが上にも生活スタイルや従来の価値観を見直さざるをえなくなりました。
政治や社会体制に絶望したり怒ったりしているだけではどうにもなりません。ひどい社会でも、自力で生き抜く術を構築していくしかないのです。

ただでさえ苦しい生活だったのに、コロナで仕事の継続も難しくなり、これ以上何を「自力」で頑張れるというのだ、と反発するかたも多いでしょう。しかし、誰も助けてくれませんし、一時的な援助では根本的な解決にはなりません。
まずは、「考え方を変える」こと、今まで自分の中で「常識」「絶対」だと思っていた尺度を根底から見直すことから始めませんか。
具体的な技術や方法はそれからです。

固定観念に殺される時代

 2020年代を生きている私たちの大多数は、幸いにして戊辰戦争も太平洋戦争も関東大震災も経験せずに済みました。
 私は65歳を過ぎた「高齢者」ですが、戦後の高度成長時代やバブル経済を知っています。しかし、そうした時代は人類の長い歴史の中では、極めて特殊な、ほんの一瞬のことです。
 その特殊な、一瞬の時代に植えつけられた「常識」は、もはや通用しなくなっているのですが、多くの人が、未だに気づいていません。

 戦後の日本は概ね平和でしたが、経験した大きな災厄の一つに、2011年3月の東日本大震災と福島第一原発(1F(いちえふ))の爆発~放射性物質の大量ばらまきがあります。
 1Fが壊れて大量の放射性物質をまき散らした2011年3月12日、私と妻は福島県の川内村というところで暮らしていました。
 私たちはテレビで原発が爆発するシーンを見てすぐに逃げましたが、1か月後には自宅周辺の汚染状況を把握できたので、敢えて全村避難している村に戻って生活を再開しました。
 そのとき、壊れた原発内で放射線測定をする仕事を続けている20代の青年と話をする機会がありました。
 勤めている会社の社員半数は原発爆発後に辞めていったそうです。その半数の社員のように会社を辞めることをせず、放射能汚染された原発敷地内で仕事を続けているのはなぜかと訊いてみました。何か使命感のようなものからなのか、と。
 彼の答えは実にあっさりしていました。「嫌だけれど、他に仕事がないから辞められないだけだ」というのです。
「今のいちばんの望みは、被曝線量が限度になると他の原発でも働けなくなるので、そうなる前に他の原発に異動できることだ」とも言っていました。
 何よりも驚いたのは、「この村に生まれた以上、原発関連で働くしかない。そうした運命は変えようがない。仕方がない」という言葉でした。
 まだ20代の若さでありながら、転職する気力もなければ、ましてや起業して自立するなどというのは「無理に決まっている」というのです。
 つまり彼は、原発が爆発するという異常事態が起きてもなお、自分が勤めている会社と自分との関係、自分が生まれた土地と自分の人生との関係を相対化できず、絶対的なものだと感じているわけです。
 おそらく、子供の頃は彼にも将来の夢があったでしょう。それがなぜそうなってしまったのか。
 これを読んでいる多くのかたがたは、その青年の考えは異常だと感じるでしょう。仕事を変えるとか、生まれた土地を離れて新天地を探すなんてことは人生においていくらでもありえることじゃないか。何をバカなことを言っているんだ……と。
 私もそう思うので、彼の言葉にショックを受けたのです。
 しかし、彼のような感じ方、考え方をしている人は、案外多いのです。因習の強い田舎にだけではなく、都会にもたくさんいると思います。
二者択一ではない
 大人になるにつれ「仕方がない」「これが運命だ」と諦めて、自分からは何もしなくなってしまう。人をそうさせてしまう風土や社会の空気、仕組み(システム)を「絶対化」させてしまう傾向というのは、都会より田舎に顕著だとは思います。田舎に生まれ育つと、自分が置かれた境遇を絶対視しやすくなるのでしょう。
 しかし、情報や基準値を絶対化させてしまう過ちは、メディアに振り回されやすい都市生活者のほうが陥りやすいかもしれません。
 原発が爆発したときのことを思い出してみてください。
「放射能汚染された福島にはもう住めない。それなのに子供と一緒に住んでいる親は無責任だ」とか、「危険なのに安全だと言って無理矢理住民を帰そうとしている政府は人殺しだ」といった批判の発信源は、主に都会で暮らしている人たちでした。
 そうした批判の一部は正しくても、一方的に発せられるそうした論に対して、汚染された土地、特に福島県内で暮らしている多くの人たちは、迷惑この上ないと感じていました。
 放射性物質がばらまかれたのですから、それ以前よりも危険が増したことは間違いありません。しかし、人が生きていく上で、危険や困難は他にたくさんあります。
 うっすら汚染された場所で生活を続けていく危険より、家族がバラバラになったり、収入が途絶えたり、生き甲斐をなくしたりすることによる危険、あるいは不幸になる度合や加速度のほうがはるかに大きいと判断することは間違いではありません。
 あのときに起きた「年間20ミリシーベルト論争」も、数値を絶対化してしまうことから生じた対立といえます。
 20ミリシーベルト論争を忘れてしまったかたのために、少しだけ解説しておきます。
 日本には「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」というものがあり、そこで「人が放射線の不必要な被ばくを防ぐため、放射線量が一定以上ある場所を明確に区域し人の不必要な立ち入りを防止するために設けられる区域」として「放射線管理区域」というものを定めています。
 その条件の一つに「外部放射線量が3か月あたりで1.3mSv(ミリシーベルト)」というのがあります。3か月で1.3mSvということは年間で5.2mSvであり、1時間あたりにすれば0.6μSv(マイクロシーベルト)になります。
 ところが、福島第一原発が壊れて大量の放射性物質を環境中にばらまいてしまった後は、暫定基準としつつも、年間20mSvまでは健康被害はないと考える、ということにしてしまいました。
 これに対して、「とんでもない話だ」という人たちと「ヒステリックに騒ぐのは愚かだ。冷静になれ」という人たちが真っ向から対立し、議論も噛み合いませんでした。
 20mSvという数値のことでいえば、安全か危険かということ以前に、都合が悪くなったので一気に基準を引き上げるという姿勢がまずダメです。
 なぜこんなことになってしまったのか、責任は誰にあるのか、そうなってしまった以上、これからどうするべきなのかという話が全部棚上げ、無視されたままで「20mSvで大丈夫です」と、そこだけはさっさと決めてしまう。そうした不誠実さがまずは追及されるべきですが、実際にはそうなりませんでした。
 また、「大丈夫」派は「チェルノブイリに比べれば放出された放射性物質はずっと少ない」という言い方をしますが、これは一見、チェルノブイリ事故との相対化をしているようでいて、実際にはチェルノブイリ事故の数値を絶対化して、「あれに比べれば……」という論法に持ち込んでいます。
 チェルノブイリも「フクシマ」も、放出された放射性物質の絶対量や汚染された土地の面積規模が問題の本質ではありません。
 そういう事態に至らせた人間側の問題、社会やシステムの欠陥を見ていかなければ何の解決にもなりません。

 ……と、解説が長くなりましたが、振り返ってみて、あのときの状況は、2020年からのコロナ対策論争にそっくりだと思いませんか?
 「一刻も早く緊急事態宣言を出すべきだ。従わない者には厳罰を与えろ」という人がいるかと思えば、「コロナなんてただの風邪だ。日本ではコロナで死ぬより生活困窮で自殺する人のほうがずっと多い」という人もいます。
 感染対策か経済優先かという二者択一論のような論法も、原発爆発後の「放射能は安全か危険か」「汚染された地域の避難解除をするにも、経済的インフラを戻すのが先か、人が戻るのが先か」といった論争の二極論に似ています。
  • 放射能汚染が低くなった場所は避難指示を解除して復興を目指せ。
  • しかし、働き手世代は仕事のなくなった場所には戻れない。
  • 子供を抱えている親は放射能が不安で子供と一緒には戻りたくない。
  • 年寄り世代は住み慣れた家に戻りたいけれど、子供世帯は戻ろうとしないから独居老人世帯にならざるをえない。
  • しかも、田畑は荒れてしまって、今まで生活のリズムを作っていた農作業もできない。

 こういう負のスパイラルを抱えた地域に暮らしていた、あるいは今も暮らしている人たちにとって、放射線量が高い低い、安全か危険かといった二極論的議論はあまり意味がないのです。

 これと同じようなことが、2020年からのコロナ禍社会で繰り返されています。
 感染防止優先か経済優先かという二者択一論は、実際に影響を受ける職種や現場の人たちにとっては「なんにも分かってない!」という怒りを買うだけのことです。
 そして、政治が無力である、無力どころか、火事場泥棒的な犯罪に近い利権探しだけはしっかりやる、という点でも、同じことの繰り返しです。

 ただ、今回一つだけ違うのは、相手が時間と共に薄れていく放射能ではなく、下手をするとどんどん増えていくウイルスだということです。
 人と人の絆がどうのというお題目は通用しません。人と接触してはいけないというのですから、今まで「よきこと」とされていたもの、幸福感を生み出す源が、根こそぎ否定されることになりました。
 それによって、くだらない会議や宴会、接待が減り、通勤ラッシュが緩和されるのはいいことですが、人と直接触れあうことで得られる情愛や学びが失われる社会になりました。
 これを個人の努力で変えることはできません。
 そういう厳しい前提の上で、「幸せビンボー」の具体的な方法を探っていかなければなりません。
 つまり、今までの常識を改めて見直しながら、これからの常識を探りつつ、できる範囲内で幸福度を「相対的に」上げていく具体的な方法や人生哲学を見つけていくしかないのです。



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ポスト新コロナ 「COVID-19後」の社会2020/04/11 13:59

COVID-19による「世界恐慌」は新たな段階に入ったようだ。
欧米を中心に医療崩壊が起きている。しかし日本はまだ深刻な局面を迎えていないように見える。何度も書いてきたが、どうにも不思議だ。
何か解明されていない理由があるのか、それとも欧米のような地獄絵が明日にも迫っているのか……多分、その両方だと、これから分かってくるだろう。

アメリカから:斎藤孝(米国ニュージャージー州 大学病院勤務・感染症指導医)
日本もこのまま行ったら、人口が大きく減るおそれがあります。私自身、実家が東京なので、今すごく心配です。友だちも、昔の同僚もたくさん東京にいます。彼らが無事でいられるかどうか。
そして私、すごく疑問に思うのです。どうして日本は「人命が最優先」とならないのか。
「日本の緊急事態宣言が遅すぎる理由、コロナ最前線の米医師が戦慄の提言」ダイヤモンドオンライン 2020/04/07)

日本でもすでに医療は崩壊し始めている。
日本でも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の患者急増が懸念される中、治療の最前線に立つ医師や看護師などの医療従事者や、重症化のリスクが高い要介護高齢者や障害者などをケアする介護・障害福祉サービスの従事者が感染するケースが増えている。
その数は医療機関で80カ所以上、介護・障害福祉サービス事業所で20カ所以上、計100施設以上……
陽性者の人数は、判明分だけで少なくとも医師が70人以上、看護師が70人以上、介護職員やその他の職員を含めると計270人以上になる(4月9日時点)
新型コロナで揺れる医療・介護提供体制 日経ヘルスケア 2020/04/10……更新中)

イギリスから:渋谷健司(英国キングス・カレッジ・ロンドン教授、WHO事務局長上級顧問)
パンデミック終息には年単位の時間が必要。「ウイルスと共生する新しい生活」に慣れていくしかない。想定内で準備をしていてはダメ。英知を集めてやり直すしかない。
ただ、核戦争後の世界とは違い、全く外に出られないわけではない。今までの常識が通用しないということ。新しい生活に適応するしかない。
「東京は手遅れに近い、検査抑制の限界を認めよ」WHO事務局長側近の医師が警鐘 ダイヤモンドオンライン より一部を要約 2020/04/09)

「COVID-19後の世界」については、すでに多くの識者が様々な提言をしている。
すでに引用・紹介したが、『サピエンス全史』の著者 ユヴァル・ノア・ハラリ氏の
この先の数週間、人々や政府の下した決断が、今後の世界のあり方を決定づけるかもしれない。その影響は医療制度にとどまらず、政治、経済、文化にも波及するだろう。決断は迅速かつ果敢に下されなければならないが、同時にその結果として生じる長期的影響も、考慮すべきである。
どんな道を選択するにせよ、まずもって自問すべきは、直近の危機の克服だけでなく、この嵐が過ぎ去った後に我々の住む世界はどうなるのかということだ。
嵐もやがては過ぎ去るし、人類も存続する。我々のほとんどは変わらず生きているだろうが、その世界は、もはや現在と同じではない
(ユヴァル・ノア・ハラリ「非常事態が“日常”になったとき、人類は何を失うのか」 英紙「フィナンシャル・タイムズ」への緊急寄稿 全訳がCOURRIER JAPONなどで読める

……という指摘は、重く受け止めるべきだ。

ウイルスが人間社会に突きつける「新しい生活」


ウイルスはしつこく変異を続け、感染は何年もだらだらと続く。消滅はしない。そうこうするうちにまた強力な新種が出てくるかもしれない。
インフルエンザウイルスはすでにそういう形で人間社会に入り込み、共存している。そのことを我々は日常で忘れているにすぎない。
今回の新型コロナウイルスは、従来の各種インフルエンザウイルスなどが存在している社会に新入りとして加わった問題児だ。完全追放できない以上、その問題児が存在する世界で人間はどう生きていくかを問われている。

誰がウイルスを持っているか分からない、どこにウイルスが付着しているか分からない、ウイルスを体内に取り入れても気がつかないかもしれないし、突然病態が悪化して死んでしまうかもしれない……そういう社会で、人間が今まで築きあげてきた「文化的生活」「精神生活」を続けていくにはどうすればいいのか

渋谷教授がいう「今までの常識は通用しない」「新しい生活に適応するしかない」とは、そういう問いに正しく答えられるかどうかという問題だ。

具体的に考えてみよう。
  • テレワークなんて言葉を使わずとも、顔をつき合わせてしょーもない会議を開くようなことは避けて、合理的な仕事スタイルを当たり前にする⇒不要な接触や移動を減らして産業活動を合理化する
  • 離れていても、十二分に気持ちを通い合わせられる、学び合える、相手を尊重できるコミュニケーションの実現⇒デジタルツールの使いこなしだけでなく、言葉のやりとりだけでも豊かな交流ができる精神性を育てる
  • 余計なものは作らなくてもよい文明に移行する⇒詐欺的なエコビジネスではなく、本当の省資源追求
  • 必要最低限な物流システムは確保する⇒リニアモーター交通は不要だが、貨物列車は復活させることを考えていい
  • 人口密集都市を減らして、人を適度に散らばらせる⇒補助金や利権をちらつかせたばらまきで手懐けたりごまかすのではない、その土地の地力による永続的な地方創生
  • 不安を減らし、個人が自分の頭で正解を導き出せる社会作り⇒徹底的に公正で正確な情報公開。偏向思想を排除し、他者を思いやる心を育てる教育

……こういったことがすぐに思い浮かぶ。
しかしこれらはどれも以前から分かっていたこと、言われてきたことだ。
こういう生き方ができる社会に変えていかないと未来はまっ暗だよと指摘され続けてきたのに、政治や経済構造がこれに逆行する自分本位の道を邁進してきた。そうした社会を人々が認めてきた。
そのツケを、これから我々は、ウイルスによって払わされるのだろう。

そう考えれば、これは自滅に向かって突き進んできた現代社会に対する自然界の最後の警告なのかもしれない。
その意味で、COVID-19に対して希望・期待を抱く人たちも出始めている。特に若い世代は、言葉には出さなくてもこう思い始めているかもしれない。
このウイルスは金持ちの特権高齢者にも平等に感染し、死を与える。貧乏でも若い者は生き延びる確率が高い。なにか劇的な社会変革が起きるのではないか……と。

しかし、私はそんな期待は持てない。
高齢者だからではない。すでに原発爆発のときに、社会システムや人々の意識を変えることがいかに困難かを経験しているからだ。
原発が爆発したとき、1F(いちえふ=福島第一原発)から25kmの山村で暮らしていた私は、すぐに避難したが、ひと月後、自宅周辺の汚染が絶望的なほどひどくはないことを確認した上で、全村避難中の川内村に戻って生活を再開した。
村の移住者仲間もみんな集まって、これからこの村での生活をどう変えていけるかを話し合った。
原発と補助金に依存してきた地域で原発が爆発し、生活も環境も破壊された。ここから再出発するには、どうすればいいか。本気で頑張れば、今度こそ土地の恵みを生かした本当の創生ができるかもしれない……。
一瞬、そうした希望を抱いた。
今までは都会から移住してきた「お客さん」的な生き方で、自分の幸福を第一に考えて暮らしてきたが、そうしたエゴイズムはもう許されない。残りの人生、気合いを入れ直して、この地で自分ができることをやっていけないか……と。

しかし、そんな理想はすぐに吹っ飛ばされた。
補償金ラプソディ、除染劇場、今まで以上の中央政権依存体質の加速……そんな状況で「正論」を述べることは、余計な混乱と怨嗟を増やすだけだとすぐに理解した。
↑ここに書いたことがゾンビのように甦っている

今思えば、あのときの日本はまだまだ金に余裕があった。しかしその金が、合理的で公正なやり方で生かされず、利権第一がそれまで以上に進み、混乱と不公正を生んでいった。
今回もまったく同じだ。
観光・運輸業、飲食業、イベントなどに関する支援として、新型コロナウイルス収束後に、国内の人の流れや街のにぎわいを創出し、地域活性化を図る官民一体のキャンペーン「Go Toキャンペーン(仮称)」を実施。この予算として経済産業省に1兆6794億円を計上し、内閣官房、経産省、国土交通省、農林水産省が連携して取り組む。
新型コロナ収束後の観光需要喚起「Go Toキャンペーン」に約1.7兆円。運休航空路線再開を後押しする大規模プロモも。補正予算案を閣議決定 トラベルWatchニュース 2020/04/08)


感染症拡大の収束後の経済のV字回復のための反転攻勢を仕掛け、日本経済を一気呵成に安定的な成長軌道に戻す。このため、甚大な影響を受けている観光・運輸業、飲食業、イベント・エンターテインメント事業をターゲットに、官民を挙げたキャンペーンとして大規模な支援策を短期集中で展開することにより、消費を思い切って喚起し、地域の活力を取り戻す。その際、東京オリンピック・パラリンピック競技大会の延期に伴う需要の先送りを踏まえた経済の下支えに対応する。
「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」について 令和2年4月7日 閣議決定 より)


この期に及んで↑こうだ。
「収束後」を話す前に、やることをやれ。どうやったら収束させられるのか、収束しなくても最低限生き延びるためにどう金を使うべきか、って話をしろ。
「収束後」を語るなら、どこに金をばらまくではなく、社会構造の抜本的な変革方法や人々の意識改革を促す方向で語れ。
それができないまま、今までの発想で金をばらまき続けても、「国力」は弱っていき、世界からバカにされるだけだ。

……と言いたい。

「経済妄想症」「生活実感喪失バカ集団」……そういう連中にこの試練を乗り越える策を提起し、実行に移せるわけがない。
日本の官僚は世界一優秀だなどという嘘神話は、今回のことで、さすがに吹き飛んだだろう。

社会は変わるべきだが、簡単には変わらない。
であれば、我々庶民は、壊れていく国の中でどう生き延びていくかを考え、精神がやられないようにしながら、地道に実践していくだけだ。



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新型コロナウイルス 専門家たちの発言・まとめ2020/02/23 22:26

COVID-19について、感染症対策の専門家たちはどう発言しているか、まとめてみた。
参考にしたのは、
  • 岡田晴恵(白鴎大学特任教授・専門は感染症学、公衆衛生学、児童文学)……連日テレビに出演し、すっかり顔が知られているあの人。
  • 岩田健太郎(神戸大学病院感染症内科診療科長・教授)……YouTubeにクルーズ船内の状況がひどいという動画をUPして注目されたあの人。
  • 高山義浩(厚労省技術参与)……岩田教授のYouTube動画についてフェイスブックで一部訂正・反論するコメントを出して注目された人。
  • 上 昌広(医療ガバナンス研究所理事長・元東京大学医科学研究所特任教授)……「そもそも総研」の玉川氏のインタビューなどで、政府がCOVID-19の感染検査を本気でしようとしていないことを批判。
  • 高橋 央(新ゆり内科院長・米国CDC実地疫学認定医。2003年にはWHO短期コンサルタントとして、フィリピンSARS封じ込め チームリーダーとして活動)……2月23日放送の日本テレビ「バンキシャ!」では「東京五輪を強行突破で行ってはいけない。引き返す勇気も必要」と発言。
……など、感染症研究を専門とし、学術だけでなく、実際にパンデミック現場を生で見てきた人たち。

全員がほぼ一致しているのは、
  • 日本での感染はすでに拡大期に入っており、今からできるのは感染者・重症患者の増加カーブをなだらかにする努力だけ
  • ピークカーブを押さえてカーブをなだらかにするために、収束時期が遅くなることは仕方がない
  • 感染ルートはもはや追えないし、追っても意味がないので、これから出てくる重症者をいかに減らすか、重症者を死なせないかが最大の課題
ということだ。

以下、いくつかの意見・見解をまとめてみた。

高山義浩氏が 2020/02/16 にFacebookに投稿した文章の要点
  • 新型コロナに感染したときの臨床像は、上図のような2つのパターンに分けられる。
  • 大半の人は、風邪症状が1週間ぐらい続き、そのまま軽快する。普通の風邪は2、3日で治るが、新型コロナだと長引くのが特徴。
  • その1週間で軽快しない場合は、倦怠感と息苦しさが出てくる。体のむくみや下痢などが出ることもある。高齢者や基礎疾患のある人がここまでこじらせやすいが、子供は稀。
  • 感染してから発症するまでの潜伏期間は5日(1-11日)ぐらい。入院を要するほどに重症化するのは、さらに10日(9.1-12.5日)経ったころだと見積もられている。
  • 感染力が強いのは、発症から3~4日目ぐらいだと考えられるが、重症化すると感染力も維持されて院内感染を引き起こしやくなる。
  • 世代別の疫学報告がまだ出揃っていないので正確なことはいえないが、ざっくりとした印象では、若者の重症化率と致命率はほぼゼロではないか。一方、感染した高齢者の1割ぐらいが重症化して、1%ぐらいが死亡するのではないかと感じている。要介護高齢者や入院患者では、さらにリスクが高まる。
……とした上で、
  • もはや、流行を抑止することは主たる目的ではない。重症化する人を減らし、死亡する人を極力減らすことに力を注ぐべき
  • 高齢者や基礎疾患(糖尿病、高血圧、腎臓病など)のある人(=ハイリスク者)に感染させないようにすることが最重要課題
  • このような家族がいる場合、ウイルスを外から持ち込まないように、玄関先にアルコールを置いて帰宅時の手指衛生を徹底すること。
  • 同居人が風邪をひいたら、症状が治まるまで家庭内で隔離。難しければ、ハイリスクの者を親族の家などに疎開させる。
  • 風邪症状に過ぎないのに新型コロナかどうかを確認するためだけに、救急外来を受診することは避ける。そこでハイリスク者に感染させてしまうことになりかねないから。
  • 高齢者施設の感染管理は極めて重要。100人の入所者がいる施設で新型コロナがアウトブレイクした場合、30人以上が発症し、10人以上が救急搬送を要して、数人が死ぬというイメージが必要。
……と、特に高齢者や病人にウイルスをうつさないことの重要性を強調している。

岩田健太郎氏も2020/02/16付のブログで「COVIDと対峙するために日本社会が変わるべきこと」と題し、同じようなことを言っているが、そもそも「日本の社会風土を変えていかなければいけない」と訴えている。
  • 感染症の広がりはウイルスだけが決めるのではない。社会や個人の振る舞いも大きく影響する。
  • 日本人は風邪症状くらいでは休まないから、他の国より感染が広がる可能性が高い(和歌山の医師が発熱後も解熱剤を飲んで大阪の病院でバイトしていたのがよい例)。
  • COVID-19での死者を減らす方法は、日本の社会風土を変えていくことである。
具体的には、
  • 風邪をひいたり体調を崩したら家で休む。社会もそれを許容する
  • しんどくなったらマスクを付けて速やかに病院を受診する。しんどくなければ必須ではない。しんどさの基準は個人差があるので個々の判断で。
  • 自宅に家族がいれば、病気の人はマスクを付けて、神経質に何かに触るたびに手指消毒をする。何度でも。
  • 仕事や学業を効率化する。人が集まらねばならない会議は最小化して、メールでできること(特に連絡事項)はすべてメールやチャットなどでやる。自宅でできる仕事も自宅でやる。
  • 医療リソースと公衆衛生リソース(役所含む)を大切にする。モノと人、マスクを無駄遣いしない。人も無駄遣いしない。すぐに病院に駆け込まない。「何かあったらすぐ病院に」と勧めない。夜中の記者会見など無駄なことはしない(記者会見もチャットでやればいい。昼間に)

翌、2/17のブログ「結果を出すということ(COVID対策)」ではさらに、こう駄目押ししている。
  • COVID感染者数を全数把握する意味はない。風邪の数を数えても得るものは小さい。
  • 無症状の者を検査する意味はまったくない。一方で、肺炎で死んだ人が新型コロナウイルスに感染していたかどうかの追跡調査は絶対にやらなければいけない。
  • 日本が目指すべきは、中国やその他の国よりもCOVIDの死亡率を減らすこと。
  • なんとなく都市機能を維持し、Skypeを使わない会議を続け、オリンピックもやって、なあなあでやり過ごしていけば、そのうちに世界中に新型ウイルスが蔓延し、問題が大きくなりすぎて誰も非難しなくなる。その流れでいけば政治的には成功したと思うのかもしれないが、感染症対策としては絶対に間違っている。
  • 本来ならば大臣や知事が記者会見をするのではなく、専門家集団が自分たちがやったこと、見つけたこと、これから見つけようとしていることを情報公開すべき。しかし専門家集団の存在そのものが見えてこない。
  • なあなあの対応でやり過ごすことは、長期的には「日本の発表、データは当てにならん」という評価になって大打撃になる。失った信用を取り戻すのはとても時間がかかる。中国はSARSのときにそれを思い知ったから、今必死で名誉挽回を図っている。
  • 新しい感染症が出た後の日本の総括はいつもグダグダだった。何をめざすか(使命)が曖昧なので総括もふわふわになる。今まではそれでやり過ごせたかもしれないが、今回は世界中から日本が注目されている。もうグダグダ、ふわふわは許されない。

しかし、今の日本では曖昧ふわふわグダグダどころか、 ↑こんなことが起きている。

上 昌広氏もほぼ同じことを言っているが、上氏はさらに「現場のことは現場をいちばんよく知る者に任せよ」「国は専門家ではないのだから指示を出すのではなく、後方支援に徹せよ」と強調する。
医療のことは各病院の院長が責任を持って指揮すればよい。現場特有の問題が必ずあって、それに合わせて臨機応変に動かなければいけないのだから、それを国がいちいち縛ったり、的外れな命令をしてはいけない、というわけだ。
ストレートな物言いをするために「反政府の左翼」などというアホな攻撃コメントも数多く目にするが、彼だけでなく、現場で命がけの活動をしてきた人たちは、政治家に期待できないことを嫌というほど学んできている。その結果、どうすればいいのかという具体策の提言をしているだけであり、政治色がどうのではなく、理系人間としての合理主義を貫いているだけなのだ。
上氏は2011年の津波被害や原発爆発後の現場に何度も足を運び、現地での復興の困難さを見てきている。
2015年に上氏が書いているこのリポートなどを読んでも、彼が極めてまっとうな合理主義者であることが分かる。
筆者たちが健診や内部被曝検査などの活動を遂行できたのは、川内村役場のチーム力のおかげだ。遠藤村長が率いる川内村役場の方々は、住民への説明、我々への案内などを完璧にこなしてくれた。
(2015年7月 ブログ「絶望の医療 希望の医療」上昌広 「住民の帰還問題を解決に導く川内村の特養」 より)
↑これを読んで、川内村に7年暮らしていた私も、村長や隣家のけんちゃん(ジョンの飼い主)の顔が浮かんで嬉しくなった。
ちなみに、原発爆発直後に川内村で起きていたことは、⇒2011年3月の日記のこのあたりに詳しく記録しているので、興味があるかたは読んでください。

メディアよ、しっかりしろ

毎度のことだが、メディア(特にテレビ)の報道については、本当にガッカリさせられる。
  • 1)ミステリーとかパニック小説のように、感染経路を追う推理みたいな話にして視聴者を引きつける
  • 2)水際作戦の失敗と市中感染を認めざるをえないとなって、責任論に持っていく
  • 3)あちこちに悲劇やアホ喜劇を見つけようとして、劇場化させる
……という段階が終わり、
  • 4)今までタブーだった東京五輪の開催危機に関して、いよいよ触れないわけにいかず、恐る恐る報じ始めて、政府と庶民(視聴者)の表情を窺う←(今ここ)
  • 5)東京五輪がどうなるのかは分からないが、その後、COVID-19は日常の一部と化していく。「今年のコロナウイルスはC型が主流のようです」なんて、インフルエンザと同じ扱いになるだけ←多分、こんな感じになっていくのではないかなあ……

……3.11の後がまさにこういう流れだった。今回も同じなのか? 何も学ばない、反省しないのか?


上氏はテレビにもときどき出てくるが、事前に「政権批判のようなことは言わないでください」と念押しされることもあるそうだ。
連日テレビに出ずっぱりの岡田晴恵氏は、このところすっかりやつれてしまったように見える。やはり相当なプレッシャーを受けながらの出演で、身体より精神的な疲労が溜まっているのだろう。心配だ。
今日(23日)、日本テレビ「バンキシャ!」に出演した高橋央(ひろし)氏は、静かな笑みを時折浮かべながら、淡々とした口調で、感染がどんどん広がっていくのは専門家なら誰もが分かっていることで想定内だとした上で、「東京五輪は強行突破しようとしてはいけない。引き返す勇気も必要」だと述べた。おそらく、これには番組制作側も慌てたのではないだろうか。
これが最後の起用にならないことを祈りたい。

メディアはどこを見て報道すべきなのか。
誰も見る必要はない。見るべきは人の顔ではなく、現場の実状である。
今起きていることだけを伝えればよい。そして、誰かの代弁者ではなく、今起きていることを正しく分析し、合理的な判断を示してくれる人を呼べばよい。
例えば、23日には千葉市内の中学校に勤める60代の女性教諭が感染していたことが分かったと一斉に報じられた。
校内感染は起きていないのか? と心配するところまでは普通の伝え方だろう。しかし、「生徒たちにうつしていないのでしょうか?」という誘導は絶対にやってはいけない。これは完全なミスリードだからだ。
なぜなら、この教諭はたまたま具合が悪くなって検査をしたから感染が分かっただけであり、誰からいつどうやってうつされたのかは分からない。教諭から生徒へではなく、その逆である可能性がある。教諭より生徒のほうが数は多いし、若年層のほうが発症しにくいことはすでに分かっているのだから、無症状のまま感染している生徒が複数いて、そこから60代の教諭にうつった可能性も高いのだ。
さらにいえば、ウイルスに対して60代の教諭と10代前半の中学生とどちらが「弱者」かを考えれば、明らかに教諭のほうが弱者であろう。
では、この中学校の生徒全員を今からPCR検査できるのか? ……現時点での検査体制(恣意的に検査数を減らそうとしている)ではできないだろうし、するべきなのかどうかという判断も難しい……ということを、専門家たちの発言を聞いて学んだ私たちは知ることができる。
メディアの使命は、視聴者、読者が正しく判断できるような情報を提供することだけである。


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「東電強制起訴無罪判決」の歴史的意味2019/09/25 11:48

「東電強制起訴無罪判決」で、次の一節を思い浮かべた。
本来、国家とは国民の生命と財産を守るのが使命である。ところが国の指導者たちは生命と財産を次々とつぎ込んで、博打のような戦争を起こした。その結果、多くの無辜の命が失われた。しかし、そうした戦争の責任はいまに至っても曖昧なまま放置されている。
(保阪正康・著 『田中角栄と安倍晋三 昭和史で分かる「劣化ニッポン」の正体」序章より)

↑この「戦争」という部分を「原子力ムラ利権構造ビジネス」と置き換えてみれば、今回の構図と同じだと分かる。


首相が国会で「議会については、私は立法府の長であります」とのたまい、官庁は平気で公文書を破棄・偽造する。司法は常識を超えた判決を下す。
三権分立が機能しなくなった国家は、悲惨な崩壊寸前だと知ろう。
「東電強制起訴無罪判決」は、歴史的にはそういう意味を持っている。


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