『新釈・クレムナの予言 タラビッチが見た2025年』2023/01/29 12:17

ミタール(左)とザハリヘ(右)
昨年末から執筆していたクレムナの予言の解説本?がようやく完成したのでご報告。


目次はこんな感じ↓




これはできることなら一般の出版社から出したい。
ただ、「売れやすいようにもっと煽って書きましょう」「いえこれは……」「この部分は反感を買うんじゃないですか。こういうことは書かないほうがいいのでは?」「いえ、そこがいちばん言いたいことなので……」みたいなやりとりはしたくないし、出るまでに半年はかかるだろうから、その間に世の中がどうなってしまうかもわからないこのご時世では、とりあえずは形として残しておきたいので、いつものオンデマンド方式で先行発売?した。
この内容で出版したいという版元があればすぐに譲渡する。

出だしはこんな感じ↓








この「はじめに」にも書いたのだが、クレムナの予言でいちばん興味を引かれたのは、予言の内容が当たる当たらないというようなことよりも、タラビッチが見た「神の世界」だ。
歳を取り、もうすぐ死ぬことが分かっている人間としては、現世(物理世界)に対する執着は薄れていき、自分の肉体を構成している量子がばらけた後の世界を想像する時間が増える。
タラビッチが言う「人には2つの顔がある。1つは生まれたときに着る服のようなものだが、もう1つは目には見えない」という言葉の中にも、量子論に通じるものを感じるのだ。

 若いときに美しく壮健な賢者も、歳を取ればどんどん醜く、弱くなる。
 美しく生まれても醜い弱者として死んでいく人生は虚しい。なぜ人は死んでしまうのに生まれてくるのかと、自問しない者はいない。
 長い間、人はそのように生き、死んでいった。
 しかし、死ぬときが命の終わりではない。
 人の「形」は一つではなく二つある。一つは生まれたときに人が自分のために縫う服であり、もう一つは死ぬときに神から与えられるものだ。だから、死んだ後も人はまだ生きている。
 人が持っているもう一つの顔は、目で見ることはできない。
(略)
 それは大地や水のようなものだ。
 水は冬に凍りつくが、春になるとまた吹き出し、流れ出す。大地にはまた新しい花が咲き、野草が芽吹く」

司祭が「そのもう一つの顔」はどのようなものなのかと訊ねると、タラビッチは「それは空中に存在する神の塵のようなもの(some kind of God's dust in the air)だ」というような説明をしたという。
司祭はその説明がまったく理解できなかったと語っている。

しかし、量子論の一端を囓っている現代人には、some kind of God's dust in the air こそ、量子の世界ではないかと想像できる。

電子は人間が観測していると粒子のような挙動をする。観測しないと波のように振る舞う。つまり、電子は、人が見ているか見ていないかで、挙動を変える

Amazonの書籍売れ筋を見ていたら、『死は存在しない』という本が売れているらしい。それも量子論で死を論じようとしているようだ。
タラビッチは19世紀セルビアの小さな村に生きた読み書きができない農夫だった。自動車もテレビもまだない時代に、毎日羊や馬の世話をしながら自然の中で暮らしていた。もちろん量子なんて知っているはずもない。そういう人間のほうが、スマホ漬けの現代人よりも「世界の本質」「実相」を感じることができたのではないか。
そういう視点を持ってクレムナの予言に接すると、当たった当たらないという占いレベルの楽しみ方ではない、知的な娯楽として楽しみ方ができる。
本書にはそういう思いも込めた。

伝われ~(佐久間くん風)

『新釈・クレムナの予言 タラビッチが見た2025年』
最後はプーチンやヌーランドも登場する? 19世紀から現代人へのメッセージ
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Amazonでオリジナル書籍を売るまでの道のり2019/09/22 21:28

ISBNコードを振ってA5判からB6判208ページ構成に改定した『新・マリアの父親』
オンデマンド出版なら赤字を抱えずに本が作れる、という時代になった。しかし、赤字にならないのはいいが、とにかく売れない。個人が運営するWebサイトだけでPRするのは限界があるし、カード情報の入力なども抵抗があるからか……。
オンデマンドブックをAmazonで売れたらいいのだがなあ……ということは以前から考えていた。
『狛犬かがみ』は初版と改訂第2版のいずれも売り切って、現在在庫なし状態が続いている。一般書店で数千冊も売れたとは到底考えられないので、ほとんどはAmazon経由ではないかと思う。
現在の版元(トランスビュー)は取次を通さない「一人出版社」の先駈け的存在で、その販売手法はいろいろなメディアで取り上げられている。
哲学思想、宗教、教育などを中心に、日販・トーハンといった取次店を通さず、直接書店に書籍を郵送する方法で卸す独自の営業で注目されている。取次店では太洋社のみ取引があるが、このルートで流通された商品は書店からの返品を認めない。また配本部数も全て書店に一任されており、他の出版社が行う新刊委託(注文がなくても、出版社・取次店側が見計らって送品すること)は一切行わない。
池田晶子「14歳からの哲学」( ISBN 978-4-901510-14-1 )は30万部を超えるベストセラーとなった。
Wikiより

トランスビュー方式とは、「書店に直で卸す本は、送料自社持ちで返品も認めるが、返品するときは送料は書店持ちでね」という方式。
しかし、この方法でも、本はオフセットでまとまった冊数作っておかねばならないし、受注・発送などの作業も全部自分でやらなければならないから、労力も運転資金もかなり必要になる。

ISBN出版者コードを取得する

商業出版では売れないと判断される本を自分で次々に出版しようとする場合、在庫を抱える方式は到底無理なので、オンデマンド出版以外は考えられない。しかし、オンデマンド本をAmazonで売ることは可能なのか?
調べていくと、最初の条件は「ISBNコードをつける」ことだった。
Amazonでは、商品としての本には必ずこれがついていることを条件としている。

ISBNとは何か?
出版業界の人には説明不要だが、一応書いておくと、ISBNは書籍を識別するための世界共通コードで、本の戸籍のようなもの。ISBNコードをつけることで、日本だけでなく、世界中ですぐにその本が何かを特定することができるようになる。
13桁のコードで表され、日本の出版物の場合、通常は、
ISBN978 - 4 - AAAA - BBBB - C
という構成になっている。
最初の978-4は出版元が日本または言語が日本語であることを示している。ちなみに978-0および978-1は英語、978-2はフランス語、978-3はドイツ語……だ。
A部分は「出版者記号」、B部分は「書名記号」で、それぞれの桁数は決まっていないが、合計で8桁になる。
A部分が2桁なら残りは6桁だから、000000から999999までの100万冊分の書名コードが割り振れる。
最後のC部分の1桁は「チェックディジット」といって、検算機能を持っている。ISBNコードが正しいかどうかを決められた数式にあてはめて計算した結果の0 - 9の数字1桁が入る。
『医者には絶対書けない幸せな死に方』には、ISBN978-4-06-291514-4 という13桁のISBNコードがついている。
06が講談社を示し、291514は『医者には絶対書けない幸せな死に方』という本に個別に振られたコードだ。
ちなみに2桁コードを持っている出版社を番号が若い順に並べていくと、
  • 00 岩波書店
  • 01 旺文社
  • 02 朝日新聞社出版
  • 03 偕成社
  • 04 角川書店
  • 05 学研
  • 06 講談社
  • 07 主婦の友社
  • 08 集英社
  • 09 小学館
……である。
これらは計算上は100万タイトルまでは順番にISBNコードを振っていけることになる。

ISBNを取得するには、出版社や発行人となる個人や団体が日本図書コード管理センターに登録申請をして「出版者コード」を決定してもらうことが第一歩となる。

今回、「タヌパック」が取得した出版者コードは910117で、6桁コードなので、その後に使えるのは2桁(00~99)。つまり100冊(100タイトル)分のISBNコードを取得した。死ぬまでに100タイトル使いきるかどうかは分からないが、10タイトルでは不足なのは明らかだから、とりあえずは100タイトル分取得したわけだ。

Amazonで売るための3つの方法

さて、ISBNコードをつけたオンデマンド本をAmazonで売るためには、以下の方法があることが分かった。
  1. Amazon PODという、Amazon自身がやっているオンデマンド本販売システムで売る。ただし、これはAmazonが契約した取次業者を通してしか使えない。
  2. 「e託」という方法で、Amazonに本を預けて売ってもらう。Amazonの仕入れ数はAmazonが決める。売れたら、その分、Amazonから納入依頼が届くので、都度、Amazonに本を納入する。
  3. Amazonに毎月契約料を払って「大口販売業者」となり、マーケットプレイスで販売する。売れても売れなくても契約料は支払わなければならないし、本の発送も自分で行う。

このそれぞれについて、経費やリスク、運営する上での自由度や満足度を調べた結果、3の方法しかないと分かった。
1は本の形式がAmazonで細かく決められており、本を作る上での自由度が制限される。また、取次業者に本を登録(PDFファイル)した後は、訂正が効かない。もちろん、取次業者への手数料がかかる。
2は、Amazonに支払う手数料割合が大きい上、都度、本をアマゾンに納入する手間とコストがハンパない。
3は、自分で配送するから、印刷・製本所から購入者に直送できるので、送料と時間を節約できる。ただし、売れても売れなくても大口取り引き契約者としての契約料(毎月約5000円)は払い続けるし、個別の売り上げにもAmazonへの手数料(15%+80円)はかかるので、赤字は確実に出るであろう……。

ここまで調べて、計算をするのだけでもかなりのエネルギーを使った。しかし、ISBNと出版JANコード取得(これはAmazonでしか売らないなら必要ないのだが、一応、将来どうなるか分からないので取得した)も済んだので、後には戻れない。

最後の壁は、Amazonのカタログに本を新規登録することだった。新たにISBNを振る本だから、当然、どこのデータベースにも存在しない本なわけで、「こういう本を新規に出版しますので、Amazonさんのカタログに登録してください」と申請し、認めてもらわないといけない。
これが実はいちばん不安だった。その不安は的中して、最初にいろいろやりとりがあって、行き違いもあったのだが、数日で解決し、今は自由に「新刊書」をAmazonのカタログに登録できるようになった(今後、システムやポリシー変更などがないことを祈るばかり)。

現在、「タヌパック」がAmazonで売っている本は⇒こちらからどうぞ。

ISBNと出版JANコードのバーコードを規定通りに印刷した本。このバーコード、デザイナーにはとても評判が悪い。これのおかげで本の表4デザインが台なしになってしまうから……。実際、その作業をしてみると、「邪魔だよなあ」という気持ちになる

賢治に比べたら……

……というわけで、なんとかタヌパックの本がAmazonを通じて販売できるようになった。

しかし、これでめでたしめでたしとは当然ならない。
最大の誤算は、「Amazonに出しても売れない」ということだった。
すでに1週間以上経過したが、見事に1冊も売れていないのである。
10月からは消費税も上がり、印刷・製本代、送料、Amazonへの契約料など、すべての経費が上がる。
人々の生活も苦しくなり、本を読む気力も時間も金銭的余裕もなくなる一方だろう。
こうなったら、しっかり覚悟を決めるしかない。
どうせ残された時間はわずかなのだから、生死に関わらない範囲なら、金勘定のことでアッパトッパすることはない。
宮沢賢治は、生きている間は自分の作品がまともに本にさえならなかった。
生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』だけだが、どちらも自費出版だ。『春と修羅』は地元花巻の印刷所に持ち込んで1000部を作り、ある人物に500部委託して東京での販売を頼んだものの、「ゾッキ本」(売れない新刊本)として流され、定価2円40銭のところ、古本屋で50銭で売られたという(Wikiより)。
『注文の多い料理店』のほうは、盛岡高農の後輩たちの協力を得てなんとか出版費用を工面して1000部作ったが、まったく売れず、賢治自身が父親から借金して200部を買い取ったそうだ。

まあ、それに比べたら、今の自分ははるかに恵まれた環境にいる。この幸福を味わい尽くしてから死ぬぞ、という前向きな気持ちになれる。

改定の道程も作品?

今回、Wikiの「宮沢賢治」を改めてチェックしていて、
賢治の作品は、一旦完成した後も次から次へ書き換えられて全く別の作品になってしまうことがある。これは雑誌に発表された作品でも同様で、変化そのものが一つの作品と言える。(Wikiより

という一節を初めて読んだ。
ああ、これって、オンデマンドならいくらでもできるんだよな、と思った。ISBNコードの役割からしたら、同じ番号の書物の内容がどんどん書き換えられるのは御法度だろうが、誤字訂正とかなら当然許容範囲だし、デジタル時代の出版物というのは、改訂作業の自由度が高いことも大きなメリットといえる。
Kindleブックなどは、同じ登録書籍のカバーや内容改定をいつでもWEB上の編集ページから行えるしね。

現在、ISBNコードを振りながら、コストの問題もあって、A5の2段組で作った本をB6の1段組に編集し直したりしているのだが、2013年に作ったA5判の『新・マリアの父親』には、だいぶ直したつもりだったが、かなり誤字・脱字が残っていた。細部の表現や間違いなども直しながら、頭からていねいに編集した。
その編集作業をしながら、へえ~、こんな話だったのか、と、感心している「作者」。ラストシーンでは思わず涙ぐんでしまったよ。

1冊も売れていないのに、あれもこれも……と、やりたいことが一気に増えた。楽しい60代を送るための赤字なら、それはもう人生の必要経費でしかない。
しかし、オンデマンド本は1冊も売れなければ、「もの」として存在しなかった本になってしまうわけだから、このままではいかんわなあ……。



医者には絶対書けない幸せな死に方2017/12/19 11:04

『医者には絶対書けない幸せな死に方』

本当に「医者には書けない」のか?

『医者には絶対書けない幸せな死に方』(講談社プラスα新書)の発売まであとひと月になった(2018年1月18日発売)。
この本の企画を講談社に持ち込んでからすでに1年以上が経過している。
企画提案以降、何度も「テスト本」を印刷・製本した。最終版のpdfの奥付記録はこうなっている。
  • 2016年12月9日 テスト版原稿 Version1.0
  • 2016年12月19日 Version1.2
  • 2017年1月6日 Version2.0
  • 2017年1月8日 Version2.1
  • 2017年2月23日 Version3.0
  • 2017年3月1日 Version4.0
  • 2017年3月11日 Version4.1
  • 2017年7月15日 Version5.1  入稿前校正用
  • 2017年7月21日 Version5.2
  • 2017年7月26日 Version5.3 
  • 2017年9月10日 Version6.4
  • 2017年10月16日 Version7.0  初稿戻しバージョン
  • 2017年10月26日 Version 8.0 校正確認バージョン
  • 2017年12月15日 Version8.1 出版前最終確認バージョン

「医者には書けない」と銘打っているからには、その根拠を説明する責任があるかもしれない。
もっとも、このタイトルが最終的に決まったのはつい先日で、僕が決めたものではない。
企画を持ち込んだ段階で僕が仮につけていたタイトルは、
死に時・死に方・死んだ後
というものだった。
しかしすでにその段階で、まえがきには、
「死に方」についての本は医療関係者や宗教関係者によって書かれることが多いのですが、私はそのどちらでもありません。しかし、医療や宗教の現場とは無関係だからこそ、体裁を繕わず、本音で、踏み込んで、あるいは一線を「踏み越えて」書けることがあります。
という一文は入っていた。

企画会議は通らず、ペンディング扱いになった。上のテスト本奥付記録で3月から7月まで4か月空いているのはそのためだ。
編集のTさん(僕は彼には全幅の信頼を置いている)は編成会議には「死ぬ技術」というタイトル、コンセプトで提案したそうだ。
これには脱帽した。なるほど「死ぬための技術書」というコンセプトか……。それなら確かに「医者や宗教者には書けない」だろう。
この「技術」という大胆なキーワードを得た上で、以後、何度も書き直しを重ね、しぶとく食い下がった。それでようやくGOとなり、入稿を始めたのが夏。それから校了までも、大きな書き直しを何度も重ねた。

人の終末期においては、苦しみを加えるだけの延命治療はやめて「自然死」をうながすべきだ、という意見を表明する医師は増えている。
僕の手元にある参考書籍の著者をざっと拾ってみても、石飛幸三、長尾和宏、中村仁一、久坂部羊、西村文夫……みんな医師である。
内容はどれも納得で、僕もずいぶん参考にさせていただいたし、彼らの姿勢には心から敬意を表したい。

自然は、私たち生き物が、穏やかに最期を迎えられるようにセットしてくれています。それを人工的な延命措置を施して自然の摂理に逆らおうとすると、生き物に与えられた自然の恩寵(神の恵み)を受けられなくなります。
身体が最後に代謝を終えるのなら、飛行機が着陸するのなら、もう水分も燃料も無理に補給することはない、欲しくなくなるのですから食べなければよいだけ、そのうち眠くなって夢見心地、老衰の最終章はそんな姿です。
「平穏死」を受け入れるレッスン 自分はしてほしくないのになぜ親に延命治療をするのですか? 石飛幸三

……「医者には絶対書けない」どころか、すでに多くの医者が書いていることじゃないか、と言われそうだ。
確かに、「自分は医師として無理な延命治療には反対である。なぜなら……だからだ。この実態をあなたも知った上で、自らの死に向き合ってほしい」……という趣旨の本は多い。
彼らは、終末期患者と接した経験をもとに「こんな死なせ方はよくない」「もっと人間らしく、穏やかに、自然に死なせるべきだ」という「意見表明」をしている。しかし、では、具体的にどうすればいいのか、という「技術」についてはあまり語っていないように思う。医療の現場から発信できる情報は案外限られているし、実際の医療制度の問題などにまで踏み込むのは現役の医師として躊躇われるということもあるだろう。

「自然死がいい」と言われても、医者ではない我々にはできないことがたくさんある

こうした本を書いているあなたのような素晴らしい医師がそばにいてくれるならいいけれど、実際には在宅看取りに理解を示し、家まで来てくれる訪問医師はほとんどいない。
「あなたの街のホームドクター」を標榜している、いつもにこやかで優しいかかりつけのお医者さんも、いよいよ最後になると「ここから先はうちでは無理なので、ちゃんとした医療措置のできる急性期病院へ」と言って、長い間診てきた患者を急性期病院に送り込むことが多い。
その大病院では、患者が入って来るなり、医療点数の高い検査や投薬を徹底的にやり、それで死期が先送りされると、今度は入院基本料が下がって「まるめ」にされてしまう90日前には一転して追い出しにかかる。

介護施設にしても、自分のところで看取りまでするというポリシーを持ったところは極めて少なく、最後、食べられなくなったら病院へ送り込むことがほとんどだ。石飛さんのような自然死をテーマにしている医師が専属で常駐している施設など、日本中探しても数えるほどだろうし、見つかったとしても人気が高くて簡単には入れない。
また、石飛さんがいるのは特養だが、今は要介護3以上じゃないと特養には入れない。石飛さん自身、言っている。
特別養護老人ホーム(特養)の入所は、厚生労働省が要介護3以上に定めたので、衰えが進んで重症化している人ばかりが入ってくるようになりました。以前は、認知症で徘徊する人や「帰りたい、帰りたい」と騒いだりする人など体力的に元気な人がいましたが、いまはそんな元気な状態で特養に入ってくる人は珍しくなりました。「平穏死」を受け入れるレッスン

要介護3というのは、ざっくりいえば、排泄、食事、入浴など、日常の行動ほぼすべてに介助が必要で、認知症の程度も重い状態だ。そういう状態になって初めて特養に入る「権利」を得られるわけで、今、普通に生活できている人が考える「幸せな死に場所」とはかけ離れているだろう。

頭はしっかりしていても金がない老人が安心して過ごせる(穏やかに死ねる)場所や環境を見つけるのは極めて困難なのだ。

金さえあれば快適な施設は見つかるかもしれない。政治家や有名人などセレブ御用達病院として有名な聖路加国際病院と提携している「聖路加レジデンス」は、65歳から79歳まで入居した場合、2億200万円~5億5200万円(税抜き)という金額が提示されているが、もちろん、一般人がそんな金を持っているはずもない。
貧富の差が広がり、年金や福祉関連の制度が崩壊していく今後、「幸せに死ぬ」ことはますます難しくなっていくだろう。医者が書く「死に方論」では、そうした視点からの具体的提言も乏しい。

また、自分では、病院には絶対に行かず、家で静かに死ぬ覚悟ができていたとしても、いざとなると家族や親族がそれを許さない可能性が高いだろう。その危険を回避するにはどうすればいいのか?

その他もろもろ、「穏やかに、幸せに死ねない」要因が山のようにあって複雑に絡み合うのが普通だ。それを解決していくための個々の技術については医者たちはあまり教えてくれない。
さらには親の認知症問題や、老後破産の問題などが重なり、解決しなければいけない問題は次から次へと増えていき、「終末期の延命治療を拒否する」という話だけでは対応できない。


『医者には絶対書けない幸せな死に方』では、現時点で考えられる限りの問題点を洗い出して整理し直し、その対応策──「技術」について、極力「具体的に」提案していった。
医者や病院とつき合う技術幸せに死なせてくれそうな施設を見つける技術認知症につぶされない技術老後破産せずに楽しく生ききる技術、そして最後には「自ら死ぬ(自殺の)技術」にも言及している。

本書を何度も何度も書き直している期間は、父の認知症と老後破産に向き合い、介護生活を実際に経験していく期間でもあった。医療や介護の現場で働く人たちの生の声にも数多く触れることができた。
介護保険制度や介護施設関連の裏事情については、ルポライターなどによる「告発もの」はよく目にするが、それを知った上で、具体的にどんな解決策があるのか、どうやって「死に場所」を見つければいいのかを書いている本は少ない。もちろん、医者が書いた「死に方の本」も、その方面のことまでは言及していない。
そうしたもろもろが「医者には絶対書けない」部分なのだと思っている。

本書の内容については⇒こちら(http://takuki.com/shinikata.html)をご参照ください。





医者には絶対書けない幸せな死に方
「医者には絶対書けない幸せな死に方」(講談社プラスα新書)
2018年1月18日発売  内容紹介は⇒こちら

以下のいずれからでもご購入できます(Click)
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『奇跡の星』ビデオクリップが完成2016/09/12 12:24



Toko Shiiki監督(『Threshold:Whispers of Fukushima』)が、『奇跡の星』のビデオクリップを製作してくれました。
まだ寒い獏原人村でのロケ、真夏の東京でのロケ……を経て、こんな感じに仕上がりました。
YouTubeで大画面で見る場合は⇒こちら



海の向こうからのバレンタインプレゼント2014/02/14 19:56



Two Note Waltz
Words: Midori Chino
Music: Yoshimitsu Takuki

Vocal: Kira Michelle Lesser
Pf: Jesse Thomas Morgan
Bass: Erik Santos

Paul Schubach: Music Arrangement
Toko Shiiki: Cinematograph/Edit


息苦しい話が続いているので、このへんでちょっと休憩を入れましょう。

バレンタインデーにアメリカからこんなプレゼントが届きました↑
このことを書いた日記(2014/02/14)は⇒こちら