私が降圧剤をやめた理由(わけ)2022/11/10 12:24

ここ数年、体力の衰えだけでなく、気力減退が著しい。身体がいうことを聞かないだけでなく、短時間であっても何かをしようという気持ちが湧いてこない。あれをしなくては、こうすればいい……ということは分かっているし、脳ではそうしようと思うのだが、脳が身体に命令を下すまでにいたらない。
こんな状態でダラダラ生きていても面白くないと、ずっと思っていたのだが、先日、ふと気がついた。
この気力減退は降圧剤のせいではないのか、と。

例によって、ここから先は私の個人的備忘録であり、これが正しいとか、こうしましょうといった主張ではない。
自分の責任と判断で実験中、というような話であることを、まずはお断りしておく。

降圧剤を飲むようになってから気力減退が始まった?

医者から降圧剤を処方されたのは、親父を日光に連れてきてからのことだ。
親父はそれまでは横浜市の特養に入っていたのだが、他に移ってほしいと言われ、我が家からすぐに様子を見に行ける小さな介護施設に入居させることになった。
特養のときは施設が契約している医師が定期的に検診してくれていたが、今度は自分で主治医を捜さなくてはならなくなった。
そのとき治療に通っていた歯科医院の受付の女性にいうと、院長が優しくて待ち時間もあまりないという内科クリニックを教えてくれた。
そこに定期的に連れていくということになり、それじゃあついでに私も、長い間検診などまったくしていないので……となった。
血液検査などはまったくと言っていいほど問題なかったが、血圧だけ高めですね、ということだった。
高めといっても、上が130前後で下は80台。もともと低血圧で朝が苦手だったし、肩こりがひどく、手足が冷える体質だったから、血圧が高いといわれたことが意外だった。それまであまり血圧を測ったこともなかったし。

しばらくはそのままだったのだが、何回目かで上が138とか出たとき、院長に「どうします? 130超えたら普通は血圧を下げる薬を飲むものよ」 と言われた。「それはちょっとまだ……」と渋っていたのだが、何度目かの診察で「いちばん軽いのを試してみたら」ということになった。処方されたのはアムロジピン2.5mg。
古くからあるカルシウム拮抗薬というやつで、多くの医師はこの薬から処方するようだ。

飲み始めたが、ときどき上が130台というのはあまり変わらなかった。
そのうちに倍容量の5mgの錠剤になった。

親父が亡くなり、しばらくは自分だけがそのクリニックに行って薬を処方されていたが、助手さんが行っているもっと近い内科医院が薬をバンバン処方するし待ち時間もあまりないから楽だというので、そちらに乗り替えた。
花粉症が……とか、肩こりが……とか言うと、すぐに薬を処方してくれる。確かに「楽」だ。
降圧剤も、当初は引き続きアムロジピン5mgが処方されていたのだが、医院で測ると140台が出ることもあった。家で測ると130台後半くらいが多いのだが、2台ある血圧計のうちもう1台では10以上高い数値が出るのでいい加減なものだ。

で、しばらくすると院長が「もっと効く薬に代えてみましょう」と言ってきて、アンジオテンシンII受容体拮抗薬(通称ARB)の1つであるカンデサルタンシレキセチル8mgとアムロジピン2.5mgの配合薬を処方された。
しかしこれは服用後すぐに身体に合わないと感じた。目眩や動悸がして気分が悪くなるのだ。
数日試したが、これは絶対にヤバい薬だと直感して、院長に直訴し、アムロジピンのみに戻してもらった。

しかし、その数か月後、「どうでしょう。せっかくお金出しているんですから、もっといい薬に代えてみませんか」とまた言われ、今度はARBの1つバルサルタン80mgとアムロジピン5mgの配合薬を処方された。
前回ほどの副作用は感じなかったし、血圧も下がったので、その後はずっとこれを飲み続けていたのだが、その頃からやはり気力の減退が一気に進んだように思う。
夏になると自然と血圧も下がるので、それに合わせて、1錠を噛みちぎって半分や3分の1くらいにして減量したりしていたが、冷静に考えてみると、どうも血圧が140を超えたようなときのほうが身体の調子がいい。

もしかして、私はずっと操られていたのではないか?

気づくのが遅すぎたかもしれないが、改めていろいろ調べてみることにした。
今までも、養老孟司氏の話などで、血圧の薬など飲むものではないという主張をする医師や医学者の声には何度か接してきた。
病気の多くは「医原病」(医療が原因で病気になる)だという論も複数読んできた。
それでも「上が130を超えれば高血圧」という刷り込みは簡単には消えなかった。
しかし、この2年3年で、医療界と製薬会社の癒着ぶりや非道ぶりを思い知らされているので、ワクチン詐欺のずっと前から、我々は薬漬けにされ、健康を損なってきたのではないかという思いが強くなった。
以下、最近調べてみて新たに学習したことをまとめてみる。

カルシウム拮抗薬とARBの配合薬とは?

まずは、今の自分の健康状態と処方されている薬のことを再確認してみる。
  • 現在、一般的に処方される降圧剤の主流は、従来からあるカルシウム拮抗薬とARB
  • カルシウム拮抗薬とARBを混ぜた配合薬というのも急速に処方数が増えていて、今自分が処方されているのもこのタイプ(バルサルタン80mg+アムロジピン5mg)
  • この薬の注意すべき副作用として記されているものは、血管浮腫、浮腫、顔面腫脹、口唇腫脹、咽頭腫脹、舌腫脹、劇症肝炎、肝炎、肝機能障害、黄疸など
  • 患者の属性に応じた注意事項としては、禁止:妊婦・産婦、原則禁止:授乳婦、慎重投与:高齢者(65歳以上)、注意:高齢者。高血圧治療の第一選択薬として用いないこと
妊婦や授乳婦には投与禁止、高齢者には慎重投与とされている薬なのだ。60代後半の私の血圧が140前後になることがあるというだけで処方するようなものだろうか?


ディオバン事件

現在私に処方されている配合薬のARBであるバルサルタンは、1989年に合成された。その後、2000年に日本国内で認可され、ノバルティス社から「ディオバン(Diovan)」の商品名で市販されている。
このノバルティスという会社は、スイスに本拠地を置く国際的な製薬・バイオテクノロジー企業。その日本法人であるノバルティスファーマ社の社員が統計解析者となり、京都府立医科大学・東京慈恵会医科大学・滋賀医科大学・千葉大学・名古屋大学が関わった日本での臨床研究における論文に不正があったとして、2018年にすべての論文が撤回されるという事件が起きた。これがいわゆる「ディオバン事件」と呼ばれているものだ。

事件についてはWikiなどにいろいろ解説が出ている。Wikiの「ディオバン事件」の項からごく一部を抜粋してみる。
2014年6月11日までに、東京地方検察庁は、ノバルティス元社員の男 (63) を、薬事法の誇大広告違反に抵触するとして逮捕した[時事通信 2014/6/14]。2017年3月16日、東京地裁は元社員に対し、「症例の水増しなど意図的な改竄があった」「同社から研究者側に多額の寄付金が提供されたことや、被告がさまざまな改竄を重ねて薬の有用性を示す論文発表に大きく関与した」と認めた上で「論文を作成して学術雑誌に掲載してもらった行為に、医薬品の購入意欲を喚起させる性質があるとは言い難い」とし、薬事法違反を無罪とする判決をした[日本経済新聞 2017/3/16]。37回に及ぶ公判の中では、「自発的に虚偽の報告をした」などと自ら改ざんを認める医師の存在に加え、検察側が指摘した改竄以外にも、カルテとデータが異なる例が複数存在していることが明らかにされた。2018年11月19日、東京高裁は検察側の控訴を棄却した[ミクスOnline 2018/11/20]。また、2021年6月28日、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は検察側の上告を棄却した。これにより、元社員の無罪は確定した。

この事件はディオバンの販売が日本国内で認可された2000年の後に起きているので、目的は他の降圧剤より優れていると医療業界にPRすることだった。
ノバルティス社は、今回の臨床研究を始めた2002年以降、実施校である京都府立医科大学など5大学に対して総額11億円余りの奨学寄付金を提供しており、中でも府立医大は最多の3億8170万円に上った。
そうしたところ、今回の臨床研究の結果をまとめた府立医大や慈恵医大の論文では、ディオバンは他の降圧剤よりも脳卒中や狭心症を予防する効果があるとされた。そこでノバルティス社は、ディオバンが同業他社の降圧剤よりも優れている根拠としてこれらの論文の結果を用い、雑誌やパンフレットなどで広告宣伝を行った
3月16日、東京地裁は、元社員とノバルティス社に無罪判決を言い渡した。それも、元社員のデータ改ざんへの関与を認定した上でのものだった。
すなわち、旧薬事法の誇大広告罪について、そもそも医薬品の購入意欲を高めるような行為を規制しようとしたものにほかならず、医師向けの学術雑誌への論文掲載は、一般読者の購入意欲を呼び起こすような「広告」には当たらないと判断した。
誇大広告罪は広告主が広告料を負担して掲載するような雑誌やパンフレットを使った一般の広告を前提としているもので、掲載料を必要とせず、第三者による事前審査を経て掲載される学術論文の投稿については、その規制の対象外だ、というわけだ。
しかもこの判断は、たとえノバルティス社側が販売促進の際にそうした論文を使おうと意図しており、臨床研究に関与した医師らに寄付金が提供され、元社員がデータ改ざんに関与していたとしても、何ら変わりがないとした。
今回の判決は、製薬会社に規制の「抜け道」を与えたに等しい。(略)
翻ってみると、問題点の本質である「医療と製薬業界との癒着」にメスを入れられなかった時点で、検察の捜査は失敗だったと言える。
(以上、意外な無罪判決で検察に衝撃 ディオバン事件の経過と今後 前田恒彦元特捜部主任検事 2017/3/21 より)

法の抜け道を利用して不正をしても罰せられないという証明のようになってしまったこの事件。関係者が全員無罪にされてしまった時点で、現在の大規模ワクチン詐欺の土壌がしっかり固まっていたのだろう。

ディオバン事件~アンジェス社~新コロワクチン開発の闇

私が医師から処方され、今服用している降圧剤に含まれるバルサルタン(単独商品名ディオバン)が起こした臨床研究不正事件は、なんと国内での新コロワクチン開発という話にもつながっていた。
札幌市で訪問診療、内科、老年内科のクリニックを運営している関根徹院長のブログなどでそのことを知り、さらに調べていくと、医療業界のとんでもない実態が浮かび上がってきた。
それらを時系列でまとめてみた。

  • 1999年12月、大阪大学の森下竜一医学部助教授(当時)が「メドジーン」というバイオベンチャー企業を創業。遺伝子医薬品の研究開発を掲げて、大阪大学をはじめ、タカラバイオ、AGCなどそうそうたる大手企業が参画した。同社はその後、2000年6月に「メドジーン バイオサイエンス」に、2001年10月に「アンジェス エムジー」に、2004年3月に「アンジェス MG」に、2017年7月に「アンジェス株式会社」に商号変更した
  • 2000年、高血圧治療薬としてバルサルタンが日本国内で認可され、ノバルティス社がディオバン(Diovan)の商品名で市販開始
  • ディオバンが発売された後、高血圧学会の理事でもあった森下竜一氏は、医療雑誌等でノバルティス社の広告に登場したり、公演を行ってディオバンを宣伝した
  • 森下氏の研究室は2009年から2013年の間だけで2700万円の寄付をノバルティス社から受けとっている
  • ディオバン事件が明るみになった後の2013年4月、高血圧学会は第三者委員会を立ち上げたが、なぜかその委員に森下竜一氏も名を連ねていた
  • 委員会の第1回会合直後にも森下氏はノバルティス社から1000万円の奨学寄付金を研究室宛に受けとり、その後も300万円を受け取った
  • 森下氏は第三者委員会では一貫して「ノバルティス社の臨床研究に不正はない」と擁護した
  • 2003年、第1次小泉改造内閣時代の知的財産戦略本部本部員に就任。以後2007年まで担当。
  • 2004年6月、アンジェスMGが開発中の遺伝子治療薬を人体に投与する臨床試験を実施した教授ら5人が事前に同社の未公開株を取得していたことが判明。新聞各社が報道。同社はその後上場し、取得株の価値は現在の株価で計数億円分に上った

大阪大病院(大阪府吹田市)で遺伝子治療薬の臨床試験をした教授らが、同薬の商品化を目指す阪大発ベンチャー企業から未公開株を取得していた問題で、教授らが株の保有を被験者に説明せず、学内の審査委員会にも報告していなかったことが12日、分かった。世界医師会が定める倫理指針は、医学研究に携わる研究者に対し、研究に関連する企業との利害関係を審査委や被験者に説明するよう求めている。臨床試験の信頼性が揺らぐだけでなく、医師としての倫理性も問われそうだ。
臨床試験は製薬ベンチャー「アンジェスMG」(同府豊中市)が製品化を目指す遺伝子治療薬の安全性などを調べる目的。98年、阪大教授(60)を総括責任者として学内の「遺伝子治療臨床研究審査委員会」に申請。同委員会の審査を経て国が承認し、01年6月~02年11月の間、阪大の研究として行われた。
(毎日新聞 2004年6月12日)
  • この薬は足の血管などが詰まる末梢血管疾患の治療薬「肝細胞増殖因子(HGF)」というもので、特許は森下竜一氏が所有
  • 2012年2月、アンジェス社は創業者であり、同社取締役(当時)である森下竜一氏に対してHGF特許料として7500万円を支払った後に契約の無効を理由に返還を請求。これを貸倒引当金繰入額として特別損失に計上すると発表したが、最終的には返還請求を取り消し、研究開発費としてこれを計上するに至った
  • 2013年1月23日、第二次安倍内閣の内閣府「規制改革会議」委員に就任。同年3月18日、健康医療戦略本部戦略参与に就任。同年4月17日、大阪府市統合本部医療戦略会議参与に就任
  • 2013年の情報開示により、森下氏は年間講演回数が100回以上で、各製薬会社から合計2500万円以上を得ていることが判明
  • 2016年6月28日、大阪府2025年日本万博基本構想委員、2016年9月9日、内閣府規制改革推進会議委員を歴任
  • 2019年9月、アンジェス社は「国内初の遺伝子治療薬」という触れ込みでHGF遺伝子治療用製品・コラテジェンを発売開始
  • 2020年3月、バイオベンチャー企業のアンジェスが大阪大学と共同で、日本では承認されたことがない「DNAワクチン」を使って国内で初めて新型コロナウイルスのワクチンの開発を進めると発表。大阪府の吉村知事、大阪市の松井市長がすぐさま協定を結び「オール大阪」でのワクチン開発をアピール
  • 同年4月、吉村大阪府知事は「絵空事ではなく、7月に治験を開始して、9月に実用化へ」と発言
  • 同年5月、日本医療研究開発機構(AMED)はアンジェスに20億円の開発助成金を決定
  • 同年6月、大阪市立大病院で初めてヒトで安全性と効果を確認する臨床試験を始めたと発表。その後、大阪大学医学部附属病院でも治験を開始すると発表。吉村知事は「国の認可を得るのは、2021年の春から秋にかけてになります」と発言
  • 同年8月、厚労省の「ワクチン生産体制等緊急整備事業」によりアンジェスは約94億円の助成金を得た。ちなみに他の企業では、塩野義製薬 13億900万円、KMバイオロジクス 10億6100万円、IDファーマ 1億2400万円で、アンジェスの94億円は企業規模や実績からしても異様な数字
  • 2021年3月、吉村大阪府知事、ワクチンの開発遅れについて「さまざまな課題、安全性や治験の中で、手続きに時間がかかっているのであろうと。予定通りにいかない難しい問題にチャレンジしていると思う部分もあろうかとおもいます」と発言
  • 2011年11月、アンジェス社、500人に対し治験をおこなったところ、安全性は確かめられたが十分な有効性が確認できなかったと発表
  • 2022年9月、アンジェス社、臨床試験中の新型コロナワクチンの開発中止を発表(NHK 2022/9/7

……いやもう、書いているだけでクラクラしてくる。
ディオバン事件、アンジェス社、同社を創業した森下竜一氏、国内初のDNAワクチン開発……これらを結びつける記事はあちこちにある。しかし、そのことを分かりやすく伝えるメディアはほぼない。
大手メディアは華々しく「国産ワクチンに期待!」などとぶち上げていたが、業界内では誰も期待していないどころか、「ああ、またか」とウンザリしていたようだ。
アンジェス社が創業した1999年12月から2019年12月までの20年間の最終赤字額は430億円。銀行借り入れはできないので、第一三共、田辺三菱製薬、大日本住友製薬、アステラス製薬、米バイカルインクなどのパートナー企業が支援し続けて倒産を免れてきた(デイリー新潮 コロナワクチンのアンジェス創業「阪大教授」、逮捕状の出た「NMB元メンバー夫」との関係 2020/7/10)。

森下氏は現在、大阪市の2025年大阪・関西万博関係特別顧問にも就任している

高齢者の正常血圧は年齢+90?

今飲んでいる降圧剤の成分がこんなトンデモな歴史を持っていたと知っただけでも飲む気が失せるのだが、そもそも私は「高血圧症」という病気を患った病人なのだろうか?

高血圧と診断される基準はここ数十年でどんどん下げられているという。
「現在の高血圧の基準値は異常に低く設定されています。私が学んでいた1969年ごろは、上が『年齢プラス90』以内ならば正常とされていた。たとえば50歳なら140、60歳なら150という具合。ところが高血圧の基準値は2000年以降、どんどん下がっています」(松本光正医師、本当は恐ろしい降圧剤がもたらす副作用 医師が血圧の薬を飲ませる「背景」 PRESIDENT 2016年5月16日号

かつてのように「年齢+90」が基準値だとすれば、67歳の私の場合、上が157が基準値ということになる。130を超えているから降圧剤を服用しましょうという話がおかしいのではないか。
そもそも、親父の主治医になってもらうために内科クリニックを訪れるまで、私自身は別段健康上の問題は抱えていなかったし、血圧のことなど気にしていなかった。それが医師から「130超えたら普通は飲むレベルよ」と諭されて服用を始めてからのほうが、ずっと体調が悪いと感じている。歳のせいと思っていたが、薬のせいだったのかもしれない。

医薬品にはメリットとデメリットがある。服用するのはメリットがデメリットを上回ると判断されるからだが、私の場合、降圧剤を服用するメリットがデメリットを上回っていないのではないか?

新コロワクチンの世界的大犯罪を知っている今、医療や製薬会社への信頼が根底から崩れてしまっている。
ここはしっかり判断しないと健康寿命を縮めてしまうのではないか?

降圧剤で長生きしても楽しくない

医師の中にも、降圧剤はのむ必要がないと言い切る人は少なくない。また、介護現場で働いている人たちや施設担当の訪問診療医師なども「高齢者施設では血圧の高い人ほど元気で長生きしている」と証言する。
結論から言うと、降圧剤を飲むメリットは、長生きできる
デメリットは、健康的に生きられない
 ということです。
関西カイロプラクティック院長 鹿島佑介氏のブログより)


本当にその薬が必要なのかどうか、医者の言うことは間違いないはずだと思って、何も考えないで飲むのだけはやめた方が良いです。
結局ほとんどの「薬」は、ただ症状を消しているだけであって、根本的には治していません。
血圧が高い→降圧薬を飲む→血圧が下がる
これはただ薬でごまかしているだけであって、「高血圧が治った」ということにはなりません。
これを「対症療法」といいます。
これじゃいつまでたってもゴールが見えず、死ぬまで薬を飲むということになります。
これが「血圧の薬は一生飲み続ける」といわれるゆえんですね。
一生病院のお客様です。
薬を飲む前に、食事・栄養や生活習慣を見直したりして、「なぜ血圧が高くなるのか」を考えなければなりません。
実は、食事・栄養、生活習慣を見直さなくても、無駄に血圧の薬を飲んでいる人も多いのですがね…。
たった1錠の血圧の薬でも、それによってその人の体に必要な血圧以下にまで下げてしまうと、
脳血流の低下→認知機能低下、めまい、活気の低下、うつ傾向、脳梗塞リスク上昇
腎血流の低下→腎機能低下
もちろん他の内臓も本来の力を発揮できない
などの弊害が起きる可能性があります。
「減薬により認知機能が劇的に向上した例」おおきな木ホームクリニック 関根徹院長のブログ 2021/4/9より)

高血圧なんて、生活習慣・運動はもちろんのこと、マグネシウムなどのミネラルや、ナイアシン(ビタミンB3)で動脈硬化を予防・改善することなどである程度コントロールできます。
自分の患者さんではビタミンD3を十分摂取したら、降圧薬が必要なくなったという方が複数います。
高齢の患者さんをみていると、血圧を下げることばかりがいいとは思いません。
逆に降圧薬を減量・中止すると、みんな元気になります。
原因不明と言われて長年悩んでいた「めまい」が改善します。
そして降圧薬をやめても思ったほど血圧があがらない人が多いです。
逆に、飲んでいたときよりも低くなる人もいます。
(これは、降圧薬によって強引に血圧が下げられ、体が危険を感じてがんばって血圧を上げていたのでしょう)
自分の患者さんでは降圧薬を減量・中止して、今のところ心筋梗塞や大きな脳梗塞が起きたなど問題になったことはありません。
もちろん、無駄な降圧は脳血流低下を引き起こし、認知症にも関係してきます。
医者の立場として、ガイドラインどおりに治療していれば、頭を使わなくてもいいし、何か問題があっても責任を追及されません。
ガイドラインどおりの治療をしていて、たとえ患者さんが亡くなってしまったとしても、医者は裁判で負けることはありません。
けれど、これが本当に患者さんのためになっているのでしょうか?
「人口の半数以上が病人??」 関根徹院長のブログ 2018/7/24 より)

高齢者が血圧の薬を飲めば、血圧が下がって血の巡りが悪くなるのであり、体全体の元気さが失せてしまい、かえって様々な疾患を拾うことになるのである。うち一番の問題が、年寄りはただでさえ脳血流が悪くなるのであるからして、血圧の薬なんぞ飲めば“ボケ街道まっしぐら”への道を突き進むしかなくなるのだ。今日の日本は、高度文明社会の便益をたっぷり享受できて実に有難いことではあるが、それがために、皆、長寿となり、そのあまりの長寿が災いして痴呆症が多発する。痛しかゆしである。
(三宅薬品店主のブログ「薬屋のおやじのボヤキ」より)
この店主は、日本脂質栄養学会が編纂している「日本人は絶滅危惧民族 ─誤った脂質栄養が拍車─」という書籍にある資料などをもとに、以下のように解説している。

日本高血圧学会は、原因=高血圧 ⇒ 結果=動脈硬化→脳卒中 ……心筋梗塞や腎臓病などの病気を招く
と主張するが、これは本末転倒であり、
原因=動脈硬化 ⇒ 結果=高血圧 ……年を食っても十分な血流を保ち、健康維持
……と考えるのが筋ではないか。



現在、新コロワクチン廃止論客の先頭に立っている一人でもある長尾和宏医師は、ここまで極端なことは言っておらず、かなり慎重な意見だ。
血圧は加齢に伴って徐々に高くなっていく。生物学的にもそれは自然なことだ。しかし40歳代で血圧160なら、たとえ無症状でも立派な病気である。なぜなら後で重大な脳や心臓の血管合併症で困ったことが起きる確率が高いからだ。
これは私の経験知でしかないが、仕事がバリバリできる人の多くは、血圧が少し高めである。社長さん、政治家、芸能人……テンションが高いことと高血圧は決して無関係ではない。仕事の絶頂期というのは、少し高い血圧が下支えをしているという一面もあるのではないだろうか。しかし高齢者に限らず、降圧剤で血圧を下げることで、意欲低下や転倒しやすいなどのマイナス面も出てくる。
(以上『薬のやめどき』ブックマン社 より)


もちろん、多くの医師や医療業界のメジャーな意見は「降圧剤を安易にやめてはいけない」という方向でまとまっている。
降圧剤を処方されるということは、薬で対処する必要があるレベルの高血圧であるということです。「認知症になりたくないから、血圧を下げる薬は飲まない」という考え方は危険です。
(略)
血圧が高いということは、それだけポンプとしての心臓ががんばって働き続けているということですから、心臓に負担がかかり続けることで、狭心症や心不全などに発展する可能性があります。また、高い圧力が血管壁にかかっているわけですから、血管がとつぜん破裂して、脳内出血やくも膜下出血が生じる危険性があります。さらに、高い圧力で押され続けると血管壁がダメージを受け、それを修復する過程で「動脈硬化」が起こり、心筋梗塞や脳梗塞に発展します。血管の障害は、体の他の部分にも多大なる影響を与え、腎不全などを引き起こすこともあります。
こうした致命的な合併症を引き起こさないためには、血圧が高めであると判明した時点で、適切な対応をして、血圧を正常範囲に保つよう努めることが大切です。
(略)
降圧剤を使うことで致命的な合併症を防ぐことは、大きなメリットがあると言えます。特に、高血圧が続き、それが脳内出血や脳梗塞を引き起こしてしまうと、脳の神経細胞が傷害され、脳血管性認知症になることがあります。若齢のうちは、「認知症なんてまだ関係ない」と思う人も多いかもしれませんが、血圧が高い人は、将来自分が認知症を含めた様々な合併症で苦しむことがないように薬を毎日飲み、血圧を正常範囲にコントロールし続けることをお勧めします。
(All About 「降圧剤で認知症になる」は本当か?血圧を下げる薬の副作用の真偽 より 阿部和穂博士・薬学)

阿部氏は上記のコラムで
薬で血圧を下げるとしても、血圧が少し高めのレベルで保たれるくらいに、薬の種類や用量を選ぶのが適切です。具体的には、80歳以上では、血圧が130/65 mmHgを下回らないようにするのが良いとされています。
すでに、認知症を発症している患者さんの場合も同じです。すでに神経細胞がダメージを受けていますので、血圧を下げる必要があったとしても、脳の血流が保たれる程度にとどめるのが適切です。

とも書いているが、自分の適性血圧がどのくらいなのかを見極めるのは相当難しいだろうと思わされる。
一つ言えることは、降圧剤を処方する医師の多くは、目の前の「患者」がどんな生活習慣、性格であるかなどを知らないまま、ただ単に血圧計が示す数値を見て降圧剤を処方しているであろうということだ。

最後は自分の感覚を信じるしかない?

新コロ騒動が始まってからのここ3年は、毎日ネットで関連情報を集めて、その真偽を自分で見極める努力をしてきた。
テレビや新聞が嘘情報や忖度報道を垂れ流すのは、原発爆発後の経験で嫌と言うほど知っている。同じことがまた繰り返されている。
しかも、今度はもっとひどい。なにせ、全国民の命を脅かすことをしているのだから。

長尾医師の『薬のやめどき』は今から6年前の2016年12月に出版されている。新コロ騒動よりだいぶ前だ。また、この本は主に高齢者の終末医療などに焦点をあてていて、抗認知症薬などへの記述が多い。
新コロワクチンの正体を知った今は、降圧剤を含めて医薬品全般に対する認識が若干なりとも変わっているかもしれない。
同書の最初にある降圧剤の項の最後にはこう書かれている。
かなり前の話だが、QOL/PRO研究会が降圧剤について大切な報告をしていた。(略)
降圧剤により意欲や元気がなくなる、ED傾向になる、浮腫むなど降圧剤の副作用は意外に多いという内容であった。しかし、そうした薬に関するネガティブな情報はメジャーになることはほとんどない。ちなみに降圧剤の潜在的な市場規模は1兆円。
真面目な患者さんが、毎日、何十年も、死ぬまでコツコツと薬を飲み続けることで、この1兆円市場が成り立っているわけである。


多くの資料や意見を読み、自分の体調の変化とも照らし合わせてみた結果、私は今、降圧剤の服用をやめている。
血圧は140前後に上がったが、気力が少しずつ戻ってきている感触はある。
同時に、薬に頼らない分、今までより少しだけ散歩の距離を伸ばそうと意識している。

自分の死に方は分からない。
ただ、無気力な10年を過ごして死ぬより、最後まで何かを作り続ける5年のほうが幸せだと思っている。


「マイルド・サバイバー」 (たくき よしみつ・著、MdN新書)

   
Amazonで購入で購入は⇒こちら
以下からもご購入できます(Click)
楽天ブックスで買う    セブンネットで買う(セブンイレブン各店などで受け取り)     Yahoo!ショッピングで買う    hontoで買う


用務員・杜用治さんのノート
カタカムナから量子論、宗教哲学、情報戦争まで、現代社会の謎と真相を楽しみながら考える、まったく新しいタイプの文章エンターテインメント  用務員・杜用治さんのノート』 Amazonで購入で買えます


           


Facebook   Twitter   LINE

長尾和宏医師のテレビ出演シーンを見て2021/09/18 15:31

読売テレビ番組より
長尾和宏医師が読売テレビの『そこまで言って委員会NP』に出演した部分をTVerで見た
YTV My Do でも公開されている。9月20日夕方まで無料配信中。⇒こちら

この番組には私も一度ゲストとして呼ばれたことがあるので、あのスタジオの雰囲気はちょっと懐かしい。

もっと聴きたいのにあまりにもあっけなく終わってしまい、残念な気持ちが残るけれど、地上波番組で発信するってのはこういうことなのよね。突っ込んだことを言ってもカットされるし。
でも、今回は長尾氏を好意的に応援したい門田隆将、厚労省や政府を代弁して長尾つぶしにかかる丸田佳奈、裏をある程度知っていながら言葉を濁して逃げる舛添要一(この人は40年前の『朝生』の原発論争のときからズルく生きるという態度は変わらない)……という構図がはっきり分かる編集で、ある意味、ちゃんと見る力のある視聴者には言外の事情も匂わせられたから、いいんじゃないかな。

このテレビ出演について、長尾氏はブログやメルマガで何度か振り返っているけれど、今日配信されてきたメルマガの最後はこう結んでいた。
早期診断、即治療すれば重症化を防げるのがコロナ。もう正体は割れています。
(有料メルマガからだが、1行だけだから、引用を許してほしい)

本は予約時点で完売、現在増刷中とのこと。ギリギリで予約が間に合い、私のところには昨日届いた。


思っていたより分厚くてビックリ(四六判で400ページ)。この人、一体いつ寝ているんだろう。私も文章を書くスピードは速いほうだと思うけど、それを超えている気がする。

2020年1月31日から2021年8月4日までのWEB日記がまとめられている。

驚くのは、ごく初期からCOVID-19に対して極めて冷徹な観察と適確な意見を述べていたこと。
2020年2月19日の日記では、
感染ルート探しも、接触者捜しも、感染者の入院先探しも、今後は、感染症のピークを小さくすることにどれだけ貢献するのか未知だ。それよりも今、優先することは「重症化」しそうな人の早期発見であろう。つまり「コロナ肺炎」を見逃さないことに尽きる。コロナ肺炎のスクリーニング(選別)に協力する医療機関に手を挙げさせて、国内約10万件ある医療機関を明確に二分して公表してほしい。(同書・20ページ)

……とある。
この部分をWEB上の日記の同日分と比較してみた。WEB上の日記原文?では、こうある。
感染ルート探しも、接触者探しも、感染者の入院先探しも、
今後は、感染症のピークを小さくすることには、利さない。
今、重要なことは「重傷者」(ママ)の早期発見である。
つまり「肺炎」を見逃さない、ことに尽きる。
そのスクリーニングに協力する医療機関を手挙げさせて
国内約10万件ある医療機関を明確に2分し公表するべき。

書籍化するにあたって細部を調整していることが分かる。しかし、主張部分は変えていない。2020年2月19日の時点で、彼はとにかく「重症化しそうな人の早期発見と、その人たちへの医療機関による早期治療が最も重要だ」という主張を続けていたのだ。
現場の医師の目がどれだけ正しかったかがはっきり分かる。

この本の「死なせへん」というタイトルとは裏腹に、長尾氏は「人は必ず死ぬ」ということを大前提として、様々な我欲や願望、煩悩、妄想を排除して思考していることがよく分かる。
彼のもとでコロナが直接の原因で死んだ患者は一人もいないのに対して、癌、老衰、誤嚥性肺炎などで死ぬ人を毎日のように見ている。夜中に携帯に連絡が入って、在宅看取りに出向くことも日常的にある。
そうした医療者としての生活を実践し、それが医師の生き方だという職業観を持っている人が綴ってきた日記。
コロナがどうのこうのという話を超えて、生き方、死に方を深く考えさせられる。
コロナは必要なものと不必要なものをあぶり出した。必要なものは、お酒、エンタメ、娯楽。人は「楽しむ」ために生きている、ともいえる。必要な「楽しみ」を奪うのは、日本もそろそろ終わりにしたい。(同書371ページ 2021年7月11日の記述より)


エビデンスが~、自粛が~、ランセットやネイチャーには~、と言って「評論」している「専門家」たちより、毎日ニコ動で貴重な情報を発信し、合間に本音を吐露し、最後はカラオケで歌謡曲を歌っているこの人の生き様を、私は圧倒的に支持したい。


           




Twitter   LINE

伊藤アキラさんの想い出2021/05/24 15:31

伊藤アキラさんから届いた2019年の年賀状

人生の師がまた一人……

今朝(2021/05/22)は、ネットニュースを見ていてショックを受けた。
「この木なんの木」「パッ!とさいでりあ」など多くのCMソングや歌謡曲を生み出した作詞家、伊藤アキラ(いとう・あきら、本名・伊藤皓)さんが15日、急性腎不全で死去した。80歳だった。葬儀は近親者で済ませた。
(読売新聞 2021/05/22)

先日、伊藤さんの盟友ともいえるかたからの手紙で、「1月15日に恒例の“勉強会”終了後の夜中、伊藤さんが就寝中に身体が動かせず悪銭苦闘しているのに奥様が気づかれて、救急車で病院へ搬送され、脳梗塞とてそのまま入院。現在もリハビリ治療中」と書かれていて心配していた。
脳梗塞としては軽いほうらしいが、長期戦になるのではないかとも書かれていた。

今、確認したら、その手紙の消印は3月3日だった。「長期戦」という言葉をなんとなくそのまま鵜呑みにしていたかもしれない。まさかこんなに急なことになるとは……。

コピーライター養成講座

伊藤さんと初めて言葉を交わしたのは大学生(多分1年生)のときだから、50年近く前のことだ。
ソングライターとして身を立てようとしていた私は、大学に入るとすぐ、ヤマハの作曲教室と宣伝会議のコピーライター養成講座の受講を始めた。
コピーライター養成講座は、作詞の力を伸ばしたいと思ってのことだったが、講師陣の中に伊藤アキラさんの名前があったことが大きい。樋口康雄さんの作品にいくつか詞を書いていて名前を知っていた。当時は伊藤さんがCMソングの作詞で超有名な作詞家だということは知らなかったのだ。
授業は輪講で、伊藤さんの授業は1回だけだった。
伊藤さんは講師としてはサービス精神がなくて、「どうせ私の授業など明日になれば誰も覚えていないでしょう」「質問は? などと言っても、毎年、手を上げる人はいませんし」などと、かなりつっけんどんな授業だった。
そこで私は、授業が終わっても教室に残り、伊藤さんに一人で話しかけた。
樋口康雄さんのファンで、樋口さんがいると思って上智に入ったら、すでに中退した後でガックリした、とか、樋口さんのデビューアルバムにも作詞されてますよね、『ABC』とか……と言ったら、すかさず「あれは私じゃなくて岡田冨美子さんです。私は『愛のひとこと』と『アダムとイブも』です」と言われ、あ~、いきなりやっちまった!と焦ったのを覚えている。
その後も、しつこく地下鉄の駅までくっついて話しかけ続けた。
伊藤さんはちょっと迷惑そうな顔をしながらも、話にはつき合ってくださった。

津田沼の自宅に帰るというので方向は正反対。駅で別れて、そのままになった。

再会は15年くらい経ってから。ニフティの電子会議室でだった。
1990年くらいだろうか。まだWindowsは3.1で、インターネットもほとんど普及しておらず、電話回線に2400bpsくらいのモデムをつないでピーガーと「ダイヤルアップ接続」して文字だけをやりとりするもの。
誰かが書き込んで、それに誰かがコメントして、コメントツリーが続くというのはツイッターなどと同じだが、なにせピーガー接続の時代だから、今のSNSのような即応性はない。
そこで、「森トンカツ」を作ったのは私だ、というようなことを書いたことがあって、それを見つけた伊藤さんがコメントをつけてきた。
私は「森トンカツ」誕生秘話を細かく書いて、伊藤さんはしっかり信じてくださった。
それで「一度、私の事務所に遊びに来ませんか」という流れになったように記憶している。
それが30年くらい前のこと。
伊藤さんの事務所は当時、銀座にあって、ものすごく立派なオフィスだった。
そこで再会した私は、コピーライター養成講座のときのことを話して「あのときは失礼しました」と詫びたのだが、伊藤さんは「そんなことありましたか。覚えてないなあ。私、そんなに怖い印象でしたか? まあ、あの頃はそうだったかなあ……」と苦笑していた。
養成講座の講師時代とはうってかわって、終始柔和な笑顔の紳士という印象で、ほんとに同じ人なのかと思ったほどだった。

Homework~しゅくだい

それからは伊藤さんのほうからもときどき声をかけていただき、私に音楽出版社の人を紹介するためにミニ食事会のようなものを用意してくださったり、なぜそこまで? と、不思議に思うほどよくしていただいた。
川内村時代にも一度、「東京に出てくることがあれば一献」と、わざわざお店を予約してごちそうしていただいたこともある。

KAMUNAの『Homework』という曲も、伊藤さんに「これは現代の童謡にもなるようなメロディを意識したんです」と聴かせたところ、「これは素晴らしい。ぜひ、歌詞をつけて子供でも歌える歌にして」と言われ、その際、子供が歌うには一か所難しいところがあるから、そこを直して……などともアドバイスをいただいた。
部分転調のところだな、と、すぐに分かった。KAMUNAはジャズテイストだから、その部分転調はワンポイントのお洒落だけど、確かに子供が歌うには難しいかな、と思って、その部分を修正したものを送った。
「歌詞は?」と言われたので、「実は、伊藤さんにつけていただけないかなあ……なんて図々しい思いがちょこっとありまして……」と、自分の助平心を白状したところ「そうですか。じゃあ、宿題ということにさせてください」と、サラリとかわされてしまった。
ああ、やっぱり言い出すのではなかった、と後悔したものだ。

何年かして、自戒の念も込めて(?)自分で歌詞を書いた。↓


ドミソの歌

『ドミソの歌』を作ったときは、「これはすごい。すでにスタンダードナンバーの風格があります。しかし2番の歌詞が難しそうですね。特にファとラが。たくきさんのことだからもうできているでしょうが」と言われ、
「え? 1番だけでいいと思っているんですが」
と返信したら、
「1番だけじゃもったいないでしょ。ぜひ2番を作ってください。たくきさんならできる!」とティモンディ高岸みたいな励まされ方をして、予定外の2番まで作ったのだった。
そのときの日記がどこかに残っていたはず……と思って捜したら、⇒これだった。

伊藤さんに「2番も!」と言われなければ、『ドミソの歌』は1番だけで終わっていたのである。
日記にも書いたように、2番の歌詞はちょっと「教条的」な感じもあって好きではない。伊藤さんも同じことをおっしゃっていたけれど「こっちのほうがウケはいいでしょうね」とも。

2番がついた『ドミソの歌』↓

固定ド音感の人には、Cスケールの譜面でGスケールの演奏が流れて「ドミソドシラソファ……」と歌っているのが耐えられないほど気持ちが悪いらしいが、ドレミというのは「階名」なのだから、移動ドがあたりまえなのだ。ジュリー・アンドリュースが映画の中で歌っている『ドレミの歌』もCスケールじゃないしね。

このときのやりとりを読み返したいと思ってメールボックスの「friends」というフォルダを遡ったら、2015年6月前半より前のメールは全部消えてしまっていた。
その後、最後のメールは……と捜していたら、どうやら2018年の10月26日付けのものが最後かもしれない。
「たくきさん。ご無沙汰しています。この度は最新CDをお送りいただき、ありがとうございました。」
……と始まる、結構長いメール。
「ONアソシエイツの大森昭男さんが今年3月になくなり、少人数での偲ぶ会をやり、やれやれと思ったら、井上鑑さんが「みんなで追悼文集をつくろう」と言い出し、先月限定100部が発行できました。結局、なんやかんやで半年かかりました。 これが今年の「主な仕事」かなあ? いやはや。」
……という一節があって、本当に高齢者にとっての時間の流れは切ないと痛感した。

ドックマン

そういえば、伊藤さんの作詞で、僕が曲をつけたCMソングがあったはず……と捜してみたら、見つかった↓。

↑これはニフティがきっかけで伊藤さんと再会する前に作った。音源もそのときのものだ。MIDIが登場して間もない頃で、ローランドのD50というシンセサイザーとMT32という安い音源だけで作っている。「小説すばる新人賞」受賞より前だから、30代前半くらいだろうか。30年以上前。
当時、レコードデビューに失敗してどん底にいた私は、CMソングの仕事がしたくて、あちこちのCMソング制作会社にデモテープを送りまくっていた。
そんな中で、ある会社から連絡があって、小田急線・南新宿駅そばの雑居ビルを訪ねた。
古くて、半分廃墟みたいなビルで、そこの一室が事務所だったが、約束の時間に訪ねていってドアベルを鳴らしても反応がない。
何度もベルを鳴らし、ドアをノックし、声をかけ続けたら、ようやく中から呻くような声で「ああ~?」と声が聞こえた。
「今日、○時にお約束いただいたたくきです」と告げても、数秒はねぼけて分かっていないようだった。
廊下で10分くらい待たされた後にようやく中へ通された。狭くて散らかった部屋には、着替えや食器も見えていて、どうも社長はここに寝泊まりしているらしかった。
そこで「これに曲つけてみて」と渡されたのがこれ。「詞:伊藤アキラ」とあって、ああ、伊藤さんの詞だ、とすぐに気づいた。
こんな事務所とはつき合わないほうがいいな、と思ったのだが、伊藤さんの詞だったので、なんとか作ってみた。
ドックマンという栄養剤のCMソング。
結局、このデモテープを渡した後、社長からの連絡は途切れてしまい、知らないうちに会社ごと消えていたようだ。

その話も、伊藤さんと交流するようになってから話したことがあったが、「へえ~、そんなことがありましたか。それはそれは……」と笑ってらした。

なんだかな~、の出来だし、テープからファイルに起こすこともせず、ずっと忘れていたけれど、考えてみると、伊藤さんの歌詞に僕がメロディをつけた唯一の作品なのだなあ、しかも幻の……。
そう思って、昨日はこれがどこかに残っていないかと何年も放置したままのDATテープラックから捜しだして、苦労してファイルに書き出して、何度か聴いていた。

シンプル イズ ベスト

伊藤さんから学んだ最大のことは「詞は考えすぎちゃいけない」かな。
直接そう言われたわけではないのだが、伊藤さんのお仕事ぶりを見ていて、そう学んだのだった(もちろんいい意味で言っている)。
私の最大の欠点は、何事も考えすぎて、ダラダラ長くなり、かえって伝わる力が弱くなっていくこと。
平衡を求めて修正作業を続けていくと、つまらない着地になりがちで、感動として伝わらない。
メロディは瞬発力がなくなった分、ひたすら細かく修正していく作業に切り替えているけれど、歌詞はやりすぎないほうがいい。
なんか文章としては変だけど、シラッと歌ってしまえば分からないかも……ま、いっか……という感じでやめておく。そのくらいのほうが言葉の鮮度が落ちずに、人に伝わっていくのかもしれない。
難しいバランスだけど……ね。

私の「年末状」を受け取っている人は知っているように、小さな紙面にギッチギチに写真と文字が詰め込まれている。
一方、伊藤さんから毎年届く年賀状は正反対で、余計なものが一切ない。それでいてインパクトがある。
例えば2016年は申(さる)年だったが、伊藤さんから届いた年賀状は秀逸だった。

↑これだけ。余計なことは一切書いてない。

2019年の年賀状はこうだった↓

軽妙洒脱というのはまさにこういうことを言うのだろうなあ。

私には死ぬまで真似できないだろう。
死に方くらいは、パッとさいでりあ~♪ と逝きたいところだが……。
そんなことを今からウダウダ悩んでいるようでは、到底無理そうだ。

月と流れ星

結局、伊藤さんとは一度も仕事をしたことがない。
それなのに、伊藤さんは一方的に私を気にかけてくださり、何度もさりげなく助け舟を出してくださった。
分厚い御著書や作品集CDも送っていただいたし、2011年夏の最後のKAMUNA上智ライブにも来てくださった。
あのときは樋口康雄さんもいらして、席でバッタリ顔を合わせて「あれ?」「あ……」なんてぎこちなく挨拶を交わしたとのこと。(というのも、樋口さんが美女と一緒だったので、気を使って離れた席に座ったのだそう)

伊藤さんに年齢を尋ねたことはなかったが、今回、記事で14歳しか離れていなかったことを知り、ちょっと驚いた。もう少し上の年代だと思っていたのだ。
創作をする者にとって、加齢との闘いはきつい。
歳を取ってから名曲を残した作曲家というのはいるだろうか。ベートーベンは聴力を失った晩年に交響曲第9番『運命』を書いたというが、没年は56歳で、今の私より10歳も若い。

文筆は、時間をかけてていねいに何度も何度も書き直すことで対応できるが、それでも最近は、誤字脱字、書き間違い、おかしな文章などが頻発して、見直し、書き換えをしているだけで1日が終わる。
音楽はスポーツのような瞬発力が必要なので、肉体(脳も含めて)の劣化は致命的にきつい。
メロディが浮かんだときには無理をしてでも(早朝トイレに起きたときとかでも)なんとか書き留めて、その後、譜面に少し書いては休み、しばらく寝かせて、数日後にまた気力がちょっとでもあるときに見て、しつこく書き直す、という方法に切り替えている。
バカラックも、何度も何度も書き直しながら曲を書いていたというので、そういう方法ならまだやれるのではないかと思って。

ひと月くらい前から「ミレミファソーファーミー」というモチーフから始まる曲を作るべく、少しずつ作業している。
伊藤さんのことを思い出しながら、「歌詞が先にあったほうが楽なんだよなあ」なんて、詞も同時につけていた。
『流れ星の歌』というタイトルを仮でつけて、ほぼできあがったかな、なんて思っていたタイミングで飛び込んできた伊藤さんの訃報だったので、なおさらショックを受けたのだった。
『流れ星の歌』はこれから仕上げるつもりだが、これが最後の作品、なんてことにならないよう、もう少しあがいていくつもり。

伊藤さんが、私たちの身近にあり、誰もが知っている「月」だとすれば、私は曇り空の向こう側を地球に向かって落ちていく宇宙の塵のようなものだろう。塵でも地球に落ちるときは一瞬光を放つ。でも、その光は一瞬で消えるし、その瞬間を見ている人は少ない。ましてや太陽が出ている時間や、曇りや雨の夜には見ている人もいない。そんな人生であっても、卑屈にならず、精一杯燃えながら落ちていきたい。……そんなことを考えながら、最後の仕上げにかかろうと思う。

伊藤アキラ先生。
こんな私と長い間つき合ってくださり、ご指導くださり、ほんとうにありがとうございました。



Twitter   LINE

新型コロナワクチン狂想曲の実像 厚労省データをもとにまとめてみた2021/05/16 14:15

同調圧力で煮込まれることがいちばん怖い
ワクチン関連のことは、東京五輪関連以上に、何か書くと総攻撃を受ける気配が濃厚だし、デリケートな問題を数多く含んでいるので、身を守るためには黙っていたいのだが、知らないうちにとんでもない事態に進みそうなので、敢えて書く。
最初にお断りしておくが、私は「ワクチンを打つ、打たない論争」に火をつけるつもりは毛頭ない。これから書くことはすべて厚生労働省が公表しているデータに基づいた数値や内容である。厚労省のWEBサイトで丹念に捜せば元データや資料が直接見られる。
個々の記事は新聞記事に絞っており、個人のコラムなどからの引用ではない。
これらのデータが、あまりにも細切れに、散発的にしか表に出てこないので、ただでさえ分かりづらいCOVID-19やワクチンの現状が見えにくい。
なんとか全体像や最新の状況が見えるようにまとめてみたい、判断するための正しい材料を整理してみたい。そうした思いでこれを書いている。

「ワクチン報道」の危うい過熱ぶり

メディアの「ワクチン待望論」的な煽りや視点の持ち方が相当おかしい。
分かっているデータがあるのに、妙に及び腰で、わざと見えにくくしているフシがある。一方で、ウケ狙いの記事ばかり飛ばしてくる。
市長が医療従事者枠でワクチンを打ったのはけしからんとか、どうでもいい。むしろ、ワクチンを早く打たないと大変なことになると脅したり、ワクチンに少しでも不安があるという言葉を発する者を総攻撃したりする同調圧力が暴走することのほうが怖ろしい。

ワクチンについては、多くのことがまだ未解明であり、副反応や将来にわたっての影響がよく分からないまま打っている「見切り発車」であることは間違いない。
毎日数千人単位で死者が出ているような国・地域では、とりあえずワクチンでなんとかしろ、となるのは仕方がないだろう。しかし、当初から死者の割合が極端に低かった東アジアでは、まずはウイルスの侵入を防ぐ、感染を広げずに抑えるというやり方が先だったはずだ。
実際、他の国々はそれに概ね成功している。台湾などは見事なお手本だ。
台湾でCOVID-19での死者は100万人あたり0.5人、日本は同・91人で182分の1(worldmeters.infoのデータより)だが、ワクチン摂取率を比較すると、5月13日現在、台湾は100人あたり0.5回であり(日本経済新聞社作成のデータより)、日本の同・4.4回のおよそ10分の1である。
アジア・オセアニアの国々を人口あたりのCOVID-19死者数の少ない順に、100人あたりワクチン接種回数を併記して並べてみると、
国:100万人あたりの死者数、100人あたりの接種回数
  • ベトナム:0.4人、0.9回
  • 台湾:0.5人、0.5回
  • ブータン:1人、63.1回
  • 中国:3人、25.3回
  • シンガポール:5人、55.0回
  • ニュージーランド:5人、7.9回
  • タイ:8人、2.9回
  • 香港:28人、24.4回
  • オーストラリア:35人、11.1回
  • 韓国:37人、8.6回
  • マレーシア:58人、5.9回
  • ミャンマー:59人、3.3回
  • モンゴル:62人、72.8回
  • 日本:91人、4.4回
  • ネパール:169人、8.6回
  • フィリピン:173人、2.4回
  • インドネシア:174人、8.3回
  • インド:197人、12.9回
(↑青字は日本よりワクチン摂取率が低い)
……となり、日本よりワクチンを打っていない国で日本よりはるかに死んでいない国が多数あることが分かる。
つまり、単純に、ワクチンを打てば死ななくなる、というわけではない

ワクチンを巡るドタバタについては、いろいろな問題が指摘できるのだが、一番気になるのは安全性についての情報発信が頼りなさすぎることだ。
頭痛や倦怠感といった副反応はほぼ「ある」と思っていいようだが、その情報がほとんど出てこない。
仕事を休めない人やプロアスリートなどにとっては、たとえ数日間のことであったとしても重大な問題だ。

現役の医療従事者がワクチン接種後に急死している

接種後に急死した人が若い人も含めてすでに二桁いることも、あまり報道されていない。個別のケースが地方紙で散発的に記事が出るだけで、全国紙やテレビが包括的に報道しているのを見たことがない。
厚生労働省は5月12日、「新型コロナワクチン接種後の死亡として報告された事例の概要」として、「令和3年2月17日から令和3年5月2日までに報告された死亡事例は計 28 件となった。なお、上記に加え、令和3年5月3日から令和3年5月7日までに、医療機関又は製造販売業者から死亡として報告された事例が 11 件あった。」と報告した。
つまり、厚労省が把握しているだけで5月7日までに39件の死亡例があった。

画像は厚労省発表のデータより

厚労省が公開している「新型コロナワクチン(コミナティ筋注、ファイザー株式会社)接種後に死亡として報告された事例の一覧(令和3年2月17日から令和3年5月7日までの報告分)」から60代以下の死亡例だけ拾ってみると……、
  • 61歳 女 2021年2月26日接種 3月1日死亡 基礎疾患なし 死因:くも膜下出血
  • 46歳 男 2021年3月19日接種 3月20日死亡 基礎疾患なし 急性大動脈解離心タンポナーデ
  • 26歳 女 2021年3月19日接種 3月23日死亡 基礎疾患なし 脳出血(小脳)、くも膜下出血
  • 69歳 女 2021年3月17日接種 3月26日死亡 基礎疾患なし 脳出血
  • 65歳 男 2021年3月9日接種 3月28日死亡 基礎疾患不明 急性心不全(心臓死以外の原因となる所見なし)
  • 62歳 男 2021年4月1日接種 4月2日死亡  基礎疾患不明 風呂場で溺死
  • 51歳 男 2021年3月25日接種 4月8日死亡 基礎疾患なし 心室細動
  • 37歳 男 2021年4月5日接種 4月8日死亡 基礎疾患花粉症 死因不明
  • 55歳 男 2021年4月17日接種 4月19日死亡 既往症高血圧など 急性心筋梗塞
  • 44歳 女 2021年4月21日接種 4月25日死亡 基礎疾患なし  くも膜下出血
  • 45歳 女 2021年4月21日接種 4月26日死亡 基礎疾患なし 死因不明
  • 40歳 女 接種日不明 2021年4月26日死亡 死因不明
  • 26歳 男 2021年4月28日接種 5月3日死亡 基礎疾患片頭痛 死因不明
  • 63歳 女 2021年4月30日接種 5月3日死亡 基礎疾患なし 死因:脳底動脈瘤破裂、くも膜下出血
  • 51歳 女 2021年4月23日接種 5月7日死亡 基礎疾患:肺胞低換気症候群、肥大型心筋症、肺高血圧、腎不全(透析中)
  • 69歳 男 2021年4月29日接種 5月7日死亡 基礎疾患:大動脈解離、前立腺がん 死因:胸部大動脈解離
……となる。
その後も、
愛媛県は5月13日、医療従事者の50代女性が新型コロナウイルスのワクチン接種後に死亡したと明らかにした。2回の接種を受けたが、心不全や呼吸困難など副反応が疑われる症状があったという。(新型コロナ ワクチン接種後に50代女性死亡 医療従事者 副反応疑い症状あり 毎日新聞 2021/05/14

長崎県は13日、医療従事者を対象とした新型コロナウイルスワクチンの優先接種を受けた60代女性が、接種から数日後の今月上旬に死亡したと発表した。死因は脳底動脈瘤(りゅう)破裂とくも膜下出血で、現時点でワクチン接種との因果関係は不明。医療従事者の接種後の死亡確認は、県内で2例目。(ワクチン接種から数日後に死亡 長崎県の60代医療従事者 西日本新聞 2021/05/13

新型コロナウイルスのワクチン接種を巡り、神奈川県は14日、県内でこれまでに接種後に3人が死亡したと明らかにした。(ワクチン接種後、神奈川で3人死亡 2人の因果関係を分析中 神奈川新聞 2021/05/14

三重県は14日、県内で新型コロナウイルスワクチンの接種を受けた40代女性が接種から5日後の今月2日に死亡したと発表した。(新型コロナワクチン 40代女性、接種後に死亡 因果関係は不明 伊勢新聞 2021/05/15

……など、ここ数日だけでも、現役医療従事者を含むワクチン接種後死亡例が次々に報告されている。
65歳未満の死亡例はほぼ全員が現役の医療従事者だろう。つまり、健康体で毎日医療機関で働いていた人たちである。
わずか2か月あまりで健康体の現役医療従事者がワクチン接種後にこれだけの人数急死していることをどう捉えればいいのか。

二桁の急死例は「無視できる範囲」なのか?

これに対して、「現時点で医療従事者や高齢者などに行われたワクチン接種は合計400万回以上。接種後に死亡したのが39人なら、数百万人のうちの数十人だから無視していい」という論法がよく聞かれる。
厚労省も、2021年4月9日に公開した審議会資料の中で、「ワクチン接種後の出血性脳卒中死亡率は、0.12件/100万人・日であり、一般人口における出血性脳卒中死亡率0.97件/100万人・日と比較すると少ないので、問題ない」という論旨を記載している。
しかし、これはおかしいのではないか。ワクチン接種後に急死した人の中には現役の医療従事者が数多く含まれているのだ。病人や高齢者も含めた一般人口での出血性脳卒中の死亡率と比較するのは適当ではないだろう。
↑厚労省が2021/04/09に公開した審議会資料より。

インフルエンザワクチンの接種後の副反応疑いの死亡例と比較するなら分かる。これは過去10年以上にわたって、年間0件~4件程度である(厚労省「インフルエンザQ&A」より)。

さらには、ワクチン接種後の死亡例は厚労省に報告されている数十例がすべてではなさそうだ。
3月20日死亡の46歳の男性は旭川赤十字病院の事務職員である。3月19日に接種したが、翌20日に体調が急変し死亡。しかし、死亡原因がワクチン接種との関連性が証明できないとして、当初は報告されていなかった。それを、遺族が「報告してほしい」と要望し、4月になってから報告された(接種後に死亡、報告悩む医療機関…遺族は「国に伝えて」2021/05/09 読売新聞)。
他にも報告されていないケースがあるのではないだろうか。
さらには、これは死亡例だけであり、重篤な状態に陥ったケースは入っていない。数百例あるとも聞こえてくるが、そのデータもあるのかないのかよく分からない。
ワクチン接種後に重篤な状態になった人をしっかり病院が受け入れて治療できる体制が整っているのか、余裕があるのかも不安である。

打ちたくない人の人権を守れ

COVID-19感染での死者の年代別割合では、依然として若年層は低く、10代以下はほぼゼロである。


(画像は日本経済新聞社作成より)
それを踏まえると、若年層がワクチンを打って具合が悪くなったり、最悪死んでしまう確率と、ワクチンを打たずにCOVID-19になって重篤化したり死んでしまう確率と、どちらが高いのか……と疑いたくなる。
医療従事者がワクチン接種後に死亡した例では、40代、50代の女性が比較的多いように見える。
現段階で医療従事者で2回のワクチン接種を終えた割合は25%くらいらしいが、現場を知る医療従事者ほどワクチンの副反応には不安を抱えているのではないだろうか。しかし、口には出せないし、接種を拒否すると同調圧力で職場に居づらくなる。ただでさえストレス漬けの日々に、ワクチンストレスも加わって悲惨なことになっているのではないかと危惧する。

政府や厚労省は高齢者へのワクチン投与をとにかく急がせていて、まだワクチンが1箱も届いていない自治体にまで「7月末までに高齢者へのワクチン投与を完了させよ」と圧力をかけている。
新型コロナウイルスの高齢者へのワクチン接種をめぐる国の全国調査で、「7月末に完了できない」と回答していた兵庫県内の複数の市町に対し、国や県が強い働きかけをして完了時期を変更させていたことが神戸新聞の取材で分かった。国の12日の発表では、県内の全41市町が「7月末に完了」と回答しているが、実現に疑問を抱く市町も多く、調査の信頼性が問われる。(高齢者ワクチン接種完了時期 国が圧力「7月末で」 神戸新聞 2021/05/14

首都圏のある市長は4月下旬、総務省幹部から電話を受けて「7月に終わらせるにはどんな手伝いができるか」と繰り返し聞かれたという。医療従事者の確保が見通せず、8月以降と回答した市長は「『7月中にできる』と言わせたい様子だった。達成できなければ、自治体のせいにするつもりかもしれない」と憤る。同様の照会を厚生労働省から受けた首都圏の町長は「数字だけでも接種が進むように見せたくて、圧力をかけているのでは」と語った。(高齢者のワクチン接種「7月完了」に躍起の政府 自治体へ働き掛け強める 東京新聞 2021/05/13

しかし、今までも何度か書いてきたが、特養などの介護施設に入っている認知症の超高齢者に「機械的に」ワクチンを打つのは人道に反するのではないか
上記の厚労省が出している「死亡例」の中には、
  • 102歳 女 2021年4月12日接種 4月16日死亡 基礎疾患:誤嚥性肺炎、慢性心不全(大動脈弁狭窄症兼閉鎖不全症、三尖弁閉鎖不全症)、マインベース・テオロング・アムロジピン・テルミサルタン(を内服) 死因:誤嚥性肺炎、気管支喘息、心不全
  • 90歳 女 2021年4月20日接種 4月22日死亡 基礎疾患:心臓病、高血圧、大動脈解離(H24)、心房細動(R3)、脳梗塞、骨粗しょう症、バイアスピリン、リセドロン等内服 死因:急性心不全、心筋梗塞等
  • 101歳 女 2021年4月23日接種 4月26日死亡 基礎疾患:高齢、高度アルツハイマー型認知症 死因:心肺停止
  • 90歳台 女 2021年4月19日接種 4月20日死亡 基礎疾患:不明 死因:老衰
  • 92歳 女 2021年4月26日接種 4月28日死亡 基礎疾患なし 死因:老衰
  • 91歳 女 2021年4月27日接種 4月27日死亡 基礎疾患:アルツハイマー型認知症、慢性心不全・陳旧性心筋梗塞(3年以上前)、胆のうドレナージ術後(2021年1月) 死因:心肺停止
……といった、どう考えても本人がワクチン接種に対する理解ができていたとは思えないケースも載っている。
心臓病や脳梗塞の既往症のある90代以上の認知症高齢者にワクチンを打ってしまっているのだ。
しかも、死因が「心肺停止」とか「老衰」というのも多い(「心肺停止」が「死因」?)。この人たちは、介護スタッフや医療者以外、家族とも面会禁止で接触していなかったはずで、施設外で感染することも人に感染させることもありえない人たちだ。
そういう超高齢者に機械的にワクチンを投与して、数日後に亡くなったときの死因は「老衰」とか書いているのだ。余計なことをして終末期の苦しみや不安を増加させただけではないのか。
ただでさえ(コロナ以前から)、終末期の近い高齢者(特に認知症が進んでいる高齢者)への医療をどうするかは、医療者も家族も介護スタッフも、ものすごく悩みながら対応している。そうした苦労を無視するかのように、「国が早くワクチンを打てと言っているから打つ」という姿勢はどうなのか。介護や医療現場の思考停止につながりかねないのではないか。
「接種後に老衰で亡くなることがある」と伝える? m3.com
最後のケースの91歳女性の報告には、「接種当日の朝の食事は全量摂取するなど著変なし。(ワクチン接種との)因果関係あり」と記されている。

こういう状況の中で、厚労省から各自治体へ、高齢者向けのワクチンが間に合わない場合、医療者用に配布した分を回すようにとの指示があったという(「ワクチン足りず、医療従事者用を回せ」国が高齢者接種の7月末完了で“脅し” 自治体が反発 2021/05/13 AERA DOT)。

厚労省からの指示書。画像はAeraドット より

何がなんでも高齢者へのワクチン接種を完了させたことにしたいのだろう。
都心に大規模ワクチン接種会場を設営というが、感染を恐れて家に籠もっていた高齢者たちがゾロゾロと長距離移動して東京に集まってくることのほうがよほど感染リスクが高いのではないか?
……もう、滅茶苦茶である。

とにかく、「現状の各種データを分かりやすく可視化して示してくれ」と言いたい。
判断するための正しい材料を提示してくれ。
データや情報を出さないまま、ウケ狙いや前のめりの報道はやめてほしい。
同調圧力鍋の中で国民がグツグツと煮込まれていくような社会には大きな悲劇が待っている。それは歴史が何度も証明してきた。
この調子では、1年後、2年後、この国はどうなっているのか。


Twitter   LINE

還暦を超えたら「かけ足教」に入信せよ?2020/12/14 14:14

森水学園 用務員・杜用治さんのノートより

(1974年4月26日)
村の中でもあちこちに桜が咲き始めた。
天気もいいので、校庭のベンチに座ってボ~ッとしていたら、白衣(といってもかなり汚れていてねずみ色に近い)を着た婆さまがとぼとぼと歩いてきて、黙って俺の隣りに座った。

婆さん婆さま: あんたはここのセンセイかね?

俺俺:  いや、ただの居候ですよ。村のみんなは用務員さん、って呼ぶけどね。そういう婆さまは何者なんですか。この村の者じゃないみたいだけど。
婆さん あたしゃ宗教家じゃよ。

俺 宗教家? 布教して回ってるってことですか? 仏教系? キリスト教系? 
ずいぶん疑問文が多いねぇ。あたしが説いて回る教えは、何系でもない。「かけ足教」というのを説いて回ってる。

俺  かけあし教? 聞いたことないなあ。面白そうだけど……。
聴くかね? 教理は簡単じゃよ。

俺  長くならないなら、聴いてもいいですよ。
じゃあ、簡潔に伝えようかね。
あんたは還暦を迎えたかね?

俺  いや、まだですね。
これは還暦を迎えてからの生き方を説く教えじゃ。

俺  それなら、俺にはまだ早いか……。
いやいや、還暦を迎えてから知るより、今から知っておいたほうが無駄な時間が減らせるじゃろ。せっかくだから聞きなさい。

俺 じゃあ、お願いします。
還暦というのは、干支が一回りして元に戻るってことじゃろ。本卦還りともいうな。
この世に生まれて、60年生きて、生まれた年の干支に戻るわけじゃな。
昔は人生50年というて、人が60年生きるなんてことは贅沢じゃった。
じゃから、60年生きたら、もう一度生まれて、それまでの60年の人生を踏まえて、残りの人生をじっくり生きよ、という教えじゃな。
じゃけんども、60を過ぎた人間は、脳みそも身体もガタガタぼろぼろじゃでな。それまでの60年のような時間をそれまでの時間感覚で生きることはできん。時間が過ぎる速さもどんどん短くなる。
じっくりとじゃが、駆け足で生きることを求められるわけじゃな。

俺 それで「駆け足教」っていうわけですか?
それもある。だが、かけ足教の「かける」は、もう一つの「かける」にもかけちょる。……かけ算じゃ。

俺 かけ算?
そう……歳をな、十の位の数と一の位の数で、かけ算をするんじゃ。
60歳は6と0。6かける0は0じゃろ。だから、60になったときは、もう一度別の人生を生きるつもりで0歳児として生まれ変わる気持ちになる。

俺 0歳児じゃ、何も考えられないし、言葉も使えないですよね。
そういうことではない。新しい人生におけることはゼロから始める、ということじゃ。それまで60年生きた経験は、そのまま残って、次の人生への架け橋になる。その架け橋の「かける」でもあるな。

俺 ……う~ん。……それで?
61歳になったら、6かける1で6歳じゃ。つまり、還暦を過ぎたら1年が6年の速さで過ぎていくんじゃな。かけ足で過ぎていくわけじゃな。
だから、それまでの人生の0歳から6歳までに身につけたこと、世の中のあらゆるものを、見て、聞いて、触って……という五感をもう一度研ぎ澄ませる。ものへの認識をゼロから見直してみる。言葉の意味も、音の聴き方も、基本を全部ゼロから見直してみる1年間じゃ。

俺 ……なんか面白そうですね。となると、62歳は6かける2で12歳か。小学校6年間で学んだことを見直す1年ってことですか?
おお、出来のいい生徒じゃな。その通りじゃ。小学校で学んだことを、もう一度、根本から考え直してみる。科学も歴史も……全部な。特に歴史なんてものは、時の権力者の都合でどんどん書き換えられている物語にすぎないからな。どこまでが本当にあったことか、偏見や脚色をとことん削ぎ落として、裸にしてみることじゃ。そうすれば、違う世界が見えてくる。

俺  それは分かる。俺もそれは常々思っていますよ。
じゃあ、63歳は6かける3で18歳。思春期ですね。これはどうやり直すんです?
やり直す、とは言っておらんじゃろ。振り返るのはええことじゃがな。あの頃のドキドキした時間をそのままやり直しはできんから、あれは一体なんだったんじゃろ、と思い直す時間じゃな。
十代のときにときめいた美しさとはなんだったのか。生殖本能によって歪められていた美感覚だったんじゃないか……とか。そういうことじゃな。
おまえさん、十代のときに心ときめいた女の子がおったじゃろ? 今、その子がそのときのままの姿で目の前に現れたらどう感じるかね。あの頃と同じような目では見られんじゃろ?

俺  それはそうだろうけど、ちょっと話がズレている気もしますね。同じようにはときめかなくても、何か特別な想いはこみ上げるんじゃないかなあ。それをどうしろと?
それをどうするか、どう考えて、新しい人生に生かすかは、おまえさんが63歳になったときに考えるんじゃな。

俺  じゃあ、64歳は24歳。その頃の俺は……。
何かを求めてあがいておったんじゃないかね。その求めたものは、技術だったり、人からの信頼や尊敬だったり、金だったり、性欲のはけ口だったり……。それは手に入ったかね?

俺  入ったものもあったけれど、手に入ったと思ったら、思っていたのと違っていてがっかりしたり、絶望したり、怒ったり……。
それが、最初の60年の人生で手に入れた「土台」じゃな。60からの人生は、その土台に種を蒔き、耕す人生なんじゃ。どんなにいい土台があっても、土台は土台にすぎん。放っておけば干からびるだけじゃな。

俺  なるほど。少し宗教……というより、人生訓みたいになってきましたね。
で、その調子で69歳までいくと、6かける9で54歳。まだ15歳若いけれど、だいぶ近づいてきましたね。
で、70歳になると、今度は7かける0で、また0歳に戻るんですか?
そこから先は、あんたが運よくその歳まで生きられたら、自分で答えを探すことじゃな。ただで教えられるのはここまでじゃ。

俺  え~? なんかちょっと……。まあ、いいや。ここまでの話でも十分面白かったから。
じゃあ、お布施代わりにお茶でも出しましょうか。待っててください。

俺はそう言って「用務員室」に戻り、湯を沸かし、茶を入れた。
あいにく、お茶菓子代わりになりそうなものはなかったので、茶わんと急須を乗せた盆を持って校庭のベンチに戻ると、婆さまの姿はもうなかった。
かけ足教の教祖はかけ足で消えてしまったのだろうか。

その後しばらく、村の人に会うたびに、汚れた白衣を着た婆さまのことを訊いてみたが、誰一人、そんな婆さまを見た者はいなかった。


フェイスブックのnoteアプリ機能とWEBサイトのnoteを混同していました。フェイスブックのnoteは10月で終了しましたが、note.com のほうは健在なのですね。
動画の発信なども、YouTubeから直接やツイッター経由より、noteを介したほうがよさそうな気がしてきたので、改めてnote を始めてみました。
https://note.com/tanupack です。

この「用務員・杜用治さんのノート」シリーズは、「森水学園第三分校」(https://nikko.city/morimizu/)の中の1コーナーですが、今後はnote.comのタヌパックページでも並行して掲載していくつもりです。


Twitter   LINE