原発運命共同体が壊す福島の和2012/02/19 14:37

原発運命共同体が壊す福島の和

俺たちは賭けに勝った……?

2つ前のトピックで「『運命共同体』という賭けに破れた人たち 」 という文章を載せた。
原発を誘致した人たちは、原発誘致という賭けに負けたという意味のタイトルだったが、最近、彼らは本当に「賭け」に負けたのかどうか、疑問に思うようになっている。
立地4町の富裕層は一時的には財産を失ったし、収入基盤もなくなったかもしれない。しかし、川内村の人たちのように、事故前より実質収入が増えて、予想外の都市生活を家賃ただで始めているケースを見ていると、この人たちは買った記憶もないくじを当てたのかもしれないと思えてくる。

多くの村民は仮設や借り上げ住宅を手続きして「避難中」という証明を担保した上でちょこちょこ自宅に戻っている。どっちが別荘なのか分からないが、家賃ただの都市生活をしながら、仕事をしないことで収入補償を得られる根拠としての30km圏の自宅を維持するという、新種の二地域居住をしている。
「今日はどっちに泊まるんだ?」
「今日は郡山に戻る。明日また来て草取りの続きすっから」
……村にいると、こんな会話が毎日交わされているのに出くわす。統計上は「避難中」で家に戻っていないことになっているし、それによって東電からの「避難生活等による精神的損害」補償(1人あたり月額10万円)もしっかり受け取っている人たちの会話だ。
庭の草むしりや家の周囲での畑作業は以前と同じようにしているが、田んぼは放置したまま。下手にいじると農業補償が減らされかねないという恐れからだ。
おかげで村中の田んぼは草ボウボウになった。夏にはメマツヨイグサが、秋にはセイタカアワダチソウが人の背丈ほども生えた。
この草が刈られたのは冬が迫ってからだった。村から日当が出た。自分の田んぼの草刈りをするのに日当が出たというので、ずいぶん話題になった。
作業中、マスクをしている人はほとんどいない。みんな「放射能なんて大したことねえっぺ」と高をくくっている。
村は、田んぼは荒れ果てたので今期も作付けは無理であるから全面補償をしてほしいと願い出ている。
おそらくそうなるのだろう。2年続けて農業補償。それだけなら米を普通に作って売っていたときより安いかもしれないが、ほとんどの家は兼業農家で、給与収入分は全額就労不能損害補償されているし、失業保険をもらえる人はそれももらっているから二重に補償され、仕事をしないほうがしていたときより収入増になった。
金のことだけを考えれば、彼らは賭けに負けたとは言えない。「想定外」の金を得て、戸惑いながらも都会生活の中で虚しく使っているように見える。

福島県人同士が憎しみ合う構図

今、福島市、郡山市、いわき市などの都市部では、市民が原発立地や周辺自治体(「30km圏利権」が生じたエリア)から来ている人たちへの憎悪が激化している。県外の人たちもようやくそのことに気づき始めたようだ。
都市部の市民は、放射能汚染された自宅を捨ててどこかに行きたくても補償されない。仕方なく、ものすごいストレスを抱えたまま、今日も黙々と、普通に生活している。
タクシーの運転手は客が増えた。「避難」してきている人たちが毎晩飲み屋で遊ぶから。飲み屋に呼ばれて客を乗せ、行き先を訊くと「○○の仮設住宅へ」とか、借り上げしているアパートの場所を告げられる。

3.11前、毎日うちに宅急便を届けてくれていた村の人は、郡山の借り上げ住宅に一家で避難したまま戻って来ない。代わりに、富岡やいわきで、津波で家を流された人が毎日山を越えて届けてくれていた。
事故後ひと月で再開した川内郵便局の局員には、津波で家を流されたいわき市の人もいた。
彼らは自分たちの仕事の公益性を十分に承知していて、仕事をすることが当然と思い、誇りも持っていた。
彼らのおかげで物流を確保できた村の人たちはどうしていたか……。
仕事に復帰すれば就労不能損害補償がなくなるからと、避難したまま遠巻きに村の様子を見ているだけだった。
働けば働いた分だけ補償が減らされるのだから、厳しい仕事に戻ろうなどと思うはずがない。なんとか理由をつけて「失業中」を維持しようとするだろう。そのことを非難できる人がいるだろうか。後は「恥」とか「尊厳」の問題になってくる。

郡山やいわきのパチンコ屋、飲み屋は連日繁盛している。
パチンコ屋の駐車場には、日が経つにつれ、ピカピカの新車が目立つようになった。補償金や義援金で潤った人たちが車を買い換えたからだ。

前双葉町長・岩本忠夫氏(昨年、避難先の福島市で死去)が、双葉地方原発反対同盟委員長を務めていた1972年に造られた「原発落首」(「落首」=世相を風刺した狂歌の類)を再掲したい。


 このごろ双葉に流行るもの、飲み屋、下宿屋、弁当屋。
 のぞき、暴行、傷害事件。汚染、被曝、ニセ発表。
 飲み屋で札びら切る男、魚の出どころ聞く女。
 起きたる事故は数あれど、安全、安全、鳴くおうむ。
 なりふりかまわずバラまくものは、粗品、広報、放射能。
 運ぶあてなき廃棄物、山積みされたる恐ろしや。
 住民締め出す公聴会、非民主、非自主、非公開。
 主の消えたる田や畑、減りたる出稼ぎ、増えたる被曝。
 避難計画作れども、行く意志のなき非避難訓練。
 不安を増したる住民に、心配するなとは恐ろしや。



原発運命共同体は賭けに負けたのだろうか? 勝ったのだろうか?
麻薬中毒は立ち直ることが難しい。
人間、みな弱い。金を目の前にぶら下げられて拒否できる人は少ない。
しかも、家と土地を見えない汚物で汚され、仕事も失っている身となれば、「こんな金はいらん。俺は仕事をする!」と宣言する意志力を持てる人は極めて少ないだろう。

「ありがとうございました。またどうぞ」
今夜も福島のどこかで、飲み屋のマスターやタクシーの運転手が、原発30km圏からの「避難者」たちにこう挨拶している。
心の中では、その客への憎しみをまたひとつ増大させて。

福島で今起きている本当のことを、日本中の人に知ってほしい。
この国は、こういう手口で我々を手懐けてきたのだということを。
そして、その手口に使われた金は、我々が仕事をして、なけなしの稼ぎから納めた税金であり、せっせと節電に協力しながらも支払わなければならない電気料金から出ているのだということを。
放射能より怖いもの……それは「フクシマ」のような惨劇を経験しながらも何の反省もなく、こうした「手口」を今もってこの国は使い続けていること。そして、国民がそれを許し続けているということだ。

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