「運命共同体」という賭けに破れた人たち2012/02/02 11:56

「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です。 地域開発は、まさにこの偉大な自然の中で、これを活用し、人間の生命と生活が保護されるという状態で進められることが大切です。
 しかし、今まで現実に進められてきた開発行政は、一般住民の生活基盤の整備が放置されたままに、大企業の立地条件がすべてバラ色に装飾された図式のもとで、至るところ、企業の誘致合戦が展開されてきました。
 人間が生きていくことに望ましい環境を作り、それを保持することが、今日最大の必須条件ですが、現実にはこれが尊重されず、企業本位の開発進行がなされてきたために、人間の命が軽視され、公害が発生しました」

↑これは1971年に初めて県会議員に当選した岩本忠夫氏が、最初の県議会の質問に立ち、原発問題について切りだした冒頭の言葉だ。彼は「双葉地方原発反対同盟」の委員長でもあった。


「(東京電力と)長いつきあいをしてきたと言うことで、原子力発電所それ自体についても、その中で自分も生きてきたと思っているのです。ですから、単に原子力発電所との共生をしてきた、共生していくということだけではなくて、運命共同体という姿になっていると実は思っています。
 いかなるときにも、原子力には期待もし、そこに『大きな賭け』をしている。『間違ってはならない賭け』をこれからも続けていきたい
 私はどのようなことがあっても、原子力発電の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています」

↑これは双葉町の前町長・岩本忠夫氏が、2003年、社団法人原子燃料政策研究会の会報『プルトニウム』42号でのインタビューに答えたときの言葉。
 ……同じ人物である。
 原発推進に転向した岩本氏は、5期20年にわたって双葉町の町長であり続けた。
 当時の福島県知事佐藤栄佐久氏は、2001年頃から徐々に原発推進政策に疑問を抱き、見直しを打ち出していた。
 そんな中、2002年8月には、東京電力が原発の保守点検などに関するデータを改竄していたことが発覚。
 きっかけは2000年7月に、福島第一原発の設計をしたアメリカのゼネラル・エレクトリック社系列の技術者が、通産省(現経済産業省)に告発文を実名で送ったこと。しかし、国はこれを2年間も見て見ぬ振りをして、真相解明の努力をしなかった。他にも、原発内部で働く人たちからの内部告発を、保安院は告発者の名前までつけて東電にそのまま伝えた上で、自分たちは独自調査さえしなかった。
 佐藤栄佐久県知事(当時)の国と東電への不信感はピークに達し、福島第一原発のプルサーマル計画は白紙撤回に追い込み、2003年4月には、東京電力の原発すべてが停止するという事態になった。
 上に紹介した岩本町長へのインタビューが行われたのは、まさにこの直後、2003年夏のことだ。
 こうした事態になっても、岩本町長は町長として原発誘致に町の命運をかけることに疑いを抱いていないと言いきっている。実際、双葉町は福島第一原発に7号機、8号機を増設してくれと要望し続けていた。
 それを指して、佐藤栄佐久前県知事は「原発は麻薬のようなもの。一度手を出したら抜けられず、もっともっとと欲しがる中毒患者になる」と言っている。

 元反原発運動のリーダーが、「地元の民意なら」と、考えを変えて、「運命共同体」として間違ってはならない賭けをした。
 その結果、町長と町民は「賭け」に負けたのだ。原発は、地元双葉町だけでなく、日本の「山と水と森」を徹底的に汚染した。
 かつて岩本氏が「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です」と訴えた、その自然を。

 このような「運命共同体」を元に戻してはいけない。解体させてやり直すしかない。
 つまり、「元通りの福島」に戻してはいけないのだ。
 しかし、「双葉郡」でそれを口にすることは、今まで以上のタブーになっている。「原発運命共同体」は、補償金獲得や除染ビジネス利権を通じて結びつきを強めている。原発に代わる麻薬を探している。そのことから目をそらして復興だの除染だのと報じるメディアは、国民に、問題の根源が何かを見誤らせている。
 
 岩本氏は、3.11直後に南相馬市の避難所に避難。その後は認知症が進み、3月末に福島市のアパートに移ってからは、「ここはどこだ」「家に帰っぺ」とうわごとのように繰り返すようになっていたという。
 原発が高濃度の放射性物質をまき散らした4か月後の2011年7月15日早朝、死去。