「日常家族保守主義」の落とし穴2015/09/28 11:19

小さな子供を持つ親のほうが、子供を持たない大人よりも未来のことをきちんと想像できていないのではないかと感じることが多々ある。
環境破壊、経済格差、核エネルギーの危険性と非合理、閉鎖的な村社会に埋没することによる八方ふさがりの人生……。
そうした大きな負の要因・原因を直視せず、とりあえず親である自分が明日のご飯代、教育費もろもろの生活費を稼ぐこと、地域社会の中で「浮かない」こと、村八分にされないこと、といった日常の「空気感」を優先してしまう。
その結果、無意識のうちに深刻な問題の根源をうやむやにさせ、子供世代が将来その問題に対処することをさらに困難にさせる。
それって、結局は子供の未来より自分の余生のほうが大事、自分が今苦しまないほうを選ぶ、ってことになってしまうのだけれど、目先の安心感を選ぶ本人は「子供のため、家族のためにそうしている」と信じて行動している(「行動しないこと」も含めて)。
そうした「日常家族保守主義」とでも呼べそうなものが、この国では多数派を形成している。

サイレント・マジョリティ、ノイジー・マイノリティと言う言葉は最近あまり聞かなくなったが、おそらく「家族のために」と思って口を閉ざし、空気を読み続ける人たちがサイレント・マジョリティを形成していて、これは大昔から変わらない。これから先も変わらないだろう。
一方、ノイジー・マイノリティのほうは、頭だけで考えて人間社会の細部を観察できない、自分の理想社会に不都合な真実を見極めず一方的に「これが正しい」と主張しがちという傾向を持っている。
マイノリティである上に、「突っ込まれどころ」を抱えてしまうと、サイレントマジョリティからは、「ああ、あの手の連中ね」「あんまり関わらないほうがいいな」と思われてしまい、いつまで経っても両者の間に有益な会話や議論、すり合わせが生まれない。

その構造を熟知している頭のいい悪党たちにとっては、こうした人間社会は、簡単に多数を騙し、搾取し続けることができる楽園となる。





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