日本の原発は関空よりも孤立しやすい立地2018/09/08 19:23

美浜原発は海岸沿いの細い道と海を渡る橋の先にある

美浜原発は海を渡る橋の先


関西国際空港↑  ↓美浜原発

颱風チェービーが関西方面に与えた被害は凄まじかった。関空では滑走路が1つ海水に冠水して使えなくなっただけでなく、唯一と言ってもいいアクセスルートである橋にタンカーが衝突して壊れ、3000人以上が孤立した。
橋を渡らないと行けない場所に巨大空港というのはどうなのかと改めて思った人は多いと思うが、これを見てすぐに思い出したのは関西電力管内の原発だ。
橋を渡らないとたどり着けないとか、トンネルがいくつもある一本道しかアクセスルートがないという立地ばかりなのだ。
上に示したのは関西電力美浜原発の立地(Googleマップより)。

この美浜原発をかつて見学に行った人は、社員とのこんなやりとりを覚えているという。
社「非常用電源はこれだけたくさん準備しております」
見「で、非常用電源の燃料は何日分置いてあるんですか?」
社(書類を散々調べて)「1日分です」
見「2日目からどうするのですか?」
社「…………」
見「原発へは崖沿いの道とトンネル、細い橋でつながっていますが、船舶はお持ちですか?」
社「当社は1隻も持っていません」
見「非常時はどうするのですか?」
社「チャーターします」
見「非常時にチャーターできる船が近くにあるんでしょうか?」
社「…………」



大飯原発の立地↑ 



高浜原発の立地↑ 
こんな危なっかしい立地である日本の原発。福島第一・第二原発は例外的に比較的交通の便がいい場所に建っていたが、それでも外からの物資搬入さえままならなかった。バッテリーを運び込むことさえできず、最後は駐車場に停まっていた職員らの自家用車からバッテリーをかき集めて計測機器を動かそうとするという落語のような事態になっていた。
海岸沿いの崖っぷち道路、トンネル、海を渡る橋などを通らなければたどり着けない場所にある原発で事故が起きたとき、どう手当てするのか。お手上げ状態になることは目に見えている。
今の日本は、こういうお粗末な国なのだということを自覚した上で、我々庶民は、最大限の「危機管理」意識を持たないといけない、ってことなのだ。

北海道の地震が冬に起きていたら?

で、チェービーが去ったと思ったら、今度は北海道で最大震度7の地震が発生。北海道内の電力のおよそ半分を発電している苫東厚真火力発電所(厚真町)が大ダメージを受けて発電不能になり、一時は北海道内すべてが停電したという。これが冬だったら、一体何人が凍死していたことか。

北海道で震度7が観察されたのは記録が残っている限り初めてだというが、もはや日本列島は今まで数十年とは違う時間に突入している。地球全体が地殻変動期に入り、異常気象も日常的に起きるようになったと認識すべきだろう。その認識がきちんとできない人たちにこれ以上政治や企業経営を任せていると、本当にとんでもないことになる。

停電すれば原発も風力発電も止まる

北海道電力泊発電所も外部からの電源供給ができなくなり、非常用電源(ディーゼル発電機6台)に切り替わった。泊村の震度はわずか2だったが、北海道全体の送電系統がバランスを失い、一斉停電したからだ。
幸い、その後、砂川火力発電所3号機が再稼働したため、札幌の中心部や旭川の一部で電気が復旧し始めると同時に、水力発電所からの送電も使えることが分かり、泊原発にも電気が供給されるようになって事なきを得た。
泊原発の非常用電源の燃料は何日分あったのだろうか。一部報道では1週間分だというのだが、そんな程度でいいのだろうか。
「泊原発には3系統から外部電源が供給されていますが、北電の中で3つの変電所を分けていただけと思われる。北電全体がダウンしてしまえばバックアップにならないことがわかった。今回の地震で、揺れが小さくても外部電源の喪失が起きることを実証してしまった。『お粗末』と言うしかありません」
(岡村真・高知大名誉教授 地震地質学) 震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」地震学者 Aera.com


で、この期に及んで「原発を止めているから北海道内で大規模停電が起きたのだ」などととんでもない無知を晒している人たちがいる。
止まっているから大ごとにならなかったのであって、稼働中の原発で外部電源喪失が起きたら、現場での緊張は比較にならないほど高まった。
また、原発反対派の人たちの中にも「だから風力や太陽光を増やすべきだ」と、これまた無知をさらけ出す人たちがいる。
風力発電は風だけで発電しているわけではない。外部電源が途絶えれば方向制御などができなくなり、風力発電そのものを止めるしかなくなる。実際、3.11のときには停電とともに風力発電所の風車はすべて止まり、長期間動かせなかった。
送電網の受給バランスを取るのは電力会社にとってもハイレベルな技術を要することで、不安定な風力や太陽光だけで送電を維持することはできない。火力や水力など、人為的に完全コントロールできる発電リソースが必須なのだ。
こうした基本的な知識もないままにいい加減なことを言う政治家や評論家の罪は深い。

「石油文明はなぜ終わるか」を読む2018/08/11 11:37

「石油文明はなぜ終わるか」
先日知った「もったいない学会」のサイトにあったコラムや論文をいくつか拾い読みしていて、田村八洲夫という人が書いているものに特に興味を引かれ、感心もしたので、著書「石油文明はなぜ終わるか 低エネルギー社会への構造転換」をAmazonで注文した。
「状態=きれい」という古書を買ったのだが、届いた本はほとんどのページに鉛筆で書き込みがあって、付箋紙まで貼ってあった。どこが「きれい」なんだよとムッとしたが、まあ、これも「もったいない精神」のリユースだから我慢我慢と言いきかせながら読んでいる。
前半部分はエントロピーとエネルギーの基本的な話が中心なので読み飛ばす。類書がうちにはごまんとある。
興味深かったのは主に後半部分だ。
著者の田村八洲夫氏は、京都大学理学部地球物理学科~同大学大学院博士課程修了後、1973年に石油資源開発㈱入社~同社取締役、九州地熱㈱取締役社長、日本大陸棚調査㈱専務取締役、現在は川崎地質㈱技術本部顧問……という経歴で、地質学や資源物理学のプロ中のプロ。
それだけに、地下資源が今後どうなっていくかの予測や、現在いろいろいわれている新エネルギーに将来性はあるのかという話には説得力がある。

石油生産量ピークは2005年に終わっていて、現在はすでに減衰期

僕は当初「石油文明はなぜ終わるか」というタイトルに若干の違和感を抱いていた。石油は有限な資源なんだから、いつかは枯渇するのはあたりまえのことで、「なぜ」もなにもないだろうと思ったからだ。
しかし、この本の後半部分を読んで、自分も含めて、結局は「石油はいつかはなくなるけれど、自分が死んだ後の話だから、知ったこっちゃない」と思っている人がほとんどなんだろうなあと、改めて思い知らされた。
第6章「石油の代替エネルギー探し」の冒頭に、国際エネルギー機関(IEA)が2012年に発表した石油生産予測と、その予測がいかに甘いかを指摘したアントニオ・チェリエル(理論物理学)が提唱する「オイルクラッシュ」予測モデルを比較して、こうまとめている。
  • どちらの予測も、石油生産のピークは2005年に終わっていると認めている
  • IEAモデルでは、2005年の石油ピーク後に、開発油田、新発見油田からの生産量が年々増え続けることになっているが、そんなことは石油鉱業現場に携わったプロとしては到底考えられない。現実に、1980年代には世界の石油発見量と消費量の関係は逆転している
  • チェリエルのオイルクラッシュモデルでは、生産予測のプラトー(停滞期、生産量が変わらずに続く状態)は2015年くらいまでで、その後は衰退する一方
  • IEAモデルでは、従来型石油生産が減って石油消費は増える状態を、非在来型石油(シェールオイル、オイルサンドなど)やNGL(天然ガスから分離されるガソリン)で補うことになっているが、これらはエネルギー収支比(EPR)が低く、トータルで利用できる熱量が少ないので、従来型石油の減少分を補えない

85ページにその2つのモデルをグラフにしたもの(下図)が出ている↓

IEAによる石油生産予測とオイルクラッシュ生産予測モデルの比較 (『石油文明はなぜ終わるか』85ページより)


↑しかしこの図をよく見ると、左側の生産量ゲージの目盛りが一致していない。そこで同じ比率の目盛りにして、見やすいようにサクッと色もつけてみたのが↓これ

上図を生産量ゲージを同じ目盛りにして比較


注目すべきは、IEAも2015年以降、既存油田生産量(従来型石油生産量)が急激に減ることは認めていることだ。その上で、IEAは「新しい油田が見つかり、採掘技術も上がるし、オイルシェールなどもあるから大丈夫」といっている。
しかし、そんな予測は馬鹿げていて、全然「大丈夫じゃない」と、長年、地下資源採掘現場を見てきたプロが警告しているのだ。

エントロピーとEPR(エネルギー収支比)

エントロピーの低い在来型石油/ガスは、少ないエネルギーで生産できます。抗井掘削すれば自噴する勢いです。
一方、エントロピーの高いシェールオイル/ガスを生産するには、タコ足状に水平抗井掘削し、水圧粉砕で導通路を作り、薬物投入して石油/ガスの流動をよくして、すなわち大量のエネルギーを使って地下水汚染を起こして、環境の修復にエネルギーを追加使用しなければなりません。そのため、EPRが非常に悪くなります
(同書88ページより)

本書にはエントロピーEPRという言葉が何度も出てくる。エントロピーについてはすでにしつこいくらい書いてきたが、この言葉を聞いたり見たりするだけでアレルギー反応を起こす人がいるくらいで、なかなか理解してもらえない。
EPRも多くの人にとって耳慣れない、というか理解しようとさえ思えない言葉ではないだろうか。
そもそも違う意味での同じ言葉がこんなにあるのだ。

Wikiの「曖昧さ回避」ページに出てくる「EPR」

というわけで、まずはここでいうEPR(energy profit ratio または energy payback ratio)エネルギー収支比とは何かについて、簡単に確認しておこう。

エネルギーはどんなに巨大であっても、それを人間が生活に利用できなければ意味がない。
昨今さかんにいわれている未来像のひとつに「水素エネルギー社会」というのがあるが、水素は石油のように最初から固まって存在しているわけではなく、水を電気分解して得る。水を「電気」分解する際には当然電気エネルギーを使う。その電力をどこから得るのかが問題で、石油や石炭などの地下資源を燃やして得られる電力を使ったら意味がない。その電力をそのまま使ったほうがいいに決まっている。
要するに、「人間が利用できる形のエネルギー」を得るために投入するエネルギーというものが必ずある。得られるエネルギーより投入するエネルギーのほうが大きすぎれば意味がない。
その投入するエネルギーと得られるエネルギーの比率(「生産エネルギー ÷ 投資エネルギー」)がEPR(エネルギー収支比)だ。
当然、この比率が高いほど使いやすく有益なエネルギーということになる。
現代石油文明を支える一次エネルギーのEPRは10が限界で、それ以下になると文明を維持することはできない(使いものにならない)といわれている。
石油1を投入して作った掘削井で石油100を得られる油田なら、EPRは100÷1でほぼ100になる。一方、石油100に相当するオイルシェールを得るために石油を50使い、得られたオイルシェールを石油並みに精製するのにさらに50の石油を使ったとしたら、最後に得られたエネルギーが石油100に相当するとしても、それを得る段階ですでに石油100を使い果たしているわけで、EPRはほぼ1となり、石油文明を支えることはできない。
IEAが非従来型石油に期待しすぎているという批判は当然だろう。EPAを無視しているからだ。オイルシェールやオイルサンドに潜在的なエネルギーが秘められているとしても、それを利用するまでの過程で良質のエネルギーを大量に使ってしまったのでは、なんのために採掘しているのか分からない。

本書67ページに、インター・ディーラー・ブローカー Tulett Prebon Groupの報告書「Perfect Storm」(2013)のデータに地熱発電などのデータも加えた各一次エネルギーのEPR一覧が出ている↓
各エネルギーのEPR一覧
現代石油文明を維持するのに必要なエネルギーの質「EPR10以上」を---の境界線で示した


最近発見された石油のEPRが8と著しく低いのは、ほとんどが水深2000m以上の大水深海域での発見なので、採掘・精製までの投入エネルギーが高いからだ。
EPRはコストに直結する。太陽光発電のコストが高いのはEPRが低いからで、補助金・助成金をつけなければ他のエネルギーと競争できない。


もう一つ重要なのはエントロピーで、これは「乱雑さの度合」とか「汚れ」などと説明される。
太陽電池の原材料として一般的なシリコン(ケイ素)は、世界中に大量に散らばっているが、一か所にかたまって存在しているわけではないので、集めて精製して……という工程で大量のエネルギーを使う。これを「エントロピーが高い」状態という。
一方、掘削しただけで自噴してくるような油田は、エネルギーをかけずとも高いエネルギーを得られる物質が存在しているわけで、これを「エントロピーが低い」状態という。
物質やエネルギーは、利用すれば必ずエントロピーが増える(熱力学第二法則=エントロピー増大の法則)。石油を燃やして電力を得たりエンジンを動かしたりすれば、後には排ガスや熱などが残るが、それらは利用価値が下がる(エントロピーが増える)。
活動の結果出た廃物を再利用(リサイクル)するというのは、高エントロピーのものを低エントロピーにするわけで、その過程でさらに新たなエネルギーや資源が必要となる。
最終的には増えたエントロピーは地球の生物循環、水循環、大気の循環などに乗せて宇宙空間に熱として捨てるしかない。それを可能にする環境を失うと、地球上はエントロピーだらけとなり、あらゆる生命活動、生産活動は不可能になる(エントロピー環境論)。
だから、エネルギー資源のEPRを考える場合、投入エネルギーには、利用後に出た廃物を処理するためのエネルギーや環境を破壊しないための措置に必要なエネルギーも考慮しなければいけない。
上の一覧で原子力のEPRが5と評価されているが、放射性廃物の処分が不可能であり、その管理に半永久的に良質のエネルギーを投入し続けなければならないことを考慮に入れれば、5も怪しいし、そもそもエネルギーとして考えてはいけない。


さらには、シェールオイル/ガスの生産は、従来型油田のようなプラトー(同規模の生産量が持続する期間)がなく、米国最大のシェールフィールドの例で、1年目で69%、2年目で39%、3年目で26%にまで減衰しているという。そのため、通常は15年といわれるシェールオイル/ガスの設備償却期間を待たずに生産できなくなることもある、と。
そういうものに対して今後も生産量が増え続けるという予測はあまりに楽観的すぎる、というわけだ。
ちなみに上図で地熱はEPRが低く出ているが、一度設備投資すると、上図の左側に並ぶ地下資源のように枯渇の心配がほぼなく、永続的にエネルギーが得られる(プラトーが極めて長い)という長所がある。地産地消エネルギーとして有望だと考えられる所以だ。

とにかく、僕も含めて、漠然と「自分が生きているうちは大丈夫だろう」と思っている人たちは、石油がもう減産時期に入ったことだけは間違いないと認識しておかないといけない。若い世代、そしてこれから生まれてくる世代の人間は、確実に「石油が足りなくなる時代」を生きることになる。それを踏まえた上で、いい加減な楽観論を語る覚悟があるのか、ということだ。

石油文明の後の文明とは

では、石油がなくなっていくこれからの時代の文明はどんな形になるのか? 田村氏は様々なデータを踏まえながら、ザックリと以下のように論考していく。
  • 人類社会は、約1万年前に農業革命で森林エネルギーを使うことを覚え、約300年前の産業革命で化石燃料地下資源を利用することを覚えた。
  • 化石燃料の利用により食糧の増産が可能となり、人口が急増した。
  • 石油ピークを過ぎて、これからは化石燃料が減産していく時代になる。石油の次に天然ガスが、次いで2025年頃には石炭もピークに達する。
  • 石油ピーク後の各エネルギーのEPRは加速度的に低下し、使えるエネルギー(正味のエネルギー)が減少する。
  • 2055年には、石油と天然ガスの残存熱量が現在の森林が持つ熱量とほぼ同じくらいまで減る。石炭はまだ残っているが、石油が使えなくなると輸送コストなども上がるので、石炭のEPRが今のように高い水準を保てない。
  • 結果、18世紀半ばに起きた産業革命に始まる石油文明は、およそ300年で終焉を迎える。
  • 石油が使えなくなった時代の人口は、現在のおよそ3分の1くらいに減る
  • その後は森林エネルギーの利用に戻らざるを得ないが、石油文明時代に培った技術遺産があるので、自然エネルギーを利用した「科学的に進化した森林エネルギー」利用になっているはず。
  • そうした「進化した森林エネルギー」を利用するのに、雨量が多く森林面積も多い日本の風土は向いている。

持続可能な社会とは

こうした現実を受け入れ、石油がなくなった後も人類がそれなりに平穏で安全な社会を構築し、そこそこ幸福な暮らしが営めるためにはどうすればいいのか。
ここからは、田村氏の言葉をいくつか抜き出してみる。
  • 持続可能な社会とは、モノの循環型社会だけでなく、地球の生態系の多様性が健全で、将来の世代にも引き継がれていく社会。
  • 工業的な大規模農業は、安い石油に依存しすぎている点、生態系に悪影響を与えている点、水を大量に利用する点で、今後は持続できない。
  • 放射性廃棄物の処理を将来世代に押しつけたり、工業的な大規模太陽光発電を各地に建設することも、持続可能社会の理念とは相容れない。
  • 持続可能な社会では、自然から一方的に収奪したエネルギー、資源に依存するのではなく、自然が循環してくれるエネルギーが基盤エネルギーとなる。
  • 利欲のために自然を支配する論理ではなく、自然から学び、自然と共生する論理・心の持ち方に戻ることが決定的に重要。
  • 原発は、今廃炉を始めても、終了するときには化石燃料は減耗していてほとんど使えない。今止めなくていつ止めるのか。

これらはすべてまともな神経の識者たちから言い尽くされたことなのだが、どれだけ言葉を尽くして説明しても、なんとなく今の社会が永続的に続く、少なくとも自分が生きている間や自分の子どもの世代くらいまでは大丈夫だと思いこんでいる人がなんと多いことか。

田村氏は1943年生まれで今年75歳。僕は1955年生まれで今63歳。残りの人生の間に、石油が足りなくなり、石油を奪い合う阿鼻叫喚の世界を見ないで死ねるかもしれない。
でも、今、20代、30代の人たちはそうはいかないだろう。ましてや10代は相当厳しい世の中を生きなければならない。
その若い世代が、デタラメな政治を容認し、それどころか応援している人も少なくないことがやりきれない。

日本が何か特別な国であるかのように思い込むことは危険な要素を妊んでいるが、自分が生まれたこの日本列島という風土を愛する気持ちは自然なことだろう。
「愛国」を訴えるなら、「進化した森林エネルギーを利用するのに、雨量が多く森林面積も多い日本の風土は向いている」ということの意味をもっと真剣に考えるべきだ。
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30代のときに書いたこの小説を思い出した。Kindle版。書名を検索したら、まっ先にこんなブログがヒットして驚いた

異常気象よりも異常なことが起きている2018/07/17 21:06

7月8日未明、ワールドカップサッカー中継の画面

なぜメディアは気を緩めていたのか

西日本豪雨被害の凄まじさが、当初、首都圏をはじめ、東日本の人びとにはなかなか伝わらなかった。その一因は、テレビの報道があまりにもおざなりだったからだ。
深刻な被害情報が入ってきた7日から8日にかけて、NHKはサッカーワールドカップの中継画面にL字枠で「○人死亡○人安否不明」のテロップを出しっぱなし。その後も特番にはならず、『日曜討論 貿易摩擦・外国人材受け入れ』なんてやっていた。それ「今じゃないでしょ」。
民放も平然と長時間音楽特番を続けていたり、グルメ番組だのアニメだのを流していた。
テレビの報道が(被災地の地方局を含め)緊張感がなく、内容も薄かったのは、政府が本気で動かなかったから、ということも大きいだろう。
緊急災害対策本部が設置されていない段階で災害情報特番を組むことはないというのがテレビ業界の常識なのだろうか。
気象庁が異例の緊急記者会見を開いて警告を発した7月5日から政府が緊急災害対策本部を設置した7月8日までの4日間を時系列で振り返ってみよう。

7月5日
  • 北海道南西部を中心に早朝から大雨被害が続々発生。八雲町の道央自動車道で50mに渡って土砂崩れ。奥尻町でも土砂崩れが派生し80戸停電。岩内町で355世帯660人に避難勧告。
  • 西日本各地で大雨。9.30頃、兵庫県猪名川町で男性作業員3人が排水管に流され1人死亡。神戸市で約10万人に避難勧告。大阪府茨木市、神戸市などでも避難指示。午後の時点で、避難指示・勧告が出されたのは計3府県15市町の約20万人。
  • 神戸市灘区の神戸大で3階建て校舎の裏斜面で土砂崩れ。大学は避難勧告を受け、休校に。
  •  14.00 気象庁が緊急記者会見を開き、「8日にかけて東日本から西日本の広い範囲で記録的な大雨となる恐れがある。早めの避難を心がけてほしい」と発表
  •  15.30 内閣府が各省庁課長らを集て災害警戒会議を開く
  •  20.00 大阪、兵庫など3府県約20万人に避難勧告が出る
  •  そんな中、議員会館内で自民党議員約50人が「赤坂自民亭」なる酒宴を開き、20.30頃、安倍首相も参加。
  •  22.00頃 西村康稔官房副長官が酒宴の様子を写した写真をツイッターに投稿し、「和気あいあいの中、若手議員も気さくな写真を取り放題!まさに自由民主党」などとツイート。片山さつき議員も同様にツイッターに「今日は27回目の赤坂自民亭」「安倍総理初のご参加で大変な盛り上がり」などと写真入りで投稿
安倍首相の地元・山口の獺祭、大規模火災で被災しながら復活した新潟県糸魚川市の名酒・加賀の井、広島の酒・賀茂鶴などが振る舞われたが獺祭を飲めば「安倍支持」、賀茂鶴なら「岸田支持」など9月に迫った自民党総裁選を題材にしたジョークが飛び交った。ちなみに出席議員の大半は結局、獺祭と賀茂鶴の両方を飲む羽目になったという。
乾杯のあいさつは竹下亘総務会長が務め、「自民亭の女将」でもある上川陽子法相の発声で「万歳」をした。
「大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか」 プレジデントオンライン
7月6日
  •  未明 京都府亀岡市の大路次川で車が水没しているのが発見され、下流で女性が遺体で見つかる。
  •  広島県安芸高田市で、川に流されて行方不明となっていた男性が死亡
  •  北九州市門司区で住宅が土砂崩れに巻き込まれ2人行方不明
  •  7.00頃 オウム死刑囚7人の死刑執行が始まる。テレビでは「今、また死刑が執行されました」とリアルタイムでトップ報道し、死刑囚の顔写真に「執行」とマークを打っていくなどの扇情的な演出。豪雨情報は二の次にされる
  •  10.00 気象庁が数十年に1度の災害を意味する「大雨特別警報」の可能性を示唆
  •  17.10 長崎、福岡、佐賀の3県に大雨特別警報
  •  19.40 広島、岡山、鳥取に大雨特別警報
  •  22.50 京都、兵庫に大雨特別警報。1日で8府県に大雨特別警報が発表される異常事態に。この時点で、死者・行方不明者は少なくとも100人を超えると報道される
  •  23.35 岡山県総社市下原の金属加工会社「朝日アルミ産業」の工場が爆発し、延焼や爆風で広範囲の建物に被害。少なくとも住民ら十数人がけが。浸水で原料が反応した可能性
7月7日
  •  10.01~10.16 政府が首相官邸で関係閣僚会議を15分間開く。安倍首相「人命第一の方針の下、救助部隊を遅滞なく投入し、被災者の救命・救助に全力を尽くしてもらいたい」
  •  11.35 首相が官邸を出て、11.49東京・富ケ谷の私邸着。その後終日来客なく、私邸で過ごす
  •  12.50 岐阜県に大雨特別警報
7月8日
  •  早朝5.00時点で、広島県で約82万世帯、約184万人に避難指示・避難勧告。岡山、岐阜など18府県で約92万世帯、約201万人に避難指示の継続(消防庁)
  •  5.50 高知、愛媛に大雨特別警報。最終的に、11府県で大雨特別警報が発表された
  •  岡山県倉敷市真備町(約8900世帯)で、付近を流れる高梁川支流の決壊で約4500棟が冠水。真備町の面積の27%にあたる約1200ヘクタールが浸水。倉敷市真備支所や公民館、学校も水没。朝の時点で建物の屋上などに1000人以上が取り残されているとの情報。自衛隊や消防などがヘリコプターやボートなどで救出活動
  •  8.00 非常災害対策本部(本部長・小此木八郎防災担当相)を設置。安倍首相は9.02から20分間、同会議に出席
  •  9.48~10.42 安倍首相、ポンペオ米国務長官の表敬を受ける
  •  正午時点で少なくとも死者68人・不明52人(読売新聞)と報道
  •  13.00~13.23 安倍首相、韓国の康京和外相の表敬を受ける
  •  14.16 官邸を出て私邸へ帰宅。以後、来客なく私邸内で過ごす

5日夜の「赤坂自民亭」での浮かれた写真が出席者自らの手でツイッターに投稿されたことで後に大炎上したわけだが、あれだけならまだ「あの時点ではこれだけ深刻な被害は予想できなかった」という言い訳もあったかもしれない。しかし6日の時点ですでに死者・行方不明者が100人を超えていると報道されているのに、非常災害対策本部を設置するのが翌々日というのはどういうことだろうか。
被害が深刻化する中でオウム死刑囚の死刑執行を行い、それが「電波ジャック」のようになってテレビの災害情報報道が追いやられたのも解せない。
7月3日、7人の死刑執行にはんこを押して命令を下した上川法務大臣が、死刑執行前夜に酒盛りに参加して万歳の音頭を取っていたという神経も信じられない。

とにかく税金の使い方をなんとかしてくれ

「国」とはなんだろう。「国を守る」とはどういうことだろう。
政府は13日の閣議で、西日本を中心とする豪雨被害の緊急支援のため、予備費20億848万円の拠出を決定した。麻生太郎財務相は閣議後の記者会見で「被災者の生活に不可欠な水、食料、クーラー、仮設トイレといった物資を緊急調達する」と使途を説明した。
時事ドットコム 2018/07/13

……ため息……。
20億円とはどのくらいの金額なのか?
自衛隊の10式戦車は1台10億円。この戦車2台分が20億円。
安倍政権下での内閣官房機密費、用途不明(領収書なし)は56億円
もんじゅ維持費(廃炉が決まっても、冷やし続けなければ爆発)が年間200億円。今までにもんじゅに投じた額は約1兆2千億円。
楢葉町の沖合約20キロの海上に「東北復興の礎に」と建てた出力2000kwと5000kw、7000kwの3基の風車と変電所の建設費が585億円
経産省によると、この3基の風車の設備利用率は、2000kw風車が34%、5000kw風車(運用開始の2017年2月以降)が12%、7000kw風車が2%。もちろん目安に達していない。(洋上風力、発電不調 福島沖・浮体式、商用化に暗雲 朝日新聞デジタル 2018/07/11)
これはテスト段階で、商用利用には至っていない。つまり、585億円かけて、まだ何にも役に立っていない。このまま計画凍結となれば、巨額の金を使って海に巨大なゴミを置いただけということになる。
たとえ、30%程度の設備利用率が達成できたとしても、投資額を発電「実績」で回収できるとは思えない。維持費もかかるし、修繕するのも洋上なら簡単ではない。
すべてが順調にいったとして、5000kw級の巨大風車が風次第で発電したりしなかったりを繰り返すのだ。発電能力が大きければ大きいほど、発電しないとき(風が吹かない or 暴風で止めるとき)の調整は火力発電所が担わなければならないわけで、火力発電の燃費が悪くなる。
そしてこの不安定な博打発電のために、すべての国民は再エネ賦課金を電気料金に上乗せさせられている。

……とまあ、こんなことやあんなことに使われた金額と比べての20億円という金額を噛みしめてみたい。
さらにいえば、「被災者の生活に不可欠な水、食料、クーラー、仮設トイレといった物資を緊急調達する」というが、そんなものは常に準備できていなければならない。
⇒これをぜひ読んでおきたい。
  • イタリアの避難所に被災後真っ先に届く1つめはトイレ。それも日本でよく見る昔の公衆電話ボックスのような狭いものではなく、車椅子対応のものもある広いユニット。
  • 2つめは巨大なキッチンカー。1台で1時間に1000食提供できる能力を持つキッチンカーで温かな食事を提供。
  • 3つめはベッド。最初は簡易ベッドが、1週間後くらいにはマットレスのある普通のベッドが届く。
  • これらの物資はコンテナに収納されて常に待機しているので、災害が発生したらすぐに運べる。コンテナなので屋外にそのまま置けるから、体育館などの施設が物資で埋まって混乱することもない。
イタリアの避難所に被災後真っ先に届く3つのものとは DIAMOND online リスク対策.com

普通に考えればあたりまえのことなのに、何度も大災害に見舞われながら日本はなぜこうした「あたりまえの対策」「合理的な行動」ができないのか。
日銀が買い支え続けて維持している株価も、もうすぐ出口を失い、破綻する。そうなると、もうどうにもならない「弱り目に祟り目」状態になる。そうなってから現政権が崩壊しても、その後始末は誰にもできない。
経済破綻、国土荒廃、人心混乱の中、日本は世界に向かって「助けてください」と泣きつく弱小国になり果てるだろう。 「赤坂自民亭」を非難するだけでなく、いつまで経っても学ばない、まともな税金の使い方をしない政治に一刻も早くNOを突きつけない限り、この国は思っているよりずっと早く崩壊する。

「デブリを取り出して廃炉」という幻想2018/03/12 12:11

2018/03/10『報道ステーション』(テレビ朝日)より

言えない立場の増田尚宏氏と言える立場の田中俊一氏



↑2018年3月10日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日)の特集コーナーより(以下同)

今日、3月12日は1F1号機が水素爆発を起こした「原発爆発記念日」である。
その映像をテレビで見てすぐに、僕たちは川内村の家から逃げ出し、川崎市の仕事場に避難した。あの日からちょうど7年が経った。
今ではメディアも特集などを組むことは少なくなり、今年は森友文書書き換え問題などに食われている(あれもまた国家の根幹を揺るがすとんでもない事件だが)。

一昨日の『報道ステーション』で、1Fの廃炉がいかに困難かという問題を特集していた。
久しぶりに見る増田尚宏氏の苦渋に満ちた顔。この人がこの日記に登場するのは何回目だろうか。まずは2015年の⇒この日記を読んでいただきたい。
2015年3月、NHKの海外向け放送にてインタビューに答える増田尚宏氏
2015年、このインタビューで増田氏はこう語っている。
溶融燃料についてはわからない。形状や強度は不明。
30メータ上方から遠隔操作で取り除く必要があるが、そういった種類の技術は持っておらず、存在しない

(政府は廃炉作業を2020年に始める意向だとしているが)それはとてつもないチャレンジと言える。正直に言って、私はそれが可能だとは言えない。でも不可能だとも言いたくない。

どのくらいの被ばく線量なら許容されるのか? 周辺住民ににはどんな情報が必要なのか? どうすればよいか教えてくれる教科書はない。
私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない

国内で放送されないと知っていたからか、かなり正直に胸の内を吐露している。
それが、3年経った現在では、こう答えている。


使用済み燃料を取り除くことは責任を持ってやらなくてはならないやればできるものだと思っている

この言葉の間にはいくつかの言い訳や説明が挟まれていたが、要するに「できる」「やらなければならない」と言いきっている。
3年前には「溶融燃料(デブリ)についてはわからない。形状や強度は不明」と言っていたが、今ではデブリの状態が想像以上にひどい状況だということが分かってきている。
優秀な専門家である彼には、デブリの取り出しなどとうていできないと分かっている。しかし、組織人として「取り出さなければならない」「やればできると信じている」などと答えなければならない立場に置かれていることの苦しさが、最後には悲鳴にも聞こえるような大きな声での叫びとなって絞り出されたように見えた。

増田氏は東電にとって、いや、日本の原子力業界にとってかけがえのない人材だ。彼のスーパーマン的な活躍がなければ、1F同様、2Fも爆発していただろう。7年前、彼が2Fの所長だったことは本当に幸運だった。
が、その彼も、この数年で顔つきがだいぶ変わったように感じる。どれだけ辛い人生を歩んでいることか、察するに余りある。

デブリは取りだしてはいけない

一方で、その直後に登場した田中俊一・原子力規制委員会前(初代)委員長は、相変わらずのシニカルな表情でこう言ってのけた。









廃炉現場の最高責任者に任命され、今も現場を指揮している増田氏と、規制委員長を辞めた田中氏の立場の違いがはっきり見て取れる。
人間としては増田氏のほうを信頼したいが、この点に関しては、田中氏の言うことが正しい。
「そういうことを言うこと自体が国民に変な希望を与える」という発言のときは、「幻想」と言いかけたのを、少し考えてから「変な希望」と言い換えていた。

圧力容器を突き破って底まで全量溶け落ちたデブリを遠隔操作で取り出すなどという技術は存在しない
そもそも、取り出せたとしても、置き場所がないのだ。きちんと形のある使用済み核燃料でさえ保管場所がないのに、不定形になったデブリをどこでどうやって保管するというのか。これ以上、デブリの取り出しにこだわるのは、莫大な金をかけてリスクを拡大するだけの愚行だ。
つまり、デブリは取り出せないし、今は取り出そうとしてはいけない
では、どうすれば今よりひどい状態にならないで長期間、ある程度の安全を得られるかを、合理的に考えなければいけない。そんなことは、誰が考えたって自明の理だ。

できないことを「そのうちできるだろう」「なんとかなるんじゃないか」といって無理矢理金を投入して始めてしまい、取り返しのつかないことに追い込まれるのは原子力発電事業そのものの構図だ。出てくる核廃物の処理や保管技術がないままに原子力発電所を作り、今なお、この根本的な解決方法は存在しない。日本国内だけでも、行き場のない使用済み核燃料が発電所内にごっそり置かれたままだ。
技術が存在しないどころか、エントロピー増大則に従うしかない物理世界(我々が生きているこの地球上)では、核廃物の根本的な処分方法は今後も見つからないだろう。
できないことをしてはいけない──このあたりまえのことを無視するとどんな結果になるか、すでに手痛く体験したことなのに、なぜこの期に及んでまで、謙虚になれない、合理的に判断できないのだろう。

3年前の増田氏の言葉と今の増田氏の言葉を比較すると、絶望的な状況はますますはっきりしてきたのに、逆に正直に答えることはできなくなったという悲しい現実が見える。
増田氏の「組織人」としての苦悩は痛いほど分かるが、とにもかくにも、彼の上で命令を下す人たちがきちんとした判断を下さず逃げてばかりいる限り、増田氏の高い能力も、今後変な方向に向かいかねない。
それこそ、3年前の彼が漏らした「私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない」という言葉の重みが、ますます深刻なものになっているのだ。
その闇の深さ、問題の大きさを、現場の人たちだけに押しつけず、我々一般人も、少しは共有すべきではないか。
次の選挙のときには、このことをぜひ思い出してほしい。
どうしようもない破局が訪れる前に、どうせ自分は死んでしまうだろう、という「食い逃げ」の人生でいいのか、と自問自答してみようではないか。


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大化の「改新」と明治「維新」のトリック2018/02/16 01:49

最近読んだ3冊

「聖徳太子はいなかった」説

聖徳太子という人物はいなかった、という学説が複数出てきて、もうすぐ日本史の教科書からこの名称が消えるだろうといわれている

まず、聖徳太子というのは後世でつけられた名で、当時の名前は「厩戸王(うまやとおう)」、より正確には「厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)」といい、574~622年に実在した人物とされている。用明天皇(518~587年)の皇子で、母は蘇我稲目(そがのいなめ)の孫にあたる穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。19歳で推古天皇(554~628年)の摂政となって政治にあたった……と、このことについては極端な異論はないようだ。
しかし、彼が「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」など、従来の歴史教科書に書かれていたことをすべてやったということに対しては、証拠となる資料がなく、大いに疑問視されるようになった。
聖徳太子というのは、いろんな偉業を成し遂げたから「聖徳太子」(聖なる徳を持つ偉大な皇子)なのであり、その実体(実在の人物)とされる厩戸王がそれらを成し遂げたのではない、とすれば、「聖徳太子」なるスーパーヒーローは存在しなかったといえる……という論法が出てきたのだ。

厩戸王の死後23年経った645年、中大兄皇子、中臣鎌足らが、宮中で蘇我入鹿を暗殺して、当時権勢を誇っていた蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼした。
僕らが小学生、中学生のときは、たしかこれを「大化の改新」として習った。
これを習ったときも、よくある政治クーデターなのに、なぜこれだけ「改新」と呼ぶのだろう、と疑問を抱いたのを覚えている。
倒される蘇我氏の側の人名が、稲目、馬子、蝦夷、入鹿……と、なんか悪者イメージになっていて、倒した側は中大兄皇子……って、なんか名前からして後世で書き換えられているんじゃないかとも思った。
今はこのクーデターのことは「乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)」と呼び、その翌年646年に出された「改新の詔」を皮切りに、それまでの豪族支配から天皇中心の律令国家成立の流れを「大化の改新」と呼んでいるらしい。(ただし、改新の詔の内容は日本書紀編纂のときに書き換えられ粉飾されている)

で、この「大化の改新」後、すんなり天皇中心の律令政治が始まったかというとそうはいかず、672年には天皇家内部で後継者争いによる内乱(壬申の乱)が起きる。
その後、720年に日本書紀が編纂され、そこで初めて聖徳太子なる人物像が登場する。
血で血を洗うようなドロドロした抗争が続いた後、ようやく安定しかけた政権にとって、天皇家による統治を正当なものであるという印象を与える必要があった。そのために、聖徳太子というスーパーマンを「創作」する必要があったのではないか……というのが、いくつかある「聖徳太子創作説」の中でも主流となっているようだ。

政権を握りたい勢力が対抗勢力や邪魔者、ときには先住民を殺して権力を握る──これは古今東西、常に繰り返されてきたことで、少しも珍しいことではない。武力やテロ、暗殺、密殺などの手段で権力の座についた者たちが、その行為を正当化するために歴史を都合よく書き、「正史」「国史」として定着させるのも同様だ。
日本史ではよく「○○の乱」「○○の変」という名称の戦争やテロが登場するが、これが○○「征伐」とか「平定」なんて名称になっているときは要注意だ。
悪いやつを鎮圧したのだ(征伐)、乱れていたのを沈静化させて平和にしたのだ(平定)、という印象操作だからだ。

大化の「改新」の時代は1400年近く前のことで、当時の権力者闘争の実相や庶民の暮らしぶりなどは正確には「分からない」というのが学術的には正直な態度だろう。
少なくとも「聖徳太子」という人物が数々の改革を行ったというような記述を日本史から外すことは正しい。

明治「維新」と大化の「改新」

大化の「改新」同様、明治「維新」という言葉にも、子供の頃からずっと違和感を抱いていた。
武力クーデターなのに、なぜ「乱」とか「戦争」といわずに「維新」というのだろう、と。
当然、その後の政権、権力者たちにとって、あれを「正しいものだった」「旧悪を一新するものだった」というイメージ戦略が必要だったのだろうな、ということは感じていたが、恥ずかしながら、この歳になるまで真剣に調べたり学んだりしてこなかった。
あまりにも生々しくて、知ることが楽しくないという理由もある。もっと楽しく、苦しまずに生きていたほうが楽だもの……。

遅ればせながら、ここにきて近現代史を少しずつ勉強し始めたのは、小説版『神の鑿』を書くための準備という意味合いが強い。
利平・寅吉・和平の年表を作成しているのだが、明治初期の作品記録がまったく空白なのだ。
明治に入る前、最後に分かっている作品は、慶應元(1865)年、沢井八幡神社に奉納された狛犬で、このとき利平61歳、寅吉は21歳だった。
利平が亡くなるのは明治21(1888)年8月1日で83歳。明治に入っても20年以上生きていて、その時期、弟子の寅吉は20代~40代だから、石工として存分に腕をふるえる時期だった。
寅吉の作と思われるものが登場するのは明治20(1887)年 関和神社(白河市)の狛犬(銘なし)で、このとき寅吉はすでに43歳になっている。
この間、利平と寅吉の師弟がほとんど作品を作っていないというのはどういうことなのか?
その答えの一つが廃仏毀釈だろう。
明治になってから世の中の空気がガラッと変わってしまった。江戸末期までは盛りあがっていた庶民の文化創造力が一気に押しつぶされていた……そう考えるしかない。
そこで、当時の空気を知るために、幕末から明治にかけての日本史を勉強し直しているという次第だ。

冒頭に写っている3冊はいずれも「明治維新」についての通説に疑問を呈し、今の日本近代史は「薩長史観」で歪曲されていると主張している本だ。
しかし、著者たちの立ち位置は少しずつ違う。
また、主観的な表現や断定論調が多くて、そのまま鵜呑みにするとまずいな、と感じる箇所がまま見うけられるのも共通している。
ただ、3人とも「テロ行為を美化してはいけない」ということを明言している。
維新の精神的支柱とまでいわれる吉田松陰が、事あるごとにどれほど暗殺を主張したか、それゆえに当の長州藩がいかにこの男に手を焼いたか、はたまたどういう対外侵略思想をもっていたか、もうそろそろ実像を知っておくべきであろう。(略)私はテロリズムは断固容認しない。テロを容認しないことが、当時も今も正義の一つであると信じている。
(『三流の維新 一流の江戸』 原田伊織、ダイヤモンド社、2016)

江戸時代を無批判に称揚するのは危険だろう。しかし、あの265年間が、高く評価すべき実績を残したということは、いかにしても否定できない。そのなかで最も重要なものは、平和であり、治安のよさであり、それらを支えた道徳である。
もし慶喜がロッシュの意見に動かされ、抗戦を開始していたら、(略)旧幕府軍の主力となったフランスと、新政府軍の主力となったイギリスが、日本を二つに分割していた可能性が高い。
(『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』 森田健司、洋泉社歴史新書y、2016)

卑劣な暗殺をも正当化するような「物語」がまかり通ってしまえば、日本をふたたび亡国に導かざるを得ないと、著者は真剣に危惧する。実際、「物語」の枠組みに従って、薩摩や長州のテロ行為をも正当化し続けてきたことが、昭和になって軍部や右翼によるテロリズムの横行を生んだのではなかったか。戦後においてもなお、(略)立憲主義もないがしろにするという、現在の政府与党の姿勢を許すことにつながっているのではないのか。
(『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』 関良基、作品社、2016)


奇しくも3冊とも2016年に刊行されている。この3冊だけでなく、ここ数年、「明治維新」という「薩長史観」を見直すべきだ、と主張する本がいろいろ出版されている。
今の日本が極めて危うい状況にあることを知っている人たちが、声を上げている。

明治「維新」の時代は、わずか150年前である。大化の「改新」の飛鳥時代とは違い、一次資料も豊富に残っている。
それなのに、明治政府による歴史改変粉飾イメージ戦略が今なお日本人の心を支配している。これは国としても極めて恥ずかしいことだ。

関氏は『赤松小三郎と~』の中で、こう述べている。
 日本には、太平洋戦争以前にも、世界を相手に戦争をして敗北したという経験を持つ人びとがいた。他でもない、維新政府の長州の元勲たちだ。長州は下関戦争で、英仏蘭米の四か国と戦い、散々に敗北した。外では覇権国に従属しつつ、内では専制的にふるまうというレジームは、1945年の太平洋戦争の敗戦によって生じたものではなく、1864年の下関戦争の敗戦によって発生したのである。それは「長州レジーム」と呼ぶべき、明治維新以来の特質なのだ。
(略)
 安倍首相は、「戦後レジーム」によって日本が汚されたと悲観する必要はないのである。GHQが行った「改革」など、明治維新がつくりあげた官尊民卑の官僚支配、覇権国の要求に従いながら、国内的には、万機公論に決しない上意下達の専制支配を行う長州レジームに、小手先の修正を加えたにすぎなかったからだ。それほどまでに、長州の元勲たちがつくりあげた官僚支配の長州レジームは強固だった。GHQですら、それを崩せなかったという事実について、安倍首相は誇るべきであろう。全く卑下する必要はないのである。
(『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』 関良基、作品社、2016)


ちなみに、太平洋戦争後もこの国は「国家的敗北」を経験している。それは原発爆発だ。国を挙げて押し進めてきた「安全神話」が完全に吹き飛ばされた。
しかし、その「敗戦処理」においても、政府は見事に「官尊民卑の官僚支配、万機公論に決しない上意下達の専制支配」を成功させている。
国民もまた、この大きな過ちを単なる「東北で起きた悲劇」として矮小化し、見て見ぬふりをしている。
このツケは間違いなく近い将来、取り返しのつかない負債として国民全体に襲いかかるだろう。


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