2年も経ってまだデタラメが続く「フクシマ」2013/03/20 14:15

新たな区域分け

「避難解除等区域復興再生計画」とは何なのか?

 3月19日、政府の原子力災害対策本部(本部長・安倍晋三首相)は「避難解除等区域復興再生計画」なるものを発表した。(全容は⇒こちら)
 道路や病院などの生活基盤、産業の復旧方針を示したもので、「住民や事業者が帰還を判断する材料としてもらう」(根本匠復興相)とのことだが、とりあえず1Fに近い住民や避難者たちの関心事は、これによって今までの「警戒区域」や「計画的避難区域」といった区域分けが変更されることにある。

 これについて、元東電社員の吉川彰浩さんはFacebookにこう書いている。

明日というか、もはや今日だけど
福島県双葉郡浪江町津島に行ってきます。
ここは現時点では宿泊はできませんが、立ち入りの制限はありません。
いつ行ってもいいし、いつ帰ってきてもいい。
検問所もないので、普通の格好で誰でも入れちゃう区域です。

なんで行ってくるかというと、4月より帰還困難区域とされる為、自由に出入り出来なくなるから・・・
ちょうどお彼岸ですし、お墓参りも兼ねて家の大掃除に行きます。
千葉に避難している嫁の両親も一緒です。

今までは、ちょくちょくと何時でもこれたので、帰れなくなった感は薄れていました。
しかし、4月からはバリケードが張られ、指定した日に防護服を着ないと入れません。
区域の扱いは双葉町や大熊町の高線量区域と同じになります。

もう帰れないかもしれない・・・・口には出さないけど両親も感じています。
それに今まで幾度となく出入りしていたのに・・・安全ではなかったということかと
またも裏切られた気持ちになっています。

納得がいかないのですよ。帰れるような雰囲気を出していて・・・・結局後4年は絶対解除しない。
それでもって今日も含め気軽に入れるようにしておいて、今後は入れないようにする。

私も両親も何回も行っています。一度もスクリーニングをしていません。
当然どれだけ被ばくしたかも分かりません。
そこの責任は何処にあるの?自己責任ってやつですか

簡単にまとめると

明日行く津島は双葉大熊の高線量区域と一緒ですが3月中は誰でも入れます。
スクリーニングはやりません。てかありません。
私の住んでいた1Fから数キロのアパートは低線量区域ですが決められた日にしか入ることはできません。スクリーニングも受けます。
これは同じ浪江町内の話です。

4月からは
津島地区は決められた日しか入れません。スクリーニングをやります。
私のアパートの地区は何時でも入れます。スクリーニングをやります。

ほぼ逆転の現象が起きます。


このやり方は誰でも「おかしい」と思いませんか?
震災から2年経った今のお話です。

被災者の受難は続きます。これは私の例ですが、津島地区の何千人の方が同じ思いをされています。

原発避難の問題はまだまだ現在進行中です。

上の話、福島の土地勘がないかたのために少し解説を加えると……、

津島というのは、ジャニーズの子たちが農作業や酪農を体験する番組『ダッシュ村』があったところ。
浪江町というのは東西に細長い地形で、東端は太平洋に面し、西端は1Fから30km圏外にまで伸びている。で、津島は西の外れあたりにあって30km圏外。2011年3月の時点では何の避難指示も出ていなかった。

僕は2011年5月25日、獏原人村のマサイさん、自然山通信のニシマキさん、きのこ里山の会の小塚さんらと一緒に、この津島を通って飯舘村←→川内村を往復した。途中、線量計が30μSv/hを超える数値を示す場所もあった。
りました。
(詳細は⇒表日記を参照してください

浪江町では、海岸沿いが汚染が低かったのだが、津波で大きな被害を受けた。請戸(うけど)地区などは壊滅状態。

で、絶対に忘れてはいけないことは、こうした海岸沿いで津波に呑み込まれた地区には、3.11直後、多数の人たちが動けなくなって孤立していたのに、1Fから10km圏だ20km圏だというだけで自衛隊さえ救援に入らず、見殺しにされたという事実。
ずっと後になってから収容された遺体の中には、溺死ではなく、衰弱死、餓死した遺体が複数あった。彼らは水に浸かったわけではなく、車の中や自宅の二階などに閉じ込められ、動けなくなり(骨折したり疲れ果てたり避難経路を断たれたりして)、そのまま救助を待っていたのに1週間経っても10日経っても誰も助けに来ないまま衰弱死、餓死したのだ。
実際には線量は全然大したことはなかったのに、政府が出した避難命令を、救助にさえ入ってはいけないと現場が解釈したためにこうした悲劇、というより惨劇が起きた。

また、浪江町では当初、30km圏外の津島を避難場所に指定して、多くの住民を、浪江町の中でも最も汚染された場所に移動・避難させた。津島は「浪江町で」というよりも、1Fから出た放射性物質が最も多く沈着した場所のひとつ。有名になった飯舘村の役場があるあたりなどよりはるかに線量は高い。
わざわざそんな場所に住民を誘導して、何日もそこで住民に大量被曝をさせてしまったのだ。
SPEEDIのデータをはじめ、すでに実際に線量を測っていてそこが危険地帯であることは文科省や福島県のモニタリングカーが3月12日の時点で把握していた。福島県は国よりも先にそのことをいちばんよく知っていたのに、周辺自治体に通達さえしなかった。この犯罪は未だにあやふやにされ、責任者が処分されたというニュースもない。

「区域分け」を巡る悲劇は他にも山ほどある。
南相馬市は当初、警戒区域、緊急時避難準備区域、無指定区域の3つに分断されたが、20kmの線引きをされたすぐ外側では普通にコンビニが営業していて人々が生活していたのに、20kmにかかった区域の人たちは強制的に家から追い出された。線量は大して高くなかった海岸沿いの地域の話。
しかも、20kmの外側の地域では、線量が低い海岸沿いの小学校から、わざわざ線量の高い北西方向(30km圏外)の小学校に毎日100万円かけてバスで通学させられるというとんでもないことも行われていた。もとの場所の学校にいたほうがはるかに被曝量が少なくて済んだのに、金をかけてわざわざ子供たちの被曝を増やしたのだ。(国会の参考人招致で児玉さんが叫んでいましたね。「こんなバカなことは一刻も早くやめてください!」と)

……このへんのことは『裸のフクシマ』にも書いたが、「津島」という地名を聞いたら、こうした事実をぜひ思い出していただきたい。

新しい区域分けの図を見れば分かるが、浪江町、双葉町、大熊町などは、事実上もう人が普通に暮らせる町にはならない。
浪江町は全面積の約8割が、5年以上帰れない「帰還困難区域」に指定された。
原発爆発から2年以上経ってこういう区分けを言い出す国。すでに住民の多くは、国のとぼけた指示やら無策のために、あびなくて済んだ初期被曝を受けて、これから先、一生不安なまま過ごさなければならない。
「再生計画」という名の元に、「区域ごとに目指すべき復興の姿」を提示しているそうだが、この地域最大の魅力であった自然環境は徹底的に汚され、さらには今後、除染や復興名目でわけの分からない公共事業が加速される。
//短期的(2年)には「避難指示が解除された区域を復興の前線拠点とし、解除が見込まれる区域の復旧につなぐ」、中期的(5年)には「避難解除区域を拡大し、地域全体の復興を加速」、長期的(10年)には「若い世代も帰還する意欲が持てるよう、原発事故により失われた雇用規模を回復する」としている。(産経新聞)//……そうである。

しかし、周辺自治体の人たちの関心は、もはやもっぱら賠償がどうなるか、だろう。
「帰還困難区域」に指定されると、国の賠償基準では事故から帰還まで6年以上かかると土地や建物などの不動産を全額賠償することになっているという。
これに対して、富岡町、浪江町は、全域一律全額賠償を求めて「事故から6年間は帰還しない」と表明していた。
30km圏内で汚染が薄かった地域(今回の再編で無指定になった地域。広野町、川内村、田村市などの一部)では、今後は賠償金支払期間をどこまで延長させられるか、賠償金が切れても、次は除染ビジネスやメガソーラー、風力発電などの公共事業や企業誘致でどれだけ地域に金を取り込めるのかという視点で動いていく。実際、すでにそうなっている。
一方で、ヨウ素131でかなりの初期被曝を受けたであろうことが分かってきたいわき市の住民や、30km圏内の一部地域よりはるかにひどい汚染を受けた福島市や郡山市など都市部の人たちへの賠償は打ち止め、逃げ切り作戦に徹している。都市部の人たちの精神的苦痛、生活へのダメージに対して、30km圏の人たち並みに賠償したら賠償金総額が一気に膨れあがってしまうからだ。
「復興」事業名目の金と違って、純粋な賠償金は企業が儲からない。金(もちろん出所は税金!)は極力公共事業的な使い方に集中させて、原子力ムラ同様の利権集団の「再編」「復興」を図る……。
「フクシマ」は福島の人心や自然をいったいどこまで殺し続けるのだろうか。

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