小説「そして私も石になった」(1) 序2022/02/14 19:00

編集子・いつき事務局・いつき:  さて、森水学園の「用務員」杜 用治さんが残したノートも、最後の何冊かになってきました。
用治さんが取り壊し直前の廃校校舎から姿を消したのは2006年の終わり頃ですが、その直前に書かれたものは、日記というよりは「小説」に近いようなものです。
そして私も石になった」というタイトルらしきものがついていて、その後、かなり不思議な、というか、突飛な話が書かれています。
私はそれを最初に読んだときは、当時も流行っていた、いわゆる「陰謀論」とか、裏の権力者の存在の話に近くて、こんな文章、なんだか用治さんらしくないなあと違和感を感じたものです。
しかし、2022年となった現在、あまりにも内容が今の世界状況と一致していて、読み返すと、目眩がするほどの衝撃を覚えます。
みなさんはどうお感じになりますでしょうか。

ここにその全文を、少しずつ公開していきます。

 俺の名は杜用治。東北の山村にある廃校に住み着いて40年以上になる。
 廃校というのは正確ではないかもしれない。小学校自体はむしろ生徒数も増えていったのだが、あるとき、最初の校舎を捨てて、別の場所に移転したため、校舎が残ってしまった。だから「廃校」ではなく「廃校舎」というのが正しいだろう。
 ともあれ、この廃校舎は今は「森水学園」と呼ばれている。生物学者の森水生士(いくお)という人が村から借りて、一風変わった私塾のようなことを始めたのが東京オリンピックが開催された年だったそうだ。俺はその少し後になんとなく出入りするようになり、いつの間にか校舎に住み着いてしまった。
 森水学園は普段は誰もいない。催し物的な「なんとか教室」とか「なんとか講座」が開かれている時期だけ人が集まってくる。
 森水校長はこの村の空き家を買ってそこに一人暮らししていたが、校舎にはよく顔を出して、時には夜通し俺と飲みながらいろんな話をしていた。
 森水校長は実に魅力的な人物だった。得体の知れない俺を受け入れてくれただけでなく、最高の話し相手だった。
 俺は当初、村役場からは不審人物として見られていたが、森水校長がうまく取りなしてくれて、そのうちにあまりうるさいことも言われなくなった。
 俺は校舎の一室に寝泊まりさせてもらう代わりに、留守中の保守点検やら掃除やらをしてきた。
 いつからか学園に来る常連さんや村民からは「用務員さん」と呼ばれるようになった。

 俺の「身元保証人」みたいになってくれていた森水校長が死んだのが30年ほど前のことだ。
 裏山にキノコを採りにいって、マムシに咬まれ、ショック死した。もう80代半ばだったから、悪い死に方じゃない。まあ、そんなことを口に出したら顰蹙ものだろうが、80年以上元気に生きて、ある日苦しむこともなくパッと死ぬ。いわゆる「ピンコロ」だ。最高じゃないか。

 森水校長の死後も、森水学園は森水生士の思想や生き方を慕って集まった人たちによって細々と活動を続けていて、俺の「用務員」としての生活もそのまま続いた。
 しかし、俺ももう80代後半で、さすがにもう長くはない。
 なるべく村役場や村の人たちに迷惑をかけない形で、ここから消えようと思っている。

  

 そんな風に、死への準備を進めていたある日、俺が寝泊まりしている「用務員室」の床板が抜けた。
 いつもならすぐに修理するのだが、そのときは破れた床板の間から見える小さな闇をしばらくぼうっと眺めていた。
 どうせもうすぐここを出ていく。この校舎自体、壊される。今さら修理しても詮ないという気持ちがあったからだが、破れた隙間からは床下の冷気が入り込んできて、やはりなんとかしなければ気持ちが悪い。さて、どうしたものか……。
 修理するために破れた床板を外しているとき、突然奇妙な声が聞こえた。
 いや、聞こえたというのは正確ではない。脳の中で音も文字もない文章のようなものが次々に作りだされる……そんな感覚だろうか。
 神がかりとか狐憑きとか、そういうことなのかもしれない。うまくいえないが、とにかく何もないところで、俺は何者かと会話を始めてしまったのだ。

<この校舎も、もうすぐ壊されるらしいね>

 俺の脳内で、何者かがそう「言った」。
「ああ。そうだ」
 不思議なことに、俺は何ら不思議に思わず、脳の中でそう応じていた。
 長い間そばにいた誰かが、沈黙を破って話しかけてきたような、そんな気持ちだった。

<きみは最近、量子とか仮想空間とか、そんなことを考えているだろう>

 俺の脳の中でその何者か……面倒なのでここからはNとでも呼ぶことにしよう、Nがそう言った。
「まあね。この世界での命ももう終わるからね。この世界は一体何だったんだろう、俺という存在は何だったんだろう。人間、誰でもそういう問いかけをするだろ。死ぬ前には特にそうなるんじゃないのかね」

<そうなのか? で、答えは見つかったのかい?>

「見つかるわけないじゃないか。知ってて言ってるんだろ?」

<ああ、無駄な問いだったね。で、知りたいかい?>

「知りたいって、何を? この世界は何だ、俺という存在は何だ、みたいなことの答えをか?」

<ああ>

「あんたは知ってるのかい?」

<きみよりは知っているつもりだよ。きみよりはるかに長い時間を生きてきたからね>

「へえ。それはすごいな。じゃあ、教えてくれよ」

<いいよ。いわゆる冥土の土産ってやつだね。きみは幸運だ。私とこうして会話ができて>

 ……と、こんな風に俺とNの長い会話が始まったのだった。


           




Twitter   LINE

そして私も石になった(2)時間感覚のずれを理解せよ2022/02/14 19:06

時間感覚のずれを理解せよ


「あんたは俺より長く生きてきたというけど、どれくらい長生きなんだい?」
 俺はNに訊いた。

<人間の時間単位でいえば、10億20億30億といった年数だから、きみにはイメージできないだろうね>

「ほとんど地球の歴史くらいの長さってことか? じゃあ、あんたは『地球』なのか?」

<いや、違う。我々(ヽヽ)は地球というこの星にかなり融合しているかもしれないが、地球そのものではない。きみたちとはいささか概念が違うだろうけれど、やはり個別の生命体だよ。ただ、時間をコントロールすることができるので、結果として、きみたち人間の時間感覚とは大幅にずれた時間感覚を持つ生命体ということかな>

「よく分からないな。俺なら、そんなに長生きしたら、退屈で死にたくなる。というか、そんなに長い時間死なないなんて、恐怖だよ」

<だろうね。それはよく分かるよ。だけど、我々は意識を長時間眠らせることができるし、起きているときは、時間の流れをどのように感じるかを調整できる。それが「時間をコントロールする」ということの意味さ。
 きみたちにとっての1年という時間を、私が同じような時間感覚で過ごした後、1億年眠ることもできる。次に起きたときに、きみたちの1年という時間を15分くらいの感覚で過ごして、今度は150年眠ることもできる>

「……なんかすごいな。それなら10億年生きていても飽きないってわけか」

<そういうことだね。そもそも時間とは絶対的なものではない。人間が、電波時計が刻む時間を絶対的な単位だと信じるのは、限られた時間を直線的に生きるしかない生物種としては、そう考えたほうが都合がいいからにすぎない。それが幸せなことかどうかは別としてね>

「時間が存在するというのは錯覚だということ?」

<錯覚……ある意味、そうだね。
 例えば、東京と大阪の間を新幹線という電車は2時間半で走る、という説明を、人はすんなり受け入れるよね。でも、この2時間半という時間の長さは、速度と位置が関係して計算されている。東京はAという位置にあり、大阪はBという位置にある。AとBの間は500kmという距離があって、そこを2時間半で移動するから、この新幹線の平均速度は時速200kmだ……というような。
 この位置とか速度とかいうものも、人間が定めた約束事を人間が発明した道具で計測して定義されている。であれば、人間が存在しない物理世界には距離も位置も速度も時間もないんじゃないかね>

「いや~、それはさすがに詭弁に聞こえるなあ。単位は変わるかもしれないけれど、速度も時間もあるだろ」

<そうかな。
 きみは、最近、量子のことをずいぶん勉強していたね。で、きみは結局、量子というものを感覚的に理解できたのかい?>

「いや、それは……」

<量子は波でも粒子でもない、とか、量子は極小の存在で、それが常に予測不能な動きをしているとか、人間には感覚的に受け入れられない話だらけだっただろう?
 それはつまり、人間は自分の感覚に受け入れられる説明や喩えに合わせてしか世界を把握できないからだよ。それがきみたち人間の脳の限界なんだ。
 波とか粒子といった概念は人間の感覚で捉えられるものだから、それに喩えていろいろなものを想像することができる。だけど、その概念に量子というものを無理矢理あてはめようとすれば、ますます分からなくなってしまうわけさ。
 量子の概念を完全に把握できている人間などいないだろうね。それでも、現代の最先端科学では、この世界が量子でできていると結論づけている。いい加減だよね。
 時間についても同じだよ。「時間」というものは確かにある。でも、それはきみたち人間が感覚的にとらえている「時間」とは違うものなんだ。正確にいえば、きみたちが知っている「時間」は、本当の「時間」のごく一部、ある種の鏡に映したときの虚像のようなものかな。
 時間、空間、位置、速度、色、感触、味、映像……きみたち人間が知っていると思っている「物理世界」を構成している要素はことごとくそうだ。だから「世界」が仮想のものだというとらえ方もまた、あたっている部分とあたっていない部分があるのさ>

「はいはい。俺たちはバカだし、あんたらは利口だってことね。じゃあ、それはそういうことでいいよ」

<ひねくれるなよ。とりあえずは、我々が億単位の年月、この地球を見てきたってことをきみに分かってほしいってことさ。大前提としてそれを受け入れてくれないと、これからきみに伝えようとしていることも、全部作り話になってしまうだろう?
 きみの好きなように、きみの感覚の中にうまく取り入れられるかたちでいい。単純に、1年起きて1万年寝ることができるような連中がいる、っていうようなイメージでもいい。我々は何億年何十億年という長い時間、この地球を見ながら生きてきた。ここまではいいかな?>

「ああ、いいよ。じゃあ、続きをどうぞ」

           

タヌパックブックス




Twitter   LINE

そして私も石になった(3)自分が生きてきた時間線分を振り返る2022/02/14 19:15

自分が生きてきた時間線分を振り返る


<ではまず、私ときみの時間感覚の差を少しでも埋めるために、きみ自身が生きてきた時間線分を確認してみることから始めよう>

「時間線分?」

<きみの人生の時間は直線的であり、始まりと終わりがある。これは「線分」に喩えられるよね>

「まあ、そうかな。終わりももうすぐだしな」

<しかし、きみの人生という時間線分の始まりの前、終わりの後にも、この世界の時間が流れている。だから、きみの人生という時間線分の位置や、前後との関係をまずは見ていこうじゃないか。
 きみはいつどこで生まれたのかな?>

「ああ、その質問か……困るんだよな、それ。俺は自分の誕生日も生まれた場所も知らない」

<私は知っているよ>

「そりゃそうだろう……え? 俺が生まれたときのことを、あんたが知っているってことか?」

<うん、知っているよ。きみは1923年、日本の元号でいえば大正12年の12月3日に朝鮮半島の北で生まれている>

「……本当か? なぜそんなことを知っている?」

<私はいろいろなものを見てきたからね。私の意識は距離や位置の制限を受けず、この星のあらゆる場所で起きていることを見ることができる。でも、今はそのことは置いておこう。話が進まなくなるからね>

「分かった。続けてくれ」

<きみの父親は技術者だった。当時はまだ完全には日本国の支配下に入ってはいなかった満州鉄道の運営のため、日本から大陸に派遣されていた。結婚したばかりの妻、つまりきみの母親も一緒だった。
 きみはきみの両親が大陸に渡ってからすぐにできた子だ。母親は出産のため、父親の赴任地から少し離れた朝鮮北部にあった病院できみを産んだ。その後、きみは太平洋戦争が終わるまでずっと朝鮮半島や満州、中国を、両親と一緒に転々としていた。
 きみが日本にやってきたのは昭和22(1947)年になってからだ。すでにきみは23歳になっていた>

「ああ、それは覚えている。引き揚げ船が出る葫蘆(ころ)島までたどり着いたとき、俺は一人だった。親のことはなぜかほとんど記憶にない。親のことだけでなく、それまでのことは、断片的にしか思い出せないんだ」

<それはきみが大陸で耐えがたい経験をしたからさ。きみの脳が、思い出したくない記憶を封印しているんだ。
 きみの両親はきみの目の前でかなりひどい死に方をしている。きみ自身もひどい目にあってきたし、修羅場をいくつも見てきた。それは思い出さないほうがいい>

「……そんなところだろうとは思っていたが、やはりそうか。修羅場のいくつかは記憶に残っている。でも、親のこととなると、どうしても思い出せないんだ。おかげで俺は自分の名前も分からないまま引き揚げ船に乗った。日本語が喋れたから日本人だと認めてもらえたが、親の名前も自分の名前も分からないと言ったら乗せてもらえないと思い、咄嗟にデタラメな名前を言ったっけ。
 船の中でのことはよく覚えている。かなり大きな船だったが、千人以上詰め込んでたんじゃないかな。食糧がないから、配給は大豆を一人10粒ずつ。弱って死んだ者は海に捨てられてた。捨てられた遺体が、しばらく船の後を追うようについてくる。あれはたまらなかったな。
 ようやく着いたのは佐世保港。そのへんからのことははっきり覚えている」

<大変だったね。それから今までのことは、きみ自身が知っているから、ここでおさらいする必要はないね。だから、きみの記憶が消えた前のこと、そして生まれる前のことをまずは見ていこう>

「なんだか日本史の授業みたいになってきてないか?」

<なんでもいいさ。でも、きみが知りたい「世界」のことを伝えようとしたとき、まずは人間の歴史というものを俯瞰的に見ていくことが必要だ。きみが今見ている「世界」は、きみにとってはいきなり現れたものかもしれないけれど、この世界はどうやって作られてきたか、そしてこれからどうなっていくのか、それを知りたいんじゃないのかい?>

「いや、俺が知りたいのは、人間社会とか、人間が感覚的に把握できる物質世界みたいな枠じゃなくて、もっと大きな……」

<うんうん。分かっているよ。でも、それを感じるためにも、まずは人間社会のことを、少し見つめ直してみようよ>

「分かった。じゃあ、俺は素直に生徒になるから、授業を進めてくれ」


           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス




Facebook   Twitter   LINE

そして私も石になった(4)関東大震災の年に生まれていた2022/02/14 19:20

関東大震災の年に生まれていた


<きみが生まれた大正12(1923)年という年、この世界はどんなことになっていたか、知っているかい?>

「完全に歴史の授業だな。ああ~、詳しくは知らない、というか、あまり考えたことがなかったな。日清日露戦争は終わっていたよな。大正だから、ああ、関東大震災があったはずだな。あれは何年だったか……」

<関東大震災は1923年9月1日、まさにきみが生まれた年に起きているね。きみが生まれたのが12月3日だから、3か月前だ。でも、きみたち一家は日本にいなかったから、あの地震には巻き込まれなかった>

「そうか。俺は大震災の年に生まれたのか。知らなかったな。というか、そもそも自分の誕生日を知らなかったんだから、あたりまえか」

<あの震災で10万人以上の人が死んだ。で、忘れてはいけないのは、あのときに死んだ人は災害死だけではなかったということだね。関東の各地で虐殺が起きた>

「ああ、それは知っている。朝鮮人が井戸に毒薬を入れたとか襲ってくるとかいうデマが広まって、一部の民衆が朝鮮人を次々に襲って殺してしまったという事件だろう? 詳細は知らないが……」

<そうだね。だけど、どこかの村で局所的に起きたということではなくて、広範囲に同時多発的に起きているのが不思議だと思わないかい? あの頃はテレビはおろかラジオもまだなかった。マスメディアというと新聞くらいだったけれど、その新聞も、東京では新聞社も印刷所も地震で壊滅的な被害を受けたわけで、機能しなかった。それなのに、最大の被災地となった東京だけでなく、千葉、埼玉、群馬といった周辺部でも軍の兵士や民衆によって朝鮮人皆殺しのようなことが起きたわけだね。それも極めて残虐な形で。妊婦が腹を割かれ胎児を引き出されたとか、生きたまま火の中に放り込まれたとか、凄まじい殺し方をしている>

「そうなのか? まあ、俺は大陸にいた頃、そういうのはいろいろ経験したがね。俺が生まれた年にも、日本国内ではすでにその手の虐殺事件は起きていたわけだ」

<そういうことがなぜ起きたと思う?>

「恐怖や不満、不安、鬱憤が溜まっていて、それがデマをきっかけにして残虐な行為として爆発した、ってことか?」

<まあ、簡単にいえばそういうことだけどね。もう少しやっかいだ。残虐な殺し方をしているのは、兵士よりも一般民衆による自警団が中心だった。警察が朝鮮人を確保収容すると、その警察署に自警団が押しかけて乱入して殺したりしている。「警察や兵隊は鉄砲持っていても、普段は俺たちや子どもを脅すばかりで、肝心なときには及び腰になって人一人殺せないじゃないか。俺たちは普段、肥だめ担いで働いている身だが、昨日は16人も殺したんだぞ」なんて自慢したりもしている。つまり、罪の意識がない。それどころか、お国が危機存亡の時にしっかり役目を果たしたんだという自負さえ持っている>

「罪の意識がない……殺す相手が自分と同じ人間だとは思っていないってことか」

<自分と同じ姿形をしているのに、違う生きものだと思い込むなんてありえない……と、普通なら思うだろ。ところが、いとも簡単に殺害という行動にでる。しかも一人二人がじゃない。地域の構成員が集団で一斉に動く。
 こうした集団による虐殺が起きるには、その土壌を作っておくことと、爆発させるスイッチを入れることが必要になる>

「必要になる……って、まるで誰かがあらかじめ仕組んでいたような言い方じゃないか」

<仕組んだかどうかは別にして、ここで知ってほしいのは、人間の営みを包んでいる世界──人の日常社会を急激に変化させる仕組みはどういうものか、ということだよ。
 関東大震災という災害そのものは人為的に起きたものではないけれど、そこで起きた大規模集団虐殺は人が起こしたものだ。自然災害は計画的には起こせないけれど、大規模虐殺などは「準備する」ことができるんだよ>

「準備する?」

<そう。準備だ。意識的に準備したわけではないだろうが、無意識のうちに準備をしていたとはいえる。
 まず、当時の日本は、第一次世界大戦でヨーロッパ諸国からの輸出が途絶え、諸外国に物資を大量に売ることができて好景気に沸いていた。
 輸出増に追いつかず、日本国内での労働力が不足してきた日本は、朝鮮で農地を失った農民などを招き入れ、主に炭鉱や土建などの危険の多い職場で、日本人よりずっと安い賃金で長時間労働をさせていた。
 日本の支配下にあった朝鮮では、土地調査事業が行われて、土地を奪われた農民の極貧化が進んでいた。不満を持った大衆は大規模な独立運動を起こした。大正8年、1919年3月1日に起きたので、「三・一独立運動」と呼ばれているね。各地で100万人以上の人々が1000回以上のデモを起こした。
 日本政府はこうした動きに恐れを抱いていた。そういうこともあって、日本国内では朝鮮人をすぐに暴徒と化す野蛮な民族であるかのような喧伝がされていた。「不逞(ふてい)鮮人」という言葉が新聞などで繰り返し使われ、朝鮮人は危険な連中、(さげす)むべき存在という意識が日本人の中にあたりまえのように植えつけられていったんだね。恐怖や差別意識を植えつける記事は、新聞の売上にもつながった>

「嫌な話ではあるけど、まあ、それはそうなんだろうな」

<貧民層の不平・不満は、なにも朝鮮の人たちに限ったことじゃない。日本国内でも、当然、貧しい労働者層は同じような不満を持っている。そうした社会の下層階級出身で、知識欲が強い人たちにとって、当時の社会主義は一つの理想的な社会モデルに思えた。それを警戒した政府や富裕層は、社会主義者を社会の秩序を乱す危険な連中だという宣伝にやっきになる。
 関東大震災での虐殺は、主に朝鮮人が標的にされたけれど、マルクス主義に傾倒した人たちも社会主義者というレッテルを貼られ、朝鮮の人たち同様に狙われ、殺された。さらには、吃音者や聾唖者などの弱者も、日本語がまともに発音できないから朝鮮人だと決めつけられて殺されたりしている。
 きつい仕事を真面目にこなしているのに豊かな暮らしができないという人たちは、自分たちよりさらに下のグループの人間を規定したいという意識が働くんだね。上にいる者にはかなわないから、自分たちより下のグループ、弱い立場、異質なグループを作って、それを攻撃することで憂さを晴らす>

「それが『準備』なのか?」

<そうだね。準備というか、下地作りだ。
 下地ができたら、次は発動させるスイッチを入れること。これはタイミングが重要になる。
 首都圏直下型の大きな地震が起きて、東京は一瞬にして壊滅状態になった。テレビもラジオもない時代、唯一最大のマスメディアだった新聞も発行できない。それなのになぜデマが急速に広まって、多くの民衆が各地で同時多発的に虐殺行為に走ったのか。
 最初のスイッチは、警官たちが住民にデマ情報を伝えて回ったことだった。
 地震が起きたのは9月1日の正午だが、その数時間後の夕方には、都内各地で巡査が「各町で不逞鮮人が殺人放火しているから気をつけろ」とふれ回ったんだ。上級庁からの指示ではなく、各警察署が日頃から朝鮮人に対してそういう目で警戒していたから、自発的にそうしたということだね。
 ところが、翌日になるとこの手のデマを受けた内務省で、警保局長が道府県の地方長官に朝鮮人の警戒を命じる伝達を出した。政府もデマを真に受け、東京周辺に戒厳令を発令する。これでスイッチが二重三重に入り、デマの伝達速度が一気に上がり、「お上公認の朝鮮人狩り」みたいなことになっていった。
 だから、暴走した自警団は罪の意識どころか、手柄を立てたように振る舞っていたわけさ>

「……なんかもう、完全に日本史の授業だなぁ」

<まあまあ……。まだ授業は始まったばかりだよ。
 さてと、私が最初にこの話をしたのは、関東大震災時に起きた朝鮮人や社会主義者の虐殺という一つの事件を掘り下げたいわけじゃない。たまたまきみが生まれた年に起きた虐殺事件を例にとって、社会が一気に動いていくときの仕組み、機構を知ってほしかったのさ。
 当時の日本では、「不逞鮮人」という言葉に違和感を抱く者はほとんどいなかった。ごく普通に生活していた庶民の多くが、朝鮮人は野蛮で恐ろしい輩で、いつ何をされるか分からないという恐怖を植えつけられていた。政府や新聞がそれを押し進めていた。これが下地作り。
 下地が作られたところで、一部の人間が爆弾の点火スイッチを入れる。そこから一気に火がついて、それまでとは違うルールで社会が急激に動き出す。
 近現代の人間社会はそうした仕組みで急激な変化を何度も重ねてきた>

           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス




Facebook   Twitter   LINE

そして私も石になった(5)スペイン風邪のときはどうだったのか2022/02/14 19:23

スペイン風邪のときはどうだったのか


<人間が大量死するのは、戦争や虐殺事件だけじゃない。自然災害や疫病ではもっと大量の死者が出ることがあるよね。
きみが生まれる5年ほど前にはインフルエンザが世界中に広まった。
 当時の世界人口は約19億人。この約3分の1が罹患して、1億人くらいが死んでいる>

「ざっと20人に1人がインフルエンザで死んだということか。すごい数字だな。本当なのか?」

「本当だよ。で、第一波、第二波、第三波という大きな波があったんだが、第一波はアメリカの陸軍基地で最初に広まった。
 当時、アメリカはヨーロッパで起きていた第一次世界大戦に参戦していて、ここからあっという間にヨーロッパに飛び火した。
 アメリカから持ち込まれたのになぜ「スペイン風邪」と呼ばれるようになったかは知っているかい?>

「知らないな。俺が知らないということを、あんたは知っているんじゃないのか?」

<おっと、失礼したね。これは、当時、ヨーロッパでは第一次大戦の真っ最中で、アメリカだけでなく、参戦しているヨーロッパ諸国ではこの感染症大流行についてはきつい報道管制が敷かれていたからなんだ。しかし、スペインは参戦していなかったので普通に報道した。それが最初の報道になったもんだから「スペイン風邪」なんて名前がつけられてしまったわけさ。スペインはいい迷惑だね。
 このインフルエンザは一旦収まるかに見えた後、変異して毒性を増し、第二波では致死率が数倍になる。その後の第三波では少し弱まったけれど、第一波よりは強かった。で、最終的には全世界で1億人規模の死者が出たわけだ。
 日本にも上陸して、大正7年から大正10年にかけて全人口の半分近くが罹患して、約39万人が死んだ。関東大震災での死者のおよそ4倍だね。当時の日本の人口は5500万人だから、1000人に7人が死んだ計算になる。それでも、世界規模では20人に1人、1000人のうち50人が死んだわけだから、日本はまだ軽症だったともいえるね>

「そうやってすごい数を並べているけど、インフルエンザは人間が起こす虐殺や戦争とは違うだろ。同列にはできない」

<確かにそうだ。でも、考えてみてほしい。人間を一度に大量に死なせたい場合、戦争や虐殺に比べて、疫病ははるかに効率がいい>

「効率? それは人間が意志を持って何かをやるときの話だろ」

<そうだね。でも、スペイン風邪のような疫病を人間が意志を持って作ってばらまけるようになったら、高価な武器を使って戦争を起こすよりもずっと大きな結果を得られるということだよ。
 第一次大戦というのは、それまでの戦争とはまったく違う様相を呈した戦争になっていた。戦車、潜水艦、航空機といった近代兵器が登場し、毒ガスまで使われた。その結果、兵士、民間人合わせて1700万人も死んで、人類史上死亡者数の最も多い戦争になった。
 それでも、死者1700万人というのは、スペイン風邪による死者数1億人というのは一桁違う。
 戦争や虐殺は、終結した後も、爆撃による都市機能の破壊や労働力の中心である若い世代の人口減という負債を負う。国同士、民族間の怨恨も増える。
 それに対して、疫病では、人は死んでも都市やインフラは破壊されない。死ぬ中心は病気に勝てない高齢者や赤ん坊といった弱者が中心で、屈強な若者は持ちこたえやすい。「敵」は病原体だから、恨んでも仕方がない。だから、収まった後の社会の立て直しがやりやすい>

「生物兵器の話をしているのか?」

<兵器というか……手段だね。方法論>

「兵器は戦争に勝つための手段だろ? 違うのか?」

<生物「兵器」といってしまうと、きみたちはすぐに国家間や民族間の戦争に結びつける。もう少し考え方を広げてみる必要があるんだな。
 多くの人が思い描く戦争というのは「国盗り合戦」みたいなものだ。権力者が土地や人を奪い取って支配を広げていくゲームのようなイメージ。古代から今に至るまで、それは基本的に変わらない。
 しかし、冷静に考えてみれば、そんなことをしても誰の得にもならない。だってそうだろ、人はせいぜい数十年で死んでしまうんだよ。どんなに広い領土をぶんどっても、民衆を侍らせ、貢がせても、それで得られる優越感や快楽はあっという間に消えてしまう。そう思わないか?>

「思うよ。一時の快楽や優越感のために他人を大量に殺したり苦しませたりするなんて、それこそ『効率が悪い』よな。もっといい方法で幸福感を得られるはずだから」

<そうなんだよ。そんな簡単なことも分からないまま、なぜ人間は戦争や虐殺を繰り返してきたと思う? 戦争というのは、戦争を主導する権力者だけでなく、そこに参加して戦う兵士や、戦争を裏で支える民衆の協力も必要だ。もちろん、無理矢理従わせられる人たちが大多数だろうが、民衆が一致団結して権力者に戦争をやめさせるなんていうことは、歴史上まず起きなかった。不思議だと思わないか?>

「う~ん、そういわれてもなあ……」

<答えを先にいおうか。人間を動かしている、人間以外の(ヽヽヽヽヽ)意志があるんだよ>

Nのその言葉に、俺の脳の中で、痺れるような衝撃が走った。

           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
  Amazonで購入のページへGo!
  Kindle版は180円!⇒Go!

タヌパックブックス




Facebook   Twitter   LINE