そして私も石になった(5)スペイン風邪のときはどうだったのか2022/02/14 19:23

スペイン風邪のときはどうだったのか


<人間が大量死するのは、戦争や虐殺事件だけじゃない。自然災害や疫病ではもっと大量の死者が出ることがあるよね。
きみが生まれる5年ほど前にはインフルエンザが世界中に広まった。
 当時の世界人口は約19億人。この約3分の1が罹患して、1億人くらいが死んでいる>

「ざっと20人に1人がインフルエンザで死んだということか。すごい数字だな。本当なのか?」

「本当だよ。で、第一波、第二波、第三波という大きな波があったんだが、第一波はアメリカの陸軍基地で最初に広まった。
 当時、アメリカはヨーロッパで起きていた第一次世界大戦に参戦していて、ここからあっという間にヨーロッパに飛び火した。
 アメリカから持ち込まれたのになぜ「スペイン風邪」と呼ばれるようになったかは知っているかい?>

「知らないな。俺が知らないということを、あんたは知っているんじゃないのか?」

<おっと、失礼したね。これは、当時、ヨーロッパでは第一次大戦の真っ最中で、アメリカだけでなく、参戦しているヨーロッパ諸国ではこの感染症大流行についてはきつい報道管制が敷かれていたからなんだ。しかし、スペインは参戦していなかったので普通に報道した。それが最初の報道になったもんだから「スペイン風邪」なんて名前がつけられてしまったわけさ。スペインはいい迷惑だね。
 このインフルエンザは一旦収まるかに見えた後、変異して毒性を増し、第二波では致死率が数倍になる。その後の第三波では少し弱まったけれど、第一波よりは強かった。で、最終的には全世界で1億人規模の死者が出たわけだ。
 日本にも上陸して、大正7年から大正10年にかけて全人口の半分近くが罹患して、約39万人が死んだ。関東大震災での死者のおよそ4倍だね。当時の日本の人口は5500万人だから、1000人に7人が死んだ計算になる。それでも、世界規模では20人に1人、1000人のうち50人が死んだわけだから、日本はまだ軽症だったともいえるね>

「そうやってすごい数を並べているけど、インフルエンザは人間が起こす虐殺や戦争とは違うだろ。同列にはできない」

<確かにそうだ。でも、考えてみてほしい。人間を一度に大量に死なせたい場合、戦争や虐殺に比べて、疫病ははるかに効率がいい>

「効率? それは人間が意志を持って何かをやるときの話だろ」

<そうだね。でも、スペイン風邪のような疫病を人間が意志を持って作ってばらまけるようになったら、高価な武器を使って戦争を起こすよりもずっと大きな結果を得られるということだよ。
 第一次大戦というのは、それまでの戦争とはまったく違う様相を呈した戦争になっていた。戦車、潜水艦、航空機といった近代兵器が登場し、毒ガスまで使われた。その結果、兵士、民間人合わせて1700万人も死んで、人類史上死亡者数の最も多い戦争になった。
 それでも、死者1700万人というのは、スペイン風邪による死者数1億人というのは一桁違う。
 戦争や虐殺は、終結した後も、爆撃による都市機能の破壊や労働力の中心である若い世代の人口減という負債を負う。国同士、民族間の怨恨も増える。
 それに対して、疫病では、人は死んでも都市やインフラは破壊されない。死ぬ中心は病気に勝てない高齢者や赤ん坊といった弱者が中心で、屈強な若者は持ちこたえやすい。「敵」は病原体だから、恨んでも仕方がない。だから、収まった後の社会の立て直しがやりやすい>

「生物兵器の話をしているのか?」

<兵器というか……手段だね。方法論>

「兵器は戦争に勝つための手段だろ? 違うのか?」

<生物「兵器」といってしまうと、きみたちはすぐに国家間や民族間の戦争に結びつける。もう少し考え方を広げてみる必要があるんだな。
 多くの人が思い描く戦争というのは「国盗り合戦」みたいなものだ。権力者が土地や人を奪い取って支配を広げていくゲームのようなイメージ。古代から今に至るまで、それは基本的に変わらない。
 しかし、冷静に考えてみれば、そんなことをしても誰の得にもならない。だってそうだろ、人はせいぜい数十年で死んでしまうんだよ。どんなに広い領土をぶんどっても、民衆を侍らせ、貢がせても、それで得られる優越感や快楽はあっという間に消えてしまう。そう思わないか?>

「思うよ。一時の快楽や優越感のために他人を大量に殺したり苦しませたりするなんて、それこそ『効率が悪い』よな。もっといい方法で幸福感を得られるはずだから」

<そうなんだよ。そんな簡単なことも分からないまま、なぜ人間は戦争や虐殺を繰り返してきたと思う? 戦争というのは、戦争を主導する権力者だけでなく、そこに参加して戦う兵士や、戦争を裏で支える民衆の協力も必要だ。もちろん、無理矢理従わせられる人たちが大多数だろうが、民衆が一致団結して権力者に戦争をやめさせるなんていうことは、歴史上まず起きなかった。不思議だと思わないか?>

「う~ん、そういわれてもなあ……」

<答えを先にいおうか。人間を動かしている、人間以外の(ヽヽヽヽヽ)意志があるんだよ>

Nのその言葉に、俺の脳の中で、痺れるような衝撃が走った。

           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
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