ヒキガエルを殺せ、と指示する北海道の狂気2018/05/21 01:22


アズマヒキガエルを「毒ガエル」と名指しし、騒ぎ立てるニュース番組
テレビのニュース番組(特に夕方の時間帯)ではよく、サルが出た、熊が出た、イノシシが出た、スズメバチが出た……と大騒ぎする。またか! いい加減にしろよと思いながらチャンネルを替えるのだが、今日見たこれはあまりにもあまりで、唖然を通り越して空恐ろしくなった。
北海道で「毒を持つ」アズマヒキガエルが大繁殖して住民が悲鳴を上げているというのだ。ほんとかよ。
アズマヒキガエルはごく狭い範囲で増えることはあっても、広範囲に大繁殖するなんてことは聞いたことがない。「異常繁殖」などといっているが、カエルの知識がない者が、繁殖期に一か所に集まってきてカエル相撲をしているのを見て「異常だ!」と騒いでいるだけなんじゃないか?
むしろ、ヒキガエルはほんのちょっとしたことで地域絶滅してしまう、カエルの中でも環境変化に極めて弱い種だ。
実際、我が家(日光市)の周辺は都市部に比べれば自然が残されている地域だが、アズマヒキガエルは見たことがない。意識して水たまりや田んぼを覗き込んで6年間過ごしてきたが、成体はおろか、卵も見たことがない。地元の老人たちに訊くと、かつてはあたりまえにいたというから、圃場整備がきっかけで地域絶滅してしまったのだろう。
ヒキガエルは変態直後は他の小さなカエルよりもずっと小さく、弱々しい。吸盤もなく、ジャンプ力も弱いから、U字溝に落ちると這い上がれず簡単に死んでしまうのだ。
毒を持つというのは確かだが、わざわざ捕まえてペロペロ舐めたりしない限り、腹をこわすこともないし、ましてやヒキガエルの毒が原因で人が死んだなんて聞いたこともない。動きがのろいヒキガエルにとって、体表から毒を分泌するのは自衛の仕組みである。ヒキガエルを補食するヤマカガシはヒキガエルの毒にやられず、逆にその毒を溜め込み濃縮することで「毒蛇」になることが知られている。しかし、そのヤマカガシとて、自分から人間を襲うことはまずないし、マムシのように牙から毒液を出すわけではないので、たとえ噛みつかれたとしても死なない。喉の奥から直接出る毒液が目に入ったり口に入ったりすれば危ないが、そんな状況は普通にはありえない。

なんでこんなトンデモなニュースをやっているのだろうとネットで少し調べたら、こんなページがヒットした。

効果的な駆除方法と時期  浅い池の場合、繁殖時期(5月上旬から下旬)に、ふ化する前の卵の塊(ひも状)を池などから上に引き上げたり、黒色の小型で群れをなすオタマジャクシを網ですくい出して乾燥死させる方法が効果的です。
繁殖期以外は、雑木林や民家の庭などに住みついており庭仕事などの時に見かけますが、夜行性のため成体になってからの駆除には多大な労力が必要です。 土着のカエルと見分けられないときや、異常な大発生を見つけたときは、環境課へご連絡ください。
(「アズマヒキガエルの駆除について」 北海道深川市)

なんと、自治体がヒキガエルを「殺しましょう」と指導しているのだ。
これを鵜呑みにして子供たちが率先してヒキガエル殺戮に興じるかもしれない。それも「大人の指導」で。

北海道でヒキガエルが「異常に」増えているという信頼すべきデータがどこかにあるのか?

なぜヒキガエルを殺さなければならないのか?
どうやら、理由はこういうことらしい。
国内外来種(もともと北海道にいなかった生き物)であるアズマヒキガエル(略)は日常生活に大きな影響を及ぼすものではありませんが、長期的にみて従来の生態系へ及ぼす影響が懸念されるため、北海道の指定外来種に指定されました。(平成27年12月18日指定、平成28年6月19日施行)

北海道生物の多様性保全に関する条例の改正により北海道の指定外来種に指定されましたので、飼養する場合は知事が定める特定飼養等施設に収容し、逃げ出さないようにしなければなりません。また、生息地以外に放つことも禁止され、道の指導や命令に従わない場合は罰則の対象となります


何を言っているんだ? と思う。
もともと日本のヒキガエルは、西日本にいるのがニホンヒキガエル、東日本にいるのがアズマヒキガエル、北海道にいるのはエゾヒキガエル、という3つの亜種(地域による分類だが、交雑生殖は可能)とされていた。しかし、最近「エゾヒキガエル」と呼ばれていたものは、遺伝子を調べるとアズマヒキガエルと同じであり、寒い北海道に適応して身体が小さくなっただけだということになった。
北海道で初めてヒキガエルが発見されたのは1912年、函館でだという。100年以上前のことだ。
エゾヒキガエルと命名されて、最初に発見された函館では「絶滅が危惧される希少種」として大切にされてきた
それが、「遺伝子的には本州のアズマヒキガエルと同じ」という研究結果が出た途端に、「北海道生物の多様性保全」のために、見つけたら殺せ、という号令がかけられたのだ。
生物の多様性保全?? そもそも北海道のだだっぴろ~い風景は、明治以降、人間が森を壊しながら大規模な開拓に開拓を重ねてきた結果ではないか。
100年以上前から棲んでいるカエルを人為的に殺して、何が「生物多様性の保全」か。

石狩の観光資源「イソスミレの絶滅が危惧される」などというが、海岸近くに生息するイソスミレを守りたいなら、まずは石狩の大規模風力発電所計画を撤回させることだ。イソスミレだけでなく、多くの生物が消える危険性を取り除くことになる。ああいうものを認めて、何の罪もないカエルを殺せという行政。デタラメにもほどがある。



違う血が混じることで生き延びる

さらに調べていくと、東京大学のWEBサイトに興味深い記事を見つけた。
5年前の2013年に長谷和子(東京大学 大学院総合文化研究科広域科学専攻 博士課程3年)、二河成男(放送大学 教養学部教養学科自然と環境コース 教授)、嶋田正和(東京大学 大学院総合文化研究科広域科学専攻/情報学環 教授)によって発表された「Population admixture and high larval viability among urban toads」という論文で、
東京都内に自然分布する日本産ヒキガエルの東日本亜種(アズマヒキガエル)の多くの個体が、西日本亜種(ニホンヒキガエル)により遺伝子浸透を受けている点、またその交雑により、都内のヒキガエルの適応度(本研究では幼生(オタマジャクシ)の生存率)が上がった点の、2つを実証した。
記者発表一覧 東京のヒキガエル、西日本型に侵略される 東京大学
……という。
記事の一覧タイトルには「侵略される」などという刺激的な言葉が使われているが、これはWEBページ編集者が勝手に付けたものだろう。
論文の要旨としては、
  • 都内のヒキガエルはすでに東日本亜種とされてきたアズマヒキガエルから西日本亜種のニホンヒキガエルへと「遺伝子浸透」が進んでいる(交雑が進んで、ニホンヒキガエルに近づいている)
  • 東京のヒキガエルの幼生(オタマジャクシ)は、埼玉県新座市や栃木県日光市のアズマヒキガエルの幼生よりも高い生存率を示している(ニホンヒキガエルと交雑した都内型のヒキガエルは、交雑が進んでいない北関東のヒキガエルよりも生命力が強い)
  • つまり、現在の東京のヒキガエル集団は、移入された西日本亜種系統に助けられ、個体数が維持されている可能性が大きい(混血した結果、生き延びている)

……この論文内容要旨からして、記事一覧のタイトルは「西日本型に助けられて生き延びた東京のヒキガエル」とでもするべきだろう。
一見自然豊かに見える我が家の周囲ではすでに地域絶滅しているのに、都内の住宅地には今もヒキガエルが出没している。その理由の一つが「移入種との交雑」だったということか。

血が混じることで環境変化に対応し、種を維持していくことができるというのはとても理解しやすい。愛玩動物として人為的に遺伝子操作されて生み出され、それをどこかの団体が「○○種」として「認定」し、以後「純血種」として繁殖される犬は病気に対する抵抗力が弱く、雑種の犬のほうが生命力が強いとか、一代雑種に名犬がよく生まれるということはよく知られている。

話をカエルに戻せば、関東以北にはトノサマガエルはおらず、トノサマガエルと間違われるのはトウキョウダルマガエルだとされている。しかし、トノサマガエルとトウキョウダルマガエルは交雑が可能で、すでにあちこちで交雑種が生まれているという説もある。
我が家の周辺はカエルといえばトウキョウダルマガエル。アマガエルよりずっと多い。都内ではすでにほぼ絶滅したのではないかといわれているトウキョウダルマガエルが、ここではアカガエルやアマガエルよりも多いのだ。
東大チームの論文を知って、もしかすると我が家の周辺にいっぱいいるトウキョウダルマガエルも、都内のヒキガエルのように、すでにトノサマガエルとの交雑種なのかもしれないと思った。(もちろん、それを確かめてみようとは全然思わないが)

上記の論文紹介記事では、こんなまとめが記されている。
社会的意義と今後の展望
生物多様性の中でも遺伝的多様性は、種の存続性を量る指標として重要である。生息地が失われた野生動物の多くが遺伝的多様性を低下させている。一方で、国内移入亜種との交雑問題など、人為的撹乱がもたらす遺伝的多様性への影響については、未だ知見は少ない。生物多様性の維持は人間社会の存続性にも関わることであり、本研究のような都市部の野生種についての遺伝的多様性研究の必要性は、今後ますます高まると考えられる。

だいぶぼかした言い方をしているが、「国内移入亜種との交雑」を単純に「避けるべきこと」として断じるのは危険であり、問題はもっと複雑で深い、といいたいのだろう。

100年以上前からすでに北海道に生きていたヒキガエルを、「北海道にはもともといなかった移入種」だから、「長期的にみて従来の生態系へ及ぼす影響が懸念される」ため「指定外来種」に指定して、保護どころか、「ふ化する前の卵の塊(ひも状)を池などから上に引き上げたり、黒色の小型で群れをなすオタマジャクシを網ですくい出して乾燥死させる方法が効果的です」と、行政が殺戮を推奨している……。
こんな怖ろしいことがあっていいのだろうか。

あなたは、今まで一緒に暮らしていた仲間を、ある日を境に「おまえは我々とは違う血の人間だそうだな。このまま生かしておくとどんどん血が混じっていくから排除するとお上が決めた。悪いが死んでもらう」といって殺すことができるか?
極論したり、難癖をつけているわけではない。人間社会の中でも実際にそういう歴史があった(ホロコーストや関東大震災でのデマなど……)ということを我々は学んできているし、今、この国ではそうした風潮(ネトウヨ、ヘイトスピーチ、嫌韓嫌中本……)が急速に広がっている。

生物多様性を脅かしている最大の生物は人間である。その反省もなく、机上の論理、しかも間違った論理で生物の生殺与奪を簡単に決めてしまう学者や行政。トンデモな決定に対して「ちょっと待て」と声を上げる者もいない現代日本。
……本当に背筋が寒くなる思いだ。

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「デブリを取り出して廃炉」という幻想2018/03/12 12:11

2018/03/10『報道ステーション』(テレビ朝日)より

言えない立場の増田尚宏氏と言える立場の田中俊一氏



↑2018年3月10日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日)の特集コーナーより(以下同)

今日、3月12日は1F1号機が水素爆発を起こした「原発爆発記念日」である。
その映像をテレビで見てすぐに、僕たちは川内村の家から逃げ出し、川崎市の仕事場に避難した。あの日からちょうど7年が経った。
今ではメディアも特集などを組むことは少なくなり、今年は森友文書書き換え問題などに食われている(あれもまた国家の根幹を揺るがすとんでもない事件だが)。

一昨日の『報道ステーション』で、1Fの廃炉がいかに困難かという問題を特集していた。
久しぶりに見る増田尚宏氏の苦渋に満ちた顔。この人がこの日記に登場するのは何回目だろうか。まずは2015年の⇒この日記を読んでいただきたい。
2015年3月、NHKの海外向け放送にてインタビューに答える増田尚宏氏
2015年、このインタビューで増田氏はこう語っている。
溶融燃料についてはわからない。形状や強度は不明。
30メータ上方から遠隔操作で取り除く必要があるが、そういった種類の技術は持っておらず、存在しない

(政府は廃炉作業を2020年に始める意向だとしているが)それはとてつもないチャレンジと言える。正直に言って、私はそれが可能だとは言えない。でも不可能だとも言いたくない。

どのくらいの被ばく線量なら許容されるのか? 周辺住民ににはどんな情報が必要なのか? どうすればよいか教えてくれる教科書はない。
私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない

国内で放送されないと知っていたからか、かなり正直に胸の内を吐露している。
それが、3年経った現在では、こう答えている。


使用済み燃料を取り除くことは責任を持ってやらなくてはならないやればできるものだと思っている

この言葉の間にはいくつかの言い訳や説明が挟まれていたが、要するに「できる」「やらなければならない」と言いきっている。
3年前には「溶融燃料(デブリ)についてはわからない。形状や強度は不明」と言っていたが、今ではデブリの状態が想像以上にひどい状況だということが分かってきている。
優秀な専門家である彼には、デブリの取り出しなどとうていできないと分かっている。しかし、組織人として「取り出さなければならない」「やればできると信じている」などと答えなければならない立場に置かれていることの苦しさが、最後には悲鳴にも聞こえるような大きな声での叫びとなって絞り出されたように見えた。

増田氏は東電にとって、いや、日本の原子力業界にとってかけがえのない人材だ。彼のスーパーマン的な活躍がなければ、1F同様、2Fも爆発していただろう。7年前、彼が2Fの所長だったことは本当に幸運だった。
が、その彼も、この数年で顔つきがだいぶ変わったように感じる。どれだけ辛い人生を歩んでいることか、察するに余りある。

デブリは取りだしてはいけない

一方で、その直後に登場した田中俊一・原子力規制委員会前(初代)委員長は、相変わらずのシニカルな表情でこう言ってのけた。









廃炉現場の最高責任者に任命され、今も現場を指揮している増田氏と、規制委員長を辞めた田中氏の立場の違いがはっきり見て取れる。
人間としては増田氏のほうを信頼したいが、この点に関しては、田中氏の言うことが正しい。
「そういうことを言うこと自体が国民に変な希望を与える」という発言のときは、「幻想」と言いかけたのを、少し考えてから「変な希望」と言い換えていた。

圧力容器を突き破って底まで全量溶け落ちたデブリを遠隔操作で取り出すなどという技術は存在しない
そもそも、取り出せたとしても、置き場所がないのだ。きちんと形のある使用済み核燃料でさえ保管場所がないのに、不定形になったデブリをどこでどうやって保管するというのか。これ以上、デブリの取り出しにこだわるのは、莫大な金をかけてリスクを拡大するだけの愚行だ。
つまり、デブリは取り出せないし、今は取り出そうとしてはいけない
では、どうすれば今よりひどい状態にならないで長期間、ある程度の安全を得られるかを、合理的に考えなければいけない。そんなことは、誰が考えたって自明の理だ。

できないことを「そのうちできるだろう」「なんとかなるんじゃないか」といって無理矢理金を投入して始めてしまい、取り返しのつかないことに追い込まれるのは原子力発電事業そのものの構図だ。出てくる核廃物の処理や保管技術がないままに原子力発電所を作り、今なお、この根本的な解決方法は存在しない。日本国内だけでも、行き場のない使用済み核燃料が発電所内にごっそり置かれたままだ。
技術が存在しないどころか、エントロピー増大則に従うしかない物理世界(我々が生きているこの地球上)では、核廃物の根本的な処分方法は今後も見つからないだろう。
できないことをしてはいけない──このあたりまえのことを無視するとどんな結果になるか、すでに手痛く体験したことなのに、なぜこの期に及んでまで、謙虚になれない、合理的に判断できないのだろう。

3年前の増田氏の言葉と今の増田氏の言葉を比較すると、絶望的な状況はますますはっきりしてきたのに、逆に正直に答えることはできなくなったという悲しい現実が見える。
増田氏の「組織人」としての苦悩は痛いほど分かるが、とにもかくにも、彼の上で命令を下す人たちがきちんとした判断を下さず逃げてばかりいる限り、増田氏の高い能力も、今後変な方向に向かいかねない。
それこそ、3年前の彼が漏らした「私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない」という言葉の重みが、ますます深刻なものになっているのだ。
その闇の深さ、問題の大きさを、現場の人たちだけに押しつけず、我々一般人も、少しは共有すべきではないか。
次の選挙のときには、このことをぜひ思い出してほしい。
どうしようもない破局が訪れる前に、どうせ自分は死んでしまうだろう、という「食い逃げ」の人生でいいのか、と自問自答してみようではないか。


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原発が壊れるのは靴下が片方なくなるのと同じ2016/05/03 13:41

同じ!
フェイスブックで「大笑いした」というネタが⇒これ。「いったいなぜ?靴下の片方だけが行方不明になってしまう謎が科学者によって解き明かされる」
 洗濯をするたびに靴下の片方が行方不明になってしまう。おかげでタンスの中は片方しかない靴下だらけで、新しく買いなおす出費もバカにならない。だが、この人類を苦しめるミステリーがついに解き明かされた。
 ミステリーの解明を行ったのは心理学者サイモン・ムーア博士と統計学者ジェフ・エリス博士……。


ほお~、そうですか。
心理学者と統計学者が本気で研究したわけですね。

 この調査から、イギリスでは1人当たり月平均1.3足の靴下が消失していることが判明。1年なら15足、一生なら1,264足にもなる。 靴下消失による損害は1人当たりの生涯でおよそ40万円(2,528ポンド)、年間3,158億円(20億ポンド)にも達する。


……というわけで、真面目な調査・研究なのだということは分かった。
で、ニヤニヤしながら読んでいたのはこのへんまで。
次の部分を読んで、急に笑っていられなくなった。

なお、靴下消失に関わる4つの心理的要因は以下の通りだ。

1. 責任の分散
 洗濯する者が自分以外の人間に責任を押し付けることから、誰も失くし物について責任を負わない。結局、靴下は見つからなくなってしまう。

2. 視覚的認識(ヒューリスティック)
 ヒューリスティックとは、暗黙のうちに用いる簡易な解法や法則のことをいう。さっと判断できる反面、必ずしも正しいわけではなく、判断結果にバイアスがあることも多い。このバイアスのせいで、例えば靴下やテレビのリモコンなどがいつもの場所にないと、失くしてしまったと思い込んでしまう。
 
3. 確証バイアス
 人は真実であってほしいと思ったことを真実であると思い込む傾向にある。今回の事例でいうなら、人は両方揃っていない靴下が目に入らなければ、それはないと信じ込みがちということだ。

4. 過失、過怠
 様々な事故や謎の背景にはヒューマンエラーがある。例えば、誰かが床に靴下が落ちているのを見たとしても、それを拾って洗濯物カゴや洗濯機の中に入れなかったりすることがある。この場合は過怠だ。あるいは色の濃い洗濯物の中に白い靴下を入れてしまったり、片方だけ適当な場所に置いてしまったりすることがある。これが過失である。


……これって…………。

もうお分かりだと思うが、少しだけ書き直してみた。

1. 責任の分散
 政府、電力会社、規制委員会それぞれが自分以外の人間に責任を押し付けることから、誰も事故や欠陥について責任を負わない。結局、重大事故は必ず起きてしまう。

2. 視覚的認識(ヒューリスティック)
 ヒューリスティックとは、暗黙のうちに用いる簡易な解法や法則のことをいう。さっと判断できる反面、必ずしも正しいわけではなく、判断結果にバイアスがあることも多い。このバイアスのせいで、例えばパッと見ていつも通りの風景だと、これで大丈夫と思い込んでしまう。
 
3. 確証バイアス
 人は真実であってほしいと思ったことを真実であると思い込む傾向にある。事故は絶対に起きないと言い続けていれば、いつか本当に起きないと信じ込むようになる。

4. 過失、過怠
 様々な事故や謎の背景にはヒューマンエラーがある。例えば、作業現場で誰かが床に小さなボルトが一本落ちているのを見たとしても、それを拾って正体を確かめようとしないことがある。この場合は過怠だ。あるいは微妙に寸法の違うボルトをちょっと緩いかもと感じつつ間違った場所に使ってしまったりすることがある。これが過失である。



靴下が片方だけなくなるのも、原発から放射性物質が漏れ出すのも、人間のやることであるから必ず起きる。原発が絶対に安全だと主張する人は、靴下はなくならない、靴下紛失事故は必ず防げる、と言っているのと同じことだ。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

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「フクシマ」を3.11に埋没させないために2016/03/11 19:37

中継をやめさせようとする関電職員と素直に応じる代表取材局のNHK

最大の危険要因は「人間」

関西電力広報担当職員 「いったんこれで今日終わりにします。今日ね、もう、並列(送電開始)なし。は~い。(横の誰かに向かって)タービンうまく並列できへんかった? (記者に向き直って)ちゃんとまた説明しますんで」
代表取材の記者(NHK?) 「はい。分かりました~ぁ」
広報担当 「いったんちょっと終わって、帰りましょうか」
取材記者 「はい」

2016年2月29日。
関西電力は、高浜原子力発電所4号機が送電を開始する瞬間をテレビでPRするために、中央制御室にテレビ代表取材のカメラを入れていた。
そのカメラの前で、職員が送電開始のスイッチを入れた途端にけたたましく警報音が鳴り響き、原子炉が緊急自動停止した。
↑上のやりとりは、同日夜の「報道ステーション」(テレビ朝日)で流れた映像の一部をそっくりそのまま文字起こししたものだ。
元北海道新聞社編集委員の上出義樹氏が関電に電話で確認したところ、代表取材で入っていたテレビ局はNHKだという。ということは、この間延びしたような返事をしているのはNHKの記者なのだろう。

このときの様子は近くの会場に集まっていた報道関係者たちに中継されていたが、そこにいた中日新聞の記者は以下のような記事を書いている
 「投入」。29日午後2時1分26秒、高浜原発4号機近くの関西電力原子力研修センター(福井県高浜町)で、報道関係者向けに中央制御室を映した中継映像から声が聞こえた。発送電を行うため、スイッチをひねって電気を流した合図。その直後から「ファー」という音が断続的に鳴り続けた。
 センターで報道陣に作業内容の説明をしていた関電社員は当初、「異常がなくても鳴る警報もあります」と説明。画面の向こうの作業員らも慌てている様子はなかった。
 しかし警報音は鳴りやまない。異変を感じたのは数分後。映像を前に、関電社員二人が耳打ちしながら指をさし始めた。その先には、上部の警報盤に赤く点滅するボタンがあった。
 「トリップ(緊急停止)したようです」「制御棒が落ちて、原子炉が停止しました」と社員は動揺した様子で話した。トラブルの発生に、センター内の空気が一気に張り詰めた。間もなく関電は中継映像を遮断。詳しい説明を求める報道陣に対し、社員は「確認する」と、慌ただしくその場を離れた。
 (2016年3月1日 中日新聞 米田怜央


関西電力社員が「異常がなくても鳴る」と咄嗟にでまかせ説明をしたという部分で、すぐに思い浮かべたのは、2011年3月12日、福島第一原発1号機が爆発したときに、日本テレビのスタジオにいた東京工業大学原子炉工学研究所・有冨正憲教授とアナウンサーとのやりとりだ。
そのときの録画映像を見ながら、一字一句正確に文字起こししてみた↓
有冨教授 「緊急を要したんだろうと思いますが、爆破弁というものを使って、あたかも先ほどの絵じゃありませんが、全体にこう、なんといいますか、あの~、ちょっと、出るような形で……蒸気が、充満するような形で、出てきました」
アナウンサー 「あれは蒸気ですか?」
有冨 「蒸気だと思います。ちょうど爆破されたような形で、あの~、蒸気が……蒸気だと思いますが、出てきましたねえ」
アナ 「これ、あの、我々が見ると本当に心配するんですが、その爆破弁というものを使って蒸気を『出した』……という……」
有冨 「はい」
アナ 「意図的なものだと考えて……」
有冨 「はい。意図的なものだと思います」

このブラックコメディのようなシーンを覚えているだろうか?
よく分かってもいないことに対して平然と無茶苦茶な説明をする「専門家」たち。
そして、それを検証できず、ツッコミもせずにそのまま流してしまう、あるいは隠してしまうマスメディア。
同じことを5年経った今もやっている。何の反省もなく、当時よりも倫理観や責任感がゆるゆるに欠如した状態で。
「原発爆発の日」である3.12が5年目を迎えたのを機に、私たちはこれをしっかり思い起こし、反省しなければいけない。

巨大地震だの津波がまたやってくる可能性がどうのとかいっている前に、最大の危険要因は人間の愚かさだということを認識するべきだ。
チェルノブイリは天災が引き金ではなく、作業員のアホなミスやそれを起こさせた緩すぎる運営体制が原因だった。
今の日本を見ていると、チェルノブイリを起こした作業員たちより現場やトップが優れているだなんて、到底信じられない。
巨大地震や津波が襲ってこなくても、テロ攻撃されなくても、原発を動かしている、動かせている、それを許している、待ち望んでいる人たちがアホなのだから、「アホ」が原因の過酷事故は必ずまた起きる。
いや、アホが原因の事故というよりは、現代社会における原子力そのものが、アホと狂気のハイブリッドシステムというべきだ。

フェイスブックでこんなことを書いている人がいた。
普通のマンションでも40年で建て替えするのに、こんな50年前の時代遅れシステムを世界一安全という感覚自体が狂っている。政府や電力会社だけでなく、再稼働容認した自治体、住民は、万一の事故時には、被害補償放棄のみならず、他地区住民への賠償責任を負う、と法制化すべきだろう。

そう、まさにこの認識こそが重要なのだ。

「フクシマ」はいわば「裏切られた」「騙された」経験だから、原発立地の住民にも賠償するのは当然だと思うが、「フクシマ」を経験した今はもう違う。
「絶対安全」は嘘だった、ひどい運営状態だったことが分かっている。
今なお、「送電開始!」──警報音ファオンファオン……というお粗末を続けているこの国で、それでも原発政策を進めてほしいという人たちは、将来は自らが賠償責任を負う覚悟でそういいなさいね。

……と、これを書いている今は2016年3月11日。
テレビは「あれから5年」的な番組で一日中埋まるのかと思ったら、全然そうでもなくて、相変わらずご当地グルメだの野球賭博だのといった話題に時間を割いていたりする。まさに「5年間の劣化」だ。

せめて、「フクシマ」を地震や津波の被害と一緒くたに語るのはもうやめよう。
1F(いちえふ)が壊れたのは津波のせい「だけ」ではない。地震の揺れでパイプがあちこち寸断され、水が漏れたし、なによりも必要最低限の対策すら怠っていたための電源喪失だった。地震や津波は天災だが、「フクシマ」は完全な人災。 3.11というくくりで地震・津波被災と「フクシマ」問題を一緒くたに扱うことで、「フクシマ」問題の本質がどんどんごまかされてしまう。
よって、「フクシマ」がなぜ起きたのかを反省する日は3.12「原発爆発デー」とでもして、別問題として思いを新たにしたらどうだろう。

で、狂気の政策を続ける政治を容認している国民ひとりひとりも、程度の差こそあれ、このシステムを作り上げてしまった共犯者なのだという自覚を持つ。
まあ、実際には、我々はすでに「フクシマ」の後始末で、少なくとも十数兆円の「賠償」をしている。税金と電気料金という形で。
この「賠償」はこれからもずっと続けなければならない。
そのこともしっかり認識する日が、3.12。
……3.11とは違った恐怖と悲しみに包まれる……。

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福島第一原発は東北有数の「電力消費地」2016/02/17 21:29

「凍土壁には関心ない」と言い放った田中委員長


1Fの「凍土壁」というの、まだやっていたんだなあ。
いくらなんでももうやめているんじゃないかと思っていたのだが、どれだけ税金や電気料金を無駄に使うのか……。
これに関してはどうも「税金を食い物にしたい」というよりも、今の日本、頭悪すぎる人が上にいることの悪夢、なんだろう。
 原子力規制委員会の田中俊一委員長は13日、東京電力福島第1原発を視察した。汚染水の増加抑制策として1~4号機建屋周囲の土壌を凍らせ、地下水の流入を減らす凍土遮水壁も視察したが、「少しばかり水が入るのを減らしたからといって、汚染水問題は解決しない。あまり関心はない」と述べた。
 田中委員長は「処理した水は海に捨てるという持続性のある形をつくらないと、廃炉は進まない」と指摘。汚染水の放射性物質を減らした上で海に放出するよう改めて求めた。
時事ドットコム


言葉を穏やかにしているが「関心ない」というのは「バカじゃないの?」と言っているに等しい。
まともな頭の人ならみんなそう思う。
一体これにどれだけの金を使っているのか。
凍らせるのは電力で凍らせるわけだが、今、1Fの現場では一体どれだけの電力を使っているのか。
東電はそれを公表すべきだ。
「私たちは本来電気を作る施設である発電所の不始末を片づけるために、毎日○○の電力を使用しています。これは一般家庭の使用する電力○○戸分に相当します。その分の電気料金はみなさまからいただいている電気料金に上乗せさせていただいております」
……とね。

こういうことがあと何十年続くのか分からない。多分、何十年では済まないだろう。100年後も、1Fを完全に後始末できているとは到底思えない。
これから先、たとえ過酷事故が起きなかったとしても、原発を動かせば放射性廃物が出続けることに変わりはない。
そして、その処分方法を人類は未だに知らない。


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新・マリアの父親

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