東京マラソン2011・世界陸上代表に内定した川内優輝は「市民ランナー」なのか?2011/02/28 14:18

川内優輝は「市民ランナー」かという論争の虚しさ

昨日の東京マラソン、ついつい興奮して夜中までネットで「川内優輝」を検索していた。
「どうせ公務員は暇なんだろうからいくらでも練習できる」だの、「公務員がBMWもらっていいのか」といった馬鹿発言の数々は無視するとして、面白かったのはベースボールマガジン社のサイトにあったこんなコメント
「市民マラソン」や「市民ランナー」という言葉自体が非常にあいまいな言葉のように感じられて、本誌ではできるだけ使わないようにしています。「ランナー」でよい場合には「ランナー」で、エリートランナーと区別する必要がある場合は、「一般ランナー」という言葉を使うようにしています。本誌の基準でいえば、川内選手はエリートランナーであり、一般ランナーではありません。

2ちゃんねるの書き込みにもこの手のものがいっぱいあった。
書いている人たちの真意としては、次の2通りあるように感じる。

1)川内優輝は箱根駅伝も2回走っている「エリートランナー」であり、去年の東京マラソンでも2時間12分台で4位に入っている。知らないあなたは陸上ファンではないだけのこと

2)市民ランナーというのは、趣味で走る人のこと。川内優輝は所属が埼玉県庁だというだけで、一般の市民ランナーではない

一方で、「市民ランナー」を強調する人たちやメディアが言いたいのは以下の点だろう。

1)実業団チームに所属しているランナーや走ることで生計を立てているプロランナーは、競技をすることが仕事である。川内優輝は勤務時間外にやりくりしてトレーニングを積んでいて、走ることで自分の金を使うことはあっても、走ることで稼いでいるランナーたちとはまったく違う

2)実業団チームのランナーには、プロのコーチもいるし、食う寝るところ、練習場所、遠征費など、走るため、生活するためのあらゆる面で企業がサポートしてくれる。そもそも、陸上のトレーニングを仲間なしで、自分だけの意志で組み立て、持続するのは至難の業である。その環境でトップ選手のレベルに到達した川内はとてつもない努力家である

僕はやはり後者の視点を強調したい。
特に、一緒に練習する仲間や、練習を管理するコーチがいないというのは大変なことだ。
今日(28日)、昼のテレビを見ていたら、どこかのスポーツ紙の記事で「川内は富士山でひとり黙々と高地トレーニングをしていた」という記事が紹介されていた。五合目から頂上まで駆け上がり、また戻ってくるというトレーニングを3時間台でこなしていたという。本当かいな。
高地トレーニングというとアメリカのボルダーなどが有名だが、そんなお金も時間もない川内は、自前で行える高地トレーニングの場所として富士山を選んでいたというのだ。考えついたとしても、そんなことをひとりで実行できる人間はそうそういない。
スキーの上村愛子や400mハードルの為末大などもそうだが、トレーニングからレースへの参加手続き、遠征まで、競技にまつわるすべてを自分でこなさなければいけない競技者は、それだけでバックアップがあるプロ環境の選手とはまったく違う。

今回のレースを振り返ると、昨年4位で招待選手になっているにも関わらず、フジサンケイグループは川内がドラマを作りだす可能性についてまったく思い及ばなかったようだ。
レースの中継を改めて録画で見てみたが、30km過ぎまで、中継アナウンサーの口からは川内のかの字も出てこない。
それが35kmになって日本人選手が川内と尾田の二人になって、突然「市民ランナーの星」とか言い出す。
フジテレビの東京マラソンPRサイトにある「注目のランナー」⇒「国内招待選手」では、7人の国内招待選手のうち、他の6選手すべてに「2010年日本唯一のサブテン男!(藤原 新)」「世界選手権3度出場、見せるかベテランの底力!(入船敏)」「実業団駅伝3度の区間賞、ロードの鬼世界へ!(秋葉啓太)」……といったキャッチフレーズがつけられているのに、川内だけはなにも書かれていない。
そもそもこのページでは、国内招待選手のトップであり、フジも一押しで注目していた藤原新選手のプロフィールがまったく間違っていて、レースが終わった2011年2月28日現在も訂正されていない。
【生年月日】1970年9月24日
【年齢】38歳
【身長】186cm
【体重】64kg
【資格記録】
 2:11:21 /2008年パリマラソン16位
【自己最高記録】
 2:06:16 /2002年シカゴマラソン3位
【その他の実績】
 2005年東京国際マラソン優勝
 2005年世界選手権マラソン4位

……って、これは高岡寿成のプロフィールである。なんでこんなとんでもないミスを見逃しているのだろう。
間違いは誰にでもあるから仕方がないが、これだけひどいミスなら、当然、あちこちから「間違ってますよ」という指摘があったはずだ。それなのに平気で放置しているというのは、フジのスタッフがいかにマラソンというスポーツに情熱を持っていないかということの証明ではないだろうか。

ヤフーのスポーツナビでも、「注目選手・男子」のところで、川内は10人目に出てくるのだが、川内と一般参加のゲディオン(日清食品)だけ写真がない。国内招待選手4番目、ゼッケン番号16をつける選手が、一般参加選手より下に扱われ、写真もつけてもらえていないのだ。 (ちなみに、日清食品のゲディオンが出場予定で、直前に取りやめていたことをこのページで初めて知った。出ていたら相当面白かったのだが……)
「川内選手はエリートランナーであり、市民ランナーではありません」と主張する人たちの言い分も分かるのだが、ことメディアの扱いという点でも、企業に所属するランナーとそうでないランナーはこれだけ違うのだ。

昨夜のTVニュースでも、中継を担当したフジ系列のスポーツニュースでさえ、川内が世界選手権代表に内定したニュースは極端に軽かった。NHKは「市民ランナー川内」に注目して取材を進めていたストックがあり、ここぞとばかりニュースの中でも普段の勤務ぶりなどを映した映像を入れていたが、もしかして、フジや他の民放が冷淡だったのは、NHKが取材をしていることを知っていたからだろうか、などと勘ぐってみたくもなる。
まだ始まってもいないプロ野球のキャンプ地リポート、それも「ゆうちゃん」関連ともなれば番組の大半を使うくらいの扱いなのに、マラソンのゆうちゃんはまだまだ軽い扱いなのだ。

……とまあ、川内優輝選手を「市民ランナーの星」と呼ぶことの是非については、このへんにしておいて、次に、彼の資質の非凡さについて、改めて考えてみた。

まず、去年の東京マラソンで4位に入っていたのに、なぜ注目されなかったのか、記憶に残らなかったのかを振り返ってみる。
去年(2010年)の東京マラソンは天候に恵まれず、スタートから降っていた雨は途中からみぞれに変わるという悪条件。記録も出なかった。
結果は、

1 藤原正和(Honda) 2:12.19
2 藤原新(JR東日本) 2:12.34
3 佐藤敦之(中国電力) 2:12.35
4 川内優輝(埼玉陸協) 2:12.36
5 足立知弥(旭化成) 2:12.46
6 ジョセフ.ムワニキ(コニカミノルタ) 2:12.53
7 ラシド.キスリ(モロッコ) 2:12.59
8 幸田高明(旭化成) 2:13.04
9 サリム.キプサング(ケニア) 2:13.04
10 長谷川清勝(JR東日本) 2:15.15
11 大西雄三(日清食品グループ) 2:15.39
12 テフェリ.ウォダジョ(エチオピア) 2:15.45
13 石毛豊志(ヤクルト) 2:16.51
14 渡邊真一(山陽特殊製鋼) 2:17.46
15 国近友昭(エスビー食品) 2:18.03
16 油谷繁(中国電力) 2:18.05
17 梅木蔵雄(中国電力) 2:18.51
18 渋谷明憲(柳河精機) 2:19.12
19 ニコラス.キプロノ(ウガンダ) 2:20.44
20 大和田匠(日立電線) 2:22.02

……だった。
上位20位のうち、実業団チームに所属していない日本人選手は川内優輝だけ。
これもすごいことだったが、上位3人が実業団のエリートランナーで、復活をかけたレースで結果を出したというドラマが成立したため、メディアの報道はその方向で固まってしまっていた。
ニュースの内容・価値は、報じるメディアの匙加減で決まる。

もうひとつ、今回のレースで、40kmからゴールまで、最後の2.195kmをいちばん速く走ったのは、優勝したメコネンでも2位のビウォットでもなく、川内優輝なのだ。
川内優輝選手のスプリットタイム
地点名
Point
スプリット
Split (Net Time)
ラップ
Lap
通過時間
Time
5km 00:14:57 (0:14:54) 0:14:54 09:24:57
10km 00:29:57 (0:29:54) 0:15:00 09:39:57
15km 00:44:51 (0:44:48) 0:14:54 09:54:51
20km 00:59:55 (0:59:52) 0:15:04 10:09:55
25km 01:15:02 (1:14:59) 0:15:07 10:25:02
30km 01:30:07 (1:30:04) 0:15:05 10:40:07
35km 01:45:54 (1:45:51) 0:15:47 10:55:54
40km 02:01:45 (2:01:42) 0:15:51 11:11:45
Finish 02:08:37 (2:08:34) 0:06:52 11:18:37
ラスト2.195kmを6分52秒(1kmあたり3分8秒のペース)

1位メコネン選手のスプリットタイム
地点名
Point
スプリット
Split (Net Time)
ラップ
Lap
通過時間
Time
5km 00:14:57 (0:14:55) 0:14:55 09:24:57
10km 00:29:56 (0:29:54) 0:14:59 09:39:56
15km 00:44:50 (0:44:48) 0:14:54 09:54:50
20km 00:59:54 (0:59:52) 0:15:04 10:09:54
25km 01:15:00 (1:14:58) 0:15:06 10:25:00
30km 01:29:56 (1:29:54) 0:14:56 10:39:56
35km 01:44:58 (1:44:56) 0:15:02 10:54:58
40km 02:00:41 (2:00:39) 0:15:43 11:10:41
Finish 02:07:35 (2:07:33) 0:06:54 11:17:35
ラスト2.195kmを6分54秒


2位ビウォット選手のスプリットタイム
地点名
Point
スプリット
Split (Net Time)
ラップ
Lap
通過時間
Time
5km 00:14:57 (0:14:54) 0:14:54 09:24:57
10km 00:29:56 (0:29:53) 0:14:59 09:39:56
15km 00:44:50 (0:44:47) 0:14:54 09:54:50
20km 00:59:54 (0:59:51) 0:15:04 10:09:54
25km 01:15:00 (1:14:57) 0:15:06 10:25:00
30km 01:29:56 (1:29:53) 0:14:56 10:39:56
35km 01:45:04 (1:45:01) 0:15:08 10:55:04
40km 02:01:01 (2:00:58) 0:15:57 11:11:01
Finish 02:08:17 (2:08:14) 0:07:16 11:18:17
ラスト2.195kmを7分16秒


4位 尾田賢典選手のスプリットタイム
地点名
Point
スプリット
Split (Net Time)
ラップ
Lap
通過時間
Time
5km 00:14:58 (0:14:56) 0:14:56 09:24:58
10km 00:29:58 (0:29:56) 0:15:00 09:39:58
15km 00:44:51 (0:44:49) 0:14:53 09:54:51
20km 00:59:55 (0:59:53) 0:15:04 10:09:55
25km 01:15:01 (1:14:59) 0:15:06 10:25:01
30km 01:30:06 (1:30:04) 0:15:05 10:40:06
35km 01:45:37 (1:45:35) 0:15:31 10:55:37
40km 02:01:52 (2:01:50) 0:16:15 11:11:52
Finish 02:09:03 (2:09:01) 0:07:11 11:19:03
ラスト2.195kmを7分11秒


2時間6分台ペースのレースに最初からついていきながら「前半余力を残した分、最後は死ぬ気で走ってやろうと思った」と語った川内優輝。
あのペースで最後にスピードアップができたという根性と能力。
これはもう、エリート選手なのか市民ランナーなのかという定義の問題なんてどうでもいい。日本のマラソン界を引っ張っていけるかけがえのないランナーが現れたのだ。
僕たちは、これからもひとつの人生ドラマとしてだけでなく、普通に「日本代表の川内」がどうなるのか、注目し続けるだろう。