「絶対」音感なんてものはない2019/02/11 21:25

学校の放送室

「移動ド音感」と「固定ド音感」

学校のチャイム

テスト1


とりあえずこれ↑を聴いてほしい。(音が出ない場合は左端の三角印をクリック)
どう聞こえるだろうか?
  1. ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる
  2. 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない

1の人は、メロディを聴くとドレミファ……という階名をラベリングする習慣がある。
2の人は、メロディを階名と結びつける習慣がない。

世の中の人は、概ねこの2通りに分けられる。
ちなみに上のメロディを譜面に表せばこうなる↓

テスト2

では、次のこれ↓はどうだろうか(三角印をクリック)


  1. ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる
  2. ファラソド ファソラファ ラファソド ドソラファ ……と聞こえる
  3. 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない


1の人は移動ド音感である。
2の人は固定ド音感である。
3の人はどちらでもない。(メロディは「ああ、あれだ」と分かっても、階名には結びつかない)

最初のケースの1の人が、2つのグループに分かれたわけだ。
ちなみに上のメロディを譜面に表すとこうなる。

これを移動ド音感の人は、キー(調)に関係なく、「長調のメロディ」として聞こえてくるので、

↑こう聞こえる。ちなみにF(和音名=ヘ)の音をドレミ……のドにした長音階(ヘ長調)に相当するので、本来譜面の横には b(フラット) が1つつくが、この学校チャイムのメロディには「B」(和名音名なら「ロ」)に相当する音が含まれていないので、b がなくても演奏には影響がない。

一方、固定ド音感の人は、あくまでもA=440Hzの調律をした楽器の「Cの音をドと固定して聴いている」ので、

↑こう聞こえる。

テスト3

では、次はどうだろうか?(三角印をクリック)

  1. ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる
  2. ファラソド ファソラファ ラファソド ドソラファ ……と聞こえる……かな?
  3. ミ ソ# ファ# シ ミ ファ# ソ# ミ ソミファシ シ ファ# ソ# ミ ……と聞こえる……かな?
  4. 気持ちが悪い
  5. 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない

1はもう説明不要だが、移動ド音感の人である。
2.3.4.は固定ド音感の人だが、いわゆる「絶対音感」というものにどれだけ忠実な耳であるかで反応が分かれる。
実はこれ、A=422.5Hzというチューニングになっている。
現代では、A=440Hzというチューニングが標準とされ、クラシックなどでは少し高めのA=442Hzあたりのチューニングをすることもある。
しかし、A=422.5Hzまで下げると、A=440Hzのときの半音下のAb(G#)が415.3Hzなので、ヘ長調(Fメジャー)でもホ長調(Eメジャー)でもない中途半端なチューニングになる。(FメジャーよりはEメジャー寄り)

念のために、半音下げたEスケール(ホ長調)でも聴いてみよう。↓



これはA=440Hzのチューニングなので、「気持ちが悪い」という人はいなくなり、
  1. ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる
  2. ミ ソ# ファ# シ ミ ファ# ソ# ミ ソミファシ シ ファ# ソ# ミ ……と聞こえる
  3. 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない

の3通りに分かれると思う。

しつこいようだが、Gスケール(ト長調)でも聴いてみよう。



これだと、
  1. ドミレソ ドレミド ミドレソ ソレミド ……と聞こえる(移動ド音感)
  2. ソシラレ ソラシソ シソラレ レラシソ ……と聞こえる(固定ド音感)
  3. 学校のチャイムのメロディだが、階名は分からない

の3通りのグループに分かれるはずだ。

端的に言えば、固定ド音感の人にとって、Fスケールの学校チャイムとEスケールの学校チャイムは(違う高さの音で構成されている)「別々のもの」だが、移動ド音感の人にとってはこの両者は(「学校チャイムのメロディ」という意味で)「同じもの」なのである。

音楽は「相対音感」の文化である

さて、多くの人たちは、耳で聞いたメロディを即座に楽器で演奏してみせる人のことを「絶対音感」がある、などというが、それは間違いである。
まず、世の中の多くの人たちが「絶対音感」と呼んでいる音感は、ほとんどが「A=440Hz調律をしたときの固定音感」とでも呼ぶべき音感である。
このタイプの「固定音感」の持ち主は、クラシック音楽の演奏家などに多い。
「譜面に強い」のも特徴で、上のテストで固定ド音感であった人たちの多くは、この程度のメロディであれば、聴いた音をサラサラと譜面に書きおこすこともできる。
一方、移動ド音感の持ち主は「相対音感」を持っている。基準音がどんな周波数に調律されていようと、1オクターブ(周波数が倍音の関係)の間を12に分割した音の相対関係が正確であれば、音楽的には何の問題もなく、ちゃんと「メロディ」として把握できる。
優れた「相対音感」の持ち主もまた、メロディを聴けば譜面なしで歌ったり演奏したりできる。
この「相対音感」こそが、音楽(特に作曲や即興演奏)にとって重要な音感である。

固定音感(世の中の多くの人が「絶対音感」と呼んでいる音感)を持っていても音痴な人はいる。逆に、相対音感を持っていても「譜面は読めない」「譜面には弱い」という人はとても多い。
典型的な相対音感人間の例は安全漫才のみやぞんだ。

みやぞんはメロディを相対音感でとらえているので、譜面などなくてもメロディを再現できる↑
ガヤの中から「絶対音感があるやん」という声が聞こえるが、これは間違い。「相対音感」があるのだ。


上の動画を見て分かるように、原曲のキーに関係なく、みやぞんはすべてFスケール(ヘ長調)で弾いている。それが自分にとって弾きやすく、コードなどもFスケールの指癖で覚えてしまっているからだろう。
彼にA=422.5Hzでチューニングされたメロディや歌を聴かせても、長調であれば全部ヘ長調で演奏するに違いないし、A=440Hzからずれたチューニングであることも気づかないはずだ。

「半音」部分を言い表せない移動ド音感

ドレミファ……の階名には一つ大きな問題がある。
長音階(メジャースケール)、短音階(マイナースケール)から外れた音に対するラベリング(名前付け)がないことだ。
ひとつ例を挙げよう。
もうひとつ例を挙げよう。

月桂冠のテレビCM
この「好きだよね 月だよね」というジングル(広告コピーや社名、商品名などを短いメロディにのせたもの)はとてもよくできている。
こういうメロディだ。



これはBbスケール(変ロ長調)を基本にしたメロディなので、移動ド音感の人は、最初のところは

レミレドミ

……と聞こえる。
ちなみに、フリューゲルホルンやテナーサックス、ソプラノサックス、トロンボーン、ユーフォニウム、バスクラリネットなどは「Bb管」と呼ばれる管楽器で、基本のドレミファ……がBbスケール(Bbが「ド」)の音になる。だから、これらの楽器で「レミレドミ……」と吹けば、上の音になる。
これらは「移調楽器」なんて呼ばれるけれど、固定ド固定音感の人がこうした移調楽器を演奏しようとするとき、あるいは記譜しようとするときは、頭の中で一旦移調しなければならず、混乱するという。

ところで、このメロディのチャームポイント?は、二度目の「だよね」の「だ」がブルーノート(メジャースケールにもマイナースケールにも含まれない音)になっているところだ。
完全な長調のメロディだとちょっと面白くないのだが、ここにブルーノート(移動ドでいえばレとミの間の半音)が入ることでちょこっとおしゃれ感というか、ブルーステイストが出る。
しかし、ドレミファの階名だと、こういう半音部分は名前がないので、移動ド音感の人は、そこだけドレミで歌えなくなる。

レミレドミ ラソ●~レド

と聞こえるのだ。
●のところは普通に行けばミになりそうだが、ミではない。思わず頭の中では「む~」とか「ん~」となってしまう。
それに引きずられて、その後に続く最後の「レド」も、この音の後だともはや「レド」とは聞こえず、

レミレドミ ラソむ~むむ~

……みたいに聞こえてくるかもしれない。

一方、固定ド固定音感の人たちにはこうしたことはまったく関係ない。これがミbであることはすぐに分かるからだ。この音はこれでしょ、と、楽器上で勝手に指が動く。そういう訓練を受けている人たちが多い。


ちなみにみやぞんがこれを聴いて「ピアノで弾いてみて」と言われたら、迷わずFメジャー(ヘ長調)で弾き始めるだろう。
こういう感じで↓



シンプルにコードをつければこんな感じかな。





相対音感人間が激減している?

みやぞんが優れた相対音感の持ち主であることは間違いないが、彼がメロディを聴いたときにドレミ……の階名ラベリングを頭の中でしているかどうかは分からない。
また、ドレミ……でラベリングできるかどうかは、さほど重要なことでもない。
ドレミ……という階名は長調と短調のスケールの中でのラベリングであって、ジャズのようなテンションや転調がコロコロ出てくる音楽ではドレミ……ラベリングはあまり意味をなさないかもしれない。
実際、耳で聴いたときの階名ラベリングができなくても優秀な相対音感を持っている人たちもたくさんいる。ドレミは分からないし、譜面も読めないけれど、一度聴いたらすぐに歌えてしまう人などはそういうタイプだ。

ただ、みやぞんのような相対音感人間がどんどん少なくなってきていると感じるのは私だけだろうか。

「絶対音感」なんてない

固定ド固定音感の人たちが、移動ドや相対音感のことを、上から目線で「育ちが悪い」とか「音が狂っているのに分からないなんて」とか「ファソラなのにドレミって歌うなんて吐きそうだ」とか言っているシーンを目にする。音大生やプロの演奏家にも多い。
そういう人たちは、自分たちが「絶対音感」の持ち主であることにエリート意識を持っている。しかし、彼らは「絶対音感」という言葉の「絶対」という部分にマインドコントロールされているだけではないのか。
調律の仕方に「絶対」なんてない。どんな高さに調律しても、個々の音の相関関係がしっかりしていればなんの問題もない。ピアノの名門・スタインウェイ社は、一時期、A=435Hz~460Hzまで、何種類ものピアノを作っていた。
それに、平均律12音階ではない、ピタゴラス音律や純正律といった調律法、音階も存在する。純正律主義者?に言わせれば、ピアノやギターの平均律は「12音すべてが平均的に狂っている調律」だということになる。

また、ベートーベンもモーツァルトもバッハも、A=440Hzで音楽を作ったり聴いたり演奏してはいない。
Aの音(ハ長調の「ラ」の音)を440Hzにしようと決めたのは20世紀になってからのことだ。1917年にアメリカの音楽協会がA=440Hzを決めて、その後、1953年にISO(国際標準)が正式にひとつの基準として認定した。
しかし、それ以前の音楽の歴史を遡れば、A=440Hzというチューニングはむしろ異端で、時代によって、また同じ時代でも場所によって、もっと高かったり低かったりした
彼らの時代に演奏されていたオリジナルの音楽をそのまま今聴けば、「固定音感」の人たちはきっと「調律が狂っていて気持ちが悪い」と感じるだろう。
昔は録音機がなかったから、どんな音の高さで演奏されていたかは分からないではないかと言われそうだが、使用されていた調律用の音叉が残っている。
ヘンデルが使った音叉はA=422.5Hzで、ベートーベンの時代にはA=433Hzまで上がったそうだ。
A=422.5Hzというのは、A=440Hzで調律したときのAbが415Hzだから、今ならAとAbの中間あたりの音である。
そう、さっき聴いた学校チャイムの聴音「テスト3」がこれだ。
もう一度聴いてみよう。


ヘンデルはこの音程で調律した楽器を使っていたのだ。この調律で演奏される音楽が気持ち悪いと感じる人は、ヘンデルと一緒に演奏はできないことになる。
現在、バロック音楽の演奏会ではAの音を半音低い415Hz(Ab)に調律することが多いが、それはバロック時代の調律が今より低かったことが分かっているものの、現代の調律の標準であるA=440Hzとの整合性をとるために、A=422.5Hzなどという「中途半端」な調律にはせず、便宜上、Abの高さまで(半音ちょうど)低くしているわけだ。

もうお分かりだと思うが、要するに絶対音感と呼ばれる音感の「絶対性」は、基準点をどこに決めるかで変わってしまうのだ。
その意味で「絶対」音感などは存在しえない。あるとすれば、ある基準音を決めたときの「固定」音感とでも呼ぶべきものだ。

クラシックの名作曲家たちは、おそらくすぐれた相対音感の持ち主であっただろうし、チューニングの基準をどこに決めるかなんてことは、演奏する際の便宜にすぎないということを理解していた。「優れた音感」はあっても、「絶対音感」などという概念はなかったのではなかろうか。
人間音叉になってしまうような固定音感は、決められた調律で与えられた譜面通りに演奏するのには都合がいいかもしれないが、それでは「人間MIDI」ではないか?
メロディを作りだしたり、自由に楽しむためにはむしろ弊害のほうが多いと思われる。

誤解してほしくないが、私は、どんな音感が偉いとか言っているのではない。ただ、固定ド固定音感をつけさせることが音楽のエリートを養成する第一段階のようになってしまったら、それはとても怖いことだと思うのだ。
私にとっての音楽は、「音そのもの」よりも、音同士の相対性の関係(メロディ)に価値(美)を見出す文化だ。
一方で、固定ド固定音感の音楽世界は、音色の美しさや演奏技術の高さに最高価値を置いている世界観、言いかえれば「音そのものの価値観」の世界のような気がするのだが、どうだろうか。
どちらが「偉い」とか「高尚だ」という話ではない。同じ「音楽」といっている文化だが、人によって価値観が違うだけでなく、聞こえ方そのものが違う、という話である。

あなたはどうだろう?
譜面を与えれば、どんなに難しい曲も弾きこなせてしまうが、簡単なメロディの伴奏も譜面なしではできない演奏家と、演奏技術は大したことはないが、耳から入ってきたメロディを自分の好きなキーですぐに再現できるみやぞんタイプ……あなたなら、どちらになりたいだろうか?

「絶対音感」なんてない 動画版2019/02/14 20:08

「絶対音感神話の間違い」



YouTubeに動画にまとめたものをUPしてみました。

60代に入ってからは、YouTubeを遺言委託所みたいに考えてるなあ。



90歳・認知症老人の大腿骨骨折の記録(1)2019/02/16 14:57

正月のお飾りをつけた途端、電話がかかってきた

90歳認知症老人の大腿骨骨折 をまとめる


2018年年末に親父が施設で夜中に転倒?し、大腿骨頸部を骨折した。
骨折してから退院直後までの怒濤の?記録は、表の「のぼみ~日記」に逐一書いていたが、デリケートな内容でもあり、より多くの人の目に触れているであろうこのブログのほうにはのせていなかった。
しかし、一段落した今、読み返してみると、やはり多くの人たちが今後経験しうるであろうことであり、情報として公開・共有することは意味があると考え直し、時系列でまとめてみることにした。
すでに似たような体験をされたかたは多いと思うが、これから体験するかたはもっと多いはずだ。こういうことが稀なケースではなく、普通に起きていく時代・世の中になっているということを少しでも感じていただき、そのときの判断材料や気持ちの準備に役立てていただければ幸いだ。

2018/12/30 骨折が分からず

午前中、デイホームの施設長から電話があり、親父がベッドから落ちたか転倒したかしたらしく、脚に痛みを訴えたので緊急で訪問看護ステーションに連絡して来てもらったという報告があった。
幸い、外傷や腫れなどは認められず、本人も「今は痛くない」と言っているので、主治医とも電話で相談の上、「様子を見ましょう」と帰っていったという。
午後、様子を見にいくと、親父は口を開けて眠っていた。まるで遺体を見ているようで、ちょっと緊張した。
ここ数日、ほとんど寝ていないという。
なぜ寝ないのかはよく分からない。自律神経系が滅茶苦茶になっていて時間感覚や体内時計がかなり前から狂っている。夕飯前に突然「寝ます」と言って飯も食わずにベッドに入ってしまったり、昼も夜もほとんど寝ないで動き回ったりしているらしい。
動き回るといっても、しっかり歩けるわけではないので、部屋の中で机の引き出しや箪笥の引き出しを開けたり閉めたりを繰り返したり、ティッシュをやたらと引っぱり出したり……。
ちょっとした刺激でプチパニック状態になって、制御が効かなくなる。自分で自分の心身をいじめ抜いて、追い込んでいる感じ。
睡眠薬も効かないので為す術なし。疲れ果てて寝てくれるのを待つしかないのだが、この状態がもう数日続いていて、このままでは体力が尽きて死んでしまうのではないかとスタッフも心配している。
すでに部屋からベッドや箪笥、支え棒は撤去され、広くなった床にマットレスを敷いて寝かせている。
やれそうなことはすべてやってもらっているのだが、親父の場合、常に予想の先を行くというか、想定外の行動が飛び出すので、スタッフは本当に大変だ。
看護師さんが帰っていった後のオムツ交換で、血尿が認められたというので、そのオムツを実際に見せてもらった上で、再び訪問看護ステーションに電話して、予備に持っている抗生剤を飲ませたほうがいいと思うがどうか、と指示を仰いだ。
「そうですね。少なくとも3日は飲み続けさせてください」とのこと。
ようやく寝ているので、起きてから飲ませてくださいとスタッフに言って、念のためもう一度部屋を覗いてみると、薄目を開けていた顔がこっちを向いた。
「なんだ。どうした?」
「調子悪いみたいなんで、様子を見に来たんだよ」
「連絡がいったのか?」
「そうだよ。脚が痛いんだって?」
「何日か前に、足の上のほうがね……」
……すでに時間感覚がおかしい。今朝のことが数日前のことになり、話しているうちに何週間も前のことのように言う。そこで話が元に戻って、「足の上のほうがね……」と、ループが始まる。
「寝ないと死んじゃうよ。とにかく気を楽にして、ス~ッと息を吐いて、はい寝ますよ~、って感じで寝なさい」
「そうだね」
……返事をしつつも、こうなるとすでに興奮状態にスイッチが入ってしまっている。
寝るとそのまま死んでしまうという恐怖を感じているのだろうか。……分からない。

起きてしまったので、薬を飲ませたが、起き上がれないから飲ませるのも大変だ。

スタッフも大変だ。大晦日も正月もない。あまり重荷に感じないでくださいね。なるようにしかならないんだから……と、伝えた。

スタッフからは、ASD(自閉症スペクトラム障害)について解説した記事のコピーを渡された。お父様はこれではないか、と。
読むと、まさしくそうだなあと思うのだが、90歳の老人に今さら病名をつけても、何かできるわけではないし……。
もちろん、見守る側にとっては、対応のガイドラインができて意味があるだろう。
家族としても、自分たちの対応について、納得させる材料にはなる。
改めてスタッフへの感謝を心に刻んで家に戻った。

アスペルガー症候群

家に戻ってからASDについていろいろ調べていたら、今まではアスペルガー症候群とされていたものを、今は他の自閉症関連の症状とまとめて、より包括的に定義しようとしているらしい、と理解した。
で、アスペルガー症候群の解説を読んでいると、親父には完璧にあてはまるが、親父だけでなく、自分にもかなりあてはまるなあと気づいた。
特に子ども時代の自分。
大人になるにつれ、社会でもまれてだいぶ落ち着いてきた(普通に近づいた?)ものの、生まれつきこういう気質を持っていたんじゃないか、と。
  1. 人の中で浮いてしまうことが多い
  2. 無邪気に人に対して傷つけるようなことを言ったり、してしまう
  3. 物事に正直すぎる
  4. 話し方がとても回りくどい
  5. 「ちなみに」「ところで」「逆にいえば」「おそらくは」などの言葉を多用する
  6. 自分の関心があることを、相手の興味におかまいなしに一方的に話す
  7. 話が飛びやすい
  8. 自分の関心の赴くままに話題が変わっていく
  9. 話し相手の予備知識を考慮していない
  10. やたらと語呂合わせの駄洒落をいう
  11. 運動は苦手なのに楽器は上手だったり、読めないような字を書くのに絵は上手に描けるなど、独特の不器用さ器用さを示す(模倣能力の乏しさや、模倣するときの注目点が一般の子どもと異なる?)
  12. 感覚刺激(特に音)に対して敏感
  13. シャツのタグのあたるのが嫌でタグを取ってしまったり、きついズボンを嫌がってゆったりしたズボンをはきたがったりする
  14. 騒々しい環境が苦手
  15. 否定的な言動に対して敏感
  16. 大人を試すような行動をする

……このへんは全部あてはまるような気がする。
13や16は子供のときにはあったが、今はあまりない(少しでもきつい衣類が嫌い、というようなことはある)。しかし、その他は今の自分にもしっかりあてはまる。

まあ、そう気づいたから、今さらどうということでもないし、個性や気質になんらかの名称をあてはめて定義しようとするのも、一種の「大人の病理」かもしれない。
この歳になると、よほど人に迷惑をかけない限りは、どうでもいいと思う。若い人たちから見れば、年寄りであるというだけで「特殊な人」と思えるのだろうし。
ただ、自分が日々接する相手もどんどん高齢化していて、理不尽なキレかたをされたり、予想外の反応をしてきて面食らったりすることが増えてきた。
自分もそうなっていくのかもしれないと思いつつ、常に自戒し、人の気持ちをおもんばかる余裕を持つように、とは心がけているつもりなのだが、なかなか難しい。
とにかく、どんどん偏狭になることだけは避けたい。脳の萎縮は避けられないのだろうから、自分の変化を自分で把握する努力、対応する工夫が大切なんだろうな。
日々、自戒自戒。

⇒続く



90歳認知症老人の大腿骨骨折(2)2019/02/16 15:20

2019/01/03


再び痛みを訴える

年末、親父が大腿部を打ったらしいので訪問看護師を呼んだという連絡があり、様子を見に行ったが、看護師はすでに帰った後だった。
腫れもないし、触っても痛くないというので、このまま様子を見ましょうということになったという。
年末で病院はどこもやっていないし、どうしようもない。
骨が折れていないようでよかった。打撲だけならこのまま収まるかな……と思っていたのだが、3日になって、再び痛みを訴えるようになり、見ると右脚と左足の長さが違ってしまっているので、これは相当まずいのではないかと、再び訪問看護師さんを呼ぶ。
看護師さんから連絡が入って、訪問診療医にも伝えたとのこと。
午後、様子を見に行くが、親父は相変わらず「平気だ」の一点張り。
スタッフは「ほら、脚の長さが違うんですよ」と蒲団をめくって下半身を見せてくれた。
※今思えば、年末にすでに折れていたのだが、そのときは骨はまだずれておらず、本人も痛くないと言い張るので気づかなかった。その後、夜、また無理に動いてずれたのだろう。
まだ松の内で病院はどこも開いていないし、とりあえず様子を見守ることに。

2019/01/04

4日夜、訪問診療医(先々月から主治医となっていただいた宇都宮のクリニックの院長)が来てくださり診察。
「大腿骨頸部骨折で間違いないと思います。レントゲンを撮らないと断定はできませんが」とのこと。
骨が完全に折れているのに今まで「痛くない」と言い続けていた親父。そういう人だとは分かっていても、改めて呆れる。
さて、どうする。
整形外科でとにかく一度は確定診断してもらわないといけないというので、どの病院に連れて行くかをスタッフと相談。
まだ正月なので、開いているところは少ないし、救急車を呼べばそのまま入院~手術の流れになることは必至なので、そのまま病院で縛り付けられて死んでしまうことを恐れる。
主治医ともその点を相談するが、難しい判断になりそうで、主治医も困惑した表情で口が重くなる。
家に戻り、明日朝一から動くことを想定して、開いている病院などを確認。

2019/01/05

翌、5日。朝から介護タクシーなどを手配しようとしたが、まだ松の内の土曜日で、ケアマネ事務所も休み。どこの業者も留守電やら呼び出し音が続くだけで出ないやら、うちはそういうのはやっていません……やらで無理。
プジョーの後ろの座席を倒して押し込んで、無理矢理連れていけば、整形外科ならストレッチャーを持って駐車場まで運び込みに来てくれるだろうということで、病院に事前に電話をして家を出る。
しかし、途中、右側通行でこっちに向かってくる車がいたり、考え事しているうちに曲がるべき路地を通り過ぎてしまったり……バックして左折したら、ちょうど死角になっていた縁石にガツンとぶつけた。
施設のすぐ手前だったのでそのまま乗りつけたが、車は傷つき、パンクしている。

この程度で済んでよかった。くれぐれも注意力を失わず、乗りきらなくては……

整形外科の診察受付時間終了が迫っていたので、施設長が「じゃあ、うちの車で行って」と、介護車(ディーゼルのハイエース)の鍵を渡される。
そこにのせるまでが大変。女性3人と僕の4人で、シーツを引っ張り上げて押し込む。
助手さんには、家から夏タイヤ1本とジャッキと十字レンチを持ってきてと電話して、そのまま、人生初のディーゼルハイエースを運転して病院へ。

生まれて初めてこの大きさのディーゼル車を運転した

病院では「施設の人」とまちがえられる。無理もない。
ちょっと呆れられた顔をされたが、なんとかレントゲンまでは撮って診断は出た。

その病院では手術も入院もできないので、宇都宮の病院までこのまま運んでしまったほうがいいと何度も言われたが、固辞。
そこは昨夜、主治医とも相談していて、「このケースでは即入院、手術と言われるでしょう。入院させたくない場合は、一旦施設に戻りますと強く言わないと……」と、心構えはしてあった。

レントゲン写真が映し出されたモニターを撮らせてもらった↑ きれいに折れていて、すでに上のほうにずれてしまっている。
手術は「人工骨頭置換手術」というもので、下の図のようなものになるらしい

夕方、訪問診療から戻ってきた主治医と電話がつながり、相談。
整形外科では、手術をしない場合は痛みがかなり続くであろうということ。出血などの危険があるので、どっちみち施設での介護は限界があるともいわれた。
これも事前に承知のこと。「整形外科ではそう言われるでしょうね」と主治医にもいわれていたので、再確認みたいな形になる。
電話の向こうの主治医に「100歳でも手術させる」という整形外科医の話をすると、「ええ~!」と大きな声で驚いていた。
手術してもらうには遠く離れた総合病院に連れて行くしかないし、その場合の手立ても問題。全身麻酔に耐えられないかもしれないと麻酔医が判断すればそのまま何もせず戻ってくることになるかもしれないとも、整形外科では言われた。
入院となると、親父の場合、一気に精神状態が悪化することははっきりしている。以前、もっとずっと元気だったときの下肢静脈瘤手術の入院時に経験済み。このときは今日明日にも死んでしまうのではないかと思うほど、表情も激変し、認知症も悪化した。
いちばん恐れているのは、すでに骨折する前から急速に心身ともに弱っていた親父が、環境の変化に耐えられず、病院でパニックになり、そのまま縛り付けられてしまうことだった。
そのまま死んでしまうとしたら、人生の最後に耐えがたい恐怖を与えたことになる。それだけは避けたい。
しかし、この時点では、短期決戦のつもりで宇都宮の総合病院に移送、手術、引き取り、という方向に傾いていた。主治医にもそう告げたところ、「そうですか。ではその方向でいきますか? 難しい選択ですので、最後はご家族様が決めるしかないです。それでいいんじゃないでしょうか」と院長。
どっちみち明日は日曜でどうしようもないので、月曜日に仕切り直しということで電話での相談を終えた。

整形外科医では痛み止めなどの薬が一切出なかった。
前日、訪問診療の際「整形外科で痛み止めが出ない場合に備えて処方箋書いておきます」と渡された痛み止めの処方箋を持って薬局へ行ったが、土曜なのでどこも早じまいしていたり閉まっていたり。
ようやく一軒、電話をすると「今閉めるところです」という処方箋薬局があったので「あと10分待っていてください」と頼み込んで駆けつけ、なんとか痛み止めを入手。夜、施設に届けた。

入院・手術を選択しないことはありえるのか?

さて、ここでさらに悩む。
手術を拒否した場合だが、時間はかかっても痛みは治まり、骨が変形したままであっても車椅子生活ならできるようになったという報告もある。
症例Aは、自宅で転倒後、整形外科病院に担送。大腿骨頚部骨折と診断されたが、痴呆を理由に手術を拒否、そのまま介護老人保健施設を紹介。痛みに対する処置を行いながら脂肪塞栓などの合併症の予防に努め、慎重な全身管理のもと、車椅子での生活を開始させ、もちろん入浴も許可。3ヵ月後再び徘徊できるまで回復。骨折前には要介護度5と認定されていたものの、再認定の結果、要介護4と判定。
(略)
骨癒合が得られなくとも、変形治癒しようとも、治療期間が長くとも、良好なADLを維持できる症例が多いことを再認識していただきたい。
(私論「寝たきりは不適切な処置によって作られる」 臨時雑誌 ORTHOPEDIC SURGERY 整形外科 Vol.54 No.10 2003-9 南江堂 医療法人アスムス 理事長 太田秀樹)

手術や麻酔というのは体にかなり負担がかかります。全身状態が悪い人では、手術を行う方が、寝たきりでいるよりも危険性が高いと判断される場合には保存療法を選択します。
手術しない場合でも数ヶ月経過すると痛みは落ち着いてきます。
頚部骨折部は、癒合する可能性は少なく体重をかけることはできませんが、あまり痛みなく車椅子に座っていることは可能です。体の拘縮予防ためにも痛みが落ち着き次第できるだけ早く車椅子に移って寝たきりを防ぐことが重要になります。
「大腿骨頚部骨折」 益田地域医療センター医師会病院 守屋淳詞 投稿日: 2011年2月11日)


手術がうまくいっても、また歩けるようにはならない。骨折する前でもほとんど歩行は難しかったのだから。
痛みが早く取れるというが、手術後、麻酔が切れれば今よりも痛い時間がしばらく続くかもしれない。
であれば、気持ちを少しでも楽に保てるような選択をとるべきではないか?

悩みながら、夜、いろいろな記事や資料を読みあさった。
多くは「高齢者でも早急に手術すべき」的な内容だった。整形外科医が書いている記事ばかりだから、そういう内容になるのは当然だろう。
介護現場や精神科領域の話はまったく出てこない。
プレ終末期の高齢者が大腿骨骨折して、手術入院したものの、当然骨折前よりは全体に状態は悪化し、悲惨な死に方をする……というのは、よくある終末期ストーリーらしいが、実際に経験してみると、ほんとに難しい判断に迫られる。
こちらもいい歳の老人だし、このストレスで倒れてしまいそうだ。よほど気持ちをうまくコントロールしていかないと……。

2019/01/06

手術を受けさせる方向で動くつもりで、説明をするために資料などのコピーを持って施設へ。
この日は昼間も施設長が担当だった。
昨日夜から飲ませた痛み止めが効いたのか、今日はすこぶる調子がよく、朝は水のみから水もスープもポカリも自分で飲んだという。
食事も普通に取ったとのこと。 あまりにも協力的に態度が変化しておとなしくなったので、施設長は明るい表情だ。
「嬉しくなっちゃったわよ、はっはっは」
親父の態度が優等生になったのは、とにかくここから出されてしまうことだけは嫌だということなのだろう。
「説明したほうがいいですかね」と施設長にいうと「しっかり説明してあげて」という。
「ほら! 息子さん、ひとりで抱え込んで大変なのよ。ちゃんと話を聞きなさい!」と親父に言っている。
最近では例がないほどに意識がしっかりしていてハキハキと返事もするので、しっかり写真や図を見せながら、今、決断しなければならない二択(手術か、手術せずにここにこのままいて時間がかかっても痛みが取れるのを待つか)についてしっかり説明した。
いつもは生返事で、こっちが話していることを聴いていない親父が、聞き取れない言葉があると必ず訊き返し、自分からも発言するなど、別人のようなやりとりができたので驚いた。
そして何度も「手術はしない」「ここにいる」「ここで車椅子がいい」「絶対にそのほうが(手術せずにここで様子を見るほうが)いい」と明言。
そこまではっきり言われると、一度は手術をする方向で固まっていた気持ちが揺らいでしまう。
というか、何度も何度も「ここを動きたくない」というので、こちらも「このままのほうがいいか」という気持ちになっていく。
施設長も「いいんじゃないの? 私たちも、医療的な問題が把握できていれば、介護のやり方も工夫できるし、気持ちもしっかり持てるから。医者は手術しないと大変なことになるって脅すけれど、手術したって痛いのよ」と。
みんな、悩み、揺れ動きながらも、親父にとっていちばん幸せな死に方にするにはどうすればいいかを真剣に考えてくれている。本当にすごいチームだ。

手術をしなければ、骨はくっつかないままになり、歩くことはできなくなる。しかし、骨折する前もほぼ歩くのは困難な状態だったのだ。施設長もそれを言う。
であれば、時間がかかっても痛みが和らいで、落ち着くことを期待して、このまま動かさずにいたほうがいいだろう、という気持ちに完全に変わった。
親父が妙に上機嫌で、珍しく声を上げて笑ったりもしているのを見たことも、決断を変えることにつながった。
何度も「痛くないのか?」「我慢できる痛みなのか?」と訊いたが、「今は痛くない」の一点張り。痛くないはずはないのだが、親父にとっては痛みよりも病院に連れ込まれることの恐怖のほうがはるかに大きいのだと分かった。

施設長には、このまま様子を見ることにしたいと告げた。「いいんじゃない。それで」と同意してもらえた。

そんなわけで、この日は、僕自身、それまでのストレスがかなり軽減された状態で家に戻った。
その内容をケアマネさんにはメールした。読むのは月曜日になるだろうが。

⇒続く



90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(3)2019/02/16 16:51

2019/01/07

仕切り直し……しかし二転三転


朝、主治医のクリニックに電話して、手術は見合わせたいと告げると、事務の人が「すでに提携の病院には連絡して、入院と手術のスケジュールを確認してもらっていたところです」という。
昨日の親父の様子を説明し「絶対に嫌だと言っているんですよね」というと、一瞬、声を上げて笑われた。
それで一旦手術の予約はキャンセルにしてもらうことにした。
念のため、今日、容体が変化していないかどうか施設に電話した。
施設長は1日完全な休みで、中堅のスタッフが電話に出て、不安そうな声で親父の様子を説明してくれた。
動けるはずがないと思ってベッドに寝かせていたら、夜中に背中とお尻だけで動いて、今にも落ちそうになっていたという。何度も元に戻しても、また動く。普通ならありえないような行動に出るので、怖くて仕方がない、と。
彼女の声のトーンからは、明らかに、手術を回避する方向になったことへの不安と苛立ちが読み取れた。
「もし手術をしないなら、このままでは介護できないので、昇降式のベッドをレンタルしてもらってほしい」と言われ、そのむねをケアマネさんに電話。
すると、ケアマネさんからは、本当に手術しなくていいのかと何度も念を押された。
このままでは介護するスタッフの負担が半端じゃなくなるし、いつどうなるか分からない、どうしていいのか分からないという不安を抱えたまま、ストレスフルな介護を続けることになるだろう、と。
そこでまた心が揺れた。
そうか。親父のことばかり考えていたけれど、いちばん心配しなければいけないのは、介護しているチームの人たちの心や体力的負担ではないか、と。

悩んだが、またクリニックに電話して、やはり手術させたいと告げた。
本当に申し訳ない。怒られて当然だが、事務の人も院長も本当にやさしく、真摯に接してくれた。
院長も「う~ん。難しいところですね」と悩みきっている。一緒になってとことん悩んでくれる。本当に感謝してもしきれない。
手術しない決断をしたときは「手術をしたことで精神がさらに壊れてしまって死なせた場合と、手術をしないで肉体的に苦しませてしまった場合と、どちらが後悔の度合が大きいかと考えたら、手術をさせて苦しませたほうだと思うんです」と説明した。
院長はうんうん、なるほど、と電話の向こうで頷きながら、一緒に悩んでいた。
しかし、これはよく考えると、自分の気持ちを最優先させているのではないか。
なんだかんだいって、自分がいちばん苦しまない方向を探っているのではないか。
その選択をした結果、介護しているスタッフの苦しさが増大するのであれば、それは避けなければならない。
彼らはいちばん若い。これからずっと生きていかなければいけない人たちだ。その人たちのエネルギーを奪い、心を追い込んでいいわけがない。

……そう気づいたことで、再度、気持ちを変えることになったのだった。

そのことも院長には簡単にだが告げた。
「それでいいんですね?」
と念を押された。
「はい。そのように決めます」
「分かりました」

……というわけで、再度、病院へは手術受け入れの依頼をしてもらったのだが、悩んでいるうちに最短予定日に別の手術が入ってしまったという。
これは仕方がない。

9日搬送、10日に手術ということになった。

忙しくなる前に、ちょうど切れてしまったオムツと薬を買いに一人で今市へ。

ドラッグストアの店員に「カートに積む技術がすごい」と感心された


買った大量のオムツを持って施設に行くと、親父はちょうど副施設長から夕食を食べさせてもらっているところだった。
副施設長は施設長の娘さんなので、性格はとても明るい。
ポンポンと自虐ギャグが飛び出すし、認知症老人たちにも言いたいことをバンバン浴びせる。それが刺激になって、みんなのボケが悪化しない効果があるように見える。

昨日とはまた様相が変わり、親父は両手とお尻だけでベッドの上を動き回り、このままではまた骨折箇所を増やしそう。
一昨日、僕に病院へ連れられていったことも、昨日、僕が写真や図まで見せてていねいに説明したこともすっかり忘れていて「骨折のこと聞いた?」なんて言ってくる。これには本当にガックリきた。僕が昨日説明したことだけでなく、僕が一人で運転して病院に連れて行ったこともすっかり忘れているのだ。
天井に人が三人見えるとか、福島に帰る電車賃がないとか(福島には家はない。住んでいたのは60年前まで)、滅茶苦茶なことを朝からずっと言っているらしい。
そんな親父に、スタッフは今日もスプーンでおかゆと煮魚を食べさせている。食事介助だけで小一時間はかかる。
親父本人は瞬間瞬間で感情のまま訴えている。それをケアする周囲の人たちの健康やストレス軽減を優先させるべきだと、改めて思った。
それともう一つ。これはかなりの長期戦になるのではないかという気もしてきたのだ。であれば、手術はしておいたほうがいいわけで……。


これを読んだ医療関係者の多くは、「これだから知ったかぶりの素人は困るんだ」と呆れたり、怒ったりすると思う。
そういわれても仕方がないが、超高齢者や認知症患者を相手にした場合、万能な解などない、ということはいえるだろう。
手術する外科医は、患者のそれまでの生活やもともとの性格を知っているわけではないし、退院後、どういう生活になって、どう死んでいったかまで見届けることはまずないだろう。そこをずっと見てきているのは、家族であり、介護スタッフであり、主治医だ。
また、患者の生活や性格をよく知っている家族や介護スタッフにしても、どうすれば当人がいちばん苦しまないかを考えるにあたって、あらゆる要因を考慮した上での「想像力」が必要だ。
認知症老人にはだまされる。ものすごくしっかりしたことをハキハキ受け答えしているかと思うと、翌日はそんなことすべて忘れて滅茶苦茶なことを言ったり、予測不能なことをしでかしたりする。
だから、介護する側は、やり甲斐がない、悩んだ甲斐がないという徒労感にも襲われる。

……なんてことを、運転しながら考えてしまう。まずい、まずい。
事故だけは起こさないように、気を張って乗り越えなくちゃだわ。

⇒続く