90歳・認知症老人の大腿骨骨折の記録(1) ― 2019/02/16 14:57
90歳認知症老人の大腿骨骨折 をまとめる
2018年年末に親父が施設で夜中に転倒?し、大腿骨頸部を骨折した。
骨折してから退院直後までの怒濤の?記録は、表の「のぼみ~日記」に逐一書いていたが、デリケートな内容でもあり、より多くの人の目に触れているであろうこのブログのほうにはのせていなかった。
しかし、一段落した今、読み返してみると、やはり多くの人たちが今後経験しうるであろうことであり、情報として公開・共有することは意味があると考え直し、時系列でまとめてみることにした。
すでに似たような体験をされたかたは多いと思うが、これから体験するかたはもっと多いはずだ。こういうことが稀なケースではなく、普通に起きていく時代・世の中になっているということを少しでも感じていただき、そのときの判断材料や気持ちの準備に役立てていただければ幸いだ。
2018/12/30 骨折が分からず
午前中、デイホームの施設長から電話があり、親父がベッドから落ちたか転倒したかしたらしく、脚に痛みを訴えたので緊急で訪問看護ステーションに連絡して来てもらったという報告があった。幸い、外傷や腫れなどは認められず、本人も「今は痛くない」と言っているので、主治医とも電話で相談の上、「様子を見ましょう」と帰っていったという。
午後、様子を見にいくと、親父は口を開けて眠っていた。まるで遺体を見ているようで、ちょっと緊張した。
ここ数日、ほとんど寝ていないという。
なぜ寝ないのかはよく分からない。自律神経系が滅茶苦茶になっていて時間感覚や体内時計がかなり前から狂っている。夕飯前に突然「寝ます」と言って飯も食わずにベッドに入ってしまったり、昼も夜もほとんど寝ないで動き回ったりしているらしい。
動き回るといっても、しっかり歩けるわけではないので、部屋の中で机の引き出しや箪笥の引き出しを開けたり閉めたりを繰り返したり、ティッシュをやたらと引っぱり出したり……。
ちょっとした刺激でプチパニック状態になって、制御が効かなくなる。自分で自分の心身をいじめ抜いて、追い込んでいる感じ。
睡眠薬も効かないので為す術なし。疲れ果てて寝てくれるのを待つしかないのだが、この状態がもう数日続いていて、このままでは体力が尽きて死んでしまうのではないかとスタッフも心配している。
すでに部屋からベッドや箪笥、支え棒は撤去され、広くなった床にマットレスを敷いて寝かせている。
やれそうなことはすべてやってもらっているのだが、親父の場合、常に予想の先を行くというか、想定外の行動が飛び出すので、スタッフは本当に大変だ。
看護師さんが帰っていった後のオムツ交換で、血尿が認められたというので、そのオムツを実際に見せてもらった上で、再び訪問看護ステーションに電話して、予備に持っている抗生剤を飲ませたほうがいいと思うがどうか、と指示を仰いだ。
「そうですね。少なくとも3日は飲み続けさせてください」とのこと。
ようやく寝ているので、起きてから飲ませてくださいとスタッフに言って、念のためもう一度部屋を覗いてみると、薄目を開けていた顔がこっちを向いた。
「なんだ。どうした?」
「調子悪いみたいなんで、様子を見に来たんだよ」
「連絡がいったのか?」
「そうだよ。脚が痛いんだって?」
「何日か前に、足の上のほうがね……」
……すでに時間感覚がおかしい。今朝のことが数日前のことになり、話しているうちに何週間も前のことのように言う。そこで話が元に戻って、「足の上のほうがね……」と、ループが始まる。
「寝ないと死んじゃうよ。とにかく気を楽にして、ス~ッと息を吐いて、はい寝ますよ~、って感じで寝なさい」
「そうだね」
……返事をしつつも、こうなるとすでに興奮状態にスイッチが入ってしまっている。
寝るとそのまま死んでしまうという恐怖を感じているのだろうか。……分からない。
起きてしまったので、薬を飲ませたが、起き上がれないから飲ませるのも大変だ。
スタッフも大変だ。大晦日も正月もない。あまり重荷に感じないでくださいね。なるようにしかならないんだから……と、伝えた。
スタッフからは、ASD(自閉症スペクトラム障害)について解説した記事のコピーを渡された。お父様はこれではないか、と。
読むと、まさしくそうだなあと思うのだが、90歳の老人に今さら病名をつけても、何かできるわけではないし……。
もちろん、見守る側にとっては、対応のガイドラインができて意味があるだろう。
家族としても、自分たちの対応について、納得させる材料にはなる。
改めてスタッフへの感謝を心に刻んで家に戻った。
アスペルガー症候群
家に戻ってからASDについていろいろ調べていたら、今まではアスペルガー症候群とされていたものを、今は他の自閉症関連の症状とまとめて、より包括的に定義しようとしているらしい、と理解した。で、アスペルガー症候群の解説を読んでいると、親父には完璧にあてはまるが、親父だけでなく、自分にもかなりあてはまるなあと気づいた。
特に子ども時代の自分。
大人になるにつれ、社会でもまれてだいぶ落ち着いてきた(普通に近づいた?)ものの、生まれつきこういう気質を持っていたんじゃないか、と。
- 人の中で浮いてしまうことが多い
- 無邪気に人に対して傷つけるようなことを言ったり、してしまう
- 物事に正直すぎる
- 話し方がとても回りくどい
- 「ちなみに」「ところで」「逆にいえば」「おそらくは」などの言葉を多用する
- 自分の関心があることを、相手の興味におかまいなしに一方的に話す
- 話が飛びやすい
- 自分の関心の赴くままに話題が変わっていく
- 話し相手の予備知識を考慮していない
- やたらと語呂合わせの駄洒落をいう
- 運動は苦手なのに楽器は上手だったり、読めないような字を書くのに絵は上手に描けるなど、独特の不器用さ器用さを示す(模倣能力の乏しさや、模倣するときの注目点が一般の子どもと異なる?)
- 感覚刺激(特に音)に対して敏感
- シャツのタグのあたるのが嫌でタグを取ってしまったり、きついズボンを嫌がってゆったりしたズボンをはきたがったりする
- 騒々しい環境が苦手
- 否定的な言動に対して敏感
- 大人を試すような行動をする
……このへんは全部あてはまるような気がする。
13や16は子供のときにはあったが、今はあまりない(少しでもきつい衣類が嫌い、というようなことはある)。しかし、その他は今の自分にもしっかりあてはまる。
まあ、そう気づいたから、今さらどうということでもないし、個性や気質になんらかの名称をあてはめて定義しようとするのも、一種の「大人の病理」かもしれない。
この歳になると、よほど人に迷惑をかけない限りは、どうでもいいと思う。若い人たちから見れば、年寄りであるというだけで「特殊な人」と思えるのだろうし。
ただ、自分が日々接する相手もどんどん高齢化していて、理不尽なキレかたをされたり、予想外の反応をしてきて面食らったりすることが増えてきた。
自分もそうなっていくのかもしれないと思いつつ、常に自戒し、人の気持ちをおもんばかる余裕を持つように、とは心がけているつもりなのだが、なかなか難しい。
とにかく、どんどん偏狭になることだけは避けたい。脳の萎縮は避けられないのだろうから、自分の変化を自分で把握する努力、対応する工夫が大切なんだろうな。
日々、自戒自戒。
⇒続く
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