日本企業の劣化2016/04/07 22:34

ダイヤモンドオンラインの「日本企業は劣化したのではなく、もともといい加減だった」(山崎元のマルチスコープ)という記事がちょっと話題を集めている。
「立派だ」とされていた日本企業のあちこちで、急激な「劣化」が起こっているように思えてならない。
という話から始まり、
  1. 日本企業はもともとひどかったのだが、それが近年、見つかりやすくなっただけではないか
  2. 仕事に対する「やる気」自体があちこちの現場で低下していて、かつてなら「常識だろう」と思うレベルで実行されなくなってしまう事例が頻発しているのではないか

……という2つの仮説を展開している。

1つ目については、
「日本企業」が特に悪かったり、劣化したりしたわけではないのではないか。そもそも、「企業」というものは、世界的にいい加減なものなのだと考えることが妥当なのではないか。

と言っている。
まったく同感だ。
大企業だからしっかりしている、なんていうのは錯覚・幻想であって、規模の大小に関係なく、企業なんてものはしょせんいい加減なものなのだ。
ガバナンスが進んでいたはずのアメリカの企業にあっても、共に意図的な巨大粉飾事件と言うべき、エンロン事件もあればワールドコムの問題があった。また、ネットバブルの時代も、サブプライム問題から金融危機に至る時期も、多くの大手金融機関でガバナンスがまともに機能していたとは言い難い。金融業界の「プレーヤー」にとって、顧客もカモだったし、自分が勤める会社の株主(資本家!)もカモだった。合法的だが半分詐欺のようなビジネスが、彼らの高額報酬の裏に存在した。

その後、日本にもコーポレート・ガバナンスのアメリカ的強化を良しとする「風」が吹いた(企業統治で商売したい人々や、社外取締役の天下り先を作りたい官僚などが自分に都合良く感化されたのが実態だろうが)。委員会設置会社などという大袈裟な仕組みを持つ企業が登場したが、ガバナンス優等生とされた、東芝やソニーがどうなったかは、読者がご存じの通りだ。


2つ目については、こう指摘している。
仕事の意義を押し付けつつ、仕事の成果によって金銭的な報酬の差を少々つけると焚きつける、日本企業の多くが導入している「成果主義」は、「所詮仕事はカネのためなので、カネ相応に働けばいい」という気分につながって、現場に関わる社員たちのインセンティブを、かえって劣化させているのではないだろうか。

「お金をたっぷり支払う」ことを現場単位まで導入する資力は日本企業にはなさそうだ。さりとて、報酬が仕事のインセンティブとして大きな意味を持たないような世界で、「仕事」に対するプロフェッショナリズムに基づく緊張感を鍛え直すのも、難しそうだ。

次善の策としては、せめて経営トップ層が、報酬水準も含めて現場の社員ともっと近づくことだが、彼らは、当面、「ROE(自己資本利益率)」や「ガバナンス(企業統治)改革」を旗印に、お友達の社外取締役を味方につけて、自分たちの報酬水準を上げつつ企業を経営することに忙しい。


……う~ん、困ったね。

現場の実態はこうなのに、日本人の多くは未だに「技術大国日本」神話や「寄らば大樹の陰」という生き方原理を信じている。
じゃあ、どうすればいいのか……。
この記事(コラム)では有効な具体策までは提示していない。
少しでもマシな解決策を提示している記事を他の人のものに見つけたのだが、それはまた次にて……。

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少子化問題・人口減少社会の正しい?解釈とは2016/04/07 22:41

ダイヤモンドオンラインの、日本劣化は避けられるか? 「人口減少社会」の誤解と真のリスク ――松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授
同氏の 未曽有の人口減少がもたらす 経済、年金、財政、インフラの「Xデー」 がとても示唆に富んでいたので、自分のための備忘録として内容をまとめてみる。

最初の「人口減少社会」の誤解と真のリスクでは、まず、現在、日本の人口が減っていることに対する多くの国民の誤解についてまとめている。

  • これまでの人口減少の主因は「少子化」ではなく、「死亡者の急増」。日本が戦争に向かって突き進んでいた1920~40年頃の「産めよ、殖やせよ」政策で生まれてきた人たちが1980年代後半以降、死亡年齢に達し、年を追って大量に亡くなったことが主原因。
  • 戦争や疫病などの社会的事件によって若い世代が亡くなっているわけではないので、ある意味それほど深刻な人口減少ではない。
  • 地方の人口減少も、「東京に若者がどんどん出て行ってしまうため」というより、地方に大量にいる高齢者が次々と亡くなっているから。
  • 「少子化」が人口減少の「主因」ではない以上、今の人口減少現象は避けようがない。
  • 高齢化の「主因」も少子化ではない。「長寿化」が主因。出生率が低下しなくても、高齢化は進行する。これを止める手立てはない。

……こう指摘した上で、しかし、「団塊世代」が死に終わった後の死亡者数はピークを越えて横ばいになるので、それ以降の人口減少は出生数が減少し続けることで起きる、と説明している。

ちなみに長寿化の説明で、
1950年の平均寿命は61.3歳(男女平均)でしたが、2010年の平均寿命は83.01歳と、たった60年の間に20歳以上も寿命が延びています。
とあるけれど、1950年(戦後5年目)の平均寿命が61歳だったというのは、戦争でとてつもない数の人が死んでしまったからだから、一概に「異常な長寿化」とも言えないと思う。

また、松谷氏は次に、日本が中絶大国になったことが子供を産める女性人口の激減につながったといった主旨のことを書いているが、これもすべて鵜呑みにはできない。
現在の日本の中絶率は、医学界の推計によると52%にも上ると言われます。

という記述にしても、裏付けられる資料などは見つけられなかった。
ただ、この裏付け資料を探している中で、非常に興味深いデータを見つけた。
僕が生まれた1955年の出生数は173万0692人。中絶数は117万0143件。生まれてくる可能性のあった胎児は約290万人で、そのうち117万が中絶されているのだから、割合は約40%にもなる。闇の中絶はカウントされていないだろうから、実際には半数以上の胎児が中絶されたと考えられる。
僕が生まれた1955年当時は、母親の胎内に宿っても「親に生んでもらえる確率」は半分しかなかったのだ。
これが2009年だと、出生数が106万9000人に対して中絶数は22万6878件。約21%。闇中絶の数は1955年当時に比べれば激減しているだろうから、多く見積もっても22%くらいだろう。だから、50年あまりの間に中絶率は半分(以下?)に減ったことになる。それでも、出生数の2割以上の中絶が「正式に」カウントされているというのは驚きだが……。
中絶件数のデータは総務省統計局のものを見て確認したので、間違いはないと思う。

性の乱れが進んでいると言われるが、実際には戦後まもなくのほうがはるかに妊娠に対する考え方が緩かったというか、罪の意識が薄かったのではないか。
実際に、母親の話なんかを聞いていてもそう感じる。
かつては「足入れ婚」と言って、婚姻届を出さない前に夫の家に女性が入るような習慣が全国的にあった。嫁を即家庭内労働力として必要とした農家に多かったという話もあるが、「1年しても子供ができなかったら婚約解消」「嫁としてちゃんと仕事をこなせるかどうか試す」といった「お試し期間」を設ける意味合いも強かった。
その結果、婚姻届を出す前に妊娠したものの、夫(になるべき男性)が逃げてしまって母子家庭になったり、中絶したりといったケースも多かった。親戚にもそうした実例がある。

現代では「できちゃった婚」が増えていて(これはデータとして確か)、これも若い世代の性の乱れだのなんだのと言われるが、むしろ逆じゃないかという見方もできる。出生率が低下している中でできちゃった婚の赤ん坊が増えているだけ。しかも、中絶しないで、経済的に苦しくても結婚しようというのだから、むしろ親として人間としてはまともではないか、と。

話がだいぶ脱線してきたが、松谷氏のこのコラムの最後には注目すべき指摘がある。

  • 合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子どもの数)が2を割ると人口減少につながるが、日本では2013年時点で1.4台。しかしこれは「女性が子どもを生まなくなったせい」ではない。
  • 既婚女性(有配偶者女性)だけに限った出生率は足もとで2.0台で、1970年代から変わっていない。既婚女性は生涯に平均2人の子どもを産んでいて、むしろ微増傾向にある。
  • なのに女性全体の出生率が下がるのは、結婚をしない女性や「子どもを持たない」と決めた女性が増えているから。実際、2010年の国勢調査によれば、女性の生涯未婚率(49歳を越えて未婚の女性が対象)は10.61.%に上っている。
  • この傾向がどんどん進んで、仮に「2040年には3割の女性が未婚」という事態になれば、残り7割の既婚女性が生涯3人の子供を産まなければ女性全体の合計特殊出生率2台は実現できない。これはおそらく不可能。

……と説明した上で、
日本人はこれから、人口減少社会を前提に考えて生きて行かなくてはならない。人口が減っても、子どもが減っても、引続き安心して豊かに暮らせる社会をつくっていくほうに、目を向けるべきなのです。

……と結論づけている。

途中の解釈や説明に??という箇所がいくつかあるものの、「人口が減っても、子どもが減っても、安心して豊かに暮らせる社会を作らなければいけない」という結論はその通りだ。

で、その方法について、別稿で論じていて、そっちのほうが興味深かったのだが、長くなるのでそれはまた次の項で……。

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経済マイナス成長時代を生き抜くには2016/04/07 22:49

前回紹介した松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授がダイヤモンドオンラインに書いている文章の後半、未曽有の人口減少がもたらす 経済、年金、財政、インフラの「Xデー」のまとめその1。
この文章では、低成長、あるいはマイナス成長時代に日本経済が破綻しないようにするためにはどう考え、どう行動すべきかという話と、確実になった年金制度の破綻を中心に、これからの社会保障制度はどうあるべきか、どのようなライフスタイルを探るべきかという話の2本柱になっている。
話が同時進行しているので、これを「経済編(企業の戦い方)」「社会保障制度編(庶民の暮らしかたと行政のあり方)」に分けてまとめてみる。
まずは「経済編」から。

  • 経済成長率は、労働者数の増減率と労働生産性の上昇率で決まるが、労働生産性上昇率は先進国ならどこもほぼ同じだから、残る労働者数の増減が経済成長率の増減を決定する。
  • 日本は、どの先進国よりも労働者の減り方が大きい。結果、日本の経済成長率は世界で一番低くなる。これは変えようがない。
  • 具体的には、現在の実質1.0~1.5%の成長率が年々低下し、2020年過ぎにはマイナスに転じる。先進国でマイナス成長となるのは日本だけ。労働者の減り方があまりにも大きいため、技術の進歩をもってしてもカバーし切れない。
  • 労働人口が少ない国の経済規模が小さくなるのは当たり前のこと。マイナス成長そのものがリスクなのではない。日本よりGDPの小さい先進国はいくらでもある。
  • 恐れるべきは、経済の縮小が経済の「衰退」に発展すること。他の先進国と異なり、従来の日本経済は、製品の量産効果による価格の安さで勝負してきた。しかし、マイナス成長になって生産規模が縮小すれば、量産効果が逆に働き、価格競争に負ける。
  • 競争力が落ちる⇒国際収支が赤字に転落⇒需要抑制政策や円安・原料不足により生産はますます低迷⇒経済は衰退の一途……というのがいちばんのリスク。
  • このリスクを招いているのは日本のビジネスモデルが古いままであること。他の先進国が日本のような労働者の減少に見舞われて経済が縮小しても、衰退にまでは至らないだろう。なぜならマイナス成長、人口縮小に合ったビジネスモデルに切り替えられるから。

……ということを理解した上で、では日本経済にとっての真のリスクである「古いビジネスモデルから脱却できない」ことをさらに分析すると……。

  • 人口減少による労働力の減少を、女性・高齢者などの余剰労働力や外国人労働力などで補填すれば、経済成長が確保できて経済は衰退しない、というのが安部政権の考えだが、生産能力の維持だけでは健全な経済は保てない。作った製品が売れなければならないが、実際には日本製品は世界市場でどんどん売れなくなっている。その理由を考えなければ解決しない。
  • 日本製品が売れない原因は、新興国・途上国の台頭にある。彼らは、従来の日本と同じビジネスモデル(欧米先進国が開発した製品をロボットを使って大量に安くつくるというモデル)で世界市場に価格破壊をもたらした。賃金水準が10分の1程度の国を相手に同じビジネスモデルで勝負できるはずがない。
  • これに対して、欧米先進国のビジネスモデルは、自分たちで開発した製品を適量作って高く売るというモデル。新興国・途上国との価格競争が起きない。
  • 日本も先進国モデルに転換すべき。日本製品に付加価値をつけて今より高く売れれば、少なくなった労働力でも適正なGDPを確保することができる。
  • しかし、先進国モデルへの転換は、世界第一級の製品開発力があって初めて可能になること。残念ながらそれを日本人だけの努力で達成することは不可能。
  • 現在先進国間で進行中の製品開発競争とは「人材獲得競争」である。世界中から優秀な人材を集めることができた国や企業が勝ち組になる。そこにはもはや国境はない。
  • しかし、今の日本は「開発水準の低い国」と見られているので、優秀な外国人は日本に来ない
  • 残された道は、有力な外国企業を企業ごと大量に誘致すること。欧米先進国では3分の1から半数近くが外国企業。そこまで徹底して国際化しないと、先進国モデルのための製品開発力は得られない(シンガポールモデル?)。自分たちの「本体」には影響のないような「国際化の真似事」では、日本は世界から遅れるばかり。


……と言っている。
現状分析については概ねその通りだろう。ただ、解決策として、人材を個別に引き抜いてくるのは無理だから、企業ごと誘致してしまうしかないという論はどうなのか。
これに近いことを主張する経済学者は多い。シンガポールが経済政策の上では成功例としてみなされているからかもしれない。
シンガポールは東京23区とほぼ同じ面積(約716平方キロ)に約547万人(うちシンガポール人・永住者は387万人。2013年9月)が住む国だが、それを日本全体と一緒に比較するのは無理がありそうだ。東京だけをシンガポール化するというような話ならまだありえるのかな、とも思うのだが。
しかし、それができたとしても、では日本という国の実体はどこにいってしまうのか……といった疑問が当然わいてくる。
東京を世界の経済基地の一つとしてリファインしたとして、地方はどうなるのか。そんな国に魅力があるのか?

で、松谷氏は、この方法論とは別に、もうひとつの方向性も示している。「職人大国」として、高度な物作りの国というブランド価値を復活させるというものだ。
例えば、かつて白物家電の生産現場では、溶接工程や鍍金工程など様々な工程に職人技が効果的に使われ、それが製品の魅力や性能を高め、強い競争力を得ていたが、1990年代以降のコスト削減最優先の中でそれらをロボットによる大量生産に置き換えたために労働賃金の安い新興国・途上国の製品と大差がなくなり、競争力が急速に失われた、という。
今でも職人技が残って成功している数少ない例は、北陸三県の万能工作機産業。刃物や金属加工における職人技と、コンピュータを駆使した最新技術の融合による精密な製品づくりで、圧倒的に高い国際競争力を持っている。こうしたビジネスモデルをもっと追求すべきだという。
問題点としては、多くが部品生産の段階にとどまっていたり、完成品でもデザイン力に欠けることなど。これを改善できればさらに競争力が高められる。
まとめると、

  • 日本が誇る職人技と近代工業技術を融合し、ロボット生産ではできない「高級品」や「専用品」づくりを目指す。
  • 既存の製品分野であっても、日本にしかできない付加価値をつけた高級品を適量作って高く売る
  • 商品開発力やデザインセンスを向上させ、今まで以上の競争力をつける。

……といったところだ。
これはまったくその通りで、異論はない。
デザインがダサいというのは簡単には乗り越えられないかもしれないから、そういう部分にこそ海外からの人材を投入すべきかもしれない。
あるいは、才能のある人材が適材適所に配置されるよう、企業の経営者が意識改革することが必要だろう。
若い人たちは熟年世代の職人魂を馬鹿にせず、いかにその技術と精神力をデジタル技術と融合させて「新しい商品価値」を作り出せるかを考えてほしい。
ITを上っ面だけ使ってただ金が儲かればいいという気持ちでは、一時あぶく銭を手にすることができたとしても、永続性はない(ホリエモン的ビジネス価値観)。
また、企業のトップは、自分ができること、知っていること以外のことを、提灯持ちや詐欺師連中にアウトソーシングするのではなく、本当に「よりよいもの」を作ろうとしている若い人たちに委ねることだ。それができない経営者は、どんな巨大企業であろうが、衰退の一途をたどるだろう(東芝やソニーの例)。とことん壊れる前に死んじゃえば、後のことは知らん……というのでは、企業の経営者として根本的な責任を果たしていない。自信がないならさっさと席を譲りなさい、と言いたい。

もうひとつ。ここでは「物作り」にしか触れられていないが、職人技が価値を発揮するのは「物作り」──新しい製品を作ることだけではない。中古品を再生させたり、より価値の高いものに作りかえたりすることにも発揮される。
高級なものを高く売るのは結構だが、それを買えるのはごく一部の富裕層だけだ。庶民は、その商品の価値や魅力を十二分に知っていても、金がないから買えない。
しかし、金持ちが飽きて手放したり、死んで残した物が再流通するときには、修理やリファインの技術が大いに価値を発揮する。
新しいものを作るには資源とエネルギーが消費されるが、中古品の再生であればどちらもぐっと消費量を減らせる。ゴミも減らせるから環境悪化も減速させられる。
車や家屋のような大きなものは特にその効果が高い。
そうした分野での金のやりとりも立派に「経済」だし、流通の多様化によって貧困層が幸福感を得られる機会も増える。
人口減少社会では、新たな生産よりも中古品の再生、再利用といった経済モデルのほうが無理がない。
また、ゴミ処理技術、汚染物質を減らす技術、エネルギー効率を上げる省エネ技術といった分野も日本の得意とするところのはずだ。
アメリカ人が好みそうな車をトヨタが大量に作り続けることだけが「日本の産業」ではない。
原発や兵器を輸出したいとか考えるよりも、原発の廃炉技術に真剣に取り組んで、その技術を世界に輸出して儲けようと考えるほうがよほどまともで合理的だと思うのだが、この国は官も民も狂ったように合理性から逆行し、破滅の道を突き進んでいる。
いつまでもバブル惚けしている政治家や企業トップに早く退いてもらうことこそ、いちばんの経済救済策なんじゃないかな。

……というわけで、社会保障制度編については、また次回にしましょう。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

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年金破綻は確実 どうすればいい?2016/04/07 22:55

松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授がダイヤモンドオンラインに書いている文章のまとめ、ついに3回目に突入。未曽有の人口減少がもたらす 経済、年金、財政、インフラの「Xデー」は、マイナス成長時代に日本経済が破綻しないようにするためにはどう考え、どう行動すべきかという話と、確実になった年金制度の破綻を中心に、これからの社会保障制度はどうあるべきか、どのようなライフスタイルを探るべきかという話の2本柱になっているが、この2本目の柱のほうをまとめてみる。

松谷氏はまず、年金制度について、
  • 現在の年金制度は早晩破綻する。もともと年金制度は、急速かつ大幅に高齢化する日本には不向きな制度だった。
  • 他の先進国では、2030年代の中頃にはおおむね高齢化が止まるので、その時点の高齢者と現役世代の比率をメドとして、長期安定的な年金制度をつくることができるが、日本では急速な高齢化がいつまでも止まらない。
  • 米国、英国、フランスなどは、将来的に年金を負担する人が7割、もらう人が3割の水準で安定するのに対し、日本は負担する人が5割を切るので、年金制度そのものが不可能
  • 破綻は確実なのに政府は年金制度に固執し、それ以外の社会保障制度を考えようとしない。このままだと大量の「高齢者難民」が出現し、社会が一気に不安定化する。リスクの大元は、高齢化でも少子化でもなく、政府の政策姿勢

……と指摘する。
また、財政危機についても、

  • 財政赤字は拡大し続けるが、怖いのは財政赤字そのものではなく、それに対する政府の対応策の誤り。
  • 政府は財政赤字の対応策として「増税」を選択したが、増税に次ぐ増税となって国民が離反している。
  • 人口減少によって財政を取り巻く環境が一変したのに、依然として高度成長時代の政策手段である増税で対応しようとする政府の政策選択が真のリスク原因。
  • 人口増加時代には、労働人口の割合が増え、収入と支出の変化方向が同じなので、増税すれば財政収支は均衡するが、高齢化によって労働人口の割合が低下する今後はその手法は使えない。
  • 1人あたりの租税収入が横這いなのにトータルでの財政支出が増大の一途ということは、際限なく増税を続けざるを得ないことになり、そんなことは不可能。
  • 1人あたりの租税収入が横這いなら、1人当たりの財政支出も横這いにして、収入と支出の変化方向を一致させなければならない。つまり、人口の減少に合わせて財政支出総額を縮小しなければならないのは自明の理。


と断じている。
これは誰が考えてもあたりまえのことで、なんら疑問の余地はない。それなのに現政権の明らかに間違った経済政策に淡い期待を寄せている国民の無知・思考停止こそが最大のリスクといえる。

で、松谷氏の主張でいちばん興味深かったのがここからだ。
彼は、年金破綻と経済政策の失敗で都市部がスラム化する危険性を指摘する。

  • 経済が縮小するのだから、インフラの維持・更新に回せる金も減少する。急速な高齢化で貯蓄率も大幅に低下する。
  • インフラの整備や維持更新には年間収入であるGDPから消費を差し引いた残り、つまり「貯蓄」が必要なのだから、貯蓄率が低下すれば、インフラの維持更新に回せるお金は経済の縮小以上に小さくなる。
  • 結果、公共・民間の社会インフラを良好な状態に維持できなくなり、特に都市部でスラム化が進行する。
  • それを避けるためには、先々の維持補修に回せるお金に合わせて公共・民間の社会インフラの総量を規制することが必要。
  • しかし、現政府がやっていることは逆で、景気対策といって公共投資をどんどん増やし、オリンピック招致でさらに公共インフラを積み上げてしまっている。民間のビル建設ラッシュも止まらない。
  • このままでは都市部では多くのビルが老朽化したままメンテナンスされず、放置される恐れがある。そうなるとスラム化や治安の悪化が起き、快適な都市生活が崩壊していく。それを防ぐためになんらかの建設規制が必要。


これはバブル崩壊ですでに経験していることだ。
今、我が家がある分譲地もそうだ。バブル期に調子にのって雑木林を切り拓いてリゾート分譲地もどきを作ったままデベロッパーが倒産。貸し付けていた住宅金融会社も倒産。我が家は数千万円の抵当権がついたままオーナー(地元の個人不動産屋)が夜逃げして、裁判所で競売にかけられたという過去を持つ物件だ。
原発爆発後、移転先を探しているうちに、僻地の農家物件のようなものより、リゾート分譲地の放置物件などのほうがはるかに安く売りに出されていることに気がついた。
「負け組が老後に住めるのは苗場のスラム・マンションだけ」なんていう話もあるが、苗場だけではない。茨城の大洋村しかり、信州のリゾート分譲地しかり。
同じことが都市そのもので起きれば、問題の深刻さは計り知れない。
そのリスクを少しでも軽減するためにはどうすればいいのか?

  • インフラの崩壊を食い止めるには、欧米先進国のように、耐用年数が長い丈夫で汎用性のある躯体を作り、状況の変化に応じて間仕切りや内装を変えて行く「リノベーション」などが有効。
  • しかし、個々のビル単位の対応だけでは、都市のスラム化は避けられないので、インフラのストック管理を徹底することが必須。
  • 一定以上の規模のビルや公共構造物の台帳を作る。どこにどれだけのビルや構造物があるのか、向こう何年にどれだけが耐用年数を迎え、その建て替えあるいは取り壊しの費用はいくらかかるかという情報を集めた上で、新規建設を規制・平準化したり、早期の建て替えや取り壊しを指導する。

こうした指導や管理・規制こそが政治や行政の役割なのに、今の政府は前時代的な妄想で、税金を間違った方向にばらまいている。

松谷氏は「世代間の所得移転というフローでは高齢者を支え切れないことは明らかなので、社会的ストックによって高齢者の生活コストを下げようという新たな発想が必要」だと説く。
その具体策の一つとして、こんな提案もしている。
高齢者の生活コストで圧倒的に大きいのは、住居費です。そこで、比較的良質で低家賃の「公共賃貸住宅」(低所得者向けの公営住宅ではなく、入居に所得制限がない公共住宅)を大量につくるのです。ポイントは、家賃補助、利子補給などの財政負担なしに家賃を引き下げるスキームを考えること。
たとえば、200年使える公共住宅をつくり、建築費は200年かけて家賃で回収します。民間にはとてもできませんが、国や地方自治体なら200年の借金も可能だから、財政負担なくして家賃は相当下がります。
用地は、区役所をはじめとする公共施設の上や遊休公用地を活用します。土地代がゼロなので、最終的に月額の家賃を2~3万円程度に抑えることも可能でしょう。
(略)
そして、公共賃貸住宅に介護施設を併設し、若い人の入居も可能にすれば、財政の効率化やマンパワーの確保も図れます。


……これは正しい施策だと思う。

加えて、地方にも同じ発想で人を呼ぶことだ。
地方では、まだ使える公共の建物がどんどん壊されているが、それを堅牢かつ周囲の環境に美的に溶け込む形でリフォームして、住環境、文化環境を向上させる。
高齢者は車の運転ができなくなるので地方や山間地での生活が困難になるが、無駄な箱ものへの投資を抑えた分の金を、小規模で柔軟性のある公共交通システムへの援助にあてる。
例えば、住民が自家用車で高齢者の脚代わりを務められるような法整備をした上での乗合自動車システム。スクールバスの時間外活用(登下校時以外の時間、スクールバスを住民の買い物や外出に利用できるようにする)、などなど。
体力はないが、技術や経験を持っている高齢者と、経験や金はないが、意欲や向上心のある若い世代が補い合い、助け合いながら、互いの生活を成立させるコミュニティモデルをめざす地方自治体が現れてもよさそうなものだ。
働き口がないから若者が流出するといって、工場の誘致に奔走するような政策では、地方の過疎化はとても止まらないだろう。国の財政もどんどんじり貧になるのだから、地方交付税に頼り切る生き延び方も続かない。

松谷氏は、財政崩壊を回避するには「小さな財政」を目指すしかないと主張する。しかし、「小さな政府」は、行政の責任分野を縮小して国民の自己責任を拡大することにつながる。高度化した都市国民生活は、もはや高度な行政サービスなしには成り立たないので、実際にはとても困難な命題だ。
  • スウェーデンには、民間人が近所の高齢者のケアをすると、国から費用と報酬が支給されるという制度がある。国民の相互扶助を有償で活用することにより、行政サービスの水準を維持しながら、行政コストを縮小するうまい方法だ。
  • こうした発想を生かせば、国や自治体はケアのためのハコモノや、関係する行政組織を大幅に縮小することができるはずだ。
  • そのためにはさらに、民間取引価格より5割から倍も高い、業者優遇の政府調達価格、いわゆる「官庁価格」は即刻廃止すべき。
  • 目的とする「人」や「モノ」に予算が届くまでの経路迂回(政府機関、関係法人、関係団体を経由することによる「目減り」)も、根絶すべき。
  • 「天下り」も当然廃止。
  • 増税する前に、税の捕足率(いわゆるクロヨン)を正常化し、税の公平性を確保する。それだけで税収は増える。

そしてこう結んでいる。
確かに言えることは、日本人はこれから、人口減少を前提に考えて生きて行かなくてはならないということです。人口減少を阻止しようと考えるのではなく、人口が減っても子どもが減っても、引き続き安心して豊かに暮らせる社会をつくっていくほうに目を向けるべきなのです。


……まったくその通りだ。

さて、ここ何回か、学者たちの意見を参考にして、今の日本の惨状を分析し、今後、よりマシな方向に舵を切るための方法論を考えてきた。
日本の企業は優秀だ、技術大国だという幻想を捨て、現状を直視せよ。企業なんてものは今も昔も相当いい加減なことをしてきている、という認識から始まり、高齢化と人口減少による年金制度崩壊は確実であり、経済のマイナス成長時代に突入することも避けられない、ということを見てきた。
それを乗り切るには発想の転換が必要だが、企業のトップは惚け老人か、若いのに志も倫理観もない金の亡者みたいなのが目立つ。
政府は、惚けた経営者には麻薬を、金の亡者には覚醒剤を配るかのような施策を続けている。
それなのに内閣支持率が50%???
繰り返してしまうが、この国にとっていちばんのリスクは現政権を放っておく国民の無知と思考停止だ。
次の選挙でも同じことを繰り返すなら、いよいよ非常事態に突入したと覚悟して、サバイバル生活を始めるしかないだろう。
あ~あ、そんな元気も体力もないよ。
困った困った。

奇跡の「フクシマ」──「今」がある幸運はこうして生まれた

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再エネ比率の高い新電力と契約したい……という無知無理解2016/04/17 11:48

我が家もスマートメーターになったが……
我が家の電気メーターも新電力契約のためスマートメーターになった


どんな電気を使うかを選べると思うのは誤解

新電力への契約切り替え率はまだ1%に満たないらしい。
うちでは3月中にいちばん安くなりそうな(年間で1万円くらいは安くなりそうな)新電力事業者と契約を交わした。といってもネットで必要事項を書き込んで送信しただけで、紙の書類などは1枚たりともやりとりしていない。気持ちがいいほど簡単だった。
それにともない、東京電力の関係事業者が電気メーターの取り替え作業にやってきた。送電網は東電のものをそっくりそのまま使うわけで、メーターの交換も当然東電がやる。

さて、ここでヒステリックな反論を予想しつつも、重要なことを書いてしまおう。

東京新聞に、電力自由化「発電方法示して」声拡大 地方議会、政府内にもという記事が掲載された。
 東京都武蔵野市議会は3月28日、事業者に電源構成などの開示を義務付けるよう国に求める意見書を全会一致で可決し、安倍晋三首相や林幹雄経産相ら宛てに郵送で提出した。
 電源構成は原子力や再生可能エネルギー、火力など各電源からどんな比率で電力調達しているかを示す情報。意見書では「消費者は電気料金の抑制のみを望んでいるわけではなく、より安全で持続可能なエネルギーを望んでいる」と指摘する。
 電源構成が分かれば、消費者は「環境を汚染しない再生エネを選びたい」「原子力は嫌だ」「二酸化炭素(CO2)排出量の多い石炭は避けたい」など、自分の考えに合った多様な選択が可能になる。


……これは東京新聞の意見ではない。武蔵野市議会に意見書を提出したという市議会議員の意見だ。
これに類する意見はずいぶん前からネット上でもいっぱい読まされたが、最初にはっきり言おう。そんなことは妄想であり、単純な誤解、無理解だ。




上の円グラフは日本の電力がどのように発電・調達されているかの構成比だ。平成23年というのは福島第一原発が爆発した2011年。全国でまだ動いている原発があったから、原発は10%残っている。
それが2014年には原発はゼロ。その分、増えたのはLNG(液化天然ガス)と石炭。火力でも石油は減っている。水力が変わらないのは、全国の発電用ダムは増えていないし、既存の水力発電所はフル稼働しているということだろう。
水力を除く再エネ(太陽光、風力、地熱、バイオマスなど)は1.4%から3.2%に増えているが、これは政府が高額な買い取り価格を約束して、その分を電気料金に上乗せすることを合法化したからだ。それでも3.2%にすぎない。
その結果、全国あちこちでメガソーラーやら巨大風車がどんどん建ち、自然破壊や低周波による健康被害が増えたわけだが、日が照らなければ発電しない太陽光発電や、風がいつ吹くか分からないから発電予測すら立たない風力発電だけで電力を安定供給することなど不可能だし、かえって資源の無駄遣いになるということはさんざん書いてきた通りだ。風のない雨の日や夜間には、風力発電や太陽光発電の発電量はゼロである。こうしたものを増やせば増やすほど、同じ発電能力を持つ火力発電所を別に作らなければいけなくなる。
で、問題の「新電力業者の電源構成」を公開しろという話だが、例えば、自社が売る電力の6割が再生可能エネルギーであるということをPRしている事業者がある。
再エネの比率がそこまで高いということは、言い換えれば、その事業者が自社で発電している電気の総量はわずかであり、多くは提携先である大電力会社(例えば東京電力)に依存しているということを意味している。

公開すべきは「電源構成比」ではなく「自前の発電能力」

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自社での発電実績が乏しくても「再エネ比率」が高いとPRする事業者を選ぶとこうなる。ちなみに再エネ比率で謳っている数字は「設備容量」だから、実際にはその数分の1しか発電できない。


上の図(クリックで拡大)は、電源構成比で再エネ比率が5%の事業者Aと60%の事業者Bがいたとして、実際にはどういうことになっているのかということを説明するために作成した。
事業者Aは一般家庭に電気を売ることができるようになった今年4月以前からPPS(新電力事業者)として企業や自治体などに電力を供給している実績があり、自社の発電所も所有して実際に発電事業をしている業者だ。この事業者Aの売電実績を100とする(事業者Aの下のグラフ)。
事業者Aの売電実績は100だが、自社発電所の発電能力は82(上のグラフ)で、足りない分の18は提携事業者(大手電力会社など)から買っている。
事業者Aが所有している発電設備のうち再エネと呼ばれるもの(ほとんどは太陽光発電)の比率は5だが、この数字は発電実績ではなく設備容量なので、実際にはその15%程度しか電気は作れない(太陽光なら夜間や曇りの日は発電できないから、当然そうなる=「設備利用率」)。発電実績のグラフで、自社の発電能力のうち再エネの分(水色の部分)が減っているのはそういう意味だ。

一方、再エネ比率が60%ですよと謳っている事業者Bは、実際には自社での発電能力は10しかない。しかし、「自然エネルギーを大切にしている事業者から電気を買いたい」という人たちからの契約を増やして、売電実績は事業者Aの倍の200に達しているとする。
となると、足りない190以上の分はすべて提携他社から供給される電気なわけで、全売電量に占める再エネの比率は5%を切ることになる。

つまり、原発の電気を使うのは嫌だから、電気代が高くついても再生可能エネルギーを中心とした事業者と契約するという「意識の高い」人が増えれば増えるほど、その新電力事業者が提携している(原発を抱えている)大電力会社が発電している電気が契約者に回されることになる。

中には、契約した新電力事業者の「電源構成比」通りの電気が自分の家に届くと思い込んでいる人もいる。送電網が今までと同じ(東京電力管内なら東電の送電網)なのだから、そんなことありえないことくらい、ちょっと考えれば分かりそうなものだろうに。
送電網に入る電気はあらゆる発電所から送られてくる電気が混ざっている。どう配分するかは発電所と消費地の距離や天候の変化などによって決まる。どの事業者と契約しようが、契約者の家に届く電気の発電元は選べない
だから、公開するべきなのは、新電力事業者がどれだけの発電実績(能力)を持っているのかというデータだ。トータルの発電能力が小さいのに「うちは再生可能エネルギーで発電しています」などと売り込んでいる業者は、PR材料としてあちこちに(優遇措置で)メガソーラーや大型ウィンドタービンを建てて、実質はほとんど提携先の大電力会社の電気を転売しているだけということになる。
もっと穿った見方をすれば、そういう業者は最初から本気で発電する気はなく、提携先の大電力会社の経営を黒子のように裏で支える取引をしたいのではないか……。

公開するべきなのは、新電力事業者がどれだけの発電実績(能力)を持っているのかというデータだというのは、こういう意味である。

火力発電施設を持たない新電力会社は無責任だ

ここでさらに注意したいのは、自社の発電能力といっているものがどんなものなのかということだ。
実際に自社で所有している発電所のことなのか、それとも全国のソーラー発電事業者などから「1円高く」買い取った電気をも「自社の発電能力」といっているのか。そこをはっきりさせてほしい。

⇒ここに、「東京電力エリアで電力供給サービスを提供している新電力事業者(PPS)の一覧(25社)」という資料がある。
数字は自己申告のようだし、いつの時点でのデータなのかもいまひとつはっきりしないが、非常に興味深い。
例えば、最新月実績で990,300 MWhを誇る「株式会社エネット」は、「直近の1年間で約12,033GWhの供給実績」があるとされているが、同時に「年間自社発電量は0 MWh」とある。これが間違いでなければ、要するに多くの提携事業者から電力を買い取ってそれを再販している大手ということだろうか。

年間1,578,674 MWhで第4位のエネオスでんきは、年間自社発電量:786,135 MWhとなっているから、それなりの規模の発電所を自己所有しているということなのだろう。

何かと話題の多いソフトバンクでんきは、年間供給力:14,356 MWhで自社発電量は0 MWh。目下、自社傘下の企業が全国にメガソーラーをどんどん建設しているようだが、例の「国が決めた買い取り価格より1円高く買い取りますよという商法」でも有名になった。

ここで「買い取る」とか「再販」といった言葉を使ってみたが、実際には各ソーラー発電設備は従来通りの送電網(10電力会社)につながれていて、例えばそれまで東電に売電していたのをソフトバンクでんきのような「1円高く買い取ります」という新電力業者に売ることにしたとしても、設備関係になんら変化はない。コンピュータ上で数字をやりとりしている中での契約変更なのだ。
これは、「一般家庭がどの事業者と契約しようが、契約者の家に届く電気の発電元は選べない」というのと同じことだ。

昨年(2015年)、 日経BP社のエネルギー専門誌「日経エネルギーNext」が「第1回 新電力実態調査」というのを実施して、その結果を発表した。
回答企業122社のうち、「送受電実績がある」と回答したのが38社、「これまで送受電実績はない」と回答したのが84社。
このうち、「自社で発電所を持っている」と答えたのは送受電実績のある38社のうちの31社(81.6%)。実績なしの84社のほうは59社(70.2%)でそれほどの差はなかったが、実績なしの59社のほうはほとんどが太陽光発電で、火力発電所はほとんど持っていなかった。
自社発電所の中身は「実績あり」と「実績なし」では大きく異なる。「実績あり」の新電力の場合、55.3%が太陽光発電を持っている一方で、石炭火力(10.5%)や石油火力(10.5%)、ガス火力(23.7%)、バイオマス発電(15.8%)、廃棄物発電(10.5%)といった火力系の発電所を併せ持っているケースが多い。
これに対して、「実績なし」の新電力は67.9%が太陽光発電を持っているものの、火力系の発電所はほとんど持っていない。つまり、電力市場に新たに参入を検討している新電力の多くは、極端な太陽光依存の状態にある。
再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)の導入で、全国に太陽光発電所が急拡大した。つまり、新電力が急増している背景にFITがある。現在は太陽光で発電している電力を大手電力会社に買い取ってもらっているが、全面自由化を契機に自社での販売を検討する太陽光発電事業者が増えているのだ。
(2015年3月25日 日本経済新聞「本番前に淘汰開始、太陽光バブルが生んだ「新電力バブル」 」)


要するに、自分では1kwも発電をせず、株取引や為替レートのように、単に数字のやりとりだけで儲ける企業がいっぱい出てきたわけだ。

5月18日の第6回買取制度運用ワーキンググループにて、FIT電源の買取制度の一部変更が決定されました。

事の発端は、買い集めてきた太陽光発電の電気を卸電気市場に「転売」するだけで、数億円もの利益を出した企業が現れたことです。
これは、自社の火力発電の電気を市場に売るのとは訳が違います。

FIT(固定価格買取)の認定を受けた太陽光発電の電気の買い取りには、その買い取り量に応じて、新電力が負担調整機関から交付金を受け取ることができ、また、この交付金は「再生可能エネルギー発電促進賦課金」という税金を原資としています。

そのため、太陽光発電を卸電力市場に横流しするだけでは、再生可能エネルギーの普及には寄与していないため、交付金を給付する趣旨とは外れているということで、問題視されたのです。

スマートエネルギー研究会のブログ「プレミアム買取ビジネスが危うい!FIT買取制度の変更について!」より)


太陽光や風力は、日が照らない時間、風が吹かない時間は発電量ゼロである。その時間帯は火力発電からの供給を増やして調整しなければいけないから、太陽光や風力の電源構成比を上げれば上げるほど、火力発電の設備を余分に用意しなければいけないし、頻繁に火力側の出力調整をしなければならなくなる。変動幅が大きいと調整しきれずに停電する。
問題児の太陽光や風力には税金原資の再エネ賦課金をたっぷりつけて損をしないように甘やかし、実力のある火力発電には援助しない。つまり、太陽光や風力メインで参入しようという新電力会社は、税金にたかっておいしいところだけ持っていき、責任のある運用はしない。提携先の大電力会社の火力発電に頼りっぱなしという無責任経営をめざしていることになる。

健全で合理的な電気事業の再構築こそ原発廃絶への唯一の道

こういう基本的な構造を理解せず、勘違いしている人が多いのであれば、このまま新電力事業者の契約数が増えないのも、別にいいんじゃないかとさえ思う。
自前の発電所をあまり持たず、コンピュータで数字(金)をやりとりして従来の(提携業者の)発電所が作った電気を看板を変えて再販しているだけのような業者が増えていけば、健全な電力事業、電力インフラは望めない。どんどん歪んだ方向に流れていく危険性がある。

現在、日本の電気の約9割は火力発電で賄っている。そのうちの9割近くはLNGと石炭。これは、もし日本が原発を使わないという選択をした場合、当面はこういう電源構成でやっていくことになるだろうということを意味する。
2014年は原発ゼロだったが、それで困った、危機的状況になったわけではない。であれば、そのやり方をベースにして、あとはいかに効率を上げるか、環境負荷を減らしていくかという努力をすればいい。

ガス火力の効率は技術革新でどんどん上がっている。天然ガスの確認埋蔵量、可能採掘量も増えている。石炭の脱硫技術も日本は世界のトップレベルを誇っている。石油は貴重だからただ燃やしてしまうのは惜しいと思うだろうが、原油を精製すれば必ず一定の割合で出てくる重油は熱源に使う以外あまり使い道がない。
原発を輸出するなどというたわごとを言っているよりも、すでに実績のある火力発電系の技術革新にさらに磨きをかけて世界をリードしていこう、と、堂々と言えばいいではないか。
火力発電を悪者にして、二酸化炭素温暖化説などという全世界的経済詐欺手法のお先棒を担いできた背景には、原発ビジネスをなにがなんでも守るという意図があったことを忘れてはいけない。

原子力ムラの利権族は、反原発運動を原発維持や再生エネルギー詐欺という新たな利権構築に利用することに成功している。
これ以上騙されてはいけない。
本気で原発をやめさせるには、こうした間違いだらけのシステムをひとつひとつ正していくことが必須なのだ。
何度もいってきたように、総括原価方式と再エネ賦課金などの不公正な補助金をやめさせれば、原発は維持できず、なくなる。
あとは、現在の再エネ賦課金同様に、電気料金の領収書・計算書には「原発後始末負担金」として廃炉や事故賠償金の分を我々がどれだけ負担しているかを明示すればよい。そうすることで、ようやく日本国も日本人も、自分たちが犯した間違いを認識し、将来の世代への責任を果たしていく意識を少しでも持つようになるかもしれない。


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