現実主義のリベラル、理想主義の保守2011/08/09 12:58

9月、10月に出るはずの本の原稿書きと校正戻しが重なっていて、しばらくWEBには書いていなかった。

さて、本日(2011年8月9日)の日経ビジネスに、池上彰と加藤陽子の対談が掲載されている

原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?
加藤陽子・東京大学文学部教授に聞く【第1回】


……というもの。
内容はすべてもっともなのだが、それだけに、今頃こういう正論を読んでも……という虚しさがある。
ただ、忘れられがちなポイントをいくつか指摘しているので、その中のひとつを抜き出してみたい。
(※対談なので、原文は会話の「ですます調」で書かれているが、「ですます」は刈り取って転載)

池上:
2005年にインドネシアを震源とする大震災と大津波があった。あのとき救援や復旧活動のために、自衛隊が派遣されたが、陸上自衛隊に配備されているヘリコプターを海上自衛隊の護衛艦に載せて運ぼうとしたら、船に載らない。陸上自衛隊のヘリコプターは、プロペラを折り畳めないタイプ。艦載するには折り畳めるタイプでなければダメで、結局、陸自のヘリを改造するまで出艦できなかった。つまり、いざというときにすぐに役に立たないムダな投資をしていたことになる。でも、「いざ」が来るまで誰も指摘しなかった。 ---------------(略)----------------

加藤:
(原発)反対派の論じ方にも問題があったと思う。現実的な反対論というのは、本当に難しい。すぐに「絶対反対」の理想論に走り、神学論争を仕掛けてしまう。すると、先ほど池上さんがお話しされた自衛隊のヘリコプター問題のような「現実」がないがしろにされてしまう。今の原発だって、止めるにしろ続けるにしろ、「原発が実際にある」という「現実」を見据えないと、対応はできない。廃炉に至るまでの工程では、まさに原子炉工学の粋が必要になってくる。専門家と技術者と運営主体は今後も欠かせない。(そこを無視すると、ただの)理想を掲げた反対運動に殉じてしまう。これでは「現実」は動かない。
 個人的にはリベラルや左派こそ、オタクと称されるほどに、軍事や科学や技術に通暁してほしい。リベラルによる現実主義、保守による理想主義。この、あまり見かけない、たすき掛けの組合せを追求したい。

※文体を「である」に統一変更。( )部分はこちらで補足した。
原文は⇒こちら 

自衛隊の装備の話は、実は『裸のフクシマ』にも少し書いた。
日航機墜落事故のとき、本州のど真ん中に落ちた巨大な飛行機を、夜明けまで見つけられなかった。このときの新聞報道でびっくりしたのは、「いちばん明るいサーチライトを搭載したヘリは東京消防庁にあり、自衛隊のヘリはそこまで明るいサーチライトを搭載していない」という記述だった。
なんじゃそりゃ? と呆れ返った。
自衛隊の装備に注ぎ込まれる金(税金)は、東京消防庁の装備に注ぎ込まれる金とは桁がいくつも違う。国民としては、当然、国内最高の性能を持った装備があると思うが、そうではなかったわけだ。
島国日本では絶対に活躍しようがない戦車などという装備にもとんでもない金をかけている。
陸自のヘリが海自の船に乗せられないのであれば、戦車の海外輸送もできないのかもしれない。そもそも他国を武力威圧してはいけないと憲法で定められているのだから、自衛隊の戦車は日本国内で使うということになるが、その砲を向ける相手は誰なのか? 日本国民しかいない。

今回、東電福島第一原発の電源全喪失にあたり、電源車が周囲にまったく配備されていなかったという恐ろしい事実を知らされたわけだが、あのとき、首相官邸では「電源車を自衛隊のヘリで釣り上げて現地に運べないか」という提案がなされた。しかし、すぐに、「重すぎて持ち上げられない」と判明し、諦めたという。
そもそも、そんなことをしなくても「電源ヘリ」というものを配備しておくべきであることは常識ではないのか。車輌が入り込めない災害地などで緊急に救助・復旧活動をするために電源は必須なのだから。
「電源ヘリ」のようなものは当然何機もあるものだと思っていたが、どうやら日本国内のどこにもないらしいということがこれで分かった。技術的にも金銭的にもなんの問題もない装備だろうに。どう考えても、戦車より高いとも思えない。

……こんな風に、少し考えただけでも、日本国民全体が思考停止しているテーマはたくさんある。
戦争や原発は、「負け」たら国全体がなくなってしまいかねない「重要事項」だが、そういう生き死にの問題でも、日本人は思考停止してしまうのだ。

加藤教授が言う「リベラルによる現実主義、保守による理想主義」はとても重要だ。
一部の反原発グループと呼ばれる人たちは、知識のないアジテーターを教祖のように盲信して間違いだらけの講演会や集会を開いている。これは原発を推進してきた人たちにとっては好都合で、「反対している人間のレベルはこんなに低い」という証左をわざわざ提供してしまっている。
原発は全廃するべきだと僕は強く主張しているが、現存する施設を廃炉にしていくには、気の遠くなるような時間と、優秀な原子力工学の技術者が必要。もちろんとんでもない金がかかる。すでに抱えている負の遺産を処理するための金と人材はケチってはいけない。命に関わるからだ。
また、すでに広範囲に薄く大量の放射性物質がばらまかれ、汚染されてしまったわけだから、ここから先は「汚染された国でいかにリスクを少なく生きていけるか」という現実的な対策をとるしかない。
例えば「徹底的に除染をしろ」と言うのは簡単だが、どう「除染」したところで、放射性物質は消えてくれるわけではない。中和とか消滅は無理なのだ。
除染の実態は「拡散」(一か所に大量に固まっていると怖いので、ホットポイントをつぶしながら薄く広く拡散させる)か「移動」(ここは子供が長時間いる場所だから、ここにあるよりは他の人が寄りつかないような場所に持っていく……というような「移動」)にすぎないのだ。
土壌汚染に対しても、汚染された現場では、「表土を10cm剥ぐべきか30cm剥ぐべきか」とか「土を剥ぎ取っても持っていき場がないから、30cm掘ってひっくり返せばいいのではないか」といった現実論で悩んでいるのだ。「除染」の号令ひとつで放射性物質が消えてくれるわけではないのだから、外野で無責任なシュプレヒコールを上げられるだけならノイズにしかならない。そこにつけ込んで新たな利権ビジネスを作りだそうとしている人たちがたくさんいること、その人たちにとって、アジテーターやそれに乗せられて気勢を上げる人たちは利用価値のある都合のいい存在であることに気づいてほしい。
これだけひどい目に合わされ、この先さらにいいように利用され、徹底的に汚されていくフクシマを見ているのは耐えられない。
汚染された地域の首長や議員たちは、本当はみんな逃げ出したいはずだ。責任ある立場にある人ほど逃げるわけにいかず、今後もずっと地域に関わって責任をとらなければならない。お上から提示される「除染後の汚染物貯蔵のために谷を一つ提供せよ」といった条件をはねつけられず、お家とりつぶしよりはこっちのほうがまだマシ……という苦渋の選択を続けていかなければならない。
その窓口になり続ける人生……心ある者ほど、この苦悩は大きい。
子供たちを城から逃がして負け戦の戦場に出て行く武将……より悲劇かもしれない。死ぬこともできないのだから。
これがフクシマの現実である。
この状況をしっかり見ることをせず、頭の中だけで理論上の正義を構築し、放射能の恐怖をいたずらに煽ったり、再生可能エネルギー賛美をして新たな利権政治を推進させるようなことをしていては、安全な廃炉計画も国民の幸福もどんどん遠のいてしまう。
エネルギーをぶつけるなら、不正告発に注ぎ込んでほしい。もちろん、相手は「原子力ムラ」を築き上げた連中だ。彼らの罪を徹底的に暴いて償わせることにエネルギーを注ぎ込むなら、それは十分に意味がある。
福島第一2号機では、2010年6月17日、原子炉自動停止→非常用ディーゼル発電機起動→原子炉への給水が停止→原子炉の水位が低下→原子炉隔離時冷却系を起動して給水……という、3.11事故とまったく同じ経緯をたどる重大事故を起こしたが、原因は中央制御室で記録計の交換作業をしていたときに、作業員が10センチ隣にあった「発電所内の送電線系統安定化装置電源切り替え用補助リレー」なるものに触れてしまったことだった。その結果、リレーが誤作動し、2系統ある所内の送電系が同時に遮断。さらに外部電源にも切り替わらずすべての外部電源喪失→原子炉自動停止となったのだ。なんですか、これは。
また、その直後の2010年7月15日には、5・6号機に接続されている夜ノ森線という送電線が保護装置の異常で送電が停まるという事故も起きている。
さらには、地震が起きる10日前の2011年3月1日、地元紙の福島民友がこんな記事を小さく載せている。
福島第1原発で新たに33機器点検漏れ

 保守管理の規定の期間を超えても点検を実施していない点検漏れの機器が見つかった問題で、東京電力は2月28日、経済産業省原子力・安全保安院に調査結果を最終報告した。報告では福島第1原発で新たに33機器で点検漏れが見つかった。県は「信頼性の根本に関わる問題」と東電に再発防止策の徹底を求めた。
 東電によると、福島第一原発で見つかった点検漏れは定期検査で行われる機器ではなく、東電の自主点検で定期点検が行われている機器。しかし、最長で11年間にわたり点検していない機器があったほか、簡易点検しか実施していないにもかかわらず、本格点検を実施したと点検簿に記入していた事例もあった。

先日運転を停止した浜岡原発では、5月14日に停止操作をした途端に5号機の細管が破断して復水器に400トンの海水が流入し、そのうち5トンは圧力容器内(原子炉本体)に流入した(2011年5月15日 毎日新聞、産経新聞、他)。
浜岡の5号機は「改良型沸騰水型」(ABWR)と呼ばれ、出力138万キロワットは日本最大。2005年に運転開始したばかりの新しい国産原子炉だ。それが、地震も何も起きないうちから「壊れていた」のだ。原因は近くのパイプキャップの溶接ミスだという。

……こうした驚くべき事実を、マスメディアはなぜか大きく報じない。
反原発をテーマにする民間団体は、こういう部分の告発や調査、追及こそ力を入れてやるべきだ。実際やっている立派なグループもたくさん存在するのだが、メディアが無視するため、なかなか情報が露出してこない。代わりに恐怖や空論賛美アジテーター型の声ばかりが露出しているのは、本当に困ったことだ。

大東亜共栄圏構想、原発推進、自衛隊のあり方と米軍基地の存在……近代以降の日本が抱えてきたこうした問題に対して、僕を含めて多くの人たちは、「正論」は持っていても、疲れるだけだから表だって動くことはせず、坐視してきた。「フクシマ」はそうした日本人の体質に対しての答えだ。
「リベラルや左派こそ、オタクと称されるほどに、軍事や科学や技術に通暁してほしい。リベラルによる現実主義、保守による理想主義。この、あまり見かけない、たすき掛けの組合せを追求したい」という加藤教授の言葉に、全面的に賛同する。