岩田医師と高山医師の絶妙な連係プレー?2020/02/21 22:39

世の中は「新型コロナウイルス」(以下「COVID-19」と表記)のことで連日大騒ぎになっている。
分からないことだらけだが、2月21日の現時点で見えてきたことをまとめてみる。

COVID-19について分かっていること

  • 感染力は強く、当初言われていた接触感染、飛沫感染の他にエアロゾル感染がかなりあるのではないかという情報やデータが出てきた
  • 感染しても気づかないくらい抵抗力のある人もいるが、その人たちも人に感染させる可能性はあるのでやっかい
  • 発症後の症状の最大特徴は「経験のないほどの倦怠感」で、起きて動く気力もなくなるほど。他に、なかなか下がらない熱、咳、ときには下痢など、風邪に似た症状
  • 若年層は感染しても症状が出なかったり、出ても回復が早く、ほとんど重症化しない
  • しかし、高齢者や持病のある人は風邪症状が続いた後、一気に重症化し、死に至ることもある
      ⇒(そのため、致死率は高齢者(65歳~)とそれ以下で分けて算出したほうがいいのではないか?)
  • 重症化の初期タイミングで抗HIV薬の投与により症状改善が望めるらしい
  • 日本での水際作戦は失敗し、2月下旬時点で、すでに日本国内での市中感染がどんどん拡大している
  • 終息予測はたっていない。SARSのときのように気温が高くなれば弱まるのかも不明。一旦感染した人が抗体を持ち、再感染しないのかもよく分からない

ダイヤモンドプリンセス号問題

次に、注目を集めているダイヤモンドプリンセス号の乗員乗客の状況と、それに対する日本政府の対応については、こうなるだろうか。

  • 船籍はイギリス、運営企業はアメリカ(ダイヤモンドクルーズ社)。2月3日に横浜港沖に停泊した時点で乗客は2666人、乗組員が1045人(合計3711人)が船の中にいた
  • 乗客の国籍は56カ国・地域に渡り、このうち日本人の乗客はおよそ半数の1281人(*)。乗組員の国籍構成は詳細不明だが、ほとんどは東南アジア、南アジアの人たちらしい
  • 1月20日  横浜から出航。香港やベトナム、台湾、沖縄をまわって2月4日午前に横浜に帰港するスケジュールだった
  • 2月1日  香港で下船し帰国した乗客(80)がCOVID-19に感染していたと香港政府が発表
  • 2月3日  夜、予定より早く横浜港に到着。着岸はせずに停泊し、日本政府の検疫下に置かれる。厚労省から派遣された検疫官が入船し、発熱などの症状がある人を確認
  • 2月4日  この日の夕食までそれまで通り船内のレストランで食事を提供。シアターやカジノ、カラオケも営業していた(*)
  • 2月5日  乗員乗客のうち10人にCOVID-19感染が確認される。乗客全員を自室待機にする隔離措置を開始
  • 以後、発熱などの症状がある人を中心に感染検査を進めるが、検査体制が1日数百人規模のために追いつかず、検査結果が発表されるたびに感染者数が増大していく。この日、後に死亡する女性Aさん(84・基礎疾患なし)が発熱
  • 2月6日  乗組員にマスク着用命令が出る(*)。Aさんが発熱を訴えて船内医務室で受診
  • 2月10日  後に死亡する男性Bさん(87)が発熱。翌11日に下船して入院。5日に発熱したAさんが船内で問診を受け、投薬・点滴・ウイルスの有無を調べるため検体を採取
  • 2月11日  Aさんが船内で再々受診。医師は入院が必要と判断
  • 2月12日  DMAT(災害派遣医療チーム)などの医師38名、看護師36名、薬剤師17名が診療にあたるも、感染者は毎日確認され、累計が増え続ける。感染者のうち4人(うち日本人3人)が重症化し、集中治療室にて人工呼吸気をつけての治療(*)
     5日に発熱したAさんがようやく下船し、病院に搬送される。入院後、前日採取された検体検査で陽性が確認される。さらには検疫官1人も感染が確認される
  • 2月14日  5日に発熱し、12日に下船~入院したAさんの容態が悪化。酸素マスクをつけるが症状改善せず
  • 2月15日までに計218人の感染者が確認される。感染が確認された者は順次下船させて日本国内の病院等に入院させるが、感染者と同室だった家族などはそのまま部屋に隔離を続ける。さらには乗員は感染検査もほとんど受けられず、狭い相部屋にて過酷な労働を強いられていることが問題視される
  • 海外からは日本政府の検疫方法に非難の声が上がる。特に日本人に次いで乗客が多かったアメリカでは、「感染拡大の第二の震源地を作った」(ABCニュース)「公衆衛生の危機対応で『こうしてはいけません』という教科書の見本のような対応」(ニューヨークタイムズ)などの批判も
  • 2月16日  アメリカ政府はアメリカ国籍の乗客(425人)を船外に待避させるためにチャーター機を派遣し、本国へ移送開始。イギリス、イタリア、カナダ、オーストラリアなどの国も同様の対処をすると発表
  • 2月18日  神戸大学医学研究科感染症内科教授・岩田健太郎医師が、厚労省技術参与・高山義浩医師の助言を受けてDMATの一員という名目でダイヤモンドプリンセスに乗船したものの、すぐに退出を命じられる
  • 2月19日  ウイルス検査を受けて陰性とされた乗客の下船が始まる。この日は乗客443人が下船。バスで横浜駅などのターミナル駅に移動し、解放。公共交通機関などで各々が帰宅の途につく。解放後すぐに横浜駅地下街の寿司屋で食事をする夫婦もいた。この日までに検査が終了したのは3011人。陽性が確認されたのは621人(うち、無症状が322人)。下船直前での検体採取は行っていない ⇒下船後の乗客が後に感染が分かっても、いつ感染したのか追跡調査ができなくなる恐れ
     岩田医師が前日の体験をもとにYouTubeに船内の状況を問題視する動画を公開。たちまち拡散する。夜、高山医師がFacebookで同動画について一部の事実誤認などを指摘し、状況説明を行う
     一方、岩田医師を船から退出させたことについて、橋本岳・厚労副大臣がTwitterで「お見掛けした際に私からご挨拶をし、ご用向きを伺ったものの明確なご返事がなく、よって丁寧に船舶からご退去をいただきました。多少表情は冷たかったかもしれません。専門家ともあろう方が、そのようなルートで検疫中の船舶に侵入されるというのは、正直驚きを禁じ得ません」などと書き込み、「ちなみに現地はこんな感じ。画像では字が読みにくいですが、左手が清潔ルート、右側が不潔ルートです」と、写真を掲載したことで、それを見た人たちから一斉に「やはりグチャグチャじゃないか」と嘲笑と共に大反響が起きる。橋本副大臣はすぐにツイートを全削除した
  • 2月20日  入院していたAさん、Bさんが死亡
     船内で事務業務にあたっていた厚生労働省の職員1人と、内閣官房職員1人の感染を確認
     岩田医師は高山医師からの意見を受けてYouTube動画を削除。同日、日本外国特派員協会でSkype経由の記者会見に応じ、動画の削除の理由(データが公開されるなど対応が改善されたことで、初期使命を終えた)や、動画の中で訴えたことに基本的に間違いはなく、今も同じ考えであることを説明
     加藤勝信厚労相は同日夜に記者会見を開き、「明らかに検疫期間に発症者が減少しており、隔離が有効に行われた」として検疫が有効に作用したとの認識を示す

日本政府と厚労省の対応

こうして見ていくと、厚労省が主張する「検疫・隔離は有効に行われた」という説明を素直に受け止めることはとてもできない。
すでに各方面から指摘されていることだが、
  • 検査体制が十分に整っているのに、民間検査機関での検体検査をなぜ行わなかったのか?
  • 船内に長期間閉じ込めることによって感染が広がり、重症患者が出てしまう危険性になぜもっと早く気づかなかったのか?
  • 対人接触回数が多い乗員の感染チェックがいちばん後になったのはなぜなのか?
……といった疑問がすぐに浮かぶ。
3000人を超える乗員・乗客を隔離して経過観察できる施設がなかったというが(中国武漢からチャーター便で帰国させた人たちの隔離場所であったホテル三日月では相部屋が生じたし、その後の政府関連施設では共同トイレの宿舎)、すでにほぼ完成している東京五輪選手村施設を使うことなどは誰も提案しない。
普通に考えればまっ先に思いつきそうなものだが、政治家もメディアも絶対に選手村のことは口にしない。それができたなら、世界中から「さすがはおもてなしの国だ。素晴らしい」と賞賛され、たとえオリンピックが開催できなくなっても、国のイメージは一気に上がっただろう。
選手村を使えない理由があるならそれを説明してもいいと思うのだが、東京五輪関連の話がリンクすることはトップレベルのタブーになっている感じだ。

高山医師と岩田医師の超絶連係プレー?

岩田医師が公開したYouTube動画については、一部では「スタンドプレー」「ただの目立ちたがり屋」「ヒーロー気取り」「現場にとって迷惑なだけ」といった批判が寄せられたが、それは違うだろう。少なくとも原発爆発の後に1F(いちえふ)に乗り込んだ某議員(なんと今回の専門家会議に政府側から参加しているらしい)のようなのと一緒にしては失礼だ。
岩田医師の動画に対して高山医師がFacebookに書いた文章と、それに対する外からの膨大なコメントが非情に興味深い。
まず、岩田医師、高山医師、両者の話を合わせると、実際にはこういうことだったようだ。

  • 岩田医師は当初からダイヤモンドプリンセス号への対応に疑問を持っていたが、乗客や関係者から「なんとかならないか」という悲痛な訴えを受け、現場に行くことを決意
  • 岩田医師は、現場で指揮にあたっていた高山医師とは旧知の間柄で、今までもこうした現場で共に仕事をしたこともある「仲間」と認識している。そのため高山医師に現場に入りたいと電話で相談する
  • 高山医師は厚労省の役人、自衛隊、DMATなどが複層的に入り乱れている現場で、すでに始まろうとしている乗客の下船手続きなどで手一杯だった。ただでさえこれ以上の混乱を押さえたいところにストレートな性格の岩田医師が乱入してくるとやっかいだと直感し、周囲を刺激せずに入ってもらうため「やり方を考えましょう」と応じる
  • 高山医師は厚労省のスタッフとして動いていたが、誰を入れていいという権限はないので、現場で一緒に動いていた「環境感染学会」に相談してみることを提案する。岩田医師はさっそく環境感染学会に「現場に入りたい」と申し入れるが、しばらく放置された後に断られる
  • そこで高山医師は、次に「DMAT(災害派遣医療チーム)のメンバーとして入ってはどうか」と進言する。その際、「DMATとして入る以上は、DMATの活動をしっかりやってください。感染管理のことについて、最初から指摘するのはやめてください。信頼関係ができたら、そうしたアドバイスができるようになるでしょう」と伝えた。岩田医師は「分かりました」と言ってDMATに合流した
  • 岩田医師はDMAT合流後、DMATのチーフドクターからは「あなたにはDMATの仕事(医療行為など)は期待していない。あなたは感染のプロなのだから、そっち方面の仕事をするべきだ」と言われる
  • それを一種の拒絶とはとらえなかった岩田医師は、すぐに周囲に感染対策アドバイスを始めるが、現場では翌日に迫っている下船のための準備に追われていて、(あなたが言うことはすべてごもっともで、自分たちもそう思いながらここまできたが)今さらそんなことを言われてもどうしようもないという空気になる
  • 結果、煙たがられるだけになってしまい、さらには橋本厚労省副大臣の怒りを買い(「なお昨日、私の預かり知らぬところで、ある医師が検疫中の船内に立ち入られるという事案がありました。事後に拝見したご本人の動画によると、ご本人の希望によりあちこち頼ったあげくに厚生労働省の者が適当な理由をつけて許したとの由ですが、現場責任者としての私は承知しておりませんでした」とツイートしている)、すぐに追い出される
  • 岩田医師は憤懣やるかたなく、すぐにYouTubeに動画をUPした
  • その動画はたちまち波紋を呼び、メディアも岩田医師を追いかけ、テレビ出演させるなどした
  • この状況を見て、高山医師は岩田医師と話し合い、とりあえずYouTubeの動画は削除してもらった
  • 岩田医師は、問題指摘の目的は果たせたし、橋本副大臣が無能ぶりを自ら証明するようなオマケまでつけてくれたことで、高山医師との連携を尊重し、お互いの役割分担、棲み分けを意識しながら、外国特派員協会での会見にも今までより慎重な言葉を選びながら応じた

……この流れを見ていくと、高山医師と岩田医師は、(ご本人たちにはそのような意図はなかったとしても)結果として絶妙な連係プレーをしたのではないかと思う。いっぱいいっぱいの極限状況にあった現場の業務を必要以上にかき乱さず、同時に問題点を広く世に知らしめることになったのだから。
Facebookのコメント(医療関係者が多い)などを見ても、高山医師は人望があることがよく分かる。また、岩田医師とは性格が正反対なようでいて、お互いの能力を信頼し、認め合っていることも察せられる。
このレベルの人たちが司令塔になって最初から問題にあたっていたら、事態はずいぶん違っただろうなと思う。

私も含めて、専門外の一般庶民ができることは、彼らのような優秀な人たちがしっかり活躍できる環境を作れるように、政治、行政、メディアを見張ることしかない。
別の問題でだが、あるコラムで、こんなことを言っている人がいた。
何かを隠蔽する際に「無能を理由にする」というやり方が、日本だけで許されている。場合によっては、後で「ご褒美」の昇進が待っていることすらある。


責任論ということでいえば、それを許している国民の責任がいちばん重いのではないか。


新型コロナウイルスは「バイオ経済テロ」か?2020/02/03 20:12

「陰謀論」というレッテル貼り

世の中のニュースは、大きなものほど真相はよく分からないところがある。
情報はいくらでも作れるし、加工するのはもっと簡単だ。権威のある機関(例えば政府機関とか大新聞社とか○○学会とか)が出している情報だから信頼できるかというと、まったくそんなことはないことを、(公文書改竄、破棄問題などを持ち出すまでもなく)すでに多くの人は理解している。
となると、真偽の分からない様々な情報を集めた上で、最後は自分の知識、経験、そして感覚(勘)などを総動員して、何が真相に近いのかを「推理」するしかない。
真剣に取り組んでも、自分がその事象に対して何かできるわけではないので、一種のゲームだと思って推理する。想像力や合理的判断力を働かせずに「公式発表」を鵜呑みにすることが「常識人」としての分別や品性ではない。
例えば、アポロ11号は本当に月に行ったのか? あれはでっち上げ映像ではないかという話が流れて、映画や本にもなった。この手の話は「陰謀論」とか「トンデモ」などと呼ばれて、ハナから論ずることさえ馬鹿げていると唾棄される傾向がある。
アポロが月に行ったのか、という件に関しては、僕自身は9割方「行った」のだと思っている。ただ、残り1割は「もしかしたら壮大な嘘かもね」と想像してみる「自由」を持ち続けている。陰謀論を打ち消す証拠をさらに検証する作業なども楽しみたい。
一方、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺がオズワルドの単独犯行だったという「公式発表」については、9割方「それは違うだろう」と思っている。数々の物証が、オズワルド単独犯行説に無理があることを示している。
9.11で、ソロモンブラザーズビル(第7ビル)が崩壊したのは事前に綿密な計画のもとに爆薬が仕掛けられていたからだ、という説についても、9.9割方「それはそうだろう」と思う。あの映像を見て、ツインタワー倒壊の衝撃で崩れ落ちたなんていう説を信じろというのはまったく無理な話だ。同様に、9.11でペンタゴンに突っ込んだのは乗っ取られた旅客機ではなく、ミサイル状の飛翔体だったという説も、9割方「そうなんだろう」と思っている。
では、9.11計画を立案して実行したのは何者なのか? アルカイダとかビンラディンが単独でやったとは到底思えない。そこから、そもそもビンラディンは役者だったのではないか……と話が発展していく段階で、さらにいろんな陰謀論が出てくる。そこにちょっとした無理や飛躍が見られると、たちまち「アホか」と唾棄され、排除される。こうした論に「トンデモ」だとレッテル貼りをするために、大きな嘘を仕掛けた側がわざとアホな陰謀論者を野放しにしたり、アホ陰謀論者を創り出して露出させることもありえる。

新型コロナウイルスはバイオテロか?

さて、ここで今、世界中で騒いでいる新型コロナウイルスの話に移る。
このウイルスに関しては、当初から武漢のウイルス研究所から流出したという説があり、それはデマだから相手にするなみたいな話も出ている。
元国連紛争調停官の島田久仁彦氏(現・株式会社KS International Strategies代表取締役社長)は、今回のウイルスの起源について、大まかにだが
  • 1)中国人民解放軍の生物兵器研究開発施設で感染した人からの感染(事故によるヒトーヒト感染)
  • 2)中国以外の「何者か」によるバイオテロ(中国・武漢で人為的にばらまいた)
  • 3)公式?発表通り、野生動物由来のウイルスが突然変異して武漢の海鮮市場経由で広まった
……という3つの可能性を示唆している
マスメディアでは1)と2)の可能性については絶対に触れないようにしているようだが、個人的には1)2)3)の順番で可能性が高いのではないかと思っている。(時間が経つにつれ、1)より2)説のほうがありえるかな? とさえ思う)
2)の場合、主目的は中国を中心とした経済市場に打撃と混乱を与えるというものだったのではないか。言い換えれば新種の経済テロ。これは実際そうなっているわけで、ありえる話だと思う。

人への感染そのものが目的だとすれば、致死率の低いウイルスを使った実験的なもの、あるいは「本番」(?)に向けてのシミュレーションという意味合いが強いのではないか。この場合は経済戦争の道具という意味合い以上に怖ろしい。宗教的狂気をはらんでいるからだ。

バイオテロではなく、事故的なもの、あるいは自然発生的なものであったとしても、今、ウイルスが世界中にどのような速度、規模で広がっているかを必死にデータ収集、解析しているグループが必ずいる。このウイルスの感染率、感染速度で致死率を上げたものをばらまいたときに、世界はどのように変化していくかを予測する人たち。
死者の数(何人殺せるか)だけでなく、そのとき各国はどのように対応するか、人々はどのように動くか(動かされるか)、メディアをどのように使えばどのような効果が現れるか……。そうした実験場になっていることは間違いない。

で、そういう現実世界で、我々庶民はどのように対応すればいいか──これはもう、受動的な対応しかできない。ウイルスがなぜ出現したかについて真相を知ったところで何もできないわけで、現状を把握して、自分はそれに対してどう行動すればいいかを考えるしかない。
今回のことでいえば、新型コロナウイルスと呼ばれているものがどの程度の危険性を持っていて、自分の生活とどのように関係してくるかを極力正確に予測し、リスクを下げることしかできない。
この「リスク」には、感染するリスクだけでなく、過剰反応してストレスをためたり、他者を攻撃したりすることで社会が乱れるというリスクも含まれる。現時点ではそうしたリスクのほうが、自分が感染して死んだりするリスクよりはるかに高いことは間違いない。


日本は世界一安全なスラム観光国になるのか2020/01/27 16:56

こんな風景に激変している日本列島

安全な廃墟観光地・日本

ツイッターにこんな投稿を見つけた↓。
上司が最近西成に行くと、街を漂う浮浪者を見ながらマッチョな外国人観光客たちが酒をのみ、貧乏宿を満喫し、廃墟の様なエリアをビール片手にホッホッ叫びながら散策し、ホーリーマウンテンの様なモンド感出てたそう。今は西成にとどまってるが、10年後には日本が経済破綻し、こんな風景が全国で見れるかもしれない
 裏庭映画保存会 (@uraniwamoviecom) January 18, 2020


西成かぁ……。
30代の頃(だから、30年くらい前)「狗道研究会」という怪しいグループ(徳間のトンデモ本を得意としていた編集者がリーダー格)に混じって、愛宕山登山のついでに大阪・西成周辺ツアーについていったことがある。
そのグループの中に西成が大好きな人がいて、西成だけでなく、飛田新地とかを先導して案内するというもの。
ヤ印の人がよく集まる飲み屋(実際、指に真新しい包帯を巻いたその筋の人がポツンと呑んでいた)に入って、その案内役の彼が嬉嬉として差別用語や放送禁止用語満載の歌をカラオケで歌う(なんでそんな無法なカラオケが存在するのかも謎)という、トンデモなツアーだった。無事にツアーが終わったのは何よりだった。
30年前にはすでに大阪はそういう観光地として一部マニア?には認識され、楽しまれていたわけだ。今になってそれが海外からの観光客にも人気が出てきたということなんだろう。

あと20年くらいすると、日光も「世界一安全に貧困と混沌世界を見学できる複相観光地」として世界に認識されるのかもしれない。
東照宮は今回の大修理でピカピカになった陽明門や東武動物公園の看板みたいになってしまった三猿あたりがいい感じに寂れてくる。国力が低下し、補修費が出ないので、いい感じに寂れたままになっている。……それはまあ、いい。
鬼怒川温泉は今以上に廃墟ツアーで賑わう。霧降高原はカルト文化、ヒッピー文化の吹きだまりみたいになり、若い欧米の人たちに大人気に。今市は安い定食屋巡りや闇営業ツアーガイドの基地みたいになってたりして……。
でも、地元の人たちはちっとも潤わず、英語ができて、無許可の闇営業が得意な中国人が荒稼ぎする場になっているかもしれない。

そもそも、海外からの観光客を呼び込んで外貨を落としてもらうというのは「貧乏な国」の政策だ。為替レートで円が弱いから旅行先に選ぶのだし、外国に向かって胸を張って売れるものがないから、せめて観光で生き延びようということになる。バブルの頃に日本人が強い円を背景にしてガンガン海外旅行に行っていたことを思い出してみるといい。今はその立場が逆になっているのだ。

観光立国政策が悪いことだらけだというわけではない。しかし、それならなぜ、日本が世界に誇れる森林を壊して巨大風車を林立させ、メガソーラーを敷き詰めるのか。水源地に放射性廃物まみれのゴミを持ち込んできれいな水を汚した挙げ句に、水道事業を外国資本に売り渡して、自国民さえもが安全でうまい水を使えなくさせるのか。
観光で人を呼ぼうという国は、それなりに自国の美点を知り、大切にしている。そうした基本的な「愛国心」さえない国は観光地としての魅力もない。そこに生きる人々が、楽しく、幸せに、誇り高く生きていなければ、「おもてなし」はギブミーチョコレート的な上目遣いサービスに堕してしまうだけだ。
今の日本に必要なのは、「まずはちゃんとしようよ」という根本的な国民総意だ。
為政者や官僚が基本的なルールさえ踏みにじる。嘘をついても不正をしても罰せられないどころか、それによって出世する。それを見ている庶民の心に「あれで済んじゃうんだ」という諦観、虚無感が積み重なっていく。
……これでは「日本人の美徳」もなにもない。

「縄文村」と「森水学園」2019/12/28 11:53

18年目に入った縄文村

先日、フェイスブックで⇒この記事のことが話題になっていて、久しぶりに「縄文」という言葉を思い出した。
その後、12月20日に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の2021年世界遺産登録のための推薦書をユネスコに提出することが閣議了解されたそうだ。これが通れば、来年あたりまた「縄文ブーム」が訪れるのかもしれない。
かつてこの話題が一時盛りあがったきっかけは、青森県の大平山元遺跡から約16500年前と見られる土器が見つかったことだった。
「縄文土器は世界最古の土器であり、世界4大文明などよりずっと古い時代から日本に先進的な文明が存在していた証拠だ」といった論調が飛び交った。(正確には、大平山元遺跡から見つかった土器は無紋(模様がない)であり、「縄文」土器ではないのだが。)
こういうときに、どうも「世界最古」を争うような方向に話が流れやすい。その後、中国でもっと古い時代の土器が見つかったらしいというニュースが流れたときも「中国のことだから歴史捏造に違いない」とか「証拠が希薄だ」といった主張が飛び交った。
どこが「世界最古」かはともかく、1万数千年前という気の遠くなるような時代に東アジアのあちこちで土器というものを使った生活がされていたことは間違いない。
この時代、人々は土器で湯を沸かし、ドングリなどの木の実を茹でたり、魚を煮て油を取ったりしていたという。
つまり、縄文時代と言われる太古における土器を使った文明のポイントは、
  • 狩猟だけでなく、煮炊き料理によって植物食の範囲を広げることができた結果の食生活の安定
  • 食生活の安定による移住生活から定住生活への移行
ということだ。
しかし、これを可能にしたのは土器の発明だけでなく、その背景には「急速な地球温暖化」があったことを忘れてはいけない。
氷河時代が終わり、日本列島の植生がそれまでの亜寒帯的な針葉樹林中心から落葉樹もまじる森林へと変化した。この大きな変化があってこそ、ドングリなどの植物食に人々が注目した。そのために煮炊きする道具としての土器も発明された……という順番なのだろう。

現代社会では「地球温暖化を防がないと人類は滅亡する」などと騒いでいるが、古代人が土器でドングリを煮炊きしていた時代は今よりずっと温かかったはずだ。大規模な縄文遺跡が青森などの北の地域にあることを考えれば、それは容易に理解できる。ただ、冷房もビル群もないから、ヒートアイランド現象などは起こらない。都会暮らしの人たちが苦しむような「暑さ」とは無縁だっただろう。

温暖化も寒冷化も、人間の手でコントロールできるようなものではない。
対処療法として、寒冷化すれば暖房して凍死しないようにする、温暖化して辛ければ冷房して部屋を冷やすわけだが、どちらも化石燃料や稀少な地下資源を消費する。
太陽光発電や風力発電なら化石燃料を使わずに済むなどというのは大ウソで、太陽光パネルを製造するためのエネルギー、風力発電の不安定さを補うための出力可変の発電(貯水水力や火力)への負担が増える。山に大型風車を並べれば保水力が失われて災害が増える。ましてや原発は事故を起こさなくても廃物を今の科学では処理できないし、ウラン燃料やプルトニウムを得るまでの過程で大量のエネルギーと汚染、健康被害が起きる。
そうした計算を無視して突っ走る現代石油文明は縄文時代の文明より「文化度」が低いのではないか。

「縄文」に憧れを抱く人たちは共通して「無理をせずに地球の自然環境に適合して幸福を見つけられる生き方」を理想と考える。これはまったく正しい。ただ、解決法に対する理解度が違う。ファナティックに「CO2が~!」と叫ぶ人たちは、金儲けのためには何でもする人たちに容易に利用される。

現代石油文明は「持続可能」ではない。地下資源が枯渇した後にもそれに代わる高度な機械文明が成立しうると考えるのは妄想である。
今を生きる我々ができることは、持続時間を少しでも伸ばして子孫にかける迷惑や負の遺産を減らすことだ。そのためには、第一に省エネルギーだろう。
それも、見せかけの省エネではなく、本当の省エネ。
省エネを謳った活動によって、裏ではさらに資源浪費が進んだり、環境破壊が起きたりすることがあまりにも多い。
製造13年超の自動車にかける自動車増税などはその典型で、到底許せるものではない。

……と、この手の話を書き始めるとついつい長くなるのだが、jomon.orgというドメインを取得したのは2002年9月のことだった。そのときに作ったWEBサイトを長い間放置してあったのだが、思い出して読んでみると、結構いいことが書いてある。
記紀(古事記・日本書紀)は、征服者であり、権力を握った側から編纂された史書ですから、当然、権力者側を正当化する内容で書かれています。被征服者の側から書かれた文書があったとしても、それらは権力者の手によってほとんど消されてしまったでしょう。
いわゆる古史古伝の類は、偽書であるとして、歴史教育の場からは抹殺されています。しかし、後に都合よく書かれたから偽書だというのであれば、古事記や日本書紀も「偽書」となります。
歴史教科書に書かれた古代も、結局は想像による部分がほとんどです。
現代に生きる私たちは、日本列島がかつてどんな土地で、どんな人々がどのように暮らしていたのか、正確には知るよしもありません。
ただ、ひとつだけ言えるのは、現日本人が太古からひとつの独立した民族であったなどということはありえないということです。
現在、アジア諸国を形成している多くの民族の血が複雑に混じり合っているのが現日本人、ということではないでしょうか。
この認識は、とても大切なことだと思います。ある民族に対する偏見や、根拠のない優勢意識が、今まで多くの戦争やテロ事件、虐殺事件を起こしてきました。少なくとも「血」を云々することが馬鹿げていると認識できれば、こうした過ちを繰り返す愚をある程度抑止できるかもしれません。
また、日本人の優秀さを論じるとき、その勤勉さや、ルールや集団の統制を重視する気質などがあげられますが、これらはおそらく、縄文的な気質というよりは、後から入ってきた弥生的(渡来人系)気質によるところが大きいという気がします。
しかし、近代化という名の下に、現代日本人は、この土地の貴重な自然を破壊してきました。経済という宗教を盲信するあまりに、生き甲斐を失ってしまいました。さらには、権力者が自分の都合のいいようにルールをねじ曲げたり、わざと繁雑にして逃げ道を作るという負の面も生まれました。
このように閉塞した状況の現代においては、今まで軽んじられてきた縄文人的なおおらかさ、自然を愛し、自然に宿る見えない力を畏怖するという気質を、もう一度見つめ直すことが必要ではないでしょうか。
縄文的おおらかさ・平和主義と、弥生的な勤勉さ・律儀さのバランスをうまくとりながら、争いを避けて生きていくことこそ、今の日本に必要な戦略ではないかと思うのです。
「縄文村」村長・下村勝司のあいさつ より)

jomon.orgというドメインは放出してもいいかなと思っていたのだが、もう少し持っていようと思う。

森水学園第三分校


その縄文村と同じような発想で作ったのが森水学園第三分校だった。これはまだ3年経っていない。
例の「森友学園」事件のときに「森友……森が友達って、名前はいいんだけどなあ……教育勅語って、何やってんだこの夫婦は」と思ったのがきっかけだっただろうか。
中学高校の同級生・工藤誠一氏は母校・聖光学院の校長になり、僕らが在校していたときには考えられないような有名校へと改革したが、私が学校を作るならどんな学校が理想だろうか……という発想のもと、阿武隈時代に学んだことなども取り入れてバーチャル学園を作り始めた。
これはmorimizuというドメインこそ取らなかったが、これからも気力がわいたときに、少しずつページを増やしていきたい。

国語担当の鵯田つぐみ先生が作詞、音楽担当の林田光(はやしだ・ひかる)先生が作曲した校歌は特にお気に入りである。
森水学園の校歌!

森水学園第一校歌「ヒフミヨイの歌」 (鵯田つぐみ・作詞、林田光・作曲)

ヒフミヨイ 時間(とき)も物質(かたち)も
回りてめぐる この世界に
生まれ出で 出会いを重ね
形なき闇を 見つめる術(すべ)知る

ムナヤコト 夜が訪れ
また日は昇る この世界よ
罪も汚れも 結べぬ答えも
すべて吐き出し 空にもろ消せ

ああ、森と水が 我らが母校
命を学ぶ 森水学園


消費増税後の日本2019/12/24 19:19

この楽しみが奪われると社会はどうなるか?

750円だったラーメンが800円になると……

消費税が10%に上がってから3か月になるが、世の中はどうなっただろうか。
目に見えて変化があったのは個人経営の飲食店などだ。大型チェーン店などでは変化が分かりづらいかもしれないが、個人経営の店は軒並み廃業や客離れで劇的な変化を見せている。
先日入ったラーメン屋さんも、今までは750円だったラーメンが800円に、800円だったラーメンは850円になっていて、そのせいか、有名店なのにがらんとしていた。

この店のように、消費税8%のときに税込750円だったラーメンが消費税10%になって税込800円に値上げされたとする。
750円だったときの税抜き価格は750÷1.08=694円である。それに10%の税なら763円だから、客はなんだか便乗値上げされたような気になるかもしれない。
しかし、消費税が上がれば原価も上がっているのである。
今まで税抜き694円のラーメンの価格に200円の儲けが乗せてあったとすると、原価は494円である。
494円というのは材料費や光熱費などの消費税が含まれているはずだから、ここから税の8%を除くと457円。
この457円に今度は消費税10%がかかるので、原価は503円になる。
503円に今まで通り儲け分200円を乗せると703円になる。
703円に消費税10%を乗せると773円になる。まだ800円にはならない。
しかし、考えてみると、店主は自分が生活するために消費増税分今まで以上に稼がなければならないわけで、儲けが200円のままでは貧しくなる。今までの儲け200円に消費税8%分が含まれていると考えると、10%になったら204円乗せないと合わない。それをのせるとラーメンの売値は778円になる。
麺の小麦はほとんど輸入、ガス代の元になる石油や天然ガスもほぼ100%輸入。原材料費は下がる見込みはないどころか、これからもどんどん上がっていきそうだ。遠方からこだわりの材料を取り寄せている場合は送料の値上がりもこたえる。
そもそも一杯200円の儲けなら、50杯作って売ってようやく1万円の儲けである。コンスタントに1日50杯売っても1万円。ひと月25日営業して25万円。1年で300万円。毎日一生懸命スープやチャーシューの仕込みをして、50杯のラーメンを売り続けて1年でようやく300万円……。
……と考えると、750円が800円になっても仕方がない。

本当に怖いのは金銭感覚のリセット

一方で、今まで750円だったラーメンが800円になると、客も今までのように気軽には外食しなくなる。
なにせ、生活は増税分苦しくなるのだから、750円出していた昼食は逆に700円に下げないとやっていけない。
結果、ラーメン屋の客は減り、売り上げが落ちる⇒1杯あたりの儲け204円ではやっていけなくなる⇒店はつぶれる⇒客はお気に入りの店でラーメンを食べる楽しみを奪われる⇒店主も客も日頃のストレスが溜まり、生活はさらに苦しくなる⇒みんなが不幸になり、犯罪や自殺は増え、文化は衰退する。

……景気が悪いとき、国力が衰退しているときに増税すると、そういうことになる。

自分の財布から金を出してラーメンを食うことがない、毎日電車にも乗らず、運転手付きの公用車で移動しているような人たちは、8%が10%になったところで108円が110円になるだけのことではないかと思う。しかし、それはとんでもない間違いで、本当に怖ろしいのはその2%ではなく、庶民の金銭感覚がリセットされることなのだ。
750円でもきついな~と思っていたラーメンが800円になってしまった。800円でラーメンは無理だ……もう気軽には食えなくなったな、という「金銭感覚のリセット」。これが連鎖反応を起こし、世の中全体の経済活動が激変する。その怖ろしさを分からない人たちが「経済」を知ったかぶりで語っても虚しい。

いいようにされ放題の庶民の側にも問題がある。
東京五輪というお祭り騒ぎが終わった後の地獄を、まだみんな甘く見ているんじゃないだろうか。
これに大規模災害でも起きて追い打ちをかけられたら……。
どうにもならなくなってから騒いでも遅いのだ。
いずれにせよ、凄絶なサバイバル時代なのだよ、これからは。



「シ」で始まる曲を作った2019/10/28 22:14

今回の録音に使ったギター2台
いわゆる「ドレミファソラシド」のことを音階という。この並びでドから始まる音階を長音階(メジャースケール)、ラから始まる音階を短音階(マイナースケール)という。
個々のドとかレのことを「階名」というが、階名は絶対的な音の高さを表しているのではない。音階の中での音の位置(音階のはじめの音=主音からの相対的な位置)を表している。 これに対して、音の高さを表すのが「音名」で、英語ならABCDEFG、日本式だとイロハニホヘトで表す。
ちなみにイタリア式だとドレミファソラシで、世界で「階名」として最もよく使われているドレミ……は、イタリア式音名をそのまま階名にも使っているというわけだ。

現代の音楽は、IOS(International Organization for Standardization=国際標準化機構)で440Hz(ヘルツ=1秒間の振動数)の音をAとしましょう、と決められている。
このA=440Hz(1秒間で440回の振動の音。Aの音叉を鳴らしたとき、あのUの部分は1秒に440回振動している)の倍の振動数の音(倍音)までの間を12等分して、その各々の音に音名を振ったのが「平均律」という音律(音の並び方)で、一般的なピアノやギターなどはこれに合わせて調律している。

ドレミファソラシドの長音階は、ミとファの間、シとドの間が他の音の間の半分の間隔しかない。この間隔を「半音」という。他の部分、例えばドとレの間にはもう1つ音があって、ド♯とかレ♭などと呼ぶこともあるが、♯や♭は音名につけるべきだという考え方からすれば変な呼び方になる。
ド♯やレ♭にも独立した階名を与えるべきだという考え方から、英語圏の国々では、ドレミのイタリア式音名を基にして、♯は母音をi、♭は母音をeに変えて発音する(Reの場合は元々母音がeなので♭はaにする)という方法も採用されている。ただ、これだとレの半音下は「ラ」、ラの半音下は「レ」となって、RとLの区別がつかない日本人には同じに聞こえてしまって大混乱になる。(本来、レはRe、ラはLaで、子音がRとLで違う)

この「半音部分」はとりあえず置いておいて、ドレミファソラシドの長音階、ラシドレミファソラの短音階だけに話を絞ると、世の中の多くの曲は、この長音階、短音階のいずれかの音階を基にしたメロディである。
童謡『チューリップ』は、ドレミ ドレミ ソミレドレミレ……と始まる長音階(長調)の曲であり、『荒城の月』はミミラシドシラ ファファミレミ……と始まる短調の曲である。

ドレミファのうち、長調ならドが音階の主音、短調ならラが主音で、メロディの中でいちばん安定した音に聞こえる。つまり、長調ならドで、短調ならラで終わると落ち着く。実際、『チューリップ』の最後(どの花見ても、きれいだな)は、ソソミソララソ ミミレレドー、と、ドで終わっているし、『荒城の月』の最後(昔の光 今いずこ)はミミラシドシラ ファレミミラ、と、ラで終わっている。
主音の次に安定して聞こえるのは3度(主音から3番目)と5度(主音から5番目)の音で、長調ならミとソ、短調ならドとミである。
主音でも3度、5度でもないレ(長調なら2度、短調なら4度)、ファ(長調なら4度、短調なら6度)、シ(長調なら長7度、短調なら2度)という音は、メロディの最初や最後に来ることは滅多にない。
滅多にない例を探してみると、『君が代』はレで始まりレで終わるという珍しい曲であり、トワエモアが歌ってヒットした『空よ』はファで始まっている(終わりはドなので普通)。
さて、シで始まったりシで終わっている曲というのはあるだろうか? 有名な曲ではなかなか思い浮かばない。
シは長調では主音のドの半音下で、なんとかドにたどり着きたいよ~という不安定な音に聞こえる。これを「導音」という。(ちなみに短音階の場合、主音のラの下のソは半音ではなく全音離れているので不安定さはなく、「導音」とは呼ばない)

というわけで、「シ」は、長音階では導音という不安定な音、短音階では2度という、主役にはなりづらい音なのだ。だからシで始まったりシで終わったりする曲は簡単には見つからない。

Beginning with ‘Si'

では、シで始まり、シで終わる曲が作れないだろうか?

と、ふと思いついたのがひと月以上前のことだった。
これは、2音だけで曲が作れないかという発想で作った『Two Note Waltz』にも似た発想で、苦し紛れというか悪あがきの作戦。いいメロディがなかなか思い浮かばないので、ヒントというか、わざと条件を厳しく与えることによって、個性的でいいメロディが生まれないか……という思惑。

頭の中で「シー……」と思い描きながらいくつかのメロディを組み立ててみる。寝ているときもずっと考えていたので、朝、変な夢を見て起きた直後にも頭の中には「シ」が鳴っている。
この「シ」はあくまでも音階の中の「シ」であって、Bの音ではない。つまり頭の中で鳴っている「シ」は、そこからつながるメロディに導くシである。

シーーーー シドレミレドミ シーラシーーーーー
……というメロディは当初からずっと頭の中で鳴っていた。でも、そこから展開するメロディがつまらなかったりして、何度も捨てては拾い、の繰り返しになった。
ある程度の小節数浮かんだときは、MuseScoreという記譜ソフトでメモしておく。翌日は疲れて確認するのも嫌で、数日後にその譜面を見ると、そのときに思い浮かべていたメロディとは全然違っていて、あれ? じゃあ、やっぱりこのメロディでは不自然なのかな、駄作にしかならないのかな、と、見捨てることになる。
そんなことを何度か繰り返していたが、その間はずっと例の「紙の本」作りに一日の大半を費やしていたので、実際にはほとんど「シで始まる曲作り」には向き合っていなかった。

国会図書館に送る本の第一陣が準備できたので、久々に「シから始まる」に向き合ってみた。
歌にしたかったので、歌詞がつかないといけない。どうせなら歌詞も「し」で始まり、「し」で終わらせてみたい。
これは『ドミソの歌』のときにも苦労した制約。ドやレはいいのだが、ファで始まる単語がない。あるとしても外来語だからね。ファイトとかファンファーレとか、そのへんはもう使われていたし……。

で、「白い」で始めると、「しろ」は弱起(小節の前にはみ出した部分)になるだろうな、弱起で2音入れるなら、シラシーーーとしたかったのだが、それだと「白い」のイントネーションには合わないよなあ。「白い」で始めたいなら、シラシーーではなく、シドシーーーだよなあ……などなど、またいろいろ制約が出てくる。
そういう制約を楽しみながら作ったのだが、結局、イントロがマイナーナインスコード、サビ部分は「いいメロディに聞こえる魔法のコード進行」を使ってしまうというクリシェ(使い古された手法)三昧。
……情けない。シで始まるというユニークさを追求したのに、出来上がりは自分にとってのクリシェだらけかい。

でもまあ、最後はそれでいい、ってことにした。
コードや作風はタクキ節なんだけど、シで始まりシで終わるというルールは達成できたし、サビだってファで始まっている。
十分健闘したということにしておこう。

……以上はメロディにおける話だったけど、この曲には他にもいくつかの暗喩を込めている。「シで始まる曲を作ってみようかな」とフェイスブックで呟いたとき、すでにその暗喩を見抜いている人もいたので、歌詞がついた今は、誰にでも分かることだと思うけれど。

長い前置きはここまで。

出来上がった曲はこんな感じ↓ まともなスピーカーで聴いてほしいけれど、スマホの人は、せめてちゃんとしたイアフォンで聴いてね!

シから始まる from TANUPACK

ちなみに、最初はEmで演奏してみたのだが、Em9で始める曲があまりにも自分にとって定番なのと、もう少し高いほうがきれいに歌えそうだったので、Fmで演奏してみた。Fm(ヘ短調)だから、この演奏における「シ」はGの音である。


ついでに「2つの音だけでメロディを作る」という発想から生まれた『Two Note Waltz』も復習?としてどうぞ↓

Two Note Waltz  TANUPACK on Vimeo.

ちなみにこのイントロ(ベース音が半音ずつ下がっていく)の演奏方法を音楽の世界では特に「クリシェ」といっているが、クリシェはもともとは「使い古された陳腐な方法」というような意味のフランス語である。







即位の礼2019/10/27 11:37

木目込みの雛人形(鐸木能子・作)
2019年10月22日。朝から雨が降る中、即位の礼。あのテレ東も含めてすべての地上波テレビ局が中継した。
テレ東の中継を見ていたら、解説役で呼ばれたゲストが「雛人形のモデルは天皇・皇后ですから」ということをポロッと口にした。
それを聞いた妻が「室町雛や有職(ゆうそく)雛は違う」と主張するので、調べてみた。
そもそも雛人形、ひな祭りとは、
  • 平安時代(あるいはそれ以前、土偶などの時代から?)、疫病や穢れを祓うために人形(ひとかた)、形氏(かたしろ)といった、人の代わりに悪いものを引き受ける身代わりとなるものを主に紙で作り、川などに流して災厄を遠ざけるという「禊祓(みそぎはらえ)」の風習があった。それが貴族の間の行事「上巳の節句(じょうしのせっく)」として定着する。
  • 天児(あまがつ)這子(ほうこ)などはそのためのもので、紙から次第に布製のものになり、これが雛人形の起源といえる。一方、子供たちの間では、そうした小さな人の形をしたものでママゴトのようなことをする「ひいな遊び」が流行る。これも「ひな人形」「ひな祭り」へと結びついていく。
  • 室町時代には立ち雛のようなものが登場する。最初は紙などで作られたため平べったく、自立できないようなものだったが、次第に豪華になり、木目込(きめこみ)人形の立雛へと進化していった。
  • 江戸時代になると、人形は川などに流すのではなくそのまま「飾り雛」として飾られるようになり、庶民の間でも平安時代の宮廷を模した雛壇の雛人形となって大流行する。これが今の雛人形、ひな祭りへと続いていく。

……といったことらしい。諸説あるが、大体こういうことなのだろう。

今のような雛人形が庶民の間で流行するのは江戸時代になってからだ。
次第に衣装が派手になっていく傾向に対して、「いやいや、本来の貴族の装束はそんなに下品なものではないぞよ」と、正式なルールに則った装束の雛人形が特注で作られるようになり、主に公家社会や大名家などの上層階級に好まれたという。衣装・装束のルールを担当していた公家の高倉家、山科家が1700年代中頃に作ったといわれている。これが「有職雛」。有職雛の「有職」というのは、宮中の衣装や調度品などの決まり事を、各部門の有識者たちが集まってまとめた「有職故実」のこと。下々が勝手に作った雛人形とは格が違う、これが正式だ、というわけだ。
即位の礼をすべてのテレビ局が生中継し、日本中で見守る──庶民の宮中文化への憧れは、江戸時代も今も変わらないのだなあと、改めて認識させられた。
木目込みで作られた十二単の座り雛(鐸木能子・作)

平成と令和で即位の礼は変わったか

閑話休題。
今回の即位の礼は、平成のときとほぼ同じ形を踏襲したという。
平成のときは、時の総理大臣海部俊樹氏が、宮内庁から「束帯姿で」と要求されたのを拒否して燕尾服で参列し、万歳三唱のときも、「ご即位を祝して」と述べてからのものになった。これは、国民主権をうたう憲法の下での儀式であることを踏まえて、ということだそうだ。
国民の代表として選挙で選ばれた自分が、皇室の宗教色の強い儀式に合わせて束帯姿で出席し、一段低い庭に下りて「天皇陛下万歳」を叫ぶことはおかしい、という、最低限のわきまえを表明するものだったのだろう。
平成の即位の礼では、儀式の場所そのものを京都御所から皇居に移した。
そうした数々の「改革」が、今回はさらに一歩進むのかと思いきや、やはりそうはならなかった。
万歳三唱や21発の礼砲は前回通り行われた。

そもそも現在の即位の礼の儀式内容は明治新政府がアレンジしたものが元になっている。それまでは中国の儀式や意匠を真似て唐風だったものを、岩倉具視が神祇官副知事亀井茲監(これみ)らに「唐の模倣ではない庶政一新の時にふさわしい皇位継承の典儀を策定せよ」と命じたものだという。
当然、それまでは「天皇陛下万歳」や礼砲もなかった。
「日本の伝統的な~」という言葉が検証もなく安易に使われるが、こういう場合は「明治政府が決めた~」「明治になってからこうなった~」と、はっきり言うべきだ。

今回の式典では、新天皇の「お言葉」に注目が集まった。平成のときの文面と比較して、「世界の平和」という言葉が2回、「国際社会の友好と平和」という言葉も加わって、日本国内だけでなく、広く「世界」の平和と共存を願っているのだという思いを強調したと評されている。
一方で、平成のときの「日本国憲法を遵守し」が今回は「憲法にのっとり」にかわったことに懸念を示す学者もいる。
「『のっとり』だと、どんな憲法でも『従えばいい』という感じを与えます。集団的自衛権の行使容認のように、たとえ政権側が憲法解釈をねじ曲げても、その憲法に従わざるを得ないという印象です」
「『憲法遵守』が後退したのは、改憲を目指す政権側の意向がにじんだ結果とみるのが妥当でしょう。憲法4条の『天皇は国政に関する機能を有しない』との規定をいいことに、政治に口を出せない天皇のお言葉を利用して護憲ムードを抑え込む。そんな政治利用も辞さない政権に、この先も天皇が押し切られないか心配です」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法) 「即位の礼」天皇のお言葉を徹底検証 憲法言及は「遵守」から「のっとり」へ 日刊ゲンダイDigital 2019年10月25日

庶民が儀式の衣装や雰囲気に感激している裏には、官邸と皇室の見えない対決があるのかもしれない。

憲法の中の天皇

こうした皇室関連、天皇制関連の話題は、問題の本質に深く入り込むことはタブーで、識者の多くも本音や正論を口に出すことができないでいる。
天皇制そのものに対しては多くの国民が賛成の意を示しているというが、そこで人生を過ごす皇族方、特に天皇・皇后という役割を負う人たちの「基本的人権」について発言する人はほとんどいない。
現行の日本国憲法にはこうある。
第一章 天皇
第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

これはいくらなんでも基本的人権を無視していないだろうか。
職業選択の自由がない。少しでも「政治的」と思われる発言は一切できないだけでなく、選挙権も被選挙権もない。
離婚はできるのだろうか? プライベートな旅行なんていうのも、事実上不可能だ。それどころか、「この作家のこの作品が好きです」「俳優の○○さん、男前ですよねえ」なんてことさえ軽々しくは言えない。そんな人生。そんな一生を、自分の意志とは関係なく規定されてしまうのだ。

ちなみに「天皇の国事に関する行為(国事行為)」とは、具体的には、
  • 内閣総理大臣の任命(日本国憲法第6条第1項)
  • 最高裁判所長官の任命(第6条第2項)
  • 憲法改正、法律、政令及び条約の公布(日本国憲法第7条第1号)
  • 国会の召集(第7条第2号)
  • 衆議院解散(第7条第3号)
  • 国会議員総選挙の施行公示(第7条第4号)
  • 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状の認証(第7条第5号)
……などなど(まだまだある)で、実に多い。
これらのすべてで天皇は「形式上の行為」を行わなければならない。そのお姿は時折テレビなどでも放映しているが、それを見る一般庶民の感覚としては「大変だなあ。形式だけなんだから、わざわざ天皇がお出ましになることもないのに」といったものではないだろうか。
しかもこれらに関して天皇ご自身は「行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」のだ。
ご自身の意志や考えとは無関係に、ただただ形の上での「行為のみを行う」と決められているわけで、これほど個人の人格を無視した法はない。

今回の即位の礼にしても、極めて宗教的事柄が含まれるのだから、国事として行い、多額の税金を使うことに天皇家の人々は反対だったという。しかし、現行憲法に「のっとれ」ば、「行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(国事だとされた段階で、ご自分の事でありながら意見を言えない)「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」(最終的に内閣の言うことには反対できない)のだ。
しかも、こうした話は口にすることだけでも怖ろしいタブーなので、誰も助けてはくれない。そうした一種極限状況ともいえる制限の中で、どれだけ一人の人間として「自分の意志」「考え」に誠実に従い、行動できるか……想像を絶する困難と孤独を伴うことは間違いない。
そうしたことに思いを及ばすことなく、「天皇陛下万歳!」にしても「天皇制反対!」にしても、あまりに天皇家の人々の資質に甘えていないだろうか。多くの矛盾や弊害を抱えた問題を天皇と天皇ご一家に押しつけているのではないか。
今回、平成天皇が生前退位という道を開いたことも、どれだけ大変なことだったか。本来なら「主権」を有する国民の側から提案していかなければならないものだったのではないか。
平成天皇・皇后ご夫妻が生きてきた人生の誠実さ、強さ、そして誰にも言えぬ孤独を想像したとき、自由お気楽に生きてこられた一庶民としては、目眩がし、言葉を失ってしまうのである。

憲法改正論議はとかく9条問題に片寄りがちだが、それより先に、まずは天皇や皇族の基本的人権問題を解決すべきではないかと思う。
その議論から逃げて、タブーに守られたきれいごとに祭り上げているうちは、政治家も庶民も、現憲法に手をつける資格がないのではないか。

天皇が戦争に利用された歴史は否定しようがない。その結果、多くの人が理不尽な死を強いられた。現憲法はその結果生まれた。人は愚かだから、同じ過ちを繰り返す。そうさせないために、権力者が暴走するのをどうしたら抑えられるかという意図が随所に入れられた。
今また、天皇を道具として利用しようとする不埒な輩が力を伸ばしている。その勢力に、ギリギリまで制限された条件の中で、静かに、誠意を持って立ち向かっているのが現在の天皇家の人たちだという気がしてならない。

天皇家を愛するというのなら、庶民もまた天皇家と一緒に悩み、考え抜き、「国際社会の友好と平和」を本気で希求する気概を示す覚悟が必要ではないか。


自然災害と「国防」2019/10/20 15:38

箱根町が近づけないほどの大雨で危機に瀕しているときにこれ……
2019年10月、日本列島を襲った台風19号は、接近するずっと前から気象庁が異例の警戒を呼びかけていた。
「今まで経験したことのないような被害に見舞われる可能性がある。命を守る行動を!」というその警告にもかかわらず、民放テレビは土曜日定番のグルメ番組などを流し続けていた。
箱根町が観測史上最大の降雨量を記録し、大雨特別警報が出されている12日午後になっても、よりによってTBSなどは「箱根のお持ち帰りグルメ50品を全部食べきるのにどれだけかかるか」などとやっていた。

被災地以外の国民が被害の大きさ、深刻さを知るようになるのは台風が去ってしばらくしてからだった。テレビに悲惨な映像が次々に映し出される。
被害が出てから「大変です」「ひどいことになってます」と騒ぎ立てても遅い。
民放テレビ局の発想(というか本音)は「視聴者=災害現場ギャラリー」なのだろう。

問題は国を筆頭とした行政である。
颱風も地震も大雨も必ず襲ってくる。それを人間の手で防ぐことはできない。地球温暖化が原因だのなんだのと言ったところで解決しない。人間ができることは、「被害をいかに小さくするか」を考えることである。

警戒地区の中に放射性廃物ゴミを溜め込む


栃木県内でまっ先に「非常に危険」とされた荒川


今回の台風は風の被害より雨による河川氾濫が怖いことは事前に分かっていた。なので、NHKの防災アプリで河川の警戒レベル情報をずっとチェックしていたのだが、栃木県内でまっ先に赤く表示された(危険レベルに達した)のは塩谷町の中を流れる荒川だった↑。
塩谷町は環境省が「放射性物質を含む指定廃棄物の最終処分場の候補地」として指定して、今も地元の反対を押し切って計画を進めようとしている場所。しかもその候補地は水源地である。
その塩谷町の処分場候補地を見に行ったときの日記が⇒こちら(数ページある)
候補地は山の頂上に近い斜面で、進入路は狭く、このときは台風で壊れ、通行止めだった。
山に入っていく道も細くて折れ曲がっており、工事が始まるだけでも大型車が行き交い、大変危険なことになるだろう。

すでにこの時点で、塩谷町は赤く染められた危険区域のまっただ中↑


環境を破壊し、人々の命を危険にさらし、幸福を奪う環境省。進次郎よ、きみの仕事はそんなことではないだろう? この問題をセクシーに解決してくれるのか?

その後、またたくまにほとんどの河川が氾濫危険になってしまった↑

「再生可能エネルギー」で人が殺される


台風19号による河川氾濫被害は広範囲に及び、被害状況全貌は数日経っても摑みきれなかった。
栃木県では鹿沼市の粟野地区で、北から流れてくる思川(おもいがわ)と粟野川の合流地点を中心に、多くの家屋が水没した
この上流にあたる横根高原の斜面に、ミズナラを大規模伐採してメガソーラーを作るという馬鹿げた計画も、事業者はまだ引っ込めてはいない。
鹿沼市と日光市にまたがる100ヘクタールを超える大規模な計画だったが、鹿沼市が難色を示したために、範囲を変えて、今は日光市の部分を59ヘクタールに増やして建てると言っているらしい。

横根高原メガソーラー建設予定地(左上の青い○の場所)と、今回、浸水被害でひどいことになった鹿沼市粟野地区(右下の青い○の場所)との位置関係(⇒拡大
この高原を水源とした川は北側の足尾町にも流れ込んでいる。足尾は過去何度も洪水被害に見舞われている。
ただでさえこうなのに、上流側の木を伐ってメガソーラー? 正気とは思えない。保水作用は奪われ、表土は簡単に流れ、崩れて……もう、殺人行為ではないか。

さらには、那須御用邸のそばにも約37ヘクタールのメガソーラー建設計画があり、地元住民らが反対している
こういう問題が出るたびに、反対する側は揃って「自然エネルギーには賛成だが、場所を考えてほしい」的な主張をするが、「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」と呼ばれている風力発電、太陽光発電の正体をしっかり勉強し直してほしい。「自然」だの「再生可能」だのといううたい文句で補助金、税金をかっさらい、建て逃げを図る企業によって、地下資源はむしろ枯渇を早める。もちろん、温暖化が防げるわけでもない。無駄が増えて、その分、一部の企業に金が集まるという構造は原発ビジネスと同じなのだ。
そういう基本的な認識ができず、資源物理学の基礎が分かっていない民主党政権時のトップが、自然エネルギー万歳の能天気な発想でFIT法を制定した罪は極めて重い。結果、現安倍政権と経産省の悪政を強力に後押しし、軌道修正をしにくくさせてしまった。

外国企業が狙う「建て逃げビジネス」

横根高原も那須御用邸脇も、事業者は外資系である。外国企業が日本の山を食い物にして儲けるという図式。
発電効率なんて考えていない。
関西電力と高浜町の原発マネー贈収賄事件が発覚したが、国から巨額の金が出る事業では必ずこうした図式ができあがる。
関西電力の傘下にあるシーテックの本社課長は、ウィンドパーク笠取(2000kw×40基)を建設する際、「風力発電は、発電では採算が合わないのではないか」と質問され、「その通りです。しかし、補助金をいただけますので、建設するのです」と堂々と答えている
儲かるか儲からないかが判断の基本にある企業と、税金の使い方に無神経かつ不正義な政治が結びつくと、必ずこうなる。
発電プラントを製造する企業、建設する企業は、施設を建てた段階で儲けが確定するので、その後の発電事業には極力関わろうとせず「建て逃げ」する。
昨今話題になっている水道事業の民営化問題も、最終的にはそうした図式になっていくことははっきりしている。
何が「再生可能エネルギー」だ。環境破壊、殺人事業以外のなにものでもないではないか。こういうのをこの国では「経済効果」というのか?

国民が危険な目に遭わないようにする、幸福な生活を破壊されないようにする、将来にわたって持続できる社会を維持できるようにするのが「国防」であり、国の使命のはずだ。
その際に最重視すべきは合理性と持続性である。
しかるに、環境省も経産省も、まったく逆のことをしている。


「東電強制起訴無罪判決」の歴史的意味2019/09/25 11:48

「東電強制起訴無罪判決」で、次の一節を思い浮かべた。
本来、国家とは国民の生命と財産を守るのが使命である。ところが国の指導者たちは生命と財産を次々とつぎ込んで、博打のような戦争を起こした。その結果、多くの無辜の命が失われた。しかし、そうした戦争の責任はいまに至っても曖昧なまま放置されている。
(保阪正康・著 『田中角栄と安倍晋三 昭和史で分かる「劣化ニッポン」の正体」序章より)

↑この「戦争」という部分を「原子力ムラ利権構造ビジネス」と置き換えてみれば、今回の構図と同じだと分かる。


首相が国会で「議会については、私は立法府の長であります」とのたまい、官庁は平気で公文書を破棄・偽造する。司法は常識を超えた判決を下す。
三権分立が機能しなくなった国家は、悲惨な崩壊寸前だと知ろう。
「東電強制起訴無罪判決」は、歴史的にはそういう意味を持っている。

Amazonでオリジナル書籍を売るまでの道のり2019/09/22 21:28

ISBNコードを振ってA5判からB6判208ページ構成に改定した『新・マリアの父親』
オンデマンド出版なら赤字を抱えずに本が作れる、という時代になった。しかし、赤字にならないのはいいが、とにかく売れない。個人が運営するWebサイトだけでPRするのは限界があるし、カード情報の入力なども抵抗があるからか……。
オンデマンドブックをAmazonで売れたらいいのだがなあ……ということは以前から考えていた。
『狛犬かがみ』は初版と改訂第2版のいずれも売り切って、現在在庫なし状態が続いている。一般書店で数千冊も売れたとは到底考えられないので、ほとんどはAmazon経由ではないかと思う。
現在の版元(トランスビュー)は取次を通さない「一人出版社」の先駈け的存在で、その販売手法はいろいろなメディアで取り上げられている。
哲学思想、宗教、教育などを中心に、日販・トーハンといった取次店を通さず、直接書店に書籍を郵送する方法で卸す独自の営業で注目されている。取次店では太洋社のみ取引があるが、このルートで流通された商品は書店からの返品を認めない。また配本部数も全て書店に一任されており、他の出版社が行う新刊委託(注文がなくても、出版社・取次店側が見計らって送品すること)は一切行わない。
池田晶子「14歳からの哲学」( ISBN 978-4-901510-14-1 )は30万部を超えるベストセラーとなった。
Wikiより

トランスビュー方式とは、「書店に直で卸す本は、送料自社持ちで返品も認めるが、返品するときは送料は書店持ちでね」という方式。
しかし、この方法でも、本はオフセットでまとまった冊数作っておかねばならないし、受注・発送などの作業も全部自分でやらなければならないから、労力も運転資金もかなり必要になる。

ISBN出版者コードを取得する

商業出版では売れないと判断される本を自分で次々に出版しようとする場合、在庫を抱える方式は到底無理なので、オンデマンド出版以外は考えられない。しかし、オンデマンド本をAmazonで売ることは可能なのか?
調べていくと、最初の条件は「ISBNコードをつける」ことだった。
Amazonでは、商品としての本には必ずこれがついていることを条件としている。

ISBNとは何か?
出版業界の人には説明不要だが、一応書いておくと、ISBNは書籍を識別するための世界共通コードで、本の戸籍のようなもの。ISBNコードをつけることで、日本だけでなく、世界中ですぐにその本が何かを特定することができるようになる。
13桁のコードで表され、日本の出版物の場合、通常は、
ISBN978 - 4 - AAAA - BBBB - C
という構成になっている。
最初の978-4は出版元が日本または言語が日本語であることを示している。ちなみに978-0および978-1は英語、978-2はフランス語、978-3はドイツ語……だ。
A部分は「出版者記号」、B部分は「書名記号」で、それぞれの桁数は決まっていないが、合計で8桁になる。
A部分が2桁なら残りは6桁だから、000000から999999までの100万冊分の書名コードが割り振れる。
最後のC部分の1桁は「チェックディジット」といって、検算機能を持っている。ISBNコードが正しいかどうかを決められた数式にあてはめて計算した結果の0 - 9の数字1桁が入る。
『医者には絶対書けない幸せな死に方』には、ISBN978-4-06-291514-4 という13桁のISBNコードがついている。
06が講談社を示し、291514は『医者には絶対書けない幸せな死に方』という本に個別に振られたコードだ。
ちなみに2桁コードを持っている出版社を番号が若い順に並べていくと、
  • 00 岩波書店
  • 01 旺文社
  • 02 朝日新聞社出版
  • 03 偕成社
  • 04 角川書店
  • 05 学研
  • 06 講談社
  • 07 主婦の友社
  • 08 集英社
  • 09 小学館
……である。
これらは計算上は100万タイトルまでは順番にISBNコードを振っていけることになる。

ISBNを取得するには、出版社や発行人となる個人や団体が日本図書コード管理センターに登録申請をして「出版者コード」を決定してもらうことが第一歩となる。

今回、「タヌパック」が取得した出版者コードは910117で、6桁コードなので、その後に使えるのは2桁(00~99)。つまり100冊(100タイトル)分のISBNコードを取得した。死ぬまでに100タイトル使いきるかどうかは分からないが、10タイトルでは不足なのは明らかだから、とりあえずは100タイトル分取得したわけだ。

Amazonで売るための3つの方法

さて、ISBNコードをつけたオンデマンド本をAmazonで売るためには、以下の方法があることが分かった。
  1. Amazon PODという、Amazon自身がやっているオンデマンド本販売システムで売る。ただし、これはAmazonが契約した取次業者を通してしか使えない。
  2. 「e託」という方法で、Amazonに本を預けて売ってもらう。Amazonの仕入れ数はAmazonが決める。売れたら、その分、Amazonから納入依頼が届くので、都度、Amazonに本を納入する。
  3. Amazonに毎月契約料を払って「大口販売業者」となり、マーケットプレイスで販売する。売れても売れなくても契約料は支払わなければならないし、本の発送も自分で行う。

このそれぞれについて、経費やリスク、運営する上での自由度や満足度を調べた結果、3の方法しかないと分かった。
1は本の形式がAmazonで細かく決められており、本を作る上での自由度が制限される。また、取次業者に本を登録(PDFファイル)した後は、訂正が効かない。もちろん、取次業者への手数料がかかる。
2は、Amazonに支払う手数料割合が大きい上、都度、本をアマゾンに納入する手間とコストがハンパない。
3は、自分で配送するから、印刷・製本所から購入者に直送できるので、送料と時間を節約できる。ただし、売れても売れなくても大口取り引き契約者としての契約料(毎月約5000円)は払い続けるし、個別の売り上げにもAmazonへの手数料(15%+80円)はかかるので、赤字は確実に出るであろう……。

ここまで調べて、計算をするのだけでもかなりのエネルギーを使った。しかし、ISBNと出版JANコード取得(これはAmazonでしか売らないなら必要ないのだが、一応、将来どうなるか分からないので取得した)も済んだので、後には戻れない。

最後の壁は、Amazonのカタログに本を新規登録することだった。新たにISBNを振る本だから、当然、どこのデータベースにも存在しない本なわけで、「こういう本を新規に出版しますので、Amazonさんのカタログに登録してください」と申請し、認めてもらわないといけない。
これが実はいちばん不安だった。その不安は的中して、最初にいろいろやりとりがあって、行き違いもあったのだが、数日で解決し、今は自由に「新刊書」をAmazonのカタログに登録できるようになった(今後、システムやポリシー変更などがないことを祈るばかり)。

現在、「タヌパック」がAmazonで売っている本は⇒こちらからどうぞ。

ISBNと出版JANコードのバーコードを規定通りに印刷した本。このバーコード、デザイナーにはとても評判が悪い。これのおかげで本の表4デザインが台なしになってしまうから……。実際、その作業をしてみると、「邪魔だよなあ」という気持ちになる

賢治に比べたら……

……というわけで、なんとかタヌパックの本がAmazonを通じて販売できるようになった。

しかし、これでめでたしめでたしとは当然ならない。
最大の誤算は、「Amazonに出しても売れない」ということだった。
すでに1週間以上経過したが、見事に1冊も売れていないのである。
10月からは消費税も上がり、印刷・製本代、送料、Amazonへの契約料など、すべての経費が上がる。
人々の生活も苦しくなり、本を読む気力も時間も金銭的余裕もなくなる一方だろう。
こうなったら、しっかり覚悟を決めるしかない。
どうせ残された時間はわずかなのだから、生死に関わらない範囲なら、金勘定のことでアッパトッパすることはない。
宮沢賢治は、生きている間は自分の作品がまともに本にさえならなかった。
生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』だけだが、どちらも自費出版だ。『春と修羅』は地元花巻の印刷所に持ち込んで1000部を作り、ある人物に500部委託して東京での販売を頼んだものの、「ゾッキ本」(売れない新刊本)として流され、定価2円40銭のところ、古本屋で50銭で売られたという(Wikiより)。
『注文の多い料理店』のほうは、盛岡高農の後輩たちの協力を得てなんとか出版費用を工面して1000部作ったが、まったく売れず、賢治自身が父親から借金して200部を買い取ったそうだ。

まあ、それに比べたら、今の自分ははるかに恵まれた環境にいる。この幸福を味わい尽くしてから死ぬぞ、という前向きな気持ちになれる。

改定の道程も作品?

今回、Wikiの「宮沢賢治」を改めてチェックしていて、
賢治の作品は、一旦完成した後も次から次へ書き換えられて全く別の作品になってしまうことがある。これは雑誌に発表された作品でも同様で、変化そのものが一つの作品と言える。(Wikiより

という一節を初めて読んだ。
ああ、これって、オンデマンドならいくらでもできるんだよな、と思った。ISBNコードの役割からしたら、同じ番号の書物の内容がどんどん書き換えられるのは御法度だろうが、誤字訂正とかなら当然許容範囲だし、デジタル時代の出版物というのは、改訂作業の自由度が高いことも大きなメリットといえる。
Kindleブックなどは、同じ登録書籍のカバーや内容改定をいつでもWEB上の編集ページから行えるしね。

現在、ISBNコードを振りながら、コストの問題もあって、A5の2段組で作った本をB6の1段組に編集し直したりしているのだが、2013年に作ったA5判の『新・マリアの父親』には、だいぶ直したつもりだったが、かなり誤字・脱字が残っていた。細部の表現や間違いなども直しながら、頭からていねいに編集した。
その編集作業をしながら、へえ~、こんな話だったのか、と、感心している「作者」。ラストシーンでは思わず涙ぐんでしまったよ。

1冊も売れていないのに、あれもこれも……と、やりたいことが一気に増えた。楽しい60代を送るための赤字なら、それはもう人生の必要経費でしかない。
しかし、オンデマンド本は1冊も売れなければ、「もの」として存在しなかった本になってしまうわけだから、このままではいかんわなあ……。




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