コロナから考える近現代史─「大量死」が起きる構造2021/11/20 19:08

最近読んだ3冊

最近読んだ本

このところ、本を買っても全部は読まないことが多かったのだが、この3冊はすぐにほぼ読了してしまった。
「ひとりも、死なせへん」のことはすでに書いた。2020年1月31日から2021年8月4日までの長尾医師のブログ(日記)をほぼそのまま収録した記録。
この本は10年後くらいに、貴重な現場の記録として資料的な価値が高まるだろう。テレビなどで報道されていることと現場で起きていることがどれだけズレているか、政府や厚労省がいかにデタラメでいい加減で無責任な対応を続けてきたかがよく分かる。
長尾医師が当初から主張している「2類から5類への指定変更」ということを解説してきたメディアは極めて少ない(ほぼ皆無)。政治家や、医師でさえ、今なおきちんと理解していない人が多いのではないだろうか。
散々悪者にされた保健所の人たちも、ほとんどはいい加減な政治、厚労省の身勝手の犠牲者だ。

保健所の所長もこう訴えている↓
第5波までの経験で得られたことは、この新型コロナウイルス感染症対策は、早期発見早期治療、重症化後の対策から重症化させない対策への転換、治療しないで自宅・ホテル宿泊療養(療養とは名ばかりの単なる隔離)から治療して自宅へ。そして、医師の管理下におくことが最適だとわかったのではないか!
新型コロナウイルス感染症の特徴は一過性のウイルス増殖期とそれに引き続く全身に波及した強い炎症期、つまり、重症化。したがって、ウイルス増殖期にウイルスをたたく、つまり早く見つけて、早く治療して全身の強い炎症・重症化へ向かわせないことが肝要、そのための地域連携。それらのことが全く活かされていない。重症化後の対策では、医療資源を大量に消費し、病床等はどれだけ用意しても用意しきれない(スタッフの問題が大きく重症化に対応できる医療資源の更なる確保は困難)。また、それには経口抗ウイルス薬の使用がキーとなるはずなのに、そこに対する記述は乏しい。
(中略)
コロナ対策を真面目にやって疲弊した保健所や医療機関を更に追い詰める対策。数(病床等)が足りなかったからということで、責任逃れの単なる数合わせ! 沢山専門家?もおられるはずなので、少しはこの夏までの経験を活かした総合的な(まともな)な方針をたてて欲しい。
第6波への備え:第5波までの経験を活かさない厚生労働省の方針 「今までも酷かったが、さすがにこれは、、、」 某保健所長 医療ガバナンス学会 (2021年11月9日


早期発見・早期治療ができれば怖くない病気なのに、わざわざ重症化させてから逼迫している入院先を捜すような馬鹿げた対策を続けている。
コロナ専門病床を増やしても、重症化した患者を治療できる人的資源は増やせないのだから、解決にはならない。重症化させないためにはどうしたらいいのか、という方法は、2年近くの現場の臨床経験で分かってきているのに、そこに学ぼうとしない「専門家」と呼ばれる人たち。利権やメンツが最優先で、非合理なルールを現場に押しつける厚労省。その構図がいかにひどいものかを認識できない政治家。
先の選挙でも、与党野党に関係なく、そうした問題を取り上げて訴える候補者はほとんどいなかった。

この救いがたい状況が当面変わりそうもない以上、あとは自力で防衛するしかない。
幸いデルタ株は変異しすぎて自滅してくれたが、ここから先のことは分からない。
食事や運動に気を配り、特にビタミンDや発酵食品の摂取に気を使い、罹患したと思ったときにすぐに「例の薬」を飲めるように所持しておく。
具体的にはそういうことかな。




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子どもに新コロワクチンを打ってはいけない


『新型コロナワクチン 誰も言えなかった「真実」』は、医療系のテーマで多くの記事を書いてきた鳥集(とりだまり) 徹氏が4人の現役医師と1人のウイルス学者に取材したインタビュー記事を集めたものだ。
長尾医師の主張はすでにいろいろ読んで知っていたが、他の4人がそれぞれの立場で、個性を出しながら語っている内容が非常に興味深かった。
京都大学の宮沢准教授の抑え気味ながら淡々と事実やデータをあげていく姿勢は、むしろ説得力がある。
ワクチン接種に最も前のめりの国であるイスラエルで、接種後に超過死亡が増えているのはどう説明すればいいのか?
彼はまた、感染の「現場」と言われた居酒屋、ホストクラブ、風俗店といったところに実際に出かけていき、聞き取り調査もしている。その結果、「要は感染が拡大したり収束したりするのは、気候やウイルスの変異によるもの」という実感を得ている。

この本に登場する5人はそれぞれいろいろな点で主張が違っているが、若い年代への新コロワクチン接種に賛成している人はひとりもいない。
「子どもは誰のために打つんですか? おじいちゃん、おばあちゃんのために打つんですか? その理由もよく分からない。にもかかわらず、頻度は少ないかもしれないけれど、一定の確率で強烈な副反応が起きる。免疫反応は多様で、百人百様だから、誰に何が起こるかわからない。そもそもそこまでして、ワクチンを打たなきゃならない相手ですか? 普通に元気な子どもは、コロナに感染しても死なないでしょ。京都大学の宮沢孝幸先生たちが警鐘を鳴らしているADE(抗体依存性感染増強)が起こる可能性も当然あると思う。なのに、こういう話はマスコミでは封印されていますよね。」(長尾和宏・医師)

「小児もコロナで重症化しているとか、後遺症が残るからなどと言いますが、リスクとベネフィットを十分に比較してほしいと思います。また、欧米のデータを基に、小児も亡くなっている、重症化していると言われていますが、日本のデータではありません。欧米では小児でも肥満率が高い傾向があります。」「今回のワクチンでは、接種対象の大半が健康な人なのに、きわめて例外的に使用を推し進めていると言えます。正直、うしろめたさを除けば、研究者としてはうらやましいですよ。こんなに規制が緩いなら、誰だってもっと楽に新薬や先進的なワクチンの開発ができる。」(宮沢孝幸・京都大学ウイルス・再生医科学研究所准教授)

(15歳の少女の例で)「1回目の接種の後、嘔吐が止まらないと言って、夜中に救急外来に来ました。打った直後から吐き気が始まって、家でゲーゲーしながら我慢していたそうです。血液検査をしたら、横紋筋融解症といって筋肉が壊れている所見と、肝障害の所見がありました。」「私も子どもにだけは打つなとずっと言っています。子どもが死んでしまったら、日本の将来はもうないわけですから。ですが、ツイッターを見ていると、高校生の息子に打たせて、もう何週間も熱が下がらないと投稿している親がいる。にもかかわらず、熱が下がったら2回目を打たせると書いていたりします。」(いしいじんぺい・医師)

「若年層はワクチン接種による心筋炎のリスクのあることが指摘されており、長期的な副反応も不明です。今後、mRNAワクチンが改良される可能性や、より安全な遺伝子組み換えタンパクワクチンや経鼻ワクチンが出てくる可能性もあるので、若い人たち、とくに10代の接種は全面的には賛成しません。」(鈴村泰・医師)

「健康な未成年に限っていえば、コロナ感染死はゼロです(2021年10月現在)。(略)若い人、とくに子どもは打つべきではないと思っています。だって子どもはコロナのリスクがほぼゼロに等しいんですよ。リスクがないということは、ワクチンを打ってもメリットがほぼゼロということです。しかも、確率はかなり低いかもしれないけれど、心筋炎のような決して軽くない副反応も報告されている。ロシアンルーレットみたいなものじゃないですか。(略)そもそも子供たちは、自分の免疫でコロナを撃退できている。ならば、コロナにかかって自然免疫を獲得したほうがいいわけで、子どもにワクチンを打つメリットなんて、まったくありません。」(森田洋之・医師)


……それはそうだ。しかしこういう意見をテレビ報道で聞くことがあるだろうか? 新聞記事で読むことがあるだろうか? 普通に考えればあたりまえのことを言えなくなっている今の社会は、戦前戦中の日本のように、すでに異常な状況にある。

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「虐殺」の歴史を考える


上記の本に登場する5人の中で、いしい医師はかなり先鋭的ともいえる世界観・哲学の持ち主だと窺える。しかし、それをもってして、陰謀論者、トンデモと批判するのは安直すぎる。彼の根本にある考え方には、いくつも「なるほどそういう視点もあるか」と思わされるものがあった。
「人類の歴史を振り返れば、強いものが弱い者を支配して、滅ぼした国の国民を皆殺しにするということは頻繁に起こってきた」という指摘はその通りだし、人口が増えるのは戦争の前触れというのもその通りだろう。
この本のインタビュー記事を読んで興味を持ち、彼のブログも読んでみたが、「虐殺論」は特に印象に残った。
無抵抗の相手を一方的に殺すのが虐殺
抵抗する相手と戦って殺すか殺されるのが戦争

……なるほど。あまり考えたことがなかったけれど、確かにそれはそうだ。
では、どういうときに戦争ではなく虐殺が起きるのか。その条件としていしい氏は次のようなものをあげている。
油断(正常性バイアス)
 相手が油断しているところを一方的に攻撃することで成立する。ボスニア内戦で虐殺された都市の市長は、既に街がユーゴスラビア連邦軍の戦車で囲まれているのに「この街で攻撃が始まるとは考えられない」と言っていた。

抵抗力の排除
 相手が気付いても抵抗できないように、虐殺する側はまず抵抗力そのものを奪おうとする。ボスニア内戦でユーゴスラビア連邦軍がイスラム系住民を包囲した時、まず武器を全て手放すように説得した。

恐怖と誘惑
 相手が最も抵抗しないのは「虐殺する側」を自分の「味方」さらには「保護者」だと思い込んでいる場合。ボスニア内戦では、ユーゴスラビア連邦軍はイスラム系住民を「安全区域に送り届ける」と誘惑してトラックやバスに乗せ、そのまま虐殺した。

大義名分と同調圧力
 他人を虐殺する側に参加させるためには、大義名分が必要。ユーゴスラビア連邦軍のムラジッチ将軍は虐殺作戦に臨んで「セルビア人がイスラム教徒に対しオスマン帝国時代からの恨みをはらすべき時が来たのだ」と言って大義名分を与えた。兵士たちは、その大義名分にすがると同時に、異論を唱えれば自分が「される側」に回される恐怖(同調圧力)を感じていた。


ここに実例として出てくるボスニア内戦における虐殺事件(スレブレニツァの虐殺)のことを、私は詳しく知らなかった。1995年といえば私はすでに40歳になっている。現代情報社会に生きていた40歳の大人が、ボスニアで起きていた異常事態にさほど興味を示していなかった、あるいは無意識のうちに深入りして知ることを避けていたのだ。これはかなりショックなことだった。
また、いしい医師があげている「虐殺が成立する条件」は、自然災害で理不尽な死を迎えてしまう事例にもかなりあてはまる。3.11のときの大川小学校の悲劇は、地元の区長が「ここまで水が来るはずはない」と強く主張したことで教頭が避難の決断を下せず、生徒たちは校庭でじっとしていた。裏山へ上りましょうと主張した教師の主張も退けられ、本能的に裏山に走って行った生徒は叱られて呼び戻され、死んだ。
まさに子供が大人の正常性バイアスと同調圧力に飲み込まれた悲劇だ。


理不尽な大量死が起きる要因

いしい医師の「虐殺が成立する条件」という考察を読んで、近現代史ではどうだったのだろうと改めて考えてみた。
近現代史において、大量虐殺をした人物としてまず思い浮かべるのは、スターリン、毛沢東、ヒトラーといったところだろう。「3大大量虐殺者」などとも言われている。
結果として殺された人の数(為政者の施策が原因で餓死などに追い込まれた人も含めて)でいえば、確かにこの3人は「大量虐殺者」になるのだろうが、数だけでなく、方法の非情さ、残酷さや理不尽さなどの要素も含めれば、数え切れないほどの「トンデモ虐殺者」が歴史上存在した。中には「歴史上の偉人」などと祭り上げられている者もいる。
そうしたことも含めて改めて考えてみると、ある時代に大量の人が理不尽に殺されたり見殺しにされたりする事件には、必ず主要原因となる人物(ほとんどの場合は権力者、為政者)がいるが、そのタイプは一様ではない。
虐殺する側の主要人物は広義の「異常者」だが、頭のよさ(単純に脳の性能)という意味では、平均レベルをはるかに超えた者(カリスマ性のあるサイコパス)もいれば、「愚者」(時の運や自己顕示欲、強引さを主要因として権力の座を手に入れた者)も相当数いる。明治以降現在に至るまで、日本では後者のタイプが多い。
東條英機などはどう考えても「頭のいい」人ではなかった。歴史を詳細に検証すれば、極めて無責任で鈍感な愚者だったことが分かる。
実際にはサイコパスと愚者気質のハイブリッド型が多いだろう。スターリンなどはそのタイプではないだろうか。
さらには、権力を手に入れた人物が、歳を取り、認知症を異常な形で発露させ続けるケースも多い。自己保身や、自分の能力が老化で落ちていくことへの恐れから側近を次々に殺したり、一般大衆を自分と同じ人間と見なさず、単なる国家形成のパーツとして扱うことをまったくためらわなくなるという症例……これはほぼすべてのケースにあてはまるように思う。

そういう人物が時の権力者になり、誰もその残虐で愚かな言動を制することができなかったという歴史を、現代に生きる我々はしっかり把握していなければいけない。
サイコパスや気合いだけの愚者を権力者に祭り上げ、その下で高揚感や擬似的な優越感や満足感に酔いしれた大多数の民衆がいたからこそ虐殺や大量見殺し(戦死よりも餓死・病死がはるかに多かった太平洋戦争時の日本軍はその典型)が起きたのだ。
また、サイコパスや愚者によって間違った方向に進んでいく社会の流れを修正する仕組みが機能しなかったことをしっかり検証しなければならない。
危険な権力者を止めることができたかもしれないサブキーマン的人物が必ず複数いたはずだが、そういう人たちが結局は権力者の暴走を止められなかった。

現代の戦争や虐殺は、最新兵器を使った効率的な大量殺人という側面だけでなく、知らないうちに進行する洗脳や感染症、飢餓などの要素が非常に大きい。
権力欲・支配欲依存症、サイコパスといった異常性に加えて、金銭欲依存症の要素が大きい者たちの見えにくい支配力が極めて大きくなった。しかも、始末が悪いことにこの集団は頭はとてもいい。
かつての戦争と同じような構図で歴史が刻まれていても、情報が格段に豊富になっても、庶民はなかなか危険に気づかない。

ウイルスが生物兵器として開発されたかどうかに関係なく、ウイルスが蔓延した後に世界が、特に権力者や超富裕層がどう動いたか、彼らにコントロールされているメディアがどう動いているか、それによって庶民の行動がどう変化させられるのかを冷徹に分析する目を持ちたい。
2020年からの世界の動きは、明らかにそれまで以上におかしなことになっている。爆弾が降ることもミサイルが飛び交うこともない国々で、世相があっという間に異常な方向に進んでいく。その気味悪さ……。

しかしまあ、そこまで考えたところで、民衆の力で世界の流れを変えられるというのは幻想であり、個人ができることは極めて限られている。
自分がたまたま戦争や虐殺や飢餓を逃れた環境(時代、地域)に生まれ、ここまで大きな苦痛も悲劇も経験せずに生きてこられた幸運を、改めて奇跡的なことだなと思う。
そう思うことしかできないのは虚しいのだけれど、人間社会というのはそういうものなのだろう。
現世の向こう側……のようなものを夢想しながら、現世の限界の中で精一杯自分らしく、最大限に生き抜く。それしかないかなぁ。
           




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長尾和宏医師のテレビ出演シーンを見て2021/09/18 15:31

読売テレビ番組より
長尾和宏医師が読売テレビの『そこまで言って委員会NP』に出演した部分をTVerで見た
YTV My Do でも公開されている。9月20日夕方まで無料配信中。⇒こちら

この番組には私も一度ゲストとして呼ばれたことがあるので、あのスタジオの雰囲気はちょっと懐かしい。

もっと聴きたいのにあまりにもあっけなく終わってしまい、残念な気持ちが残るけれど、地上波番組で発信するってのはこういうことなのよね。突っ込んだことを言ってもカットされるし。
でも、今回は長尾氏を好意的に応援したい門田隆将、厚労省や政府を代弁して長尾つぶしにかかる丸田佳奈、裏をある程度知っていながら言葉を濁して逃げる舛添要一(この人は40年前の『朝生』の原発論争のときからズルく生きるという態度は変わらない)……という構図がはっきり分かる編集で、ある意味、ちゃんと見る力のある視聴者には言外の事情も匂わせられたから、いいんじゃないかな。

このテレビ出演について、長尾氏はブログやメルマガで何度か振り返っているけれど、今日配信されてきたメルマガの最後はこう結んでいた。
早期診断、即治療すれば重症化を防げるのがコロナ。もう正体は割れています。
(有料メルマガからだが、1行だけだから、引用を許してほしい)

本は予約時点で完売、現在増刷中とのこと。ギリギリで予約が間に合い、私のところには昨日届いた。


思っていたより分厚くてビックリ(四六判で400ページ)。この人、一体いつ寝ているんだろう。私も文章を書くスピードは速いほうだと思うけど、それを超えている気がする。

2020年1月31日から2021年8月4日までのWEB日記がまとめられている。

驚くのは、ごく初期からCOVID-19に対して極めて冷徹な観察と適確な意見を述べていたこと。
2020年2月19日の日記では、
感染ルート探しも、接触者捜しも、感染者の入院先探しも、今後は、感染症のピークを小さくすることにどれだけ貢献するのか未知だ。それよりも今、優先することは「重症化」しそうな人の早期発見であろう。つまり「コロナ肺炎」を見逃さないことに尽きる。コロナ肺炎のスクリーニング(選別)に協力する医療機関に手を挙げさせて、国内約10万件ある医療機関を明確に二分して公表してほしい。(同書・20ページ)

……とある。
この部分をWEB上の日記の同日分と比較してみた。WEB上の日記原文?では、こうある。
感染ルート探しも、接触者探しも、感染者の入院先探しも、
今後は、感染症のピークを小さくすることには、利さない。
今、重要なことは「重傷者」(ママ)の早期発見である。
つまり「肺炎」を見逃さない、ことに尽きる。
そのスクリーニングに協力する医療機関を手挙げさせて
国内約10万件ある医療機関を明確に2分し公表するべき。

書籍化するにあたって細部を調整していることが分かる。しかし、主張部分は変えていない。2020年2月19日の時点で、彼はとにかく「重症化しそうな人の早期発見と、その人たちへの医療機関による早期治療が最も重要だ」という主張を続けていたのだ。
現場の医師の目がどれだけ正しかったかがはっきり分かる。

この本の「死なせへん」というタイトルとは裏腹に、長尾氏は「人は必ず死ぬ」ということを大前提として、様々な我欲や願望、煩悩、妄想を排除して思考していることがよく分かる。
彼のもとでコロナが直接の原因で死んだ患者は一人もいないのに対して、癌、老衰、誤嚥性肺炎などで死ぬ人を毎日のように見ている。夜中に携帯に連絡が入って、在宅看取りに出向くことも日常的にある。
そうした医療者としての生活を実践し、それが医師の生き方だという職業観を持っている人が綴ってきた日記。
コロナがどうのこうのという話を超えて、生き方、死に方を深く考えさせられる。
コロナは必要なものと不必要なものをあぶり出した。必要なものは、お酒、エンタメ、娯楽。人は「楽しむ」ために生きている、ともいえる。必要な「楽しみ」を奪うのは、日本もそろそろ終わりにしたい。(同書371ページ 2021年7月11日の記述より)


エビデンスが~、自粛が~、ランセットやネイチャーには~、と言って「評論」している「専門家」たちより、毎日ニコ動で貴重な情報を発信し、合間に本音を吐露し、最後はカラオケで歌謡曲を歌っているこの人の生き様を、私は圧倒的に支持したい。


           




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アベノマスクとスガルワクチン2021/09/02 20:04

SARS-CoV-2に感染した後、病院での診療を受けられないまま自宅で病状急変して死ぬ人の報道が続いている。
ワクチン接種後に急死する若い人のケースも伝えられている。
こういう事態が来るのではないかと、以前、書いたような気がするが、脳の劣化が激しくて、少し前のことは忘れてしまう。
で、改めて過去の日記を確認してみた。

……ああ、こんなことを書いていたのだな、と、確認できたところで、半年後の今の情勢を、分かる範囲で簡単にまとめておこう。

(これに関しては周囲から「消される(殺される)かもしれないから、もうこれ以上書くな」「危ないからやめて」と言われていて、確かに自分でも、どんどん身の危険を感じるようにはなっているので、医師が書いている文章、一次データ、メディアの記事などへのリンクを中心にしておく)

ワクチンと感染力に対する誤解

半年前に書いたことを読み返してみて、現在の認識とそれほどズレているわけではないが、感染力と重症化という点では、自分の中で、若干考え方が修整されてきたかもしれない。
  1. PCR検査で陽性になった人は「感染者」というよりは「陽性者」と呼んだほうがいい。陽性者の実数は発表されているよりはるかに多い。
  2. ウイルスが人間の細胞内にとりつくと「感染」した状態になり、程度の差こそあれ症状が現れるが、人にうつす「感染力」はそうなる直前の時期、即ちウイルスが鼻腔や咽頭に大量に付着している段階が一番強い。
  3. 従って、感染を広げている主力は、発症して寝込んでいるような人ではなく、無症状やごく軽症で動き回っている人たちなので、自分がウイルスをばらまいているという自覚はない。
  4. ワクチンを接種すると人にウイルスをうつさないわけではない。ウイルスをもらっても重症化しにくくなるということであり、自己防衛にはなるが、無自覚な加害者になる可能性は減らない。
  5. 従って、ワクチンを打ったからマスクをしなくてよいとか、安心して里帰りできると考えるのは間違い。メディアはそのことをしっかり伝えるべき。
  6. デルタ株の感染力は凄まじい。ワクチン接種人口が増えても、「無症状陽性者」の数は減らないのではないか。
……ということを強く再認識した。

自宅「療養」になっていない

自宅で治療を受けられないまま死ぬ人が出てきてからは、メディアは「自宅療養」が諸悪の根源で、全員入院させろ、野戦病院を作れ、といった論調になっている。
しかし、まずこの「自宅療養」という言葉が間違いだ。実際は検査も治療もしていないのだから「自宅放置」、いや「自宅幽閉」「自宅監禁」である。
まあ、行政やメディアが「自宅放置」という言葉を使うわけがないだろうから、せめて「自宅隔離」というべきだろう。
問題は自宅に隔離することそのものではなく、治療・観察ができないことが問題なのだ。

冷静かつ合理的に問題を整理していこう。
はっきりしているのは、
  • 陽性者をゼロにすることは不可能なので、
  • 感染者を初期段階でいち早く見つけて、投薬などで重症化を防ぐ態勢作りを急がなければいけない
……ということだ。
そのためには、とにかく、保健所が中に入る体制をやめることが先決だ。
保健所は医者の集団ではない。なぜ保健所に命の選別(トリアージ)をさせるのか。
市民の健康と命を守る最も身近な存在は町の開業医だ。しかし、日本では「かかりつけ医」のシステムがしっかり構築できていないから、いざというときに対応できない。
かかりつけ医の対応を強化するためには、
  • 初診からの遠隔診療を解禁
  • 遠隔での緊急投薬処方も解禁
  • 合わせて、薬局の薬宅配システムを充実させる
  • そのためには、まずCOVID-19を感染症2類相当から外す
……ことが必要だ。
また、訪問診療システムの拡充も重要で、これは5月にも書いたことだが、訪問看護師の訴えにあるように、
医師にコロナ特例での免責を行い、対面なしでも在宅酸素、ステロイド、抗菌薬、解熱薬、点滴を処方できるようにする
これは半年経った今も実現していない。

かかりつけ医(開業医)の意識改革も必要だ。
コロナには関わり合いたくないという態度でクリニックの門戸を閉ざすような医師も少なからずいる。
すでにウイルスに感染して寝込んでいるような患者はウイルスを外部に排出する量は少なくなっているというデータがあるのだから、毒ガスマスクに防護服のような重装備で接する必要はない。むしろ無症状の陽性者のほうが「危険」なのだ。発熱外来をすり抜けてくる患者や院内スタッフのほうが危険因子を多く持っている可能性がある。
冷静にそう考えれば、病院内での対応も変えていけるはずだ(そのためには国がまず2類から外すことが先だが)。
入院設備がないからうちでは扱えません、ではなく、開業医が一人でも多くの患者を初期段階で診療することが必須なのだ。
医療のマンパワーが足りないのだから、今のままで入院人数を一気に増やすことは無理だ。下手にそれをやれば、コロナ以外の患者の治療を圧迫してしまう。自宅隔離がやむを得ないほどウイルス陽性者が増えてしまったのなら、自宅隔離状態でも訪問や遠隔診療でしっかり診療・治療できる開業医や訪問看護師の救急システムを作る必要がある、ということは自明の理ではないか。

以上のことを真剣に考え、未治療のまま死ぬ人を減らす具体的な施策を緊急に整え、実行していかないと、自宅死の事例はなくならない。

「武器」が使えない現場の医師たち

治療薬に関しては、この半年で大きく認識が変わった……というよりも、怖ろしい現実を確信するに至った。

これに関しては目下日本でもかなりきつい情報統制が敷かれていて、よほどしつこく追いかけないと事実が見えてこない。
かなり前から、SNSなどではある種のキーワードを含むコメントや投稿が自動削除やアップロード拒否になっている。
既存薬の名称がひっそりと禁止ワードにされているなど、異常事態である。

それでも、大手のメディアに辛うじて出てくる記事として、2つのインタビュー記事を紹介したい。ご自身で読んで、内容の真偽を推理・判断していただきたい。


前述の読売新聞の取材記事で、東京都医師会・尾崎治夫会長はこう述べている。
「政府はイベルメクチンを供給できる体制も構築せずにいるわけで、推進体制にはなっていない。日本版EUAを早く整備して、現場の医師が使用できる体制になれば、田村厚労大臣が国会で答弁したように、現実的に自宅待機、療養の患者さんにも投与できるわけですが、いまの体制では事実上何もできません。よく『国民の安全のため』と言いますが、このような有事の際にも慎重姿勢を崩さないのでは、国民の安全を犠牲にしているとしか理解のしようがありません」
「今こそイベルメクチンを使え」東京都医師会の尾崎治夫会長が語ったその効能 読売新聞 2021/08/19

長尾和宏医師も、この問題については忌憚ない意見を発している。
僕は、自分自身がやってきたことをテレビで喋っただけだが、政府も医師会もすぐに呼応して頂いたので出た甲斐があった。
しかし、失ったものも大きかった。
全く意識していなかったが、思わぬハレーションがあった。
  1. 政府の無策を明らかにしてしまった。(まさに不都合な真実)
  2. イベルメクチンという巨大な地雷を踏んだ
  3. その結果、ワクチンメーカーと製薬メーカーを怒らせた
  4. 感染症専門家と分科会を怒らせた
  5. 2類利権で稼いでいる病院(一部だが)も敵に回した
  6. コロナを診ていない開業医も敵に回した
つまり、市民以外のすべての団体を敵に回してしまったようだ。
この8月、国と医師会を少し動かしたかな Dr.和 の町医者日記 2021/08/30

長尾医師は認知症の対応や在宅看取りなどに力を入れてきた人で、著書も何冊か読んで、信頼できる人だと思っていた。
彼にとってコロナは専門外で、本来ならコミットする分野ではないのに、否応なく巻き込まれている。避けて通れない問題なので、正直に取り組んでいる。その結果、どんどん理不尽な状況に追い込まれて、替え歌を歌って精神を保つしかないようなことになっている。
そういう人間味を隠さずに見せるところ↓も、信用できる人だなと感じる。
●貧しい人から病気が治った? 長尾和宏の創作・お薬寓話。 長尾和宏コロナチャンネル
他の真面目な医師たちが、どんどん精神的に追い詰められて、余裕を失い、精神が荒れてきているように見える中で、ニコ動でカラオケ歌っているこの人の存在は救いだ。どうか倒れないで、消されないでいてくださいね。ご自愛を!!


ともあれ、今は緊急時だから、治療薬を幅広く緊急認定して、ないものは海外製ジェネリックでもいいから早急に確保することだ。
現場の医師がどれだけ頑張っていても、薬という武器がなければ戦えない。
アベノマスクもひどかったが、今の「スガルワクチン」だけという無策では、事態が好転することはない。

「権力依存症」という怖ろしい病気

この日記でも折に触れ書いてきたように、養父と義母の終末期介護が何年か続いて、その間、私はいろいろなタイプの医師と接してきた。
いわゆる「専門医」は、自分の専門のことに特化して診断し、極力私情を挟まない。患者個人の個性や、現在の生活環境、人間関係、生き甲斐……といったものをいちいち考えていたら仕事ができないと割り切っている。外科手術などでは、そういう医師も必要だ。
一方、訪問診療医は、患者個人の生活、人生を観察し、一緒になって悩むから、とても面倒な仕事になる。
専門分野を作って閉じこもることはできない。総合的に診療しないといけないから、常に勉強する必要がある。そうした苦労の割には儲からない。
同じ「医師」でも、違う世界に生きているように見える。

さらには、診察・治療の現場に立たず、もっぱら研究者としての経歴を積み重ねていく医師もいる。
目下、緊急性の高い改革をことごとく阻止している厚労省の医系技官や「専門家」と呼ばれる学者たちには、このタイプが多い。
そうした「専門家」の中には、何かというと「エビデンスが……」などとしたり顔で語り、現場の悲鳴に近い訴えを平気で無視する人たちもいる。医学という「学問」は現場で実際に行われる「医療行為」よりも崇高で、自分たちは町医者などより上に位置していると勘違いしているのではないかと思えるような人も少なからずいる。

その上には、問題の中身を理解さえしていない政治屋がいて、裏にはメガファーマなどの巨大利権構造世界がある。
メディアはその強大な力にコントロールされながら、庶民の思考を操り、興味の矛先を変えさせたり、同調圧力を仕掛けてくる。

アルコール依存症やギャンブル依存症、やめられないDV気質などと同様に、権力の座を手に入れることに快感を覚え、そのためにはなんでもするという「権力依存症」という病に冒された人たちがいる。
そういう人たちが組織の上に巣くっていると、現場で動く人たちがどれだけ頑張っても効果が出ない。
それだけでなく、社会全体に虚無感が広がって、発揮すべき才能やエネルギーが消されたり、危険な方向に暴走したりする。
そんな社会では、誰もが幸せに一生を過ごせない。

このどうしようもない「構造」を変えるために、最低限の行動をする人たちが増えていかないと、この国は本当に取り返しのつかないところまで落ちていく。

もうすぐ次の選挙がある。
そこでも変わる兆しが見られないようなら……、ほんとにもう「貝になる」しかないかなあ。
           




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パラスポーツの奥深い世界2021/08/29 10:58

パラリンピック東京大会が始まっている。
開会式を見たが、あまりにもひどくて論評する気も失せるほどだった。
とにかく無意味に長い。グダグダ、ダラダラ、中身薄っぺら。ショーをやるなら、もっとカチッとしたものを淡々とやってほしい。
うわべだけの「多様性」とか「偏見や差別のない社会」とか、そういうのを詰め込もうとしているのだが、付け焼き刃、上滑りで、「ショー」としての質を高められないまま、時間切れでご披露しました、という感じ。
内容や演出のあちこちに「これを出しておけばOKだろ」的な安直さが透けて見えて、気持ちが悪かった。
そもそも「障碍」をここまで強調する演出が必要なのか? いろんな人が集まって、普通にやることでこそ「多様性」があたりまえ、という世界が近づくだろうに。
「片翼の飛行機少女」というのも、あまりにも前時代的、ステレオタイプな発想で、ネットで炎上するんじゃないかと思ったら、メディアには「一本筋が通っていて、コンセプトが明確だった」だのなんだのと持ち上げる記事があふれて、駄目押しでやりきれなくなってしまった。

「思いやり」のなさにも腹が立った。
頭にタケコプターつけた人たちはボランティアだと思うが、あの長時間、ずっと手を振り、身体をくねらせ続けて、なんたる苦行か、誰か倒れてしまうんじゃないかと心配になり、見ているだけで疲れてしまった。
ただ並んで、一様に手を振って踊れ、というのは、演出する側がな~んにも考えてない、ってことと同じ。おもてなしでもなんでもない。
踊ってる人たちも、言われたことをやらされているだけでは気持ちが込めにくいだろう。本当に気の毒だった。
こういうことを平気でやらせる無神経さは、スタッフ用弁当を大量廃棄した事件にも通じる。
さらには、この人たちはボランティアとバイトが混じっているのかなあ……などということまで考えてしまう。これまで組織委が重ねてきたあまりにも多くの不始末・不誠実・無責任事件のせいで、素直に見られなくなってしまっているのだ。組織委の上層部や、彼らを引っかき回した政治家や企業は本当に罪深い。

参加者たちに「歓迎」の意を表すにしても、もっとやり方はいくらでもあるだろう。
例えば、入場してくる国・地域ごとに、その国・地域を応援したいと申し出た人とか、つながりのある人が1人あるいは数人で代表して、手作りの応援グッズを持って駆け寄り、一緒に行進するとか。
心の込め方はいくらでも工夫して見せることはできる。

中継放送したNHKのやる気のなさもひどかった。
長い時間かけて選手入場してくる際に、ほとんどの国に対して、どんな競技に参加しているのかとか、何も説明しない。 ギリシャなんか「ギリシャです」で終わり。
心がこもっていないのよ。ここに来るまで大変な努力をしてきた選手たちへの尊敬の念がない。

改めて考えさせられた「クラス分け」の難しさ

この「心のこもっていない入場行進中継」で、ひとつ「え?」と思ったことがあった。
「○○選手の1500mの記録はリオ五輪の優勝記録より速いんです」という一言解説が耳に入ったときだ。
トラック競技で、パラリンピックの記録がオリンピックの記録より速い? それはすごいではないか、と。
で、調べてみた。
9月11日に行われたリオデジャネイロ・パラリンピック、陸上男子1500メートルT13(視覚障碍のクラス)では、アルジェリアの双子ランナーであるアブデラティフ・バカ(Abdellatif Baka)がパラリンピック新記録で優勝した。しかし、このレースでは優勝タイムよりも話題になっているものがある。双子の弟で、4位入賞を果たしたフォーダ・バカ(Fouad Baka)までの4人が、リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得したマシュー・セントロウィッツ(Matthew Centrowitz、米国)を上回るタイムを記録したのだ。
パラ陸上男子1500mで珍しい現象、4位までがリオ五輪優勝タイム上回る AFP BBニュース 2016/09/14)
↑どうやら、これのことらしい。

このときの映像がYouTubeにUPされていたので見てみた。↓

↑Click to play!

パラリンピックの陸上競技の上位4人が、同じ年の五輪の優勝者より速かったということで話題になったが、これは五輪のレースが極端な駆け引きレースで序盤が超スローペースになったための結果だから、障碍者選手が健常者選手より速いという話ではない。
それはそれとして、この動画を見て不思議に思ったのは、「ちゃんと見えてるよね」ということだ。
みんな普通に走っているし、ゴール後、バカ兄が国旗を渡されて受け取るシーンなども、なんの違和感もない。ちゃんと見えているようだ。
で、さらに調べると、このレースは「視覚障碍T13」というクラス。
T13の視覚障碍とは、
視力0.04以上0.1まで、または視野直径10度以上40度未満
だそうだ。
視力0.1というのは私の裸眼視力とほぼ同じだ。だから、私が眼鏡を外したときの状態はこのT13に該当するということだろうか。
であれば、あの違和感のない走り方やゴール後の普通の行動も頷ける。視界はぼやけてはいるが、十分に周囲の状況は確認できるからだ。
視力0.04~0.1よりも、視野が狭いほうがハンディとしてはきつそうだ。
優勝したバカ選手がどの程度の視覚障碍なのかはよく分からないが、「見える」ことには変わらない。
であれば、1500m 3分48秒29という記録は驚くようなものではない。
男子1500mの世界記録は3分26秒00(ヒシャム・エルゲルージ)で、これより22秒遅い。
女子の1500mの世界記録は3分50秒07(ゲンゼベ・ディババ)で、これといい勝負。
先日の東京五輪での女子1500mの優勝記録は3分53秒11(キピエゴン)で、8位入賞という快挙だった田中希実が準決勝で出した日本新記録が3分59秒19。
この記録がどのくらいすごいのかというのを体感するためにユーチューバーのたむじょーが37℃の猛暑の中を田中と同じラップを刻んで走ってみせた動画も見てみた。

たむじょーの1500m自己ベストは3分50秒00だそうだ。この動画では途中までピッタリ同じで走ってみせて、最後は田中の記録を上回る3分57秒でゴールした。男子選手としてのメンツを保ったたむじょーだが、バカ兄の3分48秒29というのは、このレベルの記録に近いということだ。

う~~~ん。どうなんだろう。
視力0.1の選手と一般の選手を「区別」する必要ってあるのだろうか?
例えば、眼鏡をかけると視力1.0だが、外すと0.1になる選手が眼鏡を外して走れば、T13クラスのレース相当になるのだろうか? その場合、眼鏡をかけて走ったときよりも記録が遅くなるのだろうか?
考えれば考えるほど、う~~ん、となってしまう。
何か他に特別な理由があるのなら、ぜひ知りたい。
そのへんが詳しく説明されることがないのも、なんだかタブーになっているような感じもあって、モヤモヤする。

義足の威力?で8m62??

陸上競技の場合、車椅子やスポーツ用義足などの装具によって一般の選手よりもいい記録を出すという現象がある。
車椅子マラソンの世界記録は1時間20分14秒で、キプチョゲ選手のマラソン世界記録(2時間1分39秒)より40分も速い。
走り幅跳びでは、ドイツのマルクス・レーム選手(片脚が義足)が持つ世界記録は8m62で、2021年6月1日パラ陸上ヨーロッパ選手権で出した。
これはその2か月後に行われた東京五輪の走り幅跳び優勝記録8m41をしのいでいる。
レームは健常者と同じようにオリンピックや世界陸上に出場させろと訴えているが、認められていない。
かつて、両脚義足のオスカー・ピストリウス(南アフリカ)がロンドン五輪に出場した例がある。
ピストリウスの自己ベスト記録は、
100m  10秒91(2007年)
200m  21秒30(2012年)
400m  45秒07(2011年)
だ。
ロンドン五輪前の北京五輪のときは、400mで出場を目指していたが、国際陸上競技連盟(IAAF)が義足が有利に働くとして認めず、その後、スポーツ仲裁裁判所(CAS)はIAAFの判断を覆して認めた。ただ、このときは参加標準記録を破れずに出場できなかった。

ピストリウスはその後、殺人容疑で逮捕されたり、ドーピングやDV疑惑が持ち上がったり、とにかく話題を提供するのにいとまがなかった。

で、走り幅跳びのレームだが、今回の東京五輪では出場が認められなかったわけだが、出ていれば優勝していた可能性は高く、これまた議論を呼び起こしただろう。
国際陸連は厚底シューズの規定も厳格に決めて、用具による不公平をなくそうとしている。バネそのもののような義足をつけた選手の記録を一般の記録と同列には見られないというのは仕方のないことだ。

このレベルになると、そもそも「スポーツ選手の頂点」とはなんだろうという疑問にぶち当たる。
柔道やレスリング、重量挙げなどは体重別のクラス分けがあるが、陸上にはない。脚の長さ別のクラス分けなんてあれば、ずいぶん印象が変わるのだろうが、そうなると興味が薄れてしまう面もあるだろう。

そういえば、走り高跳びを「身長差」で競ったら……というのも、誰もが思うけれど、あまり真剣に議論されないなあ。
それをヒントにして小説を書いたこともあったっけ。

両手両脚に欠損がありながら100m自由型1分21秒58

かと思うと、水泳競技ではまたずいぶんと印象が変わる。 今回のパラリンピック東京大会水泳で、自由型100m S4(運動機能障碍)クラスで2008年北京大会以来13年ぶりに優勝した鈴木孝幸選手は、生まれつき四肢が欠損している。
右腕は肘から先がなく、左手はあるが指は3本(うち1本は短い)、右足は根本付近からなく、左足は膝上からない。パッと見、左手一本だけで泳いでいるように見える。
最後まで競り合った2位のイタリアの選手は、映像で見る限り、両脚は動いていないが、長い両手でしっかり水をかいているので、この2人が同じハンディでいいのかな、とも思ってしまう。
水泳でのクラス分けは、Sは自由型、背泳ぎ、バタフライ。SBは平泳ぎ、SMは個人メドレーで、運動機能障碍は1~10まであり、数字が小さいほど障碍が重い。
4は「体幹と両下肢の動きに重度の障碍があり、両手にも障碍があるかまたは手足の欠損がある」というクラスだそうだ。
両肩で大部分の力を出して推進力に変える、ということなのだが、これで100mを1分21秒58で泳ぎ切るのだから驚くしかない。

障碍者「専用」の競技?

水泳競技は装具なども使わないから、純粋にハンディを負った人が健常者と同じ種目に挑戦する、という性格のものだ。
一方で、ボッチャやシッティングバレーボールのように、障碍者のために考案された競技もある。

ボッチャ

こうした競技の場合、健常者が同じことをやって障碍者に負けることはいくらでもありえるだろう。実際にそうした「交流戦」的なものは普通に行われているのだろうか?

また、アーチェリーは、一般のアーチェリー競技のほうに「シッティング(座って矢を射る)」という種目を追加すれば、健常者と車椅子選手が一緒に競い合うことができるはずだ。
そういう方向にも進んでいけたらいいのに、と思う。

……とまあ、こんな風に、パラスポーツというのも、少し考えただけでも、いろいろ複雑で、奥深い問題を含んでいるのだなあ……ということが分かったことが、今回の収穫だろうか。

骨折で夢を諦めたハイジャンパーが出てくる『瞑想教室』も含まれている短編集。
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ああ、デルタ株2021/08/24 22:10

worldometers.info 2021/08/11 より
気がつくと、日本は新規感染者数で世界のトップ10入りを果たしているようだ↑
極端に検査数が少ないのに新規感染者が多いというのだから、実際の感染者数は一桁多いだろう。
で、現在、その90%以上がデルタ株だという。

今はデルタ株と呼ばれている変異株(当初は「インド株」と呼ばれていた)が日本に入ってきてしまったのではないか、と一部のメディアが書き始めたのはいつだっただろうと振り返ると、今年の4月終わりくらいだった。

3月は空港検疫(抗原検査)で判明した陽性者157人のうち、インドでの行動歴がある入国者は8人だったが、4月は24日までに、242人中56人。特に先週の増加ペースは激しい。危ぶまれるのは、判明した陽性者以外に検査で「陰性」となっても実は感染している人が相当数入国している可能性があること。空港検疫では入国者の待機時間短縮のため、15~30分で結果が出る「抗原検査」を採用しているからだ。(空港検疫コロナ陽性で「行動歴インド」入国者急増!二重変異株が抗原検査すり抜け日本で蔓延か 日刊ゲンダイDigital 2021/04/26

日本に入国する際の空港や港湾の検疫で、4~5月に確認した新型コロナウイルスの感染者のうち、感染拡大が深刻なインドと隣国のネパール、パキスタンから入国した人が過半数を占めた。(略)3カ国から入国し、検疫で感染を確認した人は4月に176人、5月8日までに81人の計257人。内訳はインド110人、ネパール78人、パキスタン69人だった。検疫で感染が確認された人のうち、4月は57%、5月は80%を占める。(4~5月入国のコロナ陽性者、インド周辺3国が過半数 朝日新聞Digital 2021/05/10
日記にも書いたなあ。⇒これ

要するにこの時点でデルタ株の侵入を防げなかったことが今の惨状を招いている。
苗床を用意してしまった後に、五輪関係者という田植え部隊を招き入れたのだから、なにをかいわんや、だ。
厳格な入国管理や即座のロックダウンなどを実施してきたオーストラリアニュージーランドでさえ、デルタ株の侵入は完全には防げなかったのだから、ましてやザル状態の日本では到底無理だった。
それにしても、もう少しマシな体制は取れただろうに、と悔やまれる。

こうなってしまった以上、もはや緊急事態「宣言」とかを繰り返していても意味がない。
「人と交わるな」という社会が続けば、(学校だけでなく、広い意味での)教育現場や、文化・芸術活動の現場は壊滅的なダメージを受け、今まで作り上げてきた「人間として生きていく価値」が大きく失われてしまう。特に若い世代にとって、それは単純な死よりも怖ろしい結果を招くだろう。

デルタ株に関しては、最近、こんな研究発表があった。
「ウイルスの感染力を高め、日本人に高頻度な細胞性免疫応答から免れるSARS-CoV-2変異の発見」(東京大学、熊本大学、東海大学、宮崎大学、日本医療研究開発機構 6人の研究者による共同研究)

簡単にまとめると、
  • 当初「ファクターX」と呼ばれていた「感染しにくい要因」の1つはやはりHLA型の違いで、日本人の約6割が持っている「HLA-A24」が新型コロナウイルスが細胞表面にくっつくのを阻害していた。
  • しかし、今日本で急速に感染を広げているデルタ株は、この「HLA-A24」を介した免疫から逃れる性質を持つ。
  • 結果、今までは爆発的な感染拡大から免れてきた東アジア諸国も、デルタ株ではそうした幸運は期待できない。
……ということだ。

現状を見る限り、これだけの感染者がいるのに死者は急激に増えていないので、あとはもう、治療体制をしっかり組んでいくしかない。その部分の劇的な改善・改革が必要だが、妨げているのは厚労省と無能な政府。この国の根本的な弱点に巣くう問題だから、すぐには対応できない。
となれば、個人でできる範囲で防衛していくしかない。
では、何を根拠にして防衛策を練ればいいのか?

このウイルスについては、当初から医療現場でさえ正反対の意見がぶつかり合ってきて、今もそれは変わらない。
初期の頃はPCR検査を増やす増やさない論争、今はイベルメクチンを巡る論争などがその代表例だ。
どの情報、主張を信じればいいのか?
その判断ができなければ、同調圧力には最終的に負けてしまうだろうし、「個人の防衛策」も間違った方向にいきかねない。

私の判断基準の一つは、意見や主張の裏に利害関係や保身本能が存在していないか、ということ。
もっと踏み込んで言えば、学術会議的な「業界」に身を置き、役所や製薬会社との結びつきの上で、誰かの論文を根拠にして、したり顔で「エビデンスが……」などと発言している人の主張より、現場で毎日患者を診ている医師たちの生の言葉や感覚を信じたい。
その医師たちの意見も真っ向から対立しているわけだが、最後は「顔」かな。
頭のよさと真剣さを感じられる顔。しかし「真剣」といっても、ファナティックに偏向しているような「熱意」は除外。
問題が長引いてきた今、対立する医師たちも、両極端に寄っていきがちだと感じる。
メディアはその両方を視聴者や読者の食いつき狙いで取り上げ、露出させる。
SNSではその対立がさらに過激化していく。やっかいだから、極力関わりたくない、言葉を発したくない、という自己防衛本能が働いてしまう。

2年半以上経過した今、錯綜する情報や政府の無策、扇情的な報道に疲れ果てながらも、私が、多分こうなんだろうなと思うのは……、
  • 1)感染者は発表されている数よりはるかに多い
  • 2)デルタ株の感染力は凄まじいが、致死率は従来株とさほど変わらないのではないか(死者/感染者数の分母が怪しいので、ちゃんとした分母を入れればかなり低くなるのでは?)
  • 3)要するに「タチが悪く、怖いインフルエンザ」的なものが、これからずっと自分を取り巻いている社会に生きていかなければならない

最重要なのは、被害を最小限に抑えるシステム作りだ。具体的には、軽症のうちに素早く手当てできる体制を早急に、しっかり構築していくこと。ワクチン騒動はこれからずっと続くだろうから、治療薬の開発をしつつ、当面は限られた医療資源の中で、重症化率、死亡率を減らすために既知の薬の適用方針も明確にしていく。その過程では情報を完全公開し、企業や政府の邪念やメンツが入り込まないようにする。
それができない国では、今後も一定数の人は重症化し、死んでいくだろう。
残念ながら、日本では当面できそうにないので、自己防衛しながら生活環境を破綻させないようにするしかない。

まあ、半年後にはまたずいぶん様相が変わっているのだろう。

自分自身はいつ死んでもいいかな、とは思っているが、苦しいのは嫌だ。「地上で溺れているような苦しさが長く続く」なんて言われると、ゾッとする。
まあ、自分の最後がどうなるかは、いくら冷静に考えようとしても、分からないもんなあ……。
           




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