「シ」で始まる曲を作った2019/10/28 22:14

今回の録音に使ったギター2台
いわゆる「ドレミファソラシド」のことを音階という。この並びでドから始まる音階を長音階(メジャースケール)、ラから始まる音階を短音階(マイナースケール)という。
個々のドとかレのことを「階名」というが、階名は絶対的な音の高さを表しているのではない。音階の中での音の位置(音階のはじめの音=主音からの相対的な位置)を表している。 これに対して、音の高さを表すのが「音名」で、英語ならABCDEFG、日本式だとイロハニホヘトで表す。
ちなみにイタリア式だとドレミファソラシで、世界で「階名」として最もよく使われているドレミ……は、イタリア式音名をそのまま階名にも使っているというわけだ。

現代の音楽は、IOS(International Organization for Standardization=国際標準化機構)で440Hz(ヘルツ=1秒間の振動数)の音をAとしましょう、と決められている。
このA=440Hz(1秒間で440回の振動の音。Aの音叉を鳴らしたとき、あのUの部分は1秒に440回振動している)の倍の振動数の音(倍音)までの間を12等分して、その各々の音に音名を振ったのが「平均律」という音律(音の並び方)で、一般的なピアノやギターなどはこれに合わせて調律している。

ドレミファソラシドの長音階は、ミとファの間、シとドの間が他の音の間の半分の間隔しかない。この間隔を「半音」という。他の部分、例えばドとレの間にはもう1つ音があって、ド♯とかレ♭などと呼ぶこともあるが、♯や♭は音名につけるべきだという考え方からすれば変な呼び方になる。
ド♯やレ♭にも独立した階名を与えるべきだという考え方から、英語圏の国々では、ドレミのイタリア式音名を基にして、♯は母音をi、♭は母音をeに変えて発音する(Reの場合は元々母音がeなので♭はaにする)という方法も採用されている。ただ、これだとレの半音下は「ラ」、ラの半音下は「レ」となって、RとLの区別がつかない日本人には同じに聞こえてしまって大混乱になる。(本来、レはRe、ラはLaで、子音がRとLで違う)

この「半音部分」はとりあえず置いておいて、ドレミファソラシドの長音階、ラシドレミファソラの短音階だけに話を絞ると、世の中の多くの曲は、この長音階、短音階のいずれかの音階を基にしたメロディである。
童謡『チューリップ』は、ドレミ ドレミ ソミレドレミレ……と始まる長音階(長調)の曲であり、『荒城の月』はミミラシドシラ ファファミレミ……と始まる短調の曲である。

ドレミファのうち、長調ならドが音階の主音、短調ならラが主音で、メロディの中でいちばん安定した音に聞こえる。つまり、長調ならドで、短調ならラで終わると落ち着く。実際、『チューリップ』の最後(どの花見ても、きれいだな)は、ソソミソララソ ミミレレドー、と、ドで終わっているし、『荒城の月』の最後(昔の光 今いずこ)はミミラシドシラ ファレミミラ、と、ラで終わっている。
主音の次に安定して聞こえるのは3度(主音から3番目)と5度(主音から5番目)の音で、長調ならミとソ、短調ならドとミである。
主音でも3度、5度でもないレ(長調なら2度、短調なら4度)、ファ(長調なら4度、短調なら6度)、シ(長調なら長7度、短調なら2度)という音は、メロディの最初や最後に来ることは滅多にない。
滅多にない例を探してみると、『君が代』はレで始まりレで終わるという珍しい曲であり、トワエモアが歌ってヒットした『空よ』はファで始まっている(終わりはドなので普通)。
さて、シで始まったりシで終わっている曲というのはあるだろうか? 有名な曲ではなかなか思い浮かばない。
シは長調では主音のドの半音下で、なんとかドにたどり着きたいよ~という不安定な音に聞こえる。これを「導音」という。(ちなみに短音階の場合、主音のラの下のソは半音ではなく全音離れているので不安定さはなく、「導音」とは呼ばない)

というわけで、「シ」は、長音階では導音という不安定な音、短音階では2度という、主役にはなりづらい音なのだ。だからシで始まったりシで終わったりする曲は簡単には見つからない。

Beginning with ‘Si'

では、シで始まり、シで終わる曲が作れないだろうか?

と、ふと思いついたのがひと月以上前のことだった。
これは、2音だけで曲が作れないかという発想で作った『Two Note Waltz』にも似た発想で、苦し紛れというか悪あがきの作戦。いいメロディがなかなか思い浮かばないので、ヒントというか、わざと条件を厳しく与えることによって、個性的でいいメロディが生まれないか……という思惑。

頭の中で「シー……」と思い描きながらいくつかのメロディを組み立ててみる。寝ているときもずっと考えていたので、朝、変な夢を見て起きた直後にも頭の中には「シ」が鳴っている。
この「シ」はあくまでも音階の中の「シ」であって、Bの音ではない。つまり頭の中で鳴っている「シ」は、そこからつながるメロディに導くシである。

シーーーー シドレミレドミ シーラシーーーーー
……というメロディは当初からずっと頭の中で鳴っていた。でも、そこから展開するメロディがつまらなかったりして、何度も捨てては拾い、の繰り返しになった。
ある程度の小節数浮かんだときは、MuseScoreという記譜ソフトでメモしておく。翌日は疲れて確認するのも嫌で、数日後にその譜面を見ると、そのときに思い浮かべていたメロディとは全然違っていて、あれ? じゃあ、やっぱりこのメロディでは不自然なのかな、駄作にしかならないのかな、と、見捨てることになる。
そんなことを何度か繰り返していたが、その間はずっと例の「紙の本」作りに一日の大半を費やしていたので、実際にはほとんど「シで始まる曲作り」には向き合っていなかった。

国会図書館に送る本の第一陣が準備できたので、久々に「シから始まる」に向き合ってみた。
歌にしたかったので、歌詞がつかないといけない。どうせなら歌詞も「し」で始まり、「し」で終わらせてみたい。
これは『ドミソの歌』のときにも苦労した制約。ドやレはいいのだが、ファで始まる単語がない。あるとしても外来語だからね。ファイトとかファンファーレとか、そのへんはもう使われていたし……。

で、「白い」で始めると、「しろ」は弱起(小節の前にはみ出した部分)になるだろうな、弱起で2音入れるなら、シラシーーーとしたかったのだが、それだと「白い」のイントネーションには合わないよなあ。「白い」で始めたいなら、シラシーーではなく、シドシーーーだよなあ……などなど、またいろいろ制約が出てくる。
そういう制約を楽しみながら作ったのだが、結局、イントロがマイナーナインスコード、サビ部分は「いいメロディに聞こえる魔法のコード進行」を使ってしまうというクリシェ(使い古された手法)三昧。
……情けない。シで始まるというユニークさを追求したのに、出来上がりは自分にとってのクリシェだらけかい。

でもまあ、最後はそれでいい、ってことにした。
コードや作風はタクキ節なんだけど、シで始まりシで終わるというルールは達成できたし、サビだってファで始まっている。
十分健闘したということにしておこう。

……以上はメロディにおける話だったけど、この曲には他にもいくつかの暗喩を込めている。「シで始まる曲を作ってみようかな」とフェイスブックで呟いたとき、すでにその暗喩を見抜いている人もいたので、歌詞がついた今は、誰にでも分かることだと思うけれど。

長い前置きはここまで。

出来上がった曲はこんな感じ↓ まともなスピーカーで聴いてほしいけれど、スマホの人は、せめてちゃんとしたイアフォンで聴いてね!

シから始まる from TANUPACK

ちなみに、最初はEmで演奏してみたのだが、Em9で始める曲があまりにも自分にとって定番なのと、もう少し高いほうがきれいに歌えそうだったので、Fmで演奏してみた。Fm(ヘ短調)だから、この演奏における「シ」はGの音である。


ついでに「2つの音だけでメロディを作る」という発想から生まれた『Two Note Waltz』も復習?としてどうぞ↓

Two Note Waltz  TANUPACK on Vimeo.

ちなみにこのイントロ(ベース音が半音ずつ下がっていく)の演奏方法を音楽の世界では特に「クリシェ」といっているが、クリシェはもともとは「使い古された陳腐な方法」というような意味のフランス語である。







即位の礼2019/10/27 11:37

木目込みの雛人形(鐸木能子・作)
2019年10月22日。朝から雨が降る中、即位の礼。あのテレ東も含めてすべての地上波テレビ局が中継した。
テレ東の中継を見ていたら、解説役で呼ばれたゲストが「雛人形のモデルは天皇・皇后ですから」ということをポロッと口にした。
それを聞いた妻が「室町雛や有職(ゆうそく)雛は違う」と主張するので、調べてみた。
そもそも雛人形、ひな祭りとは、
  • 平安時代(あるいはそれ以前、土偶などの時代から?)、疫病や穢れを祓うために人形(ひとかた)、形氏(かたしろ)といった、人の代わりに悪いものを引き受ける身代わりとなるものを主に紙で作り、川などに流して災厄を遠ざけるという「禊祓(みそぎはらえ)」の風習があった。それが貴族の間の行事「上巳の節句(じょうしのせっく)」として定着する。
  • 天児(あまがつ)這子(ほうこ)などはそのためのもので、紙から次第に布製のものになり、これが雛人形の起源といえる。一方、子供たちの間では、そうした小さな人の形をしたものでママゴトのようなことをする「ひいな遊び」が流行る。これも「ひな人形」「ひな祭り」へと結びついていく。
  • 室町時代には立ち雛のようなものが登場する。最初は紙などで作られたため平べったく、自立できないようなものだったが、次第に豪華になり、木目込(きめこみ)人形の立雛へと進化していった。
  • 江戸時代になると、人形は川などに流すのではなくそのまま「飾り雛」として飾られるようになり、庶民の間でも平安時代の宮廷を模した雛壇の雛人形となって大流行する。これが今の雛人形、ひな祭りへと続いていく。

……といったことらしい。諸説あるが、大体こういうことなのだろう。

今のような雛人形が庶民の間で流行するのは江戸時代になってからだ。
次第に衣装が派手になっていく傾向に対して、「いやいや、本来の貴族の装束はそんなに下品なものではないぞよ」と、正式なルールに則った装束の雛人形が特注で作られるようになり、主に公家社会や大名家などの上層階級に好まれたという。衣装・装束のルールを担当していた公家の高倉家、山科家が1700年代中頃に作ったといわれている。これが「有職雛」。有職雛の「有職」というのは、宮中の衣装や調度品などの決まり事を、各部門の有識者たちが集まってまとめた「有職故実」のこと。下々が勝手に作った雛人形とは格が違う、これが正式だ、というわけだ。
即位の礼をすべてのテレビ局が生中継し、日本中で見守る──庶民の宮中文化への憧れは、江戸時代も今も変わらないのだなあと、改めて認識させられた。
木目込みで作られた十二単の座り雛(鐸木能子・作)

平成と令和で即位の礼は変わったか

閑話休題。
今回の即位の礼は、平成のときとほぼ同じ形を踏襲したという。
平成のときは、時の総理大臣海部俊樹氏が、宮内庁から「束帯姿で」と要求されたのを拒否して燕尾服で参列し、万歳三唱のときも、「ご即位を祝して」と述べてからのものになった。これは、国民主権をうたう憲法の下での儀式であることを踏まえて、ということだそうだ。
国民の代表として選挙で選ばれた自分が、皇室の宗教色の強い儀式に合わせて束帯姿で出席し、一段低い庭に下りて「天皇陛下万歳」を叫ぶことはおかしい、という、最低限のわきまえを表明するものだったのだろう。
平成の即位の礼では、儀式の場所そのものを京都御所から皇居に移した。
そうした数々の「改革」が、今回はさらに一歩進むのかと思いきや、やはりそうはならなかった。
万歳三唱や21発の礼砲は前回通り行われた。

そもそも現在の即位の礼の儀式内容は明治新政府がアレンジしたものが元になっている。それまでは中国の儀式や意匠を真似て唐風だったものを、岩倉具視が神祇官副知事亀井茲監(これみ)らに「唐の模倣ではない庶政一新の時にふさわしい皇位継承の典儀を策定せよ」と命じたものだという。
当然、それまでは「天皇陛下万歳」や礼砲もなかった。
「日本の伝統的な~」という言葉が検証もなく安易に使われるが、こういう場合は「明治政府が決めた~」「明治になってからこうなった~」と、はっきり言うべきだ。

今回の式典では、新天皇の「お言葉」に注目が集まった。平成のときの文面と比較して、「世界の平和」という言葉が2回、「国際社会の友好と平和」という言葉も加わって、日本国内だけでなく、広く「世界」の平和と共存を願っているのだという思いを強調したと評されている。
一方で、平成のときの「日本国憲法を遵守し」が今回は「憲法にのっとり」にかわったことに懸念を示す学者もいる。
「『のっとり』だと、どんな憲法でも『従えばいい』という感じを与えます。集団的自衛権の行使容認のように、たとえ政権側が憲法解釈をねじ曲げても、その憲法に従わざるを得ないという印象です」
「『憲法遵守』が後退したのは、改憲を目指す政権側の意向がにじんだ結果とみるのが妥当でしょう。憲法4条の『天皇は国政に関する機能を有しない』との規定をいいことに、政治に口を出せない天皇のお言葉を利用して護憲ムードを抑え込む。そんな政治利用も辞さない政権に、この先も天皇が押し切られないか心配です」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法) 「即位の礼」天皇のお言葉を徹底検証 憲法言及は「遵守」から「のっとり」へ 日刊ゲンダイDigital 2019年10月25日

庶民が儀式の衣装や雰囲気に感激している裏には、官邸と皇室の見えない対決があるのかもしれない。

憲法の中の天皇

こうした皇室関連、天皇制関連の話題は、問題の本質に深く入り込むことはタブーで、識者の多くも本音や正論を口に出すことができないでいる。
天皇制そのものに対しては多くの国民が賛成の意を示しているというが、そこで人生を過ごす皇族方、特に天皇・皇后という役割を負う人たちの「基本的人権」について発言する人はほとんどいない。
現行の日本国憲法にはこうある。
第一章 天皇
第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

これはいくらなんでも基本的人権を無視していないだろうか。
職業選択の自由がない。少しでも「政治的」と思われる発言は一切できないだけでなく、選挙権も被選挙権もない。
離婚はできるのだろうか? プライベートな旅行なんていうのも、事実上不可能だ。それどころか、「この作家のこの作品が好きです」「俳優の○○さん、男前ですよねえ」なんてことさえ軽々しくは言えない。そんな人生。そんな一生を、自分の意志とは関係なく規定されてしまうのだ。

ちなみに「天皇の国事に関する行為(国事行為)」とは、具体的には、
  • 内閣総理大臣の任命(日本国憲法第6条第1項)
  • 最高裁判所長官の任命(第6条第2項)
  • 憲法改正、法律、政令及び条約の公布(日本国憲法第7条第1号)
  • 国会の召集(第7条第2号)
  • 衆議院解散(第7条第3号)
  • 国会議員総選挙の施行公示(第7条第4号)
  • 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状の認証(第7条第5号)
……などなど(まだまだある)で、実に多い。
これらのすべてで天皇は「形式上の行為」を行わなければならない。そのお姿は時折テレビなどでも放映しているが、それを見る一般庶民の感覚としては「大変だなあ。形式だけなんだから、わざわざ天皇がお出ましになることもないのに」といったものではないだろうか。
しかもこれらに関して天皇ご自身は「行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」のだ。
ご自身の意志や考えとは無関係に、ただただ形の上での「行為のみを行う」と決められているわけで、これほど個人の人格を無視した法はない。

今回の即位の礼にしても、極めて宗教的事柄が含まれるのだから、国事として行い、多額の税金を使うことに天皇家の人々は反対だったという。しかし、現行憲法に「のっとれ」ば、「行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(国事だとされた段階で、ご自分の事でありながら意見を言えない)「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」(最終的に内閣の言うことには反対できない)のだ。
しかも、こうした話は口にすることだけでも怖ろしいタブーなので、誰も助けてはくれない。そうした一種極限状況ともいえる制限の中で、どれだけ一人の人間として「自分の意志」「考え」に誠実に従い、行動できるか……想像を絶する困難と孤独を伴うことは間違いない。
そうしたことに思いを及ばすことなく、「天皇陛下万歳!」にしても「天皇制反対!」にしても、あまりに天皇家の人々の資質に甘えていないだろうか。多くの矛盾や弊害を抱えた問題を天皇と天皇ご一家に押しつけているのではないか。
今回、平成天皇が生前退位という道を開いたことも、どれだけ大変なことだったか。本来なら「主権」を有する国民の側から提案していかなければならないものだったのではないか。
平成天皇・皇后ご夫妻が生きてきた人生の誠実さ、強さ、そして誰にも言えぬ孤独を想像したとき、自由お気楽に生きてこられた一庶民としては、目眩がし、言葉を失ってしまうのである。

憲法改正論議はとかく9条問題に片寄りがちだが、それより先に、まずは天皇や皇族の基本的人権問題を解決すべきではないかと思う。
その議論から逃げて、タブーに守られたきれいごとに祭り上げているうちは、政治家も庶民も、現憲法に手をつける資格がないのではないか。

天皇が戦争に利用された歴史は否定しようがない。その結果、多くの人が理不尽な死を強いられた。現憲法はその結果生まれた。人は愚かだから、同じ過ちを繰り返す。そうさせないために、権力者が暴走するのをどうしたら抑えられるかという意図が随所に入れられた。
今また、天皇を道具として利用しようとする不埒な輩が力を伸ばしている。その勢力に、ギリギリまで制限された条件の中で、静かに、誠意を持って立ち向かっているのが現在の天皇家の人たちだという気がしてならない。

天皇家を愛するというのなら、庶民もまた天皇家と一緒に悩み、考え抜き、「国際社会の友好と平和」を本気で希求する気概を示す覚悟が必要ではないか。


自然災害と「国防」2019/10/20 15:38

箱根町が近づけないほどの大雨で危機に瀕しているときにこれ……
2019年10月、日本列島を襲った台風19号は、接近するずっと前から気象庁が異例の警戒を呼びかけていた。
「今まで経験したことのないような被害に見舞われる可能性がある。命を守る行動を!」というその警告にもかかわらず、民放テレビは土曜日定番のグルメ番組などを流し続けていた。
箱根町が観測史上最大の降雨量を記録し、大雨特別警報が出されている12日午後になっても、よりによってTBSなどは「箱根のお持ち帰りグルメ50品を全部食べきるのにどれだけかかるか」などとやっていた。

被災地以外の国民が被害の大きさ、深刻さを知るようになるのは台風が去ってしばらくしてからだった。テレビに悲惨な映像が次々に映し出される。
被害が出てから「大変です」「ひどいことになってます」と騒ぎ立てても遅い。
民放テレビ局の発想(というか本音)は「視聴者=災害現場ギャラリー」なのだろう。

問題は国を筆頭とした行政である。
颱風も地震も大雨も必ず襲ってくる。それを人間の手で防ぐことはできない。地球温暖化が原因だのなんだのと言ったところで解決しない。人間ができることは、「被害をいかに小さくするか」を考えることである。

警戒地区の中に放射性廃物ゴミを溜め込む


栃木県内でまっ先に「非常に危険」とされた荒川


今回の台風は風の被害より雨による河川氾濫が怖いことは事前に分かっていた。なので、NHKの防災アプリで河川の警戒レベル情報をずっとチェックしていたのだが、栃木県内でまっ先に赤く表示された(危険レベルに達した)のは塩谷町の中を流れる荒川だった↑。
塩谷町は環境省が「放射性物質を含む指定廃棄物の最終処分場の候補地」として指定して、今も地元の反対を押し切って計画を進めようとしている場所。しかもその候補地は水源地である。
その塩谷町の処分場候補地を見に行ったときの日記が⇒こちら(数ページある)
候補地は山の頂上に近い斜面で、進入路は狭く、このときは台風で壊れ、通行止めだった。
山に入っていく道も細くて折れ曲がっており、工事が始まるだけでも大型車が行き交い、大変危険なことになるだろう。

すでにこの時点で、塩谷町は赤く染められた危険区域のまっただ中↑


環境を破壊し、人々の命を危険にさらし、幸福を奪う環境省。進次郎よ、きみの仕事はそんなことではないだろう? この問題をセクシーに解決してくれるのか?

その後、またたくまにほとんどの河川が氾濫危険になってしまった↑

「再生可能エネルギー」で人が殺される


台風19号による河川氾濫被害は広範囲に及び、被害状況全貌は数日経っても摑みきれなかった。
栃木県では鹿沼市の粟野地区で、北から流れてくる思川(おもいがわ)と粟野川の合流地点を中心に、多くの家屋が水没した
この上流にあたる横根高原の斜面に、ミズナラを大規模伐採してメガソーラーを作るという馬鹿げた計画も、事業者はまだ引っ込めてはいない。
鹿沼市と日光市にまたがる100ヘクタールを超える大規模な計画だったが、鹿沼市が難色を示したために、範囲を変えて、今は日光市の部分を59ヘクタールに増やして建てると言っているらしい。

横根高原メガソーラー建設予定地(左上の青い○の場所)と、今回、浸水被害でひどいことになった鹿沼市粟野地区(右下の青い○の場所)との位置関係(⇒拡大
この高原を水源とした川は北側の足尾町にも流れ込んでいる。足尾は過去何度も洪水被害に見舞われている。
ただでさえこうなのに、上流側の木を伐ってメガソーラー? 正気とは思えない。保水作用は奪われ、表土は簡単に流れ、崩れて……もう、殺人行為ではないか。

さらには、那須御用邸のそばにも約37ヘクタールのメガソーラー建設計画があり、地元住民らが反対している
こういう問題が出るたびに、反対する側は揃って「自然エネルギーには賛成だが、場所を考えてほしい」的な主張をするが、「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」と呼ばれている風力発電、太陽光発電の正体をしっかり勉強し直してほしい。「自然」だの「再生可能」だのといううたい文句で補助金、税金をかっさらい、建て逃げを図る企業によって、地下資源はむしろ枯渇を早める。もちろん、温暖化が防げるわけでもない。無駄が増えて、その分、一部の企業に金が集まるという構造は原発ビジネスと同じなのだ。
そういう基本的な認識ができず、資源物理学の基礎が分かっていない民主党政権時のトップが、自然エネルギー万歳の能天気な発想でFIT法を制定した罪は極めて重い。結果、現安倍政権と経産省の悪政を強力に後押しし、軌道修正をしにくくさせてしまった。

外国企業が狙う「建て逃げビジネス」

横根高原も那須御用邸脇も、事業者は外資系である。外国企業が日本の山を食い物にして儲けるという図式。
発電効率なんて考えていない。
関西電力と高浜町の原発マネー贈収賄事件が発覚したが、国から巨額の金が出る事業では必ずこうした図式ができあがる。
関西電力の傘下にあるシーテックの本社課長は、ウィンドパーク笠取(2000kw×40基)を建設する際、「風力発電は、発電では採算が合わないのではないか」と質問され、「その通りです。しかし、補助金をいただけますので、建設するのです」と堂々と答えている
儲かるか儲からないかが判断の基本にある企業と、税金の使い方に無神経かつ不正義な政治が結びつくと、必ずこうなる。
発電プラントを製造する企業、建設する企業は、施設を建てた段階で儲けが確定するので、その後の発電事業には極力関わろうとせず「建て逃げ」する。
昨今話題になっている水道事業の民営化問題も、最終的にはそうした図式になっていくことははっきりしている。
何が「再生可能エネルギー」だ。環境破壊、殺人事業以外のなにものでもないではないか。こういうのをこの国では「経済効果」というのか?

国民が危険な目に遭わないようにする、幸福な生活を破壊されないようにする、将来にわたって持続できる社会を維持できるようにするのが「国防」であり、国の使命のはずだ。
その際に最重視すべきは合理性と持続性である。
しかるに、環境省も経産省も、まったく逆のことをしている。


「東電強制起訴無罪判決」の歴史的意味2019/09/25 11:48

「東電強制起訴無罪判決」で、次の一節を思い浮かべた。
本来、国家とは国民の生命と財産を守るのが使命である。ところが国の指導者たちは生命と財産を次々とつぎ込んで、博打のような戦争を起こした。その結果、多くの無辜の命が失われた。しかし、そうした戦争の責任はいまに至っても曖昧なまま放置されている。
(保阪正康・著 『田中角栄と安倍晋三 昭和史で分かる「劣化ニッポン」の正体」序章より)

↑この「戦争」という部分を「原子力ムラ利権構造ビジネス」と置き換えてみれば、今回の構図と同じだと分かる。


首相が国会で「議会については、私は立法府の長であります」とのたまい、官庁は平気で公文書を破棄・偽造する。司法は常識を超えた判決を下す。
三権分立が機能しなくなった国家は、悲惨な崩壊寸前だと知ろう。
「東電強制起訴無罪判決」は、歴史的にはそういう意味を持っている。

Amazonでオリジナル書籍を売るまでの道のり2019/09/22 21:28

ISBNコードを振ってA5判からB6判208ページ構成に改定した『新・マリアの父親』
オンデマンド出版なら赤字を抱えずに本が作れる、という時代になった。しかし、赤字にならないのはいいが、とにかく売れない。個人が運営するWebサイトだけでPRするのは限界があるし、カード情報の入力なども抵抗があるからか……。
オンデマンドブックをAmazonで売れたらいいのだがなあ……ということは以前から考えていた。
『狛犬かがみ』は初版と改訂第2版のいずれも売り切って、現在在庫なし状態が続いている。一般書店で数千冊も売れたとは到底考えられないので、ほとんどはAmazon経由ではないかと思う。
現在の版元(トランスビュー)は取次を通さない「一人出版社」の先駈け的存在で、その販売手法はいろいろなメディアで取り上げられている。
哲学思想、宗教、教育などを中心に、日販・トーハンといった取次店を通さず、直接書店に書籍を郵送する方法で卸す独自の営業で注目されている。取次店では太洋社のみ取引があるが、このルートで流通された商品は書店からの返品を認めない。また配本部数も全て書店に一任されており、他の出版社が行う新刊委託(注文がなくても、出版社・取次店側が見計らって送品すること)は一切行わない。
池田晶子「14歳からの哲学」( ISBN 978-4-901510-14-1 )は30万部を超えるベストセラーとなった。
Wikiより

トランスビュー方式とは、「書店に直で卸す本は、送料自社持ちで返品も認めるが、返品するときは送料は書店持ちでね」という方式。
しかし、この方法でも、本はオフセットでまとまった冊数作っておかねばならないし、受注・発送などの作業も全部自分でやらなければならないから、労力も運転資金もかなり必要になる。

ISBN出版者コードを取得する

商業出版では売れないと判断される本を自分で次々に出版しようとする場合、在庫を抱える方式は到底無理なので、オンデマンド出版以外は考えられない。しかし、オンデマンド本をAmazonで売ることは可能なのか?
調べていくと、最初の条件は「ISBNコードをつける」ことだった。
Amazonでは、商品としての本には必ずこれがついていることを条件としている。

ISBNとは何か?
出版業界の人には説明不要だが、一応書いておくと、ISBNは書籍を識別するための世界共通コードで、本の戸籍のようなもの。ISBNコードをつけることで、日本だけでなく、世界中ですぐにその本が何かを特定することができるようになる。
13桁のコードで表され、日本の出版物の場合、通常は、
ISBN978 - 4 - AAAA - BBBB - C
という構成になっている。
最初の978-4は出版元が日本または言語が日本語であることを示している。ちなみに978-0および978-1は英語、978-2はフランス語、978-3はドイツ語……だ。
A部分は「出版者記号」、B部分は「書名記号」で、それぞれの桁数は決まっていないが、合計で8桁になる。
A部分が2桁なら残りは6桁だから、000000から999999までの100万冊分の書名コードが割り振れる。
最後のC部分の1桁は「チェックディジット」といって、検算機能を持っている。ISBNコードが正しいかどうかを決められた数式にあてはめて計算した結果の0 - 9の数字1桁が入る。
『医者には絶対書けない幸せな死に方』には、ISBN978-4-06-291514-4 という13桁のISBNコードがついている。
06が講談社を示し、291514は『医者には絶対書けない幸せな死に方』という本に個別に振られたコードだ。
ちなみに2桁コードを持っている出版社を番号が若い順に並べていくと、
  • 00 岩波書店
  • 01 旺文社
  • 02 朝日新聞社出版
  • 03 偕成社
  • 04 角川書店
  • 05 学研
  • 06 講談社
  • 07 主婦の友社
  • 08 集英社
  • 09 小学館
……である。
これらは計算上は100万タイトルまでは順番にISBNコードを振っていけることになる。

ISBNを取得するには、出版社や発行人となる個人や団体が日本図書コード管理センターに登録申請をして「出版者コード」を決定してもらうことが第一歩となる。

今回、「タヌパック」が取得した出版者コードは910117で、6桁コードなので、その後に使えるのは2桁(00~99)。つまり100冊(100タイトル)分のISBNコードを取得した。死ぬまでに100タイトル使いきるかどうかは分からないが、10タイトルでは不足なのは明らかだから、とりあえずは100タイトル分取得したわけだ。

Amazonで売るための3つの方法

さて、ISBNコードをつけたオンデマンド本をAmazonで売るためには、以下の方法があることが分かった。
  1. Amazon PODという、Amazon自身がやっているオンデマンド本販売システムで売る。ただし、これはAmazonが契約した取次業者を通してしか使えない。
  2. 「e託」という方法で、Amazonに本を預けて売ってもらう。Amazonの仕入れ数はAmazonが決める。売れたら、その分、Amazonから納入依頼が届くので、都度、Amazonに本を納入する。
  3. Amazonに毎月契約料を払って「大口販売業者」となり、マーケットプレイスで販売する。売れても売れなくても契約料は支払わなければならないし、本の発送も自分で行う。

このそれぞれについて、経費やリスク、運営する上での自由度や満足度を調べた結果、3の方法しかないと分かった。
1は本の形式がAmazonで細かく決められており、本を作る上での自由度が制限される。また、取次業者に本を登録(PDFファイル)した後は、訂正が効かない。もちろん、取次業者への手数料がかかる。
2は、Amazonに支払う手数料割合が大きい上、都度、本をアマゾンに納入する手間とコストがハンパない。
3は、自分で配送するから、印刷・製本所から購入者に直送できるので、送料と時間を節約できる。ただし、売れても売れなくても大口取り引き契約者としての契約料(毎月約5000円)は払い続けるし、個別の売り上げにもAmazonへの手数料(15%+80円)はかかるので、赤字は確実に出るであろう……。

ここまで調べて、計算をするのだけでもかなりのエネルギーを使った。しかし、ISBNと出版JANコード取得(これはAmazonでしか売らないなら必要ないのだが、一応、将来どうなるか分からないので取得した)も済んだので、後には戻れない。

最後の壁は、Amazonのカタログに本を新規登録することだった。新たにISBNを振る本だから、当然、どこのデータベースにも存在しない本なわけで、「こういう本を新規に出版しますので、Amazonさんのカタログに登録してください」と申請し、認めてもらわないといけない。
これが実はいちばん不安だった。その不安は的中して、最初にいろいろやりとりがあって、行き違いもあったのだが、数日で解決し、今は自由に「新刊書」をAmazonのカタログに登録できるようになった(今後、システムやポリシー変更などがないことを祈るばかり)。

現在、「タヌパック」がAmazonで売っている本は⇒こちらからどうぞ。

ISBNと出版JANコードのバーコードを規定通りに印刷した本。このバーコード、デザイナーにはとても評判が悪い。これのおかげで本の表4デザインが台なしになってしまうから……。実際、その作業をしてみると、「邪魔だよなあ」という気持ちになる

賢治に比べたら……

……というわけで、なんとかタヌパックの本がAmazonを通じて販売できるようになった。

しかし、これでめでたしめでたしとは当然ならない。
最大の誤算は、「Amazonに出しても売れない」ということだった。
すでに1週間以上経過したが、見事に1冊も売れていないのである。
10月からは消費税も上がり、印刷・製本代、送料、Amazonへの契約料など、すべての経費が上がる。
人々の生活も苦しくなり、本を読む気力も時間も金銭的余裕もなくなる一方だろう。
こうなったら、しっかり覚悟を決めるしかない。
どうせ残された時間はわずかなのだから、生死に関わらない範囲なら、金勘定のことでアッパトッパすることはない。
宮沢賢治は、生きている間は自分の作品がまともに本にさえならなかった。
生前に刊行されたのは、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』だけだが、どちらも自費出版だ。『春と修羅』は地元花巻の印刷所に持ち込んで1000部を作り、ある人物に500部委託して東京での販売を頼んだものの、「ゾッキ本」(売れない新刊本)として流され、定価2円40銭のところ、古本屋で50銭で売られたという(Wikiより)。
『注文の多い料理店』のほうは、盛岡高農の後輩たちの協力を得てなんとか出版費用を工面して1000部作ったが、まったく売れず、賢治自身が父親から借金して200部を買い取ったそうだ。

まあ、それに比べたら、今の自分ははるかに恵まれた環境にいる。この幸福を味わい尽くしてから死ぬぞ、という前向きな気持ちになれる。

改定の道程も作品?

今回、Wikiの「宮沢賢治」を改めてチェックしていて、
賢治の作品は、一旦完成した後も次から次へ書き換えられて全く別の作品になってしまうことがある。これは雑誌に発表された作品でも同様で、変化そのものが一つの作品と言える。(Wikiより

という一節を初めて読んだ。
ああ、これって、オンデマンドならいくらでもできるんだよな、と思った。ISBNコードの役割からしたら、同じ番号の書物の内容がどんどん書き換えられるのは御法度だろうが、誤字訂正とかなら当然許容範囲だし、デジタル時代の出版物というのは、改訂作業の自由度が高いことも大きなメリットといえる。
Kindleブックなどは、同じ登録書籍のカバーや内容改定をいつでもWEB上の編集ページから行えるしね。

現在、ISBNコードを振りながら、コストの問題もあって、A5の2段組で作った本をB6の1段組に編集し直したりしているのだが、2013年に作ったA5判の『新・マリアの父親』には、だいぶ直したつもりだったが、かなり誤字・脱字が残っていた。細部の表現や間違いなども直しながら、頭からていねいに編集した。
その編集作業をしながら、へえ~、こんな話だったのか、と、感心している「作者」。ラストシーンでは思わず涙ぐんでしまったよ。

1冊も売れていないのに、あれもこれも……と、やりたいことが一気に増えた。楽しい60代を送るための赤字なら、それはもう人生の必要経費でしかない。
しかし、オンデマンド本は1冊も売れなければ、「もの」として存在しなかった本になってしまうわけだから、このままではいかんわなあ……。



完爾と賢治2019/09/22 11:43

宮沢賢治(左)と石原完爾(右) Wikiより
このところ、日本の近代史に関する本を読みまくっている。妻が「なぜ急に?」と訊くので、こう答えた。
「小林和平や岡部市三郎がどんな時代を生きていたのか、時代の空気感や人々の心情、世相を知りたいから。これも「狛犬史」研究の一環かな」
でも、和平や市三郎の時代の『続・小説神の鑿』を書くかどうかは未だに悩んでいる。
歴史上実在の人物だけに、時代が近くなるほど書くのが難しい。彼らがあの時代、日本の対外政策や戦争についてどう思っていたかは、まったく分からないからだ。
終戦後、誰もが脱力し、悪夢から覚めたような気持ちになったであろうことは想像がつく。和平が戦後に彫った赤羽八幡神社の狛犬には「平和記念」と彫られているし、多くの戦没者慰霊碑の前に立つ和平の表情は、戦前の強気で頑固そうな表情とは一変している。

昭和25(1950)年旧7月、和平69歳。東禅寺戦没者慰霊碑群の前で


和平と同年代の岡部市三郎は明治37(1904)年2月~明治38(1905)年9月の日露戦争に従軍しており、上の戦没者慰霊碑が完成した昭和25年の前、昭和22(1947)年9月1日に満65歳で亡くなっている。
小林和平の師匠である小松寅吉が亡くなるのは大正04(1915)年2月22日で、行年72歳(満70歳)。そのとき和平は33歳だが、その10年前の明治38(1905)年9月5日には日露戦争に勝利したのに賠償金なしとは何事かと、国民が不満を爆発させて日比谷焼き討ち事件を起こしている。
自由民権運動を牽引し、石川町から政界に進出した河野広中は、その焼き討ちの現場で民衆をアジテートしていたという。
和平の最高傑作といえる古殿八幡神社の狛犬は昭和7(1932)年10月建立(和平51歳のとき)で、台座には「満州事変皇軍戦捷記念」と彫られている。和平の銘も「石川郡沢田 彫刻師 小林和平」と、初めて「彫刻師」という肩書きを使っている。
寅吉は、明治の神仏分離令と廃仏毀釈で仕事がなくなり、人生でいちばんエネルギーのあった時期を奪われた。
後に続く和平や市三郎は、その後の日本の領土拡大ムードに浮かれる世相の中で狛犬や馬の像を彫っていた。
そういう激動の時代の空気感を、戦後生まれの自分がしっかり書けるとは思えないのだ。

しかし、あの時代の正確な日本史を学校ではしっかり教えないし、司馬遼太郎の小説などのおかげで、ずいぶんと歪曲された歴史観を今の日本人は抱いていると思うので、小説の形で描けないかという挑戦は価値があるはずだ。しかも軍人や政治家が主人公ではなく、アート志向の石工の視線で描く……あまりにも難しいテーマだけれどねえ。

この難題に挑めるかどうかは分からない。その前に、利平編を大幅に改定して、もっと娯楽要素を増やすべきではないかと思っている。

完爾と賢治

そういえば、石原完爾の写真を見ていて、どこかで見覚えのある顔のような……と思った。宮沢賢治に似ているような……?
……とフェイスブックに書いたら、「どちらも法華思想で共通してますね」「宮沢賢治の童話って、ちょっと怖いなと感じること、ありますね。たしかに法華思想という怖さがあるのかもしれません」といったコメントがついた。

石原完爾は明治22(1889)年1月18日、山形県庄内町に生まれて、昭和24(1949)年8月15日に亡くなっている。
宮沢賢治は明治29(1896)年8月27日、岩手県花巻市に生まれて、昭和8(1933)年9月21日に亡くなっている。
二人とも東北で生まれ、ほぼ同時代を生きた。宇宙的な規模で世界を俯瞰するという視野を持ち、自分なりの理想の世界を追い求めたという共通点もあるように思う。
ただ、空想力の向かう方向や才能を発揮する具体的な方法が違った。かたや飛び抜けた頭脳を持った軍人、かたや田舎暮らしの教員。生きる場所も、戦場と農村で違った。
また、賢治は日中戦争の拡大・激化や太平洋戦争は知らないまま30代で死んでいる。満州国建国宣言や5.15事件あたりまでは知っているが、これも東北の田舎で事件のことを聞いただけだっただろう。戦後まで生き続けたら、どんなものを書いていたのだろうか。
人がどんな人生を生き、後にどう評価されるかは、ほんとうにちょっとした運やタイミングの違いで大きく変わってくるのだろうと、改めて思った。

馬鹿がトップに立つ怖ろしさ

よく言われる「IF」の一つだが、石原完爾と東条英機が入れ替わっていたら、日本史どころか、世界史がガラリと変わっていたかもしれない。どう変わっていたのか……想像するのは怖いのだが……。

読みあさっている本の中には、保阪正康さんのものが何冊かあるが、こんなインタビューを見つけた。
僕は東條(英機)が憎いとかなんとかじゃなくて、こういう人が首相になって、陸軍大臣になって、しかも兼務ですよ。最後のほうは参謀総長、内務大臣など。なんでこの男がこんなに権力を握ったのかという、そのからくりの全体がきちんと整理されていかないと、戦争の反省なんてありえないと思うんです。(略)
(東條は)人間観がものすごく狭いんですね。おまけに、(略)文学書や哲学書なんて読んだことがない。ものを相対化する力がないわけです。戦争へ行ったら、勝つまでやるというプログラムしかない。こういう人が指導者になっちゃいけないんだということを、我々は共通の認識で持たなきゃいけないと思います。
東條英機の妻、石原莞爾の秘書に会ってきた。『昭和の怪物 七つの謎』の凄み) 講談社BOOK倶楽部)

まったくその通りで、石原完爾のような頭のいい人が、怖い思想、世界観で軍隊を率いたら怖ろしいけれど、少なくとも、馬鹿が軍隊のトップ(国政のトップ)にいるよりはいい。まともな思考力があれば、最悪の事態を避ける努力をするはずだからだ。
さらには、本当に頭がいい人間は自分の過ちを認め、軌道修正ができるが、馬鹿は最後まで馬鹿なままだ。反省も学習もしない馬鹿に自分たちの命を預けるなんて、そんな怖ろしいことがあるだろうか。

石原完爾と東條英機が入れ替わっていたらというのは「想像」の話だが、「ものを相対化する力がない」馬鹿が国のトップにいたら、という恐怖は、令和時代の「現実」である。そのことを、多くの人たちがなめてかかっていることが、さらに怖ろしい。


もしも日本が先に原爆を完成させていたら2019/09/08 21:23

石川町でウラン鉱採掘に動員された石川中学(現・学法石川)の生徒たち(Wikiより)
福島県の石川町は、石工・小林和平が生まれ育ち、数々の名作を生み出した土地である。
その石川町が、日本における原爆開発研究ともつながりを持っていると知ったのは20年ほど前のことで、狛犬つながりからだった。

アメリカが原爆開発(マンハッタン計画)に本格着手したのは1942年10月だが、それに遅れること数か月、日本でも陸軍の要請により理化学研究所仁科芳雄博士をリーダーとする「ニ号研究」、海軍の要請で京都帝国大学の荒勝文策教授をリーダーとする「F号研究」と呼ばれる原爆開発研究がほぼ同時にスタートした。
その原料となるウラン235を入手する場所として選ばれたのが石川町で、1945年4月から終戦までの5か月間、旧制私立石川中学校(現在の学法石川)の生徒が勤労動員として採掘作業にあたった。炎天下、わら草履に素手で作業させるなど、ひどい状況だった。しかし、採掘できた鉱石はごくわずかで、ウラン含有率も少なく、使いものにならなかった。

軍部の思惑とは裏腹に、研究者たちは日本で原爆が製造できるとは思ってはいなかったらしい。しかし、仁科や荒勝らには、若い研究者たちが戦場に送りこまれるのを防ぐと同時に、軍からの潤沢な予算を得ることで、原子核の基礎研究を進めたいという思いがあったと、「日本の原爆 その開発と挫折の道程」の著者・保阪正康氏は分析している。
ニ号研究のほうは、昭和20(1945)年5月下旬に、仁科自身が陸軍に「ウラン鉱石すら入手できないようなこの状況ではもう無理である」と告げて、研究者たちも次々に疎開し、そのまま立ち消えてしまった。
海軍では海軍技術研究所科学研究部長の黒田麗(あきら)少将を部長に、(略)F号研究を受け持った。昭和20(1945)年7月21日、琵琶湖のホテルで話し合いの場が持たれている。(略)
黒田は「できれば原子爆弾を作ってほしい」との発言を行った。(略)
「理論的にはまったく可能だが、現状の日本の国力などから考えても無理だといってかまわないと思う」と、荒勝グループの研究者たちは声を揃えた。正式に中止の決定をしましょう、というのが荒勝らの一致した提案だったのである。
「日本の原爆 その開発と挫折の道程」 保阪正康・著 新潮社2012年刊 P170より)

そして、その2週間後には、広島に原爆が投下された。
アメリカのハリー・トルーマン大統領が、広島に投下されたのは原子爆弾であると発表したのは、ワシントン時間で8月6日午前11時(日本時間7日午前1時)であった。(略)長文のこの声明は、アメリカがこの原子爆弾の開発製造のために、いかに国力の総てをつぎ込んできたかを詳細に述べた。(略)
連合国各国がこの“偉業”を賞えていると、アメリカのラジオ放送は伝えた。(略)トルーマン大統領の声明が各国から賞えられるなかで、人類にとって原子爆弾の投下は汚点である、との意見はローマ法王庁ほか、わずかの機関からしか発表されなかった。(略)
当時の日本国民はラジオでアメリカの短波放送を聞いたりすればすぐに逮捕されてしまう時代だから、こういう連合国や国際社会の動きなどはまったく知るよしもなかった。
むしろ内閣情報局での会議、つまりこのニュースをいかに国民に伝えるかの会議では、陸海軍からの出向組は、「トルーマン声明は策略かもしれないではないか」とか、「原子爆弾だと伝えると、国民に衝撃を与え、戦争指導上問題がある」といった強硬意見が出された。
同「日本の原爆」より)


「もしも日本がアメリカより先に原爆を完成させていたら?」という「IF」は、ときどき語られる。
戦時下の昭和19(1944)年には、朝日新聞が「ウラニウム爆弾」について記事で紹介し、「新青年」という読み物雑誌には『桑港(サンフランシスコ)けし飛ぶ』と題した小説も掲載された。ウラン235を入手した日本では原子力の実用化に成功し、原子力飛行機で軽々と太平洋を横断し、敵国アメリカのサンフランシスコ上空8000メートルから原爆を投下する、という内容の小説だという。
こうした記事や小説がきっかけで、「マッチ箱1つの大きさで大都市が吹っ飛ぶ爆弾」が発明され、日本は戦争に勝つという噂が日本国中に広まった。
しかし、当時の状況からして、日本がアメリカより先に原爆を完成させていた可能性はない。
「ニ号研究」では、
容器の中に濃縮したウランを入れ、さらにその中に水を入れることで臨界させるというもので、いわば暴走した軽水炉のようなものであった。(略)
しかし、同様の経緯である1999年9月の東海村JCO臨界事故により、殺傷力のある放射線が放出されることは明らかとなっている。 (Wikiより)

……つまり、完成させられないまでも、そのまま研究が進み、原材料が調達できていたら、実験段階で日本国内で悲惨な事故が起きていた可能性が高い。そして、当然、それは隠されただろう。
なにしろ、1944年(昭和19年)12月7日に起きた東南海地震(M7.9。死者・行方不明者1223名)も報道規制され、隠されたくらいだから。

「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」と並べてはいけない

こうした歴史に学ばず、2011年3月の原発爆発では、福島県は国に先がけて深刻な放射能漏れを知ったにもかかわらず、それを隠した

歴史は繰り返すというが、こんな歴史を繰り返していいはずがない。

保阪正康氏は著書『日本の原爆』の最後で、非常に重要な指摘・主張をいくつもしている。
原子力や核開発に対しての考え方の違いを超えて、多くの人たちが見落としがちな視点・視座だと思うので、いくつかをほぼそのままの内容で紹介しておきたい。

  • 原子爆弾の製造⇒戦争の終結⇒東西冷戦下の核開発⇒核の均衡による平和⇒核技術の「平和利用」 ……この構図の中には政治と軍事が科学者たちを下僕化したという現実と、政治が「平和利用」の名のもとに科学者を巧みに利用した現実が凝縮している。
  • 原子力の二つの顔(原子爆弾と原子力発電)は、単純に「悪魔と天使」とに二分できるものではない
  • ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを並べて論じてはならない。ヒロシマ・ナガサキは基本的にはアメリカが爆弾を投下したという問題だが、フクシマは我々の国のシステムや技術、原発に対する考え方の歪みが起こしたものであり、「我々の国の責任問題」である。
  • 原爆製造計画では、軍事指導者が「聖戦完遂」の名のもとに軍事研究を要求し続けた。原子力発電は、軍事指導者に代わって、政治家や官僚が「平和利用」と「生活の向上」の名のもとに「電力というエネルギーの供給を」と訴え続けた。どちらの大義もその時代が要求する価値観でしかなく、歴史的普遍性に欠けている
  • 日本での原爆製造計画が未遂に終わったために、我々は人類史の上で加害者にはならなかった。しかし、原発事故では、我々のこの時代そのものが、次世代への加害者になる可能性を抱えてしまった。我々が放射線をあびたとしても、それはそうしたシステムを許容した我々自身の責任である。しかし、次世代の人たちに放射能障害の危険性を残していいわけはない。


原発爆発後の日本を見ていると、責任者が責任をとらないどころか、開き直って嘘の上塗りをし、それを国政が後押しする。システムの反省や改善どころか、さらなる欠陥や非合理、不正義を押し進める……。
  • 放射性廃物を永久処理する方法は未だに発見されていないし、地震の巣である日本では、放射性廃物を安全に保管できる施設は作れない。それがはっきり分かっている今も、後始末(廃炉と放射性廃物管理)ではなく、再稼働や、原発の輸出(!)などを押し進める。
  • 原発爆発でばらまいた放射性物質を含んだ土や瓦礫くずを健全な水源地にまで運んで埋めてしまおうなどという馬鹿げた計画を「環境省」がごり押しする。
  • 原発ビジネスとまったく同じ「国が税金を投入して業者を儲けさせる」システムで、「再生可能エネルギー」という新たな名のもとに、大規模環境破壊と国民への不要な経済負担を「国策」として進める。

原爆を投下された直後の日本よりも、今の日本のほうが、人々の理性・判断力・倫理観が劣化しているように思えてならない。


嫌韓報道を続けるメディアの害毒2019/09/04 22:09

形は違っても、中身は同じ「アジ」ア……
酒の席で、初対面の男性からいきなり「私は日本は特別な国だと思っているんですよ」と切り出されて面食らったことがある。
その「特別」とはどういう意味なのだろうか? 神国日本とか、そっち系? それとも、世界でも類をみないほど水と森に恵まれ、四季が存在するというような意味? その意味によって対応はまるで変わってくるが、どうも前者のようだった。

日本の軍部が暴走して真珠湾攻撃をする直前の昭和15(1940)年、日本国中に「皇紀2600年」キャンペーンが張られ、一種浮かれた世相があった。
狛犬巡りをしていると、あちこちの神社で「皇紀2600年もの」の狛犬、燈籠、記念碑などに出くわす。
今放送中のNHK大河ドラマ『いだてん』でも、「皇紀2600年」に合わせてオリンピック招致に躍起になったことが描かれている。東京では万国博覧会の開催も予定されていたが、日中戦争の泥沼化によってすべて中止・延期された。

↓ ↓ ↓

皇紀2600年のポスター。11月14日までと15日以降ではガラッと趣旨が変わっている(Wikiより)


この「皇紀」というのは、初代天皇であるとされる神武天皇が即位した年(西暦だと紀元前660年にあたる)を元年とする「神武天皇即位紀元」と呼ばれるもので、明治政府が明治5(1872)年に制定した。
神武天皇の即位がBC660年だというのは、日本書紀の記述をもとにしたものだが、言うまでもなくこれは、歴史学的にも考古学的にも否定されている。

日本の古代史には謎が多いが、大和朝廷を築いたのは朝鮮半島から渡って来た渡来系の人々であり、それ以前に日本列島に暮らしていた人々は見た目も使用言語も生活習慣もバラバラな多民族だったことは概ね分かっている。
多民族がなんとなくうまく暮らしていた平和な土地に、鉄の武器や稲作農耕技術などを持った大陸系の人々が来て、原住民を武力制圧していった……というのが、ほぼ正しい日本の古代史だろう。ただ、明治以降、そうした「大陸民族による日本征服」という古代史は曖昧にされ、一方では征服者が書いた歴史書である日本書紀の記述は、いくら非現実的であろうとも、政府によって「常識」であるかのように固定されていった。
『日本書紀』『古事記』を「歴史資料」として鵜呑みにすることを批判した津田左右吉(早稲田大学教授 1873-1961)は、まさに皇紀2600年の昭和15年に、『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及思想』の4冊を発売禁止の処分にされ、早稲田大学教授も辞職させられ、版元社長の岩波茂雄とともに出版法違反で起訴された(津田事件)。

無知なのか? 同族嫌悪なのか?

「日本は特別な国」とか「神国日本」という一種の信仰は、古代史と近代史をきちんと学んでこなかった人たちの妄想なのか、それとも、それが分かっているからこその同じアジア人への同族嫌悪(そしてその裏返しである欧米白人社会へのコンプレックス)なのか……。
多分、その両方なのだろうと思う。
そう認識した上で、現在の日本のメディア(特にテレビのワイドショーなど)による嫌韓煽りともいえるような報道ぶりを見ると、まさに「大政翼賛会」を彷彿とさせる。

 8月15日の日本の敗戦の日を前後して、韓国のシュプレヒコールは、「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わりました。
 私の周りの韓国人の友だちもそれに安堵しているようです。(略)
 それにしても、「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わったこと。事の本質が変わった大切な事なのに、日本の報道はそこを特に取り上げない。本質には触らない、タブー視、忖度……日本に住む人々を欺くことになるのに印象操作は続きます。
韓国に「上から目線」のワイドショー、酷くない? 日本の「嫌韓」に対し、韓国は「嫌日」になっていません! 藏重優姫

RONZAに掲載されたこのコラムは、冷静さを訴えるものだが、本来、メディアはこうした事実こそをしっかり伝えていくべきだろう。

Googleで画像検索すると、↓こうした画像がどさっと出てくる。

当初はハングルで「NO 아베」と書いていたが、日本のメディアがこのプラカードを「反日デモ」などと報道するのを知って、「NO 安倍」と漢字表記するようになってきた。それでもメディアは「反安部政権」デモではなく「反日デモ」だと伝えるか、無視する。

このデモ行動の背景や意味を、冷静に分析し、伝えようとしている記事もある。
集会の正式名称は「安倍糾弾 第2次キャンドル文化祭」。主催は「安倍糾弾市民行動」という596の市民団体やNGO(非政府組織)による連合体だ。
(略)
いわば韓国市民団体の「オールスター」とも言える組織がデモを主催している訳だが、この布陣は、2016年10月末から2017年3月にかけて当時の朴槿恵(パク・クネ)大統領を弾劾に追い込んだ「キャンドルデモ」と同様だ。力の入った運動主体といえる。
中でも、この日特に存在感を発揮していたのが「自主派」と区分される政党・市民団体の旗だ。「民衆党」や「祖国統一汎民族連合(汎民連)」、「民主主義自主統一大学生代表者協議会(民大協)」など、民族主義を強く打ち出すNL(民族解放)系列の組織が勢揃いしていた。
韓国「安倍糾弾デモ」のメカニズム 徐台教 コリアン・ポリティクス編集長

さらに、 北朝鮮政府との無条件での対話路線を続ける文在寅政権と対立する韓国の第一野党である自由韓国党(保守派)は、一方では、
植民地時代に大日本帝国に積極的に協力することで権勢をふるい、1945年の解放後や48年の大韓民国建国後にもそれを維持し、さらに「日韓癒着」を重ねてきたいわゆる「親日派」と、日本の「再武装」を掲げる安倍政権の「戦前回帰イメージ」が重なり、強い不満となって表れているのだ。
つまり、「安倍政権=韓国保守派=南北宥和の敵」という論理だ。これは今回の「安倍糾弾デモ」をセッティングした、いわば主催者側の主張といえる。安倍政権を糾弾しつつ、韓国の保守派も攻撃するという二重の目的を持った集会ということだ。(同記事より)

……と、徐氏は分析する。

最初に引用した藏重さんの記事でもそのへんのことは報告されている。
 今年の終戦の日前後は、ソウルでいろんなイベントや集会に参加しましたが、日本をひとまとめにして「ダメ!」という演説の無かったことに救われました。
 ただ、与党と野党の攻防合戦、国民感情を政治家に有利なように誘導するような発言は見え見えでした。
 少し感じ取ったのは、政治家が自分の良いように過去の事実を引き出し演説することには、韓国の人ももう慣れているようで、政治家の発言は政治家の発言。歴史問題解決はしないといけないという点では人々の考えは一致しているが、その方法論では世論は割れている。
日韓境界人のつぶやき より)


このへんの複雑さは、日本で暮らしている日本人には容易には理解できない。しかし、少なくとも、今、韓国で起きている「反安部」デモや日本製品不買運動、日本への旅行取りやめなどの動きの背景が、単純な国粋主義的な感情からだけではないことは知っていないといけない。

徐氏の記事の中で紹介されている、(組織とは関係なく「NO 安倍デモ」に参加したという)二人の韓国人男性の声は、特に傾聴に値する。
「日本社会全体に反感を抱いているのではない。(自分の)海外生活の経験から見ても、世界で最も親しくなれるのは日本人。しかし、正直言って、安倍政権がなぜ続くのか分からない。この点では日本の市民に不満がある。安倍政権が早く退陣し健全な政権に変わってほしい」(49歳・男性)

「日本の安倍首相一族の政治的系譜に悪い印象を持っている」(52歳・男性)


日本では「安倍首相一族の政治的系譜」と言われても、ピンとこない人が多いのではないだろうか。
日本では幕末から昭和にかけての近代史を、事実に沿って正しく教えていないからだ。
まったく必要なかった戊辰戦争、「長州閥陸軍」のあまりに愚かで人命を軽視した暴走……などと書くと、今度は日本国内で西と東(薩長と奥羽越同盟)の無駄な対立を引き起こしそうだが、言いたいのは、あくまでも国、地域、人種といった線引きで対立軸を作るな、という極めて単純なことだ。
時の権力者の顔色をうかがい、不正義を「これが仕事」と認識して淡々と遂行していく「優秀な人たち」。不正義を行っても、その不正義が権力者の意向に沿ったものであれば、罪に問われないどころか、安泰な老後生活が保障される。そうした「官僚主義的無責任体制」と、それを許してしまう国民性こそが、この国の人々を大きな不幸に陥れてきた、という歴史を学びましょう、と言いたいのだ。

韓国では「お友達」を優遇した前大統領は弾劾訴追、逮捕された。少なくとも、国会や司法が独立して機能した。
一方、同じときにこの国ではどうだったのか……。

歴史に学べ! 答えはそこにある。
とにかく、この一言に尽きる。


「日本製」神話なんてとっくに崩壊している2019/08/31 16:34

朝日新聞に「中国製か日本製か、誰も分からない」告発者が語る手法 という記事が載った。
ブロニカという時計販売会社が売っている腕時計は100%中国で組み立てているが、それを日本に持ち込んでから裏蓋に made in Japan の刻印を押している……という内容。
しかし、そんなのとっくの昔からどんな業界でもやっていることで、何を今さら……と思う。
中国の鰻を日本に輸入して、ちょっとだけ生け簀に放してから加工し、「日本産」として出荷するとか、そういうのはみんながすでに知っていること。
家電製品や衣料品なども、今やメーカーの本部がどこにあるかとかは関係なくて、工場は中国や東南アジアにある。もっとも、それらは正しく made in China や made in Malaysia などと記されている。だから、この腕時計の場合、正しく made in China と刻印するべきではないかということだと思うが、腕時計に「日本製」を要求するセンスがすでにずれている。正確な時刻を知りたければ、スマホがいつでも教えてくれる。腕時計はもはや時刻を知る道具ではなく、アクセサリーのカテゴリーに入るだろう。センスのよいデザインであっても made in China ならアクセサリーとしての価値が下がるというのであれば、それはもう裸の王様の世界というか、特殊な趣味の世界ということで、放っておけばいいのではないか。ブロニカの腕時計が made in Japan か made in China かなんて、ほとんどの人にとってはどうでもいいことだ。
そもそも「日本製」の信用度、made in Japan のブランド力って、今でもあるのだろうか。

「日本製」にわざわざドイツのブランド名を被せる

この腕時計の事例とは逆に、日本製なのにわざわざ海外ブランドを冠して商品価値を高めようとする例もある。
カメラのレンズなどはその典型で、日本製であっても、わざわざドイツに本部がある企業にライセンス料を支払って「ライカ」や「カールツァイス」というブランドを冠している。作っているのはコシナ、シグマ、タムロンなどの日本メーカーなのに、わざわざさらに金を払ってドイツのブランドを冠したほうが高級品のイメージが作れるということなのだろう。

日本のカメラメーカー・ヤシカはカール・ツァイスとブランドライセンス契約を結び、ヤシカが製造する高級機にカール・ツァイスのレンズ、カメラ本体にはコンタックスのブランドを使った。
そのヤシカが後に京セラに吸収されたため、京セラも引き続きコンタックスというブランド名を使っていた。
京セラがデジタルカメラ事業から撤退する寸前に、Finecam SL300R、Finecam SL400Rという、ボディが2つに分かれて回転し、レンズ部分の深さとボディの薄さを両立させる「スイバル」タイプと呼ばれるコンパクトデジタルカメラを発売したことがあった。このSL300R/400Rには、ほぼ同じ設計・仕様でコンタックスブランドのCONTAX SL300RT/400RTという革シボをあしらったお洒落な製品があって、価格は京セラブランドのFinecamの2倍くらいした。
スイバルタイプのコンパクトカメラは好きだったので、欲しかった1台だ。性能的には限りなく同じだと分かっていても、「CONTAX」のロゴとお洒落なデザインは確かに魅力的だったのを覚えている。これがまさに「ブランド」の力だろう。

デジタルカメラといえば、コンパクトデジカメの生産においてサンヨーのシェアが圧倒的だった時期がある(そもそも「デジカメ」はサンヨーの登録商標)。しかし、サンヨーが生産シェア世界一を誇っていた時期、そのほとんどは他社へのOEM供給だった。「サンヨー」のカメラでは売れないが、オリンパスやニコンのブランドをつけると売れる。
そのサンヨーもその後は消えていき、今ではコンパクトデジカメというジャンルそのものが消えてしまいそうな状況にある。

「ブランドイメージ」の難しさ

ブランドイメージがどう定着していくのか……実力通りなのか、PR戦略の賜物なのかというのは、興味深いテーマだ。

腕時計でいえば、カシオは、元は「安い電卓を作るメーカー」というイメージだったが、知らないうちに国外で腕時計のG-SHOCKシリーズが大人気になり、その人気が逆輸入されるような形で日本国内でもブランド力を持つに到った。
でも、日本で作っているのは少なくて、タイや中国製が多い。

世界で初めてラジカセを発売したといわれるAIWAは、当初、国内では二流メーカーと見られていて、安売り店でよく見かけるブランドという認識だったが、海外、特に中東などでは大変な人気と信用があった。
2002年ソニーに吸収され、2008年にはブランドそのものが消えてしまったが、2017年にソニーの下請け工場などをしていた秋田県の十和田オーディオという会社がソニーからAIWAブランドを譲り受けて自社製品開発を始めた。
個人的には、AIWAよりも「十和田オーディオ」のほうが高級で、いい音を出しそうな気がしてしまうのだが……。
アメリカにチボリオーディオという高級ラジオを作るメーカーがあって、かなりのお値段で売られている。今、私の目の前にあるミニマムオーディオセットのスピーカーユニット(8cm)にも「Tivoli Audio」の印字がある。チボリオーディオの高級ラジオのために作ったスピーカーユニットで、中国工場から流れてきたのを1個2100円で入手したものだが、とても気に入っている。
そのとき一緒に買った無印の10cmユニットは1個690円だったから、その3倍もする。このユニットにAIWAと印字されていたら2100円も出して買わなかった。でも「TOWADA AUDIO」と印字されていたら買ってしまったかもしれない。
で、実際には同じものになんのブランド名も印字されていなければ1個500円とか600円で入手できたのだろう。だから、Tivoli Audioという印字があることは「高級ラジオのメーカーが生産を依頼している工場で作られたスピーカーだから、変なものではないはずだ」という安心料のためにプラス1500円を出したことになるのかもしれない。それはそれで仕方がない。

海外向けにラジカセのAIWAブランドを復活させたのはいいことだが、それとは別に、高級オーディオブランドとしての「十和田オーディオ」が誕生したらもっと嬉しい。
↑690円の無印中国製ユニットと2100円のチボリオーディオの8cmユニット。後方は中国製のタンノイ
↓AIWAのミニコンポについていたスピーカーから外したウーハー。これと無印10cmユニットを交換して、フルレンジシステムに作り替えたらすごくいい音になった


ま、そんなこんなだから、今はもう、製造国やブランドは関係ない。怪しい中国製が日本の老舗ブランドの製品より高性能・低価格だったりすることは普通にある。もちろん、怪しい中国製が、しっかりダメダメで、すぐに壊れたり、設計がおかしかったりすることも多いわけだが。

シャープも東芝も、もはや「日本企業」ではない?

話を「日本製」のブランド力ということに戻そう。

液晶テレビが出始めたとき、大型家電店の液晶テレビ売り場に見に行ったことがある。どのメーカーの画面がいちばんきれいだろうとじっくり見て回った結果、国内メーカーのテレビよりもひときわきれいな画面だったのがサムスンのテレビだった。店頭用に輝度を上げていたのではないかといわれそうだが、それなら他のメーカー製品もそうしていたはずだし、輝度による見ばえではなく、色味の自然さや精細さが明らかに勝っていた。日本の家電メーカーへの信頼が一気に揺らいだ瞬間だった。
日韓戦争などと騒いでいるが、今、サムスンに勝てる日本の家電企業はどのくらいあるだろう。
冷静に現実を見ないと、気がついたときは取り返しがつかなくなる。

液晶テレビでは、一時期シャープがブランド力を持っていた。
シャープが三重県亀山市に、巨額の補助金(三重県から90億円、亀山市から45億円)を得て工場を作ったのは2002年のことだった。「世界の亀山」ブランドとして吉永小百合を起用したテレビCMなどで大々的にPRした結果、「液晶はシャープ」というブランド刷り込みに成功した。今でもその「亀山ブランド」を信じている人は多いのではないだろうか。
しかし……
亀山第1工場は2009年初頭より操業を停止。生産施設をすべて中国企業に売却し、建屋のみが残った状態となった。莫大な補助金を投入した工場が、わずか6年で操業停止して設備を売却と言う事態に、シャープは県から補助金約6億4000万円の返還を求められた。(Wikiより

液晶テレビ「アクオス」の生産拠点として2004年に稼働して以降、一時代を築いた“世界の亀山”ことシャープの亀山工場(三重県・亀山市)。テレビ事業が大幅に縮小してからも、生産ラインを一部売却し、スマホやタブレット向け中小型パネルの生産に乗り出すなど、形を変えながら存続してきた。
だが昨今、シャープを買収した台湾・鴻海精密工業が進める“分業体制”により、亀山工場の稼働率が大きく下がっていることがわかった。
シャープ「世界の亀山」液晶工場が陥った窮状 外国人労働者3000人解雇の裏に「空洞化」 東洋経済ONLINE 2018/12/19

シャープが栃木工場(栃木県矢板市)でのテレビ生産を2018年末に打ち切ると発表したのを受け、県や矢板市は情報収集に追われた。栃木工場は日本の家電産業が競争力を失うのに合わせて、段階的に生産規模を縮小してきた。
シャープ、テレビ生産停止 「遅かれ早かれ」地元は冷静 栃木工場の栃木県矢板市 日本経済新聞 2018/08/03


シャープといえば、かつてはNECやゼネラル、サンヨーなどと並んで、国内家電メーカーとしては二流のイメージがあった。
お金があるなら、ナショナル(現パナソニック)、東芝、三菱、日立、ソニーなどを買いたいが、少しでも安く買いたいから、シャープ、NEC、ゼネラル、サンヨーあたりでも我慢しよう……みたいな感覚は、今60代以上の人たちなら説明不要で理解してもらえるだろう。
そこからPR戦略で抜け出したシャープはうまいことやったなあ……と思っていたが、個人的には「液晶のシャープ」は信じていなかった。売り場で実際に見て、サムスンのテレビがいちばんきれいに映っていた印象が強かったし、テレビでいちばん重要なのは録画機能だからだ。
早くからテレビに外付けHDDをつけて、テレビ本体の操作だけで録画ができるようにしたのは東芝REGZAだった。「W録画」をするためにチューナーを2基、3基積んだ機種も作っていた。その頃、他社のテレビはDVDレコーダーやブルーレイレコーダーを売りたいがために、テレビだけで録画できる機能を搭載するのには抵抗を示していたが、東芝はそのタブーを破って、ユーザー本位の設計をしたといえる。
しかし、その東芝も、テレビ事業を受け持っていた「東芝映像ソリューション」が、株式の95%を中国のハイセンスグループに譲渡した。東芝のテレビブランド「REGZA」は今もあるが、もはや日本メーカーではなく中国のメーカーといえるだろう。

東芝はPC事業部門である東芝クライアントソリューション(TCS)が2018年にシャープの傘下に入り、Dynabook株式会社として再出発したが、シャープはすでに鴻海の傘下なのだから、実質、東芝が育てた「ダイナブック」というブランドを鴻海が傘下に収めたことになる。

シャープや東芝の没落は日本の工業製品神話崩壊を強く印象づけた。
特に東芝は、家電製造やノートPCの技術や設計のセンスは非常に優れていたのに、経営陣が原発ビジネスに傾いて、バカみたいな失策と大胆な不正を続けて取り返しのつかない事態にまで到った。真面目に家電に取り組んでいた社員たちは、さぞ悔しい思いをしていることだろう。

技術力の高い台湾で開発・設計を行い、コスト競争力の高い中国で生産・組立を行う「チャイワン」と呼ばれる分業体制が構築され、国を跨いで競争構造が急速に変化した。かつて業界を席巻していた日本の電子産業、AVメーカー各社が2000年代に市場シェアを一気に落とし衰退を見せた背景として、垂直統合・自前主義に陥ってこうした世界的な製造・物流インフラの流れを捉え切れなかった、などと各所で論じられた。
Wikiの「EMS(製造業)」の項より)

……まさにそういうことだろう。
経営陣の頭が昭和の高度成長期のままだったことが敗因だ。
鴻海はアップル社との提携関係が強く、iPhoneの部品などを供給している。日本のメーカーはアップルになれず、鴻海の支配下に組み込まれてしまった。
「下請け」で生き残るとしたら、中国や東南アジア諸国の労働賃金と競争しなければいけなくなるわけで、地方の雇用問題はさらに悪化する。
国内企業がアップル社の位置にいてこそ、国の経済レベルも保て、国内のあらゆる経済活動(生産分野に限らない)に金が回る余裕が出る。
今から逆転を図るのはあまりにも難しいと思うが、一刻も早くそのことに気がつかなければ、これから先、とんでもないことになる。
それなのに、企業の経営者だけでなく、政治・行政においても「勘違いジジイ」が相変わらず物事を決め、国の運命をミスリードし続けている。

腕時計が made in China なのか made in Japan なのかなんていう問題はどうでもいい。
そんな「不正」問題よりも、もっと大きな不正問題──国全体の行方を誤らせる危険に直結する不正(公文書破棄・隠蔽・改竄や政治権力者による大胆な不正優遇)を、メディアはちゃんと報道してほしいものだ。


「トンビがタカを生む」への違和感2019/07/29 15:05

TBS 『水曜日のダウンタウン』より
『水曜日のダウンタウン』で「トンビがタカを生むにも限界ある説 学歴バージョン」というのをやったところ、そこに登場した女子東大生の言葉が素晴らしいとネット上で話題になっている

この番組、私も見ていたが、モヤモヤするものが残った。

なぜタカのほうが「優れている」のか?

そもそも「トンビがタカを生む」ということわざそのものに、以前からずっと違和感を抱いていた。このことわざは、トンビはタカに比べて明らかに「劣っている」「つまらない存在」であるという大前提の上に成り立っているのだが、「トンビがタカより劣る」というのが分からないのだ。
容姿も習性も同じ猛禽類(タカ目タカ科)なのでそんなに差があるわけでもない。つまり、生物学的に劣っているとは思えない。オオタカはハト、カモ、カラスなど他の鳥類を襲って食うことも多いが、トビは動物の死骸を漁ることも多いので、食性としてはトビのほうがエコかもしれない。
タカは昔から鷹狩りなどで人間に利用されることがあるが、トンビは自由奔放に生きている印象がある。飛び方もゆっくり旋回してピ~ヒョロロとのんびり鳴き、世の中を泰然と俯瞰しているようなイメージで、個人的にはタカよりもトンビの生き方のほうが共感できる。

左がトンビ、右がオオタカ。どちらもWiki Commonsより)

ちなみに、タカは英語でホーク(hawk)、トンビはカイト(kite)。
hawkには「他人を食い物にする人、強欲な人、詐欺師、(紛争などで)タカ派の人、強硬論者、主戦論者」という意味もある。
タカ(hawk)派の対語はハト(dove)派だが、doveという言葉には「純潔」「無邪気」「優しい」という意味があるらしい。
これが同じハトでもpigeon となると、「だまされやすい人」「のろま」「まぬけ」といったニュアンスも加わるようだ。
ドロドロした政治の世界では、「ハト」に徹していても、タカに瞞されたり追い落とされたりする。
上空からじっくり下界を俯瞰しながら、妥協策(死骸でも食う)や折衷案を模索する余裕を見せる「トンビ派」というのも必要かもしれない。

ハヤブサはインコの仲間!?

言葉の持つ意味はともかく、名前のイメージというか「音」も、トンビ(kite)よりタカ(hawk)のほうが「かっこいい」ということはあるのだろう。
「ハヤブサ」になるとさらにカッコいい。小惑星探査機とんび とか 陸軍一式戦闘機とんび とか 新幹線とんび とかいうのはあまりイメージできないかもしれない。難しいもんだねえ。
しかし、その「ハヤブサ」は、ワシやタカの仲間ではなく、スズメやインコの仲間だったということがDNA研究で分かったという。
日本鳥学会は、外見などからタカやコンドルに近いとしていた猛禽(もうきん)類のハヤブサを「インコ、スズメの仲間」と変更。特別天然記念物のトキも、コウノトリ目からペリカン目に変わった。DNAの研究が進み、大きさや性格が異なる鳥たちの意外な間柄が分かってきた。
日本経済新聞 2013/03/19

ふう~~んん。

東大卒が中卒より優れているのか?

閑話休題。
この番組の企画「トンビがタカを生むにも限界ある説」の出発点は、学歴で日本最高評価とされている東大に入れる子の親もまた高学歴であろう。まさか中卒はいないだろう……というようなものだ。
「学歴バージョン」と断っているので、この企画そのものはまあ、いいとしよう。しかし、番組に登場した女子大学生の言葉に「感動した」というネット上の反応の言葉が、あまりにも「東大=すごい」を当然のことのようにとらえているのが気になった。
この女子学生の父親は高校中退なので最終学歴は中卒。
「お父さんはなんか落語家になりたかったそうです。今は全然落語家ではなくて、カメラマンやってます。自分が中卒だからこそ、結構私の勉強面を心配してくれたっていうか、『自分みたいになるんじゃないか』みたいな思いが強すぎて、『塾行かなくていいの? 大丈夫?』みたいな……」(略)「今の私があるのも親の育て方のおかげだし、多分トンビ側がタカにするかトンビにするかってのは決めてると思います」(同番組に登場した女子学生の言葉)

これに対して番組では「この娘は学歴だけでなく人格もタカ」と結論づけている。

……まあ、いいんだけど、やっぱりモヤッとしたものが残るんだよなあ。

個人的には、この学生の父親にすごく興味がある。
どんな経緯で落語家になりたいと思ったのか。今はカメラマンだそうだが、どんな仕事内容なのか(結婚式場専属で毎日記念撮影している人なのか、野生動物の写真を撮るために世界中を飛び回っているのか……?)。娘に対してはどんな思いを抱いているのか……などなど。

ネット上ではこの学生に対して様々な賞賛の声が上がったが、そんな中でも、
低学歴な親を「中卒トンビ親」ってネタにしてたからちょっと心配になったけど、うちの中卒トンビ親はひっくり返って笑ってたわ。
ぼくの親父中卒、お袋高卒、、、親父はヤンキーでした(苦笑) ただトンビとは思わねえっす! 学歴でトンビかタカかは決まらねえです。
……といった書き込みがあったのが、ホッとさせられた。

あの人もこの人も東大卒

ここから先は、東大に入りたくても入れなかった人間の僻みバイアスがかなりかかっていると思うが、ブツクサジジイになりきって書いてしまおう。
私が高校生の頃の東大は「優秀な人材が集まっている大学」というイメージだった。でも、今はだいぶ違う。
東大卒業の人たちが日本の舵取りをしているといわれる。では、国政の場での東大卒はどんな活躍をしているのかを思い浮かべると……、

複数の女性記者に「胸触っていい?」「手縛っていい?」とセクハラを繰り返していた福田淳一氏(元財務政務次官)は東京大学法学部卒。
「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」「おっぱい! おっぱい! オレは女の胸をもみたいんだ」の元経産省官僚(原子力安全・保安院保安課企画法規係長)・衆院議員(現職)の丸山穂高氏も東京大学法学部卒。
「このハゲ~!」で有名になった元厚労省官僚・元衆院議員(自民党女性局次長・青年局次長・国会対策委員会委員等、内閣府大臣政務官・東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当、文部科学大臣政務官、復興大臣政務官)の豊田真由子氏は東京大学法学部卒でハーバード大学大学院修了。
森友問題の国会答弁で嘘を突き通し、国税庁長官に出世した佐川宣寿氏は東京大学経済学部卒。
森友問題当時の財務省理財局長だった迫田英典氏(元国税庁長官)は東京大学法学部卒。
加計学園問題で、獣医学部の新設認可を早めるよう前川喜平氏(当時文科省次官)に圧力をかけたとされる和泉洋人首相補佐官は東京大学工学部卒で工学博士。(ちなみに「圧力を感じた」と和泉氏の名前を挙げた前川氏も東大法学部卒)

では、政権の最上層部にいる首相と、首相の周りをガッチリ固めている面々はというと、

  • 安倍晋三 内閣総理大臣  成蹊大学法学部卒
  • 麻生太郎 副総理/財務大臣/内閣府特命担当大臣(金融)デフレ脱却担当  学習院大学政経学部卒
  • 菅義偉 内閣官房長官  法政大学法学部卒
  • 世耕弘成 経産大臣/産業競争力・国際博覧会・ロシア経済分野協力・原子力経済被害担当内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)  早稲田大学政治経済学部卒・米国ボストン大学コミュニケーション学部大学院修了
  • 萩生田光一 自由民主党幹事長代行/前内閣官房副長官兼内閣人事局長  明治大学商学部卒

……と、東大卒ではない。
その下で実働部隊として動いている内閣官房副長官4人のうち3人は東大卒(1人は慶應大卒)。
内閣総理大臣補佐官5人のうち3人は東大卒(他の2人は大分大と成城大卒)だ。

東大卒が「タカ」だとすると、そのタカを操る者は鷹匠だが、鷹匠グループは意外と東大卒は少ないのだね。

鷹狩りのタカは、主人(ボス)に忠実に飼い慣らされ、ボスのために獲物を襲う。襲う獲物は自分よりずっと弱い生きものたちだ。
トンビはそうした主従関係、従属関係からは自由で、悠然と空を飛び、すでに死んだ生きものも嫌がらずに食べて環境の掃除をする。
どっちか選べと言われたら、もちろんトンビの生き方を選びたい。
タカに生まれたとしても、鷹狩りのタカにはなりたくない。

この入江にひとり棲む鳶ひとり舞う   金子兜太

自分では、トンビでもタカでもなく、鳴きすぎのキジかなあ……と思ってる


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