

こちらからお入りください
|
『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(たくき よしみつ・著)(2011/10/15発売 講談社 単行本)…… ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。驚愕の事実とメディアが語ろうとしない本音の提言が満載。 第1章 「いちエフ」では実際に何が起きていたのか? 第2章 国も住民も認めたくない放射能汚染の現実 第3章 「フクシマ丸裸作戦」が始まった 第4章 「奇跡の村」川内村の人間模様 第5章 裸のフクシマ かなり長いあとがき 『マリアの父親』と鐸木三郎兵衛 ■今すぐご注文できます 立ち読み版は⇒こちら |
|---|
原発運命共同体が壊す福島の和 ― 2012/02/19 14:37
原発運命共同体が壊す福島の和
俺たちは賭けに勝った……?
2つ前のトピックで「『運命共同体』という賭けに破れた人たち 」 という文章を載せた。原発を誘致した人たちは、原発誘致という賭けに負けたという意味のタイトルだったが、最近、彼らは本当に「賭け」に負けたのかどうか、疑問に思うようになっている。
立地4町の富裕層は一時的には財産を失ったし、収入基盤もなくなったかもしれない。しかし、川内村の人たちのように、事故前より実質収入が増えて、予想外の都市生活を家賃ただで始めているケースを見ていると、この人たちは万馬券を当てたのかもしれないと思えてくる。
多くの村民は仮設や借り上げ住宅を手続きして「避難中」という証明を担保した上でちょこちょこ自宅に戻っている。どっちが別荘なのか分からないが、家賃ただの都市生活をしながら、仕事をしないことで収入補償を得られる根拠としての30km圏の自宅を維持するという、新種の二地域居住をしている。
「今日はどっちに泊まるんだ?」
「今日は郡山に戻る。明日また来て草取りの続きすっから」
……村にいると、こんな会話が毎日交わされているのに出くわす。統計上は「避難中」で家に戻っていないことになっているし、それによって東電からの「避難生活等による精神的損害」補償(1人あたり月額10万円)もしっかり受け取っている人たちの会話だ。
庭の草むしりや家の周囲での畑作業は以前と同じようにしているが、田んぼは放置したまま。下手にいじると農業補償が減らされかねないという恐れからだ。
おかげで村中の田んぼは草ボウボウになった。夏にはメマツヨイグサが、秋にはセイタカアワダチソウが人の背丈ほども生えた。
この草が刈られたのは冬が迫ってからだった。村から日当が出た。自分の田んぼの草刈りをするのに日当が出たというので、ずいぶん話題になった。
作業中、マスクをしている人はほとんどいない。みんな「放射能なんて大したことねえっぺ」と高をくくっている。
村は、田んぼは荒れ果てたので今期も作付けは無理であるから全面補償をしてほしいと願い出ている。
おそらくそうなるのだろう。2年続けて農業補償。それだけなら米を普通に作って売っていたときより安いかもしれないが、ほとんどの家は兼業農家で、給与収入分は全額就労不能損害補償されているし、失業保険をもらえる人はそれももらっているから二重に補償され、仕事をしないほうがしていたときより収入増になった。
金のことだけを考えれば、彼らは賭けに負けたのではなく、勝ったのかもしれない。
福島県人同士が憎しみ合う構図
今、福島市、郡山市、いわき市などの都市部では、市民が原発立地や周辺自治体(「30km圏利権」が生じたエリア)から来ている人たちへの憎悪が激化している。県外の人たちもようやくそのことに気づき始めたようだ。都市部の市民は、放射能汚染された自宅を捨ててどこかに行きたくても補償されない。仕方なく、ものすごいストレスを抱えたまま、今日も黙々と、普通に生活している。
タクシーの運転手は客が増えた。「避難」してきている人たちが毎晩飲み屋で遊ぶから。飲み屋に呼ばれて客を乗せ、行き先を訊くと「○○の仮設住宅へ」とか、借り上げしているアパートの場所を告げられる。
3.11前、毎日うちに宅急便を届けてくれていた村の人は、郡山の借り上げ住宅に一家で避難したまま戻って来ない。代わりに、富岡やいわきで、津波で家を流された人が毎日山を越えて届けてくれていた。
事故後ひと月で再開した川内郵便局の局員には、津波で家を流されたいわき市の人もいた。
彼らは自分たちの仕事の公益性を十分に承知していて、仕事をすることが当然と思い、誇りも持っていた。
彼らのおかげで物流を確保できた村の人たちはどうしていたか……。
仕事に復帰すれば就労不能損害補償がなくなるからと、避難したまま遠巻きに村の様子を見ているだけだった。
働けば働いた分だけ補償が減らされるのだから、厳しい仕事に戻ろうなどと思うはずがない。なんとか理由をつけて「失業中」を維持しようとするだろう。そのことを非難できる人がいるだろうか。後は「恥」とか「尊厳」の問題になってくる。
郡山やいわきのパチンコ屋、飲み屋は連日繁盛している。
パチンコ屋の駐車場には、日が経つにつれ、ピカピカの新車が目立つようになった。補償金や義援金で潤った人たちが車を買い換えたからだ。
前双葉町長・岩本忠夫氏(昨年、避難先の福島市で死去)が、双葉地方原発反対同盟委員長を務めていた1972年に造られた「原発落首」(「落首」=世相を風刺した狂歌の類)を再掲したい。
このごろ双葉に流行るもの、飲み屋、下宿屋、弁当屋。
のぞき、暴行、傷害事件。汚染、被曝、ニセ発表。
飲み屋で札びら切る男、魚の出どころ聞く女。
起きたる事故は数あれど、安全、安全、鳴くおうむ。
なりふりかまわずバラまくものは、粗品、広報、放射能。
運ぶあてなき廃棄物、山積みされたる恐ろしや。
住民締め出す公聴会、非民主、非自主、非公開。
主の消えたる田や畑、減りたる出稼ぎ、増えたる被曝。
避難計画作れども、行く意志のなき非避難訓練。
不安を増したる住民に、心配するなとは恐ろしや。
原発運命共同体は賭けに負けたのだろうか? 勝ったのだろうか?
麻薬中毒は立ち直ることが難しい。
人間、みな弱い。金を目の前にぶら下げられて拒否できる人は少ない。
しかも、家と土地を見えない汚物で汚され、仕事も失っている身となれば、「こんな金はいらん。俺は仕事をする!」と宣言する意志力を持てる人は極めて少ないだろう。
「ありがとうございました。またどうぞ」
今夜も福島のどこかで、飲み屋のマスターやタクシーの運転手が、原発30km圏からの「避難者」たちにこう挨拶している。
心の中では、その客への憎しみをまたひとつ増大させて。
福島で今起きている本当のことを、日本中の人に知ってほしい。
この国は、こういう手口で我々を手懐けてきたのだということを。
そして、その手口に使われた金は、我々が仕事をして、なけなしの稼ぎから納めた税金であり、せっせと節電に協力しながらも支払わなければならない電気料金から出ているのだということを。
放射能より怖いもの……それは「フクシマ」のような惨劇を経験しながらも何の反省もなく、こうした「手口」を今もってこの国は使い続けていること。そして、国民がそれを許し続けているということだ。
「1人10万円/月」だけではない高額補償を捨ててまで帰る者などいない ― 2012/02/19 12:18
「30km圏利権」という罠
■家に帰れば補償打ち切り、仕事を再開すれば補償減額
先日、某新聞社記者から電話があって、「川内村がいち早く帰村宣言をしたが、今の気持ちと村の現状を聞かせてほしい」という。逆にその記者に、「本当のことを書けるのですか?」と訊いた。
テレビでは「除染が完全に済んでいないのに帰れない」といったことを言う「避難者」が映し出される。それを見て視聴者は「汚染された村に帰れだなんて、村長は人殺しか」などというトンチンカンなコメントをネットに書き散らす。
全然違う。
放射能汚染はもはや関係ない。最初から、村の中心部の汚染は避難先の郡山市などより低いということをここでも何度も書いている。
帰れないのは、帰ると補償金がもらえなくなるから。
非常にシンプル、かつ切実な理由からだ。
東電の「賠償金ご請求の解説」というパンフレットが僕の手元にも届いている。
そこにはこう書いてある。
避難生活等による精神的損害
1人あたり10万円/月 または 12万円/月
開始日:平成23年3月11日
終了日:賠償終期の前に帰宅された場合は、初めて帰宅された日
つまり、家に帰ればその日をもって1人あたり月10万円の賠償金が打ち切られるというのだ。
この「精神的損害賠償金」はすでに今年2月末分までは確定しているので、今も「避難している」と主張する人たちには全員120万円/年以上が支払われる。(仮払い金も含めてすでに過去の分は支払われている)
ちなみに12万円/月は、体育館などの集団避難所にいた期間について支払われる金額。仮設住宅や借り上げ住宅制度(貸し家、マンション、アパート、個人所有の別荘などを避難先として登録すると、月9万円までの家賃を出してくれる制度)が始まってもなかなか避難所を出て行こうとしなかった人たちの理由のひとつになっている。仮設や借り上げに移ると、食費光熱費がかかる上に、補償金が減らされるから移りたくない、ということだ。
この「精神的損害補償」だけで、例えば5人家族なら年600万円の支給になる。
「1人10万円/月」だけではない高額補償
これは賠償項目の1つに過ぎない。「就労不能損害」補償では、「事故がなければ得られた収入 - (事故後)実際に得た収入」の差額を支払うということになっている。つまり、仕事を再開しなければ事故前の収入が全額補償されるが、仕事を再開して少しでも収入を得るとその分は差し引くということだ。
例えば、月収40万円あった人は、原発事故のせいで仕事を失ったとして仕事につかなければ事故前の40万円という月収がまるまる補償されるが、頑張ってバイトを見つけ、月15万円稼ぐようになれば、その15万円は差し引かれる。仕事をしてもしなくても収入が変わらないと言われ、仕事をする人がどれだけいるだろうか。
ちなみに、これとは別に失業手当は出ているから、正規雇用者は二重に補償されている。
また、ほとんどの家は兼業農家だから、農業補償などの補償も加わっている。
「今年度も全面作付け禁止にしてほしい」と村のほうから願い出るのも、不労収入を減らしたくないという村民の「総意」を受けたものだ。
働いて稼いだ分だけ補償額から引くという信じがたい内容↑(クリックで拡大)
ついでに、「過去の実績給与等の証明ができない場合の賠償額」の決め方も実に奇妙だ。
3.11時点で月140時間以上勤務していて、「就労する期間が決まっていない(期間の定めがない)雇用形態」の人は15万円/月。就労する期間が決まっていた雇用形態の人は9万円/月だという。不定期就労のほうが補償額が多い。これでは、いわゆる臨時雇いやパートであっても「私は月140時間以上勤務していたが雇用期間は決まっていなかった」と申請して15万円/月を得ることになるだろう。
月140時間以下の労働時間であっても、最低補償が3万円/月もらえる。
田んぼの除染が始まると、歩くのがやっとの老人が草刈り機を手にして田んぼの脇に1日座っている光景を見たが、あれは日当をもらうための頭数増やしにかり出されたものだ。同じように、どんな内容であっても「不定期に勤労していた」と申告すれば、3万円/月が支払われるのだから、就学児以外の家族はじいさんばあさんも総動員させて「就労不能損害補償」を申請していることだろう。
精神的損害補償1人10万円/月、就労不能損害補償は3.11前の収入分の全額、失業保険は別途支給で期間も延長、たまにアルバイトしていた、あるいは近所のお手伝いで謝礼をもらっていた程度の就労実績でも申請の仕方によっては毎月定額の「就労不能損害補償」。草ぼうぼうにしている農地があればあるほど農業補償上乗せ……これだけでも、ざっと計算してみれば、総収入が1000万円/年を超える世帯が続出しているであろうことが分かる。

以前の給与証明ができない場合、不定期就労者のほうがなぜか補償額が大きいという不思議↑(クリックで拡大)
家に戻ればその時点で1人10万円/月がなくなる。仕事を再開して収入を得れば、その分賠償金が減らされる。
そんな腐った補償規定で村をシャブづけ状態にしておいて、復興だの再生だのがありえないことは明白ではないか。
補償金がもらえる間は極力何もしないでもらい続ける。それがいよいよ打ち切られたら、今度は「除染ビジネス」で金をもらう。放射性物質を含んだゴミ処分場建設でも金がいっぱい落ちそうだ。なるべく国有地ではなく、村有地や私有地を指定してもらえ……。
村の行政としても、村民が仕事をせず、村に戻らないことがいちばん高収入という今の状況を少しでも長く維持することが「村民の意志」「総意」であると認識して、そのように動いている。村長の苦悩はいかばかりか。
……取材を求めてきた記者さんにこんな話をしたところ、「う~ん、やはりそれは書けませんね。私たちが考えている内容とは違うので……」と言われた。
かくして、日本中、今日もまた「一日も早く故郷へ帰りたい」「除染を急げ、住民の願いは届くのか」みたいな的外れな記事を読み、間違った福島情報を積み重ねていく。
私は当初、東電とは闘ってきちんと賠償金をもらうつもりでいた。しかし、今はこの土俵の上に乗ることが嫌だ。
私は「緊急時避難準備区域」が解除される前から村に戻って普通に生活を再開していたが、それによって「精神的損害補償」は打ち切られたことになる。
その後、村人たちの様子がどんどんおかしくなっていくことに耐えられず、昨年末、自費で移転先を探し、今は安い中古住宅を見つけてそこに移ってきている。
川内村の自宅を失った上に、なけなしの預金をはたいての引っ越し。大変な財産損失だが、しばらくは東電への「賠償金請求」という土俵には乗らないつもりだ。今のままではシャブづけの仲間入りになってしまうからだ。
アヘン巣窟のようになってしまった村を見ているのは辛い。
放射能が怖くて帰れないのではない。人々がまともに生きる気持ちを失い、補償金の維持という一点で強く結ばれている「運命共同体」に参加したら、意味のある人生を送ることができなくなる。阿武隈で暮らす意味がない。
阿武隈の自然が壊される前に、コミュニティが──人間の心が壊されてしまった。
あそこでもう暮らすことはできないと覚悟を決めるしかない。
この悲しみと悔しさは、3.11直後のショックよりはるかに大きい。
「川内村のミミズ」記事で騒いでいる人たちへ ― 2012/02/06 16:57
線量が高いところでは土壌も汚染されたというだけの話
農水省所轄の独立行政法人である森林総合研究所の長谷川元洋主任研究員(土壌動物学)が、昨年8月下旬~9月下旬に川内村の国有林で採取した数十匹のミミズから1キロあたり約2万ベクレルの放射性セシウムが検出されたと報告したというニュースが大きく報じられている。このニュースを受けて、「そんなとんでもない汚染の村で帰村宣言とは何事か」「村長は住民の命を何だと思っているのか」といったコメントがネット上に溢れている。
この問題についていくつか確認しておきたい。
調べたのは3か所だけ
この調査の元サンプルになったミミズは、昨年8月~9月に農水省が、川内村、大玉村、只見町の3か所で杉などの木を伐採して採取したときの副産物らしい。この調査は、杉などを伐採して木の部位別(葉、枝、樹皮、辺材、心材)および林内の落ち葉などの堆積物、土壌の放射性セシウム濃度を調べることが目的とされている⇒中間報告書はこちら。
調査地点は3か所だけで、この3か所の中では川内村が第一原発に一番近い(一部は20km圏内の警戒区域)。
そのときの空間放射線量は、川内村の調査地点で3.11μSv/h、大玉村が0.33μSv/h、只見町が0.12μSv/hだったという。
ちなみにニュースでは調査したのは昨年8月下旬から9月下旬となっていたが、この報告書には8月8日~12日の5日間と書かれている。後からミミズなどを追加で採取したのかもしれないが、空間線量を計測したのはおそらくこの8月8日~12日だろう。
空間線量が高いところほど土壌汚染もひどいというだけのデータ
さて、昨年8月時点で空間線量が3μSv/hを超える場所といったら、川内村の20km圏外では極めて限られていた。思い当たるのは、大津辺山の一部あたりか。川内村といわき市との境界あたりにはホットスポットがあり、荻や志田名という地名はNHKの番組でも報じられたので有名になった。そこにある民家は川内村よりもいわき市のほうが多い。ちなみに、川内村でそのホットスポットにあった1軒は「特定避難勧奨地点」に指定された。具体的には下川内三ツ石 勝追という場所で、7月の時点で空間線量が3.2μSv/hを超えていたという。該当の家はすでに新潟県に避難していた。
こうしたホットスポットは存在していたので、おそらくそのそばの国有林か、あるいは20km圏警戒区域内の国有林だろう。
ちなみに我が家は家の両側が国有林だが、昨年8月の時点で林の中の空間線量は1μSv/h以下、家の外で0.5μSv/h程度だった。
で、森林総合研究所のミミズ調査の件だが、これは「空間線量が高い場所は土壌もそれだけ汚染されている」というデータにすぎない。サンプルは3か所だけ。空間線量が0.12μSv/hや0.33μSv/hの土地より、その10倍、30倍の線量がある土地はもっと汚染されていますよ、ということが証明されただけで、あたりまえすぎる話。
要するに、空間線量が3μSv/h程度ある森林の土壌に棲むミミズは2万ベクレル/kgくらいのセシウムを含んでいる可能性がありますよ、ということになる。
ミミズ1kgというのはあんまり想像したくない図だが、仮に体重が10gのミミズであれば、1匹あたり20ベクレル程度のセシウムを含んでいますよ、ということだ。
川内村の広さと位置関係を把握していますか?
たった3か所のサンプル採取地の1つがたまたま川内村のホットスポットだったことで、ニュースを読んだ人たちの多くは「川内村ってとんでもなく汚染された村なのだな」と思いこむ。これはまったく違う。
川内村の面積は千代田区の17倍ある。
福島第一原発を東電の品川火力発電所の位置だと仮定すると、警戒区域の20km境界線は横浜市の緑区役所あたり。村の中心部はそこから数km離れているだけだが、空間線量は柏市のホットスポットなどより低い。
モリアオガエル繁殖地として国の特別天然記念物指定を受けている平伏沼(へぶすぬま)は第一原発から29kmほど離れているが、上の品川火力発電所からの位置に喩えるなら、横浜市を通り越して大和市市役所あたりに該当する。ここは今でも1μSv/h前後あり、第一原発に近い村の中心部よりずっと線量が高い。
もし、森林総合研究所が調査した地点が下川内のホットスポットに近い森の中だとすれば、品川火力発電所からの位置だと、横浜市緑区の鴨居あたりだろうか。
首都圏の人に思い描いてほしいのは、もしも品川火力発電所の位置に福島第一原発があったとすれば、横浜市緑区の住民も大和市の住民もみんな川内村の住民に該当するということ。で、緑区でも緑区役所周辺の人は0.2~0.3μSv/hだから、かなり安全な場所だけれど、鴨居に住んでいる人は3μSv/h以上の線量ホットスポットになってしまい、避難しなければならないということだ。
今回の「川内村のミミズからセシウムが2万ベクレル/kg」というニュースに反応して「川内村は汚染されている。そこに暮らすなんてとんでもない」と主張する人たちに知ってほしいのは、その主張は、「横浜市緑区鴨居の杉林のミミズから高濃度のセシウムが検出された⇒こんなところに住んでいるのはとんでもない⇒東京都内はもちろん、神奈川県も全部避難しろ」……というようなスケールの話だということだ。
こんな風に、ホットスポットの存在やまだら状に汚染された状況は複雑で、千代田区の17倍の土地に家が千戸もない川内村を地理的にひとくくりにして「危険な村」と把握してもらっても困るのだ。
川内村の中心部(役場の周辺。小学校や中学校もこのへんに集まっている)では、昨年8月時点での空間線量はせいぜい0.2μSv/h~0.3μSv/h程度だった。川内小学校のグラウンドやウッドデッキの上で、僕は実際に線量を計ってもみたが、そのとき川内小学校が間借りしていた郡山市の小学校よりずっと線量は低かった。川内小学校の子供たちは、母校よりずっと汚染がひどい小学校に通わされていたことも知っておいてほしい。

↑東電品川火力発電所の位置に福島第一原発があったとすると、川内村の位置はこんな感じ
この調査発表の真意は?
森林総合研究所が去年発表した中間報告書では、杉の葉と落ち葉に高い濃度のセシウムが付着していると報告している。
これもまあ、あたりまえのことで、杉のような常緑樹では上から降ってきた放射性物質は、あの細かなブラシ状の葉に多く絡め取られるだろうし、それをすり抜けた分は地表に落ちるのだから、そこにすでに落ちていた落ち葉に付くのも当然すぎる結果だ。
ただ、勘違いしてはいけないのは、この調査時点での「落ち葉」というのは、前年に落ちた葉であって、4月以降に芽吹いた新緑ではないということだ。
だから、事故後の冬に落ちた落ち葉にはほとんど放射性物質は付着していないはずで、むしろその「新しい落ち葉」は、すでに地表に積もっていた放射性物質の上に被さって、放射線を遮蔽し、放射性物質の再拡散(粒子として飛び散る)を防ぐ働きをしているはずだ。
であれば、無理にこの「新しい落ち葉」をかき集めるのは、放射性物質の再拡散を促すだけではないかということも考えられる。
それでも、この報告を鵜呑みにした人たちは「森を除染しなければ除染は完了しない。いつまでも森から放射性物質が流れ出して、里の人々の健康や農地を脅かす」と言いたいのだろう。
はっきり言おう。
汚染された土地から出て行ける人、出たいと思う人は出たほうがいい。そうした人たちへ移転費用を出すのはあたりまえである。
しかし、それでは原発利権を築いてきた連中が「儲からない」のだ。
除染という名目であれば、巨額の税金を投入できる。その新たな「公共事業」で利権が生じて、原発で儲けた企業や、原発を推進してきた官僚たちも安泰である。事実、政府から除染を請け負っているのは「もんじゅ」を運営している原子力機構(独立行政法人日本原子力研究開発機構)だ。
原子力機構が除染ビジネスを仕切って、原発建設をしてきたゼネコンなどに新たな事業を丸投げし(当然、「中抜き」はして)、ゼネコンなどの原発関連企業が原発立地の建設会社、土建会社などに下請けさせ、そこからさらに、原発に「人夫出し」をしていた地元の有力者たちがおこぼれにあずかる。
原発を推進してきたときとまったく同じ構図が、すでにできあがって、動いている。もう誰にも止められない勢いだ。
森林の除染などという、できるはずのないこと、意味のないことに莫大な税金を注ぎ込むような愚かなことは許されない。そんな金があるなら、汚染された土地から移住したいと思う人たちへの援助や、汚染が低かった土地での産業や文化の再構築といった、人間と自然を守る方向に使うべきだ。
川内村の低汚染地域について言えば、帰村宣言というよりは、外から新たに志を持った熟年世代、農業者を呼び込むくらいの政策を打ち出してほしかった。
しかし、すでに除染、除染で動き始めてしまった村に、僕自身、安心して住んではいられないし(内部被曝のリスクは除染作業が盛んになるにつれ上がるだろう)、ましてや村の外から人を呼び入れて村の再建を……ということもできない。今の状況では無責任すぎるからだ。
すでに阿武隈の友人たちのほとんどは、新天地を求めて北海道、岡山、佐渡、長野、山形……と、散り散りになっていった。
今の僕は、遠くへ行ってしまった友人たちとはネットワークが途切れないようにし、移転先を探している友人たちには知りうる限りの物件情報を提供し、村に残って頑張っている友人たちには、今回のようなバカげた誤解情報が拡散しないよう、日本中の人に事実を知ってもらう努力をしている。
帰村宣言は人殺しだ、などというお門違いなことを叫ぶ人たちに言いたい。問題はそんなに単純ではない。本当の悪はそんなところにはない。
原発推進と同じ手口で騙され続けてはいけない。
「運命共同体」という賭けに破れた人たち ― 2012/02/02 11:56
「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です。 地域開発は、まさにこの偉大な自然の中で、これを活用し、人間の生命と生活が保護されるという状態で進められることが大切です。
しかし、今まで現実に進められてきた開発行政は、一般住民の生活基盤の整備が放置されたままに、大企業の立地条件がすべてバラ色に装飾された図式のもとで、至るところ、企業の誘致合戦が展開されてきました。
人間が生きていくことに望ましい環境を作り、それを保持することが、今日最大の必須条件ですが、現実にはこれが尊重されず、企業本位の開発進行がなされてきたために、人間の命が軽視され、公害が発生しました」
↑これは1971年に初めて県会議員に当選した岩本忠夫氏が、最初の県議会の質問に立ち、原発問題について切りだした冒頭の言葉だ。彼は「双葉地方原発反対同盟」の委員長でもあった。
「(東京電力と)長いつきあいをしてきたと言うことで、原子力発電所それ自体についても、その中で自分も生きてきたと思っているのです。ですから、単に原子力発電所との共生をしてきた、共生していくということだけではなくて、運命共同体という姿になっていると実は思っています。
いかなるときにも、原子力には期待もし、そこに『大きな賭け』をしている。『間違ってはならない賭け』をこれからも続けていきたい。
私はどのようなことがあっても、原子力発電の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています」
↑これは双葉町の前町長・岩本忠夫氏が、2003年、社団法人原子燃料政策研究会の会報『プルトニウム』42号でのインタビューに答えたときの言葉。
……同じ人物である。
原発推進に転向した岩本氏は、5期20年にわたって双葉町の町長であり続けた。
当時の福島県知事佐藤栄佐久氏は、2001年頃から徐々に原発推進政策に疑問を抱き、見直しを打ち出していた。
そんな中、2002年8月には、東京電力が原発の保守点検などに関するデータを改竄していたことが発覚。
きっかけは2000年7月に、福島第一原発の設計をしたアメリカのゼネラル・エレクトリック社系列の技術者が、通産省(現経済産業省)に告発文を実名で送ったこと。しかし、国はこれを2年間も見て見ぬ振りをして、真相解明の努力をしなかった。他にも、原発内部で働く人たちからの内部告発を、保安院は告発者の名前までつけて東電にそのまま伝えた上で、自分たちは独自調査さえしなかった。
佐藤栄佐久県知事(当時)の国と東電への不信感はピークに達し、福島第一原発のプルサーマル計画は白紙撤回に追い込み、2003年4月には、東京電力の原発すべてが停止するという事態になった。
上に紹介した岩本町長へのインタビューが行われたのは、まさにこの直後、2003年夏のことだ。
こうした事態になっても、岩本町長は町長として原発誘致に町の命運をかけることに疑いを抱いていないと言いきっている。実際、双葉町は福島第一原発に7号機、8号機を増設してくれと要望し続けていた。
それを指して、佐藤栄佐久前県知事は「原発は麻薬のようなもの。一度手を出したら抜けられず、もっともっとと欲しがる中毒患者になる」と言っている。
元反原発運動のリーダーが、「地元の民意なら」と、考えを変えて、「運命共同体」として間違ってはならない賭けをした。
その結果、町長と町民は「賭け」に負けたのだ。原発は、地元双葉町だけでなく、日本の「山と水と森」を徹底的に汚染した。
かつて岩本氏が「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です」と訴えた、その自然を。
このような「運命共同体」を元に戻してはいけない。解体させてやり直すしかない。
つまり、「元通りの福島」に戻してはいけないのだ。
しかし、「双葉郡」でそれを口にすることは、今まで以上のタブーになっている。「原発運命共同体」は、補償金獲得や除染ビジネス利権を通じて結びつきを強めている。原発に代わる麻薬を探している。そのことから目をそらして復興だの除染だのと報じるメディアは、国民に、問題の根源が何かを見誤らせている。
岩本氏は、3.11直後に南相馬市の避難所に避難。その後は認知症が進み、3月末に福島市のアパートに移ってからは、「ここはどこだ」「家に帰っぺ」とうわごとのように繰り返すようになっていたという。
原発が高濃度の放射性物質をまき散らした4か月後の2011年7月15日早朝、死去。
しかし、今まで現実に進められてきた開発行政は、一般住民の生活基盤の整備が放置されたままに、大企業の立地条件がすべてバラ色に装飾された図式のもとで、至るところ、企業の誘致合戦が展開されてきました。
人間が生きていくことに望ましい環境を作り、それを保持することが、今日最大の必須条件ですが、現実にはこれが尊重されず、企業本位の開発進行がなされてきたために、人間の命が軽視され、公害が発生しました」
↑これは1971年に初めて県会議員に当選した岩本忠夫氏が、最初の県議会の質問に立ち、原発問題について切りだした冒頭の言葉だ。彼は「双葉地方原発反対同盟」の委員長でもあった。
「(東京電力と)長いつきあいをしてきたと言うことで、原子力発電所それ自体についても、その中で自分も生きてきたと思っているのです。ですから、単に原子力発電所との共生をしてきた、共生していくということだけではなくて、運命共同体という姿になっていると実は思っています。
いかなるときにも、原子力には期待もし、そこに『大きな賭け』をしている。『間違ってはならない賭け』をこれからも続けていきたい。
私はどのようなことがあっても、原子力発電の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています」
↑これは双葉町の前町長・岩本忠夫氏が、2003年、社団法人原子燃料政策研究会の会報『プルトニウム』42号でのインタビューに答えたときの言葉。
……同じ人物である。
原発推進に転向した岩本氏は、5期20年にわたって双葉町の町長であり続けた。
当時の福島県知事佐藤栄佐久氏は、2001年頃から徐々に原発推進政策に疑問を抱き、見直しを打ち出していた。
そんな中、2002年8月には、東京電力が原発の保守点検などに関するデータを改竄していたことが発覚。
きっかけは2000年7月に、福島第一原発の設計をしたアメリカのゼネラル・エレクトリック社系列の技術者が、通産省(現経済産業省)に告発文を実名で送ったこと。しかし、国はこれを2年間も見て見ぬ振りをして、真相解明の努力をしなかった。他にも、原発内部で働く人たちからの内部告発を、保安院は告発者の名前までつけて東電にそのまま伝えた上で、自分たちは独自調査さえしなかった。
佐藤栄佐久県知事(当時)の国と東電への不信感はピークに達し、福島第一原発のプルサーマル計画は白紙撤回に追い込み、2003年4月には、東京電力の原発すべてが停止するという事態になった。
上に紹介した岩本町長へのインタビューが行われたのは、まさにこの直後、2003年夏のことだ。
こうした事態になっても、岩本町長は町長として原発誘致に町の命運をかけることに疑いを抱いていないと言いきっている。実際、双葉町は福島第一原発に7号機、8号機を増設してくれと要望し続けていた。
それを指して、佐藤栄佐久前県知事は「原発は麻薬のようなもの。一度手を出したら抜けられず、もっともっとと欲しがる中毒患者になる」と言っている。
元反原発運動のリーダーが、「地元の民意なら」と、考えを変えて、「運命共同体」として間違ってはならない賭けをした。
その結果、町長と町民は「賭け」に負けたのだ。原発は、地元双葉町だけでなく、日本の「山と水と森」を徹底的に汚染した。
かつて岩本氏が「山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件です」と訴えた、その自然を。
このような「運命共同体」を元に戻してはいけない。解体させてやり直すしかない。
つまり、「元通りの福島」に戻してはいけないのだ。
しかし、「双葉郡」でそれを口にすることは、今まで以上のタブーになっている。「原発運命共同体」は、補償金獲得や除染ビジネス利権を通じて結びつきを強めている。原発に代わる麻薬を探している。そのことから目をそらして復興だの除染だのと報じるメディアは、国民に、問題の根源が何かを見誤らせている。
岩本氏は、3.11直後に南相馬市の避難所に避難。その後は認知症が進み、3月末に福島市のアパートに移ってからは、「ここはどこだ」「家に帰っぺ」とうわごとのように繰り返すようになっていたという。
原発が高濃度の放射性物質をまき散らした4か月後の2011年7月15日早朝、死去。
代替エネルギーなどというものはない ― 2012/01/04 22:29
■元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに…… (3)
(←承前)
「代替エネルギー」なんてものはない
討論の最後には、今後のエネルギー政策をどうするのかというテーマが予定されていた。
これはものすごくストレスを感じるテーマで、この番組では到底まともには議論できないだろうと思っていた。
討論案にはこう書かれている。
それぞれに対する僕なりの見解を書いてみる。
「民主党政権のホンネ」なんてものはない。
なぜなら政党構成員があまりにも未熟で、エネルギー問題に対応できる力がないからだ。
これは自民党も同じなのだが、自民党には民主党よりも利権屋が圧倒的に多く、エネルギーコストとか環境負荷なんかどうでもいいから、儲かるような仕組みを作っていこう、という輩が主導権を握っていた。
民主党はトップにそれだけの悪知恵さえない。だから簡単に騙され、CO2大幅削減とか、「再生可能エネルギー」高額全量買い取りだとか、亡国の政策を正義の御旗のもとに振りかざし、その後、事実が少しずつ分かってきても引っ込みがつかなくなり、ぐずぐずになる。
政治家がどのくらい程度が低いかという例として、『裸のフクシマ』では、昨年5月末に結成された(正確にはずいぶん昔に話が持ち上がったままになっていたグループが「再結成」したということらしい)「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」のメンバーというのをここに記しておく。
たちあがれ日本:
平沼赳夫(会長)、中山恭子
自民党:
谷垣禎一、安倍晋三、山本有二、森喜朗(以上顧問)、山本拓(事務局長)、塩崎恭久、高市早苗
民主党:
鳩山由紀夫、渡部恒三、羽田孜、石井一(以上顧問)
国民新党:
亀井静香(顧問)
よ~く名前を覚えておこう。この人たちは未だに、原発は地下に作れば安全だなどというとぼけたことを真面目に主張しているのである。驚くべき話ではないか。
「今回の福島第一原発の1?4号機の事故ですが、仮に地下に立地していたのなら、地震には絶対強いです。そして、津波も取水口を封鎖してしまえばいいので、問題ありません。仮に地下でメルトスルーが起きても、中に(放射性物質を)閉じ込めることができるので、外には漏れません。それで、ロボットを使って作業をすると。そうすれば、今の福島のように宇宙服を着た作業員が、危険な作業をするということを避けることができます」(山本拓・自民党衆院議員 福井選出)
こういう人たちが日本の政治を動かしているのだ。
ちなみにこの会が昨年7月7日に開いた第二回の勉強会では、会場を震撼させるようなシーンがあったという。
// 会場の空気が凍りついたのは、「原子炉等が想定外の破損事故を起こしても、原子力施設周辺住民に放射線による被害を及ぼさない地下式原子力発電所について」と題して講演した京都大学名誉教授の大西有三氏(地盤工学)が質問を受けた時のことだ。参加議員に国際社会で「核燃料サイクルはどう変わっているか」と問われた際、「核燃料サイクルと言いますと?」と聞き返したのだ。質問議員が慌てて「プルトニウムを取り出してもう一度使うシステム」だと逆に答えると、「私はちょっとあの……我々がやっているのは一番最後に再処理して残った、これ以上は使えない処理です」という珍問答となった。(「核燃料サイクルを知らない専門家 地下原発議連、2回目の勉強会」 週刊金曜日7月15日号 まさのあつこ氏の記事より)//
お笑い作家でもこんな間抜けなやりとりは考えつかない。
……これが政治家の実態だ。
彼らにエネルギー問題を考える能力などあるはずがない。
次に言いたいのは、再生(可能)エネルギーなどというものは存在しないということだ。
エネルギーの総和は一定だし(質量保存の法則~熱力学第1法則)、エネルギーを利用すれば必ず廃物・排熱が出て、それは増える一方で減らせない(エントロピー増大の法則~熱力学第2法則)のだから。
まだ「自然エネルギー」という名称のほうがマシだが、世の中には自然ではないエネルギーというものはない。地球が得ているエネルギーはすべて太陽光由来のものだからだ。
化石燃料は太陽光エネルギーが形を変えて缶詰のように地下に貯蓄されたものだ。エントロピーが低く、とても利用しやすい。今、人類はその貯金を惜しげもなく使い続けている。そこが問題なのだ。
これに対して、原子力は異質で、自然由来のエネルギーとは言いきれないし、自然環境の中に渡して、地球の循環機構により処理することもできない。だからこそ「使えない」「使ってはいけない」と判断しなければいけないのに、処理できないまま、俺たちが生きている間はなんとかなるだろうと無責任に使い始めたことで悲劇が起きた。
で、そういう定義の問題は置いておくとして、風力や太陽光発電で化石燃料(を燃焼することによるエネルギー利用)を代替できるかと言えば、できるはずがない。化石燃料がゼロになれば風車も太陽電池も作れないのだから。
風力発電や太陽光発電が作りだすものは電力だけであって、地下資源のような原材料に相当するものは何も生み出さない。
発電の話に限って言っても、発電コストが高いというのはそれだけ石油などの資源を使うから高いのであって、実に単純な話なのだ。
このへんの話は、『裸のフクシマ』の最後のほうに書いたので、これ以上は繰り返さないでおこう。
もしかしてその議論になるかな、と思い、最低限用意しておいた資料を示しておく。
ひとつは、Googleで「風力発電 解列」というキーワードで検索すると上位に出てくる「風力発電機解列枠の検討について」という経産省が出している資料。
「解列」という言葉は耳慣れないかもしれないが、要するに「外す」「つながない」ということだ。
風力発電からの電力はあまりにも乱高下が激しく、送電系統を乱すため、送電系にその乱れを呑み込む余力がない(つまり、電力消費が少なく、少ない電力量しか流れていない)ときには、停電を避けるために風力発電からの電気を外す(止める)ということだ。これを「解列」という。
ここにはこう解説されている。
風力発電は,自然条件により出力が変動することから,電力系統への連系量が増大した場合,当該地域内の電力需給バランスが損なわれる可能性があります。
従って,風力発電機の連系に伴う周波数変動を抑えつつ,風力発電の導入拡大をしていく方策の一つとして,出力変動に対応する調整力が不足する時間帯に風力発電機の解列を条件に,新たな風力発電機の系統連系を募集するものです。
国は風力発電を増やせと言っているが、あんな不安定なものをつないだら停電の恐れが出てくる。
しかし、それでも増やせと言うのだから、送電系が対応できそうもない時間帯には最初から風力発電の電気を除外してしまう(外してしまう)ということにすればいい。大量の電気を消費しているときは、風力以外の発電からの電気がたくさん来ているので、そこにちょっとくらい風力からの変動の大きな電気が混じっても、誤差の範囲で対応できる。そういうことにすれば、風力発電はもう少し増やせますよ、と言っているのだ。
これがどれだけバカげた話か、普通の思考力の持ち主なら分かるだろう。
もともと大した発電量が期待できない風力発電だが、夜間などの電力消費が少ない時間帯に風力発電をつなぐと変動によって送電系が対応できず、停電してしまうから、恐ろしくて使えないと言っているのだ。
ちなみに、この「停電」は、電気が足りないから停電するのではなく、需要量変化に供給量を調整しきれずに送電系の機能が止まってしまうことで起きる。
ちなみに、2006年に欧州全域で発生した大停電では、風力発電が(1)非意図的に一斉解列し周波数低下を招き、(2)さらにその後自動再連係したことで出力調整に困難をきたした、と報告されている(電力系統研究会2007)。
『裸のフクシマ』にも示したが、横浜市が運営している1980kwのウィンドタービン「ハマウィング」の一日における発電変動量をグラフに表したものが最初に示した図である。
突出している時間帯でも定格出力の半分にも達しておらず、しかもその時間帯は真夜中だ。
風力発電推進派の人たちが書く文章には、「設備容量」という言葉が頻出する。
これは、どれだけの電力を発電する能力があるかという意味だが、風力発電の場合、最適な風が吹いた時間だけその発電能力を得られる。それより少しでも強ければ、危険だから止めてしまうし、少しでも風が弱くなれば、極端に発電量は落ちていく。結果として、「設備容量」の数字など意味がない。実際にどれだけ発電し、それによってどれだけの化石燃料が節約できたのかというデータを示さない限り、風力発電や太陽光発電が省資源に寄与したことにはならないが、そういうデータはおろか、もっと基本的な、実質発電量のデータさえ風力発電事業者は出してこない。
中国の風力発電に至っては、
世界風力エネルギー協会(GWEC)が2011年4月に発表した世界の風力発電集計によると、中国では昨年1年間で1890万kWの風力発電所が新設され、2010年末時点で合計設備容量は4470万kWに達した。
一方、国家電網公司が4月に公表した「風力発電白書」(「国家電網公司促進風電発展白皮書」)によると、2010年末時点で送電網に接続された風力発電所の合計設備容量は2956万kW。つまり、単純に計算すれば、1514万kWが送電網に接続されていないことになる。
建てただけで、1/3以上の風力発電施設は送電網に接続さえされていない、つまり建っているだけ、という信じがたいことになっている。
これは中国だけの事情ではなく、実は日本でも似たようなものだ。さすがにつないではあるが、解列は頻繁に起きて発電した電気を流していないし、故障や風況不良でまともに発電していないウィンドタービンがたくさんある。コストが合わない(直すとますます赤字になる)ために、事実上修理を断念されているものもある。
設備容量の数字がいかに虚しく、意味がないか、このことからもはっきり分かるだろう。
送発電分離については、是か非か、僕はまだ分からない。
分離しなければ電力会社の地域独占が絶対に解消できないのであればするしかないのではないかと思う。
しかし、送電網配備や電力分配というのは、究極の技術と合理性、コストパフォーマンスの追求が必要な事業だ。競争原理を導入することでそれが進むのならいいが、かえって無駄が出る、不安定要素を増やすのではないかという懸念もある。
本来なら、こういう事業こそ水道事業のように公営にして、国民がしっかり無駄遣いを監視しながら運営することが望ましい。ところが、役人は知恵を働かせてずるをする。無駄を行って私腹を肥やすテクニックばかり追求しているので、結果的に無駄だらけになる。そんなことなら民営化したほうがいい、となり、民営化すると、今度は正常な競争ではなく、国が補助金や許認可権を巡ってどんどん利権構造を作ってしまい、さらにひどいことになっていく……。
原子力ムラはまさにその最たるものだった。
だから、まずは送発電分離よりも前に、10電力会社の独占をどう解消するか、電力事業独占による利権構造をどう解体し、効率的な電力事業運営を組み直せるかという問題をクリアすべきだろう。その方法論の中で、送発電分離も論じられていくはずだ。
現時点では、どっちが完全に正しい、と言うだけの根拠を僕は持ち合わせていない。
省エネの可能性……これはもう、とてつもなくある。
ただし、省エネ製品に買い換えることがいいことだという単純な話にはならない。まだ使えるものをつぶして(ゴミにして)、省エネ新製品を導入したことで、トータルのエネルギー消費は増えることはいくらでもある。
そのへん、どこまで正直に、理想を掲げて産業が進んでいくのか、という問題だろう。
安易に補助金を注ぎ込むことで、この計算が分かりにくくなり、結果的にエネルギー浪費につながることはいくらでもありえる。
こうして書いていくと、結局最後は、各現場の人間がどこまで正直になれるか、タブーをなくして実力を発揮できる職場を保てるか、ということにつきるような気がする。
大量生産、大量消費による金のやりとりという尺度で幸福度や国の序列が決まるという考え方を一掃しない限り、絶対に問題は解決しない。
(←承前)
「代替エネルギー」なんてものはない
討論の最後には、今後のエネルギー政策をどうするのかというテーマが予定されていた。
これはものすごくストレスを感じるテーマで、この番組では到底まともには議論できないだろうと思っていた。
- 民主党政権のホンネとは?
- 再生エネルギーで代替可能か?
- 送発電分離のメリット、デメリット
- 省エネの可能性とは?
討論案にはこう書かれている。
それぞれに対する僕なりの見解を書いてみる。
「民主党政権のホンネ」なんてものはない。
なぜなら政党構成員があまりにも未熟で、エネルギー問題に対応できる力がないからだ。
これは自民党も同じなのだが、自民党には民主党よりも利権屋が圧倒的に多く、エネルギーコストとか環境負荷なんかどうでもいいから、儲かるような仕組みを作っていこう、という輩が主導権を握っていた。
民主党はトップにそれだけの悪知恵さえない。だから簡単に騙され、CO2大幅削減とか、「再生可能エネルギー」高額全量買い取りだとか、亡国の政策を正義の御旗のもとに振りかざし、その後、事実が少しずつ分かってきても引っ込みがつかなくなり、ぐずぐずになる。
政治家がどのくらい程度が低いかという例として、『裸のフクシマ』では、昨年5月末に結成された(正確にはずいぶん昔に話が持ち上がったままになっていたグループが「再結成」したということらしい)「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」のメンバーというのをここに記しておく。
たちあがれ日本:
平沼赳夫(会長)、中山恭子
自民党:
谷垣禎一、安倍晋三、山本有二、森喜朗(以上顧問)、山本拓(事務局長)、塩崎恭久、高市早苗
民主党:
鳩山由紀夫、渡部恒三、羽田孜、石井一(以上顧問)
国民新党:
亀井静香(顧問)
よ~く名前を覚えておこう。この人たちは未だに、原発は地下に作れば安全だなどというとぼけたことを真面目に主張しているのである。驚くべき話ではないか。
「今回の福島第一原発の1?4号機の事故ですが、仮に地下に立地していたのなら、地震には絶対強いです。そして、津波も取水口を封鎖してしまえばいいので、問題ありません。仮に地下でメルトスルーが起きても、中に(放射性物質を)閉じ込めることができるので、外には漏れません。それで、ロボットを使って作業をすると。そうすれば、今の福島のように宇宙服を着た作業員が、危険な作業をするということを避けることができます」(山本拓・自民党衆院議員 福井選出)
こういう人たちが日本の政治を動かしているのだ。
ちなみにこの会が昨年7月7日に開いた第二回の勉強会では、会場を震撼させるようなシーンがあったという。
// 会場の空気が凍りついたのは、「原子炉等が想定外の破損事故を起こしても、原子力施設周辺住民に放射線による被害を及ぼさない地下式原子力発電所について」と題して講演した京都大学名誉教授の大西有三氏(地盤工学)が質問を受けた時のことだ。参加議員に国際社会で「核燃料サイクルはどう変わっているか」と問われた際、「核燃料サイクルと言いますと?」と聞き返したのだ。質問議員が慌てて「プルトニウムを取り出してもう一度使うシステム」だと逆に答えると、「私はちょっとあの……我々がやっているのは一番最後に再処理して残った、これ以上は使えない処理です」という珍問答となった。(「核燃料サイクルを知らない専門家 地下原発議連、2回目の勉強会」 週刊金曜日7月15日号 まさのあつこ氏の記事より)//
お笑い作家でもこんな間抜けなやりとりは考えつかない。
……これが政治家の実態だ。
彼らにエネルギー問題を考える能力などあるはずがない。
次に言いたいのは、再生(可能)エネルギーなどというものは存在しないということだ。
エネルギーの総和は一定だし(質量保存の法則~熱力学第1法則)、エネルギーを利用すれば必ず廃物・排熱が出て、それは増える一方で減らせない(エントロピー増大の法則~熱力学第2法則)のだから。
まだ「自然エネルギー」という名称のほうがマシだが、世の中には自然ではないエネルギーというものはない。地球が得ているエネルギーはすべて太陽光由来のものだからだ。
化石燃料は太陽光エネルギーが形を変えて缶詰のように地下に貯蓄されたものだ。エントロピーが低く、とても利用しやすい。今、人類はその貯金を惜しげもなく使い続けている。そこが問題なのだ。
これに対して、原子力は異質で、自然由来のエネルギーとは言いきれないし、自然環境の中に渡して、地球の循環機構により処理することもできない。だからこそ「使えない」「使ってはいけない」と判断しなければいけないのに、処理できないまま、俺たちが生きている間はなんとかなるだろうと無責任に使い始めたことで悲劇が起きた。
で、そういう定義の問題は置いておくとして、風力や太陽光発電で化石燃料(を燃焼することによるエネルギー利用)を代替できるかと言えば、できるはずがない。化石燃料がゼロになれば風車も太陽電池も作れないのだから。
風力発電や太陽光発電が作りだすものは電力だけであって、地下資源のような原材料に相当するものは何も生み出さない。
発電の話に限って言っても、発電コストが高いというのはそれだけ石油などの資源を使うから高いのであって、実に単純な話なのだ。
このへんの話は、『裸のフクシマ』の最後のほうに書いたので、これ以上は繰り返さないでおこう。
もしかしてその議論になるかな、と思い、最低限用意しておいた資料を示しておく。
ひとつは、Googleで「風力発電 解列」というキーワードで検索すると上位に出てくる「風力発電機解列枠の検討について」という経産省が出している資料。
「解列」という言葉は耳慣れないかもしれないが、要するに「外す」「つながない」ということだ。
風力発電からの電力はあまりにも乱高下が激しく、送電系統を乱すため、送電系にその乱れを呑み込む余力がない(つまり、電力消費が少なく、少ない電力量しか流れていない)ときには、停電を避けるために風力発電からの電気を外す(止める)ということだ。これを「解列」という。
ここにはこう解説されている。
風力発電は,自然条件により出力が変動することから,電力系統への連系量が増大した場合,当該地域内の電力需給バランスが損なわれる可能性があります。
従って,風力発電機の連系に伴う周波数変動を抑えつつ,風力発電の導入拡大をしていく方策の一つとして,出力変動に対応する調整力が不足する時間帯に風力発電機の解列を条件に,新たな風力発電機の系統連系を募集するものです。
国は風力発電を増やせと言っているが、あんな不安定なものをつないだら停電の恐れが出てくる。
しかし、それでも増やせと言うのだから、送電系が対応できそうもない時間帯には最初から風力発電の電気を除外してしまう(外してしまう)ということにすればいい。大量の電気を消費しているときは、風力以外の発電からの電気がたくさん来ているので、そこにちょっとくらい風力からの変動の大きな電気が混じっても、誤差の範囲で対応できる。そういうことにすれば、風力発電はもう少し増やせますよ、と言っているのだ。
これがどれだけバカげた話か、普通の思考力の持ち主なら分かるだろう。
もともと大した発電量が期待できない風力発電だが、夜間などの電力消費が少ない時間帯に風力発電をつなぐと変動によって送電系が対応できず、停電してしまうから、恐ろしくて使えないと言っているのだ。
ちなみに、この「停電」は、電気が足りないから停電するのではなく、需要量変化に供給量を調整しきれずに送電系の機能が止まってしまうことで起きる。
ちなみに、2006年に欧州全域で発生した大停電では、風力発電が(1)非意図的に一斉解列し周波数低下を招き、(2)さらにその後自動再連係したことで出力調整に困難をきたした、と報告されている(電力系統研究会2007)。
『裸のフクシマ』にも示したが、横浜市が運営している1980kwのウィンドタービン「ハマウィング」の一日における発電変動量をグラフに表したものが最初に示した図である。
突出している時間帯でも定格出力の半分にも達しておらず、しかもその時間帯は真夜中だ。
風力発電推進派の人たちが書く文章には、「設備容量」という言葉が頻出する。
これは、どれだけの電力を発電する能力があるかという意味だが、風力発電の場合、最適な風が吹いた時間だけその発電能力を得られる。それより少しでも強ければ、危険だから止めてしまうし、少しでも風が弱くなれば、極端に発電量は落ちていく。結果として、「設備容量」の数字など意味がない。実際にどれだけ発電し、それによってどれだけの化石燃料が節約できたのかというデータを示さない限り、風力発電や太陽光発電が省資源に寄与したことにはならないが、そういうデータはおろか、もっと基本的な、実質発電量のデータさえ風力発電事業者は出してこない。
中国の風力発電に至っては、
世界風力エネルギー協会(GWEC)が2011年4月に発表した世界の風力発電集計によると、中国では昨年1年間で1890万kWの風力発電所が新設され、2010年末時点で合計設備容量は4470万kWに達した。
一方、国家電網公司が4月に公表した「風力発電白書」(「国家電網公司促進風電発展白皮書」)によると、2010年末時点で送電網に接続された風力発電所の合計設備容量は2956万kW。つまり、単純に計算すれば、1514万kWが送電網に接続されていないことになる。
建てただけで、1/3以上の風力発電施設は送電網に接続さえされていない、つまり建っているだけ、という信じがたいことになっている。
これは中国だけの事情ではなく、実は日本でも似たようなものだ。さすがにつないではあるが、解列は頻繁に起きて発電した電気を流していないし、故障や風況不良でまともに発電していないウィンドタービンがたくさんある。コストが合わない(直すとますます赤字になる)ために、事実上修理を断念されているものもある。
設備容量の数字がいかに虚しく、意味がないか、このことからもはっきり分かるだろう。
送発電分離については、是か非か、僕はまだ分からない。
分離しなければ電力会社の地域独占が絶対に解消できないのであればするしかないのではないかと思う。
しかし、送電網配備や電力分配というのは、究極の技術と合理性、コストパフォーマンスの追求が必要な事業だ。競争原理を導入することでそれが進むのならいいが、かえって無駄が出る、不安定要素を増やすのではないかという懸念もある。
本来なら、こういう事業こそ水道事業のように公営にして、国民がしっかり無駄遣いを監視しながら運営することが望ましい。ところが、役人は知恵を働かせてずるをする。無駄を行って私腹を肥やすテクニックばかり追求しているので、結果的に無駄だらけになる。そんなことなら民営化したほうがいい、となり、民営化すると、今度は正常な競争ではなく、国が補助金や許認可権を巡ってどんどん利権構造を作ってしまい、さらにひどいことになっていく……。
原子力ムラはまさにその最たるものだった。
だから、まずは送発電分離よりも前に、10電力会社の独占をどう解消するか、電力事業独占による利権構造をどう解体し、効率的な電力事業運営を組み直せるかという問題をクリアすべきだろう。その方法論の中で、送発電分離も論じられていくはずだ。
現時点では、どっちが完全に正しい、と言うだけの根拠を僕は持ち合わせていない。
省エネの可能性……これはもう、とてつもなくある。
ただし、省エネ製品に買い換えることがいいことだという単純な話にはならない。まだ使えるものをつぶして(ゴミにして)、省エネ新製品を導入したことで、トータルのエネルギー消費は増えることはいくらでもある。
そのへん、どこまで正直に、理想を掲げて産業が進んでいくのか、という問題だろう。
安易に補助金を注ぎ込むことで、この計算が分かりにくくなり、結果的にエネルギー浪費につながることはいくらでもありえる。
こうして書いていくと、結局最後は、各現場の人間がどこまで正直になれるか、タブーをなくして実力を発揮できる職場を保てるか、ということにつきるような気がする。
大量生産、大量消費による金のやりとりという尺度で幸福度や国の序列が決まるという考え方を一掃しない限り、絶対に問題は解決しない。
「元の福島に戻す」ではダメ ― 2012/01/04 22:27
■元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに…… (2)
(←承前)
1)福島県民は今……実情、問題点、要望……
2)原発事故と放射能問題
帰宅問題(時期、問題点)、風評被害問題(実態、対策、問題点)、除染問題(汚染実態と現場実情、国・県行政の問題点)、被曝と健康(新基準値、内部被曝と発癌率、これからどうなるか)、廃炉工程と事故収束宣言、補償・賠償問題
3)事故調査・検証委員会中間発表への感想と見解
4)どうする? エネルギー政策
民主党政権の本音とは? 再生エネルギーで代替可能か? 送発電分離のメリット、デメリット、省エネの可能性
5)再び福島県民の声
……となっていた。
本番ではこれの何一つまともに討論できなかったのは、ご覧になっていたかたはお分かりの通り。
このままではあまりにも気持ち悪いので、最低限、言いたかったことだけ、この「討論案」に沿ってまとめてみたい。
●福島から発信する意味
実は、本番前にプロデューサー氏が困った表情で控え室に入ってきた。
番組の飾り付けディスプレイに「フクシマ」とカタカナで書いたことに対して、怒っている人がいるという。
それを聞いてかどうか、本番開始早々、石原洋三郎議員(民主党)が、福島をカタカナで表記するということ自体がすでに偏見の現れだというようなことを言い始めた。
その発言に僕がちょっと切れて「そういう情緒的なレベルの話をしている場合じゃない」というようなことを口走ったら、後でまた「そういう情緒的な話じゃないとか言っている人がいたが……」と、ギャラリーの中から非難された。
僕が言いたかったのは、被害者意識を剥き出しにするだけで、自分たちから何かを冷静に明示していく姿勢がないとしたら、そのことが問題なのだ、ということ。
それと、福島選出の与党議員がここに出てくるなら、党の方針がどうであれ、自分は福島のために戦い、おかしいことにははっきりと異を唱えるくらいの気概を見せてほしい。
ところが、そういう姿勢はまったく見られず、党や政府の既定路線を繰り返し口にしているだけ。姑息にも冒頭からカタカナ表記で云々などと言い出してくる。その程度の気構えなら出てくる意味がない。顔を売りたいだけなのか! そう叱咤したかったわけだ。
しかも、この議員はあらゆる事柄について、極めて基本的な知識さえ持ち合わせていないことがあちこちにうかがえた。
例えば、石原議員は、12月6日に文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(能見善久会長)がまとめた「警戒区域、計画的避難区域などを除く福島県の23市町村を対象に全住民に1人あたり8万円、妊婦と18歳以下の子どもに1人あたり40万円」の賠償金を支払うという方針を、まるで「政府も一生懸命追加支援をしている」と言いたいかのように持ち出していたが、これがどれだけふざけた内容か、福島選出の議員がクレームをつけないとは何事か。(この問題については⇒こちらを参照)
福島の人たちは、3.11以降、ただでさえ問題をたくさん抱えて疲弊しているのに、政府や県の対応のまずさで、さらに追い打ちをかけるようにぐちゃぐちゃにされている。
そこまで言及できずに、ただ、「大変なんですよ」で終わったら、福島の人を集め、福島から放送している意味がない。
福島の実情を福島の人たちがしっかり伝えるためにわざわざ福島放送の小さなスタジオに集まったのではなかったのか?
それなのに、基本的なことも分かっていない人たちがパネリストとして呼ばれていた。会場から「そんな話は本屋やネットでもっとマシな情報がいくらでも入手できる」という声が上がったのも当然だった。
また、福島に暮らす人たちの側からも、ただの被害者アピールではなく、本当の問題はどこにあって、自分たちはそれに対してどう向き合う覚悟ができていて、そのためには具体的にこうこうこうした金の使い方や法令の整備をしてほしいという要求をつきつけていかなければならない。
大変な目にあっているのに放っておかれている。なんとかしてくれ。……と言うだけでは、権力側の思うつぼだ。
「元の福島に戻してほしい」という言葉をよく聞くが、そんなことは無理なのだ。
また、これがいちばん重要なことだが「元の福島」に戻ってしまってはいけないのだ。
原発に代表される国策事業にぶら下がり、まともな頭で考えることをやめてしまったからこうなってしまった。以前の福島に戻ってしまったらどうしようもない。同じ過ちを、マイナスから再生産するという悲惨なことになる。
福島は土地としては素晴らしい場所で、今まで、でたらめをやって土地を破壊してきても、まだ残っている環境が福島の土地としての魅力を最低限保ってくれていた。
しかし、この「すばらしい自然環境」という最大の宝物を汚された以上、福島を再生させるためには、間違いを徹底的に修正してから再出発しなければいけない。そうでなければ、破壊された上に、さらなる破壊を加速させるだけだ。
行政を筆頭に、その覚悟ができるかどうか。そこがいちばん問われている。
●帰宅問題
今、20km圏内は入ってはいけないことになっている。
しかし、この20km圏内に残って暮らしている人たちが何人かいる。
一人で残って、見捨てられた犬や猫の世話をしている男性。痴呆の妻を抱えて、ここで静かに暮らしていきたいと訴える老学者。
まずは、20km圏内でも汚染が比較的低くて済んだ場所を切り捨てるのかどうか(現状では切り捨てられている)を考えなければいけない。
切り捨てるのであれば、そこに今残って暮らしている人たちを法的に罰するのかどうか。
見て見ぬ振りをするのか。
犬猫レスキューなどの活動を保証し、公的支援もすることは考えないのか……現在進行形の問題がいくつもある。
「復活のコメ」として有名になった川内村の秋元美誉さんは、国からの作付け禁止命令に従わずに、「自分で確かめたい」として、田圃1枚だけ作付けをした。そこで収穫した米は全量廃棄させられ、彼が自分の手で民間検査機関に持ち込みたいという願いは断たれた。
彼はこの時点で犯罪者であって、罰せられる運命にある。昨年8月に改正・追加された農水省省令に違反したことで、10万円以下の罰金なのである。さすがにそういう結末にはしたくなかった村が、県とも相談して、「ここはひとつ、調査は我々がやるから、最初からあなたに調査のための作付けを依頼した、ということにしてほしい」という和解案を出し、秋元さんもそれを呑んだのだ。
ちなみに秋元さんの田圃で穫れた米からはセシウムは検出されなかった。
彼が国からの命令に反して作付けしなければ、川内村で今年栽培した米が汚染されているかどうかというデータはまったく入手できなかったのだ。
この話だけでもちゃんとしていきたかったが、残念ながら「面白い話だとは思うけど……」と遮られてしまった。
面白い話? このへんでさすがに徐々にぶち切れ始めた。
30km圏で汚染が低い場所(川内村、広野町、南相馬市の海岸沿いなど)は、すでに緊急時避難準備区域指定が解除されているが、自治体によって対応がまるで違う。
南相馬市は必死になって生活が正常化できるように努力している。
川内村や広野町は逆で、解除されても帰りたくない、補償問題が先だ、という姿勢。
役場が戻って来ない村で、人々は普通に暮らし始めている。電気は最初から止まらなかったし、ネットも郵便も宅急便も4月から動いている。だからこそ僕も生活ができた。
村でいつも通り生活し、『裸のフクシマ』を書き上げる間、特に大きな障害はなかった。
ところが、村に戻って商売を再開した人が「何を勝手なことをやっているのか」と後ろ指をさされるという状況が生まれている。「みんなでじっと動かずに死んだふり作戦をしているときに、勝手なことをして統制を乱すな」というわけだ。戦時中の○○統制と同じだ。
それがおかしなことだと気がつかないほどに「上からの命令には従うのがあたりまえ」「他の人と違うことをしてはいけない」という空気が、浜通りの原発立地、あるいは隣接エリアの人たちの間にはもともとあったようだ。
それが「元の福島」なのであれば、元の福島に戻してはいけない、というのが僕の主張だ。
●外部被曝の数値論はもういい
未だに年間何ミリシーベルトまであびても大丈夫だのなんだのという議論をしていることが情けない。
これはもともと、身体の外からあびるガンマ線の量のことだ。
放射線技師など、「放射線管理区域」で働く人たちが年間10ミリシーベルトまでというのは、エックス線装置から漏洩する放射線などで被曝する可能性を言っているのであって、放射性物質が空中に漂っていたり壁や床に付着している部屋で働いているわけではない。
今の日本で、我々があびている放射線というのは、原発から飛び散った放射性物質から発せられる放射線をあびているわけで、原因物質(放射性物質そのもの)がそこかしこに付着したり浮遊したりしている環境なのだ。
これをエックス線検査や飛行機で太平洋を横断するときにあびる放射線量と一緒にして比較すること自体ナンセンスだということくらい、誰でも分かるだろうに、なぜ「専門家」までもが未だに真面目な顔で「年間○ミリシーベルト」を論じているのか。
年間10ミリシーベルトが完全に外からの被曝であれば、はっきり言ってもうどうでもいい。
怖いのは、年間10ミリシーベルトの放射線量を出す放射性物質がそこかしこに散らばっていて、それを何かの拍子に身体に取り込んでしまうかもしれないという可能性のほうなのだ。
当初、ヨウ素は甲状腺に、セシウムは筋肉に、ストロンチウムは骨に溜まりやすいというようなことが言われていた。しかし、どうもそう単純なものではないらしい。
誰もが認めているのは、チェルノブイリ後、子供の甲状腺癌は増えたということ。
甲状腺に溜まるのはヨウ素だけでセシウムは溜まらないとか、溜まったとしてもセシウムでは甲状腺癌は引き起こされないということを言う人もいるが、そんなことをどうして断定できるのだろうか。
結局は「分からない」ということではないか。
直観的に言えば、
ということだ。
もうひとつ重要なのは、ベータ線を出すストロンチウムやアルファ線を出すプルトニウムが体内に入った場合、ホールボディカウンターでも検出できないから、どうやったところで「分からない」ということ。
ストロンチウムやプルトニウムがどれだけ散らばっているのか、お上は正確なデータをなかなか出してこない。
だからこそ、我々はいろいろ工夫をして、内部被曝の可能性をとことん低くしていかなければならない。
例えば、セシウムがべったりはりついて、ちょっとやそっとじゃ剥がれないようなコンクリート建造物の中で生活して年間10ミリシーベルト被曝しますよ、という環境と、
空間線量を見ると年間3ミリシーベルトかそこいらだけれど、放射性物質は土や砂の上に広く浅く散らばっていて、そこで毎日土埃、砂埃を巻き上げながら作業しなければいけない環境があるとする。
どっちかを選ばなければならないとしたら、僕は迷わず前者を選ぶ。
前者の環境というのは、いわば、放射線管理区域のようなもので、被曝はしても、放射性物質が体内に入る心配はほとんどない。後者は内部被曝の原因と毎日つき合わなければならない。どっちが怖いことか。
『朝生』では、こういう話をぜひ「専門家」にぶつけてみたかった。
ところが、元原子力委員会の委員が、「放射能の半減期というのは身体の中に入ると短くなるんですね」というようなことを口走る。まさか、この人は「生物学的半減期」という言葉を勘違いしているのでは? と、ぎょっとさせられた。
生物学的半減期の「半減期」というのは、単純に尿や汗に混じって身体の外に出て行くことで体内被曝が減っていくということであって、放射性物質そのものの半減期はどこにあっても変わらない。
言い換えれば、身体に取り込まれた放射性物質は少しずつ身体の外に排出されるが「生物学的半減期」という言葉があるくらいで、完全に出きってしまうことは難しい。付着した部位によっても排出されやすさは大きく違う。プルトニウムが肺の中にペタッと貼り付いて動かないというような状況は、なかなか大変なことらしい。
学者が相変わらず数字を並べ、原子力ムラでお金を得てきた人が未だに不勉強なまま、なんの反省もなくテレビに出てくることに、改めて驚かされた。
「元の福島」に戻してしまってはいけない
今回の『朝生』、一応討論案としては、1)福島県民は今……実情、問題点、要望……
2)原発事故と放射能問題
帰宅問題(時期、問題点)、風評被害問題(実態、対策、問題点)、除染問題(汚染実態と現場実情、国・県行政の問題点)、被曝と健康(新基準値、内部被曝と発癌率、これからどうなるか)、廃炉工程と事故収束宣言、補償・賠償問題
3)事故調査・検証委員会中間発表への感想と見解
4)どうする? エネルギー政策
民主党政権の本音とは? 再生エネルギーで代替可能か? 送発電分離のメリット、デメリット、省エネの可能性
5)再び福島県民の声
……となっていた。
本番ではこれの何一つまともに討論できなかったのは、ご覧になっていたかたはお分かりの通り。
このままではあまりにも気持ち悪いので、最低限、言いたかったことだけ、この「討論案」に沿ってまとめてみたい。
●福島から発信する意味
実は、本番前にプロデューサー氏が困った表情で控え室に入ってきた。
番組の飾り付けディスプレイに「フクシマ」とカタカナで書いたことに対して、怒っている人がいるという。
それを聞いてかどうか、本番開始早々、石原洋三郎議員(民主党)が、福島をカタカナで表記するということ自体がすでに偏見の現れだというようなことを言い始めた。
その発言に僕がちょっと切れて「そういう情緒的なレベルの話をしている場合じゃない」というようなことを口走ったら、後でまた「そういう情緒的な話じゃないとか言っている人がいたが……」と、ギャラリーの中から非難された。
僕が言いたかったのは、被害者意識を剥き出しにするだけで、自分たちから何かを冷静に明示していく姿勢がないとしたら、そのことが問題なのだ、ということ。
それと、福島選出の与党議員がここに出てくるなら、党の方針がどうであれ、自分は福島のために戦い、おかしいことにははっきりと異を唱えるくらいの気概を見せてほしい。
ところが、そういう姿勢はまったく見られず、党や政府の既定路線を繰り返し口にしているだけ。姑息にも冒頭からカタカナ表記で云々などと言い出してくる。その程度の気構えなら出てくる意味がない。顔を売りたいだけなのか! そう叱咤したかったわけだ。
しかも、この議員はあらゆる事柄について、極めて基本的な知識さえ持ち合わせていないことがあちこちにうかがえた。
例えば、石原議員は、12月6日に文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(能見善久会長)がまとめた「警戒区域、計画的避難区域などを除く福島県の23市町村を対象に全住民に1人あたり8万円、妊婦と18歳以下の子どもに1人あたり40万円」の賠償金を支払うという方針を、まるで「政府も一生懸命追加支援をしている」と言いたいかのように持ち出していたが、これがどれだけふざけた内容か、福島選出の議員がクレームをつけないとは何事か。(この問題については⇒こちらを参照)
福島の人たちは、3.11以降、ただでさえ問題をたくさん抱えて疲弊しているのに、政府や県の対応のまずさで、さらに追い打ちをかけるようにぐちゃぐちゃにされている。
そこまで言及できずに、ただ、「大変なんですよ」で終わったら、福島の人を集め、福島から放送している意味がない。
福島の実情を福島の人たちがしっかり伝えるためにわざわざ福島放送の小さなスタジオに集まったのではなかったのか?
それなのに、基本的なことも分かっていない人たちがパネリストとして呼ばれていた。会場から「そんな話は本屋やネットでもっとマシな情報がいくらでも入手できる」という声が上がったのも当然だった。
また、福島に暮らす人たちの側からも、ただの被害者アピールではなく、本当の問題はどこにあって、自分たちはそれに対してどう向き合う覚悟ができていて、そのためには具体的にこうこうこうした金の使い方や法令の整備をしてほしいという要求をつきつけていかなければならない。
大変な目にあっているのに放っておかれている。なんとかしてくれ。……と言うだけでは、権力側の思うつぼだ。
「元の福島に戻してほしい」という言葉をよく聞くが、そんなことは無理なのだ。
また、これがいちばん重要なことだが「元の福島」に戻ってしまってはいけないのだ。
原発に代表される国策事業にぶら下がり、まともな頭で考えることをやめてしまったからこうなってしまった。以前の福島に戻ってしまったらどうしようもない。同じ過ちを、マイナスから再生産するという悲惨なことになる。
福島は土地としては素晴らしい場所で、今まで、でたらめをやって土地を破壊してきても、まだ残っている環境が福島の土地としての魅力を最低限保ってくれていた。
しかし、この「すばらしい自然環境」という最大の宝物を汚された以上、福島を再生させるためには、間違いを徹底的に修正してから再出発しなければいけない。そうでなければ、破壊された上に、さらなる破壊を加速させるだけだ。
行政を筆頭に、その覚悟ができるかどうか。そこがいちばん問われている。
●帰宅問題
今、20km圏内は入ってはいけないことになっている。
しかし、この20km圏内に残って暮らしている人たちが何人かいる。
一人で残って、見捨てられた犬や猫の世話をしている男性。痴呆の妻を抱えて、ここで静かに暮らしていきたいと訴える老学者。
まずは、20km圏内でも汚染が比較的低くて済んだ場所を切り捨てるのかどうか(現状では切り捨てられている)を考えなければいけない。
切り捨てるのであれば、そこに今残って暮らしている人たちを法的に罰するのかどうか。
見て見ぬ振りをするのか。
犬猫レスキューなどの活動を保証し、公的支援もすることは考えないのか……現在進行形の問題がいくつもある。
「復活のコメ」として有名になった川内村の秋元美誉さんは、国からの作付け禁止命令に従わずに、「自分で確かめたい」として、田圃1枚だけ作付けをした。そこで収穫した米は全量廃棄させられ、彼が自分の手で民間検査機関に持ち込みたいという願いは断たれた。
彼はこの時点で犯罪者であって、罰せられる運命にある。昨年8月に改正・追加された農水省省令に違反したことで、10万円以下の罰金なのである。さすがにそういう結末にはしたくなかった村が、県とも相談して、「ここはひとつ、調査は我々がやるから、最初からあなたに調査のための作付けを依頼した、ということにしてほしい」という和解案を出し、秋元さんもそれを呑んだのだ。
ちなみに秋元さんの田圃で穫れた米からはセシウムは検出されなかった。
彼が国からの命令に反して作付けしなければ、川内村で今年栽培した米が汚染されているかどうかというデータはまったく入手できなかったのだ。
この話だけでもちゃんとしていきたかったが、残念ながら「面白い話だとは思うけど……」と遮られてしまった。
面白い話? このへんでさすがに徐々にぶち切れ始めた。
30km圏で汚染が低い場所(川内村、広野町、南相馬市の海岸沿いなど)は、すでに緊急時避難準備区域指定が解除されているが、自治体によって対応がまるで違う。
南相馬市は必死になって生活が正常化できるように努力している。
川内村や広野町は逆で、解除されても帰りたくない、補償問題が先だ、という姿勢。
役場が戻って来ない村で、人々は普通に暮らし始めている。電気は最初から止まらなかったし、ネットも郵便も宅急便も4月から動いている。だからこそ僕も生活ができた。
村でいつも通り生活し、『裸のフクシマ』を書き上げる間、特に大きな障害はなかった。
ところが、村に戻って商売を再開した人が「何を勝手なことをやっているのか」と後ろ指をさされるという状況が生まれている。「みんなでじっと動かずに死んだふり作戦をしているときに、勝手なことをして統制を乱すな」というわけだ。戦時中の○○統制と同じだ。
それがおかしなことだと気がつかないほどに「上からの命令には従うのがあたりまえ」「他の人と違うことをしてはいけない」という空気が、浜通りの原発立地、あるいは隣接エリアの人たちの間にはもともとあったようだ。
それが「元の福島」なのであれば、元の福島に戻してはいけない、というのが僕の主張だ。
●外部被曝の数値論はもういい
未だに年間何ミリシーベルトまであびても大丈夫だのなんだのという議論をしていることが情けない。
これはもともと、身体の外からあびるガンマ線の量のことだ。
放射線技師など、「放射線管理区域」で働く人たちが年間10ミリシーベルトまでというのは、エックス線装置から漏洩する放射線などで被曝する可能性を言っているのであって、放射性物質が空中に漂っていたり壁や床に付着している部屋で働いているわけではない。
今の日本で、我々があびている放射線というのは、原発から飛び散った放射性物質から発せられる放射線をあびているわけで、原因物質(放射性物質そのもの)がそこかしこに付着したり浮遊したりしている環境なのだ。
これをエックス線検査や飛行機で太平洋を横断するときにあびる放射線量と一緒にして比較すること自体ナンセンスだということくらい、誰でも分かるだろうに、なぜ「専門家」までもが未だに真面目な顔で「年間○ミリシーベルト」を論じているのか。
年間10ミリシーベルトが完全に外からの被曝であれば、はっきり言ってもうどうでもいい。
怖いのは、年間10ミリシーベルトの放射線量を出す放射性物質がそこかしこに散らばっていて、それを何かの拍子に身体に取り込んでしまうかもしれないという可能性のほうなのだ。
当初、ヨウ素は甲状腺に、セシウムは筋肉に、ストロンチウムは骨に溜まりやすいというようなことが言われていた。しかし、どうもそう単純なものではないらしい。
誰もが認めているのは、チェルノブイリ後、子供の甲状腺癌は増えたということ。
甲状腺に溜まるのはヨウ素だけでセシウムは溜まらないとか、溜まったとしてもセシウムでは甲状腺癌は引き起こされないということを言う人もいるが、そんなことをどうして断定できるのだろうか。
結局は「分からない」ということではないか。
直観的に言えば、
- セシウムも十分に恐れるべきである
- 癌や白血病だけでなく、心筋梗塞や抵抗力の低下、免疫機能の低下などに関係している可能性がある
ということだ。
もうひとつ重要なのは、ベータ線を出すストロンチウムやアルファ線を出すプルトニウムが体内に入った場合、ホールボディカウンターでも検出できないから、どうやったところで「分からない」ということ。
ストロンチウムやプルトニウムがどれだけ散らばっているのか、お上は正確なデータをなかなか出してこない。
だからこそ、我々はいろいろ工夫をして、内部被曝の可能性をとことん低くしていかなければならない。
例えば、セシウムがべったりはりついて、ちょっとやそっとじゃ剥がれないようなコンクリート建造物の中で生活して年間10ミリシーベルト被曝しますよ、という環境と、
空間線量を見ると年間3ミリシーベルトかそこいらだけれど、放射性物質は土や砂の上に広く浅く散らばっていて、そこで毎日土埃、砂埃を巻き上げながら作業しなければいけない環境があるとする。
どっちかを選ばなければならないとしたら、僕は迷わず前者を選ぶ。
前者の環境というのは、いわば、放射線管理区域のようなもので、被曝はしても、放射性物質が体内に入る心配はほとんどない。後者は内部被曝の原因と毎日つき合わなければならない。どっちが怖いことか。
『朝生』では、こういう話をぜひ「専門家」にぶつけてみたかった。
ところが、元原子力委員会の委員が、「放射能の半減期というのは身体の中に入ると短くなるんですね」というようなことを口走る。まさか、この人は「生物学的半減期」という言葉を勘違いしているのでは? と、ぎょっとさせられた。
生物学的半減期の「半減期」というのは、単純に尿や汗に混じって身体の外に出て行くことで体内被曝が減っていくということであって、放射性物質そのものの半減期はどこにあっても変わらない。
言い換えれば、身体に取り込まれた放射性物質は少しずつ身体の外に排出されるが「生物学的半減期」という言葉があるくらいで、完全に出きってしまうことは難しい。付着した部位によっても排出されやすさは大きく違う。プルトニウムが肺の中にペタッと貼り付いて動かないというような状況は、なかなか大変なことらしい。
学者が相変わらず数字を並べ、原子力ムラでお金を得てきた人が未だに不勉強なまま、なんの反省もなくテレビに出てくることに、改めて驚かされた。
元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに…… ― 2012/01/04 22:23
元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに……
大晦日深夜(元日未明)の『朝まで生テレビ』に出演してほしいという依頼があったのは12月15日頃だっただろうか。
真冬の「狛犬見学会」(12月11日、白河市東野出島地域活性化プロジェクト主催)も無事に終わり、これで少し落ち着いて年末年始の準備にとりかかれるかなと思っていたときだった。
あの番組はもう何年も見たことがない。話がこれから、というときに司会進行役が邪魔をしたり遮ったりトンチンカンな質問を浴びせたりして、議論がきちんと進まないシーンが多く、見る気がしなくなっていた。
ましてや年が明け、静かに厳かに新年を迎えたい時間帯に見ようとは思わない。
しかし、『裸のフクシマ』のあとがきにも書いたが、僕の人生、というかものの考え方、価値観を一大転換させるきっかけとなったのがこの番組だった。
20年以上前、この番組で原発の是非を論じた回が2回あった。そこで、「では、反対している人は代替案を持っているのか?」という進行役からの問いに対して、反対派の論客として出ていた槌田敦氏(物理学者、当時は理化学研究所)や室田武氏(経済学者、当時は一橋大学教授)は苦汁に満ちた表情で「そういう問題じゃない」というような歯切れの悪い答えをした。それを見て、これはなんなんだろうと、心に引っかかるものがあった。
代替案がないまま反対しているという単純な話ではなさそうだな、と感じて、とりあえず彼らの著書を買い求めて読んでみた。
『資源物理学入門』(槌田敦、NHKブックス、1982年)と『エネルギーとエントロピーの経済学』(室田武、東洋経済新報社、1979年)。
そうか、そういうことだったのか!
目から鱗が落ちるとはこういうことを言うのかと思うほどの衝撃を受けた。
エネルギー問題というのは、ここから出発しなければ論じられないのだ。それを踏まえて語ろうとしている人たちに、進行役も推進派も「原発は是か非か」「原発がなければ困るのだから、代案のない反対は無責任だ」という戦法で押しまくっていただけ。その馬鹿馬鹿しさにつき合わされた虚しさがあの苦汁に満ちた表情だったのだなと、よく分かった。
あれから四半世紀の時間が流れた。
原発がどうしようもないことは分かっていたが、あまりにも巨額の税金が注ぎ込まれ、巨大な利権構造ががっちり構築され、多くの人は考えることも面倒になっていった。
いつか破綻することは分かっているが、決定的な破綻が目に見えるようになって人々が後悔するのは、自分が死んだ後ではないか。僕自身、そう思うようになっていた。
まさか、原発の運営現場までもがあそこまで慢心し、堕落しきっていたとは……。
そして、今度は僕があの番組に呼ばれた。
今の僕は当時の槌田敦氏や室田武氏と同じ年代になっている。
遠路はるばる会いに来てくださったプロデューサーは、僕と同学年だった。
これが皮肉な運命というなら、受け入れるしかない。
そう思って出演依頼を受けたのだが、四半世紀前の番組よりはるかにひどい内容になってしまい、今は虚しさだけを感じている。
反省をこめて、ここに「最低でもこれだけは言っておきたかった」ことをまとめておきたい。
(⇒次へ)
白河や会津が怒るのは当然 バカの極致「文科省原子力損害賠償紛争審査会」 ― 2011/12/14 11:20
8万円/40万円の追加賠償金の根拠は何か?
福島第一原発爆発・汚染「事件」をめぐって国や県がやっていることはとことん滅茶苦茶で、『裸のフクシマ』に書いた通りだが、今もまだまだでたらめが続いている。最近では、12月6日に文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(能見善久会長)が求めた「警戒区域、計画的避難区域などを除く福島県の23市町村を対象に全住民に1人あたり8万円、妊婦と18歳以下の子どもに1人あたり40万円」という賠償金問題。
この賠償金は「自主避難への賠償」ということらしい。30km圏内や「緊急時避難準備区域」、「計画的避難区域」などは命令を下して避難させたのだから、それに対する補償をするが、それ以外の地域では逃げようが留まろうが知ったことではない、というのが今までの国や東電の賠償姿勢だった。
これではいけないので、自主的に避難した人たちにも賠償しましょう、ということらしい。
しかしこの賠償金は、決められた23市町村では、逃げた逃げないに関わらず全住民に一律で支払われる。であれば、支払われる根拠は、避難しなければならないほどの放射能汚染への恐怖心、不安、ストレス、現実の健康被害、そして、経済的打撃(農産物など一次産業への被害はもちろん、放射能汚染によって様々な職場、職業で従来通りの経済活動継続が不可能になったこと)などに対しての損害賠償と考えるのが適切だろう。
であれば、今回の23市町村の選定はまったく実情に合っていない。
該当する23市町村とは、
福島市、二本松市、本宮市、桑折町、国見町、大玉村、郡山市、須賀川市、鏡石町、天栄村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町、相馬市、新地町の19市町村と、いわき市、田村市、伊達市、川俣町の4市町(すでに補償金が支払い開始されている緊急時避難準備区域など以外)の合計23市町村だ。
福島県の土地勘がないかたがたにはピンとこないだろうから、文科省が発表している土壌汚染マップに重ね合わせて表示してみる。以下のピンク色の線の内側が該当地域だ。

一目瞭然で分かるが、白河市などは、かなり汚染されているにも関わらず外されていて、汚染の度合いが低い石川町や玉川村、平田村、浅川町、古殿町、小野町などは入っている。
汚染の度合とはまったく合致していないのだ。
白河市がいちばん分かりやすいが、白河市で「自主避難」した市民は、12月1日の時点で126世帯286人。数が少ないから外したとでも言うのだろうか。白河市の鈴木市長は「市内でも放射線量が高い地域がある。子どもの健康被害を心配する親も多いのに、自主避難者が少ないから賠償金が出ないというのはおかしい」と主張している。当然だ。
会津は概ね汚染の度合が低かったが、南会津町の南部などは結構やられていて、石川町、玉川村、平田村、小野町あたりよりひどい。
そもそも、「福島」というレッテルを貼られて農産物などが売れなかったり、浜側からの被災者を受け入れて苦労していることは会津も同じなのだ。
猪苗代町も外されたが、原発立地でさんざん電源交付金などの恩恵を受けてきた人たちを豪華リゾート施設に受け入れ、住民がボランティアで炊き出しをした挙げ句に、一部の「避難者」から「毎日同じものを食わせるな」「飯がまずい」などと文句を言われた猪苗代町の人たちは、今、どう思っているだろうか。
今まで我慢してきた怒りが爆発しているはずだ。
お上や、現場を知らない学者たちがこういうバカな施策を次々に出してくるたびに、福島はずたずたにされる。
子供が3人いる5人家族を例にとれば、賠償金は136万円(40万円×3+8万円×2=136万円)になる。136万円がもらえるもらえないの差は大きい。
もとより、被害の度合は人によって大きく違い、補償の不公平は避けられないのだから、補償するなら福島県内全域というようなくくりでやるしかないのは分かりきったことなのに、この無神経さ、間抜けぶりはなんなのだろう。
無論、放射能汚染被害を被っているのは福島県の住民だけではない。
栃木県、宮城県、群馬県、茨城県などでは、石川町や平田村などよりずっと汚染がひどい地域がある↓。
宮城県丸森町の保科郷雄町長も、「空間放射線量が丸森より低い福島県内の自治体が該当しているのに、福島でないというだけで、我慢しなければならないのは納得できない」と声を上げている(河北新報記事)
あったりまえの話だ。
もう、話題にするのも嫌になる。
こんな「除染」はやってはいけない ― 2011/12/04 11:34
「除染」によって住民の内部被曝危険性が増している
郡山市の市民が、「放射性物質の除染作業による被曝から守るため市民に除染作業をさせない事を求める署名」というのを始めた。⇒こちら背景には、「除染」を巡って戦時中の隣組的な社会が形成され、子供を含めた多くの市民が「除染活動に参加させられることによる内部被曝の危険性増大」に直面しているという実態がある。
このブログやこのブログにも記されているように、除染が大規模にかつ効率的に「儲からない」都市部では、「除染」は市民に丸投げされる傾向があり、それに参加しないと「自己中心的な人間だ」と、隣人たちから糾弾されるという図式ができあがってしまっているのだ。
//お父さんや家族の都合が悪ければ、お子さんを連れて除染に行くのだそうです。行かなければ、協力的でないと後ろ指をさされます。なのでお母さんが行くのだそうです。//
//地域のために皆がんばることなので、手伝わない人は非国民扱いで村八分だそうです。
若いお母さんなどは、乳幼児の我が子から目が離せないのですが、でも参加しなくてはならず、幼い子どもを連れて除染作業に参加するそうです。//
この「みんなと一緒に足並みを揃えない者は非国民」的な空気が形成されてしまうことがいちばんの問題。
福島県内では、3.11以降、あちこちでこうした事態が起きている。
被爆を避けて県外に移住すると「逃げ出すのか」と罵られたり、除染をする、いや、下手に引っかき回すとかえって被曝するからしない、という言い争いもあちこちで起こっている。
何度も書いているように、いちばん怖いのは内部被曝。
「除染」作業の現場というのは、土やアスファルト、コンクリートにこびりついている放射性物質を再び空中や水中に解き放つということをしているわけで、それを吸い込んだり呑み込んだりする危険が一気に増すのは自明のこと。
しかし、「除染」は今やこの国で最大の国策事業、莫大な税金が投入される公共事業になってきており、自治体(地方行政)はもちろんのこと、失業した労働者、建設会社、土建会社、清掃会社、森林組合、商工会……ありとあらゆるところから「雇用が回復できる魅力的な事業」として見られている。
除染作業従事者養成講座的なものに、土建会社や清掃会社、はてはリサイクル業者などが殺到しているが、その講座を仕切っているのが、今までさんざん原発建設を進めてきた原子力ムラの連中だったりするのだからやりきれない。
「除染」現場に駆りだされた母親たちは、重機を使えるわけでもなく、土の削り取りや運搬、草むしり、側溝掃除などを手作業でやらされる。付着して、ある程度安定していた放射性物質は再び拡散するから、それを吸い込んだり呑み込んだりする可能性が増え、除染の現場では普段より余計に被曝する。
水をぶちまけて流せば、水が流れていく場所が新たに汚染を増すだけのこと。
剥ぎ取って集められた土は、公園や空き地の隅に穴を掘ってひっそり埋められる。表土を剥ぎ取った場所の空間線量は下がるが、そこにあった放射性物質はどこかに移動しただけ。
もはや、どこにどれだけの汚染物質が埋められたのか、あるいは流されたのか、分からない状態。
これが都市部の「除染」の実態だ。
では、莫大な税金が投入され、除染実験が始まった農村や森林地帯はどうか。
人が入らない森林を伐採するなどということをしたら、水源が涸れ、かつ、余計な地下水汚染を引き起こしかねない。
ところが、そういうことを理解していないのは素人だけでなく「専門家」と呼ばれる人たちも同様で、「森林を伐採しないと、放射性物質が里に流れ出して汚染を広げる」などと言い、それを恐れた住民が、森林を全部伐採しろと叫んでいるような状況だ。
こうして除染という名の森林伐採が押し進められている。こちらのほうが、人の目につかない場所で大規模に行えるために、関係業者は大きく、効率的に儲けやすい。
川内村の我が家周辺は、今、大量の落ち葉で埋もれているが、線量は少しずつだが確実に減ってきている。もちろん除染などしていない。
雑木林や唐松林など、落葉樹の森林は、3月には葉っぱをつけていなかったので、今の落ち葉にはほとんど放射性物質が付着していないのだ。
一部の「専門家」は、樹木が土中の放射性物質を吸い上げて葉に蓄積させる云々と言っているが、どうやらその話もいい加減で、やはり降り積もった放射性物質のほとんどは、土の表面から5cmくらいの層に溜まっているのだろう。
そこに新しい落ち葉が落ちて、落ち葉の層を形成していくので、多少は放射線がシールされているのかも しれない。
もちろん、ガンマ線はそんなものもろともせず突き抜けるが、毎年これを繰り返していけば、土中の放射性物質は少しずつ地下に潜り込んでいくのだろう。だが、数メートル下には到達しないだろうから、放っておいても地下水脈は無事なはずだ。そこに深い穴を掘って汚染物質を埋めたりしない限りは……。
程度の薄い汚染地帯は、下手に引っかき回さず、何もしないほうがいい。
ベラルーシまで行って、チェルノブイリ事故後の汚染地帯がどうなっているかを実際に見てきた「視察団」の人たちも「森は除染できない。しない」と明確な答えを得てきたはずだ。
それでも無理矢理進めていけば、放射性物質入りの土埃や粉塵を吸い込んで、作業員は確実に内部被曝する。
大変な健康危機と税金と引き替えに森林伐採、表土削り取りが進むと、森が死滅し、農地は使いものにならなくなる。保水力を失った山は土砂崩れ、水害発生源となる。養分の多い表土を剥ぎ取られた農地は荒れ果てる。
もちろん、山の保水能力の低減で渇水も起きる。
放射能汚染に加えて、取り返しのつかない環境破壊の連鎖が、今、人間の手で進められようとしている。
こんなとんでもない国に、我々は住み続けなければならない。自分の命を自分で守りながら。
これは大変なことだ。
みんな、自分の命や暮らしを守ることで精一杯だが、とりあえずは、郡山市など、都市部で起きている「除染隣組」には声を上げないと。
このままでは、人間の余計な所業によって、汚染地帯に住まざるをえない住民の内部被曝の被害がどんどん増えていく。
汚染地帯に暮らす母親たちには、勇気を持って「私は除染作業には加わりません」と、拒否姿勢を貫いてほしい。あなただけでなく、子供たちを守るために。
東日本に住む、という「賭け」 ― 2011/10/23 13:45
関東・東北に住み続けるという「賭け」
柏市(千葉県)根戸高野台の市有地で毎時57.5マイクロシーベルトというとんでもない空間放射線量が検出された。市が土壌を調べたところ、1キロあたり最大27万6000ベクレルの放射性セシウムを検出した(毎日新聞。10月22日)と発表した。こういうことは今後もあちこちで起きるに違いない。つまり、今自分が暮らしている土地が比較的汚染が軽度だったとしても、知らないうちに危険地域になってしまうことはありえる。
一方、福島第一原発では、4号機の核燃料保管プールが建屋ごと崩壊し、中の使用済み(4号機では「使用中」も含む)核燃料がぶちまけられるのではないかという恐れがずっと続いている。
これは反原発の科学者から推進派だった専門家まで、異口同音に指摘している「今いちばん起きてほしくない事態」であり、その可能性は誰も否定できない。
4号機が倒れるというような事態になったら、あるいは他の予期せぬ事態が起きて高濃度の放射性物質が再び漏出したら、そのときの気象条件次第で、関東・東北のどこでも、飯舘村や津島並みの汚染になりえる。
関東・東北はすでに広範囲にわたって放射性物質が降下してしまった。都内、神奈川あたりでも0.1μSv/h超はあたりまえのことで、これは今後も当分下がらない。
福島第一原発の処理は、今後数十年かかっても「安定」的な状態に持ち込むことは不可能だ。
原子力を推進する側にいた人間もそのことは十二分に理解している。
//これほどの事故を起こした原子炉を廃炉にすることは、歴史上、全く前例の無い取り組みです。通常の原子炉であれば、過去に廃炉にした例はありますので、技術的にも可能ですが、それでも数十年規模の時間と膨大な手間と費用がかかります。
しかし、福島原発の場合は、核燃料がメルトダウンを超えて、メルトスルーを起こしているわけです。通常の健全な核燃料であれば、上から一本一本、遠隔操作で引き揚げていけばよいのですが、福島原発の場合は、その核燃料が溶けて崩れ落ち、格納容器の下部と融合している可能性があるわけです。
しかも、その放射能は、人間が近づいたら数時間で死亡するほどの高いレベルです。それは、私のような放射性廃棄物の専門家からみても、目を覆いたくなる状況であり、この状況の原子炉を安全に解体し、廃棄物を撤去することは、現在の技術では極めて難しく、廃炉が実現できるとしても、その計画立案と技術開発を進めるだけで、そもそも数十年はかかるでしょう。
そして、その数十年の間は、極めて高い放射能を持ち、形を留めずに溶融した核燃料という、まさに高レベル放射性廃棄物が、福島第一原発サイト内に存在し続けるわけです。さらに、将来、廃炉が実現できたときには、取り出した膨大な高レベル放射性廃棄物の「中間貯蔵」と「最終処分」の問題が待ち受けています。(国民の信頼を失った日本の原子力行政 野田新政権が答えるべき「7つの疑問」――田坂広志・元内閣官房参与/多摩大学大学院教授インタビュー ~ 週刊ダイヤモンド)//
溶けた核燃料が今どこにどのような形で存在しているのかさえ誰も把握できていない。おそらく、圧力容器を突き抜けた分は格納容器の底を突き破り、一部は地下まで達しているだろうし、一部は壊れた配管を通してあちこちに拡散している。
さらには、国はなかなか発表しようとしないが、プルトニウムやストロンチウムといった、ごく微量であっても身体に取り込んでしまったらセシウムよりはるかに怖い核種が広範囲に飛び散ったことも間違いない。
福島県内で今後、金さえ出してくれればなんでもやるという「除染」が一斉に始まると、こうした恐ろしい核種がさらに再拡散し、体内に取り込んでしまう確率が上がる。
こうした状況の中、もはや関東・東北に住むことは一種の「賭け」だなと思わざるをえない。
おそらく大丈夫だろう……という思いこみで住む、ということだ。
僕自身の本能的な勘、あるいは想像では、確率的に8割安全2割危険というところだろうか。2割は放射性物質を体内に取り込んでしまって内部被曝を続けることにより病気になるという確率だ。
無論、この「8:2」にはなんの根拠もない。しかし、実際に生きていかなければならないのだから、あとは個人の判断、直感で「賭けてみる」しかない。
やりきれないのは、将来、癌、白血病、高血圧などになっても、それが放射性物質と関係があるかどうかはまったく分からない、証明できないということだ。
(10/24朝 追記)
その後の調査では、外から汚染土を運び込んだのではなく、そばを通っている側溝の破損箇所から水が浸みだしてセシウムが溜まっていったらしいということになった。⇒文科省発表はこれ
それならそれで、もっと怖い事態だ。
あちこちで「除染」作業が始まると、高圧洗浄機などで流された放射性物質は下水系を通って再拡散する。その過程で、今まで汚染度が低かった場所に放射性物質が追加されて溜まっていき、汚染の度合が高くなることもありえるわけだ。






