軽自動車こそ究極のエコカーである2018/11/07 10:21

「笑点」メンバーの着物の色ってどっかで見たなあと思っていたら……これだった

製造と廃棄の段階での環境負荷

X90を手放した心痛と悔しさから逃れるため、代わりに我が家の一員となった17万円のアルトラパン4WDを目一杯愛す方向に頭を切り換えている。

世の中、ハイブリッドカーや電気自動車が「エコカー」と持ち上げられ、極端な優遇税制を受けたりしている。しかし、今さらいうまでもないことだが、化石燃料や金属資源の節約、環境負荷の軽減という意味では軽自動車こそが真のエコカーである。

自動車が環境に与える負荷は、主に
  1. 製造する段階でどれだけのエネルギー資源や金属などの地下資源(特にレアメタル類)を使ったか
  2. その自動車が走ることでどれだけのエネルギー資源を消費したか
  3. その自動車が走ることでどれだけ環境を汚染し、道路などの公共資産を傷めたか
  4. その自動車を廃棄する段階でどれだけの資源(特に金属)を失い、環境を汚染、破壊したか

ということで計算することになる。
ところが、ハイブリッド車や電気自動車については、上記の2と3しか取り上げられず、1と4の視点がほとんど抜け落ちている。
さらには、作られた自動車でどれだけの仕事ができたか(人力などを節約できたか)もあまり論じられない。

エコカーと呼ばれる車の多くは価格が高く、庶民にとっては高嶺の花だ。実際、所有している人たちはそこそこの所得がある人たちであり、用途もレジャーや買い物などが多い。
一方、公共輸送に使われるバスやトラックなどはもちろん、毎日走り回っている営業車の類、プロパンガスを交換している2トン車やエアコンやボイラーの修理のために回っている軽バン、農家にはなくてはならない軽トラがハイブリッドカーや電気自動車である、という社会にはなっていない。
なぜなら「エコカーは高くつく」からだ。

田舎では必須の軽自動車にも、ハイブリッドや電気自動車はほとんどない。(現時点では、スズキに小規模なハイブリッド車があるだけ)
ハイブリッドは、従来のガソリンエンジンの他に高性能バッテリーとモーターを積んで、走行状況に合わせ、モーターがエンジンをアシストするというものだ。しかし、自動車として究極までに軽量化・高効率化された軽自動車は、エンジン本来の性能を徹底的に効率化させることですでに従来の常識を覆すような高燃費を実現している。それを多少上回る程度の燃費改善のために、モーターやリチウムイオンバッテリーという重くて高価なパーツを軽自動車に組み込むメリットが見出しづらい。
軽自動車のユーザーはもとより経済性最重視だから、通常の(ガソリンエンジンのみの)軽自動車との価格差を燃費の差で埋めることは相当難しいであろうことを理解している。
しかし、軽自動車というのは常に「無理をして」ギリギリの設計をしてきた車だから、最小限のモーターアシスト機構をうまく組み入れられれば、さらに進化する可能性が普通車よりあるかもしれない。スズキはすでにその領域に入ってきたような気もするので、期待もしている。

石油よりもレアメタルが先に枯渇する

ハイブリッドカーや電気自動車でいちばん懸念されるのは、稀少金属を大量に使っていることだ。
初代プリウスにはニッケル水素バッテリーが使われていたが、ニッケルの可採年数(採掘可能な残り年数)は約40年という(経産省「諸外国の資源循環政策に関する基礎調査」より)
現行プリウスには、グレードによってリチウムイオンバッテリーも使われているが、リチウムはチリやアルゼンチンなど、極めて限られた地域に偏在している稀少金属だ。
仮に全世界の自動車保有台数の 50% を環境低負荷自動車(HV + PHV と EV をそれぞれ50% の割合とする)にすると、約790 万 t の金属リチウムが必要ということになる。この金属リチウム量は、次章で示す金属リチウムの推定埋蔵量に迫る量になる。
「リチウム資源の供給と自動車用需要の動向」河本 洋、玉城わかな)

いずれにしても、このまま自動車にモーター駆動用の二次電池を積むことを続けていれば、石油の枯渇よりも金属資源の枯渇のほうが早くなるだろう。石油はまだなんとかあるけれど、ニッケルもリチウムももうなくなりそうなので高性能電池はもう作れません、という時代が来る。わずかに残されたレアメタルの価格は急騰し、さらには争奪で戦争にもなりかねず、燃費向上がどうのという話どころではなくなる。
ハイブリッドや電気自動車万歳という風潮には、こうした現実的な予測がまったく欠けている。
燃料電池車などは論外で、そもそもエネルギー収支の点からやる意味がまったくない。水素エネルギー社会が到来するなどというのは補助金目当ての詐欺PRでしかない。

頻繁に新車に乗り換えることこそ環境破壊

環境負荷を減らしたいなら、自動車を製造する~使う~廃棄するという全課程での資源消費を極力少なくし、環境に有害な物質を極力出させないことだ。
少ないエネルギー、資源で、大きな代替労力を得られる車こそが「エコカー」を名乗っていい。
残念ながら、現時点ではハイブリッド車も電気自動車も「エコカー」とは言い難い。
日本で生まれた軽自動車という規格は、世界に類をみないユニークなものだった。「ガラ軽」と呼んだ人がいたが、まさにそうかもしれない。しかしこれは、極めてよい意味でのガラパゴスだ。
軽自動車は高級車に比べればいろいろな点で快適ではないし非力だが、効率よく仕事をして、環境への負荷も少ないという点では極めて優れている。
田舎暮らしではどうしても車が必要だから、「申し訳ないけれど車を使わせてもらってます。でも、環境負荷は最小限にしたいので、軽自動車、しかも中古車を徹底的に長く乗ります」という生き方がいちばん合理的で社会倫理的だろう。
今回、理由はどうであれ、そういう「軽自動車文化」に仲間入りできたと思い、X90を手放す苦しさを軽減させることにした。
X90も廃車ではなく、ちゃんと次のオーナーが決まっている。この乗り換えで、新しく製造された車が増えたわけではない。すでに製造され、十分に仕事をして元を取ったであろう車が入れ替わるだけだ。

……とまあ、例によってぐだぐだ能書きを垂れながら、15年間連れ添った珍車X90に別れを告げるのであった。

「不条理社会」に生きる2018/11/07 09:47

X90のメーター 22年前の車だが、まだ6万キロ台 なぜこれに重税をかける

「明らかな悪法」が作られ、まかり通る

増税でのいじめに耐えきれず、22年前に作られ、うちに来てから15年経つスズキ X90という珍車?をついに手放すことになった次第については表の日記に詳しく書いた。

車を大切に長く使うと増税という非合理、不条理に憤っているだけでは免疫細胞が死んでしまう一方なので、ここで「なぜこんな非合理が許されるのか」を人間の心や社会構造という面から改めて考えてみた。

この悪法が成立した裏には、自動車メーカーの利益を守るために、まだまだ乗れる自動車を早く手放させて新車を買わせようという意図があることは明白だ。
ある業界や企業の利益誘導のために、公共の利益を害することを押し進める。そのためには大きな嘘をつく。嘘を信じ込ませるために、メディア、教育、情報社会などに働きかけ、あらゆる手段を駆使する。……こうしたことを平気でできる人間をAタイプとしておく。
Aタイプにも、金儲け依存症、権力志向、世の中を動かす自分の能力に酔いしれる自己陶酔型などいろいろありそうだが、とにかくこのタイプはバカではないし、行動力もある。ザックリ言えば「エリート」と呼ばれる人たちに属する。

次に、「エリート」と呼ばれるグループには属しているが、自分では方向性を見つけようとせず、上からの指示に従い、自分の生活レベルや地位を守ることに専念するタイプの人たちがいる。これをBタイプとしておこう。
Bタイプは当然Aタイプよりも数は多いし、現場での戦力という意味で、Aタイプにとって不可欠な道具だ。実行部隊の隊長だから、頭脳や実行力はAタイプより優れていることも多いだろう。
AタイプにしろBタイプにしろ、自分たちがやっていることが公共の利益や地球環境の保全・持続という面では明らかに悪行であることは十分理解している。それでも悪行を続けるのは、結局のところ、自分、あるいはせいぜい自分の家族という極めて狭い範囲の生活レベルやステータスを、人生において最も大切なこと、最上位の価値だと信じているからだ。
自分が死んだ後のことなども考えない。自分が死んだ3分後に地球が破滅して全生物が滅んでも、自分はもはやそこにはいないし、感知できないのだから関係ないと思うような極端なサイコパスも混じっているかもしれない。

次に、AタイプやBタイプに言いくるめられ、嘘を本気にしてしまう人たちがいる。これをCタイプとしておこう。
社会を構成している人の多くはCタイプである。
例えば、「ハイブリッド車や電気自動車などの『エコカー』に乗り換えることが環境負荷を下げることになる」と本気で信じている人はたくさんいる。官僚にはあまりいないかもしれないが、政治家には結構いる。だから車を長く乗り続ける人には増税という不条理・非合理な法律が野放しにされている。
同様に「次に到来するのはクリーンな水素社会だ」とか「原発は必要悪であり、資源のない日本には欠かせない技術である」などと主張するCタイプの人たちがいるが、AタイプやBタイプと違って本気でそう思い込んでいるのがやっかいだ。
Cタイプの知性はとてもゾーンが広い。学歴や人格も関係ない。「人間的にはとてもいい人」は、このCタイプにいちばん多い。
政治家にはCタイプがとても多い。
しかも「困ったCタイプ」ばかりだ。いわゆる「いい人」は政治のようなドロドロした世界ではのし上がれないから。
偏狭な信念を持っていて、現実を正確に分析できない人。頭がよくないのに家柄や成り行きで権力を得てしまったために、取り巻きの説明を鵜呑みにして、それが自分の知力だと勘違いしている人。単純に頭が悪くて、政界の中の保身、立ち回りだけで精一杯な人。そんな人たちがいっぱいいる。

こう見ていくと、世の中の不条理、非合理は、

  • 自分が死んだ後のことはどうでもいいというAタイプが考案し、社会がそう動くように仕掛ける。
  • 本当は違うんだけど、上から言われたから仕方がないという生き方のBタイプが粛々と押し進める。
  • 深く考えようとしない、あるいはだまされたまま変な信念を持っているようなCタイプが、悪行を許容したり実行に加担したりする。
……という構造で生まれ、定着してしまうということが分かる。
「それはおかしい」「あまりにも非合理だ」と異を唱え、正論を述べる人たちの力は及ばない、ということなのだろう。

現代人が知らなければいけない「条理」「合理」とは

僕はよく「不条理」とか「合理性」といった言葉を使うが、ここで「条理」「合理」とは何かを改めて考えてみる。

条理:物事がそうなければならない当然の道理・筋道
合理:物事の理屈に合っていること

世の中には様々な条理、合理があるが、現代社会を生きる人間にとって、生命や幸福な生活を守るための基本的な条理、合理は次のようなことだと思う。
  1. 地球上で生物が活動できるのは、水の循環をはじめとする物質循環が存在し、増大したエントロピーを熱に変えて宇宙に捨てる仕組みがあるからである
  2. 物質循環を支えているのは水、植物層、動物層の健全さと多様性である
  3. 地球環境は有限であり、地下資源は使えば枯渇する
  4. 現代文明は石油を筆頭とする「地下資源文明」であり、化石燃料や金属資源(特に稀少金属資源)は極力無駄に使わないようにすることが文明の寿命を延ばすことに直結する
  5. 人間の幸福感は、物やエネルギーの大量消費によって保障されているわけではなく、工業生産やエネルギー消費を減らしても精神的な豊かさを増やす方法はいくらでもある
  6. 今の社会を少しでも長く平和な状態に保つには、人工的なエネルギーや生産に過度に依存せず、精神的幸福感を維持・増大させる生活スタイルに変えていくことが必須である

現代社会の「不条理」「非合理」は、これらの命題に明らかに反していることであるのに、嘘や情報コントロール、権力者からの圧力によって押し進められることで生じている。
さらにやっかいなのは、上に示したような基本的な「条理」「合理」が社会の中で共有されていないことだ。

上の(3)はほとんどの人が理解はしている。でも、(1)と(2)を理解していない人が多い。学校でもちゃんと教えていない。
(4)は分かったつもりでいて、実は分かっていない人が多い。特にエネルギー収支については考えていない、あるいは間違った理解をしている人が実に多い。
(5)(6)は表向き賛同するものの、自分が生きている間はなんとかなるだろうと思って、真剣には向き合おうとしない。

この傾向はすべてのタイプの人にあてはまるが、CタイプよりはBタイプ、BタイプよりはAタイプの人のほうが、これらすべての条理・合理を本当は理解している。理解している上で無視し、自分の利益を最優先させることが自分にとっての条理・合理だと信じている。

社会が「数」の力で動くとすれば、Cタイプが圧倒的に多い以上、Aタイプの支配を崩せない。
崩せるとしたら、Aタイプを許さない超人的な人物が登場したり、Bタイプの中で大きな意識革命が起きてAタイプに反旗を翻したり、Cタイプの中で条理・合理を理解する人たちが増えていき、社会の軌道修正を求めていくことだろう。しかし、そんなシーンは、少なくとも僕が生きているうちには見ることはできない。不条理・非合理はますます増えていくに違いない。
そんな社会の中で、自暴自棄にならず、どう生き抜いていけばいいのかを考え、試行している人たちもいる。ついでだから、Dタイプとでもしておきますか。
DタイプはA~Cタイプに比べれば社会を変えていく大きな力にはなりにくい。無害だけれど、個人主義というか、幸福感至上主義のエゴイストみたいなところがある。
やはり、社会を動かしているのはA~Cタイプの人たちだ。
……と、ここまで考えてくると、「人間社会」というものが少しだけ見えてくるし、その中で生きていくしかない自分というものにも、静かに向き合える気がする。

テレビドラマより分かりやすい善悪劇

東京電力の旧経営陣3人(勝俣恒久、竹黒一郎、武藤栄)が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判は、2018年10月末現在、第33回公判まで進んでいる。
その内容が、NHK NEWS WEBの特別ページにまとめられている。
他に、元朝日新聞記者の添田孝史氏が書いているLevel 7 News「公判傍聴記」(添田孝史)というシリーズがよくまとまっていて読みやすい。まるで法廷ドラマを見ているようだ。
これを『下町ロケット』みたいなノリでテレビドラマ化してくれないものだろうか。
こういうの↓をそのまま脚本にするだけでいいから。


高尾氏ら現場の技術者は、2007年11月からずっと対策の検討を進めていた。「対策を前提に進んでいるんだと認識していた」と高尾氏は証言した。それが2008年7月31日、わずか50分程度の会合の最後の数分で、武藤副社長から突然、高尾氏が予想もしていなかった津波対策の先送りが指示される。高尾氏は「それまでの状況から、予想していなかった結論に力が抜けた。(会合の)残りの数分の部分は覚えていない」と証言した。今回の公判のクライマックスだった。
添田孝史 第5回公判傍聴記

この時期の東電「裏工作」で最も悪質なのは、先行する他社の津波想定を、自分たちの水準まで引き下げようとしていたことだろう。
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高尾氏は、武藤氏の指示のもと研究者への説得工作も行っていた。2008年10月ごろ、秋田大学の研究者に面談した際の記録には「長期評価の見解を今すぐ取り入れないなら、その根拠が必要でないかとのコメントがあった」「非常に緊迫したムードだったが、(東電の方針を)繰り返し述べた」と書かれていた。大組織のサラリーマンの悲哀を感じさせる記録だった。
同・第6回公判傍聴記


高尾氏の証言を聞いていると、2007年以降の福島第一原発は、ブレーキの効かない古い自動車のようだった。
ブレーキ性能(津波対策)が十分でないことは東電にはわかっていた。2009年が車検(バックチェック締め切り)で、その時までにブレーキを最新の性能に適合させないと運転停止にするよ、と原子力安全委員会からは警告されていた。ところがブレーキ改良(津波対策工事)は大がかりになると見込まれ、車検の日に間に合いそうにない。そこで「あとでちゃんとしますから」と専門家たちを言いくるめて車検時期を勝手に先延ばしした。「急ブレーキが必要になる機会(津波)は数百年に一度だから、切迫性はない」と甘くみた。

一方、お隣の東北電力や日本原電は車検の準備を2008年には終えていた。それを公表されると、東電だけ遅れているのがばれる。東電は「同一歩調を取れ」と他社に圧力をかけて車検を一斉に遅らせた。

そして2011年3月11日。東電だけは予測通りブレーキ性能が足りず、大事故を起こした。
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東北電力は、土木学会が2002年にまとめたマニュアル(津波評価技術、土木学会手法、青本とも呼ばれる)では想定していない貞観地震をバックチェック最終報告には取り入れていた。長谷川昭・東北大教授の「過去に起きた最大規模の地震を考慮することが重要であり、867年貞観地震の津波も考慮すべきである」という意見をもとにしていた。貞観地震を想定すべきかどうか、土木学会で審議してもらう必要がある、などとは考えていなかった。

日本原電も、土木学会手法(2002)より大きな茨城県の想定(2007)を取り入れていた。その採用にあたって、やはり土木学会の審議が必要とは考えていなかった。「土木学会に時間をかけて審議してもらう」と言ったのは、東電だけなのだ。
同・第7回公判傍聴記


15.7mより低い想定値にすることは出来ないか、それによって対策費を削ることができる可能性がないか検討するために、土木学会を使って数年間を費やす方向が決められ、大学の研究者への根回しが武藤氏から指示された。

最終バックチェックに、地震本部の予測を取り込まないと審査にあたる委員が納得してくれないだろう。武藤はその可能性を排除するため、有力な学者に根回しを指示した。「保安院の職員の意見はどうなる」という検察官の問いに、「専門家の委員さえ了解すれば職員は言わない」と山下氏は答えていた。

2009年6月に開かれた保安院の審議会で、専門家から東電の津波対応が不十分という指摘がされたことについて、土木調査グループの酒井氏は「津波、地震の関係者(専門家)にはネゴしていたが、岡村さん(岡村行信・産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長、地質の専門家)からコメントが出たという状況」と関係者にメールを送っていたことも、公判で明らかになった。水面下で進めていた専門家へのネゴ(交渉)に漏れがあり、公開の審議会で問題になったと白状していたのだ。
同・第24回 公判傍聴記


……テレビドラマにでもしない限り、ほとんどの人は永遠にこういう問題には目を向けない。
でも、もしテレビでドラマ化したりすれば、それを見た人たちは「あ~あ、どうせそういうことでしょ」という気持ちを強めるだけで、ますます社会が劣化、弱体化、無気力化していくのかもしれない。

国が相手なら、とにかく金は入る


で、その福島では、今まさにこんなことになっている。
経済産業省の実証研究として福島県沖に設置された国内最大規模の洋上風力発電施設が、最大出力7000キロワットでの運転をほとんど実施できていないことが(2018年6月)21日、明らかになった。
(略)
実証研究は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もない11年度に始まった。丸紅を中心に、三菱重工業や東大などで構成するグループが受託した。国は18年度までに計585億円の予算を計上し、2000キロワット、5000キロワットの2基を含む計3基を福島県沖20キロの太平洋上に設置した。
2018/06/21 時事ドットコム

政府が東京電力福島第一原発事故からの復興の象徴にしようと福島県沖に設置した浮体式洋上風力発電施設3基のうち、世界最大級の直径167メートルの風車を持つ1基を、採算が見込めないため撤去する方向であることが26日、分かった。商用化を目指し実証研究を続けていたが、機器の不具合で設備利用率が低い状態が続いていた。
(略)
実証研究は福島県楢葉町沖約20キロに設置した風車3基と変電所で12年から実施しており、これまでに計約585億円が投じられている。問題となっているのは出力7000キロワットの一基で、建設費は約152億円。15年12月に運転を開始したが、風車の回転力を発電機に伝える変速機などで問題が続発。17年7月からの1年間の設備利用率は3.7%に低迷しており、新規洋上風力の事業化の目安とされる30%に大きく届かなかった。

 今年8月には経産省が委託した専門家による総括委員会が「初期不具合や解決に至らなかった技術的課題があり、商用運転の実現は困難」「早急に発電を停止し、撤去の準備を進めるべき」と指摘。風車の解体場所として、関連企業の工場に近い淡路島沖か、製造した三菱重工業の長崎造船所の二案を軸に検討に入っている。撤去には建設費の一割程度かかるとみられるという。
2018年10月27日 東京新聞

実際の発電実績データは⇒こちら

この金の使い道、到底「合理的に」考えたとは思えない。
洋上風力の問題点は数々ある。これが実利を追求するプロジェクトであれば数百億かけてやる企業などない。
失敗したと簡単にいっているが、これで請け負った企業が損をしたわけではない。しっかり金は入って「儲かった」のだ。

実用性がないことを承知の上で、巨額の税金を注ぎ込んでもらうために提案した⇒Aタイプ
馬鹿げているよなあ~、大金を海に捨てるようなもんだよなあ~と思いつつも、現場で指揮を執った実務部隊⇒Bタイプ
「それはいい! 福島復興のシンボルになるし、環境にも優しい」と乗せられた政治家や行政⇒Cタイプ

……そういうことだ。

AdobeのCC商法につき合わないで済む方法2018/10/12 12:00

ヤクザのみかじめ料まがいのビジネスがまかり通る時代

前回紹介したアジャ博士はTA2020を3ドルで売りに出し、トライパス社は消えてしまった。
発明や新技術を開放して広く世の中に役立てるか、権利を独占して巨利を得るか……天才と呼ばれる人たち、あるいは先駆的な技術を開発した企業は必ずこうした別れ道に立たされる。

MacOS、Windows、Linux、Tron……コンピュータのOSが、作られた後、ライセンスをどのようにしたかを振り返ってみるといい。
コンピュータなしでは成立しない現代において、OSは共通言語といえる。英語やドイツ語にライセンスがあり、「アジア人が英語を使うにはライセンスが必要です」とか「ドイツ政府に無断でドイツ語文献を翻訳してはいけません」なんていう世界になったら、とても不自由だ。
しかし、IT世界ではそれに近いことが普通に行われている。

Adobe社は2013年5月から、Creative Cloudという、月額いくらという使用料を支払い続ける方法でしか製品を使えなくした。
それまで単体でも販売していたIllustratorやPhotoshop、InDesignといったDTP業界御用達のソフトはすべて通常販売を終了。バージョンアップもできなくなった。
すべての製品が使えるライセンスは月額4,980円で年間契約(新規ユーザーの場合)。PhotoshopやIllustratorなど、単体製品のみだと2,180円/月(同)……とまあ、年間で万単位の料金を支払い続けないとソフトが使えないという、ものすごいことになっている。
おかげで、プロの現場からも猛反発が出ている。
クラウドとは名ばかり、ぼったくり殿様商売に気づきましょう
Amazonのカスタマーレビューより

Adobeから完全撤退
自身のPCからAdobe製品/アプリケーションをすべて削除したいのですが、どのようにすれば可能ですか?方法を教えて下さい。
(略)
アプリケーションソフトを先進的に進めて来たのはもう過去の出来事となってしまいました。衰退する事柄を言い表すのに「あぐらをかく」と言うことがありますが、まさにAdobeに対してそれを感じています。残念ながらMicrosoftやApple、Googleのような恒久性のある存在ではないと判断しましたので、PC内のAdobeすべてを削除/アンインストールする方法を教えて下さい。1秒でも早く私の時間からAdobeを無くしたいです。
Adobeフォーラム内での質問より

これって、クラウドアプリっていえるもんなんですかねぇ。
(略)
要するに、1ヶ月で使えなくするタイマー付きのアプリ(いわゆる体験版ですね)をベースにして、契約した者だけに毎月クラウドで認証(タイマーリセット)して継続使用させるというシステムなんでしょう。
クラウドからリセットかけないと、すぐに使えなくなるクラウド管理型ワンマンスアプリ。
(略)
そもそも、Adobe って、ほんとに創造力のある会社なのかというところからして、私は疑問に感じています。
きちんと、オリジナルの技術で作り上げたのは、ポストスクリプト言語と、その応用技術である PDF くらいなんじゃないんでしょうか?(それらも、あくまで技術成果品であって、創造という類いのものではないですし)
アプリケーションに関していえば、Illustrator 以外はほとんど社外からの買取り・買収品のオンパレードだし。
その Illustrator ですら、初期のバージョンから最新の CC に至るまで、ひたすら FreeHand のマネばかりしてきたコピーまがい商品だから、本当にユーザーの期待に応えてくれる創造力のある会社だとは思えないわけで。
(略)
というわけで、私個人的には、Adobe には何も期待していないし、かかわりたくもないので、とりあえずは Creative Cloud 契約を交わす予定はありません。今後新しいアプリが必要になったら、まずは選択肢から Adobe を外して色々探すことになるでしょう。その方が開発環境の独自性も保てるというものです。
ちょっと一言、Creative Cloud と Adobe に想うこと [FreeHandで行こう!] より)


本当に嫌な時代になった。
新しいものを創り出すというエネルギーではなく、既得権益にしがみつき、いかに合法的、強制的に金を巻き上げ続けられるかという方法論が先行するビジネスモデル。
これは明らかに「文化」としては退廃であり、衰退だろう。

僕がAdobe CC商法に気づかず5年以上過ごせたわけ

Tanupackが、電子書籍だけでなく、オンデマンドで紙の本を製作・販売するようになってだいぶ経つ。
印刷所への入稿は印刷所が指定するフォーマットのPDFで入れている。
DTP業界では今でも、入稿はIllustrator(aiかeps)、Photoshop(PSD)、あるいはPDF形式がほとんどだ。すべてAdobeのフォーマット。

Adobeがすべての製品を月額使用料いくらの方式でしか売らなくなったのは2013年5月のことで、すでに5年以上経っている。ところが、僕はAdobeが上記のような商法に切り替えたことについ最近まで気づかなかった。
そんな長い間、僕がそのことに気づかず、Adobe製品を使い続けてこられたのは、運よく使っている製品がすべて古いバージョンだったからだ。
DTPソフトのInDesignはCS5。Photoshop Elementsは 5 を使っている。
使わなくなって久しいが、Illustrator8、Photoshop7、Acrobat9も持っている。
調べてみたら、Illustrator8の発売は1998年、Photoshop7は2002年、Photoshop Elements 5.0は2006年、Acrobat9は2008年、InDesign CS5は2010年だった。
Illustrator8は20年も前のものだったのか。上智大学の非常勤講師になったとき、アカデミックパックを買うなら今だと思って他のものとセットになっているやつを購入したのだった。以後、印刷所に入稿するのに最終的なaiファイルを作るために使うことがあったが、基本的にはまったく使っていない。

先日、何年ぶりかでPhotoshop7を立ち上げた(PCに入っていないと気づき、インストールディスクからインストールした)が、これはPhotoshopの機能を使うわけではなく、Elements 5.0で作成したRGBのPSDファイルを読み込んでCMYKに変換するためだけ、要するに「ファイルコンバーター」としてのみ使った。
以前からその使い方しかしたことがない。印刷所にPDF入稿するのがあたりまえになってからは、PSDファイルでの入稿からも遠ざかっていた。
今回は、6年ぶりに音楽CDを作るのに、ジャケットや盤面印刷のファイルがIllustratorかPSDの指定だったので、IllustratorよりはPhotoshopのPSDファイルのほうが簡単でいいや、ということで立ち上げたのだった。
ちなみにIllustrator8も、購入時から何かの「制作」に使ったことは一度もなく(あんな使いづらいソフトはないと思う)、もっぱらai形式かeps形式のファイルにコンバートするためだけに使っていた。

Acrobat9は、オフセット印刷に回すときの版下をPDF入稿する際、以前使っていた「パーソナル編集長6.5」で作成したファイルを印刷所指定のPDFに出力するために使っていた。つまりこれもファイルコンバーターとしてしか使っていなかった。
今はパーソナル編集長は使っていない(過去に作成したファイルを呼び出して再利用することはある。名刺印刷とか……)。InDesignには細部をカスタマイズした仕様のPDFに出力する機能がついていて、その際、埋め込んだRGB画像をCMYKに変換してくれるので、AcrobatもPhotoshop7も必要なくなった。
そんなわけで、Adobeのあこぎな商法に悩まされることなく、本や印刷物を作ってこられたというわけだ。

旧バージョンで固定してしまえばいいじゃないの

Illustratorはバージョンが新しくなるとファイル形式の仕様が変わってしまうことが多く、新しいバージョンのIllustratorファイルを古いIllustratorで開くことができない。開けたとしてもレイアウトが崩れたりする。しかし、基本的に古い形式のファイルを新しいバージョンのIllustratorで開くことはできる。
ちなみに、これはMicrosoftのワードなどでも同じで、うちにはdocxに対応したワードはないので、テキストファイルで済むような文書がdocx形式で送られてくると腹が立つ。一応docx形式をdoc形式にコンバートしてくれるコンバーターが出ているので、古いワード(うちで使っているのはWord2002)で内容が読めないようなことはまずないのだが、コンバートする時間がかかるのが腹立たしい。(まあ、10秒もかからないけど)

DTP業界では今でもIllustratorのファイルをやりとりするのはあたりまえになっているが、以前一度だけ利用した小さな印刷所では「入稿はバージョン8形式で」と指定していた。賢明な対応だと思う。
ただ、20年前のIllustrator8はWindows7などにはインストールさえできない。インストーラーに16bitコードが含まれているかららしい。
以前、それで困って検索したら、すぐに⇒このページが見つかり、無事インストールできた。以後、パソコンが代わって再インストールする際にも困らないように、内容はメモにしてとってある。

16年前のPhotoshop7は、保存するドライブの空き容量が概ね1TB以上あると「保存先の容量が足りません」といってきてファイルを保存できないバグを抱えている。
バージョン7が出た2002年当時にはテラバイト単位の保存ドライブなど想定外だったのだろうが、なんともお粗末だ。
仕方なく、Photoshop7でCMYK変換したPSDファイルは一旦容量の小さなドライブに保存してから大きなドライブにコピーするなどしていたが、今回は何の問題もなく読み書きできた。ファイル保存に使っている外付けHDDは4TB。3TB以上になるとOKなのか、それとも4TBのドライブも空き容量が1TB以下なっているのでOKだったのかはよく分からない。まあ、ファイルコンバーターとしてしか使うことはない(それも、PDF入稿が増えた今は、滅多なことでは使わなくなった)ので、問題はない。

最初からPhotoshop7を使わず、Photoshop Elements 5.0を使っているのは、16年前のPhotoshop7よりは12年前のElements5のほうがはるかに使いやすく、機能も豊富だからだ。
Photoshop Elementsだけは今も単独パッケージ販売しているようなので、買えるうちに最新バージョンを買っておこうかなともちょっと思うが、入れた途端に古いAdobe製品すべてを検出して、なんやらガチガチにライセンス関連を固めてしまうとか、使用状況を裏で送信するなどのスパイウェアもどきの機能が仕込まれていそうで怖いのでやらない。

CCを使わずに印刷版下を入れるためには

以上のことをまとめると、AdobeのCC商法に関わることなく印刷所にDTP版下を入稿するために最低限必要なAdobe製品は、
  1. InDesignのCS6以前のバージョン
  2. PhotoshopElements
の2つだ。
この2つがあれば、InDesignがRGB画像をCMYKに変換してからPDF出力してくれるので、AcrobatやPhotoshopはいらない。

CS6以前のInDesignが手に入らない場合は、DTPソフトにパーソナル編集長を使うという手もある。今のパーソナル編集長は、たいていの印刷所が対応してくれる「PDF/X-1a」形式のPDFに出力してくれるので、AcrobatがなくてもPDF入稿ができる。

1万円台で買える使いやすいDTPソフト。昔からファンも多い「パソ編」Amazonで購入


印刷所が「PDF/X-1a」PDFに対応しておらず、PSDかIllustrator形式のファイルしか受け付けてくれない場合は、古いPhotoshopがあればファイルコンバーターとして使える。Photoshop形式(PSD)のファイルはバージョンに関係がないので、ファイルコンバーターとして使う限り、古いバージョンで何の問題もない。20年前のPhotoshop7で保存しても大丈夫なのだ。

え? Illustrator? ファイルコンバーターとしてじゃなくて、最初から画像作成に使う?
この際、他のソフトに乗り換えたほうが精神衛生上いいかもしれませんよ。
特に、これからデザイン業界で仕事をしていこうとしている若い人たちには、AdobeのCC商法にはまる前に、CC契約をしなくても仕事ができる方法を模索することを強く勧めたい。
Illustratorに代わるソフトとしては、Inkscapeというフリーソフト(!)がいちばん人気だ。ai形式のファイルも開くことができ、編集もできる(一部形式を除く)。ai形式での保存はできないがeps形式なら保存できるので、eps形式を要求する印刷所にも渡せるのでは?
Windows、MacOS X、Linuxに対応でOSを選ばないのも素晴らしい。

……といっても、自分が使わなくても、最新形式のIllustratorファイルを受け取らなければいけないプロ現場の人たちはどうしようもないか……。
でも、プロはすでに旧バージョンを持っているはずだから、それで開けないようなファイルが送られてきたら「バージョン○以前の形式にして送ってください」と差し戻す運動でも始めたらいいと思う。

DTP業界全体としても、このままAdobe製品に支配されたままでいいのか、考え直す時期が来ているのではなかろうか。
かつてDTPではPost Scriptフォントを使うのが慣例だったが、販売されるフォントセットの高額さに多くの印刷所やデザイン事務所は泣いていた。
今は高品質で安価 or フリーのOpen Typeフォントがいくらでも出回っていて、そういう商売は通用しなくなった。
今後は、Illustratorの入稿ファイルは「Version○形式まで」で止めるとか、PDF入稿をいっそう進めるとかして、Adobe支配に抵抗する業者が増えていくのではないかと思う。



天才が活躍できる「環境」がない2018/10/12 11:06

垂直型拡大思考ではもう勝てない

少し前に読んだコラムで、こんな記述↓が印象に残った。
世界を見渡すと、全工程を一つの企業に集める垂直統合型の企業構造を拡大してきた日本の大企業が、自社工場を持たないアップルに代表される水平分業型ビジネスへの移行に対応できず、シェアリング・エコノミーやフィンテックといった流れにも著しく立ち遅れている現状がある。
業界横並びやリスク回避指向の強い大企業が、政府の過保護に頼って生きのびてきた結果、必要な淘汰や世代交代が進まなかったことも、原因の一つとしてあげられるだろう。
元凶は経団連。日本にアップルもアマゾンも生まれない当然の理由 『国家権力&メディア一刀両断』by 新恭 2018/09/28)

戦後日本の高度成長は垂直統合型企業によって実現された。事業分野は鉄鋼、電気、自動車それに電力だ。…日本経済全体の成長率はこうした企業の売上高成長率によって規定されてきた。そして未だに合併して企業規模を大きくする方向を目指している。…しかしそれによって未来が積極的に拓かれるわけではない。
(上記コラムに引用されている野口悠紀雄氏「産業革命以前の未来へ」の中の一節)

↑これはまさにその通りだと思った。

最近、中国の経営者たちのエネルギーや(ある種の)真面目さに驚かされることがよくある。
Amazonやアリババなどを戦場に選び、少数精鋭のゲリラ戦を展開している。
中国製品は玉石混淆だが、あきらかに以前に比べて「玉」を見つけることが多くなった。
隙間商品を見つけ、小さな資本のベンチャー企業でも戦えるような工夫をしながら商品価値を上げていく。結果、品質もどんどん高くなる。
未だに粗悪品も多いが、驚くようなコストパフォーマンスの良品が増えた。
こうしたエネルギーが、今の日本企業には見いだせない。

天才が出てこない? それとも天才はつぶされる?

野口氏が垂直統合型企業の代表としてあげた鉄鋼、電気、自動車、電力の分野で日本を代表する大企業が、次々と信じられないような失態を続けている。
神戸製鋼や各自動車メーカーの不正や、政府のトヨタ過保護による歪み、原発爆発やもんじゅへの馬鹿げた税金投入、東芝やシャープの転落ぶり、計算上、数字上だけで「経済は回復している」と言い張るアベノミクスというペテン……。
そしてなにより、こうした現実を認めようとしない下々の人たち。結果、ボケ頭の人たちがいつまでも老害をまき散らし、せっかく蓄えてきた国力が無駄遣いされている。

例えば東芝。
僕はここ10年20年、東芝の電化製品にはとても優れたものが多かったと思うが、今は企業の存続が危ぶまれるような事態になっている。原発を廻ってアメリカの産業界にいいように利用され、身ぐるみ剥がされたからだ。
そんなボケた経営陣をいつまでも居座らせた企業体質が問題だ。
家電分野には今も優秀な人たちが残っているだろうに、本当に残念だ。

思うに、高度経済成長時代の日本は、「日本人が優秀」だったのではなく、一部の天才や努力家が結果を出せる環境があったということではないだろうか。本田宗一郎とか松下幸之助とか井深大とか……。

おそらく今でも優秀な人たちはいるのだろう。でも、そういう人たちが活躍できる「環境」がないのではないか?

先日の日記でも書いたが、オーディオアンプに革命をもたらしたTripath TA2020というICチップを作った Dr.Adya S.Tripathi はインドの出身で、1979年にアメリカに渡った。その後、IBMやヒューレット・パッカードなど、いくつかの企業を渡り歩いた後、1995年に独立してTripathという会社を設立。翌年には、それまでのD級オーディオアンプに革命的な改良を加えた「Class-T」と称する方式を特許登録し、伝説となったICチップTA2020を発売する。
従来のD級アンプは、省電力だが音質は悪いということでオーディオ機器メーカーからは相手にされていなかったのだが、TA2020が出て、常識が完全に覆された。
TA2020はわずか3ドルという低価格で売られ、SONY、Apple、Audio Researchといった名だたるメーカーに採用されて、たちまち世界中に広まった。
Tripath社はその後倒産しているのだが、同社のTA2020に倣ったICチップは他メーカーからゾロゾロ出てきて、今ではスマホやテレビなどだけでなく、「音を出す」機器にはあたりまえに使われている。

これはTA2020の後継ICチップTA2024を使ったミニアンプ。米国デイトン・オーディオの製品 DTA-1。単三乾電池でも駆動できる。Amazonで購入

このTA2020を作った天才技術者・アジャ博士は今どこで何をしているのかと調べたら、2008年にTula Technology Incという会社を設立して会長兼チーフエンジニアを務めていた。
このTula Technologyという会社のWEBサイトを見ると、音響製品やコンピュータではなく、自動車の写真ばかり出てくる。
え? なんの会社?
……なんと、エンジンの効率化、省燃費を実現するDynamic Skip Fire (DSF?)という技術を売りにしている会社なのだった。

音響技術とはなんの関係もなさそうなエンジンの効率化技術への転身?
よくよく考えると、小さな信号を増幅する際にデジタル技術で効率化を図るという発想は、エンジンのトルクをデジタル技術で効率よく制御するということに結びついているのかもしれない。

音響工学からエンジン工学へという自由さにも驚かされるが、次世代自動車ともてはやされるものの、実際には公的資金の援助(それこそ政府の過保護)に頼らざるをえない(まともな技術として成立しえない)燃料電池車だのではなく、従来の燃料エンジンを改良しようという技術であることに感心する。
従来型エンジンのトルク制御に関する技術ということは、火力発電のタービンを制御して、より細かな出力制御を低燃費で実現することなどにも応用できそうな気がする。そうした技術こそが、今の時代には求められている。

アジャ博士は本物の天才であり、合理性を最重視する人なのだろう。
今の日本では、こうした人物が活躍できない社会構造や教育環境になってしまっている。これを解決していかない限り、日本経済の復活はありえない。



ノーベル賞は「偉い」のか?2018/10/04 20:52

ノーベル物理学賞発表直前のテレビはこんな感じだった

「教科書を信じない」の波紋

一番重要なのは、何か知りたい、不思議だと思う心を大切にする。教科書に書いてあることを信じない。本当はどうなっているのかという心を大切にする。自分の目でものを見る、そして納得する。そこまであきらめない。

先日、ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑氏のこの言葉が話題になった。
NHKのニュースでのインタビューでも同じことを言っていた↓


この「教科書を信じない」発言は、かなりのインパクトがあったようで、ネット上にはさまざまな反応コメントが飛び交った

この発言を鵜呑みにするな的な反応をまとめると、
「教科書を信じない」を真に受けて教科書も読まないような馬鹿は論外。「教科書を勉強しなくていい」ではない。教科書は信じておいたほうがいい
……となるだろうか。
でも、この手のコメントをムキになって書き込んでいる輩がいっぱいいる時点で、今の日本はかなりダメなんじゃないかと思う。


小学生向けの教科書副読本「わくわく原子力ランド」 2010年11月、文部科学省発行 中学生向けには「チャレンジ!原子力ワールド」という同様の副読本が配布されていた


これは副読本だが、国が作っていた「教科書」だ。
2011年の原発爆発後にすべて回収されたらしいが、「歴史的資料」として、今でもネット上にはあちこち残されている。「わくわく原子力ランド」で検索すれば簡単に見つけられる。こういうものが、ついこの前まで国が作った教科書副読本として小中学生に与えられていたという「歴史的事実」をしっかり記憶に刻んでおきたい。



国会図書館での検索結果



↑「トンデモ本」と呼んでもいい内容なだけでなく、子供たちにトンデモなことを信じ込ませる、巧妙な誘導に終始していた↓



↑火力発電を悪者に仕立てるために、イラストもこんな風にアレンジされているなど、随所にあからさまな「誘導」「洗脳操作」がある


この「副読本問題」については、福島大学放射線副読本研究会というグループが「放射線と被ばくの問題を考えるための副読本」という興味深いものを出しているので、ついでに紹介しておきたい。

学校で使う「教科書」は、国が「検定」している。その時点で、時の政治権力の意向が入っていると考えるほうが自然なことだろう。

ノーベル賞は「偉い」のか?

毎回嫌になるのが、日本人がノーベル賞をとった、とらないということに焦点を絞って報道しているメディアの低俗さだ。
本庶さんがノーベル医学・生理学賞を受賞したことで、翌日、物理学賞もいけるんじゃないかと、ニュース番組では「物理学賞をとれそうな日本人学者リスト」なるものをデカデカとパネルにして待ち構えていたが、日本人以外が受賞と決まった瞬間「残念でした」とだけ伝えて終わってしまった。受賞した学者はどんな人で、どんな研究成果をあげたのかという肝心な部分にまったく触れないのだから、どうしようもない。

↑とれるか? と騒がれた人たちはとんだ迷惑だったのでは?


本庶さん流に言うなら、そもそも

ノーベル賞ってそんなにすごいのか?
ノーベル賞をとることに価値があるのか?

という疑問を持つべきだろう。
ノーベル賞の中でも、平和賞と文学賞は、「西欧社会が世界をどうみているか、どうあるべきだと考えているか」というメッセージ発信ツールになっているという指摘がかねてからされてきた。
特に平和賞の受賞者に関しては常に議論が巻き起こる。
佐藤栄作、金大中、ヘンリー・キッシンジャー、イツハク・ラビン、シモン・ペレス、ヤーセル・アラファト、アル・ゴア……みんなノーベル平和賞受賞者だ。
バラク・オバマは2009年の大統領就任当初(候補者推薦の締切が就任12日後)に受賞しており、大統領として何かを成し遂げたからではなく「黒人がアメリカ大統領に就任したこと自体に意味がある」という解釈しかできない。

平和賞はスウェーデンではなくノルウェーで授与される。選考を司るノルウェー・ノーベル委員会は、ノルウェーの国会が指名する5人の委員と1人の書記で構成されている。つまり授与主体はノルウェー国家である、といってもいい。
西欧先進国社会を代表してノルウェーが、この人に平和賞を与えることが我々が考える世界平和のメッセージだ、と発信している、といえるだろう。

日本人の頭には「ノーベル賞受賞者=歴史に名を残す=偉人」という刷り込みがあるようだが、それは大間違いだ。
今年は金正恩とドナルド・トランプが平和賞の候補ではないかなどと冗談のような噂が飛び交ったが、実際、2000年には「史上初の南北首脳会談を実現させた」という理由で、当時の金大中大韓民国大統領が平和賞を受賞しているし、さらに遡れば、アドルフ・ヒトラー、ベニート・ムッソリーニ、ヨシフ・スターリンといった名だたる独裁者らが候補にあがっていたことも判明している。(ヒトラーは皮肉を込めて推薦されたというが……)


文学賞に関しても同様だ。
例えば、2006年のノーベル文学賞はトルコのオルハン・パムクが受賞したが、これも西欧世界からイスラム社会へのメッセージだという人たちがいる。
彼の受賞にスウェーデン・アカデミーの、選考過程で政治的状況は考慮していないとの公式発表は 全く信じない。『第二次世界大戦回顧録』で受賞したチャーチルがいい例だが、文学賞であれ政治的状況が強く反映されるのは知られている。たとえ優れた作品 をいくら書いたところで、パムク氏がアルメニア人大量殺害を認めない姿勢ならば、受賞は絶対出来なかっただろう。
トーキング・マイノリティ トルコ初のノーベル文学賞受賞

「トルコは東西の懸け橋、と形容されることが多いが、重要なのはパムク氏がヨーロッパ側に橋を渡ってきた人だということ。彼への受賞には、イスラム教徒が固有文化の障壁を自ら越えて西欧的価値観を共有してほしいという、西欧知識人のメッセージが読み取れる」と池内(恵)氏は見る。
(2006/10/17 読売新聞)


2016年は音楽畑のボブ・ディランが受賞して話題になったが、あれも穿った見方をすれば、トランプを大統領にして、乱暴粗雑低教養を加速させているアメリカに対してのヨーロッパ側からの嫌みかもしれない。

その視点で考えれば、日本国内で何年もの間「村上春樹がノーベル文学賞を取れるか」と騒いでいるのは能天気な勘違いであり、昨年、日本で生まれたがイギリス国籍を取得して「イギリス人」になったカズオ・イシグロが受賞したことも頷ける。
ちなみに、日本の文部科学省は、南部陽一郎氏(2008年、物理学賞。アメリカ国籍)、中村修二氏(2014年、物理学賞。アメリカ国籍)は「ノーベル賞を受賞した日本人」としているが、イギリス国籍のカズオ・イシグロ氏は数に入れていない。

NHK大河ドラマの罪

教科書に出てくる武将だの政治家だのは「歴史上の人物」かもしれないが、ほとんどの場合「偉人」ではない。直接間接を問わず、彼らのせいで死んだり殺されたりした人がどれだけいるか考えてみればよい。
人びとにまともな歴史観をもたせなくさせている元凶がテレビの「歴史ドラマ」、映画、歴史小説の類だ。
今年のNHK大河ドラマは西郷隆盛が主人公。それにあやかったわけでもなかろうが、2019年版の中学道徳教科書にこんな題材が入ることになった。
2019年度版の中学3年生向け教科書「中学道徳3 とびだそう未来へ」(教育出版)に、150年前の戊辰戦争で激しく敵対した薩摩藩の西郷隆盛と庄内藩の菅実秀の戦後の深い交流を紹介したコラム「徳の交わり―西郷(せご)どんと菅(すげ)はん」が掲載されている。敗れた庄内藩に対する西郷の寛大な処分と、西郷の人柄に引かれた菅ら庄内藩士と西郷の交わり、西郷の教えを基にした松ケ岡開墾、菅らによる「南洲翁遺訓」の編さんに触れ、郷土の復興に尽くした先人の姿を通じて、郷土の発展のために寄与することの意義を伝えている。
荘内日報 2018/06/25 西郷隆盛と菅実秀「徳の交わり」 中3生の道徳教科書に


これに対して異を唱えているのが「ワッパ騒動義民顕彰会」。⇒こちらのブログにその内容が詳しく出ている。
複数の資料から検証される西郷、菅の実像を紹介した上で、結論部にはこう記されている。
(菅はん」こと菅実秀が、1890(明治23)年に出した)『南洲翁遺訓』に見られる「徳」は、「君子」つまり支配者、治政者、上司としての在り方や心構えの「徳」であり、民主主義の現代社会における価値とは相いれないのではないかと考えられます。
教科書掲載を機に、地域の歴史を学び地域を知り地域を創るきっかけになれば幸いですが、史実に目を閉ざし情緒的な「美談」が流布してしまうことにならないか懸念しています。
道徳教科書への「徳の交わり~西郷どんと菅はん」掲載についての意見書 結び部分)


今年(2018年)から、道徳が小学校の正式な教科として加わった。中学は来年度からだ。↑これは、その教科書の話である。

3.11後、「わくわく原子力ランド」は回収されたが、教育界全体をみると、歴史的大失敗に学ぶどころか、以前にも増して危ない方向に突き進んでいる。
柴山昌彦文部科学相は2日の就任会見で、教育勅語に関し「同胞を大切にする、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」と述べた。
日本経済新聞 2018/10/03


新しい文科相は、教育勅語はその中身よりも、それが歴史の中でどのように使われたかということが問題だという認識がまったくできていないようだ。
今、この国のトップには戦前回帰志向という極めて特殊な思考傾向の人たちが集まって、歴史を作ろうとしている。
一方で、「難しいことはよく分からないけど、私の回りではみんなこう言っている」という人が増えている。
そのレベルに合わせて、メディアが「日本人ノーベル賞受賞者」が出るか出ないかで騒いでいていいのか。
そうではないよ、本当はこうなんだよ、こういう考え方もあるんだよ、と分かりやすく教えてあげるのがメディアの仕事ではないのか。


森水学園第三分校の校歌2018/09/24 11:30

森水学園第三分校 校歌

↑Clickして、まずは聴いてみましょう




★大きい画面で見たいかたは⇒こちらへどうぞ

森水学園初代学園長の森水生士センセは、カタカムナのウタヒでいちばん有名な「ヒフミヨイの歌」を学園の校歌にしようとしていたようですが、完成を見ずに不慮の死を遂げました。
学園長の死後、音楽担当の林田光センセが作曲、林田センセが作った歌詞に鵯田つぐみセンセが補作してできあがったのが第一校歌です。
生徒たちからは「校歌ということを意識しすぎて普通になっちゃったんじゃない?」など、評判は今ひとつのようですが、これはこれで学園の精神を歌い込もうと努力して作られた立派な校歌だと思います。

元になった「ヒフミヨイの歌」を見ておきましょう。
ヒフミヨイ   (一二三四五)
マワリテメクル   (回りて巡る)
ムナヤコト   (六七八九十)
アウノスへシレ   (合うの術知れ)
カタチサキ   (形先)
ソラニモロケセ   (空にもろ消せ)
ユヱヌオヲ   (結えぬ尾を)
ハエツヰネホン   (生え 終 根本)
カタカムナ   (形ある世界と形のない世界)


この「ヒフミヨイの歌」の精神を歌詞に込めたのが、我が森水学園第三分校の校歌です。

森水学園第一校歌「ヒフミヨイの歌」

(林田光 作詞・作曲、鵯田つぐみ 補作詞)


ヒフミヨイ 時間(とき)も物質(かたち)も
回りてめぐる この世界に
生まれ出で 出会いを重ね
形なき闇を 見つめる術知る

ムナヤコト 夜が訪れ
また日は昇る この世界よ
罪も汚れも 結べぬ答えも
すべて吐き出し 空にもろ消せ

ああ、森と水が 我らが母校
命を学ぶ 森水学園

練習用に譜面とメロディだけの動画も作りました
★画面右下のスピーカーマークをクリックして音を出してください


ちなみに、全国に散らばる森水学園関係者や生徒の多くは、⇒この曲↓を校歌にもらってくればいいのではないか、と言っています。
第二校歌としてご紹介しておきます。


2011年上智大学講堂にて KAMUNA 最後の上智ライブ


大坂なおみの快挙で改めて考えさせられたこと2018/09/12 11:11

ブーイングが起き、帽子で顔を隠す大坂とほくそ笑むアダムズ会長(白い服の女性)
テニスの全米オープン2018は、女子シングルスで大坂なおみ選手が「日本人初」のグランドスラム優勝という快挙を成し遂げ、世界中をわかせた。
まさかここまで強くなっていたとは! と驚かされると同時に、勝負以外のところで様々なことを考えさせられたので、雑感としていくつかまとめておきたい。

名前の付け方は難しいし、大事だね

優勝後の記者会見の中で、スペイン訛りの強い記者が大坂にこんな質問をした。
「あなたは大阪生まれで、姓がOsakaだけれど、なんかおかしくないですか? 父親はハイチ人*でしょう? 父親の姓を名乗るべきでは?」
 *実際にはハイチ出身のアメリカ人
これに対してなおみんは笑ってこう答えた。
「じゃあ、2014年から使い古しているジョークを言うわね。いいかしら。大阪で生まれた人はみんなOsakaっていう姓なのよ。いぇ~い!」
記者はビックリして「え? 本当に?」と応じたので、今度はジョークが通じなかったと知ったなおみんのほうがビックリして、
「ノ~~~~~! そんなわけないでしょ。母親の姓が大坂なのよ。母親の姓を名乗っているだけ」と真面目に答えなければならなくなった。
そのときの動画と記事は⇒こちら
大坂なおみといえば「日本に住んでいないし、日本語も話せない日本人選手」としてよく話題にされるが、名前にはカタカナが入っておらず、浪花のおばちゃんのような堂々とした名前だ。
逆に、陸上のサニブラウン・アブドル・ハキームは福岡県生まれで日本で育った*1ので日本語ネイティブだが、名前は全部カタカナ*2で日本の片鱗がまったくない。
*1その後、都内の城西大学附属城西中学校・高等学校に進学している
*2姓はサニブラウンで、アブドル・ハキームはガーナ人の祖父がつけた。アブドルは「司る人」、ハキームは「賢い」という意味だという

サニブラウンは英語がうまく喋れないまま渡米して、2017年9月からフロリダ大学に留学しているが、なおみんとサニーの名前と日常言語の逆転現象を考えるととても興味深い。

ちなみに、大坂なおみには「まり」という姉がいるが、まりもなおみも父親(レオナルド・フランソワ氏)がつけたという。先見の明があったというか、妻が強かったのか、これは大きなポイントだったと思う。

おじいちゃん登場

なおみんの母親・大坂環(たまき)さんは北海道根室出身で、環さんの父親・大坂鉄夫さんは現在根室漁協の組合長。鉄夫じいちゃんは4歳で渡米した娘一家との交流は普段あまりないようだが、なおみんがBNPパリバ・オープンの女子シングルスでツアー大会初優勝を果たした後、メディアの前で会見に応じた。
それまでは人前に出てこなかったのだが、出てきたのは「孫が可哀想になった」からだという。
大坂氏は、孫であるなおみ選手が大活躍している一方で、ネット上では「日本語が喋れない」「日本人選手には見えない」などのコメントが散見されることに「日本にルーツがあるということを知ってほしいという思いがあった」と語った。
大坂なおみの祖父が記者会見を開いた「憂慮すべき」理由 Asa-jo

今回、全米オープンの表彰式でなおみんが受けた理不尽な扱いの裏には、父方がハイチ、母方が日本であることに対しての差別意識が存在していたと思うが、日本でも同様の攻撃をする人たちが少なからずいたことも忘れてはいけないだろう。

ネット上でもテレビでも何度も登場したこの家族写真はとてもいい雰囲気だ。姉は誰かに似ているなあと思っていたが、福士加代子だと気づいた。父親はなんとなくベン・ジョンソンに似ている

全米オープンを制した後でも、日本のテレビ局はなおみんの言葉にカタカナのテロップ表示をつけるなどして、批判を受けている
今回の事件を批評する前に、まずは日本にいる我々の側にもこうした意識が隠れているのではないかと自戒しておきたい。

表彰式スピーチでの「I'm sorry」の意味は?


うちではWOWOWの生中継を録画しておき、数時間後にすべてを見たので、一体何が起きたのかは分かっている。
しかし、報道で切り取られた画面や寸評にしか接していない人も多いと思うので、簡単にことの流れをまとめておく。

  1. 第1セットを6-2という予想外の差で取られたセリーナがどんどん苛立っていく
  2. 第2セット序盤、セリーナのコーチが観客席でサインを送るような仕草をしていたのを主審が見て、セリーナ側に警告を出した(禁止されているコーチング違反)
  3. それに対してセリーナがぶち切れして、主審に食ってかかる
  4. その後もゲームを落として、ラケットをコートに叩きつけてぐにゃぐにゃに破壊
  5. それに対して主審が再び警告を出し、この時点で警告累積(2回目)でセリーナに1ポイントペナルティ。次の大坂のサービスゲームを15-0から始めさせる
  6. これに対してセリーナがさらにぶち切れて、主審に執拗に詰め寄る。会場からもブーイングの嵐。大坂のサービスゲームがなかなか始められない。
  7. その後もコートチェンジの際にセリーナは主審に抗議を続けて、「You are liar!」という叫び声が会場にまで聞こえる。
  8. 主審を侮辱する行為に対して、主審は1ゲームペナルティを与える。セリーナはさらにぶち切れで、試合を監督する主任レフェリーや運営責任者までコートに呼ばれる。その間、大坂はじっと待っている。
  9. 大坂のサービスゲーム1つがセリーナへのペナルティでやらずに勝ちとされ、スコアが5-3となる。次がセリーナのサービスゲームだったが、会場が異様な雰囲気に。大坂はこのゲームでの勝負を避けて、セリーナに40-0で勝たせる。
  10. その後の大坂のサービスゲームで勝って、6-4で第2セットも取り、優勝。
  11. セリーナは大坂をハグして勝利をたたえるも、主審とは握手を拒否し、まだ「私に謝れ」と言い放つ。
  12. 異様な雰囲気のまま始まった優勝セレモニーでは、司会者は顔をこわばらせたままで、ブーイングを収めようとしない。
  13. しかも、あろうことか、マイクの前に立った全米テニス協会(USTA)のカトリーナ・アダムズ会長*3は、「今回は私たちが期待していた終わり方ではありませんでしたね。でも、セリーナ、あなたはチャンピオンの中のチャンピオンです。母親となった彼女はすべての人びとから尊敬されるべき模範です」と、なおみんへの賛辞ではなく、セリーナへの賛辞でスピーチを始めた*4
  14. ブーイングが収まらない観客を前に、なおみんは「すみません。みんなが彼女(セリーナ)を応援していたのは分かっています。こんな終わり方でごめんなさい」*5と謝る羽目になった。
……本当に腹立たしいが、こういうことが現実に起きていたのだ。

*350歳、シカゴ出身。プロ選手時代の最高順位は67位。全米オープンでの最高成績は3回戦
*4“Perhaps it’s not the finish we were looking for today, but Serena, you are a champion of all champions. This mama is a role model and respected by all.”
*5“I’m sorry, I know that everyone was cheering for her and I’m sorry it had to end like this.”

このなおみんの「I'm sorry」の訳をめぐって、日本ではちょっとした論争が起きた。
試合後のインタビューでは涙ながらに「みんな彼女(ウィリアムズ)を応援していたのは知っていた。勝ってごめんなさい。セリーナとプレーするのが夢だった」と話した。ウィリアムズ選手は「なおみ、おめでとう」とたたえた。
「勝ってごめんなさい」大坂冷静さ貫く 悲願の全米初制覇  日本経済新聞 2018/09/09

これに対して、フリーアナウンサーの草野満代氏は、ラジオ番組の中で「勝ってごめんなさい、は日本メディアの誤訳だ」と指摘した。

他にも、英語に堪能な人たちから、このI'm sorry. は、「ごめんなさい」ではなく「残念です」「ガッカリです」と訳すべきだというコメントがネット上にはあふれた。
「残念です」であれば、謝罪ではなく、むしろこんなひどい試合にしてしまった人たちにがっかりさせられたという抗議のニュアンスが強まる。
普通に考えれば、この場面でのsorryは当然そうなるだろう。しかし、実際の場面を何度見ても、また、試合後のいくつかのインタビューでの受け答えを聞いても、なおみんのsorryには抗議のニュアンスは一切なく、むしろ「ごめんなさい」に近いsorryだったのだろうと判断できる。
なおみんは試合前から、優勝インタビューでのスピーチ草稿を用意していたという。もしかすると、セリーナファンが多いことが分かっている観客席に向けて、ジョークっぽく「みんなセリーナを応援していたんでしょ。知ってるよ。でも勝っちゃって、ごめんねごめんね~」と、U字工事のノリで言うつもりだったのかもしれない。まったく同じ言葉でも、まともな優勝セレモニーなら、笑顔でこの言葉を言えたはずだった。
セリーナがあんな風にみっともなく自滅(英語メディアは「メルトダウン」と表現していた)しなくても、あの試合内容だったら、間違いなくあのままなおみんの圧勝だっただろう。
その権利を奪ったセリーナ、アダムズ会長、観客らの罪はとてつもなく深い。

セリーナよりも罪が重いアダムズ全米テニス協会会長

セリーナの行動があまりにも子どもっぽくて礼儀知らずなのは当然だが、それ以上に許せないのはカトリーナ・アダムズ全米テニス協会会長の態度だ。
スピーチの冒頭が「Perhaps it’s not the finish we were looking for today.」なのだ。最初はセリーナの態度を諫めてこう言ったのかと思ったが、その後、セリーナを散々持ち上げたあげく、なおみんにはほんの数秒の「おめでとう」という言葉だけで優勝トロフィーを渡したひどい態度を見て驚いた。
これがテニス協会の会長? どうなっているんだ、と。
これについては、日本のメディアはほとんど触れていない。アメリカのメディアがしっかり非難していることが救いではある。
これほどまでにスポーツマンシップに反した事件があっただろうか。
(略)
全米テニス協会会長カトリーナ・アダムズは、表彰式を勝利者を軽んじ、ウィリアムズを持ち上げることで始めた。彼女のエゴイズムこそ厳しく糾弾されるべきなのに。
NEW YORK POST 2018/09/08 It's shameful what US Open did to Naomi Osaka, Maureen Callahan
It’s hard to recall a more unsportsmanlike event.

Here was a young girl who pulled off one of the greatest upsets ever, who fought for every point she earned, ashamed.

At the awards ceremony, Osaka covered her face with her black visor and cried. The crowd booed her. Katrina Adams, chairman and president of the USTA, opened the awards ceremony by denigrating the winner and lionizing Williams ── whose ego, if anything, needs piercing.

あろうことか、アダムズ会長はその後もUS Openの公式ツイッターアカウントで、セリーナが表彰式で観客に「ブーイングはもうやめよう」と呼びかけた行動を褒め称えるコメントを出している。
盗っ人猛々しいとはまさにこのことだ。
セリーナがこのときに発した言葉を一言一句たがわず書いておこう。
"I don’t want to be rude, but I don’t want to interrupt. I don’t want to do questions. I just want to tell you guys, she played well, this is her first Grand Slam.
I know you guys were here rooting and I was rooting too, but let’s make this the best moment we can and we’ll get through it. But let’s give everyone the credit where credit is due and let’s not boo anymore. We’re going to get through this and let’s be positive.
Congratulations Naomi. No more booing"

「野暮なことは言いたくないし、みなさんの気持ちに水を差すようなこともしたくない。物議を醸すこともしたくない。でも、みなさん、聞いて。彼女はよくやったわ。しかもこれは彼女にとって初めてのグランドスラム優勝なのよ。
みなさんが私の応援のためにここに来てくれたってことは分かってる、私もそのつもりだった。でも、この場をベストな瞬間にしましょうよ。収めて先に進みましょう。
誰に対しても、お手柄はお手柄として認めてあげましょう。
ブーイングはダメ。私たちはこれを乗り越えていける。前向きになりましょう。もうブーイングはなしよ」

なんという傲慢さ。
自分が頂点に立ち、賞賛されるのが当然だったけれど、そうならなかった。でも私たち(we)はこれを乗り越えて前に進みましょう、と言っているのだ。とてもスポーツの話とは思えない。
これをアダムズ会長は「すばらしい」と褒めあげているのだ。
表彰式が始まったときにブーイングが起こり、なおみんが泣きだしたとき、アダムズ会長は少し顔を背けてニヤッと笑っている。下の動画でも確認できる。

そして、全世界を驚かせたシーン……。
She turned to Williams. “I’m really grateful I was able to play with you,” Osaka said. “Thank you.” She bowed her head to Williams, and Williams just took it ─ no reciprocation, no emotion.

大坂はウィリアムズに向き直り言った。「あなたと試合ができて本当に感謝しています。ありがとうございます」
彼女はウィリアムズに向かってお辞儀をしたが、それに対してウィリアムズはなんの感情も反応も示さなかった。
It's shameful what US Open did to Naomi Osaka , Maureen Callahan

差別問題は日本でもアメリカでも悪化している?

今回の事件についてかなり分かりやすく紹介・解説しているブログがあった。
そこにこんな記述がある。
今回のセレモニーを見て、私の好きなアメリカはどこにいってしまったんだ!?と率直に悲しくなってしまったのです。

私が小学校から高校まで向こうで生活していた時は「有色人種や異国民に対する差別や区別の意識が完全になくなるまで、まだ何十年もかかるだろうけど、良い方向に来ている」と感じていました。毎年少しずつ改善していたからです。
特に努力を重ねて成功を収めた者には惜しみない賞賛の拍手を送るのがアメリカ人の素晴らしいところでした。
それは一体どこにいってしまったのでしょう。
まるで時代が後退しているかのようです。

最近、米国に住む2世、3世の友人からも「差別的な問題が増えた。子どもが酷いことを言われた」と聞くことが多くなってきました。その肌感を証明するかのような出来事が今回のトロフィーセレモニーだったのではないかと危惧しています。

全て政治につなげる訳ではありませんが、やはり世の中の風潮というのは政治やリーダーの考え方に染まっていくのかと憂いを抱いてしまうのです。
松田公太 to the next satage 「大坂なおみ 全米オープン 優勝!日本選手初の偉業!」 2018/09/10)

そう。まさにそれ。いちばん気になったのは「それ」なのだ。
今回のことも、もしセリーナの相手がハレプ(ルーマニア、白人)、ウォズニアツキ(デンマーク、白人)、ケルバー(ドイツ、白人)らであったら、ここまでひどい表彰式にはならなかったのではないだろうか。
ビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹にしても、テニス界で強くなっていくまでにどれだけの差別を受けたか分からない。アダムズ会長も黒人の血が入っており、ウィリアムズ姉妹よりずっと前の時代にプロテニス選手としてやっていた。成績もパッとしていないし、そんな黒人女性が全米テニス協会の会長(女子だけではなく、男女合わせての協会)に成り上がるまでの苦労は大変なものだっただろう。
子供のときにDVを受けた人が大人になって同じようにDVを行う親になりやすいという説はよく聞くが、差別を受けて苦労した人が大人になって成功し、権力や名声を得たときに、自分よりもっと弱い立場の人間を差別する人間になっているというのでは悲しすぎる。

性差別? それを主張したいなら別の場でやれ

一部では、セリーナがあれだけ切れたのは、最初のコーチング警告について、男子プレーヤーなら咎められないのに、女子プレーヤーだから警告を受けた。性差別だという主張をしたのだ、と擁護している。
往年の名選手ビリー・ジーン・キングまでもが、
When a woman is emotional, she’s “hysterical” and she’s penalized for it. When a man does the same, he’s “outspoken” & and there are no repercussions. Thank you, @serenawilliams, for calling out this double standard. More voices are needed to do the same.

女性が感情的になると「ヒステリック」だといわれ、罰を受ける。男性が同じことをすると「ずけずけものを言う」と評され、問題にされない。このダブルスタンダードに声を上げてくれてありがとう、セリーナ・ウィリアムズ。彼女に続くことが必要よ。

ツイッターに書き込みワシントンポスト紙に寄稿までしている。
I understand what motivated Williams to do what she did. And I hope every single girl and woman watching yesterday’s match realizes they should always stand up for themselves and for what they believe is right. Nothing will ever change if they don’t.

私はウィリアムズがなぜああいう行動を取ったか理解できる。そして、昨日の試合を観ていたすべての女性たちに、自分が正しいと信じるもののために立ちあがるべきだと分かってほしい。そうしなければ何も変わらないのだから。
Billie Jean King: Serena is still treated differently than male athletes Washington Post 2018/09/09

何を言っているんだと思う。
それをやるなら試合の外でやりなさい。
昨日のセリーナの行動はそういう問題以前のことであり、こんな低次元の主張を繰り返していたら、本当に性差別と戦っている人たちにとってもマイナスにしかならない。
傲慢になって正しいことが見えなくなる人間は、人種や性に関係なく存在しているということを思い知らされる。

同じ女子テニス界のレジェンドでも、マーガレット・コートはこう言っている。
"It's sad for the sport when a player tries to become bigger than the rules.

選手がルールより偉くなろうとすることほど、スポーツにとって悲しいことはない
Serena Williams tried to become bigger than the rules - Margaret Court Sporting News 2018/09/09

少し補うなら、セリーナやアダムズ会長のひどい傲慢さに比べ、なおみんの言動は本当に素晴らしかったが、それを「日本人らしさ」だとことさら持ち上げるのも危険なことだ。魅力的な性格の人間は、人種に関係なく存在する。
「なおみは素晴らしい」だけでいいのだ。

口直しにこんなのを

ここで終わるとほんとに残念すぎるので、最後、口直しにこんな動画も貼り付けておこう。
今年5月に公開された日清のCM。これには元ネタがある。↓これ


上の動画は現在再生120万回超え。下の動画は661万回超え。
日清が「おおさか」と「おおさこ」をかけてパロディ動画のCMを作ったときは、「大迫」のほうが圧倒的に知れ渡っていたわけだが、これからは逆転するだろう。
それにしても、この高校サッカーチームの監督やなおみんのコーチ陣はいいよなあ。昨今、日本スポーツ界の話題といえばパワハラ問題ばかりだったから、この動画を見てホッとしましょうか。

「そんなコト考えたことなかったクイズ」のダメなトコ2018/09/01 12:14

番組放送画面より
「平成生まれ3000万人!そんなコト考えた事なかったクイズ」(朝日放送)というのが8月28日のゴールデンタイムに3時間枠を使って放送され、物議を醸した。
ネットでさんざん取り上げられているので、今さら書くのもアホらしいと思いつつ、「いや、突っ込むのはそこじゃない」というところばかりが批判されている気がするので、モヤモヤを吐き出してみる。

結論を先に言えば、この番組がひどいものになった原因は、
  • 「そんなコト考えたことなかった」という着眼点はいいのに、無理矢理「平成生まれは~」ともっていった制作姿勢がダメだった
  • 制作側にも「そんなこと考えたことないし、考えてもしょうがない。私は言われた仕事をこなすだけ」というスタッフが多かった
  • 企画した上のほう(昭和生まれのPやD)が「それは視聴者には難しすぎるからカット」を連発したので、問題の練り込みは雑に、解説部分は間違いだらけでグダグダになった
……ということだと推察する。
言い換えれば、無気力・無教養・傲慢の合わせ技だ。
以下、具体的に見ていきたい。

この番組の意図と見どころについて、番組紹介サイトにはこう書かれている。
昭和生まれにとっての当たり前は平成生まれに通用するのか?
それを検証するため、昭和生まれの芸能人たちが「平成生まれでもさすがに知っているだろう」ということをクイズで出題していくバラエティ!

で、どんなクイズ(質問)が出されたかというと、
  • (1)牛肉は牛の肉。豚肉は豚の肉。ではトリ肉は何の肉?
  • (2)ご飯に梅干しが乗った弁当を一般的に何と呼ぶ?
  • (3)車はガソリンで動いているが、電車は何で動いている?
  • (4)家庭で使うガスは元々地球上のどこにあるもの?
  • (5)トイレのウンチはどこを通り、どこへたどり着く?
  • (6)雲から降る雨は、そもそもどこの水?
  • (7)夜に輝く月。どうして光ってる?
  • (8)1年に366日ある年を何という?

……というもの。

で、ネットで叩いていた人たちの代表的ないい分をまとめると、
  1. 常識のない人は年齢に関係なくいる。「平成生まれは常識がない」という括りが先にある番組制作意図が許せない
  2. 鶏肉と漢字で書けばいいものをわざと「トリ肉」と表記して「鳥の肉」という答えを誤答だとするのはおかしい
  3. あんな常識問題を間違えるはずがない。台本があるヤラセだ

というのが代表的だった。
1 は至極ごもっとも。「こういう子どもに育てた昭和世代の親こそ恥ずかしい」という声もあった。それもごもっとも。
2 は……どうでもいい。この問題を見たら普通、出題者の意図が分からないはずはないし、「鳥」と答えている子はムキになって「スズメとかニワトリとかツバメとかいっぱいいて、その全般みたいな……」と答えていた。別の子は「焼き鳥屋さんとか行ったらスズメとか出てくるじゃないですか」と言っていた。さらに別の子は「一種類なんですか?」とムキになって反論していた。
ネットにいっぱい出てくる「問題が悪い」の声は、まさにこの子と同じで、ニワトリと答えさせたいならちゃんと「鶏肉」と書くなり、「スーパーやコンビニで売っている唐揚げに使われている肉は」と、限定した問いかたにしない番組制作者のほうがバカだ、というもの。それも分かるけれど、まあ、大した問題じゃない。問題の作り方が雑だな~、で終わり。
多分、この人は番組制作側の思惑通りの答えを出したのだと思う
3 については微妙なところ。見直してみても、台本があって、わざとウケ狙いの答えを書かせていたと思えるシーンは少なかった。反論していた子たちの表情や声のトーンで分かる。

番組制作側のスタッフに教養がない

僕がこの番組を見ていて心底ガックリきたのは、解答席に座っていた若い世代(現役大学生や大学合格歴のある人たち)の解答内容がひどかったことよりも、番組を制作している側の教養のなさと、仕事の雑さだ。

ここで改めて、各問題と番組内で「正しいとされた答え」を見てみる。
  • (1)牛肉は牛の肉。豚肉は豚の肉。ではトリ肉は何の肉? ──A:ニワトリ
  • (2)ご飯に梅干しが乗った弁当を一般的に何と呼ぶ? ──A:日の丸弁当
  • (3)車はガソリンで動いているが、電車は何で動いている? ──A:電気
  • (4)家庭で使う都市ガスは元々地球上のどこにあるもの? ──A:地中
  • (5)トイレのウンチはどこを通り、どこへたどり着く? ──A:下水道を通り下水処理場へ
  • (6)雲から降る雨は、そもそもどこの水? ──A:海
  • (7)夜に輝く月。どうして光ってる? ──A:太陽の光を反射している
  • (8)1年に366日ある年を何という? ──A:閏(うるう)年

これを見て、明らかにおかしいのは「雲から降る雨は、そもそもどこの水?」という問題。「どこの水」という問いかたがおかしいし、答えが「海」なのもおかしい。


言うまでもなく、上空に上がっていく水蒸気の元は海の水だけではない。海は広大だから、その割合は大きいとしても、陸から立ち上るものもある。
そもそもこの問題は「水循環」「物質分解」という、地上のあらゆる生命活動を支えているシステムを理解するために重要な問題であり、「雨は海の水が蒸発してまた戻ってくる」と単純に思い込まれたら困る。
地上で行われる生命活動、生産活動、自然現象などで増えたエントロピーが、生態系や大気の循環、水循環によって最終的には熱に変わり、その熱が水蒸気にのって上空に運ばれ、冷やされて水蒸気(水)だけが雨や雪になって戻ってくる際に、エントロピーが熱として宇宙に捨てられている、という仕組みを理解できていないから、間違ったエコロジー信仰、自然エネルギー信仰、リサイクル神話が生まれる。
世代に関係なく、現代人が最も知らなければならない「雨が降る」仕組みこそが「地球で生きていくことを可能にしているシステム」なのだということをないがしろにして、単純に「雨の元は海の水」などという解説にしてもらっては困る。

↑これは正しい

5の「ウンチの行方」にしても、下水道がなかった時代のトイレはどうだったのか、下水道がない地域で水洗トイレを実現するにはどうすればいいのか、下水処理場で使われるエネルギーはどこから得ているのか、といった重要な話が全然出てこない。
トイレのウンチはみんな下水道に流れていく、その後は処理場でうまく処理してくれているはず……という思考こそが、「そもそもの原理、仕組み、道筋を知ろうとしないダメ頭」ではないのか。

せっかくの派生問題解説の内容がひどかった

3時間枠の番組で「クイズ」の問題数が8つだけだったのは、そこから派生する様々な問題、疑問を解説するコーナーに時間を取っていたからだ。
それ自体はいいのだが、内容がひどかった。
例えば、
「車はガソリンで動いているが、電車は何で動いている?」という問題の答えは「電気」でまあいいだろう。「石炭」と答えた人が多数いたが、これなどは確かにヤラセくさかった。だから、問題によってはヤラセがあったのでは? わざと間違えてウケを狙うタレントがいたのでは? という疑惑は残る。
でも、電気の解説のところで、直流・交流という言葉を敢えて避けていたり、日本の東と西で周波数が違うとか、そういう身近なことは説明しようとしていなかった。「電気はプラスからマイナスに流れます」だけでは、かえって理解が難しい。
また、電車は電気で動くが、その電気はどうやって得られるのかというエネルギー政策の話こそ、現代人が今いちばん知らなければいけないことだが、そういうことはまったく触れない。石炭を燃やす火力発電で得られている電気であれば、「電車は石炭で動く」ともいえるのだから。
なんのために「追加解説」の時間を取っているのか。

「夜に輝く月。どうして光ってる?」という問題では、月が自分で光っているという答えを期待しての出題だということはすぐに分かる。実際、そう答えた子が何人かいた。

ああ、我が母校……

しかし、「あたたかいから」「家の光が集まって光ってる」「白いから」といったすごい答えは、番組制作サイドも想定外の「収穫」だったのではないか。
これにも「構成作家がウケけそうな答えを考えて渡してる」「『恒星』って漢字をちゃんと書ける子が、月を恒星だと思っているわけがない」といったヤラセ説をたくさん見た。
そうだろうか? 「家の光が集まって光ってる」は「地球上の照明が月に反射して光っている」といいたいらしいのだが、文になっていないくらいひどい答えで、構成作家が考えた答えとは思えない。「白いから」「あたたかいから」も、発想の次元が違うというか、いわゆる「ウケ狙い」の答えとは違う種類(想定外のトンデモ)のものだと感じる。
ただし、國學院大學の男性タレント(らしい)の「月にいる微生物が光っている」はウケ狙いだろう。さすがに見抜かれたのか、しっかりスルーされていた。収録時にはいじってみたものの、受け答えや演技が下手すぎて白けたから編集でカットされたのかもしれない。
で、それはそうとして、説明で「月は1か月に1度地球の周りを回る」はいくらなんでも雑すぎる。

いくらなんでもこれはまずいでしょ

ここでも太陽暦と太陰暦の話は出てこなかったし、月の自転周期が約27.3日といった解説はしない。それだと視聴者には難しすぎると思っているのか。

このあまりにも雑すぎる番組構成にこそ、いちばんガックリさせられた。
おそらく……、
  1. 今の若い世代は常識がない、と、昭和世代のプロデューサーあたりが考えてこの番組を企画した。平成も終わってしまうことだし、こんなのはどうだ、というノリで思いついたのかもしれない。かつての「クイズ!年の差なんて」(フジテレビで1988年~1994年に放送)のアイデア元である「おっちゃんVSギャル」(朝日放送で1986年~2000年まで放送)あたりの焼き直し企画として浮上したのだろう
  2. 制作にあたっては、「平成」=常識がない 「昭和」=理屈っぽい といったパターンに組み込める絵作りをすればいいくらいに考えていたが……
  3. それだけだと一方的だから、保険として「昭和世代でも考えたことがなかったそこから先の……」的な部分を付け加えておこうか、と編成会議で決まる
  4. しかし、ごくあたりまえの解説でさえ、上のほうから「それは視聴者には難しすぎるから」とストップがかかり、解説部分はポイントがぼけてしまい、かえって分かりづらくなる
  5. そもそも番組を作ったのは外注の制作会社で、スタッフはむしろ平成生まれの若い世代が多かった
  6. 若いスタッフは、エキストラの仕出しやモデル事務所、タレント養成所などに声を掛けて大学生、大学卒の平成生まれをかき集めるといった「作業」や「手配」はできるが、番組の内容については上から与えられた仕事をこなすだけで、自分の頭で裏どりとか、校閲ができない。そこまでやってはいけないとさえ思っている
  7. かき集められた解答者の中には、ただ目立ちたいだけでわざとボケ解答を書くようなタレント志望のお調子者もいた
  8. 番組を企画した昭和世代のテレビ局正社員は無責任で、きちんと最後まで番組の出来を見ていない
……というようなことではないのかな。
結果、テレビ番組を作る現場の無知・無責任・傲慢の三重構造を見せつけられ、今の日本の劣化を証明したような怖ろしい番組になっていた。
繰り返すが、「そんなこと考えたことない」という視点はよかったのだ。ちゃんと考えるくせをつけようよ、と促す番組になっていれば、評価はガラリと変わっただろう。でも、「そんなこと考えたことない」人は世代に関係なくいる。制作スタッフにも結構いた。
ネットでは「平成生まれをひとくくりにして馬鹿にしたいトリ頭の昭和世代こそ、時代に合わせられない可哀想なやつら」みたいな炎上の仕方だったが、世代の断絶感を無用に煽るだけ、あるいは、昭和世代が築いた不正義・不条理の社会に生きていかなければならないストレスを抱えている若い世代の神経を逆なでしただけの結果になっていてやりきれない。

2000年の上智大学でのテスト


ここまで書いて、昔作った「現代の常識チェックテスト」というのを思い出した。
最初は百合丘時代、近所の母親たちに依頼されて、小学校でエコロジー教室的な講演をしたときに用意したものだが、同じものを、数年後、上智大学(外国語学部英語学科)の非常勤講師を引き受けたとき、最初の授業で教室の学生たちに配ってやらせた。
こんな内容だった。

■現代の「常識」チェックテスト


※まず、現時点での自分の知識、感覚だけで答え、( )に書き込みなさい。次に、少しでも自信がなかった項目については、インターネットや本などの資料で調べ、その結果分かった答えをその右に別の色で書き込みなさい。


 ◆次の命題に、「その通り=○」「それは違う=×」「分からない=△」で答えなさい。

1)洗剤は植物性原料のものが安心である。(  )
2)原子力発電は蒸気でタービンを回し発電する。(  )
3)紙おむつは高級パルプでできている。(  )
4)牛乳パックは再生紙原料としては不向きである。(  )
5)石油はやがて枯渇するから、その前に太陽光発電や風力発電など、非化石燃料で得た電気エネルギーを使う文明に切り替える必要がある。(  )
6)地球が温暖化すると南極の氷が増える。(  )
7)豆腐に「消泡剤」を入れると長持ちする(  )
8)「洗濯用」石鹸と「洗顔用」石鹸では製造方法が違う。(  )
9)味噌汁1杯を台所の流しに捨てると風呂桶7杯分の水で薄めなければ海が汚れる。(  )
10)一般に、合成洗剤を使っている家の生活排水と石鹸を使っている家の生活排水では、合成洗剤を使っている家の生活排水のほうがBOD値は低い。(  )


 ◆次のものを知っていますか? 「ある程度説明できる=○」「単語として見たこと(聞いたこと)がある=△」「今初めて目にする=×」

1)グリセリン脂肪酸エステル (  )
2)ポリオキシエチレンラウリルエーテル硫酸塩 (  )
3)ソルビトール(ソルビット)(  )
4)亜硫酸塩 (  )
5)亜硝酸塩 (  )
6)脂肪酸カリウム (  )
7)エデト酸塩(  )
8)MOX燃料 (  )
9)モンサント(  )
10)エントロピー (  )


これは2000年よりも前、つまり「前世紀」に作った問題だ。当時は、こういうテーマに興味を持つ主婦層もいたのだが、今はどうだろう。
まあ、こういう内容だと、地上波テレビでは使えないってことは分かる。……いろんな意味でね。
電力会社やケミカル会社はテレビにとって安定したスポンサーだし、「専門的すぎて一般視聴者には分からない」とはねつけられるからね。

「男前豆腐」と「海老名メロンパン」2018/08/30 14:41

男前豆腐店の「やさしくとろけるケンちゃん」

「波乗りジョニー」は男前豆腐店の商品ではなかった

豆腐にタレを掛けたら「男」の文字が浮かび上がった。男前豆腐店のロゴなのだが、このタイプの豆腐(一人前のボート型の充填豆腐)、少し前までは「波乗りジョニー」という商品名だったと思った。
妻がずいぶん前から男前豆腐店の豆腐は美味しいと言って贔屓にしていたのだが、なぜか最近は全然買わない。単純に高いからかなと思っていたのだが、「波乗りジョニー」は高額な商品ではない。
で、気になったので「男前豆腐」を調べてみたら……かなりビックリするような結論が待っていた。
商品開発に携わった代表取締役社長の伊藤信吾は茨城県の三和豆友食品に在籍時、単価を低く抑えようとする豆腐業界の経営には未来はないとし、単価は高いが品質も高い、と言う方針で商品の開発を開始する。これら商品がヒットを収め、2005年、「男前豆腐店株式会社」を設立。同年9月、倒産した大手豆腐メーカーの京都工場を買い取り、京都府南丹市へ移転する。
(Wikiより)


なるほどなるほど、と思う。
しかし、話はここで終わらなかった。

「男前豆腐」という名前の商品は、男前豆腐店と三和豆水庵(旧・三和豆友食品)で製造されている。また「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」という名前の商品は、三和豆友食品で製造されていた。
これは、男前豆腐店代表取締役社長の伊藤信吾が、実父が経営していた三和豆友食品に勤務していた際に、これらの商品を開発した事による。「ジョニー」とは伊藤信吾の愛称であり、今までにない豆腐を作る思いからこの商品名となった。
その後伊藤は2005年に男前豆腐店株式会社を設立し独立した~(同上)


……という。
要するに、男前豆腐は、現男前豆腐店伊藤信吾社長が、父親が経営していた豆腐製造会社(旧・三和豆友食品)に勤めていたときに考案した名称で、「ジョニー」は伊藤氏の愛称だった。
伊藤氏の独立後もいろいろあって、現在では「波乗りジョニー」を発売している三和豆友食品と、ジョニーの愛称を持つ伊藤社長が経営する男前豆腐店とは何の関係もない
男前豆腐店は三和の「ジョニー」とはっきり区別するためか、自社製品の商品名から「ジョニー」を一掃し、今では「ケンちゃん」シリーズにしている。なんとテーマソングもある。
一方、三和豆友は、男前豆腐の産みの親である伊藤氏が独立していなくなり、伊藤氏の父親も退任している今でも「男前豆腐」という商品名の豆腐を作り、伊藤氏の愛称であった「ジョニー」の名を冠した商品も作っている。実にややこしい。
「男前豆腐」「男前豆腐店」「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」の商標は、男前豆腐店社長個人で登録済みだそうだ。男前豆腐店側は「三和豆友食品株式会社の製造する『男前豆腐』『波乗りジョニー』は、男前豆腐店製造の豆腐とは製造方法、使用原料もまったく異なる」と表明している。

しかしまあ、ここまで調べてスッキリした。
妻があるときから波乗りジョニーを買わなくなったのはなぜなのか……。確かめたところ「明らかに味がおかしい商品があったから」という。
製造過程での瑕疵がある商品だったらしい。以来「男前豆腐」に対する信頼を持てなくなったようだ。一度は評価していた会社なのに……という裏切られ感が大きかった分、ますます買わなくなったのではなかろうか。
しかし「波乗りジョニー」は「男前豆腐店」の豆腐ではなかったのだ。

↑ここに写っているのは男前豆腐店の商品「やさしくとろけるケンちゃん」である。「特濃ケンちゃん」を食べてみたいものだが、残念ながら我が家がよく利用するスーパー「さがみや」には売っていないようだ。(仕入れてくれ~)
ちなみに、「さがみや」には「やさしくとろけるケンちゃん」も「波乗りジョニー」も置いてあるのでややこしい。

「海老名メロンパン」は埼玉で作られていた



先日、圏央道外回り線の厚木PA売店で、「焼きたてメロンパンの48時間売り上げ個数世界一でギネス認定」みたいなPOSが嫌でも目に入るように設置されているコーナーに積み上げてあったメロンパンを1つ買った。
海老名SAのメロンパンのことはどこかで聞いたことがあるような気がしていたので、そのときは単純に、「ああ、これがそうか。ここは海老名ではなく、お隣の厚木PAだけれど、海老名のメロンパンが有名になったので、ここにも持ってきて売っているのか」と思った。230円はいくらなんでもぼりすぎだろと思いつつも、ちょっと迷った末に、試しに……と1個買ってみたのだった。
ビニール袋に入っているのでここで焼いたものではないことは明らかだったが、海老名からここまで運んでくるのに剥き出しでは運びづらいし、衛生上の問題もあるからだろうと思った。しっかり歩けなくなった義母のトイレ休憩で、妻はそちらにかかりきり。そんな状況だったので、裏のラベルをしっかり確かめることもしなかった。

で、このメロンパン、車内で食べることはなく、家に持ち帰って食べたのだが、袋から出した途端に違和感を感じた。
表面はベタッとして、メロンパン特有のサクサク感がまったくない。なんというか、黄色い黴がついて変色した鏡餅のような感じなのだ。
「外はサクサク、中はふわふわしっとり」というのが売りのはずが、逆で、外はベタベタ、中はボソボソ。味もお世辞にもうまいというようなものではなく、人工的な味付け感がたっぷり。
結局、全部食べる気がしなくなり、半分ほどは捨ててしまった。我が家で食べ物を捨てるなどということは滅多にない。よほどまずいか、身体に悪そうだと感じたときのみのことである。
焼き上げてから時間が経っていたから、ということは当然ある。しかし、ラベルに記載されている「消費期限」は明日である。
なぜこれが大人気なのか? もしかして「海老名のメロンパン」人気に便乗した「偽物」なのではないかと思い、一旦ごみ箱に捨てた包装ビニールを拾い上げて裏のラベルを確認すると↓

圏央道厚木PA(外回り)で売られていた「海老名メロンパン」のラベル↑

……なんと、製造しているのは埼玉の工場で、販売者の住所は東京都。しかし、名称はしっかり「海老名メロンパン」となっている。
海老名SAの厨房で焼き上げたメロンパンをここにも運んできて売っていたわけではないのだった。

しかし、海老名で作られていないメロンパンに「海老名メロンパン」と名づけて「ギネスで世界一認定」というPOSをつけて売っていていいのか? そんな商法が許されるのか? 元祖海老名メロンパンから訴えられないのか? と、疑問がどんどん出てきたので、ネット上を検索して少し調べてみたところ、驚くべきことが判明した。
まとめると、

……とまあ、こういうことだったのだ。
だから、「ぽるとがる」ブランドではない「海老名メロンパン」が堂々と「ギネス世界一」というPOSを立てて売られているし、埼玉県の工場で作られて厚木まで運ばれてきても「海老名メロンパン」と名乗れる。
要するに日本中のあちこちで「海老名メロンパン」という名称のメロンパンが大量に作られ、売られている。となると、焼き上げてからの時間や原材料の品質にバラツキが出てくるのは当然だろう。

結果、今では「海老名のメロンパンは有名な下り線のではなく、上り線のほうがうまい」という評もある
海老名SA上り線でメロンパンを売っているのは箱根ベーカリーと成城石井だが、どちらも「箱根メロンパン」「成城石井自家製」として売っており、「海老名商法」ではなく、味と品質でまともな勝負をしているようだ。

そもそも海老名SA下り線「ぽるとがる」のメロンパンが人気になったのは、観光バスのガイドや運転手の休憩所に無料で提供したことがきっかけだという。
同社(西洋フード・コンパスグループ株式会社)が着目したのが「バスガイドの口コミ力」だった。
 バスガイドやバス運転手が集う休憩スペースに海老名メロンパンを試食用に提供した結果、観光バスの車内でバスガイドが「海老名SAの名物はメロンパンです」などとアナウンスするケースが相次ぎ、観光客がメロンパンを求めて、売り場に殺到したという。
 日本の“大動脈”とされる東名高速の海老名SAには、全国から観光客やドライバーが集まっており、その人気ぶりは口コミによって、一気に全国に波及したのだった。
「海老名メロンパン」48時間で2万7503個販売、ギネス認定 産経ニュース 2018/06/19)


これは綾小路きみまろが売れたのと同じ手法。(彼は自分の漫談を入れたカセットテープを高速道路のSAで、観光バスガイドに無料で配りまくった)
しかしまあ、ここまでは一種のサクセスストーリーとして「なるほど」と納得できる。

海老名の「ぽるとがる」で売られているメロンパンも埼玉産だった!

食べ物はあくまでも味と品質が命。特に「おいしいパン屋さん」という言葉に人びとが一般的に抱くイメージは、頑固な職人さんが真面目に研究と努力を重ねてコツコツと売っている街の小さなパン屋さん、とか、田舎の夫婦が作る伝説のパンとか、そういうものだろう。数が売れればいいというものではない。
ギネス記録の名目は「48時間以内で最も多く売れた焼きたて菓子パンの数」というものだ。
そもそも48時間で2万7503個というと、1時間で573個、1分で約10個という計算だ。となると、そんなペースで売れるものが「焼きたて」であるはずもない。この2万7503個全部が海老名SAの「ぽるとがる」の焼き窯で焼かれたのだろうか? はたまた、海老名SA下り線だけの売り上げ数字なのだろうか? ちょっと信じられない。

厚木PAで売られている「海老名メロンパン」を作っている工場をGoogleマップで見てみたら、サンフレッセという巨大な工場だった。公式サイトの企業概要を見ると社員数590名。パートを入れた数なのかどうかは分からないが、とにかく「でっかい工場」だ。工場内の直売所は地元でも大人気で、オープンと同時に行列ができるらしい。きっと、この工場で作られた「焼きたて」のパンは美味しいのだろう。ちなみにここの直売店ではメロンパンは100円とか70円で売られているらしい。多分、大きさは「海老名メロンパン」よりも小振りなのだろうが、もしかしたらそっちは美味しいのかな、とも思った。
しかし、この工場から厚木PAまではおよそ100kmの道のり。おそらく都内の各企業社員食堂や売店などにも配送しているだろうから、もちろん店頭に並んだときは「焼きたて」ではない。真夏の高温多湿下でもなんとかもつようにするためには、いろいろな添加物も加えなければならなくなるだろう。

で、さらにネット検索していくと、なんと!海老名SAの「ぽるとがる」で売られている「海老名メロンパン」も、埼玉の工場で作られたものだということが分かった。
こちらの方のブログには、海老名SAで買った「海老名メロンパン」の写真、レシート、裏のラベルすべての写真がクリアに載せてあって、裏のラベルは、今回僕が厚木PAで買ったものと同じだった。

つまり、海老名SAの「ぽるとがる」で売られている「海老名メロンパン」も、埼玉のサンフレッセ工場で作られたものなのだった。これで「48時間に2万7503個」の謎も解けた。巨大工場で大量に作っておいたものを運んできて売ったのだろう。

……今回この日記を書き始めたときは、厚木PAで売られていた「海老名メロンパン」は、海老名SA下り線の「ぽるとがる」で売られているメロンパンとは違うものだと思っていた。だから、気を使ってラベルにぼかしまで入れていたのだが、このブログの写真こちらのツイッターを見て、そうした配慮も馬鹿馬鹿しくなってきた。
一体「海老名SAのメロンパン」とはなんだったのか? もはや海老名SAは関係なくなってしまって(「どこそこの○○」ではなく)、ヤマザキのランチパックはおいしい、セブンイレブンの冷凍ラーメンはおいしい、という口コミと同じ規模の話なのだと分かった。(実際、セブンイレブンの冷凍ラーメンは美味しいと思う。正しい企業努力の成果だろう)
しかし、真相を知るにつけ、せっかく有名になった「海老名のメロンパン」の商品価値を、なぜこんなことまでして下げてしまうのだろうかと、つくづく不思議に思う。
そして、口コミ、行列、「ギネス」だの「三つ星」だのの情報に弱い日本人ということを、改めて痛烈に考えさせられたのだった。
一言でまとめれば、現代日本の食文化は「貧乏くさくなった」。
自分が暮らす日光には、有名なベーカリーブランドがあって、お土産に買っていく観光客もいるが、直売所で一度買ってみたところ、全然美味しくなかった。しかも高い。
一方、たった一人のパン職人が作る小さなパン屋さんがいろいろあり、どこも美味しい。
正しい食文化を守る個人商店、職人さんたちへの感謝の気持ちが、さらに強まった一件だった。

鹿沼からおばちゃんが運転する移動販売車で日光まで売りに来るパン屋さんのパンにはよくお世話になっている。感謝

「ボラG」尾畠春夫さんフィーバー雑感2018/08/19 10:48

トンボにも祝福されるボラG (テレビの画面より)
スーパーボランティア爺さん、略して「ボラG」──尾畠春夫さんの登場で、テレビ局スタッフが色めき立つ、の図。
昨日(15日)、起きて階下に降りていくと、妻がいきなりこう言った。
「あの子、見つかったのよ」
「え? 見つかったって、無事だったの?」
「そうなの。で、見つけたのがなんかすごいキャラの人で、しばらくテレビは大変よ」

そのときは当然、状況を呑み込めなかったが、午後、テレビに登場したど派手な格好の爺さんを見て納得。なるほど、これはしばらくはテレビが追いかけ回すことになるな、と。

発見までの経緯を簡単にまとめると、
  • 12日 10.30amくらい:藤本理稀くん(1歳)が、滞在中の曽祖父宅から祖父(66歳)と兄(3歳)で出発したが、途中でぐずったため、祖父は一人で戻らせた。その後、後発の母親たちとすれ違わなかったということで行方不明になったことが判明。
  • 12日 11.30:山口県警柳井署が山口県周防大島町役場を通じて行方不明の通報を受ける。ただちに90人態勢で捜索開始するが見つからず。
  • 13日 140人態勢に増やして朝から捜索。溜池、側溝、古井戸、空き家などに重点を置く。ヘリコプターや、体温を感知するセンサーが付いたドローンを使って上空からも捜索。ちなみにこの日が失踪児の2歳の誕生日。以後、マスコミでは「2歳児」と報じられる。
  • 14日 周囲のすべての山にまで捜索範囲を広げ、数十人ずつの捜索班で捜索。しかし手がかりさえも得られず。
  • 14日 9.30am頃、ボラGが大分県日出(ひじ)町の自宅を軽バンで出発。夜遅く、現地入り。すぐに失踪児の母親などに状況を訊く。その際、「私が見つけた場合は必ずしっかり抱きしめて、この手でご家族に手渡しします」と約束。母親らから聞いた話も入れて、翌朝からの捜索ルートを策定。車中泊。
  • 15日 6.30am頃、ボラG、車中泊した愛車軽バンを出発。すぐに失踪児の祖父に会ったので「私が見つけた場合は必ずしっかり抱きしめて、この手でご家族に手渡しします」と昨夜、母親にしたのと同じ約束をし、山へ向かう。そのおよそ20分後、700mほど離れた山中で失踪児を発見する。

……と、こういう経過だった。
その後は、
  • 15日 失踪児を抱きかかえて下山する途中で警察の捜索隊と行き会う。驚いた警官が引き渡しを求めるも「嫌です。私が直接手渡しすると約束した。口約束も契約だ。罪に問われようが、なんぼ警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない」と拒否。その後、ど派手な服装の爺さんが警察の捜索隊を引き連れたまま毛布にくるまれた子どもを抱いて下山した姿を見たマスコミが大騒ぎ。
  • 失踪児を母親の手に引き渡した後は、ずっとマスコミの取材攻勢に答える。
  • 「家に入って、風呂に入って食事をしてください」という家族の申し出を断る。
  • 15.59頃 地元柳井警察署長から感謝状を手渡される。その後、愛車に乗って一般道を運転し、大分の自宅へ。16日未明に到着。
  • 16日 朝からテレビの生中継ハシゴに応える。息つく暇もなく、午前と午後のほぼすべてのワイドショーに登場。

発見した15日午後1時過ぎからインタビューが始まるが、名前と生年月日を書いた紙を横に掲げて映すなど、ほとんど容疑者のような失礼な扱い



15日、ボラGが現地を出ると、各局テレビクルーがボラGの自宅に先回りして留守宅を映し出すという異常さ



朝から各局のワイドショーにずっと出ずっぱりのボラG。それなのに「グッディ」(フジ)は、昨日から続いている同じ質問を繰り返す。ボラG、連日ほとんど寝ておらず、自らの運転での長距離移動の後なのに、文句も言わずに同じ質問に答え続ける。それでも合間にちょっとずつ違うジョークを入れるサービス精神も



その他、概要はほぼ語り尽くされているので、あとは雑感を箇条書きしておく。こんな事件だった、メディアはこうだったということを後になって思い出すための備忘録として。

  • 13日の140人態勢に増員しての捜索。制服を着た捜索隊は、5人も6人も固まって藪を棒でつついたりしている。側溝や海を捜索というのは「遺体発見」前提のやり方でしょ。なぜ先に山へ入らない?
  • 14日の捜索で、ようやく山に入ったらしいが、ますます「遺体発見」を想定しているように思える。ボラGのように呼びかけながら捜索したのか?
  • で、テレビメディアは母親が拡声器で呼びかけるシーンに群がり、最重視で流す。
  • 15日、3日目となり、生きて見つかるとは思っていなかったのだろう、各局ワイドショーも別のネタを用意してた。発見されたとしても遺体発見なら番組の中では引っ張れないからと、気を抜いて構えていたに違いない。
  • そこにまさかの発見の報。慌てて「成人男性と一緒にいるところを発見」などと誤報を打つ記者もいたらしい。
  • ボラGが警察官らを引き連れて下山したときの映像は、テレビクルーや記者たちがあまりに失礼だったので、一瞬しか流れなかった。
  • 15日、午後いちばんで始まったボラGへのインタビュー。ボラGは最初のほうで何度も「マサく~ん、マサく~んと呼びながら」など、名前を間違えていた。そのとき、振り回していた右手の先にトンボがしばらくとまるという奇跡のシーンがあったが、せっかくのこのシーンを「マサく~ん」をカットしたいために切ってしまった局があった。くだらん忖度だ。
  • 15日、始まったインタビューを生中継できたワイドショー番組はテレ朝だけだったのに、せっかくの独占生映像チャンスを、中途半端にぶつ切りにして、スタジオで用意していた「煽り運転への対処」などというネタを続けた。ディレクターはセンスがないな。
  • 「警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない」の名言を、わざわざカットして編集していたワイドショーが多かったが、Abema TVだけがそれをトップタイトルにした。同じテレ朝系でも、こっちはセンスあるなあ。
  • あれだけしつこい取材攻勢に嫌な顔をせずに答え続けたボラG。その姿に「あれは非難の嵐に晒されるであろう失踪児の祖父や、父親が出てこない複雑な事情を抱えているらしい家族への配慮だ。自分がマスコミの取材を一手に受けることで、失踪児の家族の負担を激減させた。アフターケアまで万全で、まさにスーパーボランティア」という賞賛の声が上がっていた。本当にそこまで計算していたのかもしれない。すごい人だ。
  • 1歳児の手を放しただけでなく、来た道を通り過ぎているのを見ているのに、その先を左に曲がって家に戻るだろうと思って見届けなかった祖父は、やはり軽度認知症か一種の発達障害なのだろう。しかし、普段は人畜無害の人。それを全部見抜いて、ボラGは家族のことまで「あの子はいい家庭に育っていると感じた」などと言って予防線を張っていた。
  • 失態の警察にも「みんな清い人たちばかりだった」とフォロー。とことんアフターサービスが完璧。
  • 失踪児の祖父(ちょっと顔が宋猛に似ている)は66歳。78歳(10月には79歳)のボラGより一回りも年下なのだなあ。
  • ボラGの78歳は、あの「山根明は歴史の男です」「世界でカリスマ山根と呼ばれている」と自画自賛したあの人と同い年なんだなあ。
ネット上の呟きで印象に残ったものもいくつか拾ってみた。
マザー・テレサも星野仙一も天に召されて 尊敬する人がいなくなってたけど
出てきた
(ぬん)

神隠しみたいだねって話したら母が
「居らんくなったのが12日で見つかったのが15日でしょ? 盆さんで還ってきたひとたちと遊んで盆が終わるけんお前は帰れって帰して貰ったじゃないだあか」 って言ったのすごい納得した。
(詞葉)

インタビュー中、手にトンボがとまってるのを見て、今まで良い行いをされてるから自然界のいろんな神様がこの人を導いたんかな?って思った。
(ぽん)

尾畠さんがインタビューを受け始めた時、尾畠さんの手にトンボがとまりました。きっとご先祖様がありがとうと来られたのですね。
(Mahalo)

「周防の国で、神隠しにあい3日間行方がわからなくなった童を、噂を聞きつけ海を越えてやってきた翁が、わずか半刻で見つけた」と書くと、まるで昔話のようだ。
(村上賢司)

人のために何かしたいな?って思いはあるけど。
自己満足の域を超えてなかったなぁって気づかされる。
人のためにが駄目なんだな。
自分のためにやっていると言う精神
(らぴたん@お気楽主婦)

ボラG、警察に引き渡さなかった本当の理由を、ミヤネヤではチラッと吐露したらしい。かつて、同じように失踪した子が発見されたとき、母親が追いかけるのを振り返りもせず、警察がさっさと連れ去ったのを見ていたようなことを。なるほどなあ。
納得。
ブルーシートで隠す、感謝状の用意とかはものすごく早いんだよね。警察は。そういう風にマニュアル化されてしまっているんだろう。
そのくせ、大声で呼びながら探すとかはしないで、何人も固まって黙々と藪を棒で突っついたりしている。
でも、ボラGは警察を非難しない。むしろ、警察はだらしないですねと言いたげなマスコミに対して「現場にいた人たちはみんな清い心の人たち」だったとフォローする。
あらゆる点で、自分ではなく他人が幸せになるために、という行動原理で動いている。知れば知るほど、ほんとにすごい。

今何がいちばん大切なのか。自分の頭で考え、合理的に判断し、自分の責任で行動する。そして無私の精神。あらゆる現場で忘れられていることを、ボラGは1人で強烈に見せてくれた。
日大アメフト部事件のMくん単独記者会見の姿と並んで、今年テレビを通じて日本中の人に感動を与えた、数少ないすばらしいシーンだった。
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