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ネットの基本も分からないままいきなりトンチンカンなPDFを送りつける弁護士2016/07/31 14:41

3つめは法曹界の劣化の話。
先日、東京の弁護士事務所から「侵害情報の通知書兼送信防止措置」という不思議なタイトルのメールが送られてきた。
ウイルスかspamかと思ったが、念のため添付PDFを見てみると、女性用トイレの盗撮写真をのせているサイトの管理者がうちだと決めつけて「法的処置をとる」などという文面だった。
あまりのトンチンカンぶりに唖然とした。
もちろんそんなサイトとは無関係だし、過去においてもまったく関与したことがない。
なにを根拠にこちらをそのサイトの「管理者」とみなしたのか、なんの説明もない。
ドメインレジストラは世界最大級の一次レジストラで、DNS(ネームサーバー)もその一次レジストラが所有・提供しているものを使っていた。この一次レジストラはうちでも使っていてドメインの再販をしているが、そのレジストラを卸元としてドメインを再販しているパートナー業者は世界中に数千は存在する(もしかすると万の単位かもしれない)。そのうちのどこかが管理しているドメインなのだろう。あるいは所有者が直接一次レジストラから購入して管理している可能性も高い。
使われているドメインのWhois情報はプライバシー保護代理会社のもので、真の所有者は閲覧できないが、これも世界中にこの手の会社があり、普通にやっていること。その会社は一次レジストラの提携先で、利用者は世界中にいる。
サイトに使われているドメインのIPを調べたらサーバーはスウェーデンの企業が提供しているようだ。
どこを見てもうちとはなんの関係もない。
想像するに、レジストラやWhois情報保護代理会社、DNS情報などを検索して、たまたまうちの名前(屋号)が出てきたので、うちがこのサイトの管理者だと勝手に思い込んだのだろう。
これは例えば、トヨタの○○という車を使った犯罪者がいて、その被害者から相談を受けた弁護士が、ネットで「トヨタ○○」と検索したらたまたまトヨタ車を代理販売している地方の小さな個人営業の自動車修理屋を見つけて「犯人を突き出さなければ告訴する」と息巻いているような話。
要するにこの弁護士(女性名で二人連名)は、インターネットの基礎知識(ドメインとは何か、レジストラとはどういうものか、DNSとは何か、Whois情報保護代理会社とはどういうもので何をしているのか……)を知らず、IPアドレスの割り出し方法すら知らず(そんなものはホスト名の名前検索をすればすぐに出てくる。素人でも1秒でできる)、簡単な下調べもしないままにまったくトンチンカンな迷惑メールを送りつけてきたわけだ。
これが、「こういう被害者からの相談を受けているのだが、このドメインはもしかしておたくが管理していませんか?」と訊いてくるならまだ許せる。
ああ、この人はネットの基本を知らないでネット犯罪被害者の担当になった新米弁護士なのかな。アホらしいけれどリサーチ方法の基本を少し教えてあげようかな、くらいにとらえていたかもしれない。
それがいきなり「質問」ではなく、「貴社にて適切な措置をお取りいただけない場合には貴社に対する法的措置も検討せざるを得ません」などという文面のPDFを送りつけてくるのである。
この人たちは本当に弁護士なのか? 頭は大丈夫なのか? と愕然とさせられた。
しかもである、このPDF文書には、依頼者の名前がフルネームで記されている。
「当職らは○○氏から委嘱を受けた代理人として……」と始まり、その○○氏(女性)がトイレで盗撮をされたかのような写真が云々、と、内容についても書いてある。これはもはや、不必要に個人のプライバシーを赤の他人にばらまいてしまっていることにほかならない。
こんなメールが来なければ、こちらはその○○さんがそういう被害にあっていることなど知るよしもないし、名前を見ることもないのだから。
これが本当に弁護士の仕事なのか?
このトンチンカンなメールをよこした弁護士には「もっと勉強してください。こういうトンチンカンなものを送りつけられ、こちらは大変迷惑です」と返信したが、未だに謝罪の言葉ひとつよこさない。不愉快極まりない。
まったく人違いの家に土足で踏み込んできてわけの分からない言いがかりをつけた後、間違いだと分かっても謝罪もせずに無言で立ち去る……これはもう「当て逃げ」犯罪と同じではないか。

建設業界や電力業界、政界、財界……だけでなく、法曹界の劣化もここまできているのかと、愕然としてしまった。

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4Kテレビ商法は「老人詐欺商法」か2016/07/05 18:14

総務省のサイトに掲載された「お知らせ」

4K放送が地上波で始まることはない

総務省が6月30日付けで
現在市販されている4Kテレビ・4K対応テレビ※1を利用して、衛星基幹放送による超高精細度テレビジョン放送を視聴するためには、平成30年の実用放送開始にあわせて発売予定の機器が別途必要になります。

……という注意喚起を掲載したことで、ネット上では一騒動起きているようだ。
なにを今さら、と思う。
4Kテレビ放送についてまとめれば、
  • 4Kテレビ放送が地上波デジタルで実現する可能性はほぼない(少なくとも熟年世代が生きているうちにはありえない)
  • 現在「4Kテレビ」と銘打っている、4K放送対応チューナーを内蔵したテレビで4K放送を見る方法は、①スカパー!プレミアムサービスで見る ②ひかりTVなどインターネット経由で見る ③4K対応のケーブルテレビで専用セットトップボックスを使って見るの3つしかない
  • スカパー!プレミアム放送は「スカパー!4K総合(Ch.596)」「スカパー!4K映画(Ch.595)」の2つだが、これはBSアンテナでも受信できる110度CSではなく、専用アンテナが必要。しかも有料放送
  • 今年夏以降にBS-17(いままでデジタル地上波の難視聴地域対策に使っていた帯域)で試験放送が始まるが、「試験放送」なので内容はあまり期待できない

……と、これだけ知るだけでも「じゃあ、そんなもの買う必要はないじゃん」ってことはすぐ分かる。
BSとCSで4K実用放送が開始されるのは2018年の予定だが、これは従来の放送とは仕様が違うために、まだ製造もされていない専用外付けチューナーが必要で、しかもアンテナも従来のBS/CSアンテナでは受信できない可能性が高い。特にマンションなどで共用アンテナを使っている家庭では、個人では対応できない可能性がある。

……という、どうにもならない代物なのだが、すでに薄型テレビ販売において4分の1が4Kテレビになっているという(JEITA 一般社団法人 電子情報技術産業協会調べ 2016年5月度調査結果)。

老人詐欺商法が日本経済を救う?

高額な商品だけに、買えるのは熟年層以上だろう。デジタル家電に強い(多分)若い世代が4Kテレビを買っているとは思えない。となると、購入している人たちのどれだけが「4Kテレビの実態」を知って買っているのかは極めて疑問だ。これを買えば、今までのテレビよりきれいに映ると単純に思いこんで買っているいる人が相当数いるはずだ。
「オリンピックも始まるし、ここは思いきって買い換えようか」なんて人もいるのだろう(そういう人たちに限って、地上波しか見ていなかったりする)。

となると、もはやこれは「シニア世代詐欺商法」と呼べるのではないか? 
前回の「NTTが「コラボ契約」に切り替えた客の回線障害対応は門前払いする件」でも書いたが、養父は使えなくなった光回線の利用料(月額1万円弱)を何年にもわたって自動引き落としで払い続けていた。「ルーターの電源を抜いているから使用料はかかっていない」と思い込んでいたらしい。
デジタルライフの進歩、複雑さについていけない熟年世代は多い。そういう人たちからうまく金を巻き上げる商法だけでも、現在の日本国内の経済はずいぶん支えられているのだろう。
それでいいのか?
こんなことを続けていたら、日本はますます世界から取り残され、本当の技術革新や合理的な国家運営から外れた外道な道を進むことになるだろう。

4Kテレビは買ってはいけない

スポーツの生中継とかでない限り、テレビ番組をリアルタイム視聴するなんて考えられない。(そういうテレビの視聴方法をしていると馬鹿になる)
テレビを買う場合にいちばん重要なのは録画・再生機能だろう。
  • 外付けHDDで録画でき、HDDが複数台増設できる
  • 内蔵チューナーが最低でも地上波・BSともに複数基あり、W録画(同じ時間帯の2つの番組を同時録画)以上ができる

この2つの機能が最重要だ。
ところが、50V型の大型テレビなのに内蔵チューナーが1つしかなくてシングル録画しかできない(録画している間は他のチャンネルが見られない)、なんていうテレビが存在する。そんなものは役に立たない。
4Kなどというものに金をかけているために、最重要である録画機能がおろそかになっている機種も見うけられる。そんなものを買ってはいけない。
さらには、デジカメの無意味な高画素化と同じで、液晶パネルを高画素化することで、色再現能力などが犠牲になる可能性があることも忘れてはいけない。
現行のデジタル放送でさえ、多くの人は2.5メートル離れると720pと1080pの区別ができないといわれている。ましてや私のように老眼&近視の人間は、4Kの高精細映像を認識するにはとてつもなくでかい画面を間近に見るといった視聴方法しかないだろう。

例えば、NHKの連続テレビ小説や大河ドラマは、地上波では1440×1080iで、BSでは1920×1080iで放送されているので、地デジで見るよりもBSで見たほうが「きれい」なはずだが、その差を感じられる人、気づいている人がどれだけいるだろうか。
オフセット印刷も同じで、200DPI以上なら精細さの差は肉眼ではほとんど区別できない。オフセット印刷の標準DPI(解像度)は350DPIなので、これを400DPIや600DPIに上げても意味がない。
なんでもかんでも解像度を上げればいいというものではないのだ。最重要なのは見ているもの(作品や情報)の質なのであって、解像度ではない。

4Kテレビが出てきた唯一のメリットは、従来解像度のテレビの値段が下がっていることくらいだろう。ただし、これも、メーカーが4Kテレビに力を入れているため、2Kテレビで基本性能を重視したよいモデルはどんどん消えていっている。その意味では、「テレビを買い換えるなら今」なのかもしれない。もちろん、複数チューナー内蔵、録画用複数HDDを接続可能な高性能2Kテレビを買うのである。

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都知事不要論──タレントに無給でやらせて政治は副知事がやれ2016/06/21 15:44

  • 2002年6月に道路関係四公団民営化推進委員会委員に就任し、多くの委員が脱落する中で、道路公団民営化に奔走。
  • 旧道路公団は債務超過だから民営化できないという既得権者の抵抗を信じず民営化を進め、毎年、道路公団に導入されていた国費3000億円をなくす。
  • 2007年4月、地方分権改革推進委員会委員に就任し、国の出先機関を整理合理化。
  • 2007年6月。副知事就任後は、参議院議員宿舎建設差し止め、北海道夕張市への職員派遣、周産期医療体制整備、少子高齢化対策、東京都水道局の海外展開、地下鉄一元化、首都直下地震対策、尖閣諸島購入の寄付金募集、東日本大震災への対応(消防庁ヘリ出動、ツイッター情報提供)、天然ガス発電所建設、東電への株主提案。
  • 特定のプロジェクトを設定し、そのために組織を横断的に活用する手法で都職員のノウハウをうまく使った。

……以上、猪瀬直樹氏の「政治家」としての実績(と言われている事例)。元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一氏の評価より)
この評価に対しては異論もあるだろうが、とにかく猪瀬直樹氏は副知事時代、「仕事をしていた感」がとてもあった。
これに対して、高慢で嫌われる人間性は似ていると思うが、舛添要一氏は都知事就任後に何をしたのか。全然印象に残っている「仕事」がない。
辞任が決まって彼の都知事としての評価をするなら「異様ともいえる巨額の海外出張費をはじめとする都の放漫経営ぶりを知らしめた」ことだろうか。

ところで、猪瀬氏にしても、石原都政の副知事時代にこそ仕事をしていた感があったが、都知事に就任してからはなんだかパッとしない。
どうも、都知事になると、セレモニー出席のような名誉行事が増えてお殿様気分になり、惚けてしまうのではないか。
都庁内部でも「知事には偉そうにふんぞり返ってもらっていて、仕事をしない人のほうがやりやすい」なんていう空気が充満する。だから馬鹿げた海外出張費も通る。このままでは知事だけでなく、都の職員、特に上層部の精神が軒並み腐敗していく一方だ。

東京都には副知事というのが4人まで就任できる。舛添辞任と同時に、今まで3人だった副知事に「オリンピック担当副知事」を増やして4人枠目一杯体制で行くことになったらしい。
副知事の給料は約122万円なので、4人だと約488万円だ。ちなみに都知事の給与は約134万円だそうだ。
であれば、実質の都政は全部副知事がトップで指揮することにして、都知事というのは警察の一日署長さんみたいなものにしたらどうか。
副知事は都職員以外のオンブズマンで構成する第三者委員会が認定する「責任感と実行力のある仕事人」を選出。
都知事は無給の名誉職で、タレントとか文化功労者みたいな人が3か月交代でやるとかにすればいい。
海外出張でのセレモニー出席、イベントでの挨拶、賞の授与式で表彰状を渡すなどなど、政治家としての資質に関係のない仕事はもちろんのこと、各施設の視察もその「名誉都知事」が無給でやる。
視察といっても、たかだか1時間かそこいらでよそ行き顔で出迎える施設を覗いたところで問題の本質は見えてこない。本当に必要な視察は、副知事以下、担当部署の責任者たちがしっかりやればいい。
名誉都知事はテレビに絵作りとして露出するから、無給であっても、タレントなどでやりたい人はいっぱいいるだろう。

東京都は他の自治体とは違って、自治体というよりは「日本国の中核システム」のようなものだ。だからこそ「知名度がないと当選できない」なんていう知事はいらないんじゃないかね。

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舛添要一氏は認知症なのか──という考察2016/06/16 22:15

「舛添おろし」というよりは、一種の憂さ晴らしショーは、辞任であっさり終了らしい。
このお祭り騒ぎを、我が家では「あの人は軽度の認知症になってしまったのではないか」という見立てで眺めていた。
  • 一つのことに執着する(権力の座にしがみつく)
  • 善悪の判断がつかない(極端な公私混同)
  • 異常行動(視察の大半が美術館めぐり)
  • 脇が甘い(少額の出費をバレバレの名目で落とそうとする)
……認知症っぽいよなあ……だって、あれだけ頭のいい人間がやることにしてはあまりにもアホすぎるし……。

果たしてそうなのか? もう一度分析してみることにする。

最初に、2014年2月に、ある人から受けた質問に対して、かなりイライラしながら書いた返信のことを思い出して読み返してみた。
こんな内容だった。

舛添氏は本物の悪党、というよりも、悪党組織に魂を売り渡している小物ですね。
そのことを僕は四半世紀以上前の『朝まで生テレビ』で感じました。
原発の是非を巡って討論しているとき、彼は推進「寄り」に位置していました。自分はすべて理解している知恵者なんだという素振りで。
そのとき彼がさらっと口にした言葉がきっかけでした。
舛添氏は、反原発の論客として呼ばれていた槌田敦氏に対して、
「槌田さんのエントロピー論は本来ならノーベル賞級の、日本が世界に誇れる物理学者の仕事だと私は認めていますが……」と言ったのです。
この時点では、僕はまだ槌田敦のエントロピー論というのを知りませんでした。ですが、この舛添氏の「槌田さんはノーベル賞級の~」という一言が引っかかって、彼は何を知っているのだろうと思い、『資源物理学入門』(NHKブックス)を買って読んでみたのです。
槌田敦氏と一緒に出ていた室田武教授の『エネルギーとエントロピーの経済学』(東洋経済新報社)も併せて読みました。

とてつもない衝撃を受けました。
そうだったのか! と。
それまでもやもやしていたものがすべて、さ~~っと霧が晴れるように理解できました。

そして改めて知ったのです。舛添要一という男は、これを読んで、内容を理解した上で、ああいう行動(権力側に常につくという行動原理)をとっている人間なのだと。

彼は、「他の馬鹿な連中とは違って、俺は原発の闇を知っている。でも、現実社会ではほとんどの人間がそのことを理解できない。結果、巨大な力に利用され、呑み込まれていく。それが社会というものなんだよ。あんたがどんなに正しい論を構築して訴えても、社会はそれを理解できないんだ。正論を言えば言うほど社会の中では排除され、出世できなくなる。俺はそういう生き方はしない」と、暗に言いたかったのでしょう。
悪党に徹すればいいものを「本当は分かっているんだぜ。俺は他の連中と違って馬鹿じゃないからな」とアピールしたいというスノッブ根性が、「私は槌田敦さんはノーベル賞級の~」という余計な一言になって現れたのです。(おかげで僕は重要なことを学ぶきっかけをもらったわけですが)

つまり、彼は「分かった上で」やっている。
正義や合理性を訴えても、所詮、現実の世の中では力を持っている悪党集団に勝てるわけがない。民主主義なんてのはお題目で、民衆は馬鹿の集団なのだから、頭のいい人間は、最初から力のある悪党集団の側にたてついて一生を棒に振るようなことはしない──という行動理念で生きている。
物事の道理を理解できない政治家が悪行を働いているのとは違って、分かっているのに正しいことをしない、そういう人間なのです。

だから、今度の都知事選でも、彼は、本音としては「馬鹿ども相手で疲れるなあ」と思いつつも、都知事という権力者の椅子は悪くない、と思って出てきたのでしょう。そんな人物を都知事の椅子に座らせたらどういうことになるか……。
それでも、多くの都民は「舛添が安全牌かな」という程度の意識で舛添氏に投票する。その「安全牌」という臭いは、自分たちのせこい保守意識から出てくるわけですが、長い間瞞され、利用されてきた「自分にはなにもできない。世の中なるようにしかならない」という「おこぼれちょうだい主義」の性癖がどんどん劣化して、今や自分たちのささやかな日常さえ吹っ飛ばされる危機に面していることが察知できなくなっている。
……これが現実です。

政治の世界に最低限度まともな品格や理性を持った人間を送り込まないと、一気に最悪の道を突っ走る。「今はもう戦前ではなく戦時中だ」という警告はその通りです。
構造を変えない限り、よい方向には進まないのです。
構造を変える方向に進ませるには、現時点でどうすることがいちばん「マシ」なのか。
何が最悪なのか。
その最悪を避けるためには何をしてはいけないのか。

それをしっかり考えられないと、社会運動、市民運動も、うまく取り込まれ、権力者の延命に利用されてしまいます。

勉強しない人が熱心な運動をしているのをよく見ます。
そういう人は、読むべき本を読まず、情報を自ら分析しようとせず、自分の感性に合った(要するに「好きな」)人の言葉を直接聞こうとします。
ネット上でも「これは(自分が尊敬する)○○さんに訊いてみよう」というような書き込みをよく目にしますが、ばっかじゃないのかと言いたい。
甘い! 
それではカルト宗教信者と変わらないではないですか。

敵は物理学だけじゃなくて、人心掌握方法や扇動技術、権力への取り入り方、世の中の泳ぎ方と、あらゆることを勉強しているのですよ。すべて知り尽くした上で悪行を行っている、そういうモンスターたちなのですよ。
勉強しないウブな人間が瞞され、うまく利用されてしまうのはあたりまえではないですか。


これが2年半くらい前までの僕の舛添氏に対する評価だ。
舛添要一氏が普通のレベルからすれば相当に勉強ができるし、頭のいい人だということはほぼ万人が認めるところだろう。
ここまでうまく成り上がったのだから、世渡り術もすごい、と。
そんな人物があそこまで杜撰なことをして墓穴を掘るのだろうか? 認知症になったとしか考えられないよね……というのが我が家での会話だったのだが、考えてみると、彼がやっているような政治資金の公私混同、異常な浪費行動というのは、石原慎太郎氏や麻生太郎氏、あるいは現首相と比べてみみっちいレベルであり、そんなことで権力の座を追われるなど想像できなかったのだろう。
また、彼にとっては、自民党を離党した段階で首相への道はなくなったので、都知事というのは権力者ゲームの「上がり」であり、これ以上は頑張る必要がない。あとはこの権力の座をおいしく味わい、楽しく生きればいい。友達はいないから、趣味と家族との時間を楽しもう……そう考えての、彼にとっては正しい老後生活だったのかもしれない。となると、認知症ではなく、ただの慢心だったのかな。
法律論なんか出したって大衆は反発するだけだということくらい分かっていると思ったけれど、あれだけ滅茶苦茶な言い訳を重ねるとは、よほどの慢心、老化現象か。
「ああいえば上祐」ってのがあったけれど、「よういうよ要一」か。

認知症という病名はともかく、「病気」としか思えない政治家が多すぎる。もちろん、病人たちに政治を任せている人たちも無責任すぎる。

ここで忘れてはいけないのは、清原にしても舛添にしても、悪の本丸から目をそらせるためのツールになってしまったこと。
東京五輪誘致の贈賄事件は? 甘利氏の贈収賄事件は? パナマ文書は? ……

いちばん重い病気にかかっているのは、やはりマスメディアだなあ。


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再エネ比率の高い新電力と契約したい……という無知無理解2016/04/17 11:48

我が家もスマートメーターになったが……
我が家の電気メーターも新電力契約のためスマートメーターになった


どんな電気を使うかを選べると思うのは誤解

新電力への契約切り替え率はまだ1%に満たないらしい。
うちでは3月中にいちばん安くなりそうな(年間で1万円くらいは安くなりそうな)新電力事業者と契約を交わした。といってもネットで必要事項を書き込んで送信しただけで、紙の書類などは1枚たりともやりとりしていない。気持ちがいいほど簡単だった。
それにともない、東京電力の関係事業者が電気メーターの取り替え作業にやってきた。送電網は東電のものをそっくりそのまま使うわけで、メーターの交換も当然東電がやる。

さて、ここでヒステリックな反論を予想しつつも、重要なことを書いてしまおう。

東京新聞に、電力自由化「発電方法示して」声拡大 地方議会、政府内にもという記事が掲載された。
 東京都武蔵野市議会は3月28日、事業者に電源構成などの開示を義務付けるよう国に求める意見書を全会一致で可決し、安倍晋三首相や林幹雄経産相ら宛てに郵送で提出した。
 電源構成は原子力や再生可能エネルギー、火力など各電源からどんな比率で電力調達しているかを示す情報。意見書では「消費者は電気料金の抑制のみを望んでいるわけではなく、より安全で持続可能なエネルギーを望んでいる」と指摘する。
 電源構成が分かれば、消費者は「環境を汚染しない再生エネを選びたい」「原子力は嫌だ」「二酸化炭素(CO2)排出量の多い石炭は避けたい」など、自分の考えに合った多様な選択が可能になる。


……これは東京新聞の意見ではない。武蔵野市議会に意見書を提出したという市議会議員の意見だ。
これに類する意見はずいぶん前からネット上でもいっぱい読まされたが、最初にはっきり言おう。そんなことは妄想であり、単純な誤解、無理解だ。




上の円グラフは日本の電力がどのように発電・調達されているかの構成比だ。平成23年というのは福島第一原発が爆発した2011年。全国でまだ動いている原発があったから、原発は10%残っている。
それが2014年には原発はゼロ。その分、増えたのはLNG(液化天然ガス)と石炭。火力でも石油は減っている。水力が変わらないのは、全国の発電用ダムは増えていないし、既存の水力発電所はフル稼働しているということだろう。
水力を除く再エネ(太陽光、風力、地熱、バイオマスなど)は1.4%から3.2%に増えているが、これは政府が高額な買い取り価格を約束して、その分を電気料金に上乗せすることを合法化したからだ。それでも3.2%にすぎない。
その結果、全国あちこちでメガソーラーやら巨大風車がどんどん建ち、自然破壊や低周波による健康被害が増えたわけだが、日が照らなければ発電しない太陽光発電や、風がいつ吹くか分からないから発電予測すら立たない風力発電だけで電力を安定供給することなど不可能だし、かえって資源の無駄遣いになるということはさんざん書いてきた通りだ。風のない雨の日や夜間には、風力発電や太陽光発電の発電量はゼロである。こうしたものを増やせば増やすほど、同じ発電能力を持つ火力発電所を別に作らなければいけなくなる。
で、問題の「新電力業者の電源構成」を公開しろという話だが、例えば、自社が売る電力の6割が再生可能エネルギーであるということをPRしている事業者がある。
再エネの比率がそこまで高いということは、言い換えれば、その事業者が自社で発電している電気の総量はわずかであり、多くは提携先である大電力会社(例えば東京電力)に依存しているということを意味している。

公開すべきは「電源構成比」ではなく「自前の発電能力」

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自社での発電実績が乏しくても「再エネ比率」が高いとPRする事業者を選ぶとこうなる。ちなみに再エネ比率で謳っている数字は「設備容量」だから、実際にはその数分の1しか発電できない。


上の図(クリックで拡大)は、電源構成比で再エネ比率が5%の事業者Aと60%の事業者Bがいたとして、実際にはどういうことになっているのかということを説明するために作成した。
事業者Aは一般家庭に電気を売ることができるようになった今年4月以前からPPS(新電力事業者)として企業や自治体などに電力を供給している実績があり、自社の発電所も所有して実際に発電事業をしている業者だ。この事業者Aの売電実績を100とする(事業者Aの下のグラフ)。
事業者Aの売電実績は100だが、自社発電所の発電能力は82(上のグラフ)で、足りない分の18は提携事業者(大手電力会社など)から買っている。
事業者Aが所有している発電設備のうち再エネと呼ばれるもの(ほとんどは太陽光発電)の比率は5だが、この数字は発電実績ではなく設備容量なので、実際にはその15%程度しか電気は作れない(太陽光なら夜間や曇りの日は発電できないから、当然そうなる=「設備利用率」)。発電実績のグラフで、自社の発電能力のうち再エネの分(水色の部分)が減っているのはそういう意味だ。

一方、再エネ比率が60%ですよと謳っている事業者Bは、実際には自社での発電能力は10しかない。しかし、「自然エネルギーを大切にしている事業者から電気を買いたい」という人たちからの契約を増やして、売電実績は事業者Aの倍の200に達しているとする。
となると、足りない190以上の分はすべて提携他社から供給される電気なわけで、全売電量に占める再エネの比率は5%を切ることになる。

つまり、原発の電気を使うのは嫌だから、電気代が高くついても再生可能エネルギーを中心とした事業者と契約するという「意識の高い」人が増えれば増えるほど、その新電力事業者が提携している(原発を抱えている)大電力会社が発電している電気が契約者に回されることになる。

中には、契約した新電力事業者の「電源構成比」通りの電気が自分の家に届くと思い込んでいる人もいる。送電網が今までと同じ(東京電力管内なら東電の送電網)なのだから、そんなことありえないことくらい、ちょっと考えれば分かりそうなものだろうに。
送電網に入る電気はあらゆる発電所から送られてくる電気が混ざっている。どう配分するかは発電所と消費地の距離や天候の変化などによって決まる。どの事業者と契約しようが、契約者の家に届く電気の発電元は選べない
だから、公開するべきなのは、新電力事業者がどれだけの発電実績(能力)を持っているのかというデータだ。トータルの発電能力が小さいのに「うちは再生可能エネルギーで発電しています」などと売り込んでいる業者は、PR材料としてあちこちに(優遇措置で)メガソーラーや大型ウィンドタービンを建てて、実質はほとんど提携先の大電力会社の電気を転売しているだけということになる。
もっと穿った見方をすれば、そういう業者は最初から本気で発電する気はなく、提携先の大電力会社の経営を黒子のように裏で支える取引をしたいのではないか……。

公開するべきなのは、新電力事業者がどれだけの発電実績(能力)を持っているのかというデータだというのは、こういう意味である。

火力発電施設を持たない新電力会社は無責任だ

ここでさらに注意したいのは、自社の発電能力といっているものがどんなものなのかということだ。
実際に自社で所有している発電所のことなのか、それとも全国のソーラー発電事業者などから「1円高く」買い取った電気をも「自社の発電能力」といっているのか。そこをはっきりさせてほしい。

⇒ここに、「東京電力エリアで電力供給サービスを提供している新電力事業者(PPS)の一覧(25社)」という資料がある。
数字は自己申告のようだし、いつの時点でのデータなのかもいまひとつはっきりしないが、非常に興味深い。
例えば、最新月実績で990,300 MWhを誇る「株式会社エネット」は、「直近の1年間で約12,033GWhの供給実績」があるとされているが、同時に「年間自社発電量は0 MWh」とある。これが間違いでなければ、要するに多くの提携事業者から電力を買い取ってそれを再販している大手ということだろうか。

年間1,578,674 MWhで第4位のエネオスでんきは、年間自社発電量:786,135 MWhとなっているから、それなりの規模の発電所を自己所有しているということなのだろう。

何かと話題の多いソフトバンクでんきは、年間供給力:14,356 MWhで自社発電量は0 MWh。目下、自社傘下の企業が全国にメガソーラーをどんどん建設しているようだが、例の「国が決めた買い取り価格より1円高く買い取りますよという商法」でも有名になった。

ここで「買い取る」とか「再販」といった言葉を使ってみたが、実際には各ソーラー発電設備は従来通りの送電網(10電力会社)につながれていて、例えばそれまで東電に売電していたのをソフトバンクでんきのような「1円高く買い取ります」という新電力業者に売ることにしたとしても、設備関係になんら変化はない。コンピュータ上で数字をやりとりしている中での契約変更なのだ。
これは、「一般家庭がどの事業者と契約しようが、契約者の家に届く電気の発電元は選べない」というのと同じことだ。

昨年(2015年)、 日経BP社のエネルギー専門誌「日経エネルギーNext」が「第1回 新電力実態調査」というのを実施して、その結果を発表した。
回答企業122社のうち、「送受電実績がある」と回答したのが38社、「これまで送受電実績はない」と回答したのが84社。
このうち、「自社で発電所を持っている」と答えたのは送受電実績のある38社のうちの31社(81.6%)。実績なしの84社のほうは59社(70.2%)でそれほどの差はなかったが、実績なしの59社のほうはほとんどが太陽光発電で、火力発電所はほとんど持っていなかった。
自社発電所の中身は「実績あり」と「実績なし」では大きく異なる。「実績あり」の新電力の場合、55.3%が太陽光発電を持っている一方で、石炭火力(10.5%)や石油火力(10.5%)、ガス火力(23.7%)、バイオマス発電(15.8%)、廃棄物発電(10.5%)といった火力系の発電所を併せ持っているケースが多い。
これに対して、「実績なし」の新電力は67.9%が太陽光発電を持っているものの、火力系の発電所はほとんど持っていない。つまり、電力市場に新たに参入を検討している新電力の多くは、極端な太陽光依存の状態にある。
再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)の導入で、全国に太陽光発電所が急拡大した。つまり、新電力が急増している背景にFITがある。現在は太陽光で発電している電力を大手電力会社に買い取ってもらっているが、全面自由化を契機に自社での販売を検討する太陽光発電事業者が増えているのだ。
(2015年3月25日 日本経済新聞「本番前に淘汰開始、太陽光バブルが生んだ「新電力バブル」 」)


要するに、自分では1kwも発電をせず、株取引や為替レートのように、単に数字のやりとりだけで儲ける企業がいっぱい出てきたわけだ。

5月18日の第6回買取制度運用ワーキンググループにて、FIT電源の買取制度の一部変更が決定されました。

事の発端は、買い集めてきた太陽光発電の電気を卸電気市場に「転売」するだけで、数億円もの利益を出した企業が現れたことです。
これは、自社の火力発電の電気を市場に売るのとは訳が違います。

FIT(固定価格買取)の認定を受けた太陽光発電の電気の買い取りには、その買い取り量に応じて、新電力が負担調整機関から交付金を受け取ることができ、また、この交付金は「再生可能エネルギー発電促進賦課金」という税金を原資としています。

そのため、太陽光発電を卸電力市場に横流しするだけでは、再生可能エネルギーの普及には寄与していないため、交付金を給付する趣旨とは外れているということで、問題視されたのです。

スマートエネルギー研究会のブログ「プレミアム買取ビジネスが危うい!FIT買取制度の変更について!」より)


太陽光や風力は、日が照らない時間、風が吹かない時間は発電量ゼロである。その時間帯は火力発電からの供給を増やして調整しなければいけないから、太陽光や風力の電源構成比を上げれば上げるほど、火力発電の設備を余分に用意しなければいけないし、頻繁に火力側の出力調整をしなければならなくなる。変動幅が大きいと調整しきれずに停電する。
問題児の太陽光や風力には税金原資の再エネ賦課金をたっぷりつけて損をしないように甘やかし、実力のある火力発電には援助しない。つまり、太陽光や風力メインで参入しようという新電力会社は、税金にたかっておいしいところだけ持っていき、責任のある運用はしない。提携先の大電力会社の火力発電に頼りっぱなしという無責任経営をめざしていることになる。

健全で合理的な電気事業の再構築こそ原発廃絶への唯一の道

こういう基本的な構造を理解せず、勘違いしている人が多いのであれば、このまま新電力事業者の契約数が増えないのも、別にいいんじゃないかとさえ思う。
自前の発電所をあまり持たず、コンピュータで数字(金)をやりとりして従来の(提携業者の)発電所が作った電気を看板を変えて再販しているだけのような業者が増えていけば、健全な電力事業、電力インフラは望めない。どんどん歪んだ方向に流れていく危険性がある。

現在、日本の電気の約9割は火力発電で賄っている。そのうちの9割近くはLNGと石炭。これは、もし日本が原発を使わないという選択をした場合、当面はこういう電源構成でやっていくことになるだろうということを意味する。
2014年は原発ゼロだったが、それで困った、危機的状況になったわけではない。であれば、そのやり方をベースにして、あとはいかに効率を上げるか、環境負荷を減らしていくかという努力をすればいい。

ガス火力の効率は技術革新でどんどん上がっている。天然ガスの確認埋蔵量、可能採掘量も増えている。石炭の脱硫技術も日本は世界のトップレベルを誇っている。石油は貴重だからただ燃やしてしまうのは惜しいと思うだろうが、原油を精製すれば必ず一定の割合で出てくる重油は熱源に使う以外あまり使い道がない。
原発を輸出するなどというたわごとを言っているよりも、すでに実績のある火力発電系の技術革新にさらに磨きをかけて世界をリードしていこう、と、堂々と言えばいいではないか。
火力発電を悪者にして、二酸化炭素温暖化説などという全世界的経済詐欺手法のお先棒を担いできた背景には、原発ビジネスをなにがなんでも守るという意図があったことを忘れてはいけない。

原子力ムラの利権族は、反原発運動を原発維持や再生エネルギー詐欺という新たな利権構築に利用することに成功している。
これ以上騙されてはいけない。
本気で原発をやめさせるには、こうした間違いだらけのシステムをひとつひとつ正していくことが必須なのだ。
何度もいってきたように、総括原価方式と再エネ賦課金などの不公正な補助金をやめさせれば、原発は維持できず、なくなる。
あとは、現在の再エネ賦課金同様に、電気料金の領収書・計算書には「原発後始末負担金」として廃炉や事故賠償金の分を我々がどれだけ負担しているかを明示すればよい。そうすることで、ようやく日本国も日本人も、自分たちが犯した間違いを認識し、将来の世代への責任を果たしていく意識を少しでも持つようになるかもしれない。


神様Aはベジタリアンだった ──あなたの知らない創世記──

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少子化問題・人口減少社会の正しい?解釈とは2016/04/07 22:41

ダイヤモンドオンラインの、日本劣化は避けられるか? 「人口減少社会」の誤解と真のリスク ――松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授
同氏の 未曽有の人口減少がもたらす 経済、年金、財政、インフラの「Xデー」 がとても示唆に富んでいたので、自分のための備忘録として内容をまとめてみる。

最初の「人口減少社会」の誤解と真のリスクでは、まず、現在、日本の人口が減っていることに対する多くの国民の誤解についてまとめている。

  • これまでの人口減少の主因は「少子化」ではなく、「死亡者の急増」。日本が戦争に向かって突き進んでいた1920~40年頃の「産めよ、殖やせよ」政策で生まれてきた人たちが1980年代後半以降、死亡年齢に達し、年を追って大量に亡くなったことが主原因。
  • 戦争や疫病などの社会的事件によって若い世代が亡くなっているわけではないので、ある意味それほど深刻な人口減少ではない。
  • 地方の人口減少も、「東京に若者がどんどん出て行ってしまうため」というより、地方に大量にいる高齢者が次々と亡くなっているから。
  • 「少子化」が人口減少の「主因」ではない以上、今の人口減少現象は避けようがない。
  • 高齢化の「主因」も少子化ではない。「長寿化」が主因。出生率が低下しなくても、高齢化は進行する。これを止める手立てはない。

……こう指摘した上で、しかし、「団塊世代」が死に終わった後の死亡者数はピークを越えて横ばいになるので、それ以降の人口減少は出生数が減少し続けることで起きる、と説明している。

ちなみに長寿化の説明で、
1950年の平均寿命は61.3歳(男女平均)でしたが、2010年の平均寿命は83.01歳と、たった60年の間に20歳以上も寿命が延びています。
とあるけれど、1950年(戦後5年目)の平均寿命が61歳だったというのは、戦争でとてつもない数の人が死んでしまったからだから、一概に「異常な長寿化」とも言えないと思う。

また、松谷氏は次に、日本が中絶大国になったことが子供を産める女性人口の激減につながったといった主旨のことを書いているが、これもすべて鵜呑みにはできない。
現在の日本の中絶率は、医学界の推計によると52%にも上ると言われます。

という記述にしても、裏付けられる資料などは見つけられなかった。
ただ、この裏付け資料を探している中で、非常に興味深いデータを見つけた。
僕が生まれた1955年の出生数は173万0692人。中絶数は117万0143件。生まれてくる可能性のあった胎児は約290万人で、そのうち117万が中絶されているのだから、割合は約40%にもなる。闇の中絶はカウントされていないだろうから、実際には半数以上の胎児が中絶されたと考えられる。
僕が生まれた1955年当時は、母親の胎内に宿っても「親に生んでもらえる確率」は半分しかなかったのだ。
これが2009年だと、出生数が106万9000人に対して中絶数は22万6878件。約21%。闇中絶の数は1955年当時に比べれば激減しているだろうから、多く見積もっても22%くらいだろう。だから、50年あまりの間に中絶率は半分(以下?)に減ったことになる。それでも、出生数の2割以上の中絶が「正式に」カウントされているというのは驚きだが……。
中絶件数のデータは総務省統計局のものを見て確認したので、間違いはないと思う。

性の乱れが進んでいると言われるが、実際には戦後まもなくのほうがはるかに妊娠に対する考え方が緩かったというか、罪の意識が薄かったのではないか。
実際に、母親の話なんかを聞いていてもそう感じる。
かつては「足入れ婚」と言って、婚姻届を出さない前に夫の家に女性が入るような習慣が全国的にあった。嫁を即家庭内労働力として必要とした農家に多かったという話もあるが、「1年しても子供ができなかったら婚約解消」「嫁としてちゃんと仕事をこなせるかどうか試す」といった「お試し期間」を設ける意味合いも強かった。
その結果、婚姻届を出す前に妊娠したものの、夫(になるべき男性)が逃げてしまって母子家庭になったり、中絶したりといったケースも多かった。親戚にもそうした実例がある。

現代では「できちゃった婚」が増えていて(これはデータとして確か)、これも若い世代の性の乱れだのなんだのと言われるが、むしろ逆じゃないかという見方もできる。出生率が低下している中でできちゃった婚の赤ん坊が増えているだけ。しかも、中絶しないで、経済的に苦しくても結婚しようというのだから、むしろ親として人間としてはまともではないか、と。

話がだいぶ脱線してきたが、松谷氏のこのコラムの最後には注目すべき指摘がある。

  • 合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子どもの数)が2を割ると人口減少につながるが、日本では2013年時点で1.4台。しかしこれは「女性が子どもを生まなくなったせい」ではない。
  • 既婚女性(有配偶者女性)だけに限った出生率は足もとで2.0台で、1970年代から変わっていない。既婚女性は生涯に平均2人の子どもを産んでいて、むしろ微増傾向にある。
  • なのに女性全体の出生率が下がるのは、結婚をしない女性や「子どもを持たない」と決めた女性が増えているから。実際、2010年の国勢調査によれば、女性の生涯未婚率(49歳を越えて未婚の女性が対象)は10.61.%に上っている。
  • この傾向がどんどん進んで、仮に「2040年には3割の女性が未婚」という事態になれば、残り7割の既婚女性が生涯3人の子供を産まなければ女性全体の合計特殊出生率2台は実現できない。これはおそらく不可能。

……と説明した上で、
日本人はこれから、人口減少社会を前提に考えて生きて行かなくてはならない。人口が減っても、子どもが減っても、引続き安心して豊かに暮らせる社会をつくっていくほうに、目を向けるべきなのです。

……と結論づけている。

途中の解釈や説明に??という箇所がいくつかあるものの、「人口が減っても、子どもが減っても、安心して豊かに暮らせる社会を作らなければいけない」という結論はその通りだ。

で、その方法について、別稿で論じていて、そっちのほうが興味深かったのだが、長くなるのでそれはまた次の項で……。

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日本企業の劣化2016/04/07 22:34

ダイヤモンドオンラインの「日本企業は劣化したのではなく、もともといい加減だった」(山崎元のマルチスコープ)という記事がちょっと話題を集めている。
「立派だ」とされていた日本企業のあちこちで、急激な「劣化」が起こっているように思えてならない。
という話から始まり、
  1. 日本企業はもともとひどかったのだが、それが近年、見つかりやすくなっただけではないか
  2. 仕事に対する「やる気」自体があちこちの現場で低下していて、かつてなら「常識だろう」と思うレベルで実行されなくなってしまう事例が頻発しているのではないか

……という2つの仮説を展開している。

1つ目については、
「日本企業」が特に悪かったり、劣化したりしたわけではないのではないか。そもそも、「企業」というものは、世界的にいい加減なものなのだと考えることが妥当なのではないか。

と言っている。
まったく同感だ。
大企業だからしっかりしている、なんていうのは錯覚・幻想であって、規模の大小に関係なく、企業なんてものはしょせんいい加減なものなのだ。
ガバナンスが進んでいたはずのアメリカの企業にあっても、共に意図的な巨大粉飾事件と言うべき、エンロン事件もあればワールドコムの問題があった。また、ネットバブルの時代も、サブプライム問題から金融危機に至る時期も、多くの大手金融機関でガバナンスがまともに機能していたとは言い難い。金融業界の「プレーヤー」にとって、顧客もカモだったし、自分が勤める会社の株主(資本家!)もカモだった。合法的だが半分詐欺のようなビジネスが、彼らの高額報酬の裏に存在した。

その後、日本にもコーポレート・ガバナンスのアメリカ的強化を良しとする「風」が吹いた(企業統治で商売したい人々や、社外取締役の天下り先を作りたい官僚などが自分に都合良く感化されたのが実態だろうが)。委員会設置会社などという大袈裟な仕組みを持つ企業が登場したが、ガバナンス優等生とされた、東芝やソニーがどうなったかは、読者がご存じの通りだ。


2つ目については、こう指摘している。
仕事の意義を押し付けつつ、仕事の成果によって金銭的な報酬の差を少々つけると焚きつける、日本企業の多くが導入している「成果主義」は、「所詮仕事はカネのためなので、カネ相応に働けばいい」という気分につながって、現場に関わる社員たちのインセンティブを、かえって劣化させているのではないだろうか。

「お金をたっぷり支払う」ことを現場単位まで導入する資力は日本企業にはなさそうだ。さりとて、報酬が仕事のインセンティブとして大きな意味を持たないような世界で、「仕事」に対するプロフェッショナリズムに基づく緊張感を鍛え直すのも、難しそうだ。

次善の策としては、せめて経営トップ層が、報酬水準も含めて現場の社員ともっと近づくことだが、彼らは、当面、「ROE(自己資本利益率)」や「ガバナンス(企業統治)改革」を旗印に、お友達の社外取締役を味方につけて、自分たちの報酬水準を上げつつ企業を経営することに忙しい。


……う~ん、困ったね。

現場の実態はこうなのに、日本人の多くは未だに「技術大国日本」神話や「寄らば大樹の陰」という生き方原理を信じている。
じゃあ、どうすればいいのか……。
この記事(コラム)では有効な具体策までは提示していない。
少しでもマシな解決策を提示している記事を他の人のものに見つけたのだが、それはまた次にて……。

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みんなが気づいていない女子マラソン代表選考疑惑裏の裏2016/03/19 22:09

3月17日はリオ五輪マラソン代表発表の日で、いつもならトップニュースになっていたが、この日は事件・事故が重なり、あまり大きく取り上げられることがなかった。
発表前から結果が分かっていて、意外性がなかったこともある。
でも、翌日の昼間のワイドショーでは、かなり長い時間を割いてやっていた局もあって、それを見ていたら「有森さん、突っ込むところがちょっと違うんだよな~」と思ったので、すでに日記には載せたのだが、こちらにも再掲しておく。

陸連を困らせた「永山問題」とは

女子マラソンは大阪国際でぶっちぎり優勝した福士加代子選手が所属するワコールの永山忠幸監督が、「内定が出ないなら万が一選ばれなくなることもありえるから名古屋にも出る」と言いだして、それを陸連が「やめてくれ」と頼んで……という騒動が起きた。
世界陸上の「日本人トップで8位以内」は即内定だが、それ以外の選考レースはすべて終わってから判断する、という選考基準が発表されているのだから、永山監督の「なぜ内定を出せないのか」というのは言いがかりにすぎず、黙って名古屋が終わるまで待つべきだ……というのが、多くの人たちの「常識的な意見」だった。
選考基準の内容は永山監督も十分分かっているはずなのに、なぜ「内定が出ないなら駄目押しで名古屋にも出す」などといいだしたのか?
ひとつには、昨年の世界陸上女子マラソン代表選考をめぐる理不尽さがある。
世界陸上選考レースに指定されたレースの中で唯一の優勝者である田中智美選手が落とされ、最後の競り合いに負け、トップに4分30秒の大差をつけられて3位になった重友梨佐選手が選ばれた。重友選手の30km以降の5kmラップは、17分58秒、18分19秒、ラスト2.195kmは8分8秒かかっている。
それなのに、「20kmすぎまでハイペースのトップ集団についていたのは積極的なレース運びだった」などと無茶苦茶な理由で評価され、一方で、ペース配分を間違えずに、最後はアフリカ選手とのデッドヒートを力でねじ伏せて優勝した田中選手を落とした。これは誰が見てもおかしな選考だった。

世陸マラソン「メダル」から「8位以内」に基準引き下げは「後出しジャンケン」だ

さらに決定的に問題なのは、従来、五輪前年の世界陸上が代表選考の一つになる場合、「日本人最上位でメダル」が条件だったが、急に「8位入賞」にまで一気にハードルを下げたことだ。しかも、それは世陸の代表選手が決定した後に発表された。

世陸のマラソンで8位入賞で日本人最上位なら即五輪代表に内定という基準を陸連が発表したのは2015年7月2日。その世界陸上の代表が決まったのが2015年3月11日なので、世界陸上の代表が決まった後に従来の「メダル」から「8位以内」に基準を下げたわけだ。すでに世陸代表に選ばれた3人ずつの選手に異常な優遇をしたことになる。これでは「後出しジャンケン」である。許されることではないだろう。
その3人ずつとは、
前田彩里(ノーリツ)、伊藤舞(大塚製薬)、重友梨佐(天満屋)
今井正人(トヨタ自動車九州)、藤原正和(ホンダ)、前田和浩(九電工)
だ。
新星・前田彩里(彼女の選考には文句のつけようがなかった)のノーリツはともかくとして、他はみな駅伝の常連企業。特に男子は駅伝色が強い。
陸連内部でなんらかの人脈談合、政治力が働いて、甘すぎる「8位以内なら即内定」という基準に変えたのではないかと勘ぐってしまう。
そうではないというなら、男子については、もう長いこと世界のトップクラスとは大きく差がつけられているので「メダル」なんて可能性がないからせめて8位以内を……ということになって、それに引っ張られる形で女子も「メダル」から「8位以内」に引き下げたのかもしれない。
しかし、そうだとしたら、その時点で陸連は世界へ敗北宣言したも同然だ。

その結果、世界陸上女子マラソンはどうなったか?
去年の世陸女子マラソンはスローペースで始まった。これはスピードとスタミナに勝るアフリカ勢の「最後で一気にペースを上げて勝負」という作戦に他の選手がまんまとはまった形。案の定、30kmを過ぎてからアフリカ勢が一気にスパートしてからは、日本選手は誰もついていけなかった。この展開は今まで何度もあったのに、また同じことを繰り返したのだ。
優勝のディババ(エチオピア)と7位の伊藤舞とのタイム差は2分13秒もあった。この2分13秒差は、ディババが33kmあたりでペースを上げてから10km足らずでついたもので、終盤、日本選手はまったく勝負ができなかった。
ちなみに、2011年の世界陸上テグ大会では、赤羽有紀子選手が日本人最高の5位入賞で、このときの優勝者とのタイム差は1分15秒だった。しかも、最後は粘って追い上げての1分15秒差。しかし、このときは「内定」の基準が「メダル」だったため、赤羽選手はその後の選考レースにも出場して日本人1位になれず、代表から漏れた。
それなのに、今回はズルズル引き離されて2分13秒の差をつけられた7位で即内定なのだ。
伊藤選手は他の日本選手が脱落するのを確認して、前を追ってつぶれるよりは五輪代表内定の「8位以内」を確実に狙った走りをしたともとれる。
そういう「優勝争いには挑まず、日本人トップと全体8位以内だけを狙う走り」をさせたのも、陸連が「8位位内なら五輪代表内定」というユルユルの規定を作ったからだ。伊藤選手は戦略的にそれをしっかり守っただけで、彼女には何の非もない。

直前の世陸でもメダルをとっていた日本女子マラソン

ここで、世界陸上女子長距離での輝かしい歴史を振り返ってみたい。
以下は、世界陸上の女子マラソンにおける日本人選手の成績と1万メートルでの成績一覧だ。オリンピック前年の世陸は五輪代表選考をかねていたから、翌年のオリンピック女子マラソンでの日本人選手の成績(●の行)も併記した。

1991年・東京    山下佐知子(銀メダル)★⇒翌1992年バルセロナ五輪で4位、有森裕子(4位・1分15秒差)★⇒翌バルセロナ五輪で銀メダル
 ●1992年バルセロナ五輪 代表:山下佐知子(4位)、小鴨由水(29位)、有森裕子(銀)
1993年・シュツットガルド   浅利純子(金メダル)、安部友恵(銅メダル)
1995年・イエテボリ なし//鈴木博美が1万メートルで8位(鈴木は翌年1月の選考会レース大阪国際女子で優勝のドーレと23秒差の2位、2時間26分27秒だったが代表漏れ)
 ●1996年アトランタ五輪 代表:浅利純子(17位)、真木和(12位)、有森裕子(銅)
1997年・アテネ  鈴木博美(金メダル)//千葉真子は1万メートルで銅メダル
1999年・セビリア  市橋有里(銀メダル)★⇒翌2000年シドニー五輪で15位(日本代表選手中では最下位)、小幡佳代子(8位)//弘山晴美、高橋千恵美が1万メートルで4位、5位
 ●2000年シドニー五輪 代表:市橋有里(15位)、山口衛里(7位)、高橋尚子(金)
2001年・エドモントン 土佐礼子(銀メダル)渋井陽子(4位)
2003年・パリ  野口みずき(銀メダル)★⇒翌2004年アテネ五輪で金メダル、千葉真子(銅メダル)、坂本直子(4位)
 ●2004年アテネ五輪 代表:野口みずき(金)、土佐礼子(5位)、坂本直子(7位)
2005年・ヘルシンキ  原裕美子(6位・3分23秒差)、弘山晴美(8位)
2007年・大坂 土佐礼子(銅メダル)★⇒翌2008年北京五輪では25kmで棄権、嶋原清子(6位)
 ●2008年北京五輪 代表:中村友梨香(13位)、土佐礼子(途中棄権)、野口みずき(故障で出場辞退)
2009年・ベルリン  尾崎好美(銀メダル)、加納由理(7位)//中村友梨香が1万メートルで7位
2011年・テグ  赤羽有紀子(5位・1分15秒差)☆⇒五輪代表にはなれず
 ●2012年ロンドン五輪 代表:尾崎好美(19位)、重友梨佐(79位)、木崎良子(16位)
2013年・モスクワ  福士加代子(銅メダル)、木崎良子(4位)//新谷仁美が1万メートルで5位
2015年・北京  伊藤舞(7位・2分13秒差)★⇒?

……と、世界陸上女子マラソンのメダリストは10人(11回)もいるのだ。直近の2013年の大会でも福士選手がメダルをとっている。そうした実績がありながら、なぜ「メダル獲得」から「8位以内なら即五輪代表」などというとぼけた基準にしたのか? 恣意的な「何か」があるとしか思えないではないか。
ちなみに、世界陸上マラソンでメダルをとり、翌年の五輪代表に選ばれて入賞した選手は、山下佐知子(世陸で銀⇒翌年五輪で4位)と野口みずき(世陸で金⇒翌年の五輪でも金)の二人しかいない。

名古屋でのペースメーカー疑惑

今回の五輪代表選考は、名古屋の前に「永山問題」が起きたが、結果的には福士選手は名古屋には出ず、名古屋の結果も揉めるような要素がなく、田中智美選手が最後1秒差で競り勝ち、日本人1位の2位で当確となった。
最終選考レースとなった名古屋ウィメンズマラソンは史上稀に見るデッドヒートとなり日本中を興奮させた。そこで最後に1秒差で競り勝った田中智美選手が代表の座を確実にしたことで、今回、最終的にはすんなり決まった。陸連も世間もほっとしたことだろう。

しかし、今まで以上に揉めることになったかもしれない要因はたくさんある。
次のようなケースを想像してみるといい。

①名古屋のペースメーカーが大阪国際と同じペースを刻んでいれば
 ⇒田中と小原が福士のタイムを上回って、選考大混乱?

②名古屋で田中と小原が同着になっていたら
 ⇒写真でも判定できないくらいのゴールだったら、選考大混乱?
 
③昨年、陸連理事会が天満屋の重友をごり押しせず、順当に田中を代表に選んでいたら
 ⇒田中が日本人トップで入賞し、先に五輪代表内定。残り2枠をワコールの福士、天満屋の小原、大塚製薬の伊藤らで競り合い、選考レースが複数あることでまたまた大混乱。

①に関しては、「ペースメーカー疑惑」が持ち上がっている。
大阪国際のペースメーカーは5kmを16分40秒と指示されていた。これはそのまま走り続ければ2時間20分台だ。陸連が設定した2時間22分30秒を上回るには序盤からそのくらいのペースで行かなければ無理だろうから、順当な設定と言える。
ところが、名古屋のペースメーカーには、陸連が「5kmを16分55秒から17分」というペースを指示していた。大阪のときに比べて5kmあたりで15秒から20秒も遅い。これでは陸連が自ら設定した選考基準タイム2時間22分30秒を切れない

そもそも、同じ選考レースなのに違うペース設定をするのはフェアではない。レースの条件を恣意的に変えたのはなぜなのか?
まるで、福士の記録を上回る選手が二人出ると困るから、そうならないように遅く指示したかのようだ
実際、福士選手側が直前になって参加を取りやめたのも、この陸連の設定ペースが大阪のときよりずっと遅いということを知ったからだとも言われている。
しかも、実際のレースでは、20kmで下りる予定のペースメーカーが序盤に乱高下するペースを刻み、不必要に選手たちを疲労させた。

そうした「人為的悪条件」にも関わらず、名古屋で田中選手に1秒差で負けた小原怜選手の走りっぷりがとてもよかっただけに、「なんで2時間29分48秒の伊藤だけ先にさっさと内定を出したんだ」という批判が当然のように出てくる。
名古屋での小原選手のタイムは2時間23分20秒で、優勝のキルワ選手とは40秒差。30km以降のペース落ち込みも少なかった。40km以降ゴールまでの2.195kmのタイムは3位の小原選手のほうが優勝したキルワ選手より速いのだ。こういう戦いができる選手を選びたくなるのは当然だろう。

陸連は女性蔑視の男社会か

ここで、普通なら選ばれてもよかったのに選ばれなかった選手たちの所属企業チームを思い出してみよう。2000年以降でリストアップしてみると、

弘山晴美……資生堂。言わずとしれた「女性」中心の企業。
高橋尚子……アテネ五輪代表漏れのときは積水化学を辞めてスカイネットアジア航空の所属。練習は実質、佐倉アスリート倶楽部(小出監督)
田中智美……第一生命。女子陸上部しかなく、監督は女性の山下佐知子。

……と、いずれも「男上位社会」「陸連内部人脈」から軽視されやすい企業に所属していたように見える。
昨年、田中智美が唯一の優勝選手でありながら世陸代表から外れたときに抗議したのも、増田明美、高橋尚子ら女性で、男性の陸連理事で異議を唱えた者はいなかったそうだ。

これでは、陸連は「男社会」であり、「女性蔑視」の風潮が根強く残っていると批判されても仕方がない。また、いつまで経っても内部からは改革できない不透明な談合集団であると見られても仕方がない。
福士選手と監督が無茶を承知で「確定でないなら名古屋にも出る」と表明したのも、彼女の所属企業がワコールで、これまた資生堂同様に「男社会」「有名駅伝企業」ではなかったから、陸連への不信感からだろう。陸連内部で政治力が弱い(多分)ワコールとしては、どんな処遇をされるか分からないと恐れたのではないか?

とにかく、これ以上、理不尽な選考で選手を傷つけたり貶めたりするのはやめてほしい。
世陸でトップグループと勝負しなかった伊藤選手が、名古屋マラソンの小原選手の勇気ある戦いぶりと比較されて責められたりしているようだが、それはお門違いというものだ。伊藤選手は五輪代表になるために「戦略的に8位以内を取りに行った」だけなのだから。
また、不自然な選考で世陸代表になった重友選手は日本人最下位に沈んで「ほれみろ、やっぱりダメじゃないか」と責められた。彼女はもともと精神面が弱かったが、その弱さをせっかく克服しつつあったのに、無理矢理代表に押し出されて負けたことで、これからの選手生命を縮めかねないダメージを受けたかもしれない。彼女もまた被害者と言える。

これ以上「被害者」(理不尽な扱いを受けて本来の力を発揮できなくなる選手)を増やさないためにも、陸連は早急にして徹底的な体質改善、組織改革が必要だろう。
選考基準に「活躍が期待できる選手」などという主観にすぎないような馬鹿げた項目をうたうこと自体、スポーツへの冒?だ。期待されようがされまいが関係ない。ちゃんとしたルールの上で正々堂々と勝負する世界なのだから、「メダルが取れそう」などと第三者が「評価」することがおかしい。それが分からずに「我々はプロです」なんて言っている陸連幹部たちは、最もスポーツマンシップから遠い、「男らしくない男社会」をチマチマと形成している人たちだと感じる。

救いは名古屋ですごいレースを見せてくれた田中、小原両選手の精神力。
あれには日本中が感動した。熱くなれた。
本当に「感動をありがとう」と言いたい。

歴代「悲劇のマラソン選手」一覧

ここからは「オマケ」として趣味的に付け足してみる。

マラソンの五輪や世陸代表選出をめぐり、僕の記憶に残っている「悲劇の選手」一覧を作ってみた。
まずは女子。
  • 松野明美 ……1992年1月、バルセロナオリンピックの代表選考レースの1つ大阪国際女子マラソンで当時の日本最高記録を上回る2時間27分02秒の好記録で2位(初マラソン世界最高)に入るも代表漏れ。「実績」を買われて有森裕子が選ばれる。
  • 吉田直美 ……1995年11月、アトランタ五輪の代表選考レースである東京国際女子マラソンで38km付近、先頭集団にいたが、背後を走っていた浅利純子に踵を踏まれて、浅利、後藤郁代とともに転倒。吉田はシューズも脱げたために大きく遅れ、優勝の浅利に10秒遅れの3位。しかし、転倒した場所からゴールまでのタイムは最も速かった。浅利に靴を踏まれていなければ間違いなく優勝し、五輪代表になっていた。
  • 鈴木博美 ……1996年1月の大阪国際女子マラソンで、優勝したカトリン・ドーレについで2時間26分27秒の2位。この記録は他のアトランタ五輪代表選考レースと合わせても日本人最高タイムだったが、「実績」の有森裕子が選ばれて選外に。
  • 弘山晴美 ……2000年1月の大阪国際女子マラソンで優勝のリディア・シモンに2秒差の2位。しかし記録は2時間22分56秒で、当時の世界歴代9位、日本歴代3位の好記録。しかし、すでにその前の世界陸上で銀メダルを取っていた市橋有里が「内定」していたため、シドニー五輪代表残りは2席のみ。そこに山口衛里、高橋尚子が入り、代表漏れ。
  • 高橋尚子 ……2000年シドニー五輪マラソンで優勝して「実績」は断トツだったが、アテネ五輪代表に選出されなかった。
  • 田中智美 ……2005年北京世界陸上マラソン代表選考レースの1つである横浜国際女子マラソンにケニアやエチオピア選手を破って2時間26分57秒で優勝(選考会レースで唯一の日本人選手優勝)したが、別の選考レースである大阪国際女子マラソンで3位の重友の2時間26分39秒よりタイムが悪いという理由で代表選出されず大問題となった。

この中で、1995年の東京国際女子マラソンでの吉田直美選手のことを覚えている人はほとんどいないのではないだろうか。
あのレースをうちでは録画しながら見ていて、レース終了後に転倒シーンの前後を何度もスロー再生して確認した。吉田選手のすぐ後ろを走っていた浅利選手が吉田選手の踵を踏み、それが原因で吉田選手、浅利選手、後藤選手の3人がもつれるようにして転倒。踵を踏まれた吉田選手は靴が脱げ、それを拾って履き直さなければならなかったために大きく遅れた。
浅利、後藤の2選手はそのまますぐに起き上がり、転倒に巻き込まれなかった原選手を猛追。最後に、浅利選手が原選手をかわして優勝。浅利選手は「転倒しながらも逆転優勝した」「すごい根性だ」「最後まで諦めずに走った姿に感動した」などなど絶賛され、そのままオリンピック代表になった。
しかし、転倒の原因を作ったのは浅利選手で、いちばんの被害者になった吉田選手は靴を履き直してからゴールするまでのタイムが誰よりも速かった。つまり、浅利選手に踵を踏まれなければ、吉田選手が競り勝って優勝していた可能性が極めて高い。転倒したとしても、靴さえ脱げなかったら優勝していただろう。
それなのに誰からも注目されず、その後、ひっそりと表舞台から姿を消していった。

踵を踏まれて靴が脱げて優勝できなかったといえば、バルセロナオリンピックでの谷口浩美選手が有名だ。
優勝候補に挙げられていた谷口は20km過ぎの給水地点で後を走っていた選手に踵を踏まれて転倒。靴も脱げて履き直し、そこで30秒あまりの遅れを取った。
その後猛追し、8位でゴール。タイムは2時間14分42秒。優勝した黄永祚選手のタイムが2時間13分23秒だから、転倒して30秒の遅れを引いても1分近く遅いので「転倒しなければ優勝していた」とは言いきれないが、レース展開が大きく変わっていたことは間違いない。
このときのレース後の第一声「こけちゃいました」は、その笑顔と共に見ていた人たちの記憶に深く刻み込まれた。
谷口はその後、一度もマラソンで優勝できなかったが、「実績」を評価されて次の1996年アトランタオリンピックでも代表になった。アトランタの男子マラソンで日本人選手は惨敗で、谷口の19位が最高順位だった。
その谷口はバルセロナの前のソウル五輪の代表選考でも有力候補だったが、このときは福岡国際で事実上の一発選考をするという陸連の意向が、最有力候補の瀬古利彦選手の怪我によって不可能になり、このときの中山竹通選手の「這ってでも出てこい」発言(実際には「自分なら這ってでも出ますけどね」だった)などなど、日本中が注目する「事件」になった。
その福岡国際は冷たい雨がゴール地点ではみぞれに変わるという悪天候の中、「怒りの中山」が5kmを14分35秒、10kmを29分5秒、15kmを43分40秒、中間点を1時間1分55秒(2倍すれば2時間3分台!)という、驚異的なスピードで前半からぶっちぎって優勝。有力候補だった谷口はそのペースに惑わされたこととあまりの寒さで実力を発揮できず、最後は6位に沈んで代表候補から脱落した。
このときも、「暑さに強い谷口が順当に代表になっていればソウルでは優勝間違いなかった」などと言われたものだ。

このように、オリンピックのマラソン代表選考、そして本番の結果には、常にスリリングなドラマがついてまわる。
それも含めて、選手ではない我々は楽しんでいるのだが、やはり、スポーツのドラマは、感動的なドラマだけにしてほしい。アクシデントはドラマのうちとしても、談合やら密室やら女性蔑視やらのドロドロしたドラマはいらない。

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「敗北主義」と「諦観主義」2015/09/06 22:29

今年も登場したキャラクター案山子

日光仮面もいる。これ、ご当地キャラとしては「ゆるさ」の方向性が他とちょっと違うので、嫌いじゃない

敗北主義と諦観主義

デモで法案は止められないが、負け方が重要……という敗北主義

スポーツ関連のイベントプロデュースやWEB制作を手がける会社の社長をしている清義明氏が、自身のブログで「国会議事堂前の『敗北主義』 -最後に笑うものが最もよく笑う・・戦後左翼史のなかの市民ナショナリズム」という長い文章を公開している。

55年体制、日本共産党史、左翼と新左翼の違いなどなど、戦後日本の政治や社会運動史について事細かに説明していて勉強になるが、冒頭部分と最後の部分で非常に重要なことを示唆していると思うので、一部、抜き出してみたい。(太字はこちらで処理したもの)

安保法制を巡って、その反対派が国会議事堂前でデモを行いました。過去最大規模だそうです。(略)
このデモの結論は明らかです。

この法案は可決されます。間違いありません。

そして、このことは国会議事堂前に集まったすべての人は皆知っているはずです。

この類のデモというのは基本的に議会制民主主義の中では最初から敗北しています。法案を提出した自民党が議席の絶対多数をもっているのですから当たり前です。そしてそれでもやるというのは「敗北主義」です。

ここでいう敗北主義とは、負けるとわかっていてもやらねばならないという態度のことです。なぜならばそれが次につながるからです。そうすると、この敗北主義というのは負け方が重要なことになります。いかにうまく負けるか、それが焦点です。

ここで負けても実は最後には勝っている・・・それを目指すのが敗北主義の目的です。議会制民主主義を肯定するならばそれは当たり前の態度です。ここで安保法案が成立しても、次の選挙で勝てばいいだけですから。よって負け方が次につながらないと如何様にもならない。

 ……安保関連法案が必ず可決することを「国会議事堂前に集まったすべての人は皆知っているはず」だったとは僕は思わないけれど(そう思う人が多かったらあの数にはなっていないはず)、前回の選挙の結果が出たときから、安倍政権がこういうことをやってくる、そしてそれを阻止できないだろうということは僕自身確信していた。
「頑張れば勝てるはずだ」「世の中は変えられる」と信じている人たちのことを、清義明氏はこう説明する。
ところが往々にして敗北主義なのに本気で戦って敗北してしまう人がいるのは政治の世界ではよくあることです。勝てるはずもない戦いに勝とうとすれば、それだけ傷も深くなる。もちろん動員のために、タテマエとして勝利を目標にするのはあるでしょう。だが、それをタテマエだとわからなくなってしまう人がいるのもよくあるパターンです。

ホリエモンという人が、デモに参加する学生は自分だったら採用しない、思想が理由ではなく仕事できなそうだから・・・みたいなことを言ったと聞きます。これはこの事を指します。敗北主義を本気になってやって、それ自体が何事かを成すと思いこんでいるのは、バンザイ突撃を繰り返して死屍累々の無惨を晒した日本軍と同じだと私も思います。
(略)
国会前に集まり抗議するのは、首相官邸前で抗議するのに動員をかけた3.11以降の反原発運動からの流れです。この首相官邸前抗議が、これまでの市民運動のスタイルから歴史的に隔絶されたものというのは気づいている人は多いと思います。それは思想もさることながら、動員のスタイルや人的リソースにまで及びます。

 ……ここから長い戦後の思想対立・闘争史の解説があって、その後、こう指摘している。

国会前のみなさんのなかには、現政権を指して「ファシズム」という人がいる。自分は必ずしもそうは思いませんが、実際にそうだったとしましょう。

そうすると、まだマルクス・レーニン主義の革命フェティシズムに染まっている人は、権力を倒せという。国家は一部の人に支配されていると思いこんでいるからです。

しかしファシズムというのは一部の人が大多数を支配するようなものではないのです。議会制民主主義の果てにファシズムがあります。リベラリズムの結論が18世紀にはナショナリズムで、それをさらに突き詰めたのがファシズムです。

ファシズムの正体とはそこいらにいるオッサンオバサン有権者のことです。

スーパーで野菜が高くて困るとか、ダンナの給料の上がり下がりに一喜一憂したり、ランチの値段を比較しながら美味い店を探して昼休みにオフィス街をうろついたり、ヤフーニュースを読んで単純な義侠心から韓国けしからん!と思っていたり、中国の株式市場の動向を不安そうに見つめていたり、ニッポンは外国でこんなに評価されているというテレビを見てちょっと嬉しくなったり、3.11の後に自民党じゃなきゃやっぱりダメだと民主党から鞍替えしたりする人です。国会前でまた左翼が騒いでいると思っている人もそうです。

議会制民主主義を肯定していくならば、このオッサンオバサンたちを味方に引き入れるしかない。それに国会前の敗北主義がプラスになるかならないか。問題はそこの部分なのです。
(略)
60-70年代の新左翼の前衛主義(少数派でも正しいことを言っている自分たちが正しく、わからない人たちを先導していくという考え方)は大失敗しました。だが、陣地戦に入り、自分の生活範囲内で地道に活動してきた無党派は確実にリベラルとして存在し、勢力として今でも強いです。

ここで負けても実は最後には勝っている・・・それを目指すのが敗北主義です。議会制民主主義を肯定するならばそれは当たり前の態度です。よって負け方が次につながらないといかようにもならないのです。

僕自身、今は毎日のように「スーパーで野菜が高くて困る」と思い、「ランチの値段を比較しながら美味い店を探して」いる人間なので、僕自身もファシズムに利用される要員なのだろう。
僕はそういう庶民層の生活を自ら選んだわけではない。若いときは、社会的に成功して、金や人脈(一緒に創作活動をしてくれる、そしてそれをビジネスとして成功させてくれるスタッフや仲間)には不自由せず、一生、よりよい、より高みを目指す創作活動をしていきたいと思っていた。
これはある意味、清氏が言う「前衛主義」かもしれない。
今でも、自分の中には「分からない人たちを相手にしてもしょうがない」という思いがある。悪貨は良貨を駆逐する。よいもの、価値あるものが常に多数派によって選ばれるわけではない。
だから、五輪ロゴ問題にしても、選ばれた人たちが密室の中で決めていくこと自体には、僕は反対ではない。「多くの人たちが支持する」ことよりも、アートとして、デザインとしてすぐれたものを作りだし、使ってほしいからだ。
今回の事件で「次はネットで投票して決めろ」なんていう意見が出ているが、そんなのはアートの自殺だ。
問題は閉ざされた場で決められたことではなく、決める人たちがアーティストとしても人間としても、基本的な能力を失っていることだ。

弱ったゴブリンに群がり袋だたきにするスライムたち

佐野氏はせいぜいゴブリン程度の存在であり、倒すべきラスボスは、構造の欠陥、そこに安住する利権者たちの精神腐敗だ。それを許してしまうスライム級の大多数庶民が、ゴブリンの恥部を見つけてワーワー罵倒して憂さ晴らししているのが今の状況ではないのかな。
スライムたちは、ラスボスの正体は見たこともないし、見たいとも思わない。そういう自分たちの精神がラスボスの栄養素になっていることに気づかない。

こうした構造的な問題は、これから先も変わることはないだろう。
僕自身は「基本的構造の欠陥は今後も変わらない」という前提で、では、そういう世界に生まれた以上、残りの人生をどう生きるか、というテーマに集中せざるをえない。

清氏の文章では、「自分の生活範囲内で地道に活動してきた無党派は確実にリベラルとして存在し、勢力として今でも強い」という部分に、いちばん近いものを感じる。
社会は変えられない。しかし、一人一人は自分の生活範囲内で地道に努力し、悩み、行動様式を改善し、自分なりの規範や価値観を持って生き抜くことができる。
そういう人が増えていけば、結果としての社会が少しずつ変わることは不可能ではないかもしれない。

スライムって、たいていは可愛らしく描かれている。弱いから数で勝負。組織の最下層で捨て駒にされながらも、ちゃんと仕事はしようとする。
スライムひとりひとりは「いい人」であることが多い。ちょっぴり階級を上げてもらって威張り散らすゴブリン級、あるいはそれをまとめるローカルボスキャラの人たちよりは愛すべき存在かもしれない。
僕はスライム層の中で一生を終える自分の人生に対して、今ではできる限り肯定的に考えるようにしている。ちょっと毛色の変わったスライム。毛色が変わっていても生きていける世の中であってほしい。もはや、そういう生き方しかないなあ……と思って毎日を過ごしている。
清氏が「いい負け方」に多少の期待を込めて「敗北主義」と言っているのだとすれば、今の僕の生き方は「諦観主義」とでも呼べるかもしれない。
安倍晋三の言い回しなら「積極的諦観主義」? まあ、定義や名称はなんでもいいか。



iPhoneで撮る写真がデジカメよりきれいな理由2015/07/25 22:02

アップルの良識・ソニーの大罪

先日、久々に「ガバサク流」のサイトを更新した。

まずは、「ガバサク流まとめ講座 デジカメ新時代のカメラ選び」というのを新たに5ページ追加。
数年前、「仕事とパソコン」という雑誌に書いたものを改稿。次々に新機種が出てきても、こうこうこういう考え方でカメラを選べばよい、という内容にした。

他にも、「おすすめのコンパクトデジカメ」のページを更新。
XZ-10を推薦するページなども更新した。

で、ここではさらに裏話的なことを書いてみたい。

カメラと撮像素子(CMOSイメージセンサー)の世界で日本はトップを守れるのか

デジカメは日本のメーカーがまだ世界トップを走っている希有なジャンルになってしまった。
コンピュータもモバイル端末も負け。テレビも負け。液晶パネルも負け。電子機器業界で、カメラも負けてしまったらもう後がなくなるが、個々のメーカーを見るとどんどん規模縮小しているし、魅力的で画期的な新製品が出ない。

『デジカメに1000万画素はいらない』(講談社現代新書)でも書いたし、「ガバサク講座」でも何度か書いてきたことだが、撮像素子の画素数は多ければいいというものではない。それなのに高画素化競争をまだ続けようとするソニーの姿勢は困ったものだ。
デジカメが登場した頃の撮像素子はCCDが主流だったが、今ではすっかりCMOSになった。このCMOSは、ソニーが世界のシェアトップで、韓国のSamsung Electronics社と米国OmniVision Technologies社が2位3位の座を激しく争い、この3社だけで世界の市場占有率のおよそ3分の2を占めている。(4位はキヤノン)
日本ではソニーの他にはシャープ、キヤノン、東芝、パナソニックなどがCMOSを製造しているが、ソニーのシェアに比べれば「泡沫メーカー」と呼ばれても仕方ないほど弱い。
シャープはCCD時代にはデジカメ各社にOEM供給していたが、CMOS時代になってからはソニーに完全に負けてしまった。
キヤノンは自社製のCMOSを製造している数少ないカメラメーカーだが、かつてはコンパクト機のセンサーやレンズはOEMが多かった。
パナソニックはフォーサーズ用のCMOSを作っている。フォーサーズの提唱者であるオリンパスのCMOSもパナソニック製が多い。
富士フイルムは自社開発でEXR-CMOSという意欲的なCMOSを作っているが、実際の製造は東芝。
その東芝は韓国のサムスンと技術提携しているので、今後はソニー vs サムスン・東芝という構図がより明確になっていくかもしれない。

東芝とサムスンの提携はカメラ以外にもいろいろやっていて、意外なところでは東芝の洗浄便座はサムスンが製造している。これが相当優秀で、本家のTOTOをコストパフォーマンスで脅かす(というかC/Pでは圧倒する)存在になっている。
実は今の日光の家には洗浄便座がついていなかったので、引っ越しと同時にアマゾンで購入したが、それが東芝製だった。価格はわずか1万2000円ちょっとだったと思う。脱臭機能までついていて、4年近く経過した今もトラブルは一回もない。サムスンはすごいなあと、そんなところでも感心してしまう。

iPhone6の内蔵カメラのCMOSは、1/2.3型クラスのCMOSでは最小の画素数(=最大の画素ピッチ)

話をカメラと撮像素子(CMOS)に戻そう。

ソニーは現在、CMOS製造では世界トップの技術を持っている。これは業界の誰もが認めることだ。

iPhoneの内蔵カメラできれいな写真が撮れるのはすでに多くの人たちが体験していて、そのせいでコンパクトデジカメがますます売れなくなっているということがあるが、iPhone5/6の内蔵カメラに使われているCMOSもソニー製だ。
ただし、画素数は800万画素に抑えられている

『デジカメに1000万画素はいらない』をアップルは実践しているわけだ。

iPhone6のCMOSは6.1mm×4.8mm(29.3mm2)で、これはコンパクトデジカメによく使われている1/2.3型CMOSの6.2×4.7mm(29.14mm2)とほぼ同じ面積だ。
ソニー製の1/2.3型CMOSは、ソニーだけでなく多くのメーカーのコンパクト機に供給されているが、総画素数2000万画素以下のものはもはやない。
iPhone6のライバル機といわれているソニーのスマホXperia Z3の内蔵カメラもこの1/2.3型で2070万画素。CMOSの面積はiPhone6とほぼ同じなので、Xperia Z3のほうが1画素あたりの面積はiPhone6の約38%しかないということになる。
それを日本のメディアは、IT専門誌でさえ「スマホ最強のカメラスペック」などともてはやしている。馬鹿じゃなかろうか。

Xperiaの内蔵カメラは以前から「食べ物がまずそうに写る」と言われていたが、小さなCMOSに高画素を詰め込めば色階調が浅くなるのであたりまえだ。
「こんなの食べたよ~」とブログにちょろっとUPする写真が1000万画素だの2000万画素だの必要なわけがない。


iPhoneの内蔵カメラセンサーは、かつては米国オムニビジョン社のものだったが、iPhone5からメインカメラ(背面のカメラ)をソニー製CMOSにして、iPhone6では前面(サブ)カメラのCMOSもソニー製に切り替えた。コストはソニー製のほうが高いはずだが、技術的にソニーのほうが勝っていると判断したからだろう。(アップルとソニーの間で価格を巡る壮絶な駆け引きがあったことは容易に想像できる)
しかし、ソニー製CMOSを採用する際、アップルは高画素CMOSしか作っていなかったソニーに、敢えて「800万画素で作れ」と注文した。そのほうがきれいな画像になることが分かりきっているからだ。
現在、デジカメ用の1/2.3型CMOSで1000万画素より少ない画素数のものは製造されていないので、このクラスのCMOSではiPhone用のCMOSこそが画素ピッチ(1画素あたりの面積)が最も大きいということになる。きれいに撮れるのは当然だろう。
アップル社にはこうした「良識」がある。ソニーにはない。

iPhoneが800万画素に抑えた(大きな画素ピッチの)ソニー製(技術力業界トップ)のCMOSを採用した時点で、写真の実質的きれいさや使いやすさでは勝負がついていた。
iPhoneに供給した800万画素CMOSはiPhone以外には供給しないという契約をソニーがアップルと結んでいる(結ばされた)のかどうかは知らないが、ソニーは自社製のスマホ Xperia ではこの優秀な新型CMOSを使わず、苦し紛れに?デジカメと同じ1/2.3型CMOSを採用した。
結果は……iPhoneユーザーが知っているとおりだ。
⇒このWEBページなどに、両機種での撮り比べ写真があるのでごらんあれ。
明るい屋外ではなんとかごまかせても、屋内での写真(特に食べ物)や花などの撮影ではXperiaの惨敗だ。
画素ピッチが2.5倍も違うのだから当然だろう。

コンパクトカメラに魅力的な製品がなくなってしまったのは、CMOSで圧倒的な技術力とシェアを持つソニーが高画素路線をやめなかったことも一因だ。 今からでも、ソニーの技術で600万画素くらいのCMOSを作れば、カメラ業界はガラッと様変わりするかもしれない。それが業界のリーダーとして正しい姿勢だと思う。
しかし、ソニーは相変わらず画素数を増やし続けて「どうだ、すごいだろ」と見栄を切る路線をやめない。
今のままだと、ウォークマンで失敗したのと同じ轍を踏むかもしれない。


なぜ日本のメーカーは世界のトップを走り続けられないのか……。
思うに「競争」だけを意識し、製品に対する哲学や良心がないからだ。
売れるためにどうするかは考える(ユーザーをいかに騙すか、その気にさせるかには腐心する)が、本当にいい製品(自分が好きな商品、責任を持てる製品)を作ろうとしない。

他社が真似できないほどのすぐれた技術を持っているのに、メーカーとしての哲学や良心がない。そんな環境からは斬新なアイデア、画期的な新製品も出ない。
「技術大国日本」と呼ばれた国をこんな姿にしてしまったのは誰だ。

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