還暦を超えたら「かけ足教」に入信せよ?2020/12/14 14:14

森水学園 用務員・杜用治さんのノートより

(1974年4月26日)
村の中でもあちこちに桜が咲き始めた。
天気もいいので、校庭のベンチに座ってボ~ッとしていたら、白衣(といってもかなり汚れていてねずみ色に近い)を着た婆さまがとぼとぼと歩いてきて、黙って俺の隣りに座った。

婆さん婆さま: あんたはここのセンセイかね?

俺俺:  いや、ただの居候ですよ。村のみんなは用務員さん、って呼ぶけどね。そういう婆さまは何者なんですか。この村の者じゃないみたいだけど。
婆さん あたしゃ宗教家じゃよ。

俺 宗教家? 布教して回ってるってことですか? 仏教系? キリスト教系? 
ずいぶん疑問文が多いねぇ。あたしが説いて回る教えは、何系でもない。「かけ足教」というのを説いて回ってる。

俺  かけあし教? 聞いたことないなあ。面白そうだけど……。
聴くかね? 教理は簡単じゃよ。

俺  長くならないなら、聴いてもいいですよ。
じゃあ、簡潔に伝えようかね。
あんたは還暦を迎えたかね?

俺  いや、まだですね。
これは還暦を迎えてからの生き方を説く教えじゃ。

俺  それなら、俺にはまだ早いか……。
いやいや、還暦を迎えてから知るより、今から知っておいたほうが無駄な時間が減らせるじゃろ。せっかくだから聞きなさい。

俺 じゃあ、お願いします。
還暦というのは、干支が一回りして元に戻るってことじゃろ。本卦還りともいうな。
この世に生まれて、60年生きて、生まれた年の干支に戻るわけじゃな。
昔は人生50年というて、人が60年生きるなんてことは贅沢じゃった。
じゃから、60年生きたら、もう一度生まれて、それまでの60年の人生を踏まえて、残りの人生をじっくり生きよ、という教えじゃな。
じゃけんども、60を過ぎた人間は、脳みそも身体もガタガタぼろぼろじゃでな。それまでの60年のような時間をそれまでの時間感覚で生きることはできん。時間が過ぎる速さもどんどん短くなる。
じっくりとじゃが、駆け足で生きることを求められるわけじゃな。

俺 それで「駆け足教」っていうわけですか?
それもある。だが、かけ足教の「かける」は、もう一つの「かける」にもかけちょる。……かけ算じゃ。

俺 かけ算?
そう……歳をな、十の位の数と一の位の数で、かけ算をするんじゃ。
60歳は6と0。6かける0は0じゃろ。だから、60になったときは、もう一度別の人生を生きるつもりで0歳児として生まれ変わる気持ちになる。

俺 0歳児じゃ、何も考えられないし、言葉も使えないですよね。
そういうことではない。新しい人生におけることはゼロから始める、ということじゃ。それまで60年生きた経験は、そのまま残って、次の人生への架け橋になる。その架け橋の「かける」でもあるな。

俺 ……う~ん。……それで?
61歳になったら、6かける1で6歳じゃ。つまり、還暦を過ぎたら1年が6年の速さで過ぎていくんじゃな。かけ足で過ぎていくわけじゃな。
だから、それまでの人生の0歳から6歳までに身につけたこと、世の中のあらゆるものを、見て、聞いて、触って……という五感をもう一度研ぎ澄ませる。ものへの認識をゼロから見直してみる。言葉の意味も、音の聴き方も、基本を全部ゼロから見直してみる1年間じゃ。

俺 ……なんか面白そうですね。となると、62歳は6かける2で12歳か。小学校6年間で学んだことを見直す1年ってことですか?
おお、出来のいい生徒じゃな。その通りじゃ。小学校で学んだことを、もう一度、根本から考え直してみる。科学も歴史も……全部な。特に歴史なんてものは、時の権力者の都合でどんどん書き換えられている物語にすぎないからな。どこまでが本当にあったことか、偏見や脚色をとことん削ぎ落として、裸にしてみることじゃ。そうすれば、違う世界が見えてくる。

俺  それは分かる。俺もそれは常々思っていますよ。
じゃあ、63歳は6かける3で18歳。思春期ですね。これはどうやり直すんです?
やり直す、とは言っておらんじゃろ。振り返るのはええことじゃがな。あの頃のドキドキした時間をそのままやり直しはできんから、あれは一体なんだったんじゃろ、と思い直す時間じゃな。
十代のときにときめいた美しさとはなんだったのか。生殖本能によって歪められていた美感覚だったんじゃないか……とか。そういうことじゃな。
おまえさん、十代のときに心ときめいた女の子がおったじゃろ? 今、その子がそのときのままの姿で目の前に現れたらどう感じるかね。あの頃と同じような目では見られんじゃろ?

俺  それはそうだろうけど、ちょっと話がズレている気もしますね。同じようにはときめかなくても、何か特別な想いはこみ上げるんじゃないかなあ。それをどうしろと?
それをどうするか、どう考えて、新しい人生に生かすかは、おまえさんが63歳になったときに考えるんじゃな。

俺  じゃあ、64歳は24歳。その頃の俺は……。
何かを求めてあがいておったんじゃないかね。その求めたものは、技術だったり、人からの信頼や尊敬だったり、金だったり、性欲のはけ口だったり……。それは手に入ったかね?

俺  入ったものもあったけれど、手に入ったと思ったら、思っていたのと違っていてがっかりしたり、絶望したり、怒ったり……。
それが、最初の60年の人生で手に入れた「土台」じゃな。60からの人生は、その土台に種を蒔き、耕す人生なんじゃ。どんなにいい土台があっても、土台は土台にすぎん。放っておけば干からびるだけじゃな。

俺  なるほど。少し宗教……というより、人生訓みたいになってきましたね。
で、その調子で69歳までいくと、6かける9で54歳。まだ15歳若いけれど、だいぶ近づいてきましたね。
で、70歳になると、今度は7かける0で、また0歳に戻るんですか?
そこから先は、あんたが運よくその歳まで生きられたら、自分で答えを探すことじゃな。ただで教えられるのはここまでじゃ。

俺  え~? なんかちょっと……。まあ、いいや。ここまでの話でも十分面白かったから。
じゃあ、お布施代わりにお茶でも出しましょうか。待っててください。

俺はそう言って「用務員室」に戻り、湯を沸かし、茶を入れた。
あいにく、お茶菓子代わりになりそうなものはなかったので、茶わんと急須を乗せた盆を持って校庭のベンチに戻ると、婆さまの姿はもうなかった。
かけ足教の教祖はかけ足で消えてしまったのだろうか。

その後しばらく、村の人に会うたびに、汚れた白衣を着た婆さまのことを訊いてみたが、誰一人、そんな婆さまを見た者はいなかった。


フェイスブックのnoteアプリ機能とWEBサイトのnoteを混同していました。フェイスブックのnoteは10月で終了しましたが、note.com のほうは健在なのですね。
動画の発信なども、YouTubeから直接やツイッター経由より、noteを介したほうがよさそうな気がしてきたので、改めてnote を始めてみました。
https://note.com/tanupack です。

この「用務員・杜用治さんのノート」シリーズは、「森水学園第三分校」(https://nikko.city/morimizu/)の中の1コーナーですが、今後はnote.comのタヌパックページでも並行して掲載していくつもりです。


Twitter   LINE

4K・8Kテレビ放送の虚無2020/11/27 14:57

デジタル放送開始当時のテレビと今のテレビのリモコン
居間のテレビが冬になると液晶画面がおかしくなり、しばらくウォーミングアップしないと映らなくなっていた。数年前からなのだが、どんどんひどくなって、今年は室温15度以下でもおかしくなる。
あと、ときどき地上波のTBSが電波が弱くて乱れる。これはテレビのせいではなく、アンテナの受信環境のせいだろうから、ブースターを追加したり、いろいろやってなんとかしのいできたのだが、先日、これもひどくなり、アンテナ配線を抜き差ししているうちに、今度はBSが映らなくなった。
不思議なことに、BSが映らなくなったのに、110度CSは映るチャンネルと映らないチャンネルがある。
それも、時間と共に映らないチャンネルが増えていく。
これはアンテナ関連ではなく、内蔵チューナーがいかれてしまったんだろうと判断。しょうがない。買い換えるか。
このテレビ(42型)は購入してまだ9年しか経っていない。その前に使っていた37型のほうはまだピンピンしていて、しかも画質がきれい。同じREGZAなのに、なんで新型のほうが画質が悪いのかと不満には思っていたのだが、まあ、うるさく言うほどではないので、いろいろ調整して使ってきたわけだが、9年でアウトかい~。

どうせ買い換えるならでかいやつ、ということで、当初は42型⇒55型を考えたのだが、妻が「ついでにこの両脇のスピーカーも片づけられないの?」と言うので(北欧のAudio Proだったかな、なんかお洒落なトールボーイ型スピーカーを使っている)、スピーカーをどけた場合の最大サイズ(壁の横幅いっぱい)に収まる65型にした。

多分、65型でトリプルチューナーのやつではいちばん安い。USB外付けHDD4台つなげられる。540が出て、現在値崩れ中?Amazonで購入

ネットで調べて、いちばん安い店に発注したら、届くのに6日かかった。

機能的には満足のいくものだし、同じREGZAなので、使い方もほぼ一緒なのだが、案の定、音は悪い。
オーディオスピーカーは片づけてしまったので、なんとか調整して内蔵スピーカーで我慢……と思ったけれど、どうにも我慢できず、余っていたPC用のミニスピーカーを取り付けた。これ、なかなかの優れものなのよね。
大きさ的にも邪魔にならず、うまくいった。


こんな感じで落ち着いた。

4Kと従来のBSって、区別つく?

……で、ここからが本題。
知らないうちに、売られているテレビのほぼすべてが4Kチューナー内蔵になっていた。だから、届いたテレビも4Kチューナーが内蔵されていて、BSの4K放送が見られる。
しかし、4Kだの8Kだのって、まったくいらんなあ。
NHKの朝ドラなどは、BSプレミアム(解像度:1920×1080)と4Kチャンネル(3840×2160)が同じ内容を同時放送しているが、切り替えても違いが分からない。
もっと馬鹿げているのは、BSで4K、8K放送を開始するために、NHKのBS1や民放キー局のBSチャンネルの解像度が、それまでの1920×1080から地上波デジタルと同等の1440×1080に落とされた(2018年から)ことだ。
こういうのを本末転倒という。
このときも事情を知った視聴者や放送現場からは「なんとバカなことを」という声が上がっていたが、テレビメディアは一切このことを報じなかった。
しかも、「実際には放送各社のほとんどが番組の映像を1440×1080の規格で管理しているため、解像度が変更となった後も実際の画質はこれまでと変わらない」などという説明がされる始末。つまり、「ほとんどの放送コンテンツは1440×1080で編集・保存されているんだから、1440×1080で十分なのだ」と告白しているわけだ。
NHKの朝ドラはお金をかけて映像制作しているだろうから、解像度の違いが分かるはずだと思ってじっくり見てみた。
地上波(1440×1080)とBSプレミアム(1920×1080)の解像度の微妙な差はなんとなく分かる(画面に近づいてじ~~っと見て、そうかなぁ……と感じる程度)。でも、BSプレミアムと4Kの差は分からない。65型でも分からないのだから、42型くらいのテレビなら、まったくと言っていいほど分からないんじゃないだろうか。
ものすごく高いテレビだと液晶のクオリティが高くなって分かるのかもしれないけど、あたしゃ老眼だし、大画面テレビの目の前に座り込んで見ているわけではないので、意味なしホウイチだ。
ましてや、1日中通販番組をしている4Kチャンネルで「今ならお値段そのままで、もう一台オマケでついてきます!」なんてやっている人の顔をデカデカと映し出されてもねえ。

金のかけ方がおかしい

大宅壮一が「一億総白痴化」という言葉を使ったのはいつのことだったか。今ではその言葉を知っている人のほうが少なくなっているだろうなあ。
我々視聴者はもともとテレビによって白痴化していたのだが、テレビがでかくなっていき、4Kだ8Kだと騒ぐにつれ、さらにバカになっていく。
これ以上バカになっていいのか? 4K、8Kインフラに投資するより、質の高い番組を作るために金をかけようよ。それやらないと、俺たち貧乏人が作るYouTubeコンテンツにも負けるよ。

NHKにしても、昭和の懐かし映像を無理矢理高解像度化した変な映像なんて、元画像が粗いんだから、4Kで放送する意味はないでしょ。

貴重な電波の周波数帯資産、もっと違うものに割り当てられないのかと呆れるばかり。
テレビ放送が全部デジタル化したのはいいとして、あのとき、地上波の利権構造はリセットしておくべきだった。デジタル放送を受信可能エリアの狭いUHF帯中心でやる必要はまったくない。BSやネット回線が中心ということにして、地上波(AM、FM、UHFなど)はローカルメディアやデータ送信に割り当てていくべきだった。
それまでの利権を守るために、わざわざ狭くて性能の悪いメディアに固執した。これは総務省とテレビ局の癒着による罪。

今のテレビには最初からhuluだのNetflixだのというアプリがインストールされていて、視聴者に有料放送サービスを購入させるようにさせるようにと前のめりで攻めてくる。
クラウドサーバーに自動的に視聴者の視聴記録や嗜好を集めて、そのデータを裏で売買したり、あらゆる営業活動に利用したりする仕組みも入っている。
そこまでやっておいて、未だに地上波はBS、CSよりえらいとか、昔ながらのサンプル数が極端に少ない「視聴率」なんてものに振り回されていたりして、放送業界もバカで凝り固まっている。

道具に支配された人間

テレビの解像度が上がるにつれ、肝心の番組の質はどんどん劣化しているのは確かだ。
この「ハイテク道具に支配され、主人であるべき人間の知性や感性が劣化する」という現象は、テレビ業界だけでなく、あらゆる産業、文化の分野で起きている。
結局、道具ばかり進化しても、使う我々がそれに振り回されるだけで、道具によって想像力が奪われてしまうのだろう。
受け手の想像力が劣化すると、送り手(創り手)の創造力もそれに合わせて低レベルな方向に合わせていく。そうしないとビジネスにならないから。
道具が進化して、今なお安価で入手できることはありがたいのだが、ある程度、道具は不自由、不完全なほうが、創意工夫をしながら、形のない価値(芸術とか哲学とか)を育てる力が育つのだろうな、と思う。

私は一般家庭にテレビがない時代に生まれた。近所のお金持ちが初めてテレビというものを買って、それを庭から縁側越しに覗きに行っていた時代を知っている。
テレビは今も完全な受動態道具だけど、創作や自己表現のための道具──例えば楽器なんかも贅沢品だった。
紙と鉛筆でさえチビチビと使わなければ怒られた。
本も高くて買ってもらえなかったから、同じものを何度も読み返した。
子どもの頃に何度も読み返した「シートン動物記」の文章がしっかりしていたから、今の文章作成能力につながったのかなあ、なんて思う。

ワープロが出てきたのは20代後半だったかな。そのうちにパソコンが出てきて、デジタル信号ですべて処理・記録するようになって……と、その後の劇的なデジタル革命を全部見てきたから、今の「最初からデジタルだけ」の世代とは違う価値観や歴史観を持っている。
まあ、いい時代に生まれたんだろうなあ。

……と、ジジイ根性丸出しの戯言はこのへんにして、さっさと創作活動をしなさい、って。

……というわけで、オマケはこんなのを……。


Twitter   LINE

ズブズブと森のおともだち2020/11/27 13:45

NHK総合で年に1度やる「コントの日」。過去2回はいまひとつスッキリしない感じが残って、まあ、NHKだからなあ……と受け流していたのだが、今年は面白かった。
すでにネットでも⇒こんな記事が出ていたりして、そこそこ話題になっているようだ。
概要は⇒ここにもまとまっているので、見逃した人はNHKの見逃し配信(あれって有料なんだっけ?)で見てみよう。
文春のサイトに、劇団ひとりと東京03のインタビュー記事も出ている。
テレビ雑誌のミニコラムでこれを取り上げようと思い、録画を復習見した。裏話とか読んでから見ると、2度楽しめる。

冒頭の「袋、いりません」は、アベノマスクやらレジ袋有料化で世の中に不必要な混乱と迷惑をもたらしたバカ政治への風刺が効いているし(しかも、あのコントなら文句も言えない)、「ステイホームで覚えたラーメン」は、本当の自分と向き合うことの難しさ、そして勇気という哲学的な?テーマを扱っていながら、東京03角田の怪演で、誰もそんなことを考えないまま笑っていられる。さすがは1年に1度の練り上げられたコントだわ。

そしてなんといっても、今回は「ズブズブと森のおともだち」の直球ぶりがすごかった。
ざっと内容をまとめると……

「ズブズブ」(劇団ひとり)はズルくて、闇の人脈を駆使して甘い汁を吸うのに長けた森のふくろう。ロボットの「マジメカ」(ロッチ・中岡)が買ってきたケーキを一人でこっそり食べてしまう。
そこに紅茶を持って「みんなでお茶にしましょう」とやってきた美少女・アリス(新川優愛)に、マジメカが「ズブズブさんが一人で僕のケーキを食べてしまった」と訴える。
アリスはズブズブを「人のものを勝手に食べたら、それはドロボーになるの」と戒める。
⇒「ひとのもの」(税金)、「勝手に食べる」(横領)

しかしズブズブは、歌手志望のアリスに「今度の森の歌手オーディションの審査員長は村長で俺の友達だ。今夜会うから、きみのこと話しておくよ。共存共栄。もちつもたれつでやっていこうじゃありませんか」と持ちかけると、アリスはそれに乗って、マジメカを「証拠はあるの? そもそもケーキなんてあったのかしら」と、逆に責める。
驚いたマジメカが「この森に正義はないのですか?」と訴えると、アリスは「真面目か!」と切り返す。
「あんたみたいなタイプ見てると、イライラするのよね」
(⇒真面目な人が上の地位に就いてきっちり指示されるより、悪代官やバカ殿に支配されているほうが気が楽だという、現政権支持層の声を代弁)

そしてナレーション:
「何はともあれ一件落着。みんなおともだちを大切にしようね。そうすればいけないことをしても、もみ消してくれるから

このへんで「森のおともだち」⇒森友 ってことに気づく人がどれくらいいたか……。
第2話はさらにすごい。
森の運動会で「かけっこ」で競うことになったズブズブとマジメカ。ズブズブは鳥なので走るのは苦手。そこで審判員のアリスに「鳥は走るのが苦手なんだよね。1位の賞品のいちごは大好物なんだけどなあ……」と耳打ちする。
アリスは、ズブズブの口利きで森の音楽会に出られたお礼として、ズブズブのスタート地点をゴールテープの直前にするというとんでもない贔屓をする。「私はただ、いちごが好きって言っただけですよ」とにんまりするズブズブ(⇒直接指示はしない。相手に忖度させるという暗喩
それでもほとんど歩けずにマジメカに負けてしまうズブズブ。
すると今度は村長がこっそり、1位と2位の賞品を入れ替えてしまう。1位がドングリのキーホルダー。2位は山盛りのいちごに。「ズブズブさんのおかげで例の誘致の件もうまくいきそうですしねえ」と村長(東京03豊本)。
憤慨するマジメカに、マジメカを作った博士(ロッチこかど)がやってきてこう言う。「だから俺はおまえを作ったんだ。この森の深い闇と戦うために。でも、正面からまともに行っても無理なんだ」(⇒野党の非力さを嘆く人々の声を代弁

このへんで、徒競走とかじゃなくて「かけ」っこと言っていることに気づく人はほとんどいなかっただろうなあ。
最後は劇団ひとり作詞、竹内まりや作曲のテーマソングをみんなで歌う。

♪友達大好き。僕はズブズブ。芸能プロの社長さん、闇カジノのオーナーさん、演歌歌手のタニマチさん、家族ぐるみさ。みんな大好き。ズブズブになれば笑顔になれるから。甘い蜜舐めようよ。盃交わそうよ。骨までズブズブ♪

そこに桜の花びらが舞い落ちるという、ど直球なエンディング。

江戸末期、お上の華美禁止令に負けず、「じゃあ、色をつけなければいいんだろ」と、白木彫刻を極めていくという楽しみ方を追求した彫刻屋台の彫刻師たちや、その屋台を繰り出して祭りを続けた町民の精神で、このトンデモな時代をのりきりたい。

テレビ番組制作者たちよ、庶民を軽く見てコントロールしようとする番組作りではなく、庶民と共に文化を作り上げるのが君たちの仕事だ。
いつかまたルネッサンスはくる。そう信じて、こういう番組作りをじっくりつづけるのじゃよ。

Twitter   LINE

『彫刻屋台図鑑01 鹿沼の彫刻屋台』

ユネスコ無形文化遺産登録で注目が集まる鹿沼の彫刻屋台。全27屋台を128ページフルカラーで「アート」として見つめ直す写真集。
B6判・128ページ フルカラー オンデマンド 無線綴じ  1680円(税別) 送料:220円
■ご案内ページは⇒こちら 

『彫刻屋台図鑑02 宇都宮・今市の彫刻屋台と天棚』 

写真・文:たくき よしみつ 写真:鐸木郁子  地元の人でも滅多に見ることがないという石那田、徳次郎の屋台(計12台)の他、今市の6台、その他、東下ヶ橋の天棚など、合計23台をフルカラー写真で収録。収録写真画像500枚超。類書がない貴重な資料。
B6判・132ページ フルカラー オンデマンド 1680円(税別) 送料220円
ご案内ページは⇒こちら


パソコンは中国製に限る?2020/10/25 22:14

今回メインマシンに昇格させた中国製ミニPCの中
画像編集ソフトのPhotoshop Elementsは常用アプリで重宝しているのだが、今使っているのは15年以上前のバージョンだ。
ElementsシリーズはAdobeの年間ライセンス契約ではなく単独購入できる最後の砦だが、これまでライセンス購入のみにされたらたまらないと思い、思いきって最新版を購入した。
ところが、Windows7にはインストールできないと判明! ショックだ。
1万円以上出したアプリがインストールさえできないのでは洒落にならない。いろいろ考えた末に、メインのWindows7マシンと、去年買って、サブ機にしているWindows10 のミニPC(格安の中国製)を入れ替えることにした。
その経緯と初期設定やトラブル解決法の詳細は⇒日記に3ページ以上にわたって詳しく書いたのだが、この作業をやっていて改めて考えさせられたのは、日本は本当にITに関してはアジアの中でも最底辺にいるなあということだ。

日記を読んだかたから、
  • Windowsは日本語バージョンと英語バージョンでは恐ろしく違う。
  • 日本語版はお節介機能が満載で、ストレスやトラブルが段違いに多い。
  • 日本語版WindowsがプリインストールされているPCは余計なバンドルソフトがプリインストールしてあったりしてますますトラブルが多いので、買わない。
  • 日本製のデバイスのドライバーもまともに動かないものが多い。英語版ではそういうことはまずない。
  • 同じiPhoneでも、日本で発売するものにはSIMロックがかかったりしていた時期もあったし、とにかく日本製の機器はストレスだらけである。
……といったコメントが寄せられた。
英語版Windowsを使ったことがないのでどこまでそうなのかは分からないが、さもありなん、だとは思う。


「仕事のためのパソコン」の理想像とは

だいぶ前から、私がPCに求めるのは、
  1. コストパフォーマンス
  2. 静かで小型であること
  3. いざというときに手当てできる分かりやすい構造

……の3点だ。

ノートPCでは快適な仕事環境にはならない。かといって、マジンガーZ(古い?)の操縦席みたいなゴツいものは邪魔でうるさいだけだからいらない。
デスクトップマシンはゲームマニアのものだけではない。普通に「仕事をする人」のものである。
そういう「普通の人」は、小さくて、静かで、サクサク動いて、安定しているPCを求めている。(こういうやつだ)


昨年購入した怪しげな中国製ミニPCは、3はともかく、1と2を満足させている。
これに匹敵するデスクトップパソコンは国内メーカーはおろか、DELLのような巨大メーカーの製品にも見あたらない。捜しまくっても、聞いたことのない中国製マシンしか見つからないのだ。
小さいのに強力。音はまったくしないし、重量級の外部HDDやらなにやら10個以上のUSB機器をつなぎまくっても、なんのトラブルもなくサクサク動く。 しかも、安い。
これを選ばない理由がない。

その中国製ミニPCをメイン機にしなかったのは、Windows7のメインマシンの環境を移行するだけで相当な手間がかかるし、あまりにも小さくて安いマシンだったので、イマイチ信用していいものかどうか迷ったからだった。
しかし、今回入れ替えてみて、このミニPCの実力がかなりのものであることが分かった。
兄弟機のような、もっと安い機種を妻が使っているが、1年以上何のトラブルもなく動いている。
こんなことならもっと早く入れ替えればよかった。

中国はIT産業の裾野がものすごく広く、活気があることを感じる。
専制国家体制の国なのに、なぜ産業の現場では活気があって、欧米をも脅かすほどに急成長したのだろうか。
思うに、商品開発や技術研究をする現場の人たち、特に上に立つ人たちが、「どうすればよりよく、合理的な製品を安く作れるか」を第一に考え、動いているからではないか。

それに対して日本では、「どうすれば売れるか」「どうすれば儲かるか」「どうすれば客をうまく瞞して商品を買わせられるか」を第一に考えているように感じる。
もちろん中国でも、そういう腐った根性でやりくりしている企業や輩もいっぱいいて、今も安かろう悪かろう製品はたくさん生まれている。でも、裾野が広く、活気があるから、山の中腹から上の部分がどんどん立派になっている。

日本は、企業の姿勢、製品開発や商売倫理という部分で、根本的な間違いをおかしているような気がする。だから、一部の優秀で真面目な人たちの努力が形にならない。山の中腹から上がしっかりしないどころか、上からも麓からもボロボロ崩れていく一方だ。
この「根本的な間違い」という病巣が、メディアの姿勢、官僚の働き方など、あらゆる分野に巣くっている。
この仕事は誰のために、どういう目的でやる仕事なのかという考え方の「だれの、何のために」が間違っているのだ。
目先の利益や保身を最優先させる結果、国全体の力が落ちていくという難病。

今の日本は、IT後進国というだけでなく、あらゆる面で、今までの歴史の中で何度もおかしてきた間違いを次々に甦らせ、その間違いに鈍感になっているのではないか。
その鈍感さと無責任さが導く先を想像するのが恐ろしい。
どうにもならなくなってからでは遅い。どん底を見る前に、なんとか山崩れを防ぐことはできないものだろうか。



Twitter   LINE

明治神宮の杜から考える菅総理の「教養」問題2020/10/13 14:40

明治神宮内陣に置かれていた獅子・狛犬(「明治神宮御写真帖」より)
フェイスブックの「狛犬さがし隊」での書き込みがきっかけで「明治神宮の内陣にある狛犬」について調べてみた。
その内容は⇒こちらの日記に詳しく書いたが、ごく短くまとめると、
  • 大正9(1920)年に創建されたとき、内陣には彫刻家・米原雲海に依頼して彫らせた木彫狛犬が置かれた。
  • その狛犬は国の重文指定されている大宝(だいほう)神社(滋賀県)の木彫狛犬のコピーであり、同様のものは日光東照宮陽明門にもある。これは全国の護国神社などでよく見られる「岡崎古代型」狛犬の手本にもなった人気のある狛犬である。
  • その写真は明治神宮創建時に発行された「明治神宮御写真帖」(帝国軍人教育会編纂)に掲載されていて、写真キャプションには「内陣御装飾の獅子狛犬」とある。
  • 同書付属の解説には「神社用の装飾は、国民崇敬の中心率とならねばならぬから、故実に準拠することは、我が国体の上から見ても争われぬ事項に属する。」とある。
  • つまり、大宝神社の木彫狛犬は「国民崇敬の中心率となるべき故実」であると認定されていたらしい。
  • 明治神宮は昭和20(1945)年4月のアメリカ軍による空襲で1300発以上の焼夷弾を落とされてほとんどの建造物が焼け落ちている。おそらく当初の「内陣の狛犬」もそのとき消失しているはずで、現在も内陣に狛犬が置かれているとすれば、戦後の昭和30年代以降に作られたものであろう。
……といったことだ。

閑話休題。

で、これを調べている際、1300発以上の焼夷弾を受けて建造物がほぼすべて消失したにも関わらず、神宮の杜は燃えずに残り、今も立派な「ほぼ天然林」の様相を呈している理由について、改めて考えさせられた。

「杉林にしろ」と命じた大隈重信首相

Googleで「明治神宮 空襲 大隈重信」などで検索するといくつもの記事、資料が出てくる。
まずは明治神宮のサイトにこういう記述がある。
造営にあたり、本多静六、本郷高徳、上原敬二ら林学の専門家たちは、何を植えたら「永遠の杜」になるかを考え、将来的に椎・樫・楠などの照葉樹を主な構成木となるように植えることを決定したのです。
理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていったのでした。そこで百年先を見越して明治神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。
ところが内閣総理大臣であった大隈重信首相は「神宮の森を薮にするのか、薮はよろしくない、杉林にするべきだ」として伊勢の神宮や日光東照宮の杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいました。
林苑関係者は断固として大隈重信の意見に反対し、谷間の水気が多いところでこそ杉は育つが、この代々木の地では不向き、杉が都会に適さないことを林学の見地から説明してようやく納得させたそうです。
明治神宮WEBサイト「杜・みどころ」より)


ナショナルジオグラフィックの特集記事「鎮守の杜に響く永遠の祈り 日本人が作った自然の森──明治神宮」にも、こんな記述がある。

1915(大正4)年4月、日比谷公園の設計などで知られる林学博士の本多静六、やはり日比谷公園の設計に携わった造園家の本郷高徳、日本の造園学の祖とされる上原敬二といったそうそうたる顔ぶれを集め、実行機関である「明治神宮造営局」が発足。森の造成計画が本格的に始まった。
(略)
古代の神社には社殿のような建物はなく、動物や植物を神霊としたり、森そのものを神社と考えていた。
 「神社の森は永遠に続くものでなければならない。それには自然林に近い状態をつくり上げることだ」――これが基本計画の骨子となった。
 計画の中心を担った本多、本郷、上原の3人が主木として選んだのは、カシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹だった。もともとこの地方に存在していたのが常緑広葉樹であり、各種の広葉樹木の混合林を再現することができれば、人手を加えなくても天然更新する「永遠の森」をつくることができると考えたからだ。
 ところが、この構想に当時の内閣総理大臣・大隈重信が異を唱えた。
(略)
「明治神宮の森も、伊勢神宮や日光東照宮のような荘厳な杉林にすべきである。明治天皇を祀る社を雑木の(やぶ)にするつもりか――」

これに対して本多博士らは、「東京の杉と日光の杉について樹幹解析を行い、日光に比べていかに東京の杉の生育が悪いかを科学的に説明することで、ようやく大隈首相を納得させた」という。

このときに大隈首相の主張に従って杉を植えていたら、東京大空襲にも耐えられなかったし、今、あれだけ立派な森にはなっていなかった。

大隈重信といえば、かつて朝日新聞AICでの連載拙コラム『デジタルストレス王』や、拙著『日本のルールは間違いだらけ』(講談社現代新書)にも書いたが、日本の鉄道の多くが世界標準の1435mmよりずっと狭い1067mmという「狭軌(きょうき)」規格のままここまできてしまったことにも少なからず責任がある。
明治政府で鉄道導入を進めていたのは大隈重信らだったが、知識も経験もないため、技術も資材も全部イギリスに頼っていた。
イギリスで標準軌が定められたのは1846年(弘化3年=江戸時代!)だから、明治になって鉄道を導入する日本でも当然この標準軌を導入すればよかったのだが、「元来が貧乏な国であるから軌幅は狭い方が宜からう」と、当時、イギリスの植民地で多く採用されていた1067mmという規格が採用されてしまった。
デジタルストレス王 2005年5月「福知山線事故は明治政府の責任?より)

もし、本多静六らが必死で大隈重信を説得して杉林計画を断念させなかったら、今のような明治神宮の杜はなかったのだ。

さて、現在の日本に、政府のトップの意向に敢然と異を唱え、正しい施策に導こうと奮闘する学者や官僚がどれだけいるだろうか
知らないうちにアベノマスクだのGOTOキャンペーンだのといったとんでもない愚策が首相官邸や一部の利権政治家の意向だけで決まってしまい、官僚も、それがどれだけ馬鹿げた、マイナス要因だらけの施策であるか分かりながら、ひたすら追従する。それどころか、政権中枢に都合の悪い証拠や文書を隠蔽・改竄することもいとわない。
今の政治や行政の劣悪ぶりは、昭和どころか、明治、大正時代以下なのではないか。
その状況をしっかり伝えないどころか、一緒になってオバカ広報に堕してしまっているメディアの責任はさらに重い。

日本学術会議の会員任命に際して6人を外した菅義偉総理大臣に対して、静岡県の川勝平太知事が「菅義偉首相の教養レベルが図らずも露見した」「本当に残念。文部科学相はこういうことに一家言を持ってないと大臣の資格はない」「(菅氏は)学問をされた人ではなく、単位を取るために大学を出られたんではないかと思う」などと述べたことに批判が集まったなどというニュースを読んだが、川勝知事が言うように、これらの発言を「訂正する必要はない」。
100年後の世界に思いをはせない知性は、本当の教養とはいえない。


Twitter   LINE

25年間で4000回以上のWEB日記を書いていた2020/10/02 21:39

『介護施設は「人」で選べ』講談社 10/15発売 予約受け付け中
『介護施設は「人」で選べ』(講談社)10月15日発売 予約受付中
以下のいずれからでもご購入できます(Click)
Amazonで買う   楽天ブックスで買う   Yahoo!ショッピングで買う   hontoで買う

ご案内ページはこちら

煩悩は続くよどこまでも

思うところあって、2002年からAIC(朝日新聞のWEBコラムサイト Asahi Internet Caster)火曜日に連載していたコラム『デジタルストレス(キング)』から拾ったものを中心にして、エッセイ集を5冊まとめた。
すでにAmazonでも販売している

森トンカツ

エッセイ集を作ったことで、過去のWEB日記も見直してみた。
いちばん古いのは1996年で、まだデジカメもなかった時代。インターネット黎明期で、確かアナログ電話回線でピーガーって音を出すモデムで2400bpsとかでつないでいた。それが4800bpsになり、9600bpsになり……。
使っていたパソコンはIBMのPS-V Visionというやつ。メインメモリが8MBで内蔵HDDが170MBだった(GBじゃないよ)。
プロバイダはインターリンクというしょぼい回線のところから始まって、biglobeに移って、その後はAsahi-Net。1996年だと、biglobeに移ったあたりかな。
当然、写真画像なんて入れられなくて、入れるとしても画像ファイルは30KB以下なんてのが常識だった。30KBのちっちゃな粗いJPEGファイルでも、開くのに時間がかかって、プログレッシブJPEGなんて形式もあって……。

この頃は精神的にはものすごく追い込まれていて、日記に書いている内容もやたらと暗い。

それからなんとなく続いて、気がつくと25年も経っている。

以前のWEBページは、文字コードはShift-JISで、フェイスブックにリンクを張ると拾ったテキストが文字化けする。
ヘッダ情報のタイトルにトピックを入れてなかったので、目次を作るのに内容を拾えなくて苦労する。
それを今回、できうる限り直した。
文字コードをShift-JISからutf-8に変換し、ヘッダにはタイトル情報を全部入れていき、スマホで開いてもなんとか読めるように
<meta name="viewport"  content="width=device-width,initial-scale=1.0" />
というおまじないも入れた。

結果、日記の目次ページが4000行を軽く超えるというすごいことになった。つまり、25年間で軽く4000ページ以上のWEB日記を書いてきたことになる。

さらに困ったのは、何年か前にサーバーを移転したとき、画像ファイルの縦横情報が消えてしまったらしくて、多くの縦位置写真が横に表示されてしまったことだ。
ただ、寝てしまうだけならまだしも、縦横比も入れ替わるのでひどいことになる。それを一つ一つ見つけ出してIrfanViewに読み込み、写真を90度回転させて保存し直してサーバーにアップロードし直す……という、気が遠くなる作業をやった。

リンク切れや、今となっては意味のないリンクはなるべく消したが、まだまだいっぱい変なリンクやらミスが残っているはず。

でもまあ、だいぶよくなっただろう。

それにしても4000ページ以上の日記か……。何やってるんだか。
こういうのも煩悩のなせるわざだなあ。
それを自分の死後にも残したいと思って本にする。どこまでも深き煩悩よ。

  1. この世における自分の人生を嘆く⇒煩悩
  2. この世における自分の人生は諦めるが、自分の死後のこの世に思いをはせる⇒煩悩
  3. この世のことはすべて幻想だと割り切り、別の次元の世界に思いをはせる⇒煩悩

そろそろ第3段階の煩悩へと移行していきたい。

Twitter   LINE

コロナが教える「つぶされない生き方」2020/06/17 11:41

墓地にある石仏が、かつては墓そのものだったらしいと気づいたのは最近のことだ。その時代の人たちの死生観や生活ぶりはどうだったのか。今とは相当違うものだったのだろうとは思うが、具体的なイメージはなかなかわかない。

医学界でも言われ始めた「アジアの幸運」

COVID-19の感染率や重症化に関しては、やはりいくつかの要因があって、アジア諸国では死者が少ない。そのことは医学界でもようやく認知され始めてきたようだ。
この生死を分ける「要因」は何か、という研究が進めば、今のような、すぐ都市封鎖だのソーシャルディスタンスだのマスクだのっていう対策ではない、もっと根本的な「考え方」が形成されていくのだろうか。早くそうならないと、世界はどんどんまずい方向に進んでいきそうで、そのことのほうがウイルスそのものよりもはるかに怖い。

コロナという教師

ともあれ、ここにきて、コロナは、我々に多くのことを教えてくれている「教師」なのではないかという気がしてきている。
今まで見過ごされてきたことに目が向けられるようになって、そこから改めて学ぶことが増えた。
例えば、金は必要以上に持ってはいけないのだなあ、と思う。
負け惜しみではない。「前田ハウス」だの、「安倍首相のお友達」山口敬之氏、有名企業から偽名で月80万円だの、「兜町の風雲児」の最期だのという記事を読むにつけ、心からそう思える。
特に、人が稼いだ金(税金)を使える立場にいるというのは、本来なら大変な責任を背負い、ストレスを抱えるはずなのに、なあなあで(たが)が外れまくっている。開き直ればなんでも通ると思っている(実際そうなってしまっている)。
そうなったら、もうおしまい。壊れた乗り物を運転する薬漬けの廃人と同じなのだろうな……と。

人は必ず死ぬ。この世は夢の世界と同じで、一瞬で消えるバーチャルなもの。そのかりそめの時間の中でさえ、想像力を働かせず、煩悩まみれの生き方に閉じ込められるつまらなさ。永田町の人たちはともかく、霞が関の人たちは、「脳」の可能性という点では、平均よりずっと可能性を持っていた人たちだろうに。
ギャンブル依存症になっている芸人が、それを自虐的に「芸」に取り込もうとするような探究心さえも持てない人たち。可哀想だな、と思うけれど、そういう人たちが、他人の生死を握るような立場にいる、というのが困るし、恐ろしい。

「歴史を学ぶ」のではなく「歴史に学ぶ」

そんなこんなのコロナ疲れもあって、社会の理不尽さを嘆いたり憤ったりする体力もなくなってきた。

先人たちは、様々な失敗体験に基づいて、たとえば「三権分立は大事ですよ」とか「ルールにそって物事を決めましょう」ということを大切にしてきました。こうした知恵が憲法や法律に書き込まれています。
今を生きている人だけで物事を決めてしまうと、大変な悲劇を受けます。
(略)
たとえ「多数派が支持していること」でも「やってはいけないこと」があると考えるのが立憲主義であり、政治的リーダーの本質的な務めではないでしょうか。
安倍首相は「戦後民主主義のあだ花」か?  政治学者中島岳志が分析する「本質を忘れたリーダー」とは HUFFPOST 2020/06/10

「死者の声」に耳傾ける、という言い方をしなくても、要するに「歴史に学ぶ」ことが大切だという話だ。
ただ、その「歴史」は学校で教えてくれるわけじゃない。あれはすでに「編集済み」の読み物だからだ。

出発点は、疑問を持つこと。想像力を働かせること。そして、なるべく自分好みの期待値や裏読みを排除して、実際はどうだったのかと判断していく姿勢だろう。

社会全体がどう動いたのか、そうなっていった要因にはどんなものがあったのかは、ていねいに調べていけば見えてくる。
645年に起きたとされる「乙巳(いっし)の変」(私たちの世代はその年号は「大化の改新」と丸暗記したが、今はこう教えているらしい)が実際にはどんな背景をもち、どのようなものだったのかは、今となっては分からないし、それほど重要だとも思えない。
しかし、幕末から明治にかけての動き、日中戦争から太平洋戦争に至るまでの世相……そういうものはかなりはっきり見えてくるし、今の社会にも大きな影響や因果関係を持っている。これは為政者だけでなく、すべての人が知っておかなければならない事実だ。
しかし、学校の歴史の授業ではそこを教えてくれない。何年に何が起きたか、そのときの人物の名前は、事件の名称は……そんなことを暗記するだけで終わる受験勉強。
歴史を学ぶというよりも「歴史学ぶ」ことが大切なのだ。
しかし、受験生時代にはそんな余裕はまったくなかった。時間的余裕も、精神的な成熟度も足りなかった。
また、「この子は歴史に何を学んだのか」をはかる入学試験などというものはなかったし、今もない。

少し前、勝ち組・負け組という言葉が流行ったけれど、そんな単純なものではないなあ、というのが、人生終盤にきて分かってきた。
大切なのは社会の理不尽に「つぶされない」生き方だと。

私の周囲には「つぶされない生き方」を続ける達人がたくさんいる。その「技術」や「哲学」はそれぞれだけれど、その「それぞれである」という「個性」が守られることが大切なことだ。
個性がつぶされる社会では、最低限の幸福も守れない。
「つぶされない技術」を磨くためにも、つぶされないギリギリの社会を守るためにも、「歴史学ぶ」ことは大切だ。
 
「コロナ休校」がきっかけで始めた中学生向け英語塾。ようやく2冊にまとまった。
ご案内ページは ⇒ こちら


Twitter   LINE

聖火の「焚きつけ」は古いフィルムだった2020/03/14 21:16

採火式で最初に点火したトーチの「焚きつけ」は映写フィルムだった
ギリシャでの東京オリンピック聖火の採火式というニュースを見て驚いた。
太陽光を鏡で集めて点火するというのは知っていたのだが、その火を最初につけるための「焚きつけ」が古い映写フィルムなのだね。

こういう製品は発火・引火しやすいので火事に注意しましょう……みたいで、なんだかありがたみがないというか……。
ギリシャの人ってこういうところはこだわらないのかね。屈託がないというか……。

東京五輪は延期? それとも中止?

その聖火を受け取る野口みずきの笑顔もどこかぎこちなく、役割を終えた後のインタビューコメントも考え抜いた末みたいな印象……というのは、うがちすぎか。
でも、直後には、ギリシャ国内での聖火リレーが中止になったとのニュースが流れ、世界はすでに今年のオリンピック開催は無理だろうという見方が大勢を占めているようだ。

私は当初、中止にするとIOCは莫大な放送権料(大半は米国NBCから)が入らなくなるので、無観客でも開催はするのかなと思っていたが、それではあまりにも格好がつかないから延期がいちばんマシなんじゃないか……という方向で動き始めているようだ。1年延期だと来年米国で開かれる世界陸上と重なってしまうから、2年延期して、サッカーワールドカップや冬季五輪と同じ年にしてしまえ、ということか。

中止という線もかなり濃厚らしい。その場合、IOCもNBCも開催できなかったときの損害保険に入っているので、中止でもある程度諦めがつくが、開催国日本は一人大負けで、もはや国家的危機に陥る……と。
少なくとも予定通りに開催できるとは到底思えない。中止にしても延期にしても、日本が受けるダメージは計り知れないが、もはや「損失をいかに小さく抑えられるか」という視点で動くしかない。
ほんと、3.11の直後に五輪再度立候補をぶち上げた石原慎太郎の罪は重い。


Twitter   LINE

赤とんぼ+(プラス)2020/03/10 21:28


COVID-19で疲れてしまう日々。その中で、ずっと前からやってみようと思いながら、なかなかやる気になれなかったことをやってみた。

シンプルな歌でも、たいていはA-B-Aのような構成になっている。このBの部分を普通は「サビ」と呼ぶわけだが、『赤とんぼ』の場合はAしかない。Aだけで十分にいいメロディだから、それで成立している。
でも、Bがあってもいいよね、という気がしてしまう。もちろん、AよりもすごいBは作れそうもないから、A-B-Aにしても、サビはBではなくAということになるだろう。
最初はEWIで展開部を即興で吹いて、そのバリエーションを山のように作っていくということを考えていた。よいAメロはいくらでも展開部(Bメロ)を生み出せるという証明とでもいうか。
それはやろうと思えばいくらでもできるのだが、いくらでもできてしまうだけに、なんだかやる気がしなくなる。
それでズルズルとやらないままできていたのだが、このままだと気持ちに区切りがつかないので、最低1個、録音してみようと腰を上げた。

で、それなら、もともと歌詞が分かりづらい歌でもあるので*、三木露風が言いたかった世界を、もう少し分かりやすくするような「最低限の説明」を加えた歌バージョンにしてみようかなと思った結果がこれ。
山田耕筰、三木露風、二人とも著作権法が改定される前に保護期間が切れていたのを確認して、じゃあ、歌詞も……と。

妻が「なぜ赤とんぼなの?」と訊くので、↑こんな説明をしたのだが、「まあ、そこまで考える人はいないでしょうね」と、軽く突き放されてしまった。
まあいいさ。一人遊びで。

*「おわれてみた」を「追われてみた」と思っていたり、「ねえや」を作者の「姉」のことだと思っていたりする人が多い。「ねえや」は姉ではなく、作者(三木露風)が預けられていた祖父の家で働いていた下働きの娘(当時は貧しい農家で娘を口減らしと銭に替えるため、裕福な家に下働きに出すことは普通に行われていた)。その下働きの少女に「おぶわれて」見た風景を大人になって回想しているという詩。
  YouTubeのタヌパックチャンネルへ
↑他にもいっぱいあるよ Click to Go!


Twitter   LINE

日本は世界一安全なスラム観光国になるのか2020/01/27 16:56

こんな風景に激変している日本列島

安全な廃墟観光地・日本

ツイッターにこんな投稿を見つけた↓。
上司が最近西成に行くと、街を漂う浮浪者を見ながらマッチョな外国人観光客たちが酒をのみ、貧乏宿を満喫し、廃墟の様なエリアをビール片手にホッホッ叫びながら散策し、ホーリーマウンテンの様なモンド感出てたそう。今は西成にとどまってるが、10年後には日本が経済破綻し、こんな風景が全国で見れるかもしれない
 裏庭映画保存会 (@uraniwamoviecom) January 18, 2020


西成かぁ……。
30代の頃(だから、30年くらい前)「狗道研究会」という怪しいグループ(徳間のトンデモ本を得意としていた編集者がリーダー格)に混じって、愛宕山登山のついでに大阪・西成周辺ツアーについていったことがある。
そのグループの中に西成が大好きな人がいて、西成だけでなく、飛田新地とかを先導して案内するというもの。
ヤ印の人がよく集まる飲み屋(実際、指に真新しい包帯を巻いたその筋の人がポツンと呑んでいた)に入って、その案内役の彼が嬉嬉として差別用語や放送禁止用語満載の歌をカラオケで歌う(なんでそんな無法なカラオケが存在するのかも謎)という、トンデモなツアーだった。無事にツアーが終わったのは何よりだった。
30年前にはすでに大阪はそういう観光地として一部マニア?には認識され、楽しまれていたわけだ。今になってそれが海外からの観光客にも人気が出てきたということなんだろう。

あと20年くらいすると、日光も「世界一安全に貧困と混沌世界を見学できる複相観光地」として世界に認識されるのかもしれない。
東照宮は今回の大修理でピカピカになった陽明門や東武動物公園の看板みたいになってしまった三猿あたりがいい感じに寂れてくる。国力が低下し、補修費が出ないので、いい感じに寂れたままになっている。……それはまあ、いい。
鬼怒川温泉は今以上に廃墟ツアーで賑わう。霧降高原はカルト文化、ヒッピー文化の吹きだまりみたいになり、若い欧米の人たちに大人気に。今市は安い定食屋巡りや闇営業ツアーガイドの基地みたいになってたりして……。
でも、地元の人たちはちっとも潤わず、英語ができて、無許可の闇営業が得意な中国人が荒稼ぎする場になっているかもしれない。

そもそも、海外からの観光客を呼び込んで外貨を落としてもらうというのは「貧乏な国」の政策だ。為替レートで円が弱いから旅行先に選ぶのだし、外国に向かって胸を張って売れるものがないから、せめて観光で生き延びようということになる。バブルの頃に日本人が強い円を背景にしてガンガン海外旅行に行っていたことを思い出してみるといい。今はその立場が逆になっているのだ。

観光立国政策が悪いことだらけだというわけではない。しかし、それならなぜ、日本が世界に誇れる森林を壊して巨大風車を林立させ、メガソーラーを敷き詰めるのか。水源地に放射性廃物まみれのゴミを持ち込んできれいな水を汚した挙げ句に、水道事業を外国資本に売り渡して、自国民さえもが安全でうまい水を使えなくさせるのか。
観光で人を呼ぼうという国は、それなりに自国の美点を知り、大切にしている。そうした基本的な「愛国心」さえない国は観光地としての魅力もない。そこに生きる人々が、楽しく、幸せに、誇り高く生きていなければ、「おもてなし」はギブミーチョコレート的な上目遣いサービスに堕してしまうだけだ。
今の日本に必要なのは、「まずはちゃんとしようよ」という根本的な国民総意だ。
為政者や官僚が基本的なルールさえ踏みにじる。嘘をついても不正をしても罰せられないどころか、それによって出世する。それを見ている庶民の心に「あれで済んじゃうんだ」という諦観、虚無感が積み重なっていく。
……これでは「日本人の美徳」もなにもない。


タヌパック書店
小説、狛犬本、ドキュメンタリー……「タヌパックブックス」は⇒こちらから


「タヌパックブックス」はAmazonで購入でも買えます
森水学園第三分校 コロナで巣ごもりの今こそ、大人も子供も「森水学園」で楽しもう

『介護施設は「人」で選べ』

親を安心して預けられる施設とは? ご案内ページは⇒こちら

   

『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

(2012/04/20発売 岩波ジュニア新書)…… 3.11後1年を経て、経験したこと、新たに分かったこと、そして至った結論
今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う

立ち読み版は⇒こちら
裸のフクシマ 『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(たくき よしみつ・著) (2011/10/15発売 講談社 単行本)…… ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。
今すぐご注文できます 
アマゾンコムで注文で買う

立ち読み版は⇒こちら

Kindle Unlimited なら無料で読めます↓