25年間で4000回以上のWEB日記を書いていた2020/10/02 21:39

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煩悩は続くよどこまでも

思うところあって、2002年からAIC(朝日新聞のWEBコラムサイト Asahi Internet Caster)火曜日に連載していたコラム『デジタルストレス(キング)』から拾ったものを中心にして、エッセイ集を5冊まとめた。
すでにAmazonでも販売している

森トンカツ

エッセイ集を作ったことで、過去のWEB日記も見直してみた。
いちばん古いのは1996年で、まだデジカメもなかった時代。インターネット黎明期で、確かアナログ電話回線でピーガーって音を出すモデムで2400bpsとかでつないでいた。それが4800bpsになり、9600bpsになり……。
使っていたパソコンはIBMのPS-V Visionというやつ。メインメモリが8MBで内蔵HDDが170MBだった(GBじゃないよ)。
プロバイダはインターリンクというしょぼい回線のところから始まって、biglobeに移って、その後はAsahi-Net。1996年だと、biglobeに移ったあたりかな。
当然、写真画像なんて入れられなくて、入れるとしても画像ファイルは30KB以下なんてのが常識だった。30KBのちっちゃな粗いJPEGファイルでも、開くのに時間がかかって、プログレッシブJPEGなんて形式もあって……。

この頃は精神的にはものすごく追い込まれていて、日記に書いている内容もやたらと暗い。

それからなんとなく続いて、気がつくと25年も経っている。

以前のWEBページは、文字コードはShift-JISで、フェイスブックにリンクを張ると拾ったテキストが文字化けする。
ヘッダ情報のタイトルにトピックを入れてなかったので、目次を作るのに内容を拾えなくて苦労する。
それを今回、できうる限り直した。
文字コードをShift-JISからutf-8に変換し、ヘッダにはタイトル情報を全部入れていき、スマホで開いてもなんとか読めるように
<meta name="viewport"  content="width=device-width,initial-scale=1.0" />
というおまじないも入れた。

結果、日記の目次ページが4000行を軽く超えるというすごいことになった。つまり、25年間で軽く4000ページ以上のWEB日記を書いてきたことになる。

さらに困ったのは、何年か前にサーバーを移転したとき、画像ファイルの縦横情報が消えてしまったらしくて、多くの縦位置写真が横に表示されてしまったことだ。
ただ、寝てしまうだけならまだしも、縦横比も入れ替わるのでひどいことになる。それを一つ一つ見つけ出してIrfanViewに読み込み、写真を90度回転させて保存し直してサーバーにアップロードし直す……という、気が遠くなる作業をやった。

リンク切れや、今となっては意味のないリンクはなるべく消したが、まだまだいっぱい変なリンクやらミスが残っているはず。

でもまあ、だいぶよくなっただろう。

それにしても4000ページ以上の日記か……。何やってるんだか。
こういうのも煩悩のなせるわざだなあ。
それを自分の死後にも残したいと思って本にする。どこまでも深き煩悩よ。

  1. この世における自分の人生を嘆く⇒煩悩
  2. この世における自分の人生は諦めるが、自分の死後のこの世に思いをはせる⇒煩悩
  3. この世のことはすべて幻想だと割り切り、別の次元の世界に思いをはせる⇒煩悩

そろそろ第3段階の煩悩へと移行していきたい。

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コロナが教える「つぶされない生き方」2020/06/17 11:41

墓地にある石仏が、かつては墓そのものだったらしいと気づいたのは最近のことだ。その時代の人たちの死生観や生活ぶりはどうだったのか。今とは相当違うものだったのだろうとは思うが、具体的なイメージはなかなかわかない。

医学界でも言われ始めた「アジアの幸運」

COVID-19の感染率や重症化に関しては、やはりいくつかの要因があって、アジア諸国では死者が少ない。そのことは医学界でもようやく認知され始めてきたようだ。
この生死を分ける「要因」は何か、という研究が進めば、今のような、すぐ都市封鎖だのソーシャルディスタンスだのマスクだのっていう対策ではない、もっと根本的な「考え方」が形成されていくのだろうか。早くそうならないと、世界はどんどんまずい方向に進んでいきそうで、そのことのほうがウイルスそのものよりもはるかに怖い。

コロナという教師

ともあれ、ここにきて、コロナは、我々に多くのことを教えてくれている「教師」なのではないかという気がしてきている。
今まで見過ごされてきたことに目が向けられるようになって、そこから改めて学ぶことが増えた。
例えば、金は必要以上に持ってはいけないのだなあ、と思う。
負け惜しみではない。「前田ハウス」だの、「安倍首相のお友達」山口敬之氏、有名企業から偽名で月80万円だの、「兜町の風雲児」の最期だのという記事を読むにつけ、心からそう思える。
特に、人が稼いだ金(税金)を使える立場にいるというのは、本来なら大変な責任を背負い、ストレスを抱えるはずなのに、なあなあで(たが)が外れまくっている。開き直ればなんでも通ると思っている(実際そうなってしまっている)。
そうなったら、もうおしまい。壊れた乗り物を運転する薬漬けの廃人と同じなのだろうな……と。

人は必ず死ぬ。この世は夢の世界と同じで、一瞬で消えるバーチャルなもの。そのかりそめの時間の中でさえ、想像力を働かせず、煩悩まみれの生き方に閉じ込められるつまらなさ。永田町の人たちはともかく、霞が関の人たちは、「脳」の可能性という点では、平均よりずっと可能性を持っていた人たちだろうに。
ギャンブル依存症になっている芸人が、それを自虐的に「芸」に取り込もうとするような探究心さえも持てない人たち。可哀想だな、と思うけれど、そういう人たちが、他人の生死を握るような立場にいる、というのが困るし、恐ろしい。

「歴史を学ぶ」のではなく「歴史に学ぶ」

そんなこんなのコロナ疲れもあって、社会の理不尽さを嘆いたり憤ったりする体力もなくなってきた。

先人たちは、様々な失敗体験に基づいて、たとえば「三権分立は大事ですよ」とか「ルールにそって物事を決めましょう」ということを大切にしてきました。こうした知恵が憲法や法律に書き込まれています。
今を生きている人だけで物事を決めてしまうと、大変な悲劇を受けます。
(略)
たとえ「多数派が支持していること」でも「やってはいけないこと」があると考えるのが立憲主義であり、政治的リーダーの本質的な務めではないでしょうか。
安倍首相は「戦後民主主義のあだ花」か?  政治学者中島岳志が分析する「本質を忘れたリーダー」とは HUFFPOST 2020/06/10

「死者の声」に耳傾ける、という言い方をしなくても、要するに「歴史に学ぶ」ことが大切だという話だ。
ただ、その「歴史」は学校で教えてくれるわけじゃない。あれはすでに「編集済み」の読み物だからだ。

出発点は、疑問を持つこと。想像力を働かせること。そして、なるべく自分好みの期待値や裏読みを排除して、実際はどうだったのかと判断していく姿勢だろう。

社会全体がどう動いたのか、そうなっていった要因にはどんなものがあったのかは、ていねいに調べていけば見えてくる。
645年に起きたとされる「乙巳(いっし)の変」(私たちの世代はその年号は「大化の改新」と丸暗記したが、今はこう教えているらしい)が実際にはどんな背景をもち、どのようなものだったのかは、今となっては分からないし、それほど重要だとも思えない。
しかし、幕末から明治にかけての動き、日中戦争から太平洋戦争に至るまでの世相……そういうものはかなりはっきり見えてくるし、今の社会にも大きな影響や因果関係を持っている。これは為政者だけでなく、すべての人が知っておかなければならない事実だ。
しかし、学校の歴史の授業ではそこを教えてくれない。何年に何が起きたか、そのときの人物の名前は、事件の名称は……そんなことを暗記するだけで終わる受験勉強。
歴史を学ぶというよりも「歴史学ぶ」ことが大切なのだ。
しかし、受験生時代にはそんな余裕はまったくなかった。時間的余裕も、精神的な成熟度も足りなかった。
また、「この子は歴史に何を学んだのか」をはかる入学試験などというものはなかったし、今もない。

少し前、勝ち組・負け組という言葉が流行ったけれど、そんな単純なものではないなあ、というのが、人生終盤にきて分かってきた。
大切なのは社会の理不尽に「つぶされない」生き方だと。

私の周囲には「つぶされない生き方」を続ける達人がたくさんいる。その「技術」や「哲学」はそれぞれだけれど、その「それぞれである」という「個性」が守られることが大切なことだ。
個性がつぶされる社会では、最低限の幸福も守れない。
「つぶされない技術」を磨くためにも、つぶされないギリギリの社会を守るためにも、「歴史学ぶ」ことは大切だ。
 
「コロナ休校」がきっかけで始めた中学生向け英語塾。ようやく2冊にまとまった。
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日本ではCOVID-19第一波は終わっている?2020/05/08 21:10

神戸市立医療センター中央市民病院(同市中央区)では、4月上旬までに外来患者千人に対してSARS-CoV-2の抗体検査をしていた。5月2日にその結果を発表したが、3.3%に抗体陽性反応があったという。
100人に3人程度がすでに4月上旬までにSARS-CoV-2に感染して抗体を持っていたということになる。その人たちは感染していることに気づかず、軽い症状、あるいは無症状のまま抗体だけができた、ということだ。
これを読んで、ああ、やっぱり! と思った。
神戸でこの数字であれば、おそらく東京や神奈川など首都圏ではもっと多いだろう。
実際、慶応義塾大学病院(東京都新宿区)は、4月23日までに新型コロナウイルス感染症以外の治療目的で来院した無症状の患者67人にPCR検査を行ったところ、4人(6%)が陽性者だったと公表している。

もしかして日本では感染の第一波は収束していて、今出てきているのは第二波なんじゃないかと想像していたのだが、こうしたデータを見る限り、あながち妄想ではないと思えてきた。
つまり、武漢から直で入ってきた第一波のウイルスは、なんらかの要因(多分DNA的な要素?)で(運よく)日本人にはそれほど被害を及ぼさず、抗体だけはついた。
今、死者がポツポツ出ているのは欧米から入ってきた、変異したウイルスによる第二波なのではないか?? ……と。

日本だけがなぜ感染者数も死者も少ないのかという謎がずっと論じられてきたが、「死者は少なかったが、感染者は少なくなかった」ということではないか。検査していないから感染確定例の数が極端に少ないというだけで、実際にはそこそこの数の感染者はいた。しかし、なんらかの要因で発病~重症化する確率が低かった。
日本人は欧米人に比べて清潔好きで、普段から手洗いの習慣があり、逆にハグやキスの習慣がないから感染が抑えられたという説が根強くあるが、「感染者が相当数いた」のであれば、そういう説明だけでは無理がある。「感染しても気づかないほど軽症、無症状である人の割合が、欧米人より高い」ということではないか。
「どちらかというと、これは非常にラッキーなデータ。感染拡大初期に行ったデータで既に3%に達していた。そこから1カ月がたってどう変化したのか大変興味がある。もしかしたらもう少し高いデータが出ている可能性があることは、大いに考えられる」
(神戸市立医療センター中央市民病院の木原康樹院長)
なんにせよ、まだまだ謎だらけ。今が第二波だとすれば、第二波がどの程度で収まるのか、第三波は?? などなど、分からないことだらけだ。

ざっくりと推理して、中都市で3~4%、大都市では5~6%、地方の田舎町でも1%くらいはすでに抗体を持っている人がいるとすると、これからの対策としては、
  • 若者同士の交流、感染はある程度仕方がないと考える
  • 若者が高齢者や入院患者などと接触することは徹底的に避ける
  • 病院や高齢者施設での感染防止を徹底させる
  • 発病した人への早期の対応
  • 保健所と医療現場を切り離す(保健所は本来の仕事に戻し、医療現場からの検査依頼などは民間に回す)
  • 唾液でのPCR検査を認める
  • その上で、必要な社会インフラを回しながら、社会構造全体の合理化を進める
……といったことではないか。

「医療崩壊」という言葉は曖昧すぎて違和感があるが、要するに、
  1. 医療現場での役割分担ができていない
  2. 医療資源(人も装備も設備も)が圧倒的に足りない
……ということが問題なのだ。
1はすぐにでも対応できるはずなのに、厚労省のメンツや指示みたいなものが効率化や最適化を阻止している。
それを制御できないどころか、問題の本質を理解できていない政府中枢はもっと大きな障害だ。

問題は「生き方」をどう変えるか

現状を見ていると、この国が今から目を見張るような見事な対応をしていくとは思えない。
各現場では本当に頑張っている人たちが多いのに、それを生かせない「システム」に縛られ、改革すべき上の人たちがあまりにも無能・無責任すぎる。これをすぐに変革していくことは困難だろう。
そんな中で、我々庶民はどうすればいいのか?
新型コロナは、人々の連帯も引き裂いていく。フランスの経済学者でEU結成の立て役者でもあるジャック・アタリ氏はこう主張する。
「ウイルスに怯えると『自分さえよければいい』と考えてしまいがちで、『他人のために生きる』という人間の在り方が失われていくのです」
その結果生じているのは「分断」された弱肉強食の世界だ。
たとえば、裕福な人と貧しい人の分断だ。新型コロナの感染拡大を防ぐには、外出を減らし接触を減らす必要がある。だがおカネがない人は、仕事に行かないと生活できず、自宅待機はできない。
M・ガブリエル氏ら世界的知性が答えた「コロナと人類の未来について」 週刊現代 2020/05/04

↑まさにそういうことだ。
しかも、運送、製造、医療、介護といった、止められない社会インフラを回している人たちほど自宅待機はできない。そんなことをしたら、誰も(金持ちも貧乏人も)が生きていけない。
そのことを忘れて、パチンコ屋が開いているだの、公園で凧揚げしているだの、川辺でBBQしているだのという視聴者の煽り目的の映像ばかり流しているテレビメディアは猛省せよ。問題の本質はそういうことではない。
死者を極力減らす、という目的なら、考えること、論じることは別にある。それができない社会である、ということが問題だ。

理論的には、感染が消えることがない限りは、封鎖や自粛をしてもしなくても、最終的に死者の総数はあまり変わらないということになる。
ワクチン開発はできるかどうか分からないし、時間がかかるだろう。できたとしても、遺伝的副作用や特異体質の人への危険性などが確認できないままの見切り発車になる。
できることは、重症化する人が集中して救急医療の現場がパンクしないようにすることと、高齢者や病人、そして医療関係者を感染させないようにすること。
その前提で、いかに医療現場への負担を減らすか(集中を避ける、余計な仕事を増やさない、役割分担を徹底する)、ストレスや過労による死や家庭崩壊、人間性崩壊、文化の停滞・後退を防ぐか、ということを考えていかないと、このままではもたない。


もはや腹をくくるしかない?

抗体検査も、唾液によるPCR検査も、検査キットが足りていれば別に専門的な技術は必要ない簡単な作業なのだから、やれないはずはない。実際、他の国ではやっているわけだし。
(PCR検査は専門職が時間を取られ、感染リスクと戦いながらやる大変な作業だ、という主張は、旧式の方法を元にしての主張のような気がする。唾液からの検体採取は認めないというルールがあったり、自動化した検査装置がありながら活用できていなかったりしているようだから、まずはそうした理不尽な縛りを解消することが先だ)
とにかくデータがないと戦略が取れない。
それができない以上は、もう腹をくくるしかない。ダメなときはダメなんだ。でも、確率的には、多分大丈夫なんだろう……という腹の据え方。
志村けんさんみたいに、すぐに国内最高レベルの医療機関が、ありとあらゆる最先端の方策を駆使しても、残念ながらダメなときはダメ。
一方、放っておかれても、苦しんでも、なんとか自力で回復する人もいる。(もちろん、苦しむ前に医療を受けられないとまずいのだが、実際問題受けられない人がいっぱいいて、すぐには状況が変化しないのなら、それを覚悟して向き合うしかない)
どこかで腹をくくった上で、人間として充実した生き方を見失わないようにしないと。このままでは人間社会全体が物理的な死の前に「精神的な死」に直面してしまう。

実際、こんなことをボソッと書いている私でも、寝ている間に見る夢の中にもコロナは入り込んできているし、朝、起きるときの鬱状態が日々悪化している。
次にこれをやろうかな、というアイデアはいろいろあるのだが、「どうせ……」という否定形の思考が支配的になって、動けない。
これを乗り切るには、自分を変えていかなければいけないのかもしれない。
利己的な発想を捨てて、利他的に動くことに意味を見出す……とか。
若いときにわがまま放題、自己中心で生きてきたツケが回ってきたのかもしれない。
謙虚に、そして否定形の思考ばかりに支配されないように意識して生きる。

……やれることは、そういうことかなあ……。


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『そこまで言って委員会』出演の結果……2019/05/03 20:17

やはり地上波テレビの宣伝効果はすごかった

先日、「関西ローカル」の『そこまで言って委員会』という番組にゲストで呼ばれて大阪まで行った。
関西ローカルといっても、日本全国で放送されないのは関東広域と福井、福島、青森、岩手、山形だけ。日曜の午後1時台の番組なのに視聴率は常時10%以上を記録しているらしい。
栃木は関東広域に属しているので放送されていない。ただ、放送日翌日から1週間、ネットブラウザで普通に見られるし、TVerでもやっている。
どんな編集になったのか確かめるために、Amazon Fire TVにTVerアプリを入れて居間のテレビで見られるようにした。……あら、簡単だ。
放送を録画して見るという普段のスタイルと違い、CMスキップができないが、これってむしろ放送局側にとっても、スポンサー重視になって好都合なのでは? 地上波番組が放送日後1週間、いつでも好きな時間に見られるというのはいいね。しかも、放送エリアではない番組も見られる。
こうなると、テレビの視聴方法というのもどんどん次第に変わっていくんじゃないだろうか。

↑TVerアプリは無料でインストールできる  ↓普通にテレビで見られるようになった。

それにしても驚いたのは、地上波テレビの宣伝効果の大きさだ。
番組ではVTRも使って『医者には絶対書けない幸せな死に方』(講談社プラスα新書)の紹介をしてくれたのだが、発売後1年以上経っている本だし、関東広域では放送されないし、多少なりとも売り上げに結びついてくれればいいな、という程度の気持ちだった。
ところが、放送直後、Amazonの書籍売り上げで8万位くらいだったこの本が、夜には本全体の21位(!)にまでジャンプアップしていた。

放送直後の15時時点では79299位だったのが、19時には21位に。その後順位を下げたが、それは在庫切れ表示になってしまったからのようだ。↑


ノンフィクション部門ではなんとTOP10入り↑


まさに嬉しい悲鳴というやつだが、残念なことにこの「在庫切れ。入荷未定」表示は変わらないままついに10連休に突入してしまった。
出版社内在庫はあるということだったのだが、取り次ぎが間に合わないまま10連休に……なんとももったいないことだ。
楽天など、他のネット書店でも同じ。やれやれ。
5月3日現在、Amazonではようやく入荷予定日時が表示され、注文可能になったようだ。
注文を躊躇っていたかた、再度ポチお願いします。

父のネット葬 2019/03/112019/03/19 11:27

親父が日光の施設にいたときに描いた男体山の絵

3.11が命日に

2019年3月11日 月曜日。
朝、デイホームの施設長から電話。ベッドの中で電話に出た。
「訪問看護師さんを呼びました。お父様、肩で息をしているので……」
「分かりました。今から行きます」

いよいよ……かな、と、ここ数日は毎日、親父の様子を見るたびに覚悟はしていた。
前々日の土曜日は施設でのウクレレ教室(ボランティアで毎月行っている)の日だったが、親父ももう意識朦朧としていてウクレレもなにもないだろうし、スタッフにしても状態が悪くなった親父や義母の介護でウクレレどころじゃないだろうし……ということで、一旦は施設に電話して断った。
施設長が出て「分かりました」と答えたが、その後、「お父様、今日は息子さんがウクレレ教室で来るので、すでに車椅子に移って待ってますよ。最後に演奏聞かせられたらよかったのに」と言う。
ええ~。それじゃあ、行かないわけにいかないじゃん……というわけで、EWIとウクレレを持って出かけ、『MISTY』、『枯葉』、『上を向いて歩こう』などをEWIで吹いた。
親父は何も言わなかったが、演奏が終わった後、拍手の代わりにそっと両手を合わせた。
スタッフのシバニャン(施設長の娘さん)から「拝むんじゃなくて拍手でしょ」と言われていたが、今思えば、あれは精一杯の意思表示だったのだろう。
あのとき行って演奏してきてよかったな、と思いながら、施設に向かう。
でもこのときはまだ、これから先があるだろう、少なくとも今日ということはないだろうと思っていた。

施設に着いて、親父の部屋を覗くと、早い間隔での喘鳴。想像していたより切迫していた。
そこに看護師さんが到着。体温、呼吸数、心音、肺の音、血圧などを測る。
このままもうよくなることはないだろうということは分かった。それでもまだ、「今日はまだないだろう」という気がしていた。
こういう状態でも耳は聞こえていることが多い、というので、部屋にあったラジカセに、持ってきたCD『So Far Away たくき よしみつ Songbook1』を入れて再生する。
1曲目の「流れてしまった時は戻せないし 変わってしまった心も隠せない……」という出だしの歌詞が、作った40年前とはまったく違う意味を持って頭に入ってくる。
その後、隣の部屋で看護師さん、施設長と僕の3人で、これからのことを話し合う。
このまま「見守る」ことの最終的な確認、とでもいうか……。

看護師さんが最後に書いた連絡メモ

それが終わって、看護師さんが「では、一旦戻ります」ということで、玄関を出る前にもう一度部屋を覗くと「あ……止まってる?」と言った。
まさに息を引き取る瞬間だった。
僕は脈を確認されている親父をただ見守るだけだった。
部屋にはCDの11曲目『Orca's Song』が流れている。

Set me free, rushing waters fall fast away.
Go with me to a deep blue world way beyond.

All the unhappy ones go rushing by,
far and so far away they'll go.
Can you hear me cry, see my eyes,
feel my hands, and share all my heartache?
Let me go, please I only want to go.

(Orca's Song より)

ああ、なんというタイミングなんだろう。この歌は、こういうことだったのか……と思った。

辛かったこと、悲しかったことはすべて、はるか遠くへ押し流されていく
あなたには私のこの叫びが聞こえますか? 私の目が見えますか?
私の両手を感じ取れますか? この心の痛みを分かち合ってくれますか?
さあ、もう行かせてくれ  私はもう旅立ちたいんだ

本当に、僕がそう歌っているのを聴きながら、親父は旅立った。

……なんだかあまりにできすぎていて、嘘みたいだ。

すぐには「死」を実感できなかった。呼吸が楽になってスヤスヤ寝はじめたように見えてしまう。
……楽になってよかったね、とか、そういう気持ちでもない。ただただ「え? そうなの?」という、スポンと何かが抜け落ちたような感覚。

この瞬間にも、施設スタッフは他の入所者やデイサービス利用者をトイレに誘導して介助したり、昼食を作ったりしている。入所者、利用者はすぐそばの居間でくつろいでいるが、誰も親父が今死んだことには気づかない。ソファで横になっていたり、テレビを見ていたり……。
義母も、いつものようにテレビを見ている。

主治医の院長は数十分で駆けつけるだろうとのこと。
妻に電話して告げると、やはりまだ先だと思っていたようで、驚いていた。
死化粧用のお洒落な服を探して持ってきてくれと伝えた。

主治医の院長が来て、死亡確認。死亡診断書を書いてもらう。
いくつかやりとりして「老衰ということでいいですか?」「はい」……と。
大腿骨骨折の手術自体は想像以上にうまくいっていたので、骨折が死因にはならない。骨折する前からどんどん状態が悪くなっていたので、文字通り「老衰死」なのだ。
家でみんなに最後まで親切にしてもらいながら老衰で死ねるなんて、今ではごく少数の人しかできない「幸せな死に方」だ。
すごいことなんだよなあ、と改めて思うが、そのときはまだポーッとしていて、そこまでは考えられなかった。

死亡診断書の死因欄に「老衰」と書いてもらえる人は少ない。

葬儀屋さんをどこにするかとか、目の前のことも、あれだけ準備していたのに、気持ちがふわふわしたままで、テキパキとは動けない。

院長が帰るために車に乗り込んだとき、助手さんが洋服一式を持ってやってきた。帰り際の院長にお礼を述べ、見送る。
持ってきたのは冬物のジャケットとズボン。僕が何かのために持っていた新品のシャツとネクタイ。
部屋に戻り、スタッフが親父に服を着せた。最後は僕がネクタイを結んだが、きれいにまとまらず、やり直した。
まだ身体は柔らかく、着替えさせるために身体を横向きにさせたりするのを手伝ったとき、蒲団に手を置いたが、背中の下が温かいので驚いた。

スタッフに着替えをしてもらった親父。ネクタイだけ、僕が結んだ。


お昼なので、スタッフは忙しく台所で食事の準備をしている。その仕事の合間をぬって、みんな親父の部屋に来て、身体をさすり、最後のお別れの言葉を言う。
「今日はこれから忙しくなるから、二人とも今ちゃんと食べておいて」と、スタッフが僕らの分も昼食を作ってくれた。

施設スタッフが用意してくれた昼食を二人でいただく。

葬儀社の手配などがあるので、一旦家に戻る。
ここがいいだろうと決めていた業者があるのだが、施設によく花を持ってきてくれる(営業?)お花屋さんが葬儀社もやっているというので、そこも含めて3件ほど候補を選び、ネットでもう一度調べてから電話。最初に施設で教えてもらった花屋さんに電話して、結局、そこで決めて、残り2件には電話しなかった。

後から分かったが、シンプルな火葬式をするために大切なのは、きちんとした霊安室を自前で持っているかどうかが重要かもしれない。業者によってはトランクルームみたいなところを借りているところもあるようだし。
今回お願いした花屋さんは、最近自前の霊安室を作ったので云々というようなことを電話で言っていて、そのときはピンとこなかったのだが、後から、ああ、こういうことか、と分かった。

2時半までにはご遺体を迎えに行きますということなので、助手さんと二人で再び施設に。
スタッフと話をしながら待っているところに霊柩車到着。
スタッフや僕も手伝って、ストレッチャーにのせて、霊柩車へ。

今どきの霊柩車。ナンバーが「南無南無」なので分かるだけ。

手続きのために僕らもそのまま霊柩車の後ろについて、花屋さんの霊安室に向かう。

花屋さんは、完全に葬儀社に特化していた。ROOM1 ROOM2 とある立派な部屋が霊安室だった。

ここで葬儀もできてしまうな、というくらい立派な霊安室。


ここで申込書に記入して、死亡届や火葬許可などの手続きのために認め印を1つ預ける。火葬は早ければ明日の2時半でできそうだが、決まったら連絡するということで、一旦、デイホームに戻る。

ホームはいつもの日常で、入居者もデイサービス利用者も何かあったとは気づかないまま過ごしている。
すぐ隣で僕らが葬儀の話などを普通にしているのだが、誰も気にとめない。
みんな自分の世界、半分夢の中のような閉じた世界に住んでいるんだなあ、と思った。

家に戻り、葬儀屋さんからの連絡を待っていたが電話がないので、日課となっている近所の老犬を連れての散歩。
地蔵堂まで行って、いつもとは少し違う気持ちで地蔵や如意輪観音像を見た。

今日の散歩はここを目的地にしようと決めて歩き始めた。

2019/03/12

一夜明け、昼前に駅に到着した叔父夫妻を迎え、4人で行川庵に行き、昼食をとった。
ここの厨房で働いているご町内のWさん(僕らより年上の女性)と目が合い、「いらっしゃい~」と声をかけられる。
Wさんは僕が毎日近所の老犬を連れて散歩しているとき、ちょうど仕事を終えて家に戻ってくるタイミングなので、よくすれ違う。毎回、必ず車を停めて、窓を開け、「レオ~。元気~?」「ライチェル~。よかったね~」と声をかけてくれる。
火葬の時間が迫っているので、急いで5合盛りの蕎麦と天ぷら2皿を食べていると、「これはWさんからです」と、思いもかけぬ蕎麦だんご2皿が差し入れされた。
叔母が甘い物好きだそうで大喜び。

4人で5合盛り。


なんとか4人でしっかり平らげ、霊安室へ向かう。


霊安室で。



日光市がやっている火葬場は山の中にある。友引の日は休みだそう。明日が友引だということは後から知った。友引の前、気候もいい時期だからか、空いていた。

火葬場。


施設から施設長と看護師の資格も持っている経理担当のフサさんが来てくださっていた。
スタッフの一人・シバニャンが、親父に「いちばん好きな食べ物は?」と訊いたときに、迷わず「オムライス」と答えたそうで、フサさんはシバニャンが今朝親父のために作ってくれたオムライスを持ってきていたが、「食べ物はお棺には入れられません」と断られて、そのまま持ち帰ったみたいだった。(僕は気づかず、後から妻に聞いた)
骨の中にはチタン合金の人工骨頭があった。骨壺には入れられませんというので、「珍しいものだから」と、無理を言って熱いのに風呂敷に包んで持ち帰ることにした。
高価なパーツなのだが、体に入っていた時間は短かったね。
骨になった親父を骨壺に入れて外に出ると、駐車場にはうちの車以外、1台も停まっていなかった。
静かだ。


叔父夫妻を連れて家に戻り、親父の思い出話などをしながら、朝、買っておいたいちご大福を食べた。
夕方、駅まで叔父夫妻を送って別れた。

これからいろいろな事務処理などがあるので、取り寄せなければならない書類などを確認しはじめる。
手元にある膨大な書類、施設との契約書や介護用品のレンタル契約書、保険証、介護計画書、お薬手帳……これ、全部、この瞬間に必要なくなったのだと思うと、なんだか不思議な気がする。

自分のほうが絶対長生きすると信じきっていたお袋は10年前に先に逝った。
自分の身体もかなり弱ってきたと自覚した頃だっただろうか、一度だけお袋に「よしみつはここまで育ててもらったんだから、パパのことは最後までちゃんと面倒みなさいよ」と言われた。
そのときは、こんなに大変な、というか「複雑な」ことだとは思わなかった。
「ちゃんと死ぬ」「ちゃんと死なせる」ことがこんなに難しいことだとは……。

でも、最後の最後は、見事だったね。
命日は日本中の人が忘れない3.11。僕がラジカセにセットしたCDが演奏し終わる前に、Set me free... と聴きながら。

ありがとう、親父。
親父と約束していた 「YouTube葬」 


90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(6)2019/02/16 17:28

2019/01/24

車椅子

今日は訪問診療の日。
施設に行くと、すでに院長が来ていた。親父のために業者さんが見つけてくれた新しい車椅子を初めて見た。
なんかいろいろ乗っかっているので分かりづらいが、とてもきれいで程度がいい。売られた後、すぐに出戻ってきた「新古車」みたいなものらしいが、年式が古い商品のため、かなり安くなっていた。



親父の手術跡。痛々しいが、主治医の院長は「きれいだ」と感心していた。これならやはり手術はしてよかった、と。


親父は身体としては元気で、元気になりすぎて夜中に暴れるのでスタッフは困っているという。やれやれだ。
車椅子はまだしも、褥瘡や入院中にできた原因不明?の傷の手当てに使うジェリー付きの絆創膏みたいなものが高くて、1箱1万円以上する。なんかもう、毎月の赤字がうなぎ登りで、恐怖。

2019/02/06


オムツのお勉強


手術は成功したものの、親父の認知症がどんどん悪化して、夜に問題行動を起こし続けている。そのことで疲れが溜まり、一月後半は鬱状態にならないように気持ちをコントロールするのが大変だった。
戦わず、寝られるときは寝る。

あっという間に月が変わり、今日はオムツデイ。オムツの買い出しに行かなければならない。先月のオムツ買い出しは親父の手術と重なり、ヘトヘトだったのだった。あれからもうひと月経ったのか……。
今日は少しゆっくりしようと、ドラッグストアに向かう前に外でランチを食べていたら、店を出てすぐ、あ! オムツ券を忘れた!! と気づいた。
やれやれ。しょうがない。一旦家に戻ってオムツ券を財布に入れて、施設に立ち寄って、どんなオムツを何枚買えばいいのかを確認。
施設では買う物をメモにしてあったが、何度見てもよく分からない。
結局、ドラッグストアの売り場で3回も施設スタッフに電話をかけて
「背もれ横もれを防ぐテープ式はMでいいの? 30枚入りだといくつ? 夜用の10回まで大丈夫ってやつはまだストックあるの?」みたいなやりとりを繰り返したのだった。やれやれ。
↑これだけの種類・数のものが一か月で消費されるという怖ろしい現実! スタッフも「あんなに積み上げてあったのに、なんでもうないの?」と、月末には唖然とするとか。親父と義母の二人分で毎月軽く2万円超え。自分もこれをする日が来るのかなあ……と思うと、疲れるわ……。やれやれ。

オムツいろいろ
↑なんとか買って施設に届けると、シバニャンがこれを準備して待ち構えていた。「全部1つずつサンプルとして揃えておきましたのでプレゼントいたします」だって。
「どれがどういうものか分かってもらうために……」と。
中身を見ても、買うときはパッケージを見て区別するから分からないよ、と言ったのだが、彼女は「私たちはこれだけのものを苦労して使い分けているんです」ということを教えたかったのだと、すぐに理解できた。ごめんね。勉強不足で。真ん中辺に写っている小さなメモはシバニャンが僕らに教えるために書いてくれたイラスト入りの説明書き。
ほんと、文字通りの汚れ仕事は全部任せてしまっていて後ろめたい。家で介護していたら、否応なくこれと毎日格闘しなければならないんだよね。
ちなみに左端のシンプルに長いやつは、訪問看護師さんが褥瘡などの治療をするときにジョワ~っと漏らしたり、びちびちウンチがオムツからはみ出してシーツについたりすることが多いので、予防のために下に敷くのだとか。「高いから、なるべく使わないように言っておきます」なんていうけど、いへいへ、とんでもない。どうぞふんだんに使ってください。
それにしても、こういうものがなかった昔(つい数十年前)はどうしていたのか。……どうもしていなかったんだわね。こうなる前に死ぬ人が多かったし、こうなったら放っておかれて、やはり長くは生きられず、死んでしまったわけだろう。


その訪問看護師さんが僕ら家族に様子を伝えるためのメモ↑↓ ありがとうございます<(_ _)>



手術する直前、大腿骨骨折がまだ分からなかったときの介護ノート。痛みを訴えず、夜中に騒いでいたのだから、骨折だと分からなかったのも無理はない。どっちみち年末年始で病院は休みだったし……。



↑1月27日の介護ノート。手術跡に貼ってあったテープを夜中に勝手に剥がしてしまった。


1月29日の介護ノート。

身体は修理できても脳はできない

親父の夜の譫妄と問題行動はエスカレートするばかり。
大腿骨骨折して、しばらくは動けずにおとなしくなるかと思いきや、逆で、ベッドから這い出して床の上に寝ていたり(おかげで作らなくていい褥瘡ができる)、すっぽんぽんになって大声で歌を歌ったり、壁をドンドン叩いて喚いたり、果てはベッドから手を伸ばして丸椅子を投げつけたり……。
あまりにひどいので、義母用に処方されていた精神安定剤を飲ませたりしたそうだが、まったく効果なしとのこと。
ひどいときは3日くらいずっと起きていて、寝ない。おかげで頬がこけてきた。
それでいて食事だけは完食するという。
手術後の傷の治りも完璧で、何かの拍子に立ちあがったりするらしいので、そのまままた倒れて骨折されるのが怖い。
この状態だと、たいていの施設では縛り付けられて終わりだろうが、それはしたくないので、みんな困り果てている。

助手さん曰く「お義父さんって、狼男みたいね」
狼男なら月夜の晩だけだから、よほど始末がいい。これが毎晩では……ねえ……。スタッフがまいってしまう。

昼間の様子だけしか知らない僕らは、なかなか想像ができないのだが、これが認知症老人(しかも中途半端に身体が動く)のいちばん怖ろしいところなのだ。他にもこうした事例はいっぱいあるようで、「うちもそうだった」「まさにそれ!」といった声が最近よく寄せられる。
興味深いのは、親父だけでなく、認知症老人が言う「帰る」は、自分の家ではなく、自分が生まれ育った昔の家のことが多いようだ。義母の「家に帰る」も、よく訊くと、何十年も住んでいた自分の家ではなく、子供のときに住んでいた家(もうない)のことなのだ。
夢の中でだけ認識している地図というのがあって、夢を見ているときはその場所を知っているのだが、目が醒めてみるとそんな世界は存在しない。
認知症老人は、夢と現実が錯綜しているような世界に生きているのだろう。だから昼と夜の区別もどんどん曖昧になり、時系列の認識が滅茶苦茶で、最後は家族も認識できなくなる。

テレビをつければ、僕よりずっと年下の岸本加世子(まだ50代)が、「案外気にならないね」なんて、大人用オムツのCMをやっている
オムツをしなければいけない日、というだけなら、身体のことだからまだいい。脳が、ただボケて弱ってくるだけでなく、完全に「壊れる」日が来るかもしれないというのがいちばん怖い。
肉体は動いていても、もはや自分が自分でなくなっている……ゾンビ映画の恐怖に通じるものがある。

2019/02/07

親父の介護会議


オムツデイの翌日は、訪問医と看護師、訪問看護師、ケアマネジャー、施設長、それに介護用品レンタル会社の担当者までが集まって、手術後の親父の介護をどうやっていくかという会議を開いた。
本人のいる場で……というポリシーで、親父のベッドの周りを大人7人がぐるりと囲む形で集まった。院長の「まずはみなさん自己紹介から」との言葉で、スタート。大人7人に囲まれた親父はキョトンとしている。さながら涅槃図のようで、よほど立ちあがって俯瞰から写真を撮りたいと思ったが、ぐっと我慢。
一人の認知症老人のために、エキスパートが何人も集まって真剣に知恵を出し合う。涅槃図の中心にいる親父はなんて恵まれているのだろう。
議題の1つは、夜中にベッドからズリズリと這いだして床の上に転がってしまったり、大声で歌を歌い始めたり壁をどんどん叩き始める親父をどうするか、だった。
訪問看護師さん「事務所でもみんなから意見が出たんですが、最初から床の上に寝かせたほうがいいんじゃないか、と」
施設長「それはもちろん考えたんですけど、それだと夜間、女性スタッフ一人だけのとき、対応ができなくなるんですよ。腰痛持ちのスタッフもいるから、動かせない」
介護用品レンタル会社の人「いっそ、ベッドの柵を4つにして囲ってしまえば……」
施設長「それは怖すぎる。このかたの場合、絶対にそれを乗り越えようとしますから、落下する地点を上げるだけ。今度骨折されたらどうしようもない」
院長「落ちたときのショックを和らげるように下にクッション性のあるカーペットを敷くとか」 ……なんていう議論が続くのである。
で、たどり着いた結論は、ベッドの柵を3か所にして、1か所だけ開けておけばそこから這い出すだろうから、その下にマットレスを敷いておけばどうか、という奇策。介護用品レンタル会社の人が提案。
「一種の誘い出しトラップみたいなものですけど」
あたし「敢えて反対側の柵のほうから乗り越えようとしないですかね?」
施設長「それはない。絶対にない。本能的に、開いているところから出ようとするはず」
……で、この案が採用された。
今使っている電動の昇降式介護ベッドレンタル料の他に、柵1本追加のオプション費用。マットレスは無料で貸し出せるようなのを探しますとのこと。

夜中にすっぽんぽんになって歌を歌ったり動き回ったりするのは、とりあえずつなぎ式のパジャマを着せる(自分では脱げない)ことで半分対応しているのだが、なんと、ついにそのジッパーをつなぎの裏側に手を入れて内側から引き下ろすという技を習得してしまったそうで、夜中に様子を見に行くとほとんど脱ぎかけていたとか。
褥瘡防止にと入れているクッションもすべてどかして放り投げてしまう。
大声を出したり壁を叩いたりするのは、精神安定剤も効かないというので、僕のほうから「メマリーとかは試してみる価値はないですかね」と院長に提案してみた。
「期待はできないけど、一度やってみますか」ということに。

ベッドの周りでみんながそんな風に会議しているのを、親父は静かに見守っている。この場面だけ見たら、誰も夜の変貌ぶりは想像がつかない。
90歳なのに身体の回復力は素晴らしく、すでに手術跡はきれいに治っていて、脚も動かせる。皮肉なことに、もともと固くて関節がちゃんと曲がらなかった左足よりも人工骨頭を入れた右脚のほうが動きがよくなっている。元気になりすぎて、また骨折しそうだということで、みんな知恵を出し合っているわけだ。
普通ならベッドに縛り付けられておしまいだろう。そうしないで、いかにこの環境の中で気持ちよく過ごしてもらうことができるかを、立場の違う専門家が何人も集まって知恵を絞っている。なんて贅沢なんだろう。王様の待遇だ。ここまでしてもらっている老人が、世界中にどれだけいるだろうか。対応してくれる人たちには、ほんとにいくら感謝してもしきれない。

アルツハイマー型認知症は、発症が分かってから10年くらいで、身体の機能もダメになり、寝たきりになり、そのまま死に至るというのが通説のようだが、親父はその10年をすでに超えている。
どれだけボケてしまっても、幸せを感じられる瞬間がある限り長生きさせてあげたいと思うのだが、このまま夜の「狼男化」が続くと、施設のスタッフがまいってしまうだろう。それがいちばん心配だし、心苦しい。
もちろん僕らもまいっている。精神的にも経済的にも。

2日後、遅れていた介護度判定が出た。親父の要介護度は3から5に上がった。



90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(5)2019/02/16 17:11

2019/01/11

退院前日の搬送予行練習

病院から、12日午前10時に退院という知らせがあった。血液中の酸素濃度が足りないとのことで(これは骨折以前からだったが)、輸血や酸素吸入もしている。
入院前にはなかった臀部の褥瘡と左脚(手術しないほうの脚)臑の皮膚の損傷(包帯が擦れて弱っていた皮膚がこびりついて剥がれたらしい)という2つの外傷が加わっていて、それに対する治療の指示なども受ける。


手術後、手術していないほうの脚に巻いた包帯を取ったら、皮膚が大きく剥がれていて浸出液が出ていた



手術直後から車椅子は可能で、腰を曲げても大丈夫ということだったので、乗用車で迎えに行くつもりで、病院側ともやりとりし、了承されていたのだが、ここにきてまた「介護タクシーの手配を」といわれた。どうも、院内での情報共有がうまくいっていないらしい。
介護タクシーは、近所の病院に運ぶときにも手配を試みたが、日光市内では、当日に「今からお願い……」などという依頼はほぼ無理だということが分かっている。それを説明し、その後も何度かやりとりしたが、結局、また、施設のリフト付きハイエースをまた借りることになった。
車椅子をリフトに固定して昇降させるのはやったことがないので、前日に副施設長の指導を受ける。

車椅子用リフトの使い方を教えてもらっているところ。副施設長の娘さんが「乗る~」とやってきてダミーモデルに↑。

まあ、こういう経験はしておいたほうがいいかもね。

で、親父は退院後はベッドと車椅子の生活になるので、昇降式電動ベッドを実費レンタル。その業者が一緒に持ってきた中古の車椅子は大きすぎて、施設のスタッフから却下されたため、フルリクライニングできる別の車椅子の中古出物も探しているところ。24時間、事実上施設にいるので、ベッドも車椅子も介護保険適用にはしてもらえないのだという。その他に、新たに寝具類やら防水シーツの追加やら水のみとかの器具類やらの調達が必要といわれ、リフトの使い方を予習した後はすぐにまた家に戻り、家にあるもので調達できるものと買わなければならない物のリスト仕分け。
雛人形搬入で忙しい時期に、金も時間も気力もどんどん奪われていく。

施設に家から持ち込めるものをまた運ぶと、義母が「よしみつさん、車に乗せて上まで連れていって」とか、意味不明のことを言い出す。
「上ってどこ?」と訊くと「薬局」と答える。どうも夢の中の地図(夢の中でよく見る、非現実の世界)が起きている間にも錯綜していて、妄想と現実の境目がなくなってしまっているようだ。認知症そのものの状態は義母のほうが親父より進んできているかもしれない。骨粗鬆症も抱えているので、義母もいつ骨折するか予断を許さない。
施設長は「お義母さんのほうがずっと心配。骨折するときは一気に骨盤骨折するタイプだから、悩む間もなく病院行きになる」と心配している。
頼むからそうならないでね。親父の大腿骨頸部骨折とアスペルガー症候群+認知症への対応だけで、僕らも施設スタッフも手一杯なのだから。
「車に乗せてって」という義母に「無理だよ」というと、今度は「じゃあ、ちょっとそこまで行ってくる」と、ヨタヨタと玄関を出て行ってしまった。
それを後ろからついていって、適当なところで連れ戻すスタッフ。
「動きたいというのを無理に抑制するとさらにパニックになるから、適度に発散させて……」と。ほんとに大変。申し訳ない。

興味深いのは、親父も義母も「帰る」というその先は、ぼける前に住んでいた自分の家ではなく、子どものころに住んでいた家なのだ。そんな家はとっくの昔にないし、もしかすると実在したことのない架空の家(夢の中の地図世界にだけ存在している家)を思い描いているのかもしれない。
近い過去のことから先に忘れていく。10分前のことはすっかり忘れていて、昨日のことは断片的に覚えていたとしても「一年前くらい」のことになる。
時間も空間も認識がおかしくなっている。寝ていても起きていても、夢の中の世界を彷徨っている感じなのだろう。

2019/01/12

退院


なんとかハイエースの後ろに車椅子ごと乗せた。「帰るよ~」「はいはい~」……ふうう

助手さんと一緒に朝9時半前に施設に行き、車椅子を積んだ福祉車両のハイエースを運転して宇都宮へ。
ほとんどマイクロバス並みの大きさの車を運転するのはこれが人生で二度目だが、一度目がつい先日なので、今回はかなり落ち着いて運転できる。

この病院は土・日・祝祭日と年末年始(12/29~1/3)はお休みなので、駐車場もガラガラ。入り口ロビーに並んだ窓口もすべてカーテンが閉まっている。
売店に入院衣料セットレンタル解約の届けを出し、車椅子を押して病棟へ。
親父はすでに服を着替えさせてもらってベッドに寝ていた。
看護師さんから入院中にできた褥瘡の治療や、主治医、地元整形外科医、訪問看護センター、施設あての引き継ぎ連絡書やら薬やらを受け取り、説明を受ける。
持ち込んだ大型車椅子になんとか親父を抱え上げて座らせ、そのまま病院玄関口へ移動。
さて、ここでどうすればいいの? 窓口はすべて閉まっているし、入院費の精算はどうすればいいの?
持ち込んだ車椅子に乗せた親父を玄関で待たせて、玄関ロビーの中をあちこちウロウロきょろきょろ。ロビーを出て、外のドアとの間の横にあった「夜間非常受付」という、唯一開いている小さな窓口を見つけて中を覗き込むと人がいた。
「退院なんですけど」と告げると、名前を訊かれ、請求書を渡された。
そこに印字されたバーコードをロビー内に設置された自動支払機に読み取らせて、カードで支払い。
窓口に戻って「精算しました」と告げると、そのままあっさり外へ。
診療費・入院費を踏み倒してしまう家族がいっぱいいるらしいが、こういうシステムだと、それも簡単だろうなと思った。
年金もほとんどないような高齢者世帯では、万単位の突然の出費は命取りだろうし、引き取りに来る家族も高齢者で、多少ボケていたりすればなおさらのことだろう。

ハイエースのリフトを使って親父を車椅子ごと乗せていたら、ケータイが鳴った。さっき別れた看護師からで「病室にコップが1つ忘れられていたのですが」という。入院する場合に用意するものとして売店で買ったものだが、プラスチックのコップ一つを取りに長い長い(本当に長い)渡り廊下を戻る気がしないので、そのまま処分してください、と告げた。

3泊4日の手術入院で100万円超は高いか安いか


今回の診療費・入院費の精算書。手術を含む診療費の合計は104万4620円。

ちなみに、3泊4日の手術入院での診療費は合計104万4620円。
他に食事療養費3990円(保険外)と入院に必要な寝間着・オムツセットみたいなやつとバスタオル一枚、歯ブラシ歯磨きセット、コップ、保湿剤やらなにやらの購入……で、合計約7万円の負担だった。
後期高齢者医療保険で1割負担、しかも負担限度額(年収156万円~約370万円の70歳以上は月額上限が57,600円)があるから7万円で済んでいるが、実際には100万円以上軽くかかっているわけで、これでは保険制度が持ちこたえられないだろうなあ、と改めて思った。
この病院のWEBサイトを見ると、整形外科の手術実績は年間約1000件。土日祝日年末年始は休みだから、1日4件くらい手術があることになる。午前に2件、午後に2件というペースで手術をするチームを組んでいて、それ以外に外来を受け付けて診療しているわけだ。
今回の大腿骨頸部骨折というのは、高齢者ではよくある骨折。火曜日に搬送したときも、処置室には救急車で次から次へと高齢者が運び込まれていた。
つまり、今回の親父の大腿骨骨折レベルの患者も毎日のように手術を受けているわけで、手術・入院をこなしていく病院側も大変だ。

90歳の認知症老人に大腿骨骨頭置換手術を施し、手術の翌々日には退院させることや、その数日間の費用が軽く100万円を超えることに驚く人も多いだろうが、どちらもやむをえないことだ。
手術代100万円超を「高い」と感じるのは、国民皆保険のこの国で生活している我々の感覚が、若干麻痺しているからだろう。
冷静に考えれば、これだけの医療を施すのに100万円超かかるのはあたりまえ。
数年前、雹が降って車の屋根やボンネットに凹みができたとき、保険会社の判定は「全損」で、修理代見積もりは軽く100万円を超えていたことを思い出す。
走行が12万kmを超えている車を100万円以上かけて直すなんて考えられないので、結局、全損相当の保険金をもらって37万5000円で売られていたもっと新しい中古車に買い換えたのだった。
車の屋根とボンネットの凹みを直すだけで100万円超なのだから、人間の大腿骨を取りだして金属の人工関節を埋め込む手術が100万円超なのは、むしろ安いんじゃないかとも感じる。これだけの処置をするのに延べどれだけの技術者、専門職が動員され、技術を駆使し、最先端の医療機器や装具を使ったことか。手術に使う道具類も、高価だが使い回しのできないものはきっちり使い捨てるわけだし。
……と考えれば、そりゃあ100万円はかかるだろうなあ、と納得するしかない。

人工股関節の「パーツ」としてのお値段 2018年4月現在。( )内は特殊なタイプの最高額(「人工関節の広場」より転載


「人工骨頭置換手術 費用」で調べてみたら、「部品代」が標準で合計61万1700円。手術代は37万6900円(ナビゲーションを使うとプラス2万円)と決まっているので、単純に部品代と技術料を足しただけでも98万8600円。
入院・手術にかかる費用は、人工股関節の例では、初回・片側の手術で入院期間が2~3週間の場合は約200~250万円
「人工関節の広場」
今回はそれに手術前検査やら輸血やらなにやらが加わっての104万4620円だから、高いどころか最低価格であることが分かる。

それでも100万円超という金額は庶民感覚からすれば「高い」。車の修理であれば「そんなにかかるなら修理はやめて車を買い換える」と即決できるけど、人間の修理はそういうわけにはいかない。
手術が成功しても数年しか生きられないことが分かっている超高齢患者に対しても、保険を使ってきっちり手術をしてくれる。
こうした手厚い手当てを10万円以下の直接負担で受けられる今の高齢者たちは、歴史上初の、極めて稀なる、超厚遇福祉受益者世代といえる。

問題は、この国民皆保険という制度が、今、脅かされているということ。お金がなければ医療を受けられない国になろうとしていること。
そのうち、水道事業みたいに、医療保険や介護保険も自由化して外資系企業に委ねるなんてことになって、金持ち以外はまともな医療を受けられない国になるのだろう。

……なんてことを考えながら運転すると事故を起こしかねないので、極力機械的に動いて、淡々と作業をこなし、親父を施設にまで戻した。

親父は受け答えはなんとかできるが、言っていることは滅茶苦茶。
手術を受けたのは自分ではなく「よしみつ」で、自分も手術を受けたが、その手術をしたのは医者ではなく「よしみつ」で……というようなことを繰り返し言っている。俺は今まで骨折したことはないし、外科医でもないよ~。
病院と施設の場所認識もできていない。移動したことも忘れている。
しかし、食欲はあり、動くことに対しても貪欲。たえず「○○してくれ」「○○がほしい」と、何かを訴えている。これから先が思いやられる。

⇒続く



90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(4)2019/02/16 17:03

寒さで表示できなくなったテレビ

2019/01/09

入院の日


親父の大腿骨頸部骨折、明日手術のため、今日は午前中に宇都宮の病院まで運び入れなければならない。
朝起きて階下に行き、テレビをつけると、冬の恒例画面。室温が5度以下くらいになるとしばらく画面がこうなっている↑。部屋が暖まってくると自然に直るので、少しの間の我慢。

処置室の外で施設長と一緒に待たされる

いろいろ緊張する作業があり、なんとか病院へ。処置室には次々に救急車で老人が運び込まれてきていて、改めて超高齢社会であることを実感する。
この病院は入院病棟以外は古い建物。処置室前の待合室は4人座るといっぱいの長椅子が一つあるだけで、しかも内倒し窓が壊れていて、紐を引いても固定されず、バタンと倒れて開いてしまう。0度前後の外気がピューピュー入り込んできて寒い。紐を縛り付けてなんとか対処したが、それでも寒い。
入院手続き書では、本人と保証人が別々のハンコじゃないとダメだと言われ、拇印を押させられた。入院費を踏み倒すケースがかなりあるらしい。

次から次へと急患が運び込まれていて、整形外科の担当医もなかなか身体が空かない。
ようやく診察室に呼び込まれて説明を受ける。
大腿骨頸部骨折の手術についてはしっかり予習してきたのでスムーズに終わったが、CTを撮ったら、心臓周囲の血管の一部が石灰化していて、肺の下部には水が溜まっているという。その映像も見せてもらったが、これには驚いた。
ずっと前から時折息苦しそうにしていたのはそういうこともあったのか……。とにかく親父は苦しいとか痛いとか言わないのだよなあ。

全身麻酔がかけられるかどうか、麻酔科の医師とも相談しなければならないが、微妙かもしれないとのこと。
その後、デイルームで待機していると、麻酔科の医師がやってきていくつか質問をしながら、「多分(麻酔は)できると思います」と言って戻っていった。
整形外科の担当医(男性)も麻酔科の医師(女性)もすごく若い。二人とも20代……だと思う。これだけの激務だと、若くないとやれないなあ、とつくづく思った。
また、悩んでいても事が進まないから、サクサクと作業を進めていく決断力が必須だ。それも兼ね備えている二人を見ていて、ああ、今の日本はこういう人たちに支えられているんだなあと感じた。

入院や手術のために必要な寝間着やバスタオルやオムツをレンタル契約したり購入したり……いろいろあって、病院を出たのは3時過ぎ。朝からバナナ一本しか食べていないし、朝から緊張の連続だったので疲労困憊。
本来なら夜勤明けでこの時間はもう寝ている施設長も昼ご飯抜きでずっとつき合ってくれている。施設長のほうが何倍も辛いはずだが、笑顔を絶やさないでいてくれる。本当に感謝しかない。

施設長の車に乗せてもらって施設に戻り、施設に置いていった自分の車に乗り換え、薬局に寄って薬をもらい、スーパーで二人分の弁当(今から食う分と夜の分、計4個+α)を買い、ヘトヘトで帰宅。
ようやく本日一食目にありつき、少し寝ようと思ったら、ルーティーンワーク(生計を維持するためのお仕事)がたまっていて処理。
暗くなってからタイヤが届けられた。明日は手術でまた宇都宮まで行かねばならないので、なんとか今日中にパンクの応急処置で1本だけ夏タイヤになっているのを交換したいと思い、まっ暗な中をタイヤピットへ。
タイヤを交換して家に戻ると、病院から電話が入り、明日の手術は午後を予定していたが、急遽朝イチに変更になりました、と告げられる。8時半までに病院に入ってくれという。
うわ~、辛いなあ。朝の渋滞にも巻き込まれそうだし……。
しかし、そうなると今タイヤを交換しておいてよかった。

北海道から送られてきた美味しいチーズに、やはりいただき物のワインで元気をつけて、明日に備えた。

2019/01/10

手術当日


あちゃ~! これじゃあ出られない
気合いを入れて早起きして、さあ、出かけようと玄関を出たら……う!!↑
これじゃあ運転できないじゃないか。解氷剤あったっけ……。
あった! よかった。

これを溶かすのがまず大変


でも、氷を溶かしても溶かしてもすぐに凍りつき、走り出してもすぐに前が見えなくなる。
おまけに、宇都宮は東方向なので、真正面から朝日が強烈に差し込んできて、前方視界が最悪。信号も強烈な逆光で見えない。
冬の間、宇都宮に出勤していく人たちはみんなこんな危険な道を運転しているのか……。大変だなあ。

セブンイレブンでバナナと紅茶を買って、無理矢理バナナ一本、胃に押し込む。


やっぱり縛り付けられてた。仕方ないけどね

親父は昨日からパニック状態で、ここがどこか、どういう状況なのか理解できず、必死に頭を働かせようとしているが、やっぱり理解できずに、混乱している。それでも食欲はあるようで「ランチはまだか」と何度も訴えていた。
「これからすぐに手術だから、今日は飯抜きなんだよ」
「そうか……分かった。……それで、まだなのか?」
「何が?」
「飯!」
……こんな感じでループする。

予定通り、9時に手術室へ。
「このままじゃあ寝たきりになっちゃうから、車椅子に座れるようにしてもらうんだよ。寝てれば終わるんだから楽なもんだよ」
などと、いろいろ声をかける。年末のやさしいズのネタを思い出す。
「手術が怖い? あんなの寝てるだけじゃん。……え? 麻酔しない派?」
あのネタ、好きだわ。でも、今の親父には通じないかな。


手術室に入るのを見届け、それからはずっと病棟のデイルームで待機。誰もいなくて、カウチがあったので横になった。
本を読みながら延々と待ち続ける。
昼前に手術が終わったと呼ばれる。
手術自体は2時間の予定が1時間半で終わったのだが、始めるまでに時間がかかったとのこと。全身麻酔をしていいものかどうかで、かなり悩んでいたらしい。
結局、全身麻酔ではなく、下半身のみの麻酔でやったという。
やさしいズのネタみたいに「寝てれば終わってる」というわけにはいかなかったわけで、意識のあるまま、骨にドリルがガ~っと入っていくのを聞いていたわけだ。それは怖かっただろうなあ。


改めて、手術前の写真と手術の図解。↑こうなっていたのが……

↓
↓
↓
↑手術後のレントゲン写真。すごいねえ。これだけガッチリと深く金属を埋め込むのね。


もともと血液中酸素濃度がかなり低めで、骨折した部分での出血のために貧血もあるので、昨日も今日も輸血をしているという。最短で明後日の退院は可能だと思うが、明日、明後日の朝に採血して、その結果を見て決めるとのこと。
ここまでくると、病院に長く入れておくことのストレスのほうが怖いので、なるべく早く退院させたいと、再々度申し入れた。
担当の医師もそこは理解してくれている。

満身創痍。それでも生きる意志がものすごく強く、食欲はある。動こうとする。その姿を見ていると、なんとかしなくちゃ、でも、何ができるのか……どこまで頑張るのだろう……と、こちらの神経がどんどんまいってしまう。

とにかく、ここまで来たら、早く施設に戻してあげたい。施設長以下スタッフも、覚悟を持って待っていてくれている。
すでに昇降式ベッドやフルリクライニングができる高級な?車椅子も業者が届けてくれて、セッティング済み。
本当によくやってくれる。
普通はそこまでやってくれないから、病院を転々としながらの終末期になってしまうのだ。
「最後まで穏やかなケアは得意です」という不思議なキャッチコピーが目に留まって訪れた小さな施設だったが、あのコピーは嘘ではなかった。ここまでつき合ってくれるスタッフには、本当に感謝しかない。

長期戦になるのか、予想もできないような展開、幕切れになるのか……先が見えない苦しさが続くが、踏ん張るしかない。


⇒続く



90歳認知症老人の大腿骨骨折記録(3)2019/02/16 16:51

2019/01/07

仕切り直し……しかし二転三転


朝、主治医のクリニックに電話して、手術は見合わせたいと告げると、事務の人が「すでに提携の病院には連絡して、入院と手術のスケジュールを確認してもらっていたところです」という。
昨日の親父の様子を説明し「絶対に嫌だと言っているんですよね」というと、一瞬、声を上げて笑われた。
それで一旦手術の予約はキャンセルにしてもらうことにした。
念のため、今日、容体が変化していないかどうか施設に電話した。
施設長は1日完全な休みで、中堅のスタッフが電話に出て、不安そうな声で親父の様子を説明してくれた。
動けるはずがないと思ってベッドに寝かせていたら、夜中に背中とお尻だけで動いて、今にも落ちそうになっていたという。何度も元に戻しても、また動く。普通ならありえないような行動に出るので、怖くて仕方がない、と。
彼女の声のトーンからは、明らかに、手術を回避する方向になったことへの不安と苛立ちが読み取れた。
「もし手術をしないなら、このままでは介護できないので、昇降式のベッドをレンタルしてもらってほしい」と言われ、そのむねをケアマネさんに電話。
すると、ケアマネさんからは、本当に手術しなくていいのかと何度も念を押された。
このままでは介護するスタッフの負担が半端じゃなくなるし、いつどうなるか分からない、どうしていいのか分からないという不安を抱えたまま、ストレスフルな介護を続けることになるだろう、と。
そこでまた心が揺れた。
そうか。親父のことばかり考えていたけれど、いちばん心配しなければいけないのは、介護しているチームの人たちの心や体力的負担ではないか、と。

悩んだが、またクリニックに電話して、やはり手術させたいと告げた。
本当に申し訳ない。怒られて当然だが、事務の人も院長も本当にやさしく、真摯に接してくれた。
院長も「う~ん。難しいところですね」と悩みきっている。一緒になってとことん悩んでくれる。本当に感謝してもしきれない。
手術しない決断をしたときは「手術をしたことで精神がさらに壊れてしまって死なせた場合と、手術をしないで肉体的に苦しませてしまった場合と、どちらが後悔の度合が大きいかと考えたら、手術をさせて苦しませたほうだと思うんです」と説明した。
院長はうんうん、なるほど、と電話の向こうで頷きながら、一緒に悩んでいた。
しかし、これはよく考えると、自分の気持ちを最優先させているのではないか。
なんだかんだいって、自分がいちばん苦しまない方向を探っているのではないか。
その選択をした結果、介護しているスタッフの苦しさが増大するのであれば、それは避けなければならない。
彼らはいちばん若い。これからずっと生きていかなければいけない人たちだ。その人たちのエネルギーを奪い、心を追い込んでいいわけがない。

……そう気づいたことで、再度、気持ちを変えることになったのだった。

そのことも院長には簡単にだが告げた。
「それでいいんですね?」
と念を押された。
「はい。そのように決めます」
「分かりました」

……というわけで、再度、病院へは手術受け入れの依頼をしてもらったのだが、悩んでいるうちに最短予定日に別の手術が入ってしまったという。
これは仕方がない。

9日搬送、10日に手術ということになった。

忙しくなる前に、ちょうど切れてしまったオムツと薬を買いに一人で今市へ。

ドラッグストアの店員に「カートに積む技術がすごい」と感心された


買った大量のオムツを持って施設に行くと、親父はちょうど副施設長から夕食を食べさせてもらっているところだった。
副施設長は施設長の娘さんなので、性格はとても明るい。
ポンポンと自虐ギャグが飛び出すし、認知症老人たちにも言いたいことをバンバン浴びせる。それが刺激になって、みんなのボケが悪化しない効果があるように見える。

昨日とはまた様相が変わり、親父は両手とお尻だけでベッドの上を動き回り、このままではまた骨折箇所を増やしそう。
一昨日、僕に病院へ連れられていったことも、昨日、僕が写真や図まで見せてていねいに説明したこともすっかり忘れていて「骨折のこと聞いた?」なんて言ってくる。これには本当にガックリきた。僕が昨日説明したことだけでなく、僕が一人で運転して病院に連れて行ったこともすっかり忘れているのだ。
天井に人が三人見えるとか、福島に帰る電車賃がないとか(福島には家はない。住んでいたのは60年前まで)、滅茶苦茶なことを朝からずっと言っているらしい。
そんな親父に、スタッフは今日もスプーンでおかゆと煮魚を食べさせている。食事介助だけで小一時間はかかる。
親父本人は瞬間瞬間で感情のまま訴えている。それをケアする周囲の人たちの健康やストレス軽減を優先させるべきだと、改めて思った。
それともう一つ。これはかなりの長期戦になるのではないかという気もしてきたのだ。であれば、手術はしておいたほうがいいわけで……。


これを読んだ医療関係者の多くは、「これだから知ったかぶりの素人は困るんだ」と呆れたり、怒ったりすると思う。
そういわれても仕方がないが、超高齢者や認知症患者を相手にした場合、万能な解などない、ということはいえるだろう。
手術する外科医は、患者のそれまでの生活やもともとの性格を知っているわけではないし、退院後、どういう生活になって、どう死んでいったかまで見届けることはまずないだろう。そこをずっと見てきているのは、家族であり、介護スタッフであり、主治医だ。
また、患者の生活や性格をよく知っている家族や介護スタッフにしても、どうすれば当人がいちばん苦しまないかを考えるにあたって、あらゆる要因を考慮した上での「想像力」が必要だ。
認知症老人にはだまされる。ものすごくしっかりしたことをハキハキ受け答えしているかと思うと、翌日はそんなことすべて忘れて滅茶苦茶なことを言ったり、予測不能なことをしでかしたりする。
だから、介護する側は、やり甲斐がない、悩んだ甲斐がないという徒労感にも襲われる。

……なんてことを、運転しながら考えてしまう。まずい、まずい。
事故だけは起こさないように、気を張って乗り越えなくちゃだわ。

⇒続く



90歳・認知症老人の大腿骨骨折の記録(1)2019/02/16 14:57

正月のお飾りをつけた途端、電話がかかってきた

90歳認知症老人の大腿骨骨折 をまとめる


2018年年末に親父が施設で夜中に転倒?し、大腿骨頸部を骨折した。
骨折してから退院直後までの怒濤の?記録は、表の「のぼみ~日記」に逐一書いていたが、デリケートな内容でもあり、より多くの人の目に触れているであろうこのブログのほうにはのせていなかった。
しかし、一段落した今、読み返してみると、やはり多くの人たちが今後経験しうるであろうことであり、情報として公開・共有することは意味があると考え直し、時系列でまとめてみることにした。
すでに似たような体験をされたかたは多いと思うが、これから体験するかたはもっと多いはずだ。こういうことが稀なケースではなく、普通に起きていく時代・世の中になっているということを少しでも感じていただき、そのときの判断材料や気持ちの準備に役立てていただければ幸いだ。

2018/12/30 骨折が分からず

午前中、デイホームの施設長から電話があり、親父がベッドから落ちたか転倒したかしたらしく、脚に痛みを訴えたので緊急で訪問看護ステーションに連絡して来てもらったという報告があった。
幸い、外傷や腫れなどは認められず、本人も「今は痛くない」と言っているので、主治医とも電話で相談の上、「様子を見ましょう」と帰っていったという。
午後、様子を見にいくと、親父は口を開けて眠っていた。まるで遺体を見ているようで、ちょっと緊張した。
ここ数日、ほとんど寝ていないという。
なぜ寝ないのかはよく分からない。自律神経系が滅茶苦茶になっていて時間感覚や体内時計がかなり前から狂っている。夕飯前に突然「寝ます」と言って飯も食わずにベッドに入ってしまったり、昼も夜もほとんど寝ないで動き回ったりしているらしい。
動き回るといっても、しっかり歩けるわけではないので、部屋の中で机の引き出しや箪笥の引き出しを開けたり閉めたりを繰り返したり、ティッシュをやたらと引っぱり出したり……。
ちょっとした刺激でプチパニック状態になって、制御が効かなくなる。自分で自分の心身をいじめ抜いて、追い込んでいる感じ。
睡眠薬も効かないので為す術なし。疲れ果てて寝てくれるのを待つしかないのだが、この状態がもう数日続いていて、このままでは体力が尽きて死んでしまうのではないかとスタッフも心配している。
すでに部屋からベッドや箪笥、支え棒は撤去され、広くなった床にマットレスを敷いて寝かせている。
やれそうなことはすべてやってもらっているのだが、親父の場合、常に予想の先を行くというか、想定外の行動が飛び出すので、スタッフは本当に大変だ。
看護師さんが帰っていった後のオムツ交換で、血尿が認められたというので、そのオムツを実際に見せてもらった上で、再び訪問看護ステーションに電話して、予備に持っている抗生剤を飲ませたほうがいいと思うがどうか、と指示を仰いだ。
「そうですね。少なくとも3日は飲み続けさせてください」とのこと。
ようやく寝ているので、起きてから飲ませてくださいとスタッフに言って、念のためもう一度部屋を覗いてみると、薄目を開けていた顔がこっちを向いた。
「なんだ。どうした?」
「調子悪いみたいなんで、様子を見に来たんだよ」
「連絡がいったのか?」
「そうだよ。脚が痛いんだって?」
「何日か前に、足の上のほうがね……」
……すでに時間感覚がおかしい。今朝のことが数日前のことになり、話しているうちに何週間も前のことのように言う。そこで話が元に戻って、「足の上のほうがね……」と、ループが始まる。
「寝ないと死んじゃうよ。とにかく気を楽にして、ス~ッと息を吐いて、はい寝ますよ~、って感じで寝なさい」
「そうだね」
……返事をしつつも、こうなるとすでに興奮状態にスイッチが入ってしまっている。
寝るとそのまま死んでしまうという恐怖を感じているのだろうか。……分からない。

起きてしまったので、薬を飲ませたが、起き上がれないから飲ませるのも大変だ。

スタッフも大変だ。大晦日も正月もない。あまり重荷に感じないでくださいね。なるようにしかならないんだから……と、伝えた。

スタッフからは、ASD(自閉症スペクトラム障害)について解説した記事のコピーを渡された。お父様はこれではないか、と。
読むと、まさしくそうだなあと思うのだが、90歳の老人に今さら病名をつけても、何かできるわけではないし……。
もちろん、見守る側にとっては、対応のガイドラインができて意味があるだろう。
家族としても、自分たちの対応について、納得させる材料にはなる。
改めてスタッフへの感謝を心に刻んで家に戻った。

アスペルガー症候群

家に戻ってからASDについていろいろ調べていたら、今まではアスペルガー症候群とされていたものを、今は他の自閉症関連の症状とまとめて、より包括的に定義しようとしているらしい、と理解した。
で、アスペルガー症候群の解説を読んでいると、親父には完璧にあてはまるが、親父だけでなく、自分にもかなりあてはまるなあと気づいた。
特に子ども時代の自分。
大人になるにつれ、社会でもまれてだいぶ落ち着いてきた(普通に近づいた?)ものの、生まれつきこういう気質を持っていたんじゃないか、と。
  1. 人の中で浮いてしまうことが多い
  2. 無邪気に人に対して傷つけるようなことを言ったり、してしまう
  3. 物事に正直すぎる
  4. 話し方がとても回りくどい
  5. 「ちなみに」「ところで」「逆にいえば」「おそらくは」などの言葉を多用する
  6. 自分の関心があることを、相手の興味におかまいなしに一方的に話す
  7. 話が飛びやすい
  8. 自分の関心の赴くままに話題が変わっていく
  9. 話し相手の予備知識を考慮していない
  10. やたらと語呂合わせの駄洒落をいう
  11. 運動は苦手なのに楽器は上手だったり、読めないような字を書くのに絵は上手に描けるなど、独特の不器用さ器用さを示す(模倣能力の乏しさや、模倣するときの注目点が一般の子どもと異なる?)
  12. 感覚刺激(特に音)に対して敏感
  13. シャツのタグのあたるのが嫌でタグを取ってしまったり、きついズボンを嫌がってゆったりしたズボンをはきたがったりする
  14. 騒々しい環境が苦手
  15. 否定的な言動に対して敏感
  16. 大人を試すような行動をする

……このへんは全部あてはまるような気がする。
13や16は子供のときにはあったが、今はあまりない(少しでもきつい衣類が嫌い、というようなことはある)。しかし、その他は今の自分にもしっかりあてはまる。

まあ、そう気づいたから、今さらどうということでもないし、個性や気質になんらかの名称をあてはめて定義しようとするのも、一種の「大人の病理」かもしれない。
この歳になると、よほど人に迷惑をかけない限りは、どうでもいいと思う。若い人たちから見れば、年寄りであるというだけで「特殊な人」と思えるのだろうし。
ただ、自分が日々接する相手もどんどん高齢化していて、理不尽なキレかたをされたり、予想外の反応をしてきて面食らったりすることが増えてきた。
自分もそうなっていくのかもしれないと思いつつ、常に自戒し、人の気持ちをおもんばかる余裕を持つように、とは心がけているつもりなのだが、なかなか難しい。
とにかく、どんどん偏狭になることだけは避けたい。脳の萎縮は避けられないのだろうから、自分の変化を自分で把握する努力、対応する工夫が大切なんだろうな。
日々、自戒自戒。

⇒続く




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