菅正剛氏スキャンダルで浮かび上がった「電波利権」とは何か2021/02/27 22:20

テレビが言えない地デジの正体(2009年刊)
 菅首相の長男・菅正剛氏が総務省幹部らを接待していたというスキャンダルで、メディアは連日騒いでいる。
 しかし、そもそもなぜそういうことが起きるのかという「電波利権」の構造について解説してはくれない。テレビ局や新聞社にとって、いちばん公にしたくないことだからだ。
 電波利権とはどういうものなのか?
 2009年に上梓した『テレビがいえない地デジの正体』という本(ベスト新書)を読み返してみた。
 元原稿がファイルとして残っていないのだが、下書き段階のものがあった。出版されたときの文章はかなり変わっているし、データ(数字)も十数年前のものになっているので、ポイントをおさらいしながらまとめてみる。

田中角栄と電波利権の始まり

 地上波(UHFやVHF電波)放送は、電波が一定範囲しか届かない、あるいは、隣接する放送局は混信を避けるために十分に間隔をあけた帯域の電波を使うと決められている「不便さ」が、むしろ特別な権益を生み出す。特定地域の視聴者を簡単に「囲い込む」手段になるからだ。
 これにより、地方局は地元企業のテレビ広告を一手に独占できるだけでなく、ローカルニュース送信によって、情報を意のままにコントロールすることもできる。
 テレビ創生期、各地の有力者たちは、こぞってテレビ局を開設したがった。一度、放送免許を得てしまえば、半永久的に、莫大な権益を持つことになるからだ。
 地方テレビ局の誕生には、田中角栄が大きく関係している。
 田中は1957年、39歳の若さで岸内閣の郵政大臣に就任した。
 このとき、日本のテレビ局は、NHKが11局。民放は日本テレビ、ラジオ東京(TBS)、北海道放送、中部日本放送、大阪テレビの5局しかなかった。他にフジテレビとNET(現テレビ朝日)に予備免許が下りていたが、放送はまだ始まっていなかった。
 こんな状況で郵政大臣に就任した田中は、各県ごとに利権を一本化し、一気に34の地方局に放送免許を出した
 一旦開局すれば、テレビというメディアは巨大な利権を生む。かくして、政界と放送局は当初から密接な関係を保ってきた。錦の御旗のように使われる「報道の自由」というスローガンだが、テレビ放送においては、スタート時点からすでに危ういものだったのだ。なにせ、お上から免許が下りないと放送事業は始められないのだから。
 今では考えられないが、地方局のニュースでは、地元出身の政治家が「お国入り」するたびに映像付きで紹介した。これほど強力な選挙運動はない。
 一時期、田中は選挙区のある新潟放送で、「国政報告」の形を取った30分のテレビ番組を2つも持っていた。これに類したことは、田中だけでなく、全国で普通に行われていた。

4大ネットワークはこうしてできた

 現在の4大ネットワーク(JNN、NNN、FNN、ANN)の編成にも政治が大きく関与している。
 1972年、首相になった田中角栄は、全国のテレビ局を大胆に再編成することに乗り出した。これは、無視できない巨大メディアに成長したテレビを傘下におさめたいという大手新聞社の戦略に応えるものだった。
 1973年12月、朝日、読売、毎日の3大新聞社が首脳会談を行い、テレビ局ネットワークと新聞資本を再編成・統一することで合意した。これにより、東京放送(TBS)の新聞資本は毎日新聞社のみに。それまで東京放送(TBS)の準キー局だった大阪の朝日放送は朝日新聞社系列下に。その代わり、毎日放送(MBS)がTBS系列(JNN)に。毎日放送とネットワーク提携していたNET(日本教育テレビ。現テレビ朝日)は朝日放送のネット(ANN)に……といった大幅な再編成が成立した。
 現テレビ朝日の前身であるNETは、設立した1957年時点では、日本経済新聞社、東映、旺文社などが中心株主で、免許交付の条件は「教育番組を50%以上、教養番組を30%以上放送する」というものだったが、1973年には「総合局」の免許が交付され、朝日新聞社が大幅に株式を買い増しして、事実上「朝日系列」に組み入れることに成功した。
 新聞社とテレビ局が完全に系列化することは、ニュース配信時などには情報をすばやく共有でき、取材も連携が取れるといったメリットもあるが、複数の視点による報道、報道が政治権力から独立するという観点からはデメリット、危険性もはらんでいる。
 テレビの不正を新聞社が暴く、あるいはその逆のことができにくい
 放送免許という首根っこを押さえられている放送局が追及しづらい政府のスキャンダルを、新聞社が先陣を切って報道するということもしづらくなる。
 地デジ化を巡る報道などはその端的な例だった。テレビ局の利権に直接関わる問題だけに、新聞も大きく扱わないし、扱ったとしても、問題の核心には迫らず、表面的な報道に終始する。
 新聞社とテレビ局の完全系列化は、報道の基本精神を脅かす危険なものだったと言えるだろう。

携帯電話料金がテレビ局を支えている

 放送局や携帯電話会社にとって、特定の電波帯域を使える権利は大変な資産であり、莫大な利権が発生する。
 では、一旦電波帯を割り当てられた放送局にとって、電波は「ただ」なのだろうか?
 日本では、1993年5月までは実質「ただ」だった。
 1993年5月からは、「電波利用料」というものが導入され、すべての「無線局」は、電波を利用するための利用料金を支払わなければならなくなった。
 この「無線局」というのは、放送局も入れば、携帯電話の利用者(携帯電話端末)も該当する。携帯電話の電波利用料は1台あたり年間140円(当初は540円。その後420円になり、2008年10月より250円、現在は140円)。携帯電話会社が利用料金に組み入れて徴収し、まとめて支払っている。
(2017年度に携帯電話事業者が支払った電波利用料の総額はNTTドコモが167億円、KDDIが114億円、ソフトバンクが150億円だった)。
   一方、テレビ局が使っている電波帯域は非常に広いが、2005年度以前には、年額わずか2万3800円だった。これに対して、携帯電話は当初一律1台540円で、個人で使う携帯電話機1台とテレビ局の電波使用料が44倍しか違わない。つまり、テレビ局の電波使用料が携帯電話機利用者44人分でしかないという、とんでもない料金制度になっていた。
 2005年度からは、使用する電波の帯域幅や地域の人口密度、出力などを考慮した算出法になったが、それでも全国のテレビ・ラジオ局が支払っている電波利用料は携帯電話事業者が支払っている電波利用料に比べれば極端に安い。
 2015年の電波使用料内訳を見ると、携帯電話キャリアのNTTドコモ 201億円、KDDI 131億円、ソフトバンク 165億円に対して、公共放送のNHKが約21億円、日本テレビ系列は約5億円、TBS系・フジテレビ系、テレビ朝日系、テレビ東京系は約4億円で、テレビ局が支払った電波利用料は利益に対して1%未満という微々たるものだった(Wikiより)。

電波利用料がどう使われているのかも不透明

 電波利用料は、「総合無線局監理システムや電波監視システムの整備・運用、周波数逼迫対策のための技術試験事務、携帯電話の過疎地での基地局維持・設置」などに使われることになっているが、2001年度からは地デジ化のために巨額が使われた。テレビ局のことを、なぜ携帯電話利用者が負担しなければいけないのかという疑問の声があったが、結局は押し切られた。
 ついでに言えば、電波利用料の一部は、総務省の出先機関で、美術館のチケット代や野球のボール代など、職員のレクリエーション費にも使われていた。2008年5月、民主党の調査で分かったものだが、民主党の指摘を受けて調査した総務省の発表によれば、計11ある地方総合通信局のうち6つの通信局で、チケット代、ボール代、ボーリングのプレー代などが支出されていたという。民主党の調査では、他にもラジコン購入費や職員のレクリエーションに使った貸し切りバス費用などもあるという。
 これに対して、増田寛也総務相(当時)は、「法律上書いてある」ことで、法的には問題がないとの考えを強調した。

英国BBCを蹴ってグリーンチャンネルを入れた総務省

 BSの電波帯再編における利権争奪戦にまつわる話をさらにまとめると、2009年、BSのアナログハイビジョン放送(NHKが2チャンネル、WOWOWが1チャンネル持っていた)を廃止して、空いた帯域にデジタル放送を入れるという再編時、フルハイビジョンなら6チャンネル分、標準画質なら24チャンネル分が空くことになった。それに加えて新規にBS19という「空き地」へ、18企業・団体から合計22チャンネル分の応募があったが、総務省は英国BBCや米国ディズニー社を落として、スターチャンネル、アニマックス、グリーンチャンネル、Jスポーツなどを「合格」とした
 グリーンチャンネルは「財団法人競馬・農林水産情報衛星通信機構」というところが運営しているが、これは農水省、総務省共同管轄委託放送事業者。日本中央競馬会の関連法人でもある。
 グリーンチャンネルはすでにスカパー!で放送をしていたが、このBS格上げによって、一気に価値の高い「BS委託放送事業者」になった。
 その一方で、英国BBCが「家族層向けのドキュメンタリーやドラマなど娯楽番組の有料チャンネル放送をしたい」という申請は蹴ったのだ。
 これによってどれだけの日本国民が良質の番組を見る機会を失ったことか! ああ、BBC!! 『モンティパイソン』や『グレートブリテン』見たかったよ!! BBC制作のドキュメンタリーが東京五輪問題をどう扱ったのか見たかったよ!!

 今回話題になった菅正剛氏関連のスキャンダルでは、東北新社傘下の「囲碁将棋チャンネル」のBS入りに疑惑の目が向けられたが、こうした不透明な決定は今に始まったことではないのだ。

地上波はローカル放送にして全国ネット番組はBSやネット経由で流せ

 放送事業者選定の不公正感もひどいが、電波帯域の無駄使いも目に余る。
 現在、BSでは広帯域を使う4K放送が始まっているが、内容をしっかり見てほしい。通販番組やら大昔のドラマの再放送(当然画質は粗い)を平気で流している。
 そもそも4K放送など必要なのか? NHKの朝ドラなどはハイビジョン画質と4K放送を同時に流しているので、BSの4Kチャンネル対応チューナーを内蔵したテレビがあるなら見比べてみてほしい。画質の差など分からないし、目を凝らして多少の差が分かったとしても、それがなんだ、という話だ。大切なのは番組内容の質だろうが。
 今回、菅正剛氏が関わる接待スキャンダルで注目された「囲碁将棋チャンネル」は、かつての標準画質のままの番組を流しているので、最後に余ったスロットに割り当てられたのはある意味当然なのだが、それだってもっと違う活用法がある。
  BSのハイビジョン画質1チャンネル分の帯域は、昔の標準画質なら3チャンネル分送信できるのだから、4対3画面時代の再放送をしているのはもったいない。かつての標準画質番組を再放送する専用の狭い帯域のチャンネルとして設けてくれたほうが「囲碁将棋チャンネル」よりは多くの視聴者が喜ぶだろう。囲碁将棋番組はネットでのオンデマンド配信に向いている内容であり、BSでリアルタイム放送する意味はない。

 長くなってきたのでそろそろまとめたい。

 この拙著で私が主張したかったのは、
  • テレビ放送をデジタル放送に移行するのはいいとして、なぜ「地上波」でやる必要があるのか。BSやケーブルテレビ、インターネット回線を使えば全国どこでも同じ数のテレビ局が見られるのに、わざわざ「地上波」にして地域格差をつけるのは利権保守以外の目的は考えられない。
  • 電波は公共財なのだから、裏で変な取り引きをせず、入札や電波利用料をすべて公開して、視聴者の利益を守れ
 ……ということだ。
 10年以上経っても、何にも変わっていない。

 7万円の接待で何を食ったかなんてどうでもいい。総務省とメディアのズブズブ関係によって、我々はもっと大きな損失を被っているのだ。

オマケ:顛末記

 この本は、校了して、印刷所で印刷が始まる直前の部数決定会議で、出版社の社長が突然「なんでこんなくだらない本を出すことになったんだ?」と激怒し、いまさら出版停止にはできないならと、部数を極端に減らした。2000だったか3000だったか忘れたが、とにかく当時の新書の刷り部数としてはありえないような数。書店にまともに並ぶのも難しい数で、まるで「売れては困る」というような異様な決定だった。
 さらには、担当編集者は出版直後に編集部を外されて異動になり、その後、退職してしまった。
 私のせいで熱心な若手編集者の人生まで狂わせてしまい、その後は本を出版することがすごく怖くなったものだ。
 担当編集者は、「何か圧力があったとは思いません。単純にこんなものは売れない、という言われかたでした」と説明していた。
 そうかもしれない。内容を知った政府筋から社長に圧力がかかった、などということはないだろう。単純に「なんでこんな売れそうもない本を出すんだ」ということだったのだと思う。

 10年以上経っても、人々が「与えられたもの」だけを受け入れ、消費していくという社会風潮は変わっていないわけで、電波利権の闇をどうにかしよう、などという本よりも、ゲームの攻略本や有名人のゴシップとか、金儲けの本とか、健康法の本とか、韓国・中国憎しみたいな本が売れる。
 ただでさえ本が売れなくなった時代に、物書きはどう生き延びるか……。そういうことも、今はもう深刻に悩んではいない。
 「一人に向かって」。一人が見えなければ「自分に向かって」、やれることをやる、という心境かなあ。



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大衆扇動ツールとしてのオリンピック2021/02/22 11:01

今朝、起きる前に蒲団の中で頭の中を巡っていたもの:
  • コロナは教師である。近代史や哲学の分野で、巨視的に物事を見直すことを示唆している。
  • 日本の場合、明治以前と以後で何がどう変わったかを、構造的に見直してみると、今の東京五輪論議がいかに矮小化された議論かが見えてくる。
  • 昔は支配の道具は武器に片寄っていた。大衆を動かす力も武器(武力)による脅しだった。今は武器よりも効果が大きなツールがいろいろ出現している。
  • イギリスを中心とした西欧列強+アメリカは、中国という大国を支配する際にアヘンというツールが絶大な威力を発揮したことで「ツールの多様化」「大衆を動かす方法の効率化」を学んだ。
  • そんな時代の流れの中で近代オリンピックは生まれ、変化していった。つまり……
……そんなことをつらつらと考えながらウトウトしているところで、のぼるくんに顔をペタっとされて目が醒めた。

聖火リレーの始まり

森喜朗のおかげで、「そもそもオリンピックってなんだったんだろう」という根本的な歴史問題を学び直すことができた。
クーベルタンは、生涯を通じて、女性の汗によってオリンピックを「汚す」べきではないと信じ、女子選手をあからさまに排除した。
男性至上イデオロギーが支配したオリンピックの「黒歴史」 東京五輪で「男女平等」は実現するか? 森田 浩之 2017/07/18 gendai.ismedia)

クーベルタンがゴリゴリの男女差別主義者だったということは、今はあちこちで読むことができるが、そういうことを学校では決して教えてくれなかった。

聖火リレーを巡っても、島根県知事が5月に地元で予定されている聖火リレー中止の検討を表明したことが話題になっているが、その背景までしっかり伝えているメディアは少ない。
島根県は、東京都などが新型コロナ感染者の濃厚接触者や感染経路を調べる「積極的疫学調査」を縮小していることを問題視し、以前から厚労省に対して全国調査の結果や情報提供などを求めてきた。ところが厚労省は「ゼロ回答」のまま。10日の会見でも、丸山知事は「状況について何も情報が得られていない。ゼロ回答です。何もしていないということではないでしょうか。この話をどうでもいいと思っている政府は危機的」などと怒りをあらわにしていた。
「丸山知事は政府や東京都の小池知事に対しても臆することなく、正々堂々と正論を主張する。非常にマトモな知事といった印象です。政府や都は『唐突に何を言うのか』みたいな受け止めですが、島根県が厚労省に疫学調査に関する情報提供を要請していたことすら知らない。つまり、放置していたわけです。これでは政府や都に不信感を抱くのも当然です。」(横田一)(丸山島根知事「五輪開催するべきではない」はマトモな正論 日刊ゲンダイDigital 2019/02/19)

メディアはちゃんとこうした背景まで伝えないといけない。

聖火リレーは1936年のベルリン五輪から始まっている。この大会はヒトラーが国威発揚、アーリア人種の優越性をアピールするために最大限利用した大会として知られる
この大会の運営をヒトラーから任されたのは、ドイツオリンピック組織委員会のなかで力を持っていたアーリア人のカール・ディーム。
彼は「オリンピック発祥の地であるギリシャのオリンピアで採火した聖火を、リレー形式で7カ国を縦断して、開会式当日にベルリンのメーンスタジアムまで運ぶ」という2つの異なる宗教儀式を巧妙に組み合わせて演出した。(オリンピックの聖火リレーはヒトラーが始めた!

今回、東京五輪の聖火リレーが福島から始まることも、「原発爆発はもう過去のことだ」としたい政府の政治利用といえるのではないか。聖火リレーの始まりと重ね合わせると、よりリアルに意味合いが浮かび上がる。

この視点で舌鋒鋭く問題を指摘している鵜飼 哲(一橋大学名誉教授)はこう述べている。
これほどの無理を重ねてこの大会が招致されたのはなぜでしょうか? 福島原発事故を過去の出来事として内外に印象づけることが、その目的のひとつであることは疑う余地がありません。政治・経済・メディアを支配する巨大な力に抗して組織的な欺瞞を見抜くこと。原発事故の直後、多くの人がその必要を痛感したはずです。その認識が民衆のあいだに根づくことを阻むために、オリンピックというもうひとつの組織的欺瞞が計画されたのではないでしょうか。私たちは原発事故の衝撃という原点に幾度でも立ち返り、「もう騙されない」という誓いを新たにしなければなりません。さもなければ「復興五輪」が実は「改憲五輪」にほかならなかったことを、まもなく思い知らされることになるでしょう。(無理を承知で強行される東京五輪の目的とは? 『世界』2020年2月号 執筆者からのメッセージ
↑東京女学館はじめ、複数の私立学校で入試の国語長文読解に採用されました。これは私の「遺言」です。Amazonで購入で購入は⇒こちら

東京都が発表した経済波及効果32兆円という赤っ恥

東京五輪2020の持つもう一つの意味は「金儲け」だ。
招致した東京都は、2017年3月に「東京2020大会開催に伴う経済波及効果を試算しました 全国で約32兆円」と、とんでもない「試算」を誇らしげに発表した。今もWEB上に残っているのでぜひ見ておこう。
「レガシー効果」として12兆2397億円。そのうち「新規恒久施設・選手村の後利用、大会関連交通インフラ整備、バリアフリー対策、水素社会の実現等」で2兆2572億円。観光需要の拡大、国際ビジネス拠点の形成、中小企業の振興、ITS・ロボット産業の拡大等で9兆1666億円、スポーツ実施者・観戦者の増加、障害者スポーツの振興、ボランティア活動者の増加、文化イベント観客の増加、外国人留学生の増加等で8159億円……だそうだ。
兆という単位をバナナの叩き売りみたいにポンポン口にして、頭大丈夫か? と本気で心配してしまう。
「水素社会の実現」だとさ。
水素をエネルギーにするというシステムは、とてつもない迂回路、貴重な資源の浪費であって、地下資源があるうちはいくらでも使いまくりましょうという大規模詐欺なのだが、これを書いた人たちはそれを理解した上で、こうも厚顔無恥なことを書き散らし、今もWEB上に公開し続けているのだろうか?

金をたくさん使う社会が「豊かで幸せな社会」であると勘違いした人たちに社会システムの構築・運営を任せておくと、現代社会の破滅時期はどんどん早まる

メディアは、もはや東京五輪が日本にとって大変な「お荷物」であることを率直に認め、これ以上の損害・損失を極力出さずに後始末するかという問題にどう取り組むか、という視点をしっかり提示する必要がある。
五輪組織委に残された仕事は、そういう「後始末」である。
森に代わって組織委員会の会長になった橋本聖子はそういう仕事に適している人材なのか?
そもそも、橋本は「五輪担当大臣」だったわけで、それを辞めて組織委会長にならなければならないというのは、五輪担当大臣というのはどういう役割だったのか?
組織委会長は組織委理事の中から選出されることになっている。今回、橋本と入れ替わって五輪担当大臣になった丸川珠代は組織委の理事だった。理事なのだから、丸川が会長になるというならまだ分かる。しかし、丸川は理事ではなく五輪担当大臣になり、理事ではない橋本が五輪担当大臣を辞めて組織委会長になるというのは、理事会には会長を務められる器の人物はいない。しかし、五輪担当大臣なら務まる。つまり、五輪担当大臣はただのお飾りだ、と言っているようなものではないか。

では、今から何ができるのか?

森喜朗は女性蔑視発言がきっかけで東京五輪組織委員会会長を辞任したが、これを性差別問題だけに矮小化して終わらせてしまうのは「もったいない」。

日本の社会に根強くはびこる森喜朗的な空気と価値観。それがいかに大きな国難であるかを見つめずにここまで来てしまった我々は、高い授業料を払って学び取り、やり直すことができるのか? それが問われている。

コロナは本当にいろんなことを考えさせる教師だ。
日本は東京五輪招致という間違いやその後のドロドロした流れをどのように反省し、後始末をしていけるのか。
後の歴史に「あのとき、日本が毅然とした態度で間違いを正す方向に舵を切ったことで、再びオリンピックは理想像を取り戻すことができた」と記されることがいちばんいいのだが、そうはなりそうもない。
せめてこれ以上「被害」を膨らませないようにはしてほしい。



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「森喜朗的なもの」を見つめ直す2021/02/12 22:41

#わきまえない女 というハッシュタグがSNSを賑わせた今回の「森喜朗事件」。その後も「後任の乱」だの「おじいちゃんたちの中二病」だの「男が多い会議が長引いて後任がなかなか決まらない」だのと、大喜利状態になっている。
今回はたまたま女性蔑視発言が引き金になったが、実際はそれも含めた「森喜朗的なもの」すべてにNOをつきつけているのだ。
今まで職場や家庭などで、この手の「分かってない上の連中」に辟易しながらも、諦めたり我慢したりしてきた鬱憤が、ここに来て一気に吹き出した、という図だろう。
しかし、忘れてはいけない。これは町内会や村のお祭りレベルの話ではなく、国の命運がかかっている話だということを。

3万円の観覧料で見せられている無効試合

レッドカードもらった選手が勝手に選手交代を告げた。
⇒その選手が笛が鳴る前にボールを蹴り始めて再び試合中断。
⇒最後は1点も入れられないままオウンゴールだけで大敗かと思いきや、無効試合に。
……そういうしょーもないショーを我々は見せられている。
それもただではない。
東京五輪の総費用は昨年発表されたバージョン5で1兆6440億円だそうだ(もっと膨れあがるだろうが)。
で、日本の総世帯数は約5700万世帯。桁数の大きな計算は苦手なのだけれど、割ると1世帯およそ3万円くらいになる。日本国民は3万円という高い観覧料を払って、とんでもないアホ試合、猿芝居を見せられてるのだ。

先日の「東京五輪中止発表前に振り返る"天罰五輪"の不愉快な備忘録」でも書いたが、そもそも、東日本大震災直後に五輪の再誘致をぶち上げるという天をも恐れぬ狂気が今の国難を招いた。
東日本大震災が起きなくても、21世紀に入ってからのオリンピックは、もはや開催国にとって大きなリスク要因となることは分かりきっていた。それを理解できず、かつてのオリンピックのイメージや、麻痺しまくった金銭感覚で飛びつくという思考回路やセンスしか持ち合わせていない人たちが、国や大企業のトップに座り続け、好き放題やれる社会である、という現実。
それを理解できず、この後に及んで「余人を持って代えがたい」「これまでの功績の大きさを考えると……」などと言っているスポーツ評論家やら政治家やらも、「森喜朗的な国難」をガッチリと固めている。
……そういう大問題なのだ。

粛々と後始末ができる人は……

また、これはもう、辞任して当然だの、後任は誰が適任だのという簡単な問題でもない。
東京五輪ができないことはもはやはっきりしている。少なくとも、今までのような形ではできない。

近藤隆夫氏が山口香JOC理事にインタビューした記事を読んで、山口氏の見識の高さに感心させられた。
今回、『IOCが中止を発表するか、東京が返上するか、それによって違約金の問題が生じるからチキンレースだ』みたいに言われていますよね。でも本当のところは私も知りません。なぜならば、IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか。 それが開示されたならば国民の判断材料になります。コロナ対策費と比べてどうなのか、五輪を開催すべきかやめるべきなのかを、お金=税金の観点からも考えることができます。なのに、この部分が国民に知らされていないのはおかしい。
山口氏のこの発言はとても貴重だ。
つまり、中止するのかどうか、中止する場合はIOCのほうから言い出すのか東京都が返上するのかで日本国民が負担する金額が違うのではないか、という話。
これ以上無駄金を捨てるのはなんとしてでも避けたいという判断から、無観客でもなんでもいいから開催したことにして、NBCの放映権料だけは確保したいというのがIOCと日本政府、東京都の共通目標なのではないか、という推理。
メディアの報道だけ見ていても、こうした視点はなかなか得られない。だからますます国民は疑心暗鬼になる。

要するに、これから組織委員会の会長になる人というのは、中止にしても無観客開催(国内の感染者増の危険性を伴う)にしても、今まで惚け老人たちが散々食い散らかしてきた残飯処理をしなければならない。どうやったところで「よかったね」とは言われない。非難を浴び続けながらも、なんとか損害を少しでも減らせるようにという強い意志と献身的精神を持ち続けて仕事をしていかなければならない。悟りを開いた宗教者か聖人、しかも超人的な突破力を持ったタフな人物でなければ務まらないではないか。そんな人物がいるのか? いたとしても、今からそれを押しつけるのはあまりにも可哀想だ。
森喜朗とIOCバッハ会長の関係を「毒を持って毒を制す」などと評した「スポーツジャーナリスト」がいたが、森が毒の使い方が分からない人物だからここまでひどいことになってしまったわけで、今から毒を持ってバッハとやりあって日本の「損害額」を減らせるとも思えない。
山口氏はこうも述べている。
こんな状況だからこそ、アスリートたちには考えてもらいたいんです。自分にとって五輪とは何なのか、スポーツとは何なのかを。もともとは好きで自分のためにスポーツをやってきたわけですよね。その頂点を目指すのであれば、世界選手権もあります。では、自分にとって五輪とは何なのか。五輪に出られる出られないではなく、もう少し深い部分まで考えて、答えを持ってほしいと思います。

これは、アスリート以外の我々にもいえることだ。
我々庶民は、オリンピックに何を望んでいたのか、何を求めていたのか。それが無理だと分かった今、東京五輪というお荷物(敢えていう)とどう向き合うべきなのか。

1964年の東京五輪でいちばん感動的だったのは閉会式である。
入場行進が始まった途端に、各国の選手が入り乱れ、踊りながら、抱き合いながら、全員が満面の笑顔で国立競技場になだれ込んできた。
これがオリンピックなんだ、と、誰もが感動した。
あの光景がまた見られるなら、冥土の土産にもなる。私の年代の人間の多くはそう思ったのではないだろうか。
しかし、その国立競技場は取り壊され、あの聖火台も消えてしまった。
代わりに作られた競技場の客席は、人がまばらでも気にならないようにと、椅子がわざとランダムに色づけされている。なんという皮肉!

日本の社会に根強くはびこる森喜朗的な空気と価値観。それがいかに大きな国難であるかを見つめずにここまで来てしまった我々は、3万円の授業料を払って学び取り、やり直すことができるのか? それが問われている。

東京五輪2020とはなんだったのか。
日本は、どこでどう間違えたのか。
その重い問いを最後に突きつけたことが、森喜朗が果たした仕事だったのだろうか。
でも、そういう役割なら、別にあの人じゃなくても「余人」はたくさんいるけれどね。


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今冬のインフル死者数、コロナ死者数の意味を考える2021/01/22 15:08

国立感染症研究所発表のデータより

今冬は、驚異的にインフルエンザ感染者が少ないという(国立感染症研究所発表のデータより)。
厚労省によれば、1月4日~10日における全国の定点医療機関からのインフルエンザ発生報告数は73人。去年の同時期は90,811人だったので、1000分の1以下ということになる。
これはほぼ間違いなく、今年はCOVID-19のせいで人々の交流が減り、手洗いやマスク着用を徹底しているからだろう。
SARS-CoV-2の感染力(人の体内に入り込む「能力」)は従来型インフルエンザウイルスよりはるかに強い、ということだ。
つまり、いつもの年のようにノホホンと過ごしていたら、コロナ患者の数はとんでもない数になっていた可能性がある。

今冬のインフル死者数、コロナ死者数の意味を考える

さらに考えてみよう。
この1月4日~1月10日の1週間は、SARS-CoV-2のPCR検査陽性者数が爆発的に増えた時期だった。全国累計で42,882人にのぼる(厚労省サイトのデータより計算)。
この間、陽性者で死亡した人の数は389人にのぼる。
この数字は例年のインフルエンザ発生数と死亡数に比較してどうなのだろうか。

厚生労働省が毎年発表している人口動態統計によると、2018年のインフルエンザによる死亡者数は3,325人だが、これはインフルエンザが直接的に死の原因となった人の数だ。
WHOは「インフルエンザにかかったことによって自分が罹患している慢性疾患が悪化して死亡する」ことも含めた死を「超過死亡概念」として提唱しているが、この超過死亡概念も含めると、日本におけるインフルエンザによる死亡者数は、毎年およそ1万人前後ではないかと厚労省は推計している。

1月20日時点で、COVID-19による日本国内での死者数累計(昨年の新型コロナ症例が初めて見使った時点からの累計)は4742人である。
これは、新型コロナウイルス感染によって、それまで抱えていた持病などが悪化したり、老衰の度合が進んで亡くなった人も含まれている(WHOが提唱している「超過死亡者数的な統計」)と考えられる。
とすると、今年はコロナ対策のおかげでインフルエンザによる死者は激減しているはずだから、従来型季節性インフルと新型コロナによる死者数を合わせても、去年よりも「ウイルス感染が直接、間接の原因」の死者数が少ない可能性もありそうな気がする。

誤解してほしくないのだが、私は「COVID-19は怖くない」などと言っているわけではない。逆だ。
これだけウイルス対策をしても、インフルは劇的に減らせてもSARS-CoV-2はしっかり人にうつっていく。
ということは、この冬、人々が今までのような生活スタイルであったら、感染者数も重症化~死者数も、1000倍とは言わないまでも、軽く100倍以上にはなっていたのではないか。
低く見積もっても累計死者数は5万人、多ければ5万~10万人くらいになっていてもおかしくない。つまり、何の対策もしない冬を迎えていたら、従来のインフルエンザによる死者数約1万人より一桁多い数のコロナ死者がそこに加算されていたかもしれない

新型コロナがやっかいなのは、無症状者がウイルスを拡散させるという、従来型インフルエンザウイルスにはない特徴を持っていることだ。
従来のインフルは、感染すると高熱が出て寝込んでしまうため、感染者が市中や職場に出てウイルスをばらまくことは少ない。周囲の人も、あ、この人はインフルにかかっている。うつされないように注意しよう、と意識できる。新型はそれが難しい。
さらには、無症状で済んでしまう人がいっぱいいる一方で、それまで元気だった人がサイトカインストームで急激に病状が悪化して、何も手を施せないまま死んでしまうという事例が一定数出ることも恐ろしい。これは心理的にかなりの恐怖としてまとわりつく。
年齢層によって重症化率が大きく違うというのも、世代間の分断を加速させる要因になるのでいやらしい。

社会構造や生活習慣の変化は避けられない

以上のことは、何も専門的な知識や高度な統計技術を持たなくても容易に理解できる。
この「分かっていること」を踏まえて今後のことを予想してみると、
  • COVID-19は簡単には収束・終息しない(それを見越して計画を立てることが必須)
  • ワクチンに関してはあまりにも未知の部分が多いので、今後の展開が予測できない(過剰な期待や希望的展望は危険)
  • 無症状感染者がウイルスを広げているが、無症状の人を片っ端から検査するのは非現実的だし、合理性も欠く
  • かといって感染防止対策をしなければあっという間に蔓延し、重症者や死者も増える(気は緩められない)
  • すでに医療現場の負荷は限界に達しており、コロナ以外の救急患者や要手術患者への医療が十分にできなくなっている(医療制度の見直しや医療現場の改革が必須。そのためには巨視的視野、合理的思考力、剛胆な実行力を持つリーダーが必要))
  • コロナが直接の死因にならずとも、経済破綻やストレスによる自殺などのコロナ関連死が急増する(正しい情報の共有が重要)
  • 人と人の接触が減ることで、娯楽を含めた文化全体のあり方が変わる(消えていくものを守ろうというだけでなく、新しい価値観や幸福感を捜す発想の転換が必要)
  • 世代間の断絶が進み、年長者が若者に経験を伝授していくことが難しくなる(教育や人との触れ合いの形を考えつつ、世代間ギャップを埋める努力を)
  • 都市の文化が荒廃し、人々の生活は郊外や地方に徐々に移っていく(都市型文化偏重をやめて、既存の住宅や設備の活用を)
  • 経済格差、教育格差が進む(オンライン講座などを活用した教育と人材育成)
  • 少子化はさらに進み、平均寿命も徐々にマイナス方向に転じる(経済規模全体はマイナス成長でも、個人の幸福は膨らむ社会作り)
……ざっと思いつくことだけでもこれだけある。
こういう社会変化はもはや避けられない
それを理解した上で、ではどうやって生き延びていくか、犠牲を減らして、幸福感を維持できるのかという具体的な方法を探り、新しい価値観を構築していかないといけない。
緊急事態宣言を出す出さないだの、飲食店の時短営業要請だのといったことだけ声高に議論していても、今後の道筋は見えてこない。このウイルスが人間社会に与えた影響の大きさや内容をもっと巨視的にとらえて、社会をどう作り直していくか、を考えないといけない。
しかし、今のところ、政治にそうした力がないのは明白だし、メディアにも道を示す力は期待できない。
自力で考え、工夫しながら、自分の周りの小さな地域社会を大切に、優しく、柔軟に育てていくことから始めるしかないのかな、と思う。


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東京五輪中止発表前に振り返る 「天罰五輪」の不愉快な備忘録2021/01/21 21:19

未だに中止決定発表がない東京五輪2020だが、もはや開催不可能なことは明白だ。こうしている間にも毎日無駄金が垂れ流されている。さっさと中止を発表し、国全体でしっかり反省を始めなければいけないのに、これでは敗戦を認められずに国民の被害を悲惨なものにしていった終戦前と同じだ。

なんでこんなことになってしまったのか?
WEB上には、大手メディアから個人ブログまで含めて、怒りともため息ともとれる「反省」的なまとめが散見される。
NHKのは書き方がゆるくて核心部分が伝わってこないし、Wikiは力作だけれど長すぎて読む気がしないという人もいるだろう。
不愉快なことではあるけれど、過去のネットでの記事を中心に、自分向けの備忘録を作っておこうと思う。

そもそもの責任は石原慎太郎にある

忘れている人も多いのではないかと思うが、そもそも東京にオリンピック誘致を決めたのは石原慎太郎都知事時代の2006年のことだ。
  • 2006年3月8日、東京都議会で2016年のオリンピック開催招致を決議。4月1日、都庁内に招致本部を設置。
  • 2007年には石原慎太郎直轄の都知事部局に「生活文化スポーツ局スポーツ振興部」を新設(初代部長:後に東京都スポーツ振興局長で2020招致委員会理事→東京臨海熱供給社長)。2007年9月11日、閣議で2016年夏季オリンピックを東京都に招致することを了承(Wikiより)。9月13日がIOCへの立候補受付締め切だったが、東京の他にシカゴ(アメリカ)、マドリード(スペイン)、プラハ(チェコ)、リオデジャネイロ(ブラジル)、ドーハ(カタール)、バクー(アゼルバイジャン)の計7都市が立候補した。
  • 2008年6月、IOC理事会での審査で、上記立候補7都市のうち、東京、マドリード、シカゴ、リオデジャネイロの4都市が残った。
  • 2009年10月、IOC総会で投票が行われ、1回目の投票で東京はマドリード(28票)、リオデジャネイロ(26票)、に次ぐ22票で3位。シカゴが落選。続く第2回投票で東京は最下位となり落選。3回目の決選投票でリオに決定した。


2009年12月4日、時事通信の記事より

このときの招致用パンフレットのPDFは、今もJOCのサイトに残っている

ここでやめておけば傷はまだ浅くて済んだのに、石原はすぐに次の2020年開催地への再立候補への執念を見せた。

2011年3月、東日本大震災が発生し、福島第一原発が爆発。全世界に放射能をばらまくという歴史的大事件が起きた。
その最中の3月14日、石原は蓮舫節電啓発担当相(当時)と会談した後に、報道陣に「この津波をうまく利用して(日本人の)我欲を1回洗い落とす必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」などと語った。その直後の会見で記者団から「不謹慎ではないか」と指摘されても、「日本に対する天罰ですよ」「いやそれはやっぱり、これをどう受け止めるかという受け止め方の問題だ」と開き直り、発言の撤回を拒否した。
都庁に非難の電話などが殺到し、翌日には「言葉が足らずに被災者の皆様、国民、都民を深く傷つけたことをおわびし、発言を撤回する」と述べたが、この「天罰発言」はしばらくは人々の頭に残った。
石原都知事、「天罰」発言を撤回し謝罪
東京都の石原慎太郎知事は15日に記者会見し、東日本巨大地震に関して「津波をうまく利用して(日本人の)我欲を一回洗い落とす必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」と述べた14日の発言について、「言葉が足らずに被災者の皆様、国民、都民を深く傷つけたことをおわびし、発言を撤回する」と述べた。「かつてない困難にある被災者の失意、無念は拝察するにあまりある」とも語った。(日本経済新聞 2011年3月15日

この有名な「石原天罰発言」を正確に再録すると、
「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。(「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事 朝日新聞 2011年3月14日)
……ということらしい。
この発言が、被災した人たちへの配慮が足りなすぎるのはあたりまえだが、「天罰」という言葉を、石油文明にどっぷり浸かって、欲望を満たすだけの生き方を変えようとしなかった現代人への警鐘である、という意味で使ったのであれば、確かに「どう受け止めるか」という問題だとは思う。
しかし、あれだけのことがあっても反省しないどころか、ますます謙虚さを失い、増長し、狂った方向に「我欲に縛られてポピュリズムでやっている政治」を暴走させたのは他ならぬ石原自身だった。
そして、「天罰」という言葉だけを捉えて騒いだ後は、石原の傲慢政治を許してしまったメディアや市民もまた、反省すべき点は多いはずだ。

さらに大きな災厄・森喜朗

森喜朗×田原総一朗「石原慎太郎が揺れた都知事選と東京五輪招致の裏側」という現代ビジネスの記事に、五輪招致ドラマのことが非常に興味深く出ている。
森によれば、2016年五輪の招致に負けたとき、石原慎太郎都知事は帰りの飛行機のベッドの中で泣いていたという。
:翌日、話をしたら「オレ、選挙に負けたことがないんだよ。こんな悔しいことはない。オリンピックはもう止めた」と言うわけね。「JOC(日本オリンピック委員会)副会長の水野(正人)がIOC委員と『ハグ(抱擁)をしろ』とか『もっと心を込めて握手しろ』とか言いやがって冗談じゃない。なんでオレが好きでもない男とハグしなきゃいけないんだ」と言って(笑)、非常に機嫌が悪かったんです。(現代ビジネスの記事 2013.12.31より)

さらには、
  • 2011年のJOC創立百周年パーティで、石原が森のところへ行き「JOC副会長の水野(正人)は生意気で不愉快だから辞めさせろ。あいつを辞めさせないとオリンピック招致をやらないよ」と言った。
  • それで森は、「JOCは純粋なアマチュアスポーツ団体なのに、スポーツ用品メーカー(ミズノ)のトップが副会長や専務理事をやっているのはおかしい」と言ってみたが、竹田恒和JOC会長が水野氏を庇うので、竹田に石原と話し合うように伝えた。ところが、今度は竹田会長が石原都知事に怒鳴られて「オマエも辞めろ。でなきゃ、オレは(オリンピック招致を)やらねえよ」と言われた。さらには森にも石原から「水野も竹田も辞めさせろ」という電話があった。
  • そのゴタゴタに、元西武グループ総帥の堤義明氏が仲介役として入って、石原はなんとか東京五輪招致運動を続けることになったが、2011年2月になって、次の都知事選には出ないと言いだした。
  • 森は慌てて、当時自民党幹事長だった石原の長男・石原伸晃の顔が潰れるからなんとか出てくれと懇願。「石原さん、あなたも人の親だろう。あなたが出馬しないと伸晃はどういう立場になると思う。自民党の幹事長が東京都知事選の候補者を擁立できず、その相手が自分の父親だということになったら、これは大変な問題ですよ。息子の将来を考えるなら、もう一度、考え直してほしい」……そう言って出馬を口説いた。
石原さんが「わかった。やりゃ、いいんだろう。その代わり、伸晃のことを頼む」と言うので「わかりました」と答えたんです。二〇一二年の自民党総裁選挙で、わが派(清和会)から会長の町村信孝だけでなく安倍晋三まで出馬したにもかかわらず、「オレはどちらも応援しない」と言って伸晃を支持したのは、そういう理由があったからなんです。(現代ビジネス 森喜朗×田原総一朗「石原慎太郎が揺れた都知事選と東京五輪招致の裏側」 2013.12.31より)


まさにこの直後に東日本大震災~原発爆発~全世界に放射能をばらまく……という事態が起きたのだ。
石原がその渦中で「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある」と口にしたのは、自分を取り巻く政治状況をさしていたのではないかとさえ思う。

石原は結局、森らに押しきられる形で都知事選に再出馬し、東京五輪招致を公約の1つに掲げた。4月10日の都知事選で当選。当選直後には五輪招致を口にしている
朝日新聞 2011年4月10日


2011年6月17日、東京都議会の所信表明でも、石原都知事は2020年夏季オリンピックの招致を目指す意向を表明した。
自分が「天罰」と言った災害の問題を無視して、我欲の塊のような政治家たちと談合し、息子可愛さもあって五輪招致を決める──これこそ天に唾を吐く所業ではないのか。

「呪い」ではなく「天罰」

こんな経緯で始まった東京五輪2020が開催不能となったのは、石原流に言えばまさに「天罰」なのではなかろうか。
新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延で開催が危ぶまれていた2020年3月、麻生副総理(当時)が「呪われたオリンピックってね。マスコミの好きそうな言葉でしょう、これ」と発言したことをとらえて、一部のメディアは石原の「天罰」発言のとき同様に「無神経だ」と非難したが、麻生は単に「40年周期でそういうことが起こってきた」という歴史を語ったに過ぎない。これは「呪われた」ではなく、やはり「天罰」なのだ。
IOCのオリンピック憲章は、オリンピックの理念は「スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するもの」と定め、その目的を「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること」だと表明している。
東京五輪は、誘致から今まで、こうした理念とはまったくかけ離れたものに埋め尽くされてきた。これこそスポーツや競技者への冒瀆だ。

忘れてしまわないように、報道記事ダイジェストでざっと振り返ってみる。
2012年7月 石原都政を引き継いだ猪瀬知事はツイッターで「世界一カネのかからない五輪」だと明言。


2014年、新国立競技場建てかえ問題が紛糾。2015年にはザハ案が白紙撤回。(記事画像はFACTA ONLINE 2014年9月号より)


2015年、五輪ロゴマーク盗作疑惑問題で一度決まったロゴを白紙撤回。



ザハ案から隈研吾設計に変更になった後も、聖火台はどこについている? とか、サブトラックがなければ陸上競技場として使えないのでは? といった問題が噴出。五輪後の維持費問題も浮上して暗雲漂うばかり。(記事画像はダイヤモンドオンライン「新国立競技場やっぱり無駄だらけ、五輪後の採算に赤信号」 2017年11月28日より)



↑そもそも開催地決定の経緯に賄賂や不正工作疑惑が持ち上がり、フランスで訴訟も起こされる。(記事画像はREUTERSより



↑挙げ句の果てに……。(記事画像は時事ドットコムより

これだけのデタラメや不正を重ねてきたのだから、「呪い」などではなく、石原慎太郎の言葉を借りれば「まさに天罰」というべきだろう。

この五輪招致がなければ、国も東京都も、今これだけ緊急支出が必要なときに、もっと余裕を持ってコロナ対策などに向き合えた。
海外からの渡航者チェックによるウイルス水際防止作戦があそこまでガバガバゆるゆるになることもなかったかもしれない。

謙虚さを失い、利権政治の沼にどっぷり浸かったままここまで来てしまった日本。

なぜこんなことをいつまでも続けているのか。
この不愉快な備忘録を見ながら、メディアや政治家だけでなく、我々一般市民も大いに反省する必要がある。


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ズブズブと森のおともだち2020/11/27 13:45

NHK総合で年に1度やる「コントの日」。過去2回はいまひとつスッキリしない感じが残って、まあ、NHKだからなあ……と受け流していたのだが、今年は面白かった。
すでにネットでも⇒こんな記事が出ていたりして、そこそこ話題になっているようだ。
概要は⇒ここにもまとまっているので、見逃した人はNHKの見逃し配信(あれって有料なんだっけ?)で見てみよう。
文春のサイトに、劇団ひとりと東京03のインタビュー記事も出ている。
テレビ雑誌のミニコラムでこれを取り上げようと思い、録画を復習見した。裏話とか読んでから見ると、2度楽しめる。

冒頭の「袋、いりません」は、アベノマスクやらレジ袋有料化で世の中に不必要な混乱と迷惑をもたらしたバカ政治への風刺が効いているし(しかも、あのコントなら文句も言えない)、「ステイホームで覚えたラーメン」は、本当の自分と向き合うことの難しさ、そして勇気という哲学的な?テーマを扱っていながら、東京03角田の怪演で、誰もそんなことを考えないまま笑っていられる。さすがは1年に1度の練り上げられたコントだわ。

そしてなんといっても、今回は「ズブズブと森のおともだち」の直球ぶりがすごかった。
ざっと内容をまとめると……

「ズブズブ」(劇団ひとり)はズルくて、闇の人脈を駆使して甘い汁を吸うのに長けた森のふくろう。ロボットの「マジメカ」(ロッチ・中岡)が買ってきたケーキを一人でこっそり食べてしまう。
そこに紅茶を持って「みんなでお茶にしましょう」とやってきた美少女・アリス(新川優愛)に、マジメカが「ズブズブさんが一人で僕のケーキを食べてしまった」と訴える。
アリスはズブズブを「人のものを勝手に食べたら、それはドロボーになるの」と戒める。
⇒「ひとのもの」(税金)、「勝手に食べる」(横領)

しかしズブズブは、歌手志望のアリスに「今度の森の歌手オーディションの審査員長は村長で俺の友達だ。今夜会うから、きみのこと話しておくよ。共存共栄。もちつもたれつでやっていこうじゃありませんか」と持ちかけると、アリスはそれに乗って、マジメカを「証拠はあるの? そもそもケーキなんてあったのかしら」と、逆に責める。
驚いたマジメカが「この森に正義はないのですか?」と訴えると、アリスは「真面目か!」と切り返す。
「あんたみたいなタイプ見てると、イライラするのよね」
(⇒真面目な人が上の地位に就いてきっちり指示されるより、悪代官やバカ殿に支配されているほうが気が楽だという、現政権支持層の声を代弁)

そしてナレーション:
「何はともあれ一件落着。みんなおともだちを大切にしようね。そうすればいけないことをしても、もみ消してくれるから

このへんで「森のおともだち」⇒森友 ってことに気づく人がどれくらいいたか……。
第2話はさらにすごい。
森の運動会で「かけっこ」で競うことになったズブズブとマジメカ。ズブズブは鳥なので走るのは苦手。そこで審判員のアリスに「鳥は走るのが苦手なんだよね。1位の賞品のいちごは大好物なんだけどなあ……」と耳打ちする。
アリスは、ズブズブの口利きで森の音楽会に出られたお礼として、ズブズブのスタート地点をゴールテープの直前にするというとんでもない贔屓をする。「私はただ、いちごが好きって言っただけですよ」とにんまりするズブズブ(⇒直接指示はしない。相手に忖度させるという暗喩
それでもほとんど歩けずにマジメカに負けてしまうズブズブ。
すると今度は村長がこっそり、1位と2位の賞品を入れ替えてしまう。1位がドングリのキーホルダー。2位は山盛りのいちごに。「ズブズブさんのおかげで例の誘致の件もうまくいきそうですしねえ」と村長(東京03豊本)。
憤慨するマジメカに、マジメカを作った博士(ロッチこかど)がやってきてこう言う。「だから俺はおまえを作ったんだ。この森の深い闇と戦うために。でも、正面からまともに行っても無理なんだ」(⇒野党の非力さを嘆く人々の声を代弁

このへんで、徒競走とかじゃなくて「かけ」っこと言っていることに気づく人はほとんどいなかっただろうなあ。
最後は劇団ひとり作詞、竹内まりや作曲のテーマソングをみんなで歌う。

♪友達大好き。僕はズブズブ。芸能プロの社長さん、闇カジノのオーナーさん、演歌歌手のタニマチさん、家族ぐるみさ。みんな大好き。ズブズブになれば笑顔になれるから。甘い蜜舐めようよ。盃交わそうよ。骨までズブズブ♪

そこに桜の花びらが舞い落ちるという、ど直球なエンディング。

江戸末期、お上の華美禁止令に負けず、「じゃあ、色をつけなければいいんだろ」と、白木彫刻を極めていくという楽しみ方を追求した彫刻屋台の彫刻師たちや、その屋台を繰り出して祭りを続けた町民の精神で、このトンデモな時代をのりきりたい。

テレビ番組制作者たちよ、庶民を軽く見てコントロールしようとする番組作りではなく、庶民と共に文化を作り上げるのが君たちの仕事だ。
いつかまたルネッサンスはくる。そう信じて、こういう番組作りをじっくりつづけるのじゃよ。

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『彫刻屋台図鑑01 鹿沼の彫刻屋台』

ユネスコ無形文化遺産登録で注目が集まる鹿沼の彫刻屋台。全27屋台を128ページフルカラーで「アート」として見つめ直す写真集。
B6判・128ページ フルカラー オンデマンド 無線綴じ  1680円(税別) 送料:220円
■ご案内ページは⇒こちら 

『彫刻屋台図鑑02 宇都宮・今市の彫刻屋台と天棚』 

写真・文:たくき よしみつ 写真:鐸木郁子  地元の人でも滅多に見ることがないという石那田、徳次郎の屋台(計12台)の他、今市の6台、その他、東下ヶ橋の天棚など、合計23台をフルカラー写真で収録。収録写真画像500枚超。類書がない貴重な資料。
B6判・132ページ フルカラー オンデマンド 1680円(税別) 送料220円
ご案内ページは⇒こちら


明治神宮の杜から考える菅総理の「教養」問題2020/10/13 14:40

明治神宮内陣に置かれていた獅子・狛犬(「明治神宮御写真帖」より)
フェイスブックの「狛犬さがし隊」での書き込みがきっかけで「明治神宮の内陣にある狛犬」について調べてみた。
その内容は⇒こちらの日記に詳しく書いたが、ごく短くまとめると、
  • 大正9(1920)年に創建されたとき、内陣には彫刻家・米原雲海に依頼して彫らせた木彫狛犬が置かれた。
  • その狛犬は国の重文指定されている大宝(だいほう)神社(滋賀県)の木彫狛犬のコピーであり、同様のものは日光東照宮陽明門にもある。これは全国の護国神社などでよく見られる「岡崎古代型」狛犬の手本にもなった人気のある狛犬である。
  • その写真は明治神宮創建時に発行された「明治神宮御写真帖」(帝国軍人教育会編纂)に掲載されていて、写真キャプションには「内陣御装飾の獅子狛犬」とある。
  • 同書付属の解説には「神社用の装飾は、国民崇敬の中心率とならねばならぬから、故実に準拠することは、我が国体の上から見ても争われぬ事項に属する。」とある。
  • つまり、大宝神社の木彫狛犬は「国民崇敬の中心率となるべき故実」であると認定されていたらしい。
  • 明治神宮は昭和20(1945)年4月のアメリカ軍による空襲で1300発以上の焼夷弾を落とされてほとんどの建造物が焼け落ちている。おそらく当初の「内陣の狛犬」もそのとき消失しているはずで、現在も内陣に狛犬が置かれているとすれば、戦後の昭和30年代以降に作られたものであろう。
……といったことだ。

閑話休題。

で、これを調べている際、1300発以上の焼夷弾を受けて建造物がほぼすべて消失したにも関わらず、神宮の杜は燃えずに残り、今も立派な「ほぼ天然林」の様相を呈している理由について、改めて考えさせられた。

「杉林にしろ」と命じた大隈重信首相

Googleで「明治神宮 空襲 大隈重信」などで検索するといくつもの記事、資料が出てくる。
まずは明治神宮のサイトにこういう記述がある。
造営にあたり、本多静六、本郷高徳、上原敬二ら林学の専門家たちは、何を植えたら「永遠の杜」になるかを考え、将来的に椎・樫・楠などの照葉樹を主な構成木となるように植えることを決定したのです。
理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていったのでした。そこで百年先を見越して明治神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。
ところが内閣総理大臣であった大隈重信首相は「神宮の森を薮にするのか、薮はよろしくない、杉林にするべきだ」として伊勢の神宮や日光東照宮の杉並木のような雄大で荘厳なものを望んでいました。
林苑関係者は断固として大隈重信の意見に反対し、谷間の水気が多いところでこそ杉は育つが、この代々木の地では不向き、杉が都会に適さないことを林学の見地から説明してようやく納得させたそうです。
明治神宮WEBサイト「杜・みどころ」より)


ナショナルジオグラフィックの特集記事「鎮守の杜に響く永遠の祈り 日本人が作った自然の森──明治神宮」にも、こんな記述がある。

1915(大正4)年4月、日比谷公園の設計などで知られる林学博士の本多静六、やはり日比谷公園の設計に携わった造園家の本郷高徳、日本の造園学の祖とされる上原敬二といったそうそうたる顔ぶれを集め、実行機関である「明治神宮造営局」が発足。森の造成計画が本格的に始まった。
(略)
古代の神社には社殿のような建物はなく、動物や植物を神霊としたり、森そのものを神社と考えていた。
 「神社の森は永遠に続くものでなければならない。それには自然林に近い状態をつくり上げることだ」――これが基本計画の骨子となった。
 計画の中心を担った本多、本郷、上原の3人が主木として選んだのは、カシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹だった。もともとこの地方に存在していたのが常緑広葉樹であり、各種の広葉樹木の混合林を再現することができれば、人手を加えなくても天然更新する「永遠の森」をつくることができると考えたからだ。
 ところが、この構想に当時の内閣総理大臣・大隈重信が異を唱えた。
(略)
「明治神宮の森も、伊勢神宮や日光東照宮のような荘厳な杉林にすべきである。明治天皇を祀る社を雑木の(やぶ)にするつもりか――」

これに対して本多博士らは、「東京の杉と日光の杉について樹幹解析を行い、日光に比べていかに東京の杉の生育が悪いかを科学的に説明することで、ようやく大隈首相を納得させた」という。

このときに大隈首相の主張に従って杉を植えていたら、東京大空襲にも耐えられなかったし、今、あれだけ立派な森にはなっていなかった。

大隈重信といえば、かつて朝日新聞AICでの連載拙コラム『デジタルストレス王』や、拙著『日本のルールは間違いだらけ』(講談社現代新書)にも書いたが、日本の鉄道の多くが世界標準の1435mmよりずっと狭い1067mmという「狭軌(きょうき)」規格のままここまできてしまったことにも少なからず責任がある。
明治政府で鉄道導入を進めていたのは大隈重信らだったが、知識も経験もないため、技術も資材も全部イギリスに頼っていた。
イギリスで標準軌が定められたのは1846年(弘化3年=江戸時代!)だから、明治になって鉄道を導入する日本でも当然この標準軌を導入すればよかったのだが、「元来が貧乏な国であるから軌幅は狭い方が宜からう」と、当時、イギリスの植民地で多く採用されていた1067mmという規格が採用されてしまった。
デジタルストレス王 2005年5月「福知山線事故は明治政府の責任?より)

もし、本多静六らが必死で大隈重信を説得して杉林計画を断念させなかったら、今のような明治神宮の杜はなかったのだ。

さて、現在の日本に、政府のトップの意向に敢然と異を唱え、正しい施策に導こうと奮闘する学者や官僚がどれだけいるだろうか
知らないうちにアベノマスクだのGOTOキャンペーンだのといったとんでもない愚策が首相官邸や一部の利権政治家の意向だけで決まってしまい、官僚も、それがどれだけ馬鹿げた、マイナス要因だらけの施策であるか分かりながら、ひたすら追従する。それどころか、政権中枢に都合の悪い証拠や文書を隠蔽・改竄することもいとわない。
今の政治や行政の劣悪ぶりは、昭和どころか、明治、大正時代以下なのではないか。
その状況をしっかり伝えないどころか、一緒になってオバカ広報に堕してしまっているメディアの責任はさらに重い。

日本学術会議の会員任命に際して6人を外した菅義偉総理大臣に対して、静岡県の川勝平太知事が「菅義偉首相の教養レベルが図らずも露見した」「本当に残念。文部科学相はこういうことに一家言を持ってないと大臣の資格はない」「(菅氏は)学問をされた人ではなく、単位を取るために大学を出られたんではないかと思う」などと述べたことに批判が集まったなどというニュースを読んだが、川勝知事が言うように、これらの発言を「訂正する必要はない」。
100年後の世界に思いをはせない知性は、本当の教養とはいえない。


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ワクチン開発より既存薬の活用を2020/10/05 15:04

身体に悪いので、このところ政治関連やCOVID-19関連のことは書かないようにしていたのだが、久々に現在の世界におけるCOVID-19死者数状況を確認してみた。

ファクターXはやはりあるだろう

新型コロナで一体何人が死んだのか?
全世界の人口100万人あたり133人死亡している。これは累積の死者数。つまり、このウイルスが確認されてから現在までに、1万人に1人ちょっとがCOVID-19で死んだということになる。

やはり国・地域による偏在ぶりが目立ち、欧米に比べて東アジア諸国は極端に死亡率が低い。
世界平均より死亡率の高い国をざっと拾ってみた(worldometers.info による)。
統計に表れる死者数は、PCR検査数の多寡にも関係すると思われるので、念のため、人口100万人あたりの検査数も併記した(100以下は四捨五入)。

100万人あたり死者数100万人あたり検査数
ペルー98711万9000
ベルギー866 29万
ブラジル686 8万4000
スペイン686 27万2000
チリ 674 17万9000
米国 646 33万3400
英国 623 36万8500
メキシコ610 1万5500
イタリア595 19万3400
スウェーデン583 16万4200
フランス493 17万1100
オランダ376 14万2900
カナダ 250 20万

やはり、死亡率が高い国は欧米に集中している。
日本は100万人あたり13人が死んでいる。
100万人あたり13人という数字は、アメリカの約50分の1である。

日本のように、100万人あたりの死亡者数が2桁以下の主な国を見ていくと、
100万人あたり死者数100万人あたり検査数
インド 74 5万7100
フィンランド 62 19万5000
フィリピン 53 3万4900
ノルウェー 51 19万8000
インドネシア 41 1万2700
オーストラリア 35 30万3900
セネガル 19 1万0700
香港 14 44万1000
日本 13 1万7000
ケニア 13 1万0300
エチオピア 10 1万1200
韓国 8 4万5800
シンガポール 5 49万2200
ニュージーランド5 19万6000
中国 3 11万1200
タイ 0.8 1万0700
スリランカ 0.6 1万3500
ベトナム 0.4 1万0300
台湾 0.3 4000
モンゴル 0 2万2200
カンボジア 0 8500
ラオス 0 7400

……となっていて、やはり東アジアは極端に低い。
モンゴルは世界の平均より結核患者の数が多いそうだが、COVID-19で死んだ人は今のところ見つかっていないらしい。検査していないのではないかといわれそうだが、100万人あたり2万2000の検査数は日本の同・1万7000よりも多い。

オセアニアやアフリカも概ね低い。
アフリカ諸国のデータはどこまで信用できるのか分からない、と、多くの人は感じているだろう。検査数が少なければ、隠れコロナ死も多いはずだ……と。
でも、セネガル、ケニア、エチオピアの検査数は100万人あたり1万を超えているので、日本とあまり変わらないように見える。見落としがいっぱいある(隠れコロナ死が多い)としても、欧米に比べると少ないのは確かなのではないか。

つまり、COVID-19で死ぬ確率は、やはり遺伝子的な要因が大きく関係していると思わざるをえない

岩田健太郎教授は、日本でも高齢者の死亡率はイタリアとそれほど変わらないのだから、いわゆる「ファクターX」は存在しないのではないか、という主張をしていた
確かに、イタリアで一時期死亡者が続出したのは、高齢者施設などで集団感染が広まったことが大きく関係しているようだ。
それは確かだろうが、それだけでこんな差が出るとはどうしても思えない。

高齢者対応と既存の薬の活用が重要

ただ、ここでひとつ疑問に思うのは、高齢者施設で肺炎などで亡くなった入居者をPCR検査してみたらSARS-CoV-2が陽性だったという場合、死因は「新型コロナ感染症」とされてしまうのではないか、ということだ。
もともと身体のあちこちの機能が弱っていた終末期にある高齢者が亡くなった場合、直接の死因はコロナといえるのだろうか。
コロナが最後の駄目押し的要素になったとしても、もともと弱っていた内臓の機能や呼吸器系の障害がいちばんの要因であり、本来なら死亡診断書に「老衰」と書かれてもおかしくないような人でも、検査をしたらコロナ陽性だったから「死因は新型コロナウイルス感染症」とされている場合もあるのではないか。

いずれにしても、高齢者や病人が感染した場合は致死率が一気に上がるのは分かっているのだから、高齢者施設や病院での感染予防対策を徹底させることが第一だろう。
高齢者施設でアルコール消毒液などが足りないといっていたときに、全世帯にアベノマスクを配るだのというバカ施策をしていた官邸グループは恐ろしい。

さらには、若い人でも重篤化しやすい(サイトカインストームを起こしやすい)遺伝形質を持った人が、数は少ないとはいえ、確実に存在しているのだから、そういう重篤化しそうなケースをいち早く見抜いて、手遅れにならないうちに対応することが必要だ。
その有効策はワクチン開発ではない。既存の薬が有効だと分かってきたのだから、その治験を増やして、即応できるようなシステム作りを急がなければならない。
東京都救命救急センターでもある日赤医療センターでは、重篤化したCOVID-19患者が運び込まれる例が多いが、レムデシビル、デキサメタゾン、トシリズマブの3剤併用療法(RDT療法)を導入したところ、致死率が下がったと報告している。
トシリズマブは未承認なので、現在は臨床研究倫理委員会の承認および患者の同意を得て投与しているという。

メディアは、「早くワクチンが開発されるといいですね」などという言葉を決まり文句のように使っているが、分かっていないことが多い中で、副作用の危険性や有効度合が分からないワクチン開発よりも、既存薬による有効治療を確立するほうがはるかに重要だろう。

ワクチン開発競争には、製薬会社の利益や国家間の戦略が絡んだ不透明で怪しげな情報、金のやりとりも感じられる。そうしたものに巨額の税金が流れるよりも、地に足のついた実践的、効率的、合理的、公正公平な医療戦略に徹してほしい。
それをしっかりやった上で、大学の対面授業などはすぐに再開するべきだし、GoToだのなんだのに税金を使うよりも、「普通の生活」を再構築した上で、高齢者や、重篤化しそうな患者への医療対応に金とマンパワーと知恵をつぎ込むべきだ。
思うに、これは日本だけではないが、政府は現場の医療者より、感染症専門研究者の意見を重視しすぎたのではないか。
分からないこともまだたくさんあるが、分かってきたこともいろいろあるのだから、分かってきたことを判断材料として、冷徹な施策を進めてほしい。

ちなみに、今年、日本でCOVID-19陽性で死んだ人は1,597人(10月5日時点)だそうだが、今年に入ってからの自殺者は8月までで1万3109人である。
8月だけで1854人で、昨年8月に比べて251人増えたという。
特に若い女性が増えており、30代以下の女性の8月の自殺者数は前年に比べ74%増えている
コロナのせいで、この先も、自殺者増加の傾向は続くだろう。
誤解を恐れずにいえば、
日本では、COVID-19で死ぬ高齢者よりも、自殺する若者の数のほうがはるかに多いのである。
これから生きていく人たちに幸福を与えられる社会をどう作っていくかを、政治家や官僚には、真剣に考えてほしい。

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新型コロナとエイズ2020/08/27 14:54

エイズを題材にした小説
「感染」を巡って、恐怖や疑念が世の中に渦巻き、メディアが騒ぎ、不当な差別・偏見が広がる……かつてこれに似たことがあった。
今から30年近く前、1990年代初めの、エイズをめぐる報道や社会の風潮がそれだ。
30年も前のことだから、若い人は知らないだろうし、30代くらいの人も記憶にはないだろう。
私は強烈に覚えている。
というのも、「エイズをテーマにした映画を作るから原作を書いてみないか」と持ちかけられ、実際に書き上げたからだ。
主人公が若い男女で、エイズの絡んだ話であればなんでもいい。映画はその「原作」とは関係なく脚本家を立てて進めるので、「原作」ということにさえしてくれればOKである……という、ひどい依頼内容だった。
出版社の担当編集者の知人が持ち込んできた話だった。
日本を代表する映画会社の社長が代替わりして、その若社長が社長就任と同時に「エイズ映画を作る」とぶち上げたという。映画はもう制作着手しているが、売り出すために「原作」となる文芸作があったほうがいいから、何かないか……という。
「どうする? 話の筋はなんでもいい、って、ひどいよね。でも、あなたを売り出すきっかけにはなるかもしれない」
「受けたほうがいいでしょうか?」
「そうね。話題になれば、本を買って読んでみようという人も出るし、読めば、作品のクオリティは映画とは別にちゃんと評価されるでしょうから」
編集者にそう言われ、私も同意し、書き上げた。
当時、精神的に不安定な時期で、自分の人生、命というものを見つめ直す作業として取りかかった。
書き上げた小説は純文学路線で評価が高かったが、映画の「原作」にはならなかった。当時、テレビに多く露出していた女性「ノンフィクション作家」のルポ本を「原作」とすることにした、とのことだった。
そのルポはアメリカでのエイズ患者との交流を書いたノンフィクションだから、完全なフィクションの恋愛ドラマである映画とはなんの関係もない。それでも「原作」と銘打てるのかと呆れ、驚いたが、内心、自分の作品が「原作」として使われないことになってホッとしたものだ。

話が少しずれたが、今のコロナ騒ぎを見ていると、あのときの空気感に似ているなと思うのだ。

もちろん、HIVと新型コロナウイルスでは、感染の仕方も違うし、エイズは日本の社会をひっくり返すほどの現象は生まなかった。
しかし、連日のようにメディアが騒ぎ立て、人々がエイズという得体の知れない感染症に対して恐怖を植えつけられ、多くの人がエイズ感染者に対して偏見と差別の眼を向け、排除するような行動をとったという点で、今の社会と共通するものがある。

そこで、改めてエイズ騒動がその後どうなったのか、確認しつつ、今の新型コロナウイルスの状況と比較してみた。

HIV保有者数
  • 世界:3800万人(2020年現在の推定。UNAIDSによる)
  • 日本:2万836人(2018年末。エイズ動向調査委員会)

SARS-CoV-2陽性反応者数
……このデータを見ると、現時点で、全世界では、SARS-CoV-2陽性反応者(PCR検査陽性者)の数よりHIV保有者のほうが1.6倍くらい多いらしい。
では、それぞれのウイルスが原因で死んだ人の数はどうか。

HIV関連疾患による死者数
  • 世界:2019年1年で69万人(50万~97万人)が死亡。HIV感染が始まってからの累計では3270万人(2480万~4220万人)が死亡。(UNAIDSによる)
  • 日本:現在は治療薬が普及して年間死者が2桁を超えることはない(2018年は18名。APIネット調べ)。HIV感染者の平均余命も健康人とほぼ変わらない。

COVID-19による死者数
  • 世界:累計で約82万人(8月26日時点 ジョンズ・ホプキンス大学による)
  • 日本:累計で1218人(8月26日時点 同上)
エイズ感染者と関連死の数は、現在ではアフリカが圧倒的に多い。これは貧困層に治療薬が行き渡っていないことも大きな要因だろう。
しかし、当初は欧米での死者も多かった。

日本における死亡者は,1995年に男子52名,女子4名であり,以後,男子50名前後,女子数名の状況は変化せず,2006年には男子55名,女子5名となっている.
アメリカの状況は日本とは大きく異なる.1987年の男子12,088名,女子1,380名からはじまり,急速に死亡者が増加し,1995年には男子35,950名,女子7,165名とピークを示した.その後急激に減少し,2005年には,男子9,189名,女子3,354名となっている.
1995年以降の死亡者の急激な減少は,HAART療法の効果によるものと推定される.
一方,ポルトガル,ウクライナ,ロシアなどでは,この死亡者の急激な減少はみられず,特に南アフリカでは死亡者が1990年以降急激に増加し,減少傾向はまったく見られない.HAART療法等により,未だHIV/AIDSによる死亡者の減少が見られない諸国において,死亡者が減少することを期待したい.
東京都健康安全研究センター年報,60巻,283-289  2009年

↑この報告は2009年のものでかなり古い。
その後は少しずつ死者数が減っているが、
2017年末現在、HIVとともに生きている人は世界で3,690万人となっています。また、2017年に新たにHIVに 感染した人は180万人、エイズ関連疾患によって亡くなった人は94万人となっています(国連エイズ合同計画(UNAIDS)より)。
日本では、近年1,500人前後が新たにHIVに感染・エイズを発症していると報告されています。また、HIVに感染していたことを知らずに、エイズを発症して初めて気づいたというケースが、新規HIV感染者・エイズ患者数の約3割を占めています。
日本政府広報オンライン

……だそうで、現在は年間69万人(推定)だが、2000年代前半には世界で年間約200万人が、数年前までは年間100万人前後の人がエイズ関連で死んでいたのだ。

しかし、日本で暮らしていると、エイズで年間100万人死んでいるという話を聞くことはほぼない。エイズのことなど長い間忘れていたという人がほとんどではないだろうか。

日本国内では男子数十名、女子数名のレベルの死者だった1990年代、同じ時期、アメリカでは男子数万、女子数千名レベルでエイズで死んでいたというのも、今のCOVID-19による死亡状況に通じるものがある。2桁どころか3桁多い。

新型コロナもエイズ同様に忘れられていく?

新型コロナウイルスが、 前回の「まとめ」にあるようなものであるとすれば、今後、時間はかかるだろうが、エイズ騒動と同じように推移していくのだろうか。
つまり、

  • 世界は新型コロナウイルスと共存していく。人々はこのウイルスが存在していることを徐々に忘れて、普通に生活するようになる。
  • 日本では発病者や重症化する人の数が少ないので、メディアも徐々にこの話題に飽きて、もっと刺激的な話題へとシフトしていく。
  • しかし、世界レベルでは医療が十分受けられない国、人種、貧困層などで、毎年相当数の人がCOVID-19で死んでいく。
  • 死者は貧困層や途上国に集中するようになる。
  • ワクチンや治療薬開発、販売を巡って、製薬会社などと国家レベルでの取り引きが行われるが、詳細は一般人には知らされない。


……歴史が教えてくれるところでは、こうなっていく気がする。
また、医療現場や介護現場は疲弊し続け、今までのレベルでは医療・介護サービスを受けることが困難になり、COVID-19以外での死者も増えるが、そうしたデータや現場の事情は徐々に報道されなくなるだろう。

ちなみに、UNAIDSでは、新型コロナウイルスパンデミックによって、HIV治療薬の高騰や中低所得国への供給不足が懸念されるとしている。
これはHIVに限らず、他のあらゆる疾病や怪我の患者にもいえることだ。

冷静にデータを読み取り、医療や介護の金とマンパワー資源を合理的に配分し、福祉レベルを下げないことを目指す政治に切り替えることが急務である。

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コロナより「コロナ自粛強要」で社会が壊れる2020/08/26 22:00

暴露と感染の広がり方 高橋泰教授の説明図(https://toyokeizai.net/articles/-/365254?page=4 より)

↑「新型コロナウイルス感染の広がり方」(高橋泰教授による説明図 「東洋経済ONLINE」より)

「自然免疫で撃退説」のおさらい

前回、COVID-19に対する高橋泰教授らの「実態予測と提言」をまとめたものを紹介したが、こうした提言が複数の医師や研究者から出てきてひと月以上経つのに、未だにメディアは毎日「新規感染者数は○人でした」という伝え方を変えていない。
高橋教授の主張は、東洋経済ONLINEにいくつか出ているので読める。
●新型コロナ、日本で重症化率・死亡率が低いワケ 高橋泰教授が「感染7段階モデル」で見える化(2020/07/17)
●高橋泰教授が新型コロナをめぐる疑問に答える 暴露と感染の広がり方、PCR検査の問題を解説(2020/07/27)
●新型コロナ、「2週間後」予測はなぜハズレるのか 高橋泰教授「データに合う新型コロナ観を持て」(2020/08/07)

詳しくは原文を参照してほしいが、1つだけ重要な指摘をあげれば、
「PCR検査陽性者」イコール「新型コロナウイルス感染者」ではない、という点だ。
  • 新型コロナウイルスは暴露力(体内に入り込む力)は強い
  • しかし、伝染力と毒性は弱く、かかっても多くの場合は無症状か風邪の症状程度で終わる
  • ウイルスが身体に入り込んだ状態でPCR検査をすれば陽性反応が出る。
  • しかし、多くの場合(高橋教授らのチームは、日本では98%と推定)、自然免疫だけでウイルスを排除してしまうので、無症状かごく軽い風邪のような症状で終わってしまい、ほとんどの人はウイルスが身体に入り込んだことに気づかない
  • この「自然にウイルスを排除した人たち」は、体内に新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対する抗体を作るまでもなく終わっているので、その後、抗体検査をしても陰性となる。
  • 残り2%の人たちは自覚的な症状(風邪や肺炎のような症状)が出て、SARS-CoV-2に対する免疫を獲得する(その後、抗体検査をすれば陽性と出る)。
  • この2%の人のうち、ごく一部の人たちにサイトカインストーム(免疫暴走)が発生して重症化し、死者も出る。

……そういう分析内容だ。
つまり、「PCR陽性者」=「新型コロナ感染患者」ではないし、必ずしもスプレッダー(ウイルスをばらまき、感染者を増やす人)だともいえない。
PCRが陰性になった人は感染歴がない人ではないし、明日以降、スプレッダーになる可能性はある。

もちろんこれは現時点では1つの仮説なのだが、現状と照らし合わせてみると、非常に納得がいく仮説だと思える。
重要なのは、何人がウイルスに暴露しているか、暴露したか、ではなく、重症化する人を減らすこと、重症化する人をいち早く見つけて有効な治療をすること、なのだ。
で、問題はサイトカインストームが発生して重症化する確率だが、
20代では暴露した人10万人中5人、30~59歳では同1万人中3人、60~69歳では同1000人中1.5人、70歳以上では同1000人中3人程度、
……という推定値だという。

この確率が、アジア人はなぜか欧米人より二桁低い。その理由がいわゆる「ファクターX」などと呼ばれるようになったものだ。
BCG説や生活習慣要素など、様々な「ファクターX」候補が挙げられているが、HLA型などの遺伝的要素が最も大きいのであろうということは、多くの医師、研究者が感じているし、すでに多くの論文も出てきている。

「新規感染者数」という伝え方の問題

以上のことを踏まえれば、「新規感染者数」の増減で騒ぐことにはほとんど意味がない。
なぜなら、PCR検査で陽性が出た人の数というのは、その時点でたまたま体内にSARS-CoV-2が入り込んでいる状態で、それが検査したから判明した、ということであって、COVID-19(SARS-CoV-2に感染して病理症状が出た状態)の増減傾向を示すものではないからだ。
同様に、抗体検査で陰性を示す人が、過去にSARS-CoV-2に暴露していないことにもならない
「感染経路が不明な人の割合」というのはもっと意味がない。感染経路など分からなくてあたりまえなのだから。
家族の一人にPCR陽性者が出たので家族全員を検査したら全員陽性だったとする。その場合、「家庭内で感染」と分類されるのかもしれないが、その家族全員が別々の場所でウイルス暴露して、たまたまそういう人たちが集まっている家庭なのかもしれない。
暴露する力が非常に強いウイルスなのだから、どんなに注意をしてもウイルスが身体に入り込むことはある。それを「感染者」というレッテルを貼って「隔離しなければ」とか「不注意だ」とか「マスクもしないで……」などと騒ぎ立てる──しかもそれを一部メディアが率先してやっていることのほうがよほど恐ろしいし、社会に大変なダメージと悪影響を与えている。

厚労省などは「クラスター対策」を最重視してきたようだが、日本ですでに3割以上がウイルス暴露を経験しているとすれば、「一人の陽性者の周辺を調べれば一定数の陽性者は出る」のは自然なことだろうから、それが「クラスター」なのかどうかも分からない。
高橋教授はこのことを図で説明している(↑冒頭の図)。
↑高橋泰教授が説明に使った図。東洋経済ONLINEの記事より。Clickで拡大)
その説明を要約すると、
  • 図の水色の四角で囲んだ部分が、新型コロナに暴露した(ウイルスを体内に取り込んだ)人。
  • その中で色がついているのが暴露した後に感染(細胞内にウイルスが入り込んでしまった)人。
  • 青色の人は自然免疫が強く、ほぼ無症状か気がつかないほどの軽症。ウイルスの排出もほとんどなくスプレッダーにならない。
  • 黄色の人は「無自覚スプレッダー」。一時的にウイルスを排出するが、自分は自然免疫で治ってしまい、感染したことに気づかない。
  • ところが、発生確率は低いが、自然免疫では抑えられず獲得免疫が出動し、風邪のような症状もかなり出て、ウイルスも多めに排出して人にうつすオレンジの人が出てくる。
  • さらに、明らかな熱や咳などの症状が出たのが赤色の人で、PCR検査したら陽性になって入院することになる。
  • その赤色の人の周辺を検査したら陽性者が4名見つかった。そこで、この赤色の丸で囲まれた部分を、現状では「クラスターが発生した」と表現しているが、実はたまたま、見つかったにすぎない。
  • 現在は検査を増やしているので、陽性者の発見が増えている。3月下旬は検査数が少なかったが、実効再生産数はピークであり、この時にもっと検査していたら、今の数十倍から数百倍のPCR陽性者が見つかっていたのではないか。

つまり、
  • 3月下旬頃に検査数を増やしていたら、今よりずっと多い陽性者が出ていたはず。
  • 今は「クラスター」とみなしているグループも、多数存在している陽性者の一部をたまたま切り取っているだけ。

……だというのだ。

求められる対策とは

こうした説が、複数の医師、研究者から出されているのに、メディアはなぜかひと月以上経った今でも無視、あるいは意図的に排除しているように思える。なぜなのか?
厚労省をはじめ、対策に関わる人たちの多くは、すでにこの説の妥当性について肯定的な考えに傾いていると思われるが、箝口令を敷いたかのように口を閉ざしている。 政府上層部、多くの政治家は、この説の内容を理解することさえできておらず、問題にコミットすることを恐れている。さらにひどい連中は、コロナを利用して、いつも通りの利益誘導型政策を連発することになんら罪悪感も羞恥心も持っていない。

そんな状況で、私のような素人が、またまた「合理的な対策とは」などと主張するのも虚しすぎるのだが、やはり一人一人が声を上げることが求められていると思うのでまとめておきたい。

  • 政治や行政のリーダーは、国民に向かって、真摯に、新型コロナウイルスの最新分析情報を分かりやすく説明し、過剰反応や間違った認識を改めるように言葉を尽くすべき。
  • PCR検査については、医療従事者、高齢者施設従事者などの定期的な無料検査の速やかな実施と、クリニックレベルの個人病院からでも、医師が必要と判断した場合の保険診療、検査機関(民間含む)への検体提出を可能にする。そのための設備投資やシステムの合理化を進める。
  • 医療や介護の現場でのリスクを下げ、医療・介護従事者の負担を減らすためのシステム構築と資金の投入。合理的なマンパワーの配分。
  • アベノマスクやGoToキャンペーンなど、現場を混乱させ、マイナス要因を増やすだけのバカ政策、コロナと無関係な利益誘導政治を反省し、金とマンパワーを必要とされる現場に有効かつ速やかに投入できる施策へ転換。
  • メディアは政府の顔色を窺わず、視聴者や読者の「食いつき」を計算せず、危機を情緒的に煽らず、社会の木鐸としての自覚を持ち、正しい情報を分かりやすく伝える努力を。
  • 50代までの層には、正確なリスクを伝えると同時に、高齢者や病人など、高リスクの人たちへ自分たちが感染させて死なせる可能性を自覚させ、行動規範の形成を促す。
  • 教育現場やスポーツやイベントビジネスの現場などでは、過剰な自粛要請よりも、常識的な新マナーの共有で正常化を。

今のままでは、ウイルスによる病死などより、ウイルスが引き金となった思考停止による「社会崩壊」のほうがはるかに恐ろしい結果をもたらすだろう。

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