『阿武隈裏日記』を改題しました。
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「道徳教育」が日本を滅ぼす2018/06/04 12:47

「育鵬社」の次に「よ」と入力しただけで、Google検索ではこんな予測検索ワードが表示された

教育現場破壊の問題では地方自治体の首長がいちばん怖い

imidasの「時事オピニオン」コーナーに、前文科省事務次官・前川喜平氏のロングインタビューが掲載されている。主に2020年から導入される予定の新しい学習指導要領についてのQ&Aだが、その内容がとても興味深く、かつ怖ろしいので少し紹介してみたい。

まず、学習指導要領の改定、見直しにあたっては、その前に「政治的な議論」や「圧力」があるという。
小中と同じように「高校でも道徳教育が必要だ」という議論。中には「徴兵制を導入して高校生も鍛え直すべきだ」なんてことを真顔で言う人もいるぐらいで、高校生のための道徳教育、あるいは日本人としての自覚を持たせる教育、愛国心教育みたいな内容を高校教育に織り込ませたいという声が、常に自民党の中にあるわけです。
新しい高校学習指導要領で導入される「公共」という教科などは、まさにそういう議論の中から出てきたものです。

質問者が、「前川さんご自身が愛知県の公立中学で講演をされた際に、自民党の国会議員が文科省に圧力をかけ、名古屋市教育委員会に講演内容などに関して質問し報告を要請したという事件がありましたよね」と話を向けると、こう答えている。
政治が教育に手を突っ込むというのは、大抵、こういうやり方なんですね、要するに「騒ぎ立てる」。今回のように国会議員が騒ぎ立てる場合も多いのですが、怖いのは地方議会ですよ。あと、もっと怖いのが地方自治体の首長です。教育委員会に圧力をかけて「右の教科書」を採用しようとしたりしますからね。
防府市の松浦正人市長が会長を務める「教育再生首長会議」という団体があるのですが、彼らは教育、特に教科書の採択は教育委員会でも、現場の教員でもなく、選挙で選ばれた自分たちが決めるべきだと主張しています。「新しい歴史教科書をつくる会」から分派した団体で、安倍首相直属の諮問機関「教育再生実行会議」の有識者委員でもある八木秀次・麗澤大学教授が理事長を務める「日本教育再生機構」とともに、育鵬社の教科書採択を広める活動を積極的に展開しています。

……と述べている。
公立学校というのはほとんどが県立や市立なのだから、自治体の長が国粋主義者だったりすれば、その地域全体の公教育がガラリと変わることもありえるわけだ。
名古屋市の教育委員会のように毅然とした態度をとれればいいが、そうではない自治体がたくさんあるだろう。

「育鵬社」の次に「よ」と入力しただけで、Google検索ではこんな予測検索ワードが表示された。中田前市長の「功績」だそうだ


ここでも出てきた「育鵬社の教科書」だが、ネットでこのキーワードを検索すると、ヒットするページの多くは、「育鵬社の教科書を採用しないのはけしからん」「日本の未来を引っ張っていく大人に育てるのは育鵬社の教科書しかない」といった主張を展開している。
どうも、この問題に関しては、冷静で具体的な議論がされず、右が~、左が~、というののしり合いになってしまっている印象を受ける。
そんな中で、ああ、これは冷静な議論だなあと感じたのは⇒この東洋経済ONLINEの記事だ。
2001年、いち早く育鵬社の教科書を採択して注目された東京都大田区教育委員会で委員長を務めた経験を持つ櫻井光政弁護士へのインタビュー。
櫻井氏はまず、

歴史教科書を選ぶ際に私が大事だと思うことがいくつかあります。まず、何が歴史を動かしたのかを客観的に観察していること。特に、誤りがなぜ起きたのかきちんと分析することが大事です。

という大前提を述べた上で、育鵬社の歴史教科書にはその視点が欠けていると、いくつかの例を挙げて説明している。

沖縄の問題に関しては、書いてある内容が正反対という印象を受けました。帝国書院は、日本軍によって食料を奪われたり、安全な場所から追い出されたりして犠牲になった住民の様子が書かれています。「最後の一兵まで戦え」という命令を残して自害した日本軍司令官の話もあり、犠牲者が増え続けた理由や責任の所在が分かります。
一方、育鵬社は、沖縄県民の献身的な働きや戦争の悲惨さを描いてはいます。しかし、命令が残っていたために被害が拡大したことには触れられていません。
私は、その戦争の中で立派に行動した人がいた、ということに触れるだけではいけないと思います。負けることが分かった時にどういう指揮を取るか、というのがとても大事で「最後まで戦え」という命令を残して自決するのはリーダーとしては失格ではないでしょうか。自分の美学に殉じるのはよいですが、残った者の命をどう考えるのか。特に非戦闘員の命をどう守るのか考えられない人は、指導者としては批判の対象になるものだからです。そういうことを学ぶのが「歴史」だと私は思います。
[採択相次ぐ!「育鵬社教科書」本当の問題点  「右・左」だけでなく、グローバル視点で課題] 東洋経済ONLINE 2015年6月3日


「自分で考える力」をつけさせるのが教育

話を前川氏のインタビュー記事に戻す。
前川氏も櫻井氏同様に、誤りがなぜ起きたのかきちんと分析することの重要性を強調している。
例えば「ワイマール憲法」という当時では世界で最も民主的な憲法の中から、なぜヒトラーのような独裁者が生まれたのか? こういう愚かなことを日本人だって繰り返さないとは限らないよという、そのことを学ぶってものすごく大事だと思うんです。(略) つまり害虫の巣を残しちゃった国(今の日本)と、完全に駆除した、あるいは、それを常に駆除し続けなきゃいけないと思っている人たち(今のドイツ)との違い。 それだけの痛恨の歴史を持っている国。ワイマール憲法がヒトラーを生み、ヒトラーがホロコーストをしでかして、とんでもない戦争で何千万人もの人を殺したと。そういうとんでもないことを、しかしそれに迎合し支持した国民がいたという……。それだけシビアな歴史観、民主主義観というのが常に彼らの中にはあって、その運用をいかに間違えないかということに対する意識が、常に一定のブレーキというか、必ず考えなければいけないプロセスとして残っているということなんですね。
imidas 前川喜平さんロングインタビュー

しかし、今の日本の教育は、子供に「なぜそうなったのかを考えさせない」「間違いを繰り返さないためにはどうするべきなのかを自分の頭で考える力をつけさせない」方向にどんどん進んでいると危惧している人は多いはずだ。
日大アメフト部事件はまさにそのことをはっきりした形で突きつけた。

こんなツイートを見つけた。

↑まさにこれ!

前川氏のインタビューでも、こう続く。
一方で、政治の側にはそういう「目覚めた主権者」は困ると言う人もいるわけです。(略) 最近の「公文書問題」などを見ても象徴的ですが、現実には「民はよらしむべし。知らしむべからず」みたいな社会に戻ろうとしていますよね。とにかく、真実を国民に伝えないようにしようと。その一方で、他国の脅威とか、ヘイトのような国民のネガティブな感情に訴えて、支持を勝ち取ろうという、ポピュリズム的な政治手法です。 基本的に、国民はバカだと思っているんですよ。だませると、最後までだまし通せると思っている。


日大事件でも、前監督や現理事長の言動を見ていると、まさに「国民はバカだ。最後までだまし通せると思っている」としか思えない。
今は騒いでいても、どうせそのうち忘れる、と。
実際、そうなっている。森友事件では、まだ渦中にありながら、佐川・財務相前理財局長らはさっさと全員不起訴になった。
こんなことが続けば、この国は間違いなく壊れ、また悲惨な状態に陥る。
そうならないように、人を育てるのが教育なのに、教育現場がどんどん壊されていくのは本当に怖ろしいことだ。

前川氏のインタビュー記事はこう結ばれている。
公教育は「国」のためではなく、一人ひとりの「個人」のためにあるはずです。ひたすら強いものに付き従うのではなく「自分で考える力」を身に着けた「目覚めた主権者」の存在なしに、本当の民主主義などありえないのですから。




↑これは私の「遺言」です

ヒキガエルを殺せ、と指示する北海道の狂気2018/05/21 01:22


アズマヒキガエルを「毒ガエル」と名指しし、騒ぎ立てるニュース番組
テレビのニュース番組(特に夕方の時間帯)ではよく、サルが出た、熊が出た、イノシシが出た、スズメバチが出た……と大騒ぎする。またか! いい加減にしろよと思いながらチャンネルを替えるのだが、今日見たこれはあまりにもあまりで、唖然を通り越して空恐ろしくなった。
北海道で「毒を持つ」アズマヒキガエルが大繁殖して住民が悲鳴を上げているというのだ。ほんとかよ。
アズマヒキガエルはごく狭い範囲で増えることはあっても、広範囲に大繁殖するなんてことは聞いたことがない。「異常繁殖」などといっているが、カエルの知識がない者が、繁殖期に一か所に集まってきてカエル相撲をしているのを見て「異常だ!」と騒いでいるだけなんじゃないか?
むしろ、ヒキガエルはほんのちょっとしたことで地域絶滅してしまう、カエルの中でも環境変化に極めて弱い種だ。
実際、我が家(日光市)の周辺は都市部に比べれば自然が残されている地域だが、アズマヒキガエルは見たことがない。意識して水たまりや田んぼを覗き込んで6年間過ごしてきたが、成体はおろか、卵も見たことがない。地元の老人たちに訊くと、かつてはあたりまえにいたというから、圃場整備がきっかけで地域絶滅してしまったのだろう。
ヒキガエルは変態直後は他の小さなカエルよりもずっと小さく、弱々しい。吸盤もなく、ジャンプ力も弱いから、U字溝に落ちると這い上がれず簡単に死んでしまうのだ。
毒を持つというのは確かだが、わざわざ捕まえてペロペロ舐めたりしない限り、腹をこわすこともないし、ましてやヒキガエルの毒が原因で人が死んだなんて聞いたこともない。動きがのろいヒキガエルにとって、体表から毒を分泌するのは自衛の仕組みである。ヒキガエルを補食するヤマカガシはヒキガエルの毒にやられず、逆にその毒を溜め込み濃縮することで「毒蛇」になることが知られている。しかし、そのヤマカガシとて、自分から人間を襲うことはまずないし、マムシのように牙から毒液を出すわけではないので、たとえ噛みつかれたとしても死なない。喉の奥から直接出る毒液が目に入ったり口に入ったりすれば危ないが、そんな状況は普通にはありえない。

なんでこんなトンデモなニュースをやっているのだろうとネットで少し調べたら、こんなページがヒットした。

効果的な駆除方法と時期  浅い池の場合、繁殖時期(5月上旬から下旬)に、ふ化する前の卵の塊(ひも状)を池などから上に引き上げたり、黒色の小型で群れをなすオタマジャクシを網ですくい出して乾燥死させる方法が効果的です。
繁殖期以外は、雑木林や民家の庭などに住みついており庭仕事などの時に見かけますが、夜行性のため成体になってからの駆除には多大な労力が必要です。 土着のカエルと見分けられないときや、異常な大発生を見つけたときは、環境課へご連絡ください。
(「アズマヒキガエルの駆除について」 北海道深川市)

なんと、自治体がヒキガエルを「殺しましょう」と指導しているのだ。
これを鵜呑みにして子供たちが率先してヒキガエル殺戮に興じるかもしれない。それも「大人の指導」で。

北海道でヒキガエルが「異常に」増えているという信頼すべきデータがどこかにあるのか?

なぜヒキガエルを殺さなければならないのか?
どうやら、理由はこういうことらしい。
国内外来種(もともと北海道にいなかった生き物)であるアズマヒキガエル(略)は日常生活に大きな影響を及ぼすものではありませんが、長期的にみて従来の生態系へ及ぼす影響が懸念されるため、北海道の指定外来種に指定されました。(平成27年12月18日指定、平成28年6月19日施行)

北海道生物の多様性保全に関する条例の改正により北海道の指定外来種に指定されましたので、飼養する場合は知事が定める特定飼養等施設に収容し、逃げ出さないようにしなければなりません。また、生息地以外に放つことも禁止され、道の指導や命令に従わない場合は罰則の対象となります


何を言っているんだ? と思う。
もともと日本のヒキガエルは、西日本にいるのがニホンヒキガエル、東日本にいるのがアズマヒキガエル、北海道にいるのはエゾヒキガエル、という3つの亜種(地域による分類だが、交雑生殖は可能)とされていた。しかし、最近「エゾヒキガエル」と呼ばれていたものは、遺伝子を調べるとアズマヒキガエルと同じであり、寒い北海道に適応して身体が小さくなっただけだということになった。
北海道で初めてヒキガエルが発見されたのは1912年、函館でだという。100年以上前のことだ。
エゾヒキガエルと命名されて、最初に発見された函館では「絶滅が危惧される希少種」として大切にされてきた
それが、「遺伝子的には本州のアズマヒキガエルと同じ」という研究結果が出た途端に、「北海道生物の多様性保全」のために、見つけたら殺せ、という号令がかけられたのだ。
生物の多様性保全?? そもそも北海道のだだっぴろ~い風景は、明治以降、人間が森を壊しながら大規模な開拓に開拓を重ねてきた結果ではないか。
100年以上前から棲んでいるカエルを人為的に殺して、何が「生物多様性の保全」か。

石狩の観光資源「イソスミレの絶滅が危惧される」などというが、海岸近くに生息するイソスミレを守りたいなら、まずは石狩の大規模風力発電所計画を撤回させることだ。イソスミレだけでなく、多くの生物が消える危険性を取り除くことになる。ああいうものを認めて、何の罪もないカエルを殺せという行政。デタラメにもほどがある。



違う血が混じることで生き延びる

さらに調べていくと、東京大学のWEBサイトに興味深い記事を見つけた。
5年前の2013年に長谷和子(東京大学 大学院総合文化研究科広域科学専攻 博士課程3年)、二河成男(放送大学 教養学部教養学科自然と環境コース 教授)、嶋田正和(東京大学 大学院総合文化研究科広域科学専攻/情報学環 教授)によって発表された「Population admixture and high larval viability among urban toads」という論文で、
東京都内に自然分布する日本産ヒキガエルの東日本亜種(アズマヒキガエル)の多くの個体が、西日本亜種(ニホンヒキガエル)により遺伝子浸透を受けている点、またその交雑により、都内のヒキガエルの適応度(本研究では幼生(オタマジャクシ)の生存率)が上がった点の、2つを実証した。
記者発表一覧 東京のヒキガエル、西日本型に侵略される 東京大学
……という。
記事の一覧タイトルには「侵略される」などという刺激的な言葉が使われているが、これはWEBページ編集者が勝手に付けたものだろう。
論文の要旨としては、
  • 都内のヒキガエルはすでに東日本亜種とされてきたアズマヒキガエルから西日本亜種のニホンヒキガエルへと「遺伝子浸透」が進んでいる(交雑が進んで、ニホンヒキガエルに近づいている)
  • 東京のヒキガエルの幼生(オタマジャクシ)は、埼玉県新座市や栃木県日光市のアズマヒキガエルの幼生よりも高い生存率を示している(ニホンヒキガエルと交雑した都内型のヒキガエルは、交雑が進んでいない北関東のヒキガエルよりも生命力が強い)
  • つまり、現在の東京のヒキガエル集団は、移入された西日本亜種系統に助けられ、個体数が維持されている可能性が大きい(混血した結果、生き延びている)

……この論文内容要旨からして、記事一覧のタイトルは「西日本型に助けられて生き延びた東京のヒキガエル」とでもするべきだろう。
一見自然豊かに見える我が家の周囲ではすでに地域絶滅しているのに、都内の住宅地には今もヒキガエルが出没している。その理由の一つが「移入種との交雑」だったということか。

血が混じることで環境変化に対応し、種を維持していくことができるというのはとても理解しやすい。愛玩動物として人為的に遺伝子操作されて生み出され、それをどこかの団体が「○○種」として「認定」し、以後「純血種」として繁殖される犬は病気に対する抵抗力が弱く、雑種の犬のほうが生命力が強いとか、一代雑種に名犬がよく生まれるということはよく知られている。

話をカエルに戻せば、関東以北にはトノサマガエルはおらず、トノサマガエルと間違われるのはトウキョウダルマガエルだとされている。しかし、トノサマガエルとトウキョウダルマガエルは交雑が可能で、すでにあちこちで交雑種が生まれているという説もある。
我が家の周辺はカエルといえばトウキョウダルマガエル。アマガエルよりずっと多い。都内ではすでにほぼ絶滅したのではないかといわれているトウキョウダルマガエルが、ここではアカガエルやアマガエルよりも多いのだ。
東大チームの論文を知って、もしかすると我が家の周辺にいっぱいいるトウキョウダルマガエルも、都内のヒキガエルのように、すでにトノサマガエルとの交雑種なのかもしれないと思った。(もちろん、それを確かめてみようとは全然思わないが)

上記の論文紹介記事では、こんなまとめが記されている。
社会的意義と今後の展望
生物多様性の中でも遺伝的多様性は、種の存続性を量る指標として重要である。生息地が失われた野生動物の多くが遺伝的多様性を低下させている。一方で、国内移入亜種との交雑問題など、人為的撹乱がもたらす遺伝的多様性への影響については、未だ知見は少ない。生物多様性の維持は人間社会の存続性にも関わることであり、本研究のような都市部の野生種についての遺伝的多様性研究の必要性は、今後ますます高まると考えられる。

だいぶぼかした言い方をしているが、「国内移入亜種との交雑」を単純に「避けるべきこと」として断じるのは危険であり、問題はもっと複雑で深い、といいたいのだろう。

100年以上前からすでに北海道に生きていたヒキガエルを、「北海道にはもともといなかった移入種」だから、「長期的にみて従来の生態系へ及ぼす影響が懸念される」ため「指定外来種」に指定して、保護どころか、「ふ化する前の卵の塊(ひも状)を池などから上に引き上げたり、黒色の小型で群れをなすオタマジャクシを網ですくい出して乾燥死させる方法が効果的です」と、行政が殺戮を推奨している……。
こんな怖ろしいことがあっていいのだろうか。

あなたは、今まで一緒に暮らしていた仲間を、ある日を境に「おまえは我々とは違う血の人間だそうだな。このまま生かしておくとどんどん血が混じっていくから排除するとお上が決めた。悪いが死んでもらう」といって殺すことができるか?
極論したり、難癖をつけているわけではない。人間社会の中でも実際にそういう歴史があった(ホロコーストや関東大震災でのデマなど……)ということを我々は学んできているし、今、この国ではそうした風潮(ネトウヨ、ヘイトスピーチ、嫌韓嫌中本……)が急速に広がっている。

生物多様性を脅かしている最大の生物は人間である。その反省もなく、机上の論理、しかも間違った論理で生物の生殺与奪を簡単に決めてしまう学者や行政。トンデモな決定に対して「ちょっと待て」と声を上げる者もいない現代日本。
……本当に背筋が寒くなる思いだ。

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「デブリを取り出して廃炉」という幻想2018/03/12 12:11

2018/03/10『報道ステーション』(テレビ朝日)より

言えない立場の増田尚宏氏と言える立場の田中俊一氏



↑2018年3月10日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日)の特集コーナーより(以下同)

今日、3月12日は1F1号機が水素爆発を起こした「原発爆発記念日」である。
その映像をテレビで見てすぐに、僕たちは川内村の家から逃げ出し、川崎市の仕事場に避難した。あの日からちょうど7年が経った。
今ではメディアも特集などを組むことは少なくなり、今年は森友文書書き換え問題などに食われている(あれもまた国家の根幹を揺るがすとんでもない事件だが)。

一昨日の『報道ステーション』で、1Fの廃炉がいかに困難かという問題を特集していた。
久しぶりに見る増田尚宏氏の苦渋に満ちた顔。この人がこの日記に登場するのは何回目だろうか。まずは2015年の⇒この日記を読んでいただきたい。
2015年3月、NHKの海外向け放送にてインタビューに答える増田尚宏氏
2015年、このインタビューで増田氏はこう語っている。
溶融燃料についてはわからない。形状や強度は不明。
30メータ上方から遠隔操作で取り除く必要があるが、そういった種類の技術は持っておらず、存在しない

(政府は廃炉作業を2020年に始める意向だとしているが)それはとてつもないチャレンジと言える。正直に言って、私はそれが可能だとは言えない。でも不可能だとも言いたくない。

どのくらいの被ばく線量なら許容されるのか? 周辺住民ににはどんな情報が必要なのか? どうすればよいか教えてくれる教科書はない。
私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない

国内で放送されないと知っていたからか、かなり正直に胸の内を吐露している。
それが、3年経った現在では、こう答えている。


使用済み燃料を取り除くことは責任を持ってやらなくてはならないやればできるものだと思っている

この言葉の間にはいくつかの言い訳や説明が挟まれていたが、要するに「できる」「やらなければならない」と言いきっている。
3年前には「溶融燃料(デブリ)についてはわからない。形状や強度は不明」と言っていたが、今ではデブリの状態が想像以上にひどい状況だということが分かってきている。
優秀な専門家である彼には、デブリの取り出しなどとうていできないと分かっている。しかし、組織人として「取り出さなければならない」「やればできると信じている」などと答えなければならない立場に置かれていることの苦しさが、最後には悲鳴にも聞こえるような大きな声での叫びとなって絞り出されたように見えた。

増田氏は東電にとって、いや、日本の原子力業界にとってかけがえのない人材だ。彼のスーパーマン的な活躍がなければ、1F同様、2Fも爆発していただろう。7年前、彼が2Fの所長だったことは本当に幸運だった。
が、その彼も、この数年で顔つきがだいぶ変わったように感じる。どれだけ辛い人生を歩んでいることか、察するに余りある。

デブリは取りだしてはいけない

一方で、その直後に登場した田中俊一・原子力規制委員会前(初代)委員長は、相変わらずのシニカルな表情でこう言ってのけた。









廃炉現場の最高責任者に任命され、今も現場を指揮している増田氏と、規制委員長を辞めた田中氏の立場の違いがはっきり見て取れる。
人間としては増田氏のほうを信頼したいが、この点に関しては、田中氏の言うことが正しい。
「そういうことを言うこと自体が国民に変な希望を与える」という発言のときは、「幻想」と言いかけたのを、少し考えてから「変な希望」と言い換えていた。

圧力容器を突き破って底まで全量溶け落ちたデブリを遠隔操作で取り出すなどという技術は存在しない
そもそも、取り出せたとしても、置き場所がないのだ。きちんと形のある使用済み核燃料でさえ保管場所がないのに、不定形になったデブリをどこでどうやって保管するというのか。これ以上、デブリの取り出しにこだわるのは、莫大な金をかけてリスクを拡大するだけの愚行だ。
つまり、デブリは取り出せないし、今は取り出そうとしてはいけない
では、どうすれば今よりひどい状態にならないで長期間、ある程度の安全を得られるかを、合理的に考えなければいけない。そんなことは、誰が考えたって自明の理だ。

できないことを「そのうちできるだろう」「なんとかなるんじゃないか」といって無理矢理金を投入して始めてしまい、取り返しのつかないことに追い込まれるのは原子力発電事業そのものの構図だ。出てくる核廃物の処理や保管技術がないままに原子力発電所を作り、今なお、この根本的な解決方法は存在しない。日本国内だけでも、行き場のない使用済み核燃料が発電所内にごっそり置かれたままだ。
技術が存在しないどころか、エントロピー増大則に従うしかない物理世界(我々が生きているこの地球上)では、核廃物の根本的な処分方法は今後も見つからないだろう。
できないことをしてはいけない──このあたりまえのことを無視するとどんな結果になるか、すでに手痛く体験したことなのに、なぜこの期に及んでまで、謙虚になれない、合理的に判断できないのだろう。

3年前の増田氏の言葉と今の増田氏の言葉を比較すると、絶望的な状況はますますはっきりしてきたのに、逆に正直に答えることはできなくなったという悲しい現実が見える。
増田氏の「組織人」としての苦悩は痛いほど分かるが、とにもかくにも、彼の上で命令を下す人たちがきちんとした判断を下さず逃げてばかりいる限り、増田氏の高い能力も、今後変な方向に向かいかねない。
それこそ、3年前の彼が漏らした「私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない」という言葉の重みが、ますます深刻なものになっているのだ。
その闇の深さ、問題の大きさを、現場の人たちだけに押しつけず、我々一般人も、少しは共有すべきではないか。
次の選挙のときには、このことをぜひ思い出してほしい。
どうしようもない破局が訪れる前に、どうせ自分は死んでしまうだろう、という「食い逃げ」の人生でいいのか、と自問自答してみようではないか。


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日光東照宮の修復作業がひどいという話(3) 陽明門2017/09/02 20:32

陽明門って「日本」じゃないよね




さてさて、ここまできたら国宝・陽明門についても言及せざるをえない。
上の写真を見て、「素晴らしい! さすがは国宝だけある」と感心する人がどれだけいるだろうか。これだけ見たら、中華街の看板かなと思うのでは?
中国にディズニーランドもどきの遊園地ができたときのような「なんだこれ感」といったら、さすがに怒られるだろうか。でも、何度見ても、そういう印象しかない。
そもそも陽明門のテイストや題材は中国そのものであり、当時の殿様がいかに中国、あるいは(中国文化を取り入れた)宮中文化に憧れていたかが分かる。アートを理解していない金持ちの家を訪ねると、庭には石灯籠とミロのビーナス像があって、玄関入ると竜の置物やら巨大な切り株に漆を塗ったやつとかが雑然と飾られている……という光景はよくあるが、そういうのに近い感覚を覚える。
中国テイストでも、一つ一つのモチーフがよく出来ているというならまだいい。しかし、どう見てもこれは違うだろう。
上の獅子↑を見ても、明らかにデッサンがおかしい。こんな前脚ありえないでしょ。
誰が見ても「稚拙」でしかないのだが、陽明門はれっきとした国宝なのである。



修復時の彩色が下手だの色が鮮やかすぎるだのという話ではない。もともとの彫刻が下手すぎるのだ↑ この獅子などは、歯(金歯)の補修もおかしいが、もとの彫りそのものがよろしくないから、どう頑張って彩色したところで国宝にふさわしい深みや凄みは出せないだろう。




う~ん、そうかのう……



ディスられてるよ、俺たち。てへぺろ



歯並びもネイルチップも、こんなのありえな~い


では、なぜ陽明門は国宝なのだろうか?

いろいろ調べているうちに、非常に興味深い論文を見つけた。
東京工業大学付属図書館の学位論文アーカイブの中にあった「古社寺保存法時代の建造物修理手法と保存概念」(平賀あまな 2001年)という論文。
ものすごい力作論文で、分厚い本一冊くらいの分量がある。非常に興味深い内容で驚かされたのだが、引用されている資料も旧仮名遣い文語体がほとんどで、全部読むのは大変なので、ここではそのごくごく一部を、内容をあまり変えないようにコンパクトにしつつ紹介したい。

まず、日光東照宮の修復は、江戸時代は20年に1度くらいのペースで小まめにやられていたようなのだが、明治以降はそう簡単ではなくなった。
それで傷みが目立つようになり、栃木県内の実業家や政治家が政府に保存を訴えたが相手にされず、やむなく明治12(1879)年に二社一寺の保存を目的とした「保晃会」が結成され、修理・保全作業に向けて動き出した。
その結果、明治32(1899)年から大正12(1923年)年にかけて大修復作業が行われた。
最初の工事監督は星野男三郎という人だが、建築家の大江新太郎(1879-1936)が明治40(1907)年から工事監督を引き継いだ。
また、大江の先輩格である伊東忠太(1867-1954)もこの工事には大いに意見を出し、影響を与えていたという。
2人の方針は「造営当初の姿を再現する」ことで、そのためには古い漆や絵の具などを剥がして新たに塗り直すという、当時ではタブーとされていた方法に踏み込んだ。欠損した彫刻は、社殿内に残された類似の彫刻物を参考にして作らせた。
大江は、東照宮の価値は「桃山時代から江戸時代への過渡期における建築や美術の様式を伝える標本」としての価値であり、材料が本物かよりも形や色がいかに当時のものに近いかが重要だと考えた。
また、復元後はできるだけその状態を維持できることを重視し、補修するにあたって江戸時代にはありえなかったコンクリートや新素材も躊躇せずに取り入れたという。
例えば、本殿の屋根はもともとは檜葺きだったことが分かっていたが、銅板に変更し、その下には当時最先端の素材でできたルーフィングを施した。東照宮の改築時には、日光の厳しい冬に耐えられるだけの対策が不足していたとの認識もあった。

しかし、古色ゆかしき風情が消えてけばけばしく生まれ変わった修復後の東照宮を見て、当時、多くの人たちは激しく非難を浴びせた。
そうした批判にも、大江と伊東は「時代を経て変化した色や形に価値を見出すのは意味のないロマンティシズムだ」という論法で敢然と反論したという。

東照宮の補修作業はその後も何度も行われているから、神厩の猿や回廊の眠り猫に限らず、今では元々はどうだったのかを知ることはほとんどできないといえるのだろう。

そういう意味では、三猿の目がパッチリして動物園の看板風になったからといって、大騒ぎすることもないのかもしれない。

大江や伊東のように「東照宮の価値は当時の建築・美術様式のサンプルとしての価値である」と考えるのはおかしくはない。江戸初期の建造物はあまり残っていないわけだから、国宝や国の重文に指定される意義も当然ある。
しかし、美術として、アートとして、芸術としての価値が高いから国宝だと勘違いしている人が多いようにも思う。
国宝である陽明門は、歴史的遺物としての価値は高いが、芸術性という点からはまったくよろしくない。これははっきり言いきっていいと思うのだ。
例えば、上に挙げた陽明門の獅子の彫刻と、長い間しまい込まれて人の目にも触れなかった宇都宮・東下ヶ橋の天棚の獅子の彫刻を並べてみれば、彫り師の力量の差は歴然だ。

陽明門↑



東下ヶ橋の天棚 後ろ鬼板↑



東下ヶ橋の天棚は大きなものだが、彫刻群は飛び抜けてすぐれているとは思わない。もっとよくできた彫刻は他の彫刻屋台などにたくさん刻まれている。一つだけパッと思い浮かぶものをあげておけば……↓

鹿沼 銀座二丁目の彫刻屋台 内欄間↑ (Clickで拡大)
ここで並べて見せたのは、獅子の彫刻としてたまたま目に入ったからにすぎない。それでも、陽明門の獅子と比べればはるかにうまいと、誰もが分かるはずだ。
そして、何よりも忘れてはいけないのは、東照宮は権力者が力と金にものをいわせて、無理な工期で作らせたものだが、彫刻屋台は庶民がなけなしの金を出し合い、職人たちも、金以上に「心意気」で、自由に作ったものという大きな違いがあるということ。
幕府から庶民に華美禁止が言い渡されてからは、彫刻屋台は彩色をせず、白木彫刻でどこまで「粋」や凄みを追求できるかを競った。色をつけられない分、彫りは細かくなり、動物の表情なども「彫り」の技術で細やかに表現した。
工芸としてもアートとしても、どちらが価値があるか……その判断は人それぞれの価値観や美意識次第だが、僕は迷わず彫刻屋台に軍配を上げたい。

だからこそ何度でも言いたいのだ。彫刻屋台への認識を改め、もっと公的援助を出してしっかり保存し、多くの人たちの目に触れるような施策をしてほしいと。

『彫刻屋台図鑑01 鹿沼の彫刻屋台』


ユネスコ無形文化遺産登録で注目が集まる鹿沼の彫刻屋台。全27屋台を128ページフルカラーで「アート」として見つめ直す写真集。
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日光東照宮の修復作業がひどいという話(2) 眠り猫2017/09/02 20:20

眠り猫の修復では目よりも毛が嫌だ



↑修復前の眠り猫(2013年9月) ↓再修復後(2017年4月)


三猿の「修復」があまりに雑でひどいというクレームは多かったが、眠り猫についても一悶着あった。
2016年11月に修復後の姿がお披露目されたが、それを見た来訪者たちから「眠り猫なのに起きているじゃないか」というクレーム?が相次いだので、年を越して1月になってから再修復させたという。
僕が見たのは4月だったので、11月からひと月半ほどの間「薄目を開けて」いたという眠り猫は見ていないのだが、写真を見る限り、「薄目」に関しては違和感がないなあ。パッチリ開いたら大ごとだろうけれどねえ。
もともと小さな彫刻だから、生で見ても、閉じているのか薄目なのかなんて分からないんじゃないだろうか。
それよりも金色の絵の具でチャカチャカっと毛を描き込んでいるほうがはるかに気になる。
猿の毛の描き方以上に雑だし、そもそもこういう毛の描写がオリジナルにあったのだろうか? この毛を描き込んだことで、作品全体のクオリティが一気に下がったような印象を与えてしまっている。クレームをつけるなら目よりもこの毛のほうではないかな。

ちなみに、日光東照宮では、本殿、石の間及び拝殿、正面及び背面唐門、東西透塀、陽明門、東西回廊は国宝に指定されており、眠り猫は回廊の一部だから、自動的に「国宝の一部」ということになる。
回廊にはたくさんの彫刻が施されており、そのほとんどは見事なものなのだから、この際、眠り猫の彩色修復はむしろおとなしめに、地味にやっておけばよかったのではないかと思ったりもする。


『日光東照宮の狛犬と日光のはじめ狛犬たち』

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日光東照宮の修復作業がひどいという話(1) 神厩舎の猿2017/09/02 20:00

東照宮の修復作業がひどすぎるとクレーム続出




日光東照宮の大規模修復作業が進み、今年は陽明門、三猿、眠り猫といった知名度トップ3が全部修復が終わったというので参拝客(観光客?)で賑わっている。原発爆発後、日光への観光客が落ち込んでいたことを思うと大変結構なことだ。
で、最近になって、三猿や眠り猫の修復がおかしいんじゃないか、下手すぎるんじゃないかという批判が続出して、新聞記事にまでなっている。

我が家から東照宮までは車で30分くらいで行けるので、日光市民になってから2回訪れているが、正直なところ、陽明門、三猿、眠り猫などにはほとんど興味がないので、写真もあまり熱心に撮らない。
彫刻であれば廻廊の彫刻のほうが陽明門よりずっと出来がいいし、三猿、眠り猫に至っては、アートとしてはなんの価値もないとさえ思っている。
でもまあ、ここまで話題になっていると「そんなにひどいの?」と、手元にある写真を見直してみた。
陽明門や三猿、眠り猫が修復される前の2013年の写真と、今年の4月に行ったときの写真を比べてみよう。

「聞か猿」のbefore after。毎回「三猿はどうでもいいや」と、サラッと遠くから撮だけなので、同じ角度のものが揃っていないのだが、まあ、どっちもどっちだよなあ。もともとがそんなにアート性の高いものではないと思うし



修復前の言わ猿。これも睫が「マスカラかよ!」と突っ込みたくなるほどで、とても誉められたものではないが……

修復後の言わ猿。睫は薄くなった代わりに、赤いアイシャドウ?が三重に加えられた。で、黒目の大きさが左右で違うっていうのは、いくらなんでも雑すぎる



で、よく見ると修復後の目の輪郭の内側にうっすらと以前の目の輪郭が見えている。つまり、今回の修復で、目は意識的に前よりも大きくしたことが分かる




さらに、睫を強調するのは前のバージョンで顕著で……



赤いシャドウも今回からというわけではなく、前のバージョンにもあったのだね



で、目は今回急に大きくしたのかというと、前のバージョンでは目の輪郭の外側に輪郭が残っているのが見て取れるので……

前のバージョンで意識的に小さくした可能性もある。元々の目の輪郭がもはや分からなくなっているのだ



印象が変わったことは事実なのだけれど……




修復技術が下手なのではなく、何度も修復されていて、オリジナルはどうだったのかが分からなくなっているのだという擁護論も出ているが、上の写真を見て思うのは、毛の描き方なんか、明らかに「下手」だよなあ、ということ。
前のバージョンでは一応毛の流れというか、どの方向に生えているかが分かる。腕の毛ならば肩から手先方向に生えているように描かれているのが見て取れるのだが、今回のはただ線を等間隔に描き込んだだけで、毛の流れなどまったく分からない。
これを見ても下手だ、センスがないと感じない人は、それこそ「ピカソより普通にラッセンが好き~」な人と同レベルだろう。
もしもこういう絵が描かれた掛け軸がなんでも鑑定団に出てきたら、鑑定する以前に一笑に付されと思う。

今回の「修復」では、一旦下の塗料を全部落として真っ白に塗りつぶしてから新たに描いたということなので、彩色職人がゼロから描いたことになる。そういう方法を採ったとしても、だったら「よりよい出来」にだってできたはずだ。前回の修復の出来が結構ひどいのだから。

三猿は神厩舎にある8面あるレリーフの1つが有名になりすぎたわけだが、この際、「彫刻」として、アートとして、そもそもどれだけのものだったのかという、根本的な問いかけをしてみたほうがいいんじゃないだろうか。
猿は馬を守る動物であるという伝承から猿のレリーフが施されたというが、場所からいっても、それほど気合いの入った作品だったとは思えない。
はっきり言えば、動物園の看板のようなものだろう。家光の大号令の下、大急ぎで作られた中で、担当の職人がどれだけ力を入れたのか疑問だし、実際、出来からしても大したものではない。東照宮全体が歴史的建造物であり、神厩舎も重要文化財になっているため、自動的にそこに付随している猿のレリーフも重文ということになるが、これが無名の寺社にあったならばどうか。観光資源としては活用されただろうが、少なくとも「芸術作品」として評価されることはなかったのではないか。

もちろん、東照宮自体を価値がないと言っているわけではない。同じ彫刻群でも透塀や廻廊に施されたものはアート性が高いと思うし、奥の院参道にある石造り狛犬や鋳抜門などは貴重な文化財であると同時にアートとしても素晴らしいものだと思う。
じっくり鑑賞して回ればたっぷり1日かかる場所であることに間違いはない。そこは間違えてはいけない。

眠り猫や陽明門についてはまた後ほど……。大江 新太郎(1876~1935)や伊東忠太(1867~1954)らが東照宮修復の歴史にどのように関わっていたかなどについてまで、ちょっとだけ探ってみたい。

『彫刻屋台図鑑01 鹿沼の彫刻屋台』

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日光杉並木街道が「ソーラー街道」に2017/05/22 22:06

このノウサギが跳びはねていた野原はもうない

2017年4月 初めてじっくり見ることができたノウサギ
前回の「ナガミヒナゲシ騒動考」で、
「人間が作ったソーラーパネルが里山エリアの山の斜面や草原を根こそぎ消滅させ、草花だけでなく動物も地域絶滅させていることのほうが外来種がどうのこうのよりはるかに大問題なのだが、それはまた次のトピックで……」と書いて終わったが、ここに続きを書く。

いちばん怖いのは人間だが、さらにやっかいなのは……


先月の13日、日光に引っ越してきて6年目にして初めてノウサギを見た。越後時代にも阿武隈時代にもノウサギというのはほとんど見た記憶がない。一瞬、横切るのを見たとか、その程度ならあったようにも思うが、まじまじと観察できるほど近くで見た記憶はない。
それが、日光で、しかもすぐそばを車が通っているような原っぱで悠々と飛び回っているのを長い時間見ていられたのだから感激した。
その原っぱにはこのところいつ行ってもキジの夫婦がいて、そのときもキジを撮っていた。そうしたら目の前を何か違うものが横切っていったのだ。

もう一度見たいと思って、その後も何度か出かけたが、キジの夫婦は毎回いたが、ノウサギは現れなかった。

で、翌月の5月20日、主に別の目的で出かけたついでに横を通ったのだが、なんと、原っぱ全体が完全に消滅していた。


4月13日にノウサギを見たとき。矢印のところにノウサギ

5月20日、すっかり草むらが消え、重機が作業中



間違いなくメガソーラー建設だろう。すでに周辺の草むらがことごとくつぶされてソーラーパネルだらけになっているので、ここも狙われているのではないかと危惧していた矢先だ。
ここは草むらだけでなく、そこそこの水たまりを含む湿地もあった。そこにはオタマジャクシ(おそらく時期的に見てアカガエル)が泳ぎ、ヤゴなどもたくさんいた。通年、水が完全には抜けず、湿地を保っている場所というのはこのへんにはもうほとんど残っていない。ツチガエルなどがオタマジャクシのまま越冬するためにも必要だし、鳥や野生生物にとっても貴重な水場になっていたはずだ。
それがつぶされてしまったのは本当に痛い。

オタマジャクシやヤゴがいた水たまりも埋められていた



日光に引っ越してきた直後、町内の集まりで「自然環境を……」と口にした途端、「人間は自然を壊して生きているんだからしょうがない」と反論する人がいた。めんどくさいやつが引っ越して来やがった……と警戒の目を向けられたようだ。
俺たちは環境を壊して金を稼ぎ、よりマシな生活を営んできた。これからもそれは続くんだから、きれいごとを言うな……というわけだ。

しかし、こうした犠牲に見合うだけのメリットが人間にあるのか? 太陽光発電バブルはすでにはじけている。中小の業者はあちこちで倒産しているし、大手は最初から「建て逃げ」作戦だから、あと10年もすればあちこちで事業者不在ソーラーパネルが増えるだろう。
20年もすれば、ゴミとなって放置されたソーラー設備の撤去で、各自治体は苦労するに違いない。

すでに我々は高額な「再エネ賦課金」を電気料金に上乗せさせられている。金がかかる発電方式というのは、それだけエネルギーを使っているということだ。太陽光発電パネルを製造する過程で、すでに膨大な電気や資源を使っているからこそ高くつくのだ。それを回収できるだけの発電ができない、見込めないからこそ電気料金や税金を投入して無理をしている。

原資が税金や公共料金だから、そこに生じる利権にたかれば確実に儲かる。人の金で非合理な商売をして儲ける……この構図は原発を推進してきた国策と同じだ。問題が起きても誰も責任をとらないし、負の遺産を押しつけられ、つけを払わされるのは若い世代。これのどこが「クリーン」なのか。
発電にかかっただけ電気料金に上乗せしていいですよという「総括原価方式」をやめれば、必然的に、最も合理的で省エネの発電方法をとらざるをえなくなるから、原発も大型ウィンドタービンも無茶なソーラー発電もなくなり、日本の環境破壊は緩まる。
でも、総括原価方式をやめれば、利権も薄まるから絶対になくならないだろう。

日光杉並木は国の特別天然記念物に指定されているわけだが、その両側はすでにソーラーパネルだらけになっており、杉並木を通っていても杉の間から異質な光景が見える。

ナガミヒナゲシが危険生物だの駆除しろだのなんだのと言っている場合ではない。植物も動物も巻き込んだ大規模環境破壊が猛スピードで進んでいるのだ。すでに大変なダメージを受けているが、今からでもなんとか歯止めをかけないと、気がついたときには取り返しのつかないことになる。いや、すでになっている。

ノウサギとの再会を願って、「兎が原」とでも名づけようかと思っていた草原はもうない。
「兎が原」の横は通学路だが、これから先、子供たちはノウサギやキジではなく、ソーラーパネルに埋め尽くされた土地を横目に見ながら通学することになる。その子たちは「再生可能エネルギー」は増やすべき重要なもので絶対的な「善」だと刷り込まれているから、これは「自然にとっていいもの」だと信じて成長するかもしれない。……やるせない……。

道路(通学路)側から見た光景。もうすぐここに黒いパネルが敷き詰められるはずだ


このままでは日光杉並木は「ソーラー街道」になる

このへんを散歩するたびに、オセロゲームのコマようにソーラーパネルが増えていく。「え? ついこないだ通ったときにはなかったのに……」と呆気にとられるのだが、だんだん麻痺してくるのが怖い
日光杉並木は、日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けているのだが、そのすぐ脇をソーラーパネルで埋めていくことになんの制約もかからないのか? 
今日も重機が稼働中。ここはもうすぐパネルで覆われるだろう



消滅した「ウサギが原」のすぐ横。住宅や農地に隣接してすでに設置されたパネル



例幣使街道。杉の間から見えているのは牧場なのだが……



なにやらパネルを載せるフレームがすでに組み上がっているようだ。ここも牛からソーラーに転換か……



杉並木を挟んで反対側の草地。ここなどもすでに「予約済み」なのかもしれない



その先、日光山内に近づくにつれ、杉並木の間から見えるパネル群は増える



これだけ増えると植生や生態系も影響を受けないわけにはいかない。ただでさえ毎年倒れる杉が増えているのに、大丈夫なのか……



手前が例幣使街道の杉並木。そこに隣接して作られたメガソーラー。道を渡って見ると……↓



こういう規模のものがあっという間に作られている



国も県も市も、何を考えているのか?



ここを通って日光山内や奥日光をめざすハイカーやライダーたちは多いが、こうした風景に迎えられてどんな気分になるだろうか



ソーラーパネルを敷き詰められた側と街道を挟んで反対側。見えているのが杉並木(この向こう側が例幣使街道)。こちら側にもこうした草原があちこちあるが、この調子だとどんどんパネルが敷き詰められ、日光杉並木街道はソーラーパネルに挟まれた「ソーラー街道」になってしまいそうだ



ここも狙われそうだなあ。すでに「予約済み」なのかもしれない……




悩みながらもこんな動画を作ってみた(↑Clickで再生)
↑これを作りながら「プロテストソング」という言葉を思い出した。ずいぶん前に消えた言葉のような気がする。まさか人生の終わりにさしかかってこういうものを作るとは思わなかった

プロテストというよりも、ただただ悲しい、虚しい。

この地でノウサギに再会することは、もう一生ないかもしれない。

   

森水学園第三分校を開設

森水学園第三分校

↑BGMに使った『Uguisu 2017』の全曲はこちらでどうぞ(↑Clickで再生)



タヌパックスタジオで生まれた音楽の1つ『アンガジェ』(↑Clickで再生)



メガソーラーとミサイル2017/04/26 21:02

横根高下メガソーラーの規模と位置

広大な雑木林の斜面に16万7000枚のソーラーパネル

県立前日光自然公園である横根高原の南東斜面にプロ野球公式グラウンド90面分(約107ヘクタール)のメガソーラーを建設するという計画があることをつい先日知った。
「横根高原メガソーラー建設 差し止め求め署名提出 鹿沼市に市民団体」という東京新聞の記事
前日光(まえにっこう)県立自然公園内の横根高原に大規模な太陽光発電所(メガソーラー)を建設する計画を巡り、開発予定地が広がる鹿沼市の市民団体「横根高原の自然を守る会」の小野彰史代表らが16日、市役所を訪れ、佐藤信市長と横尾武男市議会議長に対し、建設に反対する市民らの署名8796筆を添え、建設差し止めに向けた対応を求める要望書を手渡した。
市と同会によると、事業者は東京都新宿区の外資系企業「カナディアン・ソーラー・プロジェクト」が設立した「CS栃木鹿沼合同会社」。カナディアン社は昨年11月、地元向けに説明会を開き、横根山頂から九合目付近の107ヘクタールを開発し、太陽光パネルを設置すると説明。建設予定地は鹿沼市が7割程度、残りが日光市にまたがる。
(東京新聞 2017/02/17)


これに先立ち、今年1月25日には鹿沼、足利、栃木、佐野の4市長が栃木県に「再生可能エネルギー発電施設導入に関する規制の見直しを求める要望書」というものを出している。これになぜか日光市は参加していない。何を考えているのか!>日光市

要望書は4市長の連名で、(1)県立自然公園条例における規制の見直し (2)県統一ガイドラインの策定 ──の2項目。この日は佐藤信(さとうしん)鹿沼市長、岡部正英(おかべまさひで)佐野市長はじめ、4市の関係者が県庁を訪れた。
佐藤市長は「県立公園内へのメガソーラー設置を非常に危惧している。規制見直しを国に働き掛けてほしい」と説明。福田知事は「国が間もなくガイドラインを策定する。市町と連携しながら課題に対処したい」と答えた。
(「メガソーラー規制、栃木県に要望 県内4市長」下野新聞 2017/01/26)


どういう場所なのか、実際に見に行ってみた。
見渡す限り雑木林の山。主木はミズナラで、隣接する国有林は水源涵養保安林に指定されている。
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あまりに広大で把握できない。今見えている部分は全部伐採されるだろう


この部分をかつてヤマハが所有していたのが問題のはじまり。ヤマハがもてあまして転売したことで今回の計画が出てきた。
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これから新緑の季節


計画地を見て思ったのは、これはもう、反対運動をするまでもなく計画は頓挫するのではないか……ということ。あまりにも馬鹿すぎる。
普通に考えれば、こんな計画が合理性を持つわけがない。冬には雪も積もるし、ろくに発電もしないのではないか。標高1000mを超える場所だから、資材運搬や伐採した木の運び出しなども困難。どれだけ金をかけるつもりなのか。
送電線も新たに引くわけだし、計画として無理がありすぎる。
土砂崩れや下流側での井戸の水涸れ、河川の汚濁、川魚の死滅などが起きる可能性は高いから、損害賠償を求めて訴訟も起きるだろう。そういうものすべてに対応できるだけの力が企業側にあるとは到底思えない。建て逃げ同然の結果になって、最後は自治体が税金を投入して後始末をすることになる。自治体もそんな余裕はないから、膨大な処理困難ゴミを山の斜面に放置したままになる可能性が高い。

あまりにも馬鹿すぎる。助手席で妻も呆れ果てた顔で言った。「いくらなんでもこれはないでしょう。立ち消えになるんじゃない?」……と。
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しかし、このような奈良県の現実を見ると、今の日本、どんなに馬鹿なことでもやらかす「想定外の馬鹿」がいるのだと知らされる。
横根高原はこの何百倍の規模のウルトラ馬鹿なのだが……。↓
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昨日も、近所で反対の署名集めをしていたら、ある人がこう言った。
「それって脅しみたいなもので、嫌なら自治体が買い取れということなんじゃないですか?」
そこまで考えてやっているとは思えないが、こういう馬鹿なことを引き起こす原因を作った再エネ振興政策の罪は大きい。企業の目的は発電ではなく金儲け。税金や電気料金に含まれている再エネ賦課金がなければハナから成立しない話。
いずれにしても企業が税金をむしり取るための詐欺と恐喝の合わせ技みたいなものだ。

自分の目に触れないところでどれだけひどいことがあろうと関係ない……という心理

ここを見に出かける直前に、「日米首脳が電話協議」という速報ニュースを見ていたので、こんなことをしている間にもミサイルが飛んできたりして……などと思った。
そういえば、松本サリン事件のときは神奈川の大山で狛犬の写真を撮っていて、売店のおばちゃんから「長野のほうで毒ガス事件が起きたみたいですよ」と聞いたのだった。

建設予定地を見終わって、山を下りながら考えた。

アメリカ政府は自国(本土)に被害が及ばないなら、他国でどれだけ人が死のうがあまり気にしない。中東やアフガンでしてきたことを見ればそれは明らかだ。
北朝鮮がほんとにアメリカ本土にまで届く核ミサイルを手にしてしまいそうだと分かった今、その前に叩けるなら、日本や韓国に多少(?)の被害が出てもいいと思っているだろう。
たとえがまずいかもしれないが、僕だって、本音を言えば横根高原に東京ドーム25個分のメガソーラーができるより、わが家の隣に数十坪のミニソーラーができるほうがはるかに死活問題だと考える。人間のエゴってそういうものだ。
アメリカの人たちが「あのアホが飛ばした核ミサイルがこっちに届く可能性があるなら、その前に、日本を舞台にしたミサイル合戦を起こして、徹底的に叩いてほしい」と、口には出さなくても思っているとしても、それは自然なことだ。
日本に関心を持つ世界じゅうのひとたちが、「なぜ日本人は、せっかく平和を享受して、この先の未来も戦争を避けうる幸運なポジションを占めているのに、わざわざ戦争に巻き込まれる国にしたいのか?」と疑問を述べるようになってから、もう何年も経っている。
怪訝な顔の世界の国ぐにを精力的に安倍首相が駆けずり回って、オカネをばらまきまでして説得して、憲法がすでに国民の合意によって改憲されたという真実とは異なる虚像をつくりだしてまで、全力でめざしたゴールに、やっとたどりついた。(ガメ・オベールの日本語練習帳 「新時代に入った日本」


……まさにそうなんだろう。あらゆる面で、今までの時代とは違う時代に突入した日本。

横根高原メガソーラーに反対する
↑クリックすると反対署名用紙などがダウンロードできるページにジャンプできます。ぜひご協力ください




ネットの基本も分からないままいきなりトンチンカンなPDFを送りつける弁護士2016/07/31 14:41

3つめは法曹界の劣化の話。
先日、東京の弁護士事務所から「侵害情報の通知書兼送信防止措置」という不思議なタイトルのメールが送られてきた。
ウイルスかspamかと思ったが、念のため添付PDFを見てみると、女性用トイレの盗撮写真をのせているサイトの管理者がうちだと決めつけて「法的処置をとる」などという文面だった。
あまりのトンチンカンぶりに唖然とした。
もちろんそんなサイトとは無関係だし、過去においてもまったく関与したことがない。
なにを根拠にこちらをそのサイトの「管理者」とみなしたのか、なんの説明もない。
ドメインレジストラは世界最大級の一次レジストラで、DNS(ネームサーバー)もその一次レジストラが所有・提供しているものを使っていた。この一次レジストラはうちでも使っていてドメインの再販をしているが、そのレジストラを卸元としてドメインを再販しているパートナー業者は世界中に数千は存在する(もしかすると万の単位かもしれない)。そのうちのどこかが管理しているドメインなのだろう。あるいは所有者が直接一次レジストラから購入して管理している可能性も高い。
使われているドメインのWhois情報はプライバシー保護代理会社のもので、真の所有者は閲覧できないが、これも世界中にこの手の会社があり、普通にやっていること。その会社は一次レジストラの提携先で、利用者は世界中にいる。
サイトに使われているドメインのIPを調べたらサーバーはスウェーデンの企業が提供しているようだ。
どこを見てもうちとはなんの関係もない。
想像するに、レジストラやWhois情報保護代理会社、DNS情報などを検索して、たまたまうちの名前(屋号)が出てきたので、うちがこのサイトの管理者だと勝手に思い込んだのだろう。
これは例えば、トヨタの○○という車を使った犯罪者がいて、その被害者から相談を受けた弁護士が、ネットで「トヨタ○○」と検索したらたまたまトヨタ車を代理販売している地方の小さな個人営業の自動車修理屋を見つけて「犯人を突き出さなければ告訴する」と息巻いているような話。
要するにこの弁護士(女性名で二人連名)は、インターネットの基礎知識(ドメインとは何か、レジストラとはどういうものか、DNSとは何か、Whois情報保護代理会社とはどういうもので何をしているのか……)を知らず、IPアドレスの割り出し方法すら知らず(そんなものはホスト名の名前検索をすればすぐに出てくる。素人でも1秒でできる)、簡単な下調べもしないままにまったくトンチンカンな迷惑メールを送りつけてきたわけだ。
これが、「こういう被害者からの相談を受けているのだが、このドメインはもしかしておたくが管理していませんか?」と訊いてくるならまだ許せる。
ああ、この人はネットの基本を知らないでネット犯罪被害者の担当になった新米弁護士なのかな。アホらしいけれどリサーチ方法の基本を少し教えてあげようかな、くらいにとらえていたかもしれない。
それがいきなり「質問」ではなく、「貴社にて適切な措置をお取りいただけない場合には貴社に対する法的措置も検討せざるを得ません」などという文面のPDFを送りつけてくるのである。
この人たちは本当に弁護士なのか? 頭は大丈夫なのか? と愕然とさせられた。
しかもである、このPDF文書には、依頼者の名前がフルネームで記されている。
「当職らは○○氏から委嘱を受けた代理人として……」と始まり、その○○氏(女性)がトイレで盗撮をされたかのような写真が云々、と、内容についても書いてある。これはもはや、不必要に個人のプライバシーを赤の他人にばらまいてしまっていることにほかならない。
こんなメールが来なければ、こちらはその○○さんがそういう被害にあっていることなど知るよしもないし、名前を見ることもないのだから。
これが本当に弁護士の仕事なのか?
このトンチンカンなメールをよこした弁護士には「もっと勉強してください。こういうトンチンカンなものを送りつけられ、こちらは大変迷惑です」と返信したが、未だに謝罪の言葉ひとつよこさない。不愉快極まりない。
まったく人違いの家に土足で踏み込んできてわけの分からない言いがかりをつけた後、間違いだと分かっても謝罪もせずに無言で立ち去る……これはもう「当て逃げ」犯罪と同じではないか。

建設業界や電力業界、政界、財界……だけでなく、法曹界の劣化もここまできているのかと、愕然としてしまった。

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詐欺的320億円施設「海水揚水発電所」お払い箱事件をなぜ追及しない2016/07/31 14:37

2つめの「唖然」はこの記事 「国頭村の揚水発電所廃止 電源開発、世界初の海水利用施設 沖電への売電交渉不調」
世界初の海水を利用した揚水発電所として、電源開発(本社・東京、Jパワー)が沖縄県国頭村安波で運転してきた「沖縄やんばる海水揚水発電所」が、19日付で発電所として廃止されたことが25日分かった。同発電所は国が建設費320億円を投じて1999年に完成。離島など海洋地域に適した再生可能エネルギーシステムとして実用化を目指してきたが、沖縄電力との売電交渉が不調に終わるなど商業ベースに乗せることが見通せず、電源開発は施設の継続を断念した。

 発電所を管理する電源開発石川石炭火力発電所(うるま市)は「試験レベルの役割を終え、営業運転として活用できないかを沖縄電力とも話してきたがまとまらなかった」と説明。2014年に国から払い下げを受けた敷地や施設の跡利用については未定とした。(琉球新報 2016年7月26日)


琉球新報の記事で、全国的にはほとんど報じられていないのではないかと思うが、こんなふざけたものが建設されていたこと自体が驚きだ。

Wikiを見ると、
「火力発電所の夜間余剰電力を使用して揚水が行われていた」とある。
この火力発電所とは同じ電源開発の石川石炭火力発電所(うるま市)のことらしい。
で、信じがたいのは「火力発電所の夜間余剰電力」という言葉がサラッと使われていることだ。
火力発電や貯水型水力発電というのはそもそも出力調整可能な発電方式であって、電力消費が減る夜間は出力を落とすなり止めるなりすればいいだけのこと。本来「余剰電力」など出るはずがない。
揚水発電所というのは、出力調整や頻繁な運転のON/OFFができない原子力発電所の付帯設備として考案されたものだ。
原発は一度動かしたら24時間定格出力で動かしっぱなし。下手にON/OFFを繰り返すのは危険。夜間に発電しすぎてしまう(余剰電力)場合は捨てる(発電機をつながない=「解列」という)のはもったいないので、その電力で真水を高い場所に汲み上げて貯めておき、電力消費が増えた時間帯にその水を落として水力発電にする、というもの。
沖縄やんばる海水揚水発電所はそれを石炭火力でやろうとしていたわけだ。
つまりこれは極端に効率の悪い火力発電であって、「再生可能エネルギーシステム」でもなんでもない。
火力発電の電力を使うならそのまま送電すればいいだけのこと。わざわざその電気を使って水力発電に変換することでどれだけ燃料を無駄に使うことになるかは小学生でも理解できる。
また、原発付設の揚水発電所が真水を使うのは、海水を使えば塩分で施設が腐食したりすることが分かっているからだ。
それなのに、わざわざ火力発電の電気を使って海水を使った揚水発電施設を作るなど、頭がおかしいとしかいいようがない。
「世界初」って、あたりまえだろうが。こんなものを作る国が他にどこにあるか。

要するにこれは国からの予算を使いたいためのバカ施設。発電が目的ではなく、予算を使いたいがための詐欺であり、ネズミ講と同じで犯罪である。
犯罪者が処罰されることもなく、ただ「ダメになったからやめます」で終わらせていいはずがない。
こういう国家ぐるみの犯罪を追及できないどころか、報じることもしないメディアの劣化ぶりもひどい。
それともメディアは、「もんじゅや核燃サイクル施設計画に比べればおままごとのようなもので、どうということもない」とでも思っているのか?
いや、おそらくそこまでも理解していないのだろう。その無知ぶりが本当に怖ろしい。


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新・マリアの父親 Kindle版

新・マリアの父親(Kindle版)

(2013/01 Kindle版)…… 20年前にすでに「フクシマ」を予言していたと注目が集まっている「小説すばる新人賞」受賞作が電子ブックで改訂版復活。原本は古書価格がアマゾンでも2万円を超えて売られていることもある「幻の書」。
新・マリアの父親(横書きバージョン)
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『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』

(2012/04/20発売 岩波ジュニア新書)…… 3.11後1年を経て、経験したこと、新たに分かったこと、そして至った結論
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裸のフクシマ

『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』(たくき よしみつ・著)

(2011/10/15発売 講談社 単行本)…… ニュースでは語られないフクシマの真実を、原発25kmの自宅からの目で収集・発信。
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