そして私も石になった(22)宗教は複層的な世界観を持てるか?2022/02/14 20:02

宗教は「複層的世界観」を持てるか


「今あんたが言った『説明できない何かを感じる能力』とか、それを求める精神というのは、『祈り』という行為につながっているんじゃないのか?」
 俺はNにそう問いかけた。

<祈り……か……>
 Nはその後の言葉を言いよどんだ。珍しく、考え込んでいるようだった。
 しばらくして、Nは再び語り始めた。

<「祈り」という言葉は、人間の歴史の中では宗教というものと深く結びつけられてきた。今でもそれは変わらないだろう?
 では、少し話が本題から逸れるかもしれないけれど、ここで、宗教というものについて、改めて考えてみようか。

 いろいろな宗教があるが、概ね共通しているのは「神」という言葉に代表されるような「崇拝の対象」があるということだ。
 でも、宗教は「神」が作ったものではない。人間が作ったものだ。
 例えばキリスト教はイエスが作ったものではない。イエスはいろいろなことを語ったかもしれないが、それは「宗教」ではない。「キリスト教という宗教」はあくまでもイエスの死後に、イエスの回りにいた人間や、イエスの言動を伝聞で知った人間たちが作っていったものだ。
 複数の人間が、時代を経て「編集」「改定」を重ねていくから、宗教はどんどん変質し、分化する。
 歴史を学べば分かるように、主にヨーロッパにおいて、キリスト教は民衆を統治する道具としてどんどん作り替えられ、体系化されていった。布教する側は組織化され、多くの組織がそうであるように、中で階級や上下関係が生まれた。
 キリスト教が成立してから長い間、キリスト教社会ではひとつの共通した世界観が形成された。
 この世界は「神」が造った。あらゆる生き物も神の創造物である。神が最初から今の姿に造り上げていて、その中でも人間は神に選ばれた特別な存在である。
 ……そんな世界観だね。今ではこのタイプの世界観は「創造論的世界観」と説明されている。

 しかし、科学が発展してくると、その考え方に異を唱える者が出てくる。
 ダーウィンの「進化論」は、その例としてよく使われるね。
 ダーウィンは、生物は時代の経過や環境の変化に合わせて「変化する」と考えた。
 ここで間違えてはいけないのは「進化する」とは言っていないということだ。進化という言葉には、よりよきものになる、上等なものになる、というニュアンスが含まれるけれど、そういうことではない。
 生物は環境に合わせて変化する。うまく変化できなかったものは環境の変化についていけずに種が絶えてしまうこともある、という説を主張しただけだ。
 しかしこれは当時のキリスト教の組織にとっては認めがたい世界観だった。あらゆる生物は絶対的な存在である「神」が創造したものであって、最初から今の姿であることが決まっていた、という教えだったから。
 魚は人間の食物となるために最初から魚の姿で造られている。ニワトリも同様に、人間がニワトリの肉や卵を食べられるように、あの姿で造られている。環境に合わせて変化するなどということはない、と。
 絶対的な創造主がいて、人間はその絶対的な創造主の意志に従って生きていくのだ、というシンプルな世界観や教理を浸透させれば、民衆をまとめやすい、管理しやすい。
 ところが、19世紀に産業革命が起きると、機械文明の発展でめまぐるしい社会変革が起きた。当然、人々の世界観も変わっていく。
 ダーウィンが『種の起源』を出版したのは19世紀後半のことだ。彼の「生物は環境に合わせて変化する」という説は、いつの間にか「進化」という言葉に置き換えられ、人間も進化する、世界を変えていけるのだという考え方が、それまでよりもずっと受け入れられやすくなっていき、従来のキリスト教的な管理体系が通用しづらくなっていった。

 人間が作った宗教にはいろいろな働きがある。
 大きく3つあげるとすれば、まずは今言ったように、民衆を管理し、動かすための道具としての働きだ。
 今のように情報伝達技術が発達していなかった昔は、大人数の人間をまとめ上げ、動かすための道具は同調圧力と宗教が中心だった。
 人間は不完全な生き物だから、悩んでも仕方がない。絶対的な存在の教えに従うことが絶対的な法則だと思い込ませることで、大人数を動かすことができた。

 2つ目は薬物のような役割だ。
 これは麻酔薬的な役割と覚醒剤的な役割に分かれる。
 死という避けられない運命を持って生まれた人間が、死を恐れないようにするためのモルヒネ。
 信仰という絶対的価値のためには、不合理、不条理と思えるようなことに目をつぶってでも突き進め!……そういう爆発的な、ときに暴力的な力を発揮させるための覚醒剤。
 どちらも戦争や虐殺に利用できることに注意しなければいけない。

 3つ目は組織力としての効果・効率。
 一人ではできないことが、教会や教団という組織の力を使えばできるようになる。
 例えば戦争孤児たちを見てなんとかしたいと思っても、一人の人間ができることは限られている。しかし、教会や教団といった組織の一員として動けば、孤児院をいくつも作ったり、その活動を国に援助させたり、広く寄付金を集めたりといった大がかりなこともできる。
 組織に所属する宗教者の中には、その宗教の教理のすべてを必ずしも受け入れていなくても、バランスのとれた組織人として振る舞うことで組織の内外から人望を集め、自分の信念や理想に近い活動を実現している者たちもいる。組織と頭は使いようなんだね>

「うん、そのへんまでは異論はないよ。宗教は使い方を間違えるとろくなことにならない、ってことだな」

<ろくなことかどうかは価値基準の起き方次第だろうけれど、とにかく「絶対的なもの」ではない。人間が発明し、作りあげたものであり、人間社会の中で使われる「手段」のひとつだ。多くの人間が抱いている「神」のイメージとは本来関係がない。「神」が存在するとしても、いわゆる「宗教」の中にはいない。
 おっと、なんでこんな話になったかというと、きみが「祈り」という言葉を出してきたからだったね。
 祈りというものが既存の宗教の中で使われる祈りのことなら、その祈りは神とつながってはいない。宗教が「手段」である以上、祈りは手段の中の手段だ。
 祈りという「手段」そのものにいい悪いはない。どう使うかが問題になる。しかし、多くの宗教者や信者が、そのことを認識していない>

「ちょっと待ってくれ。今あんたは『神』という言葉を再び使い始めた。Gではなく『神』だ。
 あんたらも神というような超越的な存在を信じて……いや、感じているってことか?」

<おお、鋭いね。
 その通りだよ。我々は神ではないし、世界のすべてを把握しているわけではない。ただ、世界は、物質世界という単相の世界だけではなく、それを包み込むような多重の世界、複層的世界だろうということを感じている。
 「神」が存在するとすれば、その複層的な世界全体を見通している、あるいは構成している(ヽヽヽヽヽヽ)何かなのではないかと感じている。
 だから、我々にとっての「神」は、きみたち人間が作った宗教の中にはない。
 でも、宗教というもののすべてを否定もできない。なぜなら、宗教は手段であっても、宗教的な要素の中には、複層的な世界観に通じるものもあると思うからだ。
 例えばブッダが瞑想していた世界は、それに近いものだったのかもしれない。
 ニーチェが「神は死んだ」と言ったときに見つめようとしていたものこそ「神」だったのかもしれない。であれば、「神は死んだ」という言葉こそ彼にとっての「祈り」だったのかもしれない。
 そういう意味での「祈り」ならば、「神」に通じるのかもしれない。
 そう考えたとき、一言で「祈りは手段にすぎない」とは言えなかったんだよ。

 宗教を「手段」にすぎないと断言することは、まさしくGの思考だ。
 我々はGとは違う世界観を持っている。そして、人間にも同じような親近感を抱いている。
 だから、人間が作りだした宗教というものの中にも、そうした要素が入っていてほしいと願っている。それもまた、我々にとっての「祈り」なのかもしれないね>


           


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そして私も石になった(20)AIが地球の未来を決める?2022/02/14 19:58

AIが地球の未来を決める?


<ところで、地球型生物が本来持っている本能的な感覚と対極にあるものはなんだと思う?>
 Nはそう振ってきた。

「本能と対極にあるもの? データや方式に基づいた計算……かな」
 俺はほとんど即答した。

<その通りだ。理詰めの計算。間違えることのない計算。それを可能にするものがコンピュータだね。
 Gはもちろんコンピュータを使っているわけだけど、機械はいつかは劣化して使えなくなる。しかし、Gは新たに高性能なコンピュータを製造するための設備や資源を持っていなかった。
 アダム型生物や人間を使って地球の地下資源を取り出し、機械文明を発達させ、高性能なコンピュータを作り出すまでのレベルにまで育てることは、Gにとって絶対に必要なことだったんだが、当然それには時間がかかる。
 それがここにきて急速に実現に近づいた。
 人間が最初に手にしたコンピュータはただの計算機だった。性能をどんどん上げていったとしても、計算させるのはコンピュータを使う人間だし、計算の目的を定めるのも人間だ。
 人間の脳はまだまだ幼い。コンピュータの性能が上がっても、間違った使い方をすれば、間違った答えが出る。
 だから、計算の目的を、人間ではなくコンピュータ自身に設定させる必要があった。そうすれば、Gの計画が早く、確実に達成できるからね。
 コンピュータ自身が学習し、そこから思考し、人間が思いつかないような目的や方法を提示する。いわゆる人工知能、AIというやつだね。これができるのをGは心待ちにしていた。
 人間はAIの概念をすでに50年くらい前から持っていた。しかし、当初はコンピュータ自身に学習をさせるとか提案をさせるという作業に、命令を入力する人間が介在していたから、まだまだ人工知能というまではいかなかった。
 湾岸戦争では戦闘計画に原初的なAIが使われ、戦費のコストパフォーマンスが大幅に上がったけれど、それはまだ人間が「いかに効率的な戦争を行うか」という命題をAIに与え、答えを出させているという点で「高性能なコンピュータ」の粋を出ていない。
 チェスや将棋の名人をAIが負かすなんていう段階も、まだまだだ。
 AIが本当の意味での「知能」になっていくには、コンピュータがコンピュータに指令を出すような仕組みができなければならない。これがなかなか大変なんだが、ここ10年で急速な進化を遂げた。
 その結果、コンピュータが出す答えが人間が当初想定していたものを超えてきて、人間がコンピュータに教えられるという場面がどんどん出てきた。
 例えば、Aという目的を達成するための最も効率のよい手段Bは何か、とAIに問うたら、「何もしないこと」という答えが出てきたりする。
 さらには「そもそもなぜAという目的を設定するのか? その発想がそもそも効率的ではない」などと指摘されたりするようになる>

「具体的にはどんな?」

<例えば、「この面倒な汚れ作業をするロボットを開発したいが、どんなロボットが作れるか?」とAIに訊くと、「その作業なら、ロボットにやらせるよりも、ロボット化した人間にやらせたほうが効率的だ」なんて答えを出してくる。
 「多くの人が感動する素晴らしい娯楽作品を作るにはどうすればいいか?」と訊くと、「娯楽作品の素晴らしさ、質の高さは定義できるものではないし、そういうものを作ったとしても多くの人が感動するわけではない。それよりも、ある種の傾向の娯楽作品を喜ぶ人間が増えるような環境を作って、人間の趣味趣向を管理したほうが効率的だ」といった答えを出してくる>

「効率的……か。それもGにとっての効率なんだろうな」

<まあ、そうかな。
 とにかく、これからもAIの性能は加速度的に上がる。当然、人口削減計画もAIが設計し、人間に実行させるようになる。
 そうなると、ますます人間が計画の全貌を見抜くことは難しくなる。なにしろAIは、人間の行動特性をすべて学習しているからね。
 インターネットの発達によって世界中の人々が自由に体験や研究成果をネット上に公開できる時代になると、人間がいちいち入力しなくても、コンピュータはネット上の情報をすべて自分で収集、分析できるようになる。
 歴史上実際に起きた出来事、それを引き起こした原因、その出来事を仕掛けた人物とその性格、そのとき民衆はどう動いたか、そこから導き出される「集団が陥りやすい心理的傾向」といったものも、すべて「データ」として保存し、人間社会を効率的に操作して大きく変化させるにはどうすればいいのかという計算ができる。
 当然、その計算に使われるデータの全貌を人間の脳では把握しきれないし、分析もできない。
 AIには、可哀想だとか、残酷だとか、楽しい、悲しい、虚しいといった感情はないから、計算も答えもすべて「効率」や「確率」の高さが優先される。
 戦争という方法を検討するときも、戦争は残酷だからやめよう、ではなく、効率が悪いからやめよう、となる。
 そういう社会がすぐそこまで来ている>

「人間社会の未来はAIが決めるというのか?」

<そうだね。もうそうなってきているし、この流れは止められない。
 AIを相手に、人間が能力的に勝てるはずはない。どんなに高い知性や強い信念、行動力を持った人物が現れても、AIを出し抜くことはできない。
 AIを相手にするということは、人間社会全体の動きや「時代の空気感」を相手にするということだ。その社会の中に組み込まれて生きている人間が、社会全体に勝つことはできないだろう?>


           


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そして私も石になった(19)「複層的世界観」を呼び覚ませ2022/02/14 19:56

「複層的世界観」を呼び覚ませ


 量子論のことを思い出したことで少し冷静さを取り戻した俺は、Nにこうリクエストした。
「複層的な世界観とか、単相の物質世界とか……あんたの言いたいことはなんとなくは分かる。いや、分かる気がするが、もう少し分かりやすく説明してくれないか」

 俺が拒絶の壁を取り外したと感じたのか、Nも心持ちゆったりした調子で話を続けた。

今の人間社会は唯物論的世界観に支配されている
 きみたち人間は、この世界は物質のみで構成されていると考え、科学の価値を最上位に持ってきた。思索や感情さえも、心理学やら精神医学といった「科学」で説明しようとする。……違うかな?>

「確かにそういう傾向は強くなってきただろうな」

<物質のみで構成される「物質世界」、科学ですべてが説明できる「物理世界」──そういう世界がすべてなら、自分という存在が肉体の消滅と同時にこの世界から消えることは仕方がない。それ以上でも以下でもない。
 自分の存在だけではない。誰にとってもそうなのだから、個人の集合体である「人間社会」が消えることも仕方がない。社会も所詮は「物質」なのだから。
 実際、短い人類史においても、絶滅に追い込まれた民族や国家はたくさんあった。
 南北アメリカ大陸やオーストラリアの先住民社会は、ヨーロッパからやってきた白人たちによって完全に破壊された。日本でも北東北から北海道にかけて暮らしていた先住民は大量殺戮され、社会が消滅した。人種としてわずかに生き残った者はいるが、それまでに形成されていた社会は消えて……いや、消されてしまった。
 社会も形と質量のある「物」にすぎないとすれば、物理社会の必然として、いつかは消滅する。
 それ以前に、本来その社会が持っていたであろう寿命よりもずっと短く、人間の意志によって簡単に消されることもある。
 世界人口の削減というのは、それと同じことが、複数の民族、複数の国家を含めた「人間社会」という世界規模で起きるということであって、なんら不自然なことではない。
 唯物論的世界観では、そういう結論に行き着くはずだ。
 ましてや、人間一人一人の寿命はたかだか数十年だ。きみたちができることは、その数十年の中に限られている>

「ひとりの人間が生きている間に成し遂げたことが、その人の死後も、後に続く世代の社会形成に影響を与えたり、価値のあるものを残したりすることはあると思うけどね」

<自分が死んだ後の世代に何かを残したい、なんて考えても、それは自己欺瞞というものだ。
 テレビを発明した人間のおかげで、その後の人間社会ではテレビが使えるようになった。でも、テレビを発明した人間はその社会を知ることはできない。テレビをあたりまえのように楽しんでいる人間たちにとっても、テレビを発明した人間の人生なんて関係がない。
 唯物論的世界観では、そうなるんじゃないのか?>

「それはちょっと論理の飛躍があるような気もするけれど……」

<じゃあ、もっとズバリと言おうか。
 唯物論的世界観や物質主義というのは、Gの世界観であり、思考特性なんだ。
 人間はGが遺伝子操作をしてつくりだした生物種だが、もともとは地球型生物だ。今でも地球型生物としての感覚というか本能を完全には失ってはいない。
 地球型生物の本能には、唯物論からはみ出した感覚が含まれている。犬も熊も鯨も、草木でさえもね>

「え? 急にスピリチュアリズムみたいなことを言い出すんだな。原始宗教か?」

<宗教というものについては、今はまだ触れないでおこう。視点が混乱するからね。
 ここではもっと生物学的な……いや、「感覚的な」話として聞いてほしい。
 第六感とか虫の知らせとか、そんな類の話かな、くらいにとらえてもらってもいい。
 Gにはそうした感性はない。しかし人間にはそういう感性がもともと備わっている。
 Gが人間をつくった際、人間にある種の芸術的感性が芽生えたことは計算外だったという話はすでにしたよね。
 Gにとって「物を正確に描写したり、設計図通りに造形する技術」は科学技術を発展させる上で極めて重要な能力だけれど、アブストラクトアートみたいなものを楽しむ能力は必要なかった。だから、もともとは持っていたのかもしれないけれど、次第に失っていったんだろう、というような話。
 ついでにいえば、Gには「笑う」という行為もほとんどない。理にかなっていないことを見て苦笑する、馬鹿にするといった感情はあるが、意味もなく大笑いしたりすることはない。
 いわゆる「箸が転んでも笑う」なんてことは理解できない。人間はそれを自然なこととして受け入れるが、Gは理由を探ろうとする。成長期の子供がホルモンバランスが崩れて感情表現の神経が狂う一種の病理現象、とか、そんな風にね。
 私がここで言いたいのは、今こそきみたち人間には、この「本来の地球型生物としての本能」を呼び覚ましてほしい、ということなんだ。
 そうすれば、唯物論を超えた「複層的な世界観」も次第にはぐくめるようになるかもしれないから>


           


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そして私も石になった(18)緩やかな集団自殺?2022/02/14 19:54

緩やかな集団自殺?


 ここまできて、俺はもはやいちいち反論する気力も理由も失っていた。
 ただただ虚しさを感じるだけだ。
 黙り込んだ俺を哀れに思ったのか、Nはこう言った。

<そんなに落ち込むことはないよ。
 人が人を殺すという歴史は太古の昔から今まで、延々と続いてきた。今に始まったことじゃない。
 この計画には、殺す側と殺される側の関係が見えてこないという巧妙な仕組みがある。
 ウイルスやワクチンが引き金となって、何年か後に心臓麻痺や癌や脳卒中や免疫不全症候群で死んだとしても、自分が殺されたとは思わない。周囲で死んでいく者たちを見送るときも、病気で死んだ、寿命で死んだ、そういう運命だったと思うだろう。
 ワクチンを打った医者や看護師も、自分たちがそういう計画に使われたとは思わないから、罪の意識や後悔を感じることはない。むしろ自分は人の命を救うという職務を果たしたと信じる。その結果がこうなら仕方がないと思える。
 計画が進んで、多くの人が死んでいくとしても、爆弾を落とされたり、ガス室に送られたりして殺されるよりは抵抗や恐怖を感じない死に方だ。「病死」なのだから。
 いっぺんに死ぬ人数の多い少ないが問題なんじゃない。死ぬのは一人一人なんだからね。
 大量に病死する中に自分が入っていたら不幸だとか、そういうことにはならないだろう?
 人が死ぬことは避けられない。死はあくまでもひとりひとり……「個人」の問題だ。
 きみ自身にとっても、自分の死は、社会の問題ではなく、個人の問題なんじゃないか?
 苦痛や恐怖を味合わずに、どれだけ楽に死ねるか……それは大問題だよね。自分の問題なんだから。
 でも、他人の死に感情を移入しても、無力感を味わうだけだ>

「あんたは何を言っているんだ? そういう問題じゃないだろうが!>
 俺は初めてNに怒りを覚えた。

「人間は一人では生きていけない生き物なんだよ。感情というものもある。クラゲやキノコとは違う。
 他人の人生との関わり合いの中に幸福や不幸を感じる生き物だ。社会の中での自分の役割を感じることで、生きる気力も生まれる。ただ生まれて、楽に食べて、寝て、娯楽を消費して、苦痛なく死ねればいいとか、そういうものじゃない」
 うまく言えなかったが、そこまでを一気に吐き出した。

<うん。分かっているよ。すべて分かっているつもりだよ。
 言い方がまずかったね。

 きみは今、人間は社会の中でしか生きていけないし、感情も持っている生き物だと言ったね。
 まさにそうなんだが、だからこそ、個人がどんなに自分にとっての理想を描いても、世界を変えることはできない。動いていく社会の中で生きるしかない。
 効率的に人口を削減させるために、ウイルスやワクチンを使って、抵抗されるどころか自ら死を選ばせるような詐欺的な手法で人を殺していく計画なんて、きみにとってはとんでもない、許しがたいことだ。同じように、そんなことは絶対に許せない、あってはならない、間違っていると思う人間はたくさんいる。
 しかし、そう思っている人間が大多数であるにもかかわらず、人間の集合体である社会は大量死の方向に動いていく。
 何かおかしいんじゃないかと感じても、結局は流されてしまう。自分にとって都合のいい「常識」に従い、これでいいんだと言いきかせてしまう>

「これだけ多くの人間がいて、優秀な人間もいっぱいいて、その一人一人が真面目な生き方をしていても、そうした力は反映されないのか? 一度社会が動き始めたら誰にも止められないというのか?」

<多分、無理だろうね。歴史がそう言っている。戦争や虐殺という、はっきり目に見える手段でさえ、誰も止められず、何度も繰り返され、人間というのはそういうものだという認識がひとつの「常識」として共有されている。
 今から起きることは目に見えにくい、巧妙に仕組まれた虐殺だ。今までの虐殺とはまったく違う、手強いものだ。
 戦争や虐殺をよきことだと思っている人間はほとんどいない。大多数の人間は、この世から消すべきものだと思っている。それでもなくせない。
 しかし今度の虐殺は、大多数の人間がよかれと思って自ら進めてしまう種類のものだ。そんなものに打ち勝てると思うか?>

「これだけ情報が豊富な時代にも、誰も計画の実相を見抜けないのか?」

<見抜けない。驚くほど簡単に瞞され、従順に従ってしまうだろうね。
 人は、自分があまりよく知らない分野のことについては、他の「優秀な人間」とされている者の言動を判断材料にする。
 判断材料にされるその「優秀な人間」は、自分を「優秀な人間」だと認めてくれた業界や学界での人生を重視する。しかも、権威や地位を獲得したときは老化で脳の働きが固まってしまっていることが多い。大胆な仮説や自由な発想ができなくなっているから、今まで身につけてきた「常識」の範囲内で予定調和を図る。
 真面目な人間は、何よりも社会の「規範」を重視する。真偽がよく分からないことについては、常に現状を大きく乱さない方向を嗅ぎ取り、それに従うことが真面目な生き方だと信じている。そうして社会の変化に従って新たな「常識」が作られ、その常識に従う真面目な生き方が正しい人生だと、次の世代が教育される。
 優秀でも真面目でもない多くの人間は、同調圧力、恐怖心、差別意識、正常化バイアスといった、今まで私がくどくど説明してきたものに従って生きている。
 そういうものの集合体が人間社会だ。昔も今も変わらない。何人かの人間が「そうではない」と主張しても、黙殺されるか抹殺される。
 見方を変えれば、これは人間という生物種にとって、緩やかな集団自殺のようなものなのかもしれない。そういう「因子」が、人間という生物の中に組み込まれている。
 その因子を持っていることも「社会的生物」としての一面であり、人間社会の特質なのかもしれない>

「その説は到底認められないな。あんたらの時間感覚からすれば、俺たち人間の歴史は極めて短い歴史かもしれない。でも、人間は今まで何度も修羅場をくぐり抜け、ここまで生き延び、生活の質を向上させてきた。
 戦争や虐殺の歴史を繰り返してきたことは確かに愚かなことだし、今もそれは続いている。でも、失敗をするたびに改善されてきたことはたくさんある。さっきの優生保護思想は、今では世界中どこでも許されないことだと認識されている。つまり、俺たちの「常識」は更新され続けている。その方向性は概ねいい方向だと俺は思っている。
 あんたらの予想は悪い方向ばかり見ている」

<もちろん、我々は神ではないから、未来を完全に見通せるわけではない。
 一人一人が真剣に自分の頭で考え、言葉を発し、行動することがうまく結合していけば、社会の動きを変えていくうねりが生まれるかもしれない。その可能性は低いけれど、ゼロだとは言ってない>

「なんかもう、うんざりだな。あんたは結局何を言いたいんだ? 人間の社会は所詮くだらないものなんだから、運命に従えと言いたいのか?」

<いや、少し違う。
 私が言いたかったのは、人間とはどういう生き物なのかということを知ることで、この物質世界での生を受け入れられれば、落ち着いて死んでいけるんじゃないかということだ。
 特にきみのような人には、それを知って……いや、少しでも感じてもらえれば、人生の最後の時間を、新しい感覚に包まれて過ごせるんじゃないかと思った。  カタカムナに興味を持った森水生士と交流し、複層的な世界観を持つようになった。最近では、量子のこととか、ずいぶん興味を持って想像を膨らませていたじゃないか>

「今あんたが話してきたことと量子と何の関係があるんだ?」

<直接の関係はない。でも、量子が見せる複相の世界に比べれば、人間が見えている単相のこの物質世界は、個々の肉体に縛られた単純すぎる世界だ。
 そのことを肯定して死んでいくのもいいが、それだけではないかもしれないという想いを抱きながら死ぬのも悪くはないんじゃないか?>
 
           


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そして私も石になった(17)「常識」とは何か2022/02/14 19:52

「常識」とは何か


「大体のところは分かった。でも、にわかには信じられないな」
 俺としては、そう言うのが精一杯だった。

<信じる必要はない。いや、簡単に信じてはいけない。とことん考えてみてほしいんだよ。
 人が信じる信じないという言葉を使うときは、背後に「常識」というものが存在している。疑いようのないこと、あるいは疑ってはいけないと認識されている情報や解釈。
 でも、この世界に「常識」と呼んでいいものなど、ほとんどないんだよ。
 今の私の話をきみが受け入れられないのはよく分かる。億単位の人間がそんなに簡単に殺されるはずはない。同じ人間がそんなとんでもない計画に加担し、粛々と実行しているなど考えられない。そういうことだろう?>

「う~ん。まあ、そうかな。
 Gがどんな連中かというのは、話がぶっ飛びすぎていて想像できない。でも、あんたの話の通りなら、ウイルスとワクチンの『合わせ技』で人口削減計画を実行しているのは、殺される側と同じ人間なんだろう? しかも、少数じゃない。ウイルスを研究開発する研究者たち、ワクチンを製造する製薬会社や製造工場の人間、上も下も合わせれば相当な数の人間が関わっていることになる。
 そうした人たちがみんな、億単位の人間を間引いていく計画を受け入れるとは思えない」

<そう、まさにそこだよ。億単位の人間を、巧妙な仕掛けで間引いていくなんていうこと自体が「常識」を逸脱しているという認識があるからさ。例の「正常化バイアス」だね。「常識バイアス」といってもいい。
 そんなことはあるはずがない。確かに、自分が今やっていること、やらされていることはどこかおかしい。でも、まさかそんなとんでもない話に結びついているはずはない、と思い込もうとする。
 そうした「常識バイアス」が働いて、一人一人が疑問に思いながらもやっていくことが積み重なると、常識外れな結果を生み出してしまう。
 人口が増える減るという話でいえば……そうだな、例えば、世界中で、年間どのくらいの赤ん坊が堕胎されていると思う?>

「さあ……あまり考えたことがないなあ」

<この日本という国では、統計上は約30万だ。昭和30年には117万人という統計があるので、ずいぶん減ったとも言えるね。これはデマや誇張ではなく、国が出している統計の数だよ。
 30万人というと、秋田市、盛岡市、福島市といった東北の都道府県の県庁所在地の人口だ。つまり、毎年その規模の都市の人口が中絶によって消えている。
 さらにいえば、毎年癌で死ぬ人の数と大体同じだ。
 ということは、もし日本で人工中絶が禁止されて、年間30万人の赤ん坊をすべて養子にして誰かが育てたとしたら、毎年東北の県庁所在地規模の都市が1つずつ増えたり、癌で死ぬ人がいなくなるのと同じだけの人口増になるわけだ。
 日本国内でさえこの数字だから、全世界となると数千万人から億の規模の胎児や赤ん坊が殺されている。
 途上国では、資格のない闇医者がろくに消毒もしないままに処置したり、妊婦に強力な下剤を飲ませたり、妊婦の腹をグイグイ押したり、乱暴な方法で母親も一緒に死んでしまうケースがかなりある。
 生まれた途端に殺されてしまう赤ん坊もたくさんいる。中国では、一人っ子政策の副産物として、女の赤ん坊がたくさん殺されてきた。生まれたばかりの男の赤ん坊とこっそり交換するという商売まである。
 さらにいえば、中絶胎児や、産んだ途端に親が捨てる赤ん坊の一部は「商品」として闇売買されている。美肌化粧品などに使われるコラーゲンの抽出から始まり、薬物反応の実験台、つまり生きたままの赤ん坊による生体実験……。新薬開発の裏では、そうしたことがこっそり行われてきた。
 さすがにこうした実態は今ではほとんど表に出ることはなくなった。システムが巧妙になっていったからね。
 こうしたことは、多くの人たちは「常識」として受け入れない。そんなことがあるはずはない、と思い込む。
 しかし、歴史を見直せば、ナチスの「T4作戦」や日本陸軍の「731部隊」など、多くの人の「常識」「良識」からかけ離れたことが歴然と行われてきている。
 T4作戦というのは、ナチスが行った優生思想による障碍者の殺害作戦のことだ。7万人以上の障碍者が施設から灰色のバスに乗せられてガス室送りになった。
 T4作戦の中止命令が出てからも、いくつかの病院では入院していた障碍者を薬殺や食べ物を与えないで餓死させるなどし続けていた。
 さらに、T4作戦はユダヤ人虐殺へとつながっていく。T4作戦で障碍者をガス室に送り込んだ医師、看護師、移送作業に携わった運転士や焼却場などの作業員らの多くは、その後に続いたユダヤ人虐殺でも同じ役割を果たしている。
 これが広く知られるようになったのは1945年の終戦後だ>

「またナチスドイツか……」

<いやいや、優生思想による障碍者の排除という政策を実施していたのはドイツだけじゃない。当時、障碍者を殺害まではせずとも、強制断種させるという政策は欧米で普通に実施されていた。アメリカ、カナダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、エストニア、アイスランド、スイス、オーストラリア、日本などで、障碍者の強制断種は国の政策として行なわれていた。
 国が政策として押し進めていて、それを国民も受け入れていたということは、優生思想は当時の「常識」になっていたともいえるね。
↑当時のドイツで学校の教材に掲載されていた図。「遺伝病患者は国家に1日あたり5.5マルクの負担をかけている。 5.5マルクあれば遺伝的に健康な家族が1日暮らすことができる」

 太平洋戦争後、アメリカは731部隊が得た生体実験のデータを引き渡すことを条件に、関係者たちの罪を問わないことにしたのは広く知られた事実だし、人間の歴史にはこの手の話はいくらでも出てくる>

「そうだな。その時代に俺はすでに生まれて、生きていた。中国大陸で経験したことを、少しずつ思い出してきたよ。人間がそういう虐殺を世界のあちこちで行っていたのは大昔の話じゃない。俺の人生の時間の中で実際に起きていたことだ。これは認めないわけにはいかないな」

<少しずつ自分の頭で考え始めてくれたようだね。
 そういうことなんだよ。それが人間の歴史だし、人間という生物の本質の一部でもあるんだ。認めたくないだろうけれどね。
 一般に「常識」とされている認識なり感覚は、自分が見たくない現実を見ないようにしている「架空の世界」の話なんじゃないかい?>


           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
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