『阿武隈裏日記』を改題しました。
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「デブリを取り出して廃炉」という幻想2018/03/12 12:11

2018/03/10『報道ステーション』(テレビ朝日)より

言えない立場の増田尚宏氏と言える立場の田中俊一氏



↑2018年3月10日放送の『報道ステーション』(テレビ朝日)の特集コーナーより(以下同)

今日、3月12日は1F1号機が水素爆発を起こした「原発爆発記念日」である。
その映像をテレビで見てすぐに、僕たちは川内村の家から逃げ出し、川崎市の仕事場に避難した。あの日からちょうど7年が経った。
今ではメディアも特集などを組むことは少なくなり、今年は森友文書書き換え問題などに食われている(あれもまた国家の根幹を揺るがすとんでもない事件だが)。

一昨日の『報道ステーション』で、1Fの廃炉がいかに困難かという問題を特集していた。
久しぶりに見る増田尚宏氏の苦渋に満ちた顔。この人がこの日記に登場するのは何回目だろうか。まずは2015年の⇒この日記を読んでいただきたい。
2015年3月、NHKの海外向け放送にてインタビューに答える増田尚宏氏
2015年、このインタビューで増田氏はこう語っている。
溶融燃料についてはわからない。形状や強度は不明。
30メータ上方から遠隔操作で取り除く必要があるが、そういった種類の技術は持っておらず、存在しない

(政府は廃炉作業を2020年に始める意向だとしているが)それはとてつもないチャレンジと言える。正直に言って、私はそれが可能だとは言えない。でも不可能だとも言いたくない。

どのくらいの被ばく線量なら許容されるのか? 周辺住民ににはどんな情報が必要なのか? どうすればよいか教えてくれる教科書はない。
私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない

国内で放送されないと知っていたからか、かなり正直に胸の内を吐露している。
それが、3年経った現在では、こう答えている。


使用済み燃料を取り除くことは責任を持ってやらなくてはならないやればできるものだと思っている

この言葉の間にはいくつかの言い訳や説明が挟まれていたが、要するに「できる」「やらなければならない」と言いきっている。
3年前には「溶融燃料(デブリ)についてはわからない。形状や強度は不明」と言っていたが、今ではデブリの状態が想像以上にひどい状況だということが分かってきている。
優秀な専門家である彼には、デブリの取り出しなどとうていできないと分かっている。しかし、組織人として「取り出さなければならない」「やればできると信じている」などと答えなければならない立場に置かれていることの苦しさが、最後には悲鳴にも聞こえるような大きな声での叫びとなって絞り出されたように見えた。

増田氏は東電にとって、いや、日本の原子力業界にとってかけがえのない人材だ。彼のスーパーマン的な活躍がなければ、1F同様、2Fも爆発していただろう。7年前、彼が2Fの所長だったことは本当に幸運だった。
が、その彼も、この数年で顔つきがだいぶ変わったように感じる。どれだけ辛い人生を歩んでいることか、察するに余りある。

デブリは取りだしてはいけない

一方で、その直後に登場した田中俊一・原子力規制委員会前(初代)委員長は、相変わらずのシニカルな表情でこう言ってのけた。









廃炉現場の最高責任者に任命され、今も現場を指揮している増田氏と、規制委員長を辞めた田中氏の立場の違いがはっきり見て取れる。
人間としては増田氏のほうを信頼したいが、この点に関しては、田中氏の言うことが正しい。
「そういうことを言うこと自体が国民に変な希望を与える」という発言のときは、「幻想」と言いかけたのを、少し考えてから「変な希望」と言い換えていた。

圧力容器を突き破って底まで全量溶け落ちたデブリを遠隔操作で取り出すなどという技術は存在しない
そもそも、取り出せたとしても、置き場所がないのだ。きちんと形のある使用済み核燃料でさえ保管場所がないのに、不定形になったデブリをどこでどうやって保管するというのか。これ以上、デブリの取り出しにこだわるのは、莫大な金をかけてリスクを拡大するだけの愚行だ。
つまり、デブリは取り出せないし、今は取り出そうとしてはいけない
では、どうすれば今よりひどい状態にならないで長期間、ある程度の安全を得られるかを、合理的に考えなければいけない。そんなことは、誰が考えたって自明の理だ。

できないことを「そのうちできるだろう」「なんとかなるんじゃないか」といって無理矢理金を投入して始めてしまい、取り返しのつかないことに追い込まれるのは原子力発電事業そのものの構図だ。出てくる核廃物の処理や保管技術がないままに原子力発電所を作り、今なお、この根本的な解決方法は存在しない。日本国内だけでも、行き場のない使用済み核燃料が発電所内にごっそり置かれたままだ。
技術が存在しないどころか、エントロピー増大則に従うしかない物理世界(我々が生きているこの地球上)では、核廃物の根本的な処分方法は今後も見つからないだろう。
できないことをしてはいけない──このあたりまえのことを無視するとどんな結果になるか、すでに手痛く体験したことなのに、なぜこの期に及んでまで、謙虚になれない、合理的に判断できないのだろう。

3年前の増田氏の言葉と今の増田氏の言葉を比較すると、絶望的な状況はますますはっきりしてきたのに、逆に正直に答えることはできなくなったという悲しい現実が見える。
増田氏の「組織人」としての苦悩は痛いほど分かるが、とにもかくにも、彼の上で命令を下す人たちがきちんとした判断を下さず逃げてばかりいる限り、増田氏の高い能力も、今後変な方向に向かいかねない。
それこそ、3年前の彼が漏らした「私は、ステップごとに決定を下さなければならないわけだが、正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない」という言葉の重みが、ますます深刻なものになっているのだ。
その闇の深さ、問題の大きさを、現場の人たちだけに押しつけず、我々一般人も、少しは共有すべきではないか。
次の選挙のときには、このことをぜひ思い出してほしい。
どうしようもない破局が訪れる前に、どうせ自分は死んでしまうだろう、という「食い逃げ」の人生でいいのか、と自問自答してみようではないか。


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大化の「改新」と明治「維新」のトリック2018/02/16 01:49

最近読んだ3冊

「聖徳太子はいなかった」説

聖徳太子という人物はいなかった、という学説が複数出てきて、もうすぐ日本史の教科書からこの名称が消えるだろうといわれている

まず、聖徳太子というのは後世でつけられた名で、当時の名前は「厩戸王(うまやとおう)」、より正確には「厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)」といい、574~622年に実在した人物とされている。用明天皇(518~587年)の皇子で、母は蘇我稲目(そがのいなめ)の孫にあたる穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)。19歳で推古天皇(554~628年)の摂政となって政治にあたった……と、このことについては極端な異論はないようだ。
しかし、彼が「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」など、従来の歴史教科書に書かれていたことをすべてやったということに対しては、証拠となる資料がなく、大いに疑問視されるようになった。
聖徳太子というのは、いろんな偉業を成し遂げたから「聖徳太子」(聖なる徳を持つ偉大な皇子)なのであり、その実体(実在の人物)とされる厩戸王がそれらを成し遂げたのではない、とすれば、「聖徳太子」なるスーパーヒーローは存在しなかったといえる……という論法が出てきたのだ。

厩戸王の死後23年経った645年、中大兄皇子、中臣鎌足らが、宮中で蘇我入鹿を暗殺して、当時権勢を誇っていた蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼした。
僕らが小学生、中学生のときは、たしかこれを「大化の改新」として習った。
これを習ったときも、よくある政治クーデターなのに、なぜこれだけ「改新」と呼ぶのだろう、と疑問を抱いたのを覚えている。
倒される蘇我氏の側の人名が、稲目、馬子、蝦夷、入鹿……と、なんか悪者イメージになっていて、倒した側は中大兄皇子……って、なんか名前からして後世で書き換えられているんじゃないかとも思った。
今はこのクーデターのことは「乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)」と呼び、その翌年646年に出された「改新の詔」を皮切りに、それまでの豪族支配から天皇中心の律令国家成立の流れを「大化の改新」と呼んでいるらしい。(ただし、改新の詔の内容は日本書紀編纂のときに書き換えられ粉飾されている)

で、この「大化の改新」後、すんなり天皇中心の律令政治が始まったかというとそうはいかず、672年には天皇家内部で後継者争いによる内乱(壬申の乱)が起きる。
その後、720年に日本書紀が編纂され、そこで初めて聖徳太子なる人物像が登場する。
血で血を洗うようなドロドロした抗争が続いた後、ようやく安定しかけた政権にとって、天皇家による統治を正当なものであるという印象を与える必要があった。そのために、聖徳太子というスーパーマンを「創作」する必要があったのではないか……というのが、いくつかある「聖徳太子創作説」の中でも主流となっているようだ。

政権を握りたい勢力が対抗勢力や邪魔者、ときには先住民を殺して権力を握る──これは古今東西、常に繰り返されてきたことで、少しも珍しいことではない。武力やテロ、暗殺、密殺などの手段で権力の座についた者たちが、その行為を正当化するために歴史を都合よく書き、「正史」「国史」として定着させるのも同様だ。
日本史ではよく「○○の乱」「○○の変」という名称の戦争やテロが登場するが、これが○○「征伐」とか「平定」なんて名称になっているときは要注意だ。
悪いやつを鎮圧したのだ(征伐)、乱れていたのを沈静化させて平和にしたのだ(平定)、という印象操作だからだ。

大化の「改新」の時代は1400年近く前のことで、当時の権力者闘争の実相や庶民の暮らしぶりなどは正確には「分からない」というのが学術的には正直な態度だろう。
少なくとも「聖徳太子」という人物が数々の改革を行ったというような記述を日本史から外すことは正しい。

明治「維新」と大化の「改新」

大化の「改新」同様、明治「維新」という言葉にも、子供の頃からずっと違和感を抱いていた。
武力クーデターなのに、なぜ「乱」とか「戦争」といわずに「維新」というのだろう、と。
当然、その後の政権、権力者たちにとって、あれを「正しいものだった」「旧悪を一新するものだった」というイメージ戦略が必要だったのだろうな、ということは感じていたが、恥ずかしながら、この歳になるまで真剣に調べたり学んだりしてこなかった。
あまりにも生々しくて、知ることが楽しくないという理由もある。もっと楽しく、苦しまずに生きていたほうが楽だもの……。

遅ればせながら、ここにきて近現代史を少しずつ勉強し始めたのは、小説版『神の鑿』を書くための準備という意味合いが強い。
利平・寅吉・和平の年表を作成しているのだが、明治初期の作品記録がまったく空白なのだ。
明治に入る前、最後に分かっている作品は、慶應元(1865)年、沢井八幡神社に奉納された狛犬で、このとき利平61歳、寅吉は21歳だった。
利平が亡くなるのは明治21(1888)年8月1日で83歳。明治に入っても20年以上生きていて、その時期、弟子の寅吉は20代~40代だから、石工として存分に腕をふるえる時期だった。
寅吉の作と思われるものが登場するのは明治20(1887)年 関和神社(白河市)の狛犬(銘なし)で、このとき寅吉はすでに43歳になっている。
この間、利平と寅吉の師弟がほとんど作品を作っていないというのはどういうことなのか?
その答えの一つが廃仏毀釈だろう。
明治になってから世の中の空気がガラッと変わってしまった。江戸末期までは盛りあがっていた庶民の文化創造力が一気に押しつぶされていた……そう考えるしかない。
そこで、当時の空気を知るために、幕末から明治にかけての日本史を勉強し直しているという次第だ。

冒頭に写っている3冊はいずれも「明治維新」についての通説に疑問を呈し、今の日本近代史は「薩長史観」で歪曲されていると主張している本だ。
しかし、著者たちの立ち位置は少しずつ違う。
また、主観的な表現や断定論調が多くて、そのまま鵜呑みにするとまずいな、と感じる箇所がまま見うけられるのも共通している。
ただ、3人とも「テロ行為を美化してはいけない」ということを明言している。
維新の精神的支柱とまでいわれる吉田松陰が、事あるごとにどれほど暗殺を主張したか、それゆえに当の長州藩がいかにこの男に手を焼いたか、はたまたどういう対外侵略思想をもっていたか、もうそろそろ実像を知っておくべきであろう。(略)私はテロリズムは断固容認しない。テロを容認しないことが、当時も今も正義の一つであると信じている。
(『三流の維新 一流の江戸』 原田伊織、ダイヤモンド社、2016)

江戸時代を無批判に称揚するのは危険だろう。しかし、あの265年間が、高く評価すべき実績を残したということは、いかにしても否定できない。そのなかで最も重要なものは、平和であり、治安のよさであり、それらを支えた道徳である。
もし慶喜がロッシュの意見に動かされ、抗戦を開始していたら、(略)旧幕府軍の主力となったフランスと、新政府軍の主力となったイギリスが、日本を二つに分割していた可能性が高い。
(『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』 森田健司、洋泉社歴史新書y、2016)

卑劣な暗殺をも正当化するような「物語」がまかり通ってしまえば、日本をふたたび亡国に導かざるを得ないと、著者は真剣に危惧する。実際、「物語」の枠組みに従って、薩摩や長州のテロ行為をも正当化し続けてきたことが、昭和になって軍部や右翼によるテロリズムの横行を生んだのではなかったか。戦後においてもなお、(略)立憲主義もないがしろにするという、現在の政府与党の姿勢を許すことにつながっているのではないのか。
(『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』 関良基、作品社、2016)


奇しくも3冊とも2016年に刊行されている。この3冊だけでなく、ここ数年、「明治維新」という「薩長史観」を見直すべきだ、と主張する本がいろいろ出版されている。
今の日本が極めて危うい状況にあることを知っている人たちが、声を上げている。

明治「維新」の時代は、わずか150年前である。大化の「改新」の飛鳥時代とは違い、一次資料も豊富に残っている。
それなのに、明治政府による歴史改変粉飾イメージ戦略が今なお日本人の心を支配している。これは国としても極めて恥ずかしいことだ。

関氏は『赤松小三郎と~』の中で、こう述べている。
 日本には、太平洋戦争以前にも、世界を相手に戦争をして敗北したという経験を持つ人びとがいた。他でもない、維新政府の長州の元勲たちだ。長州は下関戦争で、英仏蘭米の四か国と戦い、散々に敗北した。外では覇権国に従属しつつ、内では専制的にふるまうというレジームは、1945年の太平洋戦争の敗戦によって生じたものではなく、1864年の下関戦争の敗戦によって発生したのである。それは「長州レジーム」と呼ぶべき、明治維新以来の特質なのだ。
(略)
 安倍首相は、「戦後レジーム」によって日本が汚されたと悲観する必要はないのである。GHQが行った「改革」など、明治維新がつくりあげた官尊民卑の官僚支配、覇権国の要求に従いながら、国内的には、万機公論に決しない上意下達の専制支配を行う長州レジームに、小手先の修正を加えたにすぎなかったからだ。それほどまでに、長州の元勲たちがつくりあげた官僚支配の長州レジームは強固だった。GHQですら、それを崩せなかったという事実について、安倍首相は誇るべきであろう。全く卑下する必要はないのである。
(『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』 関良基、作品社、2016)


ちなみに、太平洋戦争後もこの国は「国家的敗北」を経験している。それは原発爆発だ。国を挙げて押し進めてきた「安全神話」が完全に吹き飛ばされた。
しかし、その「敗戦処理」においても、政府は見事に「官尊民卑の官僚支配、万機公論に決しない上意下達の専制支配」を成功させている。
国民もまた、この大きな過ちを単なる「東北で起きた悲劇」として矮小化し、見て見ぬふりをしている。
このツケは間違いなく近い将来、取り返しのつかない負債として国民全体に襲いかかるだろう。


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森鴎外と原発2018/02/15 14:44

最近読んだ3冊

関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』を読了した。
本書とほぼ同時に、森田健司氏の『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』(洋泉社)と原田伊織氏の『三流の維新 一流の江戸 「官賊」薩長も知らなかった驚きの「江戸システム」』(ダイヤモンド社)も読んだのだが、この3冊の中でも関氏の『赤松小三郎と~』は力作で読み応えがあった。
その中で、つい先日書いた「森鴎外と脚気」にまつわる記述もあったので、以下、前々回の日記の続編?として紹介してみたい。
本書の中で深く同意したのは以下の部分だ。
 日露戦争後、陸軍における脚気惨害の真相を追及する声が国会であがり、陸軍省も脚気の原因を究明するため「臨時脚気病調査会」を組織せざるを得なくなる。しかし、あろうことか、第三者の立場で脚気被害の原因を究明しなければならないはずの委員会の委員長に就任したのは、問題を引き起こした当事者である森鴎外(当時、陸軍省医務局長)であった。(略)問題を起こした当事者であるところの森鴎外は、真相究明委員会の委員長になって問題をもみ消した。
 これは「利益相反」であり、今日も引き続く構造である。福島第一原発事故後に諸外国から直ちに問題視されたのは、原子力の安全性をチェックするべき原子力安全保安院が、原子力を推進する主体である経済産業省の中にあったという事実であった。推進機構の下部組織に規制機関が存在するのでは、安全審査がなおざりにされるのは当然であった。
 明治維新以来の日本の政治システムにおいては、巨大な人災が発生しても、真相の究明はなされないまま、誰も責任を取らず、同じことが繰り返されていく。(略)このシステムは、やがて無責任態勢をさらに肥大化させて、太平洋戦争にまで突き進み、滅亡に至った。
 (略)その巨大無責任態勢によって、福島第一原発事故に行き着いたと言えるだろう。

『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』 関良基 作品社)


イチエフ爆発の後、2012年(平成24年)9月、野田佳彦内閣の下で、従来の「原子力安全・保安院」に代わるものとして「原子力規制委員会」が環境省の外局として誕生した。
初代委員長に就任した田中俊一氏は、日本原子力研究所副理事長、独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問、社団法人日本原子力学会会長(第28代)、内閣府原子力委員会委員長代理、財団法人高度情報科学技術研究機構会長、内閣官房参与……という経歴を持ち、国の原子力推進政策の中枢を渡り歩いてきた人物だ。
発足時の同委員会の職員は455名で、うち351名が経産省出身者。原子力安全・保安院から横滑りした者も多かった。

2年後、政権は第二次安倍晋三内閣になっていた2014年9月、島崎邦彦・委員長代理と大島賢三委員が退任となり、代わりに田中知(さとる)氏と石渡明氏が委員に任命され、田中知氏は委員長代理に就任した。
田中知氏は、2004年度から2011年度までの8年間に、原子力事業者や関連の団体から760万円超の寄付や報酬を受け取っていたことが就任前から報じられていた
原子力規制委員会発足時、野田政権は「直近3年間に同一の原子力事業者等から、個人として一定額以上の報酬等を受領していた者」は委員に就任できないというガイドラインを定めていて、田中知氏はまさにこれに該当したが、当時の石原伸晃環境相は衆議院環境委員会で、民主党政権時代のガイドラインについては「考慮していない」と答弁。菅義偉官房長官も記者会見で「田中氏は原産協理事としての報酬を受けていなかったので、委員就任の欠格要件には該当しない」と強弁した。

森鴎外「臨時脚気病調査会」委員長就任と同じ構図だ。
その結果がどうなっているかは説明不要だろう。

鴎外の不勉強と開き直り、つまらぬプライドのおかげで陸軍内で数万人の脚気死者が出た時代、この国はその悪しきシステムや慣習を是正できないどころか、ますます増長させ、太平洋戦争へと突入していった。
原発爆発後の日本は、同じ歴史を繰り返そうとしているのではないか。


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廃仏毀釈と狛犬史の断絶2018/02/14 10:36

三國神社の狛犬 (1990年撮影)
上の写真は1990年に福井県の三國神社を訪れたときのものだ。まだデジカメもなく、暗い境内で小さなフィルムカメラで撮っていた。
この神社にはたくさんの狛犬がいるのだが、中でも異様だったのはこの真っ二つに切られた(?)ような狛犬だ。
事故で首が落ちたとか、身体の一部が欠けたとかには見えない。人為的に「真っ二つ」に切断されているように見えて気味が悪かったのを覚えている。
もともと石に層理(違った成分などの境界面。堆積岩では泥や砂などの堆積物が堆積していった面)があって、風化が引き金でその面できれいに割れたのではないか、と教えてくださったかたがいるが、なるほどそうかもしれない。
その後も、各地で「不自然に壊れた」狛犬を見ることが何度かあった。台座から落ちて首が折れたとか、そういう例はたくさんあるが、どう見てももっと不自然に、何かで叩き壊されたのではないかとか、切断されたのではないかと思えるような壊れ方だ。
そういう狛犬を見るたびに、なぜこういう壊れ方をするのだろうと、もやもやしていたのだが、後に、明治新政府が発令した神仏分離をきっかけに起きた廃仏毀釈の嵐の中で、仏像などと一緒に狛犬も被害にあう例があちこちであったらしいことを知った。

神仏分離令はそれまでの慣わしであった「神仏習合」の緩さを改め、天皇の神格化を神道を利用して進めようとしたものだった。明治政府は寺社打ち壊しや仏像などの破壊まで意図していなかったとされているが、これを受けて、各地で庶民による寺院、仏像、仏堂、仏塔、経典などの破壊、処分がヒステリックに行われていった。
庶民による破壊活動がここまで激化したのは、それまで幕府が寺請制度によって民衆を管理してきたため、特権階級のようになった仏教関係者が腐敗したことへの民衆の反発があったともいわれている。文字通り「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の図だ。

狛犬は今では「神社にあるもの」と認識されているから、廃仏毀釈には関係なさそうに思えるが、ルーツが中国獅子であり、仏像などと同列に見られたために「神聖なる神社にこのような獣の像があるとはけしからん」と、破壊、廃棄の対象になった例もあったのだろう。
長州とともに明治新政府の中心となった薩摩(鹿児島県)では、1066あった寺院すべてが廃寺とされ、僧侶2964人が還俗させられたという。
その鹿児島にあるいちき串木野市冠嶽では、道の両脇に仁王像と狛犬が置かれているが、市の教育委員会が設置した案内看板によれば、
この仁王像は、現在地と神社との中間に仁王門があり、そこにあったといわれている。明治初年の廃仏毀釈時に、この仁王像も壊され、やぶの中に捨てられていた。それを昭和34年に、土地の有志たちが復元し、現在の位置に建てたものである。
(略)この狛犬も廃仏毀釈時に、一部壊されているが、像形は、まだしっかりしている。

と説明されている
同じような例は他でも見られる

僕が1990年に三國神社を訪れたときに見た「真っ二つの狛犬」も、同じような被害にあったのだろうか。
三國神社は越前だが、越前においても、明治4(1871)年、福井藩が84もの寺を「無禄無檀」の寺院として政府に廃合処分を伺い出た。白山修験道の拠点だった平泉寺も、仏堂、仏像、仏具などを破壊され、白山神社に改変された(『福井県史』通史編5 近現代)という
「真っ二つの狛犬」が、その渦中であのような姿にされてしまったのかどうかは分からないが、全国で「不自然に壊れた」狛犬を見るたびに抱く違和感のスタートになったので、今も強烈な印象が残っている。

森田健司氏(大阪学院大学経済学部准教授、専門は社会思想史。特に江戸時代の庶民思想の研究)は、著書『明治維新という幻想』のあとがきにこう書いている。
私が江戸時代に惹かれる理由は、実にシンプルだ。そこに眩い庶民文化があったから、である。
(略)
江戸の人びとが真摯に生きて、麗しく咲かせた「文化」という名の花は、明治の世が進んでいくにしたがって、目に見えて萎んでいった。
新たな価値観や文化を創出できたなら、それはそれで結構な話だろう。しかし実状は、まったく、そうではなかった。明治政府は、江戸のすべてを否定したが、異なる新しい文化の花を咲かせられなかった。それでも、社会の紐帯を維持できていたのは、「江戸時代の遺産」があったからに違いない。
(『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』洋泉社歴史新書y 2016年)



これはまったく同感で、明治になった途端に庶民文化が途絶え、停滞し、退化した様子はあまりに極端で、驚かされる。
狛犬に関していえば、明治一桁や10年代にはほとんど建立がないし、あっても、江戸時代の残り火のようなものばかりだ。庶民パワーや自由な発想を感じさせる狛犬が再び登場するのは明治20年代くらいからで、そこから一気にアートを追求したような作も出てきて、大正期あたりで爛熟する。

それが昭和に入ると、国威発揚を意識したような岡崎古代型や爬虫類っぽい顔のいかつい狛犬が増え、皇紀2600年(昭和15年)の奉納ブーム前後では、画一化された狛犬ばかりが目立つようになる。

日光に来てから知った彫刻屋台も「庶民の文化」としての溌剌としたパワーが魅力だが、それを生んだ江戸時代の空気を、現代日本に生きる我々は感じ取ることができるだろうか。
それにしても、である。魅力的な文化を生み出す庶民が、その文化を破壊する暴徒にもなるという事実に戦慄する。
獅子狛犬の詳しい知識がない(正統派狛犬?を見たこともない)まま「おらが村の鎮守様にも、そのこまいぬつうもんを奉納すんべえ」的なノリで全国各地で作られた「はじめ狛犬」。あの素敵な文化を生み出したのと同じ「庶民」が、神仏分離令をきっかけとして廃仏毀釈という暴挙をも行った──その歴史的事実をどうとらえればいいのだろうか。

閉塞感におしつぶされそうになる現代、庶民は知らないうちに、あの廃仏毀釈のような暴発に向かっていないだろうか……。
もしそうであれば、暴発する閾値を超える前に気づき、歴史を正しく見つめ直し、時代の空気やシステムを修正していくことが必須だろう。

小説版『神の鑿』を書くとしたら、テーマは「庶民文化」「自由な芸術」に生涯を捧げた者たちの魂、というようなものだろうと思っている。
それを描くための材料集めや歴史の掘り起こし作業を思うと、生きているうちに完成させる自信がどんどんなくなる。
しかし、とっかかりの時点で、「隠された歴史」がいろいろ見えてくるだけでも面白い。
まだまだ人生、楽しめるかな。


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矢部宏治の憲法観2017/10/15 15:35

■矢部宏治の憲法観(オレンジ本よりまとめ) 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(オレンジ本)のP.184-186部分を要約

「日本国憲法の真実」を極限まで簡略化すると、
  1. 占領軍が密室で書いて、受け入れを強要した。
  2. その内容の多く(とくに人権条項)は、日本人にはとても書けない良いものだった。

  • 占領軍が敗戦国の憲法草案を書いて、それを日本人自身が書いたことにしたことで、憲法という国家の根幹に大きな闇が生まれてしまった。
  • もしあのとき日本人の手で憲法を作ったら、その内容が現在の日本国憲法に比べてすぐれたものになる可能性はゼロだっただろう。
  • しかし、独立時に一度、GHQ憲法草案の良い点をできるだけ生かしながら、自分たちの手で作っておけば、少なくとも現在のように、立憲主義を否定する、まるで18世紀に戻ったような改正案を掲げた与党が選挙で圧勝するという、信じられないような状況は避けられたはず。
  • 近代憲法とは、いくら内容が良くても、権力者から与えられるものではない。(政府が作成してもいけない)
  • 憲法についての日本の悲劇は、「悪く変える」つまり「人権を後退させよう」という勢力と、「指一本触れてはいけない」という勢力しかいないこと。「良く変える」という当然の勢力がいない。もちろんそれは、変えるとかならず悪くなってしまうという現実があったから。
  • 密約のせいで、戦争ができるようになった「日本軍」を、自分たちの指揮の下で使いたいというのは米軍の過去60年の欲求。それを食い止めるために「指一本触れてはいけない」という護憲神話がこれまで戦術論として有効だったことは事実。しかし、そうして問題を先送りできる時期は過ぎた。
  • 2014年7月、安倍政権は歴代自民党政権が自粛してきた「集団的自衛権の行使容認」という解釈改憲を強行した。このままでは、おそらく日本が海外で、アメリカの侵略的な戦争に加担することを止められないだろう。

結論:
問題は、私たち日本人は1946年も、そして2012年(自民党改憲案)も、国際標準のまともな憲法を自分たちで書く力がなかったということ。個人でいくら正しいことを言っている人がいても意味がない。そうした意見をくみあげ、国家レベルでまともな憲法を書く能力が、今も昔も日本にはない。その問題を、これから解決していく必要がある。(p.190の結び)


枝野幸男らが主張する「改憲に反対するわけではない。しかし、安倍政権のもとでの改憲には絶対反対」というのも、結局はこういうことなのだろう。
















矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んだ2017/10/15 12:36

矢部宏治著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を読んだ。
筆者の頭のよさと勇気に脱帽である。

あとがき部分が特に印象に残ったので、一部を抜粋・要約してみる。


野田首相の自爆解散によって民主党が壊滅し、安倍政権が誕生してから、日本はふたたび戦前のような全体主義国家にもどろうとしているかのように見える。
(略)

GHQが日本国憲法の草案を書く3か月前(1945年11月)、当時42歳だったマイロ・ラウエル陸軍中佐は憲法改正のための準備作業として、大日本帝国憲法(明治憲法)を分析するよう命じられる。
1か月後、彼は「日本の憲法についての準備的研究と提案」というレポートを司令部に提出した。その結果は次の通り。

「過去の日本における政治権力の運用を分析した結果、数多くの権力の濫用があったことがわかった。そうした濫用が軍国主義者たちに日本政府を支配させ、国政を私物化することを可能にしてきた。
 日本に民主主義的な傾向がしっかりと根づくためには、次のような悪弊を是正することが必要である。

  • 国民に、きちんとした人権が認められていない
  • 天皇に直結し、国民の意思を反映する責任のない憲法外の機関がある
  • 裁判所が裁判官ではなく検察官によって支配されている。両者はともに天皇の意志の代理人である
  • 政府のあらゆる部門に対して、憲法によるコントロールが欠けている
  • 政府が国民の意思を政治に反映させる責任を負っていない
  • 行政部門が立法行為をおこなっている


↑この「軍国主義者たち」あるいは「天皇」を「安倍一強」に替えれば、そのまま今の日本の状況を表しているのでは?

政治権力の濫用が安倍たちに日本政府を支配させ、国政を私物化することを可能にしてきた。
  • 安倍に直結し、国民の意思を反映する責任のない憲法外の機関がある(官邸による官僚支配)
  • 政府のあらゆる部門に対して、憲法によるコントロールが欠けている(憲法解釈変更による集団的自衛権容認)
  • 行政部門が立法行為をおこなっている(「私は立法府の長です」)

……で、矢部氏の憲法に対するスタンスは、枝野幸男氏にとても近いのではないか、とも感じた次第。
とにかく今の状況を「すこしでもまともな方向に」向かわせるよう、国民も努力しなければいけない。
衆院選2017。こんどこそ「最後のチャンス」だろう。


















投票前から事実上当選している候補者が70人2017/10/11 18:27

コラージュではないそうだ。落語か!

投票前から事実上当選している候補者が70人

昨日、衆院選が公示された。
名づけるなら、「証拠隠滅解散」からの「逃げ恥選挙」というところだろうか。
総理大臣が「完全人払い」をしてブロックアウトした農地の前で公示後第一声を上げるなど、まるで落語のようなことになっているが、こんなひどいことになっても、選挙後はしっかり自公で300議席、希望と維新を合わせた「改憲勢力」が軽く8割を超えそうだという予測もある。
愚痴っていても身体に悪いだけなので、ここは少し視点を変えて、「選挙で政治家は選べるのか?」というテーマを扱ってみたい。

現在、日本の衆議院選挙は「小選挙区比例代表並立制」と呼ばれる形態で、小選挙区289と全国を11ブロックに分けた比例区176の合計465議席を選挙によって決める。
比例区は政党名で投票され、政党が獲得した票数の割合で分配された議席数によって、政党があらかじめ提出した候補者名簿の上位から順番に当選していく仕組み。
政党はその届け出名簿に掲載する候補者に順位をつけなければならないが、小選挙区にも立候補している候補者の場合、同一順位で掲載し、小選挙区での惜敗率(当選者の得票の何割に迫ったか)の高い順に当選させるということができる。
多くの政党では候補者への公平を期すため、小選挙区との重複立候補者には同一順位をつけるが、公明党や共産党はすべての候補者に順位をつけている。
また、自民党などの他党でも、小選挙区には立候補させず、単独1位や2位で比例区のみに立候補させたり、重複立候補者にも順位をつけて特定候補を確実に当選させようとするブロックもある。
例えば、比例区九州ブロックの自民党は、

  1. 園田 博之(75 前 10 元・官房副長官)単独1位
  2. 宮路 拓馬(37 前 1 元・総務省職員)単独2位
  3. 今村 雅弘(70 前 7 元・復興相)単独3位
となっていて、前回8名を当選させている自民党の上位3位までの単独順位候補者であるこの3名は、名簿に登載された時点で事実上当選が決まっている
今村候補は、復興相として記者会見の際に記者に暴言を吐いて名をはせた人物だが、「あんなとんでもない人間を議員にさせておくわけにはいかない」と思っても、選挙で落選させるわけにはいかないわけだ。

候補者名簿が出揃ったので、今回の選挙で「すでに当選している候補者」たちのリストを作成してみた。
(  )内は左から年齢、前職・元職・新人の別、当選回数、主な経歴……である。
2017衆院選 投票前から当選が決まっている候補者一覧 ★比例区で単独1位、2位、3位で名簿掲載されている候補者のうち、2014衆院選の比例区結果からすでに「当選している状態」の候補者

■北海道(定員8)

自由民主党:

  1. 渡辺 孝一(59 前 2 党総務副部会長)単独1位
  2. 鈴木 貴子(31 前 2 元NHK職員)単独2位
 前回当選者は3名。鈴木宗男の娘はすでに事実上当選。

 

公明:

佐藤 英道(57 前 2 元農水政務官)単独1位
 前回当選者1名

 

共産:

畠山 和也(46 前 1 党中央委員)単独1位
 前回当選者1名
 
 

■東北(定員13)

自民:

江渡 聡徳(62 前 6 元防衛相)単独1位
 前回当選者5名

公明:

  1. 井上 義久(70 前 8 党幹事長)単独1位
  2. 真山 祐一(36 前 1 党青年副委員長)単独2位
 前回当選者2名

希望の党:

寺田 学(41 前 4 元首相補佐官)単独1位
この人は、2010年6月、史上最年少で内閣総理大臣補佐官に就任し、菅内閣・菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣で務めた(Wikiより)。つまり旧民主党、民進党の内実や民主党政権時代の官邸内情報を知る人物。そういう人物が希望の党に重用された点に注目すべきだろう。

立憲民主:

  1. 岡本 章子(53 新 元・仙台市議)単独1位・宮城1区重複
  2. 山崎 誠(54 元 1 元・横浜市議)単独2位
  3. 阿久津 幸彦(61 元 3 元・内閣府政務官)単独3位
 前回民主党として4名当選。岡本候補は東北ブロックの立憲民主党唯一の候補なので、単独1位は不自然ではない。

共産:

高橋 千鶴子(58 前 5 党中央委員)単独1位
 前回1名当選


■北関東(定員19)

維新:

青柳 仁士(38 新 元・国連職員)単独1位・埼玉4区重複
 前回3名。青柳候補は、前回、前々回は比例復活も果たせずに落選。今回、豊田真由子候補と同じ選挙区ということで、選挙区はマスコミに注目されているが、なぜこの人だけが他の4人の重複立候補者を差し置いて単独1位になっているのか不思議。

公明:

  1. 石井 啓一(59 前 8 国土交通相)単独1位
  2. 岡本 三成(52 前 2 外務政務官)単独2位
  3. 輿水 恵一(55 前 2 党遊説局長)単独3位
 前回3名

共産:

塩川 鉄也(55 前 6 党中央委員)単独1位
 前回2名なので、梅村 早江子(53 前 1 党准中央委員)単独2位・埼玉15区重複も極めて有力。


■東京(定員17)

公明:

  1. 高木 陽介(57 前 7 党幹事長代理)単独1位
  2. 高木 美智代(65 前 5 厚生労働副大臣)単独2位
 前回2名

共産:

  1. 笠井 亮(65 前 4 党政策委員長)単独1位
  2. 宮本 徹(45 前 1 党中央委員)単独2位・東京20区重複
 前回3名

維新:

木村 剛司(46 元 1 元・墨田区議)単独1位
 前回3名(今回も3名立てているが、前回ほど維新に票が集まるとも思えないので……)


■南関東(定員22)

自民:

宮川 典子(38 前 2 文部科学政務官)単独1位
 前回8名

公明:

  1. 富田 茂之(64 前 7 党幹事長代理)単独1位
  2. 古屋 範子(61 前 5 党副代表)単独2位
  3. 角田 秀穂(56 前 1 党千葉県副代表)単独3位
 前回3名
 

共産:

  1. 志位 和夫(63 前 8 党委員長)単独1位
  2. 畑野 君枝(60 前 1 党中央委員) 単独2位・神奈川10区重複
 前回3名なので単独3位の斉藤 和子( 43 前 1 党准中央委員、千葉13区重複)も有力。


■東海(定数21)

公明:

  1. 大口 善徳(62 前 7 党国対委員長)単独1位
  2. 伊藤 渉(47 前 3 党愛知県代表)単独2位
  3. 中川 康洋(49 前 1 党三重県代表)単独3位
 前回3名

共産:

  1. 本村 伸子(45 前 1 党准中央委員)単独1位
  2. 島津 幸広(61 前 1 党准中央委員)単独2位
 前回2名

維新:

杉本 和巳(57 元 2 党県代表代行)単独1位・愛知10区重複
 前回3名なので、単独2位の喜多 義典(50 新 党事務局長代理)も有力か


■北陸信越(定数11)

自民:

山本 拓(65 前 7 元・農水副大臣)単独1位
 前回5名

公明:

太田 昌孝(56 新 党長野県代表)単独1位
 前回1名
 

共産:

藤野 保史(47 前 1 党中央委員)単独1位
 前回1名
 

立憲民主

  1. 西村 智奈美(50 前 4 元・厚労副大臣)単独1位・新潟1区重複
  2. 松平 浩一(43 新 弁護士)単独2位
 前回民主党として3名


■近畿(定数28)

公明:

  1. 竹内 譲(59 前 4 元・厚労副大臣)単独1位
  2. 浮島 智子(54 前 2 (元)環境政務官)単独2位
  3. 浜村 進(42 前 2 党青年副委員長)単独3位
  4. 鰐淵 洋子(45 新 元・参院議員)単独4位
 前回4名
 

自民:

奥野 信亮(73 前 4 総務副大臣)単独1位
 前回9名

維新:

森 夏枝(36 新 党府女性局長)単独1位・京都3区重複
 前回8名。なぜこの人だけが重複なのに単独1位になっているのか? 京都3区に超大物が出ているわけでもないのに……
 

希望:

  1. 樽床 伸二(58 元 5 元・総務相)単独1位
  2. 井上 一徳(55 新 元・防衛省職員)単独2位・京都5区重複
 ここもなぜ井上氏だけが単独2位? ちなみに京都5区は候補者5人全員が新人なのに

共産:

  1. 穀田 恵二(70 前 8 党国対委員長)単独1位・京都1区重複
  2. 宮本 岳志(57 前 3 党中央委員)単独2位
  3. 清水 忠史(49 前 1 党准中央委員)単独3位・大阪4区重複
  4. 堀内 照文(44 前 1 党准中央委員)単独4位・兵庫8区重複
 前回4名。穀田氏は原発の全電源喪失危機を国会で早くから指摘していた理系のインテリで国会には是非とも必要な人材だが、確実に比例区で当選できるのだから、京都1区に立つ必要があるのだろうか。
前回京都1区の当選者は伊吹文明(自民)で、穀田氏は2位。惜敗率は72.4%。3位の維新候補者と合わせた票数は伊吹候補を軽く上回っていた。であれば、伊吹候補を倒すためには、出ない、もしくは立憲民主から1人立てて共産は応援に回るという手もあったのではないか。そのほうが反自民票を上乗せできたかもしれない。


■中国(定数11)

公明:

  1. 斉藤 鉄夫(65 前 8 党幹事長代行)単独1位
  2. 桝屋 敬悟(66 前 7 元・厚労副大臣)単独2位
 前回2名

維新:

灰岡 香奈(34 新 元・和木町議)単独1位・広島2区重複
 前回1名。ここも不思議。

共産:

大平 喜信(39 前 1 党准中央委員)単独1位
 前回1名
 

■四国(定数6)

自民:

  1. 福井 照(63 前 6 元・文科副大臣)単独1位
  2. 福山 守(64 前 2 元・環境政務官)単独2位
 前回3名

公明:

石田 祝稔(66 前 7 党政務調査会長)単独1位
 前回1名

立憲民主

武内 則男(59 新 元・参院議員)単独1位(1人しか立っていない)
 前回民主党として1名。前回は自民党が547,185票で3名、民主党は326,803票で1名だったが、もう少しで2名までいけた。今回、比例区に1人だけでいいのか? 弱気すぎないか?


■九州(定数20)

自民:

  1. 園田 博之(75 前 10 元・官房副長官)単独1位
  2. 宮路 拓馬(37 前 1 元・総務省職員)単独2位
  3. 今村 雅弘(70 前 7 元・復興相)単独3位
 前回8名。九州の自民党は強い。記者会見室で逆ギレしたあの人も、選挙をする前から当選している。

希望:

中山 成彬(74 元 7 元・文部科学相)単独1位
 極右のシンボル的人物は希望の党という看板も得て、選挙をする前から当選。

公明:

  1. 江田 康幸(61 前 6 元・環境副大臣)単独1位
  2. 遠山 清彦(48 前 3 党国際局長)単独2位
  3. 浜地 雅一(47 前 2 党福岡県代表)単独3位
 前回4名なので、4位の吉田 宣弘(49 前 1 党国対副委員長)も有力

共産:

  1. 赤嶺 政賢(69 前 6 党幹部会委員)単独1位・沖縄1区重複
  2. 田村 貴昭(56 前 1 元・北九州市議)単独2位・福岡10区重複
 前回2名



公明党と日本共産党は組織が強固で、組織内の序列もはっきりしているので、昔から比例区ではきっちり順位をつけて「絶対に当選させる議員」というものがいた。今に始まったことではない。
注目したいのは、自民、立民、希望、維新など、基本的には重複立候補者を全員1位にして公平を期している党で、単独1位、2位になっているケースだ。
抜き出してみると、

自民:
  • 渡辺 孝一(59 前 2 党総務副部会長)
  • 鈴木 貴子(31 前 2 元NHK職員=鈴木宗男の長女)
  • 山本 拓(65 前 7 元・農水副大臣)
  • 奥野 信亮(73 前 4 総務副大臣)
  • 福井 照(63 前 6 元・文科副大臣)
  • 福山 守(64 前 2 元・環境政務官)
  • 園田 博之(75 前 10 元・官房副長官)
  • 宮路 拓馬(37 前 1 元・総務省職員)
  • 今村 雅弘(70 前 7 元・復興相=記者に「出ていけ」と逆ギレした人)

これは典型的に「優遇」されている例。

希望:
  • 中山 成彬(74 元 7 元・文部科学相)
  • 寺田 学(41 前 4 元・首相補佐官)
  • 樽床 伸二(58 元 5 元・総務相)
  • 井上 一徳(55 新 元・防衛省職員)

希望の党は「抱え込みたい人材」を優先している印象を受ける。

維新:
  • 青柳 仁士(38 新 元・国連職員)
  • 木村 剛司(46 元 1 元・墨田区議)
  • 杉本 和巳(57 元 2 党県代表代行)
  • 森 夏枝(36 新 党府女性局長)
  • 灰岡 香奈(34 新 元・和木町議)

維新がこれらの人たちを優遇する理由はよく分からない。上にとって覚えのよい人たちということだろうか。

分かりやすいのは立憲民主党で、東北ブロックの単独1位岡村候補、北陸信越ブロックの西村候補の2人は、どちらもそれぞれのブロックに入る小選挙区で唯一の立憲民主党公認候補だから、この2人を単独1位にするのは自然なことであり、不公平感はない。

いずれにしても、投票前から事実上当選している状態の候補者が70名前後いるという事実を、有権者は知っておく必要があるだろう。





続・前川喜平という人物2017/06/01 01:51

ビデオニュースドットコムでインタビューに応じる前川喜平氏

「常識」とか「一般人」ってなんなの?


「共謀罪」が強行採決された。これからはこんなTシャツ↑を着て歩かなくちゃ、と呟いている人がいた。
ビールと弁当を持っていたら「花見」、地図と双眼鏡を持っていたら「犯行現場の下見」――。「共謀罪」の成立に必要な「準備行為」の判断基準について、金田勝年法相は28日の衆院法務委員会でこんな例示で説明した。
朝日新聞 2017/04/28


僕は年がら年中カメラを持って誰もいない神社の境内やら他人様の田圃の周辺をウロウロしているわけで、「一般人」と書いたTシャツを着ていてもすぐに通報されて捕まりそうだ。

これはもはや冗談ではなくなっている。
先日の日記でも書いたが、「貧困層の女性が出入りする出会い系バーというものに実際行ってみた」と説明する前川喜平前文科省政務次官の話に、「この人の思考経路はやはり異常だし、普通の思考回路の人だと思って議論することはナンセンスだ」と断じる人もいる。
この滅茶苦茶な決めつけは論外としても、テレビのワイドショーなどに出てくるキャスターやコメンテイターにも「あの言い訳は残念だった」「お小遣いを渡したというのを聞いて引いてしまった」「もっと常識を持ってほしかった」などと論評する人たちがかなりいる。
しかし、そういうことを言う人の神経や思考回路のほうがよほど問題がある。
前川氏の説明を整理すれば、
  • 貧困から抜け出せない女性が、売春を覚悟した金銭目的で女性客無料のバーに行って金を持っている男性から声をかけられるのを待つ……という世界があることをテレビのドキュメンタリー番組で知った
  • どういうところなのか、どんな人たちがどんな風にしているのか、実際に行ってみた
  • そこで何度か女性と話したり食事をしたりした。その際、お小遣いも渡した

……ということだ。
つまり、「そういう店」に来る女性は金銭目的であることがはっきりしているわけで、「そういう店」で女性から話を聞いて時間をとらせたら、謝礼を出さないほうが非常識だし、まともな大人といえないでしょ。
これが仮に新聞社やテレビ局が取材で「そういう店」に潜入して、店内で見つけた女性を連れ出して話を聞いた後、なんの謝礼も出さなかったら、なんちゅう非常識な大人だ、と僕は思う。

前川氏が退任後にボランティアをしていたNPO法人キッズドアの渡辺由美子理事長のブログを読んでも、前川氏の行動パターンは、文科省の外での行動については徹底して一私人として、自費で、身分を伏せてやっていたことが分かる。
5月30日放送の「直撃LIVEグッディ!」(フジテレビ)では、前川氏が出入りしていたバーに取材して、店員の証言などもとっていたが、「偽名を使っていた」「領収書はとっていなかった」「たいていは一人で悠然と食事をしたり飲んだりしていただけで、女性と話をしている時間は少なかった」「女性と一緒に店を出たのは1、2回」などと報じていた。それがまるで犯罪であり、会見での説明と大きく食い違うかのような伝え方だったが、どれもおかしなことではない。
最初は店の様子を見るために一人で店内を観察していたわけだし、話を聞かせてくれる女性がいれば店内で長々とするわけがない。ましてや領収書を求めないのはあたりまえではないか。(もっとも、政務活動費でSMバー……というすごい大臣もいたが……)
むしろ「たいていは一人で悠然と食事をしたり飲んだりしていただけで、女性と話をしている時間は少なかった」という店員の証言から、ああ、やはり前川氏は本当に本当のことを言っていただけなのではないかという思いが強くなった。

「それは楽しいですよ、女性と話をするのは」

前川氏は大手メディアだけでなく、個人ジャーナリストのインタビューなどにも応じている。

↑神保哲生氏のビデオニュースドットコムでも長時間インタビューに応じているが、その中で神保氏も前川氏が「貧困調査のために行った」という説明を「あの言い訳だけは残念だった」というようなことを言って「本当にそれだけですか?」と食い下がっている。
それに対して前川氏は「そりゃあ、女性と話すのは楽しいですよ。それが何割かと言われても……」と笑って答えている。なんて正直で自然体なんだと感心してしまった。
「そういう店に行って女性を連れ出したら絶対にホテルに連れ込んでやっているに決まっている」と思い込む人たちがネット上でワイワイ騒いでいるが、本当に、前川氏の言葉じゃないけれど「気の毒だ」と思う。

↑まさにその通り。
自分の思考回路、価値観、世界観以外の、もっと広くて深い世界が外側に広がっていることを死ぬまで知ることがない、知ろうとしない人たち。

僕が驚いたのは、教養も品性もない人たちではなく、メジャーメディアに登場する「識者」とか「知識人」と呼ばれるような人たちまでもが、社会の底辺、あるいは底辺とまではいかなくても「庶民感覚」「普通の生活感」について「常識」がないことだ。
自分たちもメディアから取材を受けたらその場の食事代やコーヒー代は出してもらってあたりまえだと思っているはずだし、場合によっては「お車代」ももらっているだろう。内容に比べて高額な「講演料」なんかもね。
ところが、相手が貧困にあえいでいる底辺の女性だと、「そんな場所でそんな子たちに金を渡すなんて非常識」「引いてしまった」となる。これって、無意識のうちに底辺の女性たちを差別していることにならないか。

国を動かしている政治家たちは、自分で電車や飛行機の切符を手配したり、ホテルを予約したり、スーパーに行って晩ご飯の食材を買ったり、どこのガソリンスタンドに行けば安いか調べたり、切れた電球を交換したり……そういう「普通の生活」を知らないまま、経験しないまま今の職に就いていないか。そんな「常識のない人びと」が国民を幸せにできるのか。
前川氏もそういう階層にいる一人だが、彼はそれでも自分の頭で考え、自分の意志で行動し、「現場」を見ようとした……それを犯罪者や変質者のように報道する官邸やメディア。
「引いてしまいました」というキャスターの笑顔を見て、僕はまさに「引いてしまった」のだった。

現職中にやるべきだった

菅官房長官は、「なぜ現職中に言わないのか」と言ったが、それに対して「こんな冷酷な言葉はない。首切り役人が刀を持っている前で『さあ、言いたいことがあるなら言ってみろ』と言っているのと同じ」と評した人がいた。本当にそうだ。
しかし、前川氏は上記の神保氏のインタビューでこう語っている。
「私に続け!」と言うつもりであれば、やっぱり現職中にやるべきだった。そこは私の忸怩たる思いの部分ですね。
現職中は「これは無理だ。抵抗できない」と(なってしまった)。せめて文部科学省の範囲内でもちゃんとやること(はやろうと思った)。これは特区制度全体の中での話ですから。
文部科学省は特区制度に関する限りは相談にあずかるというか協議にあずかる側。「それはおかしいじゃないですか。おかしいじゃないですか」と、担当の高等教育局専門教育課はず~っと言い続けてきた。しかし、結局押し切られちゃったわけですから、そこまではもうしょうがないんじゃないかな、と。
私が現職のときに、そこでもっと声をあげていれば(よかった)。今のように、こんな文書があるじゃないかと、内閣府はこんな無理を言っているじゃないですか、と、もっとオープンに言えば、もっとはっきりしていただろうし、私に続くという人も続々と出てきたかもしれない。
今の私は、何言っても平気じゃないか、と。「何言っても平気な人が何言っても、我々現職は、同じことはできませんよ」と言われてしまったら、私も、それはそうだよね、と言わざるをえない。

そう悔恨の念を吐露した上で、さらにこう続けている。
ただ、それでもね、後輩たちに言いたいのはね、役人には面従腹背というものがあるんだ、ということ。
とにかく、身も心も捧げるな、と。
身も心も「貸す」ことはあっても、取り返すときには取り返せ、と。
……こういう生き方は役人にはどうしても必要だと思うんですね。
とにかく、完全に権力のロボットになるようなことはしないで、自分の座標軸を持って、これはおかしいと思うことは思いながら仕事をする。その中で粘り強く、強靱に、機を見て、方向転換できるときには方向転換するとかですね、そういう術(すべ)ってのが必要だろうなと思うんです。
上の動画の42分あたりからの書きおこし)

これを聞いて、拙著『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』のあとがきに書いた一節を思い出した。
 最後に二つ、繰り返しになるかもしれませんが、重要なことを書いて終わります。
 ひとつは、人生において、すっきりとこちらが正解だという決断ができる場面は意外と少ないということです。
 例えば、あなたが大きなメディア(新聞社やテレビ局)の社員だとします。あなたは社会の不正を告発し、正義を伝えたいという理想を持ってその会社に就職しました。しかし、上司はあなたと考えが合わないだけでなく、事実を隠蔽しようとします。それがさらに上の人たちからの指示であり、意志でもあることが分かってきます。
 絶望したあなたには、「こんな会社は辞めてやる」と辞表を叩きつけることもできますし、その場はぐっと堪えてぎりぎりの妥協をしつつ、次のチャンスを待つという選択もできます。こんなとき、どちらを選ぶのが正解かは、簡単に言えません。
 そこに所属して働けば働くほど世の中を悪い方向に向かわせると確信できれば、辞めて不正を告発する努力をすることが正しいかもしれません。でも、巨大メディアを辞めてひとりで伝えられる力は極めて弱いので、なんとかメディアに残って、他の同じ志を持った仲間と一緒にじわじわ闘っていくほうがずっと効果的かもしれません。
 そういうとき、安易に逃げずに、命がけで考え、行動してほしいのです。そうした強い意志が集まれば、世の中は少しずつ変わっていくかもしれません。

(『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』 岩波ジュニア新書 2012 あとがきより) 



官僚を辞めて、自分自身の言葉を発し続けている人たちは何人かいるし、メディアの世界でも、NHKを退社して、今はBSスカパー!の番組や自身が立ち上げたニュースサイト「8bitNews」などで活動している堀潤氏などにもあてはまることかもしれない。

私は公僕であって「国民の代表者」ではない

前川氏はさらにこうも言っている。
一旦大学が作られれば、毎年億の単位の私学助成を出して行くことになります。国民からあずかっている税金をその大学に注ぎ込むことになるわけですね。ずっと。その大学が存在する限り。
やはり、国民からあずかっている税金を正当に使うという意味でも、安易な大学の設置認可はできない。

公僕として、国民からあずかっている税金をいい加減に使うことはできないという信念を表明した上で、こう続けた。
私は事務方のトップではあるけれど、文部科学省のトップではないわけです。私は公務員として全体の奉仕者という自覚はあるけれども、「国民の代表者」ではない。
内閣総理大臣をはじめ、内閣を構成する大臣は、自ら国民の代表として選ばれた国会議員でもあり、その議院内閣制の下で、国会から選出された内閣総理大臣の下で任命された大臣ですから、国民の代表者ですよ。
国民の代表者として仕事をしているかたがたの決定には従わざるをえない。


……これは国民に向けた皮肉とも、精一杯のお願いともとれる言葉だ。
自分は公僕(全体への奉仕者)ではあるが、国民によって選ばれた「国民の代表」ではない。しかし、大臣たちは国会議員であり、国民が投票で選んだ代表である。公僕は「国民の代表」の決定に従わざるをえない……。
つまり、前川氏を理不尽な命令に従わざるをえないように追い込んでいるのは我々国民なのだ。間違った代表を選出している愚かな国民なのだ。
彼のような超優秀な人材を殺しているのは、この期に及んでも安倍政権を支持し続けている国民なのだ。
こうした絶対的な孤立を噛みしめながら、前川氏は行動している。
口先だけではなく、身体を張って行動している。


   

森水学園第三分校を開設

森水学園第三分校

タヌパックスタジオで生まれた音楽の1つ『アンガジェ』(↑Clickで再生)



前川喜平という人物2017/05/28 22:06

前川氏を誹謗する菅官房長官(テレビ番組の画面より)
森友学園問題に続く「本命」加計学園スキャンダルも、メディアや野党のていたらくでこのままうやむやにされるのかと思っていた矢先、渦中にいた文科省の元事務方トップの人物が勇気ある告発証言をした。
最初に見たのは夕方の地上波ニュースで、すでに編集済みだったため、全編を見られないかと探していたら、CSのニュースバード(TBS系)でノーカット録画放送をやっているところだった。食い入るように見た。

概要はすでにあちこちに報じられているので、ここでは地上波や新聞ではなかなか報じない部分をまとめてみる。

文書が本物かどうか、とか、探せとかないとか←意味がない

この会見後も、野党は「問題となっている文書が本物かどうか、文科省内に保存されているはずだから確認しろ」というようなことを言い続け、官邸や文部科学大臣は「存在は確認できなかった」「再調査の必要はない」などとやりあっている。
……バッカじゃなかろか。
「私が目にした文書は、文科省の専門教育課が作ったものでありまして、専門教育課の職員が内閣府の藤原(豊)審議官のもとを訪れて、藤原さんがおっしゃったことを書き留めた。そういう性格の文書です。
私は部下だった職員が書いてあることを聞いてきたのだと。100%信じられると思っておりますので、藤原さんがそういうことをご発言になったということは私は確かなことであろうと思っております」(25日の記者会見より

当時の事務方トップが「この文書は私が説明を受けたときのレク文書に間違いない。作成した人物(部下)もまだ省内にいる」と言っているのだから、文書が本物であることはもはや議論の余地はない。
前川氏が事務次官として、この「総理のご意向」「官邸の最高レベルの……」という文書をもとに説明を受けたことは分かったのだから、それでも官邸や内閣府は関係ないというのであれば、「このレク文書を作成した文科省職員は上司を納得させるためにありもしないこと(内閣府、官邸側からの圧力示唆)を書いた」ということになる。官邸サイドは「我々はなんの指示も示唆もしていない。文科省の職員が勝手に忖度してそのようなレク文書を作成して上司に説明した」と証明する必要がある。
これを本気でやれば、板挟みの職員は確実に消されてしまうだろうが……。

なぜ京産大は排除されたのか?

そもそも「国家戦略特区」とは、
経済社会の構造改革を重点的に推進することにより、産業の国際競争力を強化するとともに、国際的な経済活動の拠点の形成を促進する観点から、国が定めた国家戦略特別区域において、規制改革等の施策を総合的かつ集中的に推進します。(首相官邸WEBサイト)

というもので、国がまず決めて、そこに事業者や自治体が応募するという形のものだ。
「普通はできないことを特別にそこだけは認めますよ」というのだから、競争相手を排除した独占的な事業が展開できる可能性がある他、
課税の特例
認定区域計画に定められている特定事業(内閣府令で定めるもの等に限る。)を実施する法人(国家戦略特別区域担当大臣が指定するものに限る。)の所得については、租税特別措置法で定めるところにより、課税の特例の適用があるものとすること。
国家戦略特別区域法の一部を改正する法律要綱 より)
など、様々な特典も与えられる。

この「特区」、いろいろある中で「教育」という分野には「公立学校運営の民間への開放(公設民営学校の設置)」(2015年特区法成立)というのがあっただけだったところ、「獣医学部の新設」が加わった(2017年1月告示 適用は今治市)。
この「獣医学部の新設」が加わった経緯もかなり不透明だが、そこに京都産業大学が名乗りを上げたのに、それを排除するためととられてもおかしくないような条件を加えた(2016年11月)。

文科省は、獣医学部新設で「既存の大学・学部では対応が困難な獣医師養成の構想が具体化」など内容に条件を課す修正を求めた。修正理由には「(加計学園が計画する)今治市の構想が適切であることを示す」とも指摘した。だが、実際の決定文では要求は却下され、逆に原案の「獣医師系養成大学等の存在しない地域」との地域的条件に「広域的に」「限り」の二つの文言が挿入された。(東京新聞 2017/05/23朝刊「加計学園に有利に加筆 獣医学部設置決定案に」

この「広域的に」「限り」が加えられた結果、京産大は隣の大阪府にすでに獣医学部を持つ大学があるため「該当せず」になってしまった。
その結果、
(6)名称:獣医師の養成に係る大学設置事業
内容:獣医学部の新設に係る認可の基準の特例
(国家戦略特別区域法第 26 条に規定する政令等規制事業)
学校法人加計学園が、獣医学部の設置の認可を受けた上で、愛媛県今治市において、獣医師が新たに取り組むべき分野における具体的需要に対応するための獣医学部を新設する。【平成 30 年4月開設】
首相官邸WEBサイトにある「広島県・今治市 国家戦略特別区域 区域計画(案)」平成29年1月20日 より)


……となり、この時点で「平成30年4月開設」と、開校の年月まで明記されている。同時に手をあげていた京産大の関係者でさえ「そんな早く開校できるはずがない。加計学園さんはその条件でよく手をあげたものだ」と驚いていたという。

この状況で「加計学園ありき」ではなかったという説明には到底無理がある。

(そもそも京産大にしろ加計学園にしろ、なぜそこまで「動物実験に特化した獣医学部」を開設したかったのか。製薬業界との関係はないのか……という疑問を抱いてしまうのだが、その問題は別だてで考えたい)

いちばんの問題は「国家が恣意的に個人を抹殺できる」という現状況

テレビメディアなどでは「最初から加計学園ありきで行政が歪められたということがあったのかなかったのか」が問題の本質だという論で報道しているが、ここにきてさらに恐ろしい、重大な問題が浮き彫りになっている。
それは、国家権力が自分たちに都合の悪い個人を、嘘や偽情報、自分たちの意のままになるマスメディアを使って貶め、社会的に抹殺するという恐怖だ。

読売新聞が「辞任の前川・前文科次官、出会い系バーに出入り」と題した記事を掲載したのは2017年5月22日のことだった。
文部科学省による再就職あっせん問題で引責辞任した同省の前川喜平・前次官(62)が在職中、売春や援助交際の交渉の場になっている東京都新宿区歌舞伎町の出会い系バーに、頻繁に出入りしていたことが関係者への取材でわかった。
教育行政のトップとして不適切な行動に対し、批判が上がりそうだ。
関係者によると、同店では男性客が数千円の料金を払って入店。気に入った女性がいれば、店員を通じて声をかけ、同席する。
女性らは、「割り切り」と称して、売春や援助交際を男性客に持ちかけることが多い。報酬が折り合えば店を出て、ホテルやレンタルルームに向かうこともある。(以下略)

この記事が掲載されたのは週刊誌や新聞、テレビの取材などに前川氏が応じる姿勢を見せた時期であり、なぜこのタイミングで退職して一私人となっている人間のスキャンダル記事を全国紙が大きく報じるのか、メディアや政界を少しでも知る人たちは仰天した。

鮫島浩? @SamejimaH 5月22日
このニュースからは以下の可能性が読み取れる。
①前文科次官には公安の尾行がついていた
②国家権力はこの情報を読売にリークした
③それは加計学園問題で情報を流出させた文科省への報復と脅しである。
共謀罪成立後に到来するのはこのような監視社会だ。
(ジャーナリスト・鮫島浩氏のツイート


一読して驚嘆した。
とてもではないが、全国紙が配信する記事とは思えなかったからだ。
(略)
「批判が上がりそうだ」
というこの書き方は、新聞が時々やらかす煽動表現のひとつで、「批判を浴びそうだ」「議論を招きそうだ」「紛糾しそうだ」という、一見「観測」に見える書き方で、その実批判を呼びかけている、なかなかに卑怯なレトリックだ。
書き手は、「批判を浴びそうだ」という言い方を通じて、新聞社の文責において批判するのではなく、記者の執筆責任において断罪するのでもなく、あくまでも記事の背後に漠然と想定されている「世間」の声を代表する形で対象を攻撃している。しかも、外形上は、「世間」の空気を描写しているように見せかけつつ、実際には「世間」の反発を促す結果を狙っている。
真意は
「な、こいつヤバいだろ? みんなでどんどん批判して炎上させようぜ」
といったあたりになる。
実に凶悪な修辞法だ。
「出会い系バーに出入りした人の“末路”」小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明 日経ビジネスオンライン 2017/05/26


……まあ、普通の感覚ならこうとらえる。この国はすでに恐怖政治体制の国になってしまったのか。権力者が世界一の発行部数を誇る新聞社を使って個人をつぶすような国になったのか……と。

一方、こうした卑怯な個人人格攻撃に追い打ちをかける輩もわんさと出てくる。
代表的なものを一つあげれば、同日付の「アゴラ」には、元通産省大臣官房情報管理課長で、現在は徳島文理大学大学院教授という肩書きを持つ人物がこんな文章を載せている。

この人の思考経路はやはり異常だし、普通の思考回路の人だと思って議論することはナンセンスだ。そんな理屈、家族の中でも通用しないだろう。また、「昨年秋、(出会い系バーへの 出入りに関し)、杉田和博官房副長官からご指摘を受けた」と述べている。怪しげなバーに政府高官が出入りしているという情報があれば調べるのは、政府中枢として当たり前の活動だろうし、それは、かなり噂になっていたのではないか。
(略)
しかも連れ出してお金を渡している。別に問題ないという人もいるが、これが他省庁の次官ならまだしも文部科学事務次官だとまったく別の問題だ。いわば全国の学校の先生のトップに立っている人なわけだ。警察庁長官が酔っ払い運転したみたいなもの。そして、そういう常識のない人がいっている話が普通の元官僚のいっていることと同等の信用性はない。
「前川文書と出会い系バーの「真相」を推理する」 八幡和郎 2017/05/26)


まさに官邸の思惑通りの援護射撃だ。

「思考経路が異常」「普通の思考回路の人だと思って議論するのはナンセンス」「そんな理屈、家族の中でも通用しない」と言いきっているが、この「そんな理屈」の内容を前川氏の発言から正確に拾うとこうなる。

「出会い系バーというものがありまして、読売新聞で報じられたが、そういったバーに私が行ったことは事実です。
経緯を申し上げれば、テレビの報道番組で、ドキュメント番組で、いつどの局だったかは覚えていないが、女性の貧困について扱った番組の中で、こういったバーでデートの相手を見つけたり、場合によっては援助交際の相手を見つけたりしてお金をもらうという女性がいるんだという、そういう女性の姿を紹介する番組だった。
普通の役人なら実際に見に行こうとは思わないかもしれないが、その実態を、実際に会って話を聞いてみたいと思って、そういう関心からそういうお店を探し当て、行ってみた。
その場で話をし、食事したり、食事に伴ってお小遣いをあげたりしながら話を聞いたことはある。
その話を聞きながら、子供の貧困と女性の貧困はつながっているなと感じていたし、そこで話を聞いた女性の中には子供2人を抱えながら、水商売で暮らしている、生活保護はもらっていないけれど、生活は苦しい。就学援助でなんとか子供が学校に行っているとか、高校を中退してそれ以来ちゃんとした仕事に就けていないとか。あるいは通信制高校にいっているけどその実態が非常にいい加減なことも分かった。
いろいろなことが実地の中から学べた。その中から、多くの人たちが親の離婚を経験しているなとか、中学・高校で中退や不登校を経験しているという共通点を見いだした。
ある意味、実地の視察調査という意味合いがあったわけですけれど、そこから私自身が文部科学行政、教育行政をやる上での課題を見いだせた。ああいうところに出入りしたことは役に立った。意義があったと思っている」
25日の会見より


この発言に対して「思考回路が異常」「家族の中でも通用しない」というわけだが、そう決めつける根拠は何も示されていない。
ましてや、「警察庁長官が酔っ払い運転したみたいなもの」であるはずもない。
組織暴力団員でもない「一般人」が犯罪も何も冒していない時点で密かに身辺を調査され、プライバシーを侵害され、結果、なんの犯罪も出てこないのに新聞にほのめかしに満ちた記事が出て「批判が上がりそうだ」などと印象誘導される
これこそまさに今いちばんの懸念となっている「共謀罪」への恐怖そのものであり、すでにそういう国になってしまっているという実例ではないか。
ちなみに記者会見で前川氏は、「これは権力の脅しだと思うか」と問われて、「私はそんな国だとは思いたくない」ときっぱり答えている姿は、多くの人が見たとおりだ。

まずは正確な情報を──「ガールズバー」でも「風俗店」でもない

多いときは週に1度のペースで店に通い、女性たちの身の上話に耳を傾けた。女性たちの多くが、両親の離婚や学校の中退を経験していることを知った。
「この状態を何とかしなければという思いは、仕事の姿勢にも影響した。高校無償化や大学の給付型奨学金などに積極的に取り組んだ。私は貧困問題が日本の一番の問題だと思っている」(「Aera」(前川喜平はウソつきか? インタビューで答えた“総理と加計の関係”)


正直に言えば、僕自身最初は「貧困の実態調査」のために通ったというのはやや無理があるのではないかと思っていた。しかし、調べていけばいくほど、そう思い込んでしまう自分の品性・品行のほうに問題があるのかもしれないと思い始めた。

まず正確を期すために前川氏が通っていた店とはどんな店なのか、情報を探ってみた。
複数の情報はすべて歌舞伎町にあるバーを示している。その店は女性客は無料で入店できるが、男性客は60分3500円(1ドリンク付き)、120分4800円(2ドリンク付き)というバーで、営業時間は20.30~5.00。
様々なブログやツイッターの書き込みなどには「ガールズバー」とか「風俗店通い」などという記述も見られるが、どちらも間違いだ。ガールズバーというのは「バーテンダーが女性中心のショットバー」であり、まったく別業態。また、店に性的なサービスを提供する女性を控えさせている風俗店ともまったく違う。
夜しか開いていないので、公務員が勤務時間中に入店することはありえない。
また、女性が入店無料(ドリンクチケット付き)ということで、売春目的で入店する女性も多いのは事実だが、当然のことながら、男女問わず、客のすべてが売買春目的で来るわけではない。
実際、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(扶桑社、2012年)の著者である荻上チキ氏は、自身のラジオ番組内で、「本を書くために自分も100回くらいそういう店に通ったし謝礼も渡した」と説明している


ついでにこの本を読んだ感想を書いているブログに分かりやすい、かつ印象的なまとめがあったので引用したい。
3.11以降の取材で福島に住み昼間は工場勤務、夜はワリキリの女性の言葉が切なかった。放射線量は気にならないとし「はい、病気になったらどうせ死ぬのだし。それよりお金のほうが心配」 これって彼女に限らず、いま3.11以降を生きるこの国の多くの人たちの心情に共通しているように思えてならない。
荻上チキの取材力、問題認識力に敬意を表したい。荻上チキはまとめた「n個の社会問題の数だけn個の処方箋、n個の排除の数だけn個の包摂を。買春男に彼女たちを抱かせることをやめたいなら、社会で彼女を抱きしめてやれ。そうすれば事態は幾分マシになる。彼女たちの売春、それは僕たちの問題でもあるのだ」
「ポポロの広場」より



前川喜平氏の人物像

前川氏が「女性は入場無料のバー」に通っていたこと自体はなんの違法行為でもないし、加計学園問題に対する「証言」とはまったく関係がない。そのことをまずはっきりさせておかなければならない。
しかし、すでに官房長官や世界一の発行部数を持つ大新聞が彼を「いかがわしい人物」「ポストに恋々としがみつく人物」だとほのめかしている異常事態が起きている今、そのほのめかしにどれだけのリアリティがあるのかを検証するために、いくつかの情報をまとめてみる。

地位に恋々としてしがみついているのは誰か?

まず、菅官房長官が語った「責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた」という誹謗については、前川氏自身が25日の記者会見でかなり詳細に述べた経緯とまったく違っている。
私の退職、辞職の経緯は、誰に恨みを持つようなものでもなく、私は文科省のいわゆる天下り問題、再就職規制違反の問題について責任ある立場におりましたから、これは再就職等監視委員会からも違法行為を指摘されましたし、私自身も自分自身が行った違法行為、それから違法行為を行った職員に対する監督責任、そういったものが問われたわけでありまして。私が引責辞職したのは、自らの意思です。

1月5日だったと覚えてますけれども、私の方から松野文科大臣に監視委員会の調査の状況、文科省としての対応の状況などをご報告した際に、かなり多くの処分が不可避です、こういった事態にいたったことについては私が責任を取らざるを得ないと思いますと。従って、責任ある形で、辞職させていただきたいと申し入れた記憶がございます。私の方が、大臣に。

事務次官の辞職というのは勝手にはできない。辞職を承認する辞令をいただかなければならないので。辞職を承認していただきたいと私の方から大臣に申し上げた。大臣は慰留してくださいました。
しかし、私はこれは辞めるしかないということで、官邸とご相談したいとうことで、官邸にも大臣のお許しを得て、ご相談にまいりました。

ご相談の相手は、杉田(和博)官房副長官です。杉田副長官にも、これから起こるであろう文科省の職員に対する処分がどのようなものになるかの概略を説明しながら、私自身の引責辞職についても、お許しをいただきたいと申し上げたところ、『いいだろう』というお話を承りまして、それを持ち帰り、大臣に官邸からもご了解をいただきましたということで、事実上、私の辞職がそこで決まったということです。
5月25日の記者会見にて


菅官房長官の「恋々と地位にしがみつく」という誹謗中傷に少しでも分があるというのなら、前川氏のこの発言内容はことごとく嘘だということになるわけで、それを証明してほしいものだ。でなければ、菅官房長官の発言は、極めて悪質な嘘、でっち上げによる名誉毀損という犯罪になるだろう。

辞任後は夜間中学などでボランティア活動

国家権力がなりふり構わず個人攻撃を続ける一方で、前川氏の人物像を知る情報がいくつも浮上してきた。
前川さんは辞任後、二つの夜間中学校の先生、子どもの貧困・中退対策として土曜日に学習支援を行う団体の先生として、三つのボランティア活動をしている。

と報じたのは「Aera」(前川喜平はウソつきか? インタビューで答えた“総理と加計の関係”)だ。
これを裏付ける証言も出てきた。ボランティアしていたという「キッズドア」の理事長・渡辺由美子氏は自身のブログの中でこう語っている。

実は、前川氏は、文部科学省をお辞めになった後、私が運営するNPO法人キッズドアで、低所得の子どもたちのためにボランティアをしてくださっていた。素性を明かさずに、一般の学生や社会人と同じようにHPからボランティア説明会に申し込み、その後ボランティア活動にも参加してくださっていた。

担当スタッフに聞くと、説明会や研修でも非常に熱心な態度で、ボランティア活動でも生徒たちに一生懸命に教えてくださっているそうだ。
「登録しているボランティアの中で唯一、2017年度全ての学習会に参加すると○をつけてくださっていて、本当に頼りになるいい人です。」
と、担当スタッフは今回の騒動を大変心配している。年間20回の活動に必ず参加すると意思表明し、実際に現場に足を運ぶことは、生半可な思いではできない。
今回の騒動で「ご迷惑をおかけするから、しばらく伺えなくなります」とわざわざご連絡くださるような誠実な方であることは間違いがない。

なんで、前川氏が記者会見をされたのか?
今、改めて1時間あまりの会見を全て見ながら、そして私が集められる様々な情報を重ねて考えてみた。
これは、私の推察であり、希望なのかもしれないが、彼は、日本という国の教育を司る省庁のトップを経験した者として、正しい大人のあるべき姿を見せてくれたのではないだろうか?

大人は嘘をつく。
自分を守るためには、嘘をついてもいい。正直者はバカを見る。
子どもの頃から、こんなことを見せられて、「正義」や「勇気」のタネを持った日本の子どもたちは本当に、本当にがっかりしている。何を信じればいいのか、本当にわからない。
小さなうちから、本音と建前を使い分け、空気を読むことに神経を尖らせなければならない社会を作っているのは、私たち大人だ。
「あったものをなかったものにできない。」
前川氏が、自分には何の得もなく逆に大きなリスクがあり、さらに自分の家族やお世話になった大臣や副大臣、文部科学省の後輩たちに迷惑をかけると分かった上で、それでもこの記者会見をしたのは、
「正義はある」
ということを、子どもたちに見せたかったのではないだろうか?

「あったものをなかったものにはできない。」
そうなんだ、嘘をつかなくていいんだ、正しいものは正しいと、間違っているものは間違っていると、多くの人を敵に回しても、自分の意見をはっきりと言っていいんだ。

子どもたちとって、これほど心強いことはない。
「あったものをなかったものにできない。」からもらった勇気 キッズドア 渡辺由美子 オフィシャルブログ より)


さらに時代を遡ってみると、前川氏は今から12年前の2005年、小泉政権下で「三位一体改革」という名のもとに行われようとした義務教育費削減政策に真っ向から立ち向かい、個人的にブログまで立ち上げて反論を堂々と展開していた。
このブログは今もまだWEB上に残っていて読めるので一部を紹介してみる。
義務教育費はなぜ狙われたのか?
義務教育費国庫負担金を、三位一体改革の補助金削減の対象にするのは間違っている。
(略)
公共事業のように政・官・業のもたれ合い体質の強い分野よりも、義務教育や児童福祉のような分野の方が政治の世界からの抵抗をかわしやすい。特に義務教育や児童福祉の直接の受益者である子どもたちは選挙権を持っていないから、どんな目にあっても、彼ら自身には政治を変える力がない。地方6団体が平成17年7月20日に発表した補助金・負担金の廃止リストの中には児童養護施設の負担金も含まれている。身寄りのない子どもたちには彼らに代わって権利を主張する親もいない。政治的に完全に無力な存在だと言ってよい。そういう政治的弱者が狙われているのだ。
義務教育費国庫負担金には、徒党を組んで削減反対を唱え、「票」や「金」で政治を動かせるような圧力団体がいないのが現実の姿だ。
また、民間部門に比べると公立部門は政治力が弱い。だから私立所よりも公立保育所の方が、私立学校よりも公立学校が狙われるのだ。
前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その1)義務教育費はなぜ狙われたのか? より)


このブログ、赤裸々で大変読み応えがある。例えばこんな部分。
 義務教育費国庫負担金の堅持を求める文教関係議員を、「既得権益」だとか「利権」だとかいうもののために動いているかのように新聞が書くのは、私に言わせれば、無礼千万な話である。

(略)

義務教育費国庫負担金は「票」や「金」には結びつかない。純粋に義務教育が大切だと信じる人だけがこれを本気で守ろうとしているのだ。

中でもその真剣さにおいて際だっているのは保利耕輔氏である。

保利氏は、文部大臣だけでなく自治大臣も経験された方だ。総務省(旧自治省)は当初さかんに保利氏を味方につけようと工作した。我々が氏のもとにうかがうたびに「総務省はこう言っている。文部科学省はどう反論するのだ」と説明を求められた。生半可な説明では決して納得されなかった。氏は、両省の言い分をとことん聞き取り、熟慮に熟慮を重ねた末、義務教育費国庫負担制度は堅持する必要があるという結論に達せられたのだ。義務教育においては「教育の機会均等」は至上命題だ。然るに義務教育費国庫負担金を税源移譲に回せば、都道府県ごとの税収には大きな格差がでる。文部科学省の試算では、国庫負担金に比べて税収が上回るのが七都府県、それ以外の四〇道県では財源不足になる。地方交付税が不足を補填するから大丈夫だと総務省は言うが、地方交付税は削減の一途を辿っているではないか。そのような状態では、義務教育費の財源を交付税で保障することはできないはずだ。そうなれば、義務教育の機会均等は保障できなくなる。…保利氏はそのように結論を出されたのだと思う。

(略)

平成17年6月9日号の週刊新潮に奇っ怪な記事が載った。タイトルは「次は『文科省役人』のクビを狙う『小泉』」。この記事は郵政民営化法案に反対の動きをした総務省幹部の更迭人事を紹介した上で、「文科省関係者」の言葉として「次の生け贄」は文部科学省の結城事務次官と銭谷初等中等教育局長だと書いている。

(略)

「郵政民営化に目を奪われていますが、国と地方の税財政関係を見直す、いわゆる三位一体改革も小泉政策の大きな柱です。その中には、義務教育費の国庫負担制度改革も含まれている。独自財源を増やすことを狙って小泉改革に賛成する地方と、自らの権益を失うことに繋がるため制度維持を狙う文教族・文科省が対立しています。小泉は、結城と銭谷を反対派の象徴と見ているんです」(官邸関係者)
 そしてこの記事は、こう締め括られている。
「この“反対派”の二人に小泉首相はこう言い放った。『もうこれ以上、反対しないでくれ。分かってるね』二人は震え上がったという。」

この記事は完全な捏造である。誰よりもまず小泉総理に対する中傷である。官邸に呼ばれた事実もないのに「震え上がった」などと嘘を書かれた次官と局長も堪ったものではない。週刊新潮がこんなデタラメを記事にする雑誌だとは知らなかった。
一体誰がこんな記事を週刊新潮に書かせたのだろう。義務教育費国庫負担金の廃止・削減を狙う「誰か」であることは間違いない。極めて卑劣な行為である。

(略)

この記事が出てから間もない6月5日の日曜日、中教審義務教育特別部会は異例の日曜セッションを青山の公立学校共済施設で開いた。その会議終了後、会場から地下鉄の駅へ向かっていた私は、総務省自治財政局の務台調整課長が、見城美枝子委員に路上で話しかけているところに出くわした。

務台課長は、見城委員が義務教育費国庫負担金の廃止に賛成するよう説得を試みていた。私はその話に加わり、務台課長の主張に反論した。しばらく議論をしたあとで、務台氏が私に向けて最後に投げつけた言葉がこれだ。「前川さん、そんなこと言ってると、クビ飛ぶよ」
 クビと引き換えに義務教育が守れるなら本望である。週刊新潮は、文科省が「権益」のために制度を持しようとしていると書いたが、義務教育費に「権益」などというものは無い。仮にそんなものがあったとして、「権益」にしがみつく人間が「クビ」を賭けるようなまねをするだろうか。
前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その15)義務教育費に利権はない より)


ずいぶん端折ったが、それでも相当長くなってしまった。全文は元のブログで。

ちなみに最後に出てくる務台調整課長というのは、福島を訪れた際に長靴がなくて、おぶわれて水溜りを渡ったことで一躍名をはせた務台俊介・元内閣府大臣政務官のことだ。

さらには、前川氏はこのブログ内で、近未来小説「義務教育崩壊!」なるものの構想まで書いている。
 「義務教育崩壊!」。私が書きたいと思っている近未来小説だ。第一章の書き出しは、200X年3月下旬の参議院本会議。義務教育費国庫負担法廃止法案が可決成立する場面である。
「起立多数。よって本件は可決されました」議長の声が響く。文部科学大臣がひな壇から議場の外へ出てくる。大臣を待っていた文部科学事務次官以下の幹部にまじって、義務教育費国庫負担制度の所管課長である後山悲平財務課長が佇立している。疲れ切った表情で赤絨毯の上を歩き始めた大臣に、後山は一つの書類を差し出す。表には黒々と「辞表」と書いてある。……
前川喜平の「奇兵隊、前へ!」(その3)近未来小説「義務教育崩壊!」より)


後山というのは前川の対意文字を連ねた洒落だろうが、辞表覚悟でこのブログを書いているという決意のようなものが滲んでいる。

事務次官就任後にも、こんな記事があった。

埼玉の夜間中学運動31周年を記念した集会が29日、JR川口駅東口にある複合施設「キュポ・ラ」で開かれ、文部科学省の事務方トップとして集会に初参加した前川喜平事務次官が「(夜間中学は)教育の場で重要な役割を果たしてきた」と評価し、文科省として公立夜間中学設置を推進する考えを示した。
1979年に文部省(現文科省)に入り、初等中等教育局長などを経て今年6月に次官になった前川次官は「教育は人権保障の中核。国籍に関わらず、全ての国民は等しく教育を受ける権利がある」と語り、卒業証書を受け取るだけの「形式卒業」や義務教育未修了者、不法滞在の外国籍の親を持つ子どもたちなど、教育を受ける権利を制限されてきた人たちに学びの場を提供してきた「夜間中学」を高く評価した。
文科省として公立夜間中学設置を推進するに当たっては、「多様な学習機会を確保する観点」から、不登校の生徒についても本人の希望を尊重して受け入れていく方針を明示。半世紀近く夜間中学運動に関わってきた元教師からは「大変大きな前進」と歓迎する声が聞かれた。
(以上、「夜間中学 埼玉の運動31周年集会 「重要な役割」 初参加、文科省事務次官が評価」 2016/10/31 毎日新聞埼玉地方版 より)

この記事には、
「個人的見解」としながら「夜間中学設置について、組織としての文科省はこれまで見て見ぬふりをしてきた。(夜間中学設置に賛同する)自分は(省内では)異端。居心地が悪かった」と吐露した。

……という興味深い箇所もあった。

前川さんの今回の反撃が、単に、前川さんが次官飛ばされて、でも、俺は食うに困んないで金はあるから一発爆弾落としてやるか、というんじゃなくて、前川さんに同情的な霞が関の官僚ってけっこう多いんですよ。人事をいじられて、政策も今まで自分たちが霞が関で積み上げてきたものを曲げられて、今の安倍政権はやっていると思っている人、多いですからね」(TBSラジオ・武田一顯記者 5月27日のMBSテレビ「ちちんぷいぷい」での解説より)


権力集中型の政権と対立し、「前川さん、そんなこと言ってると、クビ飛ぶよ」と脅されながらも、上に立たなければ行政を動かせない、と、仕事は有能にこなして、ついにトップに立った人。
どこをどう読んでも「恋々と地位にしがみつく」ような人物像は浮かんでこない。

ここまで調べてきて、僕は当初「貧困実態調査」のために出会い系バー通いはさすがに苦しいのでは……と疑っていた自分の狭量さを恥じた。
もちろん事実は知るよしもない。しかし、こんな人物であれば、「貧困実態の調査」のためにお忍びで出会い系バーに潜入して話を聞いていたという説明は、その通りだったのではないかと、最後は思うようになった。

ネット上では「出会い系バー通いの変態がボランティアで子供に近づいたとしたらもっと危ない」などというバカ丸出しのコメントが乱れ飛んだりしているが、ネットにバカがあふれるのはまあしょうがない。恐ろしいのは、巨大メディアが悪質な権力誘導型デマ発生装置にまで堕している現実だ。

文科省の元官僚として前川氏の先輩にあたる寺脇 研氏(現・京都造形芸術大学 教授)は、フェイスブックでこう報告している

某全国紙から、27日朝刊のために前川さんの記者会見についてコメントを求められ、以下のように述べた(文章は記者がまとめてくれたもの)。
その数時間後、その記者から暗い声で電話が…
「このコメントは載せるな、と上からの命令があり掲載見送りになりました」
なのでここに出します。
いやはや、この国の既成メディアの状態はひどい。
今回の一件でそのことも明らかになりつつあります。

前川前文科次官の会見は堂々たるもので、信念の人だと改めて感じた。覚悟を決めて証言したのだろう。
(以下略)


ずいぶん長くなってしまった。
しかし、大新聞があれだけいい加減な誹謗記事を出してくるのだ。それに対して検証する努力を怠れば、印象操作の餌食になってしまう。
散歩の途中ですれ違った中学生がこんなことを口にした。
「あの人って大金持ちの家に生まれてお金には全然困ってないんだって」
……おいおいおい。それはさらにどうでもいいことなんだよ。
あの人が踏ん張らなければ、今頃地方の小中学校はかなり厳しい状況に追い込まれていたかもしれないんだよ。あ~、それを僕も今の今まで知らなかったんだけどね……。

ナチス体制下のドイツで開かれたベルリンオリンピック。水泳女子200m平泳ぎの中継でNHKのアナウンサーは「前畑がんばれ!」と20回以上絶叫した。80年以上たった今、一強独裁政権に怯えるメディアの代わりに、僕らは「#前川がんばれ!」と言い続けよう。

   

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日光杉並木街道が「ソーラー街道」に2017/05/22 22:06

このノウサギが跳びはねていた野原はもうない

2017年4月 初めてじっくり見ることができたノウサギ
前回の「ナガミヒナゲシ騒動考」で、
「人間が作ったソーラーパネルが里山エリアの山の斜面や草原を根こそぎ消滅させ、草花だけでなく動物も地域絶滅させていることのほうが外来種がどうのこうのよりはるかに大問題なのだが、それはまた次のトピックで……」と書いて終わったが、ここに続きを書く。

いちばん怖いのは人間だが、さらにやっかいなのは……


先月の13日、日光に引っ越してきて6年目にして初めてノウサギを見た。越後時代にも阿武隈時代にもノウサギというのはほとんど見た記憶がない。一瞬、横切るのを見たとか、その程度ならあったようにも思うが、まじまじと観察できるほど近くで見た記憶はない。
それが、日光で、しかもすぐそばを車が通っているような原っぱで悠々と飛び回っているのを長い時間見ていられたのだから感激した。
その原っぱにはこのところいつ行ってもキジの夫婦がいて、そのときもキジを撮っていた。そうしたら目の前を何か違うものが横切っていったのだ。

もう一度見たいと思って、その後も何度か出かけたが、キジの夫婦は毎回いたが、ノウサギは現れなかった。

で、翌月の5月20日、主に別の目的で出かけたついでに横を通ったのだが、なんと、原っぱ全体が完全に消滅していた。


4月13日にノウサギを見たとき。矢印のところにノウサギ

5月20日、すっかり草むらが消え、重機が作業中



間違いなくメガソーラー建設だろう。すでに周辺の草むらがことごとくつぶされてソーラーパネルだらけになっているので、ここも狙われているのではないかと危惧していた矢先だ。
ここは草むらだけでなく、そこそこの水たまりを含む湿地もあった。そこにはオタマジャクシ(おそらく時期的に見てアカガエル)が泳ぎ、ヤゴなどもたくさんいた。通年、水が完全には抜けず、湿地を保っている場所というのはこのへんにはもうほとんど残っていない。ツチガエルなどがオタマジャクシのまま越冬するためにも必要だし、鳥や野生生物にとっても貴重な水場になっていたはずだ。
それがつぶされてしまったのは本当に痛い。

オタマジャクシやヤゴがいた水たまりも埋められていた



日光に引っ越してきた直後、町内の集まりで「自然環境を……」と口にした途端、「人間は自然を壊して生きているんだからしょうがない」と反論する人がいた。めんどくさいやつが引っ越して来やがった……と警戒の目を向けられたようだ。
俺たちは環境を壊して金を稼ぎ、よりマシな生活を営んできた。これからもそれは続くんだから、きれいごとを言うな……というわけだ。

しかし、こうした犠牲に見合うだけのメリットが人間にあるのか? 太陽光発電バブルはすでにはじけている。中小の業者はあちこちで倒産しているし、大手は最初から「建て逃げ」作戦だから、あと10年もすればあちこちで事業者不在ソーラーパネルが増えるだろう。
20年もすれば、ゴミとなって放置されたソーラー設備の撤去で、各自治体は苦労するに違いない。

すでに我々は高額な「再エネ賦課金」を電気料金に上乗せさせられている。金がかかる発電方式というのは、それだけエネルギーを使っているということだ。太陽光発電パネルを製造する過程で、すでに膨大な電気や資源を使っているからこそ高くつくのだ。それを回収できるだけの発電ができない、見込めないからこそ電気料金や税金を投入して無理をしている。

原資が税金や公共料金だから、そこに生じる利権にたかれば確実に儲かる。人の金で非合理な商売をして儲ける……この構図は原発を推進してきた国策と同じだ。問題が起きても誰も責任をとらないし、負の遺産を押しつけられ、つけを払わされるのは若い世代。これのどこが「クリーン」なのか。
発電にかかっただけ電気料金に上乗せしていいですよという「総括原価方式」をやめれば、必然的に、最も合理的で省エネの発電方法をとらざるをえなくなるから、原発も大型ウィンドタービンも無茶なソーラー発電もなくなり、日本の環境破壊は緩まる。
でも、総括原価方式をやめれば、利権も薄まるから絶対になくならないだろう。

日光杉並木は国の特別天然記念物に指定されているわけだが、その両側はすでにソーラーパネルだらけになっており、杉並木を通っていても杉の間から異質な光景が見える。

ナガミヒナゲシが危険生物だの駆除しろだのなんだのと言っている場合ではない。植物も動物も巻き込んだ大規模環境破壊が猛スピードで進んでいるのだ。すでに大変なダメージを受けているが、今からでもなんとか歯止めをかけないと、気がついたときには取り返しのつかないことになる。いや、すでになっている。

ノウサギとの再会を願って、「兎が原」とでも名づけようかと思っていた草原はもうない。
「兎が原」の横は通学路だが、これから先、子供たちはノウサギやキジではなく、ソーラーパネルに埋め尽くされた土地を横目に見ながら通学することになる。その子たちは「再生可能エネルギー」は増やすべき重要なもので絶対的な「善」だと刷り込まれているから、これは「自然にとっていいもの」だと信じて成長するかもしれない。……やるせない……。

道路(通学路)側から見た光景。もうすぐここに黒いパネルが敷き詰められるはずだ


このままでは日光杉並木は「ソーラー街道」になる

このへんを散歩するたびに、オセロゲームのコマようにソーラーパネルが増えていく。「え? ついこないだ通ったときにはなかったのに……」と呆気にとられるのだが、だんだん麻痺してくるのが怖い
日光杉並木は、日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けているのだが、そのすぐ脇をソーラーパネルで埋めていくことになんの制約もかからないのか? 
今日も重機が稼働中。ここはもうすぐパネルで覆われるだろう



消滅した「ウサギが原」のすぐ横。住宅や農地に隣接してすでに設置されたパネル



例幣使街道。杉の間から見えているのは牧場なのだが……



なにやらパネルを載せるフレームがすでに組み上がっているようだ。ここも牛からソーラーに転換か……



杉並木を挟んで反対側の草地。ここなどもすでに「予約済み」なのかもしれない



その先、日光山内に近づくにつれ、杉並木の間から見えるパネル群は増える



これだけ増えると植生や生態系も影響を受けないわけにはいかない。ただでさえ毎年倒れる杉が増えているのに、大丈夫なのか……



手前が例幣使街道の杉並木。そこに隣接して作られたメガソーラー。道を渡って見ると……↓



こういう規模のものがあっという間に作られている



国も県も市も、何を考えているのか?



ここを通って日光山内や奥日光をめざすハイカーやライダーたちは多いが、こうした風景に迎えられてどんな気分になるだろうか



ソーラーパネルを敷き詰められた側と街道を挟んで反対側。見えているのが杉並木(この向こう側が例幣使街道)。こちら側にもこうした草原があちこちあるが、この調子だとどんどんパネルが敷き詰められ、日光杉並木街道はソーラーパネルに挟まれた「ソーラー街道」になってしまいそうだ



ここも狙われそうだなあ。すでに「予約済み」なのかもしれない……




悩みながらもこんな動画を作ってみた(↑Clickで再生)
↑これを作りながら「プロテストソング」という言葉を思い出した。ずいぶん前に消えた言葉のような気がする。まさか人生の終わりにさしかかってこういうものを作るとは思わなかった

プロテストというよりも、ただただ悲しい、虚しい。

この地でノウサギに再会することは、もう一生ないかもしれない。

   

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↑BGMに使った『Uguisu 2017』の全曲はこちらでどうぞ(↑Clickで再生)



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