自然災害と「国防」2019/10/20 15:38

箱根町が近づけないほどの大雨で危機に瀕しているときにこれ……
2019年10月、日本列島を襲った台風19号は、接近するずっと前から気象庁が異例の警戒を呼びかけていた。
「今まで経験したことのないような被害に見舞われる可能性がある。命を守る行動を!」というその警告にもかかわらず、民放テレビは土曜日定番のグルメ番組などを流し続けていた。
箱根町が観測史上最大の降雨量を記録し、大雨特別警報が出されている12日午後になっても、よりによってTBSなどは「箱根のお持ち帰りグルメ50品を全部食べきるのにどれだけかかるか」などとやっていた。

被災地以外の国民が被害の大きさ、深刻さを知るようになるのは台風が去ってしばらくしてからだった。テレビに悲惨な映像が次々に映し出される。
被害が出てから「大変です」「ひどいことになってます」と騒ぎ立てても遅い。
民放テレビ局の発想(というか本音)は「視聴者=災害現場ギャラリー」なのだろう。

問題は国を筆頭とした行政である。
颱風も地震も大雨も必ず襲ってくる。それを人間の手で防ぐことはできない。地球温暖化が原因だのなんだのと言ったところで解決しない。人間ができることは、「被害をいかに小さくするか」を考えることである。

警戒地区の中に放射性廃物ゴミを溜め込む


栃木県内でまっ先に「非常に危険」とされた荒川


今回の台風は風の被害より雨による河川氾濫が怖いことは事前に分かっていた。なので、NHKの防災アプリで河川の警戒レベル情報をずっとチェックしていたのだが、栃木県内でまっ先に赤く表示された(危険レベルに達した)のは塩谷町の中を流れる荒川だった↑。
塩谷町は環境省が「放射性物質を含む指定廃棄物の最終処分場の候補地」として指定して、今も地元の反対を押し切って計画を進めようとしている場所。しかもその候補地は水源地である。
その塩谷町の処分場候補地を見に行ったときの日記が⇒こちら(数ページある)
候補地は山の頂上に近い斜面で、進入路は狭く、このときは台風で壊れ、通行止めだった。
山に入っていく道も細くて折れ曲がっており、工事が始まるだけでも大型車が行き交い、大変危険なことになるだろう。

すでにこの時点で、塩谷町は赤く染められた危険区域のまっただ中↑


環境を破壊し、人々の命を危険にさらし、幸福を奪う環境省。進次郎よ、きみの仕事はそんなことではないだろう? この問題をセクシーに解決してくれるのか?

その後、またたくまにほとんどの河川が氾濫危険になってしまった↑

「再生可能エネルギー」で人が殺される


台風19号による河川氾濫被害は広範囲に及び、被害状況全貌は数日経っても摑みきれなかった。
栃木県では鹿沼市の粟野地区で、北から流れてくる思川(おもいがわ)と粟野川の合流地点を中心に、多くの家屋が水没した
この上流にあたる横根高原の斜面に、ミズナラを大規模伐採してメガソーラーを作るという馬鹿げた計画も、事業者はまだ引っ込めてはいない。
鹿沼市と日光市にまたがる100ヘクタールを超える大規模な計画だったが、鹿沼市が難色を示したために、範囲を変えて、今は日光市の部分を59ヘクタールに増やして建てると言っているらしい。

横根高原メガソーラー建設予定地(左上の青い○の場所)と、今回、浸水被害でひどいことになった鹿沼市粟野地区(右下の青い○の場所)との位置関係(⇒拡大
この高原を水源とした川は北側の足尾町にも流れ込んでいる。足尾は過去何度も洪水被害に見舞われている。
ただでさえこうなのに、上流側の木を伐ってメガソーラー? 正気とは思えない。保水作用は奪われ、表土は簡単に流れ、崩れて……もう、殺人行為ではないか。

さらには、那須御用邸のそばにも約37ヘクタールのメガソーラー建設計画があり、地元住民らが反対している
こういう問題が出るたびに、反対する側は揃って「自然エネルギーには賛成だが、場所を考えてほしい」的な主張をするが、「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」と呼ばれている風力発電、太陽光発電の正体をしっかり勉強し直してほしい。「自然」だの「再生可能」だのといううたい文句で補助金、税金をかっさらい、建て逃げを図る企業によって、地下資源はむしろ枯渇を早める。もちろん、温暖化が防げるわけでもない。無駄が増えて、その分、一部の企業に金が集まるという構造は原発ビジネスと同じなのだ。
そういう基本的な認識ができず、資源物理学の基礎が分かっていない民主党政権時のトップが、自然エネルギー万歳の能天気な発想でFIT法を制定した罪は極めて重い。結果、現安倍政権と経産省の悪政を強力に後押しし、軌道修正をしにくくさせてしまった。

外国企業が狙う「建て逃げビジネス」

横根高原も那須御用邸脇も、事業者は外資系である。外国企業が日本の山を食い物にして儲けるという図式。
発電効率なんて考えていない。
関西電力と高浜町の原発マネー贈収賄事件が発覚したが、国から巨額の金が出る事業では必ずこうした図式ができあがる。
関西電力の傘下にあるシーテックの本社課長は、ウィンドパーク笠取(2000kw×40基)を建設する際、「風力発電は、発電では採算が合わないのではないか」と質問され、「その通りです。しかし、補助金をいただけますので、建設するのです」と堂々と答えている
儲かるか儲からないかが判断の基本にある企業と、税金の使い方に無神経かつ不正義な政治が結びつくと、必ずこうなる。
発電プラントを製造する企業、建設する企業は、施設を建てた段階で儲けが確定するので、その後の発電事業には極力関わろうとせず「建て逃げ」する。
昨今話題になっている水道事業の民営化問題も、最終的にはそうした図式になっていくことははっきりしている。
何が「再生可能エネルギー」だ。環境破壊、殺人事業以外のなにものでもないではないか。こういうのをこの国では「経済効果」というのか?

国民が危険な目に遭わないようにする、幸福な生活を破壊されないようにする、将来にわたって持続できる社会を維持できるようにするのが「国防」であり、国の使命のはずだ。
その際に最重視すべきは合理性と持続性である。
しかるに、環境省も経産省も、まったく逆のことをしている。


「東電強制起訴無罪判決」の歴史的意味2019/09/25 11:48

「東電強制起訴無罪判決」で、次の一節を思い浮かべた。
本来、国家とは国民の生命と財産を守るのが使命である。ところが国の指導者たちは生命と財産を次々とつぎ込んで、博打のような戦争を起こした。その結果、多くの無辜の命が失われた。しかし、そうした戦争の責任はいまに至っても曖昧なまま放置されている。
(保阪正康・著 『田中角栄と安倍晋三 昭和史で分かる「劣化ニッポン」の正体」序章より)

↑この「戦争」という部分を「原子力ムラ利権構造ビジネス」と置き換えてみれば、今回の構図と同じだと分かる。


首相が国会で「議会については、私は立法府の長であります」とのたまい、官庁は平気で公文書を破棄・偽造する。司法は常識を超えた判決を下す。
三権分立が機能しなくなった国家は、悲惨な崩壊寸前だと知ろう。
「東電強制起訴無罪判決」は、歴史的にはそういう意味を持っている。

完爾と賢治2019/09/22 11:43

宮沢賢治(左)と石原完爾(右) Wikiより
このところ、日本の近代史に関する本を読みまくっている。妻が「なぜ急に?」と訊くので、こう答えた。
「小林和平や岡部市三郎がどんな時代を生きていたのか、時代の空気感や人々の心情、世相を知りたいから。これも「狛犬史」研究の一環かな」
でも、和平や市三郎の時代の『続・小説神の鑿』を書くかどうかは未だに悩んでいる。
歴史上実在の人物だけに、時代が近くなるほど書くのが難しい。彼らがあの時代、日本の対外政策や戦争についてどう思っていたかは、まったく分からないからだ。
終戦後、誰もが脱力し、悪夢から覚めたような気持ちになったであろうことは想像がつく。和平が戦後に彫った赤羽八幡神社の狛犬には「平和記念」と彫られているし、多くの戦没者慰霊碑の前に立つ和平の表情は、戦前の強気で頑固そうな表情とは一変している。

昭和25(1950)年旧7月、和平69歳。東禅寺戦没者慰霊碑群の前で


和平と同年代の岡部市三郎は明治37(1904)年2月~明治38(1905)年9月の日露戦争に従軍しており、上の戦没者慰霊碑が完成した昭和25年の前、昭和22(1947)年9月1日に満65歳で亡くなっている。
小林和平の師匠である小松寅吉が亡くなるのは大正04(1915)年2月22日で、行年72歳(満70歳)。そのとき和平は33歳だが、その10年前の明治38(1905)年9月5日には日露戦争に勝利したのに賠償金なしとは何事かと、国民が不満を爆発させて日比谷焼き討ち事件を起こしている。
自由民権運動を牽引し、石川町から政界に進出した河野広中は、その焼き討ちの現場で民衆をアジテートしていたという。
和平の最高傑作といえる古殿八幡神社の狛犬は昭和7(1932)年10月建立(和平51歳のとき)で、台座には「満州事変皇軍戦捷記念」と彫られている。和平の銘も「石川郡沢田 彫刻師 小林和平」と、初めて「彫刻師」という肩書きを使っている。
寅吉は、明治の神仏分離令と廃仏毀釈で仕事がなくなり、人生でいちばんエネルギーのあった時期を奪われた。
後に続く和平や市三郎は、その後の日本の領土拡大ムードに浮かれる世相の中で狛犬や馬の像を彫っていた。
そういう激動の時代の空気感を、戦後生まれの自分がしっかり書けるとは思えないのだ。

しかし、あの時代の正確な日本史を学校ではしっかり教えないし、司馬遼太郎の小説などのおかげで、ずいぶんと歪曲された歴史観を今の日本人は抱いていると思うので、小説の形で描けないかという挑戦は価値があるはずだ。しかも軍人や政治家が主人公ではなく、アート志向の石工の視線で描く……あまりにも難しいテーマだけれどねえ。

この難題に挑めるかどうかは分からない。その前に、利平編を大幅に改定して、もっと娯楽要素を増やすべきではないかと思っている。

完爾と賢治

そういえば、石原完爾の写真を見ていて、どこかで見覚えのある顔のような……と思った。宮沢賢治に似ているような……?
……とフェイスブックに書いたら、「どちらも法華思想で共通してますね」「宮沢賢治の童話って、ちょっと怖いなと感じること、ありますね。たしかに法華思想という怖さがあるのかもしれません」といったコメントがついた。

石原完爾は明治22(1889)年1月18日、山形県庄内町に生まれて、昭和24(1949)年8月15日に亡くなっている。
宮沢賢治は明治29(1896)年8月27日、岩手県花巻市に生まれて、昭和8(1933)年9月21日に亡くなっている。
二人とも東北で生まれ、ほぼ同時代を生きた。宇宙的な規模で世界を俯瞰するという視野を持ち、自分なりの理想の世界を追い求めたという共通点もあるように思う。
ただ、空想力の向かう方向や才能を発揮する具体的な方法が違った。かたや飛び抜けた頭脳を持った軍人、かたや田舎暮らしの教員。生きる場所も、戦場と農村で違った。
また、賢治は日中戦争の拡大・激化や太平洋戦争は知らないまま30代で死んでいる。満州国建国宣言や5.15事件あたりまでは知っているが、これも東北の田舎で事件のことを聞いただけだっただろう。戦後まで生き続けたら、どんなものを書いていたのだろうか。
人がどんな人生を生き、後にどう評価されるかは、ほんとうにちょっとした運やタイミングの違いで大きく変わってくるのだろうと、改めて思った。

馬鹿がトップに立つ怖ろしさ

よく言われる「IF」の一つだが、石原完爾と東条英機が入れ替わっていたら、日本史どころか、世界史がガラリと変わっていたかもしれない。どう変わっていたのか……想像するのは怖いのだが……。

読みあさっている本の中には、保阪正康さんのものが何冊かあるが、こんなインタビューを見つけた。
僕は東條(英機)が憎いとかなんとかじゃなくて、こういう人が首相になって、陸軍大臣になって、しかも兼務ですよ。最後のほうは参謀総長、内務大臣など。なんでこの男がこんなに権力を握ったのかという、そのからくりの全体がきちんと整理されていかないと、戦争の反省なんてありえないと思うんです。(略)
(東條は)人間観がものすごく狭いんですね。おまけに、(略)文学書や哲学書なんて読んだことがない。ものを相対化する力がないわけです。戦争へ行ったら、勝つまでやるというプログラムしかない。こういう人が指導者になっちゃいけないんだということを、我々は共通の認識で持たなきゃいけないと思います。
東條英機の妻、石原莞爾の秘書に会ってきた。『昭和の怪物 七つの謎』の凄み) 講談社BOOK倶楽部)

まったくその通りで、石原完爾のような頭のいい人が、怖い思想、世界観で軍隊を率いたら怖ろしいけれど、少なくとも、馬鹿が軍隊のトップ(国政のトップ)にいるよりはいい。まともな思考力があれば、最悪の事態を避ける努力をするはずだからだ。
さらには、本当に頭がいい人間は自分の過ちを認め、軌道修正ができるが、馬鹿は最後まで馬鹿なままだ。反省も学習もしない馬鹿に自分たちの命を預けるなんて、そんな怖ろしいことがあるだろうか。

石原完爾と東條英機が入れ替わっていたらというのは「想像」の話だが、「ものを相対化する力がない」馬鹿が国のトップにいたら、という恐怖は、令和時代の「現実」である。そのことを、多くの人たちがなめてかかっていることが、さらに怖ろしい。


もしも日本が先に原爆を完成させていたら2019/09/08 21:23

石川町でウラン鉱採掘に動員された石川中学(現・学法石川)の生徒たち(Wikiより)
福島県の石川町は、石工・小林和平が生まれ育ち、数々の名作を生み出した土地である。
その石川町が、日本における原爆開発研究ともつながりを持っていると知ったのは20年ほど前のことで、狛犬つながりからだった。

アメリカが原爆開発(マンハッタン計画)に本格着手したのは1942年10月だが、それに遅れること数か月、日本でも陸軍の要請により理化学研究所仁科芳雄博士をリーダーとする「ニ号研究」、海軍の要請で京都帝国大学の荒勝文策教授をリーダーとする「F号研究」と呼ばれる原爆開発研究がほぼ同時にスタートした。
その原料となるウラン235を入手する場所として選ばれたのが石川町で、1945年4月から終戦までの5か月間、旧制私立石川中学校(現在の学法石川)の生徒が勤労動員として採掘作業にあたった。炎天下、わら草履に素手で作業させるなど、ひどい状況だった。しかし、採掘できた鉱石はごくわずかで、ウラン含有率も少なく、使いものにならなかった。

軍部の思惑とは裏腹に、研究者たちは日本で原爆が製造できるとは思ってはいなかったらしい。しかし、仁科や荒勝らには、若い研究者たちが戦場に送りこまれるのを防ぐと同時に、軍からの潤沢な予算を得ることで、原子核の基礎研究を進めたいという思いがあったと、「日本の原爆 その開発と挫折の道程」の著者・保阪正康氏は分析している。
ニ号研究のほうは、昭和20(1945)年5月下旬に、仁科自身が陸軍に「ウラン鉱石すら入手できないようなこの状況ではもう無理である」と告げて、研究者たちも次々に疎開し、そのまま立ち消えてしまった。
海軍では海軍技術研究所科学研究部長の黒田麗(あきら)少将を部長に、(略)F号研究を受け持った。昭和20(1945)年7月21日、琵琶湖のホテルで話し合いの場が持たれている。(略)
黒田は「できれば原子爆弾を作ってほしい」との発言を行った。(略)
「理論的にはまったく可能だが、現状の日本の国力などから考えても無理だといってかまわないと思う」と、荒勝グループの研究者たちは声を揃えた。正式に中止の決定をしましょう、というのが荒勝らの一致した提案だったのである。
「日本の原爆 その開発と挫折の道程」 保阪正康・著 新潮社2012年刊 P170より)

そして、その2週間後には、広島に原爆が投下された。
アメリカのハリー・トルーマン大統領が、広島に投下されたのは原子爆弾であると発表したのは、ワシントン時間で8月6日午前11時(日本時間7日午前1時)であった。(略)長文のこの声明は、アメリカがこの原子爆弾の開発製造のために、いかに国力の総てをつぎ込んできたかを詳細に述べた。(略)
連合国各国がこの“偉業”を賞えていると、アメリカのラジオ放送は伝えた。(略)トルーマン大統領の声明が各国から賞えられるなかで、人類にとって原子爆弾の投下は汚点である、との意見はローマ法王庁ほか、わずかの機関からしか発表されなかった。(略)
当時の日本国民はラジオでアメリカの短波放送を聞いたりすればすぐに逮捕されてしまう時代だから、こういう連合国や国際社会の動きなどはまったく知るよしもなかった。
むしろ内閣情報局での会議、つまりこのニュースをいかに国民に伝えるかの会議では、陸海軍からの出向組は、「トルーマン声明は策略かもしれないではないか」とか、「原子爆弾だと伝えると、国民に衝撃を与え、戦争指導上問題がある」といった強硬意見が出された。
同「日本の原爆」より)


「もしも日本がアメリカより先に原爆を完成させていたら?」という「IF」は、ときどき語られる。
戦時下の昭和19(1944)年には、朝日新聞が「ウラニウム爆弾」について記事で紹介し、「新青年」という読み物雑誌には『桑港(サンフランシスコ)けし飛ぶ』と題した小説も掲載された。ウラン235を入手した日本では原子力の実用化に成功し、原子力飛行機で軽々と太平洋を横断し、敵国アメリカのサンフランシスコ上空8000メートルから原爆を投下する、という内容の小説だという。
こうした記事や小説がきっかけで、「マッチ箱1つの大きさで大都市が吹っ飛ぶ爆弾」が発明され、日本は戦争に勝つという噂が日本国中に広まった。
しかし、当時の状況からして、日本がアメリカより先に原爆を完成させていた可能性はない。
「ニ号研究」では、
容器の中に濃縮したウランを入れ、さらにその中に水を入れることで臨界させるというもので、いわば暴走した軽水炉のようなものであった。(略)
しかし、同様の経緯である1999年9月の東海村JCO臨界事故により、殺傷力のある放射線が放出されることは明らかとなっている。 (Wikiより)

……つまり、完成させられないまでも、そのまま研究が進み、原材料が調達できていたら、実験段階で日本国内で悲惨な事故が起きていた可能性が高い。そして、当然、それは隠されただろう。
なにしろ、1944年(昭和19年)12月7日に起きた東南海地震(M7.9。死者・行方不明者1223名)も報道規制され、隠されたくらいだから。

「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」と並べてはいけない

こうした歴史に学ばず、2011年3月の原発爆発では、福島県は国に先がけて深刻な放射能漏れを知ったにもかかわらず、それを隠した

歴史は繰り返すというが、こんな歴史を繰り返していいはずがない。

保阪正康氏は著書『日本の原爆』の最後で、非常に重要な指摘・主張をいくつもしている。
原子力や核開発に対しての考え方の違いを超えて、多くの人たちが見落としがちな視点・視座だと思うので、いくつかをほぼそのままの内容で紹介しておきたい。

  • 原子爆弾の製造⇒戦争の終結⇒東西冷戦下の核開発⇒核の均衡による平和⇒核技術の「平和利用」 ……この構図の中には政治と軍事が科学者たちを下僕化したという現実と、政治が「平和利用」の名のもとに科学者を巧みに利用した現実が凝縮している。
  • 原子力の二つの顔(原子爆弾と原子力発電)は、単純に「悪魔と天使」とに二分できるものではない
  • ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを並べて論じてはならない。ヒロシマ・ナガサキは基本的にはアメリカが爆弾を投下したという問題だが、フクシマは我々の国のシステムや技術、原発に対する考え方の歪みが起こしたものであり、「我々の国の責任問題」である。
  • 原爆製造計画では、軍事指導者が「聖戦完遂」の名のもとに軍事研究を要求し続けた。原子力発電は、軍事指導者に代わって、政治家や官僚が「平和利用」と「生活の向上」の名のもとに「電力というエネルギーの供給を」と訴え続けた。どちらの大義もその時代が要求する価値観でしかなく、歴史的普遍性に欠けている
  • 日本での原爆製造計画が未遂に終わったために、我々は人類史の上で加害者にはならなかった。しかし、原発事故では、我々のこの時代そのものが、次世代への加害者になる可能性を抱えてしまった。我々が放射線をあびたとしても、それはそうしたシステムを許容した我々自身の責任である。しかし、次世代の人たちに放射能障害の危険性を残していいわけはない。


原発爆発後の日本を見ていると、責任者が責任をとらないどころか、開き直って嘘の上塗りをし、それを国政が後押しする。システムの反省や改善どころか、さらなる欠陥や非合理、不正義を押し進める……。
  • 放射性廃物を永久処理する方法は未だに発見されていないし、地震の巣である日本では、放射性廃物を安全に保管できる施設は作れない。それがはっきり分かっている今も、後始末(廃炉と放射性廃物管理)ではなく、再稼働や、原発の輸出(!)などを押し進める。
  • 原発爆発でばらまいた放射性物質を含んだ土や瓦礫くずを健全な水源地にまで運んで埋めてしまおうなどという馬鹿げた計画を「環境省」がごり押しする。
  • 原発ビジネスとまったく同じ「国が税金を投入して業者を儲けさせる」システムで、「再生可能エネルギー」という新たな名のもとに、大規模環境破壊と国民への不要な経済負担を「国策」として進める。

原爆を投下された直後の日本よりも、今の日本のほうが、人々の理性・判断力・倫理観が劣化しているように思えてならない。


嫌韓報道を続けるメディアの害毒2019/09/04 22:09

形は違っても、中身は同じ「アジ」ア……
酒の席で、初対面の男性からいきなり「私は日本は特別な国だと思っているんですよ」と切り出されて面食らったことがある。
その「特別」とはどういう意味なのだろうか? 神国日本とか、そっち系? それとも、世界でも類をみないほど水と森に恵まれ、四季が存在するというような意味? その意味によって対応はまるで変わってくるが、どうも前者のようだった。

日本の軍部が暴走して真珠湾攻撃をする直前の昭和15(1940)年、日本国中に「皇紀2600年」キャンペーンが張られ、一種浮かれた世相があった。
狛犬巡りをしていると、あちこちの神社で「皇紀2600年もの」の狛犬、燈籠、記念碑などに出くわす。
今放送中のNHK大河ドラマ『いだてん』でも、「皇紀2600年」に合わせてオリンピック招致に躍起になったことが描かれている。東京では万国博覧会の開催も予定されていたが、日中戦争の泥沼化によってすべて中止・延期された。

↓ ↓ ↓

皇紀2600年のポスター。11月14日までと15日以降ではガラッと趣旨が変わっている(Wikiより)


この「皇紀」というのは、初代天皇であるとされる神武天皇が即位した年(西暦だと紀元前660年にあたる)を元年とする「神武天皇即位紀元」と呼ばれるもので、明治政府が明治5(1872)年に制定した。
神武天皇の即位がBC660年だというのは、日本書紀の記述をもとにしたものだが、言うまでもなくこれは、歴史学的にも考古学的にも否定されている。

日本の古代史には謎が多いが、大和朝廷を築いたのは朝鮮半島から渡って来た渡来系の人々であり、それ以前に日本列島に暮らしていた人々は見た目も使用言語も生活習慣もバラバラな多民族だったことは概ね分かっている。
多民族がなんとなくうまく暮らしていた平和な土地に、鉄の武器や稲作農耕技術などを持った大陸系の人々が来て、原住民を武力制圧していった……というのが、ほぼ正しい日本の古代史だろう。ただ、明治以降、そうした「大陸民族による日本征服」という古代史は曖昧にされ、一方では征服者が書いた歴史書である日本書紀の記述は、いくら非現実的であろうとも、政府によって「常識」であるかのように固定されていった。
『日本書紀』『古事記』を「歴史資料」として鵜呑みにすることを批判した津田左右吉(早稲田大学教授 1873-1961)は、まさに皇紀2600年の昭和15年に、『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及思想』の4冊を発売禁止の処分にされ、早稲田大学教授も辞職させられ、版元社長の岩波茂雄とともに出版法違反で起訴された(津田事件)。

無知なのか? 同族嫌悪なのか?

「日本は特別な国」とか「神国日本」という一種の信仰は、古代史と近代史をきちんと学んでこなかった人たちの妄想なのか、それとも、それが分かっているからこその同じアジア人への同族嫌悪(そしてその裏返しである欧米白人社会へのコンプレックス)なのか……。
多分、その両方なのだろうと思う。
そう認識した上で、現在の日本のメディア(特にテレビのワイドショーなど)による嫌韓煽りともいえるような報道ぶりを見ると、まさに「大政翼賛会」を彷彿とさせる。

 8月15日の日本の敗戦の日を前後して、韓国のシュプレヒコールは、「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わりました。
 私の周りの韓国人の友だちもそれに安堵しているようです。(略)
 それにしても、「NO JAPAN」から「NO ABE」に変わったこと。事の本質が変わった大切な事なのに、日本の報道はそこを特に取り上げない。本質には触らない、タブー視、忖度……日本に住む人々を欺くことになるのに印象操作は続きます。
韓国に「上から目線」のワイドショー、酷くない? 日本の「嫌韓」に対し、韓国は「嫌日」になっていません! 藏重優姫

RONZAに掲載されたこのコラムは、冷静さを訴えるものだが、本来、メディアはこうした事実こそをしっかり伝えていくべきだろう。

Googleで画像検索すると、↓こうした画像がどさっと出てくる。

当初はハングルで「NO 아베」と書いていたが、日本のメディアがこのプラカードを「反日デモ」などと報道するのを知って、「NO 安倍」と漢字表記するようになってきた。それでもメディアは「反安部政権」デモではなく「反日デモ」だと伝えるか、無視する。

このデモ行動の背景や意味を、冷静に分析し、伝えようとしている記事もある。
集会の正式名称は「安倍糾弾 第2次キャンドル文化祭」。主催は「安倍糾弾市民行動」という596の市民団体やNGO(非政府組織)による連合体だ。
(略)
いわば韓国市民団体の「オールスター」とも言える組織がデモを主催している訳だが、この布陣は、2016年10月末から2017年3月にかけて当時の朴槿恵(パク・クネ)大統領を弾劾に追い込んだ「キャンドルデモ」と同様だ。力の入った運動主体といえる。
中でも、この日特に存在感を発揮していたのが「自主派」と区分される政党・市民団体の旗だ。「民衆党」や「祖国統一汎民族連合(汎民連)」、「民主主義自主統一大学生代表者協議会(民大協)」など、民族主義を強く打ち出すNL(民族解放)系列の組織が勢揃いしていた。
韓国「安倍糾弾デモ」のメカニズム 徐台教 コリアン・ポリティクス編集長

さらに、 北朝鮮政府との無条件での対話路線を続ける文在寅政権と対立する韓国の第一野党である自由韓国党(保守派)は、一方では、
植民地時代に大日本帝国に積極的に協力することで権勢をふるい、1945年の解放後や48年の大韓民国建国後にもそれを維持し、さらに「日韓癒着」を重ねてきたいわゆる「親日派」と、日本の「再武装」を掲げる安倍政権の「戦前回帰イメージ」が重なり、強い不満となって表れているのだ。
つまり、「安倍政権=韓国保守派=南北宥和の敵」という論理だ。これは今回の「安倍糾弾デモ」をセッティングした、いわば主催者側の主張といえる。安倍政権を糾弾しつつ、韓国の保守派も攻撃するという二重の目的を持った集会ということだ。(同記事より)

……と、徐氏は分析する。

最初に引用した藏重さんの記事でもそのへんのことは報告されている。
 今年の終戦の日前後は、ソウルでいろんなイベントや集会に参加しましたが、日本をひとまとめにして「ダメ!」という演説の無かったことに救われました。
 ただ、与党と野党の攻防合戦、国民感情を政治家に有利なように誘導するような発言は見え見えでした。
 少し感じ取ったのは、政治家が自分の良いように過去の事実を引き出し演説することには、韓国の人ももう慣れているようで、政治家の発言は政治家の発言。歴史問題解決はしないといけないという点では人々の考えは一致しているが、その方法論では世論は割れている。
日韓境界人のつぶやき より)


このへんの複雑さは、日本で暮らしている日本人には容易には理解できない。しかし、少なくとも、今、韓国で起きている「反安部」デモや日本製品不買運動、日本への旅行取りやめなどの動きの背景が、単純な国粋主義的な感情からだけではないことは知っていないといけない。

徐氏の記事の中で紹介されている、(組織とは関係なく「NO 安倍デモ」に参加したという)二人の韓国人男性の声は、特に傾聴に値する。
「日本社会全体に反感を抱いているのではない。(自分の)海外生活の経験から見ても、世界で最も親しくなれるのは日本人。しかし、正直言って、安倍政権がなぜ続くのか分からない。この点では日本の市民に不満がある。安倍政権が早く退陣し健全な政権に変わってほしい」(49歳・男性)

「日本の安倍首相一族の政治的系譜に悪い印象を持っている」(52歳・男性)


日本では「安倍首相一族の政治的系譜」と言われても、ピンとこない人が多いのではないだろうか。
日本では幕末から昭和にかけての近代史を、事実に沿って正しく教えていないからだ。
まったく必要なかった戊辰戦争、「長州閥陸軍」のあまりに愚かで人命を軽視した暴走……などと書くと、今度は日本国内で西と東(薩長と奥羽越同盟)の無駄な対立を引き起こしそうだが、言いたいのは、あくまでも国、地域、人種といった線引きで対立軸を作るな、という極めて単純なことだ。
時の権力者の顔色をうかがい、不正義を「これが仕事」と認識して淡々と遂行していく「優秀な人たち」。不正義を行っても、その不正義が権力者の意向に沿ったものであれば、罪に問われないどころか、安泰な老後生活が保障される。そうした「官僚主義的無責任体制」と、それを許してしまう国民性こそが、この国の人々を大きな不幸に陥れてきた、という歴史を学びましょう、と言いたいのだ。

韓国では「お友達」を優遇した前大統領は弾劾訴追、逮捕された。少なくとも、国会や司法が独立して機能した。
一方、同じときにこの国ではどうだったのか……。

歴史に学べ! 答えはそこにある。
とにかく、この一言に尽きる。


「日本製」神話なんてとっくに崩壊している2019/08/31 16:34

朝日新聞に「中国製か日本製か、誰も分からない」告発者が語る手法 という記事が載った。
ブロニカという時計販売会社が売っている腕時計は100%中国で組み立てているが、それを日本に持ち込んでから裏蓋に made in Japan の刻印を押している……という内容。
しかし、そんなのとっくの昔からどんな業界でもやっていることで、何を今さら……と思う。
中国の鰻を日本に輸入して、ちょっとだけ生け簀に放してから加工し、「日本産」として出荷するとか、そういうのはみんながすでに知っていること。
家電製品や衣料品なども、今やメーカーの本部がどこにあるかとかは関係なくて、工場は中国や東南アジアにある。もっとも、それらは正しく made in China や made in Malaysia などと記されている。だから、この腕時計の場合、正しく made in China と刻印するべきではないかということだと思うが、腕時計に「日本製」を要求するセンスがすでにずれている。正確な時刻を知りたければ、スマホがいつでも教えてくれる。腕時計はもはや時刻を知る道具ではなく、アクセサリーのカテゴリーに入るだろう。センスのよいデザインであっても made in China ならアクセサリーとしての価値が下がるというのであれば、それはもう裸の王様の世界というか、特殊な趣味の世界ということで、放っておけばいいのではないか。ブロニカの腕時計が made in Japan か made in China かなんて、ほとんどの人にとってはどうでもいいことだ。
そもそも「日本製」の信用度、made in Japan のブランド力って、今でもあるのだろうか。

「日本製」にわざわざドイツのブランド名を被せる

この腕時計の事例とは逆に、日本製なのにわざわざ海外ブランドを冠して商品価値を高めようとする例もある。
カメラのレンズなどはその典型で、日本製であっても、わざわざドイツに本部がある企業にライセンス料を支払って「ライカ」や「カールツァイス」というブランドを冠している。作っているのはコシナ、シグマ、タムロンなどの日本メーカーなのに、わざわざさらに金を払ってドイツのブランドを冠したほうが高級品のイメージが作れるということなのだろう。

日本のカメラメーカー・ヤシカはカール・ツァイスとブランドライセンス契約を結び、ヤシカが製造する高級機にカール・ツァイスのレンズ、カメラ本体にはコンタックスのブランドを使った。
そのヤシカが後に京セラに吸収されたため、京セラも引き続きコンタックスというブランド名を使っていた。
京セラがデジタルカメラ事業から撤退する寸前に、Finecam SL300R、Finecam SL400Rという、ボディが2つに分かれて回転し、レンズ部分の深さとボディの薄さを両立させる「スイバル」タイプと呼ばれるコンパクトデジタルカメラを発売したことがあった。このSL300R/400Rには、ほぼ同じ設計・仕様でコンタックスブランドのCONTAX SL300RT/400RTという革シボをあしらったお洒落な製品があって、価格は京セラブランドのFinecamの2倍くらいした。
スイバルタイプのコンパクトカメラは好きだったので、欲しかった1台だ。性能的には限りなく同じだと分かっていても、「CONTAX」のロゴとお洒落なデザインは確かに魅力的だったのを覚えている。これがまさに「ブランド」の力だろう。

デジタルカメラといえば、コンパクトデジカメの生産においてサンヨーのシェアが圧倒的だった時期がある(そもそも「デジカメ」はサンヨーの登録商標)。しかし、サンヨーが生産シェア世界一を誇っていた時期、そのほとんどは他社へのOEM供給だった。「サンヨー」のカメラでは売れないが、オリンパスやニコンのブランドをつけると売れる。
そのサンヨーもその後は消えていき、今ではコンパクトデジカメというジャンルそのものが消えてしまいそうな状況にある。

「ブランドイメージ」の難しさ

ブランドイメージがどう定着していくのか……実力通りなのか、PR戦略の賜物なのかというのは、興味深いテーマだ。

腕時計でいえば、カシオは、元は「安い電卓を作るメーカー」というイメージだったが、知らないうちに国外で腕時計のG-SHOCKシリーズが大人気になり、その人気が逆輸入されるような形で日本国内でもブランド力を持つに到った。
でも、日本で作っているのは少なくて、タイや中国製が多い。

世界で初めてラジカセを発売したといわれるAIWAは、当初、国内では二流メーカーと見られていて、安売り店でよく見かけるブランドという認識だったが、海外、特に中東などでは大変な人気と信用があった。
2002年ソニーに吸収され、2008年にはブランドそのものが消えてしまったが、2017年にソニーの下請け工場などをしていた秋田県の十和田オーディオという会社がソニーからAIWAブランドを譲り受けて自社製品開発を始めた。
個人的には、AIWAよりも「十和田オーディオ」のほうが高級で、いい音を出しそうな気がしてしまうのだが……。
アメリカにチボリオーディオという高級ラジオを作るメーカーがあって、かなりのお値段で売られている。今、私の目の前にあるミニマムオーディオセットのスピーカーユニット(8cm)にも「Tivoli Audio」の印字がある。チボリオーディオの高級ラジオのために作ったスピーカーユニットで、中国工場から流れてきたのを1個2100円で入手したものだが、とても気に入っている。
そのとき一緒に買った無印の10cmユニットは1個690円だったから、その3倍もする。このユニットにAIWAと印字されていたら2100円も出して買わなかった。でも「TOWADA AUDIO」と印字されていたら買ってしまったかもしれない。
で、実際には同じものになんのブランド名も印字されていなければ1個500円とか600円で入手できたのだろう。だから、Tivoli Audioという印字があることは「高級ラジオのメーカーが生産を依頼している工場で作られたスピーカーだから、変なものではないはずだ」という安心料のためにプラス1500円を出したことになるのかもしれない。それはそれで仕方がない。

海外向けにラジカセのAIWAブランドを復活させたのはいいことだが、それとは別に、高級オーディオブランドとしての「十和田オーディオ」が誕生したらもっと嬉しい。
↑690円の無印中国製ユニットと2100円のチボリオーディオの8cmユニット。後方は中国製のタンノイ
↓AIWAのミニコンポについていたスピーカーから外したウーハー。これと無印10cmユニットを交換して、フルレンジシステムに作り替えたらすごくいい音になった


ま、そんなこんなだから、今はもう、製造国やブランドは関係ない。怪しい中国製が日本の老舗ブランドの製品より高性能・低価格だったりすることは普通にある。もちろん、怪しい中国製が、しっかりダメダメで、すぐに壊れたり、設計がおかしかったりすることも多いわけだが。

シャープも東芝も、もはや「日本企業」ではない?

話を「日本製」のブランド力ということに戻そう。

液晶テレビが出始めたとき、大型家電店の液晶テレビ売り場に見に行ったことがある。どのメーカーの画面がいちばんきれいだろうとじっくり見て回った結果、国内メーカーのテレビよりもひときわきれいな画面だったのがサムスンのテレビだった。店頭用に輝度を上げていたのではないかといわれそうだが、それなら他のメーカー製品もそうしていたはずだし、輝度による見ばえではなく、色味の自然さや精細さが明らかに勝っていた。日本の家電メーカーへの信頼が一気に揺らいだ瞬間だった。
日韓戦争などと騒いでいるが、今、サムスンに勝てる日本の家電企業はどのくらいあるだろう。
冷静に現実を見ないと、気がついたときは取り返しがつかなくなる。

液晶テレビでは、一時期シャープがブランド力を持っていた。
シャープが三重県亀山市に、巨額の補助金(三重県から90億円、亀山市から45億円)を得て工場を作ったのは2002年のことだった。「世界の亀山」ブランドとして吉永小百合を起用したテレビCMなどで大々的にPRした結果、「液晶はシャープ」というブランド刷り込みに成功した。今でもその「亀山ブランド」を信じている人は多いのではないだろうか。
しかし……
亀山第1工場は2009年初頭より操業を停止。生産施設をすべて中国企業に売却し、建屋のみが残った状態となった。莫大な補助金を投入した工場が、わずか6年で操業停止して設備を売却と言う事態に、シャープは県から補助金約6億4000万円の返還を求められた。(Wikiより

液晶テレビ「アクオス」の生産拠点として2004年に稼働して以降、一時代を築いた“世界の亀山”ことシャープの亀山工場(三重県・亀山市)。テレビ事業が大幅に縮小してからも、生産ラインを一部売却し、スマホやタブレット向け中小型パネルの生産に乗り出すなど、形を変えながら存続してきた。
だが昨今、シャープを買収した台湾・鴻海精密工業が進める“分業体制”により、亀山工場の稼働率が大きく下がっていることがわかった。
シャープ「世界の亀山」液晶工場が陥った窮状 外国人労働者3000人解雇の裏に「空洞化」 東洋経済ONLINE 2018/12/19

シャープが栃木工場(栃木県矢板市)でのテレビ生産を2018年末に打ち切ると発表したのを受け、県や矢板市は情報収集に追われた。栃木工場は日本の家電産業が競争力を失うのに合わせて、段階的に生産規模を縮小してきた。
シャープ、テレビ生産停止 「遅かれ早かれ」地元は冷静 栃木工場の栃木県矢板市 日本経済新聞 2018/08/03


シャープといえば、かつてはNECやゼネラル、サンヨーなどと並んで、国内家電メーカーとしては二流のイメージがあった。
お金があるなら、ナショナル(現パナソニック)、東芝、三菱、日立、ソニーなどを買いたいが、少しでも安く買いたいから、シャープ、NEC、ゼネラル、サンヨーあたりでも我慢しよう……みたいな感覚は、今60代以上の人たちなら説明不要で理解してもらえるだろう。
そこからPR戦略で抜け出したシャープはうまいことやったなあ……と思っていたが、個人的には「液晶のシャープ」は信じていなかった。売り場で実際に見て、サムスンのテレビがいちばんきれいに映っていた印象が強かったし、テレビでいちばん重要なのは録画機能だからだ。
早くからテレビに外付けHDDをつけて、テレビ本体の操作だけで録画ができるようにしたのは東芝REGZAだった。「W録画」をするためにチューナーを2基、3基積んだ機種も作っていた。その頃、他社のテレビはDVDレコーダーやブルーレイレコーダーを売りたいがために、テレビだけで録画できる機能を搭載するのには抵抗を示していたが、東芝はそのタブーを破って、ユーザー本位の設計をしたといえる。
しかし、その東芝も、テレビ事業を受け持っていた「東芝映像ソリューション」が、株式の95%を中国のハイセンスグループに譲渡した。東芝のテレビブランド「REGZA」は今もあるが、もはや日本メーカーではなく中国のメーカーといえるだろう。

東芝はPC事業部門である東芝クライアントソリューション(TCS)が2018年にシャープの傘下に入り、Dynabook株式会社として再出発したが、シャープはすでに鴻海の傘下なのだから、実質、東芝が育てた「ダイナブック」というブランドを鴻海が傘下に収めたことになる。

シャープや東芝の没落は日本の工業製品神話崩壊を強く印象づけた。
特に東芝は、家電製造やノートPCの技術や設計のセンスは非常に優れていたのに、経営陣が原発ビジネスに傾いて、バカみたいな失策と大胆な不正を続けて取り返しのつかない事態にまで到った。真面目に家電に取り組んでいた社員たちは、さぞ悔しい思いをしていることだろう。

技術力の高い台湾で開発・設計を行い、コスト競争力の高い中国で生産・組立を行う「チャイワン」と呼ばれる分業体制が構築され、国を跨いで競争構造が急速に変化した。かつて業界を席巻していた日本の電子産業、AVメーカー各社が2000年代に市場シェアを一気に落とし衰退を見せた背景として、垂直統合・自前主義に陥ってこうした世界的な製造・物流インフラの流れを捉え切れなかった、などと各所で論じられた。
Wikiの「EMS(製造業)」の項より)

……まさにそういうことだろう。
経営陣の頭が昭和の高度成長期のままだったことが敗因だ。
鴻海はアップル社との提携関係が強く、iPhoneの部品などを供給している。日本のメーカーはアップルになれず、鴻海の支配下に組み込まれてしまった。
「下請け」で生き残るとしたら、中国や東南アジア諸国の労働賃金と競争しなければいけなくなるわけで、地方の雇用問題はさらに悪化する。
国内企業がアップル社の位置にいてこそ、国の経済レベルも保て、国内のあらゆる経済活動(生産分野に限らない)に金が回る余裕が出る。
今から逆転を図るのはあまりにも難しいと思うが、一刻も早くそのことに気がつかなければ、これから先、とんでもないことになる。
それなのに、企業の経営者だけでなく、政治・行政においても「勘違いジジイ」が相変わらず物事を決め、国の運命をミスリードし続けている。

腕時計が made in China なのか made in Japan なのかなんていう問題はどうでもいい。
そんな「不正」問題よりも、もっと大きな不正問題──国全体の行方を誤らせる危険に直結する不正(公文書破棄・隠蔽・改竄や政治権力者による大胆な不正優遇)を、メディアはちゃんと報道してほしいものだ。


参院選2019まとめ 山本太郎のゲリラ戦法など2019/07/22 14:10

重度障害者の候補者二人が当選!
記憶が薄れないうちに、今回の参院選で「忘れてはいけないこと」をいくつかまとめておきたい。

投票所に足を運ぶ気力がない

投票率が48.8%で、50%を割ったのは24年ぶり。過去2番目の低さだというが、過去最低の44.52%は1995年の参院選で、このときはまだ期日前投票制度がなかった時代だから、実質、今回が過去最低といえる。ちなみに今回の期日前投票数は過去最高である。
要するに、国民の多くが、もはや投票所に足を運ぶだけの気力すらないほどに疲弊し、空虚感、無力感に支配された生活をしているということだ。

策士・山本太郎 ゲリラ戦を仕掛けて勝利

れいわ新選組を立ち上げた山本太郎は、比例区でおよそ98万票を獲得して、比例区の個人獲得票では断トツの1位になった。ちなみに2位、3位は自民党、公明党の候補者でどちらも59万票あまり。
しかし山本自身は重度障害を持つ候補者二人を「特定枠」に置いたために、れいわが獲得した2議席分の得票(224万票あまり)では届かず、断トツ1位得票者でありながら落選した。
このことをマスメディアは「山本太郎落選」と伝えるが、車椅子や介護者がいないと発言も移動もできない議員を二人も国会に送り込んだことは、歴史的な出来事である。
議場では投票の際に議員が階段を上らなければならないし、車椅子で着席できる仕組みもない。議場には議員本人しか入れないという現行ルールを改正しない限り、当選しても議員は議場にすら入れない。この「国会の場がそもそもバリアフリーになっていない」ことを、山本は国民に改めて知らしめた。
これは、巨大な敵に立ち向かうためのゲリラ戦としては見事な勝利である。

意図的に山本太郎を黙殺するマスメディア

選挙前に、山本の行動をしっかり報じているマスメディアはほとんどなかった。特にテレビは完全無視に近かった。
本来なら、重度障害者を立候補させるということが分かった時点で報道価値があるはずである。候補予定者本人に取材してしかるべきだろうに。
これは何に対しての「忖度」なのか?
前に言いましたが、選挙終わってから候補や政党や支援団体のことを特番で見せられてもどうしろと言うんですか?
遅いだろう! 全く役に立たない。メディアが公職選挙法の改正を大優先にしないなら、開票特番やめて全部アニメでいいです。オチはありませんm(__)m
デーブ・スペクターのツイッターより
まったくその通りである。

立憲民主党の「社民党化」「硬直化」を懸念する

れいわ新選組の健闘に対して、立憲民主党の魅力が一気に薄れたことが強く印象づけられた選挙でもあった。
自治労役員、野田内閣時の首相補佐官、郵政労組役員、NTT労組出身の情報労連組織内候補、私鉄総連局長。
↑これは立憲民主党比例区上位当選者5候補のプロフィールである。この5人までが10万票を超えた。この結果を見れば明らかなように、立民は候補者選びの段階で国民に魅力を発信できていない「個人の力」を引き出し、活躍させる土壌ができていないのだ。
テレビCMも下手すぎる。依頼している広告代理店が意図的に「ダサく」作って立民離れを仕掛けているのではないかと思うほどひどい。
要するに立民は「自己分析」ができていないのだ。
実働部隊として戦力になる候補者がいないわけではない。
原発問題で超人的な情報収集、データ解析能力を発揮してきたおしどりマコや、元NHK記者で、普天間基地問題の現場にも突撃取材を敢行する「元気な老人」小俣一平らは、議会に送り込めれば何人分もの起爆力を持っていたと思う。
しかし、おしどりマコは3万票に届かず、立民の比例区候補者(当選は8人)のうち12位、小俣は1万票すらとれずに同18位。
今回、NHKから国民を守る党が1議席を獲得したことが話題になっているが、立民は「今のNHKのあり方に憤りを感じている人は、ぜひ小俣一平氏に一票を投じてください。NHKの内実をいちばんよく知っているのは彼です」といったPRをすればよかった。
そういう戦略、小回り戦法ができないと巨大与党と渡り合えるはずがない。
「ならぬものはならぬ」「正々堂々と正面から挑む」とか言って、鎧甲冑に槍を持って新政府軍に突っ込んでいって討ち死にした会津藩みたいなことになる。それでは過去の社会党と同じ運命をたどることになりはしないか。
枝野代表は真面目さ、清廉さが売りだが、それだけでは「無党派層」を惹きつける求心力が足りない。合理性を持った策士や力技で動けるパフォーマーが必須だ。
山本太郎はその二役を一人でこなしたといえる。
マコ&一平は、次は衆院選でれいわから立候補してほしい。今の立民にいる限りは、活躍の場が与えられないまま歳だけ取ってしまうだろう。
ちなみにテレ東の選挙特番で、池上彰が山本太郎に「なぜ旧体制を守ろうとした新選組の名前を使うのか」みたいなことを言っていたが、戊辰戦争のことをよく分かっていないのではないか。
新選組(あのときは「新撰組」)は、東北戊辰戦争で会津藩の総大将となった西郷頼母(たのも)に「ゲリラ戦でなければ勝てない」と主張した。頼母はそれを拒否して「我々は正面から正々堂々と戦う」などと言って、最新兵器を持ちながらゲリラ戦を仕掛けてくる新政府軍に甲冑姿で突っ込んでいき、玉砕した。それではダメなわけで、「新選組」という名前はあながち間違ってはいないと思う。

若者を無理に投票所に引っぱり出さなくてもよい

18、19歳有権者の投票先は自民が41%でトップ。立憲が13.9%で2位。れいわは4番手の7.4%。 年代別では自民は20代、公明は10代で最も高く、立憲は40代まで、共産は50代までの得票率が全世代の平均値を下回り、ともに70代以上の得票率が最高だった。(時事通信より)
このままでは若い人たちに安心した社会を引き継がせられないと訴える野党が若い世代からは支持されておらず、ある程度歴史を見てきた高齢者たちが現政権に危機感を抱いて野党に投票しているというのは実に皮肉だ。
選挙のたびに、若い世代に「投票しましょう」と呼びかけるポスターやら広告を目にするが、もういいんじゃないか。
そんな呼びかけよりも、メディアが現実をきちんと伝える努力をすることが先だ。

「老後資金2000万円不足」騒動のトンデモぶり2019/06/13 20:30

そもそも「年金」とはどういうものか?

年金だけでは老後の生活が成り立たないので、「資産運用」の努力が必要──的な報告書を金融庁の「金融審議会 市場ワーキング・グループ」が出した(2019年6月3日)ことで、なにやら世間が騒然としているらしい。
不思議だなあと思う。そもそも「年金」とはどういうものなのか、多くの人が理解していないのではないだろうか。
個人で商売をしている人(我が家もそう)にとって「年金」というのは「国民年金」のことである。国民年金の保険料は現在、月額16,410円だそうだ。
これは「満20歳から満60歳まで40年間保険料を納める」ことになっていて、かつては保険料を25年以上納めていない人には受給されなかった。この「最低納付期間」は2017年から25年から10年に短縮されたらしい。
だから、それまで保険料を1円も払っていなかった人も、改心?して、50歳からでも10年間払い続ければ年金が支給されるが、その場合(10年間納付した場合)の支給額は月額16,235円らしい。 ということは、65歳でもらい始めて、10年間は「原価割れ」である。75歳になる前に死んでしまったら「原価割れ」だし、ましてや65歳になる前に死んでしまったら「丸損」だ。
40年間フルに納めると、年間779,300円(月額64,942円)支給される。16410円×40年間は787万6800円で、それを77万9300円で割ると10.1年になる。やはり75歳になる前に死んでしまうと「原価割れ」である。
つまり、年金のありがたみが生じるとすれば、それは75歳以降になって初めて訪れる可能性があるわけで、75歳まではなんのありがたみもないどころか、自分の本来の資産を減らすことになる。
しかもこれは、現在の保険料と受給額だから、今後、保険料は上がり、支給額は減っていくのは目に見えている。支給開始年齢が70歳になるという話もあり、ほぼ確実にそうなるだろう。
今でも、受給開始のお知らせが来たとき、葉書を返信しないと自動的に70歳まで自動的に毎月開始時期を遅らせるという姑息な手段がとられている。
従来のように60歳から支給してほしい場合は、支給額が30%割り引かれるというのもひどい。知り合いの美容室経営者は、それでも「いつ死ぬか分からないし、今とにかく金が足りないから」と、30%減の支給額を呑み込んで60歳受給開始にしたという。
月額約6万5000円(40年支払い続けて満額の場合)の70%は4万5500円だから、これで「元を取る」にはおよそ14年半。やはり75歳まで生きて、76歳から先にようやくちょっとずつプラスになる計算だ。

さらには、国民年金だけの夫婦の一方が年金受給前、受給中に死んでしまった場合、残された夫や妻は世帯として受け取れる(受け取っていた)年金が半分になってしまうことも留意しておくべきだろう。
「遺族基礎年金(かつて「母子年金」と呼ばれていた)」というものがあるが、遺族基礎年金は、18歳未満の子供がいる子育て中の家庭にしか支給されない。仮に年金保険料分をずっと貯蓄してきたとすれば、配偶者が死んでも貯金はそのまま相続できるが、それまで払い続けていた年金保険料は配偶者が死んだ時点で消えてしまう。
仮に60歳まで国民年金保険料を満額払い続けた夫婦の一方が受給前に死ぬと、残された夫 or 妻は、本来受け取れたであろう月額約13万円の年金が6万5000円になってしまうだけでなく、年金保険料分の金を預金していれば遺産として相続できたおよそ800万円が消えてしまうのだ。
実際にそういうケースはごまんとあるはずだ。

嫌な言い方をすれば、国民年金とは、80代まで長生きした人を、そこまでは生きられないかもしれない人たちのお金で支える制度だ。

年金は普通預金のように、入院や災害などの緊急時に引きだして使うということもできない。75歳以上長生きしたとしても、そのときは認知症になっていて、自分の金を自分で管理できなくなっている可能性も高い。

要するに、年金受給は「自分は長生きする」ことに賭けるギャンブル要素を含んでいる
あるいは、「原価割れ」の可能性が高いことを承知の上で年金保険料を払い続けるというのは、今の70代、80代の人たちの年金を支えるための義援金、もしくは嫌でも取られる税金のようなもの、ということになる。
年金というのはそもそもそういうものである。つまり「ギャンブル」であり「義援金」であり「税金」のようなものである。

問題の「報告書」の意図するもの

さて、今回奇妙な取り上げられ方をすることになった「高齢社会における資産形成・管理」 という報告書はどういう性格のものなのか?
これをまとめた委員21人のザックリした内訳は、大学教授が7人、投資会社の関係者やファイナンシャルプランナーなど金融関係企業、財界など、投資行動を呼びかける側の人たちが12人、弁護士と読売新聞社の論説委員が1人ずつという構成。
オブザーバーには、消費者庁、財務省、厚生労働省、国土交通省といった官庁の他、日本銀行、日本取引所グループ、日本証券業協会、投資信託協会、日本投資顧問業協会、信託協会、全国銀行協会、国際銀行協会、生命保険協会と、金融業界の組織が並んでいる。

で、冒頭にはこんな記述がある。
政府全体の取組みや議論に相互関連して、高齢社会の金融サービスとはどうあるべきか、真剣な議論が必要な状況であり、個々人においては「人生100年時代」に備えた資産形成や管理に取り組んでいくこと、金融サービス提供者においてはこうした社会的変化に適切に対応していくとともに、それに沿った金融商品・金融サービスを提供することがかつてないほど要請されている。
(略)
本報告書の公表をきっかけに金融サービスの利用者である個々人及び金融サービス提供者をはじめ幅広い関係者の意識が高まり、令和の時代における具体的な行動につながっていくことを期待する。

要するに「みなさんタンス預金や普通預金に溜め込んでいないで、もっとハイリターンな投資行動を考えてみませんか?」という呼びかけのようなものだと理解できる。

問題の「2000万円不足問題」はどこに書いてあるのかと探してみると、どうやら10ページ目の
収入も年金給付に移行するなどで減少しているため、高齢夫婦無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円となっている。この毎月の赤字額は自身が保有する金融資産より補填することとなる。

という部分、さらには20ページの、
老後の生活においては年金などの収入で足らざる部分は、当然保有する金融資産から取り崩していくこととなる。65 歳時点における金融資産の平均保有状況は、夫婦世帯、単身男性、単身女性のそれぞれで、2,252 万円、1,552 万円、1,506 万円となっている。なお、住宅ローン等の負債を抱えている者もおり、そうした場合はネットの金融資産で見ることが重要である。 (2)で述べた収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合には、20 年で約 1,300 万円、30 年で約 2,000 万円の取崩しが必要になる
のことを言っているらしい。
ごくごくあたりまえのことを控えめに書いてあるにすぎない。
「月に約5万円不足するのを補うために蓄えが2000万円必要」という今回の試算を言い換えれば、「2000万円の蓄えがあっても30年で割ると一月あたりおよそ5万円にしかならない」ということだ。だからむしろ、厚生年金のない自営業者などからは、「2000万円ぽっちの蓄えで足りるわけないだろが~!」という反応がきそうなものだ。
だからこそ、多くの経済アナリスト、学者といった人たちが、今回の騒動について「なんでこれが炎上するんだ?」と驚いている。
⇒ここ とか ⇒ここ とか ⇒ここ とか……。

え? まさか年金だけで老後を安穏と暮らせるとでも思っていたの? そんな破天荒な人がいるの? しかもこんなにいっぱい? 日本ってそんなに国民の理解力が低い国だったの?……という驚き。

急速に進む格差社会化

今回の騒動の根底には「うちには2000万円なんて貯金はない!」という怒りがある。
それはそうだ。
こんなデータがある。還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円 ただし67%が2000万円以下
PGF生命という企業が「還暦を迎える人」を対象に行った調査だそうだ。これによると、還暦を迎える人の貯蓄額は、
  • 100万円未満     24.7%
  • 100万~500万円未満   17.6%
  • 500万~1000万円未満  11.1%
  • 1000万~2000万円未満 13.9%
  • 2000万~3000万円未満 9.2%
  • 3000万~5000万円未満 8.7%
  • 5000万~1億円未満  6.9%
  • 1億円以上      8.1%
となっていて、断トツに多いのは「100万円未満」だ。国民の4人に1人は100万円の貯金すらないまま還暦を迎えている
平均貯蓄額2900万円という数字は、8%を超える「1億円以上の貯蓄がある」人たちが平均値を一気に引き上げているだけであって、この平均値が世の中の「平均的感覚」とはかけ離れていることが分かる。

さらに興味深いのは、上記は2019年の調査結果だが、わずか1年前の2018年の調査では100万円未満は20.6%、1億円以上は6.4%で、どちらもここ1年で増えている。中間層は軒並み減っているのに、だ。つまり、貧しい者はさらに貧しく、富める者はさらに富を増やすという格差社会化が急速に進んでいる

中高年の預金を狙う業界

富める者がさらに富を増やす仕組みこそが株売買などの「投資活動」だということは、誰もがなんとなく想像していると思う。
富める者はギャンブルの掛け金をでかくできるだけでなく、市場動向の情報収集などの技術も持っている。
餌食にされるのは、技術や知識がないのになけなしの資金を必死に注ぎ込む人たちだ。
だから、金融に通じている人たちの多くは、今回の「報告書」が、庶民がハイリスクハイリターンの投資話、詐欺まがいの金儲け話や節約術に駆り立てられるきっかけを作るのではないかと懸念していた。
(「人生100年時代」という)この言葉には、人生が長いことに伴い老後の生活費が足りなくなることに対する不安を喚起する力がある。従って、「人生100年時代」のお金の問題を解決するために、「資産運用をしましょう」、あるいは「専門家に(金融機関に)相談しましょう」という誘導によってマーケティングに大変使いやすいのだ。
 利幅の高い商品を売りつける際に不安を喚起するのは、医薬品や健康食品、生命保険など広い範囲で応用されているマーケティングの常道だ。
高齢者の資産運用、金融機関が悪用しそうな「4つの言葉」にご用心 山崎 元:経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員)

まさにそうなのだが、この危険性に言及するマスメディアは今のところないように思える。
ちなみに、「炎上」と騒がれている件の報告書には、こんな記述もある。
近年、認知症の人の増加が顕著となっている。
(略)
これに起因する金融サービスにおける制限は多岐に渡るが、その一つに資産の管理が自由に行えない点が挙げられる。資金の自由な引き出しはもちろん、これまで資産運用を行ってきた場合でも、認知・判断能力に問題があり、本人意思が確認できないと判断された場合には一定の制限がかかりうる
認知・判断能力に支障がある者や障害者の生活や財産を守ることを目的とした制度の一つとして、成年後見制度がある。
(略)
国が策定した成年後見制度の利用を促進する計画に基づく環境整備が進んでおり、認知症の人も含めて、今後、成年後見制度を利用する者が増加することが予想される。後述する個人の金融資産の大半を高齢者が保有する状況に鑑みれば、同制度の利用増加に伴い、同制度の枠組みに入る金融資産が大きく増加していくことが想定される中、これらをどう管理していくかは重要な課題の一つと言える。
(6~7ページより

資産運用をしましょうと呼びかける性格の「報告書」の中にこういう記述があると、ゾッとさせられる。
深読みすれば、判断能力を失った金持ち老人が持っている金をどうやったら金融市場に引っ張り出せるか、という話にもとれないか。
ワーキンググループとしては、巧妙な言い回しで政府に対して「金を持っているボケ老人の資産をうまく引っ張り出すための法案を考えたらどうですか?」と示唆したのだろうか。しかし、金銭感覚が完全にずれている上に、それこそ「リテラシー」のない財務大臣は「こんな報告書読んでないし、受け取るつもりもない」などと答弁する始末。
ワーキンググループの面々もまとめ上げた官僚たちも、脱力したことだろう。

現状認識・貯蓄努力・合理的生活

さて、ここで話を終えてしまうと身も蓋もないので、最後に「こんな国、こんな時代に、どうやって幸福な生活を守るか」という技術論を少し。
最近、泣く泣くスマホ生活に入ったこともあって、無理矢理スマホに関連した話にしてみる。

まずは、今の日本は戦後高度成長期の日本とはまったく違うという認識から始めないといけない。
5G通信の時代が来ると、スマホ社会がどうということに留まらず、産業構造、社会システム、就労形態などが根こそぎ変わると言われている。そんな中、日本は5G技術からは完全に取り残され、蚊帳の外だ。
5Gの主要特許取得数では中国のファーウェイが断トツ1位で、2位以下はノキア(フィンランド)、サムスン電子(韓国)、ZTE(中国)、エリクソン(スウェーデン)と続き、米国クアルコムがようやく6位。
「技術立国日本」という思いこみはもはや幻想にさえならないのが現状だ。
ちょっとやそっとではこの惨状は回復できないということを頭に叩き込むことが必要だ。

次に、なけなしの個人資産をいかに守り抜くかということに集中しなければならない。
「絶対儲かる」なんていう話には「絶対」乗ってはいけない。
「株で儲ける」というのはギャンブルだが、ギャンブルは胴元以外はよほどの技術を持ったプロでなければ損をするようにできている。ゼロ金利時代に、虫のいい投資話などあるはずはない。
「投機、投資、資産運用はまったく違います」なんていうもっともらしい説明に負けて「これは投資ではなく資産運用だ」なんて思い込まされて手を出すと、なけなしの貯金も失ってしまいかねない。自信がなければ、普通預金を死守したほうが安全だろう。

そして最後は倹約、節約。
倹約というと苦しいイメージだが、「合理的な生活」と言い換えればいいだろうか。
電気料金を安くしませんかという勧誘電話セールスが頻繁にかかってくるようになったが、エネなんとかとかエコなんとかという商品を買わせようとか、太陽光パネルを設置しませんか的な商法は、知識がないなら話を聞くだけでも危ない。
一方で、電気の契約をガス会社などに切り替えて支払額を減らすことは簡単にできる。計算してみればいいだけだ。
通信費も、大手通信会社との契約をやめてmineoだの楽天だのIIJmioだののいわゆるMVNO(docomoやauなどの無線通信インフラを借り受けて、音声通信やデータ通信のサービスを提供する事業者)に乗り換え、契約形態を自分の生活に合わせたものにするだけで、不便を味わうことなく月額数千円は節約できる。
住む場所そのもの、家の形態などライフスタイルを根本的に考え直せば、劇的な生活費軽減ができ、幸福度も上がるかもしれない。

……というわけで、今回の「炎上騒動」は、財務大臣はじめ、政治家たちの異次元な無知・無責任・倫理観の欠如を浮き彫りにさせ、これ以上盲目的に堪え忍んでいたら茹でガエルになっちゃうよ、という警告を発する役割を果たした点では、まあ、よかったのかもしれない。

この国の「総合的国力」がよい方向に向かうことは当分期待できない。となれば、無能で倫理観も理解力もない政治家に文句を言うエネルギーは他者に任せ、自分の生活を死守する技術を学ぶことに時間と頭を使ったほうがいいのだろう。
というわけで、この話はここで終了!

mineo←mineoで月2000円以下の通信生活(Clickでご案内ページ)

軽自動車こそ究極のエコカーである2018/11/07 10:21

「笑点」メンバーの着物の色ってどっかで見たなあと思っていたら……これだった

製造と廃棄の段階での環境負荷

X90を手放した心痛と悔しさから逃れるため、代わりに我が家の一員となった17万円のアルトラパン4WDを目一杯愛す方向に頭を切り換えている。

世の中、ハイブリッドカーや電気自動車が「エコカー」と持ち上げられ、極端な優遇税制を受けたりしている。しかし、今さらいうまでもないことだが、化石燃料や金属資源の節約、環境負荷の軽減という意味では軽自動車こそが真のエコカーである。

自動車が環境に与える負荷は、主に
  1. 製造する段階でどれだけのエネルギー資源や金属などの地下資源(特にレアメタル類)を使ったか
  2. その自動車が走ることでどれだけのエネルギー資源を消費したか
  3. その自動車が走ることでどれだけ環境を汚染し、道路などの公共資産を傷めたか
  4. その自動車を廃棄する段階でどれだけの資源(特に金属)を失い、環境を汚染、破壊したか

ということで計算することになる。
ところが、ハイブリッド車や電気自動車については、上記の2と3しか取り上げられず、1と4の視点がほとんど抜け落ちている。
さらには、作られた自動車でどれだけの仕事ができたか(人力などを節約できたか)もあまり論じられない。

エコカーと呼ばれる車の多くは価格が高く、庶民にとっては高嶺の花だ。実際、所有している人たちはそこそこの所得がある人たちであり、用途もレジャーや買い物などが多い。
一方、公共輸送に使われるバスやトラックなどはもちろん、毎日走り回っている営業車の類、プロパンガスを交換している2トン車やエアコンやボイラーの修理のために回っている軽バン、農家にはなくてはならない軽トラがハイブリッドカーや電気自動車である、という社会にはなっていない。
なぜなら「エコカーは高くつく」からだ。

田舎では必須の軽自動車にも、ハイブリッドや電気自動車はほとんどない。(現時点では、スズキに小規模なハイブリッド車があるだけ)
ハイブリッドは、従来のガソリンエンジンの他に高性能バッテリーとモーターを積んで、走行状況に合わせ、モーターがエンジンをアシストするというものだ。しかし、自動車として究極までに軽量化・高効率化された軽自動車は、エンジン本来の性能を徹底的に効率化させることですでに従来の常識を覆すような高燃費を実現している。それを多少上回る程度の燃費改善のために、モーターやリチウムイオンバッテリーという重くて高価なパーツを軽自動車に組み込むメリットが見出しづらい。
軽自動車のユーザーはもとより経済性最重視だから、通常の(ガソリンエンジンのみの)軽自動車との価格差を燃費の差で埋めることは相当難しいであろうことを理解している。
しかし、軽自動車というのは常に「無理をして」ギリギリの設計をしてきた車だから、最小限のモーターアシスト機構をうまく組み入れられれば、さらに進化する可能性が普通車よりあるかもしれない。スズキはすでにその領域に入ってきたような気もするので、期待もしている。

石油よりもレアメタルが先に枯渇する

ハイブリッドカーや電気自動車でいちばん懸念されるのは、稀少金属を大量に使っていることだ。
初代プリウスにはニッケル水素バッテリーが使われていたが、ニッケルの可採年数(採掘可能な残り年数)は約40年という(経産省「諸外国の資源循環政策に関する基礎調査」より)
現行プリウスには、グレードによってリチウムイオンバッテリーも使われているが、リチウムはチリやアルゼンチンなど、極めて限られた地域に偏在している稀少金属だ。
仮に全世界の自動車保有台数の 50% を環境低負荷自動車(HV + PHV と EV をそれぞれ50% の割合とする)にすると、約790 万 t の金属リチウムが必要ということになる。この金属リチウム量は、次章で示す金属リチウムの推定埋蔵量に迫る量になる。
「リチウム資源の供給と自動車用需要の動向」河本 洋、玉城わかな)

いずれにしても、このまま自動車にモーター駆動用の二次電池を積むことを続けていれば、石油の枯渇よりも金属資源の枯渇のほうが早くなるだろう。石油はまだなんとかあるけれど、ニッケルもリチウムももうなくなりそうなので高性能電池はもう作れません、という時代が来る。わずかに残されたレアメタルの価格は急騰し、さらには争奪で戦争にもなりかねず、燃費向上がどうのという話どころではなくなる。
ハイブリッドや電気自動車万歳という風潮には、こうした現実的な予測がまったく欠けている。
燃料電池車などは論外で、そもそもエネルギー収支の点からやる意味がまったくない。水素エネルギー社会が到来するなどというのは補助金目当ての詐欺PRでしかない。

頻繁に新車に乗り換えることこそ環境破壊

環境負荷を減らしたいなら、自動車を製造する~使う~廃棄するという全課程での資源消費を極力少なくし、環境に有害な物質を極力出させないことだ。
少ないエネルギー、資源で、大きな代替労力を得られる車こそが「エコカー」を名乗っていい。
残念ながら、現時点ではハイブリッド車も電気自動車も「エコカー」とは言い難い。
日本で生まれた軽自動車という規格は、世界に類をみないユニークなものだった。「ガラ軽」と呼んだ人がいたが、まさにそうかもしれない。しかしこれは、極めてよい意味でのガラパゴスだ。
軽自動車は高級車に比べればいろいろな点で快適ではないし非力だが、効率よく仕事をして、環境への負荷も少ないという点では極めて優れている。
田舎暮らしではどうしても車が必要だから、「申し訳ないけれど車を使わせてもらってます。でも、環境負荷は最小限にしたいので、軽自動車、しかも中古車を徹底的に長く乗ります」という生き方がいちばん合理的で社会倫理的だろう。
今回、理由はどうであれ、そういう「軽自動車文化」に仲間入りできたと思い、X90を手放す苦しさを軽減させることにした。
X90も廃車ではなく、ちゃんと次のオーナーが決まっている。この乗り換えで、新しく製造された車が増えたわけではない。すでに製造され、十分に仕事をして元を取ったであろう車が入れ替わるだけだ。

……とまあ、例によってぐだぐだ能書きを垂れながら、15年間連れ添った珍車X90に別れを告げるのであった。

「不条理社会」に生きる2018/11/07 09:47

X90のメーター 22年前の車だが、まだ6万キロ台 なぜこれに重税をかける

「明らかな悪法」が作られ、まかり通る

増税でのいじめに耐えきれず、22年前に作られ、うちに来てから15年経つスズキ X90という珍車?をついに手放すことになった次第については表の日記に詳しく書いた。

車を大切に長く使うと増税という非合理、不条理に憤っているだけでは免疫細胞が死んでしまう一方なので、ここで「なぜこんな非合理が許されるのか」を人間の心や社会構造という面から改めて考えてみた。

この悪法が成立した裏には、自動車メーカーの利益を守るために、まだまだ乗れる自動車を早く手放させて新車を買わせようという意図があることは明白だ。
ある業界や企業の利益誘導のために、公共の利益を害することを押し進める。そのためには大きな嘘をつく。嘘を信じ込ませるために、メディア、教育、情報社会などに働きかけ、あらゆる手段を駆使する。……こうしたことを平気でできる人間をAタイプとしておく。
Aタイプにも、金儲け依存症、権力志向、世の中を動かす自分の能力に酔いしれる自己陶酔型などいろいろありそうだが、とにかくこのタイプはバカではないし、行動力もある。ザックリ言えば「エリート」と呼ばれる人たちに属する。

次に、「エリート」と呼ばれるグループには属しているが、自分では方向性を見つけようとせず、上からの指示に従い、自分の生活レベルや地位を守ることに専念するタイプの人たちがいる。これをBタイプとしておこう。
Bタイプは当然Aタイプよりも数は多いし、現場での戦力という意味で、Aタイプにとって不可欠な道具だ。実行部隊の隊長だから、頭脳や実行力はAタイプより優れていることも多いだろう。
AタイプにしろBタイプにしろ、自分たちがやっていることが公共の利益や地球環境の保全・持続という面では明らかに悪行であることは十分理解している。それでも悪行を続けるのは、結局のところ、自分、あるいはせいぜい自分の家族という極めて狭い範囲の生活レベルやステータスを、人生において最も大切なこと、最上位の価値だと信じているからだ。
自分が死んだ後のことなども考えない。自分が死んだ3分後に地球が破滅して全生物が滅んでも、自分はもはやそこにはいないし、感知できないのだから関係ないと思うような極端なサイコパスも混じっているかもしれない。

次に、AタイプやBタイプに言いくるめられ、嘘を本気にしてしまう人たちがいる。これをCタイプとしておこう。
社会を構成している人の多くはCタイプである。
例えば、「ハイブリッド車や電気自動車などの『エコカー』に乗り換えることが環境負荷を下げることになる」と本気で信じている人はたくさんいる。官僚にはあまりいないかもしれないが、政治家には結構いる。だから車を長く乗り続ける人には増税という不条理・非合理な法律が野放しにされている。
同様に「次に到来するのはクリーンな水素社会だ」とか「原発は必要悪であり、資源のない日本には欠かせない技術である」などと主張するCタイプの人たちがいるが、AタイプやBタイプと違って本気でそう思い込んでいるのがやっかいだ。
Cタイプの知性はとてもゾーンが広い。学歴や人格も関係ない。「人間的にはとてもいい人」は、このCタイプにいちばん多い。
政治家にはCタイプがとても多い。
しかも「困ったCタイプ」ばかりだ。いわゆる「いい人」は政治のようなドロドロした世界ではのし上がれないから。
偏狭な信念を持っていて、現実を正確に分析できない人。頭がよくないのに家柄や成り行きで権力を得てしまったために、取り巻きの説明を鵜呑みにして、それが自分の知力だと勘違いしている人。単純に頭が悪くて、政界の中の保身、立ち回りだけで精一杯な人。そんな人たちがいっぱいいる。

こう見ていくと、世の中の不条理、非合理は、

  • 自分が死んだ後のことはどうでもいいというAタイプが考案し、社会がそう動くように仕掛ける。
  • 本当は違うんだけど、上から言われたから仕方がないという生き方のBタイプが粛々と押し進める。
  • 深く考えようとしない、あるいはだまされたまま変な信念を持っているようなCタイプが、悪行を許容したり実行に加担したりする。
……という構造で生まれ、定着してしまうということが分かる。
「それはおかしい」「あまりにも非合理だ」と異を唱え、正論を述べる人たちの力は及ばない、ということなのだろう。

現代人が知らなければいけない「条理」「合理」とは

僕はよく「不条理」とか「合理性」といった言葉を使うが、ここで「条理」「合理」とは何かを改めて考えてみる。

条理:物事がそうなければならない当然の道理・筋道
合理:物事の理屈に合っていること

世の中には様々な条理、合理があるが、現代社会を生きる人間にとって、生命や幸福な生活を守るための基本的な条理、合理は次のようなことだと思う。
  1. 地球上で生物が活動できるのは、水の循環をはじめとする物質循環が存在し、増大したエントロピーを熱に変えて宇宙に捨てる仕組みがあるからである
  2. 物質循環を支えているのは水、植物層、動物層の健全さと多様性である
  3. 地球環境は有限であり、地下資源は使えば枯渇する
  4. 現代文明は石油を筆頭とする「地下資源文明」であり、化石燃料や金属資源(特に稀少金属資源)は極力無駄に使わないようにすることが文明の寿命を延ばすことに直結する
  5. 人間の幸福感は、物やエネルギーの大量消費によって保障されているわけではなく、工業生産やエネルギー消費を減らしても精神的な豊かさを増やす方法はいくらでもある
  6. 今の社会を少しでも長く平和な状態に保つには、人工的なエネルギーや生産に過度に依存せず、精神的幸福感を維持・増大させる生活スタイルに変えていくことが必須である

現代社会の「不条理」「非合理」は、これらの命題に明らかに反していることであるのに、嘘や情報コントロール、権力者からの圧力によって押し進められることで生じている。
さらにやっかいなのは、上に示したような基本的な「条理」「合理」が社会の中で共有されていないことだ。

上の(3)はほとんどの人が理解はしている。でも、(1)と(2)を理解していない人が多い。学校でもちゃんと教えていない。
(4)は分かったつもりでいて、実は分かっていない人が多い。特にエネルギー収支については考えていない、あるいは間違った理解をしている人が実に多い。
(5)(6)は表向き賛同するものの、自分が生きている間はなんとかなるだろうと思って、真剣には向き合おうとしない。

この傾向はすべてのタイプの人にあてはまるが、CタイプよりはBタイプ、BタイプよりはAタイプの人のほうが、これらすべての条理・合理を本当は理解している。理解している上で無視し、自分の利益を最優先させることが自分にとっての条理・合理だと信じている。

社会が「数」の力で動くとすれば、Cタイプが圧倒的に多い以上、Aタイプの支配を崩せない。
崩せるとしたら、Aタイプを許さない超人的な人物が登場したり、Bタイプの中で大きな意識革命が起きてAタイプに反旗を翻したり、Cタイプの中で条理・合理を理解する人たちが増えていき、社会の軌道修正を求めていくことだろう。しかし、そんなシーンは、少なくとも僕が生きているうちには見ることはできない。不条理・非合理はますます増えていくに違いない。
そんな社会の中で、自暴自棄にならず、どう生き抜いていけばいいのかを考え、試行している人たちもいる。ついでだから、Dタイプとでもしておきますか。
DタイプはA~Cタイプに比べれば社会を変えていく大きな力にはなりにくい。無害だけれど、個人主義というか、幸福感至上主義のエゴイストみたいなところがある。
やはり、社会を動かしているのはA~Cタイプの人たちだ。
……と、ここまで考えてくると、「人間社会」というものが少しだけ見えてくるし、その中で生きていくしかない自分というものにも、静かに向き合える気がする。

テレビドラマより分かりやすい善悪劇

東京電力の旧経営陣3人(勝俣恒久、竹黒一郎、武藤栄)が業務上過失致死傷罪で強制起訴された裁判は、2018年10月末現在、第33回公判まで進んでいる。
その内容が、NHK NEWS WEBの特別ページにまとめられている。
他に、元朝日新聞記者の添田孝史氏が書いているLevel 7 News「公判傍聴記」(添田孝史)というシリーズがよくまとまっていて読みやすい。まるで法廷ドラマを見ているようだ。
これを『下町ロケット』みたいなノリでテレビドラマ化してくれないものだろうか。
こういうの↓をそのまま脚本にするだけでいいから。


高尾氏ら現場の技術者は、2007年11月からずっと対策の検討を進めていた。「対策を前提に進んでいるんだと認識していた」と高尾氏は証言した。それが2008年7月31日、わずか50分程度の会合の最後の数分で、武藤副社長から突然、高尾氏が予想もしていなかった津波対策の先送りが指示される。高尾氏は「それまでの状況から、予想していなかった結論に力が抜けた。(会合の)残りの数分の部分は覚えていない」と証言した。今回の公判のクライマックスだった。
添田孝史 第5回公判傍聴記

この時期の東電「裏工作」で最も悪質なのは、先行する他社の津波想定を、自分たちの水準まで引き下げようとしていたことだろう。
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高尾氏は、武藤氏の指示のもと研究者への説得工作も行っていた。2008年10月ごろ、秋田大学の研究者に面談した際の記録には「長期評価の見解を今すぐ取り入れないなら、その根拠が必要でないかとのコメントがあった」「非常に緊迫したムードだったが、(東電の方針を)繰り返し述べた」と書かれていた。大組織のサラリーマンの悲哀を感じさせる記録だった。
同・第6回公判傍聴記


高尾氏の証言を聞いていると、2007年以降の福島第一原発は、ブレーキの効かない古い自動車のようだった。
ブレーキ性能(津波対策)が十分でないことは東電にはわかっていた。2009年が車検(バックチェック締め切り)で、その時までにブレーキを最新の性能に適合させないと運転停止にするよ、と原子力安全委員会からは警告されていた。ところがブレーキ改良(津波対策工事)は大がかりになると見込まれ、車検の日に間に合いそうにない。そこで「あとでちゃんとしますから」と専門家たちを言いくるめて車検時期を勝手に先延ばしした。「急ブレーキが必要になる機会(津波)は数百年に一度だから、切迫性はない」と甘くみた。

一方、お隣の東北電力や日本原電は車検の準備を2008年には終えていた。それを公表されると、東電だけ遅れているのがばれる。東電は「同一歩調を取れ」と他社に圧力をかけて車検を一斉に遅らせた。

そして2011年3月11日。東電だけは予測通りブレーキ性能が足りず、大事故を起こした。
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東北電力は、土木学会が2002年にまとめたマニュアル(津波評価技術、土木学会手法、青本とも呼ばれる)では想定していない貞観地震をバックチェック最終報告には取り入れていた。長谷川昭・東北大教授の「過去に起きた最大規模の地震を考慮することが重要であり、867年貞観地震の津波も考慮すべきである」という意見をもとにしていた。貞観地震を想定すべきかどうか、土木学会で審議してもらう必要がある、などとは考えていなかった。

日本原電も、土木学会手法(2002)より大きな茨城県の想定(2007)を取り入れていた。その採用にあたって、やはり土木学会の審議が必要とは考えていなかった。「土木学会に時間をかけて審議してもらう」と言ったのは、東電だけなのだ。
同・第7回公判傍聴記


15.7mより低い想定値にすることは出来ないか、それによって対策費を削ることができる可能性がないか検討するために、土木学会を使って数年間を費やす方向が決められ、大学の研究者への根回しが武藤氏から指示された。

最終バックチェックに、地震本部の予測を取り込まないと審査にあたる委員が納得してくれないだろう。武藤はその可能性を排除するため、有力な学者に根回しを指示した。「保安院の職員の意見はどうなる」という検察官の問いに、「専門家の委員さえ了解すれば職員は言わない」と山下氏は答えていた。

2009年6月に開かれた保安院の審議会で、専門家から東電の津波対応が不十分という指摘がされたことについて、土木調査グループの酒井氏は「津波、地震の関係者(専門家)にはネゴしていたが、岡村さん(岡村行信・産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長、地質の専門家)からコメントが出たという状況」と関係者にメールを送っていたことも、公判で明らかになった。水面下で進めていた専門家へのネゴ(交渉)に漏れがあり、公開の審議会で問題になったと白状していたのだ。
同・第24回 公判傍聴記


……テレビドラマにでもしない限り、ほとんどの人は永遠にこういう問題には目を向けない。
でも、もしテレビでドラマ化したりすれば、それを見た人たちは「あ~あ、どうせそういうことでしょ」という気持ちを強めるだけで、ますます社会が劣化、弱体化、無気力化していくのかもしれない。

国が相手なら、とにかく金は入る


で、その福島では、今まさにこんなことになっている。
経済産業省の実証研究として福島県沖に設置された国内最大規模の洋上風力発電施設が、最大出力7000キロワットでの運転をほとんど実施できていないことが(2018年6月)21日、明らかになった。
(略)
実証研究は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から間もない11年度に始まった。丸紅を中心に、三菱重工業や東大などで構成するグループが受託した。国は18年度までに計585億円の予算を計上し、2000キロワット、5000キロワットの2基を含む計3基を福島県沖20キロの太平洋上に設置した。
2018/06/21 時事ドットコム

政府が東京電力福島第一原発事故からの復興の象徴にしようと福島県沖に設置した浮体式洋上風力発電施設3基のうち、世界最大級の直径167メートルの風車を持つ1基を、採算が見込めないため撤去する方向であることが26日、分かった。商用化を目指し実証研究を続けていたが、機器の不具合で設備利用率が低い状態が続いていた。
(略)
実証研究は福島県楢葉町沖約20キロに設置した風車3基と変電所で12年から実施しており、これまでに計約585億円が投じられている。問題となっているのは出力7000キロワットの一基で、建設費は約152億円。15年12月に運転を開始したが、風車の回転力を発電機に伝える変速機などで問題が続発。17年7月からの1年間の設備利用率は3.7%に低迷しており、新規洋上風力の事業化の目安とされる30%に大きく届かなかった。

 今年8月には経産省が委託した専門家による総括委員会が「初期不具合や解決に至らなかった技術的課題があり、商用運転の実現は困難」「早急に発電を停止し、撤去の準備を進めるべき」と指摘。風車の解体場所として、関連企業の工場に近い淡路島沖か、製造した三菱重工業の長崎造船所の二案を軸に検討に入っている。撤去には建設費の一割程度かかるとみられるという。
2018年10月27日 東京新聞

実際の発電実績データは⇒こちら

この金の使い道、到底「合理的に」考えたとは思えない。
洋上風力の問題点は数々ある。これが実利を追求するプロジェクトであれば数百億かけてやる企業などない。
失敗したと簡単にいっているが、これで請け負った企業が損をしたわけではない。しっかり金は入って「儲かった」のだ。

実用性がないことを承知の上で、巨額の税金を注ぎ込んでもらうために提案した⇒Aタイプ
馬鹿げているよなあ~、大金を海に捨てるようなもんだよなあ~と思いつつも、現場で指揮を執った実務部隊⇒Bタイプ
「それはいい! 福島復興のシンボルになるし、環境にも優しい」と乗せられた政治家や行政⇒Cタイプ

……そういうことだ。

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